おじん0523のヒロ散歩

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2020.11.18
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カテゴリ: 国内旅行
茂辺地川のシャケの遡上を見た後、松前・木古内へ向けて走る。

10月19日(月) 7:33
国道228号(日本海追分ソーランライン)を進む
この先を右折すると道道29号線、茂辺地市街、函館江差道の北斗茂辺地ICへ


7:40
国道を進みトラピスト修道院の案内板を発見、右折して直ぐに道南いさりび鉄道の踏切を渡る。
修道院への坂道、直線の杉並木


トラピスト修道院は、明治29年(1896)に創設された日本最初のカトリック男子修道院。
最寄りの渡島当別駅までは函館駅から列車で約40分



トラピスト修道院駐車場
所在地:北海道北斗市三ツ石392


北海道まちづくり100選『トラピスト男子修道院付近(上磯町)』
   平成元年1月27日   北   海    道
              北 海 道 新 聞 社
              NHK札幌放送局 
人間道路会議賞
  町道 トラピスト通線   平成8年2月29日

緑の牧草畑が広がるなかを一直線にのびる道。ポプラ並木が風に吹かれて葉の裏を返すとき、
その奥に静かなたたずまいをみせる赤レンガの尖塔 —
美しい自然との調和。

いま、「北海道まちづくり100選」「人間道路会議賞」に輝く —


駐車場から坂を上り修道院へ



明治29年(1896)、フランス、オランダ、イタリア、カナダから総勢9人の修道士たちがこの地
を訪れ、日本最初の男子トラピスト修道院を創設。翌年、フランスからジェラール・プーリエ
(のちに帰化し、岡田普理衛と名乗る)が創立修道院長として迎えられました。修道院では創建
当初から開墾・農耕・牧畜が盛んに行われ、現在に至ります。
ここで作られるトラピストバターやクッキー、バター飴、ジャムは、北海道を代表する観光みや
げ品として人気です。修道院に続く道や周辺の散策路は四季それぞれに美しい風景を見せて、
歩く人を楽しませてくれます。春には鮮やかなピンク色の桜が満開に。秋には奥にそびえる丸山
の美しい紅葉が見られるほか、敷地裏側の壁面や裏手の山麓で聖母マリア像を祀るルルドに伸び
るツタが赤く染まります。
3月15日から11月第2日曜日までのあいだ、修道院の駐車場にある直売店でソフトクリームが販
売されていて、とびきりの味を求めて多くの人が訪れます。
トラピスト修道院の正門


時間が早く締まったままの鉄扉
  灯台の聖母 トラピスト修道院


現在の建物は最初の修道院が明治36年(1903)に焼失したため、明治41年(1908)に建てられた
ものである。この時に使われたレンガは野幌で作られて運ばれていたが、輸送が間に合わなく
なった。そのため現地生産となり、現在の石別中学校が建っているところから良質の粘土がと
れたため、煉瓦を作ったと伝えられている


正門の左側の部屋には過去の写真が展示されていた


トラピスト修道院の沿革
明治29年(1896)にフランスから数名の修道士が来日して、津軽海峡を眼下に臨む当地にトラピ
スト修道院を設立しましたが、トラピストの歴史は古く、その起源は11世紀にまでさかのぼり
ます。聖ロベルト(1018~1111年)は、現在のフランス・シトーの地に新修道院を創設し(1098
年)、ここからシトー修道会が生まれました。そして、1664年シトー修道会に属するトラップ
修道院(フランス)で、より厳格な生活を望む改革運動が起こり、この流れを汲むものをトラピス
トと呼ぶようになりました。
トラピスト修道院はカトリック教会に属し、日本国内には七つの修道院(その内五つは女子でト
ラピスチヌとして知られています)を持ち、国外には137の修道院(その内、50は女子)があります。
聖書の教えと、聖ベネディクト(480~547)の修道戒律に従い、「祈り・労働・聖なる読書」を
中心とした観想生活を送っています


整備された修道院内


正門から見下ろす


紅葉も始まる


津軽海峡への杉並木


三木露風の詩碑


「赤とんぼ」の詩人三木露風の詩碑
左側には「三木露風の略歴」が刻み込まれていたが判読できず。


以下二枚の写真は、我が地元の茅ヶ崎中央公園にある「赤トンボの楽譜」の石碑。
三木露風の詩に、作曲家山田耕作が茅ヶ崎に移り住んでいた1927年(昭和2年)に作曲した


石碑には「赤トンボの楽譜」があり、三木露風の名前が刻まれている(黄色内)


三木露風
明治22年(1889)6月23日、兵庫県龍野市龍野町上霞城101番地に生まれる。幼名 操。後早稲田
大学、慶応大学に学ぶ。詩集「廃園」(明治42年9月刊行)によって日本詩壇で注目され、「白き
手の猟人」(大正2年9月刊行)で象徴詩界の頂点に立ちました。
大正9年5月から同13年6月までトラピスト修道院の文学講師として4年間居住し、その間大正11
年キリストの復活祭に夫人と受洗しました。
昭和39年12月21日、東京三鷹市で交通事故に遭い、同29日死去、カトリック吉祥寺教会で葬儀。
享年75歳、法名穐雲院赤蛉露風士。昭和40年1月16日、勲四等瑞宝章を追贈。
* 童謡「赤とんぼ」は修道院の文学講師時に作詞されました。  平成23年3月


厳律シトー会 灯台の聖母大修道院
明治29年(1896)、「祈祷と労働とをもって直接、神に奉仕し、自己の成聖と社会の幸福」を
目的とし、日本で最初の男子修道院である この修道院が建てられた。最初の建物は白ペンキ
塗り細長い木造建築であった。修道院からは日に何度も鐘の音が流れてくることから、村民た
ちは修道院のことを「ガンガン寺」と呼んでいた。当初の修道士はフランス人5名、オランダ
人2名、イタリア人とカナダ人1名の9名であった。創立当時は荒地であったこの地を開拓し、
農耕・牧畜・酪農に力を入れた。明治35年(1902)にオランダからホルスタインの種牛を輸入
し、増殖した乳牛はのちに南北海道一帯に広がっていった。南北海道の酪農の原点ともいえる


岡田普理衛(D.ジュラール・プゥイエ)
初代修院長。安政6年(1859)にフランスのノルマンディー県にて出生し、哲学・物理・科学を
学んだ後、大神学校で神学を修めた。その後、自ら志願して明治30年(1897)に日本に渡来した。
明治33年(1900)日本人信者であった大工の岡田初太郎の養子となり、岡田普理衛に改名する。
性格は喜怒哀楽を表に出さないが豪快であり、質実剛健で行動力が盛んで、トラピスト修道院で
の労働も頑丈な体で二人分の仕事をこなしたと言われている。地元の人々は「見慣れない外国人
が重罪人ではないか」と最初は噂し修道院の作物を荒らしたりしたが、岡田普理衛は病人の介護
方法を教えたり相談に乗ったりと徐々に地元の人々からの信頼を得て、親しまれるようになった。
大正14年(1925)には福岡県にトラピスト分院を設立するため、現地に出向し、昭和20年(1945)
この修道院に帰ってきた。そして昭和22年(1947)7月1日に87歳で死去した。

カトリック当別リタ教会
フランスで中世に制作された十二使徒の貴重なステンドグラスがあります。
修道院敷地内売店横の当別教会では、毎日曜日午前 8:45 からミサが行われています。 どなた
でも参加できます。司式は修道院の神父によって行われ、修道院内で修道士が 行っているミサ
と同じ雰囲気です。トラピストの伝統に則った祭儀を味わうことが出来ます。 
カトリックの洗礼を希望される方は、ミサ終了後、神父にご相談くださいと


7:56
駐車場横に売店があったが時間が早く開店前のため、ソフトクリームは食べれず。
約20分の滞在でトラピスト修道院を後にした。

8:16
道を間違え早めに右折、前方は木古内駅で左は、道南いさりび鉄道、右は北海道新幹線


8:23
JR木古内駅 南口
所在地:北海道上磯郡木古内町木古内
北海道新幹線で青函トンネルを抜けて直ぐの場所にある新幹線が停車する木古内駅。
道南いさりび鉄道の終着駅で、かつてはここから江差線が出ていた。駅前からは、江差、松前行
きのバスが発着しており、江差町や松前町の観光の拠点である。
また、駅前には、レンタカーの、タイムズカーレンタル、駅レンタカー北海道の2社がある。
駅舎内には江差線等の鉄道関係の品物が展示されていたようだが


道南いさりび鉄道


道の駅 みそぎの郷 きこない
所在地:北海道上磯郡木古内町本町338-14
木古内駅前に位置する「道の駅『みそぎの郷 きこない』」。古くから函館・松前・江差を行き
交う人々にとって交通の要衝だった木古内町が、道の駅と北海道新幹線の開業により、現代の
交通拠点としての役割を新たにします。
当館の役割は、木古内町を拠点とする道南の西部9町(渡島西部4町・檜山南部5町)広域の魅力
を発信することです。そのための代表的な機能として3点をご用意しました。
 ① 道南西部9町ならではの特産品を集めたショッピングエリア。
 ② 世界的に活躍する料理人の奥田政行シェフが監修するイタリアンレストラン「どうなんde’s
   Ocuda Spirits」。
   ③ 道南西部9町のディープな情報に詳しい「観光コンシェルジュ」常駐。
建物は、地域の特産材である「道南杉」を内外装に多用しています。無垢の杉材が放つ芳香や手
触りを感じ取ることができるなど、落ち着いた空間となっています。


北海道じゃらん 2020年4月号掲載
道の駅満足度 ランキング2020 総合1位  3年連続‼
自転車は、レンタサイクル「きこりん」
道の駅の営業は、
休 館 日 :年末年始(12/31~1/1)  レストラン 不定休
開館時間:9:00 ~ 18:00


これ以降、このような案内をよく見かけた。
みなみ北海道  最後の武士達の物語
馬上から指揮する大鳥圭介  此処が木古内口の戦場地跡


陸軍奉行 大鳥圭介(おおとりけいすけ) 1832~1911
天保3年(1832)、現在の兵庫県に生まれる。慶応3年(1867)、幕府の歩兵奉行となり伝習隊を
結成する。翌年4月、旧幕府軍が市川(千葉県)に集結すると総督となり各地を転戦する。
木古内口の戦いでは、薬師山の頂で白馬に跨り全軍を指揮したと伝えられている


郵便ポスト(キーコのポスト)
キーコは木古内のマスコットである。
道の駅が開店前のため早々に次の場所へ移動することに


8:35
木古内駅から道道5号線(江差木古内線)を北上、木古内町郷土資料館の左奥にある、
道南トロッコ鉄道 鶴岡公園駅
所在地:北海道上磯郡木古内町鶴岡73
木古内駅から北上し、旧江差線渡島鶴岡駅跡にある。建物は旧江差線が営業していた当時のまま


木古内町郷土資料館 周辺マップ
 ・木古内町郷土資料館「いかりん館」
 ・禅燈寺


木古内町郷土資料館「いかりん館」
当館は、平成23年3月に廃校となった鶴岡小学校の校舎を利用して平成27年3月に開設しました。
館内は、縄文土器などを展示する「大むかしの木古内」、民俗資料を展示する「マチの歴史と発
展」、農機具や漁具などを展示する「木古内の産業」、昔の家庭で使われていた日用道具などを
展示する「人々の生活と文化」、JR松前線・江差線などの鉄道資料などを展示する「木古内と
鉄道」の5つのカテゴリーに分けて、約2,000点を展示しています。
特に幕末から明治維新にかけて活躍した「威臨丸」のものとされているイカリは、天井に届きそ
うなくらいの大きさと歴史の1ページが刻み込まれた本体にロマンを感じさせます


道南トロッコ鉄道 旧江差線渡島鶴岡駅のホーム。
旧江差線は、平成26年(2014)5月11日に廃線となった


現在は旧江差線のホーム&レールを有効利用してトロッコ鉄道


営業は土日のみ
料金は、鶴岡公園 ⇔ キーコの郷(江差方面)間 往復約18分 一般席 700円


道道5号線沿いの、郷土資料館「いかりん館」に隣接する鶴岡農村公園の駐車場へ


駐車場横にある「山形荘内藩士上陸之地」石碑


北門の警備と蝦夷地開拓、自立自営の大使命を帯び、明治18年から同19年にかけて山形県鶴岡
を出発、酒田港より御用船にて此の地に上陸し、荘内藩士 佐藤洋孝と共に105戸が帯刀を鍬に
かえ、土地墾闢を志向す。
所謂、士魂を農魂にと皆をあげ決然轉身の勇を揮い、大谷地棚部岱、爪谷、吉堀、中野、建川に
移住し、・・・・・の辛苦と苦難の農耕を続け歴代に受け継がれ、此処に87年の今日、水田酪農
郷鶴岡地域を築く。改めて先人の労苦と偉業を偲び永遠に傳えん   酒井忠明 書 


碑の来歴
この碑「山形庄内藩士百五戸開拓者上陸地之標」は昭和40年鶴岡地区開基八十・・・・」として


鶴岡農村公園にある記念碑


鶴岡市・木古内町
 姉妹都市盟約宣言十五周年
朝暘第一小学校・鶴岡小学校
    姉妹校交流四十周年
明治18年より旧庄内藩士開拓団百五戸がここ鶴岡地区に入植したことを縁に、昭和39年5月12
日、鶴岡市立朝暘第一小学校と木古内町立鶴岡小学校は姉妹校の契りを交わし、今年で四十周
年を迎えました。また、平成元年4月27日、鶴岡市と木古内町は姉妹都市盟約宣言を行い、今
年で十五周年を迎えました。
両都市は、教育・文化・経済の交流を深め、相互の信頼と友愛の絆を一層強くすることを誓う
と共に、互いの限りない繁栄を祈願し、記念碑と致します。
     平成16年8月6日   山形県鶴岡市
                北海道木古内町


鶴岡農村公園に隣接してある、禅燈寺の山門
所在地:北海道上磯郡木古内町鶴岡103


山門の扁額「忠魂樓」   陸軍中將林大一郎


禅燈寺と仁王門
明治18年(1885)から19年にかけて山形鶴岡藩士105戸が北門の警備と蝦夷地開拓の大使命を
帯び入植したが、故郷山形善寳寺に懇請し、三世岱静和尚が北海道・千島・樺太などの漁場を
巡錫して明治35年(1902)本堂を建立した。
文安3年(1446)龍神様を祀られているお寺として建立され、北海道・東北6県をはじめ、関東・
関西方面に多くの信者を有する山形県龍澤山善寳寺39番目の末寺。
大正7年(1918)に仁王門を建立。仏法守護のため寺門の左に立つ密迹金剛と右に立つ那羅延金
剛は、明治から大正年間に函館市に在住した〇〇風間壮慶師の作。
       平成13年〇〇〇      木古内町観光協会


山門から本堂


右に立つ那羅延金剛


左に立つ密迹金剛


仁王門の右奥に鎮座


開拓使判官松本十郎之書
石碑の字は風化して読み取れず、隣に説明板が立つ


天保10年(1839)山形県鶴岡市生まれ。文久3年(1863)父親に従って蝦夷地の庄内藩警備地区
浜益・苫前等に勤務。慶応3年(1867)江戸市中取締の任に当たる。翌4年、戊辰戦争では大隊
の幕僚として活躍した。
庄内藩降伏後、新政府首脳との接渉に当たり、明治2年(1869)黒田清隆の推挙により北海道開
拓判官に任ぜられ、根室地区の責任者として、漁業振興や北方領土の警備などに尽力し、根室
市の基礎を築いた。明治6年開拓大判官となり、北海道開発の責任者として財政の確立、農業の
振興などに尽力し、北海道開拓に偉大な功績を残した。奥羽地方最初の勅任官になった人。
     平成13年11月   木古内町観光協会


境内の山門と本堂の間をJR江差線が通る珍しいスポットだった禅燈寺。江差線の木古内駅~江差
駅間は惜しまれながら2014年5月に運行を終了しましたが、境内を通る線路と踏切はそのまま残
されています。現在は土日祝にトロッコ鉄道が走っている


線路上から本堂を望む


禅燈寺本堂


本堂の扁額「禅燈寺」


本堂から山門


本堂と山門の間を鉄道が走るユニークなお寺である


8:54
鶴岡農村公園の駐車場へ戻る
建物は、鶴岡多目的集会施設「農村ふれあいセンター」



                                          - 続く -





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最終更新日  2020.11.18 09:10:45
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