おじん0523のヒロ散歩

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2024.03.22
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今日の目的地の一つである海老名市の西側にある 「戸田の渡し跡(門沢橋の大山不動)」 へ。

3月18日(月) 14:30
門沢橋南の地蔵
所在地:神奈川県海老名市門沢橋5丁目辺り
スマホの案内で道に迷ったがどうにか到着した。かつては門沢橋への主要道路が渋滞する朝夕
は交通量が多かったが。


海老名市のマンホール蓋
市の木ツゲ、市の花サツキ、相模国分寺の七重の塔、中央に海老名市の市章をデザイン。
「おすい」の文字。市章はカタカナの「エビナ」を図案化し平和と飛躍を表していると。


敷地の一角に設けられている ”門沢橋南の地蔵”


赤い頭巾等を被せてもらい、綺麗な花も供えられていた。


説明板はなかったが信仰心の篤い方がおられるのであろう。


寒川町から海老名市に入り、
今日の海老名市の散策の起点は右側の 「戸田の渡し跡(門沢橋の大山不動)」 である。
これから訪れるルートをGoogleマップで検索。


住宅街を進むと住宅街の前後に橋。
手前の橋の欄干には「はらかわ」「門澤橋」のネームプレート。


プレートの「門澤橋」はあったが「はらかわ」は座のみで漢字表示はなかった。


二つ目の橋を渡り振り返る。橋には「世継橋」と。


世継橋が架かる「永池川」の下流側。この先の左から ”はらかわ” が合流している。



上流側の欄干には「世継橋」と。
永池川の上流の橋はこの後渡る大山道(柏尾道)の「大橋」。


世継橋の前方に赤い鳥居。


下原橋天満宮
所在地:神奈川県海老名市門沢橋4丁目3
ご祭神は菅原道真。他には説明板もなく詳細は不詳。





下原橋天満宮は道路に面した一角に鎮座している。


石塔群の先(西側)には次に訪れる「正覚寺」の墓地、本堂。


世継橋方向を振り返る。


石塔の中には「文字道祖神」。


石碑には「記念碑」と。
大正十二癸亥年九月一日午・・・・・(風化して判読できず)。
関東大震災における被害等が刻まれているのであろう。


正覚寺の墓地の一角に無縁仏の墓石であろうか。


正覚寺の駐車場脇にひっそりと、
「明和六寅〇 〇月○○○」と彫られた単身道祖神。


墓地の中に墓石があり、
「忠魂○○  陸軍歩兵一等卒 勲八等功七級 冨塚米吉碑」と。 


その手前にも ”単身道祖神” があり花が供えられていた。


墓地横の駐車場から進み、道路の角に壊れた石塔が並んでいた。ただの石か?。


左折すると直ぐに「真言宗高野山 正覚寺」の看板が目に入る。


真言宗高野山 正覚寺 (しょうかくじ)
所在地:神奈川県海老名市門沢橋4丁目13-13
高野山真言宗寺院の正覚寺は、橋澤山延命院と号します。正覚寺の創建年代等は不詳ながら、
江戸期には神壽稲荷社(渋谷神社)の別当寺を勤めていました。本尊の十一面観音菩薩坐像は江
戸時代前期の作とされ、海老名市重要文化財に指定されていますと。


寺号標石には「真言宗橋澤山 正覺寺」。
門柱には「真言宗 正覺寺」と。


右側の門柱には「橋澤山 延命院」と。


門柱の手前に石仏。


木柱には海老名郷土かるた 「(ひ) 左手に 蓮の花もつ 観世音」 と。


門柱を入ると正面に本堂。


銅板葺きの本堂前には、石燈籠、常香炉。


本堂の扁額「正覺寺」。


本堂に掛けられた「橋澤山延命院 正覚寺」の表札。


本堂前の左手東方向には宝篋印塔、石碑、弘法大師像が建っていた。


高さ2メートル以上の宝篋印塔。


築造年代を見るが?。


石碑には、
「弘法大師御入定千百五十年御遠忌記念
   生かせいのち
      昭和五十四年本堂 同五十八年庫裡新築」と。


一番本堂側に建つ「弘法大師像」。
台座には「南無大師遍照金剛」と。


境内の隅に石柱があり「門澤橋」と刻まれていたが。


本堂前から見下ろす。


反対側から見下ろす。


十一面観世音菩薩像 正覚寺
   海老名市指定重要文化財  昭和四十九年四月二十三日指定
正覚寺本尊の木造十一面観世音菩薩坐像は像高四十八・五センチ。寄木造りで玉眼嵌入。表面
は肉身部を金泥塗り、着衣部を黒漆塗りで仕上げていますが、昭和五十四年の修理の際に補わ
れたものです。
江戸時代の終わりに編纂された『新編相模国風土記稿』の正覚寺の項には、本尊を運慶作と記
していますが、仏像の作者を鎌倉時代の有名な仏師運慶になぞらえるのはよくあることです。
本尊は江戸時代に造られたものでしょう。
修理の際には、像内から木造十一面観世音菩薩坐像が発見されました。仏像の像内に小さな像
を納めるのも、ときおりみられることです。像内に納められた像を胎内仏、その溶け物になっ
た本体を鞘仏(さやぼとけ)といいます。胎内仏は一木造りの小像ですが、その作風は、鞘仏よ
りも遡る室町時代ごろの特徴を示しています。
        海老名市教育委員会    令和3年3月設置
写真左:胎内仏、中央:胎内仏納入状況。


十一面観世音菩薩像


本堂前左には「南無大師遍照金剛」と刻まれた石碑。


東側の墓地入口に六地蔵。


墓地側から振り返る。それぞれに花が供えられていた。


多くの石仏が並んでいたが移設されたのか。


14:50
境内にサクラの木があったがまだ蕾は硬かった。



                                     ー 続く ー





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最終更新日  2024.03.22 03:00:07
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