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今日の7日(日)まで、茅ヶ崎市博物館で ”春の特別展 東海道中お寺めぐり”
が4月27日(土)から
開催されており、このため市内のお寺にある市指定重要文化財が出張展示されている。
このブログアップ時はその最終日である。
その一環として、特別展で紹介する寺社を中心に江戸時代の絵図を参照しながら、地域の文化
財をたずね歩く「東海道まち歩き」ツアーが茅ヶ崎市博物館主催で企画された。
日 時 (1) 小和田・菱沼コース 5月24日(金) 9:00~12:00
参加
(
2) 本村・茅ヶ崎コース 6月 4日(火) 9:00~12:00 参加
(3) 今宿・萩園 コース 6月19日(水) 9:00~12:00 今回
定 員:各日 20名(抽選)
費 用:100円(特別展の展示ガイドブック代)
茅ヶ崎市内の寺社は既に全て参拝しているが、今回のツアーは住職・学芸員からの説明がある
とのことで全てに応募した。
今回もおかげさまで抽選に当たり、その3回目の6月19日(水)に参加した。
6月19日(水) 8:00
この日は前日が大雨であったが朝から天気も良く気温も上がるとの予報。
出かける前に庭の小玉スイカの成長をチェック。
今年は2種類の小玉スイカを購入した (350円×2株) 。
最初のひとつは鳥に悪さをされ落下したため以降はネットを張って防御。

食べ頃は受粉してから35日~40日で、このブログアップ時には収穫。
ガレージ下ではブドウも順調に成長。そろそろ袋掛け作業に。
8:05
イオンスタイル湘南茅ヶ崎駐輪場
駐輪場は3時間まで無料で以降は100円、ここから茅ヶ崎駅までは歩いて5分ほどか。
イオンスタイルの駐輪場から歩いてJR茅ヶ崎駅へ向かう。
途中、一里塚交差点角にある ”平成の一里塚” 。
エスカレーターで上りコンコースへ。
まだ八時過ぎで通勤、通学の人が多かった。
JR茅ヶ崎駅改札口。
集合はJR茅ヶ崎駅改札口に八時半であったが既に見慣れた方が集合。
今回は主催の茅ヶ崎市博物館からは男性二名、他にも ”ちがさき丸ごとふるさと発見博物館”
(以降、ちがさき丸ごと) の方も3 ~ 4名参加されていた。
担当者はガイドブックを持ち集合場所を掲示。
参加者はこの ”特別展の展示ガイドブック” を100円で購入。
「東海道分間延絵図」
江戸幕府が文化三年(1806)に完成させた絵地図。
「五海道其外分間延絵図並見取絵図」の一部。
東海道とは
れなかったが、藤沢宿と平塚宿の「間の宿」として栄え始める。
市域における当時の東海道は、現在の国道一号である。
受付後、今日歩く「6月19日(水) 今宿・萩園コース」の資料をもらう。
その資料の中には ”今日の散策コース(今宿・萩園コース) ”、歩行距離は 3.14kmと。
今日の散策コース(今宿・萩園コース)
距離:3.14km
① 旧相模川橋脚
→ ② 上国寺 → ③ 日蓮宗信隆寺 → ④ 松尾大神 → ⑤ 萩園辻日枝神社跡 →
⑥ 三島大神 → ⑦ 十二天神社
集合後挨拶があり、8時45分発の平塚行バスに乗車するためバス乗り場へ。
人数は数えなかったが定員の20名は越えていたようだ。この他に現地集合の方も。
バスの中は高校生が多く乗車、何か大会があるのか満員状態に。
高校生に「どこへ行くのか」と聞くと「うまいりばし(馬入橋)」との返事でビックリ。
我々は今宿バス停で下車。
神奈中「今宿」バス停。
向かい側には今日参拝する「上国寺」の本堂が見える。
9:00
今宿バス停に現地集合者も集まり改めて博物館担当者から挨拶。
参加者は定員の20名を越えていたようだ。
まず最初に訪れるのは東側にある「旧相模川橋脚」へ向かう。
旧東海道(国道1号)の今宿交差点。
この交差点から北へ向かう道を、 八王子道
という。八王子まで約40キロ余りの道だが、明治12
年(1879)の『皇国地誌』に、始点の今宿から寒川町の田端境まで935間半(約1.7キロ)、道幅は
2間(約3.6メートル)と記されている。
寒川町の田端境までの途中には、今日訪れる今宿の鎮守・松尾神社、萩園の鎮守・三島神社、
常顕寺、満福寺など古くからの社寺が並んでいる。
今宿バス停から二百メートル程戻り、小出川に架かる下町屋橋
下町屋橋上から小出川の下流を望む。
下町屋橋の東京側モニュメント。
下町屋橋の東京側に ”でかまん菓子舗” がある。
今年4月6日(土)に茅ヶ崎市観光協会が主催した、 ”春の東海道をゆく”
ツアーに参加、その時
立ち寄り ”でかまん” を一個頂いた。
下町屋橋の東京側に立っている案内板。
石碑には「国指定史跡 旧相模川橋脚」
ポールには「神奈川県衛生研究所、湘南広域防災活動備蓄拠点」と。
旧相模川橋脚(国
史跡・国天然記念物)
所在地:神奈川県茅ヶ崎市下町屋1丁目
旧相模川橋脚は、大正十二年 (1923) 九月一日の関東大震災と翌年一月の余震によって、水田
に橋杭が出現した全国的にもまれな遺跡です。当時の歴史学者沼田頼輔によって、鎌倉時代の
建久九年 (1198) に源頼朝の重臣稲毛重成が亡き妻の供養のために架けた橋の橋脚と考証され、
大正十五年 (1926) に国の史跡に指定された。また、平成二十五年 (2013) には関東大震災の
液状化現象の痕跡も残っていることから、国の天然記念物にも指定された。
遊歩道に埋められている ”旧相模川橋脚 案内図” 。
池の傍に二つの石柱が立っている。
左側に「天然記念物 旧相模川橋脚」、右側に「史跡 旧相模川橋脚」。
暑いので木陰に入り担当者から ”旧相模川橋脚” について説明受け。
旧相模川橋脚の説明板
詳細については 「春の東海道をゆくー3」
👈 をクリック願います。
池上に出ているのはレプリカで、旧橋脚は保護ピットで覆われ地下に保存されている。
池を清掃する管理人。
池の周りにはサクラが植えられており開花時には多くの人が訪れるビュースポットである。
そのサクラの中に「旧相模川橋脚の解説模型」。
解説模型にはかつての地形(上が南側になる)、高座郡の村名が書かれている。
右側には相模川が流れ、大住郡須賀村。
史跡 旧相模川橋脚
関東大震災で出現した鎌倉時代の橋脚
□ 地震で太い柱が水田に出現!
1923(大正12)年の関東大震災と翌年に起きた余震で、当時水田だったこの場所から太い木
の柱が出現しました。
□ 鎌倉時代に架けられた橋の跡
出現後まもなく、歴史学者の沼田頼輔により『吾妻鏡』(鎌倉幕府の記録書) などから鎌倉
時代に相模川に架けられた橋の遺構(橋脚)と考証されました。
□ 貴重な遺跡として史跡に指定
1926(大正15)年10月20日に国の史跡に指定されました。また、2001(平成13)年からの
整備に伴い実施した発掘調査で、関連する土留め遺構が発見され、2007(平成19)年2月
6日に追加指定されました。
□ この史跡の主な特色
1.中世の橋遺構は全国に例が少なく大変貴重である。
2.地震で地中の遺構が出現したまれな例である。
3.地震の時の様子をそのまま目にすることができる
4.大正時代からの文化財保護の足跡が残っている。
※ 中世=鎌倉時代から安土桃山時代
出現した橋脚の概要
□ 発掘調査の結果
調査によって確認された橋脚は、全部で10本です。平面位置から東西方向の3本が対とな
り、南北方向に4列規則的に配置されていました。
□ 橋の方向と川の流れ
こうした配置から、橋はおおよそ南北方向に架けられていたと考えられます。また、川の
流れは東西方向に流れていたと推測できます。
□ 橋脚の形
調査によって、確認された橋脚の断面は丸く、下部はだんだん細くなり先端は尖っていま
した。こうしたことから、橋杭として単独で設置されていたことがわかりました。
□ 橋の大きさ
橋の規模は、橋脚の間隔などから、橋幅は約9m、長さは40m以上の立派なものであった
と推測されます。
□ 橋の全体の形
鎌倉時代の橋が残っている例はありませんので、残念ながら全体の形は明らかではありま
せん。しかしながら、当時の様子を示す絵画資料などから類推することは可能です。
橋脚と地震
□ 地盤の液状化現象で出現した橋脚
橋脚は、関東大震災で出現したものですが、これは、地震による地盤の液状化によって地
中から浮かび上がったものです。
□ 液状化とは
液状化とは、砂混じりの地盤が、地震の揺れによって液体のように動いてしまう現象です。
つまり、地上にある重いものは液体化した土の中に沈み、地中(地盤)に埋まっている橋脚
のようなものは地表に浮かび上がります。
□ 液状化を裏付ける証拠 (右写真)
保存整備に伴う発掘調査では、液状化による噴砂や噴礫(地中の砂などが地上に噴出する
こと)の痕跡が確認されており、液状化が起こったことをより明確に裏付けました。
□ 液状化想定図 (右図)
本地域のような旧河道や埋め立てされた土地は、液状化が起こりやすい地域とされていま
す。現在、こうした液状化が想定される地域については防災のためにマップが作られ一般
に公開されています。
※ 1991(平成3)年「神奈川防災マップ」による。 
史跡の周辺地形と位置
地形について (左の立体模型)
□ 周辺の地形
この近辺は、茅ヶ崎市南部の低地にあたりますが、低地はさらに砂州・砂丘地形や自然堤
防地形、後背湿地、旧河道などに分けられます。明治時代に作成された迅速図(地図)をも
とに周辺の地形の様子を示したものが左の模型です。
※ 地形が見やすいように、模型の水平と垂直の比率を変えています。
□ 鎌倉時代の相模川の流れは?
この模型を見ると、明治時代には大きく蛇行して流れていた相模川を観察することができ、
ここが、昔は河道であったことがわかります。こうしたことから、鎌倉時代にも相模川の
一部が現在よりも東側のこの付近を流れていたことが推測できます。
位置について (足もとの地図)
□ 本史跡の位置
本地点は、神奈川県南部の相模湾に面した茅ヶ崎市にあたり、県北部から流れる相模川の
下流東側になります。相模湾から北に約1.8km、現在の相模川より東に約1.2kmにあたり
ます。足もとの地図で現在位置(旧相模川橋脚)を探してみて下さい。
□ 鎌倉幕府 (当時の日本の政治の中心地) との関係
橋が架けられた鎌倉時代、茅ヶ崎は相模国 (現在の神奈川県) に属し、政治の中心地であ
った鎌倉から西に約15kmの距離にありました。鎌倉からのびる道のうちの一つにあたり、
幕府との関係が○○○たことが窺えます。
南側からの旧相模川橋脚。
南側にあった石碑「長留天地間」。
漢字が羅列されていたが判読できなかった。
昭和四十五年五月 沼田頼輔詩
石碑の裏面
上は歌碑であろうか
下には「建立 斎藤由蔵、
後援 神奈川県、後援 茅ヶ崎市教育委員会、後援 茅ヶ崎市郷土研究会」と。
石碑の前には説明板が床面に埋め込まれていたが汚れて読みずらかった。
「○江古橋行の碑」
本史跡の〇証を行った沼田頼輔が橋の由来を詠んだもので、この詩に感動した斉藤由蔵氏の
篤志によって1970(昭和45)年に建立されたものです。文字は書家の水越○○が書いたもので、
建立に際しては地元関係者も後援しています。また、碑の裏面には小林○○書の頼輔の短歌が
彫られており、さらに、額には当時の県知事津田文吾が書を寄せています。
ザクロの実も大きくなっていた(撮影は後日の7月4日)。
四季折々もう何度も訪れている旧相模川橋脚である。
こちらの遊歩道にも ”旧相模川橋脚 案内図” 。
現在地が書き込まれている。
池の手前の床面に「写真と説明が書かれたタイル」がはめ込まれていた。
□ 橋脚出現状態の再現
本史跡は、1923(大正12)年に発生した関東大震災によって、地中より出現した鎌倉時代の
橋遺跡です。ご覧になっている橋脚は精巧な複製品で、実物は腐朽が進まないように地下
3m65cmのところで保存されています。橋脚は複製品ですが、地震によって発生した液状
化現象で橋脚が出現した状態は忠実に再現されており、地震のすごさを物語っています。
□ 大正期保存池の復元
本史跡は、1926(大正15)年10月20日に国の指定史跡となりました。橋脚(複製品)10本を
囲っている池の形は、大正時代に指定された後に整備された初期保存池の平面形を復元し
ています。池は木柵を作りその外側には土盛りした周堤が築かれていたことが発掘調査な
どから明らかになっており、当時の人々が保存に向けて努力をされていたことが感じられ
ます。
耕地整理記念碑
小出川と千の川の流域一帯を美田化する目的で行われた耕地整理を記念する碑。
事業は湘東耕地整理組合が組織され、大正十四年 (1925) から開始され昭和十五年
(1940) に竣工したと記されていた。
現在の小出川は、この耕地整理により今の流れとなったものであると。
裏面には、
「大正十四年十二月二日着工
昭和十五年十一月十日竣工
高座郡茅ヶ崎町湘東耕地整理組合 組合長 磯崎○○」と刻まれていた。
9:25
サクラ並木の中に立つ 「耕地整理記念碑」
。
旧相模川橋脚を後にし次の目的地へ移動。
ー 続く ー
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