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”上国寺”、”仏国寺跡とギャーギ婆さん(咳気神)” の次は西側にある同じ日蓮宗の「信隆寺」へ。
6月19日(水) 9:50
旧東海道(国道1号)に戻り沿道を西へ向かう。
道路脇のキロポストには「日本橋まで 61Km」。
前方は旧東海道(国道1号)の産業道路入口交差点。
日本橋まで 61Km、かつては二日がかりか。
今日の散策コース(今宿・萩園コース)
距離:3.14km
① 旧相模川橋脚
→ ② 上国寺
→ ③ 日蓮宗信隆寺
→ ④ 松尾大神 → ⑤ 萩園辻日枝神社跡 →
⑥ 三島大神 → ⑦ 十二天神社
国道沿いの駐車場入口から境内を見る。
この界隈の寺社は2年前の令和4年(2022)5月24日(火)に訪れており、その時のブログは 「茅ヶ
崎市の寺社史蹟巡り」
👈 をクリック願います。
妙厳山 信隆寺(しんりゅうじ)
所在地:神奈川県茅ヶ崎市今宿841
信隆寺は甲斐武田氏の一族・信就(のぶなり)が先祖の菩提を弔うために建立しものとされる。
今宿村 信隆寺 (しんりゅうじ)
日蓮宗の寺院で、本尊は三宝尊(仏・法・僧)である。
寛永元年(1624)、甲斐国(現在の山梨県)の戦国大名・武田信玄の従甥(従弟の子)にあた
る武田(勝沼)信就が先祖の菩提を弔うために建立したとされる。
永禄七年(1564)銘の日蓮坐像が伝存。
[甲斐武田氏関係図]
武田信虎 ーー 信玄
ーー 勝頼
勝沼信友 ーー 信元 ーー 信就
(信隆寺開基)
拡大図の中央に「信隆寺」、左側を相模川が流れている。本堂の左下に「七面堂」。
◆ 今宿村 信隆寺 鰐口 (わにぐち)
信隆寺にはかつて七面堂があり(本冊子10頁の信隆寺拡大図参照)、その堂前に掛けられてい
たとされる。この鰐口には、次のような銘文が刻まれている。
今宿村には甲斐武田氏や日蓮宗との関わりが色濃く残されている。現在信隆寺に伝存してい
る日蓮坐像は、その銘文から、元々は近傍の仏国寺の像であったと考えられるが、仏国寺も
武田氏の家臣・秋山氏が今宿へ移した寺とされる。なお、江戸時代中期以降、今宿村の領主
は、甲斐武田氏の旧臣・馬場氏であった(ガイドブックより)。
写真は、ガイドブックより。
表(右) 奉建立相州高座郡妙厳山信隆寺右為先祖菩提也大願主
表(左) 當寺開基檀那従多田満中四代(欠落)三郎義光公
裏(右) 十六代後胤(欠落)信就信隆院日閑敬白
裏(左) 豈寛永元年甲子五月吉祥日
この銘文によれば、信隆寺は甲斐武田氏の一族・信就(のぶなり)が先祖の菩提を弔うた
めに建立しものとされる。
旧東海道(国道1号)に面した山門。
門前の掲示板には「今月の聖語」が掲示されていた。
山門に掲示された「妙厳山 信隆寺」と寺号標石。
寺号標石には「南無妙法蓮華経 信隆寺」と。
山門から境内へ。
妙厳山 信隆寺(しんりゅうじ)
宗 派:日蓮宗
開 創:寛永元年(1624)
開山/開基:善立院日意上人/信隆院日閑上人武田(勝沼)信就
本 尊 :久遠の本師釈迦牟尼仏
略 縁 起
新羅三郎義光後裔・武田信就公は、信玄の父信虎の弟の孫にあたり、勝沼を治め
ていた。天正十年の天目山の戦の後当地へ逃れ、家臣とともに剃髪。甲州武田一
族の菩提のために善立院日意上人を招き、信隆寺を創建。
戦火を逃れた日蓮大聖人像
昭和二十年七月の空襲で伽藍は焼失。残されたのは鰐口と日蓮大聖人像。戦火の
中、当時の住職の妻がこの像を背負って田畑の中へ逃げ、空襲の後に辺りを見渡
すと、その一帯だけが青々と燃えずに残っていたという。
本 堂
昭和二十年(1945) 七月十五日の茅ヶ崎空襲で本堂をはじめとする堂宇を全焼した。
平成八年(1996) 日蓮聖人像が茅ヶ崎市の重要文化財に指定されている。
また、現在の本堂は平成十年(1998)に再建されたものである。
本堂の扁額「信隆寺」。
本堂軒に掲示された家紋は、「武田家」。
菱紋は古代より世界中で用いられた原初的な文様。 清和源氏義光流の代表的な家紋で武田家の
家紋として有名。 菱紋は四辺の長さがすべて同じ斜方形を基本とするが、角が直角のものは
「石畳紋」と呼ばれ別の家紋となる。
現在の本堂は平成十年(1998)に再建されたものであるが、このような彫り物は従前のものを再
利用されているのであろうか。
右側の木鼻。
左側の木鼻。
内陣を見る。
気温も上がり暑かったので内陣へ上がりたかったが、時間の関係か。
宗 旨
名 稱 日蓮宗
宗 祖 日蓮大聖人
開 宗 建長五年四月二十八日(鎌倉時代 西暦1253年)
本 尊 久遠の本師 釈迦牟尼佛
題 目 南無妙法蓮華経
教 義
日蓮宗は お釈迦さまの説かれた最高の教えである法華経をよりどころとする宗団です。
この法華経を身をもって読まれ布教をせられた日蓮大聖人を宗祖と仰いでおります、
本宗の教義は法華経の魂をお題目にこめられた宗祖の教えに導かれて私たちが信行に励み
この教えを弘めることによってやがて世界の平和と人類の幸福ひいては個人のしあわせに
つながる事を確信できる教えであります。
経 典 妙法蓮華経(法華経)
本堂のご本尊さまに先ず合掌
本堂前で住職からの説明を聴く。
自分は28代住職である。平塚の空襲で信隆寺は全焼し、寺伝等は焼失した。
甲斐武田氏の家臣が相模川を下り、綾瀬市、香川、茅ヶ崎市に日蓮宗を開山創建、茅ヶ崎市内
の60%が日蓮宗である。
この辺りには、今井、田中、森の名が多く、熊澤家(熊澤酒造)も武田家の家臣であったと。
日陰を求めて。
信隆寺の木造日蓮坐像
永禄七年(1564)在銘
平成八年十一月 茅ヶ崎市指定重要文化財
室町時代の年号銘のある日蓮像です。市内の仏像彫刻の古いものの一つであり、全国に数多い
日蓮像のうちでも早い時期に造立されたものとして重要です。
本堂にまつられています。像高 四二・二センチ、袖張 六六センチの大きさです。寄木造り、
玉眼嵌入、彩色は後補です。
胎内背面に、向かって右から「八月十三日/法主日口坊/南無妙法蓮華経/願主仏国寺善行
坊/日受/敬白/干時永禄七年甲子」と墨書銘があり、江戸時代まで今宿にあった仏国寺か
ら移されたものであることがわかります。
平成二十三年三月
茅ヶ崎市教育委員会
ちがさき丸ごとふるさと発見博物館
本堂前から山門を見る。
気温が上がり木陰で話し込み。
本堂の下に置かれている日本蜜蜂の巣箱。
ハチが飛びまわり住職から「ミツバチに注意して下さい」と。
日本蜜蜂の巣箱は重箱式になっており、蜜は下段から採取すると。
本堂前の天水桶には「妙厳山 信隆寺 第二十七世龍昇院日哲代」と。
先代の住職が設置されたようだ。
西側から本堂を見る。
本堂の東側に連なる建物。
境内には神様も祀っており神仏混淆(しんぶつこんこう)であると。
扁額は住職に尋ね「常経殿」と。
社務所の玄関ホール。
境内社の稲荷神社。
境内の樹々は綺麗に整姿されていた。
中央の墓石には「南無日蓮大菩薩」と。
南無日蓮大菩薩の右側に並ぶ石祠、地蔵、墓石。
歴代住職の墓石と宝篋印塔。
西側の墓地に平行して歴代住職の墓石が並ぶ。
クスノキの下から本堂を見る。
クスノキの下に、日蓮大聖人像。
正面から「日蓮大聖人像」を見上げる。
戦火を逃れた日蓮大聖人像
昭和二十年七月の空襲で伽藍は焼失。残されたのは鰐口と日蓮大聖人像。戦火の中、
当時の住職の妻がこの像を背負って田畑の中へ逃げ、空襲の後に辺りを見渡すと、そ
の一帯だけが青々と燃えずに残っていたという。
平成八年 (1996) 日蓮聖人像が茅ヶ崎市の重要文化財に指定されている。
山門西側に大きな墓石が立っていた。
正面には「先祖今村平吉之墓」。
側面には「一金壹百圓永代祠堂料
明治三十九年八月生存中建之
八十翁小埜徳之書 冨田○○○」と。
大金を生前に奉納しこの墓石を建て、永代にわたって供養してくれるのであろうか。
境内駐車場脇に建つ観音像
像前には「交通安全」の石柱が建つ。
日蓮宗信隆寺を後にする。
10:10
前方は旧東海道(国道1号)と産業道路(県道46号線)が交差する産業道路入口交差点。
ー 続く ー
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