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「文鮮明先生み言葉選集 19920405 - 「父母様と歴史的な勝利」(その1/3) 」「文鮮明先生み言葉選集 19920405 - 「父母様と歴史的な勝利」(その2/3) 」「父母様と歴史的な勝利」(その3/3)一九九二年四月五日ソウル本部教会にて 文総裁の使命 今世界では、一年間に二〇〇〇万人が飢えて死んでいます。これに対してどの国も、誰も心配する者がいないので、私はこの二〇〇〇万人の人々のために、あらゆることに手を広げているのです。そのために私は、今回も海に行かなければなりません。若者たちを教育しなければならないのです。海の魚は無限なる資源です。一匹が何百匹にも繁殖するのです。魚たちの世界は互いに食べたり、食べられたりするのですが、それを人工的に保護するようになれば、資源は常に無限なのです。海水をパイプで山の上まで引っ張ったり、あるいは高層ビルにタンクを作って幾らでも養殖できる時代なのです。人類が食糧問題を解決するためにはこの道しかありません。そのために二十四年間やってきました。私は死んだ後にお金を残すことは望みません。歴史の間違ったあらゆる死亡の谷間に宝石を残すことができればいいのです。 イスラエル圏は失敗しました。そして、イエス様が流した血は何かというと、それは血統転換のための血なのです。神様の血統が汚されたのです。神様は血統を汚されたけれど、それを殺すことができませんでした。アダムとエバは堕落した後に、なぜエデンの園を追い出されたのでしょうか、そして追い出されて結婚したのでしょうか? 追い出されて子供を生んだのでしょうか、追い出される前に子供を生んだのでしょうか? アダムとエバは追い出されて、誰を中心として結婚しましたか、神様はその結婚式に参加しましたか? アダムとエバは、追い出されて悪魔と共に結婚したのです。それを否定することはできません。 そのことで、七十三か国の神学者たちと理論的な戦いをして、「統一教会の原理はキリスト教の復活の原理である」とみんなが認めたのです。もはや戦いは終わりました。統一教会は死んで葬送曲が聞こえて来ると思ったでしょうが、私はそんなに愚かではありません。今までは、統一教会の文総裁に対して異端だと反論してきましたが、門を開いてみれば、みんな私の所にやって来るのです。一週間以内で私の側に回って来るのです。四泊五日の修練会で共産党の無神論者たちが唯心論者に変わったのです。アメリカの十か所の大学の天才的学生たちがモスクワヘ行って教授になり、み言を教えたので、教授たちもみんなびっくりしているのです。これが仇討ちの中でも素晴らしい仇討ちなのです。既成世界で最高だといっているハーバード、エール、プリストン大学の学生たちが、モスクワに行って教授になり、原理のみ言を教えているのです。プリストン大学の教授たちも、涙を流しながら「私たちは今まで知らなかった。このような素晴らしい内容に対して政府はなぜ反対してきたのでしょうか」と言っているのです。 今までは偽りのものであると思っていたのですが、本物の中でも本物であるということが分かったのです。皆さんもはっきりと知らなければなりません。これから文総裁の言うことを聞かなければ、会うことはできません。では、どうすれば会えるのでしょうか? 今も自由に会うことができないのです。漢南洞公館に来ることができますか? できないでしょう。先生が帰ってきたとしても、集会の時のキップを一枚もらうのも大変でしょう。だんだん難しくなるのです。 日本に行った時、先生に一目会いたいと思って待っていたのに会うことができなくて、道端で先生の通り過ぎる車を一目見ようと涙を流しながら待っている人々をたくさん見ました。私はそれを見て"ああ、私は大きな罪を犯しているな"と思いました。"私のような罪人もいないだろう"と思ったのです。これは誇れることではありません。その人々の涙は、骨髄から出て来る涙なのです。その涙には、日本の運命が掛かっているのです。日本の二世たちが流している涙なのです。「先生と一緒でなければ行けません」ということです。そのような内的な内容が、一緒になって流す涙なのです。彼らはまだ知らないのですが、これからは多くの統一教会の人たちが若くして入って来るようになります。それを消化し、準備するために日本の体制を整えました。 韓国はこのままでも大丈夫です。ここは半島なので水が入ったり出たりすれば、いずれはきれいにならざるを得ないからです。小さな国であり、私の目には入らないのです。自分の故郷の地なので時々訪れるけれども、一つも未練はないのです。 ところで、本郷の地とはどこでしょうか、愛の本郷の地はどこでしょうか? お父さんお母さんのいる所に間違いありません。堕落した人間世界は、アダムとエバが神様に追い出されて結婚し、子供を生んで繁殖した五十億人類なのです。それが間違いだという人は、病気になった人です。孤児として島国から流れて来た人かもしれません。そのような事件が起こることによって、出発がはっきりしていないのです。目的地がはっきり見えなくなったので、人類はどこに行ったらよいか分からないのです"何がどのようになっているのか分からないのです。それで、神様はそれをはっきり教えるために文総裁を送ったのです。 ですから統一教会に入ってきて神様のことを知らない人はいません。神様のことを知らない人は手を挙げてください? この中にはスパイがいるかもしれません。そのような者たちは統一教会に入って来て、統一教会を倒そうとするのです。統一教会に入って来て神様が分からないと言えば話になりません。神様が分かる人は手を奪げなさい、自信がないのですか? 神様のことを知っている人ははっきり手を奪げてください。本当ですか? では、神様のことを知らない人は手を挙げなさい。神様のことを知らない人は金剛山に行って四十日ほどの教育を受ければ、すぐ分かるようになります。 天の摂理 第一イスラエルは失敗したでしょうか、成功したでしょうか? ユダヤ教の代わりにアメリカが第二イスラエルとして選ばれたのです。キリスト教文化圏を中心として、アメリカは第一イスラエルのユダヤ教とユダヤの国と同じ立場を担当して、第二次世界大戦の時、世界を抱きました。そして統一圏を迎えたのです。しかしキリスト教文化圏は、先生を受け入れることができませんでした。アメリカは先生を受け入れることができなかったのです。アメリカ、イギリス、フランスが文総裁を中心としていたならば、今日、世界はこのようになっていなかったでしょう。 韓国で金活蘭、李承晩博士、延世大学、粟花友子大学が文総裁を打ち殺そうとしてさまざまなことをしました。政府の五つの機関が中心になって、罪なき人に対してさまざまなことを行ってきたのです。しかし最後はどうすることもできなく無罪放免にしましたが、その間ありとあらゆる暴言を浴びせてきたのです。これから裁判をしなければならないと思っています。歴史を正しておかなければなりません。若者たちから見ると、延世大学はカイン・アベルなのです。二世の爆発的な歴史が起こるようになっていたのです。六か月以内に統一教会の人として完全に変わるようになっていたのです。その時、天の摂理は国家的な次元へ進もうとしたのですが、消されてしまいました。文総裁を荒野に追い出してしまったのです。 イギリスは島国なのでエバ国家です。アメリカはエバが生んだ息子です。フランスは天使長国家であり、恩讐なのです。これが連合国側です。それに対して同盟国はエバ国家である島国日本と、サタン側の息子と同じような立場のドイツです。第二次世界大戦で、ドイツと日本がフランスの領土であるべトナムとシンガポールを一瞬のうちに飲み込んだのです。ドイツは日本を中心として、世界を自分の手中に人れることができると思ったのです。イタリアは天使長の立場で行ったり来たりしたのです。サタンはその時、既に神様のみ旨がアジアに回って来ることを知っていたのです。四〇〇〇年歴史を四十年で蕩減することを知っていたのです。それで韓国と中国を消化して、ソ連にまで悪影響を及ぼしていったのですが、西洋社会のキリスト教文化圏が反対したので、南方へ進んで第二次世界大戦の原因になったのです。このようにして同盟国と連合国が戦ったのです。 アダムとエバが堕落してまいたものは何でしょうか? エバはカインとアベルという二人の息子を抱いて、サタン世界に行き個人的にまいた種を国家的に収穫しなければならないのです。イギリスは島国です。島国は女性の代わりなので、常に大陸を懐かしがるのです。では大陸は何かというと、アメリカ大陸は女性の大陸なのです。それは北極とつながっていますが、アジアほど大きくありません。カナダを通してつながっているけれども、女性なのです。なぜ女性文化圏であるかというと、キリスト教文化圏は女性の文化圏であり、新婦の文化圏なのです。 東洋文化圏は新郎の文化圏なのです。ですから、あらゆる宗教指導者は東洋から生まれたのです。そしてイエス様は新郎として、儒教などの東洋の宗教文化圏を吸収しなければなりません。ローマも相対的に女性と同じく、吸収されなければなりません。しかし、イエス様が亡くなられて肉体を失ったために、霊的な国家基準を代表しただけになったのです。イエス様が再び来られる時には、これらを取り戻して復活させなければなりません。ですから、西洋文明圏が帰って来る時には、アメリカ大陸を通して帰って来るのです。 しかし、島国の日本は過ちを犯しました。イタリア半島も過ちを犯しました。神様がローマ民族を選んだのはローマ民族第一主義のためではなく、ローマ民族をして世界を救うことが目的だったのです。このことをよく知らなければなりません。ローマにキリスト教主国を立てたのは、世界を救うためだったのです。ローマのためのキリスト教文化圏ではありません。ですから、キリスト教文化圏はイギリスに移って、新、旧教の戦いを基盤として、どこに行っても世界の版図を自由自在に動かすことができるようになったのは、イギリスを通して世界を救おうとされる神様のみ旨があったのです。 それで、新、旧教が大西洋を越えて戦って、アメリカに入ることにより、新教独立国家としてのアメリカを立てたのです。そして二OO年の間にヨーロッパのあらゆるものを背抜き出してきたのです。信仰の骨髄まで抜いて、二OO年間で二OOO年の歴史を再び新しい太平洋の女性文化圏として、キリスト教文化圏を結実させたのです。これらが再び帰って来る時には、失敗したことをすべて蕩減しなければなりません。 それでイギリスの代わりに日本の時代が訪れたのです。明治維新後の一二O年は、サウル王、ダビテ王、ソロモン玉の時代と同じなのです。アブラハムからヤコブまでの一二O年と同じように、一つの転換期の主催基盤に戻らなければならないのです。アジアにおいて日本が、そのような文化圏を相続することを天によって許されたのは、サタンを神側に反対させるためなのです。そこで、戦って勝利しなければなりません。そこで、アメリカに行って勝敗を決しなければなりません。 第二次世界大戦の時、誰が先に戦争を起こしましたか? 日本はアジアにおいて、日清哉争から日露戦争、志那事変、大東亜戦争を中心として、いつも韓半島とつながっているのです。それで四十年間戦いながら、キリスト教反対運動をしてきたのです。韓民族は神様の祝福を受けることのできる民族であるにもかかわらず、日本に主管されてきました。堕落したアダムが、エバに包囲されたのです。そして太平洋戦争で連合国が勝刊したことにより、韓国は日本やドイツから解放され、歴史上に初めてキリスト教文化圏を中心としての統一世界が訪れたのです。 キリスト教文化圏が定着した所はどこかというと、この韓半島なのです。ですから韓半島の文総裁と会わなければなりません。会って何をすべきかというと偽りの種を受けたので、ここで真なる種を受けなければなりません。エバが二人の息子を抱いて、追い出されて、後ろにアダムを従わせ、その後に神様も従わせ、神様の所有権まで完全にサタンに渡してしまったのですから、これを収拾して、エバ画家とカイン同家、アベル同家を一つに合わせて、来られる主の前に新しい子供の種を受けなければなりません。そのためにはどのような方法があるかというと、接ぎ木をすることです。 四十年間延長された摂理 国家的な立場から見れば、先生の計画としては七年ですべてが終わると考えているのです。七年間でキリスト教の新、旧教はすべて終わります。一九七五年から一九九二年までにすべて終わるのです。キリスト教の反対のために四十年間延長されましたが、一九九二年までの四十年間に、反対してきたあらゆる勢力を先生が一代で整理したのです。反対することによってどうなったかというと、日本と韓国は怨讐になり、日本とアメリ力は恩讐になり、アメリカとドイツは怨讐になったのです。天に反対すればイギリスであれ、アメリ力であれ、フランスであれ、すべてを捨てなければなりません。分かりますか? 復帰摂理史を見てください。最初に選んで失敗した者を、再び選び立てることができたでしょうか? すべてを捨てなければならないのです。しかし、なぜ捨てることができないのかというと、第一イスラエル、第二イスラエル、第三イスラエル、旧約、新約、成約時代を連結させることによって、蘇生、長成、完成となるので、完成の立場は長成なしには行けず、長成の立場は蘇生なしには行けません。捨てることができないのです。 それで神様の息子の立場にいる私が、アメリ力を復帰しなければならないのです。アベルを通してのみ復帰することができるのです。そうですね? アダムの堕落を復帰することと同じなのです。ですから捨てることができないのです。それでアメリ力に行って戦わなければなりませんでした。戦って勝利するために、二十一年間アメリカで戦い、今も戦っているのです。当時は、イギリスも、フランスも、アメリカも、サタン側に入っていました。ドイツもサタン側に入っていたのです。サタン側にあるものは急に帰って来ることはできません。 イタリアも、日本も、サタン側なのです。みんなでキリスト教を虐殺しようとしてきたののです。本来のエバ国家イギリスの代わりに、キリスト教文化圏に代わるものとして、アダムの立場からサタン側の一番端にある日本をエバとして選んだのです。その次にアメリカ、その次にドイツのしっぼをつかんだのです。そのようにしてエバ国家と、カイン国家、アベル国家の形をつくって、四十年間で四〇〇〇年を蕩減して越えることができなければ世界は滅んでしまうのです。摂理がそのようになっているのです。先生は四〇〇〇年を生きることはできません。四十年間に先生一代で蕩減しなければなりません。四十年かけて、血を流す戦いをしなければならなかったのです。 荒野に追い出されて、はいずりながら上陸して来た文総裁は、この国の主権からどんなに反対されてきたことでしょうか? 第一次共和国からか第六次共和国まで、その時代の政権に反対されてきたのです。このように反対を受けたので、もう文総裁はいなくなると思ったことでしょうが、そこから上陸して上に行って牢獄生活をしたのです。本来のキリスト教文化圏の中心地は北の平壌なのです。ソウルや大邱とは夢にも思わなかったことです。 本来、先生はそのような基盤の上ですべてを成し遂げなければなりませんでした。天が立てたあらゆる宗団が責任を果たせなかったので、洗礼ヨハネと同じ立場になってしまったのです。第二次世界大戦以降に天の祝福を受けたすべてが、先生を中心として勝利の統一転換点を成したならば、今日の宗教、共産党理論、哲字世界において、王子の立場を占めることができる内容をすべて整えていたのです。そうなれば、一九五二年までの七年間ですべて終わったのですが、既成キリスト教団が責任を果たせなかったので、四十年間延長して、一九九二年までかかりました。そして、全世界の宗教圏を中心として「世界平和宗教連合」をつくりました。また、世界の国家を越えてつくった国家的国際連合が、 「世界平和連合」なのです。 心と体が分かれたので、家庭的戦い、氏族、民族、国家、世界の戦いが起こったのです。今や宗教圏が一つになり、国家圏が一つとなることによって、文総裁を中心として左右が一つになったのです。これで世界は回っていくのです。その時に必要となるのが頭翼思想なのです。頭がなければ帰って来ることはできません。そのまま前に倒れてしまうのです。転換期においては、頭翼思想が必要なのです。神の国では、神様に従わなければなりません。 イエス様が亡くなったことによって、右の強盗と左の強盗が生まれ、さらに凶悪なバラバ圏が生まれました。イエス様は一人であっても、歴史的な種なのです。真なる先祖の種なのです。もしイエス様が新婦を迎えていたならば、イエス様の一族が今日人類歴史上に長男の国家として残っていたことでしょう。 今や、キリスト教は七〇〇の教派に分かれています。ペテロやヤコブは必要ありません。イエス様の息子娘たちがいればよかったのです。それができなかったために、再びイエス様は来なければならないのです。その時はどのような形で来られるのでしょうか、雲に乗って来られるのでしょうか? そのようなとんでもない話を信じてほなりません。今年の十月に再臨主が雲に乗って来るという話がありますが、それは狂った者たちの言葉です。今にどうなるか見ていなさい。再臨主が雲に乗って来るというのは、世の中のことも霊界のことも知らない、愚かな者たちの言葉です。そういう理論的でもない話を誰が信じますか。それでは、若者たちをみんな失ってしまうばかりです。統一教会にみんな奪われてしまうのみです。 イエス様の時代において、左翼と右翼はユダヤ教とイスラエルの国なのです。すべてが一つになって天国に入るはずだったのですが、そこに邪悪なバラバ圏が生まれたのです。イエス様が死ぬ時に生まれたのがバラバ圏です。このように三つの形が生まれたのです。バラバ圏は、イエス様の体のような立場のイスラエル圏とアラブ圏で、十二支派が神様に割り当てていただいた地域を完全に占領してしまったのです。これを取り戻さなければなりません。 還故郷の論理 イエス様が亡くなったことによって、三つの群れが生まれたので、再臨のイエス様の使命は、右翼と左翼を一つにして、神様と一つにしなければならないのです。その次に、バラバ圏を一つにしなければならないのです。これが今、私のやっていることです。右手にアメリカ左手に共産世界をつかんで、前にバラバを置いてすべてを一つにするのです。このようにして一つに回る時に、頭翼が必要になるのです。頭を中心として回らざるを得ないのですが、回る時には、前に立った神様を中心に、キリスト教が先生と一つにならなければなりません。しかしそれをキリスト教が成せなかったので仕方なく、統一教会を中心として、アメリカとソ連とバラバ圏を一つにして回すのです。 今や世界の指導者はこの先生以外にはいません。再臨主はどんな人かといえば、共産世界と民主世界、左翼と右翼を収拾して、バラバ圏を統一して、一つの世界に向かって行く人なのです。イエス様が亡くなることによって失われたことを、先生が生きている間に統一して、地獄に行かざるを得ない立場を一八〇度転換して、神様に帰さなければならないのです。それで還故郷の論理がここから出てくるのです。 皆さん、統一教会の還故郷について知っていますか? これは、大ざっぱな計画などで生まれたことではありません。原理的な立場から蕩減原則によって、ありのままに目には目、歯には歯、堕落したその姿と一八〇度反対の道を行くのです。強制的に屈伏させるのではなく、自然屈伏させて帰っていく復帰の道なのです。神様は打つことができないのです。神様は打たれて奪ってくる戦法を取り、サタンは打って損害賠償を支払うのです。それで第一次世界大戦においても、第二次世界大戦においても、先に打ったほうが倒れたのです。第二次世界大戦においても思想戦を中心として、共産主義の国家が民主主義世界を打ったので、みんな倒れてしまいました。それゆえ、その損害賠償までも支払わなければならないのです。 このような立場から見た時に、全世界的に宗教、文化、政治、経済の各分野において、歴史以来代表的な人として迫害を受けた中で、世界的な記録を持っているのが文総裁であるということを知らなければなりません。私はドイツにおいても十年間、日本においても二十年間、戦ってきました。すべて経済世界、政治世界の問題なのです。ですから、アメリカが政治問題に対して難しい時には、私に相談せざるを得ないのです。仕方がありません。彼らは神様のみ旨を知らないからです。それゆえ、共産主義のソ連や民主主義の世界がこれから行くべき道も、共産主義の扱い方も、金日成の扱い方も分からないのです。私の言うことを聞くしかありません。今やそのような段階に入ってきているのです。世界の人々は私がそのような立場に立っていることも明らかに知っているのに、韓国の人々はいまだ知らずにいるのです。 イギリス、アメリカ、フランスのキリスト教が先生と一つになっていたならば、一九五二年には統一世界に向かって前進するようになっていたのです。それができなかったがゆえに、四十年延長されて一九九二年から統一が始まるのです。そのようにして、東西ドイツの問題や、あらゆる困難な中を乗り越えてきたのが文先生だということを知らなければなりません。日本もそうです。一九七〇年代において、日本共産党を沈滞させたのは誰ですか? 一八〇名以上の市長たちを落撰させたのは誰ですか? そのようなことも知らずに、この国の人々はあれやこれやと言っているのです。 アメリカの近代史においても、このしバレンド・ムーンの名前を消すことはできません。日本の近代史においても、アジア、韓半島の近代史においても、このしバレンド・ムーンの名前を消すことはできないのです。李承晩、朴正煕大統領など、歴史が過ぎ去る中で皆、文総裁を嫌ったのです。このような中で、恩讐の国々をどのように結んで、どこでどのように蕩減したのかというと、アメリカが責任を果せなかったために、アメリカ人の怨讐である日本人がアメリカに行きました。またヨーロッパからもドイツ人がアメリカに行きました。 怨讐の国を救うために、その国に人って、その国の国民より以上の高い道理を立てて、正しい方向へ導いてあげることによって、歴史上になかった新しい伝統が立てられ、そこから新しい歴史へ転換されるのです。それで共産世界も、アメリカの基盤を通して転換されたのです。一九七〇年代のレーガン政権は、私がいなかったならば生まれませんでした。ブッシュ政権も同じです。この次の大統領の時もそうなるでしょう。 再臨主の成すべきこと 真の父母とは来たるべき再臨主のことですが、再臨主は何をすべきでしょうか? それは、左翼と右翼を一つにしなければなりません。東洋と西洋の文明を一つにしなければなりません。その次に、アジアにおいて南と北を一つにしなければなりません。韓国がアダム国家であるならば、日本はエバ国家であり、周辺の三大国家はアメリカ、中国、ソ連なのです。ソ連は天使長国家であり、アメリカは復帰された神側の天使長国家なのです。堕落しなかった二人の天使のように、サタン世界にも反対した二つの天使が残っているのです。堕落することによってアダム、エバ、天使長と共に罪の種をまいたのです。歴史的にまいた種が世界的に実を結んだので、戦わなければなりません。 アダムの恩讐がエバであり、エバの恩讐がアダムなのです。カインの恩讐が父と母であり、アベルとカインの怨讐が兄弟なのです。怨讐同士で戦って定着する地が韓半島なのです。そのようにして、最後の歴史を終結させるのです。文化史から見た時にも、共産主義の終着点、民主主義の終着点となるのです。北と南がそうです。共産主義世界で再臨復活した父の立場に立っているのが金主席であり、民主世界でキリスト教の再臨復活した立場に立っているのが文総裁なのです。それらは、共に真の父母だと言うのです。二人の父母がいるのです。 日本は結婚前のエバとして、美しく着飾っている美人のようなものです。ですから日本を、ソ連も中国もアメリカも欲しがっているのです。堕落の時と全く同じです。その次に男性であるアダムも、本来の夫の立場でエバを待っているのです。それぞれが大騒ぎしているのです。日本に対して、失ったものを蕩滅復帰するために、そのまま国家的な基準から蕩減した基準に立たせるために、同じ戦いが展開されているのです, 今やこの世界には主人がいないのです。アダムも主人になるためには、エバを探さなければならないのです。真の新婦の婚姻と同じなのです。そのために二年前、二世の息子娘たちを完全にアダム国家と一つに結びました。これが二世たちの交差祝福だったのです。二四〇〇双以上の交差祝福なのです。周りの国々がエバを争って先に飲み込もうとしているので、二世の息子娘たちを完全に一つに結ぶことによって、母は愛する息子娘の結婚を切り離すことができなくなるのです。ですから新しい歴史の転換点が訪れるのです。文総裁は日本をしっかり結んだのです。(P.63抜け分--2022.04.06) 今回私が、日本に入ることによってやっと門が開かれました。日本はエバ国家として、全世界の女性たちを代表した立場にも立たなければならないのです。ところが、日本はいまだエバの立場として、天国の伝統に接ぎ木されていないのです。何の関係もない立場で因縁を結んだという立場なのです。それで、十六歳の柳寛順の伝統的な思想を、まず日本の女性たちに接ぎ木しようとしたのです。そのために去年から柳寛順の大会が開催されて、「柳寛順烈士精神宣揚会」ができたのです。 次に日本は何をすべきかというと、エバの胎中でカインとアベルが、リベカの胎中でエサウとヤコブが、タマルの胎中でぺレツとゼラの双子が戦いました。これが今の日本の中の朝総連と民団なのです。日本はこれを消化しなければなりません。消化するためには、まず父と一つにならなければなりません。何の話か分かりますか? ペレツとゼラのように、韓民族は日本によって南北に分かれたのです。ですから、根本に入って影響を与えるのです。先生は左翼と右翼を統一して、新郎の立場で帰って来たのです。左翼と右翼は先生の息子なのです。このようにして長子権復帰が成されたのです。そして父母権復帰を成すために、金日成までも一つに結んできたのです。ですから韓半島に帰って来て続一圏さえ成せば、西洋文明とアジア文明の左右が一つになり、共産世界と民主世界が一つになり、南北が一つになるのです" 神側に長子圏が立てば、どちらも実子の立場に立つので、彼らを滅ぼすことはできません。幸せな同じ立場に立たせて統一世界に入っていくのです。分かりますか? ですから南北を統一することにおいて、境界線の三十八度線があってはならないのです。日本を中心として、アメリカとヨーロッパの同胞を一つにしなければなりません。 これからは、すべてが文総裁を訪ねて来るようになります。それは明らかなことです。その前に野党や与党を超越した立場で定着すれば、私が推薦した人が大統領になるかもしれません。その時は、私がこの韓国の地にいるかどうか分かりません。私は何も持っているものはないのですが、そのような基盤と内容を持ってアメリカに入り、中国に入り、ソ連に入りました。 神様の祝福とは 今回、夏休みの一週間を取って約一万名のソ連の高校生たちがアメリカで教育を受けました。既に一〇〇〇名の高校生たちの教育が終わりました。大学生を合わせて二万名以上の学生と四〇〇〇名以上のエリート教授たちが、原理を受け入れました。きょうもイズベスチヤ新聞社の編集局長を始めとする三人が、統一教会の原理と文総裁の歴史の本を出版したので、それを捧げるためにやって来ました。それで今夜、その受け入れ式を行います。ソ連のイズベスチヤ新聞社は、これから共産党は滅んでしまうということが分かったので、既に八年前から統一教会の原理を研究していたのです。それで、これからは統一原理でなければだめだということで、 「私たちが生きる道は、文総裁の道しかありません。私たちは文総裁の道に従います」と願い出てきたのです。それで、若者たちを文総裁の教えで教育することによって、どんなに悪辣な独裁者が現れても、大学の知性世界に下ろした根を取り除くことのできない段階に入っているのです。 ソ連の衛生国家は、教会の一か月分のお金があれば一つの国を救うこともできます。それで、アメリ力教会の経費を縮小するようにしました。今や国家的に救ってあげなければなりません。南の政治家は、すべてのお金が南のために祝福されたものだと思ってはなりません。南の人々が豊かに暮らすために祝福されたのではありません。神様は南北の人々のために祝福されたのです。 神様はこの韓半島を愛していますが、南だけを愛される方ではありません。北韓を助けてあげなければなりません。ヤコブがエサウを助けてあげたようにです。ヤコブが長子権を受け継ぐために、自分の二十一年間の苦労のすべてをエサウに捧げたようにです。もしこの文総裁に少しでもお金があれば、すべての北韓の人々を食べさせるための道を開拓しなければならない責任があるのです。ですから政府はカインの立場、文総裁はアベルの立場で一つにならなければなりません。私を無視すればどうなるか見ていなさい。今回の選挙においてもたくさんの人々が落選しました。大物たちがたくさん落選したのです。欲望でもって国を消化することはできません。それはとんでもないことです。私は黙っていません。この国に対する悔しさを誰よりも待っているのです。その悔しさのための復讐ではなく、南北統一を成してこの悔しさを消化しようとする先生であるということを知らなければなりません。 あなた方を還故郷させて、苦労させて犠牲にし、南北統一に備えるために「南北統一指導者連合会」をつくり、強力な組織編成をしたのです。これからは、神側の新聞社を中心に組織編成を成し、体制的に北に対しての防御をしなければなりません。個人的にはできません。与党や野党でできるものではありません。彼らには指導理念がありません。皆欲張りでさまざまなことをしているのみです。それでは流されてしまうのです。しかし、統一教会は出たり入ったりしません。気をしっかり正して自らを定着させなければなりません。 「我々は南北統一を成した祖国の地で定着することを目標にして前進に前進をすべし」という命令をする方こそが、真の父母の名を持った方なのです。神様の事情を一番知っている方が再臨主であり、キリスト教において人間の事情を一番良く知っている方が救い主なのです。それが分からないようでは世の中を救うことなどできません。それゆえ、私は北韓へ行って牢獄生活をしました。牢獄生活をすると、その国のことがよく分かるようになります。 私は南においても牢獄生活をしたので、南のことを誰よりもよく知っているのです。日本においても牢獄生活をしたので、日本のことがよく分かるのです。アメリカに行っても牢獄生活をしたので、アメリカのことがよく分かるのです。ソ連と中国でも牢獄生活をしてみようと思っていたのですが、神様が守ってくださったので行きませんでした。その他にも六回にわたる牢獄生活をしながらも、今日まで死なずにこれたのは、神様の訓練であったと思います。 迫害を受けることは悪いことではありません。アメリカではクイズにも出ています。「歴史以来、宗教指導者の中で世界的に一番迫害を受けた人は誰ですか」と言うと、「それはレバレンド・ムーンです」と答えるのです。これは悪いことではありません。迫害は幸福をもたらしてくれる飛行船のようなものです。 完全にサタンを断ち切って越えていくためには、完全に否定しなければなりません。自己否定を自分自身で成そうとすれば、世界を回りながらできるでしょうか? いっぺんに全世界を動員して、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界にまで追い出されなければならないのです。 私にはいろんなあだ名がありますが、その中に「ムーン・マフィア」というのがあります。そのほかには「大統領」 「王様」 「将軍」などというさまざまなあだなを持っています。それにもかかわらず、道行く人々が私に向かって唾を吐くのです。一時は無視されたり迫害されたりしましたが、今は天上と地上に文総裁の名前とその権限が顕れたので、自分の姿勢を整えなければなりません。ですから皆、私のことを怖がっているのです。日本が怖がり、ドイツが怖がり、アメリカが怖がり、フランス、ソ連、中国が怖がっているのです。 再臨主レバレンド・ムーン これまで先生が一人で、孤独な険しい高いヒマラヤの山を越えながら、伏兵たちの射撃を受けても倒れずに来たということは、本当に奇跡なのです。ですから、今や西欧社会において、再臨主は間違いなく文絵裁であると言っているのです。分かりましたね? 結論は出ているのです。もはや私がこのような発表しても当然のことなのです。再臨主は誰ですか? (真の父母です)。真の父母とは誰ですか? (レバレンド・ムーンです)。レバレンド・ムーンは、あなた方の父ですね。これからは先生を中心として、東洋と西洋の文化、宗教と政治が世界的戦いを終えて初めて一つになっていくのです。南北もここにおいて一つになるのです。 左翼と右翼が先生によって一つになるのです。サタンと神様との戦いも、私によって統一、和合されるのです。そして偽りの父母によって生まれた不幸な事件も、真の父母の勝利によって平和の舞台へと直行できる時代が訪れたのです。さらに、三十三年間孤独な道を歩みながら十字架で亡くなったイエス様の恨みを晴らすために、先生の家庭が三十三年間迫害されてきたのです。キリスト教の二〇〇〇年の受難の道は、多くの殉教者を出しましたが、先生はこの殉教の谷間を越えて、ゴルゴダで死ぬのではなく、今や世界のトップクラスに昇ったのです。その基地である韓国において、偽りの父母と真の父母が一つの兄弟となって、世界の統一的な地上天国の出発がなされようとしているのです。 死の谷間をさまよっていた金日成を生かしたのは私です。ですから金日成と先生は兄弟なのです。双子と同じです。韓半島の双子なのです。互いに殺し合うのではありません。エサウとヤコブは兄弟でしょう? ヤコブは二十一年間で故郷に帰り、兄の前にすべてを捧げて、長子権を得たのです。同じ兄弟の立場に立つことによって、イスラエルの王権が成立したのです。第二次世界大戦の時も、もしキリスト教を中心とすれば恩讐関係にはならなかったのです。ですからカインとアベルの立場でお兄さんとして、長男の立場を相続して弟を助けてあげなければならないのです。 レバレンド・ムーンは韓半島を南北統一して、アジア地域をカイン・アベルの立場で一つにしなければならないのです。そしてイエス様はアジアに戻って、接ぎ木しなければならないのです。イエス様の失われてしまった体の立場が第一イスラエルであり、その体を背負って葬送曲を歌いながら還故郷するのがキリスト教であり、これを完成させるのが第三イスラエルなのです。再臨主は第一アダムの失敗、第二アダムの失敗を解放しなければなりません。今やイスラエルは複雑です。私の指導が必要なのです。イスラム圏も私がコントロールしてあげなければなりません。以前ニューヨークに果た有名なイスラエル人が、「レバレンド・ムーンはイスラム圏の人々を教育していますが、イスラエルの人々に対してはどうするのですか?」と言って来ました。彼はイスラエルに対して、アラブ圏の人々が黙っていないと思ったのです。イスラエルの国は今までしバレンド,ムーンに対して悪い評論を書いたり、さまざまなことをしてきたのです。ですから私が復讐心を持ってアラブ圏の首を締めることは間違いないと思ったのです。これは、レバレンド・ムーンの勢力基盤が大きくなったということです。アメリ力、イギリス、フランスをすべて動かすことができるというので、皆怖がっているのです。しかし私はそのような力でもって何かするのではありません。 今や、イスラムの国と偽りの父母である北の金日成が問題になっているのです。あちらは第二イスラエル圏の怨讐であるアラブ圏であり、こちらは第三イスラエルの勝利的な父の怨讐なのです。この二つを解決すればいいのです。第三次世界大戦が起こるかどうかという問題もここにあるのです。この二つを先生が消化しなければならないのです。私がイスラムの指導者を通して和解させていることを、この世の人々は知りません。中国と台湾も第三者を通して和解させているのです。聖書には、「和睦するものは幸福であり、天国は彼らのものである」と害いてあります。これは神様の息子であるということだと思います。 韓国は、カイン・アベルの立場で私と一つになり、金日成と私の架け橋にならなければならないのに、私たちを遠く離そうとしているのです。どうなるか見ていなさい。政府がやるべきことをしなければ、私は自分なりに基盤を整えていくのです。もしキリスト教が責任を果たせなければ、統一教会がするのです。もし政府が責任を果たせなければ、政府の代わりに私が勢力基盤を整えるということです。その代わりにあなた方は夜昼なしに氏族復帰をしなければなりません。分かりましたね? 先生が今まで世界復帰のために血と汗と涙を流したように、全世界に広がっている二五〇〇〇の祝福家庭は真心を込めて、自分の一族を救うための責任を果たさなければなりません。神様は一人息子のイエス様をメシヤとして送ったのですが、この文総裁は祝福を受けた息子娘ばかりではなく、結婚した家庭と子供にも氏族的メシヤを発表しました。ですから、この地上世界の悪魔は荷物を整理して自分の行く所を探さなければなりません。堕落したこの世の父母でも人類の先頭に立ってあげたいのですから、神様や真の父母の愛はその何千倍もの立場に立ってあげたい心を持っておられるのです。ですから私たちは悪魔までも許すことができる心を持って前進しなければなりません。 きょうの題目は、「父母と歴史的な勝利」です。今や歴史的勝利、摂理史的勝利、人類史的勝利、文化史的勝利とは異なるすべてを清算できる基盤をつくったのです。今後は、私たちが帰って来る道だけを整えておけば、三年ほどで、どこにでもビザなしで行ったり来たりできるようになります。男14たちは戦って血を流して勝利するのではなく、自然屈伏させなければなりません。そのような素晴らしい戦いをしているのです。しかし、少し時間がかかります。柿の木は秋になっても霜が降りるまで待たなければなりません。葉っぱが一つもなくなっても待たなければなりません。柿の木を植えた人は、霜が降りるまで待たなければならないということです。それまで柿の実は落ちないようになっているのです。 野のオリーブの木も待たなければなりません。聖書に「オリーブの木を最後まで待ちなさい」とあるように、真なるオリーブの木を待たなければなりません。そうすれば天国の民になれるということです。待ち疲れて、「ああ、統一教会を信じることができない」と言う人は、新しい決心をしなければなりません。秋になって葉っぱの落ちた柿の木から柿の実が落ちそうになった時、その主人が散歩をしながら柿の実を食べれば、その味は忘れることができなくなるのです。そして、その柿の種を間違いなくポケットに入れて、来年にはISえようと考えるのです。 このように見た時、神様も同じ立場なのです。統一教会は真なる柿の木となれば、神様が落葉のころに散歩しながら、その柿の実を味わい、その種をポケットに入れて植えたいと思うのです。人情の世界は天情の世界にも通じるということです。滅びるのではなく栄えるのです。二世、三世たちは保護圏内にあるので、先生がここまで伝統の基盤を立てたことを本当は皆さんに相続したくないのです。このような話は、今まで何回したことでしょうか? 今や七十歳を越えた先生をまだ苦労させるつもりですか? 今は若者たちが先生の代わりに、先生を背負って走らなければならない時なのです。 今まで皆さんに対して、先生がどんなに厳しくしても誰も逃げる者はいませんでした。それは子供として親の心が良く分かるからです。子供は何か悪いことをして親にたたかれても、夜になれば子供のために涙を流しながら祈っている父母であることを知っているために、子供はたたかれても何日か過ぎれば忘れるというのです。その背後に愛があるためです。それが真の愛なのです。その真の愛を基盤として圧縮された紐を持って、世界のどこに行ってもその紐に従って、どんなに迫害を受けても還故郷できなければなりません。このようなことを、神様も羨ましく思うし、天上世界にある数多くの聖人たちも羨ましく思っているということを知って、この時代に生まれたことを生きがいとして勝利的継承者となることをお願いしつつ、先生の話を終わります。 祈祷 愛する天のお父様。きょうは、一九九二年四月三日です。真の父母がこの地上に新しく誕生して初めて迎える三十三回目の祝いの記念日です。この間、歴史自体に流された涙とともに統一教会の歴史において、誰も知らない多くのことを残してきました。悲しいといえば悲しく、悔しいといえば悔しいことも多かったけれども、私たちよりもっと可愛そうな方が神様であるということを知ったために、明日もきょうのように、来年も今年のように続く歴史を、耐えて耐えて来られて、統一教会の道を見守ってくださった神様がいらっしやるということを、本当に感謝申し上げます。 ここに立っている息子は、このみ旨を知り生涯を懸けて戦いの道を歩んできましたが、誰も私の道案内をしてくれる人はいませんでした。私の心を知って、明日の行くべき道を心配して準備してくれた人は一人もいませんでした。私の兄弟がそうであったし、私の父母がそうであったし、私の祖国がそうでありました。しかし、不平不満を言うことができないということを知っているために、我慢に我慢を重ねながらすべてを忘れ努力して、歴史自体を犠牲にしながら、自ら恩讐として結縁的に交差した因縁を持っているために、常に千回も万回も復讐しなければならない歴史過程があったように、必然的に私たち統一教会の歴史に現れなければならなかったにもかかわらず、我慢に我侵して来られた神様の内的な心情を知ったために、神様に侍り、忠誠を尽くすことのできない親不孝の立場を心HPしながら、その影で涙を流しながら、天のことを慰める立場を追及した過去において難しく曲折の多かった時代が、牢獄を出入りしながら叩いた過去のことが、パノラマのように過ぎていきます。 そのようなことを呼び起こして、万民の救いのみ旨がここにあると叫びたい切なる心情を私たちは知っていますので、そのような心情の因縁をここに集まったあなたの若い息子娘の胸に炎の種として植えてくださいますように、切にお願い申し上げます。 歳月は常に流れていきますが、あなたの摂理の時は流されることができず、発展することもできずに、恨みの墓場に葬られていることを知ったがゆえに、これを掘り出して私たちの肩に掛け、罪悪史を踏み越える勝利的基盤を目指して、お父様の心を回復しようと戦っているのが統一の群れであるということを知っておられる神様は、毎日毎日、私たちの後ろから見守ってくださり、行く道々を心配されて開拓してくださることに感謝申し上げます。 今日、私たちが越えなければならないすべての峠はすべて越えて、今やどのように教育するかということが、問題として残されています。若者たちを教育する問題が残されています。 さらに、歴史自体の受難の道を歩みながら、あらゆる供え物の代価を変わりに蕩減しなければならなかった女性たちを解放する時を迎えました。それで、今や「世界女性大会」を行い、お母様が世界的な舞台に立ってすべてのことに責任を持って勝利しなければならないということを知ったために、この大会を七か月以内に終結させていく摂理史的プログラムを進行していますので、私が七十年懸けて整えたことを、七か月以内にお母様が相続するための勝利的な基盤が、この韓国の地に訪れているということは歴史的な驚くべき事実なのです。 全世界の食口たちを集めて、ここで伝統的材料を通して教育できる時が訪れたことによって、新しい娘、新しい母、新しい姉、新しい妻の道理を教えてあげて、全世界を新しく生み出し、新しく育てることのできる家庭の道理を編成して、「世界平和家庭連合」に続く目標を立てて、お母様を立てて教育して、四月十日の大会にはすべてにこの地球を掌握することができますように、女性として、自分の体が破れても供え物として捧げて、恨みを残さない歴史的な転換式においてすべての真を尽くして、女性らしい行動を取って、天の前に忠誠を受け継ぎ、女性として堕落した恨みの峠を越えて、天の心清を解放できる真なる孝行息子娘となれますように、切にお願い申し上げます。 女性が新しい自分の位置を固めることによって、天の国の伝統を新しく立てて、新しい母の姿、新しい妻の姿、新しい娘の姿を神様の愛を中心として、新しく東方において最高の立場にある韓半島を中心として、世界に向けて爆発させ発展していくことができますように、摂理史の方向性とともに、天の能力を加えて日々に発展し、すべてのことに通じることができますように、祝福に祝福を加えてくださいますことを、切にお願い申し上げます。 再びこの地に帰りまして、過ぎ去ったすべてがあなたの栄光の一時を迎えるために、解放の一日とともに創造理想の愛の園を持って、全世界を抱く父母の王国を立てるその日のために、宿命的な責任の道を厳粛に、自分自らが毎日毎日時間を整えて親孝行の道理、中心の道理、聖人、聖子の道理を継承できる群れとなれますように祝補してください。 金日成もこの時間に、ここに立っているレバレンド・ムーンの心と同じく、同和して天を追及できる一家の方向を整えて、恩讐の立場から血と涙をもって万民の救いの道を証し、一つの新しい舞台を展開していくことを天が祝福してくださり、南北の統一の起源を新しく立ててくださいますように、お願い申し上げます。 この目的に向かって、互いに南北が一つになり、全世界を自由世界、共産世界も合わせて神様に従って行かなければならないのが、今や歴史的な真理であり、歴史的な血統が登場いたしましたので、このことに順応できる群れとなれますように、お願い申し上げます。 四月は春の香りが流れて美しい花と新芽が出るように、新しい青春時代を迎える統一教会の時代の誇らしい姿の前に、欠点を残すことのない聖なる歩みと、聖なる姿勢と、聖なる歴史を再編成して行く先駆者となれますように、お願いしつつ、このすべてのみ言を真の父母の日を記念しつつ、真の父母のみ名によって祝願いたしました。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.03.31
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「父母様と歴史的な勝利」一九九二年四月五日ソウル本部教会にて 完全否定の道 今までは宗教は否定することを教えてきましたが、統一教会も完全否定を教えます。完全否定は一人ではできません。すべてから迫害を受けなければなりません。何の話かわかりますか? すべてを否定する立場に立たされたのです。自分の所有権内においてすべてを否定すれば負けてしまうことになるので、大変な騒ぎになります。ですからサタン世界は私たちを打つのです。個人的に打ち、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、すべて動員して打つことによって、完全否定の立場に立たせるのです。そうですね。 世界から追い出されて一人孤独な荒野に立たされた私に従って来る人は、誰もいませんでした。歴史上でこのように完全否定されたひとは、レバレンド・ムーン一人しかいないのです。世界的個人、世界的家庭、世界的民族、世界的民族、世界的国家、世界、天宙、天地の代表として完全否定されたのです。ですから、全世界の七歳以上の人々の中で私を知らない人は誰もいません。私を知らない人は愚かな人のみです。この大韓民国において、私のことを知らない人はいますか、いませんか? (いません)。 ここに集まっている人々は皆祝福を受けた人々ですが、統一教会に入る時、足から先に最初に入ったのですか、頭から先に入ったのですか? 足が先で頭が後から入ったのですね。先生の噂があまりにも良くないので、足が先に入ったのです。頭は後で調べてみようと思ったのです。うれしい時は頭から先に入るのに、逆に入ったのです。ですから、みんながいかに堂々としていても、先生に対しては罪を犯しているのです。心では何千回も統一教会を離れようとしたでしょう? そうですね。この幼い者たち! 私は今、はっきりと言います。私はあなた方があまり好きではありません! 好きであれば心配になるのに、私のことを好きな年寄りたちに対して悪口を言うからです。もし戦争が起こった時に、年寄りたちが前に立てば銃弾に当たって死んでしまうことと同じです。両親の死体を踏み越えることほど親不幸者はいません。ですから私は、「あの隅っこに行っていなさい」と言うのに、そのような事情を知らずに「私のような年寄りに、荷物を整現してどこに行けと言うのか!」と泣きながら訴えるのです。 西洋に行っても統一教会の人々は同じです。ここでもそうです。なぜ年寄りが一番前来て座っているのですか? 若者たちが前に来るべきです。今回、日本に行った時も七十歳になった年寄りたちが一番前に座っていたのです。年寄りたちは一番前に来て恵みを早く受けようとするのです。そして「私は天国に行く日が近いので、早く先生の愛を受けて行きたい」と言うのです。 ところで、皆さんは先生が好きですか? (はい)。先生は変わり者ですよ。 (いいえ)。先生を好きになっても利益になることは何もありませんよ。本当に先生のことが好きですか? (はい)。それでは皆さんが持っているものをすべて奪ってもいいですか? (それでもいいです)。それでもいいということは、それが本当の愛の力だからです。愛がそうなっているからです。みんな奪われてもまだ上げたいと思うのが愛の世界なのです。そうなっているのです。 「何でもください」と言う醜い人、上げたにもかかわらず「いらない」と言う人、さまざまな人がいるのですが、それは、相対基準が違うためです。 愛の主体の立場に立てば、みんな上げたいと思うのです。そのような道を行くことによって、人間は自分が偉くなる道を知ることができるのです。そして自分に合う運命的な相対関係を間違えることはないのです。先生はそのような面において天才的な能力を持っているのです。時の変化について私ほど知っている人はいません。 今回、日本に行って、日本を復興してきました。そして政治家とも一時間ほど話をしたので、彼らは「ああ、この人はこんなに勇気があるのか。金日成以上だ」と感じたことでしょう。 先生に会ってもみずに反対している人もいますが、先生は会わずに反対したことはありません。既成教会の牧師たちは本当に愚かな人々です。会ったこともないのに、文総裁のことをどのくらい知っているというのでしょうか? 統一教会の隣りで反対するためのラッパを吹いても、それが何日保つというのでしょうか? そのような人は、これから道端で鞭打たれて血を吐きながら死んでいくことでしょう。 今や、文総裁を尊敬している人々がどんなに多くいることでしょうか? 大韓民同でもそうです。穴の中で、救いに漏れた鼠のような人々も、「文総裁、万歳」と言う段階に入ってきているのです。なぜかというと、霊界では地獄にいる人々も皆、「文総裁、万歳」と言っているからです。米蔵の中の鼠のような人々も、「百歳」と言わなければならない時代が訪れたのです。 真なる愛の公式 それでは、愛は壊かしいですか? 今日、世界は「真なる愛がない」という不平不満が満ち溢れています。男性にも、女性にも、年寄りにも、若者にも、愛がないのです。今やいろんな国々で青少年問題が起きているのは、父母の愛を受けることのできない人々が多いからです。これは調査して分析した結果の結論なのです。たとえ一〇〇〇年の歴史が流れても、変わることのない摂理を中心とした愛がどこにあるかというのが人類最高の願いなのです。 人々は平和の世界が訪れることよりも、そのような愛が自分に訪ねて来ることを願っているのです。そのような愛を持って来られる方が救い主なので、人類は救い主を待ち焦がれているというのです。何のために救い主を待ち焦がれているのかというと、豊かな生活をするためではありません。愛が懐かしいからです。本質的な愛を相続したいためなのです。そのような愛さえあれば、永遠に変わらないのです。そのような愛の行く道は黒人であれ、白人であれ、みんな同じ道なのです。それが愛の公式です。今日まで、それが分からなかったのです。 それで先生は、千辛万苦、受難の道を経ながら、海に沈んだ太陽が昇って東の空を照らす時を待ちました。自分の影を見ることができなければ、空にある太陽を眺められないのです。いよいよその時が訪れたのです。そして世界の人々が文総裁を歓迎する日がだんだん近づいて、影のない時代に入ったのです。このように一度に統一される時が訪れたのです。統一教会の群れはこのような話を聞けば気持ちがいいでしょう? (はい)。 このような準備はすべて終わりました。ソ連に行っても、どこに行っても、今や私を歓迎するようになっています。ソ連の衛星国家のどこに行っても、私を歓迎するのです。金日成主席の誕生日にも、「文総裁はなぜ来てくれないのか。兄弟結縁を結んだのになぜ来られないのか」と思っているのです。韓国政府は金日成主席と会談しようとしていますが、私が盧大統領を連れて行けば歓迎するでしょうか、しないでしょうか? 皆さん、世界の運勢がどのように回っていくかということを知らなければなりません。太陽が西の山に隠れると暗闇が訪れるようになりますが、夜明け前が一番暗く感じるのです。それが過ぎれば、朝の公明な光が暗闇を照らして、すべてが見えるようになります。今まで東洋の一角を照らしていた統一教会の文総裁が、世界を指導するようになるなどと一体誰が思ったことでしょうか? これからは、すべてが変わるのです。大統領をやってきた人々にも、私は直接会いません。南米の大統領たちがワシントンに来れば、会ってあげるかもしれませんが電話では受け付けないのです。 それなのに、この統一教会の群れは漢南洞公館に来る時、「先生、私は何々教会から来ました」というあいさつもせずに入って来るのです。世の中には不当に不思議なことがたくさんあります。先生は、世の中で偉いと言われているような人々には会ってもあげずに、まるでウジ虫のように扱われている統一教会の群れには会ってあげるのです。 皆さんは今、人間として扱われていますか? これからは、気をつけなければなりません。死ぬ前に骨が溶けるくらいに働かなければなりません。先生は恨みが多いのです。今まで話しませんでしたが、いまだ死なずに残された峠をすべて生きて越えようとしているのです。私は今、峠を越えて帰って来るところです。イエス様はゴルゴダの峠を越えることができず十字架にかかったけれども、レバレンド・ムーンは死んだイエス様の地獄の道を、楽園を通過して帰って来たことによって、逆にゴルゴダを越えて来たのです。今や、生きてイエス様を背負って全世界を統一しようとするのです。個人的なゴルゴダ、家庭、氏族、民族、国家、世界的なゴルゴダ。どんなに多くのゴルゴダも生きて越えなければなりません。 イエス様が亡くなることによって、左と右とバラバが生まれたので、イエス様が再び来られる時には、すべてを統一しなければなりません。それゆえ右翼を統一して、左翼を統一して、回教を統一して、すべてを千辛万苦の末に取り戻してきたのです。イエス様がゴルゴダで亡くなることによって、右の強盗と左の強盗から、左翼と右翼が生まれたのですが、世の中の人々はこのことを知らないのです。これから歴史がどうなるのか、先祖たちの歴史がどうなっていたのかということを知らない者たちは滅びざるを得ないのです。自分の先祖たちの歴史をはっきりと知らなければなりません。 今日まで、偉いと言われてきた歴史家たちが私に屈伏するようになっているのです。私は彼らに屈伏しません。全世界を主導するアメリカが私に負けたのです。死にそうになったアメリカを救ってあげるために一つの方向を示して、その運動を全国二五〇〇か所に拡げたのです。日本もそうです。もし私の言うことを聞いていたならば、今日このようにならなかったのです。私は男らしく真っ直ぐに言うのです。金日成を教育したのも私です。ゴルバチョフを教育したのも私です。何の話か分かりますか? 流されてしまってはなりません。 サタンの前に多くの非難を受けながら、すべてのことを自分の骨に染みるほどに感じなければなりません。韓国には、死んで白骨になっても恩を忘れないという話があるのです。ですから、サタン世界では眠たくても眠ることができません。このように忙しい歴史を走らなければならないので時間がないからです。戦う時間がないのです。先生は今やすべて越えてきましたが、天地に始まって以来の大いなる祝福をあなたたちだけに上げたいとは思いません。これからは、世界で偉いと言われている人たちを一つに結ぼうと思います。外交舞台に出なければなりません。そのように考えている先生なのです。 ですから私は、生涯において変わることのない愛の伝統を歴史に残そうとしているのです。一度くらい御馳走になったからといって、それを記録するような歴史を残そうとは思いません。血と何と真なる涙を流しながら、化石になり柱になろうと思うのです。分かりましたか? 津々浦々で迫害を受けたその恨みを解かしておかなければ帰って来ることができないのです。日本も、アメリカも、そのように見ているのです。韓国で、私は何も言わずに黙っていますが、多くの人々が私の側になったのです。この前の選挙の時、もし私が動いたならば大きな変化が起きたことでしょう。アメリカも、日本も、中国も、ソ連も私を無視することはできません。 本源的な愛を絶対祝すること 真の父母とは何でしょうか? 家庭において変わらぬ父母の愛があれば、そのすべてに関係する血統は、その父母の愛を中心として考え慰めるための生活的な舞台を繋げようとするのが人情の常なのです。このような原則的な境地を拡大した時に、世界を越えて宇宙を代表する真の父母がおられるのならば、天上天下を越えて真なる父母の立場はどんなに幸福なことでしょうか。何の話か分かりますか? きょうの話のタイトルは「父母様と歴史的勝利」です。イスラエル民族が選民権を持ったということは、勝刊したということです。そしてキリスト教はイエス様の血統権を改めるために生じたのですが、これに勝和することができませんでした。 今日、統一教会は真なる愛を中心として、迫害を受けながら、これほどまでにヒがってきましたが、私は今まで誰に対しても迫害したことはありません。どんな怨讐に対しても、怨讐として接したことはありません。なぜかというと、神様がそのような方であることが分かったからです。人類の願いは、神様を懐かしがることであり、神様も本源的な愛を絶対視なさるのです。神様ご自身も絶対的な愛の前に死にたいと思うのです。人間と同じです。このような話は初めて聞いたでしょう。 今日のキリスト教信仰の、神様は何でもできるという考えは独裁者を生みやすいのです。キリスト教の背景を中心として、白人たちは多くの人々の血を流してきました。神様は何でもできるのですが、ご自身を勝手に扱うことはできません。神様ご自身も愛に対しては、自分の命までも犠牲にされるのです。何)つ脇手に扱うような概念は持たないのです。 神様も愛の前に絶対服征するようになっているのです。そうしなければ伝統が立たないし、人類の万民平筆解放置、勝%\の版図を拡げることができないのです。このような論理と原則的な愛を中心として、初めて世界に発表し、そればかりではなく生活的な舞台と世界史にブレーキを掛けて、共産党を打ち滅ぼし、宇宙星に乗って越えて来たのがこの文総裁なのです。 イスラエル民族はイエス様の死によって選民権までも失ってしまったのです。そしてキリスト教信徒たちは、イエス様が流した血のみを信じればいいと思ったのです。第二次世界大戦によって、統一世界を築く時を迎えたのですが、それもできなかったのです。なぜかというと、神様は多くの神側の人々を犠牲にしながら、怨讐の子女たちを救うために、自分の子女を充ってでも怨讐の子女を買おうとされたのです。自分の子女を一人売って怨讐の子女を十人、百人買おうとされたのです。ですから、そのような神様の愛の前には、恩讐サタンも屈伏するようになっているのです。 文総裁の歴史は、血の歴史であり涙の歴史でした。変わらぬ木質的な神様の愛を歴史的な摂理史と結んで、私たちの後孫すべてが千年、万年歩んでも、それを土台として安心して走って行けるような、不変なる愛の伝統基盤を確保するために歩んできた統一教会の歴史であったということをはっきりと知らなければなりません。 真の父母とは何をする人でしょうか? 真の父母は、あなた方に血を流させようとは思いません。あなた方のお世話になって偉くなろうとは思いません。今日まで理論的な基盤を立てることにおいて、誰)人として私を助けてくれた人はいませんでした。すべてが終わってから私が教えてあげたのです。みんな過ぎた後に教えてあげたのです。私と神様と悪魔が知っていることなのです。知っているのは三人だけです。サタンと神様は、アダムとエバが堕落する前にすべてを知っていたのです。サタンは知っていたけれども、アダムとエバは幼くて何も知らなかったのです。それで滅びたのです。死の囲いの中に掛かってしまったのです。 本来完成したアダムは、解放的アダムの権限を持ち、アダム理想を実現することにより、あらゆることを神様と同じようにできる立場でした。愛の主人はサタンではなくアダムだったので、その権限的本質内容を備えるためには、神様までも感動をさせ得る心情の基盤がなければなりませんでした。なぜかというと、神様は父だからです。サタンにはそれが不可能なのです。神様と親子関係を結んだ時に、父なる神様も痛哭して泣くような立場に立てば、サタンは逃げてしまうのです。そのような立場において天理の大道を迫害し、親子関係の因縁を迫害してきた張本人のサタンが、悔い改めて神様の前に首を垂れることができるでしょうか? サタンは逃げ出さなければなりません。この地球上からサタンを追い出すのです。サタンに残された唯一の道は、自分が千辛万苦して築き上げた勢力基盤をなくさないために、神様を捕虜にして身動きができなくなるようにすることだけです。サタンは自分が築き上げた勢力基盤が壊されそうなので、ありとあらゆる謀略と中傷でもって先生の首を切ろうとするのです。そのような中で先生は、個人的な蕩減復帰の戦いで勝ち、万国の神様と全天地、天上世界のあらゆる宗教指導者たちの前で、霊界と地上世界で戦って勝利したのです。これからはチヤンピオンシップを取らなければなりません。オリンピックに参加するための予選と同じです。個人から家庭に、僕の僕の立場から僕に勝利しなければならないし、サタン世界の養子の立場から、庶子の立場、息子の立場に上がらなければなりません。息子の立場に上がる時にはすべての霊界の宗教人たちに会って、すべてを整備しておかなければなりません。 その次は神様の前に、サタンと三人で対映して、「神様、これは本当です」と言って、その場からサタンを後退させなければなりません。そして神様と自分が残るようになり、神様の特別な命令を受けなければ天下統一はできないのです。文総裁は既成教牧師たちから、さまざまなる悪口を言われて来ましたが、あの世に行って見ればみんな首が逆さになっているのです。この世で偉いと言われてきた牧師たちは、復興師を務めて、お金をたくさんもらえるところを探し回っているのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.03.28
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[22.03.27] 世界平和統一家庭連合 世界本部教会 平和ヌリ2022/03/27 09:30に公開予定です。13:00~からご覧ください。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.03.26
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「父母様と歴史的な勝利」一九九二年四月五日ソウル本部教会にて 貴い父母の生まれた日 皆さん、きょうはなぜこんなに緊張しているのですか? きょうは何の日ですか? (「父母の日」です)。なぜ「父母の日」が必要なのでしょうか、なぜ父母が必要なのでしょうか? 私たち統一教会には、いかなる国のいかなる団体にもない「父母の日」があり、「子女の日」があり、「万物の日」があり、「神の日」があり、それらを今日までずーと守ってきたのです。「父母の日」というのは、この地上に初めて父母が生まれた日です。ですから「父母の日」が貴いか、父母が貴いかという時には、「父母の日」が貴いのではなく、父母のほうが貴いのです。、その貴い父母の生まれた日を記念するのが、きょうの「父母の日」なのです。 今年でもう何回目になりますか? (三十三回目です)。父母が祝福を受けて三十三回目の記念日であり、「父母の日」も三十三回目です。数字で見れば三教は、三代、三数の主体、三対象の数でもあり、また蘇生、長成、完成を意味するのです。木に例えれば根っこと幹と枝であり、さらに縦的に見れば、上、中、下になっています。そして円形からみても一番中心が三教であり、原理においても三数が一番重要な数となるのです。 三十三年といえば、イエス様の生涯を思い出しますが、イエス様は三十三歳になっても相対的理想を成すことができませんでした。もしイエス様が新婦を迎えることができたならば、歴史はこのようにはなっていません。第一イスラエルがイエス様を受け入れて一つになっていたならば、既にイスラエル文化圏ができていたはずです。イエス様が死んだのちに現れたのが、今日のキリスト教文化圏なのです。 もし、第一イスラエルがイエス様を受け入れていたならば、イエス様の生涯において新婦を迎えることができたはずであり、真の母を探し出すことができたのです。そのように、完成した国家と教会、国家と宗教が一つになった基盤の上で新婦を迎えていたならば、イエス様はイスラエルの王となり、イスラエルの王権を相続し、またユダヤ教の王権を受け継ぐようになっていたのです。内的外的三権を相続して、初めて第一イスラエル圏を中心として、さらにユダヤ教とイスラエル国を中心として、世界が一つになるようになっていました。 ところが、イエス様が亡くなったために、このような圏は成し遂げられず、国を中心として、教会も宗教も一つになることができなくなりました。ですから今までの歴史路程において、宗教と国が怨讐になり、いかなる国であれ常に宗教を迫害してきたのです。その度に多くの人々が犠牲になり、宗教を信じる人々がその国の主権者の宗教迫害によって死んでいったのです。そして、打つ立場の国がカインであり、打たれる立場の人々がアベルなのです。本来そのようなカインとアベルが一つにならなければならないのです。 そのような基盤の上でイエス様が、父母として降臨されるのが復帰摂理においての伝統的な思想であり、必然的な内容なのです。それは、神様が天地創造された時に、人間をつくるために必要な素材としての環境を失ってしまったからです。ですから、環境の中には主体と対象があるのです。その主体と対象は必ず一つにならなければならなかったのです。主体が好むから、対象が好むから一つになるのではなく、好きでも嫌いでも、昼でも夜でも、春でも冬でも、夏でも秋でも、常に一つにならなければならなかったのです。 そのように、神様が創造された宇宙環境の中に主体と対象という概念があることによって、男性と女性とが生まれたのです。では、男性と女性はどちらが主体でしょうか? 女性ですか、男性ですか? (男性です)。なぜ男性が主体なのですか、女性が主体ではないのですか? 数を中心としてみた場合にも、男性よりも女性のほうが多いし、平均寿命からみても、男性よりも女性のほうが七年から十年以上は長生きするのです。 このようにみた場合に、この世界は男性よりも女性のほうが多いと言っても、否定できないのです。数から見ても女性のほうが多いのに、なぜ男性が主体なのでしょうか? 主体という概念はどこから生まれたのでしょうか? 「主」という漢字は、「王」の上に点がついており、これは神様を象徴しているのです。王様の上の主人であるということなのです。ですから、主体は神様の系統であり、直系でなければならないということになるのです。 「王」という字を見てみると、垂直線に三つの水平の線を引いたものです。これは、神様の系統を相続できる姿を備えた存在が主体だということなのです。 それでは男性と女性は何がどのように違っているのでしょうか? 東洋思想においては、男性は天を意味し、女性は地を意味します。そして天が複雑か地が複雑かというと、地のほうが複雑なのです。ですから、女性は複雑な問題を処理しなければならないので口数が多いというのです。しかし根本的な男性と女性の違いは、命の種の問題です。命の起源は神様であり、神様の直系の系統に立つために、誰が命の種を相続するのかというと、男性が命の種を持っているのです。根っこにつながれているということです。ですから男性が主体となり、女性は相対的な立場となるのです。 男性は一体何をもつて主体になるのか そのような主体を中心にして対象が回る時、その中心は移動できないのです。中心が移動すると大変なことが起こるのです。地球が太陽の周りを回る場合も、常に中心を中心として回っているのです。中心が移動しながら回るのではありません。それと同様に、男性を中心に女性は家庭を舞台として回らなければならないのです。このように見ると、今日の女性はあまりにも乱暴な行動を取っているのです。ですからアメリカでは今、男性たちが女性問題を中心としてデモをしているのです。とても韓国では理解できないことです。 「男性を無視し、男性を僕のように扱ってはいけない」と言ってデモをしているのです。男性は男性の本然の立場に復帰し、女性は女性の本然の立場に帰らなければなりません。それには、誰も異論はないのです。 そのような意味から見ても、文総裁の教えが必要なのです。ですから、そのような女性たちを集めて、「天の真理がこのようになっているのに、女性たちを中心として回ればどのようになるか」と言うのです。もし、そうなれば大変なことになるのです。なぜかというと、女性は男性よりも軽いし小さいので、そのような女性を中心として回れば根っこまで抜けて倒れてしまうのです。すべての面において男性は女性よりも大きく、力も強いために、自然の法soから見ても間違いなく、男性を中心として女性が回るようになっているのです。 天地の原則からみても、すべてが循環運動しながら存在しているのです。人間の血液も、すべて高級な器官は授け受けをしているのです。言葉をしやべる時も、音声を高めたり低めたりして話すのです。歌をうたう時も同じです。どうしても女性よりも男性のほうが主体にならざるを得ないのです。ですから大韓民国の女性たちは威張ってはなりません。男性に待って、男性を主体と考えることのできる心を持たなければなりません。それで行動する時も、女性は男性を中心として足並みを揃えることができるようにならなければ破綻が起こるのです。 この世界には多くの男性と女性がいますが、間違いなく男性が主体なのです。統一教会の女性たちはこのことをよく知らなければなりません。では、男性は何をもって主体になることができるでしょうか? 男性が主体であれば、神様は不公平なお方でしょうか? そうではありません。では、男性は一体何をもって主体になるのでしょうか? 男性は子供の種を持っていますが、その子供のすべてを持っているのが女性です。目にも見えないような一粒の小さな子供の種を受けて、それを育てるのが女性なのです。母となって育てるのです。そのことを考えてください。その小さな種の中には、五つの感覚器官が入っているのです。小さなコンピューターの中に数多くのプロジェクトが人っているように、人の目には見えないけれども、その中には目があり、鼻があり、歯があり、髪の毛の一本一本までもが入っているのです。そして、これらがすべてプラス・マイナスの相対的要素をもって、授受作用を通して大きくなるのです。そのプロジェクトを限界点まで拡大して、周りのあらゆる元素を吸収して成長していくのです。 男性は子供の種をあげるのですが、女性はその種を自分のものとして大きく成長させ、子供を誕生させるのです。そして、その子供を見ると、本当に不思議に神様の調和が現れているのです。そのようなことを考えた時、もし五十億人類が研究し尽くして子供一人をつくったとしても、そのような子供ができるでしょうか? 四百億の細胞がすべて生きているのです。五十億の人類を一OO年、一OOO年動員しても、女性の胎中から生まれてきた子供のような人間をつくることはできません。そこに、いかなる人々を動員したとしても不可能なのです。ですから人間とは貴い存在なのです。 最近、大韓民同において、「人間の価値は、一匹の優秀な犬にも及ばない」という話を聞きました。本当にそうでしょうか。私はそのような話まで聞いているのです。そう考えた時に、人間一人がどんなに貴いか考えてみましょう。犬に歌えと言って歌うでしょうか? (歌えません)。億年、万年教育してもできないことです。しかし私の孫たちは、一歳を少し過ぎたのに話もできるし歌もうたえるのです。今おばあさんの気持ちが良いか悪いかもすぐに分かるのです。おばあさんの目を見て、少し気持ちが悪そうに見えると、真正面からではなく横から近づいて来て笑わせるのです。目で笑いながら「こんにちわ!」と言うのです。そして、ひざに来て抱かれると、おじいさんやおばあさんのどんなに激しい怒りも絹のように軟らかくなるのです。一歳に過ぎない子供が、そのようなことをみんな知って行うのです。果たして猿の子供がそれを知っているでしょうか、知らないでしょうか? (知りません)。 愛を中心としてつくられた宇宙 まず神様は環境をつくり、そして何をつくりましたか? (男性と女性です)。神様は環境を創造されて、主体と対象関係をつくられたので、男性と女性が存在するのです。またレベルは低くても、昆虫の世界、鳥の世界、あらゆる動物の世界には雄と雌がいるのです。もちろんそこには中性というものもありますが、相対性なくして主体の分裂によって繁殖するということは成り立たないのです。見えないところに主体と対象の作用があるので、主体が大きくなり相対になることのできる存在を作用させて、新しいものが生まれてくるのです。 植物世界においても、おしべとめしべがありますが、それは動物世界の雄と雌の概念と同じです。花の世界においても、その花のおしべとめしべを中心とした愛をささやくのです。それでは、そのおしべとめしべは互いに向かい合わせているのでしょうか、背け合っているのでしょうか? 皆さん、銀杏の木を知っていますか? 丘の向こうに雄の銀杏の木があれば、雌の銀杏の木は首を長くして雄の銀杏の木から来る花粉を待っているのです。そのようにして実を結ぶのです。天地の調和は皆そのようになっているのです。すべてが愛のゆえに花を咲かせるのです。一人では花を咲かせることはできません。横約縦約関係の内容が必要なのです。花の色がきれいなのは、蝶や蜂などの昆虫が飛んで来て蜜などを吸うことによって、おしべとめしべが互いに一つになって新しい種が生まれてくるためです。 また鉱物世界においても、分子と原子世界があり、分子世界においてもプラスイオンとマイナスイオンがありますが、すべてにプラスの性質とマイナスの性質があるのです。元素は一O八個ありますが、どんなに有名なノーベル賞をもらった博士が、科学実験室で元素と元素を一つにしようとしても絶対に一つにはなりません。相対的基準が整えられなければ一つにはなれないのです。ですから互いに張り合って、主体と対象の系列が違い、レベルが違い、次元が違っても、すべてが合うようにプラスとマイナスがあるのです。それで、分子世界にはプラスイオンとマイナスイオン、原子世界には陽子と電子があるのですが、すべて相対的関係なのです。 そこで、このような環境を創造された神様の世界で、必ず知らなければならないのは主体の概念です。それが創造の原則なのです。それは、愛を中心として宇宙はつくられたからです。次元は異なっても、一番下の小さなものから一番上の人間もそのようにつくられたのです。 例えば、人間の血管に動脈と静脈があり、すべての細胞に動静脈の血管が通じているように、宇宙のすべての万物は主体と対象とからなって、動静脈のような作用を成し、吸収、同和する様相を備えているのです。ですから、この宇宙は、レベルは低くてもすべてが愛という概念を中心としているために、この世界には主体と対象の概念があるということです。そして、それは主体と対象という概念のみで終わるのではありません。アダムとエバ、男性と女性、雄と雌が一つになるには、必ず相対的関係を結ばなければならないし、そのようにして相対的関係を結べば繁殖作用が起こるのです。 このように互いに相対的な関係を通して、だんだんと拡大していくようになるのです。父母は一組であっても、その子供たちは十人にもなるのです。姿形は小さくても、数においては多くなるのです。そこに、相対圏が生まれるのです。この宇宙も同様です。家庭があればその家庭を中心として、氏族があればその民族を中心として相対関係を持たなければなりません。それは、宇宙が縦的横的に運動しているからです。個人的に運動しようとすれば、家庭を通って、すべてを連結して、世界の果てまでも行かなければなりません。例えば、指先に行った血液は心臓に戻りたいでしょうか、戻りたくないでしょうか? 「心臓に戻る」と言って指先に向かった血液が、「夫婦喧嘩のため、妻の頬を叫いて出た血であるから、心臓には来るな」と言うことができるでしょうか? 「足の指先の匂いのする血は、心臓の中に、頭の中に来るな」と言えるでしょうか? そうなれば大変なことが起こるのです。血液というものは、低い所、高い所、東西南北、どこにでも通じる自由があるというのです。 それで血液は何を意味するかというと、命を連結するものなのです。なぜそのように命にふさわしく運動する推進力を持っているのかというと、愛のゆえなのです。では、愛のために命が生まれたのでしょうか、命のために愛が生まれたのでしょうか、どうですか? 愛を与えて命を買いますか、命を与えて愛を買いますか? これは何を意味するかというと、愛のために命を捨てるか、命のために愛を捨てるかということです。愛のために命を捨てなければなりません。「愛のために命を捨てる」と言えば、誰も離婚できないのです。妻は夫を捨てることができません、夫は妻を捨てることができません。考えてみると、そこには大変な問題が介入してるのです。 神様の上に真の愛がある きょうは何の日ですか? (「父母の日」です)。私は「父母の日」という言葉よりも「父母様」という言葉のほうが好きです。皆さんは父母様が好きですか、「父母の日」が好きですか、(父母様が好きです)。これで、「父母様と歴史的な勝利」という題目になります。 「父母の日と歴史的な勝利」という言葉はあまり良くないのです。しかし「父母様と歴史的な勝利」という題目で話すには、あまりにもタイトルが大きすぎるので、何か速くに感じます。 環境の中には主体と対象がありますが、主体と対象が一つになっても、そのままでは滅んでしまうのです。どんなに愛し合った美男美女が結婚して、一つになって永遠に生活しようとしても、それは宇宙に通じないのです。すべてに相対関係があるからです。家庭を越えて国家があり、国家を越えて世界があり、世界を越えて天宙があるのです。このことを一般の人々は知らないのです。そして、神様はその上にいらっしやるのですが、神様で終わりでしょうか、神様の上に何かがあるでしょうか? 神様の上に真の愛があるというのです。このような話をするので、「文総裁は思想的に混乱を起こす人だ」と言われるのですが、どんな混乱を起こしても、ほほえみつつ自分の行くべき道を確実に行き、成すべきことを必ず成しておけば、その混乱は人類において必要なものだというのです。 では、神様の愛は絶対に必要なのでしょうか、どうですか? 絶対的なものは二つあります。愛も絶対的であり、神様も絶対的であるというのです。絶対的なものが二つあっても、同等であれば大変なことが起こります。 「女性が大きいか、男性が大きいか」と言って、女性が男性の前に立てば、ちょうど男性の顎に女性の頭がぴったり合うようになっているのです。それが天地の道理なのです。絶対的な神様ご自身と、その神様の前にある絶対的な愛のどちらをより絶対的に要求するでしょうか? (愛です)。女性という言葉は絶対的ですが、その前に愛があれば、絶対視しなければならないのは愛のほうなのです。 皆さん、男性と女性はどこから来たのかというと、神様から来たのです。ですから男性において絶対的に必要なのは女性であり、女性において絶対的に必要なのは男性なのです。女性において宇宙的な奇跡とは、男性が存在するということなのです。それは歴史の上で最も偉大なことであり、聖なることであり、奇跡中の奇跡なのです。また、どんなに立派な男性がいても、その男性にとって奇跡中の最大の奇跡は女性が存在するということなのです。このような話をすると、女性たちは気持ちがいいでしょう。 (はい) 女性たち、よく男性と喧嘩をしますか? (しません)。しようとはするのですが、喧嘩をしても負けるのですね。女性同士で喧嘩をすれば勝つかもしれませんが、女性は男性と喧嘩をすれば、一OOパーセント負けるのです。ですから女性は喧嘩が嫌いなのです。 世界の五十億人類の半分の二十五億の女性は、もし男性が世界に一人しかいないと考えてみた場合に、女性たちは喧嘩をするでしょうか、しないでしょうか? 喧嘩をしないという女性がいるならば、一度喧嘩をしてみなければ夜眠ることもできないのです。しかし喧嘩をする前に、お金で一人の男性を得ることができるならば、財布の中のお金、貯金通帳の中のお金、家にあるお金、すべてを出してもよいというのです。もし、その男性が取り引きされた場合には、その値段はどのくらいでしょうか? だんだん値段を上げていった場合に、黒人、白人、黄色人たちの中で、「白人たちは上げてはいけない。黒人たちは奴隷だ。黄色人たちは皆集まれ」と言った時に、一番最後に誰が勝つと思いますか? 数の多い女性が勝つのです。黄色人が残るのです。 また、二十五億の男性の前に現れた女性が、もしお母さんであれば、そのお母さんの価値はどれほどでしょうか? 考えてください。それは、奇跡中の奇跡だというのです。お母さんの目一つを見ても奇跡中の奇跡であり、女王様の目なのです。触りたいし、つまんでみたいし、千年、万年触ってもまた触りたいというのです。これは深刻な問題です。これは遊びの気持ちなどで言えることではありません。そのような課題を一度小説に害いてみてはどうでしょうか? 自ら美しいと思う女性たちは、なぜ二十五億の男性たちが私を探して来なければならないと威張るのでしょうか、何のために女性は大騒ぎするのでしょうか? それは愛のためです。愛がどれほど価値のあるものかというと、愛には戦争をなくし平和にする力があるのです。では、男性と女性は互いに何でもって愛し合うのでしょうか? それは、目と鼻と耳と口の四つです。そこで男性と女性の心が平和になるのです。愛の調和によってそのようになるのです。そして女性が貴いか男性が貴いかというと、愛が貴いというのです。ですから愛のゆえにさまざまな問題が起こるのです。そうですね、黒人の食口たちも先生の言うことが理解できますか?(少し、理解できます)。 どんなに素晴らしい男性も女性も、相手が好きなのではなく、その相手が好む愛が好きなので、どんな男性も女性も互いに愛し含うようになれるのです。平和の内容、幸福の内容、自由の内容が愛の中に潜んでいるために、愛を離れた平和はなく、愛を離れた幸福はなく、愛を離れた自由はあり得ないのです。では、そのような平和、幸福はどこから出発したのでしょうか? 心と体が一つになる以前に、「ああ、私は幸福である」と言えるでしょうか? 結婚式をする前には、新婦は新郎の前に立つと胸がどきどきするのです。しかし愛の関係を結んでしまえば、妻が大の字になって寝ていても夫は逃げ出さないのです。 絶対的な神様も愛なくしては生きられない 愛の関係を結べば所有権が決定され、男性の所有は女性の所有になり、女性の所有は男性の所有になるのです。それは何のためかというと、愛のためなのです。私の夫という言葉も、私の妻という言葉も、何をもって言うのかというと、愛を前提にしていう言葉なのです。女性という言葉は男性を考えて、男性という言葉は女性を考えていう言葉なのです。私の夫という言っても、私の妻という言葉も、愛を前提とした言葉であることを多くの人々は知らないのです。女性として本当に自分の夫を愛することのできる人はどんなに幸福であり、男性として本当に自分の妻を愛することのできる人はどんなに幸福なことでしょうか、先生の場合はどうですか? 先生は幸福な男性でしょうか、不幸な男性でしょうか? 私の妻は幸福な女性でしょうか、不幸な女性でしょうか? (幸福な女性です)。なぜですか? (愛のためです)。 自分のすべてを捧げて一OOパーセント愛するところに、妻があり夫があるのです。ですから、愛という言葉はありがたいものです。耳と口と鼻と耳、これらすべての細胞はいかなる時に一つになることができるのでしょうか? 目も焦点が合わなければなりません。焦点を合わせてこそ気持ちよく何でも見ることができるし、焦点が合わなければあらゆるものが崩れてかくのです。前後上下左右が合わなければなりません。人間が歩く時も、手と足が交差するようになっています。口も焦点が合わなければ、言葉がよく出てこないのです。耳も最もそうです。すべて焦点が合わなければなりません。ですから愛し合う者同士は、まず目と目が合うというのです。男性と女性は何を合わせなければならないかというと、一つになるにはまず気持ちを合わせなければなりません。心が統一されなければ行動が生まれて来ないのです。 そういう意味で、統一教会とは偉大な言葉なのです。教会を統一するということは、文化と思想を統一することであり、そのためにはあらゆるものを統一しなければなりません。それで統一教会の人々は、焦点を合わせて話さなければならないのです。その論理は何を中心としているかというと、愛とは変わらぬものであり、絶対的な神様ですらも愛なしには生きることができないからです。 そのような神様の存在には、何かの理由があるでしょうか、ないでしょうか? 神様が人間の父親であれば、男泣きするでしょうか、しないでしょうか? 男が雄牛のように泣いている姿を見たことがありますか? 父母が亡くなった時、子供が亡くなった時、愛する相手が亡くなった時に男は泣くというのです。一番悲しい時、一番うれしい時に泣くことは、それは極と極の二つの世界を通して、永遠に回る愛の舞台となるのです。 愛の嫌いな人は手を挙げてみなさい? (……) いませんね。ここにいるおばあさんもそうなのですか? もう六十歳も過ぎたのに愛が必要なのですか? 愛を中心として泣くことには終わりがないのです。うれしくて泣くその泣き声には終わりがないのです。そうですか、そうではありませんか? 愛を見たことがありますか、ありませんか? 見たこともないのになぜ愛が好きなのですか? これは大きな問題です。 皆さん、心はありますか、ありませんか? 心を見たことがありますか、ありませんか?(ありません)。見たこともないのに「心がある」と言うのです。もし、「心がない」と言えば、どんなに気持ちが悪いことでしょうか。女性として、「そのようになって、お嫁にも行かずに…」と言われたら、どんなに悲しいことでしょうか。男性はいつどこに行っても結婚できるけれど、女性はそう簡単にはいかないのです。 神様の創造の動機は愛から始まった 人間の存在の根源はどこでしょうか? 環境から相対的な世界をつくられて、互いに和動するようにしておかれたのが神様のみ業なのです。そのようなみ業を行うようになった動機は何かというと、それが愛なのです。愛の原理がぺアシステムを通して創造された博物館がこの世界なのです。ですから被道世界はすべてぺアシステムになっているのです。ペアシステムになっていないものは何一つありません。万物の霊長としての人間は、万物世界の王として君臨しており、その人間がぺアシステムになって愛し合う時には、すべてがそこに歩調を合わせようと踊りを踊るというのです。それは、すべてが愛のゆえに生まれたからです。 神様が一番必要とし、一番好まれるものはお金でもなく、知識でもなく、権力でもありません。唯一、愛のみです。そして男性が一番好きなものも唯一、女性なのです。ですから男性の中で、女性が嫌いだという人はいません。では、女性が一番好きなものは何でしょうか? それは男性です。男性が一番好きなのです。それはなぜかというと、男性の背後にある愛を中心としてさまざまなことが起こるからです。神様がアダムとエバをつくる前に、愛とはこういうものだという概念があったからです。しかし今日の哲字世界においては、概念と実際が二つの流れになっているのです。ですから歴史過程において、イエス様を中心としてどんなに被害を受けてきたかしれません。これらが一つになるという論理を、この字宙の創造原則がその中にあるということを知らなかったからです。見えない心、見えない愛がそこにあるということを知らなかったからです。 男性と女性は目に見えない愛を中心として一つになるために、愛の実体としてつくられたのです。ですから、愛を中心として一つになることができるようになっているのです。見えない愛の影に従っている見える実体が存在するのです。見えるものと見えないものがどのように一つになるかといえば、心と体がどのようにして一つになっているかということを見れば分かるのです。それは、真の愛を中心として一つになるのです。お金や知識ではありません。統一教会の人々は真の愛についてよく知っているでしょう? (はい)。自分の命を犠牲にし、投入して投入して、投入して忘れて、さらに投入しようとするところに真の愛が始まるのです。それで聖書には、逆説的な論理が次のように記されているのです。「死なんとするものは生き、生きんとするものは死ぬ」と。 皆さん、真の愛が何か分かりますか? 真の愛の位置にぴったりとサイクルを合わせると、喜ぶようになっているのです。ラジオも一つの周波数にダイヤルを合わせると、音波を通して放送が聞けるようになっているのです。 さて、目に見えるものが中心でしょうか、見えないものが中心でしょうか? 我々人間は、見えない良心が中心になっているということを知らなかったのです。それで、今まで見えないものが先か見えるものが先か、唯心論が先か唯物論が先かという問題を中心として戦ってきたのです。これらすべて一つにしなければなりません。偽りの愛は、すべてを迫害して決裂させるのです。しかし真の愛は、一つにすればするほど統一されていくのです。私たち統一教会の人々はそのような力を持っていますか、会えば会うほどに分裂しますか、どうですか? 変わることのない愛こそが真の愛である きょうは「父母の日」ですが、真の父母とはどういう人でしょうか? お金を多く持っている人であればいいですね。おなかが空いた時には、思いどおりに食べさせてあげられるからです。貧しい生活が続く時、一度でもいいからおなかいっぱい食べてみたいと思うのです。それはどんなに素晴らしいことでしょうか? しかし、問題はそこにあるのです。食べた後に、食べたことを忘れてしまうからです。皆さんは今まで何千回御飯を食べてきたか知れないのに、それらのことをすべて忘れてしまったでしょう。しかし真の愛を一度経験すれば、何億年たっても忘れられないのです。 韓国の人はトウガラシを食べ、キムチを好みますが、西洋の人はハンバーグが好きであり、日本の人はお汁粉が好きなのですね。このように、生活の中で一番身近な食物も環境によってすべてが違ってくるのです。しかし愛においては1OOO年前の人々であれ、一万年前の人々であれ、東洋人であれ、西洋人であれ、すべてが同じなのです。 では、変わる内容がたくさんあるものに価値があるでしょうか、変わらない内容がたくさんあるものに価値があるでしょうか? 宝物を見てください。例えば、黄金は変わるものに価値があるのでしょうか? 黄金は色において変わらなです。ダイヤモンドは何をもって価値があると思いますか、変わるからでしょうか? きょうはこのように、明日はこのようにと変わるからでしょうか?女性の心はよく葦のようだと言われているのは、常に変わるからです。そのような中から宝物を探し出すことができるでしょうか? 移り変わるこの世界において、ダイヤモンドは変わらない色を誇るのです。黄金は変わらない光を持っているのです。なぜ真珠が貴重かというと、真珠は和合し融合する変わらない色があるからです。真珠は子供たちも、おばあさんたちも、みんなが好きであり、触りたいと思うのです。そこには一〇〇〇年過ぎても変わらない色があるのです。宝石は変わる性質がより少ないほうに価値があるのです。では、愛においてはどのような愛が最高の愛なのでしょうか? 誰かが来て壊そうとしても壊れないダイヤモンドのような愛でしょうか? 黄金は軟らかいけれどもその色においては何ものにも負けないものであり、春夏秋冬が過ぎて一〇〇〇年たっても変わらない色でもって、王者の立場に立っているのです。変わるものはすぐに上がったり下がったりするのですが、変わらないものは上がったり下がったりしないのです。人間も同じです。 人間も変わらない人を願うのです。そこで、変わらない男性、変わらない女性をどこから探し出すかということが問題です。そのような男性も女性もいないのです。朝はカルビが食べたい、お昼には味噌汁が飲みたいと言うのですが、愛だけは変わらないのです。愛はさまざまな色にもなりますが、原則的な面では変わらないということです。ですから愛する夫が妻に対する接し方は、1000年前でも、一万年前でも変わらないというのです。また、愛する妻が夫に対する態度も、億万年過ぎても変わらないのです。自分の良心も、生活姿勢もそのようになるのです。ですから誰でも、「あなたは、本当に私を愛しますか」と言った時に、「あなたに心と体をすべて捧げて愛します」という言ってを聞きたいのです。 では、女性に聞いてみます。 「あなたはどこから来ましたか?」 )アメリカのテキサスから参りました)。テキサスの両親の愛は変わらないので懐かしいでしょう? (はい)。なぜお父さんお母さんが好きかというと、その愛が変わらないからです。ですから、両親は貴い存在だというのです。神様の愛は億万午過ぎても変わらないものであり、それと同じように変わらないお父さんお母さんとして、神様の愛を壊かしむからです。その愛に頼りたいし、その生命に接ぎ木されたいし、その因縁の中に抱かれたい我々の心が、日空局の愛を追求していくということです。人間はそのような愛を壊かしみ共に住みたいという本質的な内容があるゆえに、そのような貴い愛を探し求めて笏律しているのです。 変わらない父母の愛 それでは、この世の中で貴い愛が何種類あるでしょうか? 愛の種類を中心として見た場合に、何がこの世の中で貴い愛でしょうか、皆さんの家庭の中には何がありますか? 兄弟の愛、夫婦の愛、父母の愛があるでしょう。家庭の中には血肉を分かち合った兄弟の愛があるのですが、社会に出てみた時に、自分の兄弟以上に近い人はいますか? しかし兄弟は、いずれはそれぞれに別れるのです。その次に、父母の前には子女の愛があるのです。その次は夫婦の愛です。この四つの愛が問題なのです。それで、父母、夫婦、子女、兄弟愛の中でも変わらない愛は何かというと、父母の愛なのです。子供たちが学校から帰って来ると、必ず「お父さんお母さんどこにいるの」と捜すのです。兄弟は年齢的に見ても近く、遊ぶ時も)緒の時間が多いにもかかわらず、学校から帰って来ると、必ず「お父さんお母さん、どこに行ったの」と聞くのです。 このように父母の愛が一番であるとすれば、夫婦の愛はどうでしょうか? 変わるところが多いでしょうか、変わらないところが多いでしょうか? 統一教会の祝福を受けた家庭は、子女を愛する以上に夫婦が愛し合う時に、その家庭の主人は、お父さんお母さんではなく、愛が主人となるのです。愛はみんなが好きなものであり、そのような変わらない愛に従いたいというのが、歴史過程を通して全人類が求めてきたものなのです。 ですから、統一教会の教理を家庭の中に、変わらない愛を再考の根っことして降ろしておいたのです。これは私が賢いから言うのではなく、天の真理がそのようになっているのです。私がそのような内容をつくったのではありません。天の真理がそのようになっているのです。今までそれを知らなかったために、定着することができなかったのです。ですから、統一教会の人々は、どうすれば定着できるかということをよく知らなければなりません。変わらない愛の中でもより変わらない愛があるという時には、人々はその愛に従っていくようになっているのです。また、天運もその愛を保護するようになっているし、神様もその愛に会いたいと思うのです。すべてがその愛に通じるようになっているのです。神様は統一教会を愛しているし、神様は文総裁を愛しているのです。 政治をする人々の心は朝に身に変わるという話がありますが、統一教会の文総裁は変わりますか、変わりませんか? (変わりません)。牢獄に人っても、七十年間さまざまなことがあっても、昔も今も変わりなくやっているのです。)本道なのです。私は、変わる人は好きではありません。統一教会の人たちはどうですか? 神様も変わる人が好きではないのです。変わるものは皆が嫌うのです。愛においても変わらないものが真の愛なのです。どんなに変わるように工作しても変わらないのです。どこに行っても変わることがないのです。何の話か分かりますか?神様の胸の中に秘められた愛は変わることがないのです。それがゆえ、この手苗はその愛に従って生きようとするのです。そこから離れようとはしないのです。 今日まで、統一教会の文先生にはどんなに多くの曲折があったことでしょうか? 私はそのような過程を経ながら、高い山に登る時は「やあ、万歳」と言い、低い谷間に入る時は「ああ、死にそうだ」と言いながら生きてきたと、皆さんは思っているでしょうか? そのようにしてここまでやって来たとすれば、それは問題です。どうですか? 文総裁は変わる人ですか、変わらない人ですか? (変わりません)。ですから、すべてが変わる問題多き比の中で、私はアメリカに行って、「悔い改めよ。でなければ滅んでしまう」と言ったのです。 家庭の中で一番変わることのない愛の実体は、お父さんお母さんであり、歴史上においても父母が嫌だと言う人は一人もいないのです。そうですね? よく父母のいない人を孤児だと言うのですが、兄弟のいない人を孤児だとは言いません。一人暮らしをしているからといって、その人を孤児とは言わないのです。孤児という言葉は、お父さんお母さんのいない人に対して言う言葉です。なぜかというと、変わらない愛との関係を結ぶことのできる主体と対象の相対suな立場と、創造理想として立てられた主体と対象圏を失ってしまったためです。 大韓民国の家庭に、父母がいるとすれば、その父母の愛と一つになることによって、その人は愛国者にも通じるようになるのです。愛国者に通じる道があり、さらには聖人の道理があるのです。孤児の立場で一人暮らしをしている人は、父母に侍ることのできない人であり、王様に侍ることのできない人であり、忠臣になることのできない人です。聖人とはどのような人かというと、世界の人々に侍ることができる人です。父母の愛に接した人は、世界を愛することができるのです。それは、父母の愛よりもこの世の愛のほうがより変わりやすいからです。 このように見た時に、今日、統一教会では「真の父母」と言っていますが、なぜ真の父母を必要としているかということが問題なのです。私たちは、変わらない父母の愛を受けることができなければ、幸せを探し出すことができず、自由を探し出すことができず、平和の世界を成就することができないのです。皆さん、父母と自分とは縱的関係なのです。兄弟が多い人は、互いに父母の愛をより多く受けようとして戦っているでしょう。そうですね。そのようなことからして、アダムとエバが生まれた時、愛の主体の神様の前に、天使長が競争心を持ったということも原理からみて推測できるのです。 このように見た時に、親子関係において問題が起こったのではなく、兄弟関係において問題が起こりました。その次に親戚関係において問題が起こったのです。親子関係の問題に比べて夫婦間の問題は、二十代を越えて情的基盤を通して起こる問題なのです。親子関係は生まれながらのものなのです。親子関係は宿命的な因縁であり、夫婦関係も運命的な因緑なのです。宿命的である限り切り離すことができません。ですから、もし裏切り者の息子として生まれたならば、その人がどんなに美男子であっても裏切り者の息子なのです。そうですね? 博土の学位を百10個持っていたとしても同じです。そのような宿命的な因縁を乗り越えるものは、愛の道以外にはありません。不変なる愛の道のみが可能なのです。変わることのない愛の道に一番近いのは、親子関係という宿命的な因縁なのです。分かりましたか? 私たちは、父と母とを切り離すことができますか? どんなに気持ちが悪くても切り離すことはできません。たとえ天と地を引っ繰り返してもできないことです。このように見た時、変わらぬ愛の主体者として神様がおられたにもかかわらず、どうして人類は父母とその愛の根源から離脱して落ちてしまったのかということが、今日まで誰にも分からなかったのです。それが問題なのです。 私たちの父母の立場に不変なる神様がおられるのならば、その父母と子女の間は宿命的な離れようとしても離れることのできない関係なのに、どうして離脱してしまったのでしょうか? お金のために離脱したのでしょうか? (違います)。知識のためにそのようなことが起こったのでしょうか? 知識でもありません。権力でもありません。では何でしょうか? それは愛の間題しかないというのです。 まず長子権復帰をアダムとエバと天使長は、それぞれのレベルにおいて互いにより高い愛を先に受けようとしたのです。そうですね? 皆さんも父母の愛をより多く受けようとするようにです。この堕落した世界では父母の愛よりも、その財産を受けようとしますが、それでは遠からず滅んでしまうのです。財産よりも、より高い父母の愛を相航したいと思わなければなりません。一番深い父母の愛の軸に自分を縦的に立てて祝福を受けることを願う人は、その位置代でもって、文氏であれば文氏、大韓民国の民族であれば、韓民族全体を動かすことのできる軸になるのです。ある家系の代表となるためには、長男の長男でなければなりません。韓国にはそのような長男の長男の歴史があるのです。神様の真理の歴史において長男の長男は、堕落と関係のない曲統でなければならないのです。堕落と戦って勝刊したイスラエルであるということです。人類歴史において、勝刊したという言葉を中心として考えた時に、召された者たちが宗教の道を開拓するために身悶えしながら、一体何に勝和したのでしょうか? ヤコブがヤボク川で天使と相撲を取って騰ったということではありません。ヤコブは腰の骨が打たれて折れたのにもかかわらず、戦って勝刊したことによって、歴史を代表し、人類を代表するようになったというのです。人間の道理を超越して、天を代表し、天運に合わせて、あらゆるものを和合し、融令する内容において勝刊したということなのです。ヤコブは天使と相撲を取って勝利しましたが、その次は誰に勝刊したのでしょうか? エサウに勝利しましたね。そうですね? この二人に勝和したのです。ヤコブはエサウからパンとレンズ豆で長子権を買って、イサクからの祝福を受けたのです。お兄さんから長子権を貫って、お父さんからは祝福を受けたので、「すべて私のものです」と舌口えるのです。ヤコブが母と組んで父だ-,と兄を編して祝福を奪ったという歴史が、聖書の中になぞのように善かれているのです。そのことが非倫理的な行動であるにもかかわらず、神様がなぜ協助したかということを今まで誰も知らなかったのですが、今回、四月十日の大会で、お母様の講演を通してすべてが示されることでしょう。世界がびっくりすることでしょう。既成教会の牧師たちも、信徒たちから質問されても答えることができない内容なのです。 神様はなぜカインの供え物を受け取らないで、アベルの供え物を受け取ったのでしょうか?兄の供え物は先に捧げられたにもかかわらず、なぜ受け取らなかったのでしょうか、何と答えますか? イサクがヨセブの息子のマナセとエフライムを祝福する時に、手を交差して祝福したことはどのような意味があるのでしょうか? ヨセブが「お父さん、手が違います」と言った時に、イサクは「いや、それは知っている」と言ったのです。また、なぜエジプトにおいてイスラエル民族だけを残して、すべてのエジプトの長子たちを打ったのでしょうか? また、ヤコブとエサウはおなかの中から互いに戦いましたが、リベカが「神様、なぜ私のおなかの中で人が戦っているのですか」と聞いた時、神様は「おまえのおなかには、二つの国があって大きな者が小さな者に侍るであろう」と言われたのです。これは何を意味するのでしょうか? 神様は、本質的に長子を嫌う伝統を持っておられるというのです。なぜかというと、このことを解決しなければ歴史を正すことができないのです。歴史が間違ってしまったからです。 今まで、次子を立てて長子権復帰をしなければならないということを、歴史を通して明らかに示したのはレバレンド・ムーンだけです。まず長子権復帰です。引っ繰り返った父母の立場を正しく立てておかなければなりません。ですから父母権復帰をすることによって、長子権、父母権を一つにして、王権を立てるはずでしたが、サタンを中心にした王権に31つ繰り返されてしまったのです。それを再び取り戻さなければなりません。下が上に行き、上が下に行かなければなりません。上下が下上にならなければなりません。下が上に行かなければならないのです。また、左と右が逆になったので、右と左のIllにならなければなりません。さらに、赤と白の順になったので、白と赤の順にならなければなりません。 しかし、父母という言葉や天地という言葉は正しいのです。それは、縦約だからです。左と右が逆になっているので、左が右に行き、右が左に行かなければならないという論理を、今まで誰も知らなかったのです。人間の良心はそれを吉日するために文化史の中に言葉として残してきました。それはなぜかというと、赤が白よりも先に来るのは危険なのです。白と赤が逆になってしまったのです。逆になってしまった世界を再び正さなければなりません。そのために、右は左に左は右に行こうとするので、交差点において互いに自分の世界を否定しながら再出発しなければならないのです。左は右に、右は左に行かなければなりません。それは、完全にゼロになるためです。ゼロになるためにはあらゆるものを否定し、捨てなければなりません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.03.24
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第16回新統一韓国平和フォーラム(2022.3.25)第16回新統一韓国平和フォーラム(2022.3.25)午前9時~(韓国語のみ)ヒョジョン文化院文化ホールとtv.peacelink.live(オンライン)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.03.24
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私の2021.12.23の「火傷」から丸3ヶ月が過ぎました。私事(火傷)--ママさん・子供に感謝 | 奇 知 外 記 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)火傷の後、近くの病院で一時的な処置をしたものの、入院も視野に入れての治療が必要だということで総合病院の紹介を受けました。翌日に紹介された病院へ行き入院か通院かの微妙な診断でしたが、個人的に入院拒否の意向で通院で治療することとなりました。通院も週一回から2週間ごと、3週間ごとに…。ところが、それが返ってママさんに負担をかける結果となってしまいました。火傷の傷口からばい菌が入るのではとの懸念もしながら、最初は朝晩2回の薬を塗っては包帯の巻替えが3週間だったでしょうか。それ以降は、一日1回のそれが3ヶ月目の今日まで続いています。ここ数週間前からようやくに火傷の傷口に皮膚が付き始めてきましたが、ママさんの看護に寄り添いながらの日々がもうしばらく続きます。ママさん、ありがとう!!一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.03.23
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「お母様の御言」真のお母様をお迎えして一九九二年十二月十日日本・東京教会にて 神様の創造の世界 皆さんにお目にかかれて本当にうれしく思います。 ここにいる人の九〇パーセント以上が女性ですね。東京大会から始まった十か都市の大会を終えて、私は今回、何か月ぶりに戻って来たのでしょうか? 多分、二か月もたっていませんが、たびたび会えるようになりましたね。先ほど金補佐官から、二十二年間もご父母様に会うことをひたすら待ち続けていた青年がいたという話を皆さんは聞きましたね。韓国での四月十日の世界平和女性連合の大会に始まり、日本、アメリカ、ヨーロッパ、ロシア、オセアニア、そして昨日、フィリッピンを経て、一一二か都市で講演をして帰ってまいりました。これは、全世界を一周をしたことに匹敵します。(拍手)ありがとう。しかし、父母様はまだアフリカ州には行っていないのです。そこには、新しい食口たちがたくさん成長しています。そして、父母様がこられる日は今か今かと首を長くして待っているのですが、そこには行くことができませんでした。 東西両陣営が冷戦で対立していたそのさなかに、私たちは早くから東欧共産圏において宣教を開始してまいりました。今日のような自由な世界を迎える前に、東欧共産圏の圧政の中で獄中において命を絶った食口がいたことを忘れることができません。世界を巡回しながら、特にそのような宣教の歴史を知っている私としては、東欧圏の兄弟姉妹たちと手を取り合って泣きたいような感慨深い時がありました。各国においては短い一日、二日の滞在期間でしたが、食口たちがどれほど喜んで、復活して、そして、聴衆が生き返っていくそのような姿を見た時、正に天の大いなる役事を感じることができたのです。 今日のように女性連合を中心として、女性たちが先頭に立って女性としての活動をしていくことは、二十年前には想像することすらもできませんでした。昨日、私は責任者たちに短い時間でしたが、私の経験の一端を話しました。 ここに集まった皆さんの九〇パーセント以上は女性なので、男性の持っていない女性の特性についていくつかの話をしてみたいと思います。まず、神様の創造を考えてみましょう。神様は一人でおられることには満足できず、創造を始められました。鉱物、低級な微生物から植物、動物、人間世界まで創造されていった過程を私たちはよく知っていますが、最後にアダムを創造された神様は何とおっしゃいましたか? 神様はアダムを創造されたあと、それを見て善しとされましたが、それで満足されたでしょうか? 皆さん、考えてみてください。 ある彫刻家、芸術家は、自分の構想を実体化させるために、自分の持てる全身のエネルギーを投入し、自分のすべてを投入するのです。そして自分が構想していたものができ上がるまで、何度も何度も創作を繰り返しながら構想を実体化させることによって、彼らは満足するのです。ですから彫刻家や芸術家たちにとっては、自分の全身全霊を込めてつくり上げた作品は、自分の命よりも貴いものなのです。 では、神様の創造はどうでしょうか? 神様はアダムを創造された後に、彼が一人でいるのは好ましくないと思われて、エバを創造され、それを見て良しとされました。 そのようなみ言によりますと、神様の最終的な傑作品は男性なのでしょうか、女性なのでしょうか? 答えてみてください? ここには女性が九〇パーセント以上もいるのに答えられないのですか? (女性です)。皆さん、プライドを持ってください。神様はそのように全身全霊を込めてつくられたアダム・エバを見ながら、満足され、喜ばれて、さらに彼らが日に日に成長していくことにどれほど希望を感じられたことでしょうか? 皆さんは、創造原理を通して神様が二性性相の主体であられ、男性格としておられるということをご存じだと思います。ですから神様は、エバが日に日に成長する姿を見て、どれほど夢を膨らませておられたことでしょうか? 皆さん、想像がつきますね。 皆さんも子供を身ごもり十か月の間、おなかの中で精誠を込めて育て、生まれる時には全身全霊を投入して、死ぬような思いをして子供を生みます。そしてその子供が本当に五体満足で健やかにすくすくと育っていく時の喜びを感じたことでしょう。 皆さんが、少し家を空けるような時に、子供が何か間違ったものを食べたり、あるいは病気や怪我でもするのではないだろうかと外出中、自分の全神経は子供に向かっているということを、皆さんは経験していらっしゃることでしょう。 そのような心は誰に似た心でしょうか? その心は神様に似たのです。ですから私は、神様の摂理と真の父母様の路程を考える時、泣かずにはおられないのです。皆さん、そのようにあらゆる精誠を込めて創造した人間始祖のアダムとエバが堕落した時の神様の心情を想像してみてください。私たちの子供が、成長するにしたがって親の言葉を一つひとつ拒んでいった場合に、その時、親はどんなに痛みを感じることでしょうか? 人間の親であってもそのような痛さを感じるのに、神様の心情が人間に劣っているでしょうか? 全知全能なる神様が、全身全霊を込めてつくられた人間が堕落した時、その子供を生かすことも殺すこともできなかった神様の絶望感を皆さん想像してみてください。 人間の始祖が堕落したその後も、彼らをそのまま放っておくことができないので、神様は復帰の歴史を成してこられました。神様が一歩一歩人間に近づこうとすれば、人間たちは何十歩も神様から遠ざかっていったのです。そのたびごとの神様の心情を、皆さん想像してみてください。 キリスト教の基盤とお父様 聖書では、人類歴史は六〇〇〇年と記録されていますが、それは、たったの六〇〇〇年だったでしょうか? その歴史路程において、神様はサタンを分立するために、個人から家庭、氏族、民族を立て、どれほど多くの涙を流してこられたことでしょうか? イスラエル民族を探し立てる時もそうでした。旧約聖書を見てみますと、本当に理解し難い多くの天の摂理がそこに記されています。神様は、イスラエル民族を立て、最後にはご自分の独り子を立てて、一つになることを願われていたのです。ところが、その民族を抱こうとされていたにもかかわらず、そのような難しい環境の中において探し立てたイスラエルの民は、そのことを知らなかったのです。イエス様を救世主として迎え入れることができず、侍ることができずに、十字架に付けてしまったことによって、イスラエル民族は、神様の摂理から遠ざかる民となってしまったのです。 そして神様は、イエス様の復活を通して、第二イスラエルともいえるキリスト教圏をつくり上げるために、どれほどの血と汗と涙の祭壇を築き上げてこられたことでしょうか? これらの歴史を言葉で語ることは易しいことですが、歴史の背後に隠れている神様の人知れないその痛みは、神様にしか分からないのです。その後、第一イスラエル民族は責任を果たすことができなかったために放浪の民となってしまいました。 しかし、神様がそれほどの血と汗と涙の祭壇を築き上げて探し出したキリスト教の歴史はどうだったのでしょうか? イエス様は十字架にかかりながら、「私は再び来る」と言われました。キリスト教は新婦の宗教です。二〇〇〇年間、神様は預言者や先知、先烈たちを遣わしながら、キリスト教を育てるためにどれほど苦労してこられたことでしょう。 今回、世界的に世界平和女性連合の大会を行うために、ヨーロッパを回りながら、その歴史と文化の発展史を見ました時、キリスト教の基盤がなければこの文化はなかったということを目の当たりにした時、私の胸は張り裂けるばかりの思いがしました。皆さんの中で、ヨーロッパを訪ねた方がいれば分かると思いますが、ヨーロッパには九〇〇年前の勇壮で大規模な彫刻を飾った大聖堂がたくさんあります。今の時代は月にも行くことのできる宇宙時代を迎えていますが、九〇〇年前に建てたこれらの大聖堂を再び真似て建築することは難しいのです。 そこには、多くの聖堂が高く高くそびえていましたが、それは何を物語っているのでしょうか? それほどに神様を敬い慕う心があったというのです。大聖堂をどこまでも高く建てる、それほどまでに神様に出会いたいし、それほどまでに再臨主が来られることを待ち望んでいた、そのような人たちは今はどこに行ってしまったのでしょうか? 今はただ、空っぽの大聖堂だけが姿を残しているのを見た時、私は胸が痛くなりました。 一方、我が統一教会の食口は、神様の内的事情や神様の苦労の背後を誰よりもよく知っていると自負できる立場にありますが、本当に神様の痛みの千万分の一でも体恤することができるかどうかが今問題なのです。 神様がそのように苦労を重ねて育ててきたキリスト教は今はどこかに行ってしまって、神様は新教の国家のアメリカを中心として次の摂理をされてこられました。一九五〇年代から六〇年代にかけてのアメリカのキリスト教は、世界を抱くことができたのです。このように苦労に苦労を重ねてキリスト教を育ててこられた神様の目的は、彼らがやがて来られる父母様を迎えてくれることを願われていたからなのです。そして、真の父母様を通してすべてを収拾しようとされてきたにもかかわらず、キリスト教は自分たちの使命を理解できず、再び過ちを犯してしまったのです。 もし一九五〇年代において、キリスト教がお父様を迎え入れていたならば、七年で世界を収拾することができました。そして、お父様が四十歳の時には、世界を一つの主権下で天のみ旨どおりに収拾できる基盤が立てられていたはずでした。しかし、韓国とアメリカのキリスト教が反対して、お父様を迎え入れなかったゆえに、神様が摂理上において与えて下さった機会を再度失ってしまい、お父様は仕方なく荒野路程を出発せざるを得なくなったのです。皆様がよくご存じのように、お父様は僕の僕、一番底から出発しなければなりませんでした。 神様の復帰歴史の中において、神様が手を下されたその人が失敗したならば、神様は再び用いることができないのです。しかし、何の基盤もない中においてもお父様が、神様の息子の立場において選び立てたその国は、神様が認めざるを得なかったのです。これがアメリカや日本なのです。ですからアメリカや日本の食口は、本当にご父母様の前に命懸けでみ旨を果たさなければならない立場にあるということを、今一度思い起こしてください。 皆さんが今、どれほど難しい立場におられるかということを、私は誰よりもよく知っています。私が歩んできた道も、死ぬしかないと思えるようなことが何度もありました。皆さん、お父様の路程を理解することはとうていできないことです。それと同じようにお母様の路程を理解することもたやすいことではありません。 お母様の七年路程 今回の女性連合の大会を通して、お父様が私を紹介する時に、十三人の子女を生んだことなど、いろいろと紹介をしてくださいました。女性ならば子供を生むということはみんながすることです。しかし、私の場合は少し異なります。霊的に熾烈な戦いがあったということを誰も知りません。サタンは自分が神様のみ旨を裏切ってからは、人間が神様に近づくことにあらゆる方法でもって妨害してきました。サタンは、このようにお父様によって真の家庭が復活して神様の前に出ていくことを、ただじっと見ていることに耐えられなくて妨害に妨害を加えてきたのです。 一つの生命を出産する度ごとに、熾烈な霊的サタンとの戦いをしなければなりませんでした。その度ごとに、死の峠を越えなければなりませんでした。一九六〇年代以降、お父様は私に母親としての七年路程を宣布されました。誰の手助けもなく自ら越えなければならない十字架の道でした。その時、私は誉進様と孝進様を生んだ後でした。サタンは、神様のみ旨である四位基台をどんなことがあったとしてもつくらせまいとして、ありとあらゆる発悪をしてきた、あまりにも難しい時でした。 その時、私は夢の中で、自分の姿を見ることができました。一人の子供の手を引いて、一人の子供を背負って、大きな荷物を持った私の姿でした。周りは真っ暗な世界で、私が行くべき道は全く分かりませんでした。ようやく一歩一歩、歩く子供を連れて、一人を背負って、大きな荷物を持って、一方は絶壁で、前方は薮で道が塞がる、そのような道なきところを一歩一歩かき分けていかなければならない私でした。ただ、心の中で、「行かなければならない、行かなければならない」と思いつつ歩き続けました。 苦労に苦労を重ねて歩んで、ある所まで行くと、向こうに光が見えてきました。それを見て希望を感じ、足を速めました。そして、あらん限りの力を尽くして、その光を放つ所にたどり着いてみると、そこは別世界でした。その土地は既に誰かが耕しておいたような肥沃な土地で、今種を播けばすぐ芽が出て実を結ぶと思えるような肥沃な土地でした。私が頭を上げて四方を見回すと、向こう側にお父様が立って笑っておられました。そしてさらに、はるか彼方には、食口の顔が一人、二人と見え始めたのです。 皆さんには、それが何を象徴しているのか理解できると思います。真の父母に一人ではなることができません。父と母がいなくては、子供は生まれてくることができないのと同じです。私が七年路程を成功裏に終えることを、神様がどれほど待ち望んでおられるかということを考えました。 一九六〇年代は、統一教会が復興されていた時であり、多くの食口たちが入教してきました。しかし、完全なる母親が立たなければ、そこに子女が立つことはできないということを見せてくださったのです。今でもその時の夢の場面を生々しく思い起こします。 皆さん、なぜ私がこのような話をするのかというと、それは皆さんが歩まなければ道が開かれないからです。正にこの夢と同じなのです。エバ国家としての使命を果たさなければならない運命にある皆さんなのです。エバは生みの苦痛を味わうしかありません。喜びは苦痛を通してのみ来るのです。皆さんが今どれほど困難な状況にあるか、その難しさの度合いによって喜びの大きさが決まるのです。 私はみ旨を理解し、お父様の前に従うようになった時、神様の前に誓いました。「私は神様の痛みを神様ほどにはよく分かりませんが、神様がアダムとエバを創造されて喜ばれていたその状態に人間たちを取り戻してみせます。そして、過去のエバの過ちを私一代においてすべて清算して、私の後代においては、神様は栄光の神様として喜びの神様としてのみおられますように」と、私は誓ったのです。そのように誓った基準が、私の困難な生涯の歩みの中で大きな力となりました。 エバの使命を果たしましょう 皆さん、お父様や私が成すすべてのことは、神様の協助の中でたやすく成せるのではありません。父母様も肉体を持っていることにおいては、皆さんと同じであり、父母様といえど、堪え難い時がたくさんあるのです。疲れもするし、おなかも空きます。しかし責任は皆さんよりも遥かに大きいのです。 お父様は、「私は責任をすべて果たした。これからいつでも私は霊界に行きたい」と度々おっしゃいます。しかし皆さん、お父様がおられないこの世界を考えてみてください。今、お父様は私たちと同時代に生きておられますが、お父様を理解できない多くの人たちがいます。お父様を知っている統一の群れにしても、お父様がこの地上におられて成されることは本当にご苦労が多いのですがその心は、お父様に一日でも一分でも長くいてほしいと願うのです。 皆さん、エバの使命を果たさなければなりません。今の皆さんに苦痛があるとして、それは生みの苦しみに匹敵するほどのものでしょうか? 皆さんは今、難しい中にありますが、もう少し頑張って、その成果を神様とお父様の前に返したその時の神様とお父様の喜びを考えてみてください。そしてお父様の口から、「このみ旨を広げるために、あなたたちともっと一分でも長くいたい」というみ言を聞ける環境をつくりたいものです。 ヨーロッパの文化や歴史を見る時、お父様が生きておられるこの時代に、私たちが成さなければならないことがあまりにも多くあるにもかかわらず、私たちの力がそこまで及ばないことに対して、本当に切ない思いがします。九〇〇年前に建て始めた大聖堂がまだ完成されず、今だに建築中だということを聞きました。 お父様の年齢は七十三歳ですが、これから何年間私たちと共にいてくださるかは分かりません。しかしお父様が生きておられる間に、私たちは未来の後孫たちに何かを残しておかなければなりません。霊界に行って後孫たちに讒訴されないそのような何かを残さなければならないにもかかわらず、今、何もできていない私たちの姿を見る時、あまりにも日のたつのが早いという焦りの思いしかないのです。先ほど私は、喜びとは責任を果たすということ、また苦痛を通してくるものであると言いました。 お父様の心情と神様の心情は、皆さんの今までの苦労をすべて知って、その苦労をねぎらって、今までの苦労がすべてないような立場において、皆さんを霊界に連れていきたい心情なのです。 歴史時代において、一度でも女性が男性をリードしてみ旨を推進してきたことがあったでしょうか? 今、皆さんが立っておられる立場は、今日までの神様の恨み、父母様の恨み、人類の恨み、女性たちの恨み、そのすべての恨みを晴らして、永遠に天の前に記憶される誇らしい立場なのです。それを考えてみる時、皆さんは今の立場が恐ろしくはないでしょうか? 皆さんは寝ても覚めても、食べている時でも、いついかなる所にいたとしても、常に神様のみ旨を成就する娘になるということを心の中に決意してくださいますことをお願いします。そして私たちが霊界に行った時も、父母様に侍って本当に和動することのできる席に同参できるような、今の私たちの生活となることを願います。 毎日、毎日の皆さんの生活は、み旨のために何度も、何度も死ぬと考えて覚悟してください。そして、神様の娘として、皆さんの態度は堂々と大胆でなければなりません。統一教会の信徒であるということを隠さないでください。真の父母様を証してください。全人類が真の父母様の懐に抱かれなければならないことを、皆さんが証してくださることをお願いいたします。 この道のみが全人類が生きることができる道であることを知らせなければなりません。昨夜、日本の報告を聞きましたが、苦痛を通して喜びが来るように、困難を通して勝利が来るのです。神様の摂理歴史がそうであるし、真の父母様が歩んでこられた路程がそれを物語っているのです。私の行く道だけが例外になることはできません。一瞬たりとも、皆さんは楽をしようとは思わないでください。このようなことを言わなければならない私の心中を察してくださることをお願いします。 残り少ないこの九二年を皆さんが最善を尽くして越えてくださることを願い、また希望に満ちた九三年を皆さんが、希望を持って迎えてくださることを願いながら、私の話を終わりたいと思います。 神様の前に、真の父母様の前に、皆さんの決意が定まったならば、立って宣誓していただきたいと思います。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.03.22
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「理想世界の主役となる女性」(お母様の御言)世界平和女性連合創設大会における韓鶴子総裁基調講演1992年9月24日東京ドームにて 尊敬する内外の貴賓の皆様。ならびに、世界平和女性連合、アジア平和女性連合の皆様。今日、このように各界の女性指導者の皆様がご列席の中、世界平和のために私の所信の一端をお話しできることを無上の栄光と存じます。きょう、私がお話し申し上げる題目は、「理想世界の主役となる女性」です。 今日の時代は、今、正にイデオロギーの障壁や言語、文化の違い、また人種の葛藤を越え、一つの世界に突入する重要な転換期を迎えています。 私たち全人類は今や、この地上からあらゆる戦争と抑圧と搾取がなくなり、ひたすら真の自由と平和と繁栄だけが約束される未来となることを念願しているのです。 今日まで、私の夫である文鮮明総裁が主唱してきた神主義の理念は、これまでの力の論理を基本とした男性たちによる激しい反対と迫害を克服し、脱冷戦時代の門を開く決定的な役割を果たしてきました。和解と協力を指向するこの歴史的な転換の時代に、私は神主義を基本とした永遠なる平和世界建設のための大原則を呈示し、未来の世界を開拓していくべき女性たちの指針としていただくために、文総裁が発表した頭翼思想と神主義を、いま一度、皆様にお伝えしたいと思います。 本来、神様は喜びを分かち合うために、愛する相対をつくられました。彫刻家が傑作品一つを作るために昼夜を分かたず、力を消耗し全身全霊を投入するのですが、その力は一体どこから出てくるのでしょうか? それは喜びを味わうために、愛の対象を創造された神様の心に似たからではないでしょうか。 存在する世界を見てみますと、鉱物界、植物界、動物界、人間世界までも、すべてがペア(対)になっていることが分かります。なぜ、すべてがペアになっているか、お分かりですか? お互いに、愛を中心として作用するためです。鉱物界では、プラス・イオンとマイナス・イオンが作用します。元素と元素同士が、互いにどんなものとでも結合するわけではありません。相対的要因が合わなければ、たとえ神様でも命令できないのです。その反対に、相対的要因が合う時には、神様ですらも止められません。次元は低いのですが、このように鉱物界の作用も、愛の創造理想のモデルになるようにつくられました。 それゆえ、真の愛の本質を中心とする時に、神様の心情と、人間の心情と、すべての万物、動物界までも、互いに通じるようになっています。皆様が、そのような世界に入れないのが問題なのです。深い神秘の境地に入るようになると、森羅万象がすべて友となります。喜びにあふれた愛の境地に入ると、自分が笑えば、すべての万物と神様までもが和動するのです。 皆様には、愛する夫や妻がいらっしゃるでしょう。どれくらい愛していますか? 愛する妻を十億、千億のお金と取り替えることができますか? 心から愛する夫を、天地のすべてをあげるからと言われて取り替える妻がいるでしょうか。 よく考えてみれば、男性は女性のために生まれ、女性は男性のために生まれました。すべてが、為に成そうとする真の愛のゆえです。男女が陰陽の調和によって、愛の理想を成すために、神様がそのように創造されたのです。真なる男女を通してのみ、統一的な真の愛を見いだすことができ、神様と人間も真の愛を中心として、統一が成立するのです。結婚とは、男女の絶対価値である真の愛を横的に連結したのちに、神様の縦的絶対価値である真の愛を占領しようとするものです。 このように絶対者であられる神様は、真の愛を絶対価値の中心として最高に尊い立場に立てられました。真の男性と真の女性と神様が真の愛を中心として完全に一つに統一されるところに、私たちの人生観、宇宙観、神観など、あらゆる問題の解決の糸口を見いだすことができます。 神様の真の愛は、投入してもまた投入し、与えてもまた与えて忘れる愛です。与えたという記憶が残っているかぎり、愛は無限に回ることはできません。愛は無限に運動するので、与えたという記憶がとどまっていてはいけないのです。与えまた与え続けても記憶に残っていないがゆえに、無限に湧き出て流れて行くのです。それゆえに、真の愛の行くべき道は、施しを受ける道ではなく、為に生きようとする犠牲の道です。ですから神様も、愛の相対を創造される時は、神様ご自身が為に生きようとする立場に立たれて、神様が所有しておられるすべてを一〇〇パーセント投入し、さらに投入したいというのです。なぜならば、愛する対象が自分よりも良くなることを願うからです。 このような心を持たれた本然の中心存在が、天地を創造された神様です。ゆえに、真の愛は、為に生きることにおいても一〇〇パーセント、一〇〇〇パーセント、すべてを与え、真空状態になるのです。空気でいえば、絶対低気圧が生ずれば、高気圧は自動的に発生し循環運動が行われるのと同じ道理です。そのために絶対的に為に生きようとするところには、台風のような無限の力が発動するようになっています。 親愛なる平和女性連合の皆様。「女は弱し、されど母は強し」という言葉があります。女性自体はか弱い者ですが、もしも女性が、母として愛の主体的立場に立ったり、また妻や娘として愛の中心的役割をなす時には、女性はこの上なく強くなります。なぜならば、女性が母、妻、娘として愛の主体的立場を取り、相対のために一〇〇パーセント与え尽くした時、その空白を神様の愛が埋め尽くしてくださるからです。神様の愛の能力が発動し始めるのです。だからこそ、女性であったとしても神様に似て、熱い愛の主体的立場を取るようになれば、その愛の偉大な力は家庭を生かし、国を生かし、世界を生かす驚くべき力として現れます。 神様はこのように、人間のための愛の主体的な立場におられて、与えてもまた与えようとなさる本性が、その作用を続けることにより、永存することができるのです。ゆえに、真の愛の道には永生の論理が成立するのです。神様の真の愛の同伴者としてつくられた人間が、神様の願いどおりに成熟し、絶対不変の真の愛を神様から相続していたならば、私たちの人間世界には根本的な統一の歴史が展開され、戦争や血を流すような悲惨な歴史はなかったでしょう。 真の愛を中心として、心と体が一つになれば、皆様は神様の愛の同伴者となり、永遠の対象になれます。そればかりではなく、神様の永遠なる愛を相続する者となります。愛の属性には相続権があり、同居権があり、また同参権があります。愛する夫が大統領であれば、たとえその妻が小学校しか出ていなくても、愛する夫婦の関係になれば、夫のものは妻のものとなり、昼夜いつでも共に同居することができるのはもちろん、同参する権限もあるのです。 愛にはこのように、相続権、同居権、同参権という偉大なる三大属性があるので、神様の絶対的愛、不変なる真の愛と一致した立場に立つようになれば、神様がおられるところに自分自身も参加することができ、いつでも同居し、同参することのできる権限を持つようになります。神様の悲痛なる心情を体恤した者は、道を歩きながらも突如として立ち止まり慟哭する、そのような体恤の世界があるのです。 堕落したこの世でも、母の愛は、もし子供が見知らぬ地で不慮の事故に遭えば、それが母の直感で分かるような場合がたくさんあります。寝ていながらもその名前を呼び、叫んで目覚めるのです。もし神様のような本質的な真の愛、千年万年も為に生き、さらにまた為に生きようという、そのような真の愛を、自分自身の心と体に、一〇〇パーセント吸収することのできる内容を持つようになれば、心には神様の真の愛の根が芽生え、神様が感じたすべてのことに通じ、体は自動的にそこに共鳴するのです。心の世界の真の愛を中心として、共鳴体になるように創造されたのが体です。心と体の統一世界を成すためには、神様の本質的な真の愛を回復すべき課題が残っていることを、知らなければなりません。 このような真の愛に共鳴する論理を中心として見た時、私たち人間がそこに一体化して、共同一体圏に入れば、神様の愛は自分自身の愛となり、神様の生命が私の生命となり、神様の血統が私自身の血統となり、神様の所有である被造世界が私の被造世界であるということができるのです。したがって、天下を抱く父と母の心を持ち、天国に入籍するようになっているのです。 それでは、愛が先ですか、生命が先ですか? それは愛が先であるというのです。なぜなら人間の生命は愛によって、愛の理想を中心として受胎したものなので、人間の生命の本質は正に愛なのです。それゆえに、愛を本質として生まれた生命は、「為に生きる」のが天理であり、人間は生まれた時から相手のために生まれたのです。 自分は自分のためにのみ生まれたとか、すべてが自分のためのみに存在しなければならないとするならば、決して愛の概念は成立できません。相手のために成し、他のために犠牲になろうとするところから、愛は誘発し始めるのです。家庭のために犠牲になる人は家庭の愛を誘発することができ、同志のために犠牲になる人は同志の愛を誘発することができるのです。他のために犠牲になれば、すべてを失うようですが、それは全く正反対です。むしろ愛の主体となり、すべての主人になるだけでなく、さらに高い次元に飛躍するようになります。 愛というのは、より大きなもののために犠牲になればなるほど、その愛の等級が高まっていくのが原理です。より大きなもののために犠牲になれば、それに吸収されていくのではなく、かえって、その大きなものの中心の立場に立って新しい次元を迎えるようになるのです。キリスト教が復活の宗教になったのも、「他のために犠牲になりなさい」と教えているからです。罪のないイエス様は死の十字架に向かう立場になっても、「わが父よ、わたしの思いのままではなく、みこころのままにしてください」と祈祷しながら、自分を槍で刺すローマ兵に対しても、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、分からずにいるのです」と、むしろ神様に懇願したのです。 これが正に、神様のように為に生き、犠牲になって生きた生涯の標本であり、復活の歴史をつくり出す起源となり、キリスト教の核心的伝統思想になったのであります。他のために命までも捧げ犠牲になる時に、さらに高い次元の命を得るようになっているのです。 親愛なる女性連合の皆様。私は、昨年十一月三十日、夫と共に北朝鮮を訪問し、金日成主席をはじめ、その他多くの指導者たちと会ったことを今振り返ってみますと、命懸けの冒険でありました。皆様もよくご存じのように、文鮮明総裁は、彼ら北朝鮮の指導者たちが最も怨讐としてきた宗教指導者であり、勝共指導者であったので、彼らは私の夫を抹殺しようと国内外において、あらゆる工作をしてきました。そのような所に、ただ神様のみを信じて行き、「主体思想では統一できない。神主義においてのみ、統一は可能である」と主張することができたのは、ただ真に、彼らを生かし「為に生きたい」という愛の心と、祖国統一の門を開くためならばどのような犠牲も甘受していくという、殉教の精神によるものです。「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きる」というみ言を実践されたのです。 真の愛こそが、地獄までも占領することのできる礎となります。皆様が真の愛を所有するようになれば、すべての悲しみや苦痛も、真の愛の中では、喜びに昇華されるのです。言い換えれば、この宇宙で個人的な権力、知識、財力などをもって主張する、それ以上の絶対的権限でもって残していきたいものが、人間本性からの要求である真の愛にほかなりません。 このような観点から見る時、歴史を通じて人間を救おうとされる神様の戦略戦術と、これに反対する悪魔の戦略戦術は正反対のやり方で行われてきました。神様の戦略戦術は「打たれて奪ってくる」作戦であるのに対して、サタンは「先に打って奪われる」のです。 思想戦を含めた第一次、二次、第三次世界大戦を考えてみてください。まず先に打ったほうが滅んでいきました。しかし、神様は奪われたからといって、彼らを殺して奪い返してくるのではありません。神様は宇宙の主人として堂々と現れ、「打って奪ってくる」能力を持ちながらも、逆に打たれてきました。父母は犠牲になることにより、親不孝者を悔い改めさせる道を行かれます。神様は天理の公道を立てるために、自らサタンを訪ねられ、主人が来たらこうしなさい、ああしなさいと、教えてくださいます。 しかし歴史的に見ると、教えるために出掛けて行った主人のほうが、むしろ打たれてきました。しかし、打たれた後はどうなるかご存じですか? 損害賠償まで受けてくるというのです。孔子も多くの迫害を受けました。イエス様は、ローマ帝国で反乱罪で追われ、殺されました。すべては歴史が過ぎ去ったのちに、聖人という名が付けられるようになったのです。その当時に聖人となった人がどこにいるでしょうか。 このように、彼らはその当時においては皆、悲惨に死んでいきましたが、歴史と時代を経ながら、少しずつ上がってきました。損害賠償を請求するのに、十年、二十年で終わらせてほしいとは言いませんでした。期間が延びれば延びるほど、世界を完全に占領するようになるのです。このように、神様は忍耐しながら訪ねて来られたお方です。「打たれて奪ってくる」戦略戦術を取られるお方です。悪なるこの世が全面的に迫害し破壊しようとすれば、神様のほうは天運を開き、すべてを取り戻して、跳躍させてくださいます。 神様は私と夫にも、そのような多くの体験をさせてくださいました。迫害を受けるということは、怨讐の所有権を相続する神様の秘法なのです。このようにして、神様が愛される人は、常に天運の保護を受けるのです。殺してしまいたいような怨讐がいても、神様はなぜ罰を与えないのかというと、彼らを愛するその父母や妻、息子、娘がいることをご存じだからです。神様こそ涙の谷間を越えて来られたお方であるので、その怨讐を、誰よりも愛する父母や妻子の心情を体恤される時には、鞭打つことができないのです。 そのような神様の心情を本当に感じるようになれば、怨讐を打つことができるでしょうか? そう思うと、逆に人を送り、怨讐を助けてあげなければならないのです。そうしてこそ、天理の大道であり、愛を中心として一つに抱こうとする、その道に自分自身が近づくようになり、そこでは天地も震動し、神様も涙を流されるようになるのです。ご自身に似たと、神様も喜ばれるというのです。このような立場で見つめられる神様なので、怨讐を愛しなさいという言葉が理解できるのです。そのような力が出て来る所は、知識でもなくお金でもありません。また権力でもありません。真の愛の中にのみあるのです。 真の愛を中心として、神様とアダムとエバが出会い、定着することができる交差点は、垂直と水平を連結した九十度の角度しかありません。この点は、真の愛を成立させる公式点です。神様は縦的な真の愛の父母であられ、アダムとエバは横的な真の愛を中心とした父母なので、このような二つの父母の愛と生命と血統を受け継いで生まれた自分の心は、縦的な私となり、体は横的な私となって、この縦的な「私」と横的な「私」が九十度の角度の位置で統一体となる時、人間は永遠なる神様の「真の愛の同伴者」となります。神様は真の愛と真の生命と真の血統を持っておられ、私たちもそこから出たので、私たちの中にも真の愛があり、真の生命があり、真の血統がなければならないのです。 人間は神様の真の愛を中心として、父子一体の関係を持って生まれたので、神様の心と体が真の愛によって自然に統一されているように、私たち人間の心と体も、真の愛によって自然に統一されなければなりませんでした。ところが、サタンの愛と生命と血統を受け継いだ堕落人間は、体はサタン側の、心は神様の側の一線に立って、絶えず戦っているのです。このように今日、「私」を中心とした愛は、心ではなく体と関係があります。この体は悪魔の舞踏場になってしまいました。悪魔が錨綱を結ぶ杭のようになったのです。 心は天を代身してプラスの位置にあるのに、体が別のプラスになり、心をもてあそんでいます。これを是正しなければならないのが、私たちの生涯をかけた義務なのです。これをご存じの神様が、修理工場としてつくられたのが宗教なのです。それゆえに、宗教は断食や犠牲、奉仕というように、体を打ち、体を心に屈伏させる教育をするのです。体の欲望を弱化させ、心の思いのままに順応できるように、三年ないし五年以上かけて、習慣性を伝授するものが信仰生活です。また休まず祈祷することを強調します。 神様は縦的な立場にのみおられるので、心が通じなければ活動することができないお方です。サタンはあらゆる所で活動しています。三六〇度いつでも活動することができるので、サタンの活動に堕落人間は負けるようになっているのです。心は垂直の位置にあるのでただ一つです。垂直は横的基盤がないので、横的に出ていくことはできません。そのため、環境に強い体のほうに引っ張られやすいので、垂直の場において精誠を尽くし、祈祷し、三、四倍の力を心に受けて、体に対して自由に処理し、三年ないし五年かけて、心のままになせる習慣性を身につけなければなりません。この二つの方法以外に修理する道は絶対にありません。それを修養する宗教の門を通過せずには、本来の人間の道を見いだすことはできません。 哲学の道、知識の道、良心の道だけではできないのです。縦的な心と横的な体が一つにならなければなりません。ところで、人間の心と体が神様の理想を中心として一つになれないようにさせた堕落の起源は何でしょうか? 聖書には「善悪の実」を取って食べたからだとあります。それでは善悪の実を取って食べた時、どこを隠しましたか? 本来ならば口や手を隠さなければなりませんでした。ところが、下半身を隠したのです。そして、サタンを中心として結婚をしたのです。これが悪の血統を繁殖する起源となりました。 しかし、考えてみますと、人間において、真の愛と真の生命と真の血統の根拠地は、正に愛の器官なのです。堕落によって、この聖なるものでなければならないはずの愛の器官が、天理を破壊した凶悪な宮殿になってしまいました。悪の本拠地になってしまったのです。ここに偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統が植えられてしまったのです。十代の未成熟期に人間始祖アダム・エバが堕落しました。そのようにして、悪を植え付けたので、歴史的に見れば、人間社会に対する悪の血統がそこから広がっていきました。 したがって、終末の収穫期になれば、全世界的に青少年たちが、アダム・エバのように愛の倫理を破壊し、退廃的風潮へと流れていくのです。このような現象を見ると、サタンの全権時代が、この地上に到来したということを知らなければなりません。そしてこの時こそ、神様が鉄槌を下す「審判の日」になるのです。歴史的に見れば神様の前に、淫乱の都市、淫乱の国は滅んできました。ソドムとゴモラが硫黄の火で焼かれたのも、ローマが滅んだのも、ほかの理由で滅んだのではありません。貞節を守り切れず淫乱で滅んでいったのです。 今日、アメリカ、ヨーロッパなど世界の先進国を見てください。四方八方から押し寄せて来る「フリーセックス」と淫乱の波を、誰が防ぐことができるでしょうか。抹消神経を刺激する享楽主義、乱れた愛すら物足らず、麻薬や覚醒剤を求める、人間史上における世紀末の世界になっているのです。それはすべて、肉体を死の道に引き込んで行くことなのです。決して心が願う道ではありません。心は身もだえしながら慟哭しているのです。天理の大道によって、人間の本然の始発地である神様の懐に導いて行かなければならない良心の使命と召命は、すべて失敗に帰してしまいました。誰かが現れて、世界人類をこのような堕落した環境から救いの道に導かなければなりません。 堕落してサタン側に立った人類は、渋柿に例えることができます。その中でも、神様が分立し、探し求めた人類が宗教圏の渋柿であり、それが神様の所有権の中にある渋柿なのです。したがって、これは神様が自由に主管することができるのです。再臨の主が来られれば、いっぺんに切って接ぎ木しやすいように準備してきました。こうして渋柿が甘柿になり、本然の状態に帰って行くのです。それゆえに、宗教を信じる者も本来の真の父を探さなければなりません。なぜなら、彼らもまた、本来の真の父の生命の種を受けずに生まれたからです。本来の真の愛を中心として、神様の血統と連結された真の息子娘としての一体理想を成し得ないのです。これゆえに、メシヤが来なければならないのです。 皆様。メシヤとは何かご存じですか? メシヤは、真の父母として来られ、偽りの父母から生まれ、植えられた偽りの根を取り除き、本然の状態に復帰し、サタンを追放し、すべてが歓迎することのできる自由解放の天国世界を創建しなければならない、重大なる責任を持って来られるお方です。 皆様。皆様も神様の愛、神様の生命、神様の血統を、そして真の父母の愛と真の父母の生命と真の父母の血統を受け継いだ息子娘になれば、神様のように心と体が戦うことのない、真の統一の起点が生まれるのです。そして、自分の心と体が統一されたところから、永遠なる平和の世界は出発するのです。 尊敬する世界平和女性連合の皆様。私たちすべては、父母の心情を抱き僕の道理を果たしましょう! 私たちの汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流しながら、天地創造の大いなる主人であられる私たちの父母の恨みを解放し、一つの平和世界を建設するために十字架を負い、救世の道に前進いたしましょう! 私たちの目的地は、この世の果て(霊界)ですが、私たちの出発点は、正に自分の心と体が真の愛を中心として一つになるところから始まらなければならないということを、どうぞ忘れないでください。そして、自らの家庭が永遠なる幸福と真の愛の定着地に成る時に、初めて私たちが願う理想の国、理想の世界、地上天国が結実することを肝に銘じなければなりません。 私たちの世界平和女性連合運動は、遠からず、世界万民が参加する世界平和家庭連合運動に昇華発展し、五色の人種が永生を謳歌し、子々孫々が為に生き、さらに為に生きんとする真の愛の世界を建設するのです。この歴史的な聖業に私たちすべてが決起し、先頭に立つことを決意いたしましょう! 皆様と皆様の家庭に神様の祝福が共にありますことを祈願しながら、私の話を終わらせていただきます。ご静聴、ありがとうございました。[書籍のメール便同梱は2冊まで]/自叙伝 人類の涙をぬぐう平和の母[本/雑誌] / 韓鶴子/著同年九月には、日本の東京ドームで「世界平和女性連合創立記念日本大会」を行い、五万人の聴衆に向かって講演を行いました。準備期間はわずかでしたが、沸き立つ情熱をすべてぶつけ、深い共感を呼びました。私の講演は、これまで男性が主導してきた戦争や暴力、葛藤を終わらせ、愛と平和のあふれる理想世界に向かって進むための羅針盤となるものでした。その後、私は世界を巡回しながら女性指導者たちを激励し、皆が共感する真の女性運動を展開していきました。その中でモスクワにも赴き、数多くの女性や信徒たちと喜びの邂逅を果たして、大会を成功裏に終えました。女性はこれまで、女性の持つ真の価値を知らない男性たちから、 正当な待遇を受けられずにいました。それを打破するために女権拡張運動や女性解放運動にも身を投じてきたわけですが、それらは主に男性を相手にした闘争的で政治的な運動でした。しかし、私は世界平和女性連合を通して、皆が女性の真の価値に目覚め、女性自身はもちろん、男性までも包容して発展していく運動を展開したのです。女性が時代をそのまま映す鏡となるためには、まず自分自身が清く純枠でなければならず、自らを従えることのできる強い内面の力を持たなければなりません。孝行心を持って親に侍る真なる娘となり、貞節と献身をもって夫を支える真なる妻になるべきです。また、愛と精誠によって子女を育てる、真なる母とならなければなりません。そうして、神様に侍る真の愛の家庭を築き、平和世界を実現する先頭に立つ、真の女性指導者にならなければならないのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.03.21
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文鮮明先生御言選集 19920827 - 「四大心情圏と三大王権」(その2) 夫婦愛の実りとしての新しい生命の誕生 女が男にすがり、男が女にすがるようになれば良いですか、悪いですか。(「良いです。」)結婚も、良いからするのですね。そのことをして落第することを好みますか、永遠に合格することを願いますか。落第した家は、がらがらと皆壊れて行くのです。お祖父さんお祖母さんも、お父さんお母さんも、皆さんも、そのことをしながら世の中を支えているのではありませんか。そのような相対がいなければ地上に存続する価値がないのです。それは暇乞いをしなければならないのです。ですから、この地に生まれて来たからには、何かを残して行かなければならないのです。 娘や息子が結婚して何を残しておくのですか。金銀や宝物ではありません。知識でもありません。権力の基盤も皆流れて行くものです。愛の結実を残しておかなければならないのです。それが息子・娘です。それをたくさん残しておかなければなりません。ですから統一教会の皆さんは、生んで、生んで、生んで、しきりに生めというのです。 その代わり、父母が責任を負わなければなりません。私が「生め」と言ったからといって、先生が食べさせてくれると思ってはいけません。野良犬でさえ、自分の小犬を育てていくし、鳥も自分のひなに皆食べさせて育てているのに、万物の霊長がそれを育てられませんか。私達のお母様も子供を十二人以上生みましたね。一周り回って残らなければならないのであって、達成することができなければ世話になるのです。皆さんは何ダース生むのですか。(笑い)たくさん生むことによって、愛に感動する細胞が多くなるのです。 子供をたくさん生んで育てれば育てるほど悪くなる女性はいないのです。それだけ善化されていくのです。自分の生命のパイプとして残してあげられるではありませんか。男を育てる心と、女を育てる心が皆良いというのです。春夏秋冬、十二方位があれば、それに対するすべてのものを皆与えたとしても喜び、また与え、また与えたい心がありますから、一生苦労したとしても、息子・娘を従えて生きるのが幸福だというのです。才覚のある文先生ですから、息子・娘がたくさんできたのですね。お母様は子供をよく生むだろうか、生めないだろうかということを見て、私は結婚したのです。容貌を見て結婚したのではありません。女性のお尻と腰を見れば、その人は子供をたくさん生めるか、生めないかが分かるのです。私はその分野でも専門家です。 ここから始めて、これは下って行き、これは入って行き、四方から入って行きますから、集って回らざるをえないのです。ですから縦的なすべての素質は核になり、東西は肉になるのです。父は天地を代身しているので骨になり、母は横的なものを代身しているので肉になって、新しい生命が生まれるのです。 この四大愛が集約され、混ぜられて和合して、その中で愛と生命と血統の渦巻きが、音響の拍子を合わせて夫婦生活するところから再び上って来るようになるとき、新しい生命が生ずるというのです。しかし、堕落することによって、神様のこの四大心情圏が、縦的に位置を確保することができなかったのです。それで、今日、私の家庭でそれを復帰しなければなりません。 妻とは何か。お母さんの代身です。その次には妹の代身です。故に、自分の妹よりもっと愛さなければなりません。その次に妻は何かというと、父母の血統を受け継いだ同じ息子・娘です。双児と同じです。「男と女の双児と同じように私達夫婦は生まれたのです」と言わなければなりません。そのように生まれて、回り回って相対として出会ったのです。多くの困難な環境を、四百兆個にもなる細胞の世界をくぐり抜けて来て出会ったのが夫婦だと考えてみなさい。いかばかり有り難く、いかばかりとてつもない因縁でしょうか。 長子権復帰のための条件 統一家の家庭も、この心情圏を成さなければならないのです。それでは、統一教会の文先生はどのような人ですか。息子として、神様が創造理想でもって捜し求めて立てようとする心情圏を完全に完成した、一人しかいない絶対的な相対者です。王子です。エバは何かというと、王女にならなければならないのです。そのようになれば息子として合格です。その次には、お兄さん、お姉さんとして合格しなければなりません。 ですから、先生はアメリカに行っても、アメリカの女性達に、「私に反対する青い眼の女達め。どうして反対するのか」とは言いません。アメリカに行ったとしても同じ考えをしなければなりません。エバに対するように、自分の妹のように愛する心を持てば、アメリカのすべての心情圏を私から連結することができるのです。アメリカにそのようなものがあれば、私がチャンピオンになって、アメリカ人のための教材の役割をして、教えることができるのです。 文総裁は神様の心情の願いを成就し、恨みを解いてあげた歴史のチャンピオンだというのです。(拍手)それが本来のアダムの位置です。その父母の心情にプラスして、兄弟の心情圏を成し、万民が通ずることができ、永遠の世界で兄弟達に対することのできる根本に合格させるために、兄弟の情を持った、神様の心情の中のすべてのものを完成したチャンピオンが完成したアダムです。それは再臨主がしなければならない使命です。 また、世間の夫婦の中に、かわいそうな人がどれほど多いことでしょうか。結婚して二日もたたずに離婚するカップルもいるではありませんか。アメリカに行けば、一晩眠って来て、その日から離婚したカップルが多いのです。そこで、神様が、「夫とはこうでなければならない」というモデルとして、心情的夫婦の理想に通ずる実体夫婦の愛の完成者として送られたチャンピオンが文先生です。夫の中の夫の役割をしなければならないというのです。真の父母とはそういうものです。 その次には、子供達を愛することにおいても同じです。父親として、どのようにしなければならないかということを教えてあげなければなりません。統一教会の原理から見れば、カインとアベルがいるのですが、まずカインを先に愛してから、自分の息子を愛さなければなりません。そうでなければ復帰がなされません。先生は今まで上から四番目の息子・娘までは、どんなに忙しい時でも、夜遅く帰宅して十二時になっても、必ず行ってキスしてあげたのです。それだけは間違いないのです。 世界の人類は皆庶子です。エバは堕落した天使長のところに嫁に行って、今は本然の夫のもとに嫁に来るのです。天使長のところに嫁に行って、堕落した子供達をたくさん生んできました。そして、再び一人の夫のもとに帰ってくれば、腹違いの子供をたくさん引き連れて嫁に来たのとそっくり似ているのです。 アダムがその庶子に相続をしてあげるためには、そのまま庶子の扱いをしてはいけません。自分の息子以上に愛したという条件を立てなければ天使長は離れないのです。悪魔が始めたすべての心情圏を清算するためには、自分の息子以上に彼等を愛さなければならないというのです。それは、神様がアダム・エバを造られる前に天使長を愛したからです。そして、アダムが完成して天国に入って行くときは、天使長に、「私について来るな」と言わないで、「私と共に行こう」と言うのです。 神様が天使長を先に愛されたために、アダムが完成したとすれば、アダムも、神様が天使長を愛したのと同じ位置で、天の国に連れて入って行くのが本然の基準です。神様が天使長を愛したように、アダム自身も天使長を愛して、連れて入って行かなければならないというのです。 誰が先に天国に入るのかといえば、アダム・エバと共に天使長が入るのです。それでは、アダム・エバの結婚式を誰が準備するかというと、アダム・エバがするのではありません。下僕達が、新居も宴会の準備も全部してあげなければなりません。そのようにしてあげれば、嫁をもらったアダムはどれだけ有り難く思うことでしょうか。アダムは、自分の相対を捜し求めるのに協助してくれた天使長を愛するようになるのです。 本来、堕落しなかったとすれば、長子を先に愛さなければならないのです。原理がそうなっているのです。長子が先に愛されなかったのが問題だというのです。長子権を復帰するためには、次子として完成したアダムが、息子・娘を中心として、息子・娘以上に愛したという条件を立てるのです。そうすることによって、義父の立場でも、長子の位置を捜し求めて入って行くことができるのです。それをはっきりと分からなければなりません。 平和の基地は理想的家庭を成した夫婦から 女が男にすがり、男が女にすがるのはどうしてかというのです。真なる男、真なる女の位置は、夫婦愛の完成の位置であり、兄弟愛の完成の位置であり、子女愛の完成の位置です。その上に互いに愛し合い、男の体と女の体が和解して一つになることによって、神様の体と心が一つになった御旨の中で天地を創造したのと同じく、その位置で、神様の身代わりに実体として君臨するのです。男、女が一つになって和することによって、子女が生まれるのです。そして、神様が創造して来られた喜びを私達に伝授してくれるのが子女の出産です。 胎内の赤ん坊を見ると、それはちょうどアダム・エバが創造されたのと同じです。新郎新婦は、赤ん坊を持つようになれば立体的になります。男の子であれ、女の子であれ、胎内から関心を持つようになるのです。自分のことには関心がありません。赤ん坊を持てば御飯を食べるときも、自分のことは忘れて赤ん坊の方に関心が行きます。焦点がそこに合わされるのです。そこから自分の後継者が出て来るのです。 上弦たる神様の前に、下弦が生ずるのです。神様が上弦の位置から、下弦にいる子供を愛して来たのと同じく、愛の継代を継ぐ基盤が生ずることによって、初めて三点基準を完成するのです。そうすることによって永遠の存在が始まります。 何故赤ん坊が出て来るのか。三大愛が全部結びつけられ、和解して、男の愛と女の愛が交流することによって生ずるのです。そのようになれば、この側を取ってどこに持って行ってくっつけてもかまいません。 ですから、真なる理想的家庭を成した夫婦というものは、妻であれば、その家にいる兄弟達や小姑達を、自分の夫以上に愛さなければなりません。そのようになれば、どこに行っても合格ですし、舅に対しても自分の父を愛する以上に愛そうとすれば、出て行ったのが回って入って来るのです。夫から受け、父母からもらいましたから、与えなければならないではありませんか。私が受けて、与えなければならないということは、彼等を自分の夫よりもっと愛さなければならないというのです。そうしてこそ、その家が円満になるのです。そのようにすれば、お祖父さんも喜ぶし、お祖母さんも喜ぶし、小姑達も喜ぶし、夫も喜ぶし、自分も皆喜ぶのです。そこから平和の基地が始まるのです。 これが十二面なのですが、これをどこに持って行って合わせても皆合うのです。(図⑥を示されながら)小姑の角度に合わせても合うし、夫の角度に合わせても合います。どこに持って行って交替しても皆合うのです。そのようにして、衝突することなく和合することのできる基準にならなければなりません。この基準が完全に設定されてこそ、そこに神様が臨まれるのです。神様が離れないというのです。そこが安らかだからです。 上を見ても良いし、下を見ても良いし、右側を見ても良いし、左側を見ても良いし、後ろを見ても良いし、前を見ても良いというのです。神様はどこにおられるのかといえば、愛に従った定着基地に、永遠に存在されるのです。その定着基地で、神様が共にする位置で生まれますから、永遠の生命を中心とした神様の息子・娘が生まれるのです。男であれ、女であれ皆同じです。ですから、体と心を中心として神様の側に立たなければならないのです。 女の中には娘の心情、姉妹の心情、妻の心情、母の心情があるのです。そしてまた、男も個人的に、縦的に、そのような心情を受け継がなければならないのです。子女を愛することができない人は兄弟の愛の圏に行くことができません。 私には完成した息子の愛と娘の愛があるし、私には完成した兄弟の愛があるし、私には完成した夫婦の愛があるし、私には、父、母の愛があるのです。夫婦は、男の四大心情、女の四大心情でもって完全に統一されるのです。その中に神様が臨在されるのです。 私達の家庭の願い 人は、何故に生まれましたか。(「愛故に生まれました。」)何の愛によってですか。(「真の愛によってです。」)しかし、そこに至る段階には、息子・娘の愛、兄弟の愛、夫婦の愛があるのです。神様の身代わりに創造して、喜びで抱く息子・娘を見るとき、真の愛によって抱かれた息子・娘は天地が皆好きになるのです。お母さんがそのような息子・娘を育てるのです。ですから、いかばかり福が多いことでしょうか。お母さんの体は、自分のために存在するものは一つもありません。乳房は、お母さん自身のために生じましたか。(「子供のためにです。」)又、お尻が大きいのは子宮を丈夫にするためです。それは子供のためにそうなっているのです。自分のために生じたものは一つもありません。 男は種を持ち、女は種を受けて育てるので、女は畑です。ですから、吸収力が強い女になってこそ、子供に良いのです。夫に対して、一〇〇パーセント尽くし、肉を与えたとすれば骨までも与えたいのです。夫があちら側を貫いて出て行った後には行くところがありません。また、戻って来るのです。妻が貫いて出て行くようになれば、夫は私のお尻について来るというのです。妻が貫いて出て行けば、夫はぐるっと回ってお尻に付いて来るというのです。天地の道理がそうなのです。夫がお尻に付いて来るようになれば、私の言うことをよく聞く男ではありませんか。私が通過するとき、四百兆にもなる細胞が衝突することなく早く通過する力は愛しかありません。愛のみをもって早く来い、早く来いというのです。投入しようとしますから早く来いというのです。そうしてこそ通過できるというのです。 縦的なものは、男にも、女にも皆同じです。それで「父なる神様」と言うのです。アダムとは何か。それも父です。人類の父にならなければなりません。一人(神様)は縦的な父であり、一人(アダム)は横的な父になるのです。ですから、縦的なすべてのものを横的に蕩減しなければなりません。そこで、父、母になった後には、お祖父さん・お祖母さんの位置に上って行かなければなりません。 祖父母は歴史の代表者であり、過去の代表者です。父・母は、現代の代表者です。お祖父さんは昔を言うのであり、父・母は現在を言うのです。ですから、自分の父・母は、全世界の家庭の代表的な王です。アダム家庭を完成した基準において王の位置の家庭です。王たる父、女王たる母の位置です。そして、私は王の息子・娘ですから、王子・王女です。神様はお祖父さんの位置です。神様は孫を見ることができませんでした。アダム・エバを中心として孫まで見ることができたとすれば、神様は天の国を代表した王様の位置であり、アダム・エバは世の中の国を代表した王であり、アダム・エバの息子・娘は未来の世界を代表した王です。そのようにして三大王権が一つの家庭において成されるのです。祖父母、父母、息子・娘です。 神様の恨みは何かというと、孫を見ることができなかったことです。ですから、私達の家庭にいるお祖父さん・お祖母さんは、天の国から私達の家庭に派遣された王の全権大使であり、又王です。それ故に、祖父母に対しては、どのように侍らなければならないかというと、王様に仕えるように侍らなければなりません。 今回、祝福を受けた家庭も 、縦的な面で四大心情圏と、横的な面での三大王権を私達の家庭に花咲かせて、神様を永遠に私達の家にお迎えするのです。それが私達の家庭の願いです。 アダム・エバが堕落しなければ王になったのですね。天上の国の王が神様であれば、アダム・エバは地上の国の王になって、生きて息子・娘を生むようになれば、すべてを譲り渡して入って行く所が、父が住む本郷の地、天国です。アダム・エバは堕落しなければ、神様の王子・王女となったのです。 それでは、もしも堕落しなかったとすれば、神様が造られたアダム・エバの完成者と、数千代汚された堕落の血統圏にいたマリアを通じて生まれたひとり子イエス様と、どちらがもっと価値ありますか。神様が造られた本来の聖なるものと、堕落した血統から生まれたイエスとでは、どちらがもっと価値がありますか。(「アダム・エバです。」)聞くまでもありません。そのことを既成教会の牧師達に聞いてみなさい。三言だけ言えば口がぽかんと開くのです。 泥棒の子供のように、野良犬の子供として祝福を受けますか。そのような心情圏を完全になして、継代を継承するための御旨があることを知らなければなりません。これがその心情の中ではっきりと輝かなければなりません。ですから、皆さんの家にお祖父さん・お祖母さんがいれば、訪ねて行って侍りなさい。もしもお父さん、お母さんがこの世にいなければ、義父なりとも作って仕えてみなさい。条件的心情を捜し求めて、天の国の囲いの外に出て行っても、王宮を眺めながら生きる息子・娘を作らなければなりません。そうでなければ地獄に行きます。 私の家庭は、天上・地上の王権を受け継ぐ訓練場 このことをはっきりと知りなさい。はっきりと教えてあげなければなりません。先生はそのような標本です。先生がこのように生きなければならないというのです。ですから、先生は神様の心情の峠を踏み越えて行くとしても、皆オーケイできる何かがあるのです。ですから、それを全部なしてサタンに勝ったとすれば、サタンの国が滅亡しますから、ありとあらゆる垣根を作って妨害して、文総裁を殺そうとしたのです。しかし、今では峠を皆越えました。私達の時代です。 縦的四大心情を立てなければなりません。これは、男であれ女であれ縦的です。これが一つにならなければなりません。ですから、私が最高に願う相対は、四大心情圏を完成した男性であり、女性です。それが一つに結ばれたのが理想的夫婦です。そして、ここから生まれた息子・娘が大きくなって、三代を経ながらその家に神様をお祖父さんとして迎え、この地上に自分のお父さん、お母さんを王として侍り、天の国の王権と地上の王権を受け継ぐのです。その二つの王権を受け継ぐために教育を受ける修練場が、私が生きる家庭です。愛の心情圏理想を完成させる教科書の実体者として完成するための訓練場が、私の家庭です。このように感じたすべてのことを、世界へと拡大させることができたとすれば、地上天国のどこに行っても生きることができるのです。 皆さんを中心としてこの心情が出来れば、この心情が水平線にならなければなりませんか、このように下って行かなければなりませんか。これが遠くなれば遠くなるほど難しいのです。それ自体の重量があるので、しきりに下って行こうとします。手もそうではありませんか。この手に重量があるために、しきりに下って行こうとします。天上世界、つまりあの世はどれだけ膨大か知れません。ですから、これが水平線で、地の果てから地の果てまで永遠に伸びることができる心情的発射極を持つ私にならなければなりません。 合同結婚・合同生活・合同伝道は定められた道理 先生にとって、一番難しいことは何か。西洋人は頭の毛も黄色く眼も青く皆大きく、東洋人とは全く違います。ところで彼等をどのようにして自分の父母や祖父母以上に愛するのかというのです。それ以上愛さなければなりません。そうしてこそ均衡になり、水平になるのです。そのためには、自分を中心として三国を経なければなりません。自分が東であれば、その一方を中心として三つの国を経なければなりません。 この頃、コンドミニアムができましたね。今後はそのように住むのです。韓国人と日本人は怨讐です。その次にアメリカ人と日本人が怨讐であり、ドイツ人とアメリカ人が全部怨讐です。この四か国の家庭が一つのコンドミニアムに住んで、父母達が統一されたという手本を見せて、子供達に教育しなければなりません。そのような歴史的使命が残っていることを知らなければなりません。そのことをしますか? (「はい。」)今後は国境がありません。それで私は、本当にコンドミニアムを造ろうと考えているのです。合同結婚をしましたから合同生活は定められた道理であり、合同した家庭は合同伝道するのが定められた道理です。統一教会の組織の定着地は面 今から、すべての統一教会の組織が行って定着する所は面です。今まで教域長が郡にいるからと言って彼が代表ではありません。郡の教域長が一つの面の責任者のようにしなければならないのです。一つの面に責任を負わなければならないのです。そして、自分の故郷に戻って行くのです。これは、氏族的です。蘇生、長成、完成です。これが一つになってこそ、これが完成してこそ、先程語ったように対応的な関係をもって、もっと大きいものを捜し求めて行くことができます。 創造原則において、環境にはプラスとマイナス、主体と対象が一つになってこそ、対応関係でもって、もっと大きいものを捜し求めて行くのです。アダム・エバも、カイン・アベルが一つになってこそ、対応関係でもって母を捜し求めて行きます。母とカイン・アベルの三人が一つになって、もっと大きい対応関係の父を捜し求めて行くし、アダム・エバの家族が一つになって、神様を捜し求めて行くのが発展の原則です。 ですから、面を中心として一つになってこそ、もっと大きい郡へ行くことができるのです。そうしてこそ、もっと大きい中心へ行くことができるのです。それで、郡の責任者達が出て来るのです。今は郡がありません。国もないではありませんか。今、逆になりました。中央機構、その次に道機構、郡機構、面機構へと下って行く組織は堕落した結果の世界です。今からは逆に上って来なければなりません。家庭的基準から面基準、統一圏を中心として郡全体に影響を及ぼさなければなりません。一つの郡に面が十あれば、十面自体が互いに早く影響を及ぼし合うようにするのです。それで、郡全体が一つの新しい体系になるのです。郡を中心として道を経て、中央まで連結されるのです。政府まで七段階ですね。 郡にいるからといって、郡の責任者だと思ってはいけません。自分の出身地の教区長、教域長達が郡の責任者としていたのに、この人達はどこへ行くのですか。自分の出身の故郷の地のある面とかある洞に属するのです。その洞とか面の責任者がいなければ、優秀な人を立てて、それを中心として発展させて行くのです。自分達同士が競争です。そのようにして郡を編成するのです。 天の国・地上の王権が私達の家庭から出発 縦的な面では四大心情圏、横的な面では三大王権です。このようになれば天の国の皇族になるのです。息子・娘を王子・王女のように育てなければなりません。気持ち良いですか。 今までは、人の欲望は、達成することができないと思われていたのです。しかしそうではありません。人の欲望は皆、達成されるように与えられたものなのです。自分のお祖父さん、お祖母さんは天の国の王様です。自分のお父さん、お母さんはこの世の王です。そして、自分は、天の国と、この世の国の二つの王権を受け継ぐことのできる王孫であり、王子・王女です。皆そうですね。皆さんのお祖父さんが王になれば良いし、皆さんのお父さんが王になれば良いし、私が王子・王女になりたいのではありませんか。それ以上です。宇宙が愛をもって所有するすべてのものが生きているというのです。そのような欲望が今まで心中で活動するのは、本然的な天の富裕なる原則的な出発の根源地になっているので可能なのです。 先生は、今や欲望がありません。神様からいただく物がありません。皆、私の内にあるからです。こうして、ここからカイン・アベルを復帰するので、カイン・アベル側が天側になるのです。アダムも天側になり、この中で相対ができましたから、愛を中心として神様も私のものになるのです。それで家庭を中心として四大心情圏、三大王権の基盤を確立するのです。そこで天の国が私達の家庭から、地上の王権も私達から始まるのです。 世界的に清算し、統一がなされる時 それでは、歴史的に今の時がどんな時かということを考えてみなさい。堕落することによって世界が二つに分かれました。歴史は、兄弟げんかでもって連結されるのです。サタンを中心として、エバ、カイン、アベルであり、神側も、エバを中心としてカイン・アベルが一つにならなければなりません。(以下、図①参照)これが一つになってこそ、サタンが一つになって出て行くのです。神様がこのような位置に立てなかったというのです。堕落することによって失ってしまったので、このように植えたのです。サタン側もこのようになり、神様も復帰路程でアダム・エバを中心としてこのように植えようとしたのです。サタンが奪って行ったものを捜し求めて、そのように植えなければなりません。そして、歴史は、このように植えられたものが世界的に実を結んで、世界的に清算することのできる時が来なければなりません。 それを誰が来て清算しなければならないかというと、主が来て清算しなければなりません。主は、真の父ですから、偽りの父が植えた根を皆抜いて、サタンを清算しておき、真の愛と真の生命の種を再び投入してこそ可能なのです。そうしようとすれば、サタン側のすべての要素を否定する役事が現れなければなりません。 ですから、キリスト教国家は神様が選んだ国であり、主を迎える新婦国家です。それは新婦の宗教です。そのことを知らなければなりません。失ってしまいましたから、宗教を通じて捜し求めなければなりません。それに加えて、エバが堕落することによってアダムも堕落しましたし、天使長も堕落しました。それ故に、アダムも復帰しなければならないし、エバも復帰しなければならないし、天使世界も復帰しなければなりません。ですから、新婦が出て来る前に、アダムが出て来る前に天使長を造ったので、天使長の宗教が東洋に出て来たのです。 東洋を中心として儒教とか仏教が出て来ました。しかし、それらは神様がはっきりしていません。人格的神が分かりません。主人がよく分かりません。仏教もそうです。仏教も万法の公法を活用するのですが、神様が分かりません。 四大宗教圏の中でも、新婦宗教がキリスト教であるので、キリスト教以外の宗教は全部天使長の宗教です。それで、キリスト教よりも先に出て来たのです。霊的復帰基準で三大天使長宗教を中心として新婦宗教が出て来なければならないのです。キリスト教以外の宗教は、天使長格宗教です。これが個人的天使長、家庭的天使長、氏族的天使長等、数多く連結されるのです。これがイエス時代になって、三大天使長宗教を中心としてキリスト教と食い違いが出てきます。一つになれないのです。今後、新郎新婦が完成してこそ統一されるのです。 先生の時代に来て初めて、新郎新婦が一つになることができる位置に入って来たので、宗教圏を統一するために「世界平和連合」と「世界平和宗教連合」を作ったのです。体の政治圏と心の宗教圏に分かれたのですが、これを統一するために「世界平和連合」と「世界平和宗教連合」を作ったのです。心と体を結びつけなければなりません。それが昨年八月二十七、二十八日でした。きょうが一周年になったのですね。一周年に同じ話をするようになりましたね。体と心が分かれていたのが先生の時代に一つになるのです。民主世界と共産世界、無神論と有神論に分かれたのも、先生の時代に一つになるのです。 堕落することによって、神様を中心として個人的左右、家庭的左右、氏族的左右、民族的左右が生じました。それで、これが怨讐と争って出て来てイエス様の時代、主が来てローマを左右の位置で屈伏させなければならないのに、国家的基礎を成せずに行ったのです。死ぬことによって右側の強盗と左側の強盗とバラバ圏が残されたのです。この闘いは、今後来られる再臨の時代、世界舞台まで展開され、だんだん大きくなって行くのです。 右翼を代表したのが右側の強盗です。原罪はあるけれども右側の強盗はイエス様を支援したのです。左側の強盗は完全に神様を無視したのです。それで、左翼は無神論です。そして、バラバは罪人であって、十字架で死ぬはずであったにもかかわらず、イエスが死ぬことによって、身代わりとして命拾いする恵みを受けました。その後孫が回教圏です。これは、宗教の中でもサタン側の霊的宗教です。コーランと剣は一緒に持つことができません。それが死ぬ時、生じましたから、再び来られる時は生きて来られる時です。イエス様が再び来られる時は、十字架を越えて来られ、これらを生かさなければなりません。 この三つを統一させて、百八十度方向を転換しなければなりません。その仕事を今しているのです。それで共産世界も私の手に、民主世界も私の手に、回教も私の手に入ったのです。回教も四月十日に、八か国の司祭を連れて来て祝福してあげたのです。そうすることによって皆統一されるのです。世界が統一圏に入って行くのです。こうして今年に三万双を祝福することになったのです。結婚は一生で一番重要なことです。世界でこのような事をするのを見ましたか。国家を超越し、人種を超越したというのです。このようにすることによって、国家的闘いはもちろん、人種の争いが終わるのです。 今後、残された恐ろしい戦争は人種戦争です。宗教戦争は必ず人種戦争へと戻って行くのです。モスレムは黒人であり、キリスト教は白人です。黒人、白人、中間の人々が全部怨讐です。人種戦争が起こったとすれば、白人達は七十パーセントが殺されてしまうのです。「イエロー・パワー」と言うではありませんか。だから、レバレンド・ムーンが出て来て、アジアを動かして、それを防止しようというのです。そして世界全体を救わなければなりません。そうでなくては平和の世界を捜し求められません。 それで今回強調したことも世界平和です。「世界平和連合」、「世界平和宗教連合」、「世界平和女性連合」、「世界平和教授アカデミー」です。そこには全部、「平和」が入っています。神様の目的がそれだからです。それらを皆、オリンピック大会のようにするのです。従来のオリンピックの目的は体育であり、サタンの舞台となり、神様がいません。そこで、すべての文化の中心が宗教ですから、宗教を中心としてするのです。オリンピックは精神を強くすることによって、健全な体を成すことができるのです。そうであってこそ世界的な運動が起こり、新しい文化創造が出て来るのです。キリスト教は新婦の宗教ですから、新婦の宗教として世界的な天使長に勝たなければなりません。このように新婦となるべき者が堕落してカイン・アベルを抱くようになったために、新婦が現れて、カイン・アベルを一つに作った位置で新郎を迎えなければなりません。 これが来られる主です。この方が真の父母です。このように植えました。植えられたこれを中心として、個人が家庭的環境を中心として戦い、勝つ役事をしてきました。。先程語ったように、良心が道を築いて越えて行かなければならないのと同様に、植えられた環境を中心として個人的な家庭の闘いを通じて、サタン世界の家庭を打ち破れば、神側だけの個人的家庭基盤を通じて大きくなって行くことができるのです。それを育てて、プラス・マイナスが一つになり、カイン・アベルが一つになれば、そこに一つになって対応関係で大きくなって行くのと同じです。カイン・アベルを復帰してエバを復帰し、アダムを復帰し、神様を復帰して行くのと同じことです。これと同じ道理です。 このように植えましたから、このような結果を中心として家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙まで蕩減して来るのです。こうして全世界的に清算することのできる世界大戦時代が来て、このような原則的基盤を通じて復帰しなければなりません。個人としてそのようなものを植えましたから、個人として大きくなって、国家的基準で実を結んで、サタン的エバと、サタン側のカイン・アベルと、天側のエバと天側のカイン・アベルが出動して、世界的に清算して、統一がなされる時、初めて主が来るのです。 四十年前に四大心情圏と三大王権が樹立されていた よく聞きなさい。今から、私達の仕事をどのようにしなければならないのか、教えてあげようと思います。 それでは、何を世界的に清算するのですか。第二次世界大戦で勝利することによって、キリスト教文化圏がサタン文化圏を統一するのです。歴史以来初めて、宗教文化圏を中心として統一した世界を得るのです。そのようなことが第二次世界大戦の直後に起こったのです。それが新婦文化圏の勝利です。堕落するとき、アダム・エバを抱いて地獄へ行ったことと反対に、新婦文化圏を中心としてカイン・アベル文化圏を抱いたのです。天側のカイン・アベル、サタン側のカイン・アベルを全部抱かなければなりません。エバでもって統一されなければならないのではありませんか。これが聖書で言うハルマゲドンの戦争です。 このような公式が世界的に発展して、サタン側、神側、右側、左側があります。(以下、図②参照)これは、サタンを中心としてもまさしく同じです。サタンを中心としてエバ、カイン、アベルがいます。ここも神様を中心としてエバ、カイン、アベルがいます。個人としてそれを蒔きましたから、二つに分けなければなりません。全部清算することによって一つだけ挙げなければならないのではありません。そのような道理から見るとき、世界的に展開したのが第二次大戦の結果です。ここで神側は連合国です。サタン側は枢軸国家です。 島国日本はエバ国です。アベル国はドイツです。イタリアは天使長国家で、カインです。ここもエバが島国イギリスです。アベルがアメリカであり、フランスが天使長国家です。同じです。アメリカはイギリスが生んだのですね。一番極悪なのが日本とドイツです。天使長は行ったり来たりするのです。フランスも、イタリアも極悪ではありません。それでいつでも行ったり来たりするのです。 島国はエバを象徴するのです。ドイツは、サタン世界のアベル国家であるためにキリスト教抹殺主義政策を立て、キリスト教とユダヤ教を無くそうとしたのです。それでヒットラーは六百万人のユダヤ人を虐殺しました。ナチスとムッソリーニがヨーロッパでどれほど多くのクリスチャンを虐殺しましたか。日本も同じです。八・一五解放が遅くなり、解放が四日遅れた場合には、キリスト教徒を虐殺する計画でした。韓国の地でエバが血を流すようにしてはいけないのです。それをすることができずに日本は亡びました。 正に、このようになって闘って連合国が勝利したために、サタン側のものは丸ごと持って来るのです。これをアベル圏、カイン圏として一つに作らなければなりません。そのためにはサタンを追放しなければなりません。それで、共産主義と無神論は許すことができないのです。 第二次世界大戦後に統一されたはずですから、その時、共産主義があるはずがありません。では、この世界的統一圏がどこに行かなければならないのか。これは、キリスト教の完成です。エバを中心としてカイン・アベルに分けることなく、完全に抱くことのできる位置に入って来たということです。エデンの園で失ったものを、ここから母を中心としてすべてのものが一つにならなければならないというのです。そして、新郎と一つになって、愛して真の父母の位置に行くのです。 その時に先生を中心としてイギリスとフランスとアメリカが一つになれば、日本とドイツは尻にくっついて来るのです。その時、先生に侍ったとすれば、今このような事をしていません。四十年前に皆成したはずだったのです。四十年前に真の父母の宣布と共に、先程語った四大心情圏と三大王権が直接、樹立されたのです。統一された世界から下って行くのです。その国は自分のものではありません。主の国です。ですから願い通りに行って天の国の皇族の基準である、堕落せず、完成して繁殖したのと同じ世界版図を接木しておくのです。 このようになったとすれば、すべてのことが四十年前に終わったはずです。文総裁が再臨主を宣布する必要がありません。再臨主を宣布する前に皆、成したのです。直ちに家庭を編成して、一九四五年から七年間あれば、世界を完全に組織編成して、四十歳未満で天下を握り、振りまわすことができたのです。そうなれば、韓国は世界の主体の国の王国になったはずです。それを失ってしまいました。六千年かかってこれを成したのですが、イギリス、アメリカ、フランスが先生に侍ったとすれば、このすべてのことが終わったはずでした。 ところが先生に反対しました。反対することによって、六千年かかって成した全部を皆失ってしまいました。サタンが皆持って行きました。旧約時代、新約時代全部が成約時代のために作られており、成約時代の基盤がキリスト教でなければならないのに、そのキリスト教が統一教会に反対したのです。 祝福家庭を氏族的メシヤとして世界に派遣 今回もそうではありませんか。韓国では十月二十八日に主が雲に乗って来ると大騒ぎです。ところが、今まで大騒ぎしたのに、雲に乗って来ないことが明らかになったので、それは社会問題になりますから逃げて行ったという話があるではありませんか。雲に乗って来ると今まで信じていたのですが、社会が否定し、キリスト教自身が否定するようになれば、雲に乗って来ないという話ではありませんか。人として来るのであれば、誰がなるのですか。文総裁しかいないというのです。既に来ているというのです。(拍手) この時にメシヤ宣布をし、真の父母宣布をし、救世主宣布を皆したのです。再臨主宣布を皆したのです。そうしたのに、言うことを聞かなかった人は皆、地獄に行くのです。逆にほうり込むのです。そのような時が来たのです。今からは、反対されて歩き回ってはいけません。今までは長子権復帰、父母権復帰、王権復帰、皇族権復帰はなされませんでした。今は出しておいて世の中に皇族権復帰まで全部宣布したこの時になって呪ってはいけないのです。どこに行っても再臨主に侍る統一教会です。 今では私がこのような話をしても既成教会は理論的に勝てません。蕩減復帰というものを、世界歴史を前にして、抱いているではありませんか。植えた通りに刈り入れると語りましたから、毒麦は毒麦として、穀物は穀物として刈り入れるのです。「ご主人様、私達が植えた穀物の畑に毒麦が生えましたから抜き取りましょうか」と言いますと「終わりの日まで待ちなさい。終わりの日に抜き取って、消えることのない火に入れなさい」と言うのと同じです。今、乞食の群れの種を全部清算しなければなりません。正しいものを見ることができ、測定できる専門家になっているのに、偽りのものを倉庫に入れますか。とんでもないことです。 反対したので失ってしまったのです。それで、先生の故に成された六千年の基盤すべてがサタンに戻って行きました。ですから、先生が何をしなければならなかったかというと、仕方無しに、失ってしまったエバ圏を再び作らなければなりませんでした。 新婦教会であるキリスト教ができなかったので、私が新婦教会の代わりに統一教会を作り、ここですべてのことを準備して、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界まで越えて行って、反対するサタン勢力圏を一掃して、家庭を祝福してあげるのです。家庭救援です。家庭を祝福してあげて、家庭復活をさせるための運動を白昼に宣布できる立場に入って来ました。今からは違って来るのです。 ですから、今から家庭に宣布して伝道することができる時になったのです。その氏族的メシヤは何かというとイエス様の代身です。自分の父、母はアダムの代身であり、先生は国家を代表した完成したアダムです。横的に、アダム完成、イエス完成、再臨主完成です。これは家庭の主人、これは氏族の主人、これは国の主人です。この国を中心として、世界を代表した個人の中心と通ずるし、世界を代表した氏族圏が、統一教会を中心とした三十六家庭、七十二家庭、百二十家庭です。その主流を中心として、個人から家庭、氏族、民族を中心として世界版図を開き、先生が祝福した一族を世界に広げて、氏族的メシヤとして派遣しました。 これを絵で描けば、統一教会という根が無数にあります。ここから幹がこのように出て来て、一番最後の芽があります。統一教会は既に根になることのできる復帰基準を皆、整えました。これが先生の前に皆、生きています。今まで幹を中心として、世界的基準である芽まで皆、結びつけておきました。それで春が来たのです。反対がありません。春が来ましたから根の大きいものが育つ時が来ました。それでここに枝が多いというのです。その枝が何かというと氏族的メシヤです。 ですから、一番の中心的根も統一教会にあるのです。神様の心情を中心として歴史的起源の最高の位置にいるのが統一教会です。それが神様を代表して、幹もこのように皆、出て来ているのです。これを全世界の氏族に連結させるのです。そのようになれば葉が出ますね。葉が出るようになれば花が咲くのです。息子・娘が家庭から出て来るのですね。同じです。今がその時です。 世界の家庭の連合が始まらなければならない それでは、歴史的に見ると、どのような時ですか。第二次世界大戦前後と同じく、全世界は統一教会の文先生を中心として動いて越えて行きます。新婦宗教圏であるキリスト教文化圏時代は過ぎ去るのです。長子権復帰時代、エバ権復帰時代からアダム権復帰時代へ入って来たので、新婦全盛時代は過ぎ去るのです。ここで新婦になることのできるキリスト教が統一教会に入って来なければ皆亡びます。ですから、既成教会の二世達は全部亡びていくようになるのです。彼等の世界には国家観念がありません。全部、ヒッピーやイッピーになって個人主義に陥るのです。天の国に個人主義がありますか。完全に滅亡圏にいるのです。この全体が先生にすがらなければ生きられない時に入って来ました。それに代わって私達は、全世界の退廃した思想圏内で教育し、世界的な国家と社会の再編成を論じています。 一九四五年から五二年までの七年間、文先生を受け入れなかったので、四千年の準備したイスラエル圏のすべての闘いの勝利の覇権を中心として、歴史以来のキリスト教文化圏、統一文化圏を失ってしまいました。これをサタンが奪って行きましたから、再び捜し求めて来なければなりません。故に統一教会を通して先生は、全世界から迫害されて来ました。 個人圏、家庭圏、氏族圏、民族圏、国家圏、世界圏まで迫害されました。アダムとエバの時に家庭で失われたように、このような世界版図を全部、経て行かなければなりません。この世界版図の中には、このような家庭圏、氏族圏、民族圏、国家圏、世界圏が入って行きます。ですから、個人圏、家庭圏、氏族圏、民族圏、国家圏、世界圏まで失ってしまったものを再び捜し求めて来なければなりません。 統一教会の人達がこの峠を越えましたから、今から何をしなければならないのか。キリスト教を中心としてキリスト教国家吸収時代へ越えて行くのです。個人を伝道する時代は過ぎ去りました。今、主が来て捜し求めるのは、新郎新婦になって勝利したその基台の上では、サタン世界の家庭を吸収するのです。真の父母の伝統はこうだという内容を教えてあげれば、その家庭は皆同じようにするのです。そして、今後、文総裁を全部眺めるのです。他に行く所がありません。 南北統一をする人は文総裁しかいません。南北を統一できる人は文総裁ですから、文総裁の教えを中心として大韓民国の人達は全部一つになるようになっています。文総裁の教えは、青少年の堕落を防止し、家庭の破綻を防止し、南北が破壊されるのを防止することです。そして、世界が亡びないように全部救ってあげるのです。 事実そうだというのです。ですから救世主であり、偽りの父母がまいておいたものを全部清算し、分けておいたものを全部統一させる真の父母だというのです。この時代に先生が作ったものが「世界平和統一堂」というものです。今から何をしようとして、これを作ったのか。はっきりと知らなければなりません。 蕩減原則において、第二次大戦以後勝利することによってすべてのことが整えられたならば、その時先生がすることは、統一堂を作って一時に世界を一つにすることでした。先生は、個人勝利、世界勝利の主人として来ました。エバの代表が、キリスト教を中心として勝利したすべてのことを伝授されなければならないのです。そうしておいて何をするのかと言えば、世界の家庭を連合して世界の国を作らなければなりません。国家を超越した世界家庭の連合が始まらなければなりません。それを象徴するのが、今回八月二十五日の世界的な祝福式だったのです。先生の前には反対圏がない それはまた、世界家庭復活式です。この復活式を日本やアメリカや世界がすべて反対しました。家庭を引きずって思い通りにしても、全く反対がなく歓迎される時代を作ったというとき、皆さんの家庭は無事通過なのです。そのような時代になります。摂理から見るとき、反対していては雷に打たれるというのです。恐怖を感ずるのです。ですから、主体の力量を担当することのできる実証的な主体になれというのです。 ですから、イスラエル氏族がカナンの福地に上陸するようになったとき、カレブとヨシュアに「強く大胆であれ」と語ったのです。今はそれと同じです。個人が迫害を受け、家庭が迫害を受ける環境であったのを、社会、国家全部を先生が克服して戻って来ました。先生が荒野に追い出され、個人的な世界の十字架の版図で私を抹殺しようとしました。世界的な家庭の代表者達が全部、私を追い詰めようとしました。それに打ち勝って来たのです。その次に氏族世界代表、国家世界代表、すべてを連合した世界代表が私を打ち砕き、共産圏まですべてが先生を追放しようとしたけれども、結局は、先生に対してひざまずきました。 それで世界的、すべての奪われた国々に行き、皆首を打ってしまい勝利して、今戻って来たのです。天宙から世界を越え、世界から国家を越え、民族を越え、氏族を越えて家庭まで入って行きました。そのようにして世界的版図のすべての垣を皆崩してしまいました。 五十億人類の家庭ができています。(黒板に書きながら語られる。)これらの家庭は、個人的峠、氏族的峠、民族的峠、国家的峠、世界的峠、天宙的峠があって、皆神様の障壁になっています。これを誰が崩すのですか。 ここから人類を代表して個人的峠を崩し、家庭的峠を崩し、国家的峠、世界的峠、天宙的峠を全部、闘って勝たなければなりません。全体がレバレンド・ムーンを殺そうとしました。その闘いで結局は私に屈伏したのです。民主世界も私に屈伏したし、左翼も屈伏したのです。 イエスが死ぬ時、統一できなかったことにより右翼が生じたのですが、その右翼を統一しました。また、左翼と闘ってきたのを統一してしまい、バラバ圏を統一して戻って、一つの世界へ直行できる時が訪れました。ですから、先生の前には反対圏がなくなりました。メシヤ的責任を果たしなさい もはや、統一教会で殉教の血を流す時代は過ぎ去ったというのです。ですから、このようなすべての道を、真の父母自身が責任を負って築いたすべての基盤を相続しなければなりません。 キリスト教が反対することによって、統一教会がこのような受難の中で、六千年間に失ってしまったものを四十年間で再び捜し求め、第二次世界大戦の勝利圏を代表したその位置で、家庭を捜し求めて行くのです。その時、イギリス、アメリカ、フランスが先生に侍ったとしても家庭を捜し求めなければなりません。 そのことをするために千辛万苦、行く所が監獄でした。そして、その国の主権者と闘わなければなりません。 そうして今日、四十年前にイエス様が七年路程で捜し求めようとしたその道を、追いかけて成就する基盤を捜し求めたのが家庭基盤です。国家と世界を基盤として家庭を救わなければならないその基盤、世界とすべてが反対しない立場で、私が新しい分野で今、家庭を訪問することのできる基台を準備しています。 それで、家庭の後ろのこぶが皆落ちて行きました。だから今回、祝福をしたのです。三日間だけ教育を受ければ、誰であっても祝福を受けなさいというのです。家庭の後ろに氏族的こぶがくっついているし、そのようなものをどのように祝福してやりますか。真の父母の家庭の前に、これがカインの家庭として全部残っています。これに教えさえすれば皆越えて来るのです。 ですから、真の父母になったことをどのように知るのか。一九五二年から一九九二年までの四十年の蕩減期間に、全世界の反対に全部勝って、世界的反対圏を越えて全世界が歓迎する時代を迎えました。それ故、全世界の家庭を吸収しなければなりませんから、お母様を解放しなければなりません。お父様が先頭に立って来ましたが、同じ位置でお母様を解放してこそ、エバ圏がェることができるようになるのです。それで、お母様解放、女性解放の宣布と共に、すべての女性はお母様の分身になって、二世を吸収しなければなりません。イスラエル民族がカナンの地に入って、その二世達が定着した時、カナン七族の二世を皆、吸収しなければなりませんでした。それと同じ御旨に従って、サタン側で生んだエバの息子・娘を天が受け入れられる時になったというのです。 また、それはちょうど嫁ぎ先を出て来るのと同じことです。昔、堕落した夫との間に子供を生んだのですが、今や死ぬようになりましたから、救ってくれる夫に出会って、その夫を真の父として、また新婦の位置に立って、その息子・娘を自分の息子・娘以上に愛することによって、その女性も解放が始まるのです。自分の息子・娘以上に愛するようになれば、エバの心に雲がなくなります。しかし、そうしないで庶子扱いするようになれば、そこから抜け出る道がありません。肥やしを持ったそのような女性を、自分の生きている間に抱くことができないというのです。それでお母様を表に立たせましたから、お母様の代身、分身になって、歴史を代身したすべての息子・娘を、先生がカインのために犠牲になってきた伝統に従って、その全体の代表的なカインの息子・娘として愛しなさいというのです。 それは長くかかりません。何か月かです。父母を一つにすることができれば、その次には、先生の家庭に初めて入って来て、一緒に天国に向かうことができるのです。それが蕩減なのです。ですから、先生が教える、今語ったすべてのことは、皆さんが家庭を率いることのできるメシヤ的責任を果たすためです。そのような責任を果たせと教えているのです。真の父母がしたように、皆さんが全部そのようにしなさいというのです。 氏族的メシヤは宿命的使命 皆さん(女性達)の背後には氏族がいます。嫁ぎ先の家があるし、実家があります。だからと言って泥棒してはいけません。それは、自分の物ではありません。血統復帰するときは、所有権復帰は既になされていなければならないし、心情復帰は皆、なされていなければなりません。自分の父、母の物をそのまま置いていてはいけません。父母が持っている物すべてを復帰歴史に使わなければなりません。そうしてこそ福を受けます。父、母のお金を鞭打たれながらも持って来て使って、教会をいくつか建てるようになれば福を受けるのです。長子権復帰をして、自分の姉がいれば妹がその位置を握らなければならないのです。「姉さん、私と行きましょう」と言って、一週間の修練を受けるようにするのです。お父さん、お母さんをそのようにできませんか。自分の息子・娘がそう言えば、父親がすがって行って、修練費を出して一週間寝食を共にしながら修練を受けるのです。もし受けないと言えば、手にすがり、他の所に行けないようにしてでも受けるようにするのです。 家庭を伝道して祝福を受けるようにすれば、親戚関係は無事通過です。他の人を伝道してはいけません。今まで路傍で伝道したのですね。今からはそのように伝道する必要がありません。電車の中や、どこででもしてはなりません。もし、電車の中で伝道したくなれば、自分の故郷に行ってその十倍伝道しなさい。一族を全部伝道しなければなりません。 氏族的メシヤは宿命的使命です。その仕事をやり遂げることができなければ、戻って来ることができません。そうせずに先生が戻って来ることができるのであれば、何故この仕事をしますか。一生涯休む時間がありますか。男として、若い頃、青年らしく生きてみたことがありますか。青春時代に監獄生活をしたりして、どれほど複雑であり、悲惨な境地を歩んだことでしょうか。けれども、この道は、死んでも行かなければならないのです。 十二家庭と七十二家庭を合わせて八十四家庭さえ一つになれば、イエスは死にませんでした。皆さんを守護することのできる家庭を作らなければなりません。十二家庭、七十二家庭として、八十四家庭です。七年間、毎月一人ずつ伝道すれば八十四名になります。私がアメリカに行って教えたことがそれです。一か月に一名ずつ伝道する七年路程を行かなければなりません。 今からは、七年もかかりません。七か月あれば、そのことを全部することができる時が来ました。先生が一生をかけてしてきたことを、皆さんは四年もかからずにできるのです。四か月以内に皆する時が来ました。そのような材料を皆作ってやりました。ですから、ビデオを活用して、先生が成してきたすべてのことを説明しなさい。 今からは家庭を伝道しなければならない 文総裁が真の父母であるという事実、四十年前にキリスト教が反対することによって、キリスト教の天地が全部サタンのものになって、民主世界が滅亡の途上に立つようになったし、息子・娘が全部サタンの僕になったし、キリスト教の基盤が皆、共産党の活動基地になって文総裁を打ち捕らえようとしたのです。しかし、その版図に皆、勝って戻って来て、新しい統一教会を中心として世界家庭解放運動を巻き起こして、平和の世界へ前進させている事実を、テレビや放送を通じて、全メディアを通じて伝達すれば、たちまちの内に世界を同化させることができるのです。 それで、「世界平和統一堂」を提唱するのです。「堂」という字は、書堂とか言って、文字を教えてくれる所を意味する字であり、「教会堂」というときは、集まった人々に教えるとき使う言葉です。全世界的に先生が「統一堂」を発表したのです。今回の集まりに来ていたすべての、科学者大会、女性連合、世界平和連合、世界宗教議会等の団体に属する人々は女性を皆持っています。女性から復帰しなければなりません。男性から祝福するのではありません。天使長がエバにひそひそ話をしましたね。それで堕落しましたから蕩減復帰をするのです。それで女性からひそひそ話をするのです。 氏族的メシヤはその国の二世なのですね。それで世の中で一番憎まれてきた人々です。サタン世界が一番憎み、神様が一番愛する人々が、カイン的立場でなくて、アベル的立場に立って長子権復帰をなし、カインを治め、統治しなければなりません。ですから、行動で教えてあげなければなりません。「修身斉家治国平天下」という言葉があるではありませんか。私達の家庭は、自分の一族の前に、教えることのできる模範的家庭であり、生きた灯台だというのです。ですから、私達の家に来てみなさいというのです。「その家では、一年十二か月、三百六十五日、何年が過ぎてもけんかをしている姿を見たことがなかった。その夫婦はとても神経質に見えるのに、けんか一つもせず、本当に楽しく生きている。変ですね。けんかの仕方を知らないのか」と言うというのです。 それで、皆さん、けんかをしましたか。愛することは知っていますが、けんかすることを知りません。与えることは知っていても、もらって食べることは知りません。夜になれば、知り合いの所や、町内に行って良い話をしてあげるのです。たとえば、夫が浮気をしない、息子・娘が酒を飲んだりタバコを吸ったりしない等、すべての話が出て来るのです。これが地でのみ起こるのではなくして霊魂の世界に関係しているならば、霊界があることを知るようになるのです。そのようになって霊界に対して関心をもつようになれば、皆さんが現れて教えてあげるというのです。そのように教えてあげれば、「あんたのところの奥さんが昨晩ここに来て、このように教えてくれたのですが、そのようになった」と言うようになっています。そのようにして頻繁に会うのです。それで皆さんの息子・娘と同じ位置、直系の血族的因縁を結んでくれるのをその村人の祖先達が来て後援してくれるのです。先祖達は天使長です。 天使長世界の失敗を復帰するために、皆さんが氏族的メシヤの使命をするにあたって、その一族達、カインの連中を指導する時に協助するのが、解放を受けることのできる天使長、善なる霊的先祖達です。今からは、家庭を伝道しなければなりません。大学を出た嫁を五人程集めて、「高校を卒業したお祖母さんたち、来なさい。」「何をするのですか?」「大学で学んだ女性達が面白いことを教えてあげますから」と言って教えるのです。統一教会の原理以外に話すことが何がありますか? ビデオから見せてあげるのです。その次には、根本を解いて話してあげるのです。統一教会が持っているこの武器がどれだけ恐ろしいことでしょうか。共産党員も四泊五日の修練会を受ければ溶けてしまうというのです。ですから問題ありません。 それでは、祝福を受けた家庭として一年間に何家庭をそのようにするのですか。明日からするのです。祝福の時は過ぎたとしても、三日後には祝福式があるという心をもって、そのようにもどかしい思いをもって一年だけしてみなさい。その一族が、自分の町内がどのようになると思いますか。完全に溶けてしまうのです。 妻をお母様と思い、崇拝する運動 女性達は全部、この国の為政者達を消化しなければなりません。女性が結束する運動をしなければなりません。皆さんも一緒に住んでいる妻を女性と思ってはいけません。「お母様」と思い、今から女性を崇拝する運動をしなければなりません。今まで統一教会では、結婚する時、自分の妻を三年間、お母様として崇めなさいと言いましたが、今までそうしてきませんでした。しかし、今や時が来ました。皆さんからしなければなりません。三年間、朝から敬拝してみなさい。妻が戻って来れば、先に敬拝してみなさい。そうすれば、「ああ、そうしないでください。御旨がこうなのに」と言うのです。 皆さん、男性が女性のほおを一発なぐれば離婚なのです。もし、そのようなことがあれば、私のところに連れて来て報告しなさい。新しい観でもって出発しなければなりません。大学出身者達を今回、世界的基準で祝福したのは、皆さんから伝統を正しなさいという意味でしてあげたのです。皆さんが正さなければなりません。伝統を二世を通じて正さなければなりません。先生は祝福家庭の中に、乞食の連中や野良犬の子供達や泥棒の子供達をたくさん見ました。このような者を正すためには、皆さんが伝統を正さなければなりません。そうするためには、天が提示する原則的な基準で、間違いなく行くことを見せてあげることができなければならないというのです。 皆さんは、二世として大学を皆出ましたね。夢がふくらんでいる中で、このような祝福を受けたという事実は驚くべきことです。中高等学校も出られなかった統一教会の人達を、教会や郡の責任者にしてきたという事実が私の胸に釘づけられています。ですから、三千三百名を大学出身でもって早く交替しなければなりません。 皆さんの一族の中で大学に通った人を連れて来て伝道しなさい。はとこまで祝福を受けるようにしなければなりません。その闘いです。親戚達がいますね。お兄さんがいる人、手を挙げてみなさい。お姉さんがいる人、手を挙げてみなさい。弟、妹がいる人、手を挙げてみなさい。一人もいない人はいませんね。今からは、下のほうをけとばしてでも伝道をするのです。私がすれば、私の一族のはとこまで何百名も伝道することができます。私はそのように考えます。何故できませんか。できないことは何もありません。 明日から故郷に行って、お祖父さん、お祖母さんを訪ねて、良い贈物、服などを買ってよくしてあげ、「私がお祖父さん、お祖母さんを失ってしまったのですが、天道によるお祖父さん、お祖母さんとして侍りに来ました。一週間だけ聞いてみてください」と言ってお連れして行くのです。 私も、孫や孫娘がどれほどかわいいか分かりません。息子や娘が私にキスしても有難いと思わなかったのですが、頭が白くなり、髭が伸びたお祖父さんの手を握り、このようにしてキスするときは、昔、息子・娘がキスするのとは比べものになりません。老いるようになれば、孫や孫娘と住まなければなりません。「舅や姑、小姑と一緒に暮らしたくない。私は夫と二人で住むのです」と言うような女は、腹を引き裂いてしまわなければなりません。そんなことであれば、私は一生涯、何故このように苦労しますか。世の中のおじいさんやおばあさん、そして、ありとあらゆる烏合の衆に皆侍り、耐え忍んで来たのは、解放の一日を待ってそうしたのです。解放は、自分ですることができません。彼等を通してするというのです。神様も一人ですることができないのですね。知っている人を通じて、私を通じてすることができるのと同様、原理を知り、御言を知ったとすれば、彼等を通じてしなければならないのです。それが伝統の伝授であり、未来の発展的原則です。 それで、皆さんがその御旨を願うならば、力の限りを尽くしてしたことと、そのお祖父さん、お祖母さんの愛の力がプラスされて、お祖父さん、お祖母さんの一族が、自然にその家庭の中心になるのは厳然とした道理です。きょうから新しい出発です。 模範的祝福家庭に 夫は、妻から不信任されるような、つまらない男になってはいけません。立てておいて、はっきりと訓示するのです。絶対に目下の人に使う言葉で言ってはいけません。目下の人に使う言葉で従わせるようなことをどうかしないでください。自分の妻に対して一度聞いてみなさい。「あなたを私がどのように呼べばよいでしょうか。あなたの願う通りに皆してあげます。私は[妻に対して、お母様以上、女王として侍りなさい]という重要な教えを受けたのですから、今からそのようにしましょう」と言ってみなさい。決して逃げて行きません。 聖日に皆さんは、合拝(注:夫婦が同時に互いに向って敬礼すること)しますね。聖日になれば、先生は天の前に挨拶を申し上げてから、お母様が私の前に挨拶をします。これは縦的です。皆さんは横的です。祝福家庭は横的に挨拶するようになっています。縦的な基準がなければなりませんから、お母様も仕方がありません。どこかに行って来れば、挨拶をして報告しなければなりません。そのような家法がなければならないではありませんか。約束した通りにするのです。「私がこのように幸いになるようにこの道を行きますけれども、涙を流し、骨が溶けるほどの恨みがあるとしても、耐え忍んで行かなければならない峠があります。この道が早く来なければならないですね。神様が願うのであり、私も願うのです。危険を顧みず、私達はこの道を直行しなければなりません。妥協がありません」と、このように語りました。 自分の息子や娘達が、「うちのお父さんとお母さんは、神様よりももっと立派な方です」と言うようにならなければなりません。そのように教えてあげなければなりません。また、「自分の夫は、妻である私には神様です」と言われるように、全部、立派な夫や妻にならなければなりません。 嫁に行くようになれば、舅や姑がどこかに出掛けて行くときは、町外れまで出て行って待つことができる嫁にならなければなりません。先生もそうしたのです。五十里(注:約二十キロメートル)の道を一緒に行って、連れて来てあげたりしました。二人が会うために、二十五里の道を月夜を徹して行って会ってすがり、涙で祈祷しました。私が涙を流して歩んだ足跡には天の宝石がばらまかれ、私達の町に関係のあったその地方全体が、万国の解怨成事の基台になります。ここから、そのような天が記憶する勇士達が生まれるのです。そのように十年祈祷したとすれば、死ぬ前に一度そこに行ってみなさい。その町が亡びますか。 私は、そのようにして一日中祈祷しました。しかし、亡びませんでした。亡びませんでしたから、私が自分達に比べて苦労したことを知っているので、彼等がひざまずくのです。ですから、為に生きなければなりません。妻とけんかしていてはいけないのです。 そのように生きて、どのようになるのか見なさい。町内では祝福家庭が立派だというのです。一つの祝福家庭がその町内に入って行き、その後孫達がこの道に従って出で立つ時、千年万年の功労に替えることのできない名前が、皆さんの一生涯につき従うという事実、万国を代表した息子・娘が出世の起源に連結されることを知らなければなりません。ですから、絶対に堕落した家庭があってはいけません。今から私が愛の独裁者になるのです。今からはそのような時が来ます。 先生が語ったその理想的家庭を完全に設定すると同時に、今まで祝福受けた未成就の家庭の前に模範になることを宣誓するという人、両手をあげて誓いましょう。降ろしなさい。 真なる家庭の内容を教える統一堂 道端にある花々も挨拶してくれるようにしなければなりません。事実がそうです。私達が母の名前をもって、姉の名前をもって、私がお姉さんを連れて来る時は、称賛をしてあげなければなりません。喜んであげなければなりません。そうすれば、その花達が返事するというのです。霊界に行くようになれば、天上世界で歓迎の声で叫んでくれるのです。そのように素敵に生きることができるのです。 それを知ることのできない、草ぶきの家に住む貧しい人々はどれほどかわいそうですか。他の人々は皆良い暮らしをしているのに、一日三食の御飯も食べられずに、息子・娘を愛さなければならない、その父母の心と同じ立場ではありませんか。そのような人に明日の希望を話してみなさい。 前よりきょうが二倍困難であるとしても、その半分の幸福でもって二倍の困難なことを消化させ、堂々と生きて行くことができるというのです。どこに行っても自分の姿勢を整えて、天の公義を立てますと誓って生きる生活的基台は重要なものです。直ちに現れるのです。 目の前に家庭が見えますね。あのかわいそうな家庭を間違いなく統一教会の信徒にしなければなりません。四季折々、誕生日になれば、餅の一包みなりとも持って行ってあげたりするのです。それが父母の心情ですね。先生は今まで、世界の数多くの人達に洋服も数十万着買ってあげたのです。御飯も数万名に与えました。そうしたからといって亡びません。かわいそうな人々に服を買ってあげたからといってその家は亡びません。そのような人が行くときは長寿を祈って行きます。その声は、天が聞いてあげなければならないというのです。「世界平和統一堂」の堂は家という意味です。世界平和と言って、そのまま放っておいてもいけません。一つにならなければならないのです。世界平和統一をすることのできる人達の家、家庭を教えてあげる家だというのです。 皆さん、共和党という時は、群という意味の党という字です。群という意味の黨(党)という字は、高めるという意味の尚という字に黒という字をつけたものです。それは、サタンを高めるものだというわけです。第二次大戦以後に独裁体制をつくって、あの黨を作りました。それが、このような党に変わりました。この党は兄弟時代を言います。そこで、独裁者の兄弟から復帰して来るのですね。ここで何を教えてくれるのかと言えば、真なる父母として、真なる子供、真なる家庭の内容を教えてくれるのです。それが統一堂です。統一することのできる父、母です。この堂という字は土を高めるという意味ですね。土地を高めますから、土地は母の象徴ですから母を高めるのです。それでこの堂という字は、お母様を中心として教える家だというのです。「世界平和女性連合」を代表する名前が家庭に戻って来て、教える位置に定着するようになる時に「世界平和統一堂」になったのです。お母さんを中心として先ず息子・娘に教えてあげなければなりません。息子・娘まで一つになって、その次には自分の夫に教えてあげなければなりません。酒を飲む夫や浮気する夫、快楽的な夫の前に、お母さんと息子・娘が一つになって、涙を流して、神様の心情をもって祈りながら夫を復帰しなければなりません。 父がいなければ息子・娘がいないのですね。その父がいなければ夫がいないのですね。その夫が地獄の悪魔の巣窟に行くとかわいそうではありませんか。それで先生が南北統一を祈願するのです。すべての男性達が願うことは南北統一です。女性は、南北統一がされようがされまいがあまり関心がありません。しかし、今は反対です。女性達が南北統一を願うようになりました。北側の男性と南側の男性が会えば、けんかしかしないようになっています。自分の党派だけを中心として、全部こぶをくっつけようとする乞食の連中や泥棒の連中ではありませんか。 そのような夫達が今まで女性を蹂躙してきました。彼等は皆天使長なので、正しい道を行く夫がいません。二号をこっそり横に抱いてきたのに、妻に嘘をついてだまして生きているのです。先生はそのようなことが皆分かるのです。男性達が蹂躙したすべてのことを、お母様を通じて解放してあげることによって、先生が天の夫として、父として、すべてのことを整えることができるのです 今からは家庭伝道時代 皆さんはどこに行っても、今後、自分の家は教会としていつも教育する場です。真の父母様の心情圏を中心として、その町内の食口達が集まって祈祷し、絶えず教えてあげなさい。親族を動かして頻繁に集まり、霊界の実在を教えてあげ、霊界と共に生きることがどれほど楽しいことであるかを説明してあげ、そうすることによって、自分の生命が理想世界で永住することを教えてあげるのです。自分の故郷の嫁入り道具をそろえて、お嫁に行くのと同じように、そこへ行くことが重要なのです。地上で死んだままでは満身創いなのです。そのようなことを知っているので、先生は生涯を捧げてこの道を歩んできたのです。 ですから、一生は貴いものです。一生はいつも同じではありません。愛する妻と二人で生きるとしても、いつもそのように生きることができません。時間が惜しいのです。眠っていてもはっと起きて、眠り続けることができないのです。一生の航路は、いかに忙しいことでしょうか。 皆さんの家門の名前によってどこに行くかといえば、学校に行くのです。二、三人集まっても堂を捜し求めなければなりません。そして自分が感動を受けたことがあれば、それを自分の町で話し討論し、全部教えてあげるのです。本当に発展できる話を二十四時間色々としなければなりません。先生がそうでした。 先生は、人々に会えばしきりに教えてあげるでしょう? 私もそのようにしたではありませんか。皆さんもそうしなければなりません。たくさん教えてあげ、たくさん勉強し、こうして家庭を伝道しなさい。今からは家庭伝道時代です。女性だけ何とかすれば、息子・娘をさっと引っ張って集められるのです。十二軒するのは問題ではありません。皆さんが、出て行って十二軒伝道するのは難しいとしても、自分のお母さんの家に行ってすれば、お兄さんのところでもどこでも、入って行くことができるではありませんか。昔は強制的にすれば引っ掛かりましたが、今からは、引っ張って行って祝福を受けさせなさい。そのような時が来たのです。今からは、長子権復帰、父母権復帰、王権復帰、皇族権復帰をすることのできる時になったので、霊的に彼等が歓喜し、歓迎するようになっているので、心でもっぱら良いと感じるのです。 昔はそうではありませんでした。蕩減の道を行かなければなりませんでした。自分の分ではなかったのです。ですから、たくさん奪われたのです。しかし、私達統一教会の信徒は、他人の分をたくさんしてあげたので、今すぐは難しいけれども、息子・娘達はその福を受けるのです。そして、皆さん自身が福を受ける時が来るというのです。 教会長とか、教区長になって、人が訪ねて来るのを待てばよいのですか。若い者が捜し求めて回ることができるではありませんか。町内のどこかに行っても、おばあさんとかおばさんにでも果物をいくつか買って行って、皮をむいて食べながら話をすることができるではありませんか。先祖の代わりに買って行って伝道することができるのです。とにかく伝道をたくさんしなければなりません。伝道したことが、あの世に行けば皆さんの財産になるのです。天国の国民を誰がたくさん作ったのか、重い責任を負うのです。 ですから、親戚がいれば親戚まで訪ねて行って、夜を徹しながら教育するのです。それが今や完全に生きることのできる基盤となるのです。そこで努力をきちんとしていけば、世界に道を築いておいたので、皆さんがこの基盤を通じて女性の大統領も出て来る時が来るのです。 今回はどんな体制になるかと言えば、世界平和統一堂です。これが中心です。ですからお母様を中心とした女性連合を中心として、男であれば、カインとアベルのように活用しなければなりません。そのような所に天運が訪れて来て渦が巻き、風が打つので、人が押し寄せてくるというのです。 体の大きい男が小さい女性に、神様のように、女王のように侍ってみなさい。今からそうしなければなりません。それで勝共連合に関係のあるすべての男達を再教育し、女性を解放することができる教育をしなければなりません。それは、私しかやる人がいません。世界的に基盤を築き、女性連合を中心として組織を作って、将来皆さんに責任を任せる人も私なのです。 天の側から見るとき、天の国を代表した天的男性がいませんでした。全部がサタン側の男性です。私は皆さんを利用しようという考えは全くありません。女性を利用しようという男を何に使いますか。私は皆さんを全部生かしてあげようとしました。全部、妹として見ているのです。女性が家で泣いて暮らしている姿を私は見るに耐えられません。お兄さんであればそうでなければなりません。 ですから、女性解放は、お母様を通じてなすのです。そのことをはっきりと知りなさい。どこにでも行って教育しなければなりません。息子や娘がどこかに行って姦夫と遊んでいるのに、父や母がじっとしていますか。捜し求めて、お母さんは小言を言わなければならないのです。ですから、女性達が小言を言いなさいというのです。教育資料は、私が皆与えました。 すべての男性は全部、一人のお母様の新郎になるのですが、全世界の女性達を分身として侍らなければなりません。女性は本来、アダムの相対でした。ですから、一人のお母様の分身となって家庭に送るのです。それは橋なのです。橋をかけてお母様と一つにならなければなりません。これはレアとラケルと同じです。 昔、レアとラケルが夫を中心として争ったでしょう? 二人はもともと姉妹の立場にあるのですから、敵愾心をもってはいけなかったのです。全部、世界の女性達がお母様に乗って上って来るようになる時、お母様の協助を受けなければなりません。そうしてお母様から再び生まれたという条件を通過してこそ、初めて昔の自分の家庭を再び捜し求めて、天の国に入籍することができるのです。 そのような大変革時代が訪れたということを知らなければなりません。ですから、ここに歩調を合わせなければならないのです。冬が過ぎ、春が来る時は、いつその春の日が峠を乗り越えて来るのか分からないというのです。また、夏と春の交差路も分からないのです。そして、いつ夏が去り、秋が来るのかも分からないというのです。秋が来て、他の人々は準備しており、もう既に収穫しているのに、自分は分からないままでいてはいけないというのです。前もって分かって、準備することができてこそ、自分が正常に行くのであって、準備しなかった人は全部脱落します。故郷に戻り、伝道しなさい 今回祝福を受けた者は、先生が持っている内的な特権を与えたのです。祝福がどれほど恐ろしいことであることか。真の父母を宣布してこのようにしておいた後には、一般の既成家庭は先生が祝福してあげられないというのです。真の父母という、完成した父母の基準を宣布した後には、その真の父母の前に、堕落した姿で立つことができないのです。また、男と女が勝手に一緒に住み、男女関係があった人も祝福をしてあげられません。ただ、処女と未婚の男性だけを祝福するようになっています。ですから、純真な処女と未婚の男性は、統一教会の中でしか求めることができないのです。 天から受け継いだその血族が、血筋がいかばかり貴いかを知らなければなりません。これは、自分の生命よりもっと貴いのです。歴史上の数千万代の生命が橋になってェってきているのです。それが汚れるようなことがあれば、ここから数千万代の後孫の生命の綱が切れるというのです。これは一人の愛といった問題ではないのです。深刻な問題です。ですから、皆さんが祝福を受けてから、その血統をどれだけきれいに保ち、数千万代の後孫にまで残すかということが、これから血族が誇ることのできる問題になります。絶対に血筋を汚してはなりません。 今からの伝道方法は何ですか。(「家庭伝道です。」)明日から祝福家庭は皆、伝道をするのです。皆さんが手帳を作ってでも、三年間にすることを一年以内にしたとすればどうでしょうか。六か月以内にもすることができるのです。それで、皆さんがしなければならないことは、十二家庭を伝道して、イエス様の恨みを解いてあげなければなりません。氏族的メシヤは、イエス様の恨みを解いてあげることなのです。イエス様が十二弟子を集めたのは十二家庭を作るためだったのです。イエス様が祝福を受けると同時に、その弟子達を祝福してあげられなかったことが恨みとなっているのです。また七十人門徒も七十家庭を作らなければならなかったのです。本来、十二家庭と七十人門徒を合わせて、八十四家庭が一つになったとすれば、イエスは十字架にかからなかったのです。それで、皆さんが氏族的メシヤですから、百二十家庭までも乗り越えなければならないのです。ですから、他のところで伝道せずに、故郷に戻って行って、夜であれ昼であれ伝道するのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.03.21
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「四大心情圏と三大王権」一九九二年 八月 二十七日ソウルの国際研修院 国際合同結婚式の背後にあるもの 一九九二年の八月は、歴史的な月であったことを皆さんもよく知っていることと思います。世界的復帰摂理を前にして、いかに統一された一つの総合的な集まりを持って世界に影響を与えていくのかという問題は、世界中の指導者達のみならず、誰しもが皆考えていることなのです。 この統一教会が今まで歩んできた道は、とても常識では考えることのできない受難の道でしたが、そのような道を経ながら、一つの国のみならず世界の国々を結びつけて、今や世界の頂上の峠をすべて乗り越えたのです。このような時点に至ったということは、統一教会の信徒達はもちろん、先生もいかに苦労の多かったことでしょうか。しかし、そこには人間の力だけではなく、天がどんなにご苦労なさってこられたかということを、皆さんはよく知らなければなりません。 そのような神様のご苦労の基台によって成されたこの大会の基盤というものは恐ろしいものです。また、このような報告を聞いた時、ただ喜んでいる間はいいのですが、その背後には何千万倍の悲しみが潜んでいるということを、皆さんは知らなければなりません。 今回の統一教会を中心とした合同結婚式というものは、制限された世界の環境の上で成されたものであり、まだ世界と神の御旨は残っているのです。世界は広く、大きく、遠いのです。その世界をどのように短縮させるのかという問題は、人間の力や努力をもってしてはできないのです。 ですから、私達が今から活用しなければならないのは広報です。今まで統一教会は、広報をしませんでした。それは私が広報を願わなかったからです。 宗教団体というものは、宣伝をしてはなりません。宣伝によって入ってきた人は、教会員になっても、信仰の本質的基盤を体得することができないのです。深く入っていこうとしても入っていくことができないのです。しかし事実を、大会や統一教会の動きを自分の目で見るようになる時、それが一般社会の見る基準とは大いに異なっており、また、統一教会の人々が皆知っていても宣伝をしなかったというので、私が宣伝しなければならないという決意をするのです。 また、そうすることによって、彼が一年、二年、三年、四年と月日が過ぎ、統一教会の内部を知れば知るほど、世の中が知らずに反対しているという事実を自ら知るようになるし、それがむしろ彼自体に刺激的な影響を与えることができるし、心霊発展の動機をもたらす力でもって成長するようになるのです。そのような意味で、広報や宣伝を制限してきたのです。 もし、これから大々的に宣伝をするとしても、事実より七〇パーセントを越えてはいけません。事実より多く宣伝してはなりません。事実の七〇パーセント程度を宣伝すれば、どんな人が統一教会に入って来ても、その深さを探し求めるために長い歴史を通して来たとすれば、それを知るために心霊が啓発される時間が多いので、彼自体にも有利になるのです。しかし、世の中の一般の団体は、何か行事を行う場合、すべて宣伝によって動くのです。 皆さんがよく見る広告で、特に財界の広告は一つの内容を何年も宣伝するのです。そのようにして洗脳し、その一部を見れば直ちにそれと関係あることと連想し、考えるように宣伝するのです。そのようにして宣伝された内容と事実が同じなのかというと、相当に問題が大きいのです。そのようなことは、宗教では許されないというのです。しかし、復帰基盤から見た時、統一教会が持っている内容はとてつもないものなのです。いかなる国も持つことができなかった歴史を持っているのです。 また、今まで先生が開拓してきた道には様々な困難が多くありましたが、何一つ今まで発表しませんでした。先生が監獄生活をしたことや、外国において迫害されたことなど、多くの重要な問題がありますが、今まで黙っていたのです。国が驚き、自分の一族が驚いて、引っくり返るような内容を宣伝するようになり、もしアメリカで活動すれば、その国と怨讐になるのです。家庭も怨讐になるのです。 では、何故そうしなければならないかというと、どうしてもアメリカを救わなければならないからです。大韓民国を救った後には、アメリカを救わなければなりません。大韓民国を救う前にまず自分の家庭を救い、大韓民国を救った後に、アメリカを救ってあげなければならないのですが、アメリカと大韓民国が決裂したり、アメリカの家庭と大韓民国の家庭が決裂するような垣を作っておくとすれば、それがまた問題になるというのです。 ですから、責任を負った者は、そのことを知りつつ、できるかぎりなだめながら行くのです。私は日本の食口や韓国の食口の秘密もよく知っています。知っていても、知らない振りをして越えていくことが多いのです。そして、それを持ち出してくれば日本人だけでなく、韓国の食口達とアメリカの食口達との三角関係になるのです。現在の環境で知ったとすれば問題になることが多くあるというのです。 ですから、団体活動を発展させなければなりませんし、愛すれば愛するほど、それを知らない振りをして押さえていることがいくらでもあるというのです。そのような意味で、統一教会の歴史の中に現れなかった歴史がたくさんあるということを知らなければなりません。 創世以前からあった真の愛 そのような観点から見ると、八月二十五日の合同結婚式の衝撃とか喜びというものは、ただ一日の出来事ではありません。その背後に多くの歴史的な峠を経過して花咲いたのです。 皆さん、汚い沼のようなところに蓮の花がありますね。その蓮の花が夏になって咲くならば、その園に咲く花は何であれ表面は皆同じなのです。しかし、その蓮の花が咲き出るまでの歴史はどれほど長いことでしょうか。水底の汚れの中に種が落ちて、水を貫いて出て来るのです。水の上に浮かんだら風が吹いても飛ばないようにひもを結び付け、何メーターもの深い水の下に基盤を置くことによって美しい花が咲いたのです。そのことを考えてみなさい。その花は普通の木の花とは違います。一般の木の花は枝に咲いています。それはいつも見ることができるのです。また、ばらのようなものは刺の中で咲いています。そのような面で蓮の花は貴いというのです。地と空間を越えて高く上がって来て咲いているので、蓮の花が仏教で尊ばれているのも、そのような内容があるからです。その背景に隠れている内容が一般の花とは違うというのです。 それと同じく今日、統一教会がこのようなことを成したのは、八月二十五日の一日で成したのではありません。四十年の歴史を代表したのです。更にはキリスト教二千年の歴史を代表し、神様の創世以後の六千年の歴史を代表したのです。六千年ということは、聖書史、文化史を中心とした言葉です。実際の人類歴史は二百六十万年以上と考えられています。創世以降に、その長い救済摂理、復帰摂理というものを中心として、神様が続けて準備してこられたという事実を考えてみるとき、その根はいかばかり長いことでしょうか。 ですから、その結果は一つの時代に現れましたけれども、動機は、はるかに遠い神様の心情圏を中心として真の父母という因縁があったのです。「真の父母」という言葉は、歴史以来初めて出て来たのです。皆さんは、その価値も知らずに「真の父母、真の父母」と言っています。祈祷するときも、「真のご父母様、真のご父母様」と言うのです。その「真の父母」という言葉は、歴史以来いつ出てきたものですか。私が現れることによって、四十年前に初めて「真の父母」という言葉が生じたのです。 それでは、その真の父母の内的因縁はどこにあったのでしょうか。これは神様がこの世を造られる前からでした。この地上に万物を創造する前からあったというのです。真の父母の根本は何ですか。真の愛です。真の愛は創世以前からあったのです。ですから創世以前から真の父母の愛があったということになるのです。 では、「神様が先か、真の愛が先か?」と問えば、どのように返答しますか。(「真の愛が先です。」)どうしてそうなのですか。それは、愛であらざるをえません。神様の二性性相が、プラス・マイナスの相対性をもって授け受けすることができるその資格は誰が授けたのでしょうか。被造世界では、鉱物世界の分子もプラスイオン・マイナスイオンからできているのですが、何故そうなったのでしょうか。電子の世界においても陽子・電子が運動をしているのですが、何が運動させるのでしょうか。運動をするようにした動機は何でしょうか。それは、プラスでもなくマイナスでもありません。電子でもないし、陽子でもありません。陽イオン、陰イオンでもありません。また、植物に入って行ってそのような作用をするのは雄芯でもなく、雌芯でもありません。そして動物の世界では、雄でもないし、雌でもありません。では、人間に作用するものは何でしょうか。男でも女でもありません。それは何かといえば、その全部に作用するのが愛なのです。愛故にそうなのです。 このように見るとき、相対的に展開しているすべての万物世界は、主体と対象によって運動するのですが、それは、自分なりの級に該当する愛を中心として運動し始めたという論理を立てることができるのです。このように展開されたすべての被造世界のように神様自体内のすべてのものも、同じ作用をするのです。性相と形状も、唯じっとしているのではありません。 主体と対象が一つになっている方であり、格としては、男性格主体が神様です。神様は男性格主体ですから、女性格対象はありません。それで創造を始められたのです。男性格主体の前に対象格がありませんから、対象が必要だというのです。神様の為に始めたのではありません。神様の喜びと、すべてのものを幸福でもって抱いてあげることのできる愛故にです。 ですから、愛が先なのか、神様が先なのか? これが問題になります。愛自体は人格的になることができません。人の人格であれば知情意があります。しかし、愛自体には情しかありません。それで男性であれば男性、女性であれば女性を中心として、為に生きるところにおいて知が出て来るし、意が出て来ます。そして、情が一つになろうとしますから、希望が出て来ます。世間では「知情意」と言っていますが、本当はそうではありません。「情知意」と言わなければなりません。これを皆、是正しなければなりません。 三万双の祝福は宇宙史的な慶事 ですから、八月二十五日の行事は、その日が何か月前から準備されて成された事ではないのです。長い歴史を越えて、神様がいる前から出発したと考えてみるとき、その全体が和動し、全体が花咲く日になったのであり、天下がそこに直結されて関係を結びたいと思うのが、神様と共に関係づけられた被造世界の願いだと結論付けることができるのです。 それでは、そこで成された勝利が世界的であるというとき、その勝利を誰が占めるのか。統一教会が占めることはできないのです。その歴史的由来によって因縁づけられたすべてのものと、その因縁を調整する神様を中心として、また、霊界であれば霊界の私達の先祖達が因縁づけられたすべての力と、歴史時代を経て来ながら数多くの宗教を動かして、今から行くことのできる未来の世界まで連結させたその位置で、代表的な私達が喜ぶのです。私達だけが喜ぶのではなくて、全体を代表して喜ばなければならないというのです。 バルセロナ・オリンピックでマラソンのチャンピオンの黄選手を誰が知っていましたか。三渉(註・江原道の日本海側にある地方)地方の田舎で貧しく生きてきた人です。けれども世界が公認する場に出て行って一等になれば、どれだけ認めまいとしても認めざるをえないのです。 結婚式は、人生においてどれだけ貴いものでしょうか。オリンピック競技のマラソンより、もっと貴いものなのです。生活環境で一番喜ばしく、一番良く、一番記念になるものは誕生日ではありません。また、死ぬ日でもありません。誕生日と死ぬ日は直結したものです。好むと好まざるにかかわらず、共に訪れるのです。けれども、結婚は直結していません。男と女が出会ったとしても、自分が願った通りにできません。たまたま喫茶店に行って、一度因縁が出来て会ったために結婚するようになったというのです。また、どこかに散歩に行って、たまたま出会って結婚することもあります。それは、実に不思議だというのです。 このように見るとき、世界の若者達が一つ所に集まって、三万双が結婚するという事実は宇宙史的な慶事です。それは、宮廷で、ある王様を中心として王子・王女達が結婚する時、国中でほめたたえられることよりも、もっと恐ろしいことなのです。百三十一か国の人達です。これは、どれだけ否定しようとしても世界的であらざるをえません。世界が驚いて関心を持ち、世界的事件として、その関心が継続して一次、二次、三次までさえ発展していけば、その次からは大変なことが起こります。 今回、三万双したのですが、次回の三年後には何万双したらよいですか。今、それを決定しなければなりません。今からそれを準備しなければなりません。今や私は統一教会の儀式に関係しなくてもよい時になりました。復帰路程において、妨害物を除去させるのに私が剣をかかげ、手を出さなくてもよい時が来たというのです。今や越えるべき峠を皆越えました。 今やメシア宣言したでしょう? (「はい。」)メシアは、日本語で「飯屋」です。救世主はまずどのような人々を救ってあげなければなりませんか。やくざ達や暗黒世界なのですか。一番良い人達を救ってあげなければならないというのです。この世の中は悪なる世の中です。悪なる世の中で一番善良な人達はどのような人達ですか。悪なる世の中が好む人達ではありません。悪なる世の中が嫌う人達です。サタン世界で一番善良な人は、サタン世界で一番嫌われる人の中にいるというのが定評です。 成約時代の勝利的基盤は旧・新約時代の喜びと連結 それでは、サタン世界で一番嫌われ、憎まれ、理由もなく悪口を言われる人々がこの世の中のどこにいますか。神様の選民です。イスラエルの国の人々が皆嫌われますね。選民の歴史がそうだからです。神様が選んだ民は、悪魔の世界で、ぞっとする程に悪魔の世界が八方から謀略し、八方から清算するための戦いと迫害と、ありとあらゆる行動を皆してくるのです。 ですから、一つの宗団であるイスラエル民族が国家を形成する時までは、悪魔の世界に四方から囲まれ、すべての国々が非合法的な行動で皆集約して攻撃するのです。無くそうとするのです。そこの責任者を無くしてしまい、そこに精神的な支柱になっている宗教であれば宗教、思想であれば思想を無くしてしまおうとするのです。 イスラエルは、歴史を通じて捕虜になって他の国に捕らえられて行ったことが多くあります。そのような民族はイスラエル民族しかありません。ジプシーの生活を続けているのです。その反対の位置に立って影響を及ぼした時が無かったというのです。キリスト教をみても、ローマ帝国の四百年間の迫害時代を通じて、千辛万苦、数多くの人々が血を流し、追い詰められ、追われながら、かろうじて生き残ってきたのです。 このように、選民イスラエルの歴史とキリスト教の背後は悲惨なのです。ローマにカタコムベというものがあります。それは地下の洞窟ですが、そこでは、四百年間のローマによるキリスト教迫害時代に、生き残るために隠れて生活し、死ねば壁に墓を作って、そこに死体を入れておき、それが腐る中でご飯を食べ、子供を生んで育てたりしたのです。動物でも、そのような生活をできない状況の中で、信仰の道を貫くために、そのような悲惨さを克服しながらローマ帝国を占領し、キリスト教文化を創建したのです。 それ故に、「キリスト教」と言えば、誇る前に悲惨であったと考えなければなりません。存在するもので、根を持たずに現れるものはありません。立派な木になろうとすれば、立派な姿を育て出すために、見えない根があるのです。見えない根が大きくなったので、木も大きくなるのです。また、見えない根を中心として長くなったので、長い間死ぬことなしに大きくなるのです。 根の中には環境的条件を克服して消化する自主的な能力、即ち、過去の能力、現在の能力、未来の能力が潜んでいます。それと同じように、過去、現在、未来を制圧して余りある力の条件を自分自身に保有している人だけが、歴史的未来世界に主体として残るようになるというのです。 今日、統一教会は、統一教会自体でもって始まったのではありません。イエス様が来られる時までの四千年間の旧約時代、そして二千年の新約時代というように、六千年の歴史のバトンを受けて成約時代を完成しなければならない使命を帯びているのです。それ故に今日、成約時代の編成のために勝利的世界基盤を築いたとすれば、それは成約時代だけで成された喜びではなかったということを知らなければなりません。その前に、新約時代の喜びと連結されなければなりませんし、その前に、旧約時代の喜びと連結されなければなりませんし、その前に、神様と連結されなければならないのです。 アルファたる神様を中心として始まったので、そこに根を共にしてこそ、オメガへと戻って行くことができるのです。そうしてこそ、循環運動が可能なのです。すべては循環運動をするので、主体と対象を中心として、必ず位置を相互に交替しなければならないのです。それは何故かといえば、互いに平準化されようとするからです。そのためには授け受けしなければなりません。一度与えて平準化が成されれば、二度与えた時には二倍の平準化が押し進められるのです。そのような関係性を持つことなく今日の喜びはありません。 たまたま金持ちの息子・娘として生まれたからといって、その地方で威張る人がいますが、それではいけません。出来がよいからといってどうして威張りますか。平面的には皆同じだとしても、整えた背後の根が違うのです。先祖達が苦労したので、自らは豊かに暮らせるのです。高い山に上って行くことはどれだけ大変なことでしょうか。夜中に高い山を上って行った人は、早朝を早く迎えることができるのです。それと同じだというのです。 真の愛と真の生命を持つ真の父母 ですから、すべてのことが、関連する因縁を背景にして関係付けられているという事実を知らなければなりません。その事実だけを喜ぶ人達は見物人であり、通り過ぎる人です。主人になれません。主人と客はそこが違うのです。主人とは、根と共に、背後と共に、そのすべての難しい環境を消化しながら、内的なことに責任を負い、一つの勝利の基盤を設定するために努力している人です。 統一教会で行事をすると言うので、世界の有名人達が一日来て感動したとしても、その人達は客にしかならないのです。そして、統一教会の祝福を受けた家庭においても、その三万双にも差があります。三万双が皆違います。同じではありえません。そうなれば、自分は何番目の級に入るのか、考えてみましたか。 今回祝福を受けた人達、手を挙げてみなさい。ここには教区長達が来たのですね。教区長ほどになれば、そのようなことを少し考えなければなりませんね。三万双の中で教区長というものが何番目に精誠を尽くし、切実なる心でもって待ち焦がれて来たでしょうか。神様は、来るべき主を迎えて結婚式をする日を、どれだけ待ってこられたでしょうか。(「六千年です。」)それは文化史を中心として言う言葉です。実際には、何百万年の間、待ち焦がれてきたというのです。それは深刻な問題です。 また、イエス様を何千年待って来ましたか。イエス様は二千年、イスラエル選民は四千年待ちました。選民が何をしようというのですか。父母がいないために父母を探し求め、父母を育てることのできる民族を作ろうというのです。このようなことを考えるとき、今回の行事を忘れることができないのです。 普通に参加する人や皆さんの父母が来て喜ぶ、そのような流れて行く喜びにひたってはいけません。神様の立場で、根を持って喜ばなければなりません。あるいは結婚対象者が、自らの様々な蕩減路程を経るために苦労した人達が多いのですが、その人達の等級の順序の中に立っている私自身はどのような種類の人なのかということが問題です。 真の父母が誰なのか分かるのかというのです。真の父母は何をする人なのですか。直接の関係は何なのですか。真の父母は他でもありません。真の愛を持った方であり、真の生命の種を持った方です。その二つしかありません。真の愛と真の生命があれば皆それで良いのです。そこには血統も生じます。真の愛さえあれば所有権もあるし、心情圏もあります。すべてのものが皆あります。それ故に必要なのです。 それでは、堕落とは何か。堕落した先祖とは何か。偽りの愛と偽りの生命を植えてしまったのです。故に、汚れたものを澄んだ水で洗わなければなりません。一度汚れたものを洗うことは易しいことですか。白紙に何か書いておいたものを消したからといって、前のようにきれいになりますか。紙一枚でも、染まったものを消すことは大変なのに、私達の心の世界が汚されて、体と心が今まで何千年も闘争してきた歴史を見れば、癩病で目茶苦茶になったのよりもっと険悪になったのに、水で一回洗ったからといって、きれいになりますか。簡単な問題ではありません。千回万回、繰り返さなければなりません。「精誠」という言葉がありますね。同じことを千回万回、心を尽くし、反復しながら、私を良くすると同時に、世界まで良くするために影響を及ぼすというのです。良い品物を作ろうとすれば、どのようにしなければなりませんか。素人が工場に入って行って、一回教えてもらって、学んで作ったからといって、それが良い品物になりますか。千回万回、精誠を尽くさなければなりません。「原理の御言を中心として精誠を尽くす人」というのは、原理講論を毎日、読んで、読んで、読むのです。朝に読んで、昼食時に読み、夕方に読みながらも嫌にならない事が精誠です。同じことを千回万回繰り返すのです。 南北統一は直ちにできないのです。四十年かかったのです。四十年間、一日も絶えることなく、一日に三食ご飯を食べる時、眠る時、いつでもそれを繰り返さなければなりません。繰り返すにあたっては、四十年前に初めて精誠を尽くした時からだんだんさめてくるようではいけません。千回したとすれば、千回だけ皮がむけなければなりません。皆さんは、原理講論を何回読んでみましたか。 真の父母は救世主の父 今日、真の父母を中心として世界的な患難の中で迫害を受け、四十年間の受難の路程を経て来ながら、このような勝利の版図を持ったという事実を顧みると、心が冷々とするほどです。もしもこれができなかったとすれば、先生は地上から立ち去らなければならないのです。七十歳が過ぎたのに、これができなかったとすれば大変なことになるではありませんか。 私は善なる人々を探し求めて来たのです。善なる人を救わなければなりません。彼等は宗教者達です。再臨主、救世主が来るとすれば、善なる人を救うために来るのですが、善なる人はサタン側が喜ぶ人達ではありません。よく食べ、立派に着飾り、踊りを踊り、酒に酔って四つ角で千鳥足で歩く人達は、皆ごみ箱に捨てられる人達です。自分のために汗を流す人達を救ってあげるのではありません。未来の世界のために汗を流し、未来の主人のために汗を流す人達を救うのです。 サタン側で愛される人は、救世主が必要とする人達ではありません。真の父母が必要な人は、救世主が必要とする人達の中でも抜きんでた人達です。救世主は、真の父母の息子です。真の父母と救世主とではどちらが偉いのですか。(「真のご父母様の方が偉いです。」)聖書を読んでも「真の父母」という言葉はありません。真の父母が何かといえば、新郎として来る方なのです。イエス様は結婚もできませんでした。そのような人が父になることができますか。真の父母は何かといえば救世主の父だというのです。 イエス様も霊界では先生に挨拶しなければなりません。このような話をすると、「異端だ」と言って大騒ぎしたのですね。自分達が分からなければ無条件に皆、異端だと思うのですね。分からないからと言って反対したのですが、小学校に入学してみると、反対したその人が先生であればどうしますか。世の中で無知な者として取り扱ったのですが、大学に行ってみると、その人が自分の担任教授であったらどうするのですか。それほど恥ずかしいことはないのです。ちょうどそれと同じだというのです。 歴史的な主体の前に相対的な面の価値を帯びて、小さくとも、内的な姿は条件だけでも整えて喜ぶとき、それが歴史的に捜し求めてきたその喜びです。先ず天に栄光をお返しし、歴代の預言者達に対して、アブラハムの時代からずっと栄光をお返しし、イエス様が見ることのできなかったものをイエス様の前にお返しし、私達の統一教会の先輩達が見ることができなかったものを彼等に栄光を皆お返しして喜んで、笑うようにならなければなりません。そのようになれば、冷たいお茶でも一杯準備して、私に飲ませて喜ぶ人と共に私が喜べば、私は全体が喜ぶ人の対象になり、彼が持つすべての栄光の価値を私が同じ位置で、さほど苦労せずに受けることができるというのです。 ですから、私は出しゃばる人が一番嫌いです。自慢しようとすれば、私以上自慢できる人が世の中にどこにいますか。けれども、それが嫌なのです。何故なら、愛の対象を立てようとするからです。愛する人は自分よりもっと出来が良いことを願いますから、神様が立ててこそ、もっと出来が良いのではありませんか。出来が良い先生が皆さんを立てて、褒めたたえてこそ、喜ぶのではありませんか。 大いなる使命のために行われた祝福 今からは統一教会を知らなければならないようになっています。統一教会を知らなければ常識がない人です。本当です。統一教会を知らなければ何の価値もない人になります。外に出て行ってみなさい。「どこから来たのですか」と問われたとき、「韓国から来ました」と言えば、「三万双が結婚したそうですが、どのようでしたか」と聞かれることでしょう。それを説明できなければなりません。「それは、事実です」と答えれば「行ってみましたか」と聞かれるでしょう。もしも行ってみることができなかったとすれば、「テレビで見ました」と答えます。「どうでしたか」。「壮観です」。「どんな人達が集まりましたか」と聞かれれば、全部説明しなければならないではありませんか。何故そのように集まったのかというのです。目的は何なのですか。自分の花嫁や夫をもらうことが目的ですか。世界を救おうというのです。家庭完成は、氏族完成と連結されるし、国家を完成させなければなりません。そのような広く大きい使命を前におき、結婚したのです。 ですから、二人が好きになるのも良いけれども、二人に願われる御旨が成されるように、万民の前に展開することの方がもっと忙しいのです。そのようになれば、全体の前に影響を与え、影響を受ける環境と条件は、この人を中心として侍り、しっかりと寄り集まるのです。 皆さんは誰を中心として寄り集まっていますか。夫を中心として寄り集まっていますか。妻を中心として寄り集まっていますか、それとも、先生を中心として寄り集まっていますか。(「お父様を中心として寄り集まっています。」)私が皆さんに、「花嫁を置いて、他の所に行くように」と言えば、行くことができますか。(「はい。」) 今年七月二十一日のことですが、先生がお母様の大会をして、その後、「四十日伝道に行かなくてもいい」という女の声を聞きました。毎年行っているのに、今年は何故行きませんか。「九月から四十日間、伝道に行け」と言えば行きますか、行きませんか? 「そのように一度も休み無くこき使おうとするんだな」と思いますか。見なさい。地球は回っているのです。休めばよいのですか。休めば大変なことになります。「ああ、統一教会を信じることは辛い。一度も休むことができないし」と言うとき、息のことを考えてみなさい。三回だけ休んでみなさい。 先生もそうです。二十四日、リトル・エンジェルス会館でバンケットをして帰って来ますと、翌日が結婚式なのに、四百名がまだマッチングを受けていないで、どこかに集まっていたのです。それで、行って夜を徹して四時過ぎまでマッチングをしてあげると、土砂降りの雨が降っているのです。「雨が降れば雷が鳴って地がはね上がる。そこで三万双を不動の姿勢で立って祝福してあげれば、それこそ歴史的な事件になるのだが」と思うと、気持ちがよかったですね。(笑い)それは考え方によるのです。雨が何の関係がありますか。雨が降ったからといって、ご飯を抜きますか。腹が空けば、たとえ雨が降っても食べなければなりませんね。 結婚の問題は一生に一回しかありません。御飯を一食食べないことより、もっと深刻ではありませんか。雷が何の関係がありますか。そのようなことは眼中にもないのです。この前、大会をする時、「雨が降れば中止にしますか、それとも行いますか」と聞かれたのですが、大会をするのに雨が何の問題になりますか。そのような考えは先生には通じません。 救世主は、サタン世界で一番嫌われている人を救うのですが、世の中で探し求めてみると統一教会の皆さんしかいません。サタンがたまらなくなって反対しますから、サタンが一番憎むのは統一教会の皆さんです。ですから、救世主は統一教会の人々を訪ねて来ざるを得ません。救世主の父が神様ですから、神様は統一教会の文先生を忘れてしまうことができないというのです。神様が文先生を訪ねて来て、神様のすべての秘密を皆教えてくれ、密かに相談したりしていましたから救世主になったのです。神様の身代わりとなって世の中を救うことができれば救世主になるではありませんか。救世主の内容は何なのか。真の愛と真の生命の種を植え付けてあげることができれば救世主になるのです。ところが人類は、真の愛の畑で生まれませんでした。真の生命の種を受けられませんでした。 復帰摂理の最終目的はアダム家庭の完成 さあ、今からしっかりしなさい。時間がなく、短縮して話をするのです。今から私達はどのように行かなければならないのか。今や個人を伝道する時が過ぎて行きました。今からは個人伝道を考えません。 どこから堕落しましたか。個人で堕落しましたか、家庭で堕落しましたか? (「個人でしました。」)アダムとエバが一人で、個人で堕落しましたか。相対がいてこそ堕落するのでしょう? 相手がいないのにどのように堕落しますか。どこで堕落しましたか。(「家庭で堕落しました。」)家庭でです。家庭の中で何人ですか。(「二人です。」)家庭が堕落しました。それによって一族が引っ掛かるし、民族が引っ掛かるし、国家が引っ掛かるし、世界が引っ掛かっています。 それでは、どのように救いを受けなければならないのか。今日、キリスト教思想の中で間違っていることは何かというと、救いを受けるにあたって、私個人の救いを受けるというのです。そして、イエスを信じれば天国に行くことができると言われているのです。では、一人で行けというのですか。天国に行ってみなさい。しかし、そのようにはなっていないのです。 天国とは何でしょうか。本来、神様の王子・王女が王権を受けて、国を治めていて、相続を受けてきた王権を自分の息子・娘に伝授してあげて生きていくところが天国です。そのように考えてみるとき、「天国は空いている」という言葉は否定することができません。天国が空いていますから、天国を創造されようとした神様のすべての理想が成されないまま、悲惨な神様であるというのです。 それでは、今までイエス様が苦労したことは何だったのですか。それは、新婦を捜し求めてくることだったのです。そのようにすることができる一族がいなければならなかったのです。ザカリヤの家庭とヨセフの家庭が連合したような、カイン・アベルの環境がなければなりません。カイン・アベルを中心として二つの相対圏がなければなりません。救援摂理は復帰摂理であると言いました。復帰は戻って行くのですが、復帰摂理は再創造の摂理です。 神様が環境を造っておいてその中に何を置きましたか。環境を創造した後に、必ずプラス・マイナス、主体と対象を置きました。それが創造の原則です。神様は、環境を創造した中に主体と対象を置きました。ですから、鉱物にも主体と対象があるし、電子にも主体と対象があるし、植物にも主体と対象があるし、動物にも主体と対象があるし、人間にも主体と対象があります。雄雌、男女、皆あるのですね。すべてのものが皆主体と対象から出来ています。手も、右手が主体であれば左手が対象です。こうして合うのです。足も皆、主体と対象で出来ています。二つが連合して一つの焦点で皆連結されるのです。 家庭が堕落しました。ですから、今までの救援摂理は何かと言えば、家庭を復帰するのです。誰の家庭かと言うと、アダム家庭完成のためです。アダム家庭が堕落して、サタンの汚された基台を中心として氏族が出来、民族が出来、国家が出来、世界が出来たし、天地が出来たのです。サタン世界の家庭がこれを貫いて出て行こうとぶつかるようになるとき、これが壊れてはいけません。個人的勝利の環境に氏族環境が行ってぶつかったとしても、中心にならなければなりません。たとえ国家が反対したとしても、貫いて出て行かなければなりません。世界が反対したとしても貫いて出て行かなければなりません。 オリンピックのチャンピオンも、記録を破れば王になるのですね。記録を好む人が王の振る舞いをするのです。それと同じく、蕩減復帰路程において、記録を破って完成したアダム家庭一つを作ろうというのです。神様の再創造の役事は、失ってしまったアダム家庭を復帰して、サタン世界の版図圏内でどれだけ迫害されても亡びず、無くならず、勝利して残る一つの家庭王を作るためのものです。真なる神様の生命と愛を中心とした王宮に生きることのできる家庭を作ろうというのです。これが救援摂理の最高の目的です。 家庭解放のための救いの歴史 今までの救いの歴史は、完成した家庭を捜し求めるためのものでした。イエス様が来てもできませんでした。家庭をなして国を従えなければならなかったのです。ローマに入って行って、ローマを消化しなければならなかったのです。そうすれば天下を統一したことになり、還故郷することができるのです。 先生も同じです。真の父母の位置に立って、個人を中心として上がって行かなければなりません。長成期完成級から完成期完成級まで七数が残ったのです。これを上がって行くために霊界と地上界を連結させて、霊界の勝利圏を地上に結ぼうとすると、宗教圏を全部収拾しなければならなかったのです。全部上がって行った後に宗教が必要ですか。アダムの世界に宗教がありましたか、不義の政治がありましたか。不義の泥棒もいませんでした。ここには絶対に順応します。侍り、歓迎するようになっているのであって、そこに対峙し、闘争して、分散させようとするものがなかったというのです。 しかし、今日、サタン世界で先生の家庭を中心として、長成期完成級から出発して七年路程を行く道に、この世界が厳しく打ち、無くしてしまおうとしたのです。そこから勝利しなければならないのです。そのためには、御言でもって勝利しなければなりません。キリスト教であればキリスト教文化圏内でそれを全部収拾し、共産主義と自由世界まで収拾して、上がって行かなければなりません。そこから、左翼と右翼が全部反対するのです。 十字架のイエス様を中心とした右側の強盗と左側の強盗のように、二つの輩をもってこのようにして行くというのです。(仕種で示される。)これが天へ一八〇度戻って行かなければならないのです。左側が右側になり、右側が左側になろうとすれば一八〇度ではありませんか。そうしてこそ統一された世界へ行くのです。ですから、左右を収拾して一つの勝利された世の中を造り、どの国であっても先生の家庭が行くところに反対できない勝利的家庭にならなければならないのです。 キリスト教が反対するその局面を、統一教会によってキリスト教に対処してきたのです。大韓民国が反対するのに対処して、世界統一教会民族編成をなしてきたのです。民族を作ろうが、国家を作ろうが、今や大韓民国が統一教会をどうすることもできません。国家の次元を乗り越えました。 世界のすべての帰着点は韓国ですが、韓国に帰着するためには、心と体が帰着し、夫・妻が帰着し、親戚が帰着しなければなりません。世の中を見れば、一番難しいのが姻戚です。姻戚同士は大概会うことを嫌がりますか、会うことを好みますか?(「会うことを好みます。」)あまりにも会うのが好きで心配です。食べるものがなければ姻戚の家に行って御飯をもらって食べようということを考えます。住むところがなければ、その家に行って潜り込んで住めばよいと考えます。それでも、先生が教えた原理によれば反対できないようになっています。兄弟が飢えるようになれば、共に分けて食べなければならないのですね。兄弟が隣の町の寒い部屋に住んでいて、自分達の部屋が暖かければ、自分達の部屋に来て眠るようにさせるのです。そのようにならなければ兄弟とは言えません。民族を越えて、血族を越えて、そのようなことをしなくては天の国を所有できません。天の国の皇族の血族になることができないのです。 今まで歴史は、家庭を解放するための闘いをしてきたのです。旧約時代、新約時代、成約時代。成約時代とは何か。中心となる真の父母の家庭が、堕落圏の世界において完全に勝利し、乗り越える時を言うのです。そのようになれば、環境をみても文総裁の家庭を打ち捕らえようとする怨讐がいません。彼等が争って負けたので、無くなったのです。たとえ射撃のチャンピオンであっても、オリンピック競技に出て負ければ、自分が持っている賞杯を引き渡さなければなりません。 サタン側の世界をずっと経て来るのに、ご父母様の家庭に対して、世界中の国の家庭が反対しないのです。今では「ああ、行くべき所が分からない」と思うのです。今、そうなのです。世界は今後、行くべき所へ行かなければならないのですが、アメリカに住んでいる人も、この一等国がどこへ行くのか分かりませんし、大韓民国も、どこへ行くべきか分かりません。そのようにして次第に修羅場に消え去って行くのです。 偽りの愛がこの世界を地獄世界に作ってしまったから、神様は、はるか底の方へ下って行くようになっているのです。しかし、夜が明ければ暗いものは反対に押しやられていくように、悪魔が作った亡国の版図は、朝が来ればだんだん地へ入って行くのです。来るべき主が現れる時には、だんだん目茶苦茶になります。 アメリカ自体が世界の中心なのに、世界を失ってしまいました。世界の主人になることのできる思想がありません。白人を中心としたアングロ・サクソン民族、それ自体が一つの民族でもありません。自分の民族に関することも皆分かりません。父、母も皆、忘れてしまいました。夫婦同士も皆分かりません。全部、個人主義になって、皆失ってしまいました。 女性として生まれれば、男なしには絶対に生きることができないようになっているのです。それなのに、フリーセックスをするのです。そこに何か残りますか。よく見てみると全部、お互いに利用し合っているのです。相手を愛するが故に、そうするのでありません。考えると呆れ返ります。そのようにして、だんだん暗黒の天地が訪れ、嫌になるのです。そして、今後は皆、生理帯を付けて生きたがるというのです。関係を結びながらも、もの寂しいのです。それは全部、利用してやろうとするからです。自分にお金でもあれば、こちらで奪われ、あちらで奪われて、結局巡り回ってみると自殺するしかないのです。彼等には行く所はありません。 ところが、統一教会の信徒達を見ると、外見はみすぼらしいのです。今回も、アンカレッジから祝福を受けに来た統一教会の男女を見ると、着のみ着のままで来たのですね。嫁に行こうとする娘達が着ているものを見ると、飯場で働いていた服を着ているのです。また、唇を見てもルージュ一つも塗らないし、化粧もしないで来るのです。それを見て私は、[私があのようにしてしまったのか。それとも、自分達がそうするのか]と考えました。私がそのようにしたとすれば、それは私が罪人なのです。私達の統一教会の信徒達がそのように生きるので、私も身に付けるものも質素なものを着て歩き回るのです。条件的にでもそのようにするのです。負債を負ってはいけないのです。負債を負う者は立ち去らなければなりません。後退するのです。 今までの救援摂理とは何ですか。真の父母の家庭を完成させて、サタン世界のすべての国の家庭と、すべての民族の家庭が、その家庭に反対せず、崇めるようにする環境を作ることが、選民を立てた神様の御旨でした。イエス様が家庭を捜し求めることができたとすれば、国を代表し、世界を代表し、自由奔放な解放された立場で生きられるようになったのです。しかし、そのように生きられなかったのです。それがイエス様の恨みであることを知らなければなりません。 ですから、キリスト教を中心として、二千年後に再び来る時までの新約時代において、第二イスラエルのクリスチャン達がしなければならないことは何か。新婦を準備しておいて、新郎を迎えた後に、世界舞台を中心として、自分の家庭や自分の国よりももっと自由に世界を治めることのできる環境を神様が作ろうとされたのです。そのように準備されたのに、キリスト教はそれを成すことができませんでした。 堕落によって失われた実体完成圏 さあ、はっきりと聞きなさい。今からの時代はどのようになるのか。家庭を中心として解放圏を全世界に整えた統一教会の文教主によって、初めて自分が解放された環境で、万国の主人であることを発表しなければなりません。 主人とは誰ですか。真の父母様です。ですから、今回、女性大会の活動をするとき、父、母、息子・娘達を動員して標本を見せるのです。その家庭を東西南北で反対せず、歓迎したという事実が驚くべき事実だというのです。ですから、救援摂理は、来たるべき主の家庭が、世界のどこでも境界線なしに、夜でも昼でも自分の家のように住むことのできる環境を作るためにあるのです。そのための先発隊として選ばれたのがイスラエル民族であり、キリスト教です。ですから、再臨時代には、キリスト教の基盤の上に来たるべき主と出会ったならば、世界はそのような版図として継承されるのです。 それでは、そのキリスト教は、来たるべき主の時をどのように準備しなければならないのかといえば、サタン世界で互いに反対する家庭や国を全部結び付けて、清算しておかなければなりません。それで、来たるべき主の立場に相対するキリスト教文化圏を中心として、サタン文化圏を完全に占領して、統一圏を整えなければなりません。そうしてこそ、主が来て、家庭理想を超国家的な次元で行使することができるのです。それで、キリスト教は二千年間、超国家的な版図を世界的に築いてきたのです。旧約時代に失敗したことを新約時代に成就すべきでしたが、できなかったのです。それで、成約時代に来て成就するのです。ですから、成約時代に再臨主が来る時、キリスト教文化圏が世界を支配する位置に立たなければならないのです。事実、そのようになったか、ならなかったかということを、皆さんは知らなければなりません。 神様が理想とされる完成アダムは、人間が堕落することによって今まで現れませんでした。反対に、どのようになったのですか。(以下図①)サタンが神様の代わりに立って、堕落したアダムと一つになりました。このアダムの下にエバが従って行ったのです。この下にカインが従って行き、その下にアベルが来ます。本来、堕落しなければ、神と一つになったアダムにエバが連なり、そこにカインとアベルが繋がっていったのです。このようになったとすればサタンはいません。 しかしながら、堕落することによってこれが皆無くなってしまったのです。モデルは残りましたけれども、実体完成はできませんでした。実体完成する代わりに、堕落した実体圏が起こりました。ですから、主人が代って、サタンを中心としてこのようになりました。 ここ( )に神様が入って行くことができるのか、できないのかが問題です。堕落した後にアダム・エバをエデンの園から追い出したでしょう? ところで、アダム・エバは子供を生んだ後に追い出されましたか。愛の関係で堕落したとすれば、愛の関係を結んだことを知った後に、子供を生む時まで保留して追放するという法は無いのです。雷が落ちるのです。堕落したアダム・エバを見れば直ちに火が落ちるのであって、何日か待つことができますか。できません。絶対にできません。 子供を生もうとすれば夫婦生活もするし、胎内で十か月は待ってから、「おぎゃー」と言って出て来るのです。ですから、結論ははっきりしているのです。堕落した直後、子供を生む前に追放されたということは間違いありません。それでは、アダム・エバが子供を生む前に追い出されてどこへ行ったのでしょうか。人であっても、動物のように食べるものを捜し回るのです。まさに動物とそっくり同じです。 それでは、二人が動き回りながら何をしたでしょうか。エバとアダムが一緒に動き回ったでしょうか。「このあばずれ女め、もうお別れだ」と言って、一人は東へ行き、一人は西へ行ったでしょうか。アダムが怒って、「このエバめ!」と言って頬を叩いても、エバが泣けば、やはりかわいそうに思うのですね。「あいつ、どうなったのか。死ななかったか」と思って行って見るのです。ですから仕方無しに付いて回るしかないのです。そして、二人が動き回りながら分別がつくようになって、動物達も全部、雄、雌のつがいが交流するのを見ると「一緒に生きるな」と言っても生きるようになっているのです。 蕩減法による復帰の役事 それでは、その結婚生活を誰を中心としてしたのでしょうか。神様がそれに干渉したでしょうか。アダム・エバはカイン・アベルを生んだのですが、神様が、「アダム・エバよ、息子・娘を生みなさい」と言って生んだのがカイン・アベルなのですか、それとも自分勝手に生んだのがカイン・アベルなのですか? (「自分勝手にして生んだのです。」)自分勝手にしたのですが、誰が喜びましたか。(「サタンです。」)サタンが喜んだのです。サタンを中心として結婚式をしたというのです。これを否定することができません。故に、サタンの愛を受け、サタンの生命、サタンの血統を受け継いだということを否定することができません。それで、今日、堕落した五十億の人類は、完全に悪魔の血筋を受け継いだというのです。堕落という概念をはっきり知らない人は、復帰の概念が分かりません。それを知らなければなりません。 ところで、アダム・エバの二人が一番初めに堕落したことだけでも悔しくてたまらないのに、二人がまたくっついて生きるのを見るとき、神様はどのように思われるでしょうか。喜ぶでしょうか。「そのように生きなさい」と思ったでしょうか。呪いたかったのです。そのような連中を、創造理想の主人である神様は放っておくことができないので、再び創造理想の位置を捜し求めなければなりませんでした。この位置( )に立たなければならない神様が、サタンが頭になりましたから、仕方なく戻って来て、この位置( )に立たれたのです。町内に娘がいて、神様が息子を育てて、その人の嫁にしようとしたのに、町内の泥棒野郎が行ってくっ付き、息子・娘を生んでしまったというのです。だからといって神様は、「私は、そんな息子・娘は必要ありません」と言うことができないのです。絶対的な神様が永遠性を中心として造ったので、仕方なく、これを再び捜し求めて修理するしかないのです。ですから、救援摂理は復帰摂理です。戻って行くのです。復帰摂理をしますから、再び修理するしかないのです。病気になれば病院で全部処方して、反対に引き上げるようにしなければならないのに似ています。それ故に救援摂理は、逆にしなければならないのです。 それで、神様は仕方なしにアベルを通じてなされるのです。アダム・エバを思い通りに主管し、カイン・アベルを思い通りに主管することのできる神様が、エバを奪われ、直系の長子権を皆奪われましたから、次子からするしかないのです。本来は、神様がアダムの主人であり、アダムが神様の息子であるので、サタンも仕方がないのです。神様が取ることができるのは、復帰原理から見るとき、これしかないというのです。(図① を示しながら)ですから、神様は、アベルを捜し求めてカインを屈伏させる役事をなさるのです。 ところが、ここに悲劇が起ったのです。これを再び上って行くためには力だけではできません。歴史の路程に逆説的路程がここから生じたのです。愛の歴史的路程、生活の路程全部が反対しますから、一八〇度の逆説的路程が成立したのです。ですから、聖書を見れば「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きる」というのです。イエス様は「誰でも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらには自分の命まで捨てて、私のもとに来るのでなければ私の弟子になれない」と語りましたし、又、「誰でも、私について来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って私に従って来なさい」と語りました。自分の十字架を、父母たるイエス様が負ってあげることはできません。子供が罪を犯したからといって、神様が責任を負うことができないというのです。それで、イエス様は「自分の父、母、息子・娘よりも私をもっと愛しなさい」と語ったのです。たとえ愛するとしても、「自分の十字架を負って従わない者は私の弟子になれない」と語りました。十字架を加えたのです。それが何かというと、蕩減法です。一八〇度変わらなければなりません。サタンがあの頂点を握りましたから、一八〇度反対は底ではありませんか。神様が底を握り、ここ( )から復帰の役事をして行かなければならないのです。 復帰の経路 今日、歴史は今までこれ( )も清算できませんでした。今まで兄弟げんかです。血筋でこれが交叉したので、カイン・アベルでもって血筋を捜し求めて行くのです。(以下図②参照)これがカイン側であり、これがアベルです。三段階を経ていくのです。アダムの家庭において、カイン・アベルが兄弟として生まれました。ところで、神様を中心としてカインをアベルの前に屈伏させなければなりません。順序は、神様、アダム、天使長です。神様の位置がここにあるし、その次がアダムの位置、その次に天使長の位置です。この天使長がカインであり、アダムの位置がアベルであり、サタンの位置の代わりが神様です。神様とアベルが合わさって天使長が屈伏しなければなりません。復帰がそうでしょう? 順序が神様、アダム、天使長ですね。ですから、神様が次子アベルをアダムの位置に立てておき、カインを天使長の位置に立てたのです。ですから、カインはアベルの前に屈伏しなければならないし、アベルはお兄さんの位置に上って行かなければなりません。 堕落しなければ順序は、神様、アダム、天使長の順です。カイン・アベルが交叉した位置で、長子権を捜し求めなければならないという論理がここから出てくるのです。こうしてアベルとカインが、主体と対象の位置で一つにならなければなりません。 復帰歴史は再創造歴史だというのです。堕落しなかった時は、主体が先になった位置なのですが、堕落したのを復帰するには逆になるのです。小さいものが主体になり、大きいものが相対にならなければならないというのです。それを強制でするのではなく、自然にするのです。アベルが主体の位置であり、カインが対象の位置なのですが(図①②)、強制で替えるのではありません。主体と対象は、順理的にするのです。自然的にしなければならないのです。ですから、救援摂理は難しいのです。 これが神様を中心として一つになるようになれば、神様の位置とアダムの位置と天使長が復帰されるのです。この二人が一つになれば、アベルがプラスになり、カインがマイナスになるのです。再創造歴史であるので、環境圏内で一つになって、プラス、マイナスが設定されれば必ず次の圏があります。これよりもっと大きいものがプラスになるか、マイナスになるのです。もっと大きい存在の前にこれがプラスであれば、マイナスになって、このように一つになるか、これがマイナスであれば、これがプラスになって、このように一つになるかして対応的な関係で発展するのです。(図③)そして、息子・娘が母親エバを中心として一つになるのです。この三人が一つになって、アダムが復帰されるのです。そのような原則があります。復帰していく過程は、堕落するときと正反対になります。 もともと、天使長は相対圏も所有圏もなかったのです。ところが堕落することによって天使長が所有権を持ったというのです。自分の物ではないのにアダムの物を奪ったのです。そのために、これを捜し求めて来なければなりません。それで父母と息子・娘が一つになるのですが、エバ、カイン・アベルが大きいプラスですから、カイン・アベルが一体となってマイナスの位置に立ち、そして、アダムがもっと大きいプラスになり、更にエバ、カイン・アベルがマイナスになってこそ一つになるのです。それで、サタンを除去してしまい、神様を受け入れればよいのです。それが復帰です。(図`③参照) サタンの基地となった肉身 それでは、サタンの基地はどこかというとき、それは皆さんの体です。サタンの基地は、愛がねじれたところなのですが、その所がどこかというと、心ではありません。体です。成熟して心と体が一つになって愛さなければならないのに、心が苦痛を感じ、「こうではいけないのだが」と思っています。ねじれた罪の舞台が体なのです。心が許可しない愛で体が汚されたために、サタンの愛の基地は体になったのです。ですから体が基準になって堕落するようになったし、本来、心は天を基準としてできましたから、この心と体が定着する基地をどこにしようかと争っているのです。 神様の基地とサタンの基地が私の体で生じました。本来は、神様だけの基地にならなければならなかったのです。心と体が一つになった、神様だけの基地になるはずなのに、心と体が分かれて、神様の基地の前にサタンの基地になりましたから、これが禍根となっているのです。 それでは、体の基地を捨てなければなりませんか、心の基地を追い出してしまわなければなりませんか。原理的観点から見れば、体の基地を追い出してしまわなければなりません。サタンの愛の基地が肉身となったために、体を中心として見れば、心がプラスなのに、体がまた別のプラスになっています。(図④参照)今日まで、人間がどのようにして心と体が分裂してしまったのかという問題を考えてみた人がいません。しかし、先生が出て来て明らかにしてあげたのです。 偽りの愛故に、体と心の争いが始まったのです。万一、神様の愛を中心として、心と体が一つになった愛の中に根を下ろしたとすれば、その愛が離れない限り、私は永遠に一致するようになるのです。ところが、悪魔の愛の種を受けたので、体と争うのです。長成期完成級の位置に上って行ったのが体ですか、心ですか。私の家庭が堕落して、版図が家庭から氏族、民族、国家、世界、天の国の宝座の下まで拡大されていきました。それは悪魔の愛によるものではありませんか。体は心を勝手に支配することができないのです。アダムも長成期完成級までしか上ることができなかったのですが、悪魔の勢力圏は、体を通じて個人的基盤から家庭、氏族、民族、国家、世界にまで皆、つかんでしましました。故に、心が解放されるためには、体の世界を全部ひっくり返して消化しなくては戻って行く道がないのです。これを完成しなければならないのがメシアの使命です。 メシアは、心の完成者として来て、体まで共鳴させて、愛でもって吸収し、一つにしなければならないのです。そのためには、まずサタンを追放しなければなりません。サタンの愛の根を清算して接ぎ木し、分けてあげなければなりません。そうしてこそ戻って行くのです。根本をはっきりと知らなければなりません。 アダム完成者として来られる再臨主 皆さんが行く道はどこですか。体と心が争っているのですね。そのような位置では解放されません。解放するその位置の人は、心を中心としてサタン世界の民族と争い、勝利した位置に立たなければなりません。私がどれだけ「心の世界に自信を持つ」と言っても、サタンが反対するのです。周囲から攻撃するのです。ですから、これを征服しなければなりません。そのことを神様が知っているので、宗教を立てることによって心が体を支配する条件を立ててきたのです。万民の代わりに征服するのです。そのようにして、血を流して残してきたのです。故に、キリスト教は、個人から、家庭から、氏族から、民族から、世界的版図であるローマ帝国において血を流しながら解放圏を拡大しつつ、ローマ帝国をキリスト教文化圏に変えていったのです。 ですから、そのようにしてローマを越え、個人級、家庭級、氏族級、民族級、国家級、世界級まで越えてここまで来たので、反対する道がなくなったというのです。それは心が解放される道だというのです。心が解放される道を通してメシアが来るのです。アダムは心の完成基準を捜し求めて来なければならないのに、心の完成基準を失ってしまったのです。それを世界版図でサタンが占領したために、蕩減して戻って来ることのできる勝利の判定を得なければならないのです。それで、これを皆築いた基盤の上に心を取り戻して、再び戻っていかなければなりません。 家庭で堕落しましたから、定着地は国でもないし、民族でもありません。家庭です。それ故に、争って皆消化し、勝って戻って来るとき、ここには反対はないのです。その道を皆行かなければなりません。しかし、その道が分からないために、長い歴史をかけてキリスト教を中心としながら、心と体が一つになる基盤を築いてきたのです。心と体が分立されることによって霊界と肉界が分かれたために、来るべき主は、心と体を代身した霊界と肉界を統一しなければなりません。 ですから、来るべき主は男性として来て、アダム完成者にならなければなりません。アダム完成者とはどのような人かといえば、神様の心情圏内において、王となることのできる神様の息子です。息子の中の代表たるべき息子は、神様と心情的に通じあい、愛される資格を持つ者として現れなければなりません。 アダム完成のための四つの条件 アダムが堕落した時から今日まで、神様の創造理想として願われる息子を生み育てるという御旨が一度も成されませんでした。ですから、その心は、堕落した世界の悪魔の子供達を見るたびに恨みになっています。これを解いてあげなければなりません。神様の息子として完成し、恨みを解いた息子はこの地上にいなかったのです。 アダムはまず何にならなければならないのか。神様の心の中には愛の包みがあるのですが、その愛を完成しなければならないアダムは、神様の御旨通りになったこれを皆合わせて、「ああ、良いですね」と言いながらここに入って行かなければならないのです。神様のみ心に一致して、「お前は私の息子の中の息子だ。私がお前を創造するとき、息子として生み育てて、このように作ろうとしたのが、ついに完成したので、私の心の中の恨みと悲しみがなくなった。お前を眺めるとき、喜びが先に始まるのだ」と言わなければなりません。 アダムが完成すれば神様の喜びの対象になるのであって、悲しみの対象になるのではありません。ところが未完成になり、悲しみの対象になったというのです。喜びの対象となることができず、悲しみの対象となったことが恨みとして残っているのです。故に、その恨みを解いてあげなければならない息子の使命が残っているというのです。 アダムは、最初に息子の使命を果さなければなりません。二番目にはお兄さんの使命を果さなければなりません。エバは、娘の使命を果さなければならないし、妹の使命を果さなければならないのです。息子の心情圏とお兄さんの心情圏を持たなければなりません。三番目は、アダムは新郎の使命を果さなければなりませんし、エバは新婦の使命を果さなければなりません。アダムは神様の中にある新郎の心情を完成しましたか。創造理想において新郎のあるべきモデルの根本とぴったり一つになって、その完成を喜ぶことのできる新郎的心情圏をアダムが完成できませんでした。四番目は何かといえば、父母の心情圏です。新郎と新婦の心がまさしく合一して愛して、完全に血肉が同化されて混ざり合うようになるときは、神様と一緒になるのです。神様は、性相と形状が愛によって和合されて、主体的性相を持つために、アダム・エバは、完全に一つになることによって、主体の前に対象としての位置に立つのです。実体として、対象の位置でもって神様の前にマイナスにならなければなりません。(図⑤参照) アダム・エバが神様から生まれたときは、息子であるし、娘であります。この時は、対象的関係があります。神様が性相、形状でもって最大限度に拡大させたのです。上から最下へ垂直線で分けておいたのです。大きさを願うならば遠いほど大きいものが生ずるのです。極が遠いほど占領する面積が多くなり、成された形態が大きくなるのです。垂直の軸は一点しかないので、そこからは繁殖が生じません。繁殖するためには大移動が起こらなければならないのです。それで面積を捜し求めて行かなければなりません。 四大愛を中心とした統一圏の形成 それでは、男はどこへ行かなければならないのか。男が縦的な垂直であれば、横的な一番遠い距離を捜し求めなければなりません。アダムは東側、エバは西側です。エバもこのように捜し求めて行きながら大きくなって行くのです。アダムの行く目的は、このように育つことです。幼稚園に行き、小学校に行き、中高等学校に行き、大学に行き、博士コースに行きます。エバも同じです。お兄さん、お父さん、お母さんから分かれて行くのです。そうしながら女性は女性なりに成熟しなければならないし、男性は男性なりに成熟しなければならないのです。分かれてどこに行くかというと、家を出て、自然と一つになるのです。 子供達も動物を好み、鳥を好み、昆虫を好むではありませんか。小さいアダム・エバも、そのようにしていたのです。神様には、アダム・エバは生きたおもちゃのようなものです。ですから一緒に遊びたいし、知りたいのです。そうしながら、東西南北へ球形体になるのです。兄弟を中心として全部回るのです。こうしながら大きくなって行くのです。(黒板に書かれながら語られる。) このように大きくなって、ここからここまで来てみると、世の中の万事を皆知るのです。すると、「私が行かなければならない所は違う。男がこのように動き回るべきではない」と思って、エバが自分の相対であることを知るのです。エデンの園では二人しかいなかったからです。 エバも大きくなってみますと、「ここに来て一人でいるべきではない。お兄さんを捜し求めて行かなければならない」と思うのです。アダムは兄であり、エバは妹です。分別がつき始め、生理が始まったりしますから、アダムのことを考えるようになるのです。何でもないのに胸がふくらんで来るし、一人離れるとひっそりとして寂しいのです。 すべての万物も、春が訪れるようになれば皆つがいになりますから、アダム・エバもそれを見て、私の相対は誰かしらと考えるようになるのは当然のことです。アダムの相対はエバであり、エバの相対はアダムです。それは自然に分かるようになっています。愛の博物館である自然界を眺めるようになるとき、人もまた、このように生きるものであるということを、全部知るようになっているのです。 皆さんも嫁に行く前に皆学ぶのですね。(「はい。」)それと同じです。女性達の胸が大きくなり、月のものが生じ、異常な気分になるのですね。そのようになると、男性のことが意味もなく思われるし、塀を越えてがやがや騒ぐ男の声が聞こえれば、我知らずにすっと行って、塀越しに見るようになるのです。兄弟の愛は結局このように上って行くのです。(黒板に書かれる)これが必要なのです。球形になりますから解かなければなりません。兄弟思想は世界を象徴するのです。これを上弦、これを下弦と言います。これは東弦なのですが右弦です。これは西弦なのですが左弦と言います。これは前後を言います。ここからは見えますけれども、あちら側は見えません。それで、これは前弦、これは後弦と言います。 それでアダムが完成して息子の代表者としてオーケイ。神様の心情の中にあるすべての基準に一致したというのです。孝子が生ずるという話です。娘も同じくオーケイ。また、アダム自体はお兄さんです。お兄さんとして妹を愛するのにオーケイ。その次に、自分の家で自分が父母の愛を受けて生きることを知ります。妹を思い、兄を思う時、必ず、自分の父母が愛する兄であり、父母が愛する妹であることを忘れてはいけません。その上に自分の愛、兄の愛をプラスするようになるとき、兄弟の愛が生ずるのです。父母が愛する心情圏に兄の愛をプラスするようになるとき、妹の愛が生ずるのです。 そのように大きくなって、これを皆愛するのです。ですから、今や残ったものは相対的愛しかありません。兄弟が皆上って行って、新郎新婦を愛することによって、今や右弦、左弦が、上弦、下弦が合わさらなければならないし、前弦、後弦が一つにならなければなりません。それで、一つが中心になった核が右側の核になり、左側の核になり、下側の核になり、上側の核になり、前弦、後弦の核にならなければならないのです。右弦の焦点がこれ(図⑥o)です。左弦の焦点も同じです。前後の焦点もこれです。上弦、下弦の焦点もこれ(o)だというのです。このすべての弦の焦点は一つしかありません。そしてこの距離は皆同じです。これ(a―o)が皆同じであるだけにこれ(b―o)も皆同じです。これ(c―o)が皆、同じであるだけにこれ(d―o)も皆同じです。(書かれたものをさし示されて語られる) ですから、これ一つを取って背負って動き回って、一か月後に南側のこちらを取ってしまって、持って来て合わせても合うのです。どこに持って来て合わせてもオーケイです。だからと言って、焦点は絶対に傷付きません。これが統一圏であり、焦点です。眼にも焦点がありますね。これが少し曲がると眼が痛いのです。鼻も焦点がありますね。少しだけ回せば鼻づまりになります。唇も二㍉だけ違っても振動数が変わって話し辛いのです。人が歩いて行くときも全部焦点を合わせるのです。体が交互して焦点が合うのです。脚と腕が交互して焦点を合わせて行くのです。それが衝突を起こすようになれば、道行く人も逆に行くのです。真っ直ぐ行けません。 すべて、真っ直ぐにならないものは不合格になるのです。この焦点さえ合うようになれば、どれだけ削り捨てても全部合います。絶対統一が起こるというのです。また、このようになれば、電気でいえば負荷がかからないというのです。神様はこのような統一圏を作ろうとされるのです。 本然の夫婦愛の定着 アダムの完成は先程語った四つの種類です。一番目は息子、二番目は兄弟、三番目は夫婦、四番目は父母です。この四大心情圏を捜し求めることが神様の心中の願いです。これを、そのまま実体として成さなければならないのです。アダムがこのように完成するようになれば、四種類の愛がどこに来て集まるかといえば、東側にいるアダムの中に集まります。また、エバが完成するようになれば、このような四つの種類の愛が西側にいるエバの中に皆集まります。そこで完成するようになります。 このようになるとき、神様の心中には、いつでも息子に対することのできる喜びがあるのです。息子の喜びが誰にあるかというとアダムにあります。神様の中にあったアダムの心情圏のすべてのものが完成して相対になり、それを授け受けするから良いというのです。 その次には兄弟の愛です。子供が父母に親孝行するよりも、兄弟同士がお互いに愛し合う姿を見て、もっと喜ぶのが父母の心です。兄弟の愛は、父母の愛に自分達の愛をプラスしなければならないという道理があるからです。父母は、子供が自分達に親孝行してくれる以上に、兄弟達同士が愛することを喜ぶのです。それは、兄弟の愛は、父母の愛の上に自分達の愛がプラスされているのが天理だからです。今の世の中では、このことが分かりませんが、皆さんははっきりと知らなければなりません。プラスされたその上にまたプラスして、合わさるものが夫婦の愛です。ですから、夫婦になれば、姉や兄のことを気にしなくてもいいし、父母のもとから去ってもいいのです。夫婦の愛の中には父母の愛があるし、兄弟の愛があるからです。それ故に、夫婦の位置は、父母と兄弟が包んでくれ、愛してくれる、保護する位置です。もっと大きい愛ですから、為にしてやることのできる位置にいるというのです。これが分からなかったというのです。 今日、女性が嫁ぎ先に行けば、小姑達が大騒ぎしますね。それをどのように教育するのですか。この原則があることによって是正されるのです。嫁ぎ先の父母も、小姑も夫婦同士の愛の前には、為にしてやらなければならないのです。それを後ろ楯してあげるのが原則です。 息子の愛と兄弟の愛をプラスして一つになることによって、夫婦の愛が定着することができるのです。夫婦がこのような愛を皆成してどこで会うのか。ここにあったのが、ここからこれを成して移動が始まります。(書かれたものを指し示して)夫婦の愛以外には移動することができないのです。ですから実に素敵なのですね。 ですから、これを実体圏から見ると、兄弟の愛は皆上って来て移動するようになるとき、これが下弦ですから、神様も愛することのできる心を中心として、このように捜し求めて下って来るのです。こうして神様が願う夫婦の心情圏が、このようにぴったり向い合って、夫婦の心情圏が皆動いて、上下弦が連結される立場になって移動して行きますから、これは下って来るのです。これが移動しますから、一つになるためには下って来なければならないというのです。 これは相対がありません。ここに軸はありますが、相対がないので、相対圏に立つ対象的位置を捜し求めて行こうとしますから、ここに行くのです。そこから初めて男は女を引き寄せ、女は男を引き寄せるのです。愛するとき、初夜に誰が引き寄せてあげなければならないのですか。新郎が自分でも知らないうちに引き寄せてやらなければなりません。手本になることのできる愛の起源が父母です。父母が夫婦の愛によって連結されて息子・娘を生みました。この伝統を受け継ぐために、父母の位置に合った愛の頂点の位置を代身して行くことのできる位置がこの位置です。ですから、初めてそこに行って相対に出会うようになるのです。分かれていたのが来て、ぶつかって力強く引き寄せますから、爆発が起こるのです。それを恥ずかしく思うのは、堕落した要素が多いからです。こうして、「ああ、私の愛する人よ!」と言うのです。皆さんもそのようなことをしてみましたか。家庭の伝統がどのようになっているかということを知らなければなりません。西欧社会のようなものは全部零点です。全部地獄に行くのです。一つも原理に合いません。 ですから、愛する夫婦が街を仲よく歩き回れば、通りすがりのおじいさんやおばあさんたちが拍手をしてあげなければなりません。「あそこに美人の花嫁がいる。取って食べてみよう」と考える人は泥棒です。女性達もそうですね。「あの美男子を一度取って食べてみたい」ということを考えるでしょう? 男であれ、女であれ、同じです。 こうして引き寄せてみますと、「ああ、いい!」と言って、上弦下弦、前弦後弦、右弦左弦が初めて愛によって膨れ上がってくるのです。こうして、神様の本性的基準で性相と形状が作用するのが、一回り回ってあちらまで行って、行く所がなくて戻って、行ったり来たりすることを何回もする間に、拍子や呼吸が合わなければならないのです。呼吸するように百パーセント合う位置に連結されれば、そこから一身になるのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.03.21
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[22.03.20] 世界平和統一家庭連合 世界本部教会 平和ヌリ2022/03/20 09:30に公開予定です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.03.19
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「世界平和と女性の役割 I」一九九二年八月二十六日場所:韓国、ソウル、行事:「世界平和女性連合」世界大会(真のお母様)世界各国から韓国を訪ねてこられた「世界平和女性連合」の指導者の皆様、そして韓国の各女性団体の指導者の皆様。きょう、このように世界各国の女性指導者および韓国の各界女性指導者たちが会場を埋め尽くす中、世界平和のための私の所信の一端をお話しできますことを、この上なく光栄に思います。今の時代は、正に理念の障壁や言語、もしくは文化の違い、または人種的葛藤を越えて一つの世界へと侵入する重要な転換期を迎えています。私たち女性が、愛と平和の新しい世界のためにきょうの集会を開催するようになったことは、単なる偶然ではなく、神様の摂理であり、滔々(とうとう)と流れる歴史の必然であり、宿命なのです。これまでの歴史においては、男性の役割が強調されました。男性中心の世界であり、社会体制でした。しかし、不幸にも、男性たちが主導してきた世界の実情は、一言で言うならば闘争と罪悪の歴史だったと結論づけざるを得ません。ですから、人類はこのような罪悪と闘争の世界で、善と平和があふれる幸福の世界を夢見てきたのではないでしょうか。戦争、革命、闘争、抑圧、支配、葛藤、暴力などが人類歴史の大半を占めており、男性的な力の論理が通用し、男性的なイデオロギーが支配してきたのです。しかし、今の時代は違います。今日の歴史は平和、和解、慈悲、愛、奉仕、犠牲を要求しています。男性的な力の論理だけでは現実問題を解決できない時代です。これ以上、人類を抑圧するイデオロギーは必要ないのです。より女性的な愛の論理で現実問題を解決し、歴史の方向を正さなければならない時です。二十一世紀をわずか十年後に控え、暴力革命と階級闘争を掲げて人類を無残に蹂躙してきた共産主義が、その結末を告げているのも、これ以上戦争を許してはならないという世界の言論のひたむきな声も、新しい女性時代の開幕を知らせる兆候であり、女性解放の時代、世界女性時代の到来を宣布する世界史的転換ののろしです。世界各国からお集まりになった女性連合指導者の皆様。私はこの歴史的な場で、儀礼的な挨拶をしようとは思いません。過去と現在、そして未来の意味を歴史に宣布するお話を語ろうと思います。理解と協力を指向する、この歴史的転換時代に、私は「神主義」を基本として、永遠の平和世界の建設のための大原則を提示しようと思います。すなわち、未来世界を開拓する女性たちの表題とするために、「世界平和と女性の役割」という題目で、夫である文鮮明総裁が主唱してきた「頭翼思想」と「神主義」を再び皆様にお伝えしようと思う次第です。本来神様は、喜びを享受されるために、愛する相対を造られました。彫刻家は一つの傑作を作るために、夜を徹し、精力を消耗しながら全力を投入しますが、そのような心はいったいどこに由来するのでしょうか。喜びを味わうために愛の対象を創造された神様の心に似たのではないでしょうか。存在世界を見ると、鉱物界、植物界、動物界、そして人間世界までも、すべてペアになっていることが分かります。人間世界には男性と女性、動物世界には雄と雌、植物世界には雄しベと雌しベがあります。また、分子世界には陽イオンと陰イオン、原子世界には陽子と電子があります。一言で言えば、すべての存在世界はペアE/span>システムになっているのです。ペアE/span>システムとは、すべての存在が愛を中心として互いに相対性を帯びて存在することを意味します。互いがために生き、愛することのできる相対がいなければ存在できないということです。なぜペアで存在するのか御存じですか。それは互いに愛を中心とした理想的な作用をするためなのです。世界のどこにも愛を与え合うことのできる相手がいなければ作用できないのであり、作用できなければ、存在と繁殖ができないのです。したがって、それは既に死んだ存在のようなものです。神様が人間を創造されたのは、愛する対象が絶対的に必要だからです。人間世界において、我が子が親の自分よりも立派になることを願う父母の心は、正に神様が人間をお造りになるときに抱かれた真の愛の心情にその根を下ろしています。自分より相字が立派であることを願う心は、本来神様から来た真の愛によるものです。すなわち、神様は、百を投入すれば百だけの存在にしかならないので、百以上を投入するために、忘れて、また投入するのです。しかし、自分よりも大きな対象が現れるようになるので、引き続き忘れては投入し、最後には生命までも投入するのです。ここから真の愛は始まります。神様の真の愛は、投入してまた投入し、与えてまた与えても忘れる愛です。与えたという記憶が残っている限り、愛は無限に回ることができないのです。愛は無限に運動するものなので、与えたことが記憶にとどまってはいけません。与えてまた与え続けても記憶に残らないので流れるのです。本来真の愛とは、神様の絶対愛のことをいいます。そして、愛には相続権があり、一体となることによって永生の論理が成立するのであり、真の愛を実践する家庭と社会は、永遠に滅亡せずに発展するのです。神様の相対として造られた人間が、神様のみ言に逆らわず、神様のみ旨のままに成熟して、絶対不変の真の愛を神様から相続していたならば、人間世界には根本的な平和の歴史が展開されるはずだったのであり、戦争のような血を流す悲惨な歴史はなかったはずでした。その真の愛の中で、個人はもちろん、社会や国家間における対立や葛藤までもが完全に超越され、溶かされて、真の平和世界が形成されていたはずでした。しかし、人間始祖の堕落により、そのような真の愛を私たち人間は完全に相続することはできませんでした。不幸にも人類は、神様の真の愛の相対者として完成できなかったがために、神様の代わりに真の愛の実体として立つべき真の父母の位置を失ってしまったのです。それでは、人間始祖の堕落の起源は何でしょうか。聖書を見ると善悪の実を取って食べたことが原因となっています。ところが、その善悪の実を取って食べてから、どこを隠したでしょうか。本来は口や手を隠すはずですが、下部を隠したのです。それは、サタンを中心として行われた誤った愛を意味します。これが悪の血統を繁殖する起源になったのです。人間にとって真の愛と真の生命、そして真の血統の根源地は正に愛の器官なのです。しかし、堕落によって、この神聖でなければならなかった愛の器官が、天理を破壊した凶悪な宮殿となってしまいました。悪の本拠地になったのです。ここに、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統が植えられました。十代の成熟していないときに、人間始祖のアダムとエバが堕落したのです。そのように悪を植えたので、歴史的に人間世界に悪の血統が広がっていきました。ですから、終末である収穫の時が来れば、全世界的に青少年たちがアダムとエバのように愛の倫理を破壊し、退廃的な風潮へと流れるのです。このような現象を見たら、サタンの全権時代が極に達したことを知らなければなりません。そのときこそが、神様が鉄槌を下す審判の日となるのです。歴史的に神様のみ前に淫乱な都市、淫乱な国は必ず滅びていきました。今日、アメリカ、ヨーロッパ、日本など、世界の先進国を見てみてください。東西、四方に吹き荒れるフリーセックスと淫乱の波を誰が押さえることができるでしょうか。堕落してサタン側になった人類は、野生のオリーブに例えることができます。その中で、幸いにも神様が分立して探し出した人類が宗教圏の野生のオリーブですが、これは神様の所有権の中にある野生のオリーブです。ですから、神様が自由に主管することができるのです。再臨主が来られれば一遍に切って接ぎ木しやすいように準備してきたというのです。そのとき初めて野生のオリーブが真のオリーブとなり、本然の状態へと返っていくのです。私たち人間は、真の愛を中心として神様の血統と連結された真の息子、娘としての一体理想を成し遂げることができませんでした。ですから、メシヤが来なければなりません。メシヤは真の父母として来られる方です。真の父、真の母として来られ、サタンを追放し、自由解放の天国世界、平和世界を創建しなければならない重大な責任を負って来られる方です。今や、世界史的勝利の伝統を立てた真の父と歴史的な女性の代表として勝利した世界的女性の代表である真の母に侍り、真の男性像はもちろん、真の母、真の妻、真の娘の理想像を確立しなければなりません。男性たちを正しく導き、アダムとエバを滅ぼした恨を歴史的に解かなければならない使命が私たち女性にあるのです。尊敬する国内外の各界女性指導者の皆様。今や私たちは、到来した女性時代とともに、夫を抱き、子女を正しく養育する真の愛の模範的な実践運動を全世界的に展開しなければなりません。そうして、夫と子女たちの積極的な支持を得て、「世界平和家庭連合」へと発展しなければなりません。「世界平和女性連合」の運動は、女性だけのための運動ではありません。まず、夫と子女のために生きる真の愛の運動として、理想的な家庭を結実させなければなりません。このようにして築かれた理想的な家庭が集まり、理想的な国家、理想的な世界を築くようになるのです。「世界平和女性連合」が「世界平和家庭連合」へと発展しなければならない理由がここにあります。そして世界平和の具現のために、政治、経済、文化、そして社会の各分野において女性たちが先頭に立たなければなりません。左翼と右翼を統一し、無神論的唯物論を克服して、二十一世紀以降の永遠の歴史を先導していく「頭翼思想」、すなわち「神主義」こそ、私たち女性連合が堅持しなければならない基本的な価値観です。私たちの家庭を真の父母、真の夫婦、真の子女の家庭として育てていくことにより、真の愛の主人公であられる真の父母を中心とした平和の世界に向かって総進軍しましょう。神様の祝福が皆様と皆様の御家庭、そして皆様の国に共にあることを願いながら、お話を終えさせていただきます。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.03.19
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「真の父母様の再現と理想的家庭(第一回世界文化体育大典御言)」 世界平和女性連合世界大会における激励の辞1992年8月26日ソウル・シェラトンウォーカーヒルホテルにて 三万双の国際合同結婚式の前夜、第一回世界文化体育大典祝賀晩餐会が行われた。世界各国から同大典のために訪韓中の宗教指導者、科学者、言論人、政治家約千人が一堂に集い、文先生ご夫妻のメシヤ宣言と救国・救世の世界平和統一堂の創設を確認し合った。 韓鶴子総裁。ご来賓、そして満場の女性指導者の皆様。きょう私は、韓総裁のお話を通じて大いに慰められました。天命に従い一筋の道を走ってきた私の生涯は、波瀾万丈の苦難の道でもありました。天道は、妥協のないまっすぐな道であります。面目や人間的な威信を表面に立たせることのできない道であり、ただ神のみ旨のみのために生きる道であります。 個人に運というものがあるように、家庭や国家にも運があり、さらには世界の運、そして天地全体には天運というものがあります。しかし、どんなによい運勢を持って生まれた人であっても、家運が傾く時は、ともに苦難を受けるようになり、個人運、家庭運のよい人であっても、より大きな国運が傾く時は、ともに没落せざるを得ません。したがって、すべてを包括し、あらゆるものの上にある天運の方向と進行によって、国家や世界の方向も決まるのです。ですから、この世で天道を立てるということは、すなわち個人や国家の行く道を天運に合わせることなのです。 今日、韓国の病弊や世界の問題を考えてみてください。経済不況、環境汚染、政治的な不条理、人種及び宗教間の紛争、倫理道徳の退廃、価値観の崩壊など、さまざまな病弊や問題に対して、いったい誰が根本的に解決することができるのでしょうか? 人間の知恵や努力のみではできないことです。お金の力や権力を集めても解決できません。むしろ、人類の病弊はだんだんと深まる一方なのです。これから、人間は謙虚に天の声に耳を傾け、神が提示される解決の道を探さなければなりません。この国と人類は私の教えを受け入れなければなりません。これは自分自らを誇るためのものではありません。神のみ言がそうなっているのです。神様は私を通して天理を明かしてこられましたし、また人類の根本問題に対する解答を与えてくださいました。私は過去におきまして、歴代の政権による迫害によって悔しくも牢獄生活をしてきました。そして一部のキリスト教の人たちの偏見と悪意に満ちた反対はさまざまな噂をつくり出し、本当に私の行く道が妨げられてきました。しかし神様の守りがあって、私は世界的に奇跡的な勝利の基盤を築き上げてきました。これは、歴史以来前例のない驚くべき基盤なのです。 特に、全世界のキリスト教を代表した国として準備されてきたアメリカの地において、かつて有色人種が持つことのできなかった記録的な基盤を持つことができました。もちろん私は、アメリカにおいて人種差別や宗教的な偏見による多くの苦難を受けたし、悔しくも監獄生活にまで耐えなければなりませんでした。しかし私は、根こそぎ揺れるキリスト教の再建と、麻薬や不倫で重病を患っている青少年たちを教育訓練し、アメリカに希望を与えてきました。今やアメリカの政界において、誰も私の基盤を無視できないようになりました。日本やヨーロッパにおいても同様です。既に、世界一六〇か国の宣教部は、それぞれの国において、信仰運動とともに倫理と道徳再建運動の表象となって発展しています。 私は一九八〇年代のはじめから、ソ連帝国の滅亡をテーマとして世界的な学術会議を開くようにと提案してきました。一九八五年に発行された学術研究誌は、共産主義ソ連帝国の滅亡を最初に予言した世界的な資料となりました。このような基盤の上でソ連を訪問してゴルバチョフと会いましたが、今はソ連の十五共和国の中で三共和国が統一教会を国教にしようという動きをみせています。また、既に数万名の大学生たちが私の思想を勉強し、七〇〇の大学で原理研究会という統一教会の大学生の会が組織されました。高校の教師たち数万名も、今年に入って原理修練を受けています。このようなことは、人間の力のみでできた結果でしょうか? これこそ、生きていらっしゃる神のみ業が共にあった証拠なのです。徹底した無神論者たちが四泊五日の修練教育を通して、神を中心とした人生観、宇宙観へと変わっていく奇跡が起こっているのです。 中国においても大きな基盤を築いてきました。重要な工業都市建設などが数十年前から準備されてきました。また、昨年十一月三十日、平壌を訪問して金日成主席と会ったのも、すべてが天命によるものなのです。今まで南北統一のために誠を尽くしたのは、神のみが知っていらっしゃることです。南北統一は可視的な南北の統一だけではなく、神が中心となられた摂理的な統一なのです。南北統一は私が立てた基盤を通さなくては成し遂げられません。 摂理が要求する統一は統一自体が問題ではなく、統一の基盤の上に永遠な自由と幸福と理想を咲かせるためなのです。ですから、力による統一や相手を不幸にさせる統一などではありません。相手のために尽くし、また尽くす真の愛による統一でなければなりません。それゆえに、祖国統一は一個人や政党、政権の利益のために利用されてはなりません。私たちすべての愛の心の実践が北の地の同胞たちに届く時、真なる統一が訪れることでしょう。神を中心とした摂理史的な観点から見て、全世界の難問題、統一も同じことなのです。 女性指導者の皆様。私は為に生きる神の真の愛を中心として、今日まで超教派、超宗派の和合運動を全世界的に展開してきました。宗教間の和解や交流なくして、どうして世界平和が訪れるというのでしょうか? 今も中東、アイルランド、インドなどでは凄惨きわまる宗教戦争が繰り広がっているではありませんか。私は昨年八月二十七日、世界のあらゆる宗教の最高指導者たちを集めて世界平和宗教連合を創設し、和合と協力で世界平和を実現できるように、宗教人たちの衆知を集めました。本当に意味深い団体なのです。宗教人たちの個別性も重要ですが、それに劣らずお互いに共通点も多いし、絶対者を追究する同じ目的を持っているのです。 すべての宗教は、神様がその全体摂理の目的下に立てたということが重要なのです。ですから、お互いに和合しなければなりません。韓総裁の基調講演で言及されたように、キリスト教では「人間が善悪を知る木の実を取って食べ、すなわち不信の罪を犯して堕落した」と教えています。人間始祖は、堕落しなかったならば神様の貴い息子娘、神様の王子王女として神の血統を受け継ぐようになるのです。また、彼らは神の所有、万有も相続するようになります。そして、彼らは成長して理想的な愛の夫婦となり、完成するようになります。しかし彼らは堕落することによって、神の血統が奪われ、神の所有が奪われ、神の心情が奪われました。 神様の救いの摂理は原状へと帰る復帰摂理なので、人間は血統復帰、所有権復帰、心情圏復帰の使命を担当しなければなりません。結果的に人間は堕落することによってサタンと一体となり、アダムとエバはサタンについて地獄へ行くようになったのです。エバの後には長子カインが、その後には次子アベルがついて行ったのです。そこで神の復帰摂理は、後に出発した善側の象徴である次子を立てて、先に出発した悪側の象徴である長子を屈服させることにより、サタン分立の条件を立てつつ進めて来られました。 復帰摂理の根本は、血統と所有と心情を転換する復帰されたアダム、すなわちメシヤを送るところにあるのです。しかし本然の息子の心情的な立場をいっぺんに復帰することはできません。僕の僕の立場から出発してだんだんと復帰していかなければなりません。サタンが権勢を振っているこの世において、善側のアベルが僕の僕の立場から、真の愛を持ってカインのために生きることにより、サタンも讒訴することができず公認するしかないように、その使命を果たさなければなりません。そのようにして、僕の使命、養子の使命、庶子の使命、直系子女の使命を果たし、愛と情の秩序が復帰されていくのです。すべての段階においてサタンが讒訴できないように、真の愛をもってカインのために生きてこそ復帰が可能になるのです。 直系子女の立場からアベルがカインを屈服させて一つとなればその基台の上に母のエバが立ち、そのエバがすべての責任を果たした時、アダムが立てられます。こうして初めて神がその基台の上に臨在することができるのです。そこに、八段階の縦的で必然的な復帰摂理の過程があるのです。復帰摂理を横的な面からみると、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、そして神に至るまで八段階があります。イエス様は第二のアダム、メシヤとして来られたのですが、不幸にも選民イスラエルがイエス様のことを悟らずに、十字架上で亡くなるようにしてしまったのです。しかし再び来られる再臨主は、聖書の文字通りに空中から雲に乗って来られるのではありません。今年の十月二十八日に信じる者は空中に引き上げられるなどと宣伝している人がいますが、そのようにはなりません。私の言うことを信じなさい。絶対にそのようなことは起きません。十字架で行かれた主は十字架を通して再び来られるのです。 イエス様が亡くなられる時、十字架を中心として三種類の人々がいました。自ら罪を悔い改めてイエス様のことを証した右側の強盗がその一番目です。二番目は、罪人でありながらその罪を悔い改めずにイエス様を誹謗した左側の強盗です。そして三番目がバラバです。すなわち、彼は当然十字架につけられ死ぬべき罪人でしたが、ユダヤ人たちがイエス様を十字架につけたことにより、代わりに恩赦を受けた者です。再臨の時に、この三つの型が世界的に大きく結実されて現われるのです。西欧キリスト教圏は第一の型である右側の強盗の立場です。原罪はあるが、主を信じる善なる立場なのです。無神論の唯物思想である共産圏は第二の型の左側の強盗の立場です。中東の回教圏は第三の型のバラバの立場なのです。イスラエルがイエス様を十字架につけたことによって、神が十二支派に分けあげた中東地域を占めるようになったのです。イエス様が亡くなられたことによって生じたこの三つの型の世界的な結実を、イエス様が復活された立場で来られる再臨主はすべて収拾しなければなりません。西欧キリスト教の収拾のために新しい宗教改革を起こし、また共産主義の無神論思想を克服して全共産圏を神側に取り戻さなければなりません。そのように左翼と右翼を克服して統一調和させる思想が、すなわち私が提唱した頭翼思想と神主義です。 既にお話したように、もはや頭翼思想によって左翼と右翼世界を収拾しているのです。また、偏狭で独断的である回教も歴史以来初めて和解し協力し合えるようになり、去る四月には中東の八か国の代表が統一教会の合同結婚式にも参加するという奇跡が起きたのです。堕落人間の罪悪を清算する祝福式を主催し、左右両陣営を収拾して歴史的な葛藤を解消し、さらに回教圏とも和解する奇跡をつくり出したのです。これは人間の能力や計画などでできるものではありません。神様が私をメシヤとして立てられて、今日まで救いの摂理をされてこられたからです。 私は再臨主であり、救い主であり、真の父母として使命を果たしてきたのです。時が来たので、このことをこの場で宣布するのです。私の言うことに耳を傾ける者には幸福があります。この民族と世界が私の言うことを聞けばどんなに良くなることでしょうか。聞くか聞かないかは各自の責任ですが、世界万民が私の話を聞くようになる時が来るのです。多くの人々は、救い主は審判の権能を持って来られる方であり、また栄光の主であると言っていますが、それは間違いです。神様はこの罪悪世界を見たくなく、一瞬も早く審判を通してなくしてしまいたいのではありません。真の愛の神は、人間の永遠な生命のために常に心配されているのです。長い年月をかけても真の愛をもって自然屈服させる神様の心情を知らなければなりません。 堕落人間の側から救い主とはそのように見えるのですが、神側から見れば創造理想を成す真の息子となり、真の父母となるのです。救い主は、堕落によってもたらされた神様の恨みを晴らすために、生涯を懸けて犠牲の道を開いてこられた方です。栄光の中にのみいらっしゃる方ではありません。常に神様の心情とともに悲しみ、サタンを屈伏させて神様の創造目的を成し遂げるため天の悲しみが身に染みるほどに心配しておられるのです。失った子女を探してサタン世界をさまよいつつ、僕の僕の姿をもって悲しんでいらっしゃる神様のことを誰より知っているので、神様の心情がそのような恨みから完全に解放されない限り、栄光の立場に立つことができないのです。 世界平和女性連合指導者の皆様。皆さんの中には連日の大会で苦しみを感じ、数週も過ぎずまた国際的な大会を開くということで不平を言ったりする者がいるかもしれません。しかし、私と共に毎日誠を尽くせば、神の善なるみ旨が成し遂げられるのです。私は皆さんを利用するつもりはありません。皆さんは私を必要とし、韓総裁と一体となり、その分身となって、皆さんの家庭から子女を正しく教育し、夫を正しく導かなければなりません。そうして、皆さん一人ひとりが真の愛の理想の下に、神様の祝福を受けることができるようにと願うのです。 私の最大の関心事は、皆さんの各家庭が真の愛で一つになった真の家庭理想の完成なのです。世界平和女性連合を中心として、各国において、市、郡、面、里、そして洞、統の指導者によって、道義が再建され、真の愛の実践運動が展開されるならば、それ以上の愛国運動がどこにあるというのでしょうか? 麻薬追放、禁酒禁煙運動、歓楽街の取り締まり、指導者たちの不道徳の一掃、青少年の脱線防止、正しい道徳運動の展開など、私たちのやるべきことは山ほどにあります。各国社会が女性指導者の皆さんによって浄化され、真の愛により和平を成した時に、初めて世界統一の宿願をも成就されるのです。そればかりでなく、女性が世界を指導し、また平和な世界が成されることでしょう。 女性指導者の皆様。私は今日まで、自分が実践していないことを弟子たちに指示したことはありません。ですから皆さんが、私の百分の一でも真の愛を実践して大いなる救いの運動を広げるようにお願いします。一番効果的な女性連合運動の単位は面と洞、そして里と統です。このような基本単位から、真の運動が班を越えて家庭にまで定着するようになるのです。このようにして、本来堕落しなかった本郷に帰って来て、神と分立された家庭を取り戻して永遠定着を願うようになります。 今日まで神様は多くのご苦労をされてこられました。完成したアダムを育てるために、ありとあらゆるご苦労をされてこられました。そのようにして真の父が生まれたのです。真の天の男性が生まれたのです。サタン世界の男性たちは、その人が真の新郎であり、主人であり、地上と天上天国の王として来られる方であることが分かるので、世界を代表した個人、家庭、国家、世界、天宙を合わせて滅ぼそうとするのです。その方はサタンの迫害、謀略、中傷を歴史的に受ける立場から、個人、家庭、国家、世界、天宙的勝利を収めて神と一体となり、史上で初めて勝利者となって、サタン世界の個人、家庭、国家、世界、天宙を取り戻してくるようになりました。 さらに、真の父の後に従ってくる立場にいた真の母も、史上初めて対等な立場に立たれて、全世界に女性解放を宣布することによって、真の父と母が子女を率いて神の前に出て、天の全権と全能を相続して、本然の家庭を出発し、氏族と民族、国家、世界、天宙を取り戻してみ旨を再編成するのです。すべての男性は天使長の立場にいるので、すべての女性を返さなければならない立場に立つようになります。完成したエバである真の母の分身の立場に立った全女性は、真の母と一体となった条件でもって、真の父と一体となった条件を取り戻すことにより、真の父母の思想で息子娘を教育しなければなりません。このような教育を通して息子娘が真の息子娘となり、母と子が一体となることによって世の中の父を再教育し、再び祝福を受けて接ぎ木する立場で真の父母の家庭的道理を体恤するようになるのです。 アダムとエバは家庭において堕落したので、復帰も家庭から成さなければなりません。里、統、班を越えて家庭に定着しなければならないのです。家庭で真の父母と出会わなければなりません。真の父母は個人の峠、国家の峠、世界の峠、天宙の峠を勝利的に越え、再び天宙から世界、国家を経て、家庭を救うために来られたのが今回の大会なのです。去る四月十日の大会は、真の父母の世界大会であり、国家、道、市、郡大会、続いて面、里、班大会を経て、家庭にまで至らなければなりません。 世界平和女性連合組織の責任者は、真の父母様の家庭と一体となることで家庭復帰が可能になり、完成した勝利者となります。そうして、それを氏族に連結させなければなりません。既に真の父母が全国と世界に氏族的メシヤを配置したので、彼らの教育を受けて一体となれば国家復帰も自然に可能になるのです。このようにして南北統一はもちろん、地上と天上の統一を成してこそ神様も解放され、初めて神様を中心とした太平の御代を迎えるようになるのです。新郎として来られた真の父のみ前に、真の母と全女性が共に新婦の立場に立ち創造理想的家庭を成しましょう。ぜひ、世界平和連合の会員となって祝福を受ける家庭となりますようにお願いいたします。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.03.17
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「聖酒式の御言」1992年8月24日 三万双国際合同結婚式に先立つ、八月二十四日、午前十時半、ソウル・オリンピック・メインスタジアムにおいて、真のご父母様の主礼により聖酒式が執り行われました。この御言は、その際、日本語で語ってくださった内容の全文です。 聖酒式は血統転換式 前にも言った通りに、約婚式の後に結婚式をするのが一般の風習になっている。エデンの園においても、アダム・エバは約婚時代にありました。ところが、結婚の時期を迎える前に堕落してしまった。それを蕩減復帰するには、約婚式を終えてから血統転換。血統転換式が聖酒式である。統一教会においてはこういうような蕩減過程を通過して、そして最後にはエデンの園まで元に帰って、それを復帰しなければならない。それで、アダム・エバが成しえなかった約婚式と結婚式を求めて、最後の終着点として通過しなければならない。それが、聖酒式を通して行われる血統転換である。 人間始祖の堕落により、サタンの血統圏に繋がれた人類 人間の先祖、アダム・エバは堕落してしまった。聖書から見ても、それから今現在を見ても、世界の歴史を見ても、それが善なる歴史でないということは、あらゆる方面から認められる。そのように見た場合に、堕落したことは否認することができない。それで、聖書には人間の先祖が堕落したと、はっきりと教えている。堕落してしまった。一体堕落とは何か?それは善悪を知る木の実を食べることによって堕落したと言っている。その善悪の木とは何か?それは象徴的に書かれていたので今まで解釈できなかった。しかし、先生が生まれてきて初めて、その内容を具体的に公開、宣布するようになりました。 結局、堕落した結果どうなったかというと、エデンの園において神様から追い出されてしまった。そこにおいて疑問になることは、そのエデンの園を追い出されたときに、アダム・エバは子供を生んだ後に追い出されたのか、追い出された後に子供を生んだのか?これをはっきりしないというと元がはっきりしない。それを考えてみなさい。答えは簡単である。堕落した後に追い出されて、追い出された後に、二人でもって結婚生活をして、子供を生んだ。 そうすると、追い出してしまった神様が、その結婚式に干渉して結婚生活をするようになったか、それとも神は全然関係することなくて、それを憎む立場におかれて結婚生活を始めたかというと、それは神から捨てられ、憎まれる立場において結婚生活をした。神は全然干渉することができない。 では、誰を中心として、結婚生活をしたか?サタンによって堕落させられて、サタンの方に追い出されてしまったそのアダム・エバ、夫婦たる立場にいる者が結婚生活をしたというのは、結局、サタンを中心として結婚生活を始めたということを否認することができない。 そのため、サタンを中心として夫婦を組んだから、サタンの愛、サタンの生命、サタンの血統を相続するようになったということを否定できない。その問題、つまり、堕落の問題は何か? サタンを中心として淫行をしたことである。それは貞操を犯してしまって、サタンの愛によって、サタンの生命、サタンの血統を受け継いだために、その後孫たる今までの人類はサタンの血統圏に繋がれるようになった。だから、それを復帰すること、つまり救済することはとても難しい問題である。 神から見た場合には、サタンと人間が愛の関係でこういうような堕落圏を造ったのは、神の創造圏には無いものである。無いものに神は干渉することはできない。これによって、アダム家庭を中心として、サタンの権限下にある家庭、氏族、民族、国家、世界、そして今日までの五十億の人類というように拡大してきたのである。 神様から見た場合には、もし人間が堕落しなかったとすればどうなったかということをはっきり知らなければならない。アダム・エバが成熟してくると、万物を見ても自動的に分かるようになっている。すべてが相対的に造られている。オス・メス、男女関係、プラス・マイナスの理想というように、被造世界もそうなっているから、それを見ることによって、人間も成熟した場合には、男・女が一つになるにはどのようにすればよいかということは自動的にみんな分かっている。成熟して、神自体を中心としてアダム・エバを祝福した場合には、神を中心とする真の愛と、真の生命と、真の血統を受け継いだ真の夫婦が生まれ、真の家族、真の氏族、真の民族、真の国家、真の世界というように拡大するようになっている。 中心を持たず、行く方向を知らない人間 しかし、堕落のために人類としては真の父母を失ってしまった。その結果、偽りの父母が生まれてきた。この偽りの父母の歴史を消してしまって、真の父母の歴史を再び回復させることが神の摂理であった。堕落した父母によって地獄と通じるようになった。地獄が生まれてきた。真の父母によって天国に通じる道を始めようとしたのに、偽りの父母が生まれて地獄に通じる結果になってしまったから、天国に通ずる真の道というものは生まれてきません。その境界の中心点に立っているのが、我々人間であり、自分というものであるということをはっきり知らなければならない。 だから各人を見た場合には、肉身と良心がある。もともと、良心は、神の愛と真の愛を中心として神と繋がれ、その完成した良心を持ったアダムを中心として、その肉体と自動的に共鳴して一つになるようになっていた。真の愛を中心として自動的に共鳴するようになっている。ところが真の愛ではなくして、偽りの愛を中心として一つになろうとする立場に立った結果、神のもとに立つべき良心に肉身は反発し、反対の立場に立たざるを得ない。そういう立場に立ったのが現在の各人であり、世界である。これをはっきり知らなければならない。 自分を中心にしてみた場合には、左の方に通ずる者は地獄だよ。右の方に通ずる者は何?天国。左の方に関係持つものは肉身であり、右の方に関係するものは良心である。この闘いが自分を中心として歴史以来始まったということを知る者は今まで一人もいなかった。それが、統一教会が生まれることによってはっきり分かるようになった。 堕落した結果、個人において、左・右、右翼・左翼、自分を中心として二つに分かれてしまった。中心がない。それで行ったり来たり、人間は彷徨ってきた。行く方向を知らない。それが今の末世紀における世界中の現象である。世界には多くの指導者がいるけれど、今後どういうふうに行くか分からない。左に行くか右に行くか、回れ右するか、前進するか、現在の世界の指導者によっては、今後、理想世界への方向をまとめる道はありません。サタンは神を否定する側に立つ。神はサタンを歓迎する?否定する側に立つ。両方の否定の共同中心に立つ我々は、どういうふうに行くかということは分からない。 人類歴史はカイン・アベルの闘争歴史 それで聖書を読めば、神は(聞き取り不明)の方向を求めて、カイン・アベルの闘いが繰り広げられてきた。歴史は善悪の闘いをする。誰が先に打つかというと、大きい者、上の者が打つ。サタン世界においては、大きい者の代表がサタンであり、上にいる者がサタンであるから、上にいる最初に生まれた大きい立場に立つ者が長男であり、次に立つ者が次男である。家庭において、打たれる立場に立つアベルと、カインを中心として、神の方とサタンの方に分けざるを得ない。良心を代表したアベルと、サタンを代表したカインの闘いが、家庭から生まれたということが聖書に著されている。そのアダムの子供であるカインとアベルとの闘いが兄弟の血闘事件である。 結果的に見た場合はそういうことになったから、全体から見た場合には、サタンが先頭に立って、その後ろにはアダムが付いて行く。その後ろにエバ、その後ろには長男カイン、その後ろには弟であるアベルが立つようになっている。 それで神は、良心世界を代表した者をアダム家庭から捜そうとした時に、アダムはサタンが取るために、尻尾を神は取らざるを得ない。それで、弟の立場にいるアベルを中心として、カインを蕩減復帰。弟が兄さんの立場に立つようにして、その兄さんが弟の立場に立つ。百八十度反対。その立場を延長した闘いが今までの人類歴史である。だからサタンの基盤が先に立って、長男圏として、権力圏を握った政治を代表し、その反対に、アベルは神の方だから、宗教を代表している。宗教が地上のサタン圏に着陸したとすれば、将来、サタンは、全面的に崩壊してしまうということを知っているから、今までサタン圏はこれが生まれることに反対して、根本からみな切ってしまい、無くしてしまおうとしてきた。だから、数多くの為政者のサタン圏の権力によって、正しい宗教圏の義人達が血を流してきた。 宗教圏を中心として打たれながら勝利圏拡大 こういう観点から見た時に、アベル圏が右に立って、カイン圏が左の方に行って、個人消化、家庭消化、氏族消化、民族消化、国家消化、世界消化、あるいは地獄消化までしていかなければ、真の天国に至る道を探してくることはできません。 それで、百八十度の反対を通過して、反対の方に行って、叩いて打って屈伏するのではなくして、自動屈伏させる方法をとらなければならない。神の愛の世界には怨讐という観念がありません。闘う観念があれば二元論の結果に落ちてしまうから、サタン圏において、闘わずして自動屈伏させるようにして、個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、民族復帰、国家復帰、世界復帰まで行かなければならない。そういう道を辿ってくるには、神様の戦法、戦略、戦術は、打って占領してくるのではなくして、打たれながら損害賠償を加算して、拡大して、世界まで発展してきた。そうなった場合には、宗教圏を中心として、右翼政党圏が生まれて、左翼と一体となる。 そうすると、神の方の伝統的歴史は、アダム・エバからアベルを通じて、直系的な路程を、歴史を通してこなければならない。伝統的な愛の道を守って、直系の道を辿ってこなければいけない。それは一つの道であって、二つの道ではありません。 だからそういう宗教は一体どこにあるや?血を流してこの道を辿ってきた。それで、ユダヤ教は歴史的にどこに行っても追い払われてきた。ユダヤの歴史には自分の基地でもって発展した歴史はありません。異民族、ジプシーのように移動圏を拡大しながらやってきた。 アブラハムもそうだろう?カルデアのウルにいたアブラハムにも、神様から「故郷を離れよ」という命令が下った。ヤコブもヤボク川で勝利したその十二氏族を抱えて自分の故郷に帰ったのではありません。異国の地、エジプトに行った。サタンの根拠地に乗り込む。キリスト教もそうだ。反対するローマの本郷の地に乗り込んで行った。だからサタンはよく知っている。将来、この神の対策によってサタン圏を消滅させることをはっきり知っているから、全面的に叩く。それで血を流してきた。 そういう伝統を相続してきた宗教圏を拡大して、家庭的、氏族的基盤、そして民族と国家、世界、天宙まで繋げる勝利圏を拡大していかなければならない。そのようにして、摂理観の基台に立つ国になるべきである。 人類歴史の終末期における全面的闘争 そのように見た場合には、ユダヤ教とキリスト教と統一教会、それは蘇生、長成、完成となる。イエス様が死ぬことによって、国家基準を確立して、世界に発展して、ローマを自動屈伏させるべき使命を残していった。それで、地上で自分の使命を完成することができなかった。結果を充たすために、再臨するという言葉を残して死んでいった。先生の使命としては、それを収拾しなければならない。死んだことによって国家基準において、右翼圏と左翼圏と、前に立つサタン圏をそのまま残していった。だから再臨の時は、右翼と左翼、そして前に立つサタン圏を統一しなければ、イエス様の来られた本来の国を立たすその目的完成とともに、世界勝利圏の目的を結末することができない。再臨主というものは、イエス様の目的を果たすために、世界的十字架を中心にして、右と左、そして、バラバの流れを汲む回教圏を統一しなければならない。イエス様が十字架につく時、三人の強盗がいた。それは人類すべての象徴であり、歴史に展開する全ての内的表徴として、イエス様の死とともに展開してきた。これは復活統一しなければならない。だから、右翼、左翼という言葉はそこから生まれてきた。第二次世界大戦というものは、歴史的摂理点から見た場合には、全面的清算戦争であった。 エデンの園においてエバが、女が堕落したね。その女が神に追い出されて、結婚して生んだのが長男であった。それから次男を抱えるようになった。この三人を結局、神の方から失ってしまった。完成した理想のアダムの前に立つべきエバは、エバとして完成し、統一した兄弟(子供)を持たなければならなかった。それなのに、本然の理想的アダム勝利圏をさて置いて、完成して神様と一体となるべきその基盤を捨てて、サタンの方に行ったのだから、結局はサタンのもとに行ったエバはサタンのものになってしまった。そして、その子供はサタンのものになってしまった。それは創造原理で見ると、許されない立場に立つ。それを越えて、本然の基盤に再び元返す作戦をしたのが、今まで宗教圏を通して歴史を動かしてきた総合的な決算路程であった。 それで、堕落した結果、エバとカイン・アベルを植えてしまった。それを失った神はエバとカイン・アベルを復帰してこなければ、神が創造理想で求めた家庭を得る道はありません。家庭をなさなければ、氏族、民族もないし、国も世界もない。故に、家庭を再び復帰してこなければならない。それ故、そのサタン側において植えられたエバとカイン・アベルを神の方が奪い取って来なければなりません。サタンを中心として、エバとカイン・アベルが確固たる結束体をなしているのです。それを屈伏させなければ、サタン世界の家庭問題を解決して、根本的に天の方の家庭に復帰する道はありません。 サタンの方が初めに出発したために、サタン側のエバと、カイン・アベルの世界的国家体制編成時代が来る。その反対に、神を中心として、エバとカイン・アベルを中心として、世界的結束時代が来て、その二つがぶつかって一つに残す方向をまとめなければならない。二つの家庭ではありません。だから摂理史においては、人類歴史の終末期においては一人のエバを中心として、カイン・アベル勝利圏を立てると共に、神を中心として右の方の基準を中心にまとめて、サタンの方も消化した勝利基準を得なければならない。そうなれば、左右共々、完成したアダムを中心として、家庭基盤と氏族、民族、国家基盤を整えながら、アダムを中心として、左翼と右翼を統轄して神の方に進んでいけば、そこにはサタンという世界は無くなってしまう。 連合国家の勝利により、初めて宗教圏が世界を統一 それが第二次世界大戦でした。イギリスは島国です。島は女性を象徴する。メインランド(大陸)をいつも慕っている。イギリスを中心としてみると、アベルの立場はイギリスが生んだ子供であるアメリカ。フランスは過去においてイギリスの怨讐であり、カイン圏。神の方のエバと、神の方のアベルと、神の方のカイン的世界的国家が一つになる。 その反面に、サタン圏に立ったエバ国家が島国日本である。サタンは将来韓国を中心として再臨主が来られるということを全て知っているから、日本をして、その基台を皆壊滅させる戦略を取った。日本はエバ国家。それからドイツは悪辣な独裁国家。サタン的アベル国家。サタン的天使長国家がイタリア。イタリアは行ったり来たりする。フランスも天使長国家だから、行ったり来たりする。このように、アダムを家庭的に生んだのが、外的に世界的な二大陣営の結実体となって対立して闘った戦争が第二次世界大戦。 君達も知っているとおり、ヒトラーとムッソリーニはユダヤ人とキリスト教徒を全部滅亡させようとした。日本も八月十七日には、二十万人のキリスト教徒を虐殺する計画をしていた。六百万人のユダヤ人虐殺運動。世界大戦を中心としてキリスト教の脅迫虐殺運動、全面的打倒。このようにして神側の全面的打倒を主張して最初に攻撃したのがサタン圏の日本、ドイツ、イタリアであった。 連合国家と枢軸国家が闘って、どちらが勝ったか。世界的に中心性を持つ連合した国家がサタンと闘って、サタンを切ってしまった。連合国家の勝利によって、歴史的に初めて宗教圏が世界を統一したのはこの時であった。歴史をはっきり知らないと、自分の立つ所をはっきり知ることができない。イギリスは神の前にあって世界的エバの勝利圏を獲得した。アベル圏とカイン圏を獲得して、神がエデンの園で家庭的に失ったエバと、カイン・アベルが、国の結実体として神の方に帰る時が来ましたから、末の時期である。末世である。 再臨主のために備えられた世界統一時代 この勝利したエバとカイン・アベル自体は、その血統的相続を神から受けるのではありません。サタンにより、偽りの父母の血統を受け継いだために、それを皆蕩減復帰して神のところに帰るには、新婦の立場で、神の方に帰る子供として全てを清算して、新しい愛を中心として、新しい生命の種を再び相続しなければならない。その実体が再臨の主であり、救世主であり、真の父母である。国家的基準において、エバ、カイン・アベルを得た、世界的統一圏に立つそのエバ圏たるものを因襲すべき主人が誰かというと、それが再臨の主であったというのです。だから再臨の主もその三つの国を迎えて世界統一圏に旗を立てて、統一世界の先祖国家、長子国家を創建することによって、歴史以来求めてきた長子王権を樹立しなければならなかったのです。それが今まで延長されてきた。 再臨の主は、エバが勝利し、長男・次男が勝利したその基準を中心として、神の愛と神の生命圏を再び結束させるには、国を代表した基準を持たなければならない。イエス様は体をアジアで失ったために、再臨の主はアジアを統一させて世界を一つにする使命を持っている。かつてのローマと同じように、僑胞圏の失敗を蕩減復帰しなければならない。ちょうどその立場に立つのが韓国であり、韓半島である。日本は、一体どこから今日の現代文明を相続してきたかといえば、イギリスから相続した。ドイツからは軍隊。ローマからは法律。エバ国は皆、借りてきて加工している。だから、今の日本の文化は加工文化であって、自分自身で作った文化ではありません。西洋文明から皆集めて、全て写真に取ってきたりしてきた。 連合国家を代表とした世界的統一時代はキリスト教文化だった。キリスト教文化圏を中心として統一した。それは誰のためかといえば、再臨の主のためです。目的はイギリスでもなければ、アメリカでもなければ、フランスでもない。結局、その中心目的は、真の愛と真の生命と真の血統をもって、堕落しなかった家庭基準を世界的基準で再び蕩減して乗り越えることであり、そのために再臨の主は来られる。キリスト教の歴史以来の最高の目的は何か?再臨の主を、新郎を迎えることである。新婦完成して、新郎を迎えることがキリスト教の伝統精神であるから、キリスト教は「新婦宗教」というのです。 再臨の主はどこに来られるのか? 韓国だ、韓国。「韓国」の発音を強くすれば、「監獄」となり、「牢屋」という意味になる。歴史以来、単一民族として五千年の歴史を通して、一つの場所で、他の国から侵略されながらも無くならないで、今まで残ってきたのは、神が守ってくださったからである。 その韓国歴史の総結集であり、歴史的蕩減の総結実体として生まれてきたのが文先生でありました。(拍手)それに李承晩政権を中心とした梨花女子大学と延世大学は、韓国において相対的な立場に立って、英国人とかフランス人とかアメリカ人を招待して教育を受ける基台にならなければならない。それが韓国政府の使命であったことが分からなかった。 結局、今まで全人類の歴史は文先生のために辿ってきたし、神の蕩減摂理は文先生の勝利基盤を立たせるためにやってきた結果だと言える。(拍手) 四千年の歴史を再蕩減してきた四十年間の闘争 一九四五年、韓国の復興と復権と解放と共に、先生とキリスト教文化圏が一体となれば、七年間で完全に世界は一つになる。しかし、その時にすべてが反対して文先生を追い出した結果、四千年の歴史を再び蕩減して元の基準に戻って訪ねて来なければなかったのが、解放後にキリスト教が反対して今日まで延長してきた歴史である。今も既成教会は死にもの狂いである。サタンの活動基盤となり、共産党の基盤となっている。韓国では今、天主教も新教も皆共産化されている。完全に無神論の精神を中心として、有神論の最高の思想を攻撃してきた。その共産圏が今、壊滅したにもかかわらず、韓国、日本内でこの祝福に反対する者は、当然滅亡する。 だから、先生はサタン圏から荒野に追い出された独り子になってしまった。世界を失い、伝統的な宗教圏を失い、勝利的キリスト教文化圏、第二次大戦以降の世界統一圏まで、皆サタン圏に奪われて、文先生はたった独りぽっちになってしまった。サタン的世界を代表した個人の世界連結体、世界的なサタンの家庭的連結体が残っている。サタンを中心として世界的な氏族的連結体。国家、世界、天宙連結体全てがサタンの後ろに付いて来て、先生は独りぼっち。この総合した全体の力でもって、先生一人を倒してしまおうとした。それとの闘いが統一教会の四十年の闘いであったということをはっきり記憶しなければならない。 こういう結果になって、神の前に再び立たせるエバ国家を失ってしまったし、アベル国家と天使長国家を失ってしまったために、神自体は再び決定することができません。神の摂理路程において、二度立てて使ったことがありませんから、それは誰によって再びなされるかといえば、子女によってなされる。アダムとエバの復帰は、カイン・アベルという子女によらずしては、神としては失った全てを再び立たせる道はありません。それで、二世を代表した先生が責任もって、イギリスの代わりのエバ国として、サタンが昔一番愛した敗戦国日本を立てた。 それから、アベル国家としてのアメリカも、再臨の主のために立たせたのに、アベルとして先生を迎えることができなかったために、サタン圏に追い込まれてしまった。再臨の主としては、旧約聖書、新約聖書の基盤の上に成約聖書を完成すべきであったにもかかわらず、ユダヤ教とキリスト教を失ってしまったとすれば何もならない。キリスト教を代表したアメリカは、長成のイスラエル国家を代表した国である。それで、エバ国家日本とアメリカをアベルに立たせて、ドイツをカイン圏に立たせて、再びこれを世界的な影響力のある国家圏まで引き上げて、アメリカをサタン圏から解放させてきて、初めて日本とドイツを神の方に向け、反対される境地を越えてこそ、第二次大戦後の基盤の上に再び帰ることができる。これを四十年間において再蕩減しなければならない。何故かというと、四千年の歴史を四百年で蕩減するには、先生の生涯ではできない。四十年しかないから、四十年間に皆再蕩減の道を行かなければならないから、歴史以来、文先生程、宗教家として迫害された人はおりません。 アメリカと世界の行く道を指揮する文先生 アメリカを立たせたのは先生だから、アメリカが神の方に反対してしまった環境を、再び先生が独立圏まで、世界を収拾する線までなさなければ復帰の道はありません。それで二十一年間、先生はアメリカを立たせる責任をもって、エバ国家日本とドイツと、それから今まで神側だったイギリス、そしてイタリア等の怨讐圏をまとめて、一つの方向に神を中心とした統一圏をなさなければ、国に、故郷に帰る道はありません。七〇年代のアメリカは全面的に左翼圏に巻き込まれて、「八四年までにはアメリカはソビエトに所属する」というような世界的発表をしているその環境の真っ只中に独りで乗り込む。真の親の使命を持つ者には、誰か相談するような相対がいません。エデンの園には、神以外にはおりません。横にいる天使と相談した場合にはやられる。 先生がアメリカに行って、アメリカの七〇年代の左翼圏の全般的環境を一人で開拓した。それで八〇年代に入って、レーガン政権を立たせた先生は、今はブッシュを支えている。七〇年代の十年間に保守系の大統領が生まれるとは夢にも思わなかった。 そこでサタンは、「レバレンド・ムーンはいよいよアメリカ内に基盤を造ってしまった。大統領圏まで、民主党まで基盤を持つようになってしまったら大変だ。その前にこれをぶっ潰さなければならない」と考えて、先生をダンベリーに引き入れた。その時、全世界の個人、全世界の家庭、全世界の氏族、全世界の民族、全世界の国家、全世界の右翼・左翼、それから中近東の回教まで反対した。宗教圏全部が反対した。 カーター政権を倒したのも先生だった。その勝利的戦法として全国的な基盤を造った。そのため、たくさんの団体を作り、『ワシントン・タイムズ』を作って世界戦略的な広報作戦と共に、最高の指導者の教育をした。それで、ICUSやPWPA、最高の知識人やサミットクラブ、最高の科学技術者を教育し、現実においては、ドイツの最高技術と日本の電子の最高技術を一人で握ってしまった。 今、アメリカでは文先生を無視することはできない。ブッシュ大統領も先生の手を借りなければならない。それで、アメリカのキリスト教を再び復興させて、新しく第二次大戦後の愛国的宗教圏に切り替えなければならない。キリスト教の行く道、アメリカ合衆国の行く道をまとめて、世界に再び登場しなければならない方法を、先生が指揮している。そのようにして、一九五二年から闘い始めて、四千年の歴史を四十年で蕩減する最後の年が一九九二年である。 人類解放・世界平和の一念で歩まれる真の父母様 世界的に最高の勝利をしたその勝利圏は、再び韓国の地に、故郷の地に戻って植え込む。これはたてこまなければ、本当の神の理想の家庭基準が樹立されないから、今氏族メシアを発表すると共に、家庭解放運動を代表して、女性解放宣布をなして、韓国に絶対都市を結束する最中である。それは家庭の勝利基準を確立するためである。これが最後の戦法です。 真の父母となるべき者が偽りの父母に変わっていくことによって造られたサタン的な世界的基盤を崩して、皆取り替えて、神的な基盤に変えなければならない。そのために、共産主義の消化運動、右翼の収拾、民主主義の改革運動をなしてきた。だからソビエトは先生が滅亡させてしまった。それからバラバは、イエス様が死ぬことによって復活して、恩恵を受けた代表だから、イエス様の体である国の代表的な基地を全部占領してしまった。それまでもみんな消化しなければならない。イエスの前に、バラバはイスラエル圏の国家的基準を持ったのだから、宗教的に大変なことだ。宗教的にみると、天と反対の立場に立っている。それを消化しなければならない。それで、この場において、四月十日に、八か国の回教の代表的な者達を連れて来て祝福したことは、天下知るとおりである。それは天宙復帰において、尋常でない偉大な事件であったということは一般の人は分かりません。 先生を中心として日本は怨讐、日本とアメリカも怨讐。アメリカとドイツも怨讐。フランス、イタリア、皆神を排斥して、反対した怨讐圏に立った。その怨讐の群れが先生によって一つになって、怨讐国家であるアメリカをアベル国家に立たせた。第二次大戦後の勝利基準に復帰、復権させてあげなければならないその使命が先生にあるから、先生がそれを全てなすようにした。アメリカの政権が行くべき道、キリスト教が行くべき道、共産党が行くべき道を示し、最後には、唯物史観を代表した偽りの再臨の主である金日成まで、真の父母は消化しなければならない。それまで皆消化して、国に帰って家庭を迎えるような現在の起点になったということをはっきり知らなければならない。 五十億の人類の家庭の背後には、氏族蕩減の壁があったね。そして、それよりももっと高い民族の壁、もっと高い国の壁、もっと高い世界の壁、もっと高い天宙の壁、もっと高いサタンの壁、神と反対の立場にあったその全てが、真の父母によって皆崩された。壁が皆無くなってしまった。(拍手) 世界の歴史を通して、こういう勝利圏をたった一人でまとめて成し得たのは、歴史的に文先生以外にありません。摂理的に勝利した者は文先生以外にありません。(拍手)愛の乱れた世界において、新しい愛の伝統を正す勝利的な家庭、勝利的な氏族、民族、国家、世界、天宙まで、高速道路を開拓し、開発した者は文先生以外におりません。(拍手) 天の全権は文先生に委ねられている。日本の国も、アメリカも、韓国も、北韓も、ソビエトも、皆目茶苦茶。しかし、今度の大会を中心として、全世界に集まった有名人達が文先生を、世界的経済、政治、宗教全ての先頭に立たせて、真の父母として敬愛するようになれば、世界解放、世界統一は二〇〇〇年前にきれいに治まる。 ここに集まった沢山の言論界の皆さん、この内容を発表しなさい。それから、噂によって文先生を叩いて牢屋に引き込んだり、噂を作って先生が直行して行く道を乱した者は悔い改めなさい。それから、政治界と宗教界を一つにするために「世界言論人会議」と「世界平和宗教連合」を作った。それを作るのに一人でいかばかり苦労したか、君達には分からない。真の親として、人類解放と世界平和の一念以外にありません。神の救済の目的は、個人でもなければ、集団でもない。世界救済、天国地上解放の運動である。(拍手) 聖人以上の立場に立つ祝福家庭の位置 それで先生は家庭を迎えることによって、氏族メシアを中心として、自分の親達を堕落しなかったアダムとして、勝利的な権限を与えることによって内的に祝福したとするならば、世界的に外的に繋がなければならない。先生を中心として、その間苦労し、迫害を受け、関係した者全てが祝福を受ける。それは特赦である。 それで何も知らない教授や父母達に統一教会の祝福を、歴史上で辿って来た家庭を編成するために、無条件で許可する。しかし、それを拒否する者がいたとするならば、それは恥ずかしいことである。文先生がこの問題を解くのに、歴史を通して一生かけており、摂理は六千年、宗教圏が血を流し、辿って来た目標の解決起点であるということを考えてみれば、恐ろしいことである。 この一日の行事のために、世界百三十一か国の青年達と既成祝福家庭が集まって、三万双に及ぶ者達がこういう催しをなすことは、全部歴史的な大事件であり、勝利の事件の源を確立し、礎を置くその瞬間である。 先生の話を通して、歴史観を通して現在立っている自分の位置、摂理観を通して現在いる自分の位置、それから今後、将来に向けて行かなければならない自分の未来の道をはっきり分からなければならない。 こういう内容で話したものを、今から祝福の内容をいい加減にして守らなければ、歴史的審判、摂理的審判、未来理想的審判が加えられることを宣言する。 我々には国が一つもありません。アメリカも日本もドイツもフランスも中国もソビエトも、神が立たせた国ではありません。神の国はありません。今から神の家庭を探すことによって、神の氏族編成、神の民族、神の国家を編成しなければならない歴史的、宿命的な使命があるということを忘れてはなりません。 南北統一は、先生によって、我々統一教会によってなされる。「歴史的にアジア文明圏が今から到来する」と、識者は皆主張するけれども、その標的基準は文先生によって指揮されるだろう。(拍手)歴史的な自分の立場をはっきり分かった?それで、神と真の父母を中心として真の愛と真の生命、真の血統が生まれてきた。 真の父母たる者は如何なるものか?神の心中において、愛を中心とした創造理想として、愛の行く全体を総合した結実体を求めて、創造された最後の結実体として、全てを勝利して、神の心中まで解放して、勝利圏を地上に拡大するために、真の父母が現れたということを感謝しなければならない。(「はい。」拍手) 真の父母の伝統的教訓を相続する現場として、我々は胸が張り裂けるほどの激情を感じるようになりました。縦的親である神様は、歴史創世以来、いかばかり苦難の道を辿り、摂理圏を確立して、再臨の主を地上に送って、地上解放と世界平和の基地を求めていることか?再臨の主の行かれる道、それは全て涙ぐましい歴史の悲惨さの道であったということを知らなければならない。 我々は偉大な時代を迎えました。孝行娘、現実の家庭を中心として国に対する忠臣の道が私の目前に現れてきました。国に対する愛国である。次には、聖人の道が私の座っているところで果たし得るようになりました。聖人は宗教家の教祖でありました。しかし、歴史的な数多くの聖人達、教祖達は、世界を愛するということを成し得なかった。我々はこの一つの場で、世界百三十一か国の兄弟と共に、聖人以上に愛する権限をもらえる、そういう時期を迎えているというのです。 最後は聖人ではなく、聖子。天の国、地の国、天の王国宮殿の法律、地上の宮殿の法律を内外共に完成し得て、聖子の使命を、直接、家族、国、世界、天宙をわが手に握る、こういう恐ろしく素晴らしい所に立ったということを忘れてはなりません。我々はこの場に立ち、全てを手にいれることができる。孝子、忠臣、聖人、聖子。 歴史において、こういう人になれる権利がない。だから、その立場は、神様の王子・王女というのは、聖なる家庭にあることを忘れてはなりません。そうなりたくない者は、手を挙げて。そういう者はいない。歴史は完全に終えて、彼方の世界に落ち込んでしまうんだね。そうすると今何が残っているか?君達の得た新しい家庭に対して、エデンの園において完成した家庭を再現しなければならない神の要求が向けられていることを忘れてはなりません。 堕落のために血統を転換してしまった。それから所有権を失ってしまった。最後には心情圏を転換してしまった。偽りの親が現れ、偽りの愛によって崩されたのだから、真の親たる真の父母を中心として、真の愛の権限を中心として、これを再び再現させて蕩減復帰しなければならない。 新しい家庭の使命は四大心情圏の完成と真の血統の相続 注意して聞きなさい。 今から私達が果たすべきことは、アダム・エバの夫婦としての伝統基台を確立して、神の創造理想の完成圏の夫婦圏を通して、真の親となって、真の子供に真の愛、真の生命、真の血統を再び相続することである。それが新しい家庭の使命であるということを忘れてはなりません。 あなた達一人でそれ成し得るか?だから真の父母が立つことによって、エデンの園の、個人家庭基準から氏族勝利圏、民族を越えて世界的勝利圏、天宙的勝利圏、神解放圏まで成した。それから世界の絶頂から国に向けて、ずうっと氏族に向けて、家族を中心として帰ってきた。今、善の女性を通して、お母様の分身として祝福されたのがエバだ。しかし、サタン世界のアダムには所有権がない。相対理想はありません。そこには、歴史を通してアダム完成を目標とした全ての心情が完成されていません。神の子供、子女としての完成された心情圏は地球上の人間たる者、誰も知っておりません。偽りの父母の心情を抱いて目茶苦茶になっているから、それは当然のことである。 それから兄弟。神の家庭においてアダム・エバが完成したときに、兄弟として神の前に認められる心情圏を完成した兄弟たる者は地上に現れていません。それから三番目は何かというと、神様が心中で思ってきた理想的な夫婦として、神の愛を受けるべき夫婦は生まれていません。 最後には、子女としての完成基盤に兄弟愛をプラスさせるべきである。兄弟愛の上に更にプラスさせるのが夫婦愛である。その上にプラスさせるのが父母の愛。初めてアダム・エバが結婚して、神を中心として抱擁した真の子供を愛する、その完成父母を地上には迎えていません。 悪なる愛によって未完成となって、神の心情圏に恨みとして残っているものは、その者をして真の愛によって蕩減させてあげなければなりません。神を解放し、万民を解放して、神と人間と一体になる境地を勝利できなければ、それを果たし得ることができません。 一体文先生は何者か。神の子供として、歴史以来、心情圏において完成して愛すべき子供はこうあるべきだというその実体を完成して成し得た者である。(拍手) 主体・客体の一体圏に愛の共鳴現象 それで神は上の主体として、子供は一番遠い所の極に立つ。天から降りてくる子供は最も遠い所。地上に生まれて幼子から兄弟として育てていくんだね。兄弟には相対圏がありません。子女は天から繋がった相対圏はあるけれども、子供として成長する場合には学校に行って、その周辺の東西南北の全ての自然の現象を分からなければならない。小学校を卒業し、中学、高校、大学を経て成長していく。アダム・エバは、完成した子女の完成心情圏を成し得て神の愛の第一相対者となる。それを中心としてずうっと分かれていく。兄弟圏は回って行く。子供を中心として回り回り発展して大きくなって、これが上下最高延長線、平行最高延長線まで行く。子供はこっちからみんな最高の東西に向けて発展して、ここにアダム・エバが、東に西に到達したときには、そのアダムの実体は、神の子供の心情圏を完成した実体である。東西南北の世界全てを、個人から家庭から氏族、民族、国家、世界までも回りながら、すべてを知り尽くした相対圏を世界的に連結させるのは、兄弟圏をプラスさせた完成の立場が、アダムの成熟したその一点の留まる所だというのです。 アダム完成は、子女心情圏完成、それから兄弟心情圏完成。それを成し得た場合には、いよいよ男と女は結婚しなければならない。成長したときには、父母の愛と兄弟愛とそれから旦那さんの愛が一線に繋がっている。離れてはいません。それで、完成し、成熟したアダムは子供の完成体。アダム・エバは兄弟です。親がアダム・エバを愛するその愛の上に、アダムから分かれたエバを考えるときに、お父さん・お母さんが愛の心情圏を知っているから、それに兄さんの愛をプラスさせなければならない。その兄弟愛。だからアダムの完成基準は子女完成、それから兄弟、兄さん完成。それから夫として完成。相対圏を持たなければ、存在、永続しません。神の環境の世界には、必ず主体と客体がある。 救援摂理は復帰摂理、復帰摂理は再創造摂理というのは如何なる意味か。神が創造する時には、環境を造って、そこにおいて、主体、客体を成立させた。そのためにこの主体・客体観念、プラス・マイナス観念、雌・雄観念、男・女観念は、万物すべてが持っている。 鉱物界は分子を中心として見れば、プラスイオンとマイナスイオンから成り立っている。原子の世界を見れば、陽電気・陰電気というように相対的になっている。それなりの級は低いけれども、愛を中心として作用するためであるということが分かりましたか? (「はい。」)植物も動物も、雄しべ・雌しべ、あるいは雄・雌というように分かれているのも、それなりの愛を中心として作用することによって、永続するためである。作用、愛を中心として永続しないものは、歴史的存在圏を維持することはできません。皆そうなっている。芝生の雑草を引き抜いてみれば、小さい虫までもみんな雌・雄になっている。更に、最近では細菌まで雌・雄がいると発表されている。 男と女が同じ連体を成し得た相対圏を持つというのは、一体何のためか。愛が中心となって動く場合には、その周辺には、拍手をしたり、踊ったり、拍子を取ったり、こう跳ね上がったりする。そういうふうにすることが必要。完成したアダム・エバと神が、愛の一体圏を成すことによって、天地共に踊ることができる。その振動の電流の感動作用によって共鳴現象が起こる。直接通じ合わない者に感動電流、感動極が生まれてくる。それで、創造圏には必ず、主体・客体がある。 被造世界を相対的に造られたのは真の愛のため ここに一言付け加えておきたい。一つ聞いてみよう。雌・雄の観念が生まれる前に進化の原則があったのか、雌・雄の観念が先にあったのか、どちらか。進化によって人間はお猿さんの子孫だと言う者は、答えてみなさい。創造環境にはプラス・マイナスが必要だということが、創造の原則になっているのに、雌・雄が創造される前にアメーバが生まれただろうか、雌・雄の観念の下で、元素なんか吸収してアメーバが生まれたのであろうか。これは真剣なことだ。 共産主義を克服するにはこれをはっきり知らなければならない。 鉱物界の元素世界のプラス・マイナス、陽電気・陰電気、その前に、愛があっただろうか、その後だろうか?それから、アメーバから人まで発展の連結体系を成すには、愛の道を繋いで、発展して実体が大きくなるようになっている。その観念を無視して、ただ進化によってアメーバから人になるというような、そんな馬鹿な論法がどこにあるか。愛の観念が先か、それとも、男・女が生まれることによって愛の観念が生まれたのか、どちらか。真剣な質問だ。愛の観念が初めだ。神は愛のためにこの世界を造ったのだから、愛を目的にしなければ、被造世界も造られません。神の最高の喜び、最高の希望、そして最も得たいものは、金でもなければ、知識でもなければ、権力でもありません。それはいつでも創造される。何故神は相対世界を造られたかというと、真の愛のためである。 男・女は愛のため 愛は神のために生まれた「人間は何故生まれたのか?」この質問に対して、哲学の世界において、今日まで誰もはっきりした解答を出せなかった。しかし、今は、はっきり答えが分かるようになってきた。何故人間は男・女に生まれたのか? 「神が最高に願う真の愛のために生まれてきた」という答えを聞いた場合には、君の五官の感覚が喜ぶか、それとも悲しむか、考えてみなさい。聞いてみなさい。感じてみなさい。みな焦点が合わないと大変でしょう?目も中心が合わないと、ぺちゃんこになる。鼻も焦点が合わなければ、大変だ。唇も二ミリくらい間違っても、話ができません。これは振動数が違ってくるから大変だ。焦点が合わなければ大変。耳の三半規管を通して平均を取らないと、焦点が合わない。歩くのも焦点が合わないとびっこになってしまう。全部がそうなっている。焦点を合わすところに全ての理想が繋がる道が現れるようになっている。 人間の焦点は一体何か。女の目には真の愛を見通して男を見たがる。直接見ては分からないから。焦点を一日から合わせて、千万年共々に、その焦点が間違いない一点に留まって、真の愛を中心として一点を合わせて行く者は、理想の子供であり、理想の兄弟であり、理想の夫婦であり、理想の親である。その一点を今まで分からなかった。 女は何のために生まれた?真の愛のために生まれてきた。そして男は何のために生まれた? 見えなくても絶対にある。愛を見た人はいる?愛に触った人はいる?女も、男も、何の為に生まれた?愛のため。その愛は垂直から来るか、平面から来るか、どっちから来るか?天の愛は垂直から来るし、地上の愛は横から来るようになれば、理論的に合う。 一つのものの完成を得るには、垂直と横を結ばないものは球体の中心も何も作ることができません。それが九〇度にならない場合にはみんな崩れてしまう。目の中心、鼻の中心、口の中心、へその中心、そして、生殖器まで、皆半分にぴったり合うものは正確なものだ。先生が全身を見てマッチングしたら、立派な永遠の相対を組むけれど、それはできない。だから、写真を見て決める。写真は何故いいか?顔だけ見れば、そこには五官のうちの四官が集まっている。それがみんなぴったり合う場合、一身が良く合うようになっている。 女・男は何のため生まれた? (「愛。」)愛。愛は何のために生まれた? それをはっきり知らなければならない。愛は神のために生まれた。それを知らなかった。 愛の主人は神であって、その相対的に立つ者が人間であるべきだということを。主体である神に対して、男は水平に愛を中心として結ばなければならない。男を東とすれば、女は西。前にも言ったように、子供の頃、兄弟として成長し、夫婦になった場合には、東から西を見た場合に、「ああ、私は世界も何も要りません。あの小さい、色々小言を言っていた昔のエバだけが必要だ」と言うようになる。エバも、「いつも、腕白で、野原に行って蛇を取って持って来て脅かしたり、蛙を持って来て嫌なことやっていたあの兄さんが私の相対になる」と言うようになって、初めて相対圏を得る。いくらそういうような男も女も、女・男が必要になっていく。それが嫌だと言う者は死んだ方がいい。(笑い)どうせ亡くなるのだから。 男は何のため生まれた? 愛のため。女も愛のため。愛は神様のため。男の愛を完成するには独りだけではできません。神様だけではできません。男には女が必要であり、女には男が必要である。相対のない者が再び中心になってきて、求めて行く所は、アダム・エバが堕落しないで完成して、神を中心とした夫婦として、結婚の計画を始めるべきであった。このようにして、相対圏が中心になった場合にはどうなるかといえば、垂直な神が降りて来る。神の二性性相の実体的完成がアダムだから、神の心中にある創造の最大愛の理想としては、子供完成愛の理想、兄弟完成愛の理想、夫婦完成愛の理想、父母完成愛の理想だけです。愛の完成以外には何もありません。 本然の家庭を拡大した基盤が理想世界 見えない霊的世界と、見える実体世界が、神の二性性相から、男の性相と女の性相を両親に配って発展してきたのだから、上弦と下弦が一体となる瞬間、子供と親が完成された理想でもって、分かれたものが上がって初めて合う。それから東西南北を繋ぐ兄弟愛が完成される。その兄弟愛が一人ばかりあったものが相対圏を得る立場。男・女、夫婦、愛を中心として相対圏を迎える夫婦の愛、全てが相対圏になったから、見えない神の心情、兄弟心情、夫婦心情、親の心情完成という神の最高の創造の目的が、実体的に完成されたから、神自体が自動的に正弦としてぴったり合うようにして降りて来るというのです。 初めて、平面において、愛を中心とする夫婦の愛がその中点で結束することによって、神は上下、子女の愛は、右弦・左弦の愛の結束と共に、上弦・下弦の愛、兄弟愛をして、前弦・後弦の全ての愛が完成して一点に決着するところが、夫婦愛である。結婚式の初夜の愛の一体圏である。それが、東西南北を通過する、そういう感動的な円満圏が生まれてきた場合には、見えない神が完全、永遠の実体圏と一つになって、神の最高の喜びに接する。神の心中に創造理想通りに、実体的に完成されるその基準を、横的にアダム・エバが完成することによって、神が人間を創造して喜びを得たと同じように、無形な神が、実体を中心として、神の身代わりに、神の心情をもって、自分自体がアダム・エバを創造するときの、その実体圏の実現、体恤基台を現したものが子女である。 そうすると、神が願った内的愛情世界完成と共に、アダム・エバを中心としても、実体的に子女愛完成、兄弟愛完成、夫婦愛完成、それから、父母愛完成したのだから、内的な神様の完成圏と完全に相対圏になるから天地が一つになる。東西南北、前後左右が一体となって、それが球体として軸を中心として回るようになる。それが、家庭において結実される、隠された種だ。この種は誰でも願わなければならない。その種の中には宇宙が入っている。それをなし得なければならない。子供を生むということは、再創造の主の立場に立つことであり、夫婦になることは、愛を獲得して完成圏を独占するためであり、万民兄弟を自分の一体圏に結ぶためであり、子供を必要とするのは、永遠の歴史を結束するためである。その基台が、堕落しなかった本然のアダム完成した理想の夫婦であるということを、はっきり覚えておかなければなりません。 だから愛の結束点を中心として、子供も回るし、兄弟もそれを中心として回るし、夫婦、父母もそれを中心として回るし、実体的、絶対相対者だから神様も、それを中心として回らざるを得ない。これを拡大したのが世界だね。世界には、お祖父さん、お祖母さんの年齢の人がいるし、自分の父母みたいな年齢、自分たちの夫婦みたいな年齢、自分の子供のような年齢の人々が入る。このように家庭を拡大した基盤が世界であるというのです。 無限に投入して、無限に忘れるのが真の愛 個人は家庭のために犠牲にならなければならない。家庭には自分のような者がたくさんいるね。祖父母から、父母から、夫婦から、兄弟から、沢山いる。自分の完成体が沢山いるところを保護するために、それを汚してはならないから、為に生きなければならない。奉仕的な犠牲をしながら行かなければ、愛の理想郷が崩れていく。 為に生きる、犠牲になるところにおいて保持するから、仕方なしにその道を取らざるを得ません。 それから、何故国家のために家庭が犠牲になるか? 国家には自分のような家庭が何千万も入っている。日本の人口が一億二千万で、一家庭が四人としたら、三千万戸世帯がある。自分の家庭みたいなのが三千万倍あるから、その大きいものを保護するためには、自分の家庭が犠牲になるのが天の公式、宇宙存在の公式である。 国は世界の為に生きる。世界には国が何十倍も入っている。大きいから国が吸収されることはあっても、国が世界を吸収することはできません。吸収された場合には破れてしまう。為に生きる。そうしたら、天宙の為には世界も吸収されなければならないし、犠牲にならなければならない。人間と神の関係をどういうふうに結ぶか? 真の愛のためには世界を出ても、それが犠牲になる方向を取る所は、聖なる完成される道であり、聖なる勝利の道であるから、その道を行かなければならない。 真の愛が必要か、必要でないか? (「必要です。」)何故? 真の愛には神も屈伏する。絶対なる神を絶対に屈伏させる力は一体あるだろうか、ないだろうか? それは真の愛しかありません。真に投入する。真に自分を、他のために愛を投入して忘れてしまう者には、絶対なる神も、絶対なる真の前にはひざまずかざるを得ません。そんな話は初めて聞くね。絶対なる価値の最高の王者は真の愛が占めている。神が引っ張って行くことできるか。いくら大きく威張っている夫でも、自分の愛する子供や奥さんが「来い、来い」と言えば、引っ張って行かれるようになるのです。 そのようにして行くのが真の愛の開拓の道であり、正式の高速道路だと思ったとき、気持ちが悪い、気持ちがいい? 真の世界の本源の永遠の霊界は、この原則の下にみんな統制されている。個人を主張する者は霊界に入れません。 それは何故か? 真の愛は一体何か。投入して、投入して、投入して忘れるものが真の愛だ。「統一教会に入って何年か経ったから祝福を受けて、立派な人になるし、祝福を受けたら立派な子供が生まれるし、天国に行くと言われているから、それが本当か嘘か分からないけれども、ちょっと行ってみてみよう。でも、分からなくなった場合には後退してしまおう」と、そんな馬鹿なことを言ってはいけません。 理論的に整理しておかないといけない。 真の愛が必要な者、手を挙げてみなさい。みんな挙げているだろう。真の愛は、神も喜ぶだろうか、喜ばないだろうか? (「喜ぶ。」)真の愛はどこから始めた? 君達から始まったの、神から始まったの? (「神から。」)このような内容を先生は神に向かって主張したことがある。神に聞くというと、「あんたも、その人間達にとっても、自分の相対者が自分より何千倍優れてもオーケー」と言ったのです。自分の子供が自分より何千倍勝っていてもいいというのです。先生も、「神様、こういうような本性の心持っているのですが、神様もそうですか?」「わしも同じだ」と言うんだね。神も、自分の相対者は神より立派な者を願っているということが初めて分かりました。間違いなく分かりましたね。 自分の子供が自分より悪くなるのを願う人がいますか。一人もいない。子供を願う神から見た場合に、百を持った神様が百を投入した場合には、同じものしか生まれてきません。何故忘れなければならないかというと、百を投入してストップした場合には、それ以上は生まれてきません。投入して忘れて、また投入するから、段々相対圏は大きくなる。無限に投入して、無限に忘れたいところにおいて、無限の相対者の権限が現れるということを、神ははっきり知っている。だから、神は真の愛の相対者を求めるところにおいて、投入して忘れざるを得ない。そのような理論的観点がはっきり分かりました。 父母の子供に対する心を考えてみなさい。自分が何月何日、どういう物を買ってあげたと手帳に記入するお父さんやお母さんがいますか? 誕生日とか、新年のお正月にデパートに行くときに、三流デパートの方に最初に行く父母がいますか。それとも一流デパートに先に行きますか。どちらですか。一流デパートでしょう? デパートに行ってみて、最高の物とそれ以下の物の値段を見た場合に、最高の物を手に触りながら、買いたいけれども生活環境が許されないときに、その内心の痛みを抱えつつ下に下げて行く父母の辛い心情を、今までこの世の中の子供達は分からない。 しかし、統一教会はそれを知っているというのです。親は三等品を買ったそのために、次に来るときにもっと良い物を買ってあげるという一念の決意を固める。自分の一身を投入したいその思いで、新しい目標に向かって投入する決心を固める。この地上の生活において、そのような本当の父母の心情を、背後において我々は探ることができる。そういう生活の本流を守ってくれる神様が真の神様である。そういうふうに子供を抱えつつその道を行くのが真の親であり、その苦労の犠牲的な夫婦関係を保っていくのが真の夫婦である。そういうような体験を持つ者が、真の兄弟圏、そういう子女を持つ者が、真の子女圏であったということが分かりました。だから先生も同じである。投入して忘れる。それを記憶してもらいたい。 四大心情圏完成と三大王権を実現する基盤が我々の家庭 心情圏から、実体の完成の家庭圏、誤った歴史圏のすべてを分かったのだから、今から私の家族を中心として歴史を成立し、方向を一八〇度転換することによって、神の四大心情圏を復帰しなければならない。子女の心情圏、兄弟の心情圏、夫婦の心情圏、父母の心情圏という、それから横的に完成した家庭においては、神様がお祖父さんの立場にあり、アダム・エバは完成圏において垂直を直接横的に繋ぐような立場にあり、自分の子供は未来の世界。そのように、過去、現在、未来の三大王権を相続する基盤が我々家族であったということを、はっきり覚えておかなければならない。だから神様は過去のお祖父さんの立場に立つ。その父母様は未来に展開するすべての家族の代表の王様である。それが王権だ。自分というものは、未来の天国と地上の王権を相続すべき王子・王女であったということを忘れてはなりません。 はっきり覚えておきなさい。縦的神の心情圏においては四大心情圏。子女の心情圏完成、兄弟心情圏完成、夫婦心情圏完成、父母心情圏完成がアダム家庭になる。父母心情圏の中心者がアダムであったのです。そこには、夫婦心情圏完成、兄弟心情圏をアダム一人が皆成す。それは神の子供であり、神の兄弟であり、神の夫婦であり、神の父母である。男、女も相対的に見ればみな同じではない。 だから縦的な四大心情圏を完成して、神の恨みを解放して、自分の家庭に天国を創造した立場のお祖父さんと現在の自分のお父さんのいる所が現世の家族世界であり、この現世の家族の中心の王様が、自分のお父さん・お母さんであったということを分からなかったね。自分は未来において、天国・地上を連結すべき相続を受ける王子・王女であったということが、神創造理想下に定着すべき理想的な家庭の基本的鉄則であったということを、はっきり覚えておくように。四大の縦的な心情を、横的に三大王権を実現すべき基盤が我々の家庭だから、いかばかり愛に徹した生活をすべきかということを、今はっきり分かりましたね。(「はい。」) そういうふうに訓練された心情を持つ先生がアメリカに行けば、アメリカのおじいさん、おばあさんを、自分のお祖父さん、お祖母さんより以上、カイン側の人々をもっと愛さなければならないというのです。アメリカの父母圏にいる人々を自分の父母より以上愛する。世界的だから。兄弟をそれ以上愛すべきだ。全て完成して、世界のどこに行っても反対する者はおりません。そうなれば、門が東西南北自動的に開く。天国の十二真珠門も東西南北に向けて、どこからでも入り、どこへ行っても歓迎される実体、愛の王族になって、愛の王子・王者となる。そういう立場に立つことによって、誰でも人間の最高の欲望を完成するようになっているということを忘れてはなりません。 私のお祖父さんは天下の王様。私の父母は地上の家庭の王様。私は未来の後世の王様。そのような三大王権を抱えて、地上全体、宇宙の標的として動かす、代表者の立場の愛の生活圏を抱えることが人間の最高の成功の道である。天国に、このような神の王族が初めに入るようになっていたということを、はっきり記憶しなければなりません。 祝福家庭として求めていくべきこと 先生がそういう生活を標本として生きてきた歴史の迫害の道は、神が皆勝利圏として、反対する迫害者の所有を相続させる第二の秘宝でありました。神は打たれて、利子を抱えてサタンが返済していく。サタンは打って失っていく。神は打たれながら得ていく。第二次大戦も、打った者が悪魔の立場に立ち、皆滅びる者であり、罪なしに打たれる者が勝利する者である。歴史の勝利の基台をこういう面で見た場合には、歴史は正しい方向に進んでいるということが分かるし、その先端に立って、もっと広く、もっと高く、正しい道を確立することによって、現在の人類解放、国家解放が可能になるという理論的結論を出すことができる。 この権威を得るものが血統転換式である。それに伴って所有権転換と心情転換をなし、横的に家庭基盤をなすことが、我々祝福家庭の結論として求めていくべきことである。これを築いていくことが、我々の直接の使命たることを確認して、世界の果て何処に行っても、先生の内容をその国に拡大するように、植えていくように、伸びていくように、各自奮励しなければなりません。(拍手) (「統一の歌」を歌われる。) 祝 祷 愛するお父様。アダム・エバの堕落によって血統と所有権と心情圏が引っ繰り返ってしまいました。これを一八〇度違う意味から、神の愛と所有権と心情圏を合わせ、愛によって収拾することのできる本然的世界の顕現するこの時代の焦点に立って、これから血統転換式を行うことになります。 私達の心情圏は既に神の前にあるものであり、所有権も神の前にあって、完成した後に祝福を受けるべきでありました。アダム・エバの堕落によって失われたあらゆる心情圏を通して、個人的心情、家庭・氏族・民族・国家・世界的所有権も、すべての血統も、個人から世界にまで繋がっている真の父母の勝利も、すべての個人、家庭・氏族・民族・国家・世界的な版図圏の血統復帰、所有権復帰、心情圏復帰の勝利的基盤の上に立っているために、統一家のすべての子女達は、血統復帰と共に、所有権と心情圏を天の前に捧げて出発しなければならないということが分かりました。 このために、旧約時代、新約時代、成約時代を通してみると、旧約時代は万物を供え物として息子を探すため、新約時代は息子を犠牲にして父母を探すため、成約時代は父母が犠牲になることによって、この地上に神を迎えるための歴史的な蕩減時代であったということが分かりました。 ここに立っている真の父母の名を持った父と母は、全万民に対して、アダム・エバが責任分担を果たすことができず、また主管権が転倒された前後左右、上下、天と地のすべての条件を乗り越えて解放圏を備えて、今や国を越え、世界を越え、天と地を越えて勝利した後に、天の勝利的覇権を握って、天命と共に世界を越えて国を取り戻して、氏族を越えて家族を立てて故郷に帰りました。 失われたエバ圏を捜し立てなければならないために、女性解放運動を宣布し、八道江山(注・この韓国の地)に新しい女性運動を中心として春の風が吹いていることは、人間的な観点ではなく、摂理的な観点から見たとき、必然的な帰結の現れであることを、この民族と人類は知りませんでした。 この度の世界史的な大会は、すべての男女が新しい春を迎え、お母様の前に女性を代表した心情を持って、真の父母の愛を中心として本然的すべての勝利の伝統を再び伝え受けて、一八〇度違う神の家庭と神の理想的な国と世界を編成する新たな出発がこの地上に始まったことを意味しているのです。しかしながら、この世界の人々は知らないので、知っている私達は、ありとあらゆる誠を尽くして、眠っているこの世界を悟らせて、失われた兄弟を愛し、救済の道を願われる父の望みの前に、各自の十字架を背負いながら、世界の救済の使命を果たすために、このように歴史的な大会を行うことも、摂理史上、意義深いことであることを知っております。 ここに、イエス様の十二弟子を代表した十二双を中心として家庭を編成し、イエス様の一二〇人の門徒を中心として、失われた家庭の名を世界史的に編成しなければならないすべてが、これから三万双を中心としてイスラエルとして世界的に編成するすべてが、神の願いにかなう、万民の前に誇りうる勝利の基台となりますように。 これから、全天地を代表して、天宙史的な立場に立って、ここに祝盃をあげて、聖なる血統転換式を行うこの場を、お父様、どうか受け入れてください。新しい天の生命として記録し、神の国の国民として入籍するこの時間となりますように。真の父母の教えと共に、全体を代表した王権である四大心情圏を中心とした、この地上においての三大王権を成して、天の解放と父母の解放と万民の解放を成すことのできるメシア的家庭の使命を果たすことができますように。祝福されるこの時間のすべてを受け入れてください。 行われるすべてのことに、そしてこの復活の場にお父様の栄光が共にあって、新たな生命の出発を宣言する時間として受け入れてくださったことを感謝しつつ、真の父母の名をもって、この三万双の祝盃を許諾いたしますので、祝福してください。真の父母様のみ名によって祝願いたしました。アーメン、アーメン、アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.03.17
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第15回神統一韓国平和フォーラム(2022.3.18)第15回新統一韓国平和フォーラム(2022.3.18)午前9時(韓国語のみ)からの配信予定です。ヒョジョン文化院文化ホールとtv.peacelink.live一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.03.16
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「韓国統一と世界平和」日付:一九九二年八月二十二日場所:韓国、ソウル、ロッテホテル行事:第五回「世界平和のための頂上会議」尊敬する元現職の大統領、国家元首と首相の皆様、ならびに各界からお集まりの世界の指導者の皆様。きょう私は、「世界文化体育大典」の一環として開催される第五回「世界平和のための頂上会議」の開幕を心からお祝い申し上げます。また「韓国統一と世界平和」を大きな主題とする今回の会議に参加するために、世界各国から私の祖国を訪ねてこられた、たくさんの指導者の皆様に熱い感謝を捧げます。 未来の新しい理念今日の世界問題は、あらゆる多様な分野が相互複合的に連結されていることがその特徴です。したがって今回、「世界文化体育大典」という名のもとに、思想や政治分野をはじめとする学術、宗教、言論、科学、芸術など、すべての文化的分野の世界問題を幅広く一つ所で扱うようになったことは、世界平和の真の道を模索する上で画期的な貢献となるだろうと思います。さらに今回の会議は、体育オリンピックと共に開催され、人間社会の精神的な面と肉体的な面を、均衡を保ちつつ発展させる方向性を提示する意義をもっています。特に世界百三十ヵ国から、国籍と人種を超越して三万組の善男善女たちが集まる中で挙行される、歴史上最大規模の合同祝福結婚式は、二十一世紀とともに新しい歴史時代を迎える世界人類が、神様を中心に互いに和合することによって世界平和を実現する、平和の大道を見せてくれる壮挙になるでしょう。過ぎ去った人類の歴史を振り返ってみると、一瞬たりともこの地上に真の自由と平和と幸福が実現された日はありませんでした。実際に、経済的平等という理念のもと、「人類を搾取から解放する」と言った共産主義は、むしろ闘争と貧困の凄惨な結果ばかりをもたらしました。そればかりでなく、自由の理想を前面に立てて共産主義と対決してきた自由民主主義も、結局は、甚だしい利己主義と道徳的価値観の崩壊の中で呻吟しているという事実を、私たちは目撃しているのです。戦争の砲煙がこの地球上から消えるどころか、かえって一層激烈な葛藤と混沌ばかりが横行し、未来の世界を暗くしています。しかし人類は、自ら経験してきた数多くの試練や苦痛に対して、誰も恨むことはできません。なぜならば、人間自らが、歴史の背後から人類を摂理してこられた神様の理想と目的を完全に排除したまま、人間のみを中心とした思想体系を立ててきたからです。たとえ神学的な思考が時折考慮されたことはあったとしても、神様の根本的なみ旨と理念をはっきりと知らないまま、歴史の究極的な方向に対して、皮相的な観察ばかりが行われてきたからです。したがって、未来の新しい理念は、人間に対する神様のみ旨と理想をはっきりと究明するだけではなく、神様と人間の関係を明確にできなければなりません。 真の愛は世界共通の平和の原理本来人間の心と体は、神様の真の愛を中心として、完全な一つの統一体を形成すようになっています。そして、このように神様の真の愛で心と体が一つになった男性と女性が、神様の真の愛を中心として出会い、夫と妻として一つの家庭を完成するようになれば、その家庭は、神様の真の愛を中心として一体となることによって、真の自由と平和と幸福の根源地になるのです。神様の真の愛は、相対のために無限に与えようとするものです。愛の心をもつ父母は、自分の子が自分たちよりも立派になってくれることを願うので、子女のために多くのものを与えては、またもっと多くのものを与えようとするのです。愛する夫と妻もまた、相手が自分よりも優れた人になることを願うので、相手のために投入してはまた投入して、それを忘れるのです。このように真の愛の特性は、相手のために投入してはまた投入しようとするところから、その作用が誘発され始めるのです。神様は、このように人間のために与える真の愛の主体的な立場にいらっしゃり、与えてはまた与える愛の本性がその作用を継続させることによって永存されるのです。人間は、神様のみ前に永遠の愛の対象として立ち、神様と共に永遠に愛を受けては返す、愛の一体関係をつくることが、神様のみ旨であり、人間の理想でした。このように、神様と人間が真の愛を中心として、その理想の統一点を共有するようになるとき、初めて人間は、真の自由と平和と幸福を享受するようになるのです。このような原理は、一人の個人だけでなく、家庭と社会と国家、そして世界に至るまで共通の平和の原理として適用されるのです。このように人類は、神様の真の愛を中心として、神様と統一体の理想を成し遂げていかなければなりませんでした。それが人類歴史の根本的な方向だったのです。 韓国と北朝鮮を一つに統一する根本原則しかし人類歴史は、このような神様の方向と一致した道を歩んでくることができませんでした。それは正に人間の堕落のゆえです。人類歴史を通して、誰一人として、神様の真の愛を中心とした一体になった夫と妻になれなかったのであり、したがって、神様の真の愛に基づく真の父母の理想を成し遂げることができなかったのです。反対に人類は、悪魔を中心とした結婚生活を通して、偽りの愛と生命と血統を受け継いできたので、これを清算して、神様の本然の愛と生命と血統を再び取り戻すために、真の父母として来られるメシヤを待ち望み、準備してこざるを得なかったのです。人類歴史が初めからこのような神様の理想的方向と一致していたならば、人類は、幾重にも分かれて互いに争い、葛藤と搾取と抑圧によって屈折した、そのような姿を見せることはなかったはずです。真の愛を中心とした真の父母、真の家庭、そして真の社会と国家と世界の統一的歴史をつくってきたはずなのです。分断された韓国と北朝鮮を一つに統一する根本原則は、神様の真の愛を通して心と体が一つになった真の個人と真の家庭を完成するときに初めて可能なのです。さらにこの原則は、取りも直さず、世界が真の自由と平和と幸福を実現するための平和の原則にも拡大できるのです。ですから、韓半島の統一は、未来の統一された一つの世界、さらに神様と人間までも一つにできる重要な契機をつくるものなのです。きょう「韓国統一と世界平和」について議論する、ここ韓半島は、人類歴史を通じて葛藤してきた神本主義であるヘブライズムと人本主義であるヘレニズムの二つの思潮が、自由民主主義と共産主義という名のもとに鋭く対峙する、理念的対立の歴史的現場です。ですから、韓半島での理念的な分断克服は、すなわち統一された一つの世界を指向する理念的指標になるでしょう。一九五〇年に勃発した韓国動乱は、第二次世界大戦後、全世界が米ソ両国を中心とする冷戦時代に突入する最も具体的な始発点でもありましたが、実に韓国動乱は、世界の民主陣営と共産陣営が鋭く対立する縮小版として、歴史の二つの系統となってきた神様の勢力と悪魔の勢力が対決する最前線だったのです。このような観点から考えてみるとき、韓国動乱は、世界の善側を代表して悪魔の勢力と戦った聖戦とならざるを得なかったのです。今、冷戦時代の始発地域である韓半島が統一されなければ、本当の冷戦時代の終息は期待できません。去る一九八八年にソウルで開催された第二十四回オリンピックがもつ意味は、大変大きなものです。十二年間も米ソ両陣営が互いにボィコットしたオリンピックに、初めて東西の両陣営が共に参加し、東西和合の始発点がつくられました。また類例なく世界から百六十ヵ国の国々が参加し、全世界の和合の象徴になったりもしました。そしてこのオリンピックは、世界を健全なものにするには、肉体的な面だけではなく、精神文化的な面での発展がより一層重要だという認識をもたらす契機にもなりました。そうして私は、八八年のソウルオリンピックの幕が下りると同時に、全人類の精神と肉体の両面を、均衡を保ちつつ啓発させることのできる、新しい次元の人類の大祝典「世界文化体育大典」を開催するための準備に着手し始めたのです。 霊的な大覚醒が必要な時韓半島の葛藤は、先進国と発展途上国との間の葛藤だけではなく、東西文化の葛藤までもよく現しています。ですから、韓半島の統一は、世界平和と不可分の関係にあるだけでなく、未来の世界問題の解決に対し、重要な方向性を提示する指標になるのです。今日の世界は、霊的な大覚醒が必要な時を迎えています。個人や国家や世界のすべてが、神様の実在に対する新たな理解だけではなく、神様と人間が再び出会い、切っても切れない本然の関係を再び取り戻さなければなりません。このために私が提唱したのが、真の愛を中心とする「神主義」なのです。この「神主義」は、左翼でもなく、右翼でもない「頭翼思想」と呼ばれています。私は、真の父母の使命を引き継いだのち、この「神主義」を通して世界平和を実現するために、あらゆる受難と試練を経験してきました。この「神主義」は人々に、人類歴史を通して人本主義に押し出され、物本主義によって忘れ去られた神様を再び探し出させ、神様と人間が共に出会う一致点を教えています。無神論の本山として知られている旧ソ連でも、既に数万人の政治指導者、学者、宗教人などが、四泊五日の修練会を通して、「神主義」を悟り、新しい霊的ルネサンス運動に拍車を掛けています。神様と人間が出会って一つになる場は、正に真の愛の場です。真の愛の中で、人間は神様に会い、永生を追求できるようになることによって、すべての世界問題を克服できるのです。すなわち、自分を犠牲にして、他のために生きる真の愛を通して、人種間の対決や、暴力、貧富の葛藤、環境破壊などに関する解決点を見いだすことができるのです。そして、真の愛を中心として一つになった家庭は、永遠と連結されるので、倫理、道徳の腐敗や青少年の堕落を防止できるのです。 真の愛によって一つになるとき、人類の未来は明るい二十一世紀の新しい歴史は、神様と人間が真の愛を中心として再び一体化するところから、その出発の起点を探し出さなければなりません。個人や家庭、社会、国家、世界のすべてが、真の愛の中で一つになるとき、人類は明るい未来が約束されるのです。尊敬する世界の指導者の皆様。今日の時代は、既に政治、経済、文化などすベての面で国境を越えた超国家主義時代に差し掛かっています。これまで皆様が責任を負い、奉仕してきた国家単位の時代は過ぎ去り、これからは世界が一つに協力しなければならない新しい世界の舞台が開かれつつあるのです。今日のこの世界はわずか何人にもならない小数の指導者たちによって、影響を受けて導かれています。この場にお集まりの皆様すべてが団結して、世界の人類を導く小数の指導者を教育し結束させるために先頭に立つ人になるならば、世界の未来は、皆様の手に委ねられるでしょう。平和世界の達成は、すぐ目の前に見えています。二泊三日の皆様の会議が成功裏に行われ、人類の未来に新しい里程標がつくられることを願います。皆様のすべてに神様の加護が共にあることをお祈りします。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.03.16
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「21世紀における言論人の使命」一九九二年八月二十二日場所:韓国、ソウル、ヒルトン・ホテル行事:第十二回「世界言論人会議」敬愛するマッカーサー議長、尊敬する貴賓、そして言論界の重鎮の皆様。私は、皆様が第十二回「世界言論人会議」に参加するために私の祖国である大韓民国を訪ねてくださり、深い感謝の意を表する次第です。 世界平和建設のための様々な活動今年の第十二回「世界言論人会議」は、例年とは異なり、「世界文化体育大典」という非常に大きな枠組みの中の一環として行われています。「世界文化体育大典」は、私が生涯をかけて成し遂げてきた、すべての事業と業績を一カ所に集め、神様のみ前にまとめて捧げる一大祝祭期間として設定され、開催されています。ここには、十九年の歴史をもつ「科学の統一に関する国際会議」に参加するために来た学者たちの集まりがあり、宗派と教派を超越した世界の著名な宗教指導者たちの集まりである「世界宗教議会」があり、元大統領や国家元首、そして首相を網羅し、世界の著名な政治家たちの集まりである「世界平和のための頂上会議」があります。さらには、世界の著名な女性指導者たちは、私の妻が総裁を務めている「世界平和女性連合」のシンポジウムに集まり、世界の若者たちは、「世界大学生大会」の旗印のもとに体育大典を開き、二十一世紀の指導者を目指す熱気あふれる討論も行われる予定です。私が、一生を通じて渾身の努力を尽くしてきたすべての事業の究極的な目的は、世界平和の建設にあります。一九九一年に「世界平和連合」と「世界平和宗教連合」を創設したのも、そのためです。私は世界平和の核心を家庭に置き、これまで「理想家庭を通した世界平和」を唱えてきました。このような平和理念の具現として、三日後の八月二十五日には、空前絶後で地上最大の国際合同祝福結婚式が挙行される予定です。百三十数カ国から集まった善男善女が、国境と人種を超越し、創造主である神様の真の愛の中で一つとなって理想家庭を実現し、それによって世界平和の働き手になろうというこの荘厳な儀式は、真の未来世界の平和の働き手の創造を意味するのです。皆様は言論人なので、このような地上最大のイベントを目撃することを望まれると思い、世界の言論界の重鎮である皆様を、貴賓としてその場にお招きしました。これは、皆様に報道記事の特ダネを提供するわけですから、実際は、皆様が私に大きな代価を払ってしかるべき、歴史的な空前絶後の出来事です。しかし、皆様は、この行事を単なる地上最大のショーとして見るのではなく、真の意味での世界平和軍団の創設として御覧になり、心からお祝いしてくださることと思います。これからは、言論界と言論人全体が、先にお伝えした世界平和の大構想の中で和合し、渾然一体となって、私たちの念願である世界平和の理想を実現していかなければなりません。皆様。私は去る五月にアメリカのワシントンで、私が創設した「ワシントン・タイムズ」創刊十周年を記念する晩餐会で講演をしました。私が一九八二年に「ワシントン・タイムズ」の創刊を発表したとき、アメリカの朝野では嘲笑の声が上がりました。ある専門家は、「レバレンド・ムーンがまともに新聞を発刊すれば、『ワシントン・タイムズ』は資金不足で六カ月ももたないだろう。あるいは、統一教会の宣伝紙に転落し、読者なき週刊誌のようになるのが落ちだろう」と予想しました。 しかし、十年が過ぎた今日、「ワシントン・タイムズ」は、名実共にアメリカの千七百五十の日刊紙の中で、最も影響力を行使する三大日刊紙の一つに数えられるようになり、アメリカ大統領が朝、目を覚ますと読む新聞となり、去る八月十三日には、アメリカのジョージ・ブッシュ大統領が、今この会議に出席中の「ワシントン・タイムズ」のウェズリー・プルーデン編集局長との単独インタビューに応じ、「ワシントン・タイムズ」に特筆大書したことがあります。これは、ブッシュ大統領が初めて応じた日刊紙の単独インタビューでした。「ワシントン・タイムズ」は、新聞のデザインにおいて毎年優秀賞を受け、去る一九八九年には。審査員十二人の満場一致で決定された最優秀賞を受けるに至り、論説面においても二年連続で論説部門最優秀賞を受けました。これは、アメリカ言論界の歴史にかつてなかったことです。 共産主義の終焉に決定的な役割を果たす皆様。私はこのような「ワシントン・タイムズ」をつくるために、これまでの十年間、約十億ドルを投入しました。もし私が、政治的影響力や宗教的宣伝、個人的な富の追求が目的であるなら、そのように投入することはなかったでしょう。私が「ワシントン・タイムズ」をつくった理由は、一言で言えば、神様のみ旨を成し遂げるためでした。私は、神様がアメリカを愛しておられることを知っています。そして、アメリカは、伝統的ユダヤ教とキリスト教の本山であり、キリスト教精神の揺りかごです。ですから、神様は、このアメリカが全世界を救い出す中心的役割を担うことを願われ、薄れていく神様中心の伝統的価値観を守っていくことを望んでおられるのです。その上、冷戦時代の絶頂にあって、神様はアメリカを先頭に立たせ、共産主義の世界制覇を防ごうとされました。このような神様のみ旨を中心として見た場合に、何よりも重要なことは、哲学と理念のある新聞として、アメリカ国民と特別にアメリカの政治指導者たちを正しく教え導くことにほかなりません。私は、アメリカの首都ワシントンDCを、リベラルで容共的な新聞である「ワシントン・ポスト」の奴隷として放っておくことはできませんでした。十年が過ぎた今日、結果はどのようになったでしょうか。共産圏はついに、一九八九年十一月九日、ベルリンの壁の崩壊とともに、その崩れる音が聞こえたかと思いきや、一九九一年十二月二十五日のクリスマスを期して、七十四年の間、世界を恐怖のるつぼに追い込んだ、無神論に立脚した共産主義帝国が地上から完全に消滅してしまいました。そして、私は「ワシントン・タイムズ」が、このすべてのことをやり遂げたとは言いません。これは神様の摂理歴史の中で、なければならない必然的な結果です。しかし、神様も、地上のことは人間を通してなされるのです。私は、「ワシントン・タイムズ」が共産主義の終焉をもたらす決定的な役割を果たしたと堂々と主張することに対しては、いささかの疑いもありません。神様は、「ワシントン・タイムズ」を道具としてお使いになり、歴史上一度もなかった共産主義という独裁勢力に終止符を打ち、数千万の市民たちに自由を抱かせることに決定的な役割を担わせたのですから、十億ドルどころか、百億ドルを使ったとしても、これ以上に価値ある投資がどこにあるでしょうか。しかし、そうかと言って「ワシントン・タイムズ」の使命が終わったわけではありません。共産主義の崩壊が自動的に平和世界をもたらすわけではないからです。神様の願う理想世界も自然と実現されるわけではありません。今日、自由世界は、勝利の祝杯を挙げるには、あまりにも緊迫した問題が心胆を寒からしめています。 人本主義思想の膨張 今日、自由世界の中には、共産主義に劣らぬ社会悪が台頭しています。それは、物質中心の人本主義思想であり、そこから派生する極度の個人主義と利己主義の膨張です。いつの問にか私たちの社会に、黄金と財物が神として君臨するようになりました。私は、人本主義を頭から排撃するわけではありません。問題は、社会における人本主義が、徹底した無神論に立脚していることにあります。もし人本主義によって神様の実在と創造主の創造の意義が否定されるならば、人間は一握りの土に転落してしまうか、せいぜい一つの機械とみなされるでしょう。これが、マルクス・レーニン主義が犯した過ちではないですか。神はいないと考えるのですから、人間は動物と大した違いがありません。そして、そこには宗教に基づく道徳があり得ず、霊魂や永生を認めないので、人間は人間に対して無慈悲になり、人間が人間に対して行うあらゆる暴悪を正当化することが可能になるのです。このような風潮の中にあって、共産主義の解放に勝利感をもつべき自由世界の先進諸国の様相はどうでしょうか。極端な利己主義と個人主義は享楽主義を生み、すべての社会生活に腐敗が氾濫するようになりました。家庭は破綻し、政治的な腐敗は深まり、経済は衰退し、未来の主人である若者たちは、非道徳と麻薬と犯罪によって、その良心が姿をくらましつつあります。そのような彼らにどうして二十一世紀の主役を期待することができるでしょうか。私は、「明けゆく二十一世紀は精神文明の時代である」と宣布しました。物質文明の時代は暮れかかっています。私たちの世界が、暮れかかった闇を退かせて生き返るには、共産体制の滅亡によってもたらされた理念の空白を穴埋めしてあげ、自滅の日か審判の日を待っている自由世界を、共に救い出す精神的ルネサンスが起きなければなりません。これはすなわち、精神的人間革命を敢行できる新しい思想と理念の創出がなければならないということを意味しています。 神様は人類の父皆様。私はこれまでにも、言論人大会で、私が召命を受けた摂理的な使命に対し、幾度か表明したことがあります。私は新時代の開拓者としての使命を受けました。それは、二十一世紀を目指す新しい精神文明の開拓者であるという意味です。私は、神様が下さった、新しい時代の確固たる理念を宣布しています。その理念とは正に「神主義」であり、「頭翼思想」です。科学が発達すればするほど、神様の実在は、否定しようとしても否定できない真理となっていきつつあります。私は、その真理の宣布にとどまらず、生きておられる神様に侍り、神様を実感しながら暮らす人生観を教えているのです。神様は、観念的なものではなく、私の生活圏の中に生きておられる、肌で感じることのできる神様です。私は神様の脈拍を聞きながら生きています。また、神様と呼吸を共にし、神様の体温を感じながら生活しています。私は神様の心情の中に、人類の堕落による悲しみが満ちていることを知り、とめどなく涙を流しました。私はまた、その神様が今、私たち人類に願っておられることが何であるかを、あまりにもはっきりと見ました。最も重要な事実は、その全知全能であられる神様が私の父であるということです。神様は人類の父であられます。ですから、神様が人類を御覧になる心情は、親の心情です。人間社会でも、最も熱く切実で無条件の愛が、親の愛ではないでしょうか。 神様の本性は真の愛です。その神様の真の愛を見習い、すべての人間が親の愛によって世の中を見つめ、真の愛を実践することを願っておられるのです。そのような真の愛の実践によってのみ、永生が確保されるのです。真の愛は、与えても忘れる愛です。神様は天地を創造し、人間を創造されるとき、一〇〇パーセント投入し、また投入したことを完全にお忘れになりました。なぜでしょうか。人間においても、愛する相手や自分の子女が自分よりも優れていることを誰もが願うように、神様も、そのように投入し、また投入しても忘れてしまうのです。皆様。これまでの人間の歴史は、兄弟時代の歴史でした。兄弟はけんかをするのが普通です。ですから、兄弟時代は闘争の時代であり、戦争の時代でした。人類歴史は、兄弟げんかから闘争の歴史が始まりました。人間始祖アダムとエバの子であるカインとアベルがけんかをし、結局、兄が弟アベルの命を奪うことによって人類の罪悪歴史が出発したのです。第一次世界大戦、第二次世界大戦、そして思想的な第三次世界大戦に至るまで、これらのすべての歴史は、兄弟国家間の争いでした。しかし、第一次、第二次、第三次世界大戦が終わった今日、神様の摂理歴史は、新しい次元へと突入しました。今や兄弟の歴史時代は終わり、父母の歴史時代が到来しました。父母の時代は真の愛の時代です。神様が私たちを父母の心情で御覧になり、愛されるように、私たちも父母の心情で人類を見つめ、愛する時代です。ここには涙があったとしても闘いはあり得ません。真の愛の中に、闘争の概念はありません。私が宣布した「神主義」は、すなわち「真の父母主義」であり、「真の父母主義」は、すなわち「真の愛主義」なのです。 新しい言論の使命私は昨年の十一月三十日、不倶戴天の怨讐である共産主義国、北朝鮮を訪問しました。生涯を反共と勝共のために生きてきた私が北朝鮮に行ったという知らせは、全世界を驚愕させました。しかし、私は金日成主席の温かい歓迎を受けました。そして、私は彼と熱い抱擁を交わしました。彼は私のことを怨讐視し、命を奪おうとしていた人であり、三年もの間、監獄に閉じ込めた人でした。私はその怨讐を抱擁したのです。私の胸中に彼が怨讐であるという思いがあったとしたら、どうしてこのようなことが可能だったでしょうか。私は、父母の心情で北朝鮮の地を訪ねていきました。そして、父母の心情で金日成主席を抱擁しました。私は真の愛を実践するために行ったのです。そこには闘争の概念はなく、憐憫の情があるだけでした。与えては与え、さらに与えても足りないという、温かい父母の心情だけがあったのです。皆様。私が宣布した「神主義」、すなわち「真の父母思想」は、二十一世紀をリードする真の平和の真理であることをここに明言します。この「神主義」と「頭翼思想」によって、二十一世紀の平和世界を建設することができるのです。その核心は、父母の心情であり真の愛です。二十一世紀は真の父母の時代であり、すべての人が霊的、心情的に成熟して、真の父母になる時代です。世界の言論人の皆様。私は過去に、自由言論と責任言論を強調してきました。自由言論のない所には自由言論を与え、自由言論がある所では責任言論を実践しようというのが、私が「世界言論人会議」を始めた理由です。私は最近、新しい言論の使命を設定しました。それは、道徳言論という新しい使命です。したがって私は「ワシントン・タイムズ」に、今後十年間の目標として「道徳社会の具現に貢献する言論となりなさい」という命題を与えました。そして、「世界平和に寄与する新聞」、その世界平和は理想家庭をつくり出すことによって初めて可能になるので、「家庭の倫理を育む新聞になりなさい」ということです。 平和世界具現の重要な使命をもつ言論言論は、立法、司法、行政に次ぐ、第四の権力と言われるほど、社会に強大な影響力と権力を行使しています。その強大な言論の権力は、善のために使われるべきであり、世界平和のために寄与する権力になるべきであると信じています。言論人である皆様も、専門職の人間である前に、本来は神の子です。皆様は、神様が願われる道義世界、真の平和の世界に特別に召命を受けた平和のチャンピオンであられます。このような言論人の自由討論の広場として、究極的な道義世界の具現を目標とした「世界言論人会議」が存在するのです。世界言論界の指導者の皆様。全世界と人類が、神様の摂理の中を、究極の真の平和世界に向かって進むこのときにおいて、言論は、神様の召命を受けた平和世界具現の重要な使命があることを悟らなければなりません。言論は、平和を熱望する他のすべての人々と連合し、地球村時代に人類大家族の理想を具現するために強大な影響力を行使して、真の平和、道義世界実現の主役となり、勇敢に、そして大胆に前進しなければなりません。これからの数日間、より意義深い討議と研究を通して、より根本的な言論の使命を考えてくださることを願います。 最後に、皆様の携わるお仕事と皆様の御家庭に、神様の祝福が満ちることを祈りながら、創始者の演説とさせていただきます。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.03.15
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「絶対価値と新しい世界秩序」 一九九二年八月二十日場所:韓国、ソウル、インターコンチネンタル・ホテル行事:第十九回「科学の統一に関する国際会議」および 第五回「世界平和教授アカデミー世界大会」 尊敬する議長、著名な学者各位、来賓ならびに紳士淑女の皆様。第十九回「科学の統一に関する国際会議」と第五回「世界平和教授アカデミー」世界大会の開幕総会において、皆様の前でお話しできますことを大変うれしく思います。併せて、皆様が私の祖国である韓国に来られましたことを心より歓迎いたします。 宇宙の原理の根源は神様 昨年私たちは、科学者大会以外にも、非常に特別な二つの会議に参加しました。それは、正に「世界平和宗教連合」と「世界平和連合」です。この二つの機構は、新しい世界秩序の構築のために創設されたものです。特に「世界平和宗教連合」は、世界平和の建設を目的として、世界の宗教を一つにすることに貢献するようになりました。最近の湾岸戦争で、皆様は、世界がどのように宗教戦争に陥るのかを目撃しました。また、宗教による地球の災難は、今後も起き続けるでしょう。 これまで多くの政治家たちは、自らの目的のために宗教間の対立を利用してきました。それにより、宗教は無力化し、混乱するようになりました。また、宗教者たちは、世界平和のための責任を明確に悟ることができずにいます。今後、「世界平和宗教連合」を通して、全世界から来た宗教指導者たちは、互いに和解するようになり、平和のための指導者となるでしょう。 すべての文化において、宗教は中心核でなければならず、公義の標準でなければなりません。各宗教は、自らの伝統を絶え間なく守り続けてきたことに対して、誇りをもっています。それぞれが、自分の宗教は他のあらゆる宗教よりも優秀な宗教であると考えているのです。しかし、宗教的な教えは、宇宙的な要素をもっているだけでなく、それ自体は神様から出てきたものです。お一人であられる神様は、すべての宗教の神様です。したがって、宗教は自らを浄化させなければならず、宇宙的な原理として昇華させなければなりません。宗教の中心的価値は、神様の真の愛です。真の愛は「人のために生きなさい」という教えによって説明することができます。個人は家庭のために生き、家庭は社会のために生き、社会は国家のために生き、国家は世界のために生きるのです。同様に、各宗教は他の宗教のために生きなければなりません。このような原理が真理なのです。 宇宙的原理の根源は神様であられます。宇宙を創造されるとき、神様は御自身の創造物のために、御自身のすべてを投入されました。また歴史を通して、自分勝手に生きる堕落した人類を救うために、絶えず犠牲になってこられたお方が、正に神様なのです。神様のみ旨を知った預言者と聖人、そして賢人は、自らの人生の中で神様の願いに従いました。 そして、自分たちが真理を守ることでは満足せず、他の人々を指導するために犠牲の道を歩みました。モーセ、孔子、釈迦、ムハンマド、ソクラテス、そしてイエス様などは、苦難を受け、人々を指導する際にも迫害を受けた聖人たちでした。人類を呼び覚まし、解放させるために、自らの人生を犠牲にしました。 「世界平和連合」は、世界平和のための政治家と国家機関の協力機構です。今日の世界は、国家主義では支えることができません。現在、東ヨーロッパで燃え上がっている民族の紛争は、民族主義の破壊的な特性を立証しています。民族的誇りや民族自決というのは、ただ世界共同体に貢献する中で得られるときにのみ、正しく善のものとなるのです。自国のみを優先し、他国に対する憎しみを増幅させる覇権主義は、ために生きるという宇宙の原理に相反するものです。宇宙の原理に反する主義はすべて、消滅するようになるのです。 今、数々の国が、ヨーロッパ共同体のような多国籍連合体に加入しようとする傾向を見せています。このような傾向は、今後、より一層深化するでしょう。したがって、今後すべての国家は、地域共同体として連合するでしょう。すなわち、ヨーロッパ国家連合、東アジア共同体、イスラム共同体、アフリカ共同体、南北米共同体などです。 先行されるべき宗教間の調和と統一 政治家たちが、国家的利己主義を超越するためには、他の国々と共有できる統一された価値観がなければなりません。それでは、ヨーロッパの国家を連合できるものとは何でしょうか。それは経済政策だけでは不十分です。ヨーロッパには、いまだに産業国家と農耕国家との間に多くの葛藤があります。また、ヨーロッパ国家連合における社会政策は、もう一つの論争の的です。もし私たちがヨーロッパ統合の要素を見つけようとすれば、それは正にキリスト教文化圏にほかなりません。 中東人や東洋人と比べるとヨーロッパ人は多くのものを共有しています。すなわち、共通の文化、共通の社会慣習、そして最も重要なのは共通の論理と世界観を共有しているということです。このような共通するヨーロッパ文化の根は、キリスト教精神です。キリスト教文化は、ヨーロッパの知的、社会的、政治的生活の基礎となっています。 しかし、ヨーロッパのキリスト教それ自体が、根強い歴史的な分裂によって苦しんでいるのです。北アイルランドやユーゴスラビアなどでの紛争に見るように、私たちは彼らの葛藤がプロテスタントとカトリック、そしてギリシャ正教との間における、解くことのできない宗教的紛争によるものであることを悟ることができます。したがって、宗教の調和と統一は、政治的、社会的な平和と統一よりも先行される必要性があるのです。 新しい世界秩序は、国家共同体によって形成され、各共同体は、共通の宗教文化によって結ばれた基台の上で、経済的、政治的に円満な関係を通して結びつくでしょう。私はこのような歴史の流れを、数十年前から予見していました。これが、四十数年間にわたり、多くの犠牲を顧みず、宗教間の対話と和合を図る活動を増進してきた理由です。 新しい世界秩序が実現されるためには、宗教間の対立と戦争を防止しなければなりません。このような問題を解決するために、私はすべての宗教を抱く基盤を築こうと、惜しみなく苦労してきました。私は聖職を始める前に、霊界にいるイエス様と釈迦と孔子、そしてムハンマドに、私が啓示を受けた原理を提示しました。彼らは私の原理が正しいことを認めました。志のある宗教指導者たちは、世界平和のために、すべての宗教者たちが本来の教えを中心として互いに和合し、一致する実践運動に立ち上がるべきであることを悟っています。神様を中心として宗教を一つに統一することが、神様が私に下さった使命です。「世界平和宗教連合」と「世界平和連合」は、各々、心と体の関係をもって共に有機的に働くでしょう。堕落した人間は今まで、体が個々人の人生を支配することを許し、自分の喜びのために他人を抑圧し、排撃する、利己主義的な人間による悪の世界をつくってきました。 これこそが地上地獄です。それとは反対に、少数の人々だけは宗教を追求し、体の誘惑を振り切りなさいという良心の善の声に従ってきました。ただこの少数の人たちだけが、神様に会うことができ、地上に天国をつくることができるのです。同様に、国家の政治家は、誰も宗教の声に耳を傾けませんでした。政治的な喧騒の中で、道徳的で霊的な価値の声は、かすかに聞こえただけです。 東洋だけでなく西洋でも、政治家たちは神様とは関係なしに、経済的、政治的政策だけで繁栄を成し遂げようと努力しました。しかし、彼らの努力は無駄に終わりました。いかなる国も、神様の祝福なしには繁栄することができません。神様は、心と体、そして宗教と政治が一つとなって「ために生きよ!」という原理を実践する国だけを祝福するのです。 しかし、天の権能について考えようとしない、見境のない政治家たちは、いまだに地上ばかりを眺めています。共産主義の指導者たちは、七十年以上もの間、神様を抜きにして富を実現しようと努力してきましたが、彼らの国は既に破産してしまいました。同様に、西欧諸国も景気後退、犯罪、社会的腐敗などで、恐ろしい熱病を患っています。 しかし、このような問題は、宗教指導者たちが目を覚まし、それらの真の原因を発見するまでは解くことができません。また、宗教指導者たちが、神様を中心とする一つの平和世界の建設を目指して心を一つにしてこそ、政治家たちが宗教の教えに従うようになるのです。そのとき初めて、心の世界を代表した宗教と体の世界を代表した政治および経済の協力が形成され、世界の国々が自然と一つになるでしょう。「世界平和宗教連合」と「世界平和連合」は、このような原理的基盤をもっているので、国連など多くの国際機構の腐敗とその他の多くの誤りを止揚するところから出発し、成功を収めるでしょう。 この時代における最も大きな課題 尊敬する学者の皆様。新しい世界秩序のための学者の役割は非常に重要なものです。全人教育のためには、社会の各分野の連携が必要です。人々は、家庭、教会、学校と社会の中で人格を学ぶようになります。文明社会を発展させることのできる人材を育てるために、家庭、教会、学校と社会は、絶えず協力し合わなければなりません。この時代における最も大きな課題は、多元的な地球村社会において、いかに全人教育を実施するかということです。皆様は、この社会における知識の宝庫です。皆様の学生たちは、皆様が教える知識よりも皆様自体からより多くのことを学びます。 学生たちは師の習慣を模倣し、師の社会に対する態度を学び、師の価値観から深い影響を受けます。皆様は常に師の立場に立たなければならず、未来に対して望ましい人間のモデルとならなければなりません。神様を中心とした絶対価値である真の愛が基本となる、新しい文化の伝統を立てるという皆様の使命は、非常に貴いものなのです。 皆様も御存じのように、今回の大会は第一回「世界文化体育大典」の一環として行われます。人類の精神文化を収拾し、人間の幸福のための真の価値を探求し、神様と人間と万物が調和した平和で新しい文化世界を目指す歴史的な行事です。全世界の学者、宗教者、言論人、政治家、青年の代表が地球村家族の一員として一つ所に集まり、人類の和合のための知恵と経験と実践を結集する祝典です。 特に(一九九二年)八月二十五日には、世界全域から集まった約三万組のカップルが、聖なる祝福を受け、神様を中心とした新しい家庭の伝統を確立することを誓います。家庭は、国家と社会の最も基本的な単位です。社会問題の解決は、家庭問題の解決から始まります。人種を超越した「真の愛による世界は一家族」の理想は、平和世界の具現に直結します。人類は、神様を中心とした家庭において模範的な夫と妻となることを誓約し、祝福家庭となることによって、正しい論理を実践し、道徳の模範を示すようになります。このようになるとき、真の愛が実現される理想的な家庭、社会、国家と世界を成し遂げることができるのです。全世界から、約六万人が祝福を受けるために一カ所に集まるという事実は、神様と真の父母のもとに一つになったことを象徴します。 皆様を、この歴史的な祝福の場に御招待いたします。最後に、私が計画し、推進している三つの事業を皆様に御紹介したいと思います。一つ目は、思想と宗教世界を統一するための一つの経典を既に発刊したことであり、二つ目は、二十一世紀の人類の知識と文化の結集を試みる「国際文化財団」が大百科事典の編纂を始めたことであり、最後の三つ目は、知識の交流と全世界の教授と学生たちの相互交流を推進する「世界大学連盟」のためにブリッジポート大学を引き継いだことです。この三つの新しいプロジェクトは、未来の地球村の新文化世界を創造し、増進することに大きく寄与するでしょう。 改めて、この意義深い会議に参加するためにソウルまでお越しくださった皆様に、感謝の意を表します。そして、科学者大会の議長を務めてくださるゲルホルム博士とカプラン博士に、特別に感謝を申し上げます。今回の会議でも皆様の討論が大いなる実を結ぶことを願います。皆様と皆様の御家庭に神様の御加護と祝福がありますようお祈りいたします。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.03.13
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「真の父母様の再顕と理想的家庭」 ―「世界平和女性連合指導者大会」における演説―1992年7月6日~9日清州・釜山・光州・ソウルにて 韓鶴子総裁。ご来賓の皆様。そして、満場の女性指導者の皆様。 今日、私は韓総裁の講演を通して多くの慰労を受けることができました。正に天命に従い、孤独な道を走ってきた私の生涯は、波乱万丈の苦難の道でした。天道を打ち立てる道は、妥協のないまっすぐな道です。体面や人間的な威信を考えては行くことのできない道であり、ただ神様のみ旨だけを考えて行く孤独な道でした。 個人にも運があるように、家庭や国家にも家運と国運があり、さらに世界の運、そして天地全体には天運があります。そして、いかに良い運勢を持って生まれた人も、家運が傾く時には、共に困難に直面するのであり、個人運や家庭運が良い人も、より大きな国運が傾けば、共に没落するしかありません。最終的には、すべてを包括し、すべてに勝って、その上にある天運の方向と進行に従って、国運や世界の方向が決定されるのです。ですから、世の中で天の道を立てるということは、すなわち個人や国家の行く道を天運に合わせるようにすることなのです。 今日、韓国が病んでいる弊害や、世界が抱えている諸問題を考えてみてください。経済不況、環境汚染、政治的な不条理、人種と宗教紛争、倫理道徳の退廃、価値観の崩壊など、さまざまな弊害と問題に対して、一体誰が根本的な解決をもたらすことができるのでしょうか? 人間の知恵や努力のみでは解決できませんし、金力や権力を動員しても解決できません。むしろ、人類の病んでいる課題はだんだん深刻化しているのです。 今、人類は謙虚に天来の声に耳を傾けながら、神様が提示される解決の道を求めなければなりません。この国と人類は、私の教えを受け入れなければなりません。それは、私が自らを高めるためではなく、神様のみ旨だからなのです。神様は私を通して天理を明らかにして、人類の根本問題に対する解答を与えられたのです。 これまでの私に対する歴代政権の無理解と迫害は、事実無根の監獄生活を強い、一部キリスト教徒たちの偏見と悪意に満ちた反対は、多くの噂をでっちあげて、私の行く道を困難なものにしてしまいました。しかし神様が守ってくださったので、私は世界的に奇跡的勝利の基盤を築き上げることができたのです。これは、歴史始まって以来、前例のない驚くべき基盤なのです。 特に、全世界のキリスト教の代表国として準備してきたアメリカにおいては、かつて有色人種が、今まで打ち立てることのできなかった記録をつくりました。しかし私は、アメリカにおいて人種差別と宗教的偏見のために多くの苦難を受け、理不尽な監獄生活までも克服しなければなりませんでした。そこで私は、根底から動揺しているキリスト教の基盤を再建し、麻薬と不倫によって重病に陥っている青少年たちを教育し、訓練し、アメリカの希望として育成してきました。今やアメリカの朝野において、誰も私の基盤を無視できなくなりました。また、日本もヨーロッパも同様です。すでに世界160か国の宣教部は、それぞれ信仰運動とともに倫理・道徳再建運動の象徴的存在となって発展しているのです。 私は1980年代初頭から、「ソ連帝国の滅亡」を主題として、世界的な学術会議を開催するように強力に働きかけてきました。そのために、1985年に発刊した学術研究誌は、史上初のソ連共産帝国の滅亡を予言した世界的な資料となりました。 このような基盤の上で、ソ連を訪問してゴルバチョフ大統領(当時)に会い、今では旧ソ連の15共和国のうちの3国が、統一教会を国教とする動きを見せています。すでに、数万名の大学生たちが私の思想を学んでおり、700余りの大学で原理研究会が組織されました。高等学校の先生たちと学生たち数万名が今年中に修練を受けるでしょう。 このようなことは、人間の力のみによって可能でしょうか? これは、生きておられる神様の働きが共にあることの何よりの証拠です。徹底した無神論者たちが4泊5日の修練によって、神様を中心とした人生観・宇宙観に変わるという奇跡が起きているのです。 中国においても、とてつもない基盤を築いています。パンダ工業都市建設などの重要なことが十数年前から準備され、多くの地下宣教師たちが苦労してきました。昨年11月30日に平壌を訪問して、金日成主席に会ったのも、すべては天命によるものでした。 これまでに私が、どれほど南北統一のために誠を尽くしてきたかは神様だけがご存じです。南北統一は、目に見える韓国のみの統一ではなく、神様が中心となられた摂理的な統一なのです。ですから南北統一は、私の基盤を通じなければ決して成功しません。 摂理が要求する統一とは、統一自体が目的ではなく、その統一基盤の上に永遠の自由と平和と幸福と理想を花開かせることです。ですから、力による統一や相手を不幸にする統一であってはならないのです。相手のために与え、また与え尽くすところの真の愛による統一でなければなりません。祖国統一は個人や党、または政権の利益のために利用されてはなりません。私たちすべての愛の心と実践が、北韓の地にいる私たちの同胞の心に到達する時に、初めて本当の意味の統一が成されるのです。 女性指導者の皆さん。私は為に生きる神様の真の愛を中心として、これまで超教派、超宗派の和合運動を世界的に展開してきました。宗教団体間の和解と交流がなければ、どうして世界平和が成しうるでしょうか。今も中東、アイルランド、インド等の地方では、凄惨な宗教紛争が展開しているのです。 私は昨年の8月27日、世界のすべての宗教の最高指導者たちを招いて、「世界平和宗教連合」を創設し、宗教人たちが和合と協力によって世界平和を実現することに合意しました。誠に貴重な組織です。宗教はそれぞれ個別性も重要ですが、それ以上に共通点が多く、絶対者を追求するという共通の目的を持っています。すべての宗教は、神様がその全体摂理の目的の下に立てられたという事実が重要なのです。ですから、互いに和合しなければなりません。 韓総裁の基調演説で言及されたように、キリスト教においては人間が善悪知る木の実を取って食べ、不信の罪を犯し、堕落したと教えています。もし人間の先祖が堕落しなかったならば、神様の尊い息子、娘、すなわち神様の王子、王女として、神様の血統を受け継ぐようになっていました。また、彼らは父である神様の所有物、すなわち万物を相続するようになっていました。そして彼らは、成長し完成して、理想的な愛の夫婦となり、さらに完成するようになっていました。ところが、彼らは堕落することにより、神様の血統を転換し、神様の所有を奪われ、神様の心情を失ってしまいました。 神様の救いの摂理は原状に回復する復帰摂理なので、人間は血統復帰、所有権復帰、心情圏復帰の使命を担当しなければならないのです。結果的に、人間は堕落することによってサタンと一体化したアダムとエバになり、サタンに従って地獄に行くようになったのです。エバの後には長子のカインが、その後には次子のアベルが従って行くのです。 神様の復帰摂理は、後に出発した善の側の象徴である次子を立て、先に出発した悪の側の象徴である長子を屈服させることにより、サタンを分立する条件を立てながら進行してきました。したがって復帰摂理の根本は、血統と所有と心情を転換することのできる復帰されたアダム、すなわちメシヤを送ることなのです。 本然の息子の心情的な位置は、一挙に復帰することができません。僕の僕の位置から出発して、段階的に復帰しなければならないのです。サタンが権勢を握っているこの世の中で、善の側のアベルが、真の愛によって僕の僕の位置からカインに尽くすことによって、サタンも讒訴できずむしろ称賛して公認せざるをえない、僕の僕の使命を果たさなければならなかったのです。 その次に、僕の使命、養子の使命、庶子の使命、直系の子女の使命を、愛の秩序に従って復帰し一歩一歩上がって行くのです。すべての段階ごとに、サタンが讒訴できないように真の愛でカインに尽くしていかなければ復帰はなされません。 直系の子女の立場でアベルがカインを屈服させて一つになれば、その基台の上に母であるエバが立ち、そのエバが責任を果たした時に、アダムが立つのです。この時に初めて、その基台の上に神様が臨在できる8段階の縦的な欠くことのできない復帰摂理の過程があるのです。この復帰の段階を別の角度、すなわち横的に見れば、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、そして神様に至るまでの8段階があるのです。 イエス様は第2のアダムであり、メシヤとして来られたのに、不幸にも選民イスラエルは彼が誰であるかも分からぬままに、十字架に追いやってしまいました。ですから再び来られる再臨主は、文字どおり空中から雲に乗って来られるのではありません。今年10月28日、イエス様が空中に上げられることを信じ宣伝する人がいますが、そんなことはありえません。私の話を信じてください、絶対にそんなことは起こりません。十字架で行かれた主は、十字架を通して再び来られるのです。 イエス様が十字架上で亡くなる時に、十字架を中心として3つのタイプの人々がいました。罪人ではあっても、その罪を悔い改めてイエス様を証しした右側の強盗が最初のタイプです。2つ目のタイプは、罪人でありながらも罪を悔いることなくイエス様を誹謗した左側の強盗です。3番目はバラバです。すなわち、当然十字架にかかって死ななければならない罪人でありながら、ユダヤ人たちがイエス様を憎み、死に追いやったその代償として、恵みを受けて生かされたところの罪人です。 再臨の時には、この3タイプが世界的に拡大結実して現れるのです。西欧のキリスト教圏は、第1のタイプである右側の強盗の立場です。原罪はあるけれども主を信じる善なる立場です。無神論唯物思想の共産圏は、第2のタイプである左側の強盗の立場です。中東、回教圏は、第3のタイプであるバラバの立場です。彼は、イエス様が死にその身代わりとして生き残り、イスラエルがイエス様を十字架に追いやることによって失った12支派の持ち分であった土地、すなわち中東地域を占めるようになったのです。 イエス様が十字架上で亡くなったことによって発生したこの3つのタイプの世界的な結実を、再びイエス様が生き返った立場で来られる再臨主は、すべて収拾しなければなりません。 西欧キリスト教圏の収拾のために、新しい宗教改革運動を起こし、一方では共産無神論思想を克服し、すべての共産圏を神様の側に戻さなければなりません。左翼、右翼を克服して統一調和させる思想が、すなわち私が提唱する「頭翼思想」と「神主義」なのです。 先にもお話ししたように、すでに頭翼思想により、左翼、右翼世界を収拾しているのです。また偏狭で独断的な回教とも有史以来、初めて和解、協力を成し遂げて、今年の4月には中東8か国の代表たちが統一教会の合同結婚式にも参加するという奇跡も起きたのです。堕落人間の罪悪を清算する祝福式を主催し、左右両陣営を収拾し、歴史的な葛藤を解消して、さらには回教圏と和解するという奇跡を起こしました。これは、人間の能力や計画だけでできることではありません。神様が私をメシヤとして立てられ、これまで救いの摂理を展開してこられたからです。 私は再臨主であり、救世主であり、真の父母として使命を果たしてきたのです。今、まさに時が訪れたので、この場で明らかにします。聞く耳を持つ人は幸いです。この民族が私の言葉を聞けたならば、この国にとってどんなに幸いでしょうか。為政者たちが私の言葉を聞けたならば、どんなに幸いでしょうか。聞く聞かないは各人の責任ですが、万民すべてが私の言葉を聞く時が来るのです。一般的には、救世主として審判の権能を持ち、また栄光の主だと考えられていますが、しかしそれは大きな間違いです。神様は罪悪世界を見たくないのです。本来であれば、すべてを一瞬に審判して、塗りつぶしてしまいたいほどなのです。 しかし真の愛の神様は、いつも人間の永遠の生命を心配しておられるのです。長い間、耐え忍びながら、真の愛によって自然屈服させようとされる神様の心情を知らなければなりません。 堕落した人間の側からは、救世主であっても、神様の側から見れば、世の始めにおいて失った真の愛の創造理想を成す真の息子であり、真の父母なのです。救世主は堕落によって招来された神様の無念を解くために生涯をささげ、犠牲の道を開拓して来られる方です。栄光のただ中にのみおられる方ではありません。いつも神様の心情と共に痛哭し、サタンを屈服させるために精魂を傾けておられるのです。創造目的完成のために徹して、身悶えされているのです。失った子女を求めて、サタン世界の中をさまよい、僕の僕の姿で泣き叫ばれる神様を誰よりも知っておられるので、神様の無念の思いが完全に解かれないかぎり、栄光を受けることはできないのです。「世界平和女性連合」の指導者の皆さん。皆さんは連日の大会のために大変だったことでしょうが、再び十数日後に大会を行うというので、不平を言われる方もいるかもしれません。しかし私と共に毎日誠を尽くせば、神様の善なるみ旨が成就されるのです。私は皆さんを利用するつもりはありません。皆さんが私を必要としているのです。ですから韓総裁と一体となり、その分身となって、皆さんの家庭から子女を正しく教育し、夫を正しく指導しなければなりません。そして皆さん方すべてが真の愛の理想の下で、神様の祝福を受けることを願っております。 私の最大関心事は、皆さんの家庭が真の愛で一つとなることによって全うされる真の家庭理想の完成です。「世界平和女性連合」の市、郡、面、里、そして洞、統の指導者の皆さんによって、道義が再建され、真の愛の実践運動が展開されるようになれば、これ以上の愛国運動はありません。麻薬追放、禁酒禁煙運動、歓楽街撤廃、指導者たちの不道徳撲滅、青少年の脱線防止、正しい道義運動など、私たちがしなければならない仕事が山積しています。 韓国社会が、女性指導者の皆さんによって浄化され、真の愛によって調和されて平和な社会になった時、初めて南北統一の民族的宿願も成就されることでしょう。そればかりではなく、わが民族が世界を指導し、平和な世界が達成されることでしょう。 女性指導者の皆さん。今日まで私は、自分が実践せずして弟子たちに指示したことはありません。皆さんたちが、私が尽くしてきた誠の百分の一でも、真の愛を実践して救国の大運動を起こされることをお願いいたします。最も効果的な女性連合運動の単位は、面と洞、そして里と統です。このような基礎単位において、真の愛の運動が班を越えて家庭に定着するようになるのです。そのようにして、本来の堕落しなかった本郷に帰り、神様と分立されていた家庭を取り戻し、永遠に定着することを願っているのです。 今日まで神様は、大変なご苦労をしてこられました。完成したアダムを育てるために、あらゆることに苦労をされました。そして、真の父が現れました。天の真の男性が生まれました。サタン世界は、この男性が真の新郎であり、主人であり、地上、天上、天国の王として来られた方であるということを知っているので、全世界の男性たちが世界を代表して、個人、家庭、国家、世界、天宙を合わせて抹殺しようとしてきたのです。 その方は、サタンが浴びせかける迫害、謀略、中傷を歴史的に受ける位置に立って、個人、家庭、国家、世界、天宙的勝利を収め、神様と一体となり、世界歴史上初めて勝利者となって、サタン世界の個人、家庭、国家、世界、天宙を取り戻してきたのです。今まで真の父の後に従う立場におられた真の母も、歴史上において初めて対等な位置に立てられ、女性解放を世界的に宣布することにより、真の父、真の母として、子女を率いて神様の前に立ち、天のすべての全権、全能の相続を受け、本然の家庭を出発し、氏族、民族、国家、世界、天宙を取り戻して、み旨の完成世界を再編成されるのです。 今やすべての男性は天使長の位置に立つので、天の前にすべての女性を返さなければならない立場になります。そして、完成したエバである真の母の分身の位置に立った女性は、分身的エバの立場で真の母と一体になったという条件によって、真の父と一体になった条件を取り戻すことにより、真の父母の思想によって息子、娘を教育しなければなりません。この教育を通して息子、娘が、真の息子、娘の格において母と子、母と娘が一体となり、父を再教育して、再び真の父母の祝福を受けて接ぎ木することにおいて、真の父母の家庭的道理を体得するようになるのです。 アダムとエバが家庭において堕落したため、復帰も家庭において成就しなければなりません。里、統、班を越えて、家庭において定着しなければならないのです。家庭において真の父母に会わなければなりません。真の父母様が個人の峠、世界の峠、天宙の峠を勝利して、私たちの家庭を救うために再び天宙から世界、国家、家庭へと訪ねて来られるために開催したのが、今回の大会なのです。 去る4月10日の大会は真の父母様の世界大会であり、国家単位の道、市、郡大会、さらに面、里、統、班大会を経て家庭まで、すべてを完成しなければならないという目的があるのです。「世界平和女性連合」の組織の責任者は、真の父母の家庭と一体となることによって、家庭復帰が可能であり、完成勝利者になれるのです。そして、氏族を連結させなければなりません。すでに真の父母は氏族的メシヤを全国、さらに世界に配置したので、氏族的メシヤの教育を受けて一体となれば、国家復帰も自然に成就されるのです。 このようにして南北統一はもちろん、世界統一と地上天上統一を成して神様を解放することによって、神様を中心とした天下泰平の世界を初めて実現できるのです。 新郎として来られた真の父の前に、真の母と全世界の女性たちが共に新婦の位置に立って創造理想的家庭を復帰しましょう! どうか世界平和家庭連合の会員となって、祝福された家庭となることをお祈りします。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.03.13
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[22.03.13] 世界平和統一家庭連合 世界本部教会 平和ヌリ2022/03/13 09:00に公開予定です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.03.12
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第二回「七・一節」1992年7月1日ソウル・本部教会にて 神様の永遠なる祝福 今回は若い人たちがたくさん集まりましたね。日本の食口たち、手を挙げてみなさい。その他は全部、韓国の食口たちですね。日本の食口たちは韓国語が全部分かりますか? (はい)。きょうは何の日ですか? (「七・一節」です)。「七・一節」とは何の名節ですか? (神様祝福永遠宣布の日です)。それは何のことですか? 人間に与えられた神様の祝福は、未完成のまま今日まで延長されてきたのです。ですから、いつの日にか救いの摂理を通じて、約束の祝福を成就することを願ってきたのが、人類歴史を導いてこられた神様の希望でした。その終結を見なければ人類の幸福な世界、神様の理想の世界は実現できないのです。 神様が祝福されたことを再び活かして、永遠なる祝福を立てておかなければ、永遠なる人類の理想世界を探し求めることはできないのです。それゆえに、いつの日にか誰かがこのことを成さなければならないのです。その方は、他の誰でもなく、神様が選ばれた堕落しなかった本然の完成したアダム理想を成就する方であり、その方が来られることによって、それが可能になるのです。真の父母の顕現とともに、そのようなことが可能になるという結論になるのです。 統一教会はいかなる宗教かというと、真の父母に侍る宗教なのです。もし真の父母がいなければ、真なる子女は生まれてくることができません。そのように真に満ちた子女がいなければ、真に満ちた男も真に満ちた女も生まれてきませんし、真に満ちた家庭、真に満ちた民族、真に満ちた国家は形成されないのです。 神様の救援摂理は、復帰摂理です。完成できなかったことを再び探し求めて成就しなければならないのです。救いの摂理は復帰摂理であり、再創造摂理なのです。それゆえに、再創造摂理をしなければならないのです。それでは、復帰はどのようにするのかというと、そのまま復帰することはできないのです。蕩減復帰しなければなりません。 イスラエル民族がエジプトを去る時も、そのまま出ていくことはできませんでした。エジプトにいるすべての長子を打たなければならなかったのです。長子を打たずしては出ていくことができないのです。さらに羊をほふって、門にその血を塗らなければならなかったのです。これは条件なのです。そのような犠牲の条件を立てなければならないのです。イスラエルは、エジプトの長子たちが死ぬ代わりに、羊をほふり祭祀を捧げたその条件によって、血を見て死ぬ場を越えていくようになったのです。すべてに蕩減条件を立てずしては出発することができないのです。 もし私たちが罪を犯せば、この地でいつかは清算しなければなりません。自分で清算することができなければ、自分の子供を通じてでも清算しなければなりません。もし子供の代でできなければ、後世の歴史を通じてでもいつの日にか清算しなければなりません。そうしなければ永遠に解放できないのです。 この大韓民国の民族的反逆者は誰ですか? (李完用です)。もし李完用の後孫が生きているとすれば、その後孫はどうしても先祖から受け継いだ反逆者の後孫という立場から抜け出すことはできないのです。いつの日にか蕩減せずしては、解放される道がないのです。 それでは、誰が蕩減しなければならないのかというと、誰でもできるのではありません。直系の後孫が国家の前に公認されて解放されるまでは、歴史の汚点から抜け出すことはできないのです。これが人間世界における、歴史を通じた贖罪法なのです。それと同様に、天の国とサタン世界の間にも、もし過ったことがあれば必ず清算しなければならないのです。その清算が余りにも大きければ、宇宙史をかけて清算しなければならないのです。しかし、宇宙史全体を代身して清算することができなければ、条件を立てて成さなければなりません。そのために蕩減法というのがあるのです。例えば、ある人がたくさんの借金をして、そのお金を返すことができなければ、その債権者の喜びの日に贈物を精誠を込めて差し上げ、そこに集まったすべての人々の同情を受けることができるとすれば、その債権者は喜んで数千億の借金を数百億までも蕩減してくれるというのです。蕩減法とはそのようなものです。 このように見た時、人類の偽りの父母が生じたことによって神様の永遠なる祝福が成就できなかったことを、蕩減復帰するためには人類の真の父母が現れて、このすべてを清算し「永遠なる神様の祝福万歳を叫ぶことのできる位置に立ちました」と宣布できるようにならなければならないのです。それができなければ、その下にいるすべての子女、あるいは氏族、民族、国家、世界は、神様の前に堂々と立つことができないのです。ですから、この私が、神様の永遠なる祝福を再度宣布したのです。その記念の日が、昨年の七月一日なのです。 それでは皆さん、神様の救いの摂理はどのように行われてきたのでしょうか? この世の中には多くの人々がいます。その五十億人類を種類別に区別すれば、何種類に分けることができるかというと、男と女という二種類しかありません。その中に何々の民族、何々の民族と、さまざまに入れておいたのです。そのように、世界のすべての人々は、この二人の男女を拡大した姿なのです。それは間違いありませんか? (はい)。 それでは、この二人が完成して、そこから生じた枝や葉や種を受けて、再び植えたものが、春夏秋冬と循環的に回っていって、今日の人類に拡大されてきたのです。結局、この二人の男女が完成していたならば、このように苦痛なる世界にならなかったはずです。しかしこの二人が過ったために、今日の世界のすべての万民が、塗炭の苦しみの中にあるのだということを知らなければなりません。 すべての存在は結果的なもの 皆さんの家庭を見ても全部、男と女の二種類ですね。おじいさんおばあさんも男と女であり、お父さんお母さんも男と女であり、夫婦も男と女であり、息子娘も男と女なのですね? (はい)。もし、この男と女たちが、「完全なる根本的公式がなければ生きることも死ぬこともできない」という絶対的な内容を知っていたならば、人間は今日このようにはならなかったのです。それが分からないので、このような世界になってしまったのです。それで、人間とは何かという絶対的な内容を知る人がいないのです。 哲学においても、人間はなぜ生まれたのかと問いかけているのですが、いまだに、それが分からないのです。ある人は猿が進化したと言うのですが、猿が人間になったのであれば、皆さんは気持ちがいいですか、悪いですか? (悪いです)。もし風格のよいおじいさんおばあさんに会って、「あなた方のおじいさんおばあさんは、猿なのでしょう?」と言ってみなさい。もし、そこに棒がなければ、斧を振りかざしてなぐられるのです。猿の子であると自称して喜んで生きるのような者は全部、道端に吐き捨てなければなりません。処断してしまわなければなりません。ですから、人間は絶対に猿の種になることができません。 私は皆さんに一つ聞きたいのですが、私たちが猿から進化するというならば、その前に雄と雌の概念があったでしょうか、なかったでしょうか? (ありました)。猿であっても発展しようとすれば、雄雌を通さなければなりません。この雄雌の概念は、アメーバが生じる前にもあったのでしょうか、アメーバが生じた後にできたのでしょうか? (生じる前にもありました)。すべての存在が始まる前に雄・雌、男・女、主体・対象、プラス・マイナスの概念があったのです。このことは、誰も否定することができません。 それでは、男と女はなぜ生まれたのでしょうか? 人間は他意によって生じたのであり、自意によって生じたのではありません。では、その他意とは誰によるものなのでしょうか? その名前は何であっても構いません。神様であれ、石ころであれ、岩であれ何でも構いません。第三者によって、この私は生じたというのです。では、その第三者とはいかなる方なのでしょうか? 人間自体をよく見れば、人間は神様の王宮なのです。人間一人を研究することによって医学博士たちが何百万、何千万名と増えているのです。そうですね。今後、もっと医学博士たちが増えていくことでしょう。それは、人間にいまだ多くの神秘に満ちた内容が隠されているからです。それらを皆、開発しようとすれば、さらに数千万の博士たちが誕生することでしょう。このように、人間とはいかばかり複雑であり、いかばかり膨大な存在でしょうか。そのような人間が一人でに生じたという人は狂った人です。 このコップが自ら存在したと言うならば狂った人ですか、正しい人ですか? このコップが、そのままここに来たと言う人は狂った人ですか、正しい人ですか? (狂った人です)。 すべての存在は結果的なものであり、原因なくして存在するものはありません。では、そのような原因は、悪なるところから出発したのでしょうか、善なるところから出発したのでしょうか? これが問題になるのです。すべての存在を見た時に、それが悪い原因によるものか、良い原因によるものか分からなくても、ペアになっているということには間違いありません。 鉱物世界にもプラスイオンとマイナスイオンがあって、相互に授け受けしながら運動しているのです。また、花の世界にもおしべとめしべがあります。では、動物の世界はどうでしょうか? 昆虫は雄だけですか、雌だけですか? どんなに雌が「私は、絶対に雄を必要としない」と言っても、既に雄は存在しているし、また雄が「絶対に雌を必要としない」と言っても、雌は既に存在しているのです。 では、雄と雌は永遠に闘争しながら生きるのでしょうか、くっついて喜びながら生きるのでしょうか、どうですか? もし、雄と雌を出発させた方が悪ければ、どうか知りませんが、善であり義なる方であるならば、互いにくっついて争い合うようにつくられたのでしょうか、くっついて面白く生きるようにつくられたのでしょうか? (くっついて面白く生きるようにつくられました)。そうです。雄と雌が額を合わせて生きる姿を皆さんは見たことがあるでしょう? では、ハエにも雄と雌がいますか? (います)。このごろでは、細菌にも雄と雌がいるというのです。見えないそのような世界にも雄と雌がいるのに、見える世界、無限なる世界において雄と雌が自らの意志によって生じたのでしょうか、他の意思によって生じたのでしょうか? (他の意思によってです)。そうです。 ですから、私たちはどんなに素晴らしくても結果的な存在であり、第一原因的存在ではないのです。第二原因的存在なのです。人間は対象的存在にすぎないのです。そしてこの世界は、男と女だけの世界なのですが、とても複雑なのです。では、そのような男と女はなぜ生まれてきたのでしょうか? 哲学の世界に入って誰に聞いてみたとしても、ここで教えてもらっていることも知らないのです。「男はなぜ生まれましたか」と聞いても、「分かりません」と言うし、「女はなぜ生まれましたか」と聞いても、「分かりません」と言うのです。しかし統一教会の信徒に、「男はなぜ生まれたか」と言えば、「それは小学校の生徒でも知っていることなのに、なぜ聞くのですか」と言うのです。 真の愛を求めて 皆さん、男はなぜ生まれましたか? それは、女のゆえに生まれたのですね。誰か、この答えに反対することができますか? 間違っているという女がいれば手を挙げてみなさい。男は女のゆえに生まれたということが間違いだという男は手を挙げてみなさい。もし間違いであれば、凸も凹も皆、切ってしまわなければなりません。(笑い)凸は凹を必要とするのです。凹である女は、凸である男を絶対的に必要としますか、相対的に必要としますか? (絶対的に必要とします)。ですから男において、真理中の最高の真理は女なのです。どうですか、女は気持ちがいいでしょう? (笑い)男は女のゆえに生まれたと言えば、気持ちが悪いですか? 男の中の男ゆえに生まれたという男は一人もいないのです。 男は誰のゆえに生まれましたか? (女のゆえです)。それは、考えがそうなのですか、事実がそうなのですか、絶対的にそうなのですか? (絶対的にです)。ですから女において、最高の真理は何かというと男なのです。もし、五十億人類の中で全部が女であり、男がたった一人であるという時は、その男を中心として争いますか、争いませんか? (笑い)争いの場が展開されるのです。そして、五十億の中のチャンピオンになった時、その一人の男を占領することができるのです。その時、その女はどれほど幸福なことでしょうか? それでも争いを続けなければなりませんか、ストップしなければなりませんか、どうですか? 女たち、答えなさい。(続けなければなりません)。 そのように百戦百勝して最後のチャンピオンになって、男に侍ることのできる女となった時、その女はどんなに幸福なことでしょうか? (笑い)それは何か比較できるものがありますか、天地に取り替えることのできるものがありますか? (ありません)。再び争うのを恐れて、男も女もいない所に逃げて生活したいと思うようになるのです。 ですから、男にとっての真理は女しかありません。女にとっての真理が何かという時、何と答えますか? (男です)。それでは、男と女にとっての真理が何かという時、それは愛しかないのです。男と女はそのような愛のゆえに生まれたのです。では、そのような二人は何を中心として一つになるのでしょうか? 真なる男と真なる女が、真の愛を持って結婚するところにおいて、完全一体が起こるのです。 完全に統一された立場でのみ真の愛を探し求めることができるのであって、完全に統一されていない立場では、真の愛は存在することができないのです。では、完全統一された男と女はこの地上にいるのでしょうか? 一人もいません! ですから、この地上には、いまだ真の愛が現れなかったという結論を下しても、不平を言う人はいないのです。 皆さんは、なぜ結婚しますか? 泣くために結婚をするのですか、喜ぶために結婚をするのですか? (喜ぶためです)。では、何を中心として喜ぶのですか。御飯を食べながら喜ぶのですか、愚痴をこぼして争いながら喜ぶのですか? どんなに大切な器を壊してもそこに、ただ一つ愛が残っていれば、壊れた器はころころと転がっていっても、もっと大きな器が出てくるのです。それゆえに、夫婦喧嘩をするほどに真の愛が大きくなっていくというのです。素晴らしいでしょう? (笑い)愚痴をこぼすほどに、幸福の刺激がもっと強くなるというのです。 例えば、運動選手を見ても、一〇〇メートル競走のチャンピオンには、できない運動は一つもありません。ボクシングもできるし、ありとあらゆる種類の運動ができるのです。そうですか、そうではありませんか? (そうです)。一つの競技でも一等になるためにはありとあらゆることにパスしなければならないのです。そして、そのすべての比率が平衡に現れずしては、自分の相対理想圏を整えることができないのです。 この統一教会においても宗教圏での地位を確保する時が来るまで、統一教会を称賛した人がいたでしょうか? チャンピオンになって戦うというよりも引きずられながら戦ってきたのです。しかし最近では、私たちが「戦おう」と言えば、既成教会の牧師や神学者たちは皆、逃げていくのです。一発のパンチでノックダウンされるからです。ですから、宗教界でも政治の世界でも、私がチャンピオンなのです。 神様は、ブッシュ大統領と文総裁を交換するでしょうか、しないでしょうか? (交換しません)。それでは、アメリカの二億四千万の国民と文総裁を交換するでしょうか? (しません)。同じ人間であり、同じ眼があり、鼻があり、口があり、一日に御飯を三度食べているのに、彼らは称賛されているのに、文総裁は追われて逃げ回り、春夏秋冬、一年のうちにも休暇などもないのです。一生涯、悪口を言われて監獄に入ったり出たりしているのです。比較にもならないのです。ですから悪なる親分として、私の名前が残ったのです。 そのように皆、比較してみる時、文総裁を打って、無くしてしまおうとした人々が実に多くいて、私を負かそうとして数多くの理論闘争をしたのです。そのようにして、ありとあらゆる人々が皆、通過していったのです。神学博士も通過していきました。哲学博士も通過していきました。政治家も通過し、宗教家も通過していったのです。 今や、そのような戦いも終わり、このごろでは国会議員たちが、「文総裁、お会いしましょう」と言っているのです。今さらいいかげんにしなさいというのです。国会議員の中には、どれほど詐欺師が多いことでしょうか? 彼らは今まで皆、ありとあらゆることを行って反対してきたのです。 この私は堂々とした男でしょうか、できの悪い人間でしょうか? (堂々とした人です)。堂々としていたのに、しがない存在になったのですね。皆さん、それでもいいのですか? しがない存在の王様とは何か分かりますか? 私には、しがない存在の王様になる道しかないのです。王様はいつでもしがない存在なのです。誰か友達がいるでしょうか? 王族しかいないのです。また、王宮法がどんなに恐ろしいものかというと、王様の息子娘たちは踊りも自由に踊れないし、酒も自由に飲めないし、喧嘩も自由にできないのです。しがない存在の身上が王宮の中の王様なのです。そのようなしがない存在として、大きくなって万王の王になる道しかないということを知らなかったのです。文総裁はしがない生活をたくさんしたのですね。今もしがない存在ですか、どうですか? 今やアメリカの国務省も、私に会いたいと言って来ています。北韓のことで会いたいというのですが、私は会うことを延ばしているのです。このような話を、なぜ冗談を交えながら話すのでしょうか? 今日は何の日ですか? (「七・一節」です)。 人類始祖の堕落 神様が七数を越えられなかったことが堕落なのです。六数を失ってしまったのです。昨年の七月一日は歴史的な日でした。ご覧なさい。堕落することによってどのようになったのですか? これはサタンです。(先生が前にある花を示して語られる)これはまだ咲いていないので、アダムなのです。アダムは堕落することによって誰に従っていきましたか? (サタンです)。アダムはサタンの前に立ったのでしょうか、後に立ったのでしょうか? (後に立ちました)。では、エバはアダムの前に立ったのでしょうか、後に立ったのでしょうか? (アダムの後です)。それではカインはどこに立ったのですか?(その後に立ちました)。アベルは、本当に大きいのです。新婦とは何でしょうか? これは何の花ですか? (百合です)。新婦は百合を好むのです。百合がなぜ新婦かというと、この花の香りは深いところにあるからです。香りを広くまき散らすために、このような型に生まれたのです。ラッパのような花は全部、香りがいいのです。ですから百合は女の象徴なのです。新婦の象徴なのです。 それで神様はどのようになったのでしょうか? その後には、従っていく人がいないのです。それでどこへ行くのかというと皆、地獄へ行くのです。人類始祖は堕落した後に神様が保護されて、エデンの園から追い出されずに良い五官で生活できたのでしょうか? アーメンですか、ノーメンですか? (ノーメンです)。エデンの園から追い出されましたか、エデンの園に残ることができましたか? (追い出されました)。 それでは、追い出されたアダムとエバは子供を生みましたか、生みませんでしたか? (生みました)。子供を生んだということは、二人が一緒に結婚生活をしたということです。では、誰を中心として結婚生活をしたのでしょうか? 神様ですね? (サタンです)。追い出されて結婚生活をしなかったというのが、既成教会の考え方なのです。ここに既成教会を信じてきた人がいますか? 手を挙げてみなさい。この者め! (笑い) アダムとエバは堕落して、結婚生活をしましたか、しませんでしたか? 二人が喜ぶのは結婚生活でしょう? これが分からない無知な人とは相対できません。無知には完成がないのです。それは廃品でしかありません。 さあ、アダムとエバは追い出された後に、神様がついて行って保護してくれましたか、くれませんでしたか? (……………………)。男たちはそういうこともわきまえずに動き回っているのですか? 追い出されて二人は結婚生活をしたのですね? (はい)。五十億人類はそこから増えてきたのですね? (はい)。二人が仲良くしたので子供が生まれたのであり、そのようにして息子娘を生み増やしてきたのです。既成教会はそれも分からないのです。それが分かれば、聖書を見る観点も違ってくるのです。そのことさえ分かったならば、今日、統一教会が出てくる必要もないのです。その一言だけが分かったならば、統一教会で先生が教えてきた原理の八〇パーセントは分かるのです。みんながそうならなければ復帰できません。 では、堕落しなかった本然のアダムとエバはどこに行ったのでしょうか? 神様の願いである堕落しなかった父母はどこに行きましたか? どこにもいないのです。それは皆、切り捨てられたのです。それで、神様はこれを放っておかれるでしょうか、再び探し求めようとされるのでしょうか? (探し求めようとされます)。理想的アダムの実体は何もありませんが、神様が創造した構想のアダム型は神様と共にあるのですね。それで神様は後に従っていかれましたか、滅びてしまえと放っておかれましたか? (後に従っていきました)。もし息子が死ねば、父母、兄姉の誰もが泣きながら従っていくのです。神様も同じです。涙を流して従っていったのです。それは痛哭なことです。天地も滅びます。神様ご自身までもが堕落するような位置に立っているのです。このように従っていったのです。 神様が従っていこうとすると、サタンがその頭を全部握って、父、母、長子、次子まで全部を引っ張っていくので、神様は誰にすがって事情を訴えるのでしょうか? 頭のほうですか? 頭にはアダムとエバがいるし、中間には長子がいるので仕方なしに神様は後に残ったアベルに向かって、「おい、アベルよ。アベルよ。私をちょっと見なさい、私をちょっと見なさい」と言ったのです。ですから、神様は人間世界に訪ねてこられて、次子を中心として救援摂理をしてこられたのです。このような伝統的歴史を知らなければなりません。分かりますか? (はい)。 再び次子を探し求めて教育して、長子を後ろ向きにしなければなりません。その次に回れ右をするのです。堕落した後に、アダムとエバは争う息子娘を抱いてどこへ行ったのでしょうか? 母を中心として息子娘を連れて地獄へ行ったのです。地獄なのです。神様の創造理想である天国とは関係のない、一八〇度違う地獄へ離れていったのです。 本来、天国に行かなければならない民として神様がつくられた息子娘が地獄へ行ってしまったので、再び引き戻すために救援摂理をせざるを得ないのです。そこで、弟を中心として教育するのです。「お前は、サタンについて行ってはいけない。この世の中に従って行ってはいけない」と言って、これらを全部否定させてきたのです。さまざまな文化的背景の中でサタン世界の愛に失敗し、一人息子は死に、希望の持てないこのような脱落者たちを、廃品のような者たちを収容し、訓練し、教育して方向を変えてきたのです。それが宗教者たちなのです。 救天宙主が真の父母様 しかし、宗教にもいろいろあるのです。文化背景が違うのです。すべて五十億人類がキリスト教文化圏と同じではないのです。キリスト教では、「イエス様を信じなければ全部、地獄行き…」ですって? では霊界に行ってみなさい。孔子とイエス様は友達なのです。釈尊とも友達なのです。キリスト教の聖人たちや仏教を信じていた高僧たちも皆、友達なのです。徽章が異なるだけであって皆、神様の一族なのです。宗教が統一される時、この徽章が皆はがされて、一食口として大声で痛哭できる天上世界の一日を待っているのです。歴史時代において、宗教背景に覆われて無知になって戦争してきたというすべての恨みをかけて、教主や全歴史的な指導者たちは集まって悔い改めをしなければなりません。そのように悔い改めさせることのできる人が誰かというと、それが真の父母なのです。 このように、カインとアベルは一つにならなければなりません。この二人が一つにならずしては母を探し求めることができません。エバは二人の息子を生みました。その一人はサタンの息子であり、一人は天の息子です。もちろん二人の息子はアダムの血を受けていましたが、条件的な面でその一人を天の側に立てたのです。兄をサタン側に、弟を天の側に立てたのです。ここからカインとアベルは兄弟として争い、ヤコブは次子であってもエサウから長子権を奪ったのです。神様がヤコブを祝福したので長子権を奪ったのです。聖書は、このような原理を知らなければ解釈する道がないのです。探し求めて引っ繰り返しておかなければなりません。 次子は、神様の血統を中心として清められなければなりません。それは、どこから分かれたのかというと、女の子宮からです。ここから善なる血として分けなければならないのです。カインとアベルを通して、エサウとヤコブで分けるのです。双子の胎児を中心として分けるのです。双子とは感情も通じ合うように、最も近い位置であるので殺すことができないのです。ですからペレヅとゼラは、胎中で弟が兄を押しのけて出てきたのです。それでペレヅという名前を中心として、初めてイスラエルが地上に定着したのです。そのようにして血統を清めたのです。このように清められた血統を通じて四十年代後に神様はメシヤを送ったのです。既にサタンが国家的基盤を中心として世界を支配していたので、メシヤを送ることのできる選民圏も国家的代表でなければならないのです。そのようにして来られた方がメシヤなのです。救世主なのです。 救世主とは、世の中を救う方であり、まず救国主になって次に救世主になるのです。救家主から救国主、救世主になるのです。このような話は初めて聞くでしょう? 何の主ですって? (救家主です)。救家主とは何ですか? 家庭の救い主なのですね。救国主とは何ですか? (国の救い主です)。救世主は? (世界の救い主です)。救天宙主が真の父母なのです。父は天を象徴し、母は地を象徴し、救天地主になるのです。すべてのことが父母を通して収拾されるのです。それで父母を復帰するためには、完全に息子娘が一つにならなければなりません。一つになって母を立てなければならないのです。 今までの歴史の中でも、宗教を信じる家庭の二世たちは発展してきたのです。父母は保守的ですが、子女たちは新しい時代の感情を通して世界へと風靡していくので、父母が反対してきたのです。愛を中心として母が堕落したので、二人の息子が情的な基準を中心として一つになれば、母を引っ張り出すことができるのです。母を引っ張り出せるようになれば、個人的家庭基準から国家的基準になり、天地に対する世界的基準となれば、それで終わるのです。終わりの日に来られる主様は、このような責任を持って来られるのです。アダムと神様が来られて、次子圏を回っていくのです。次子圏とは右翼であり、長子圏は神様がいないと主張する左翼なのです。 本来、イエス様は左右を統一しなければならなかったのです。イエス様は左右を統一して回れ右をして入っていかなければならなかったのです。ところがイエス様が亡くなったことによって、バラバ圏まで残していったのです。このような種がまかれたので、全世界的に左右が戦わなければならなかったし、宗教圏と無神論圏の戦いが起こったのです。これらのすべてのことがイエス様の時代に生じたので、イエス様が再び来られる時には左右を一つにして、バラバ圏もすべて一つにしなければなりません。 では、それを誰が成してきたのでしょうか? 今回、四月十日に既成祝福をしてあげましたね? (はい)。その時、バラバ圏の世界のリーダーが先生の祝福を受けたのです。そして右翼世界代表のアメリカと左翼世界代表の共産圏が先生の下に皆、入ってきたのです。バラバ圏も回れ右をしたのです。イエス様が復活して、歴史的な左翼と右翼を清算できる時代になったのです。世界的に神様を中心として、カインとアベル、左翼と右翼を一つにしたのです。神様を中心として完成したアダムが来られて、全世界を一つに抱いたのです。ところが、エバがいないのです。エバがいなければならないので、そのエバの役割をお母様がしたのです。 この世の中の次子と長子を一つにすることができるのは母なのです。堕落した時に、母と息子娘が怨讐になり、息子娘同士が怨讐になり、すべてが怨讐になりました。しかし、これからはお母様を中心として息子娘が一つになり、左翼と右翼が一つになるのです。お母様を中心として一つになり、世界の頂上を越えていくのです。そして、すべてがお母様に従って接ぎ木されるようになるのです。そこで、何をしなければならないのかというと、この地上に一人の天の側の男性が生まれたのですが、すべては皆サタン世界下の五十億人類なのです。 なぜ天の側の男性が現れたのかというと、一なる女性を探し求めるためです。ですから、キリスト教は新婦の立場であり、新婦の宗教だというのです。そして、神様はなぜ新婦の宗教をつくられたのかというと、来るべき新郎たる主様が完成したアダムになるには、世界的な女性の代表を探し出して、この女性を通じて男たちの世界を皆打つためです。男たちの世界は皆、堕落した天使長と同じ立場であり、もし反対すれば悪魔と同じになるのです。ですから、エデンの園で堕落しなかった神様の娘に侍ることのできる位置に立たなければなりません。そうでなければ悪魔の位置に立つようになるのです。すべての男たちは二つの道しかないのです。分かりますか? 今や、そのような清算をしなければならない世界史的時代に入ってきたのです。 第二次世界大戦直後の世界 文総裁という天の国の人がこの地上に現れたので、世界中が捕らえて殺そうとしたのです。神様はそれを知っていたので、第二次世界大戦前にキリスト教文化圏を準備して、来たるべき主様を迎えて家庭から氏族、民族、国家を編成して、サタン世界を清算しようとされたのです。ところが、キリスト教にそれが分かりませんでした。キリスト教は来たるべき新郎が誰であるかを知らなかったのです。第二次世界大戦では、天の側の連合国のイギリスはエバであり、アメリカはアベルであり、フランスは天使長なのですが、これらは歴史的怨讐だったのです。これらがぴったりと一つになるのです。エバを中心としてカイン・アベルのようになるのです。その反対の枢軸国の日本、ドイツ、イタリアはサタン側であり、これらが戦って、サタン側が崩れることによって天の側へ受け渡しをしたのです。これが解放直後の統一世界なのです。そのように統一されたイギリス、アメリカ、フランスの下にあるすべての国はどこへ行かなければならないかというと、主様が来られる国につながらなければならないのです。彼らの願いは主様お一人に侍ることなのです。国が問題ではありません。 それでは、主様はどこから来なければならないのでしょうか? 主様はアジアから来なければなりません。イエス様の体をアジアで失ってしまったので、アジアで探し求めなければならないのです。なぜ太平洋文明圏が訪ねてくるのかというと、イエス様が体を失ってしまったアジア文化圏統一時代に向かって戻ってくるのです。すべてを、このように解いてこそ、歴史もきれいに解かれるのです。 ですから先生を中心として一つにならなければならなかったのです。ところが解放直後、キリスト教は先生を排斥したのです。先生はアメリカの宣教師たちと延世大学、梨花女子大生を中心として六大宗団を全部、一つにしなければならなかったのです。その時、三〇〇名近い人々が六か月以内に入教してくるようになっていたのです。ところが、当時の梨花女子大総長の金活蘭が反対したのです。それを活蘭党と言ったのです。金というのは、信仰を表示する言葉であり、活蘭とは患難ということです。(註・活蘭は韓国語で□□であり、患難は□□であり、発音上似ている)皆さん、霊界に行ってみなさい。天地を滅ぼし、天の国の民族と国を滅ぼす五十年の歴史の祭司長の役割をしたのが金活蘭なのです。副総長の朴マリアもその先鋒に立ちました。そのようにしているうちに実の息子に殺されてしまったのです。そのような歴史があったのです。 さあ、このように(先ほど、先生が分けられた花を指さしながら)回れ右をするのです。韓半島に来て全世界の女たちが回れ右をする時、「ノーメン」と言えば地獄であり、「アーメン」と言えば天国なのです。ですから、文総裁が愛国者として登場しなければならないのです。今までは、悪名高き文総裁は死ななければならないと言われてきたのですが、今やその人が愛国者中の愛国者として登場したのですね? (はい)。ソ連を崩して、北韓を崩して、アメリカを崩して、日本、中共を崩してしまいました。それは誰ですか? (真のご父母様です)。真の父母とは何ですか? (アダムです)。 エデンの園では、アダムの下にエバがいなければならないし、三大天使長がいなければなりません。ですから日本がエバであり、ソ連と中共とアメリカが三大天使長です。個人的基準でまいた種が今日、世界的次元で連合体として現れたのです。そこで完成したアダムが来なければなりません。アダム国家の韓国、エバ国家の日本、天使長国家のアメリカを中心として、サタン側の天使長をきれいに整理する時が来たのです。これからは、一国の責任者も私が指名した人がなるのです。気持ちが悪くても仕方がありません。事実、そのようになるのです。なぜかというと、女性が皆、私の味方だからです。 彼らが強制的に大統領になれば、目茶苦茶になるのです。女たちが黙ってはいません。今から私が女たちを教育するので、夫が二人の女と関係したり、浮気をしたりすれば、腹を縦横に裂くことも起こり得るのです。そうせざるを得ません。 エバが二人の男を従えて出発したため、二人の男を中心として東西南北、春夏秋冬の四季を分けてきたので、終わりの日には、女たちが全部、売春をするようになるのです。この女たちを皆、切ってしまわなければなりません。そこには皆さんの母も入りますし、おばあさんも皆、入るのです。姉から従姉妹たちも皆、引っ掛かっているのに、それを皆、切ってしまわなければなりません。これは大変なことです。そのような苦痛を文総裁が負っているのです。これをどのように収拾するかというのです? これから私が教育する日には、部落から一二〇名を動員して組織をつくることなど問題ではありません。彼らが全部警察官となって、「淫乱を行った者、酒を飲み浮気をする者は我々の部落を出入りさせない」と言うのです。女たちの愛を蹂躙しながら犬のまねをするのですか! 男たちの中で浮気をしなかった男がいますか! 世界の亡兆となっている淫乱の嵐、フリーセックスの嵐が私の手で解決されるのです。ごみ箱のような者たちを皆、愛国者につくりかえて立派な家庭をつくるのです。そのような歴史的な主人として登場したのが文総裁なのです。(アーメン)。 さあ、それでサタンにぶら下がっていた浮気者たちや道端の狐たちを皆救うために、女たちを連合させるのです。このように堂々としている男は、悪魔の代表なのです。堕落したアダムを中心として家庭を成したので全部奪って天側に戻っていかなければなりません。再臨主を中心として神様、アダム、エバ、息子娘が真の愛を中心として従っていくようになるのです。 そこで、真の愛を中心として、真の生命、真の血統を受け継ぐのです。神様は縦的な父母であり、アダムとエバが完成したならば横的な父母になるのです。そして縦横の血統を受け継ぐのです。縦的な神様の血統を受けた代表が心なのです。それで心は縦的な私なのです。神様は縦的な主人なので、心を通さずしては仕事ができないのです。ですから邪悪なサタン世界には干渉できないのです。それで、この体を完全に主管するのです。そうすればサタンは私の前に現れることができません。エデンの園で、僕の僕が王女を奪っていったのです。そうして、この世の中をこのように滅ぼしてしまったのです。ですから夫は、妻と息子娘を天の国の王后のように、天の国の王子王女のように侍る伝統を立てずしては、戻っていく道がないのです。心が冷え冷えする話ですね。 日韓一体化運動 韓国には遊興家が十六万五千人ですって? そこに六十万人がくっ付いているのですね。これは、国が過ってそうなったのです。私に任せれば三年以内にきれいに整理するのです。そのような教育をするのです。天下を皆、飲み込んでしまうことのできる力がレバレンド・ムーンにあることを知っていますか? サタンは魁首になってレバレンド・ムーン一人を捕らえるために五十年間打ってきましたが、私は死にませんでした。 全世界が首を締めようとする中から抜け出したのです。キリスト教文化圏は、再臨主のためにあったのです。一九五二年に天下を一つにして万民解放を謳歌する歴史的事実があったのですが、キリスト教の宣教師たちが反対して私を追放したことによって、四十年間延長したのです。一九五二年に出発するはずであった地上天国が、再び一九九二年に歴史が回って訪れたのです。今や、この時を中心としてすべてを清算しなければなりません。 アダムとエバが堕落することにより、神様の祝福は成就しませんでした。家庭祝福も成せなかったし、民族、国家、世界祝福も成就できなかったのです。これを蕩減復帰しなければならないので、先生は一人で戦ってきたのです。それで、すべての世界の男性たちから全部、女性たちを奪っていったのです。聖書の中に主様を迎える十人の娘の例えがあるように、世界の女性が全部、来るべき主様を迎えて後戻りしていく道を準備するのです。この地上に再臨して、女性を探し求めて再創造するのです。アダムを中心として女性を創造した時と同じく、天の男を中心として女を再創造するのです。個人的女性完成圏、家庭的女性完成圏、氏族的、民族的、国家、世界的女性完成圏を代表した一人を中心として創造するのです。それを成してこられた方がお母様なのです。先生の後にぴったりとくっ付いてきたのです。 お母様は先生の後に隠れていて、先生が戦ったのです。堕落によって主管性転倒をしたので、アダムが責任を負わなければならないのです。そうでしょう? エバは何も知らずにいたのです。ですから、兄としての責任を果たさなければならないし、神様の長子としての責任を果たさなければならないのです。兄が責任を果たした後に従っていくのが妹の道であり、娘の道なのです。ですから、先生がサタン世界の矢を一身に受けながら、個人的世界版図、氏族、民族と越えてきたのです。今日まで私たち祝福家庭に対して、どんなに反対してきたことでしょうか? それで今回、日本人と韓国人が完全に交差結婚したのです。韓国人は日本人と、日本人は韓国人と一〇〇パーセント結婚したのですね。 今回(1992.08.25予定の三万双祝福式)は二回目です。もう誰が反対しても通じません。私に反対しても通じないのです。全世界は「文総裁は、やると言えば必ずやる人であり、どんなに監獄に入れてもまた出てきてやるようになっているので、最初から手を挙げて黙っているほうがよい」と言うのです。 どんなに韓国が大騒ぎしても自分たち同士で争うならば、自ら滅びるのです。私は自分の行くべき道が忙しいのです。アメリカも日本を飲み込もうとするし、ソ連も日本を飲み込もうとするし、中共も日本を飲み込もうとするのです。韓国も日本を自分の味方に入れようとしています。韓国はアダム国家なのですが、出来の悪いアダムではありません。既に戦いは終わりました。アメリカは日本を飲み込むことができません。ソ連は日本を飲み込むことができません。中共は日本を飲み込むことができません。日韓一体化運動が起こったからです。 蕩減復帰原則によってそうしているのです。蕩減復帰するためにその道を行くのです。日本は南北を分けてしまったので、南北を統一しなければならないのです。東京から始めなければなりません。それで、日本の統一教会の食口たちは、エバ国家のお姉さんのような柳寛順の伝統的精神を相続するのです。韓国がアダム国家であり、韓国の女性はお姉さんなのです。そのお姉さんが愛国精神を持って死んでいったのですから、妹に当たる日本は、柳寛順精神を中心として南北を統一しなければなりません。 タマルの胎中でペレヅとゼラは争ったのですが、今度は争わないで日本が南北を統一させなければエバ国家になれないのです。神様の保護により、韓国の解放後に蕩減の原理に合うように皆、準備してきたのです。神様がすべてを合わせておいたので、先生は仕事がしやすかったのです。それで、これからは朝総連と民団が一つになる業が起きてくるのです。 世界中で個人的に私と戦って勝つことのできる人は誰もいません。天の国がないと言う人も、文総裁の教える統一思想や頭翼思想、神主義を否定できる人はいません。私は個人的に、世界中の反対する場で戦ってチャンピオンになり、昨年七月一日を中心として還故郷したのです。私の前にサタン世界の男たちは、たとえ王様であれ何であれ、全部敗者として手を挙げたのです。これは初めて神様の前に男として、神様のみ旨を中心として勝利したチャンピオンが現れたということです。ですからサタン世界の男性は全部、その人の前に頭を下げなければなりません。愛の怨讐なのです。 世界平和家庭堂 愛の怨讐は腹を裂いて殺さなければなりませんか、銃殺しなければなりませんか、どのようにしなければなりませんか? 銃殺すればよいのでしょうが、そうすることはできません。それらを皆、殺してしまえば女たちは相手がいなくなるからです。それを見る父母の立場はいかばかり悲惨なことでしょうか。それで再び許してやって相対を選んであげなければならないので、男を殺すことができないのです。ですから、その代わりに条件があるのです。女性を王女として侍りなさいというのです。息子娘に対しても、自分の息子娘ではなく天の息子娘として奉献できるように侍りなさいというのです。 来るべき真の父母の思想を中心として、その道理を千年万年継承して、私たち人類の行くべき家庭の伝統として受け継ぐために、自分の妻に対して三年間お母様のように侍らなければなりません。今までは長成期完成級までしか復活できなかったのですが、完成期完成級まで復活するには、お母様の体を借りて連結されなければならないのです。ですから三年間妻に侍りなさいというのです。そうすることによって、男性として完成したアダム格の位置で生まれたという条件を立てることができるのです。そのようにして養子として定め、自分の一人娘の相対として、真なる夫婦をつくろうというのです。このような三年間の血統聖別期間であるということを知らなければなりません。 このことを宣布したので、先生の特権時代が訪れたのです。それで今からは、統一家のお母様が横に並ぶ時になりました。昨年九月から私が訓練したので、今や日本の頂上に立たなければなりません。日本は世界を蕩減復帰するエバ国家ですから、その頂上に立っていくのです。 では、韓国の女性たちはどのようにしなければならないのでしょうか? 韓国の女性はお姉さんとして、お母様を中心として復帰時代に世界の運勢に乗ったエバ圏を通して次子を復帰して長子を救ってあげるために、次女の日本を復帰して、次に長女のエバを復帰していかなければなりません。お母様は、エバ国家の代表である日本を二番目の娘として立てて、長女である韓国の娘と一つにすることによって、長女圏の姉と次女圏の妹が神様の懐に抱かれるようにされるのです。そのような時代が歴史を通して戻ってくるのです。 日本の食口と韓国の食口はそのような交差的立場で姉妹になったので、この姉妹を誰よりも愛さなければなりません。六〇〇〇年別れていた者がこのようにして出会ったので、韓国人よりも彼らをもっと愛さなければなりません。復帰のためにアベルが、自分の一族よりもカインを愛したように、挙国的な立場で結ばれた日韓家庭を国家的に支援し保護しなければならない責任があることを知らなければなりません。 韓国には三三〇〇の面があるのですが、その面が私たちの活動基地になるのです。まず面を中心に三家庭を配置し、その次に日本の一家庭がやって来るのです。日本の家庭を加えた四家庭を中心とした組織を編成して、韓日が長女と次女として一つになって、お母様と一つになりすべての世界の女性を連合していくのです。 女性を愛することのできる人は大統領になり、愛せない人は全部、首を切られるのです。国会議員たちも浮気する者は全部、立ち去らなければなりません。でなければ私が首を切ってしまうのです。そのことを警告するのです。私は争いをしません。教育すれば皆、終わるのです。ですから、家の中でご父母様に侍りなさいというのです。ご父母様の写真に侍り、統一旗を掲げれば皆、終わるのです。そうして、お母さんが息子娘と一つになり、三年間勉強するのです。男はお金を稼いで食べさせなければなりません。男は三年間奉仕するのです。三年間で皆終わるのです。金日成も三年後の一九九五年に統一すると言っているのです。 そこで、お母様を中心として、日本でも女性連合を出発させましたが、主体国は韓国であり、韓国はお姉さんの国なので、その位置を基盤として直ちに連結するのです。そのために蚕室オリンピック・メインスタジアム大会で世界平和女性連合の創設大会を行ったのです。世界平和女性連合はお母様と韓国女性によって出発したのです。 そして、女性党をつくりました。その女性党は選挙を通して国会議員を選出するというのではありません。町や家庭で悪なる男たちを一掃するのです。何のことか分かりますか? 国会に浮気者が入っていくことはできません。騒がしい連中は国会議員になることができません。それを教育するのです。統一教会の名でもって教育しても言うことを聞かなければ、女性党でもって教育するのです。神様のみ旨は争って成すのではありません。争奪戦でもって国を探し求めるのではりません。自然屈伏させるのです。何の話か分かりますか? 女性党は教育のためのものです。党ではなく、家という意味の「堂」です。世界平和家庭堂なのです。 正しい男、正しい夫、正しい妻、正しい息子娘、正しい父母になって、正しい伝統を一家一族に拡大させて、理想世界にまで連結させるためのモデルをつくる戦いをするのです。 私は教育するだけです。具体的なことは、女性たちがしなければならないのです。すべてはお母様を中心としてするのです。私はお母様をお世話する天使長の役割をしているのです。お母様に侍って動き回るのです。 この社会で、女を激励し誉め讃える男がどこにいるでしょうか? 私は激励の辞で、妻を天下一の女王様として誉め讃えたのです。歴史以来、女として私にそのような称賛の言葉をかけられたのは初めてのことです。記録的なことです。(アーメン)。(拍手)お母様の気持ちが良かろうが悪かろうが、私は真実なる言葉を語らなければならないのです。私は自分の理由で妻にお世辞を言うようなくだらない人間ではありません。 神様の永遠なる祝福の勝利を宣布 統一教会の女性たちは、お母様を崇拝する先生であることを知らなければなりません。自分の夫が浮気者であり、脱落者だと言って気合いを入れる女が多いという話を聞きましたが、それではいけません。完成した後には男が主体になるのであって女が主体ではありません。 歴史以来初めて、世界的版図を皆、制圧してアダム家庭において「生育し、繁殖し、地に満ちて、天と地を主管せよ」という神様の祝福を再開させて、永遠なる祝福の勝利を宣布したのです。そのような宣布の基盤の上で、お母様が初めて天下に現れたのです。今から日本に行って活動し、アメリカに行って活動するのです。そのように、東西南北のどこへでも翼を広げて飛ぶことができるのです。私が今、翼をつけてあげるのです。ですから、韓国でもお母様は有名になったでしょう? (はい)。その原稿は誰が書きましたか? お母様が書きましたか、私が書きましたか? (お父様が書かれました)。私が書いてあげたのです。 私が四十年、五十年かかって勝利した位置に、お母様は九か月で上がってきたのです。このような出世がどこにあるでしょうか? 女に忠誠を尽くす男のことを烈男と言いますか? 今まで烈女という言葉は聞いたことがありますが、烈男という言葉は聞いたことがありません。ところが、ここに烈男が生じたのです。ですから、天上世界、地上世界の女たちは、文総裁を眺めた時、「あなたは神様の中に埋もれていたすべての愛を中心とした、四次元の世界を解怨されたお方です」と言うのです。神様の恨みが何かというと、真の愛を中として完全な息子娘として育て上げることができなかったことです。 神様の一番目の恨みは何かというと、真の愛を中心として完成して、神様の真の愛の伝統的歴史に真に満ちた息子娘を持ったという記録を残せなかったことです。そういう材料がこの地上になかったので、伝統的記録を残すことができなかったのです。ですから、伝統を再教育することもできないのです。しかし、今や文総裁を中心としてお母様が絶対服従し一つになった基準で、昨年からお母様を立てて女性解放を宣布することによって、初めて神様の真の愛を中心として地上に男と女が完成した歴史的な標準として一体化するのです。そうして、勝利的覇権を全世界に立てるのです。アダム家庭だけの勝利的覇権を立てるのではありません。国家と世界の反対を越えて、永遠なる神様の勝利的祝福を宣布できたという驚くべき事実は、神様が堕落後のすべての環境を忘れて、「私の息子娘よ。お前たちは、勝利的な完成したアダムとエバを代表することができる」と自慢し祝福することができるのです。 そこで神様の胸の内深く刻まれた歴史的な恨みが流れ去った時、このすべての内容は勝利の版図となり、地上に顕現できるということを知らなければなりません。分かりますか? (はい)。それで、縦的に神様の血統を受け継いだ息子娘として、天上天下に真の愛を中心として誇れる息子娘になったことを自慢できるのです。 それは誰ゆえにそうなりましたか? 皆さんのゆえですか、ご父母様のゆえですか? ご父母様のゆえであるとすれば、お母様のゆえですか、お父様のゆえですか? (お父様のゆえです)。それでは、お父様がなぜそうしなければならないのですか? それは、エデンの園で主管権を転倒したからなのです。アダムは妹の言うことを聞いて滅びたのです。兄になることができませんでした。息子として完成することによって、兄の立場で妹を解放する道を行くのです。分かりますか? ですから妹を愛さなければなりません。個人として愛し、氏族、民族、国家、世界全体を代表して愛することができなかったのです。兄妹の愛を中心として愛したという条件を立てなければなりません。 神様の胸深く刻まれていた事実を明らかにして、これを完成したと宣布する時代が来たのです。ですから、同じ血統を受け継いだ息子娘として、大きくなっていくのです。兄妹時代には相対がいません。分かりますか? 二人が息子娘の血統として生命を受けた時には、神様の子女の位置に、相対的位置に立つのです。しかし、アダムとエバが大きくなっていく時には、それがありません。 女は女なりに男は男なりに成長していく時には、同じ神様の愛と父母の愛を受けた兄と妹がいるのみです。父母を思うたびに兄は妹を思うようになり、父母を思うたびに妹は兄を思いながら兄妹が真の愛で結ばれ、東西に伸びて大きくなっていくのです。そして彼らは、互いに会わなければならないのです。父母が彼らを思う心が続く限り、同じ血統を受けて生まれた息子娘は、別れていても自分の姉や兄を父母の代わりに思うのです。父母よりも近いというのです。父母は近づきがたいのですが、兄妹は父母より近いのです。 ですから、同じ事情で一つになることのできる兄妹として完成し、神様の心情圏に入ることのできなかったことが神様の恨みなのです。そして今や初めてアダムが完成して、自分の妹のエバを愛するようになっていくのです。それゆえ、先生は兄なのですが、一番上の長男の立場で末の妹のようなお母様を選んだのです。その時、お母様は十代なのです。もし二十代を越えていたならば、お母様になる資格はなかったのです。 お母様を選んで、アダムはアダムなりにエバはエバなりに遊ぶのです。アダムは男性的ですから野に出ていって狩りをし、ヘビをつかまえたり、カエルもつかまえたり、ありとあらゆることをするのです。しかし、エバはそのようなことはしません。そのような意味で、一番上のお兄さんの立場で一番末の妹のようなお母様を育てて、神様の子女の心情を誘発させ、神様が願う希望的兄妹の愛を発展させてきたのです。このような子女の心情圏の理想と、兄弟の心情圏の理想の上に立つのが夫婦の心情圏なのです。分かりますか? (はい)。 家庭定着の時代 このような父母の心情圏が堕落によって転覆して、所有権が転覆し、血統が転覆してしまいました。アダムとエバが貞節を守ることができずに堕落したことによって、そのようなことが起こったのです。ですから今日、家庭定着時代を中心として世界平和家庭連合時代へ向かうようになる時、祝福を受ける前に、血統を転換する前に、自分の所有権を全部、天の前に返すのです。そして祝福を受けるのです。 今までなぜ統一教会はそれができなかったのかというと、もしそうしていれば打たれて死んだのです。三十年前にもしそれをなしたと考えてみなさい。そうでなくても黙っていなかったのです。ですから、私が働いて充当してきたのです。今からお母様を立てて、女性時代宣布とともに家庭定着、世界平和家庭連合になる時は、血統転換をしなければなりません。祝福を受けずしては家庭連合へ入っていけないのです。 アダムとエバが堕落する前には、所有権は神様にありました。しかし、堕落したアダムとエバの後孫たちが天の所有権を悪魔に持っていかれたので、これを蕩減復帰しておかなければなりません。これを知っている悪魔は、共産党を中心として国家所有七十年歴史を通じて全権力を行使していたのですが、皆壊れていったのです。誰ゆえに壊れたのですか? 私の手によってです。 今日、共産党を滅びるようにしたのは誰でしょうか? アメリカの政府ではありません。アメリカも滅びていくのです。この前、『ワシントンタイムズ』の創立十周年記念の式典に行って、堂々とそのような話をしたのですが、頭が大きく、目の青い人々は誰もが口をポカンと開けたまま何も言うことができないのです。それは事実だからです。 皆さん、祝福を受ける前に何をしなければならないのですか? 堕落によって血統が転換して、所有権と心情圏の破綻された世界になったのです。今や家庭定着時代が訪れる時になりました。今の自分の所有は自分のものではありません。これから、自分の思いどおりにできないようになるのです。七〇パーセントから九〇パーセントが全部、税金で奪われていくのです。そのようにして国家所有時代へ越えていくのです。統一教会は、いまだ国家的基準で伝授されていません。統一教会の聖別された祭壇や万物は、皆さんの家を売る前に売ることはできないのです。 韓国の世界日報は、南北統一の正論紙としてつくったのです。この国が腐ったので、それを防御するためにつくったのです。今や世界日報を読まない人は女性連合を通じて、そのままにしてはおかないのです。朝鮮日報、東亜日報では、「大変なことになった。今後、文総裁が祝福して女性たちを収拾する日には、我々は滅びる」と言うでしょうが、滅びなければなりません。今まで国家が誇ることのできる文総裁の世界的偉業も、国家と国民を欺瞞して、真っ昼間から強盗のようなことをしてきたではないですか。私は昨日も、ある人に統一教会を堂々と発表しなさいと言いました。日本においても、共産党と左翼の巣窟を埋めるために犠牲になってきたのです。統一教会は、どの国にであっても、その国家に利益をもたらすようにしてきました。私は大韓民国に損害を及ぼしたことなど、何一つとしてありません。 かつて三清洞にあった館を、全斗煥大統領が奪っていったのです。しかし、私は第五共和国の基盤を築いてあげたのに、彼は私と約束したことも履行せず百潭寺に入ってしまいました。盧泰愚大統領も同様です。正義の人は、詐欺されることなどありません。正しい人は天下が保護するのです。私は恐ろしい人間です。一度決定すれば、誰の言葉も通じません。ですから今まで何度も監獄に入ったのです。エバ国家である日本の監獄にも入って戦いました。命を懸けて戦ったのです。北韓に行っても監獄で命を懸けて戦いました。南韓に来ても監獄で命を懸けて戦いました。アメリカに行っても監獄で命を懸けて戦いました。すべて何のためかというと、神様のみ旨をこの地上に残そうとしたからです。 私たちは、本然的父母のみ旨をこの地上に残すために行うのですが、悪魔は絶対否定的要素をもってやって来るのです。これをそのままにしては死ねません。千秋の恨みを抱いて死んでも行うのです。そうすれば、もし倒れても神様が再び立てることができるのです。私の意志によってそれを避けようとして、偽りの歩みをしてきたことはありません。正々堂々とやってきたのです。このように見た時、統一教会にも、あやしげな群れが多くいます。町内に統一教会の看板を掲げないでいる人が多くいます。旗を掲げなさいと言ったのに旗を掲げなかった人は手を挙げてみなさい。旗を掲げた人は手を挙げてみなさい。これしかいないのですか? ご父母様の写真に侍らなかった人は手を挙げてみなさい。これは何ですか! モーセの時代に、ヘビにかまれた人々がモーセの銅のヘビを見て助かったことと同じことなのです。ご父母様の写真に侍って統一旗を掲げれば、町内からはのろわれるのですが、統一教会の人々が集まって天のために侍ることのできる位置が立つのです。氏族のメシヤとしてそのような業をしなさいと言って送ったのに、それができないので私が一二〇名集めて気合いを入れ、メシヤ宣布式をしなさいと語ったのです。 統一教会の暗行御使 神様の永遠なる祝福を宣布できる基盤ができたので、「七・一節」宣布の六十日後に、その基盤の下で氏族のメシヤを送りました。その基盤がなければ氏族的メシヤを送れません。先生が皆さんに勝利の覇権を与えて帰っていくようにしたのです。その時、既成教会では「統一教会は全部、故郷に帰っていって滅びた」と、礼拝で喜んだという話を聞きました。そのように統一教会は滅びましたか? (いいえ)。このような戦略的なプログラムがあるので、いかに追われて逃げ回るとしても、統一教会の先生とお母様を愛する限り、文総裁を愛する人々が援助してくれるのです。「あの人たちはなぜ、統一教会に入って何十年も乞食のようなことをするのですか」と。乞食のようなことをするほど福があるのです。私も避難する時は、乞食のようなことをしてきました。統一教会の中で乞食のようにならなかった人はどこにいますか? 乞食のようにならなかった人は、今から乞食のようにならなければなりません。 韓国の中でも、慶尚南北道の人々は統一を願わないのです。もし統一されれば北韓の人々を食べさせてあげ、生かしてあげなければならないからです。すべての財産は自分のものだと思っているのです。ですから今後、慶尚道の人々は乞食の群れのようになる日が来るのです。皆、日本に送るのです。全羅道の人々は日本に行って基盤を築いたのです。高官の中で乞食が何ですか! 馬の印のついた碑を腰につけて歩き回る人は乞食ですか? (暗行御使です)。(注・李朝時代に隠密の役目を持って乞食のような姿で全国を回って悪を摘発した人々)日本の暗行御使をつくって慶尚道の人々を一時、使おうと思います。ですから、乞食のようなことをしなければなりません。 金明大はどこにいますか? (はい)。この人は、日本で乞食のようなことをしていたのですね。柳寛順精神を高めるためにそうしたのです。一年半の間に、教育しなければならないのです。そのために靴がすり減っても、お金がなくなっても歩き回らなければならないのです。昔、先生も苦学をしながらそのようにしたのです。私は苦学をしながらも、友達が困っている時にはお金を稼いで学費を出してあげました。重労働をして稼いだのです。他人が三日かかることを一日でやるのです。それでその友達は、先生に対して友達中の友達として侍ってくるようになったのです。他人の世話になるような人は、どこに行っても僕の生活しかできません。 皆さん、北韓に行ってみたいですか、行きたくないですか? (行ってみたいです)。中共に行ってみたいですか、行きたくないですか? (行ってみたいです)。ソ連に行ってみたいですか? (行ってみたいです)。では、何をするために行くのですか? 暗行御使になって行くのです。韓国の乞食として、高官の家に行って暗行御使の業をするのです。「アジアのどこにも行く所がなくて、この家に来ました。金日成が全部、捕らえて殺そうとするのです。同情してください。私は、南韓のなにがしです」と言うのです。所属は明らかにしないのです。そうして御飯を一杯もらって、その国の報告の内容に入るのです。そのようにして国家を解放しなければならない時代が来るのです。 私は、無慈悲な人間なのです。この目を見てください。正義のためには無慈悲な人間なのです。金日成は目が大きいのです。話をしても、耳にしこりが残ることなしに流れていってしまいます。彼は途中で破産する人なのです。しかし私はそうではありません。この目を見てください。ここが長いのです。鳳凰の眼が長いということは、何を意味するのか知っていますか? 天下を従え治めることができるのです。天下を占うことのできる能力があるというのです。 ですから私は、他人が皆、滅びるような世界でも滅びずに堂々と、世界の頂上にまで上がってきたのです。そのような何かがあるのです。そのような先生に、皆さんのような人々が道端から導かれてきたということを知らなければなりません。それが、暗行御使なのです。 真の父母の武器とは、真の愛と真の生命の種 統一教会の中で、先生が嫌だという人は手を挙げてみなさい。では皆、好きなのですか? (はい)。私は女が嫌いです。私は女のゆえに、どれほど髪が白くなったことかしれません。女を生かしてあげようとしたからです。私はお母様によって生きているので、仕方なしにがまんしているのです。そうでなければ、刀でもって全部切ってしまいたいほどです。自分たちが誤ったのに皆、私におっかぶせるのです。 私は女の血を吸って生きる人でしょうか、女を解放する人でしょうか? (解放する人です)。血を吸って生きる人かも知れません。(違います)。死んで霊界に行けば分かります。(今も分かります)。本当ですか? (はい)。分かるということは、世話になったということですね? (はい)。世話になったのであれば、お返しをしなければなりませんが何を返すのですか、何も返さないのですか? (返します)。何をもって返すのですか? (み言どおりに生きようと努めます)。ああ、それは止めてください。世話になったのであれば、何をもって返すのかというのです。お金をもって返す必要はありません。真の愛をもって、あなた方の息子娘とこの民と大韓民国の南北統一をもって、世界万民のために返すことが神様の願いなのです。 真の父母という方は何をする人かというと、南北に分かれたことを統一するために真の父母が必要であり、洋の東西で争うこの世界を平和世界へとつくり替えるためにも真の父母が必要なのです。それでは、真の父母が持って来られる武器とはどのようなものでしょうか? それはただ一つ、真の愛、真の生命の種以外には何もありません。分かりますか? 文総裁が持っている宝物の中の秘密は何かというと、真の愛の主人としての、真の生命の種なのです。その真の愛と真の生命は、どんなにお金を出しても買えないのです。生命を懸けなければ得られません。それで、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」と言うのです。 今まで、統一教会の中で自分の家族が泥棒のようなまねをした人々は、私が逆さまにして皮をむくかもしれません。天の伝統を立てるためには、そのようなことも許さざるを得ない一日が訪れるのです。もし天が願うならば、それ以上の道を行かなければならないのです。私は何一つとして未練を持ちません。私は、父母や妻子を捨てた人間なのです。国を捨ててこの業を成してきました。そのことをはっきりと知らなければなりません。 それで、神様祝福永遠宣布式を行うことによって、父母の特権でもって氏族的メシヤとしてイエス様が失敗し、アダムが失敗したすべてを、家庭的な基盤で復活させることのできる権限を付与したのです。そして九十日が過ぎて、家族と共に北韓の金日成と談判をして、勝利の決定的立て札を立てました。ですから私が金日成に何を言っても、私に反対することはできません。約束どおりに行うしかないのです。 神様の永遠祝福を宣布したので、その権限の上に立ってそれを相続できる人間となり、自ら自粛し、自制しなければならないのです。自らを整備し、家庭と氏族基盤をつくって、天に侍って宴会の準備をしなければならないのです。にもかかわらず、それを泥棒しようとしているのです。先生の手を借りずに悪魔の巣窟を解放できるというのでしょうか、追放できるというのでしょうか? できないというのですね。ですから、このようにサタンが後退してしまったのです。そうでしょう? (はい)。今がどのような時であるか皆、分かったでしょう? (はい)。目の前に皆、見えるでしょう? (はい)。なのにまだ眠っているのですか? さあ、そのようなことが分かれば、七月末まで全国の統班撃破大会を完全に終えなければなりません。ソウル市から始めるように、すべてを先生が決定しました。皆さん、するのですか、しないのですか? (します!)。すべての仕事を停止してもしなければなりません。会社が何ですか、就職が何ですか、子供が何ですか! 避難民のような身の上でありながら、息子娘を育てて何をするのというのですか? しっかりしなければなりません。 南北統一しなければ、私たちの国は誕生しません。私は、南韓だけの国など願いませんし、北韓だけであることも願いません。皆さん、金日成が語ったことが何だと思いますか? 私は、それを聞いておどろきました。「南韓が責任を果たせないようであれば、北韓が責任を果たして『死なんとする者は生き、南韓の福まで受けることができる』ということが、文総裁の理論的観なのですね」と言うのです。さらに、「文総裁に私が協助すれば、南韓政府を逆に引っ張っていくこともできるのです」と言うのです。何の話か分かりますか? 「文総裁。あなたが言われるならば、何であってもそのようにします。私が生きるためにも、そうしなければならないということを知っています」と言っているのです。皆さん、どうしますか? 政府も私の教育を受けなければならないのです。党もそうです。今後、教育を受けていなければ、南北統一時代の国会議員にはなれません。文総裁の教育を受けてこそ、南北統一時代の国会議員にもなることができるのです。分かりますか? 今後、統一教会の文先生と関係づけられている人であれば、八〇パーセントが当選します。嫌でも当選します。今から何回かの選挙をしているうちに、統一教会の人々が全部掌握するようになるのです。理論的にも共産党を知っており、世界情勢もよく知っている人々が先頭に立つようになっているのです。 統一教会の人々を組みしやすいと思ってはなりません。この社会で仕事をしてきたという人たちも、私たちの女性連合には一人も勝てないのです。三年以上着のみ着のままで歩き回って、ありとあらゆる訓練をしたのです。これから、町内でもって民族正気の方向を正して新しい歴史をつくるのです。今まで一人を伝道するためにも、どんなに冷遇され、どんなに無視されてきたことでしょうか? 一人に出会うために、十里百里千里の道を歩き回った人もいます。 今や、数千名が座って皆さんを待っているのに、なぜできないと言うのですか! 皆、そのような訓練をされているのです。問題ないですね。女たち! 問題ありますか、ありませんか? (問題ありません)。問題があれば、そのままにしておかないのです。年長者であれ、おばあさんであれ同様です。全部、私の言うことを聞かなければなりません。私たち統一教会の信徒たちは、それがちゃんとできているのですね。 伝統的生活哲学 きょうは、「七・一節」です。歴史的な解放の時代に入りました。かわいそうに今日まで、歴史的にも一番拘束されていたのが女性なので、男性と共に女性解放という天下の女性を中心として統合するための世界平和女性連合を創設したのです。それは、よかったですか、まずかったですか? (よかったです)。では、誰がそれを主導しているのでしょうか。私が主導していますか、お母様が主導していますか? (お父様です)。お母様なのです。お父様とは何ごとですか! お母様が指導して、私は後ろで応援しているのです。お母様に一度拍手しましょう! 皆さん、ありがたいことに、「七・一節」の祝日が誕生することによって、お母様が現れたのです。それで氏族的メシヤを配置して、金日成と対決して屈服させ、その後、南韓に戻ってきて初めて先生の名前が世に出たのです。今や五〇〇〇年の歴史、檀君以来の愛国者は、文総裁以外にはいないということが韓国の民族的公論なのです。違っていますか? (公論です)。今回のことで文総裁がいかに立派であるかということを皆、知ったのです。 今までは、男たちが激しく反対してきたのですが、誰もお母様のことはよく知りませんでした。そこで今回お母様を立てて講演をするようにしてみますと、お母様は天下一であり、その声は億千万金を与えても買うことができないものだったのです。最近、歌の上手な人々が自分の声を保護するために保険に入るので、お母様も声が枯れないようになぜ保険に入らないのですか、と文総裁に言って来る人もいるのです。 私は今まで、お母様は容貌がいいとは思わなかったのですが、多くの人々が容貌がいいと言うので、私もお母様は容貌がいいと思うようになりました。(笑い)なぜかというと、私が容貌のいい美人のお母様と一緒に住んでいるというようになれば、他の人々が、「やあ、文総裁は幸福だ」と言うからです。私は、そのような話は聞きたくありません。そのような幸福は何かというと、自分の幸福なのです。彼らのいう幸福というものは、目立つものです。しかし、私はそう思いません。対等なものなのです。そのような言葉は聞きたくありません。 では、お母様が幸福でしょうか、文総裁が幸福でしょうか? 率直に答えてください。(お二人共に幸福です)。二人のうちでどちらが幸福なのですかと聞いているのに、二人が全く同じであり得ますか? どちらですか? お母様が幸福でしょうか、先生が幸福でしょうか? 神様は、自分の愛する相対がもっと幸福であることを願うのです。ですから私も、お母様が私よりも幸福に感じることによって満足するというのです。そのようなことが神様の創造原則なのです。ですから、先生よりもお母様がもっと幸福でなければならないというのが原則です。 それは、原理的な話です。私はそのように考えるのです。ですから、私はその人が美人だからといって、「あなたは、美人です」と、そのように見ることはしませんでした。それで最近になって、「私は本当に美人ですか」と、テストしてくるのです。それで、仕方なしに眼をこのようにして、「美人であるということは、美人なのでしょうね」と、こう言いました。(笑いと拍手)事実、先生はどんなに多様な男でしょうか? おばあさんに会っても上手に二十四時間話をするし、小さい子供たちとも何日間もよく遊ぶし、小学校の生徒たちともよく遊ぶし、大学生たちともよく遊びます。私が友達になってあげられない人はいません。ですから子供たちまでも皆、私を好きになるのです。 これからは、皆さんの眼から鶏の糞みたいな涙がポトポトと落ちなければなりません。そのように生きてこそ、民族の同情も受けることができるのです。戦う時は、涙を流して戦わなければなりません。そのような人が隊長になれば、名隊長になれるし、将軍になれば名将軍になれるのです。私はそのような人々を育てていこうと思うのです。先生のそのような目的を知って、各自がその目的達成の訓練に精進することをお願いします。(アーメン)。「七・一節」のこの日を記念して、神様の永遠なる祝福が万年皆さんの家庭とともにありますことをお祈りします。アーメン。(アーメン)。(拍手) どうか、悪口を言われるような父母になることなく、悪口を言われない父母になって文総裁の教えを通じて後孫たちから新しい世界が始まる日には、そこから天国の出帆が始まるのです。アーメン。(アーメン)。そこから天の国の民になるのです。(アーメン)。解放の王子王女になるのです。アーメン。(アーメン)。そのようにして、残された戦いの場に行って勝利することをお願いいたします。 私がアラスカで語ったことは、「終始如一という言葉を、私たちの前からは消してしまおう」ということです。今までは終始如一できなかったということなど、文総裁には通じません。私は一生涯、終始如一ではありません。始小終大です。そのような思想です。私から出発したものは、大きくなったとしても小さくなることがありません。私は威信を立てるために自分の持てるすべての精誠を尽くすのです。ここにいる者たちが責任を負えなかったので、王の立場で骨を削って仕事をしてきたのです。それで、一年八か月が過ぎました。 私を捕らえて監獄に押し込んでも、始小終大の思想なので絶対に後退しないのです。常に大きいものに向かってぶつかって行くのです。ぶつかる時、この位置を誰が守ってくれるのかというと、神様が守ってくれるのです。神様が主体になるのです。分かりますか? 私は監獄に入っても、その心を捨てず、また死地を行くとしても、天が引き出して相対的位置に立てて、東西南北四方へ自由解放圏の新しい道を限りなく開いてくださるのです。 統一教会の文総裁は世界的に迫害される中において、斬進的実績、付加的実績を整えて、世界的基盤を築いてきた伝統的生活哲学を持っていることを知らなければなりません。他の人々は、白雲台に登る時、そのまま登っていきますが、私は、「一、二、三」と、一歩でもプラスさせて行くのです。夜、眠る時も、他の人々は十二時になると眠るのですが、私は十二時一分に眠るのです。もし、きのうを楽に過ごしたならば、きょうは楽に過ごしたきのう以上の位置で、倒れてもその道を行くのです。ですから文先生が行く道には失敗がありません。分かりますか? (はい)。郭錠煥、分かりますか? (はい)。国進、お父様の話が分かりますか? (はい)。 世界平和女性連合と世界平和家庭連合 今回の世界平和女性連合発起大会が終われば、それでもって終わったと思わせて、その次に行うことは何も話さないのです。それを話せば皆さんが引っ繰り返るからです。 日本の女性たちも五〇〇〇名以上がやってきて、先頭に立ったのです。このように、日本の女たちが先頭に立ったので、韓国の女たちは引っ込むことができません。仕方なしにでもやらざるを得ないのです。それでやってみると、オリンピック競技場が満席になったのです。十五万名だって? 先生が今まで三十年間、三泊四日の教育を行い築いてきた基盤が一〇〇万以上なのです。一日教育を受けた人々は四〇〇万~五〇〇万になるのです。 統一教会に、乳飲み児や幼稚園児たちが集まっているので、町内の人々が「これは何のための集まりですか」と言うのです。先生が来られるというので、どこからか雲のように押し寄せてくるのですね。 今回は先生とお母様が来られるというのですから、もっと関心がありますか、ありませんか? (もっと関心があります)。お母様は、影法師のようであり、何もできないと思ったのにラッパも上手に吹くし、踊りも上手に踊るし、拍手も上手に合わせるのです。また、講義をしても前後がぴったりと合っているのです。先生のほうが教えられるほどです。 既成教会では、「家庭破綻の魁首であり、他人の息子娘を連れていってしまう!」と言っていたのですが、女性をこのような貴い王女に育て、息子娘を教育して父母に孝行を尽くし、国に忠誠を尽くして、南北を統一する先発隊として出陣できるようにしてあげたのです。それで父母たちが、自分たちも加入すると言うようになるのです。父母、息子娘、四位基台の出動命令が成されることは、歴史以来、私たちの家庭しかないのです。(アーメン)。(拍手) 世界平和女性連合にはまだ中実がないのです。その中実が何かというと、これから出てくる世界平和家庭連合なのです。それで四位基台が完成するのです。神様の創造理想は何かというと、み旨の完成であり、神様のみ旨は、神様の創造理想完成なのです。創造理想完成とは四位基台の完成であり、四位基台完成によって、父母、息子娘が全部一つになって、神様が踊れば共に踊るようになるのです。神様に合わせて踊ることもできるし、歌うこともできる世界が神様のみ旨の完成なのです。 神様が、「文総裁を中心として女性解放運動を行え」と言えば、直ちに行うのですが、今や文総裁はお母様に侍って歩き回るのです。考えてみてください。アメリカから帰ってきて疲れているのに、家に入ると十一時になり、食口たちを集めて少し話をして御飯を食べると十二時二十分になりました。十二時二十分に出発して三時半に全羅北道の裡里市に到着しました。それのような道は、僕の行く道でしょうか、主人の行く道でしょうか? お母様、どうでしょうか? その夜は眠って朝出発しても充分なのに、夜中に行くべきなのでしょうか? そして、自動車事故が起きたのです。京釜線で一番速い列車は何ですか? (セマウル号です)。北に向かって走っている二輌編成の車輌が目の前にパッとふさがったのです。それで私が叫んだので、どうやらそこを越えることができました。「ああ、ここには事故が起こり得る何かがあるな」と考えました。すると、今回この期間に、教区長が正面からトラックにぶつかって即死して霊界に行ったのです。ゆっくりと走らなければならないといっても、十二時を過ぎて二時、三時になったのに、ゆっくり走れと言うことができるでしょうか? 「早く走って四時前には到着しなければならない」と言って走ったのです。それでは、まるで僕の子供のようなのです。そうですね? 統一教会の文教主が、お母様に対して僕の役割をしているのです。そうしなければならない時なのです。 自らが僕の役割をしてこそ、世界中の男性たちも「妻に侍りなさい」と、教えてあげることができるのです。息子娘が全部、天の国の福を受ける王座に着いているので、「夜を徹してしっかり講義しなさい」と、侍って祈るのが僕の位置なのです。今後、女性が本来の位置を確立する時が訪れるので、その伝統を立てようとしている先生であることを肝に銘じなければなりません。(アーメン)。終始如一ではなく、始小終大として行く道は、日がたつにつれて繁栄するのです。 迫害とは、怨讐の所有権を相続する第二の秘法だと話してきたように、既成教会の迫害も、四十年が終われば、そのすべての福が私たちのポケットに皆入ってくるのです。国の迫害も四十年が過ぎれば、その福が皆、私たちのポケットに入ってくるのです。ですから今や大韓民国の民は、八〇パーセント以上が文総裁を尊敬しているのです。分かりますか? 神様は打たれて奪ってくる戦略戦術を使われるのです。 尹博士! 成和大学では打たれて奪ってくる業をしますか、打って奪ってくるのですか? (打たれて奪ってこようとします)。言葉ではやさしいのです。私が語った言葉が何の話なのか、よく考えてください。大韓民国の政府も、「文総裁は、大きなことばかり言っているだけでどういうことはない。しがない存在で終わるだけだ」と思っていたのですが、それは大きな思い違いです。私が風を巻き起こす日には、この国が目茶苦茶になるのです。まだ時が来ていないので、このようにしているのですが、私にはソ連人を約五万名動員することもできますし、中国人約五十万名を動員することもできますし、日本人約五十万名も動員することもできるのです。そうなれば、大韓民国はどうなるでしょうか? だからといって、私はそのようなことをしようとするのではありません。自然にそうなるのです。 私が夜眠っている間にやって来て、朝になるのを待って自分たちのすべての過去を清算し、「新しい朝を迎えることのできるように、私たちも同席させてください」と、祈ることのできるその日の来ることを願うだけであり、他を退けて自分たちが行く道を奪おうとするのではありません。もし奪おうとすれば、既に奪っていたはずです。 そのようなことをよく知って、み旨を中心とした最後の使命を成さなければなりません。皆さんがその時を逃さず、任せられた責任遂行に充分な勝利的位置を占めることのできる人々になることを祈ります。そのようになれば、生き残れるのです。「お祈りします」と言えば、それで終わりになるのです。ですから、そのような試験が残っているのです。 きょう、「七・一節」を中心として、神様の祝福永遠宣布の基準の相続を受けることをお願いいたします。先生が築いてきた権威を、皆さんの家庭に与えようとするこのすべての祝福を、伝授され得るような家庭の基盤になることを願いながら、この日のすべての話を終えようと思います。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.03.10
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第14回神統一韓国平和フォーラム(22.03.11)第14回新統一韓国平和フォーラム(2022.3.11)午前9時ヒョジョン文化院文化ホールとtv.peacelink.live韓国語のみの配信のようです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.03.07
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「理想世界の主役となる女性 II」日付:一九九二年六月十日場所:韓国、ソウル、リトルエンジェルス芸術会館行事:全国四十カ所市郡区大会(真のお母様) 満場の女性会員、同志の皆様。私はきょう、「世界平和女性連合」の総裁の資格をもって皆様の前に出ることができたことを大変うれしく、また光栄に思います。きょうのこの大会を準備してくださったすベての女性会員と後援会員、および日本から来韓された皆様に深く感謝を申し上げます。 私がきょうお話しする題目は「理想世界の主役となる女性」です。皆様、誰かに「この世の中は善の世の中ですか、悪の世の中ですか」と問われたら、皆様は何と答えますか。間違いなく悪の世の中だと答えるでしょう。私たちが生きているこの時代の世の中だけが悪なのではなく、過去、歴史時代のすべての国と世界が悪だったと言わざるを得ません。 ですから、善行よりも罪悪が、平和よりも戦争が、正義よりも不義が、愛よりも憎悪が、統一と和合よりも分裂と葛藤が、より猛威を振るう世の中になっているのです。 人類は、このような罪悪の世界を誰も望んでいません。ですから人類は、いかにすればこの罪悪の世界を清算し、平和と自由と幸福があふれる真の愛の理想世界を創建することができるかということを追求せざるを得ないのです。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界のすべての構成員や指導者が一様に望んでいることも、平和と自由と幸福があふれる世界を実現することです。人類の歴史が始まって以来、数千年の間、このような夢と理想に向かって身もだえしてきましたが、いまだに人類が望む理想世界は実現していません。 私はきょう、この問題に対する根本的な原因を皆様に明らかにしようと思います。併せて、私たち人類が何よりも願ってやまない理想世界を実現できる解答が何であるかを提示しようと思います。これは、人間の知識や思考の結果として生まれ出た内容ではありません。既に皆様がすべて御存じのように、私の夫、文鮮明牧師は、一生をかけてこの問題を解決するために献身してきました。私は、そのような夫に仕えて暮らしながら、その教えと神様と人類を愛するために実践躬行する生き方に、あまりに多くの感化と感動を受けました。夫に仕えて暮らしながら、真理に対する深い悟りを得、夫の人格と人生から絶えず感化と感動を受けたならば、それは世の中に広く知らせるべきでしょう。なぜならば、今日のこの世界が犯罪と闘争と退廃が荒れ狂う悪の世界になってしまった根本原因は、ほかならぬ夫と妻の根本的な関係の破綻と不和に起因しているからです。 今日、この地上に人類が暮らしていますが、突き詰めれば、二人の人が暮らしているのです。男性と女性、すなわち夫と妻という二人の人が暮らしているということです。無数の人間が共に暮らしながら、あらゆる関係と問題を起こしていますが、そのすベての問題の核心は、男性と女性、この二人の間の関係と問題なのです。このように見るとき、私たちは、神様が人類の最初の先祖をこの地上に創造されるときにお立てになった、人間の男性と女性の行くべき天道が何だったのかを探らざるを得ません。 三大祝福を下さった神様 聖書の創世記の記録によれば、神様が天地を創造されたのち、最後に人間始祖である男性のアダムと女性のエバを創造され、彼らに三大祝福を下さると同時に、責任分担も下さいました。三大祝福とは、すなわち「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」というものでした。そして、彼ら二人の男性と女性に「善悪の実を取って食べてはならない!」という責任を一緒に下さったのです。 これは、神様が人間とこの宇宙を創造された目的が何であるかを教えてくれる内容であると同時に、人生の根本を明らかにした内容でもあるのです。「生めよ」という祝福は、すべての人間は、地上に生まれ、完成した人格者として成長しなければならないことを意味します。完成した人格を備えた男性と女性が夫婦の関係を結び、子女を生んで育てる父母の道を行くようにしたことが、人生の二つ目の祝福です。そして、家庭を率いていく夫と妻、すなわち父親と母親がその道理を果たしながら、この世界をより便利で豊かな福地世界として建設し、地上天国を立てることが神様の創造目的なのです。この創造目的は、人間始祖が「善悪の実を取って食べてはならない」という神様の戒めを守ってこそ成就されるようになっていました。ところが、人間始祖であるアダムとエバは、完成した人間になる前、すなわち未成年の時期に神様の戒めを守ることができず、天使長の誘惑によって堕落し、全人類に悪の血統を受け継がせたのです。 人類が抱えている不幸と悲劇 皆様。神様が人間始祖アダムとエバに「取って食べてはならない」とおっしゃった善悪の実とは何でしょうか。それは木の実ではありません。それは正に、人間始祖が将来、夫と妻として結婚するときに実るその愛が未成熟な段階にあるときに、第三の存在によって誘惑されて不倫な性的関係が起きてはならないことを意味しているのです。 実際にエデンの園には、アダムとエバ以外に第三者として天使長がいました。聖書では、エバを誘惑して不倫の罪を犯した天使長についてルーシェルであると明らかにしています。これがまさしく人間始祖の堕落であり、人間世界に罪悪の根を下ろすようにした原罪なのです。したがって人間は、天地の大主宰者であられる父なる神様のみ前に不倫の罪を犯し、人間始祖のときから、不倫の愛で子孫を生む悪の世の中を築いてきました。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界へと拡大した人間社会には、いつどこでも、この男性と女性の不倫関係による悪の血統が根を下ろし、それがこの世を地上地獄につくりあげ、犯罪と戦争と恐怖があふれる偽りの世界にしてしまいました。堕落した人間始祖アダムとエバは、人類の永遠の善の先祖として、真の父母の位置を確定しなければならなかったのですが、悪の血統を残した偽りの父母に転落してしまったのです。これが正に全人類が抱えている不幸と悲劇の第一原因なのです。 この世界の全人類が真の父母を失い、偽りの父母の子孫になったこと以上に悲惨で憤慨すべきことがどこにあるでしょうか。人類の父母であられる神様としても、真の人類の始祖を立て、善の人類を生み殖やそうとした創造目的が、人間始祖の不倫の堕落によって全人類を罪悪の血統に転落してしまったその悲しみと苦痛はいかに大きいでしょうか。 原因を知ってこそ治療ができる 疾病に苦しむ人を救うためには、その疾病の原因を探り出して治療しなければならないのと同じように、人間社会がこのような罪悪と不幸の苦痛から解放されるためには、この罪悪と不幸の根本原因を明らかにして治さなければなりません。その根本原因こそが人間始祖の堕落、すなわち原罪です。したがって、原罪という病気の原因を除去しなければ、人間世界から罪悪と不幸の根を抜き取ることはできないのです。どんなに多くの偉人や英雄、博士学士、政治家、哲人が現れて、法律や制度の改善、倫理道義教育などでこの世界を正そうとしても、人間堕落の原因、すなわち原罪を解明しなければ、それは不可能です。どんな薬を使っても効き目がありません。罪悪と不幸の根本の根が生きており、引き続き生えてくるからです。 しかし、宗教では私たちに人間が堕落したという事実を教え、この堕落の内容を明らかにして人間を罪悪から完全に救援しようとされる神様の摂理を直接、間接的に教えてくれています。ですから、すべての宗教は、この罪悪世界を善の世界へと変化させ、救援する最も積極的な処方なのです。 「宗教」という言葉は、すべての教育と教えの中で最高の教えであるという意味です。孔子、釈迦、イエス、ムハンマドのような四大聖人の教えをはじめとした各宗教の創始者たちの教えは、時代と環境を超越して人間の良心と道徳を守り、文化を発展させてきた原動力でした。したがってすベての宗教は、罪悪の世界を清算し、神様と人間が望む理想世界建設のために共に働く存在であり、協力者なのです。その中でも、神様の救援摂理が最も直接的に啓示されている経典が、正にユダヤ キリスト教の聖書です。 罪悪の血統を清算する復帰摂理 聖書によれば、人類の歴史は、人間始祖アダムとエバが堕落し、偽りの父母となることによって喪失した神様の創造目的を再び回復しようとされる復帰摂理であることを知ることができます。偽りの父母になったアダムとエバに代わり、全人類を生み変えるために、メシヤ、すなわち真の父母が来られなければならないというのが、聖書でいうメシヤ思想の要点です。 アダムは人類の真の父にならなければならず、エバは人類の真の母にならなければならないというのが、神様の創造本然の目的でした。この創造目的を再度原状回復するために、神様はアダムを再創造される摂理をせざるを得ないのです。これがまさしく、イスラエル選民を準備してイエス様を誕生させた摂理の骨子です。 神様は、アダムとエバが堕落してサタンの血統を中心とした人類が生み殖えると、すぐに善と悪の血統を分立する役事を行われました。アダムの家庭で、神様の相対的立場にいる次子アベルと、サタンの相対的立場の長子カインを分立し、カインがアベルに自然屈伏するようにさせることによって、創造本然の秩序を原状回復しようとされたのですが、カインがアベルを殺害することによって、長い間にわたって善悪分立の闘争歴史が展開するようになったのです。 ノア、アブラハム、イサクを経てヤコブの代になり、母リベカの協助により、双子の兄エサウを自然屈伏させることによって、ヤコブはイスラエル選民を立てる決定的役割を果たしました。ヤコブの息子ユダにより、その嫁タマルはペレズとゼラという双子の兄弟を身ごもりました。ペレズは、タマルの腹中でゼラと争い、先に生まれようとするゼラを押しのけ、自分が先に生まれた息子です。善悪闘争である長子と次子の争いは、腹中で弟が兄に勝ち、長子として生まれる腹中復帰を成就させたのです。 腹中復帰によって生まれたペレズの血統を通じて約二千年後に誕生したお方が、メシヤとして来られたイエス様でした。イエス様を身ごもり、生むときには、母マリヤの命を懸けた冒険と精誠がありました。神様の救援摂理は、すなわち復帰摂理なので、サタンになったルーシェルの誘惑によって不倫な性関係を結んで堕落してしまった結果、人類に伝承された罪悪の血統を清算する、そのような復帰摂理を行わざるを得ませんでした。それが正に、カインとアベルからイエス様が誕生されるまでのイスラエル選民の歴史だったのです。 したがってイエス様は、堕落によって偽りの父の立場に落ちたアダムを、善悪分立闘争の復帰路程を経て蕩減復帰した基台の上で、人類の真の父、すなわち第二の善の人類始祖として来られたのです。ですからイエス様は、その相対格であるエバの立場にいる女性を復帰して夫婦となり、子女を生み、万物を主管される位置まで進まなければならないのです。これがまさしくイエス様がメシヤとして来られた目的でした。 アダムとエバを創造され、「生育せよ、繁殖せよ、万物世界を主管せよ」とおっしゃった神様の三大祝福を復帰するために、イエス様がメシヤとして来られたということです。イスラエル選民は、父として来られたお方をメシヤではないと不信し、十字架で処刑してしまいました。 これはどれほど啞然とする親不孝であり、途方もない罪悪でしょうか。十字架で亡くなられたイエス様は、再びこの地上に来ると再臨を約束され、それと同時に「再び来るときは新郎として来るので、地上の人類は新婦の装いをして待たなければならない」という内容を語られました。 ヨハネの黙示録第十九章を見ると、そのイエス様の再臨は、地上に来られ「小羊の婚宴」をされると記録されています。これは正しく、エデンの園のアダムとエバが堕落していない家庭を築くために、真の夫婦と真の父母の位置を復帰するという内容なのです。 再臨のメシヤは韓国に来られる きょう、この女性大会に参加してくださった会員ならびに女性同志の皆様。私たちの家庭を破壊しようとするすべての性犯罪と不倫、退廃が蔓延するこの社会を、何をもって、またどのように正すことができるのでしょうか。もし、この性の問題を解決できなければ、人類社会はソドムとゴモラのような滅亡を自ら招いてしまうでしょう。既にこの審判の火は降り始めています。エイズという恐ろしい性病こそ、性道徳の紊乱に対する天の懲罰であり、警告です。 イエス様は、この罪悪の世の終わりの日になれば再臨するとおっしゃいました。再び来られるイエス様は、人類の父として来られ、この世のすべての男性と女性が行くべき真の子女の道、真の夫婦の道、真の父母の道が何であるかを示してくださるはずです。そうしてこそ、人類の原罪によってもたらされた淫乱や退廃問題が根本的に解決されるようになります。これこそ、人類をこの罪悪世界から救援してくれる真の福音にほかなりません。 人類が真の父母、真の夫婦、真の子女の道を喪失することによってもつれてしまった罪悪歴史を清算するその道を教えることが、メシヤ、救世主の使命です。私はきょうこの場を通して、私の夫、文鮮明総裁こそ、一生をかけて、このメシヤ、真の父母の道を開拓してこられた方であることを満天下に宣布いたします。皆様がよく御存じのとおり、私の夫、文鮮明総裁は、これまで悪の世の中の激しい迫害の中でも、神様の創造目的を明らかにし、人間始祖が犯した原罪を究明することによって、人類の未来を開拓してこられた方です。 私の夫、文総裁の教えである「統一原理」によれば、すべての宗教人が待ち望む教主たちの再臨理想、すなわち弥勒仏、真人、新しい孔子の再臨とイエス様の再臨思想は、一人のメシヤ、人類の真の父母の再臨によって実現するものであり、すべての宗教も連合、統一するようになっています。 メシヤ、真の父母は、一部のキリスト教信徒たちが信じているように、二千年前に亡くなられたイエス様御自身が空中で雲に乗って再臨されるのではなく、イエス様の使命を相続した新たなお方がこの地上に誕生されるのです。その方の生まれる国は、我が国大韓民国であり、したがって人類の真の父母となられるメシヤは、驚くベきことに私たちと同じ言葉を使う韓国人として来られるのです。 それでは、メシヤは、いつ再臨されるのでしょうか。「統一原理」によれば、この罪悪世界が終結するときが終末ですが、再臨されるメシヤは終末に来られるようになっています。一言で言うと終末は、第一次世界大戦が終わった一九一八年から二〇〇〇年までの約八十年の期間に該当します。この期間は、人類の真の父母であられる再臨主が韓国の地に誕生し、罪悪と戦争と闘争に満ちたこの世界を、自由と平和のあふれる善の理想世界にしていく、世界史的な転換時代に該当するのです。 ですから、この時代は、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界に至るすべての構成員の相互間で善と悪の対立と闘争が展開される大混乱の時代となるのです。人類はこの期間に第一次と第二次の世界大戦を経験し、第二次世界大戦後には、民主と共産の両陣営間の絶え間ない対決と闘争がありました。その間、韓国は四十年の日帝植民地下、八一五解放と南北分断に続く六二五動乱の惨状を経験し、今日まで世界最後の分断国として残っています。 南北統一は世界平和と統一の鍵 韓半島の南と北は、人類始祖の堕落によりアベルとカインに分立されて蒔かれた善悪の種が、世界的な実となって現れた結実体です。すなわち、北朝鮮の共産主義は、歴史上に現れたカイン型のすべての人生観と体制の世界的な結実体として、宗教的価値観を否定する無神論共産国家を形成したのであり、それは世界の共産陣営を縮小し、代表したものです。 これとは反対に、韓国は、歴史上に現れたすべてのアベル型の人生観と体制の世界的な結実体として、宗教繁栄国家となり、自由世界を代表する国となっています。すなわち、全世界を善悪で分立し、善侧として分立された韓国が、悪側として分立された北朝鮮と最後の対決の場を形成する全世界の縮小版が韓半島なのです。したがって、韓半島の南北統一こそが、世界平和と統一の鍵になるのです。ですから、韓半島の南北統一は、単純な政治的事件や課業ではありません。これは、神様の救援摂理歴史の最終目的である地上天国の復帰、すなわち共生、共栄、共義の理想世界を実現する関門となる摂理史的歴史性を帯びており、地上世界を経ていった数多くの霊人たちとも関係のある立体的な課業なのです。 したがって、大韓民国の統一は、政治家だけで解決される問題ではありません。ですから、韓半島に絡み合っているこのような天のみ旨をよく知っている私の夫、文鮮明総裁は、皆様がよく御存じのように、一九九一年十二月の初めに、七日間の北朝鮮訪問を決行し、北朝鮮の統治者金日成主席と会い、韓半島の統一問題に関連した天のみ旨である天命を通告しました。 「『主体思想』では南北を統一することはできない。『神主義』と『頭翼思想』である『統一思想』によってこそ南北が平和的に統一され、全世界を主導する統一国家となる」と説破し、彼らの常套句となっている六二五北侵説に対しても、六・二五は南侵であると正面から激しく反駁したのです。 私は、夫に従って全世界を歴訪し、各国首班と数多く出会ってきましたが、先回の平壌訪問の時は、本当に悲壮な覚悟と深刻な決意をもたざるを得ませんでした。私たち夫婦は、ちょうど聖書に出てくるヤコブが、彼の命を奪おうとする兄エサウを千辛万苦の苦難と知恵と精誠で感動させ、最終的には彼の心を動かし、お互いが和解したように、この北朝鮮の金日成主席との談判を成功裏に成就させました。 今や南北統一は政治家だけに任せるものではなく、神様が干渉されるものになったのです。私の夫、文総裁は、今も全世界的な基盤を動員して、神様のみ旨どおりに南北統一を成就し、淫乱と退廃のない理想的平和の世界を建設するために、昼夜を分かたず努力しています。 満場の女性同志の皆様。きょう私が語ったメッセージは、私と私の夫に従っている統一教会員だけが信奉する内容ではありません。全世界百六十ヵ国以上の各界指導層の人士と数多くの青年男女がこの教えに従い、自由と平和のあふれる新しい統一の世界を創建するために汗水を流しています。世界各地で、大韓民国が人類の真の父母の来られた国として既にあがめられ始めており、韓国の言葉と文化を習い、礼儀作法を学ぶために我が国を訪ねてくる外国人たちが急速に増えています。 統一世界を成し遂げる女性勇士とならなければならない 「世界平和女性連合」は、性道徳の退廃、麻薬の拡散、淫乱で紊乱なあらゆる性関係によって私たちの家庭が脅かされているこの現実を救済するために、その根本的な処方をもって、去る四月十日、ソウルオリンピックメーンスタジアムで世界七十ヵ国以上の代表と十五万人の韓国の女性たちが集まって創設された世界的な女性機構です。 私たちは、男性が女性を抑圧してきた堕落した社会風土とすべての淫乱、退廃により腐っていく人類社会の未来を救うために、これ以上待つことはできません。真の父母、真の夫婦、真の子女の道理を学び、実践するための私たちの行進は、最終的に「世界平和家庭連合」を結成し、五大洋六大州のこの地球星のどこにも不倫と退廃が足を踏み入れることができないようにしなければなりません。そうして、人類がエデンの園で淫乱という原罪を犯して以来、今日まで苦痛を受けてきた悪の血統を清算した新世界を迎える準備を急がなければなりません。 今までは、人類を滅ぼしてきた淫乱と不倫に対して、誰もが手をこまねいているだけでしたが、今やこの問題を完全無欠に解決する希望の新しい真理が、私たちの生きているこの時代に、我が国韓国から出てきました。真の父母様によって明らかにされたこの新しい真理は、南北を統一し、平和の世界を建設する人類の灯火となるでしょう。私たちは、この新しい真理を知り、有史以来私たちを苦しめてきたこの罪悪の世界を終結させ、自由と平和と幸福のあふれる統一の世界を建設する女性勇士となるために総決起しましょう。 真の母の道を行きましょう。真の妻の道を行きましょう。真の娘の道を行きましょう。どうもありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ )
2022.03.07
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「神様の勝利戦略」日時:一九九二年五月二十一日場所:アメリカ、ワシントンDC、オムニ・ショアハム・ホテル行事:「ワシントン・タイムズ」創刊十周年記念式 内外の貴賓と「自由の賞」受賞者、ならびに紳士淑女の皆様。私は「ワシントン・タイムズ」の創設者として、「自由の賞」の受賞者に祝賀の意を表する次第です。 皆様は、自由守護のための業績を認められる資格が十分にある方々です。今夜、このようにして振り返ってみると、「ワシントン・タイムズ」の設立を決定した一九八一年当時のことが思い出されます。 共産主義の崩壊に決定的な役割を果たす 私と共に、当時の状況を回想してくださることをお願いいたします。「ワシントン・スター」が廃刊になることによって、アメリカの首都であり、自由と民主主義の世界的な灯火であるワシントンDCに、リベラルの代表的新聞である「ワシントン・ポスト」だけが残るようになった事実は、許容し難いことでした。 当時、「ワシントン・ポスト」が築き上げていた領域に、新しい保守系紙が挑戦するということは考えられないことでした。はっきりと申し上げますが、政治的影響力の増進や宣教の手段、あるいは個人的蓄財追求のために私がこれを行ったとすれば、「ワシントン・タイムズ」の設立は、それこそ誤った事業だったはずです。実際、私は、これまでの十年間、この新聞に十億ドル近い資金を投入しました。 私が「ワシントン・タイムズ」を設立したのは、ただ、この事業がアメリカとアメリカのユダヤ教とキリスト教の遺産を愛される神様のみ旨であり、神聖な計画であることを理解したからでした。 神様はアメリカに、伝統的価値観の崩壊から世界を救うための中心的役割を引き受けてくれることと、共産主義の脅威から自由世界を守ってくれることを望んでおられます。ですから、神様のみ旨成就のために全生涯を捧げてきた私は、アメリカがこのような摂理的な役割を遂行するに当たって責任ある指導力を備えさせるために、少しのためらいもなく、「ワシントン・タイムズ」を創刊しました。 今回の十周年記念式は、「ワシントン・タイムズ」が共産主義の崩壊に決定的な役割を遂行したことを祝って、アメリカと世界の将来を輝かしいものとするための行事です。私はこの機会に、世界の平和統一実現の原則を皆様に明らかにしたいと思います。 平和統一の根幹は真の愛 紳士淑女の皆様。この世で最も大切なものがあるとすれば、それは神様を中心とした真の愛です。皆様がお金や権力で買うことのできない何かがあるとすれば、それは真の愛です。 真の愛は、関係がつくられなければ実現できない特性があります。その関係とは、主体と対象という二つの存在が互いに与え合うことを必要とします。夫と妻の愛、父母と子女の間の愛、兄弟姉妹の愛は、そのような関係の中でつくられるのです。同様に、神様も、真の愛の理想を実現するためには、御自身の対象である宇宙を創造する必要があったのです。 神様のすべての創造物の中で、人間は愛における最上級の存在としてつくられました。私たちは、真の愛を通してのみ、神様と人間、男性と女性、そしてすべての被造物の間に真の調和を形成することができます。 真の愛は、すべての統一体と絶対価値の究極的な中心です。この真の愛は、人のために生きる行為から始まります。他人のために尽くしたのち、その行為を忘れて再び尽くすのが真の愛の属性です。それで、神様が愛する対象を創造されるとき、神様自らが、その創造のために尽くされたのです。神様は御自身がもっておられるものをすべて投入されました。その後も、神様はさらに投入され、また再び一〇〇パーセント投入されるのです。 自然界で空気が移動するとき、真空状態になったとしても、空気は素早く回転運動をしながら、その真空を満たすようになります。人間の人生においても、私たちが愛を施し、それ以上与えるものがなくなれば、神様の限りない愛が私たちの心に直ちに伝わり、空いたところを満たすようになるのです。これが根本的な精神的真理です。 したがって、人のために絶対的に尽くすようになれば、私たちは無限の力を得るようになります。神様は人間を愛する主体的立場におられます。神様が繰り返し愛を施そうとされる本性は、不滅の動的作用となり、神様の永遠の存在の特性を形成するようになります。 これは論理的な方式で現れます。永生は、真の愛を実践する生活の自然な結果なのです。愛には、相続権と同位権、そして同参権という特性があります。アメリカの大統領になった人の中で、妻は高等学校も出ていない人もいるでしょう。しかし、彼らが互いに真の愛で愛し合うようになれば、夫に属するものは同時に妻に属するようになります。彼らは昼夜を共に暮らすので、大統領夫妻としてそれぞれホワイトハウスを占有する権利があり、共に国家の運営に参加するようになります。 愛にはこのような重要な三つの特性があるので、皆様が神様の絶対不変の愛を占有する位置につくようになれば、神様と共にいるようになります。皆様は、いつも神様と共に暮らす権利をもつようになるのです。 皆様がこのような真の愛を、皆様の心と体に一〇〇パーセント受け入れれば、神様の愛の根が、皆様の心で育つようになるのです。そうして皆様は、神様が感じるすべてのことを感知できるようになり、皆様の体は自動的にそこに共鳴するようになります。 したがって、皆様自身を神様の真の愛でいっぱいに満たすことは、心と体を統一させ、神様の永遠の対象になるための必須条件です。私たち人間が、神様の愛に共鳴し、神様と統一される領域内に入るようになれば、神様の愛は皆様の愛になり、神様の生命は皆様の生命になります。そして、神様の血統は皆様の血統になって、神様の創造物は皆様の創造物になるのです。 人間の生は、神様の生に似ています。神様の生の核心は、対象のために生きる真の愛です。ですから、人間は他のために創造されたというのが、神様の原理です。他のために生き、犠牲になることによって、愛の理想が実現されるのです。 このような原理を念頭に置いて考えるとき、各自が自分のために生きる、現代の個人主義哲学からは、世界平和は期待できません。個人が神様の対象として生きる領域を破壊することが悪の目的です。そのようなことが起これば、自分のために生きる個人だけが残るようになります。これが、家庭破壊と人種間の葛藤、経済的不平等と宗教間の葛藤をもたらす根本的な原因になるのです。 アメリカに来た目的は若者たちを覚醒させるため アメリカは、ユダヤ教とキリスト教を中心とした愛の精神の上に建てられました。それなのに、なぜアメリカはこのような個人主義文化を発展させてしまったのでしょうか。私は、共産主義と闘いながら、アメリカの若者たちを呼び覚ますために、絶えず努力してきました。そして、私は、自由世界に対し、退廃的傾向に陥ってはいけないと繰り返し警告しました。しかし、アメリカはいまだに数多くの社会的弊害に苦しめられています。麻薬との戦争、エイズ、次第に増加する暴力犯罪など、ありとあらゆる弊害現象が、暗い将来を予告しています。アメリカがもつ軍事的、経済的、知的な力を動員したとしても、このような悪弊を退治することはできません。 これこそが、私がアメリカに来ることになった理由です。私は傷を治すために呼ばれた医者のような立場にあります。私はアメリカで不当に起訴されても、それに応じるために進んで韓国から戻りました。なぜなら、真理が勝利すると信じたからです。私は不当に起訴され、収監されました。それでも私は、アメリカを救おうという思いに変わりはありません。 私は裁判を受ける間、被告席に座り、「ワシントン・タイムズ」創刊のため最初の小切手に署名しました。「ワシントン・タイムズ」は、ニュース報道と論説を通し、共産主義の脅威に対してアメリカ人に警戒心を呼び起こすことに決定的な役割を果たしました。また、ダンベリーの監獄にいるとき、この国を助けるという精神から、雑誌「インサイト」と「ワールド・アンド・アイ」を発行するよう指示しました。 雑誌「インサイト」は、アメリカ議会の議員の指導力がどの方向に発揮されているのかを一般大衆に知らせるために、彼らの投票実績を毎週公開しました。そして、「ワールド・アンド・アイ」は、世界的に有名な学者たちの、人々を善導する論文を掲載し、人類の将来における思想的な地平を広げようと試みてきました。 私がアメリカの衰退を案じて、「アメリカ自由連合」を設立するようにしたのも、ダンベリーの監獄でのことでした。「アメリカ自由連合」は、全国的な組織網を通し、一般国民を対象に、より良い社会を建設するための教育をしています。私は最近「アメリカ奉仕連合」を発足させました。この組織は、神様の真の愛でキリスト教を覚醒し、再結合させる運動をしています。 この国が私のことを拒否し続けても、私は引き続き、アメリカが摂理的な責任を負っていることを諭すために、最善の努力をしてきました。神様が人間を救うための作戦は、まず打たれて奪われたのちに、奪われたものを利子までつけて、ゆっくりと取り戻してくるというものです。 一方、悪は、先に打って、最初は勝利を主張しますが、最後にはすべてを失ってしまいます。皆様も御存じのように、第一次、第二次世界大戦と冷戦期間にも、先に打った国家は、結局敗北しました。イエス様の生涯は、このような原則を最もよく示してくれる事例です。 イエス様は、激しい迫害を受けて悲惨な状況で亡くなりましたが、結局は数十億もの人類がイエス様に従って神様のもとへと戻ってきています。義なる人が迫害に耐えるようになれば、信念を守るための彼の努力は、迫害者の良心に尊敬と称賛の種を植えるようになるのです。この種は成長したのちに、多くの世代の心を変化させます。このような心情の静かな革命が、天の秘密兵器なのです。私は正に真実な世界平和の道を開拓するために努力しながら、言葉では言い表すことのできない苦難を経てきました。 私が「ワシントン・タイムズ」を設立したとき、協力はおろか、私の意図を理解してくれる人は、ほとんどいませんでした。しかし、私はこれが神様の勝利の戦略であるということを知っていたので、事を進めました。私は「ワシントン・タイムズ」が、私と私の統一運動を犠牲にしたとしても、アメリカと世界を救う道具となることを予見したのです。 神様と人間の愛は、垂直の一直線である軸を形成します。一方、アダムとエバ一組の愛は、横に走る水平な軸を形成します。したがって人類は、神様、そしてアダムとエバという二つの父母の愛と生命と血統を相続するために、神様を垂直的父母とし、アダムとエバを水平的父母として侍らなければなりません。ところで、垂直的自我である心と水平的自我である体は、真の愛で一体となります。この地点において、人類は神様の永遠の対象となるのです。神様と人間は、父と息子のように、真の愛の中で一つにならなければなりません。 人間の心と体も、神様の心と体のように真の愛で統一されなければなりません。しかし、堕落によって、人類は、サタンの愛と生命と血統を受けるようになりました。それで、私たちの心は神側に立っていますが、私たちの体はサタンの支配を受けているのです。私たちの心と体は、その内部の矛盾と絶えず闘っているのです。 今やアメリカが目を覚ますとき このような状況を克服することが私たちの一生の課業です。神様はこのことを御存じであられ、私たちを修理する工場のような宗教を立てられたのです。宗教は、心が体に対する自然な支配権を取り戻す方法を教えてくれます。断食と犠牲、他人に対する奉仕など、いつも修道者の苦行が、すべての宗教の修行の必須要件になるのは、正にこのためです。 聖書には、アダムとエバが善悪の実を食べたことによって堕落したことが記述されています。しかし、その果実を食べたのち、アダムとエバはどのようにしましたか。アダムとエバは、口や手を隠さず、下半身を隠しました。それは、アダムとエバが、神様を中心とするのではなく、サタンを中心として自分たちの家庭をつくったことを意味します。悪の種はそのときに蒔かれ、邪悪な血統の根源となって代を継ぎ、繁殖するようになったのです。 人間の先祖は、彼らが神様の愛の中で完成する前の若い頃に、神様から遠ざかって堕落しました。これが、今日までも世界各地の若者がアダムとエバの場合と同様に、愛の道義を破って淫らな性 行為を続ける原因となったのです。これは、歴史的にも、淫らで非道徳な文明が滅亡する原因として、常に作用してきました。歴史的に見るとき、ソドムとゴモラ、そしてローマまでも淫乱ゆえに滅亡しました。もしアメリカがそのような道をたどるならば、アメリカもまた、滅亡することになるでしょう。 アメリカは今や、目覚めなければなりません。この先十年間、私たちの課業は、実により一層困難になるでしょう。私たちは、単に共産主義との戦いが終わったからといって、緊張を緩めるわけにはいきません。最も先進化され、文明化された国々、例えばアメリカやヨーロッパ、そしてアジアの主要国家で、どのようなことが起きているか、見回してみてください。 地球村を襲っている淫乱の波を、誰が防ぐことができるのでしょうか。世の中は享楽的な生活を重視し、ますます肉体的な欲求を刺激する生活ばかりを追求しています。麻薬との戦争は、完全に、そしてはっきりと失敗に終わりました。麻薬は、その流通を増し続けて、氾濫しています。これは、心の求めている道ではありません。体が追い求めているものです。また、これは死に至る道となります。誰かが立ち上がって、このような堕落した環境から人類を救い、彼らを救いの道へと導かなければなりません。 紳士淑女の皆様。皆様は、メシヤが誰なのか御存じでしょうか。メシヤは人類の真の父母として来られます。真の父母は、偽りの父母から始まった偽りの根を絶やし、すべての人が真の愛の中で暮らす、自由な天国を建設するようになるのです。真の父母は、このような重大な責務を帯びて来られる方です。 私たちが、神様の真の愛の起源を見つけ、自分の心と体が一つに統一され、心から人のために生きたいと思うようになるとき、永遠に変わることのない平和の世界が訪れるでしょう。それは、私たち皆が願う栄光の日となるのです。 何週聞か前に、ロサンゼルスで発生した人種暴動は、単に警察力をより多く動員したり、法を強化したり、あるいは資金をさらに投入したり、政治的交渉をしたりすることでは解決できない問題です。地上に神様の真の愛、すなわち他のために生き、犠牲になる愛がなければ、このような問題を根本的に解決することはできないのです。 真の愛の革命を通した世界平和 私たちに必要なのは、道徳的な革命です。私はこれを「真の愛の革命」と呼んでいます。そして、このような革命は、どこにおいても必要とされています。私と私の妻は現在、韓国でこのような仕事をするための組織をつくっています。 尊敬する指導者の皆様。他のために与え、犠牲になることが、皆様を真の家庭、真の社会、真の国家の指導者にする唯一の道であることを悟るように願います。皆様の家庭と社会、そして国家が、皆様に従って、ために生き、犠牲になる真の愛の大原則を実践するようになれば、皆様は世界平和実現の闘士となるのです。 皆様も御存じのように、私は昨年の十一月に北朝鮮を訪問しました。そのことは世界を驚かせました。私は一生を通して共産主義に反対する立場を取ってきたので、北朝鮮を訪問することは不可能なことのように思われました。私は以前、一九八五年に、共産主義とソ連の崩壊を予言し、宣言した人です。 北朝鮮訪問は、私と妻にとって、生命の危険を顧みない旅でした。私は、自分の国を愛する心で、そして母国の統一を渇望しつつ、北朝鮮を訪問しました。私は金日成主席と会い、意義深い意見を交わしました。 見解の差はあったとしても、対話というものは、いつも有益なものです。しかし、孤立はいつも危険を伴います。金主席は、核問題について、アメリカが満足できるように収拾すると私に約束しました。この問題に対する真相が明らかになる瞬間が、遠からず訪れるでしょう。全体的に見るとき、私の北朝鮮訪問は、アジアと世界の緊張緩和に大きく寄与したと確信しています。 私は、無神論の北朝鮮で、神様と真の愛について説破しました。真の愛は、国家的統一と恒久的な平和のための基本原理であり、精神だからです。ビリー・グラハム牧師が、共産主義国家で初めて説教したことに対し、常に自負心をもっていることを知っています。しかし、今回私は北朝鮮で、それよりも一段階前に進みました。 「ワシントン・タイムズ」とその姉妹紙は、きょう、アメリカと神様に対して奉仕する新たな十年に向かって出発します。しかし、私たちの前には実に、より大きな挑戦が立ちはだかっています。このあらゆる挑戦を克服するために、皆様すべてが闘士にならなければなりません。この先十年間、道徳的なアメリカと道徳的な世界、そして私たちの子女たちのために、より良い世の中をつくりましょう。皆様は、私の支援を十分に期待していただいて結構です。 紳士淑女の皆様。「ワシントン・タイムズ」は、皆様の新聞です。私たちは共に、この有力な新聞をさらに影響力のある新聞へとつくりあげることができるでしょう。神様の祝福が皆様と皆様の御家庭に共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.03.06
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[21.03.06] 世界平和統一家庭連合 世界本部教会 平和ヌリ2022/03/06 09:00に公開予定です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.03.05
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歓 迎 辞:文鮮明総裁 基調講演:韓鶴子総裁「理想世界の主役となる女性Ⅰ」世界平和女性連合韓国巡回大会における基調演説1992年5月11~6月2日韓国二十一か都市にて 尊敬する内外の貴賓の皆様。並びに「世界平和女性連合」会員の皆様。このように各界の女性指導者の皆様がご列席の中、世界平和のために私の所信の一端をお話しできますことを無上の栄光と存じます。今日、私がお話し申し上げる題目は、「理想世界の主役となる女性」です。 今日の時代は今、正にイデオロギーの障壁や言語、文化の違い、また人種の葛藤を越え、一つの世界に突入する重要な転換期を迎えています。全人類は今や、この地上にあらゆる戦争と抑圧と搾取がなくなり、ただ真なる自由と平和と繁栄の未来だけが約束されることを念願しているのです。 今日まで、私の夫である文鮮明総裁が主唱してきた神主義の理念は、これまで力を基本とした男性たちの激しい反対と迫害を克服し、脱冷戦時代の門を開く決定的な役割を果たしました。今後は、和合と協力を指向する今日の歴史的な転換の時代に、私は神主義を基本とした永遠なる平和世界建設のための大原則を提示するに当たって、未来の世界を開拓していくべき女性たちの標題とするために、文総裁が発表した頭翼思想を、いま一度皆様にお伝えしたいと思います。 本来、神様は喜びを分かち合うために、愛する相対をつくられました。彫刻家が作品一つを作るために昼夜の別なく力を消耗させながらも全身全霊を投入するのですが、それは一体どこから来る心でしょうか。それは喜びを味わうために愛の対象を創造された神様に似た心ではないでしょうか。 存在する世界を見ると、鉱物界、植物界、動物界、そして人間世界までもすべてペアシステム(二組)になっていることが分かります。なぜ、すべてがペアで存在しているかお分かりですか。互いに作用するためなのです。鉱物界ではプラスイオンとマイナスイオンが作用します。元素と元素同士でも、互いにどれとでも付けようとしても結合しないのです。相対的要因が合わなければ、神様も命令することはできません。次元は低いのですが、このように鉱物界の作用も愛の創造理想のモデルになるようにつくられたのです。それゆえに、真の愛の本質を中心とする時に、神様の心情と人間の心情とすべての万物、動物界までも互いに通じるようになっているというのです。その心情の中に入るというと、岩であっても通じるというのです。皆様がそのような心情世界に入れないのが問題なのです。深い神秘の境地に入るようになると、森羅万象がすべて友となるのです。喜悦にあふれた愛の境地に入ると、自分が笑えばすべての万物と神様までもが和動するというのです。 皆さん。愛する夫、愛する妻がいらっしゃることでしょう。どれくらい愛していらっしゃいますか。愛する妻を、十億、千億のお金を上げるからと言われて、そのお金と取り替えますか。心から愛する夫を、天地のすべてを上げるからと言われて取り替える妻がいるでしょうか。よくよく知ってみると、男性は女性のゆえに生まれ、女性は男性のゆえに生まれたのです。すべてが為に成そうとする真の愛のゆえなのです。男女が陰陽の調和によって愛の理想を成すために、神様がそのように創造したのです。真なる男女を通してこそ、統一的な真の愛を見いだすことができ、神様と人間も真の愛を中心として統一が成立するというわけです。 結婚というものは、男女の絶対価値である真の愛を横的に連結した後に、神様の縦的絶対価値である真の愛を占領しようというのです。このように絶対者であられる神様は、真の愛を絶対価値の中心として最高に権限のある場に立てられたのです。真の男性と真の女性と神様が真の愛を中心として完全に一つに統一されるところに、我々の人生観、宇宙観、神観など、あらゆる問題の解決の糸口を見いだすことができるのです。 神様の真の愛は投入し、また投入してもさらに与え、また与えて忘れる愛なのです。与えたという記憶が残っている以上、愛は無限に回ることはできません。愛は無限に運動するものであるので、与えたという記憶がとどまっていてはいけないのです。続けて与え、また与えても記憶に残っていないゆえに流れていくものなのです。それでは天地を与えると言われても取り替えることのできない価値のある愛を、誰が皆さんに与えたのでしょうか。皆様の父母が与えたものなのです。 いま一度申し上げますと、根本に返れば神様が与えて下さったというのです。神様はこの無限なる価値ある愛を父の立場で与えて下さりながらも、それを忘れ、その愛を受けた息子、娘たちが天を裏切るようなことがあったとしてもさらに与えようとされるがゆえに、そのような終わることのない神様の愛のゆえに、今日皆様もこの場に参席できるようになったのです。 それゆえに真の愛が行く道は施しを受けるための道ではなく、為に生きようとする犠牲の道なのです。だから神様ご自身も愛の相対を創造される時は、神様自身が為に生きようとする立場に立たれて、ご自身が所有していらっしゃるすべてを一〇〇パーセント投入し、さらに投入したいというのです。このような心を持ち得る本然の中心存在が、天地を創造された神様なのです。ゆえに真の愛は、為に生きることにおいても一〇〇パーセント、一〇〇〇パーセント、すべてを与え、真空状態になるというのです。空気でいえば、絶対低気圧が生ずれば高気圧は自動的に循環運動が行われるのと同じ位置なのです。そのために絶対的に為になそうとするところには無限なる力が発動するようになっているのです。 親愛なる平和女性連合会員の皆様。「女は弱し、されど母は強し」という言葉があります。女性自体はこの上なく弱いものですが、もし女性が母として愛の主体的立場を取り、また妻、娘として愛の中心的役割を成す時、女性はこの上なく強くなるものです。なぜならば、女性が母、妻、娘として愛の主体的立場を取り、相対して一〇〇パーセント為に生き与えようとする時、その空白を神様の愛が埋め尽くしてくださるからなのです。神様の愛の能力が発動し始めるのです。だからこそ女性であったとしても、神様に似て燃えるような愛の主体的立場を取るようになれば、その愛の能力は家庭を生かし、国を生かし、世界を生かす驚くべき力として現れるのです。柳寛順のような十六歳の幼い少女が、大韓民国全土を独立運動の波に包み込んだということは、正に国を生かそうとする熱き愛国の精神が成した奇跡であったのです。 神様はこのように人間のために与えて下さった愛の主体的な立場にいらっしゃって、与えて下さり、さらにまた与えようとなさる本性がその作用を続けることにより、永存されることができるのです。ゆえに、真の愛の道には永生の論理が成立するのです。神様と真の愛の同伴者としてつくられた人間が、神様の願いどおりに成長し、絶対不変の真の愛を神様から相続していたなら、我々の人間世界には、根本的な統一の歴史が展開され、戦争だとか血を流すような悲惨な歴史はなかったはずでした。 真の愛を中心として心と体が一つになれば、皆様は神様自身の愛の同伴者となり、永遠の対象になるのです。そればかりでなく、神様の永遠なる愛を相続する者となるのです。愛の相続には相続権があり、同居権があり、また同参権があります。愛する夫が大統領であり妻が小学校すら出ていないとしても、愛する夫婦の関係になれば夫のものは妻のものとなり、昼夜の別なくいつでも共に同居していられることはもちろん、同席する権限もあるというのです。 愛にはこのように相続権、同居権、同参権という偉大なる三大属性があるので、神様の絶対的愛、不変の真の愛と一致した立場に立つようになれば、神様がいらっしゃる所に自分自身も加担することができ、いつでも同居同参することのできる権限を持つようになるのです。そうなれば、私自身が目を閉じなくても神様を見れるようになり、涙を流すようになるのです。神様の悲痛なる心情を体恤した者は、道を歩いていても立ち止まり慟哭するような体恤の世界があるのです。堕落したこの世の中ですら母の愛は、もし子供が見知らぬ地で不慮の事故に遭ったとすれば、直感でもって分かるような場合がたくさんあるのです。寝ていても名前を呼び、叫び、目覚めるというのです。 もし、神様の本質的な真の愛、千年万年を為に生き、さらにまた為に生きようという、そのような真の愛を自分自身の心と体に一〇〇パーセント吸収することのできる内容を持つようになる時、心には神様の真の愛の根が芽生え、神様が感じたすべてのことに通じるようになり、体は自動的にそこに共鳴するというのです。心の世界の真の愛を中心として共鳴体になるように創造されたのが体であり、心と体の統一世界を成すためには、神様の本質的な真の愛を回復しなければならないという課題が残っているということを知らなければなりません。 このような真の愛に共鳴する論理を中心として見る時に、我々人間がそこに一体化し、共同一体圏に入れば、神様の愛が自分自身の愛であり、神様の生命が私の生命であり、神様の血統が私自身の血統であり、神様の所有である被造世界が、私の被造世界であるということができるのです。したがって、天下を抱く父母の心を持ち、天国に入籍するようになっているのです。 それでは愛が先ですか、生命が先ですか。それは愛が先であるというのです。人間の生命の本質は正に愛なのです。それゆえに、愛を本質として生まれた生命は「為に生きる」のが天理であり、また人間は生まれた時から他のために生まれたといえるのです。自分は自分自身だけのために生まれたとか、すべてが自分だけのためになければならないとするなら、決して愛の概念は成立することができません。相手のためにしてあげ、他のために犠牲になろうとするところから、愛は誘発し始めるのです。家庭のために犠牲になる人は家庭の愛を誘発させることができ、同志のために犠牲になる人は同志の愛を誘発することができるのです。 他のために犠牲になれば、すべてを失うようですが、それは全く反対です。むしろ、愛の主体となり、すべての主人になるだけでなく、さらに高い次元に飛躍するようになるのです。クラスのために犠牲、奉仕する人はそのクラスの班長になるのであり、村のために犠牲になる人はその村の指導者になるのです。ひいては国のために犠牲になり奉仕する人は、その国の主人になるというのです。 愛というのは、より大きなもののために犠牲になればなるほど、その愛の等級が高まっていくのが原理です。より大きなもののために犠牲になればそれに吸収されていくのではなく、その大きなものの中心の場に立って新しい次元を迎えるようになるのです。キリスト教が復活の宗教になったのも、他のために犠牲になりなさいと教えているからなのです。イエス様は罪なく死んでいく十字架上でさえも、「お父様、私の願いではなく、お父様のみ意のままにしてください」と祈祷しながら、自分を槍で刺すローマ兵に対してさえも、彼らが無知によって成す罪をお許しくださいと、むしろ神様に切願したのです。これが正に神様のように為に生き、犠牲になって生きる生涯の標本であり、復活の歴史をつくり出す起源になり、キリスト教の核心的伝統思想になったのであります。他のために生命までも捧げ犠牲になる時に、さらに高い次元の生命を得るようになっているのです。 親愛なる女性連合会員の皆様。私は昨年十一月三十日、私の夫と共に北朝鮮を訪問し、金日成主席や他の多くの指導者たちと会ったことも、考えてみれば命懸けの冒険でありました。皆様もよくご存じのように、文鮮明総裁は彼ら北朝鮮の指導者たちが最も怨讐としてきた宗教指導者であり、勝共指導者であったので、彼らは私の夫を取り除こうと国内外においてあらゆる工作をしてきたわけなのです。そのようなところに、ただ神様のみを信じて行き、「主体思想では統一できない。神主義においてのみ、統一は可能である」と主張したことは、ただただ真に、彼らを生かし為に生きたいという愛の心と、祖国統一の門を開くためならばどのような犠牲も甘受していくという、殉教の精神によるものなのです。「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きる」というみ言を実践されたのです。 真の愛こそ、地獄までも占領することのできる柱となるのです。皆さんが真の愛を所有するようになれば、すべての悲しみや苦痛もその真の愛の中では喜びに昇華されるのです。もう一度お話しすると、この宇宙の個人的な権力、知識、金力等をもって主張するその理想の絶対的権限で残していきたいものが、人間の本性の要求である真の愛であるのです。 このような観点から見る時、歴史を通じて、人間を救われようとされる神様の戦略戦術と、これに反対しようとする悪魔の戦略戦術は正反対に行われてきました。神様の戦略戦術は打たれて奪ってくる作戦であるのに対して、サタンはまず打って滅んでいくのです。第一次、二次世界大戦を考えてみてください。まず打った方が滅んでいきました。しかし神様は、盗難に遭ったからといってその者を殺して奪ってくるのではありません。 神様は宇宙の主人として堂々と現れ、打って奪ってくることの能力を持ちながらも、打たれながらも与えていくのです。 父母は犠牲になることにより、不孝者を悔い改めさせるという道を行くのです。神様は、天理の公道を立てられるために自らサタンを探され、主人が来たらこうしなさい、ああしなさいと教えてくださるのです。しかし歴史的に見ると、教えようとして行った主人がむしろ打たれてきたのです。しかし、打たれた後はどうなるかご存じですか。損害賠償までも受けてくるというのです。孔子も多くの迫害を受けました。イエス様は、ローマ帝国の前に反乱罪として追われ、殺されたのです。すべては歴史が過ぎて後に、聖人という名が付けられたものなのです。その当時に聖人となった人がどこにいるでしょうか? このように、彼らはその当時においては皆、悲惨に死んでいきましたが、歴史の時代を経ながら、少しずつ上がっていくのです。損害賠償を請求するのに、十年、二十年で終わらせてくださいとは言いません。期間が延びれば延びるほど、世界を完全に占めるようになるのです。 数千年の間、耐えに耐えて損害賠償のすべてを計算してみると、銀行に預金したお金に利子が付き、また付いて、後にはその銀行まで買っても余りあるお金になるのです。神様は待ちながら訪ねてこられる方なのです。打たれて奪ってくる戦略戦術を取られる方なのです。悪なるこの世が全面的に迫害し破壊するとすれば、天運が開け、すべてを越えていきながら跳躍させてくださるというのです。 神様は私と夫にもそのような多くの体験をさせてくださったのです。迫害を受けるということは、怨讐の所有権を相続する、また一つの秘法なのです。このようにして、神様が愛される人は常に天運の保護を受けるのです。殺してしまいたいような怨讐がいても、神様はなぜ罰を与えないのかというと、それでもその者を愛する彼の父母や妻、息子、娘がいることをご存じだからなのです。神様も涙の谷間を越えてこられたお方であるがゆえに、その怨讐を、誰よりも愛する父母や妻、そして子供たちの心情を体恤される時、鞭打つことができないというのです。 そのような神様の心情を真に感じるようになれば、怨讐を打つことができるでしょうか。それを思うと、逆に人を送り怨讐を助けてあげなければならないのです。そうしてこそ天理の大道であり、愛を中心として一つに抱こうとするその大道の前に自分自身が近付くようになり、そこに天地が感動し、神様も涙を流すようになるのです。(神様も)ご自身に似たと喜ばれるというのです。このような立場で見詰められる神様でいらっしゃるがゆえに、怨讐を愛しなさいという言葉が理解できるのです。そのような力が出てくるところといえば、知識でもなくお金でもありません。真の愛の中にのみあるものなのです。 それゆえに、皆様は愛する息子・娘、父母のために、南北がにらみ合っている峠を越えて、為に生き、犠牲の愛でもって統一を願わなければなりません。我々がこい願う南北統一は、あくまでも怨讐さえも愛するという、為に生きる犠牲の真の愛の精神においてのみ可能なのです。父母が子供の面倒を見るように、兄弟が兄弟を大切にするように、北の同胞の痛みを本当に自分の痛みとして分かち合い、変わることのない神様の真の愛の中で共に会うことができるようにしなければなりません。 真の愛を中心として、神様とアダムとエバが互いに会い定着することができる交差点は、九十度を成すのです。なぜならば、神様と人間を縦的に連結する真の愛の道は最短距離である垂直以外になく、完成したアダム、エバを夫婦として連結する真の愛の道は横的な水平であり、正にこの垂直と水平が出合う点は、自動的に九十度の角度になるのです。そして、この点は絶対的な価値を取る位置としてはただ一つ以外にない真の愛を結ぶ中心点であり、モデルとなる点であるのです。しかし、アダムとエバが成熟する以前に天使長のゆえにこの角度が間違ってしまったので、これが正に堕落であるのです。 大工が家を建てる時、水平を先に見ますか、垂直を先に見ますか。水平を先に見るとするならば、それはもう既に垂直を認定しているということになるのです。同じように、女性という言葉も、男性がまずあってこそ出てくる言葉なのです。また男性という言葉も、女性をまず優先条件として出てくる言葉です。「上」という言葉は「下」を考え、「右」という言葉は「左」を先に認定している言葉なのです。したがって横的という言葉は、縦的という言葉が前提とならなければならないのです。このように優先存在圏を認定するというのは、為に存在する相対圏を立証するものであり、ここに真の愛は相手のために生きようという目的を持って成立するものなのです。 だとすれば、神様と本然のアダム・エバはどこで出会うのでしょうか。神様の愛と真の父母の愛、神様の生命と真の父母の生命、神様の血統と真の父母の血統が結合する所は、垂直と水平を連結した九十度の角度以外にありません。この点は真の愛を成立させる公式な点であるのです。神様は縦的な真の愛の父母であられ、アダムとエバは横的な真の愛を中心とした父母であり、このような二つの父母の愛と生命と血統を受け継いで生まれた自分の心は縦的な私となり、体は横的な私となり、この縦的な「私」と横的な「私」が統一体となる時、人間は永遠な神様の「真の愛の同伴者」となるというのです。 神様は真の愛と真の生命と真の血統を持っていらっしゃり、我々もそこから出たので、我々の中にも真の愛があり、真の生命があり、真の血統がなければならないのです。人間は神様の真の愛を中心として父子一体の関係を持って生まれたがゆえに、神様の心と体が真の愛によって自然に統一されているように、我々人間の心と体も真の愛によって自然に統一されなければならなかったのです。ところがサタンの愛と生命と血統を受け継いだ堕落人間は、体はサタン側の、心は神様の側の一線で絶えず闘っているのです。 このように今日、「私」を中心とした愛は、心ではなく体と関係があるのです。この体が悪魔の舞踏場になってしまったのです。悪魔の錨綱で結ばれた柱のようになってしまったのです。心は天を代身するプラスの位置にあるのに、体がまた別のプラスになり、心を拝んでいるのです。これを是正しなければならない道が、我々の生涯の義務であるのです。そうであるがゆえに、宗教は断食や犠牲、奉仕というように、体を打ち、体を心に克服させる教育をするのです。体の欲望を弱化させ、心が成そうとするままに順応できるように、三年ないし五年以上かけて、習慣性を伝授するためのものが信仰生活なのです。また休まず祈祷することを強調するのです。 神様は縦的な立場のみにいらっしゃるので、心が通じなければ活動することができないお方なのです。サタンはあらゆる所で活動しています。三六〇度いつでも活動することができるので、サタンの活動の前には負けるようになっているのです。 心は垂直の位置にあるので一つです。垂直は横的基盤ではないので、横的基盤に出ていくことはできません。そのため、環境に強い体の方に引っ張られやすいので、垂直の場において精誠を尽くし、祈祷し、三、四倍の力を心に受けて体に対して自由に処理し、三年ないし五年かけて、(心のままになせる)習慣性を身に付けなければならないというのです。この二つの方法以外に修理する道は絶対にないのです。それを修養する宗教の門を通過せずには、本郷の人間の道を見いだすことはできないのです。哲学の道、知識の道、良心の道だけではできないのです。縦的な心と横的な体が一つにならなければなりません。ところで、人間の心と体が神様の理想の前に一つにならないようにした、その堕落の起源は何ですか。聖書には善悪の実を取って食べたからだとあります。それでは善悪の実を取って食べ、どこを隠しましたか。口を隠しましたか、手を隠しましたか。違います。下半身を隠したのです。そしてサタンを中心として結婚をしたのです。これが悪の血統を繁殖する起源となったのです。 しかし考えてみると、人間において真の愛と真の生命と真の血統の根源地は正に愛の器官なのです。堕落によって、この聖なるものでなければならない愛の器官が、天理を破壊した凶悪な宮殿になってしまったのです。悪の本拠地になってしまったのです。ここに偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統が植えられてしまったのです。そのようにして悪を植え付けたので、歴史的に人間社会に悪の血統がそこから広がっていったのです。したがって終末の収穫期になれば、全世界的に青少年たちが、アダム、エバのように愛の倫理を破壊させ、退廃的風潮に流れているのです。このような現象を見て、サタンの全権時代がこの地上に到来したということを知らなければなりません。そしてこの時こそ、神様が鉄槌の命を下し、審判の日になるのです。歴史的に神様の前に淫乱の都市、淫乱の国は滅んできたのです。 ソドムとゴモラが火の中に焼かれたのも、ローマが滅んだのも、他の理由で滅んだのではありません。節度を守れずに淫乱に落ち、滅んでいったのです。 今日、米国、ヨーロッパ、日本など世界の先進国を見てください。東西四方に広がる「フリーセックス」と淫乱の波を誰が防ぐことができますか。末梢神経を刺激する享楽主義、ただ乱れた愛には物足らず、麻薬や覚醒剤を求める、人類史上、世紀末の世界になっているのです。それはすべて、肉体が滅びの道へ行くことなのです。決して心が願う道ではありません。心は手を挙げて慟哭しているのです。天理大道において人間本然の始発地である神様の懐に導いていかなければならない良心の使命と召命は、すべて失敗してしまったのです。誰かが現れて、世界人類をこのような堕落の環境から救いの道に導かなければなりません。 堕落してサタン側に立った人類は、渋柿に例えることができます。その中でも神様が分立させて探し立てた人類が宗教圏の渋柿なのですが、(それが)神様の所有権の中にある渋柿なのです。したがって神様が自由に主管することができるのです。再臨の主が来られれば、いっぺんに切ってつなぎやすいように準備してきたのです。ゆえに渋柿が甘柿になり、本然の状態に返っていくのです。それゆえに、宗教を信じる者も本来の真の父を探さなければなりません。なぜなら、彼らもまた、本来の真の父の生命の種を受けずに生まれたからなのです。本来の真の愛を中心として神様の血筋と連結された真の息子、娘として一体となり、理想をなし得ないのです。それゆえにメシヤが来なければならないのです。 皆さん、メシヤとは何かご存じですか。メシヤは、真の父母として来られ、偽りの父母から生まれ偽りの根を植えたものを取り除き、本然の形態を復帰し、サタンを追放し、すべてが歓迎することのできる自由解放の天国世界を創建しなければならない重大なる責任を持って来られるおかたなのです。 皆様。皆様は神様の愛、神様の生命、神様の血統を、そして真の父母の愛と真の父母の生命と真の父母の血統を受け継いだ息子、娘になれば、神様のように、皆様にも心と体が闘うことのない真の統一の起源が生まれるのです。そして、自分の心と体が統一されたところから、永遠なる平和の世界は出発するのです。 尊敬する「世界平和女性連合」会員の皆様。我々すべては父母の心情を抱き、僕の道理を果たしましょう。我々の汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流しながら、天地創造の大いなる主人でいらっしゃる父母の恨みを解放し、一つの平和世界を建設する十字架を負い、救世の道に前進いたしましょう。 我々が最後に行く所はあの世ですが、我々の出発点は正に私の心と体が真の愛を中心として一つになるところから始まらなければならないという事実を忘れないでください。そして、自らの家庭が永遠なる幸福と真の愛の定着地になる時に初めて、我々が願う理想の国、理想の世界が結実することを肝に銘じなければなりません。 我々の「世界平和女性連合」運動は、遠からず世界万民が参加する「世界平和家庭連合」運動に昇華発展し、五色の人種が永生を謳歌し、子々孫々為に生き、さらに為に生きんとする真の愛の世界を建設するのです。 この歴史的な聖業に我々すべてが決起し、先頭に立つことを決意いたしましょう。皆様と皆様の家庭に神様の祝福が共にあられますことを祈願しながら、私の話を終わります。 ありがとうございました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.03.05
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「六五〇〇双特別集会」1992年5月8日 日本のメンバーは全員古くなりましたから、韓国語は大体解読できるでしょう。韓国語を解読できる者、手を挙げてください。韓国語を理解できる者? うん、何ですか、これは。大変ですね。今、何年目ですか? (「三年目です」)。三年の間ですか? 言葉が理解できなかったら何もすることはできません。今は大戦争期です。世界大戦よりもっと大変な宇宙大戦争時代です。霊界と地上が総動員して闘う時代です。その使命を果たすには時間がありません。生来の習慣どおりに生きていけばいいという考えでは通じません。 縦横無尽という言葉があります。そのような拡大的活動をして使命を果たさなければいけないのです。使命を果たすより、勝利を果たさなければならないのです。各自の使命があり、天宙的勝利をなさなければなりません。各自の使命を完成することによって、それを全体化することによって、全体的勝利圏を得るのです。 摂理時代から見ても、またこの世的な世界情勢から見ても、今後の世界の未来の道はありません。先進国家群自体が非常に苦悶しています。それをいかに打開するかという問題で、知識者やそういう者たちはいろいろと研究していますが、霊界を知らない以上、研究の成果を上げることはできないのです。 そのような最中、統一教会が世界の眼目となっています。統一教会は、今からどのようにやっていきますか? 東洋の一角、韓国に生まれた文という一人の男を中心として、種々の世界の文化を激動させ、刺激を与え、全体を統合して、反対されてきた苦難を乗り超えてきました。今や反対した先進国家群が、自分を顧みて恥ずかしく思う立場になりました。その反面、レバレンド・ムーンは、想像もつかないような勝利圏を持つようになり、国家圏を超えるような方向に向かって驀進しています。 それを眺める世界の指導者はもちろん知識者たちも、注目せざるをえません。指導者の背後につながる組織的サミットクラブやPWPA(世界平和教授アカデミー)、ICUS(科学の統一に関する国際会議)など、世界的な知識人や有名人たちを組んで、彼らを中心として連結し、各国の全体圏における方向をまとめつつ、レバレンド・ムーンの思想でなければならないという方向的な基準が立つようになってきました。そのような現状です。 日本と韓国を全部合わせても二億にもなりません。小さいですから。世界五十億の二十五分の一、二十五分の一にもならないのです。その東洋の一角に、アダム国家、エバ国家と名乗るようになってきました。アダム国家、エバ国家、それは一体何でしょうか? だれがそれを決めたのか、考えてみなさい。だれがアダム国家、エバ国家と決めたのでしょうか? 日本を考えてみましょう。なぜ、日本がエバ国家ですか? いろいろと自分なりに考えているでしょう。何と言っても、日本はアジアにおいて覇権を持つ指導的な立場に立っています。日本だけエバ国家というのは、地政学から見ても、大陸を中心として相対的になっているのは島国だからです。日本は島国です。 日本人は蕫島国根性﨟と言われるのを、いちばん嫌がります。(笑い)それは、自分の満たす方向は一方しかなく、東西南北に通じないという話です。大陸といえば島国には行けません。島国は、横的に見た場合には東西南北に突き当たってしまいます。南北が見えます。限界が見えます。しかし大陸はそうはいきません。いくら走っても走っても限界がないのです。無限に東西南北を中心として拡大しうる、無限に通じる方向を各自が持つような立場に立っています。大陸から見れば、島というのはちっぽけな存在です。島国根性というのは話にならないものであるというのです。そう思いませんか? そのような日本人という考えを持っていると、気持ち悪く思うでしょう。それはいけないことです。どうしてですか? 先生を中心として考えてみなさい。先生は韓国人でもなければ、日本人でもなければ、その他の世界のだれにもなっていません。とっぴな人です。伝統的歴史から見た場合には、偶然に韓国の地に生まれましたが、その果たす使命というのは、歴史的であり、天宙的です。そこには神の摂理、人類歴史の解決、人類の救済をも含まれています。 サタン下にあって苦悶の中に、堕落圏にいる人類をいかに解放するか、その解放圏を見いださなければならないのです。解放圏は、ちっぽけなものではだめなのです。人類が今住んでいるこの地球以上の解放圏基盤を持って指導しうる内容を持たなければ、地上の人間も追ってきません。 そう見た場合に、だれがアダム、エバと決めたのでしょうか? 文先生です。昔、文先生は気持ち悪く思いましたが、アダム、エバに決めたのです。 アダム、エバというのはどんな関係でしょうか? それは難しい問題です。アダム、エバというのは、人類の第一先祖です。今は、世界が未来に向けて解決の方法を見いだせないために、人類の根本問題を中心として根を探し求める時代になってきました。人類の祖先の出発の原因は何かということを、歴史を通していろいろ考えるようになったのです。人類の先祖たる者は二双ではありません。一双です。一人の女と一人の男から生まれてきたのです。その男女は、丹念に生きる者と旧約何百年と生きる者という話がありますが、それは例外として、男女が生まれた当時、彼らがどうして同年齢の時代に生まれたかということはとても不思議なことです。 進化論者から見た場合には、初めに人になったのは女か男か、それが問題になります。しかし、アダム、エバがいかにして同時代に出生したかということを唱えること自体が間違っています。女が何代も続けて生命を保つようになってはいません。女は一人で女を生むことはできません。また、男が一人で男を伝統的に残し続けることができるかというと、それもできません。 男と女が愛の過程を通過しないと、男女は現れることはできないのです。愛の門を通過しない限り、男女は地上には現れないのです。愛の門を通過しないと決めるならば、その男と女は地上から消えていかなければなりません。 このように考えた場合、同時代にアダム、エバがいかにして生まれたか、それが問題です。猿から進化したと言いますが、そんな答えは今では話になりません。 アダム、エバの名前は、一体だれが決めたのですか? アダムが自分でアダムという名前を決め、エバという名前はエバ自体が決めたのです。そうでなければ、アダムがエバの名をつけてやり、エバがアダムという名前をつけてやらなければ、名前をつける者がいません。 人間の普通の家庭を考えれば、名前が自分から生まれる者はありません。だれか自分よりも年を取った第三者、歴史を担当している者によって、名前がつけられています。家庭では、子供が生まれたら、父母によって名前をつけられるのが常識です。 それをずっと元返していき人類最初の先祖に戻った場合、彼らに名前をつけるべき者は、人類の第一先祖のアダム、エバの親たる立場にいる者がつけるのが当然ではないかと思うのです。すると、「宇宙には主人がいなければならない」ということになります。そのような存在観念があるのです。アダムとエバは、アダム、エバを存在せしめたその者によって名前をつけられたに違いありません。人類の先祖たる一人の男にアダムと名づけ、一人の女にエバと名づけた者を、アダム、エバというのです。そのようにすると反対する者はいません。 それでは、アダム、エバはなぜ必要なのでしょうか? 種のためです。人類の第一先祖が必要なのは、人類を拡張して地上に拡大するためです。もし霊界があるとすれば、霊界にも地上に生まれた人間が入る所があることでしょう。霊界国民、天界の国民増殖の基盤を願うために、第一先祖が地上に生まれるようになってきたわけです。 それを拡大するには男一人ではいけません。男一人の世界はいたって簡単です。けんかして、一人残って死んでしまえばおしまいです。女がいたから問題です。また女ばかりで男がいなくても、女がけんか好きの悪魔の本性を受け継いだとしても、女のチャンピオンが戦えば、部落的な戦いから世界的な戦いになります。結局は二人残り、最後には一人残り、生命の限界がきて疲れて死んでもいいというのです。結局、一世紀以内に、地上にはだれもいなくなってしまいます。 ですから、人類を拡大して存在すべきその内容を求めるのに、地上に男女が絶対的にいなければならないというのです。ここには何の公式も必要ではありません。絶対的公式です。そういう意味で、女はそのために生まれたのですから、男と同等な権限があるのです。いくら男が多くても、女がいなければ、生命も価値もない者であると言ったら、気持ちが良くなります。(笑い) 男が必要とするのはどんな女でしょうか? 小さな声で話し、奢侈にふけり、贅沢なことばかりを好み、そして男に逆らうような美しい服を願ったり、化粧も毎日専門的にして、何の役にも立たず、自宅で座って何かをして生きる者ではありません。 男は反対の性質です。男が必要とするのは、後孫のため、世界歴史のためです。自分一人で死んでいくか、それとも自分の後孫を残し、歴史を残すかと聞いたら、自分としても後孫を残し、歴史を残したいと思うのです。そうであるならば、女たる者を受け入れなければならないという結論になるのです。そうですか?(「はい」)。そうですか?(「はい」)。え?(「はい」)。え?(「はい」) ですから、いくら男が威張っても、女がいなければ無価値な者になってしまいます。無価値な者ですよ、多くの男たち。(笑い)女は、いくらおしゃれをして姿を誇りたくても、男がいなければ無価値の者になります! とうとう結論に何の文句はないように静かになってしまうのです。(笑い) だれがアダムとエバをつくったのでしょうか? それは、神様が、仮想的に考えてもかまいません。絶対的中心者として、根源の第一出発基点としてあるものがあるべきであったと仮定してもいいです。そういうふうにして、実証的な内容を考えてみなさい。 鉱物世界にはプラスイオンとマイナスイオン、原子世界には陽電気と陰電気、植物世界には雄しべと雌しべ、動物世界には雄と雌、人間には男と女というふうに、相対的になっています。 どうして相対になったのですか? 何を必要とするようになったのですか? 愛が必要だからです。愛が絶対的に必要なのです。その愛たるエッセンス、元素たるものが絶対的に必要だとするならば、人間が必要とするすべてのものの中心的な内容を持つものという結論になります。愛が絶対的なものとした場合には、そのものは、生来の男の生活、女の生活、男女の共同生活など、関係するすべての生活圏に属するものは、絶対なる愛に対して相対的位置を逃れることはできません。 ですから、そのような中核的な中心性に対して、相対的な客体圏はそれをつなぐ内容を持たなければなりません。愛の本質の中核に対して相対的内容を持つような因縁です。人間を中心としたすべてのものは、愛を中心として相対圏の内容を持たざるをえないのです。同質同位に立って一つになるのです。 女と男は、まるで性質が反対です。そうではありませんか? (「そうです」)。女は下に下がろう、休もう、休もうとしますが、男はそうではありません。男は上がろう、上がろうとします。高い山に登頂した者は、女ですか、男ですか? 夫婦同伴で山へ登ろうと言った場合に、女の子は、寒いし、一番低い所、引っ込んだ所に集まるようになっているのです。ですから、女は引っ込むものが好きです。また、引っ込むものを持っています。それは生殖器です。いいように思って、変な声を出したら困ります。男はてっぺんを狙いますから、出っ張っています。出っ張ったものと引っ込んだもの、ともに反対の内容がありますが、高い山になるには、高く高くそそり立つには、いちばん低く洞穴を掘り、どん底に入らなければなりません。高い山には谷がいっぱいです。 高い山というのは、相対的な位置において形成するのであり、てっぺん自体が偉いのでも、谷が悪いのでもありません。相対的内容を抱くことによって、高い山になるべきなのです。そうですか、そうではありませんか? (「そうです」)。「そうです」とは、韓国語では「『(ソ:牛)』です」ということになります。韓国語で「そうです」は「牛(:ソ)」です。笑っていますから、皆、記憶するでしょう。 そういう意味において、アダム、エバは、死にたくても死んではいけないし、離そうとしても離れてはいけないし、離そうとしても離してはならない因縁、絶対的な内容をともにはらんでいるのです。 それで何をするのですか? 突進した場合に、女の子は感情が上がったり下がったり、けった場合にはピーンと調子の中で転んでしまうような、話にならない情け深いものです。頼りになりません。ですから落ちるときに、しっぽが重いからしりから落ちるようになっているのです。女は頭より腰が大きいから、こっちがフーとなるのです。(笑い)。男は頭が大きいから反対に落ちます。皆、自然現象の相対圏の理想として一体圏に、調和がとれるような内容によってそうならざるをえないのです。 女は男を絶対必要とし、男は? 男は女を何ですって? 絶対。(「必要と」)。するのではありません。(笑い)。まあ、分かりましたね。そういう意味において絶対必要ですから、アダムとエバは、すべての万物の象徴的なその中核、核心として必要なのです。 アダムとエバ、その相対を標準として相対圏に立つには、自分たちもその形で整わなければならないので、宇宙創造物はペアシステムになっているのです。双双体制で存在しているのです。分かりましたか? アダムは大きいプラス、万物は東西南北に広がった小さいプラスですから、皆、相対した場合には、人間と万物が共同されるのです。その共同された絶対的主体圏を中心とした基準において、平面をとった場合には、神様が垂直に臨在するようになるのです。神様は何のためにいすをつくったのですか。美人たる女の顔を見たいからつくったわけです。そうです、そうでありません? (「そうではありません」) 先生を初めて見る人、いますか? 手を挙げて。先生を見ない者はいませんね。 先生はいつも若い先生みたいに思うでしょう。先生みたいな年寄りだったら、舌も固くなって、韓国語や日本語を語っても三分の一は皆、流れてしまうような発音になります。しかし、若い人も及ばないような発音をするときもあります。若い青年と同じように発音する先生ですから、若いと思うのに間違いありません。気持ちいいですか、悪いですか? (「気持ちいいです」) 日本人は皆、年寄りが好きですか、そうではないでしょう? まあ、いいです。(笑い) アダム、エバを絶対的存在とした場合、アダム、エバよりも偉い者がいるとしても、これを受け入れなければならないという結論になりました。 アダム、エバは一つの種です。一つの種は必ず二つの要素、右の要素とマイナスの要素を一つにカバーしています。種は皆、そうです。種は必ずそうなっています。それは宇宙創造の原則です。神様から始まったすべてのものは、神様の形をかたどっていますから、種には必ず一つの袋の中に二つのものがちゃんと入っているのです。それは胚芽でつなぐようになっています。そこに新しい芽生えが、穂先が生まれるようになっているのです。 それは大きな二つのプラス、マイナスのそれを食糧として吸い込み、二つにすると思えばいいのです。これが若芽として芽生えるようになります。種は一つの生命を養成するため、その後孫のために、本体のプラス的なもの、マイナス的なものをすべて投入して、完全に投入して消えていきます。新しい種の拡張を願うのが、種としての存在目的です。 夫婦は種と同じです。愛という袋の中にある種と同じですから、子供が芽生えた場合には、自分の一心一体を肥料として消化させて、りっぱな後孫の拡大圏を残していくという目的があるのです。それはすべての相対圏の愛を核心とし、中心としてつながるという目的です。 商売をする者は現金を投入しますが、マイナスになるのを願う商売はありません。そのような行動をする者は馬鹿者です。そのように気を遣って投入するのに、プラスをいろいろと関係を持とうと思うのは愚かです。何百倍ものプラスになるもの、代価がえられるならば、それを得るために、自体を犠牲にしても、いちばん欲しがった現金をポケットから出して全部投入するようになっているのです。分かりましたか? ですから、子供をたくさん生むべきでしょうか、生むべきではないでしょうか? 女たちよ。(「たくさん生むべきです」)。何人くらいですか? (「百人」)。(笑い)。三十人よりもっと、五十人もどうですか? (笑い)(「百人」)。百人? よろしゅうござんす。(爆笑)ですから、夜、昼、休まずともに抱え合って繁殖圏を拡大するのは悪いことではありません。 君たち、女たちは男を何と言いますか? 韓国には、犬みたいな男という言葉がありますが、日本でもそういうことを言いますか? 韓国には犬みたいな男という言葉があります。犬は、雄と雌がいた場合、雄は間違いなく、家を離れて雌の所に行き、け飛ばしたりすすり合ったりいろいろやります。放っておいたら大変です。 男が女を引っかけようとするのはいいことですか、悪いことですか? ん? 本当のことを言いなさい。自然現象から見た場合、男が女に近寄ろうとするのは悪いことですか、良いことですか? ああ、いいこと、悪いこと? これ、女の子、エバ国の大女、先生が大きい声で言うからいいことだと答えたら大間違いです。それはいいことになっているのです。 年を取った女の子が、天下一品の美人として東西南北から見上げられる者として一人で座っていても、一人の男も現れないという場合には、泣きますか、笑いますか? (「泣きます」)。どのくらい泣きますか? 声を出して泣きますか? かわいそうな女を助ける男でも現れたら、つかんでかみついて離さない、そういう悲惨な立場です。そういう立場に立てば、女は生きることができません。それっきりです。それがなせなかったら死んでしまったほうがいいと言うのは、そういう法則からです。一方きりの立場に立ち寄った女の分相応です。分かりますか? たくさんのものでした。 しかし、男はそうではありません。女がピーンとやってきます。向こうもまたピーンと、向こうはそれが違うのです。女が慕う人を失った場合には自殺する者が多いですが、男はそうではありません。東西南北、男は三面です。女は男の後ろです。一面しかありません。男の後ろに歩くとしても、小さいです。西洋人に比べたら、日本人みたいに足が小さいです。こういう余計なことを言い出したら時間がありません。(笑い)しかし、余計なことは、それはご飯が出る前に、デザートとかいろいろなものが出るでしょう。そういう果実を出して、準備運動が必要なのです。準備運動として少し語ってみました。先生に向けて、一方きりの環境になってしまいましたから、今から気合をかけてもいいではありませんか? 日本がエバ国家であることについて、自然現象から、また地政学上から見てみましょう。島はいつも大陸を慕うものです。そうではないと思う者、手を挙げてみなさい。一方きりです。港に船が来れば、その船が大きくても小さくても、島に住んでる者は皆、「何だろう?」と集まってきます。権限も意志もなく、「船を下りて来る者が自分の家のお客さんでもあればいい」と思います。それは女の生涯に通ずるものです。「旦那さん、帰って来ないかなあ」と、かばんを持って出勤する男の後ろ姿を見て、一日中待ち望むのが女の姿ではありませんか。生涯通じます。それとそっくりです。ですから、島国はエバ国を象徴するという話は、いかに大声で言ってもいいし、天皇でも「そうでござんす」と答えなければならない内容です。それ以外のものは一方向に片づけてしまいます。 大陸は違います。これを地政学上から考えてみましょう。韓半島というものは、女に向かう一番近いものです。それは引っ込んだものですか、出っ張ったものですか? 男のいちばん女に近いもので出っ張ったものは何ですか? (笑い)。皆、結婚する者で、恥ずかしがることはありません。子供を生んだ者は何が恥ずかしいですか。歴史にないことを言うのではありません。自然現象の当然あるべき姿を言っているのです。何かおかしいように思い、異常な目で「先生があんなこと言うかね」と見るのですか? 聖人というものは、自然的な百パーセントの基準で中心的な立場に立つ者を聖人というのです。先生だから便所に行かないと思うのですか? (笑い) 宗教は間違うのです。現実を離れた宗教には理想をつなぐ道はありません。現実を逃れて理想は通じません。そういう意味で、二十世紀における新しい宗教として権限を持つようになったのは統一教会以外にありません。現実的であり、未来的です。そのような二重性を持っているのです。「死ぬと思ったのに生きる、生きると思ったのに死ぬ」というのです。生きるというのは、統一教会に入って気持ちよく生きようとするのです。これは、先生が気合をかけて、迫害して、下の者には上がれ、上がれとするのです。下に押すと、向こうはポーンと上がります。 高くなりたい者はいますか? 高くなりたい者、手を挙げてみなさい。皆、偉く、高くなりたいでしょう。醜い顔で、何の価値も内容も持っていない女でも、内心においては、それが悪いほど反対に高くなりたいのが女の心情です。そうではありませんか? そうです。先生が「そうか」と言ってそう思っているよりも、君たちがそうだから先生が「そうよ」と言うのです。 それは相対的です。プラス、マイナス、上がったり下がったりするところに面白味があります。 男において、女の一番近いものは何ですか、そこに帰られなければいけません。(「生殖器です」)。生殖器? (笑い)。高等なことを生殖器というのです。 生殖器というのは、行動して増える器官です。生殖器は行動して増やす器官ですから、愛の関係を通過した後で言うものです。では、その前は何と言うのでしょうか? 何ですか? 女たち、なぜ笑うのですか? 一生涯、人類の女軍は、それによって生ませられました。自分のおばあさんも、母ちゃんも、嫁もです。それに首をかけて、生命をかけて、引っ張られながら生き残ったものが女の根性です。そうではありませんか? 何が恥ずかしいのですか。これは聖なることです。それを嫌がる女たちは手を挙げてみなさい。一人もいませんか、いますか? いらないという者を殺そうとしても種がありません。絶対必要なものです。それほどとは思わなかったでしょう。それを握った場合には、永遠に離すことはできません。(笑い)。ですから、男は浮気などした場合には、家庭が大変です。チャンバラになり、ダイヤモンドの指輪がガラス窓から飛び出し、あらゆる宝石が東西南北に飛びます。だれがそうしたのですか? だれが何のために? 生殖器を離したのですから。 それは悪いことではありません。それ以上貴いものがないのです。そう思いませんか? (笑い)。気持ち悪い、驚いて、死にそうな猿の顔みたいです。(笑い)。それは女世界の王様の王です。文句ありますか? ですから、男を無視してはいけません。堕落によって悪い武器になったのですから、それを握るのは本来は悪いことではないのです。エデンの園において男女関係の愛の姿を語り合い、笑い出した場合には、霊界、地上界、万物すべてが同化して笑うようになっています。 堕落を中心としてすべての理想圏を破壊し、その本場としたのですから、それ以後いちばん悪い話になっているのです。今、それを先生が、絶縁体を皆、返しました。主人はだれもなれるものではありません。出っ張ったものと引っ込んだものを組み合わせて、完成したものです。これを離した場合、絶対無用になってしまいます。絶対なくなるまで、一つにならなければなりません。それが理想です。 二度、三度とお嫁に行きたい者、手を挙げてみなさい。大変なことです。絶対ですから、ぶち込んで一つになった場合には、死んでも、たとえ死骸が崩壊して肥料になっても、元素化され、限界を超えても、その型というものは残らなければなりません。分かりましたか? おばあさんはおじいさんのそれに、生死の問題として首をかけているでしょう? お母さんはお父さんのそれに首をかけているでしょう? そうですか、そうではありませんか? 君たち祝福家庭は、相対のそれに首をかけているでしょう。生命をかけています。それが崩れた場合には大変なことです。全部が崩れてしまいます。 大陸と島国にとって、一番出っ張った近いものは半島です。半島。島国日本において、絶対必要な韓半島です。 日本人は韓半島が必要ではないでしょう。韓半島を二つに分断して、それを自分の気ままにしています。これは芸者と同じような女です。堕落の限界に追い詰められた女と同じです。その日本が大陸とつながるには、韓半島を大陸より貴く愛する立場に立つことです。それによって、日本の将来、エバ国の未来は開けるというのが、地政学上から自然現象的な立場から導かれる結論です。堂々たる素晴らしい結論です。そう思いませんか? 思いますか?(「思います」) 君たちは韓国人を日本で愛したことがありますか、「韓国人」を。君たちのお父さん、お母さんは、「黒人と結婚することはあっても韓国人とは結婚するな!」、そういう教育をしています。先生は日本の事情をよく知っています。それを考えたうえで、日本の女の子に苦労をさせます。そういう立場をとるようになっています。 日本の女たち、日本人を連れていって、なぜ韓国人と一体化させるのでしょうか? それは、象徴的自然現象を実体的な拡張の立場から、それをつなぐことによって、理想的拡大基盤を生み出すためです。それゆえ、そうせざるをえないので、交換結婚なのです。 高くなった場合には低くなります。東大を卒業した女の子と韓国の国民学校を卒業した男を結び、努力した場合には、欠けたところは神様が補充してくださいますし、その価値を埋めるなら東大卒業以上に神様が加えてくださった内容の因縁は、もっと貴いのです。 このような理論はありません。ただ結婚したら、平面的つながりの平面基盤しかありませんが、高いものが低いものとつなぐときには、垂直的観念が生まれてくるのです。平面的歴史は宇宙を収拾し、天宙を収拾することはできません。垂直と水平が合併して九十度をつくり、また前後とも九十度をつくった場合には、十二の面は、天を地にし、地を天にし、前を後ろにし、後ろを前にして、右弦と左弦、上弦、下弦、前弦、後弦と、どの面をつけてもぴったりと合うのです。地上完成基準は天上すべての完成につながります。 いくら平面が多くても垂直一本がなければすべてが崩れてしまいます。堕落は平面的愛、一方的拡大の道を訪ねてきました。堕落しなければ、垂直、平面が一体して円周的な運動、無限弦を中心とし、中核を中心と、中心を中心として運動した場合には、その時代が永続されるのです。ですから、すべての存在には核子があるのです。核子を中心として複体があります。存在は二重性をもった存在です。 それでは、なぜ二重存在になったのでしょうか? その中心に垂直を平面的にまとめた場合、それを共々に授受し合い東西南北どこにも存在圏を安置させるために球体が必要になるのです。なぜなら、球体はどこに立っても、止まった場合には、一か所に垂直に立つのです。水平に立ったと思ったら大間違いです。球体の願いは、垂直ペースを合わせることによって、平等な平均圏を取るようになっているのです。平等理想という話があるでしょう。球体のスペースのあらゆる面が垂直を持つようになっているから、平等理想圏という話と通ずるのです。分かりましたか? どちらが本当ですか? 男が女を支配すべきですか、女が男を支配すべきですか? 日本は必ず韓国に負けます。いくら威張っていても、体質から、性格から、その安定基盤から……、見ていなさい。日本の心情圏はセールボードと同じです。風が吹くままに歩調を合わせて存在するのですが、風がなければぺちゃんこになります。 韓国人はそうではありません。風は吹いても、何しても……。今サンフランシスコで韓国人が問題になっています。一人ぽっちでもその国のすべてを治めてしまうというのです。アメリカの人口の十一パーセントを占める黒人が、事業を十一パーセント持っていたのに、一・五パーセントの韓国人がその九パーセントの事業権を握ってしまったのです。ここ十五年以内の現象です。この調子でアメリカを占領するといって、問題になっています。男らしく大胆なところがあるのです。そういう面は、日本人は到底追いつきません。 将来は、小物は必要なくなります。小物の生産時代、世界文明圏の必要な物を模倣し、小さくつくって世界的に販売していますが、将来には小物は必要ありません。衛星のように大きいものを一つ立たせれば、すべてが可能になります。録音機など必要ありません。そこにいて世界が聞こえるようになります。 女は小物を好みます。嫁入り前の女のふろしきをそっと開けてみれば、ないものがありません。服から何からすべてが入っています。先生もお姉さんがたくさんいたので、趣味でそっと開けてみたりしました。お金があった場合には、「お姉ちゃん、いくら必要だから、何か月後に返すから、もう借りたよ」と宣言します。「だめだめ、ああ」と言っても、そういう意味では、男に負けるのです。 日本の国にメシヤは来られません。島国にメシヤが来たら、引っ込んだものが海の底に入ってしまいます。高い頂上に男が、理想的なもの、最高のものが生まれるのです。最高のものは垂直に焦点を取ります。平面理想ではありません。知識を中心として平面理想を求め、垂直に理想を突き立てて拡大し、円形として回らなければならないのです。ここに来れば、行く所が分かりません。上がることもできず、また戻ってきても、上がる所も下がる所もありません。ですから、中心を求め、根元を求めて、世界は絡み合っているのです。混沌、困難の現状をいかにするのでしょうか? いちばんの鍵は、統一です。西洋と東洋統一、南北経済統一、文化差異すべて統一です。美人、醜男、醜女、それをどういうふうにしますか? 日本の金で平定統一させることができますか? お金で低くなった所に高いものを崩して埋めても、平均化させることはできません。お金で東西南北、前後左右を統一することはできません。では、知識ではどうでしょうか? 知識も、専門分野を平面的、世界的に行ったり来たりするだけで、何の関係を持つこともできません。経済も同様です。それでは、権力ではどうでしょうか? 出世して長官になった長官と同じです。知れたものです。一つにできません。 根底なる存在の基本を知らなければなりません。女はなぜ生まれてきたか、男はなぜ生まれてきたか、その根底の解決方法を求めるべきです。その根底の解決の方法の中核に立つべきものは、真の愛です。 真の人は、その髪も真の人の髪です。悪い髪ですか、真の髪ですか? 切り落とした爪のかけらも、真の爪のかけらです。皆、「真」がつくのです。唾も小便も大便もそうです。かといって、臭いが別に甘いわけではありません。臭いは同じですし、体も姿も同じ、食べ方も同じ、見えるもの、座るのも同じですが、内面が違うのです。 内面の違うところは、垂直圏になっています。それを平面と九十度、垂直に合った場合、どこもぴったり合う理想圏です。日本に行ってもぴったり合います。日本人も先生が好きです。本当ですか? 君たち日本人は先生が好きですか? 先生を好きでない日本人が韓国に来たのではありません。韓国、監獄、同じです。牢屋です。名前も啓示的です。 地上の監獄は天界の出発起点であり、蕩減原則から見た場合、百パーセント正式な堂々たる答えです。どうですか? 「統一教会は天界出発のために蕩減の下の地獄に落ちろ」と押し込むのです。押し込んでも上ろうとするし、もっと押し込もうとすれば、ろうかだけ穴を開ければ向こうは神様の王座です。そこにくっついた場合には、回るのですから上がってきます。そのときに後になって、皆、上りたがって、「ああ、助けてください」と言うのです。 世の中は、昼は夜になり、真夜中は真昼に通ずるようになっています。ですから、統一教会が今まで世界的に迫害を受けたことは実に素晴らしいことです。善なるところによって、百八十度反対の迫害を受けた場合には、迫害した者がそれを全体的に支えて奉り、敬わなければなりません。それは事実です。 「勉強しなさい、勉強しなさい」と言う母の声は一番辛いですが、その声の向こうには王様の道も王子の道もあるのです。朝に夕に、帰って来れば、母が「宿題しなさい。勉強しなさい」と言うその父母の言葉は聞きいいですか、聞き悪いですか? 聞き悪くても、しかたなくても、勉強した場合には、しかたなく成功の道がありますが、聞き悪いとして、しかたなく何も思わないでやめた人はそれでおしまいです。人間のくずになります。そうですか、そうじゃないですか? それと同じように、統一教会が宗教のくずになりたくないというのが文先生の理想です。「休め、飲め。何だ、働く必要ないよ。休め、休め。何で二十四時間のうち三時間しか寝ないで、冬もなければ夏もなし。休みなし。何だ、何だ、そんな統一教会、大嫌いだ!」 大嫌いだと思ったのに、いつの間にか統一教会が世界的な最上圏の宗教権限を振るうようになってきました。今や、世界各宗教をまとめる文先生として宗教界の指導者が文先生を尊敬するようになってきました。それを知っていますか? 六十か国の代表たちが、世界平和宗教連合をつくっています。 成人するとき、若いときから文先生は牢屋に引き込まれました。「君の行くところは我々は絶対に関係ない。因縁もなければ、見たくもなければ、姿も現しちゃいけない」というふうに獄中に入れられましたが、結局、打ち込んだその鉄柱は、向こうの昼とつながる電線みたいになっています。電気が通じます。夜と昼の世界をつなぐようになってきました。 世界は苦悶ばかり、混沌で行く方向知らないで、忌まわしく、紛らわしく、投げやりで、壁にぶつかって転んでしまうような限界に立ってしまいましたが、統一教会はびくともしません。「世の中はそうなるんです」と言って安心です。 既成教会は大変でしょう。雨が降り雷が鳴った場合には、「再臨の主が来るんだ!」と子供をけ飛ばして、「おお、主よ。来たまえ、助けたまえ」と天を仰ぎます。そういう悲惨な姿です。しかしそんな馬鹿げたことは統一教会はしません。けんかして窓も開けなければ、驚きもしません。静かになるのですから、雑多なものは信用できません。休むいいチャンスだと、体を大きく伸ばしてぐうぐうとよく寝る者は統一教会のメンバーです。(笑い)。そうではありませんか? そのような心配がありますか? 日本がどうなるか知っているでしょう。いくらに反対しても、統一教会に負けることを知っているでしょう。知っているのですか、知らないのですか? いちばん悪いと思って反対していました。皆が「それはそうじゃない」と言うのを後で眺めて「ヘへー」と笑っていたのですが、知ってみたなら、走っていって飛ぶようになります。それで体面上、「行くな、行くな」と後ろから言いながら、自分が先に行こうとするのです。そのように先を争って行くようになる現象もあります。 あなた方のお父さん、お母さんもそうでしょう。一所懸命反対したのに、今は一所懸命ですか、半生懸命ですか? (笑い)。半生懸命、四生懸命? 四生懸命にしかたなく「親として何だ。兄さん姉さんとして何だ。負けてしまう。死ぬか生きるかして」と言うのです。一所懸命が何生懸命になったのですか? 四生懸命です。先生がたくさんの新しい日本語をつくっています。(笑い)。四生懸命、万生懸命とね。四生懸命を整理しなさい。万生懸命の力になるのです。今何と言いましたか? ここに集まった日本人は、「日本はエバ国家である」ということを恥ずかしく思うべきですか、恥ずかしくないと思うべきですか、どうですか? (「恥ずかしくないです」)。なぜですか? 引っ込んだところを持っているからです。分かりましたか? 韓国人と日本人の性格は根底が違います。生活してごらんなさい。根底から違います。日本人は及びません。韓国人は大陸的だから、大きいのです。怨讐に対して日本人は決闘して結末をつけるところを、韓国では笑いながら「そうですね」と言って、仲立ちして、後ろから抱えてやるのです。 今度の四月十日の大会を通して、涙を流して女たちが仲良くなりました。日本の女が涙ぐむ心情で行った場合には、日本は子供や夫を殺した敵国ですが、敵討ちするのではなくその敵国の女とともに泣きながら「ああ、すべて赦してあげますから、泣かないで、泣かないで」となるのです。日本の場合、怨讐である敵が泣いたら、それで決着がつきますか? そうはいきません。しかし、大陸的な愛はそのように思うのです。 子供を生むなら、そのような大陸的な男の子を生みたいですか、島国みたいな女の子を生みたいですか? どっちですか? 君たち日本人の女たちが嫌がっているのを先生は知っているので、「こっちに来い、来い、来い」と呼んだのです。それで来たのです。 あなたは今何をやっていますか? 新聞配達ですか? (笑い)。 先生もそれは嫌がります。嫌がるものを王者みたいに喜ぶようになったら、天下が引っ繰り返ります。あなた方は何も知りませんが、韓国に来た影響は大きいです。 文先生に対して昔は、「偉い人ね」という印象でした。それは、一方では「ああいう侵略的な謀略的な内容で、犠牲的な投資するようにして、最後に皆、まとめてのみ込んでしまう悪辣な王だ」と悪いところも感じていましたが、今はその反対になってきました。日本の女たる島国根性というのは、持っていてもそれは女としては当然のこと、普通なのです。 今韓国人は世界中どこにでも進出しています。南北統一されずに二つに分けられていますから、民主世界のどこでも行っています。共産国のような嫌がる所でも行っています。韓国は世界的な代表になっていますから、大使館を通してどんどん、共産主義を嫌う者も皆、喜んで行きますから、世界的に頭のいい者たちが散らばっています。 アメリカや日本の場合、そういうふうになれば大変です。日本にはすでに二世、三世が住んでいますが、彼らにも権利を認めるよう、法的整備をしなければいけません。世界の言論界では、人倫上、問題になっています。偏ったものはけっ飛ばされてしまいますから、しかたがなくても、そのことはやらなければなりません。 では、先生は韓国人ですか、日本人ですか? (「韓国人です」)。君たちは日本人ですか、どこの国ですか?(「天国人です」)。(笑い)。日本人なのに、なぜ君たちを反対しますか? それは問題です。先生は韓国人なのに、韓国はなぜ今まで四十年間反対しているのでしょう。恐れているのです。同化圏に入れた場合には、さっと一体化させてしまう、そういう力を持っているからです。 あなた方もそういう力を持っていますか? どうですか? びっくりするほどの同化力を持っています。ですから、大変なものです。 日本政府は統一教会を歓迎した場合、国会で『原理講論』について議論するようになるでしょう。そうすれば、日本一億二千万すべてが統一教会と一つになっています。そうなったら、韓半島通過は問題ありません。シベリア開発、中国開発、大陸、どこでも皆、待っていますが、それは韓国と一つにならなければなりません。 昔、日本は韓国に対して罪を犯しました。中国もソビエトも韓国に対して罪を犯しています。そうしながら、悪辣なサタン圏でともに争い合いました。韓国を中心として日露戦争、日清戦争をし、さらに強制的に日韓併合をしました。正に侵略国家です。 そういうことをしながら、日本は自国の歴史の悪辣な内容を後孫には教えていません。それでは通じません。先祖を証すことによって、その後孫は先祖の血統を新しい方向に変えることができるのに、それも教えずにそのままの圏内にとどまっている日本の指導体制、政治体制は滅亡します。後孫のためによくありません。 何らかの方法を取らなければなりません。それを先生は日本政府に通告します。今度、中曾根や金丸に会って、よく教育してきました。その内容を皆さんは知らないでしょう。その話を、よだれを流して面白そうに聞きたいでしょうが、そういう時間はありません。(笑い) 中曾根に教育される文先生ですか? 金丸に教育されるべき文先生ですか? どっちですか?(「違います」)。どういうふうに違うのですか。「反対です」と言うのはいちばんきっぱりした答えです。どっちも違うという答えは、方向がまるでないではありませんか。そういう答えの仕方はだめです。それでは、どういう答えをすればいいですか? (「反対です」)。教えられて答える者は、皆、百点を取ります。 金丸さんも中曾根さんも「わしは君たちをよく知っている。君たちの話を聞く必要はありません」と言ったので、「あなたがたはわたしを知らないではないですか。知っていますか?」と聞いたら、何も知りませんでした。日本のすべてについて聞いてみなさい。答えます。企業人は皆、答える力を持っています。よく知っています。 数十万の統一教会のメンバーを抱え、あらゆる層を知っている先生です。「わたしの話を聞きなさい」「そうですか」「二時間ぐらい、約束しますか」と怒鳴りつけます。そういう何かがありますよ、先生には。ですから、女たちが先生を好きなのです、男らしいから。(笑い)。日本は女の国だから文先生を好かざるをえません。最初は嫌がりましたが、ときがたち、先生と会うことによって、どんどん先生に巻き込まれてしまうのです。 それでは、分かりましたね。日本が島国であることは、恥ずかしいことではありません。女として生まれたことは、恥ずかしいことではありません。それは、凹凸の凸の相対的、絶対圏ですから、男と言って威張るところはありません。女がいなければ男の存在圏も限界があります。威張るな、この者たち! 男に何が絶対必要かと聞けば、女が絶対必要だというのです。女に聞けば、男が絶対必要なのです。絶対必要の中心存在部署は一体どこですか? 口ですか? キスするのですか? どこですか? 男は女の胸を触るのが気持ちいいのです。子供のときからそうです。子供のときから、お母さんの乳を飲みながら、この手で習ったのですから、その習慣性で、女を見た場合すぐ胸にいくのです。男はそうです。キスした場合にはすぐに胸にいきます。 それは蘇生、長成、その次には皆、洞穴に落ち込んでしまいます。本当のことを話しています。先生は、例えがはっきりしています。これは皆、終点です。結論もよく整理して、原理の世界を発見したのであり、これよりもぼやけてしまったら大変なことになります。橋を渡ることはできません。 女は酒を飲むべし。(「えー?」)。女はたばこを吸うべし。女は阿片も吸うべし。それは皆、悪魔の統合です。たばこを欲しがって、ともに買って吸った場合には、食事です。男に「今晩、食事はどうですか?」と言われたら、たばこをもらったのですから「そうですか?」と応じなければなりません。そんな条件に引っかかった場合には、その終着点は淫行という結論になります。男女関係です。たばこの誘い道から、環境を通してそこに定着点をつくるのです。酒を飲みだして愛した場合にはそこの終着点、ドラッグを飲みだして相対圏を結び、そこの終着点です。 すべてが、根拠地を迫害し、爆発し、占領するために、ともに遊戯する悪辣なサタンの第一、第二、第三の武器でした。それを知らなければなりません。 習慣性がついています。そうでしょう。酒を飲んだら、体がどうなっても分かりません。分かったときには、すでに犯されてしまっています。男も女もそうです。男ばかりではなく、女も男を犯すのです。そういう男も女も皆、だめです。性に対しては、どろぼう精神、どろぼう根性を持っています。堕落性は同じです。女も男を欲しいでしょう。え? 女が男を欲しがるのは、もっとみっともありません。 本来、性的衝動は悪いものではありません。自然的現象です。それが悪いものの基地についているから問題なのです。悪魔の世界の運命の港についています。そこに来た場合、すべてがサタン圏の道具として使われます。刺激的な酒やたばこ、食べ物もそうです。おいしい、面白い、感じる……、そういうものは皆、サタンの引っかけ場所です。堕落世界では「男は女に関心を持つんだ」と言っていますが、皆、反対のことです。宗教はそうではありません。それがサタンの武器なのです。 酒を飲んだことのある者、手を挙げてみなさい。過去、統一教会に入る前、飲酒した者はたくさんいるでしょう。皆、飲んだことがあります。女も手を挙げてみなさい。大概飲んだでしょう。(笑い)。それによって、男たちを社交的世界に通ずるようにしますから、家庭でそういう教育をしてきたのです。だめです。酒飲みの醜態は知っているでしょう。分かりましたか? ですから、統一教会は、たばこも飲まなければ酒も飲みません。たばこは飲むですか、吸うと言うのですか? 飲むでもいいでしょう。新しい言葉を使うことによって、刺激的記憶を残しているのですから。たばこを飲む、酒を吸う。(笑い)。そういった話も、印象づけるために先生が言うのだと記憶しておきなさい。分かりましたか? たばこを好きな者、今たばこを吸っている者、手を挙げてみなさい。サタンの針に引っかかります。酒を好きな者はサタンの針に引っかかります。酒やたばこは神の理想世界を崩壊させる悪魔の武器です。分かりましたか? (「はい」) それから麻薬です。麻薬の麻というのは、悪魔です。麻薬も悪魔の薬です。名前もそうなっています。麻薬を飲んだ場合には、酒を飲んだらツイスト踊りです。蛇の踊りです。首が出っ張り合ってこういうふうにして、たまに抱き合って……。蛇は関係を持つとき、何日も関係を持ちます。 日本の女は貞操観においては、そう固くありません。島国の女は生活が難しいです。何日か男性がいなかった場合、毎晩招いてお土産をもらいたいと思うのは普通の女の心です。貞操観はそんなに強くありません。先生は日本に行ってたくさん経験しました。経験したというのは、関係をもったというのではなく、日本の女にたくさん誘われたのです。 堕落論から見ると、堕落の女は、本然の男の姿をもった男の横に来て、救済されたいという本心の願いによって自分も知らずに抱き合うのです。先生はちょっと変わっています。劇場などへ行っても、中年の女たちが自分も知らないうちに先生を誘うのです。「なぜですか?」と聞くと、「ああ、自分でも分かりませんでした」と答えるのです。たくさんあります。 先生はそれを知っています。日本の国のエバたちは、サタンを通じて先生を誘い込もうとしているのです。「日本の国に来たレバレンド・ムーンという者をただでは帰さない」というのが、サタン世界のエバの思いです。「何とか悪辣な行動して誘い、これをくじかせなければならない」というのです。 ときには女が裸になって先生のところに潜り込んでいました。そして「男のくせに何です。二、三分ですべての女を愛したという、日本を代表して慰めることができたって何の恥ずかしいことないじゃないですか」と誘惑するのです。「そうはいきません」と先生はきっぱり断りました。また、先生が学校に行っている留守中、百円札を毎週一枚ずつ持ってくるのです。何十枚、何百枚にもなりました。先生はその人を呼び、忠告して返しました。先生は、日本の国にしては何の罪も犯していません。アメリカに行ってもそうです。世界中、どこでもそうです。 日本語を知っていますか? Why did you left for? エバ国家とアダム国家は二つにならなければなりませんか、一つにならなければなりませんか? 何を中心として? 愛を中心として一つにならなければなりません。国を超えた愛、世界を超えた愛、歴史を超えた愛を中心にして、一つにならなければ、理想的神の世界に起点として出発されることはできません。はっきりしています。分かりましたか? ん? 復帰時代の女たち、全世界の女は先生のものです。(笑い)。そうです。(拍手) ですから、お母様を先頭に立てて解放しました。全世界がお母様を中心としてお母様の伝統に連結されなければなりません。霊界はお母様の窓を通してでないと通過できないのです。 それで、今度宣布しました。お母さんの窓を通過し、お父さんの窓を通過して出たものが子供です。その子供を前にして天国に入るのです。お父さんを前にして、お母さんが後ろにして出たものはありません! 復帰完成した者、父母の二つの門を通過した者が、子供を前にして天国に入るようになっています。また、子供を前に、世界に発展するようになっています。そうでしょう? ですから、お母さんの門を通過しない者は、お父さんの門を通過することはできません。 堕落圏から見た場合、君たちを全世界の人は男、女と見ます。それは堕落したアダム、エバです。そこには本然のアダムというものはありません。 エバ国家の基台を地上に拡大するものが宗教圏です。あらゆる宗教は再臨思想を持っています。再臨思想は宗教の主です。人類の根本の主たるものを表徴するものです。分かりましたか? ですから、キリスト教はエバ宗教なのです。新婦宗教、エバです。新婦宗教は、第二次世界大戦後、世界を統一しています。男が威張って傲慢で野蛮な行動をして、世界を自分のものとし、独裁的にすべてを掌握し、主管しようと、自分勝手に扱おうとしましたが、それはキリスト教、女宗教によって制定されています。そうでしょう? 新婦宗教、キリスト教を中心として世界的統一がなされました。そうした場合には、女圏において、なぜ神様は、真の再臨の主を中心として、再臨の主の懐に全世界が抱かれようとされたのでしょうか? 母の門を通過しないと子供は生まれてきません。 聖書には小羊の祝宴があると教えています。そこは、父とともに母が、二つの門が生まれてきます。二つの門を通して悪の世界を拡大したものが、逆にこの二つの門を中心として、左は右に、右は左に、百八十度転換する方向を取ることによって、原点を通過するのです。 堕落しなかった場合には、神が上で、サタンもアダムも下にあって、真の愛を中心に永遠の関係を結び、歴史はらせん形を描きながら、アダム、エバ一人から、個人から、家庭、氏族、民族、国家、世界まで拡大するようになっていました。 堕落してしまったので、闘争が起こり、上のものは下に、下のものは上になりました。サタンが上になり、神は下になったのです。愛を中心として逆の方向になったのです。悪魔の愛を中心として逆になったわけですから、神の愛を中心として百八十度展開しなければなりません。それによって、神側に属するもの、上に属するものが右翼です。ここに左翼がありますが、ともに逆らい、それで原点過程を通過しなければならないのです。こういうふうにして、左のものも上へ行かなければなりません。 世界的に上へ行った場合に、この点で元に帰るようになります。この道は歴史線を中心とした愛の道です。ここはサタンの愛、これは神の愛、これは神の世界であり、これはサタンの世界です。 ここにおいて、この基準を中心として、個人的時代、家庭的時代、氏族的時代、民族的時代、国家的時代、世界的時代へと延長したものを、理想圏に同化して、堕落しなかったような原形に元返すわけです。接ぎ木させ、一体化させるのです。こうして見た場合に、一点を中心として、横のものを反対にして、個人完成、家庭完成、氏族完成、民族完成、国家完成、世界完成とつなぐのです。蕩減は原点を通過しなければなりません。 日本人は日本の国民性を否定しなければなりません。日本のすべて、日本の歴史をすべてを否定して、この零点の門を通過することができるのは、純粋な愛、真の愛を中心にした絶対愛だけです。雑多な日本の文化的残りのものは通過できません! 分かりましたか? 真の愛は自分を犠牲にします。「死にたがるものは生き、生きたがるものは死ぬ」という話です。自分の個性を完全否定することによって個性完成する道を目指すのです。日本人の習慣性や伝統的氏族観念などを持つ者は、本来の神の真の愛を中心としてつながる道に何のかかわりもありません。それらは、百八十度ではないので、皆、脱線してしまうのです。こうなった場合には、力が入った場合にはとんでもないことになります。別個の世界になりますから、霊界には行けません。霊界の世界にはないのです。ですから、陰の所、地獄に落ちるのです。 たった一つ、真の愛の道にのみ育った場合には、良心の中核は肉心と共鳴体になります。自動的に良心が完全にプラス、体は縦的に完全マイナスの共鳴圏がなされるのです。すると、天宙が明瞭になります。神様は自動的に分かります。教育は不要です。分かりましたか? エバがお嫁に行くのは何のためですか? 旦那さんの愛とともに、その一家を相続するのです。一家を繁殖するために行くのです。日本の一家ではありません。種は旦那さんからもらうのです。いくら種があっても、畑がなかったら大変です。 日本の女はやさしいです。韓国の女は強いです。(笑い)。会ってみると、強いでしょう? 主管性が強いです。本当は、女は柔らかいものです。男は骨です。骨肉はともに合併して理想体となります。 ダイヤモンドを削るものは、ダイヤモンドよりも硬いものですか、もっともろいものですか?(「硬いものです」)。そうではありません。ダイヤモンドを削るには、真鍮、銅で削ります。発電所へ行けば、ゼネレーターの大きなローターを中心として、シャフトを中心にそれを支えている軸があります。それはバベットです。つまり、鉛です。歯と舌はどちらが柔らかいですか? よく調和が取れています。恐ろしいところに……。それが理想郷です。 男は女が絶対必要です。女は男が絶対必要です。分かりましたか? ですから、その器官の堕落行為圏をなそうとするのがサタンであり、それを完全に消して本然の絶対圏、真の愛の理想圏の基盤を戻そうとするのが神の観点です。修養も必要ありません。美男子と美人が裸になって、ともに語り合いながら、兄さん、姉さんみたいに、子供みたいになればいいというのです。 そういうふうになっていますか? 男たちはなっていますか? 男のシンボルマーク、この棒は、女を見た場合に起きたら大変です。それを修養しなければいけません。先生はそのために非常に闘いました。百人の美人が裸になった中に、男がいた場合、すすり合って転げ寝た場合に、それが起きるか、起きませんか? その修養です。 生来の機会を整理しなければなりません。ですから、皆、女を誘い、男を誘うようになっています。真の顔と美人の顔と真の心を込めたら、動くようになります。それが堕落世界の現実ですから、注意しなければなりません。 今度の祝福を受ける者、手を挙げてみなさい。祝福を受けますか? 自分の旦那さん一筋だと考えて今までやってきましたか? ここに座っていますか? 雑多な方向で、しかたなくここから回って来て、また回ってそこまで行ったり来たりして、まだ定着できない者がたくさんいるでしょう。それは、妾の心情です。堕落した女と同じ、エバと同じです。原理をまだ乗り超えていません。 一心不乱、定着安定基準から、天宙は垂直から始まります。本然の心をかける垂直軸の基盤がないのです。辛抱させる軸がありません。これは真の愛です。軸もプラス、マイナスです。男女が完全に一つになってプラス、マイナスとなり真ん中の軸を生むのです。このように近ければ、穴をさっと開けて取ることができないのです。 これはいつでも百八十度です。四十五度行ったり来たりしません。男女は注意すべきです。旦那さんも注意しなければなりません。修養が足りません。愛という誘う器官が残っている者は、その器官が動き出した場合には統一教会の作動を止めていきます。真の愛の焦点を基盤に定着した経験を持っていない者は、いつでも危ないです。そう思いませんか? (「思います」)。あなたもそうでしょう。太っていても細くても、美人もブスも、皆そうでしょう。(笑い) 救援摂理は復帰摂理です。復帰摂理は再創造摂理です。再創造摂理は再創造します。再創造というのは一体何でしょうか? 神様は創造するとき、まず環境をつくりました。環境圏には必ずプラス、マイナスがあります。これが創造圏です。再創造ですから、必ず君たちは完全なるプラス、完全なるマイナスにならなければなりません。そうなっていません! 環境はありますが、創造体制が完成されていません! 神様は世界をつくるときに環境をつくりました。環境には主体と客体なる存在という永続する要素があります。それらを材料として、中心にさせるようになっています。必ず環境圏にはプラス、マイナス、主体、客体があります。 これは一つの中心です。心と体が一つに平行になることによって、心に神様が臨在するのです。男女は、ともに完成するために結婚します。男は右弦です。プラス、一方だけです。女は左弦です。マイナスです。左弦と右弦は一つにならなければ、中心点がありません。これは理想郷です。 これは焦点です。右弦はどこで止まるか問題です。この三方の焦点は皆、同じです。どこでも同じです。線はいくら引いても同じです。この焦点はすべての焦点です。直線の焦点は無限です。無限だったらなくなっていきます。焦点は集中しています。 それでは、垂直の焦点はどこですか? ここです。これを反対につけても、左弦の焦点は違いません。それは絶対的に同じ点です。この延長線すべてが平等になります。すべてが平等です。過去も平等になります。 ですから理想郷なのです。平等中核基準を決定し、焦点を合わせるのです。右弦、左弦の焦点は中心点です。直線から言えば中間は重要です。この重要な直線からして、無限の拡大ができるのです。ここは無限に拡大、比較的拡大するのです。これによって比例的拡大をします。個人拡大も同じペース、家庭拡大も同じペース、氏族拡大も同じ間隔です。これに責任を持った場合には、平面、上下関係、愛の関係は球体になるのです。その上下左右弦がこの焦点によってすべてが平等になります。右弦のものがこっちに引っ越しても合うし、前のものがこちらの方に引っ越しても合います。ここに引っ越しても合うようになっています。全部合うようになっています。 その点の通ずるところは一点しかありません。分かりましたか? 神様はその一点に行きます。それがすべての力です。球体の表面全体の通ずるところは零点です。この零点を中心として、ここから全部、一、二、三、四、五と延長するのです。 なぜこの零点を終結する内容になるのでしょうか? 相対圏、対象的な左弦、右弦を新生するものは、なぜ中核を起点としているのでしょうか? 中核が真の愛だからです。それゆえ、中心点には神様がいるのです。心の中心です。ここの中心点はへそにつながる所です。へその延長、拡大です。線につながっています。女も男もそうです。ものの五感も男の五感、女の五感も違います。どこで交わるかというと、ここです。零点に固定します。 その位置に返るには、自分の存在意識をもったらいけません。祭物になるには、存在意識をもったらだめです。所属意識や、自分は自分という存在意識をなくさなければなりません。自分は日本人であるといった所属意識をもったら、祭物になりません。零点に返りません。完全のところから通過します。創造は無から始めたでしょう? 環境、すべてのプラス、マイナスは、零点から発動し始めます。零点を新しく通過した後に、自分の再意識、再存在圏を見いださなければ、復帰はできません。日本人と韓国人は皆、怨讐です。怨讐地を中心として、これを否定するのです。百八十度転換するのです。分かりましたか? 怨讐といちばん嫌がる結婚をして、理想的な相対者よりもっと愛さなければ、霊界に通ずる道はありません。そのようになってきました。 君たち、韓国に来て良かったですか、悪かったですか? (「良かったです」)。会った男がりっぱですか、だめですか? (「りっぱです」)。だめだけど、りっぱに言うのです。(笑い)。それを「だめだ」と言ったらだめです! 百八十度反対です! 統一教会はともに回るようになっています。いくら「日本人の女がりっぱだ、偉い」と言って誇った者でも、韓国の男と結婚して子供を生んだ場合には、「うちの旦那さんはナンバーワン!」と言って男について行きます。そして「日本人の中にはこういう男を見いだすことができない」と、自信を持つようになるのです。 日本に帰りたい者がいたら手を挙げなさい。帰してあげます。(笑い)。出て来なさい。いませんか? (「はい」)。出て来なさい。良心的に考えて苦悶しないで出て来なさい、解放してあげます。(笑い)。追放して、日本に帰すときには真っ暗になります。真っ暗な日本と明るい韓国とどちらがいいですか? 明るいけどちょっと貧しいほうと、真っ暗なのに贅沢な方向とどっちですか? (「明るい所です」)。明るいが貧しい故郷をもって、暗い所の国より素晴らしいのです。 ですから、利口な統一教会の女さんは、韓国に来て苦労していますが、文句は言えません。文句を言われるのではなくて、言いません。(笑い)。言われたら相対的になります。自分に対して文句を言われません。言いません。どっちですか? 言われません? 言いません? (「言いません」)。本当ですか? (「はい」) 本当だという者、手を挙げてみなさい。はい。ありがとう。「ありがとう」というのは、日本の女の立場です。蟻が十匹だから腰が細くなるまで……。女が行けば天国の王女、王の貴婦人になります。本当です。戦前は、日本の女たちは働く虫と言います。働く虫が蟻です。よく働きます。 今朝、何時に新聞配達してきましたか? きのうは四時ですか? それを「早くしよう!」と、一時間早めて、三時にやってきたのでしょう。気持ちいいですか、悪いですか? 先生の命令を受けて苦労した場合には、韓国人が後孫になります。手をつけないで、戦争もしないで占領することができます。悪辣な日本の帝政時代のように、拳銃で脅迫して占領しようとしても、そうはいきません。自動屈伏させる道はこれ以外にはありません。おごり高ぶり、拷問で屈伏させようとするサタンは、その場に住むことはできません。自動的に逃げていきます。 そのサタンに勝利する方法として第一級の道です。利口な文先生は、利口になるべき女につくろうとしてそのような道を行かせようとしているのが、悪いことですか、いいことですか? どっちですか? (「いいことです」)。分かることは分かるんですね。 もっと苦労させるべきや? これ以上させないべきや? (笑い)。もっと苦労させた場合には、今から世界的神の摂理圏の女の世界の伝統の第一材料になるべきです。第一材料になるべきですか、第十、第百番目の材料になるべきですか? (「第一です」)。よく知る者となっていますね。第一材料となりたい者、手を挙げてみなさい。そうすると、新聞配達は気持ちのいい働きですか、気持ちの悪い働きですか? (「いい働きです」) 夜寝てるとき、一人で渋い顔をして「なぜ三十歳にもなって、日本人ではなく韓国人のところに嫁に来たのか。みっともない旦那さん、姿も男らしくない。統一教会の勇士たる女始祖が何だ。フー、フー。西に来て、太陽がわたしを知っていて明るく光るから、日本に帰ろうか」と、いろいろなうっぷんがあるはずですね。 これは、ソウルの町は皆、記憶しています。町の石、町の角は皆、ここを通りかかるすべての日本の女の子が配達しながら、ぶつぶつ言うのを聞いています。きのうはあんなに気持ちが悪かったのに、今日はどうして気持ちがすっきりしていますか? ちょっと変わっている先生の話を聞いて、決意して、そうならざるをえないという道です。(笑い)。きのうときょう、変わってきます。分かりましたか? 君たちの日本での三年間の心情と比べて帰ってみなさい。心情線をずっとつないでみなさい。女たる者は、先生が望んで余る女たるべき者ですか? 望まれないような女たるべき者ですか? 自分自身がよく分かっていないのではありません。自分は何をやるべきか、よく知っています。知っていながら、自分を弁明するのです。サタンの道を行く者は、裁きの相対者になる以外ありません。 それを知った場合、良心に沈黙を守りながら、服従して涙ぐもうとするのです。赦しを願うような道を上がったり下がったりしながら、もっと悔い改めないと、もっと高い所に上がっていけません。それを嫌がるなら、できません。 三年間で学んだものがたくさんあったでしょう。流した涙の肥料は、間違いなく下がっていくための涙ですか、悔い改めの上がっていくための涙ですか? 悔い改めて、きのうよりはきょうと、一心でも上がろうとするのです。苦労の真っただ中にさまよう姿を抱えながら、一人でこれを解決していかなければなりません。自分の再創造復帰は孤独な道です。だれも救ってくれません。いろいろな迫害の道でも、霊界に行って永遠の生涯を地獄で暮らすようになっても通じません。それは大変なことです。霊界を知って、この地上生活圏内に完全投入するのです! 十年間お父様の家庭の便所掃除をしながら、幸福だという結論をつくった場合、堂々と完成の道を歩み、日本はエバ国家としてパスするでしょう。これは復帰の再創造決定圏です。再創造の再完成圏を満たす決定基準であるということを覚えておかなければなりません。分かりましたか? どうですか、まだ下がるべきですか、上がるべきですか? (「上がるべきです」)。下がるべきですか? もっと迫害の道を行くべきですか? それを逃れていくべき道ですか。どっちですか? (「迫害の道を行くべきです」) 日本人によって、韓国人が牢屋に囚われ、血を流しながらも愛国を唱えた以上に行かなければなりません。韓国に来たことを、日本人としては文句を言ってはいけません! かわいそうなことは、先生は知っています。 かわいそうな世界をずっと尋ねていきました。寄り添ってきました。その最中に、神様が先生を褒めたたえたことは一回もありません。褒めたら定着します。休んでしまいます。休んだら、立つことができません。ですから、無慈悲にけ飛ばし、「このやろう、まだ行かなきゃならない。君が死んでも行かなきゃならない」と、今まで鞭打ちながらここまで生きてきたのです。 結局は、勝利の頂点を目指し、神がそれを立たせた場合、だれも完成しないで、そのご褒美を一人でもそれを不満に思うも賛成するもないのです。解放点に、完全解放圏の絶対的勝利の権限を授けて相続するための神の愛であったということを知った場合に、すべてが、過去は悩みでなく感謝とすべきであったということを悟るのです。 そのさなか、涙ぐんだ恥ずかしいこと、故郷をしのび、古い古い昔の恋人を思い、過去の歴史を思いつつ、青年時代にサタン世界が誇った内容を再び回想することは絶対にありえません。その自信を新しく発見し、神の方向に自分を向かわせるのです。神の国再建の働きを、神とともに完成したアダムとエバに代わり、神の愛の再創造の愛の相対者として立ち、生きがいの実績を残すことによって永遠の世界の自分の財産が生まれてくるのです。 お嫁に行くとき、裸で行きますか? 何をつくって行きますか? 女も所有をつくって行かなければだめです。父母が一家そろって自分の家庭を頼りにし、その後の行く者の所有権を拡大したいのが、お嫁に行かせた一家の目的です。 その点、天国にお嫁に行かせる統一家庭と同じです。りっぱな永遠的氏族主人としての所有権で管轄しえて、その圏内に恥ずかしくない堂々たる基盤を持たせたいというのが、一族の思いです。自分一身も共々に願った目標です。それは間違いありません。 先生は、君たち日本人にもっと苦労させて、統一教会の祝福を高めてやろうという思いはありません。いつ来ても同じです。エバ国家としての使命を果たすには、韓国において、新しいエバ国の伝統を女世界につなげなければなりません。そうしなければ、日本のエバ圏と韓国のエバにはつなぐ道がないのです。 それを今度なしえたのは、四月十日のお母様の女性解放宣布大会でした。日本人を通して、韓国の女と母を中心としてカイン、アベルです。韓国と日本、どちらがカインですか? 日本です。長子権復帰した立場から言っても、韓国は兄さんです。復帰過程においてはアベル圏と同じです。 日本人は絶対苦労した場合には、韓国の女性に服従しなければなりません。それはサタン世界の場合でも解放圏になった場合でも同じです。統一教会に模範にならなければなりませんし、帰ってくる女たちに、模範となれるような伝統を受けていないとしたら、末世紀にエバ国家としての使命はつなぎません。ですから、女のカイン、アベルの世界が一つになることによって、お母様が女の中心として立つのです。 それは、昨年、韓国の相対圏を中心として、日本でアジア平和女性連合大会が開かれ、一万五千人の相対圏が一つになることで、お母様が立たれました。それを中心として、アジア平和女性連合を中心として、世界平和連合大会、ソウル大会宣言をすることによって、先生の世界基準に相対的な立場に立って先生が解放圏に立ったと同じように、初めて韓国と日本の女がプラス、マイナス一つになった基盤の上にお母様と一つになった基準を立てて、平面的なそういう宣言大会をしたのです。それによって、今から女を中心として蕩減の世界は消えていくのです。分かりましたか? 今まで、旦那さん、再臨の主を迎えて安着するまでの蕩減の七五パーセントは女がしてきました。全部女です。宗教人口の七五パーセントが女です。どの宗教も同じです。それは、真の旦那さんを求めているからです。 世界万民は男と女です。復帰時代になった場合には、女は先生のほうに、女のところに男一人上がってきました。 真のお父さんは、女の世界と向こうの男の世界を二人代表した世界において、真の男と一人の別個な男が生まれるということです。それがいわゆる完成したアダム圏です。 世界のすべての女は堕落していますから、アダムを迎えることによって、完成復帰の新しい時代に向けて蕩減の歴史を歩んできました。しかし、いくら歩んだとしても、旦那さんがいなければ創造圏を迎えることはできません。 そこで、天はアダム完成した先生のような者を送って、世界のエバ国家基礎点を中心として一体化させるような立場を中心として、女宗教が一つになるという世界統一をなしました。そこから、共産党も何もかも先生によって皆、追い出されます。 ですから、全世界の女は先生のほうに偏ってきます。代表的な「解放」とするには、お母様が解放することによってなされます。それは、韓国の女と日本の女、つまりアベルとカイン、主体と客体が一つになることによって、真のお母様が中心的な母の立場、垂直な母の立場に立ち、垂直の立場の完成愛をアダムを中心としてつなぐようになっています。 ですから女として全部の層を引き継ぐのは母が先生の後ろについて来てなしますが、全体の蕩減の道はアダムが復帰しなければならないのです。 主管権を復帰するには、アダムを先頭にして、女であるお母様は先生に絶対服従して、影のようについて来るのです。それが逆になったら大変です。やられます。 先生は、個人的迫害、家庭、氏族、民族、国家、世界的な迫害の道の先頭にあって生き残り、すべてを相続しています。その心情が個人的迫害位置か、家庭的迫害位置か分かりますか? その基盤はどうでしょう。氏族的家庭心情圏において、エバ位置化、民族的位置化、国家的位置、世界的位置化しましたが、それを分けてやってもサタン側の反対圏が追われていくのです。 女性解放が宣布されることによって、そのような平等な立場に立った女の時代が来るのです。そうなると、世界のすべての女は先生の後につくようになります。お母様の後について来なければ神に帰る道はないのです。分かりましたか? (「はい」)。分かりましたか? (「はい」)。分かりましたか? (「はい」) それでは、日本を代表して交差結婚してやってきた者の道は何ですか? 韓国の男は天的天使長ですから、交差結婚で日本からきた者は、天的天使長の前に復帰したエバの立場です。復帰したエバの立場は、世界的子女のために、お母様の後ろについて行くのです。そしてサタンの蕩減条件が残っているもののすべてが、日本の女によって打ち切られなければならないのです。はっきりした原理観的結論です。 君たちは、韓国の女が泣き叫ぶのを見たら「ああ、私が救ってやらなければならない」と責任を持ち、放蕩息子を抱えた家庭の内容を見たら「私の責任だ」という主体的責任を持って、蕩減して祭物過程を通過しない限り、韓国の女と一つになれません。 君たちは復帰したエバですから、復帰されないエバ、カインのために犠牲の道、再復帰圏を通過しなければなりません。お母様は縦的路程を通過します。それをやっても、縦的勝利圏を横的に拡大するためには、韓国の女と日本の女から見た場合には、韓国の女の伝統、お母さんの伝統を日本の女は受け継ぎ、影響を合わせて、統一化された完全な主体、客体圏をつくらなければなりません。そうでなければ、エバ国家として日本と韓国の交差結婚した家庭の使命が果たされません。 君の旦那さんは、堕落しなかった天使長です。君たちは、行動するとき、それ以上干渉してはいけません。 分かりましたか? 家庭です。統一教会のカイン、アベル、エバと統一教会、韓国の祝福家庭と日本の祝福家庭が一つになることによって、その相対圏が必要となります。もっと大きいプラスとマイナスが生まれます。それはお母様を中心として一つになるのです。 このようにして一つになった私たちは、大きなプラスです。そして、統一各界の相対的祝福家庭ではなく、勝共連合がその奥さんと一般の国民の奥さんがプラス、マイナスとなり、サタン圏をつなぐのです。これを消化して一体化することによって、統一教会以上の国家、アダム、エバ国家の権限が、原理原則の鉄則において決定されるようになっています。善悪の位置に立っているすべてを明らかにし、その目的を完成するのです。すべてを犠牲にし、生畜の祭物をささげるような立場において、この目的完遂のために前進すべきなのが、今日集まって決意する群衆です。分かりましたか? そのとおりにやるという者は手を挙げて誓いましょう。(「アーメン」)。そうすることによって南の解放に通ずることで、北韓は自動的に解放されるのです。(拍手) 南北の分裂は日本にやられたのです。サタンのエバという悪魔の娼婦で南北を分裂させました。こうして、悪魔的な親を中心として真の親の道をけ落とそうとしたサタンの計画は、ここにすべて解消されて、神の一方的な理想圏の権限が可能になるようになります。これは原理観です。日本の女たち! 一家関係をもった韓国の祝福家庭全部が一つになってなすべきだと、はっきり知らなければなりません。分かりました? (「はい」) これは一体化させる対応圏です。お母様と一つになった場合には、その対応圏として、統一教会と相対圏にある事業団体などの奥さんたちは今からカインの家に入って、そこで寄宿しなければなりません。統一教会関係の団体をつながなければなりません。そうすることで、これが一つになってサタン世界の域を完全に新しい伝統にするのです。これが対応圏です。 (板書され)これです。家庭をつくります。統一教会の日本の祝福家庭、韓国の祝福家庭が一つになります。これをプラスにして、もっと大きい外的な関係にある統一教会の勝共連合の女や国民連合の女たちが対応圏になります。教会団体の女たちは今まで皆、無関係でしたが、家庭を中心として、国家的サタン圏を消化する基台を通して、活動舞台として活用するのです。恐怖心の時代ではありません。歓迎する時になりました。ですから、天国建設は時間の問題です。対応圏を通して発展します。 対応圏が一つになった場合には、エバ国家、アダム国家が大きなプラスとして、アジア圏を中心として消化していくのです。共同でやったら一発です。そしてアジアです。一つの西洋文明は自動的に統一圏になります。四十日以内に世界を教育して余ることができます。 そういう知恵で、内外共の準備を完璧にしています。もう時間がないことを覚悟して、青春の貴い期間を真のみ旨の祭物壇に全体を動員し、明らかな勝利の旗を万国に掲げるのを願うのが先生の話の結論です。 世界のカイン的エバ家庭を中心として、南北統一圏の消化基点として活用し、今やっています。日本の女が韓国の祝福家庭と一つになって、相対的な統一教会の勝共連合や国民運動、アカデミーなど、男性がやってきた過程を女が連結して、いろいろな活用基盤として使います。 なぜなら、日本から来ても統一教会の基盤は何もありません。それで南北統一をしようというのです。それは韓国国家、韓国国民として絶対的にやらなければならないことであり、それを否定する者は一人もありません。日本人と韓国人が一つになってそれをやろうとすれば、韓国で感服して……。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.03.04
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第13回神統一韓国平和フォーラム(2022.3.4)第13回神統一韓国平和フォーラム(2022.3.4)午前9時20分ヒョジョン文化院文化ホールとtv.peacelink.live 韓国語のみの配信のようです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.03.03
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「女性解放」一九九二年四月十二日韓国本部教会 『文鮮明先生み言選集第二百二十九巻』 今日歴史を通じて苦労した人々がいるとすれば、もちろん男性もいるでしょうが、女性がより多く苦労しました。一つの家庭においても、その家庭を率いていく生活の底辺において、直接責任を負っている人とは誰かというと、女性です。衣食住を中心とした生活をしていくのにおいて、女性がすべての責任を負っているのです。 女性は家庭生活の中心であり責任者 男性と女性の違うところとは何でしょうか。男性は外的な活動をして、女性は家庭において内的な活動をするということです。子女を教育するにおいて家庭に責任をもっているのです。このように見るとき、女性でも男性でも生涯を整えて歩んでいくことは簡単ではありません。一つの家庭がある国家の社会に抱かれて、その国家と共に、その社会の複雑多岐な環境を貫いていき、その社会と歩調を合わせていきながら、生活を営為していくのは簡単なことではありません。 いくら内的な面で家庭が平安であるとしても、社会が混乱したならば、混乱したその外的な影響が家庭内に及ぶのです。また、その社会を越え、国家が外的に混乱をもたらすようになれば、家庭もやはり動揺するのです。もっと大きく発展させて言うならば、一つの世界ならば世界を中心として見るときも同じです。世界の外的な面が大きく動揺するようになるとき、その動揺するすべてのものが家庭に波及するのです。 摂理史においても同様です。摂理史が平坦な道を行かずに蕩減の道を行くときには、その蕩減の道が家庭にまで影響を及ぼすのです。このように見るとき、家庭というものは、それ自体独立しているものではありません。社会の中にあり、国家の中にあり、世界の中にあり、天と地の中にあるのです。 それでは家庭において、生活の中心になるのは誰でしょうか。もちろん男性も中心となりますが、主に女性が、家庭ですべての責任を負って生活しているのです。まず衣食住の問題においても、直接その生活の前線で責任を負っていくのは女性です。また、家庭に困難なことがあるとき、男性はその困難なことを間接的に感じますが、女性は直接的に感じるのです。 人類歴史の中で一番大きな困難は家庭の分裂 これまでの人類の歴史をずっとたどってみれば、それは戦争史でした。歴史時代を経ながら数多くの戦争がありました。その戦争の中には、国に対する様々な戦争もあったでしょうし、第一次、第二次世界大戦をはじめとした、すべての戦争がありました。しかしながら、そのような戦争よりも、直接的に家庭にあって一番難しい戦争とは何かといえば、夫婦が不和になること、父母と子女が不和になることです。 結局、どのような問題があるのでしょうか。男性と女性を中心として最初の生活基盤となる家庭においての分裂、闘争の問題が、外的な世界のすべての問題よりも、もっと大きな問題になるのです。各家庭で生活する人々の心に、大きな傷を与える可能性のあるものが夫婦間の衝突であり、父子関係の衝突であると見るのです。 それゆえに、女性は歴史を経て生活する中で、多くの涙を流したのです。男性も、もちろん涙を流したでしょうが、涙を流した大多数の人々は女性なのです。 その女性たちの中には、おばあさんの年代、自分の母親の年代、その次に自分の妻の年代の女性たちがいるのですが、この女性たちの根は一つではありません。女性の世界が男性と合わさり家庭を成す背後を見れば、おばあさんの根が異なり、母親の根が異なり、自分の相対の根が異なっているのです。 ですから、この系統は引き継がれません。一つの家の中において見るときも、そうだというのです。おばあさん、母親、自分の妻が因縁を結んでいるのですが、横的な面において血統的関係がつながれていないというのです。ゆえに、どんなに素晴らしい女性でも、夫婦が離婚するようになれば、その家と関係がなくなり別れてしまうのです。それは母親もそうであり、自分の妻もそうだというのです。 このように涙を多く流した人は女性ですが、女性が涙を流すようになった根本動機とは何でしょうか。男女関係、愛という問題を中心として女性は多くの涙を流したのです。ですから、歴史始まって以来、愛の問題を中心としてより多く苦しめられたのは女性であったと、このように見るのです。 それで終わるのではありません。国に何かの大変動が起これば、男性は思いのまま社会活動をすることができますが、女性は制限された環境、家庭という垣根から抜け出るのは簡単ではありません。何か困難なことが生じれば、男性は母や妻に家庭を任せて家を出て、自由に行動することができますが、女性は困難な環境でも自分の家族、息子、娘を中心として家庭から抜け出るのは難しいのです。 このような立場から男性と女性を中心として比較してみるならば、人類歴史始まって以来、誰が多く涙を流したかというならば、男性ではなくて女性だというのです。 女性が困難と悲しみの歴史を経てきた理由 それでは、女性の立場を総括的に見るとき、人間世界でこのような生活をしている女性を理解してあげる何かの機関があるかといえば、ないというのです。女性としての困難や悲しみを保護してあげ、その女性のすべての悲しみを解決することができる国ならば国、そのような機関があったのかというのです。それもなかったというのです。 すべての責任を要求する立場では女性が重要な責任を負っているのですが、家庭において女性を保護する何の体制もなく、社会においてもそのような体制はなく、国を越えてもやはりそのような体制ができていません。 どうしてそのようになったのかといえば、それは蕩減時代を経てきたためです。女性が蕩減すべき道が東にもあり、西にもあり、南にもあり、北にもあるというのです。東西四方に連結していて、一方でなく前後、左右、上下、全体の球形的な面で責任を負わなければならなかったために、その女性を保護し得る体制をもつことができなかったというのが、今までの歴史でした。 このように、男性と離れることができない相関関係をもってきながら、困難な立場で涙を流さざるを得ない人々が女性たちだったのです。それゆえに、悲しみの象徴として表示されるのが涙であり、苦痛の象徴として表示されるのが涙であるというとき、それは女性たちがこれまで歴史時代を経てきながら残してきた特権的遺物であるといえるのです。 その中には祖母の涙、その次には母親の涙、妻の涙、姉の涙があります。自分の一家族があれば、大概四代まで連結されています。おじいさんとおばあさん、母と父、その次に自分の夫婦、息子と娘、このように四系列の三段階が連結されています。これが四数、三数に連結されています。このように、全体の家庭が生活していくときに、平均的に女性が涙を多く流してきたのはなぜか、人間には分からなかったのですが、神様の摂理から見るとき、歴史の発展過程において蕩減の責任を負っていたためだったのです。 宗教的な面から見れば、男性を対象として見ても、宗教を信じる人々は宗教を信じない人々よりも涙をより多く流さなければなりません。悔い改めなさいということです。洗礼ヨハネがイエス様の来臨を証言するとき、「悔い改めよ、天国は近づいた」と言いました。「天国は近づいた」と言い、「解放された」とは言いませんでした。最初の言葉が「悔い改めなさい」ということでした。 悔い改めるということは、涙を通じなくては駄目なのです。このように、宗教を中心とした圏内の男性世界は一般社会の男性世界よりも涙を多く流してきたのですが、それはなぜかというと、これも蕩減という内容があるためです。 男性が宗教的な面で責任を負い蕩減することと、女性が家庭において責任をもち蕩減することを見るとき、摂理史的な立場において男性が涙を流したのは、男性解放を成し遂げるためであったのです。それで、これまでの歴史は男性解放圏に向かってきたのです。人間は家庭を越え、氏族、民族、国家を越えて、世界まで越えて理想郷に向かっていくのですが、男性においては世界の果てを越えるようになるとき初めて、「私は解放者だ!」と言うことができます。そのようにしようとすれば、その世界が平面世界でなく球形世界であるからには、地の果てに行き、向こうの反対側を回って戻ってこなければならないというのです。 これまで歴史を通して、おおよそ神様を信じない外的な世界の男性と、宗教圏内にいる男性がいたのですが、宗教世界の男性が涙を多く流さなければならなかったのです。したがって、真正なる宗教指導者は、涙の生活をしなければなりません。なぜそうなのでしょうか。蕩減しなければならないからです。この二つの面を見るとき、女性は家庭生活をしながらその中で涙を多く流し、宗教を指導するすべての男性は、その教会を中心として対社会的な涙をたくさん流してきたのです。 男性は宗教を中心として涙を流し、女性は家庭とか生活四方において涙をたくさん流したのですが、どちらが、よりつらかったでしょうか。もちろん男性も対社会的に隔離され、生活することはつらいでしょうが、それよりも女性が、よりつらい立場に立っているというのです。 この悲しい人々が、どこで出会うのでしょうか。宗教の形態で出会うのです。宗教の内的な要素を見るとき、男性と女性がいるのですが、これを比例的に見れば、歴史的なすべての宗教を維持し、その外的な面までも拡大させることができる動機となるものとは何でしょうか。もちろん男性が主導したのですが、宗教を中心として悲しい涙を流した男性と、より悲しい涙を流した女性が合わさって宗教を今まで形成し、引っ張ってきたのです。そのような代表的な宗教が、キリスト教なのです。 真の愛に出会い愛の解放を受けるための闘争歴史 キリスト教とはどのような宗教かというと、新婦宗教です。誰のための新婦ですか。新郎のための新婦です。今日キリスト教において、その新婦たちがこれまで涙を流しながら蕩減の道を経てきた一つの目的は、真なる新郎に一度出会うことです。ところがその新郎は、いつでも現れるのではありません。一時です。 それでは、新郎に出会おうとする目的とは何でしょうか。それは、すなわち解放を受けるためであり、蕩減の道であるがゆえに、それから抜け出るためなのです。女性一人では抜け出ることはできません。なぜ女性一人では抜け出ることができないのでしょうか。これが問題です。お金がなくて解放を受けられないのではありません。知識がなくて受けられないのでもありません。権力がなくて受けられないのでもありません。真の愛の因縁をもつことができなかったからです。 それで、真の愛によって解放を受けるために、新郎に出会うことを願うのです。真なる愛をもってくる新郎に出会うことによって、解放を受けることができる時が始まるのです。その時初めて、その男性自体も宗教から解放されなければならないのです。 そうして、宗教の悲しい環境から解放を受けると同時に、女性も共に解放を受けなければなりません。それでは、どのようにして解放を受けるのでしょうか。その総責任者であるメシヤが来なければなりません。そのメシヤは天の真なる愛をもって来られるのですが、その真なる愛を中心として男性と女性が解放を受けるのです。男性は、宗教から解放を受けなければならないのです。これまでの宗教歴史においては、女性が指導した宗教はありませんでした。大概、聖人は男性です。その男性がこの悪なる世界と闘争してきたのです。 そうして宗教指導者たちは大概受難の道を歩み、犠牲となってきたのです。その代表が、イエス様です。その当時の政治風土の環境を開拓していかなければならないがゆえに、男性を代表した宗教指導者たちは、常にその国の主権者と闘争してきたのです。それでは、家庭における女性は誰と闘争したのでしょうか。男性と闘争してきたのです。歴史がそのようになっているのです。女性は男性との愛を中心として、みな闘争してきたのです。 ですから家庭においては、女性が男性を中心として愛の解放を追求してきました。また、対社会においては、男性が愛を根本的な面で破綻させようとする悪魔と闘争してきました。このような戦いをなしてきたのです。それでは数千年歴史を経てきながら、その戦いに勝利した版図をもった者がいましたか。どんなに女性が涙を流したとしても、その愛において男性に対する闘争過程で解放を受けることができたのかというのです。 また、男性が真の愛の主人の立場で勝利し、悪魔の誤った愛を中心として結ばれた愛を再び取り戻すための蕩減の道において、解放を受けることができたのかというのです。これまで誰も解放を受けることができなかったというのです。そのような戦争が継続され、今日まで流れてきたのです。 宗教は真の愛の理想的家庭を取り戻すためのもの このように見たとき、その宗教というものは、あるいは家庭というものは、何を取り戻すためのものなのかといえば、理想的家庭を取り戻すためのものなのです。もし、真の愛の理想的家庭を成すことができたならば、宗教も終わりであり、女性たちの涙も終わるのです。その時が、終わりの日です。 終わりの日になればなるほど、どのような現象が起こるのかというと、すべてのものが混乱するのです。男性が先なのか女性が先なのか、分からなくなるほどになってしまうのです。女性だけが涙を流すのではなく、男性も涙を流すようになっています。なぜでしょうか。将来の行くべき道が漠然として分からないからです。ゆえに、宗教を指導する人だけが涙を流すのではなく、社会で生活している男性たちも涙を流すのです。そうして、全部が同じ位置に立つようになっているのです。 今が、そのような時であって、混乱の時代です。宗教が宗教の位置を守ることができず、社会が社会の位置を守ることができないでいるのです。社会の歴史的流れ、そのような疲弊した風土が教会を襲い、教会の疲弊したすべての流れが家庭を襲うのです。したがって、家庭の基盤も、宗教の基盤も、外的な国の基盤も、自分自ら自主的な立場で、愛を中心として解放圏を備えたものは一つとしてないのです。 過去から現在までの歴史を見るとき、数千年歴史を経てきながら、すべての人々が理想を思い描き、平和を思い描きながら歩んできたというとき、その理想と平和を一つにまとめることができ、その平和の門を開くことができ、解放の門を開くことができるものとは何でしょうか。それはお金でもなく、知識でもなく、権力でもありません。内的な家庭において、あるいはすべての宗教において、真なる愛のみが宗教圏を克服し、家庭圏を克服することができるのです。 宗教というものは、家庭を抱いていかなければならないものです。世の中にはたくさんの家庭があります。ここに来ている人たちも、その背後にはみな家庭があるのです。その家庭をどのようにして平和にするのでしょうか。宗教的側面から見るとき、その使命を完結する宗教とは、どこにあるのでしょうか。仏教、儒教、イスラム教の区別なく、みな同じ立場にあります。 キリスト教は、男性宗教ではありません。女性宗教です。新婦宗教だというのです。西欧文明は、今やアジアを訪ねてくるのです。アジアは男性的大陸であり、アメリカ大陸は女性的大陸です。なぜ女性的大陸なのでしょうか。その宗教と思想面から、新婦宗教を信じているキリスト教文化圏だからです。それで、男性的アジアを訪ねてくるのです。 イエス様もアジア系として生まれました。ところが、アジアで体を失ってしまいました。それを蕩減復帰するために、これまで西欧文明はローマを中心として反対に流れていったのです。本来、イエス様が死ななければ、インドの仏教圏、極東アジアの儒教宗教圏がキリスト教を中心として統一圏をまず成さなければなりませんでした。宗教圏が統一を成さなければなりませんでした。 宗教圏に立っている最高指導者は霊界と通じるために、将来天が行く方向を知っています。それゆえ、イエス様が国を収拾してローマから独立し、イスラエルの十二支派圏がカナンを復帰して、分かれていたその地が統一される時には、間違いなくアジアが吸収されるのです。 それでは、どのようにして収拾するのでしょうか。霊界で全部教えてくれるのです。霊界に行ってみれば、宗教というものが男性と女性を解放するためのものであるということが分かるようになります。なぜならば、堕落により拘束を受けている立場にあるからです。 ゆえに宗教というものは、終わりの日に男性と女性を解放するためのものです。その男性と女性の解放は、特定国家においてではありません。総括的な世界舞台において男性と女性が解放を受け、天の愛と共に新しい出発をする時が終わりの日であり、すべての宗教が唱える末世であるのです。 男性と女性は愛の解放を受けなければならない 男性と女性が解放を受けなければなりません。何の解放を受けなければならないのかというと、愛の解放です。どんなに生活が苦しいとしても、愛が宿っている所では、その貧しさを克服しても余りあるのです。そこからすべての力が補充され、愛する所では、たとえ何もなくても何もかもが集まろうとするのです。こうして世界のすべての被造万物が、愛の本質要素に吸収されるのが原理です。 聖書を見れば「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」(マタイ二二・三七)とあります。なぜ愛さなければならないのでしょうか。神様が、本質的な愛の主体であられるからです。愛するようになれば、その位置は神様の愛を中心として万物を主管しようとする相対的位置となるため、その愛する心をもっていることは、プラスとマイナスのようにすべてが一つとなるというのです。 「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」(マタイ二二・三九)とイエス様が主張されたことも、愛です。自分以上に愛することができる位置を取り戻すまでは、神様の愛の圏内に入ることはできません。歴史上の戦争や争いなどが起こるようになったのも、結果的に愛を取り戻すことができなかったからです。 これまで愛を探し、もがきつつ、疲れ果ててしまったのが私たち人間です。愛に飢えた人間たちなのです。今日、社会における青少年の問題の混乱相も、その根本を探ってみれば、お金でもなく、知識でもなく、何かの力でもありません。そこには、愛が欠如していたのです。 愛は愛ですが、それは何の愛でしょうか。一時的な愛では駄目です。春夏秋冬のように異なっていても、その本質においてはすべて同じです。冬は寒いですが、その寒さは愛を支配しません。そして、寒い冬にも愛を再び輝かせることができます。冷たいものが圧力を与えれば、縦的に伸び上がっていける、このような刺激的な業をなすのです。それは呼吸と同じです。息を吐き、吸うのと同様に、冬には萎縮し、夏には拡張するのです。季節の変化に従って愛の本質が変質することはないのです。その作用と形態は異なりますが、本質と本量においては消耗されないのです。愛のゆえに、すべてのものの結果がそうなっているのです。 それでこのような代表的な宗教、この世界全体からこれを解放するための主流的宗教があるとすれば、その宗教は必ず愛を中心とした宗教の内容とならなければならないのです。このよう見たとき、他の宗教よりもキリスト教は、神様に対して「父、子」という言葉を使いました。また、イエス様は「花婿、花嫁」という言葉を使いました。その教えの核心は国ではなく、父子関係、夫婦関係です。「私は花婿であり、皆さんは妻である。私は兄であり、皆さんは弟、妹である」という、こういったすべての教えの核心は、家庭の解放です。 それでは、イエス様はどこから生活を出発されたかったのでしょうか。花婿となられる方は、どこから生活されたかったのでしょうか。家庭から生活しなければなりません。それではその家庭生活というものは、どこと連結されなければならないのでしょうか。男性が涙を流しながら世の中と闘争してきた蕩減の道に立った、教会と連結されなければなりません。外的世界や国家形態の生活圏も愛を中心として連結されるのです。それがみ旨の完成であり、私たちの宗教の完成です。 そうすれば家庭の完成が成されるのです。お金でもなく、知識でもなく、権力でもなく、愛を中心として完成がなされるのです。 解放圏は天と地を越えた位置に設定しなければならない 女性解放をなすとき、家庭から解放するのでしょうか、教会から解放するのでしょうか、世界から解放するのでしょうか、天と地から解放するのでしょうか。もし、家庭からだけ解放するというならば、女性解放は成し遂げられません。 しかし、家庭解放圏なくしては教会解放圏が起こりません。そして教会を越え、国家解放圏、世界解放圏が起こり、霊界解放圏まで起こるようになるのです。そうして天宙解放圏が起こるのです。解放圏をどこに設定しなければならないのかというと、国を越え、世界を越え、天と地を越える位置に設定してこそ、解放の世界が来るというのです。 それでは、メシヤが来られて花嫁となるキリスト教をどこに導いていかれるのでしょうか。たとえ家庭に定着してそこで暮らすとしても、その暮らしている場は、自分たちがとどまるべき所ではありません。家庭をもち、国を越え、世界を越え、天と地を越える場に定着しなければならないのです。 堕落することなくアダム・エバが完成するときには、天と地の代表者となるのです。神様がこの宇宙を代表した中心である人間を造られるようになるとき、彼らはすべての男性を代表し、女性を代表した者です。彼らは人類を代表した根っこでした。そうしてこの根っこ一つが、すべての幹と枝と実を全部もっているのです。 アダムとエバが神様を中心として愛の理想を完成したならば、その位置は家庭的完成の基盤にもなりますが、社会完成の基盤にもなるのです。社会完成の基盤となると同時に、その伝統に従った国が生じ、その伝統に従った世界が生じ、その伝統に従った膨大なる天と地の民が生じるのです。そのようになるその動機とは何かといえば、真の愛であるというのです。 ところで真の愛というものは、男性と女性を中心として成されるものであって、一人では成し遂げることはできません。男性と女性を永遠に引っ張っていく力をもったものが真の愛です。歴史時代に男性と女性が互いを殺し合うような家庭の最大の患難の時、そのような困難な曲折があるとしても、それを難なく越えさせられるものが、男性と女性が一つとなった愛です。 その愛があったならば、その愛を中心としていたならば、社会がいくら困難なものであっても問題ではありません。世界環境がどんなに混乱していても、天地がどんなに混乱していても、愛を目的にして、分立することのない個人的な道、家庭的な道、氏族的な道、民族、国家、世界的な道を直行してきたことでしょう。 解放されようとすれば女性は男性の三倍以上蕩減の道を行かねばならない そのように歩むことができなかったのはどうしてですか。堕落したからです。それでは、どのようにして堕落したのでしょうか。もちろん第一の責任はサタンにありますが、第二の責任はエバであり、第三の責任は男性であるアダムです。サタンは誰と一つとなったのかといえば、エバと一つとなったのです。 結局、サタンが神様の代わりの立場から、その愛を植えつけたので今日、人類世界の愛の根が神様とならずに悪魔になったのです。魔鬼が根っこになったのです。ヨハネによる福音書第八章を見れば、「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって」(四四節)という言葉があります。私たち人類において、その根っこが間違ったのです。ですから、その間違った根っこを逆さにしなければなりません。 ここで根っこをひっくり返すことができる張本人とは誰かといえば、女性です。その根っことなる人間の出発が、家庭であるというのです。それゆえ、女性はこれまで家庭から解放を受けられませんでした。その家庭がそのまま世界を越え、天の国へと通じることができませんでした。女性が愛を中心として堕落したためです。 それでは、誰がまず蕩減を受けなければならないのでしょうか。女性です。女性は男性の三倍以上涙を流さなくてはならないのです。なぜそうしなければいけないのでしょうか。サタンが蕩減することを嫌うからです。また、サタン世界にいる男性たちが蕩減することを嫌うからです。宗教を信じることを嫌うというのです。宗教を信じることを歓迎する男性を見たことがありますか。人生においてつらく、破れるようになったので仕方なく慰安所を尋ね求めて信じるのであって、もともと男性は宗教を好みません。 そうして蕩減復帰するためには、女性を中心として涙をたくさん流さなければなりません。女性は息子のためにも涙を流し、夫のためにも涙を流さなければなりません。家庭に問題が生じれば男性が先に涙を流すでしょうか、女性が先に涙を流すでしょうか。女性です。その女性の涙の谷間というものは、夫のためにも泣き、子供のためにも泣き、父母のためにも泣くのです。家庭に困難なことがあれば、女性が全部そこにおいて責任を負い、主人の立場に立つのです。女性を見るとき、この世の誰よりも多くの蕩減の十字架を負ってきているのです。 そうして、神様が解放を受けるためにも、かわいそうな者を解放しなければならないので、女性を解放しなければならないというのです。女性解放をしなくては、男性解放はありません。それで新婦宗教であるキリスト教文化圏が世界を支配することができたということは、驚くべき事実です。 小羊の婚宴の一等花嫁条件 それでは来られる花婿はおばあさんの花婿ですか、母親の花婿ですか、私の花婿ですか。それが問題です。新郎は一家に三人必要です。おばあさんの新郎、母親の新郎、私の新郎がいなければなりません。 おばあさん、母親、嫁、娘まで四人が花婿を探し求めるようになるのですが、来られる花婿はお一人です。ですから競争するようになります。それで、一等花嫁という言葉が出てくるのです。小羊の婚宴をするようになれば、特等花嫁を選出しなければなりません。その中でも、一番素晴らしい人はどんな人ですか。顔が美人の人ではなく、涙をたくさん流す人です。おばあさんよりも、母親よりも、妻よりも、姉が涙を多く流せば、そのお姉さんが中心となるのです。 その涙は、何のために流すのでしょうか。息子、娘をもったならば息子、娘を解放し、その次に自分の夫を解放するためです。自分のために涙を流す人は必要なく、無駄です。どうしてそうなのでしょうか。女性が堕落することによって、夫があのようになったのであり、息子、娘がその影響圏内にいるために、息子、娘のために涙を流さなくてはならず、夫のために涙を流さなくてはならないのです。その一家のすべての先祖の伝統を再び立てるために涙を流した方々が、女性です。ですから、女性がかわいそうなのです。 今や主が来られるというとき、おばあさん、母、妻、姉と、このように四代が暮らしている場合、互いが「主のところに先に行く」と言えば、大変です。「おばあさんよりも私がもっと福を受けなければならない、主を自分の花婿にしなければ」と言えば問題が起こるというのです。それでは、これをどのように選抜しなければならないでしょうか。自分を中心として涙をたくさん流し、自分を中心として蕩減の道を行こうとする人たちは後ろに下がっていくのです。涙を流すのですが、一家のために、おばあさんのために、母のために、妻のために涙を流すことができるそんな姉がいるとすれば、そのお姉さんが代表者となるのです。 男性は堕落した天使長の後継者であるために、女性の後ろにいなくてはなりません。復帰されていくエバは士大夫(注:家柄の高い人の意)の一人娘と同じです。女性は父と母を尋ね求めていく立場にあり、男性という者は、これは僕がエバを蹂 躙したために、今は僕の位置に立って侍らなければならないというのです。 真の愛によってのみ世界史的解放が可能である ゆえに、男性も女性も真の愛を探し求めていかなければなりません。お金を見て結婚した人は地獄に行くのです。愛を中心とした創造理想の中にはお金を見て結婚する法がありません。知識を見て結婚した者も全部地獄行きであり、力を見て結婚した女性も全部地獄行きです。そのような原理はありません。それでは男性と女性が何を見て動かなければならないのかといえば、真の愛です。 人類全体が願うものとは何かといえば、解放されることです。解放を受けてこそ平和を望むことができるのであって、解放なくして「平和」を言うことはできません。世界史的解放を受けなくてはなりません。それゆえに、世界はだんだん広がっていくのではなく、歴史とともにだんだん狭まってきて、一日の生活圏内に入ってくるようになります。どんなに世界が広いとしても、一時間、一分圏内に世界が狭まるようになれば、それを一遍に乗り越えていくことができる道というものは知識でもなく、権力でもなく、お金でもありません。真の愛のみが可能であるというのです。 真の愛は平面的に、水平的にも行くことができ、四五度にも行くことができ、垂直にも行くことができます。真の愛の世界は愛すれば愛するほど、弱くなるのではなく強くなるのです。それで真の愛は貴いというのです。 世の中においては、愛するとか何か他の力というものは、作用すれば小さくなります。入力は出力よりも大きくなっています。作用するものはすべて負荷がかかるので消耗が起こるのです。その絶縁体が妨害作用をするところを突破していくとき、必ず消耗が起こるのです。しかし、真の愛の世界はだんだん小さくなるのではなく、だんだん大きくなっていくのです。 聖人とは、世界人類を愛した人です。そのため、聖人たちはみな世界史的な宗教指導者です。一族を越え、数多くの国境を越えて人類を包摂してきたものが、愛を中心とした世界的宗教圏です。その宗教圏が死亡の世界を突き抜けてきて、世界まで全部門を開き、国境を越えて解放するための過程にあるというのです。国家を越えて、世界を愛そうとする人が聖人です。 イエス様は真の愛の家庭を成しに来られたお方 「聖子」と言えば神様の息子のことですが、そのお方は神様はもちろんのこと、天と地を愛そうとする人です。天と地の愛の圏だけでなく、天の国の王宮法まで愛そうとする人です。聖子は天の国の王子であるので、天の国の王宮法も守り、地上世界の王宮法もすべて守らなくてはなりません。その上に、天の国の王孫たちも愛し、天の国の民も愛し、地上の国の王孫たちも愛し、地上の国の民も愛さなくてはなりません。 そうして二つの世界の宮殿と、二つの世界の民を愛することができるようになるときには、「神様の息子である」と言うのです。神様の息子は、この地上の民も必要であり、この地上の王族たちも必要であり、あの世の民も必要であり、あの世の王族も必要なのです。 今日、キリスト教では「イエス様が結婚する」と言えば、あお向けにひっくり返ることでしょう。イエス様が死ななかったならば、花婿となるイエス様は世界に一人しかいなかったのですが、その時、特等の花嫁がいれば、イエス様は男性なので、その特等の花嫁候補を見て結婚したい思いになったというのです。 そのような思いをもったとして神様が、「それは罪だ!」と、そのようには言われないのです。私が神様であっても、願っていた希望のみ旨を成し遂げることができる真の愛の主人公と真の愛の妻がいれば、真の家庭となれと祝福してあげたはずです。逃げても追いかけていき、祝福してあげることでしょう。 イエス様は、真の愛を取り戻すために来られました。その真の愛は、一人の人から始まるのです。イエス様が死ななかったならば、婿になったというのです。聖書に「私は千人のうちにひとりの男子を得たけれども、そのすべてのうちに、ひとりの女子をも得なかった」(伝道の書七・二八)という言葉があります。一千の男性の中の中心がイエス様なのですが、一千の女性の中の中心を探し出すことができなかったというのです。 天の愛をもった花婿が来る時の現象 そのような女性の中心を探し出して、女性を解放しなければなりません。今まで女性たちが涙を流しましたが、誰のためでしょうか。男性のためです。男性のために多くの涙を流したのですが、その男性が偽物の男性であるというのです。それで女性たちは、悔しくてもただ耐えながら、神様に祈祷するのです。 舅 を見ても、自分の夫を見ても、息子を見ても、全部父の味方です。すべてが男性の側であるというのです。ですから「舅を見ても信じることができず、夫を見ても信じることができず、息子を見ても信じることができない」と、そのように思うのです。 そうして女性たちは、男性たちのために多くの涙を流すのです。ところが、今や本物の花婿となられる一人のお方、愛のお方が来られて接ぎ木するのです。 どうしてそうならなければならないのでしょうか。女性は今まで、真の愛を中心として春を迎えようとしても迎えることができなかったのです。春がなかったというのです。常に秋、でなければ冬だったのです。夏もありませんでした。ですから花開くことができなかったのです。堕落することによって春の季節を失い、夏の季節も失ってしまったのです。秋の季節から冬の季節に越えていかなければならないのですが、それが簡単ではないというのです。秋から冬を越えてこそ春が訪れてくるのですが、この冬がヒマラヤ山脈にあるエベレストよりももっと高いというのです。これを越えなければなりません。 ですから神様は、家庭的患難時代において、家庭をますます引き上げるのです。家庭を引き上げ、また教会を引き上げるのです。それで一番最後には教会や家庭が、共に全部見えるようになるのです。 今の世の中を見てみれば、家を出ていった息子、娘たちが全部同じ立場で堕落するのです。会って何時間もたたず、少しあいさつしただけでも愛し合うのです。それは、一日愛圏です。永遠なる愛が、一日愛の果てに来ました。また、愛の問題において「男女の愛が信じられない」と言って、「男は男同士で結婚しよう」といった、そんなことが起こっています。男性が男性と結婚し、女性同士で結婚する人々がたくさんいます。そのようになれば、人類絶滅となるのです。 誰がこのようにしてしまったのでしょうか。神様は、そのようにすることはできないのです。悪魔が、そのようにしたのです。昔は永遠なる愛を願っていたのですが、一分愛圏内になったのです。そうして「性の解放だ」、「フリー・セックスだ」と言って、一度会って嫌いになればそれで別れるのです。そのような立場にあって、男性も女性もみな不幸なのです。そのように人間は、絶望の淵で絶叫しているのです。そこには希望がありません。 男性世界が拡大されたものが世界です。そのような男性を中心として縮小した形態、一つの核、細胞は、やはり家庭です。そして、そのような家庭でおじいさんのために涙を流し、父のために涙を流し、息子のために涙を流すそのような人と、それとは反対におじいさんに涙を流させ、父に涙を流させ、それから息子に涙を流させる人の二種類の人がいるとすれば、どちらのほうが残らなければなりませんか。 それでは、四段階から見るとき、ここで涙を流した代表とは誰でしょうか。縦的な三段階になっている論理を中心として見るとき、その中でも一番十字架を多く負った人が主人の位置に行くのです。 イエス様の伝統的思想の起源 国においてもそうです。愛国者とは何かといえば、その国のすべての国民を越えて、ある人とか、その人の事情を思いやることができる中心存在です。その事情を思いやるところにおいては、良い事情を思いやることは、いつ、どんな時でも簡単です。祝宴を張っている家で、良いものをお膳に調えてもらえば、それを食べるのは簡単です。しかし、それと反対にならなければなりません。 困難なことに責任を負い、全体を良くしてあげるために涙を流す歴史をもった人は、その一族の根っことなるのです。ねぎやにんにくのように、真ん中から出る茎の根っこは、磐石を貫いていかなければなりません。そうせずに曲がれば、ここからあのてっぺんまで全体が曲がってしまうのです。ゆえに、真ん中から出る茎の根は、磐石を貫こうとしなくてはなりません。まっすぐに伸びなければなりません。 このように見るとき、家庭において、将来善なる世界が来たときに賞を受けることができる中心存在とは誰かというと、その家庭のために涙を多く流した人です。国において、どのような人が福を受けるのかといえば、国のために生死の圏を越えて、すべての国民たちを代表して十字架の立場を守り通した人です。その人が国の中心となるのです。それが当代でできなければ、その血族から、いつかは必ずその国の主人が生まれるのです。 この世界においても同様です。誰が世界の中心となるのでしょうか。涙を流すときは、宗教圏内で涙を流すだけでなく、死の道を自ら請いながら長い歴史的時間を経てきたそのような宗教が、この世界を指導することができる責任的立場に立つのです。このように見るとき、血を多く流した宗教がキリスト教です。したがって神様も、キリスト教を通して第二次世界大戦で、世界の統一を許諾されました。それは、歴史始まって以来初めてのことです。 第二次大戦の時、連合国を中心として枢軸国と対峙して戦いましたが、その時、宗教文化圏が初めて世界を統一するようになったのです。それは、イエス様の思想をもったからです。 イエス様は、ガリラヤの海辺で漁夫や取税人や遊女を連れて雑多なことをしていると、追われて死んだ方です。ユダヤ教が、「邪悪な輩の集団だ」と言って追い込んで殺したのです。それでは死んだそのお方が、どのようにして世界の文化圏を形成し、世界統一の伝統的精神を、歴史の流れを越えて成就したのでしょうか。その時代にローマとその対峙圏にあったイスラエル圏内において、世界の誰よりも十字架を負ってより犠牲となった人であるからです。 何をして犠牲となったのでしょうか。聖書を見れば、イエス様は「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ二七・四六)という祈祷と、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ二六・三九)と、このように祈祷したというのです。これを見れば、神様の前に、イエス様の考えはなかったということです。神様の前に、自分の生命はなかったというのです。 一番高い神様の前にそうだったのであり、それから一番悪い人たち、自分を十字架につけ、くぎを打ち込み、やりでわきを突き刺したそのローマの兵卒に対して祈祷するのに、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ二三・三四)と、そのようにされたのです。ローマを一時に呪っても余りある、天の雷で打って復 讐してもすっきりしない、そのような立場で、彼らに福を祈ってあげることのできる愛があったというのです。そこには怨 讐の概念がないのです。イエス様には自分を中心とした概念がありませんでした。皆さんは、これがイエス様の伝統的思想の起源になったということを、はっきりと知らなければいけません。 神様を解放することができる人 イエス様は自己の主張がありませんでした。神様の前において自分を考えませんでした。死の場において、ローマの兵卒が地獄に行くことを心配しながら怨讐を愛されたのです。神様を愛することにおいてこれ以上はなく、怨讐までも愛することにおいてこれ以上がありません。人格基準が神様と同じであったというのです。神様の息子、娘を救うことにおいて、自分の威信がありませんでした。自分がありませんでした。 失ってしまった息子、娘を救う求道の道を行かれる神様は、イエス様と同じ立場に立っています。悪魔が怨 讐なのですが、その悪魔の子供たちを自分の息子、娘として、悪魔よりももっと愛さなければならない立場が、神様の立場であるというのです。ですから、どんなにかわいそうなことでしょうか。 イエス様を死なさざるを得なかった神様を解放するためには、イエス様以上の死ぬことのない愛と死ぬことのない人格的版図を中心として、神様もその前においては、御自分は死ぬとしても息子を死の場に立たたせることはできないという、そのような人が現れなければなりません。そのような人が現れることによって、天と地が解放されるのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.03.02
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Web説教「神霊と真理に溢れる教会~草創期の教会のように~」【世界平和統一家庭連合】家庭連合WEB教会 礼拝説教チャンネル登録者数 7200人家庭連合Web教会 礼拝説教題目:「神霊と真理に溢れる教会~草創期の教会のように~」説教者:柴沼邦彦草創期の教会は神霊と真理に溢れた教会であり、原理が中心となった教会であると真のお母様は語られました。原理が中心となり、原理の生活化が根底にあってこそ、草創期のような雰囲気の教会づくりがなされます。今、私たちの教会が、この「原理」をどのように考えるかが非常に重要なのだと思います。🌸 🌸 🌸 🌸 🌸 ■世界平和統一家庭連合 公式サイトhttps://ffwpu.jp/ ■世界平和統一家庭連合 公式ニュースサイトhttps://unificationnews.jp/ ■世界平和統一家庭連合 公式Facebook https://ja-jp.facebook.com/ffwpu.jp/ ■世界平和統一家庭連合 公式Twitter https://twitter.com/ucjptw一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.03.01
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