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いいえ死ぬのじゃありません可愛い妹 弟の幸せ願い飛んで往くのですミヤマ霧島 咲く故郷を綺麗な国を護るため兄は飛んで往くのです悲しむ事なかるな近き将来の吾が国を高き所で 望むため笑って飛んで往くのですさよならは言わずに往きます会いたくなったら花の都の靖國なる杜にて兄の名を呼んでみよ春の梢に咲いて待つ散るが花かよ桜花 詠み人ケン
2005年03月31日
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呼んでも帰らぬ兄貴だけれどこんな時には寂しいときは泣きに来るんだ兄貴のそばへ涙を涙を有難う何処かで優しい声がする慰め励ましかばってくれた強い兄貴奪った海をじっとにらんで墓標を抱けば涙を涙を有難う何処かで兄貴の声がするあの娘の代わりに今年は僕が一人捧げる霧島つつじ何か言えよと拳を握りゃ涙を涙を有難う日暮れの空から声がする
2005年03月30日
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桜の花の咲くたびに遠い昔がよみがえる草むす基地のその中で一人思い出振り返る嗚呼 あの日はあの時は今は戻らぬ青春んに短い春よ 野の花よ飛で還らぬ 若者のあの日の思い誰が知ろ桜の花よ 嗚呼戦友(とも)よしばし語らん しばし語らん白い雲流れる 桜の下で
2005年03月29日
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出合った頃の二人にもう一度もどってみようそして二人で手を繋ぎ幸せになろうよ海の広さに負けないように眩しい太陽をにらんでみたずぶ濡れの僕は魚に成りあの島まで泳いでいった始めて出合った場所にもう一度戻ってみようそして青い空に抱かれ幸せになろうよ緑の大地で鳥が鳴いた君は両手を広げ空を飛んだ星空を見上げ夢を叶えた月の光で歌を歌った出合った頃の二人にもう一度戻ってみようそして二人で手を繋ぎ幸せになろうよ初めて出合った場所にも一度戻ってみようそして青い空に抱かれ幸せになろうよ
2005年03月28日
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恋する二人潮風さえも甘く優しく心にしみるごらんよあの空水色星が僕たちだけにささやきかける潮風の中で恋する二人夕闇ほのかに渚は暮れる放したくない可愛この手明日があるさと分かっても一緒に居たい我がままだろかさよならがなぜか言えない二人このまま朝まで歩いていたい君と死ぬまで分かれず居たい言葉は要らない黙っていても喜び振るえときめく心潮風の中で恋する二人
2005年03月27日
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花か瞳か紫野菊 悲しくみ上げる若武者の白き鉢巻にじむ血を誰か哀れと思わざる雨は降る降る 人馬は濡れる越すに越されぬ田原(たばる)坂泣くに泣かれぬ田原の剣と死を以って護りつ強敵と今ぞ雌雄を決せんと気負う姿の勇ましさ右手(めて)に血刀 左手(ゆんで)に手綱馬上豊かに 美少年田原悲しや照日も曇る戦い終わりし草むらで鳴くは虫かよ美少女の袖が濡れてる夕風に我も行きたや南州が如く義を以って立つるは大西郷
2005年03月27日
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生きていたなら 靖國神社桜の咲く頃会おうじゃないかといって還らぬ戦友(とも)に今年もまた来た九段坂馬鹿な命と言わずにおくれ遠い遥かな南溟(なんめい)の空に行って還らぬ吾が戦友(とも)よあの日も今日の青さと同じだったお前が還らぬ南の空を今日も仰いで俺は待つ所詮十死零生の攻撃隊次に会うのは靖國と笑って分かれた戦友(とも)の顔が今も蘇る早いものだよ あれから六〇年今日も静かに命の花が人に見えずに散っているまた来年も老いし体に鞭打って会いに来るよ 桜散る玉砂利を踏みしめなが 鳥居を潜って会いに来る それまで待って居てくれ寂しいだろうが その日まで嗚呼 我等は燃ゆる特攻花なり春の梢に 今年も咲きて散り行きし花は桜木 人は武士語りし人は何処なり 詠み人ケン
2005年03月26日
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明日はお立ちかお名残り惜しやなまじ会わねば泣くまいに心と心繋いだ糸は何で切れましょ切れやせぬ思うばかりで口には言えず握るこの手を忘れずにお山も今朝は涙で曇る君を見送る峠道時計見つめて今頃当たり汽車を降りてか船の中船酔いせぬか嵐は来ぬか荒れた夜空に身を灯し
2005年03月26日
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約束も無く陽が暮れて東の空に一番星ですホトトギスの鳴くのも変わらずに昔と同じですね夏は海辺で戯れ 冬は心を凍らせて君が歌った星の歌あの月は あの星は貴方にとって何ですか嗚呼 時は身動ぎもせず悠久のまま ただ其処に動かず満天の星が降り注ぎ春は密やかな若葉に包まれて秋は燃え立つ紅色の紅葉に抱かれ君が祈った流れ星を今も思い出す嗚呼 夢は尽きる事無く老いる事も無く時は悠久のまま 身動ぎもせず悠久のまま 二千六百有余年の月日よ 詠み人ケン
2005年03月26日
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明治元年秋半ば古城を護る初陣に降るは血の雨弾の雨花も会津の若き武者我等は燃ゆる我等は燃ゆる白虎隊頼む砦も破られて意気なを上がる十六.四傷の痛みに母思う眉も雄々しく美しく我等は燃ゆる我等は燃ゆる白虎隊赤き炎か鶴ケ城飯盛山の風も無く恋の命の短くて忠と義のため今ぞ散る我等は燃ゆる我等は燃ゆる白虎隊。
2005年03月25日
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海鷲だより作詞・作曲:不詳著作権:不詳 成立年不詳 一、あの隊長もあの戦友(とも)も壮烈空に散ったのに 不覚や俺はまだ生き延びて椰子(やし)の葉陰で月に泣く戦友よ偲(しの)べよこの心 二、ブナを思えば口惜し泣き ガダル思えば血の涙 明日もガダルヘ殴り込んで月の夜空の十字星 友よ見てくれ体当り 三、敵のグラマン戦闘機 高角砲も雨あられ 命を的に戦う我は 大和魂伊達じゃない愛機もろとも体当り 四、いよいよこれが最後です父(ちち)様母(はは)様お元気で白木の箱が届いたならばたいした手柄じゃないけれど泣かずに賞(ほ)めて下さいね
2005年03月24日
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苔むす碑石の過去を辿りて行けば夢幻の如く 流れし白雲は何処の果てか世の常ぞいざ別れ行かんかな 黒髪に露降り注ぎて 哀愁哀れこの別れの時ぞ君に別れを告げて 旅立ちし 泣く無かれ後の代で 再び逢わん それまでの別れ偲びし寂しく訪れる人無き 只風吹きぬけるばかりこの 戦場を 忘れたか世の人々よ 散りし若武者の 思い遥かに 短き春が行く人の心 揺れしこの思い 名も無き花に涙す我草枕幾年ど 今は無き若人に思いを馳せしこの基地の草生す 野に変わりし時の移ろいに凛々しき 若者は今は遠くあの空の雲の果てか 詠み人ケン
2005年03月23日
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今年のF-1は規定が厳しくなったためか勢力図が昨年とは、まるで違ってしまったようである。あのシューマッハがあんな後ろのグリットにいて後方集団に呑み込まれてしまっている。両フェラーリ中段で走っていた。BARといえば2周でエンジンだと思うが煙を吹いて最後には火を吹いて止まってリタイアもう1台も序盤で姿を消した。オーストラリアでゴールせず今回は新しいエンジンを搭載したのにこの有様でした。どのチームもまだ新ルールのため、戸惑っているようである。旨くハマったのがルノーだと思う。しかし、18000回転以上回すエンジンを2レース使用するのは酷である。DATAを取りながらエンジンを徐々に作り上げて行く事に成るであろう。トヨタのトゥルーリが2位になったからまあ良しとしておきましょう。琢磨さん早く病気を治してくださいね。寝ている暇など無いですよ。今年は19戦もあるのです。史上最高のレース数ですので、最後までばてないでね。エンジンも人間もバテテいては勝利は無いですよ。 ~ケン~
2005年03月22日
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なんて素敵な夜だろう星はキラメク瞳は潤む君と行く夜風の道はいつか二人の胸に恋を育てたあの日の道よ夢を見るから揺れるのか長い黒髪波打つように街の燈は優しく燃えて何か誓いの言葉交わしたいような二人の夜よたとヘ別れは辛くとも思う心は変わりしない面影が消えないように君と歩いた道に一人たたずむ哀愁の夜
2005年03月22日
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いにしえの防人たちの行きしてふ道をたずねてわれはいで征く
2005年03月21日
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今世界が以上だ。昨年の暮れはのインドネシア方面の地震と津波、新潟の地震先日はイランでも地震があり、今度はあまり地震の話は聞かない九州での地震一体如何なっているんでしょう。天災は防ぎようが無いので怖いです。最低限の準備だけはして起きたいものである。私の所は地盤の柔らかい所なので怖いです。
2005年03月21日
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梅の香も終わり近し南風(はえ)の吹く日に花びら散りし潔(いさぎ)よく武士の誉れぞ一輪を胸に飾して行こうじゃないか
2005年03月20日
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今日も富士スピードウェイのレースではなく、観客の話をします。今から26年程前の第2戦富士マスターズだったか何なのか思い出せませんが、GCでの話です。我々は前夜に地元を車で出て、開聞と共に丁度旨くメインスタンド裏の駐車場に止められたので、車の中で始まるまで待機していました。そうすると、シンナーの袋を持って何をしゃべっているか分からない若い連中が騒いだり、メインスタンド裏の道ではレースもどきの走りをしている馬鹿な連中がいました。まあ~これは毎度のことなんですが、その日に限り運悪く競っていた車同士がかなりのスピードで接触1台がガードレールを飛び越えてメインスタンドの売店側の人込みの中に突っ込み数人を弾き飛ばしました。それを見てしまったのです。3人ほどボロ着れの様に転がっていました。その後警察が来て現場検証をしましたが、居直った若者は自分がどれ程の事をしたか分からなげに警察官に云った言葉、こんな所に居るが悪いんだのの一言でした。あの言葉には怒りを覚えました。レス見に来たんだか、自分たちがレースをしに来たのか分からない連中が当時とても多かったのを記憶しています。それで無くても当時は未だモータースポーツは日本国内では、あまり受け入れられていない時代ですので、翌日の新聞で散々叩かれました。富士スピードウェイ、メインスタンド裏で暴走車が人込みに飛び込み死亡者出ると掛かれたのです。今はレースも受け入れられるように成りましたが、当時はまだまだでした。筑波サーキットなどへ行くとサーキット反対の立看板があちら此方に立てかけてありました。今は良い時代になりました。此れからもモータースポーツ発展のためサーキットへ行ったらマナーを守ってください。因みにサーキットでレース車両に飛び込まれて死亡してもサーキット側からは何の補償もありませんのでご注意を、最近はどうなっているか分かりませんが?コーナーは極力イン側かコーナー突っ込みの手前で見るのが安全です。立ち上がりのアウト側でドアンダー突っ込んでくる車があります。スピンなら殆どその場からそれ程動かず止まってしまいますので、多少は安全ですが、高速コーナはどちらにしろ注意が必要です。フォーミュラーの場合いは空から降って来ることも計算に入れておいた方が良いです。タイヤ同士の接触で簡単に数10メートル飛んで来る事もまれにあります。後はタイヤ粕の飛散にご注意あれ、結構大きいのが飛んできますよ。それでは十分注意して観戦して下さい。 ~ケン~
2005年03月20日
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皆さん、富士グランドチャンピオンレースと言うレース知っていますか?1971年~1989年まで富士スピードウェイ行われたレースでが、色々話題を提供してくれたレースです。このレース以前には日本グランプリなるレースが行われていて、ニッサン、トヨタのワ-クス勢と滝レーシングの三つ巴で戦われていた。別名NTTレースと呼ばれていた。そのお陰でプライベートチームは見るところも無く下位に甘んじていた。しかしその後日産が不参加を生命をしたので、敵の居なくなったトヨタも撤退していった。この当時活躍したのが、トヨタ7やプリンスR380、(後に日産)日産R381、可変ウイング付きやR382のマシーンであった。その他前座で行われたれたツーリング(箱)レースなどではトヨタ1600GTや(コロナ)にDOHCを積んだ物や箱スカGT-RやTE-27レビンやサニー110や皆が知っている車が沢山出ていた。それ以前の初期の頃には、初期にはプリンスのスカイラインGT-Bやポルシェ906や、910など多種多彩な車が混走していた。私が思い出すのはプリンスR380で、終盤2台のR380がスリップを使って勝ちを確信してからは、抵抗を無くし燃費を稼ぐのに前になり後ろになり、30度バンクを駆け抜けていったのが目に残って居ます。その後プリンスは日産と合併。忘れたが昭和43年頃だったと思う。それから箱スカの連勝が始まるのである。(ロータリーだ出るまで)富士スピードウェイは、日本GP中止後JAFがフォーミュラレース中心を打ち出した。それまでのワークスチーム主導のレースから、ドライバーが中心となるレースとしてGC(富士グランドチャンピオンレース)1971年4月から第1戦が開催された。始めはマクラーレンなどの大排気量の無制限グループ7からGTマシンまでの混走で走っていた。酒井正や高原則武らが大排気量マシーンで圧倒した。1972年からは、2リッターのレーシングスポーツカーに限定して選手権が与えられた。三菱なども2リッターエンジン供給していて、チャンピオンにもなっている。をワークスを経験したドライバーから、地道にステップアップを重ねてきたドライバーまで様々な選手が参戦した。マクラーレンといってもF-1のマクラーレンとは違います。レーサー、ブルース・マクーレンが設立した会社のマシーンである。その後F-1チームの現マクーレンへと買収される。1979年からは、シングルシーターが走れるように成りF-2と兼用でシャーシが使用できるようになる。1987年からはF-2からF3000になりエンジンの排気量制限が2リッターから3リッターに変更されたのに伴い、1988年以降富士以外での菅生、鈴鹿のレースが新しくシリーズ戦に加えられた。(それまでは富士スピードウェイのみで行われていた)その為シリーズ名はグランドチャンピオン・シリーズと改名される。その後F3000やグループAなどが注目を集めGCは衰退していった。70年代の初期には、マクラーレンM12、ポルシェ 906、910、ローラT160などのビッグマシンやフェアレディ 240ZGが混走していた。何年だったか忘れたが、240Zの柳田春人が雨に恵まれシーズ中3勝をしてZとがシリーズチャンピオンに成りかけた事も合った。雨には弱かったGCマシーンはハイドロで真直ぐ走れなかった。その後2リッターオンリーに成ってからは、マーチ、シェブロン、ローラ、GRD、アルピーヌ、シグマ(2TG、Turbo搭載)紫電77といったマシーン参戦した。エンジンは主流はBMW-M12/6を中心にハートBDA、ロータリー13Bなどが主流であった。エンジンは最初期にはシボレーV8やコスワースDFVを搭載したマシンが参加したが、2リッターになってからはBMW M12/6エンジンである。F2(F2000)と共用されたBMW-M12/6エンジンで、70年代から'80年代前半にかけて日本のモータースポーツの主流であった。これに対抗するエンジンとしてハートBDA、三菱R39B、ロータリー13B、トヨタ18R-G、2TG、Turboなどが使用された。、マツダロータリー13Bエンジンは片山、従野、寺田の努力で1977年に初めての優勝を飾った。レギュレーション問題には苦労させられたが、BMW-M12から比べるとエンジンコストが安かったためユーザーも多かった。BMWエンジンの対向馬として健闘した。その後、BMW時代の時代は終わり、1986年にはヤマハOX-66エンジンが主流なっれど、翌年3リッターにレギュレーションが変わってからの3年間は無限ホンダエンジンが席巻した。コースは初期は壁の様にはだかり下り降りていく魔の30度バンク使用した6kmフルコースが使用されたが、1973年最終戦バンク内で多重事故が起き清水選手が死亡翌1974年第2戦黒沢、北野の先陣争いに巻き込まれた、当時、東名自動車社長兼ドライバーの社長、鈴木誠一氏と、千葉の御曹司、風戸弘選手が巻き込まれて死亡してからは、4.3kmショートコースで行われるようになる。風戸弘はこのレース翌日シェブロンワークス入りのためヨーロッパに旅立つ予定であった。この事故はタイヤ絡みの使用権利問題が絡んでいるようである。GSと黒沢元治氏の関与に関係していたようである。その後、黒沢元治は引退した。御存知でしょうが(黒沢琢也のパパです)このレースを私は見ている。富士グランドチャンピオンレースは日本の屋台骨を支えたレースであると私は思う。今も懐かしく思う当時を偲んで・・・・帰りは自分もレーサーであった。御殿場インターまで渋滞で我慢したが、東名は東京までは全開であった。(笑)もう時効だからいいでしょう。 ~ケン~
2005年03月19日
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さんざめく街の灯りもキラメク今宵は夜風も甘くほほをなぜて行く仄かなる憂いはあれどうら若き君に寄り添いてさり気なく語る言葉は青春の夢悲しみも恨みもいつか美しき思い出となりし若き日は豊かなる心あり夢よ希望よ望みよいつまでも
2005年03月19日
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その昔、本田宗一郎なる人有り。戦後の日本を世界に知らしめた人であった。世界へ挑戦しいつかその夢は現実の物に二輪の世界で頂点を極めたのである。初めから彼は夢とは思っていなかった様な気がしてならない現実にするという自身を抱いていたような気がする。浜松から出てきた精力的な一人の男が世界を相手に戦ったのである。外人から見れば、零戦を初めは馬鹿にしていたような感じで初めは見ていたのだろうしかし、その人は現実の物にしたのである。彼は社長で収まる人間では無かったようである。経営は他人に任せ自分は社員の様に技術畑を歩んで行った。金など興味が無いような人だったような気がするのである。職人で有ったと思えて成らない。今世の中を騒がせているドラエモンじゃない、ホリエモンとはまるで違う金金金と、未だに一人でバブルを演じている人間とは異質のものである。金など二の次三の次であったと思う。そのHONDAは四輪の経験も殆どない状態で、二輪の世界から一挙に車の最高峰F-1の世界へ躍り出たのである。この時も初めは東の外れの島国から来た訳の分からないチームとして中村監督もロータスの社長コーリン・チャップマンなどにも結構嫌がらせをされたようであるが、そのチームが勝てしまいうのである。それもシャーシもエンジンも自社製の日の丸を描いた白い車でMADE IN JAPANで勝ったのである。日本に多々車の会社は有れど、60年代から世界に挑戦した会社は私の知る限り覚えが無い。このF-1も頂点を極めてしまった。この人の良い所は、身内を会社に置かない事これが先ず良い、人事も早い、自分も社長を早く譲り会長になり、それも譲り後進の育成に励んだだから社長も変わるのがとても早い会社である。世界で、日本の総理大臣は知らなくてもHONDAを知らない人はいないでしょう。 ~ケン~
2005年03月18日
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素敵な夜がまた通リ過ぎて行く星はきらめきて 瞳は潤みし君と歩きし夜風の道を今も遠く遥かに思い出す夢を見ていたあの頃が今でも鮮明に蘇りし長い黒髪 夜風に揺れて波を打つようになびき夜の街は優しく包んでくれた面影が消えないように今も君と歩きしこの道をひとり佇みし思い出の道星の街よ
2005年03月18日
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最近のF-1まるで面白くない。シューちゃんの一人舞台で、役者も少なくなってしまった。マンセル、アレジ、プロスト、ベルガー、ピケ、マーティン・ブランドル、ミカ、ヒル、日本人では中島、亜久里、神風右京、中野のシンチャン、虎は見掛け倒しだった。井上高千穂なんてのも居ましたね。御大セナも今年の5月1日で10回忌である。今頃イモラの空で眠っているだろう。セナも亡くならず生きていれば、未だ沢山の記録を塗り替えただろうが、本当に残念である。本田関係者が云っていた事を思い出します。家がやっていれば死なせなかったと!恨みは尽きぬイモラのターブレロ!!今年は私の走りの先生である。とある修理学校の先生とカート時代に世界選手権で競い合ったヤルノ・トゥルーリに頑張ってもらいましょう。彼は良いマシンが有れば早いとその先生も言っていました。この先生全日本カート選手権でも虎と競っています。只今、ジムカーナーに転向し、千葉のとあるコースのコースレコード持っていますが、やはり早いです。 ~ケン~
2005年03月17日
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春風吹きて梅の香漂えば櫻の蕾も膨らむ季節となりて春の足音 届かせて野に山に海に巡り来る春よ 短い春よ早く来い 我待ち侘びし柳も芽を吹きて春を待ちし
2005年03月17日
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1977-1980年代はレーシングカーはF-1から始まって、GCカーまでグランドエフェクトカーであった。ロータス78でデビューして翌年の78年にはロータス79でF-1界を席巻しマリオ・アンドレッティーがチャンピオンと成る。しかし、チームメートの出戻りのロニー・ピーターソンがモンツァでのイタリアGPのスタート直後の多重事故で、自故死している。前年度のマリオのチームメート、グンナーニルソンも78年は癌に侵され帰らぬ人と成る。79年からは何処のチームも取り入れて、今じゃ名門に成った、胡散臭いフランク・ウイリアムズのチームがアラブマネーで急に成長をして、ウイリアムズFW007で大活躍した。本家のロータスは他チームが進化したお陰で、1勝も出来ずにこの年を終えた。しかし、この方式は危険を伴いダウンフォースが効いてコーナリングスピードがとてつもなく上がり、FISAは1982年以って廃止し元のフラットボトムへと戻ったのである。富士スピードウェーでも、GCでトップを走る星野を追いかけていた高橋徹が最終コーナーでスピンをし、後ろ向きに成ったため、逆にリアから空気が入りダウンフォースを失い観客席に飛び込み観客数名を巻き込んでん亡く成っている。グランドエフェクトカーとは車体を飛行機の翼の形状を逆さにしたような型をしていて、ボディーの上下の気流の流れの速度を違えて押さえつける力を得ていた。そのため、サイドポンツーンも幅が広くサイドスカート成る物を路面に擦り付けて気流を乱さないようにしていた。何と知らない人は異様に見えることでしょう。(笑)ダウンフォースが強力なため、押さえる力に負けないようにサスペンションのレートも協力に成りドライバーはまるでクッションしないコックピットに閉じ込められて嘆いていた。F2も全てグランドエフェクトカーであった。将来は前後のウイングは必要無くなるとさえ言われました。しかし、あの頃のボディーは個性的である。今でもインディーカートはグランドエフェクトカーであるが。思い出したものを書いてみました。 ~ケン~
2005年03月16日
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二人で砂に書いた愛の言葉冷たく波が消していく僕の心の痛みもいつか遠い遠い渚に捨てよう幸せすぎると優しく泣いた貴女はもう居ない二人の愛は夏の日の夢遠い遠い渚に捨てよう
2005年03月16日
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もう嫌になっちまった腹が立ってきたから外へ出ただ 奴 英二とスーパーの横の販売機でビールを買って夜空を見ながら防波堤の先で二人で夜空を眺めたつまらない事に唾を吐き掛け下らない社会に 吐いてみたあの頃 青春楽しかった怖い物無しで 青春を駆け抜けた英二あの頃のお前に返って欲しいあの若かった頃に今でも青春さ 子供が出来たいまであの頃の気持は捨ててはいないぜ肢体に汗を 流し飛び回った頃の俺たちを いつまでも忘れずにいようぜもう帰れないけど あの時の青春には夜明けの朝日を浴びて 朝帰りしたあの頃 俺たちで居ようぜお前と俺はあれは一八の青春の生意気な年頃だった帰りたいけどもうもどれはしないのさ人生は 進むだけなんだ戻れはしないがいつまでも忘れずに居ようぜ俺たちはいつまでもあの時の青い空を ケン
2005年03月15日
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戦(いくさ)の勝ち負け我の知りし事で無し梅の花薫れり初春の空へ後世へ夢を託して種をまき我は往くかむ幾年のちの咲かなむ春を夢見て 詠み人 ケン
2005年03月15日
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戦(いくさ)の良し悪し知ってはいるが愛する者よ生きてておくれ別れ辛さを断ち切って遠い異国に散った人九段靖國命の花が人に見えずに今日も静かに散っている早いものだよ我が子を見れば昨日のように心が痛むこの子頼むと手を握り海の彼方に散った人九段靖國命の花が人に隠れて今日も静かに散っている馬鹿な命と笑われようと恋すら捨てて行かねば成らぬ生まれ故郷に涙して知らぬ他国で散った人九段靖國命の花が人に見えずに今日も静かに散っている 詠み人 知らず
2005年03月14日
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春の滲みるような空の蒼い色がおい等の心を楽しくさせる深き緑に覆われる森も輝き始めもやもやとした心も体も蘇りて限りなき自然に感謝する青き地球よ春風を有難う桜咲く日も後わずかに成り寒き悲しき冬よ さようなら今は白い雲流れ 青空に浮かぶ振り返らず行こう 明るき心で
2005年03月13日
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我が庭に 梅の花咲き匂いウグイスは枝から枝へと飛び回りまだ上手く啼けぬのに青空に向かいチッチッチッ声を出す桜の咲く日も後わずか日に日に春が北国の淡雪溶かしいつか春を誘いし風を呼ぶ野辺の小川も水温む春の三月春は足音をたて草木は目を覚ます ケン
2005年03月11日
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雨は降る降る人馬も濡れし越すに越せないこの坂を苦難の戦(いくさ)に散るが花かよ田原坂燃える我が思いに比ぶれば煙は薄き桜島山よ下げた血刀馬上で降れば風に吹かれし乱れ雲いつか散るのか若武者よ屍さらすかよ田原の坂で 詠み人ケン
2005年03月10日
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悲しい恋の亡き骸はそっと流そう泣かないで可愛あの娘よさようなら黄昏迫る湖の水に浮かべる木の葉舟一人の旅の寂しさは知っていたのさ初めからはぐれ小鳩とか白樺の梢に一羽ホロホロと鳴いて涙で誰を呼ぶ夕星ひとつまたひとつ濡れた瞳を偲ばせる思い出すまい嘆くまい東京は遠いあの峰を越えて遥かな空の果て
2005年03月10日
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