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今日は朝は雷、夕方から晴れというなんだかよくわからない天気の一日だった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日は私の癒しの楽しみの一つ、まつげパーマをかけに行った。私の髪の毛はまっすぐ&ねこっ毛。まつげも同じだ。ビューラーで持ち上げてもすぐに下に向いてしまう。挙句の果てに肉まで挟んで余計な涙を流す羽目になってしまうため、一回やったらやめられなくなっているのだ。しかもここは、いつも使っている化粧品のメーカーとは違う商品を扱っている。肌が敏感なので、基礎化粧品の冒険はできないが色物の冒険はしたいのだ。早速新商品をためさせてもらう。うーんなかなかいいじゃん!と思いながらお金の算段をしている自分がいるが、結局予約してしまう。なんだか自分の行動を考えると、やっぱり女性をターゲットにしたほうが景気や世の中が動くような気がした。(←やっぱり単純な奴と笑って下さい)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日で半年が終った。本当に今年ほど厳しい半年はなかった。明日、早速新しい取引先と主人が会うことになっている。これが吉と出るか凶と出るか…。後半戦最初の勝負になるはずだ。今年の暮れは笑って年を越したい。まずそれが今年後半の目標だ。
2004.06.30
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またもや翌日更新。今回も飲みすぎじゃない。(←強調)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日中は、昨日の閃きを実行に移すための資料収集をしていた。現場から帰ってきた主人に相談するとOK。後はもう少し内容を詰めて実行に移すだけ。頑張るぞ!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・先日の日記に書いた友達から電話が掛かってきて、3時間半の超長電話になってしまったのだ。元々昼間携帯にメールが来ていたのだが、その時電話をしようかと思ってたら、本人が『今、電話で話せる精神状態ではない』とのメールをもらったので、話したくなったら電話してきなさい。と返信していたのだ。で、夜電話が掛かってきたのだがちょっと手が離せない状況だったので10分ほどして掛け直した。『もしもし?』というと既に相手は涙声。電話をしてきたということは、自分の中で粗方気持ちの整理がついたんだろうということを前提に話していた。元々、彼女は泣かない子だ。今回ほど泣いた彼女を私は知らない。『泣きたい時に泣かないのって良くないよ。泣く事って笑う事と同じくらい大事だと思う。』と言うと、彼女が電話の向こうでまた泣き出したのがわかった。私と電話で話した日から、食事も摂れないし眠れないと私に訴えていた。辛かったんだろう。それは良くわかるのだが、自分に全く非がないわけではないので、彼女にはキツイが自覚を持ってもらい、反省してなにかを得て前に進んでほしかった。しかも話したのが晩酌後だったので、かなり彼女の傷口に塩を塗りこんでしまった。が、本人は『それでいいの、ちゃんと自覚したかったから…』と涙ながらに言っていた。全てを受け止め、頑張ろうとしている彼女に『頑張れ』は言わなかった。前半はずっと泣いていた彼女だが、電話を切る1時間くらい前からは笑えるようになっていたので、ちょっと仕事の話もした。彼女もご主人と二人三脚で、会社を経営している。彼女の業界も不景気らしく、毎月あくせくしているのは我が家と同じだ。『景気のいい話ない?』と聞くと、『私が聞きたいわよ~っ』と彼女。『でも、あくせく働けるうちが花であくせくしなくなったと思ったらよぼよぼかもね』と二人で笑ってしまった。『頭は使えるうちに使って、体も動けるうちに使え』だ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうこうしているうちに、時間は丑三つ時。『ゆっくりお風呂にでも入ってよく食べ、よく寝ないと心も元気になれないよ』と言うと、『おなかもすき始めたし、笑えたし。今日は眠れそうだからきっと大丈夫。ありがとう。』とまた少し涙声で彼女は言って電話を切った。もう大丈夫だろう。今度電話がかかってくるときには、明るい彼女の声が聞きたいと強く感じながら眠りに着いた。
2004.06.29
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今日は思ったよりもいい天気になったので、我が家は洗濯機に2回まわし、義父の所帯も洗濯したので計3回洗濯機を回した。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一週間ほど前に撃沈したまま、自分に刺激を与えるためにもいろんな方の日記を読ませていただいたり、リンクさせてもらったりして、勉強させていただいている。考えてみれば不思議なものだ。こういうサイトは他にもないわけではない。でも、アフェリエイトを考慮して楽天広場を選び、日記を書き出して約1ヵ月半。ここに日記を書かなければ知りえなかった方々と、文字だけではあるが交流をさせていただいている。ネットがなければ…。ここに日記を書かなければ…。きっと私が一生掛かかっても知り合うことがなかった方たちばかりだ。そうした方々から励まされたり、勇気づけられたり、勉強させていただいたりEtc…。と、いうなんともありがたい環境にいることができるなんて、1ヵ月半前の自分には全く想像できなかった事だ。何事も一歩踏み出さないと何も変わらないんだと実感した。皆様本当に感謝しています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・洗濯を干し、掃除をしながら読ませていただいている日記の内容や意味を考えていた。そして今日のメインイベントの義父の所帯のお風呂&トイレ掃除。色々考えながら掃除をしていた。お風呂掃除に取り掛かったとき、別にお風呂に関係する事ではなかったのだがふと閃いた事があった。主人に電話で話そうかと思ったが、日中は『恐怖の月末やりくりタイム(涙)』で時間をとられたのと、今日は祖母の病院の日なのでゆっくり話している時間はない。思いついたことをメモ書きにし、考えを整理しながら車で祖母の病院に向かった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日は私の気持ちが上向きになったのが通じたのか、祖母はとてもテンポ良く食事を摂ってくれた。話しかけてもいつもより反応が大きかったような気がするくらい元気だったので、祖母からも元気をもらった気がした。病院の駐車場から実家の母に祖母の容態をメールして家に帰った。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私が家に着いて20分くらいで主人が帰ってきた。今日、現場で転んで膝小僧を腫らして帰っていた。(←労災は出ない、当たり前)早速、夕方書いたメモ書きと自分なりに整理した話をした。主人的には『それいいかも』と言ってくれた。が、結果に結びつくかはやってみないとわからない。でも、自分のやるべき方向性が見えた事で少し元気が出た。もし、失敗したらまたどん底まで落ち込んで這い上がればいいと開き直る事にした。晩酌をしながら、ここ数日勉強させていただいた事を主人に話した。経営のことにしても、今までの私なら絶対言わないようなことを口にした私に『お前、本当に勉強したんだな』と一言。試行錯誤したことは自分の血となり肉となるはず。体には肉はついてほしくないが、心にはたくさんいい筋肉がついてほしい。二人でそう感じながらの晩酌&夕飯の時間だった。
2004.06.28
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今日も主人は午前中仕事。私は、ここのサイトの整理をしていた。前々から気になっていたサイトさんを日記リンクさせていただいたり、追加ページの作成をしたりした。ここ数日、自分が楽天広場めぐりをして色々な方のページにお邪魔させていただいた。家庭の事や介護の事、さらに同業種の方や経営について色々勉強させてもらっている。ありがたいことだ。アリガト!(´▽`)自分の人生が終るまで知り合えないと思われる方々と知り合うことができる…。これがネットの強みなんだとしみじみ感じる。皆さんのお力を借りながら、自分自身も会社も成長できるようになりたいと思うので、叱咤・激励その他もろもろご教授いただければ幸いです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・夜、祖母の病院帰りの母と待ち合わせて主人と3人で食事に行った。約1ヶ月ぶりに3人での食事だ。母も色々話したいことがたまっていたらしく、美味しく飲み、食べ、そして3人で色々話した。母にもここの日記の事は話している。ここで知り合った方の事を話したら『いい事を聞くのは誰でもできる。そこを生かすも殺すも自分次第でしょ』と一言。流石30年以上、数社の経理をやっていただけの事はあると改めて感心した。(↑親バカならぬ子バカか?)確かに、聞いて感心するなら誰でもできる。ただ実践して実践し続けると言う事はなかなか難しい事だ。その時母によく言われていた言葉をふと思い出した。『頭は飾りじゃないんだから、使えるうちに使え』と。今日ほどその言葉の意味が重く聞こえた事はなかった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・気が付けば今月もあと3日。1年の半分が終る。先週の悩みも皆様のおかげで少しづつ方向性が見えてきた。会社の方は、先日の仕事の依頼がどう出るかでまた変わってくると思うし、方向性を考える時ではないのかと主人も私も感じている。先週の1週間で色んな事がゆっくりと回りだした。それだけは確実に感じている。あとは方向を間違えないよう、間違えたとしても早く気が付いて修正できるよう、しっかり周りを見ながら進んで行こう。これが今年後半の目標になりそうだ。
2004.06.27
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今日は、午前中またもや楽天広場めぐり。おかげで素敵な出会いもありました。気になっているページさんと日記リンクしたいのは山々なのだが、そろそろ日記リンクの枠がいっぱいになりそうなのでお気に入りのほうでリンクさせてもらおうかなと思っている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・突然だが、私の信条の中にこんな言葉が載っている。『病院と美容院は簡単に変えられない』私のかかりつけの歯医者さんはかれこれ20年以上のお付き合い。私が小学生の頃から行っているので、カルテがやたら分厚い。当然、仕事をしていた時は時間的に通えない状況になって他に通った事もあったのだが、他で治療した事をちゃんと報告しているし、何より自分の歯の状態を知っているので、楽なのだ。困る事を一つ上げれるとすれば、ここの先生は最近治療より世間話のほうが長い。『歯医者なんて長居したくないのに…。』と思いつつも治療が始まってしまうと話せないので、ついつい話してしまう。世間話が長くなるその理由は、私は痛い思いをしたくないので出来るだけ早く行くようにしているので、2~3年に1度掛かっても1~2回で終わってしまうお付き合いだからだろう。さらに言えば、母と一緒に行く→一人で行く→自分の保険証→結婚して苗字が変わると、私の状況が出世魚のように変わるからのようだ。その度に、先生は驚いて『俺も年取ったよなぁ』といってから治療に入るのがここ数年のパターンなのだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日は、美容院に行った。私の髪は細くてまっすぐ、寝癖は付くがドライヤーの癖はなかなか付かず、パーマがかかりにくく、取れやすい。さらに髪が伸びるのが早い。と、厄介な髪質なのだが、美容師さんにすれば『いいお客さんよ、萬望さんはリピートが早いから(笑)』と一言。この美容室も、高校生からのお付き合いなので15年以上経つ。私の髪質はもちろん、スタイルの相談や我儘も聞いてくれるし、ヘアケアや自宅で髪をまとめるポイントをきちんと教えて下さるので大助かりなのだ。成人式の時もお世話になり、結婚式などのお呼ばれのセットも美容室に行くのに時間が掛かっても(自宅から約40分)必ずこちらにお世話になる。前回美容院に行った時、美容師さんと話していて昔あったシャンプーとリンスの話になった。昔のリンスは、現在の洗濯用の柔軟剤のようにお湯にキャップ一杯のリンスを溶かして髪にかけていたのを、私と同年代の方は覚えているだろうか?その話で美容師さんと盛り上がっていると、サポートに入っていた20代前半の子は『何ですかそれ?』とビックリしていたので、『家に帰ってお母さんに聞いてごらん?』と話していたのだ。今日、彼女にシャンプーをしてもらった時に『この前の話、家に帰ってお母さんに聞いたんですよ。そうしたらお母さんが、昔はそうだったのよ。知らなかった?』とさらっと言われたと話していた。彼女にとっては相当なカルチャーショックだったようだ。今日、帰るときに『まだ外暑いのかな』と美容師さんに聞かれ、『今時分の時間なら少し涼しくなっているんじゃない?』言ってしまったのだ。3秒ほど間が開いて、『萬望さんてさ、お祖母ちゃんと住んでいたせいか昔の言葉知っているよね(笑)』と言われた。この一言、実はよく言われるのだ。この前自宅で主人と話していたときも同じことを言われたし、十数年前のまだ十代だった頃にもバイト先の店長や社員さんに同じことを言われた。みんな口をそろえて言うのが、『行動は結構いまどきの子でぶっ飛んでいるところがあるのに、考え方が古風だ』と言う。自分であまり自覚はないのだが、やっぱりババくさいのかしら…。少し発言を考えようと思ってしまった。
2004.06.26
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昨日は疲れて寝てしまったので、今頃昨日の日記の更新。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日は午前中、告別式へ。前日お通夜に出席しようと思っていたのだが、祖母の病院の日だったので告別式に出席。自宅に戻り着替えてから銀行めぐりへ。○○信金→郵便局→○○○○銀行と3ヶ所の金融機関をまわる。五十日&金曜日と言う事でかなり時間が掛かる事を覚悟していたが、信金のほうはATMコーナーはそこそこの混雑だったが、窓口はガラガラ。郵便局もすんなりATMを使え、自分の用事が終わって振りむいたら長蛇の列になっていて驚いてしまった。と言うわけで、出だしの2ヶ所はほとんど待ち時間がなかったので順調だった。3ヶ所目の銀行に入ろうと思って扉を開けたとたん、思わず言ってしまった…。『なんじゃ、こりゃ~ぁ(松田優作風)』ここの銀行、元々いつも込んでいるのだが窓口もATMもとんでもない込み方だ。仕方ないので、ATMの列に並び待つ。自分の番が来て、用事を済ませたらおなかがすいた。お昼を食べ損ねたことに気付き、近くのマックへ。お金の流れを書いたメモを見ながら昼食を摂り、一度家に戻った。頼まれていた絵本の読み聞かせの簡単なチラシを作り、相手先にファックスを入れ、本日4ヶ所目の○○○○銀行へ。ここも比較的空いていてすんなり用事を済ました。銀行から出ると携帯が鳴り、メールが入った。私の友人からで、話したいことがあるから連絡がほしいとの事だった。今、出先なので戻ったら連絡するとメールで返信した。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・彼女は高校からの友達で、私を含め7人グループの一人だ。その中の一人は高校生の時に他県へ越してしまったが、未だに連絡を取り合い、自分を取り巻く環境が変わっても定期的に逢ったり、一緒に旅行に行ったりできる最初の『飲み友達』たちだ。女性ならわかると思うが、大体女が数人集まればその場にいない人の『欠席裁判』が開かれる事がある。でも、この友人たちは決してそういうことをしない。しかしこれだけの人数になると、さらにグループが分化される。普通なら『△△が知っているんだから私にも教えて!』となりがちだが、『○○の事は△△がよく知っている。○○が悩んでいるみたいだけど自分から言わないし、聞いている△△も今はみんなに話せない事だと思っているみたいだから、そっとしておこう』というスタンスが高校生の頃から全く変わらないのだ。逆に相談事を持ち込むとみんな真剣に考え、アドバイスをしてくれるし、怒られる事もある。普通の人なら言いにくい事も『キツイ事言うけどさ』とはっきり言ってくれる。さらに一緒に泣いてくれる…。昔からちょっと大人で、お酒が好きで、男っぽい友情を持っている…。そんな友人たちだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・彼女も夫婦で商売をしているので、よく相談しあっている。彼女の相談事の候補をいくつか想像しながら自宅と車を走らせていた。自宅に戻り電話すると、最初に彼女が『萬望は精神状態、今元気?』と聞かれ、予想していた話の内容が大体わかった。『2~3日前だったらダメだったかも』と言ったら、じゃあ…。と言って彼女は話し始めた。内容はここに書けないが(自分の事ではないので)彼女なりに結論を出そうとしていた矢先、先に結論を突きつけられた挙句、相手から引導を渡されてしまった。彼女はとんでもなく傷ついていた。以前から忠告はしていたのだが、代償は大きかった。私は、同じ女性として気持ちはわからないではないが、完全に第3者として話を聞いていた。かなりキツイ事を言ったので彼女は途中、電話口で泣いていた事にも気付いていた。が、あえてその時は何も言わなかった。電話を切るときに『かなりキツイ事言ってゴメンね』と言ったら、彼女は『自分で決断するために萬望の第3者としての冷静な判断がほしかったから、萬望が言っている事は間違っていないと思うし、逆の立場なら私も同じ事言うと思う。自分が頑張るために萬望に背中を押してもらいたかったんだよ、きっと。ありがとう』と言って電話を切った。彼女の話がかなり重たい内容だったのと、今日一日忙しかったので電話を切った後ちょと疲れてしまった。その後晩酌しながら夕飯を食べて、後片付けもせず寝てしまった。(ただのぐうたらか?ヾ(- -;))
2004.06.25
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昨日、日記をかけなかったのは飲みすぎではないです。(珍しく)実は、昨日は朝から波乱気味だったのだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・朝っぱらから話題にした私もいけないのだが、なんと言っても月末だ。と言う事は、資金繰りについて話さないといけなかったのだが、主人の現場が遠いので帰りが遅くゆっくり話す暇がなかったのだ。おまけにちょっと現実逃避気味になっていた主人。火に油を注ぐ格好になってしまった。やってしまった。…朝から喧嘩だ。しかも実のない喧嘩だ。(ノ_-;)ハア…誰だって朝気持ちよく送り出したいと思っているはずなのに…。自己嫌悪。大反省だ。前の日に自分自身のことでも悩んでいたので、さらに落ち込む事に。『この業界で頑張っている人の中から、会社に応用できる事や参考になる事はないか?』と半日、楽天広場の中をジプシーしていた。いろんな方からメッセージをもらい、ちょっと復活。ここに日記を書くようになって、本当にいろんな方から力をもらっている。本当に感謝している。皆様、ありがとうございます。(TдT) アリガトウ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・昨日は祖母の病院の日だった。その前に会社の用事を済ませ、祖母の緑内障の目薬を病院に取りに行ってから病院へ行った。昨日は、祖母もよくご飯を食べてくれて一安心。なんだか祖母に癒してもらった気がした。そういえば、車の中で聴いているCDやMDを全然変えていないなぁと思って、車の中で歌えるものに変えて一人カラオケ状態。周りから見ると結構恥ずかしいが、完全に無視。私の精神衛生が保たれるほうが先なのだ。気にしてなんかいられない。おかげでリフレッシュできたのだ。ヽ(´ー`)ノ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・祖母の病院から帰ると、主人もちょっと前に帰ってきていて事務所にいた。朝の件は、自分の現実逃避からの八つ当たりになってしまって悪かった、ゴメンと謝ってくれた。お酒が入る前に具体的な数字を話し、見通しを付けた。やっとほっとした。ヨカターヨ・゚・(ノД`)・゚・私はまだちょっと用事があったので事務所に残っていたのだが、上から主人と義父の話し声が聞こえていた。用事を済ませて上に上がる時、義父に用事があった事を思い出して顔を出したら、えらい勢いで電話で話しながら怒っていた。自分たちの所帯の部屋に行くと主人が一言『親父、怒っちゃったよ』と。私は???。なんで?と聞こうと思ったら主人の携帯が鳴った。相手は主人の兄。義兄だった。どうやら、義兄と義父の間でトラブルがあったようだ。義兄と義父のトラブルは我が家には関係ないのに、必ずと言っていいほど火の粉がかかる。自分の事ではないし、義父をなだめるのはこちらなので本当に迷惑な話なのだ。相当頭にきていたんだろう。滅多にうちの所帯に上がってこない義父があがってきた。義兄と義父は元々あまり相性が良くないのだ。亡くなった義母も義兄より主人と住みたいと言っていたし、実際、一緒に住んでいるのは私たち次男夫婦だ。義父もお酒が入っていたので、テンションはあがりっぱなし。主人と二人で飲んで少し落ち着くまで小一時間…。…、私が疲れてしまった。と言うことで日記が翌日になってしまった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・先日から度々出てきている『いまダメでも、きっとうまくいく』の中で、車の運転も近いところばかり見ていては事故を起こしやすいが、100mくらい先をみて運転するとスムーズに事に対応できる。仕事も同じだ。目先の事ばかりみているのではなく、少し先まで見るようにならないといけない。本当にそうだと思う。商売は太く短くではいけない。細く長くやっていくためにもあせらず、着実に結果を出せるように考え直さなければ…。と主人とも義父が帰った後話し合った。私自身の事もそう考えるようにしよう。やっと少し目の前の霧が晴れた気がした。
2004.06.24
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今日も暑い。夕べは、口角炎のためにビタミンB製剤をとり、胃のために胃薬を飲んで早めに寝たので、やっとこさ本格復活。しかし暑いのは苦手…。どうも春生まれのせいか、昔から夏が苦手。主人はバリバリの夏生まれなので暑いほうが頑張れると言っているが、ぐったりしている時にその元気なテンションは、かなりキツイものがあったりする今日この頃…。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・昨日、5月末に掛けた営業先から1件仕事が舞い込んだ。条件次第では契約する方向。何とかここで弾みをつけて、会社がいい方向に向いてもらいたい。一昨日、日記に書いた『いまはダメでも、きっとうまくいく』をざっと一通り読んだ。これはいまの私じゃなくて主人向きの本だった。78のタイトルからなっている本だが、結構納得させられる部分もあった。いまの主人はこの本の20/78くらい実践できている事はある。きっと大丈夫。この状態を乗り越えられると思う。二人で頑張らなければ…。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日、昼の番組で女性社長さんの半生を特集していた。この方、うまく事が運んで落ち着いた矢先にドカンと大きな事件が起こる…。まるでジェットコースターのような人生の方なのだが、とてもバイタリティーのある女性だった。確かに今、会社の事務と主婦業をやっている。が、会社の事務仕事なんて片手間程度だ。だからこそアフェリエイトサイトを立ち上げようと日々作業しているのだが作業中の迷いが多すぎるのだ。実店舗でもそうだと思うが、自分のお店に自信が持てなければ、人が素通りしていくのは当たり前だろう。人が素通りしていくサイトを作っても何もならない。そんなことは良くわかっているのだが、じゃあそこから先どうすればいい?と言った時に具体的な答えが見つからない。最低だ。仕事にしようと思っている事に『プライド』が持てていない。3~4年ほど前から『自分の可能性』って何だろう?『自分が出来ることってなんだろう?』とずっと考えているが、未だに答えが見出せないでいる。今迄あせらずゆっくり探して行こうと思っていたが、それは自分に対しての甘えではないのか?今日はそんなことを考えながらお昼を食べたので、どこに入ったか良くわからないお昼ごはんになってしまった。(撃沈 ○| ̄|_ )
2004.06.23
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今日は台風一過。本当に暑い一日となった。我が家は鉄骨3階建てなのだが、3階にある我が家は屋上の熱がそのまま下に伝わってしまうので、今日のような日はクーラーを入れてもすぐに涼しくならないので暑いのだ。冷房効率を上げるために、屋上に水をまく。これをやるとかなり涼しくなる。夕べはなんだかほとんど眠れなかった。そのせいだろう、このところの不摂生で胃の調子が悪いのに加えて、この暑さで体の調子が悪い。今日は早く寝る事にしよう。
2004.06.22
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今日は朝からすごい風。午後からさらに風が強くなってきたと思ったら、雨も!家を出る時間には風も雨もピークだったが、今日は当番の日なので祖母の病院へ。今日の祖母はなんだかぐったりしていた。時々あるのだが、食事しながら首がかっくんとしてしまう。眠いのか、食事のために起きていることに疲れてしまうのか…。時々そのまま目を開かなくなるのではないか…。という不安がよぎる時がある。ともあれ、状態を聞きたくても口を利かない祖母に聞いてもわからない。何とか食事の介助をして、病院の帰りに買い物へ。義母のお仏壇のお花が枯れていたのでお花屋さんに寄り、さらにドラッグストアとコンビニによった。コンビ二では、週間の漫画雑誌を買って帰るだけのつもりだった。ふと棚を見るとこんな本があった。『いまはダメでも、きっとうまくいく』タイトルに惹かれてちょっと立ち読み。ヾ(- -;)本好き(と言うか活字好き)の私は時々本屋さんでもタイトルだけで目当ての本以外の本や雑誌、漫画を買う事が多い。パラパラっと見た限り読みやすい。とりあえず買って帰ってきた。家に帰ってちょろっと読んでみたが面白い。会社の事でも少し落ち込んでいた私に元気をくれた。主人にも、少し読み聞かせたら普段活字嫌いの主人にも面白かったらしく、『読み終わったら貸して』と言われた。字も大きいし、見開き1ページで1タイトルが終わりなので、読みやすいかもしれない。さぁ、明日は暑くなりそうだ。暑いのは苦手だけど、心は少し元気になった。もう一頑張りも二頑張りもしなくては!そう自分に言い聞かせた。
2004.06.21
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今日は、暑くて目が覚めた。主人は午前中現場の下見に行ったので、私はのんびり。お昼近くなって、『おなかすいた』と思ったと同時に無性に『サンドウィッチ』が食べたい!主人に電話すると、もうすぐ帰るから一緒に買い物に行こうということに。30分ほどして主人が帰ってきたのでコンビニへ。私は当然サンドウィッチ。主人は1週間ほど前からそうめんが食べたいと言っていたのでそうめんを買って帰ってきた。食べたいものが食べられる幸せ…。至福のひと時だった。(安い至福だ)夕方、実家の母と待ち合わせて食事するつもりがキャンセルになってしまったので、二人で居酒屋へ。このお店、生ものが美味しいので最初は生ビールを飲んでいたのだがやっぱりこっちがいい!と言うことで日本酒へ。おいしい生ものと日本酒ってなんでこんなに合うんだろう…。そのままほろ酔い気分で、撃沈。(まただ(^^;)美味しいものをおいしく食べられる幸せって、普段あまり気づかない事だけど、本当は一番大切なのかもしれない…。今日はなんだか強くそう思った。
2004.06.20
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今日は、楽天のトップページを変更。本当に、アフェリエイトサイトなのか?!と思うくらい更新していなかった。反省…。で、本館のアフェリエイトサイトのリニューアル作業もやり始めたのだが…。『あ、頭痛い…』このところ色々考え事をしていて気分も沈み気味だったのだが、今日はテンションもまぁまぁだったのだが…。このところあまり体の調子もよくないらしく(本人の自覚があまりない)、口の横に胃の調子が悪いとできる出来物が…。今日はさっさと寝る事にします。オヤスミナサイ…。
2004.06.19
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楽天で日記を書き始めて1ヶ月以上が経った。最近すごく感じているのは活字だけで表現する事の難しさ。日本語の難しさだ。他の国の言葉もしゃべれないくせに、自分の国の言葉もまともに操れないなんて情けない話だが…。幸いにして私のページに来てくださる方は、私の表現したかった事を汲んで下さる方ばかりで、感謝している。基本的に自分の日記は世間様に見られるので、書いた事を読み返してみて『不快に思う表現はないかな?』と自分なりに客観的に確認してからアップするようにしているつもりだ。ただ、日記リンクさせていただいている方の日記に感想を書いたりする時は、書き込まないと全体が見えない。とても不安になる。お互いのリアルな性格がわからないからだ。多分会って直接話してたり、電話で話したりとかだったら声のトーンなどでその言葉の真意がわかるはずなので、こんなふうに考えないだろう。ただ、文字になると微妙な表現になってしまったときなど(どっちの意味にも取れるような表現)は、読んでいる相手の精神状態によっては、真意が伝わらず傷つけたり、怒らせてしまう事が稀にあると思う。でも、活字だから書けることも自分の気持ちに正直になれることもある。さらに言えば、『リアルな自分を知らない人が見ている』と言う前提だからこそ書ける事もあると思う。自分の伝えたい事を誤解なく伝えられる文章力がない…。自分の文章力のなさに今更呆れている。やっぱり文章って、日本語って難しい…。しみじみそう思った。いままで、私の書いた文章で傷ついたり不快に思った方がいらしたら、今日の日記に免じてお許し下さい。また、御贔屓にして下さっている皆様には、こんなボキャブラリーが少なく、表現が乏しい日記を読んでくださる事に本当に感謝しております。あらためて、これからもよろしくお願いします。
2004.06.18
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最近、主人になにかあると『これ日記のネタにならない?』と最近よく言われる。でも、今日はネタ切れなので主人の事を…。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・主人は、とってもマイペースでおおらかな人。在宅で祖母を介護している時、家事が多少手抜きになろうが、今も病院に行った日の夕食が適当だろうが何も言わない。『埃じゃ死なない』『食べられればなんでもいい』そういう人だ。(おかげで私は大助かり)一昔前に流行った『だんご三兄弟』の歌詞で『自分が一番次男』というフレーズがある。長男と三男が同じ仕事をしていることもあるが、本当に三兄弟の次男である主人はこの歌詞がまんまが当てはまる人だ。私は基本的には短気なので、主人のマイペースさにイラつくことも多い。主人は一言で言うと『スポンジ』のような人だ。私がとげとげしていても、ぽよ~んと受け止めてしまう人だ。(体型もだが)そしてとても人当たりがいい。笑顔で周りを納得させてしまう力がある人だ。だから、一度ついたお客様からリピートされるんだろう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私が、職人の女将さんとして、嫁としてかなりしんどくなって精神的に不安定になった時期が何度かあった。別件でこの時期に病院に掛かった時『自律神経をやられている』と言われた。自分が自分でないようで、漠然と何もかも不安で自分で自分の感情がコントロールできなかった。訳がわからないことでヒステリックになろうとギャーギャーわめこうと主人はいつものスタンスでいてくれた。『つらいことがあるなら吐き出しちゃえよ』かなり支離滅裂な事をわめいていただろう。でも、主人は何も言わず聞いてくれていた。私には相手を思いやる余裕はない。かなりきつい事も言っていたと思う。主人は受け止めてくれたし、私はすごく安心できた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・昨日の日記で少し触れたが、私はかなり気の強いかわいくない女に育ってしまった。主人は私のその裏の脆さがわかる人間だと書いた。その事を今日晩酌しながら話したら、『お前の気の強さなんてベニヤ板みたいなもんだ』と言われた。そう、そのベニヤ板の前に色々貼り付けて私は生きてきた。でも、周りは貼り付けられている丈夫そうなものしか目に入らなかったのだ。下地の脆さに気付いてくれた男性…。それが主人だった。ある意味、自分を強くみせないとバランスが取れなかったのかもしれない。私の脆さを知っている人、わかってくれる人は一握りだ。主人と付き合う以前に付き合った人ももちろんいる。結婚を考えた相手もいた。でも、その人たちは私の『インチキ合板』の表の面しか見ていなかった。自分がベニヤ板を見せたらもう上手くいかなくなる。弱くなる事ができなかった。だから疲れる…。自分が耐え切れなくなって別れていた。でも、主人は最初から一緒にいて楽な人だった。自分の家にいるように、家族と話すように会話ができた。主人も私と同じだった。結婚したい理由が『一緒にいて楽だった』というくらいだ。そして知り合って10ヵ月後には入籍し、1年後には結婚式を挙げていた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・主人と私の約束事は『ありがとう』と『ごめんなさい』をちゃんと言うことだ。何もかも当たり前になぁなぁにされるのは嫌だった。だから毎朝、現場に出る主人にお弁当を作ると『サンキュー』と言って持っていく。喧嘩しても、お互い『ごめんなさい』をきちんと言うまで許さない。悪いと思ったら謝るのが当たり前だからだ。そんなこんなで結婚して9年目。喧嘩も色々したし、二人で悩んだ事も泣いた事もあった。今色んな悩みがあるが、あと20年か30年したときに二人で一緒に『あの時は頑張ったねぇ』と晩酌していたい…。これが最近私と主人の持っている夢だ。
2004.06.17
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このところ本当にいい天気。しかも今日はとっても湿度が低くて過ごしやすかった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日は、家事を終わらせてから法務局へ。主人の会社のダンプが排ガス規制法に引っ掛ってしまい、まだ動くのに処分する事に。そこで、会社の印鑑証明が必要だったのだ。私、結構法務局って好きだったりする。なんだかとても非日常な空間で、○年前バリバリに働いていた頃を思い出すのだ。今回処分するこのダンプちゃんは、私が主人のところへお嫁に行く時に引越で使った。普段はすぐ乗り物酔いをする母も、初めて荷台がある乗り物に乗って、見晴らしのよさに乗り物酔いを忘れて感激していた。でも、もう乗ってはいけないのだ。ちょっと寂しい…。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日記をつけ始めて約1ヶ月。読んで下さっていた方が不思議に思っているはずのことを書こうと思う。それは私の実の父親の事だ。今まで、一度も出てきていない。ちなみに私は一人っ子。実の兄弟姉妹はいない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私の父親は、今どこにいるかわからない。四捨五入すれば30年近く逢っていない。両親の離婚原因、それは父の『ギャンブル癖』だった。給料を全てつぎ込み、それでも飽き足らずサラ金にまで借金をしてまでギャンブルをしていた。母曰く、父は父なりに私をかわいがってくれていたらしい。父には申し訳ないが私にはあまり記憶がないのだ。父と行って覚えている場所は『高尾山』『競馬場』『パチンコ屋』の3ヶ所。ふたつがギャンブルの場所と言うものなんだかなぁ…。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私が覚えている夫婦喧嘩…。見たのは後にも先にもその一回だった。もめている原因は『ケーキ』だった。クリスマスだったか私の誕生日だったかは定かではないが、何しろ丸いケーキを夜遅くにぐしゃぐしゃにしてもって帰ってきたのだ。母は、『子供のためにケーキ一つ持って帰れないの!?』と父に厳しく詰寄っていた。その時の母の声で目が覚めた私は、怖くなってしまい寝たふりをして事が収まるのを布団の中で祈るような気持ちでいた事を覚えている。1年ほど前この話を母にしたら、声を荒げて私の前で大喧嘩したのは後にも先にもこの一回だったらしく、『三つ子の魂百まで』って言うけど怖いわね。知ってたんだ…。と言われた。記憶が少し飛んでいるのだが、それからしばらくしてからの事。父が『パパとママはもう少ししたら別々に住む事になる。萬望はパパとママとどっちと住みたい?』と競馬場で聞かれた。(←流石、ギャンブラー)『なんでパパとママが別々になっちゃうの?』と娘に尋ねられた父はそれ以上、何も聞かなかった。私は当時幼稚園児。何故自分の両親がばらばらになってしまうのかが理解できなかった。そこからまた記憶が少し飛んで、夏休みになっていた。母方の伯父さんたちが引越を手伝っていた。母に、『どこへ行くの?』と聞いたら『お祖父ちゃんとお祖母ちゃんの所』と言われ私は単純に喜んでいた。次の瞬間『パパも一緒だよね?』と聞いた。母は無言だった。こうして私の知らない間に両親の離婚は成立していた。養育費も貯金も全く何もなく、母が私の人生を全て一人で背負う事になったのだ。ちょうど、離婚したのは今の私の年齢だ。子供を連れ、離婚…。子供もいない、夫婦喧嘩した時に『離婚』という言葉がよぎっても、今の私にとっては到底想像できないことだ。引越してからしばらくして『○○(今まで名乗っていた苗字)萬望』と『××(母の旧姓)萬望』どっちがいい?と聞かれた。私は、自分の名前は『○○萬望』だと思っているので、『なんで?××はお祖父ちゃんちの名前でしょ?』とあっけらかんと言ってしまった。母はこの時、本当は旧姓に戻したかったのだろう。別に父は長男でもないし、私が跡取りでもない。養育権も親権も全て母にあった。離婚してまで、結婚後の苗字を名乗る理由はどこにもなかったのだ。でも、今考えてみれば私のために結婚後の苗字を名乗る事にしたのだろう…。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・両親の離婚から10年ほど経ち、私が高校生だった頃。祖母は首の骨が圧迫され、手に痺れが出たため圧迫している首の骨を削る手術を受けるため、入院していた。電話がなった時、母と私が家にいたのだが、母は夕食の片付けをしていたので私が出た。『△△(一般的な苗字)ですけど、お母さんいますか?』と男の人からの電話だった。母に、冗談で『彼氏でもできたの?』と言ったら『そんな暇あるわけないでしょ』と笑いながら言って電話を代わった。…。次の瞬間、母は『二度と電話を掛けてこないで!』と言ってすごい剣幕で電話を切っていた。私は何がなんだかわからないでぽかーんとしていたら『あんたの父親よ!』…。確かに嘘の苗字で電話してきた。でも、私は自分の父親の声も忘れていたのだ。父親もショックだっただろうが、私は母の動揺を初めて目の当たりにした。きっと色々耐えながら働いてきたんだろう…。母が泣いた姿を見たのはこの時が初めてだった。私にとってはかなりショッキングな出来事だった。なんだか色んな思いが二人の中に入り混じって、その日は二人で泣きながら寝た。その後、1ヶ月ほどしてまた電話があったが、母は同じ対応だった。ただ、1ヶ月前と違かったのは、『しつこくてむかつく!』の一言で二人の会話が終わった事だった。その後、父から一切電話が掛かってくる事はなかった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・母は、私を片親と感じさせないくらい頑張って育ててくれた。もちろん、祖母が同居していた事は私にも母にも大きかった。介護が必要になった今でも、やっぱり祖母は第2の母親だと思っている。小さかった時、母はかなり躾に厳しかった。もちろん喧嘩もした。が、年相応に扱ってくれていたので、分かり合えるまで話を聞いてくれたし、諭してもくれた。勉強もろくにせず部活に熱中し、『楽器が欲しい』と言った時、私のそれまでのお年玉貯金にお金を足し、決して安くない楽器を買ってくれた。祖母は『高卒で十分!』と最後まで反対だったが、自分の進みたい進路の専門学校まで出してくれた。お遊戯会や運動会、授業参観や三者面談、部活の演奏会などの学校行事も忙しい中、欠かさずに足を運んでくれた。部活の演奏会を聴きに来ていた母は、家に帰ると私に『自分にできない事ができるなんてすごい!』部活やって、お弁当食べて、部活して…。という高校生活をしていた娘に親バカな発言をしたことがあった。(最近ではパソコンの事で親バカ発言をしているが…。)母に言わせると私の成長が母の原動力になっていたと言うが、私にしてみれば女手一つでここまでしてもらって本当に感謝している。忙しい中でも、自分に向き合ってくれている事がわかっていたから、横道にそれることもできなかった。万が一、迷惑掛ける様な事をしたとしてもそれは自分の意思だとは周りは思ってくれない。『片親だから』その一言で何もかも片付けられるのがとても嫌だった。それが私の小さなプライドとなっていたので、悪さはできなかったのだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・数年後、結納を済ませ結婚をすることが決まった時母は私にこう言った。『自分の本当に好きな人のところにお嫁にいけてよかった』と。片親にしてしまった自分のせいで破談になる事もあるかもしれないとずっと心配していたらしいのだ。私はそんな事で破談になるくらいなら、最初から結婚するつもりはさらさらなかった。相手の親も自分なりに思いやるから自分の家庭の事情を、理解してもらえる所に嫁に行くつもりだった。でも、こんな親心があることを私は何も知らず、我儘放題してきた事をこの時改めて申し訳なく思った。主人がよく『お前とお母さんって親子というよりも友だちみたいだな』と言う。私と同じくらい私の事をわかっているのは母だ。さらに、介護の事でも色々二人で悩んだり泣いたりしたから今、いい関係でいられるのかもしれない。そんな母も今年還暦を迎え、定年退職した。本当にお疲れ様。母には自分の時間を持って、自分の人生を楽しんでもらいたい。(と、言ったら最近お稽古にはまりだしてペン習字やらビーズ教室に行き始めた。)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そして、我が旦那様はなんと干支が同じで一回り違う。主人が12歳年上だ。母とも15歳しか違わない。(笑)そして、私の両親と主人の両親が干支が一緒で一回り違うのだ。既に、実の父親と暮らした時間よりも義父と暮らしているほうが長くなってしまっている。不思議なものだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私は気が強い女に育ってしまった。自分が男だったら『かわいくない女』と思うタイプだ。でも、その影のもろさに気付いてくれ、受止めてくれた男性は主人だけだった。だからこの人と結婚しようと思ったのかもしれないし、早くに父親と離れたので意外とファザコンだったのかもしれない…。そんなことを最近思うようになった。
2004.06.16
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今日も昨日に引き続きいい天気だった。予告通り、我が家のマット類と下の所帯のマット類を洗濯。今日は3回洗濯機君に回ってもらった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・我が家は3階にノートがあり無線LANでつないでいる。今は主にこのノートを使うことが多いのだが、1階の事務所にデスクトップがあるのだ。3階のノートでメールチェックをしてもメールサーバーに残したままにしておくので、1階のデスクトップで再度メールチェックをしてメールサーバーのメールを消すのだ。昨日、ノートでメールチェックした時にはPCGATE Personalで引っ掛らなかったのだが、今日1階のデスクトップでメールチェックをしたらみたことがない表示がされた。『ウィルスメールがあります。駆除しました。』えっ!?初めて来たもの…。それはありがたくないことにウィルスメールだった。下はノートンのアンチウィルスを使っているのだが、初めてだった。そういえば昨日、知らないところから添付ファイル付きメールが来ていた事を思い出した。基本的に知らない人からの添付ファイルを開けることをしていなかったので、難を逃れていたようだ。無事に駆除してもらったのはいいが、ちょっと不安になったので、デスクトップもノートもウィルスチェックを掛けた。感染はしていないようだったので安心した。うーん。人にこんなもの送りつけて何が楽しいのだろう?私には分かりません。\(||_ _)/ さぁて、これから晩酌&晩ご飯だぁ!
2004.06.15
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今日は、梅雨の中休み。本当にいい天気で、とてもさわやかな陽気だった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日は、祖母の病院の日。でも、今日はいつもより2時間ほど前に病院へ行く。そう、今日は介護保険更新のための認定調査の日だったのだ。前回の認定調査は、母が付き添ったので私はかなり久しぶりの立会い。で、病室に行くと『?!』なんと母がいるではないか。母は腰痛もちで、月曜日は鍼に行っているのだが時間に間に合いそうだったから立ち会うといって病院に来ていた。しばらくすると、認定調査の方が見えた。ここでも『?!』そうこの方、2年ほど前の更新の認定調査をした時に2回同じ調査員の方が見えたことがあったのだが、その時認定調査に見えた方だったのだ。この頃在宅介護をしていて、母もまだフルタイムで働いていた頃だったので、認定調査には私が立ち会っていた。認定調査員の方も私のことも祖母のことも覚えてくださっていたようで、『あの頃はあんなにお元気だったのに…』と残念そうに言っていた。そう、2年ほど前ならばまだトイレなどの介助だけで済んでいた。また、その場の会話は成り立っていたし、食事もある程度自分で摂ることもできていた。もちろん自力歩行もできていた。今は、ほとんど言葉を発しないし、食事も自分ではできない。自力歩行や座位もできない。残念と言われるのも無理はない。調査のための話を色々して、無事に終了。ただまだ祖母の食事の時間までには時間があったので、母と近くのファミレスでお茶をすることに。1時間ほど時間をつぶしてまた病院へ。祖母に食事を食べさせて、母を実家に送り、実家で一息ついてから自宅に帰ってきた。ちょうど、家に帰ったら主人も帰ってきた。昨日の反省も生かせないまま、晩酌しがてら夕食を摂った。明日も天気が良さそう。マット類でも洗濯しようかな?
2004.06.14
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またもや撃沈…。本当に酒飲みなのがバレバレでいい加減恥ずかしくなってきた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日は、朝起きたら雨。主人も、どこかに出掛けたかったらしく早起きしたが、『何だ、雨だ』ともう一寝入り。私も便乗して寝ていたら、午後も中盤に差し掛かった頃とてもいい天気になってきたのでちょっと後悔した。折角主人がいるんだからと、部屋の模様替えをしてもらった。前々から言っていたにもかかわらず、なかなか出来なかったので私は大満足。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・夕飯にどうしても『鳥のから揚げ』が食べたくなった。が、ここでとんでもないことが発覚!結婚して丸8年以上たっているのに私ったら…、『鳥のから揚げを自分で作ったことがなかった!』よくよく考えると、たまに主人とスーパーに行くとお惣菜を買うのだが、その時に買ってきて食べてしまうので作ったことがなかったのだ。主人も『そう言われてみれば…。ないかもな。』何とか鳥のから揚げを作り、試食。なかなかお味も上々だった。二人で晩酌しながら話題は梅酒の話に。結婚当初から数年は毎年漬けていたのだが、最近なんで漬けないのか?と聞かれた。答えは『開けるビンがなくて漬けっぱなしになっているから』なのだ。久々に呑もう!ということになり、出してみると既に丸3年漬け込んだままになっていた。梅酒をお水で割って呑んだ。『おいし~い!』…で、ついつい呑みすぎてしまって、家で主人と飲んでいたのに撃沈。うーん。やっぱり少しお酒控えようかなぁ…。
2004.06.13
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今日は、久々にまずまずの天気。我が家も義父の所帯も洗濯をした。基本的に洗濯は好き。(と言っても洗濯機がしてくれるのだが…)でも、たたむのは嫌い。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日は、主人の仕事が午前中に終わった。ちょうど義母の月命日が近いので二人でお墓参りに行った。不謹慎なようだが、私結構お墓参りが好きだったりする。祖父のお墓はちょっと遠いので、お盆にしか行かないのだが義母のお墓は車で1時間ほどなので、月命日か月命日前には必ず行くようにしている。毎日、下の所帯(義父のスペース)に行って部屋の掃除と一緒にお仏壇の掃除もしているし、お仏壇に手を合わせない日はない。だけど、お墓参りはなんだか特別なのだ。行ってお墓にお花を手向け、お水をかけ、お線香をあげる…。お墓にいる時間は10~15分ぐらいなのだが、表現が悪いが『本当の義母』に会えた気がする。一人で行く時には、いいことも悪いことも義母が元気だった時にお茶を飲みながら話していたことをお墓に向かって報告している。そばを通る人は、もしかしたら『イッちゃっている人?!』と思っているかもしれない。ヤバイ…。気を付けよう…。(^^;来月で、義母が亡くなってちょうど1年。来月は大勢で来るから…。と約束してお墓を後にした。明日は少し天気が良さそう。主人はこの前テレビの特集を見てから鎌倉散策に行きたがっている。山好きの主人に付き合って久々に鎌倉を散策してみようかな?来週末くらいからまた地獄(仕事のほう)が始まるはずだ。その前に、少しリフレッシュするためにも主人に付き合うのも悪くないかも…。本人には言っていないがひそかにそんなことも考えている。
2004.06.12
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さすが梅雨時。午前中までは何とかもったが雨が降ってきた。昨日干した洗濯物が乾ききらない。久々に乾燥機のお世話になった。我が家の乾燥機はガス乾燥機。乾燥機は確かに便利だけど、やっぱりお日様に乾かしてもらうことにはかなわない。そろそろ一日いい天気になってほしい。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日も主人と晩酌していた。結婚してから晩酌が習慣化してしまった。本当は休肝日を作らなければと思いながらも、呑んでしまう。意志が弱すぎ。反省…。ヾ(_ _。)ハンセイ…・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・明日は、このところ全然していない、アフェリエイトサイトのリニューアル作業でもしよう。
2004.06.11
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今日は時の記念日。そういえば高校の創立記念日だった。別に愛校心はないが試験前以外、部活を堂々と休める日があまりなかったのでなんだか覚えている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日は、当番の日だったので病院に。まぁまぁ快調に食事をしてくれた。病院の食事はご飯が全粥、おかずとデザートはミキサーでムース状で出てくるので、元のものが良く分からない。においがあるものなら分かるのだが、微妙なにおいの時や色んなにおいが混ざっているとまったくなんだか分からないのだ。分かっている時は『お魚だよ』とか『お芋だよ』とか言えるのだが、分からない時は『ご飯だよ』と言って食べさせてしまう。ひどい孫だ。(-o-;あげている方も分からない食べものを、食べさせられるんだから不安で迷惑な話だろう。そういえば祖母がたまに横目で、お粥に混ぜられた食事をとても不審そうな目で見る時がある。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長崎の事件で加害者と被害者がやり取りしていた交換日記がニュースで紹介されていた。改めて被害者があの日命を奪われ、『未来』という時間をなくしたんだと感じた。でも、加害者にはこれから『未来』という時間がある。なんと理不尽なことだろう。少なくとも私自身、『殺したい』と思うほど人を憎んだことはない。が、一度だけ『殺してしまっているのではないか?』という不安を持ったことがあった。自宅で祖母を在宅介護し続けていた母が疲れていた時だ。以前の日記にも書いたが、祖母が完全な寝たきりになったのは年末だった。普段はフルタイムで働いている母は、ある意味仕事が息抜きになっていた。それが、年末年始の休みと同時に24時間べったりの介護になってしまったのだ。『煮詰まって、介護殺人でもしかねない』祖母も心配だったが、母のほうがもっと心配だった。が、『約束の時間以外にも緊急で巡回ヘルパーさんが入ってくれるようになったから大丈夫よ』ほっとして全身から力が抜けた。でも、リハパンからオムツに変わったので、オムツ交換やケアの方法もヘルパーさんに教えてもらいたかったし、母も話し相手や共同で介護できる相手がいるだけ違うだろうと、年末年始も1日おきに介護に通っていた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日の日記は話が支離滅裂だ。自分でよく分かっている。とにかく、自分がどんな状況に置かれようが『時間』だけはみんなに平等だ。さらに言えば、自分が今こうして五体満足で元気で生きていられることを当たり前に思っているし、明日も今日と同じように過ごせる…。そう当たり前に思っている。でも、いつどこでどうなるか、明日のことも1分1秒先の事も誰にも分からない。自分が持って生まれてきた時間は有限。無限ではない。また、有限の時間の中で本当に何が起こるか分からない。でも、私自身その時間の中で、出会った人を大事にしていきたい。起こった出来事で、少しでも自分を成長させたい。そう思っている。楽天で日記を書くようになって1ヶ月弱。ここで知り合った方々も何かの縁で、日々私に様々な刺激をを与えてもらっている。顔も見たことがない、声も聞いたこともない私に…。ありがたいことだと思う。なんだか精神論みたくなってきてしまったが、自分の持って生まれた時間、やっぱり大事にしなければ…。なんだかそんなふうに思った。
2004.06.10
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昨日の日記で、ラーメン屋さんに行くと書いていたが、途中で予定変更になった。自転車でラーメン屋さんに向かっていたのだが、雨も心配だったので、もう少し近い街場の中華料理店に行った。ここのお店は、忘れた頃に行く中途半端に常連のお店だ。でも、食材などにとてもこだわっているので、忘れた頃でも足が向く。使っている豚肉は、『金華ハム』として世界的に有名な『金華豚』を使っている。昨日日記に書いたとおり餃子&ビールをした。さらに焼き豚&ビールもしてしまった。生ビールばかりだとおなかが張ってしまうので、数杯飲んだところでサワーに変えた。が、しばらくすると主人が『紹興酒呑みたい』と言い始めた。私は酒好きなので、大体のものは飲むが『紹興酒』だけは呑めなかった。お燗をしてザラメを入れて呑むがあの匂いがだめだった。こだわりのお店と分かっていてもなぁ…。しかもストレートで、常温だよ?!と思いつつ、主人が飲んでいる紹興酒を『ちょっとちょうだい(私の得意文句と主人は言う)』とちょっと呑んでみた。『ん?!何これ?!美味しい!!』本当に美味しい。まず、匂いが薬臭くなく、味も数年ものの梅酒のようでほのかに甘ささえ感じるのだ。本来の紹興酒の呑み方は、お燗もしない・ザラメも入れないものらしい。確かにあの味ならば、そんなことをしてしまっては本来の味が台無しだ。お店の方によると、普通『紹興酒』として出回っているのは『台湾紹興酒』と言われるものらしく、本当の紹興酒と言うのは中国の紹興地方の湧き水を使ったモノだけをいうらしい。つまり、『紹興酒』は日本で言う『有名地酒』と同じニュアンスで、ブルゴーニュ地方のワインだけを『ブルゴーニュワイン』といえるという理屈と同じことらしいのだ。注:この辺の話は半分酔って聞いていたので、疑問に思われた方はご自分で 正確な情報を調べて下さいね。私はロックでいただき、主人は相変わらずストレートで飲んでいた。すっかりおなかはいっぱい。気分もほろ酔い。という事で、家に帰ることにした。自転車をこいでいると少し雨が降り出してきた。でも、美味しい食事っておなかが満足するだけじゃなく、心まで満足させてくれるのかもしれない…。そんなことを思いながら布団に入った。本当にご馳走様でした。ヽ( ´ ∇ ` )ノ ♪
2004.06.09
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今日は意外とお天気がもった。こんなことなら洗濯すればよかった…。(ちょっと後悔)しかし、すごーく蒸し暑くって不快指数はかなり高めだった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日は、午前中に生協の個配が来たので片付けて、掃除をして。さぁ、アフェリエイトサイトのリニューアル作業をしようとした時に思い出してしまった。昨年から通っていたスクールの入校日から1年経ってしまっていた!ヤバイ、まだいっぱい授業残っているのに…。あわてて連絡をすると早めに更新手続きをして下さいとの事。掃除の後、汗だくだったのであわててシャワーを浴びて、着替えてお化粧してスクールへ向かった。更新手続きは15分ほどで終わった。自分のサイトのほうが落ち着いたらまた通い始めようと思っている。ほっとして帰ってきて『さぁやろう!』とパソコンを立ち上げたら主人が帰ってきてしまった。タイムアウトだ。でも、今日はこれから主人とお出掛け。良く行くラーメン屋さんでこれから餃子&ビールしに行くのだ。本当は日曜日に行こうと思っていたのだが、雨で自転車に乗れなかったので断念していた。書いていたらおなかがすいてきた。早くお風呂から出ないかなぁ…。
2004.06.08
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今日の関東地方は、なんだか気まぐれな天気だった。雨がざぁーと降ったかと思えば、薄日が差してくる。しかし、むしむしと湿度の高い一日だった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・タイトル通り、本日は祖母の病院の夕食当番の日。6月3日の日記に簡単に書いたが、月・木が私の当番。日曜の昼食が叔母、残りの火・水・金・土・日が夕食が母の当番の日だ。日曜は病院で母と落ちあって、そのまま主人と3人で食事に行くというパターンだ。病院にお世話になり始めの頃は母と二人揃って毎日行っていた。が、長丁場になってくると看ているほうも疲れるし、何のために病院にお願いしているんだ!ということになり、この当番日が決められた。母が連日病院に行くことが多くなるので、月曜日を引き受けたが迂闊だった。実は私、昔から月曜日が大の苦手なのだ。前の日まったりとゆっくり過ごしているので、いきなりエンジン全開にならない。家事もなかなか片付かない…。やる気もなかなか起きない…。困ったちゃんなのだ。病院は自宅から車で15~20分位の所なのだが、今日は少し遅くなってしまった。理由は祖母の病院に行く途中、財布を忘れたことに気付き家に一度戻ったのだ。これじゃまるでサザエさんだ。本当に情けない…。ばぁちゃん、こんな孫で本当にごめんよ。m(_ _;)m ゴメン!!今日は、良く食べてくれた。先週半ば頃は、朝・昼は完食若しくはほぼ完食に近い食事量なのだが、夜になると良くて半分、最悪の日は1~2割程度しか食べなかった。また、祖母は在宅介護している時から、脱水症状を起こしやすい人だったので、水分の摂取量も気になっていた。食事量が減っていたときは、水分も摂りたがらなかったので、ちょっと心配していた。でも、今日はしっかりと摂ってくれた。祖母はポカリスエット等のスポーツドリンクがお気に入りだが、この所病院のおやつとして飲ませてもらっているので、最近の定番は冷たい日本茶だ。(財布がないとこれを買って持って行く事ができないので家に戻った。)今思えば昨年の今頃は、本当に食事をしてくれなかった。毎食ほとんど口にしなかったのだ。食事量を書いた表を見ると『2』と書いてあったので、2割食べたのかと思って喜んでヘルパーさんに尋ねたら、ふた口だったなんて事がざらだった。その代わり毎食、水分はこれでもかと言うくらい摂っていた。ポカリスエットを1本(250ml)、リンゴジュース(200ml)を1本、病院のほうじ茶も200ml位飲んでいた。(おなかがぶがぶになりそうだ…。)しかし食事が摂れないのは不安だった。『夏、越せないかも…』母も私も怖くて口にこそ出さなかったが、同じことを考えていた。真夏を過ぎた頃から、食欲が復活して現在に至っている。そして今年の春、無事米寿を迎えた。祖母が介護状態になった頃、医師に『この手の病気は年齢を考えると、発症から3~5年で亡くなられることが多いですね。』と言われた。祖母は、発症して約2年半だ。いつも爆弾を抱えている…。そんな日々が続いている。今の祖母は、何も話さないが食事の後暖かいタオルで顔を拭いてあげると、なんともいえない『ふぉぁ~ん』と気持ちよさそうな顔になる。また、夕食の時に冷たい日本茶を飲ませると、冷たくておいしいのか、一気に飲んでしまい頭が痛そうな顔をする。(かき氷を一気に食べた時、眉間のあたりに走るあの痛みだろうと思うのだが…。)そんな表情を見ていると『かわいい』と思えるようになった。でも、それは『介護』と『自分の生活』にある程度区切りができたからこそ、思える感情なのかもしれない。最近そう思うことが多くなった。自分自身、『後悔』のない介護はないと思っているが、少しでも『後悔』しない介護の方法を模索している。きっとその気持ちは『在宅介護』でも『病院・施設での介護』でも一緒だろう。両方の介護のパターンをしてみて、そう思った。おばあちゃん、今日は遅くなってごめんね。木曜日は財布をちゃんと持って、もっと早く行くからね。
2004.06.07
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また、次の日に日記書いてるし。(爆)っー事で、昨日の日記です。(^^;)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日、とうとう関東も梅雨入り。しばらくうっとうしい季節が続く。憂鬱だなぁ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・先日祖母の在宅介護をしていた事を日記に書いたが、実は同時進行の事態が起きていた。祖母の様子がおかしくなったのが、3年前の1月末。退院して在宅介護が始まったのがその年の3月上旬だった。1ヵ月半程してやっと家事→仕事→介護に通うもしくはスクールに通うという生活に慣れてきた矢先だった。その日、主人と私は主人の友人と飲みに行っていた。珍しく、1件目で自宅に帰った。結構いい気分になっていた私たちは、家に着くとさっさと着替えて寝てしまった。『なんか声が聞こえる。』そう思ったが、酔っ払いっていたのと寝ぼけていたので状況が良く分からないまま横に寝ていた主人をとりあえず起こした。我が家は2世帯住宅で、その当時下に義父母と義弟が住んでいた。しばらくして、『お袋がおかしい!』主人の一言でやっと目が覚めて、下に降りてみると明らかに様子も呼吸もおかしかった。次の瞬間、シーツを見た。失禁している。ヤバイ…。脳の病気かも…。そう思った。実は子供の頃、実家の祖父が脳溢血で数回倒れているのを見たことがあったので、とっさにそう思ったのだ。義父の話によると、義母は倒れる30分ほど前にお風呂から出てきたらしく、少し涼んでいる時に『○○(主人の名前)たち帰って来たね』と義父に言い、(確かにその時間に帰ってきた。)それから外を見て『明日もいい天気になりそうだね』そう言って義母は布団に入った。しかしそれが義母の最後の言葉になるとは思っていなかった。義母が布団に入ってしばらくした頃、呼吸が変だという事に義父が気付いた。布団をはがすと失禁していたので、隣の部屋で寝ていた義弟を起こし、義弟が救急車の手配をして、私たちを起こしに来たらしい。その日の夕方、主人と飲みに行く前に下に顔を出した時だった。『竹の子茹でたの持って行く?』『今日は飲みに行くので明日いただきます』これが私と義母との最後の会話になった。倒れる5~6時間前のことだった。近所に住んでいる義兄夫婦もすぐに来た。そうこうしているうちに救急車が到着したので、義父と義兄が救急車に乗り込み、義弟と主人と私は乗用車で病院に駆けつけた。酔いは二人ともすっかり醒めていた。しばらくすると、検査結果を話すと言うことだったので別室に呼ばれた。そのときに見せられたMRIの写真は、祖母のときに散々見せられたMRIの写真とは明らかに違っていた。『結構ヤバイかも…。私が冷静になってしっかり聞いておかなければ…。』とっさにそう思った。『心臓からつながっている脳の一番太い血管が詰まっている脳梗塞です。何本詰まっているかは今の技術では分かりません。手術は出来ますが、命の保障は出来ません。まして手術しても回復するか分かりません。手術しないのであれば、しばらくは血栓を溶かす薬で様子を見ますので、その後また経過等をお話します…。』義父は座っているのがやっとの様子で、主人の兄弟たちはみんな顔は真っ青で、頭が真っ白になっていたようだった。義母は既に人工呼吸器をつけ、ICUに入り管だらけになっていた。半日前までなんでもなかったのに…。どうして?どうして?が頭の中でぐるぐると回っていた。もう、自分の意思で言葉を発することも、自分の意思を伝える事も、自分の体を動かす自由も、食事や水分を口から摂ることも…。きっと、私たち家族に伝えたかったこともいろいろあったと思うが、義母はこの日を境に人に伝える術をなくしてしまった。病院からすぐ帰って実家に連絡をした。母はびっくりして電話口で泣いていた。『あんなにいいお義母さんだったのに…。なんで?なんで?』とそればかり繰り返していた。義母は本当に人当たりがよく、気持が大きくて裏表のない人だった。よく主人の会社の相談事や愚痴を聞いてもらいながら義母の好きな和菓子でお茶を飲んでいた。普通なら、自分の息子のことを言われているので、嫌味の一つも言われかねないが、親身になって色々アドバイスをしてくれていた。『新茶が届いたからおばあちゃんに持っていってあげなよ。』と持たせてくれたり、『たまにはおばあちゃんのところに遊びに行ってきなよ』と本当によく気遣ってもらった。私と主人と喧嘩をしても、元々主人が悪いといってくれる義父母たちだったが、特に義母は私をかばってくれた。また、祖母を介護するようになると、『今から食事の支度大変だからうちにあるものでよければ食べていきなさい』と言ってくれる人だった。義母は丈夫な人でもあり、私のほうが良く体調を崩していた。私の体調が悪いときもよくご飯を食べさせてもらっていた。その年の冬、私が結婚してから初めて義母が風邪を引いた。しかも直るまでかなり長引いていた。『やっぱり年なのかなぁ』主人と二人で話していた。義母は体格のいい人だったので不整脈を持っていた。その後、倒れる10日程前にも道を歩いていて目の前が真っ暗になったことがあったらしい。普段、『医者と病院と薬は大嫌い』と言っていた義母が珍しく病院へ行った矢先だった。その後、2~3週間経った頃やっと一般病棟に移された。人工呼吸器は外され、ほぼ自発呼吸が出来るようになっていたがそれ以外病状は変わらなかった。しばらくして、また説明があった。『もう、これ以上回復することはないでしょう。ただ、痰が多いので、抵抗力が弱くなっていることを考えると肺炎になりやすくなります。気管切開した方がいいですよ。』と言われた。少しでも良くなると信じてきたのに絶望的だった。気管切開の手術をすることで、初めて義母は自分の体にメスを入れることになった。すぐさま、介護保険と身障者手帳の申請をしに区役所へ行った。介護保険の手続きは祖母の時に手続きをしていたので、すんなりとできた。2ヵ月半が過ぎた頃、転院の話が出てきた。『急性期は過ぎたので、療養型の病院に転院していただくこととなります。』とても事務的で、その言い方になんだかいらいらしていた。病院から紹介された病院に義弟が行ったのだが、あまりいいところではなかったと言っていたので、探すこととなった。ネットで病院を探し、リストアップして片っ端から連絡した。ここでネックになったのは『気管切開していること』だった。気管切開のケアは看護師しか出来ないので、ヘルパーさんが多く看護師が少ない療養型の病院では受け入れてくれないのだ。また、受け入れてくれる病院はは少ないだけに、患者が集中してしまうので数ヶ月待ちというところが多かった。私が病院探しをしていた時、主人は泣きながら私にこういった。『俺、お前のお婆ちゃんをお前が看るのは当たり前だと思っていたし、お前のお母さんも大変だと思っていたけど、自分がそうならないと本当のつらさが分からないんだな。精神的にも肉体的にも大変なのに自分のお袋のことまで面倒掛けて…。本当に申し訳ないし、感謝している。本当に俺は甘かった。』と。少しでも分かってもらえてうれしかった。それでも、何とか病院が見つかり義姉が義母に付き添って、転院した。この頃から義母は、声を掛けると分かるのか、良く涙を流すようになった。聞こえているのに何も答えられない…。つらく、悲しいんだろうな…。本当にそう思った。元気なときは決して泣かなかった人が…。そう思うと余計につらかった。また病気のせいか体温調節がうまく出来ないようで、元々汗かきだった人がさらに汗をかくようになっていた。そのため一年中、体温調節のための水枕が手放せない人になっていた。そこも結局半年間で、転院となり再度病院探しをすることになった。前回同様なかなか次の病院が決まらず、ぎりぎりまで見つからなかった。『数ヶ月は在宅介護になるかもしれない、どうやって介護していこうか』と考えていた矢先に次の病院が決まった。一度目の転院と同様、義姉が義母に付き添い次の病院へ転院していった。義母の状態は変わらないまま、発症して2年以上が過ぎた。自分の祖母の方もその間、状態が悪くなるとヘルパーさんから何度となく呼び出されたり、入退院を繰り返していたので祖母も病院にお願いするようになった。昨年の7月、義母は1週間ほど高熱が続いた。このまま行くとこの1ヶ月がヤマになるかもしれないと医師に言われた。毎週見舞っていたが、高熱のせいかぐったりしていて明らかにつらそうで見ていられなかった。翌週、主人と一緒にお見舞いに行った。このとき主人は仕事が忙しく、1ヶ月ぶりくらいに病院に行った。前の週とはうって変わってとても落ち着いていた。この2~3日は熱も安定してきたと言う話だったので、ちょっと安心して帰ってきた。その翌日の晩、いつものように晩酌をしながら食事をしていると下から義父の声が聞こえた。『お義母さん、死んじゃったよ!』耳を疑った。昨日、あんなに落ち着いていたのに…。元気になってきたと思っていたのに…。すごくショックだった。もしかしたら、しばらくお見舞いに行かなかった主人を待っていたのかもしれない。家族の中で、生きていた義母に会ったのは私たち夫婦が最後になってしまった。義父と主人の兄弟はすぐ病院に向かった。義姉と私はすぐ実家に電話し、義母の2年数ヶ月ぶりの帰宅を待ったが、その日は寝台車が用意できず帰ってこれなかった。翌日、義姉と私で病院に向かった。私が車を運転していくことをみんなに反対されたが、自分の車で病院へ向かった。1年半以上、毎週通っていた道なのに道を間違えたりしていて自分が動揺していることは分かっていた。しかし義姉もそれに気が付かないほど動揺していた。霊安室に行って義母を見るととても安らかな顔で、今にも元気に起きてきそうだった。看護師長に『オムツ替えを始めた時に声を掛けた時は何でもありませんでした。終わったときに声を掛けて、顔を見たらおかしい事に気が付いて、すぐ医師に診察してもらいましたが、既に亡くなられていました。不謹慎ですが、こうなるのはもう少し先のことだと思っていたのですが…。』と。担当医師は『何も出来ず申し訳ありません。』と一言。『苦しまなかったのですか?』と聞くと、『はい』看護師長と担当医師、二人ともそう返事をした。2年以上床についていたので、苦しまなかったのがせめてもの救いだったと思った。義姉と二人で深々と頭を下げ、お世話になったお礼を言い、義姉は寝台で義母に付き添い、その寝台を見送ってから帰ろうと思った瞬間、涙が止まらなくなり、声を上げて病院の駐車場の車の中で泣いていた。少し落ち着いてから、主人に無事に病院に着いた事、寝台車を見送ったことを連絡し、しばらく泣いて落ち着いてから帰ることを電話で伝えた。こんな日も主人は外せない仕事のため、現場に出ていたのだ。本当につらかったと思う。義母が家にいなくなって3年以上経ち、亡くなってもうすぐ一年になる…。実際義母と同居していたのは5年ちょっとだった。それでも義母が何事もなかったように下に住んでいるような気が時々する…。
2004.06.06
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数日前から行こう行こうと言っていた、スポーツクラブへ昨年の10月以来8ヶ月ぶりに行った。昨年の5月から9月末までここのダイエットコースに通っていた。3ヵ月半で体重は-4キロ、体も-4センチ、さらに長年の悩みだった肩凝りと腰痛がとても楽になった。ダイエット以外にもうれしい結果を得られたので、運動が嫌い歴3○年を返上して通うつもりでいたのだ。それが会社のほうが忙しくなり、ずっと会費だけ払っていたのだ。(もったいない (>_
2004.06.05
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本当にこのところさわやかで、気持ちのいい日が続いています。久々にスポーツクラブにでも行こう!と思ったが、昨日深酒しすぎて二日酔い。結局家事以外は何もせず、まったりとしていた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・長崎の事件、小出しでいろんな情報が出てきている。確かに難しい…。私の年代は第2次ベビーブームの時代だったので、同級生がとても人数が多かったので、嫌なことがあったら、別の友達のほうへ逃げることも可能だった。でも、今は1学年1クラス。はっきり言ってうまくやっていかない限り逃げ場はどこにもない。一回嫌われてしまったら、下手したら6年間さらに公立の中学に行ってしまえばプラス3年間、計9年間も誰にもろくろく相手にしてもらえない可能性も出てくる。それでは、ストレスも溜まるだろうに…。人間関係大変なんだなぁと変に同情してしまう部分もある。それと同時に被害者も加害者もストレスのはけ口が、インターネットだったのでは?と思った。ネットの特性を生かして自分のサイトを教えない、もしくは別サイトを持って、そちらを教えないなどの対処を考えれば良かったのではないか?変に現実とネットの世界をリンクさせちゃったのがいけなかったのかな?と思う。そういえば夕方、お互いのページがテレビで放映されていたが『…?』と思ってしまった。なんだかとっても人を煽っている様な気がしたのだ。いわゆる有名掲示板のような書き方だけど、あそこのサイトはそういうものだし、そういうもんだと割り切っている。でも小6で、あの人を小バカにしたようなあの書き方は何なんだ?!と思ってしまった。そういう表現が『私はネット上級者』とでも思われるとカッコつけて書いていたのだろうか?匿名で不特定なら許されることも、特定された人間が書いていると思えばそりゃ腹が立つ事もあるだろうと思ったのだ。加害者の児童も被害者の児童を刺殺→自分の邪魔は消える位にしか考えてなかったとしたら、とても短絡的過ぎる。人生、ゲームオーバー→前の保存したところから再挑戦→リスタートなんて訳には行かない。『テレビのサスペンスを見てやろうと思った。』という報道もあった。確かにテレビのサスペンスは、犯人逮捕→犯人以外の人はそれなりにハッピーで終わってしまっている。でも実際、警察に捕まって終わりではなく、犯人の人生は一生罪を背負って生き続けていくはずだ。いや、人を自分の手で殺めてしまった罪を決して忘れてはならないだろう。加害者は実際刺殺することまでは考えていたけど、その後の事までは考えが及んでいなかったのではないだろうか?テレビのサスペンスドラマの犯人のその後の人生が見えないように…。何でも機械で、人と触れ合わなくても生きていける時代になっている昨今、便利さだけを与え続けていたらどうなってしまうのだろう…。ふとそんなことを考えてしまった。最後に亡くなった被害者の児童に合掌。
2004.06.04
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夕べ、主人と主人の友達とのみに行き撃沈…。と言うことで今頃昨日の日記です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・昨日は祖母の病院へ。もう、この病院に1年以上お世話になっている。私にとって祖母は、母がフルタイムで働いていたので第2の母のような存在だ。気は強い人だが、とても心配性。いつまでも私は幼稚園児のままらしく、実家にいるときはうっとうしくってよく喧嘩をした。結婚してから、やっと祖母の思いがわかるようになり、月に1度くらいは実家に遊びに行っていた。それが、3年ほど前、実家の母から突然『おばあちゃんが変なの』と電話が掛かってきた。あわてて実家に主人といってみると、いつも気丈な母が小さくなって泣いていた。本人に話しかけると、受け答えはしっかりしているが『目が見えない』といっている。母に事情を聞くとこうだった。仕事から帰った母が家に着くと家が真っ暗だった。祖母は出不精な人なので、一人で出掛けることもなかった。ましてや、夜家を空けることなどなかった。よく母と二人で『おばあちゃんが出掛ける先って、病院と美容院くらいだよね』と笑うくらいだった。家に入っても真っ暗で、祖母はベッドで寝ていた。お昼ごはんも、いつも朝、母が自分のお弁当と一緒に作ってテーブルの上に置いて行くのだが、それも手をつけずにそのままだった。それで驚いた母は、私の家に電話をかけてきた。そのことがおきる3ヶ月ほど前から兆候はあった。『泥棒が入ってママ(私の母・祖母の娘)の通帳だけ盗まれた。』と母に言ったり、『ママがどっかに泊まって一晩帰ってこなかった(昼夜逆転していた)』と私のところに電話をかけてきたことが数回あった。その当時は、ゆっくり話せば『あら、勘違いしちゃったわ』で済んでいたのだが今回はそれどころではないと感じていた。すぐに救急車を呼ぼうと言ったが本人が嫌がるので、とりあえず主人だけ家に帰り、私はそのまま実家に泊まった。翌朝、母と私は憔悴しきっていてはっきり言って食事も摂りたくなかった。が、病院にいってどうなるかわからないのでコーヒーでパンを流し込むような食事をしていた。が、本人はいたって元気で目も見えているよう。『一体何なんだ?????』が母と私の頭にぐるぐる回っていた。とにかくかかりつけの病院に行こうと、タクシーで病院に連れて行った。本人の訴えていた目のほうはなんでもなかった。元々緑内障を持っていたので心配していたのだが、ほっとした。でも、検査をしてもらうためにとりあえず入院となった。入院して2週間ほどは本当に言動がおかしく、完全に病室を自宅と間違えていた。主人とお見舞いに行くと、『お寿司でもとってあげて』などとまじめな顔で言われてしまった。後から、言動がおかしかった2週間ほどは頭にもやがかかったような感じだったらしく、記憶がまったくないと祖母が言っていた。検査の結果、『多発性脳梗塞』。細かい血管の先が詰まっているとの事だった。痴呆の程度も、年相応と言うことだった。突然、介護が現実の事として私たちの上に落ちてきた。そんな感じだった。『日中独りになってしまう祖母を在宅で介護するのか?出来るのか?どこかにお願いしたほうがいいのか?』この日から毎日お見舞いに行った帰り、実家に寄る度に母と毎日泣いて過ごした。何をしていても、頭の中でループしてこのことばかり考えては眠れなくなった。しばらくして私自身、体調を崩し病院で点滴を受けたこともあった。結果、『やれるところまでやってみよう。』と言う結論になり、色々資料を集めて在宅介護のプランを考え、ケアマネさんと話し合った。そして在宅介護が始まった。月・水・土の日中は、ディサービスへ。月~土の夕方と火・木・金はお昼と夕方にヘルパーさんに入ってもらい、火曜日は叔母が、木・金は私が実家に介護に通うことになった。月1回の通院も私が付き添うことになった。最初はトイレの介助程度で済んでいた祖母も、坂を転がるように悪くなっていった。その年の12/24、手を引いてもらえれば歩けていた祖母を夕食だからと食事の席に着かせようとしていたときに、祖母がバランスを崩し母の上に倒れてしまった。祖母もそこから立ち上がることが出来なくなり、母がやっとの思いでベッドに戻したが、これをきっかけに祖母は完全に寝たきりになってしまった。本人いわく『人を巻き込んで転んだのが初めてだったから歩くのが怖くなった』そうだ。何とかヘルパーさんの手を借りて、車椅子に乗せてディサービスには連れて行っていたが、本人の体調が悪くなることが多くなった。家で介護していてもてんかんのような症状を起こし、救急車を1ヶ月に1度は呼ぶようになっていた。『もう限界』と言う母に私はもう一度だけ家に戻したいと食い下がった。ヘルパーさんも増やし、訪問看護も入れた。ケアマネさんも『これ以上はない』と言うくらい万全なはずだった。が、2週間しか持たなかった。また、救急車を呼ぶ羽目となった。しかも意地を張ってつれてきた私自身が、救急車を呼んだ。『もう限界』と言った母の気持ちが痛いほどわかった。毎日一緒にいたからこそ言えた一言だったんだと痛感した。こうして1年半ほどで在宅介護にピリオドが打たれ、ここから、療養型の病院にお願いすることとなった。今の病院は3箇所目。週5回は母が、週2回は私が夕食を介助しに行き、週1回は叔母が昼食の介助をしてくれている。今、本人は本当に寝たきりになってしまい言葉もほとんど発しない。たまに体を動かすと『痛い』と言うくらいだ。今、祖母が毎日何を感じて何を考えて生きているかは私たちにはわからない。でも、私が今祖母に対して思っている気持ちは、小さかった私を心配していた祖母の気持ちと同じなのかもしれない…。最近そう良く思うようになった。ある意味、『介護』と『子育て』の感情って似ているのかもしれない。ただ、母に言われたのは『子育てだと毎日成長して昨日出来なかったことが、今日は出来るけど、介護は昨日まで出来ていたことが今日は出来なくなる。逆だから余計悲しくなるのかもしれない』と。人を支える。その責任で少しは大人になれたのかなぁとおもう今日この頃です。またとりとめがなくなっちゃったのでこの辺で。
2004.06.03
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この日記の内容は色々異論反論があると思いますが、一切お答えしないので、気分を悪くした方は本当に申し訳ありません。夕べある程度まで書いたのだけれど、なんか収拾がつかなくなってしまって書き込みをやめてしまった。きっかけは『チャットで悪口を書かれた』。思い起こせば、私も小6の時と中1の時に一時期だったが今で言う『いじめ』にあったことがあった。小6の時は、誰かをシカトする行為が流行っていたので、半月から一ヶ月くらいでシカトする対象がころころ変わっていた。私はその当時自分を含めた3人と仲良しだった。交換日記をしたり、お互いの家を行き来したりしていつも3人でつるんでいた。が、私が『シカト』の対象になったときは、一緒になってシカトされた。仲がよかっただけに本当につらかった。学校の窓から飛び降りようかと思ったこともたびたびあった。私自身はかなり初期のターゲットで、娘の様子がおかしいことに気が付いた母は、ちょうど授業参観が近かったので、父兄懇談会で話すといっていた矢先、シカトしていた中心人物と話し合いをし自分たちで解決した。今考えるとチクられるのを恐れての行動だったのかもしれない。翌日学校に行くと今までが嘘のようにシカトする前と同じようにみんなが接してきた。が、しばらくしてほとぼりが冷めると誰ともなく『○○ってむかつかない?』『シカトだよね』とか言い始める人間が出てきた。最後は回りまわってだいたい言い出しっぺになっていた人がシカトされていた。私は自分がつらかったから、完全に『シカト』は出来なかった。中1の時はクラスの目立つグループの子と『好きな人がかぶった』からだった。本当にくだらない理由だけど、私の友達のお兄さんとその人が同じクラスだったので、親密になってしまうかもしれないと…。そういうつながりがむかつくから、何とか嫌がらせをしてやろうと思った程度だったのだろう。しばらくすると、それに便乗して嫌がらせをしてくる人間も出てきた。その女の子もさすがに『ヤバイ』と思っていた矢先だったのだろう。『1対1で話そう』と呼び出したら、『うん』と素直に応じてくれた。彼女的には、本当にただのやきもちからちょこっと嫌がらせをしてやろうと思っていたのに、なんだか変な方向にエスカレートしていったので、『ヤバイ、そんなことしろなんて言ってない!』と思っていた。さらに、そのころには彼女は他の人に心変わりをしていたので、はっきり言って引っ込みがつかなくなっていた。と話してくれた。『便乗してきていた奴にも、自分から言って嫌がらせをしていた人にも自分からやめるように言うから』と彼女は私に約束し、『本当にごめんなさい』と心から謝ってくれたので、そのあとは友達になった。そして本当にいじめられることはなくなった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今回の事件のキーワードに『パソコン』『チャット』という言葉がよく使われている。確かにパソコンは便利だし、私もネットミーティングで知り合った人と5年以上メル友として続いている。ただ、自分がコミュニケーション能力があるとは言わないが、人にもまれる事も必要なのではないだろうか?うまく言葉で伝えられなくてもいいから、みっともないことになってもいいから自分の口から伝えたい気持ちを相手に伝えなかったことが、ストレスになり、最悪の思考回路になってしまったのではないだろうか?人はそんなにきれいに生きていけるもんじゃない。泣きじゃくって訳わからなくなって発している言葉でも、みっともなくても、それはみんな自分の本当の気持ちだと思う。今の子は誰にでも本音を言えないと言っているらしいが、それが『大人』とか『かっこいい』と勘違いしていないだろうか?『本音』だけで生きて行ければ楽だろう。確かに『本音を言わない』シーンが多いとは思うが、『本音をいえない』というシーンが一番多いと思う。でも、いつもいつも同調しているだけでは感情が抑制されてしまい、ある意味麻痺してしまっているのではないか?友達ってそういうものじゃない気がする。自分が国語が得意でも算数が苦手。でも友達は算数が得意で、国語が苦手。勉強はあまり得意じゃないけど、運動神経がいい、図工など細かい作業が得意…。そういうことを受け入れる事と変わらないことだと思うのだが…。自分が思うこと、考えること、感じること。それが自分とは違う事もあると思えなかったのだろうか?確かに誰も傷つけずに生きてはいけないだろう。自分が無意識や不用意に言った言葉で相手を傷つけたり、怒らせてしまうことはある。自分の中で、『この人はこういう人だからまぁいっか』で済む程度ならまだいい。問題は、どうしても『そこまで言われたくない』と思った時の対応だろう。それがうまくいかなかったとしても、小学生が殺したいと思うまで相手を憎んだ…。そこが私には理解できない。被害者にも何の責任もないといったらそれも嘘なのではないか?自分は同じ事を書かれてたり、やられたら傷つかないのか?という疑問をもう少し考えていたらこのようにはならなかったのではないのだろうか?実際、加害者が『悪口を書くのはやめて欲しい』と話したとも伝えられている。だからといって、私は加害者を擁護するつもりはない。殺したくなるほど嫌な人間でも、殺してしまえば自分の罪。法律で裁かれることがなくても、この罪を背負って生きていても一生許されることはないだろう。我が家には子供はいないけど主人とよく話すのは、『自分らの出来はそこそこだったのだから、勉強はそこそこでいい、ただ人の気持ちや人の痛みがわかる人間になってもらいたい』と。色々考えると奥が深いのでこの辺で…。
2004.06.02
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今日から6月。初日から雨なんて、さすが梅雨の時期だわぁとしみじみ思う。今日は、たびたび書いている新アフェリエイトサイトの作り込みを昼間やっていた。パソコンをしているときはラジオを聞いているのだが、コーヒーでも飲んで一息入れようとテレビをつけて驚いた。小学生が、小学生を刺殺したと言うニュースだ。自分の耳を思わず疑ったしまったが、どうも事実のようだ。加害者の児童は何を思って被害者を切りつけたのだろう。被害者の児童も加害者の児童に何をしていたのだろう。そういう疑問がふつふつとわいてきた。とても悲しい事件だ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・夜、主人が帰ってきて見積書の清書を頼まれた。我がだんな様、仕事の機械使いは得意なのだが、パソコンが大の苦手。と、いうよりも触りもしない。結婚してすぐ仕事用にパソコンを購入したのだが、一度は覚えようとした。でも、教えていると喧嘩になってしまうのだ。木に携わる仕事なら細かかろうが、手間が掛かろうが一向に構わないが、もともとデスクワークが苦手な人なので、こういったちまちました作業が苦手らしい。というわけで、私が見積書や請求書の書式を作って作成している。明日は天気が回復しそう。先月は色々煮詰まる事も多かったから、久々に体を動かしてこようかな?
2004.06.01
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