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(→一つ前の記事から続きます)4か月もブログを放置してしまい、誠に申し訳ございませんでした。理由のほとんどが「単なる体調不良」でしたが、もう一つの理由もありました。それは「自身の家族の形や内容」が必ず他の方にとって共感できるとは限らず、普段SNS等を通して繋がっている方の中には「親に人生を崩された」という虐待の世界などを生き抜いて今を懸命に生きている方々が「決して少なくはない」ということを知ることができた4か月間でもありました。従いまして、年末年始の時期に父が亡くなった時のさまざまな出来事を綴るのは、一旦これで最後にすることにしました。悪しからずご容赦ください。私の51歳の誕生日に、父の火葬の日が重なりました。最後まで「事務的な対応」ばかりして、火葬炉の前での父との最期のお別れの時も「ありがとう」が言えなかったことは、半年以上経った今でも後悔しきりです。町屋斎場での火葬は「やたら早く終わる」ので有名だそうです。現に父の火葬は40分くらいで終わったと呼び出しがあって、お骨上げと収骨が終わったのが「まだ9時50分辺り」でした。ここまで誠実に対応してくださった葬儀社さんのお役目もここで終わりで、七七日忌(四十九日)に納骨される予定の寺院まで運ぶのは、私達自身で手配しました。約束の時刻になってもうちが手配したはずの車が現れず、仕方がなくこちらからタクシー会社のコールセンターに問い合わせてみると、「年明けの都心部での道の混雑が想定を上回り、約束のお時間より5分程度遅れる見込みです」とのことでした。私が、「念のためにお迎えに来るクルマと何号車かを教えてください」と尋ねると、「8**号車のメルセデス・ベンツが今そちらに向かっております」とのこと。電話を切ってさすがに「は…?誰もベンツなんて頼んでいないぞ…」と思いながらも、京都で有名なMKタクシーが東京に進出してきた時・1983年からの父を含めた我が家と「東京エムケイ」さんとのお付き合いの深さが、私たちに「想定を超えたおもてなし」を提供してくださり、予定より約7分遅れでしたが、本当に現れた「東京エムケイのメルセデス・ベンツの最上グレード」の車のナンバーは、間違いなく「・8**」でした。「予約の時にお迎え先が町屋斎場と聞いて、通常を超えるシーンでのご利用に違いない」と判断されてメルセデス・ベンツを配車してくださったのを聞いたのは後日談でした。父の遺骨を乗せた東京エムケイの車は、谷中・根津・東大赤門前・本郷三丁目といった「父とゆかりのある場所」を何箇所も通って、目的地の都内の寺院に無事に着くことが出来ました。ドライバーさんへの感謝の気持ちを伝えた後、母と私がクルマから降りて「運転手さんによるドア・サービス」でドアが閉まると同時に、空から雪が舞い落ちてきました。「51年前の1月6日もたくさんの雪が降った」と父からよく聞いていました。
2022.09.20
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(→一つ前の記事から続きます)行政解剖を終えた父の棺を運ぶ車は決して安全運転とはほど遠く、やたらと前の車との車間を詰めるので、乗っていて私の方が生きた心地がしなかったです。大塚を出て30分くらいでしょうか、車は両国にある葬儀会社に着き、父の棺が建物の中に安置されました。ごく普通の住宅街のど真ん中にあるような小さな会社で、少しビックリしました。「南無阿弥陀仏」と書かれたお札の正面に棺が置かれ、ロウソクの火が灯るセッティングがされると、葬儀会社の方に「お線香をあげてください」と促されました。その通りに一本の線香にロウソクの火を付けて備え、ようやく父が「死体から遺体に変わった」ような気になりました。同じ部屋の応接スペースで、葬儀会社との今後の打ち合わせに入りまして、まず初めにしたことが「(役所に出す)死亡届の記入」でした。今までそれは葬儀会社が代行して書くのが当たり前だと思っていたので、コストを抑えた葬儀の一貫性を感じました。そして話が本題に入って、火葬の日取りを決めることになり、○正月三が日は火葬場が休業○4日は予約が秒で埋まってしまって無理○5日は友引で火葬場は「友引休業」で、最短で1月6日となり「朝いちばん早くの9時の枠で取れる」ということで、そこに予約を入れていただきました。せめて火葬場だけでも「国内トップクラスの伝統と格式」のある町屋斎場 にこだわりました。他の四ツ木斎場や臨海・代々幡・落合などの斎場にしたところで「予約が取れる日程は変わりない」とのことです。(東京都内には「公営の火葬場」がありません。ほとんどが「東京博善」という民間の葬儀会社で運営されています)出来る限り小規模な家族葬にしたかったので、お通夜も告別式も行わず、火葬当日に両国の葬儀会社から運ばれた棺を、私たち親族が町屋斎場でお迎えする「直葬」と呼ばれる形式に決めました。それだと霊柩車が必要なくなって更にコストが抑えられる、とのこと。お式をやらないのであれば、特段立派な霊柩車も要らんだろう、と判断しました。ただそこに安置された父の顔を見ると、まだまだ「安らかに眠っている」とはほど遠い表情に見えたので、火葬までの間に「納棺師の方が遺体を綺麗に整えてくださるサービス」は、約三万五千円でしたが、オプションで付けていただきました。あとは火葬当日の朝まで、こちらの葬儀会社の安置室に預けるだけだそうです。ひと昔前でしたらドライアイスを何回か追加して、だったものが、今では専用の冷蔵庫のような設備の中に置いておくだけになったそうです。また最後のお別れの時は、棺の蓋を全て開けて遺体を見届けることが出来る、との案内もありました。最近は棺に丸い石で釘を打つことは「閉じ込めるというイメージからの脱却」のため、やらないそうです。棺の蓋に付いている「顔が見える窓」は、ほとんど形式的なものになったそうで、時代の変化も感じました。ここまでで打ち合わせは終わりました。父の棺とは火葬の日までいったんお別れになり、徒歩で両国駅に向かいました。ここで乗り降りをするのは、国技館が蔵前から両国に移転してすぐの時期に、父が相撲観戦で私を連れて行ってくれた時以来だったな、と両国国技館を見ながら思い出しました。電車を乗り継いで、京成上野駅前のアパホテルの自室に帰ってきたのは、ちょうど夕暮れ前に不忍池が綺麗に見える時間帯でした。母に電話をして、ここまでに決まったことを報告し、兄へは6日の8時40分までに町屋斎場に来てください、と地図を付けてメールで送って知らせました。窓から差し込む西陽が、恐らく「これまでで最も忙しく、靴底をすり減らして歩き回った1月2日の労」を優しく包んでくれたように感じました。(次の記事に続きます→)
2022.05.09
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(→一つ前の記事から続きます)警察署を出るとき、「ご遺族の皆さまへ」というグレーの冊子が渡されました。チラッと中を見ると、どうやら警察署での「検案」(遺体を調べること)で死因が特定できず、「検査」(行政解剖のことです)が必要になった家族向けの冊子らしい、と分かりました。その「検査」を受けるために、父の遺体は葬儀会社の寝台車で、私はバスや電車という公共交通機関を使っての移動になりました。秋葉原・御茶ノ水という「横浜で生活してからすっかり使わなくなった駅」で乗り換えをして、東京メトロ丸ノ内線の新大塚まで向かいました。先ほどいただいた冊子に駅からの案内と簡単な地図が載っていたので、大体を頭の中に入れておきましたが、構造が複雑な駅なので案の定「迷子」に…。駅の中にある「出口と地図の案内」にも、都立大塚病院はありましたが「東京都監察医務院」なんてどこにも出ていない…。とにかく改札を抜けて「最悪、スマホのGoogleマップで何とかなるでしょ」と思っていましたが、なーんとそのGoogleマップにも東京都監察医務院が載っていないという状況…。致し方なく「ご遺族の皆さまへ」の冊子をカバンから取り出して(さすがにこれは電車内で広げたくはありませんでした)、ようやく方角だけが分かってきて、1分ほど歩いて更にルートが分かりました。東京都文京区にはかつて長い間住んでいて「道路が複雑で難しい」という認識がありましたが、ここも「御多分に洩れず」でした。お正月でも開いている正面玄関から入って、受付で「いわゆるチーン」(係の人を呼ぶ、あれ)を鳴らすと、やがて係の人が出てきました。数種類の書類に記入をして、それが終わると「いまご遺体を検査していますので、○番の控室でお待ちください」と促されました。部屋に入ると、まあ「火葬場の控室」のようなもので、テレビを見ることもできれば、自分でお茶を沸かして入れることも出来たようですが、そろそろ前日からの蓄積疲労がひどくなってきて、ソファーに腰掛けて、道中のコンビニで買っておいたコカコーラプラスを喉に流し込んで、静かに休んでいました。テレビで箱根駅伝を見ることも出来ましたが、とてもそんな気分にはなれませんでした。30分ほど待ったでしょうか、控室内の内線電話が鳴りました。少しウトウトしかかっていた所だったので、「心臓に悪い音」にも聞こえました。電話に出ると「検査(行政解剖)が終わったので、奥の検査室まで来て欲しい」とのことでした。地下1階に降りて指定された場所に着くと、既に棺に戻されていた父の遺体が中央にありました。監察医の先生から、解剖した今の段階で分かったこと(直接の死因が「脱水症」だったという疑いがついたこと)と、これから摘出したものを一つ一つ調べて、40日くらいかけて正式な死因を特定することが説明されました。棺の蓋を開けて、中にいるのは確かに父であることを確認して、用紙に署名して、父の入った棺が「監察医務院の送迎車」に収まり、一人分だけ同乗できるスペースがあるので、そこに私が乗り込み、これから両国にある葬儀会社の安置室まで向かうとのことでした。ようやく父の遺体が「警察の手を放れた」ことに、小さな安堵感を覚えました。(次の記事へと続きます→)
2022.04.26
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(→ひとつ前の記事からの続きです)電車を降りて改札を出て、地上までのエスカレーターに乗りながら、呼び出しを受けた警察署の最寄りのバス停までの時刻をスマホで調べていました。普段、あれだけ「歩きスマホはダメ」とあちこちで声を上げている自分の行動の矛盾が、少し嫌にもなりました。「そちら〇〇警察署には、○時45分くらいに着けそうです」と連絡を入れると、「1階の受付に声を掛ければ分かるようにしておく」とのことでした。駅周辺の工事のためにバス停が移動していて、危うく乗り過ごしそうになりました。ほぼ定刻通りにバスが走り、先ほど連絡をした警察署に入りました。実はこの警察署、すぐ隣が私の以前の勤務先だったので、入ったことも何回もありました。「恐れ入ります、刑事課の〇〇警部補さんと面会予定がある〇〇と申します」と受付に申し出ると、「お話は伝わっております。そこの正面の椅子でお待ちください」という案内でした。程なくして、昨日も顔を合わせている刑事課の〇〇警部補が姿を見せ、こちらに一緒に来てください、と言われるままにエレベーターに乗り…大概の警察署って、刑事課が何階にあるのはお決まりなので、予想通りのフロアでエレベーターを降り、更に進んで通されたのが…、「ここ、取調室やん…!」まさに「あぶない刑事」や「踊る大捜査線」などの刑事ドラマでよく見る「アレ」、まさにそのものでした。扉を閉めてドアの窓の大きさと同じカーテンを引けば、密室になるアレ、でした。昨日(1月1日)実家にも来てくださった女性警察官の方がお茶を出してくれました。緊張で口が渇いていたのでいただきましたが、「あの取調室で飲むお茶の味」は正直言ってよく分かりませんでした。もちろん、私が入った小部屋はドアは開放状態でしたが、これから隣に入る人でしょうか、手錠を掛けられてワッパ(腰回りに巻き付けて逃走を防ぐ腰縄のことです)を付けられたおにーちゃんと、呑気にお茶をすすっていた私と一瞬、ですが目が合ってしまいました。しばらく待つと、監察医の先生が来るとのことで待機。それまでの時間に「父の遺体を確認しました」と後で出す書類に署名・捺印をしておきました。ようやく白衣姿の初老の監察医の先生がお見えになり、説明を受けました。昨日からここ〇〇警察署で出来る範囲で遺体を調べて(これを「検案」と言います)、死亡推定時刻は判明できましたが、死因の特定ができませんでした。よってこれから父の遺体を監察医務院に移して、そこで解剖(行政解剖)を行なって、40日くらいかけて死因の特定をします。…という説明を受けました。刑事課の取調室を出て〇〇警察署一階の警察車両の駐車場まで下りると、1階の奥のスペースが霊安室だったようで、霊安室って地下一階じゃなかったの?…という素朴な発見をし、この駐車スペースとブロック塀一つだけ隔てて、前の職場で走り回っていた場所という至近距離で、何も知らずに仕事をしていたことが、少し怖く感じました。そこには既に葬儀会社の担当の方が寝台車で乗りつけて来てくださっていて、これからお世話になります、とご挨拶もできて御名刺も頂戴しました。霊安室から出す遺体が父のものであることを私が確認し、先ほど書いた書類を警察官に渡して、父の遺体はその場で納棺されました。最期の看取りの場に医師がいなくて、「検案」をしても死因が特定出来なかった時って、「お舟入」(=納棺のことです)も家族全員では立ち会えず、警察署に出向いた私だけが遠目に見ているだけで終わってしまったのが本当に淋しかったし、私以外の家族が立ち会えなかったことを申し訳なく思う、そんな心境でした。警察署での用件はこれで全て終わり、次の舞台が「監察医務院」に移ることになりました。(次の記事に続きます→)
2022.04.25
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(→一つ前の記事から続きます)1月1日の夜はほとんど眠れませんでした。「入眠儀式用の音楽プレイヤー」持ってきていたのですが、どの曲を聴いても父の姿がダブってしまう…えーい、やめやめ!(アパホテルのベッドは本当に寝心地がいいのですが…)午前5時になるまで待って、近くのマクドナルドに行って朝マックのセットを買い、店内飲食という気分ではなかったのでテイクアウトにし、ホテルの自室に戻ってモサモサ食べていました。1月2日ということで、テレビを点けても「ニュース」が5分10分で終わってしまうし、こんな気持ちの時に好きなラジオ番組は聴きたくなかったです…。新聞も休刊日。致し方なく「アパホテルのロビーで昨日配っていた、1月1日の新聞」に目を通していました。こういう夜を過ごすと、決まって「朝の始動時間に眠たくなってくる」ものですが、ひとまずカバンの中身を整理して、今日の日中に使わないものを取り出してカバンを軽くしました。9時少し前に電話が鳴りました。「おはようございます。〇〇警察署刑事課の〇〇です」。電話の主は、昨日もさんざん電話を掛けてよこした「あの警部補さん」でした。「では9時半までに署に来てもらえるでしょうか?」(あのなぁ、昨日ちゃんと待機場所は京成上野駅前のビジネスホテルだと言っただろうが。電車とバスを乗り継いで行くんだぞ。30分で行ける訳あるか!)と「軽いムカつき」を覚えた私でしたが、「今すぐ出ますが、電車もバスもお正月ダイヤですし、到着予定時刻が判明し次第、もう一度ご連絡させてください」という「お人好しの台詞」が出てしまっていました。「葬儀会社の方もだいたい同時に来られますか?」「それはさすがに(無理でしょう)…。きのう連絡に備えてくださいと頼んではおきましたが、場所が昨日も申した通り両国からですし、人間のやることですからさすがに限界、というものがありますので…」(朝っぱらから受ける電話の中でも最悪のケース、頭をぐしゃぐしゃさせていました)まあ言われた通りにするしかないと思い、葬儀会社にも連絡を入れました。「おはようございます、〇〇メモリアルの〇〇でございます。さすがに9時半は無理ですが、なるべく早く着くようにはいたします」と応対してくださったので、「時間なんて二の次で結構ですので、どうか安全運転で〇〇警察署までお向かいください」と返して電話が切れました。「こういう電話で呼び出された時って、得てしてひどく他人に振り回されるんだよなぁ…」とボヤきながらもコートを着て出発。アパホテルのすぐそばの京成上野駅の改札を通って、ひとまずいちばん早く出る電車に乗り込みました。ここまでは「令和4年1月2日の、まだまだほんの序章に過ぎない」ことは、後で思い知るのですが…。(次の記事へ続きます→)
2022.04.21
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(前の記事から続きます)父の遺体が警察署に移され、母と私への事情聴取が終わったタイミングで、兄がようやく実家に着きました。埼玉県との境に近い区から、心の病を抱えながらも一所懸命に向かってくれたのだと思い、遅さを責める気には全くなれませんでした。兄との再会は5年と少しぶりのものでした。LINEは持っていないというので、連絡先のメールアドレスと電話番号を交換しました。それは以前、ショートメッセージで送ったのですが、それを見ていないのも責める気にはなれませんでした。せっかく実家まで来てくれた兄ですが、顔見せ、だけでまた帰ることに。私に「向かいのコンビニにイートインがあるよ」と教えてくれました。簡単に家族三人の会議を開いて、「表向きには急死を言わない。近親者のみで家族葬を行った、と過去形にして、ご弔電・御香典・供花などは固くご辞退申し上げます、と締める」ことで三人が合意しました。駅へ向かう兄と別れ、そのイートインで遅くなったお昼を摂り、それ終えて私が実家に戻ると、同じく遅いお昼で「マルちゃんのワンタン」を食べていた母が、電話中で困り果てていました。母から電話機を取り返して私が応対したら、やはり警察署の刑事課の警部補さんから、執拗な聞き取りの電話でした。「あなた方も元日から仕事でしょうが、私たちは遺族であって、その前に人間なんだ。家族一人を失った当日のお昼ごはんくらいは聴取を控えて食べさせてくれ」と言って、強引に電話を切りました。するとその警部補さんから、私の携帯に電話が入りました。「現場保全をしたいので、母以外の実家の立ち入りを禁ず」という内容でした。「せめてお葬式の準備だけはさせて欲しい。それさえ終われば私は退出する」とまでは交渉が成立しました。私の独断で5年くらい前に、小さな家族葬を行う葬儀業者を手配してくれる所から資料請求をして、父と母の名前と住所・電話番号などを、私名義で登録していました。ずっと私の携帯の電話帳に溜め込んでいたこれの出番がとうとう来たか、という心情でした。本当に「24時間365日」の対応をしているのかが心配していましたが、事前登録があったために話はトントンと進んで、すぐ後に「実際にうちのお葬式を行ってくれる業者」から連絡が来るので待って欲しいと言われて待機していました。「〇〇メモリアルの〇〇と申します。この度はご愁傷様です」と話を始めてくださった葬儀業者の男性の声は、とても優しく、紳士的でした。聞かれるままにこちらの状況を伝えると「お正月三が日は火葬場がお休みになるので、どんなに早くてもお葬式は1月4日以降になること」と「いま警察署に遺体を預けていると、この先、毎日家族の対応が必要になる」ことを教えてくださって、明日(1月2日)に警察署に遺体を引き取る時にお目にかかりましょう、ということで電話が切れました。母は疲れて憔悴しきっていました。私は「横浜から毎日通うか、近くに宿をとって待機するか」の二択となりましたが、1月4日まで毎日横浜から通って、その長い移動時間の間に警察署から急ぎの用事を作られては困る」と判断して、後者に決めました。「困った時の、アパホテル」。まだアパホテルが石川県にしかなかった時代からの会員カードで、ネットでの予約がサクサク進み、京成上野駅前のアパホテルを「1月4日までの三泊」で押さえることができました。実家から徒歩圏内にもアパホテルはあったのですが、「コロナの宿泊療養施設として貸出中」とのことで、ひと駅だけ電車には乗るが、京成上野駅前のアパホテルに待機することに決めました。母に「4日までは京成上野駅前で待機しているから、何かあったらすぐ電話して。お薬は持ってきてあるから心配いらないよ」と告げて実家を出ると、もう玄関前には警察官一人が後ろ手を組んで玄関前に立っていて、実家への他人の立ち入りを制限していました。久しぶりに使うPASMOでピッと改札口を通り、「あとひと駅で終点」でガラガラに空いた京成電鉄の電車に乗り込みました。京成上野駅前のアパホテルでチェックイン。アパホテルの自動チェックイン機にもだいぶ慣れて、フロントの人とのやり取りなしで、ルームキーが受け取れました。「遅いお昼」以降に、警察署の警部補さんの携帯との着信履歴が、その時時点で「12回」を示していました。カーテンを開けると、ちょうど陽の入りのタイミングでした。不忍池を望む、西向きの部屋からの陽の入りの光景が本当に綺麗でした。「忘れたいほど、史上最も長かった1月1日の元日」が、ようやく終わろうとしていました。(次の記事へと続きます)
2022.01.23
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(ひとつ前の記事から続きます)東京消防庁の6名もの救急隊員の皆さまの力でも、父は意識を戻すことなく「死亡が確定した」、そんな感じでした。救急隊員の方と入れ違いのようなタイミングで、部屋に警察官5名が入ってきました(注;私たちは呼んでいません)。提示された警察手帳には「警視庁〇〇警察署 刑事課 刑事総務 警部補〇〇〇〇」という長い肩書きが付いていて、これから「鑑識」が始まって家の中と父の身体を調べます、とのことでした。唯一の女警(女性警察官)さんが「使い古しでもいいので毛布かバスタオルなどはありますか?」と私たちに聞き、その女警さんの指示通りに私がバスタオルで父の身体を覆いました。「顔が隠れるような覆い方」が「非日常」で辛かったです。「たぶん見るに堪えないものなので…」と、その女警さんは母と私にリビングから出るように促してくれました。椅子二つを隣室に移動させて、母と私は先ほどの肩書きの警部補さんから事情聴取を受けました。12月30日から今に至るまで、母と私の通話履歴も含めて電話の内容や父の様子など…。こちらは一所懸命時系列的に話したかったのですが、聞き手の警部補さんの問いかけで時間が戻ったり過ぎたりになり、警部補さんのメモの取り方も下手くそで同じことを何回も聞かれて、ひどく疲れる事情聴取でした。私の持病まで聞いてどうするのだろう、とも…。とにかく家族のプライベートを根こそぎ掘り起こすような「拷問」に近い事情聴取でした。その間に残る4人の警察官の方が、冷蔵庫の中まで含めた家じゅうのありとあらゆる所を写真に撮ったり、父の所有物が出てくると、財布の中身の現金全部を取り出して並べて写真に撮ったり、そんな様子が別室の私の座った位置から見えました。10時頃から鑑識が始まって二時間くらいでしょうか…テレビのニュースなどで火災現場などでよく見る、袋状でジッパー式の灰色のビニールシートに父の遺体が覆われて、ジッパーを引いて包まれ、女警さんを除く三人の男性警察官の方が、父の遺体を「立つ姿勢のような縦状にさせて」家の外に運び出しました。「あのままエレベーターに乗せて下ろすのか…」が私の視点でした。つくづく「元日でエレベーターを使う人が少なくて、マンションの管理人もいない時間帯でよかった」と思いました。それだけが心の救いでした。母と私への事情聴取は更に二時間ほど続き、「鑑識」が全て終わったのは開始から四時間ほどの14時過ぎでした。その間、水分も摂らなければお手洗いにも行かずに、終わったと同時に激しい口の渇きだけを感じたことが記憶に残っていました。(次の記事へ続きます)
2022.01.23
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(ひとつ前の記事から続きます)筆者、変な特技ではありますが、臆せずに110番・119番通報が出来ます。実際に掛けて「どんなことを聞かれてどう答えたらいいか」も、だいたいですが頭に入っています。「父の様子がおかしい」と母から一本の電話を受け、横浜からバスと電車を乗り継いで都内の実家までかっ飛ばしてきた私。実家に足を踏み入れたら、父が床の上で仰向けになっていました。てっきりベッドの上だとばかり思っていた私は面食らいました。母は目の前の光景で頭が真っ白になってしまい、119番通報が出来なかったとのこと。とにかく私がやらないと…。私のスマホには、110番通報と119番通報のショートカットがあり、緊急の時にワンタッチでできるように…していた筈なのに、何故か手が震えてスマホの待受画面のロックが外れない。こういう時に限って指紋認証も通らない…。結局、待受画面の下に出る「緊急通報」からダイヤルをするも「119」と押すだけで何十秒もかかってしまいました。「119番、東京消防庁です。火事ですか?救急ですか?」「そこは何区、何町、何番地ですか?」答える内容に「83歳の父」や「〇〇マンション〇〇号室」を織り交ぜて、問答数を少なくすることは出来ました。「それでは至急、救急隊員をそちらに向かわせます」「お願いいたします」で電話が切れました。ここまでは計算通りでしたが、間もなくして「知らない携帯の番号」から電話が来て取ると、「音無川分駐所救急隊の〇〇と申します。今そちらに急いで向かっていますが、それまでの間に心肺蘇生をやって欲しいのですが、心臓マッサージの方法はご存知ですか?」と聞いてくださり、「四谷消防署で講習を受けたことがあります。手のひらの付け根で胸骨を押すやつですよね?」「その通りです。今から私が号令をかけますので、そのリズムで押してください。いち、に、さん、し。いち、に、さんし…」それに合わせて必死に父の胸に圧を掛けました。冷たく、硬い父の身体の感触が辛かったのですが…。だんだん外で、救急車のサイレンが近づいてくるのが聞こえてきました。電話口ではまだ、救急隊員さんが私に心肺蘇生のリズムを声掛けしてくださっていました。家の玄関のチャイムが鳴り、母が戸を開けると、「南千住の救急隊です、失礼いたします」と、電話をくださっていたのとは別の分駐所の救急車の方が先に着いたとのことでした。先に着いた南千住の方が3人、後から来た音無川の方が3人。計6人の救急隊員の方が、マンションの狭い部屋で父を囲みました。「密状態」とかそういうのは関係ない、という感じでした。プロが継続して行う心臓マッサージ、しばらくしてAED(自動体外式除細動器)も起動。「離れてください!」という声が飛ぶも、AEDから「作動させる必要はありません」という類の自動音声が流れました。父の体からAEDのパッドが外されて、着衣も元に戻されて、救急隊員の方の一人が、「申し訳ございません、我々の力が及びませんでした。お亡くなりになっています」救急隊員の方って、謝るんだ…。あなた方のせいではないのに…。私がバスの中でTwitterに上げた「父の訃報」が現実になった瞬間でした。(次の記事へ続きます)
2022.01.22
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2022年の元日、横浜市は快晴でした。Twitter投稿用の初日の出の写真を撮って「今年もよろしくお願いいたしますモード」でいたら、実家の母から電話が入りました。「お父さんの様子がおかしい。冷たくなっちゃっている」え…と思いながら少しやり取りすると、父に意識がない様子。「すぐ行くから。119番通報できる?出来たらすぐやって!」と私。私が代わりにやってあげたいのですが、ここで119番通報をしても、横浜市消防局に繋がってしまう…。(東京消防庁の本庁の代表電話に掛けると119番の指令台に電話を回すことが出来る、ということを知ったのは何年も後のことでした)急いで外に出る身支度を整えて、交通系乗り換えアプリで都内の実家の最寄り駅までの最短ルートを調べました。新横浜から東海道新幹線に乗るよりも、横浜から上野東京ラインの東海道線に乗るよりも、自宅近くのバス停から東神奈川に出て京浜東北線に乗るのが最速と出ました。意外な検索結果でしたが、吟味をする心の余裕はありませんでした。バスに乗りながら、スマホで父の訃報を打っていました。まだ現場を見ていないのに…。いざとなったら「誤報」を打てばいい、そんな心境でした。京浜東北線に時刻通りに乗り換えができた段階で、実家の最寄駅の到着予定時刻が確定。スクショに撮って母にメールを送るも、返信は来ませんでした。いつもなら最悪、電話を掛けてきて「OK、を留守電に入れる」母なのですが…。「119番通報はできた?」と打って送ろうと思いましたが、途中まで書いて止めました。「それが出来ていて、いま返信がない」ことを信じ込ませようとしている自分がいました。電車が多摩川を渡るのも、品川や新橋でドッと人が降りるのも、いつもよりずっと速く感じました。実家の最寄駅に着いて母の携帯に電話する。それさえ忘れて、駅を背にして実家に向かって速足でズンズン進んでいました。(次の記事に続きます)
2022.01.22
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筆者、およそ2年半以上ブログを放置しておりました…。まあ、どうせ見に来ていただける人はごく僅かだし…、…と思っていましたら、毎日楽天ポイント欲しさにチェックしていたアクセス数が、ゼロにならない…どころか、日に日に増えていくばかりので最近です。「筆者の生存確認的」に定期的に見てくださっていた方もいれば、「英語の記事」を繰り返し読んでくださっていた恩師・学生さんもいた模様です。もちろん、初見さんも大歓迎!…ということで、普段は「Twitter の140字の世界」で情報発信している筆者も、少し字数を多めに語りたいという時に、この場で話題を展開していこうと思いました。2年半前とは随分と環境も変わりました。ドラッグストアに勤務していた筆者も、今は現役を引退しており、長く住んでいた東京都内を離れて、今は横浜でスローな生活を送っています。それでもまだまだ溜め込んでいる「ドラッグストアの話題」もありますし、新しくご披露できるジャンルも増えてきていると思っていますこの先、少しずつストーリーを重ねていきたいと思っております。横浜市内で撮ったお気に入りの写真と共に、今後の新たな展開を楽しみにしてくださると嬉しいです。どうかまた、よろしくお願いいたします。
2021.06.29
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私の勤務しているドラッグストアでレジに立っていると、お客様からの反応で最近「大丈夫です」という受け答えを頂くことが多くなりました。…が、これが時と場合によっては、こちら(=販売する側)としては、非常に対応が難しいケースになることも多々あります。「袋(レジ袋のことです)、ご用意いたしますか?」「大丈夫です」ーこれはまず「レジ袋はいりませんよ」、でしょう。「ポイントカード、お作りはいかがですか?」「大丈夫です」ーこれも「ポイントカードはいりません」、でしょう。だいたい、このような感じで処理していますが、時には、「ポイントカード、お持ちですか?」「大丈夫です」ーえ…、 これは「持っていないのでそのまま進めて下さい」か、「これから出すのでそのまま進めて下さい」、の二通りを経験したことがあり、正直言って困るケースです(ポイントカード処理をした後にお会計に入らないといけない、というお店側の勝手な都合なのですが…)(クレジットカード決済、という流れになって)「お支払い回数はいかがなさいますか?」「大丈夫です」ーえ…、 これも「一括払いに決まっているからそのまま進めて下さい」が多いのですが、これだけでそうと決めてしまうと怖い、というのがこちらの本音です(一括払いと分割払いでは、伝票へのご署名(=サイン)の有無が絡みますので)以上、全て実際にあったケースです。まあ、ほとんどがこちら(=お店)側のレジ操作業務の違いに関わる、という「身勝手な都合」なのは重々承知しておりますが、やはり「あまりにも分かりづらいケース」では、もう少し別の表現(「いりません」、「結構です」、「これから出すから待ってて」、「(もちろん)一括で、一回で」などと)ではっきり・きっぱりと言って下さった方が、実はこちらとしてはありがたい、というのが本音です。また「イヤホンご装着などで意思疎通がうまくいかない」時に、こうした「曖昧なお返事で全てを済ませてしまう」という方が多いのが最近の傾向でもあります。お客様にとっても、こちらレジに立っている販売側にとっても「お互いに誤解のない、スムーズなやり取りを望んでいる」のには変わりはないのですが…やはりこちら側としては「間違いなく、正確な業務を行いたい」という思いが優先してしまい、時に、お客様の「大丈夫です」に付いていけない、…なんてことが多くなった最近の思いです。 もちろん、私自身のお客様へ対するメッセージに誤解が生じないよう、私自身が「大丈夫です(か?)」という言葉はなるべく使わないように努力しております。 こちらの意向をお伝えする時は、「〜してよろしいですか?」が基本です。
2018.11.13
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今年8月31日にNHKの番組(下記リンク参照)で「進化するドラッグストア」という特集が放送されてから、私のお店にいらっしゃるお客様や私の知人から、この番組内容について多くの問い合わせがありました。まずは番組を観ていない方のために、番組の内容がまだ残っているので、下記のリンクから番組内容をご覧下さい。(リンク先の記事内の「動画はこちら」から、番組放送時の動画もご覧になれます)NHK「おはよう日本 おはBiz」進化するドラッグストア私もこの放送を後から観て(放送日は出勤日で、出勤直前の放送だったため録画に残しておきました)、正直な感想は「とてもよく業界の内容を取材しているな」でございます。紹介されている通り、ドラッグストア業界では「販売単価の高い医薬品と化粧品の売上げが業績を左右するものの、その他のカテゴリ商品(食品や日用雑貨など)も幅広く販売してそちらをお買い求めになる方をいかに医薬品と化粧品に誘導するかが勝負」であることは事実です。これに伴って、昨今のドラッグストアでは店舗立地や店舗面積に合わせて様々な商品が販売されたり、設備を整えたりして進化しています。放送中にないもので、特に「私の勤務先の社外秘でもない」事情として、○単価の低い食品や飲料水は特に、維持費(商品自体が大きいため陳列棚や倉庫のスペースやそれを搬入する際の人件費、また商品によっては冷蔵で保存するための設備と電気代など)がかかり、そのコストの比率は店舗運営のための計画の中に組み入れる重要な要素となっているということと、○逆に単価の高い医薬品や化粧品は、そのほとんどが「小型で常温で陳列・販売できる」ことから、その他の「お客様を引きつける商品カテゴリ」とのバランスや陳列場所からいかにお客様をこれらの商品に誘導させる店舗動線や販促が不可欠であることが特筆されます。また業界の一部では「24時間営業」や「処方箋のネット受付による調剤業務の効率化・スリム化」なども進めており、小売業全体が抱えている「人材不足」も視野に入れつつ、いかに効率的な店舗運営が出来るかで「生き残りがかかっている」と言っても過言ではありません。コンビニやスーパー・ディスカウントストアでも医薬品の販売業務が行えるようになった昨今では「常に変化を求めた攻めの姿勢」がないと、激化する競争社会に生き残っていけないのはどの業界でも同じことです。
2018.10.29
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別に自慢する訳ではありませんが、過去の仕事で何回かアメリカに渡った私の経験からも、またいま日本を訪れている英語圏からの旅行者へのインタビューからも、とにかく「日本で使われている英語にはbe動詞が多すぎ」で、英語圏の人の目線ではかなりの違和感があるそうです。電車に乗っていて「次は品川です」の電光表示や放送は決まってThe next stop is Shinagawa.ではないでしょうか?「次の停車駅=品川」というSVC(主語・動詞・補語)という文法構造も間違ってはいないのですが、「英語圏の感覚」でいちばんストンとすっきり来るのはThis train stops at Shinagawa, next.の「この電車は次は品川に停まる」というSVO(主語・動詞・目的語)という構造こそが「英語圏の文化」なのです。日本語では、蕎麦屋の屋台で「あなたはきつね、私はたぬき」と言っても互いにきつねそばとたぬきそばを分けあえるほどのSVCの言語文化ですが、それをSVOの言語文化である英語にそのまま当てはめても、解釈する側にとっては違和感があって理解に時間がかかる迷惑なものに他ならないのです。そもそも「言語は学問ではなく、まずは文化が入口である」という発想が必要で、その言語が持つ文化に沿った文法に基づいて表現を選んで初めて「翻訳」になるのです。2年後の2020年に東京五輪を迎えるに当たって、「相手の言語文化を尊重した言葉の使い方」を見直す必要があるのではないでしょうか?
2018.10.28
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私の勤務するお店も、今年の春から自動レジが導入されました。 「預かり金もお釣りも数えなくていいから楽でしょう?」とよく聞かれるのですが、自動レジ導入前から業務に従事している私の感覚から見ても実際はそうではありません。あくまでも私どもスタッフとお客様との人間関係の間に自動レジがあるだけで、片方が機械であるATMと同じ感覚で盲目的にお金を出し入れしている訳ではないのです。 まずお預かりした金額をよく数えないで自動レジに入れてしまうと、お客様の言い分と違うお釣りが出ることになって、トラブルの元になります。 またお釣りもよく数えないと、特に硬貨トレイに残った硬貨を取り忘れてお客様に少ないお釣りをお渡ししてしまうことになり、信頼問題にも発展します。 (硬貨トレイから取り忘れがあるとアラーム音は鳴るのですが、急いでいるお客様はそれより先にレジを離れてしまい、結果として取り忘れた硬貨を持って走って追い掛ける羽目になります) 結果的には自動レジでも手で扱うレジでも「画面と手許を照合して正確な金銭扱いをする」ことには変わりはなく、自動レジでほんの少しの会計のスピードアップが出るだけのことです。 それだけ「人の目で見て手許でチェックすること」は大切なのです。 あとはお客様の見えない世界で、レジを締めた時の精算業務は確かに自動レジの方が圧倒的に速いですが、それはお客様目線ではない部分の効率化に過ぎないのです。
2018.10.28
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私の勤務するドラッグストアにもポイントカードがあります。レジでお客様をお迎えすると「いらっしゃいませ」の後にすぐ「ポイントカードはお持ちでしょうか?」とお伺いします。この業界に慣れてくると、複数点数のお買い物をされるお客様は、レジを打っている間にポイントカードをご提示下さることが多いのでお伺いは後回しでレジ打ちを優先させる、…などの小技も芽生えてくるのですが、やがてそれはお伺い忘れというミスの元になることも分かり、やはり基本通りに最初にお伺いしたりと、レジ打ち一つも試行錯誤の毎日です。最近はお客様がお財布の中から多数のポイントカードをガサゴソ探されて、レジ打ちが終わったこちらは笑顔で直立不動でお待ちする…なんて光景が多くなりました。その挙句に同業他社のポイントカードを出されて苦笑い、というのも多いのがこの業界です。お客様の目線では「いや、財布の中がポイントカードだらけで…」、まだお持ちでないお客様に「お作りはいかがですか?」と促しても「いや、これ以上財布にカードはいらないよ」と、やんわりお断りされることもしばしば。「レジから目線」では、お客様の財布の中に隠れている自店のポイントカードを見つけることも多いのですが、それはお客様のお財布を覗くこととなり、そこでお声掛けができない事情もあります。ポイントカードによる販売促進も難しい一面があるのを感じます。
2018.10.28
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政府が「レジ袋有料化」の議論を進めています。プラスチックごみの減量は確かに環境保護の観点から喫緊の課題でしょう。飲食業界ではプラスチック製ストローを紙製ストローに置き換える動きが進んでいます。ではレジ袋を有料化することで、それは環境保護に繋がるのでしょうか?確かに家庭に不要なレジ袋がたくさん溜まっているのはありありな話で、私の部屋にも溢れかえっています…どれだけごみ出しに使っても余っていることから、如何に無駄にレジ袋をもらっていたかを感じます。私の勤務するお店に「家にたくさんあるからいらないよ」と言って、いつも牛乳1本ご購入の際にしわくちゃの使い回しのレジ袋を持ってきて下さる方がいらっしゃいます。お店としても経費が浮きますし、環境保護の観点からも好ましい事例です。確かにレジ袋を有料化すると、買い物袋の持参率が上がるというデータもあります。が、一部自治体では指定ごみ袋を購入してごみを出すのですから、ここではレジ袋を有料化する意味がありません。本当に環境保護の観点から推し進める政策であれば、地域事情によっては「買い物袋の持参で数円の割引やポイント付与」などの実効性のある対策で不要なレジ袋を増やさない手もありますよね。そうです、目の前の目標は「増やさないこと」であって、有料化はそのための一手段に過ぎません。手ぶらで買い物しがちなコンビニやファストフードの持ち帰りなど、レジ袋有料化を一律にされても困るケースもあり、まだまだ議論の余地がありそうな気がします。
2018.10.28
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本日よりブログを始めるにあたって、簡単なご挨拶をいたします。 私は東京都内のドラッグストアに勤務する傍ら、登録販売者(=販売医薬品のうち、第2類医薬品・第3類医薬品の販売を行い、購入者からの相談を受けたり情報提供を行うことのできる国家資格;これについてはまた改めて触れます)の資格取得を目指して勉強中の独身男性です。 このブログのタイトル「迅速果断」は、前に勤務していた会社の社長が、仕事をする上で大切なこととして「行動力とスピード感」を挙げて四字熟語にされたもので、今でも私の大切な行動指針となっております、仕事だけではなく、プライベートでも。 これからこのブログにどんなことを綴っていこうか、という明確なビジョンは実はまだ未定です。これからの流れを掴んで、徐々に膨らませていきたいと思います。スタートからちっとも「迅速果断」ではありませんが…。 もちろん、業務上知り得た機密事項や、他の方の心を傷つけるような内容は書けませんが、 良識に基づいて日々感じたこと、考えたことなどを綴っていこうと思います。 ブログ初心者ですが、どうかよろしくお願いいたします。
2018.10.28
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