マニ教の宇宙観を描いたとみられる絵画が日本国内に存在すると
嬉しいニュースが流れました。
「10層の天と8層の大地からなる」というマニ教の宇宙観の全体像が、
ほぼ完全な形で確認されたのは世界で初めてだそうです。


須弥山(スメール山)とは古代インドの世界観の中で中心にそびえる山です。
スメール・・シュメール・・すめらみこと・・・日本の天皇
世界各地で様々な樹の姿に変容して語り継がれている【生命の樹の図】や
【曼荼羅】が、マニ教の【宇宙図】を思わせます。
【生命の樹】とは、一般的には旧約聖書の創世記(2章9節以降)に
エデンの園の中央に植えられた木のことです。
エジプト神話やインドの聖典ヴェーダ&ウパニシャッド、釈迦の菩提樹、
イスラム教の天上の樹、ジャワの願いの樹など。
マニ教は善悪二元論を教義としているとのことですが、
これは、下記にも書きましたが
阿修羅の
たとえ正義であっても、それに固執し続けると善心を見失い妄執の悪となる・・・
と同じ教義かと思われます。
ところで、藤原道長の日記などに七曜の記述があり、日曜が「密」と記されている。
これはマニ教が断食日とした日曜「ミール」が中国経由で伝わったためといいます。
髪を洗う日、爪を切る日、吉凶を気にしていると不潔になると無視する貴族もいたという
源氏物語で話題になった陰陽師が吉凶を記した暦「具注暦」.. これは天変を見て
世の中のできごとを占う、天変型星占いだといいます。
やはり藤原氏は星占いに通じていたという月氏、秦氏・・・古代イスラエル人であった
のだと思います。
松本清張が【火の路】(文藝春秋)で、飛鳥時代の日本にゾロアスター教が伝わっていた
という確信を追って飛鳥の酒船石を舞台にストーリー展開していました。
【マニ教】は東方ミトラといわれました。
イラン・アーリア人がミトラ教を作りました。
ミトラは東方では密教になり弥勒菩薩になっています。
イラン・アーリア系宗教(ミトラ教、ゾロアスター教、マニ教)からは
→ユダヤ教→キリスト教・イスラム教へとそれぞれが相互に影響を与えています。
このイラン・アーリア人が信奉するものがアフラ・マズダー(阿修羅)です。
アフラ・マズダー(阿修羅)は光の神と称され 密教の大日如来へと発展していきます。
阿修羅の起源はメソポタミア、紀元前に住んでいたアッシリアの人々が信仰していた
ゾロアスター(拝火教)の太陽神です。
たとえ正義であっても、それに固執し続けると善心を見失い妄執の悪となる。
阿修羅は 密教に吸収されたヒンズー教の神の多面多臂の形をとっていく様々な
宗教をかかえこみながら、阿修羅はまさに多面多臂の側面をもつ仏であることが
曼荼羅の中にも八部衆として阿修羅も描かれています。
ペルシャのゾロアスター教と、インドのバラモン教は、元々は、アーリア人の宗教として、
根本を同じくする宗教でした。 その宗教には、火や光を神聖視するグループと、
水や自然を神聖視するグループの二つがあり、
火や光を神聖視するグループは、南西に移動し、現在のイランに定住しました。
一方、水や自然を崇拝するグループは、南東に移動し、インドに定住します。
不思議なことは同じアーリアン系でありながらイラン人とインド人の間では、
神と悪魔の逆転現象があることです。
イラン・ゾロアスター教のアフラ神(アシュラ)は、インドでは悪魔に、
インドのアシュラ神は、イラン・ゾロアスター教では悪魔とみなされています。
アシュラは、西域では大地にめぐみを与える太陽神でしたが、
インドでは大地を干上がらせる日照りの太陽神となり、常にインドラ(帝釈天)と戦う
悪の戦闘神となります。
【阿修羅】は、仏教では釈迦の教えに触れた守護神と説かれ
密教世界に於いて8部衆の中の一族とされています。
密教はインド仏教後期、ヒンドゥー教の隆盛によって仏教が圧迫されたことから生まれます。
古代ヒンズー教(バラモン教)では業(カルマ)と言う考え方がありました。
カルマとはこの世は善と悪で成り立っていて、善は綺麗なもの、清いもの、 価値ある物で
あるのに対して、悪とは醜いもの、穢いもの、役に立たないものと思われていました。
その思想は人の身分にも及び、身分が低くなるにつれて魂は汚れて行き、人に害を及ぼ
す存在であり、生きる価値の無いもの と見なされ、また悪は悪を好むことから差別されました。
そこで、お釈迦様はその事を否定する為に、インドの神々である諸天や悪の象徴である
阿修羅・ 迦楼羅などを仏教に帰依させて、人は平等である事、
悪い事は人本来の内面にある事を説いたのです。
しかし、ヒンドゥー教の隆盛には打ち勝つことができず、やがて西アジアからのイスラム勢力
の攻撃により仏教はインドから消えていくことになります。
密教はヒンドゥー教の神を取り入れるために起こった改革だったわけですが、
ヒンドゥー教の神は仏の下に位置しなくてはならない。
そこで、阿修羅=アスラの復権が密かに行われたわけです。
アッシュール神は、古代アッシリアの守護神で、アッシリアが強大化するにしたがい
オリエントで中心的な地位を確保してゆく神です。
アーリア人とは元々は中央アジア地方の西パキスタンのパミール高原に
遊牧民として住んでいたアーリア民族を指します。
アーリアとは【高貴な人】という意味であり、後にインドを植民地化した白人側の自称でしたが
寧ろ、古代インドで発達した文化を有していたのは先住のドラヴィダ人の方でした。
BC3000年~2800年にわたって、全インドに繁栄し優れた独立文化を持っていました。
最初野蛮な遊牧民であったアーリア人がインドに侵入し定住するに及んで、戦術、農作
村落制度、家長制度、その他工業経済等に関して、かなりの文化的発達を遂げたのは
ドラヴィダ人の文化に接触し、それに影響された結果です。
野蛮民であったアーリア人が、如何にして先住民のドラヴィダ人を征服したかというと
ドラヴィダ人の知らなかった馬の使用を知っていたからです。
インド・アーリア人は馬を持っておりこれが原住民との戦闘において
勝利をおさめる大きな要因となりました。
そして、パミール高原に残されたアーリア人は紀元前1500年頃ペルシャへ向かい、
こちらがイラン・アーリア人と総称されます。
この一派はさらに西を目指しゲルマン族として、バルト海沿岸に定住します。
しかし時を同じくしてモンゴル高原を中心とした北アジアの遊牧民であった匈奴が
草原地帯の地域的気候変化により、ヨーロッパに侵攻します。
この匈奴がフン族となり、この勢力に押されたゲルマン族が東ゴート族と西ゴート族に分かれます。
フン族は東ゴート族をも取り込みヨーロッパに侵攻します。
この勢力に押された西ゴート族がローマ帝国になだれ込みローマ帝国を瓦解させます。
その後、西ゴート族がドイツ、フランス、オランダ、イギリス等の文化を形作っていきます。
アーリア人は歴史に限らずに世界の言語と宗教にも大きな痕跡を残しています。
言語としては彼らはたいへん歌うことの好きな民族(チュルク・トルコ人)であったが
文明と接触するまでは文字を知りませんでした。
その為、遊牧の間、語り継がれた記憶こそが文章の役割をします。
アーリア語から出たインド・ヨーロッパ語族。その際たる言語である英語は
合理的で弁論・演説等口頭表現向きなのはこの事実に負うとされます。
ちなみにヒトラーは日本人を「東方アーリア人」と呼びアジア人の中で特別な存在
ドイツ人に近い存在と位置づけています。
アッシリアの神だったアッシュールが古代イランのゾロアスター教の最高神アフラマズダーと
対応したりインドラ(ヒンズーの神 仏教では帝釈天となる)と闘う阿修羅と対応していく。
PR
カレンダー