中国の反日感情は民間レベルの マイナス スパイラル に陥って手がつけられない状況です。
歴史教科書で植え付けた反日感情を利用し、愛国心を煽った中国の思惑がみえます。
中国共産党と人民解放軍のせめぎ合いのなかで、日本という国を憎むべき【悪魔】に仕立
てることによって、共産党に対する国民と若者たちの怨念と恨みを、【外敵】に向かわせよう
としているのでしょう。13億の国民を束ねなければならない中国共産党の一元的支配には
無理が生じて綻びがみえてきました。
冷静に毅然とした姿勢で、煽りにのらず、大きな視野でみつめることが日本にとって大事かと。
それにしても柔の日本人と強の中国人の国民性はあまりにも違う。
あの強さはどこから来るのでしょう? 漢民族とは、どのような人々だったのでしょう?
【中国五千年の歴史】というのが通説になっていますが果たしてそうでしょうか?
古代史をみていくと、中国大陸で繰り広げられた壮大な歴史は、ほとんど西域や北方から
侵入してきた異民族が支配していたことが解ります。
【漢字】も漢民族が作ったものでなく、雲南からタイにかけて地を占領した殷人(東夷)が
持ち込んだ もので、倭人や新羅人は、その殷人の分派でした。
殷人は元々バビロンのイシン国の交易者 でしたし、その前の夏王朝はバビロンのウルク
の借史であったようです。
秦の始皇帝は、大秦国(バクトリア)王、ディオドトス一世で、
BC221年に、精強なペルシャ軍団を 率いて中国大陸に侵攻し、
中国全土を統一し、自ら【始皇帝】を名乗って秦帝国を建国したのです。【秦】というのは、【月神si-n】。【月神si-n】とは、悠遠のかなたのジグラッドの主神であり
檀君神話のルーツになります。【檀君神話】は、イラン族のナンダナ神、アーリア族の
インダナ神でもありますが、【月神sin】から派生しています。大洪水が破壊したあと、
チグリス・ユーフラティスの流域に戻ってきた人々が希望をこめてジグラッドを作ったのです。
エジプトのピラミッド、高句麗の将軍塚、日本の前方後円墳のルーツとなったジグラットは
主神として【月神sin】を祭るのですが、後に月氏も匈奴もこの神を祭りました。
【月神sin】信仰は多様に分化して、各民族に拡がりましたが原型は同一でした。
【辰国】の辰王は、秦よりはるかに古いイシン国の王統でした。
国は滅びても、流浪の辰王が権威を持って、辰系諸族が作った諸国家の民の間に、
いつまでも存在していたのです。
中国の西域を支配して新しい権力者となった秦の大王は、その権威に対抗するべく
秦という名を持つ国家を建てましたが、辰王の権威をもつことは出来なかったようです。
そして、おそらく、本来は身内であったはずの匈奴勢力が離反したため、
辰王の権威にとらわれない全く別の新権威を名乗って【始めての皇帝】としたのでしょう。
本来は草原地域からの軍用補給路であった万里の長城は、始皇帝以降、
実力を熟知している嘗ての身内、匈奴軍を防ぐ防壁に変わっていったと思われます。
焚書坑儒という、文化破壊も、辰系学者の殺害も、文書類を焼いて過去とのつながりを
断ち切って新しい国家を始めましたが【月神sin】諸族の間で、晋、新、清、と幾度も甦る事になります。
秦の始皇帝以前の北支は、ツングース、東胡、氏羌、百濮、苗?などが占領していましたが
バクトリアによって満州や雲南山地に追われ、そのあと、バクトリア軍がインドに侵略する
ために撤退し、北支で混血部隊が独立して漢民族ができたようです。
したがって、漢民族が中原の支配者になるのは、秦の始皇帝の没後、前漢の武帝からです。武帝の即位が前141年ですから本当の中国史は、中国2150年史と云わなくてはなりません。
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