上古代の日本の地に【アシア族】という高度の文明をもつ種族がいました。
チュルク(高令)の王を【アシナ】といいましたから、この人々かもしれません。
彼らはノーベル賞で話題になった素粒子の存在を1万年も前に知っていた痕跡があります。
古代、アシア族の考えでは、 素粒子は、【天の気】で生命の源と考えられていました。
天の気は、左と右に
渦を巻きながら
頭から体内に入ってきます。
古代人が、それを土器の模様にしたのが縄文土器かと思われます。
左渦と右渦を土器に入れると、まず土器そのものが劣化しにくくなり
土器の中に入った食べ物は美味しくなり腐りにくくなります。
体の異常は、【気】の過不足が原因で起こります。
気の流れが滞った場所(ツボ)、その入るべき場所から素粒子が入ってこないために
病気になるのだそうです。体で、最も気が入りやすい場所は、左右の鎖骨外端下のくぼみに
ある 中府穴
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と首の後ろの 大椎穴
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の3ヶ所です。どれも昔から着物に紋を入れる位置なのです。
氣は丸が大好きです。丸型には、強い氣のエネルギーが集まってきます。
イギリスのストーンヘンジのように石をサークル状に並べると、強力なエネルギーを集めること
ができるそうです。ちなみに両手を丸くしたとき、手で作った丸の中は、温かさを感じます。
熱をもつのは空中の気が集まるからです。神社で拍手を打つのも気が集まるからです。縄文式の竪穴式住居は、円錐形をしています。その中に入っただけで頭の気が下がって
頭寒足熱の効果があるそうです。古代人は健康増進法も知っていたようです。
六角形は、非常に強いエネルギーを持っています。![]()
六角とは、上向きと下向きの三角形を合わせた 六芒星の頂点を結んだ形です。
この六角が連続した模様を古代日本人は【カゴメ】といいました。
カゴメ状の籠は、サンカの人々が作り、農家の人が農作物の運搬に使っていました。
このカゴメ状の籠にキャベツなどを入れておくと腐りにくいそうです。
六角はエネルギーが強すぎるので、人によっては使い方を注意しなければなりません。
江戸時代、吉田松陰とその下僕は、江戸から萩までを、六角の模様が連続する![]()
囚人籠
に乗せられました。下僕は、その道中で下痢が続き命を落としました。
六角模様の囚人籠は、気が体内に満ちすぎて、余った熱が頭に上昇するので元々気を
多く持っている人にとっては拷問で、エネルギーが入りすぎて熱を放出しようとするため、
下痢が止まらなくなり脱水状態に陥って死に至ります。
一方、同じ囚人籠で移動した吉田松陰は、まったく平気で、空中からエネルギーを
どんどん取り入れ、元気になり、六角模様の囚人籠で往復できたそうです。
六角の結晶でできている水晶でも同じことがいえます。
水晶を長時間、身につけると頭痛や下痢の症状が出てきますが人工透析患者は
尿がよく出るようになり、拒食症の人は半年間で食事ができるようになったそうです。
私も友人と新宿のセンチュリーハイアットホテルでの鉱物展に行ったところ、
友人は水晶パワーで具合が悪くなり、私は平気でした。
因みに「センチュリーハイアット・ホテル」は、九州の隼人族の末裔が経営とのことです。
大自然、大宇宙の息吹を友としていた超古代人にとって、その直観力は、現代人の想像
も及ばないほど研ぎ澄まされており、宇宙の深淵、宇宙の背後に隠されている何ものをも
射抜くほどの力を持っていたようです。
チュルク族(高令)は、遙か昔には、バイカル湖付近にいて、その時はオロッコ族といいました
が白鳥の磁場センサーを追って日本に渡来し、鉱脈を掘り当てていた人々だったようです。
そして後のトルコ族のことで、鉄の車輪を作った製鉄部族族でした。
オロッコが高令になり【白鳥】をトーテムとし、匈奴の冒頓部のなかにありましたが
高句麗や扶余に混じって朝鮮半島や日本列島に渡来し、天の王朝の物部氏
新羅の蘇我氏、安曇水軍と対馬の阿比留一族、安部水軍、秋田水軍など及び
メキシコのアステカ人など互いにつながっていたと考えられる伏しがあります。
アストランが白鷺または白亜の地を意味すること、セレベス島南部のマカッサル族と
ブギ族は、彼らの王族には【タクの木の樹液と同じような】白い血が流れていると
信じています。【カタカムナノウタヒ】には初めに
【 カタカムナヒビキマノスベシアトウアンウツシマツルカタカムナウタヒ 】とあって
【アシアトウアン】という者が筆者したといいます。
また、この書を伝えた平十字は【カタカムナ神を祀る一族の王アシアトウアンと
天皇家の祖先が戦い、アシアトウアンは敗けて九州で死んだ】と語ったといいます。
このアシアトウアンという王名もしくは王朝名は、後に芦屋道満の名になって
有名な差別伝承となったものですが、天皇家と戦って敗れたという先王朝は
金官加羅の王朝です。だから【カタカムナ】を信ずれば、【アシアトウアン】は
先王朝が、またはそれ以前の先住民族の王朝ということになります。
先王朝というのは、神武、綏靖、安寧、懿徳という王朝と対立した
孝昭、孝安、孝霊、孝元、開化 という王朝であって、この内、考安天皇が安日彦
王弟の長足彦が長スネ彦で、安部貞任らは その子孫でした。
このことを認めると、1062年に滅びた安部一族は【アシアトウアン】王朝の
末裔ということになります。【天の王朝】の「アシアトウアン」こそ、
アステカ族の故地アストランで はなかったか。
古代メキシコ人のアステカ人が日本列島から出発した安部水軍だったとすれば、
マヤ文明は 彼らのもので、この部族には二系あり、その一つはホルヘ・キン(金)など
新羅姓を思わせる ものが多く、二系の部族とは倭人系阿曇水軍と新羅系阿部水軍で
あったかもしれません。
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