天の王朝(東表国・豊日国・金官加羅国) とは
BC800年頃、タルシシ船でコーサラ国を経て九州に東表国を建てた日本最古の王朝。
エビス王クルタシロス(首露王)のエビス王朝ですがクルタはタルシシ船支配者の意味。
エビスはエレサレムのエブス人です。エブス人もオッフル人も紅海とアラビア海の海人でした。
のち邪馬壱国に敗れるまで、九州全域を1000年間支配し、譲った後、朝鮮半島の弁辰地域
の金海を飛地として支配し駕洛国・金官加羅といわれ、その王家は金氏と中臣氏になりました。
この王家は【記紀】では孝昭、孝安、孝霊、孝元、開花とつづき、後の倭の五王に至ります。
この王家から金氏が分離して【新羅】をたてます。
BC1300年以降、殷墟にトウテツ文様の青銅器が現れ、国東半島から東洋一の製鉄遺跡
が発見され、付近には多数のトウテツ文様青銅器が発掘されました。
エルサレムのエビス人は、フェニキアやエジプト人と共に船団を率いてマレー半島を廻って
山東半島まで到達し、その後、北九州国東半島に到達し、香春山の銅鉱石を採集し
製鉄基地をたてて、殷の青銅の原料にしたのです。
国東や出雲は一年間にこの人々が採集した鉱石を神無月に集め、フェニキア船によって
出荷する航海基地でした。ゆえに日本列島最古の縄文王朝は【エビスの命】を祖王とする
エブス人の王家なのでした。薩摩国に伝わる【伊集院文書】はイシン→イジュイン族の史書で
あって西郷隆盛らは伊集院一族の末であり、島津は元来、エブス・イシン人の伊集院王家の
水夫長であったとなっています。島津の旗印の
は南十字星で、この人々が南海族である
ことを示すといいます。
国東半島にはエビス王家の蛇神信仰を伝えるトウベウ(東表)信仰とともに
扶余のオモタル神(獅子頭大鷲神のニンフルサグ)を伝える犬神信仰が共存します。
ここでは獅子頭を犬によって表すのですが宇佐八幡の秘儀として、盲目の僧が歌う
一座経に、この犬神信仰が残されています。後の犬神人は、このシャーマンですが
中国の盤古説話も同じ系統に属します。サカ族の族長シャカが、バラモン教を借りて
仏教をつくると、仏教はサカ族の間に急激に浸透し、旧来の犬神信仰に代わるのです。
しかし今日でも八幡神社のあるところには犬神信仰があり、それとともに蛇シャーマンの
トウベウ信仰が隠されて残っていて、例えば滋賀県犬上郡は、もと犬神郡と書き犬神信仰
の中心地でした。エジプトのスフィンクスなども犬神ですが、犬戎とは獅子頭有翼の
ニンフルサグ神の一族であることを示しています。
BC1013年、バビロンのイシン国の末期に、フェニキア人のマカン(海の国)がウラルトゥ
と共にアッシリアと戦い、その結果、アッシリア王シャルマネサル2世の攻撃で
イシン(殷の本国)が滅んだため、番韓のヤードゥは海からインドに逃れ、ウラルトゥは
北方ヴァン湖周辺に退きシャキイ族(カルデア人・穢族)は南下して後に宛の徐氏になりました。
この時、カルデア人は、アッシリア軍に捕らえられていたイシン王族・子叔箕シャを奪い返し
遥々航海して渤海に至り、遼東半島に上陸して国を建て【奇子朝鮮】と名付けました。
【奇子朝鮮】は金姓 で太陽神の金牛をトーテムとすイシン末のアラム族です。この後、
アッシリアに抵抗して亡命した海の国 カルデラ人(サカ族・穢族)の昔姓王家が扶余国 を
月氏族で朴姓のアメニギ氏が辰国をたてて 三国が擁立しました。
衛満朝鮮によって箕子朝鮮が滅亡した後、南海系穢族の王アグリイサトは
扶余前期王朝に合流し、やがて強力になり扶余後期王朝になり、東明王と称しました。
そのため、月氏+ウラルトゥ王朝、シルクロード系の前期王朝は、・エゾの地へ移動し
東扶余を建て、その子孫に仇台が出て九州に渡来して神武天皇になりました。
【神武王朝】と【天の王朝(考安王朝)】とは対立した王朝で、
しかも考安は長髄彦(ながすねひこ)と同盟して神武と戦ったと
津軽半島に伝わった【東日流外三郡誌】に記されています。
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