Bar UK Official HP & Blog(酒とPianoとエトセトラ)since 2004.11.

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2010/11/29
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【2013年7月13日、内容を全面改訂し、更新しました】

◆バーテンダー三代、バー文化とカクテルの発展に尽くして

ハリー・マッケルホーン Harry MacElhone 、1890~1958)= 写真右下 =と言えば、カクテルの歴史を語るうえで欠かせない人です。バーテンダーの先駆者であり、「サイド・カー(Side Car)」「ホワイト・レディ(White Lady)」 【注1】 など、今日でも不動の人気を誇るスタンダード・カクテルを数多く考案した人、また1919年、初めて実用的かつ大衆向けのカクテルブックを著した人としても知られています。 【注2】 Harry MacElhone.jpg

 しかし、ハリー・マッケルホーンが実際はどんな人物だったのかは、伝記本もないのであまり知られていませんし、うらんかんろ自身もよくわかりません。そこで、彼の名を不朽のものにした「ハリーズ・ニューヨーク・バー」のHPや彼のカクテルブックの前書きに記されたデータ、さらに海外のインターネット上の情報などから可能な限りの情報を集めて、マッケルホーンの実像に迫ってみたいと思います。

☆夢は「大きくなったらバーマンに」☆
 ハリー・マッケルホーンは1890年、英スコットランド南東部のダンディー(Dundee) 【注3】 で生まれました。ダンディーは19世紀、ジュート(黄麻)産業により発展し、ハリーの父もジュート織物工場のオーナーで、ジュート・ビジネスで財をなしていました。ハリーも将来は工場を継ぐものと期待されていました。しかし、ハリーは(そのきっかけは不明ですが)子どもの頃から、「大きくなったら、バーマンになる」と夢を語っていたそうです 【注4】

 10代のハリーが英国でどのような青春期を過ごしたかはよくわかりませんが、ハリーは、夢を実現させようと10代後半で家を出て、フランスへ渡ります。当初は、地中海沿岸の町(French Rivieraというだけで、町の名は不明)で働いたようですが、1910年、20歳の時に、フランス南東部にある有名な温泉保養地・エクス・レ・バン(Aix-les Bains)にある「Casino Bar」という店でバーテンダーとして働き始めています。

 ハリーズ・ニューヨーク・バーのHPによれば、この頃すでに、ハリーの存在は地中海沿岸のバーテンダーの間で評判になっていたといいます。後年発刊された彼のカクテルブック(1919年刊)には、この1910年に考案した初めて(?)のオリジナル・カクテル「ハリーズ・カクテル(Harry’s Cocktail)」 【注5】 が登場しています。Harry's New York Bar.jpg

☆パリで「ニューヨーク・バー」と出合う☆
 そして翌1911年、より大きな活躍の場を求めてパリに出た21歳のハリーは、「ニューヨーク・バー(New York Bar)」という街場のバー= 写真左 =と出合います。オーナーはトッド・スローン( Tod Sloan )という当時有名な米国人の元騎手でした。スローンは禁酒法施行の動きが強まっていた米国に見切りつけ、パリでの新たなビジネスを考えました。そして、ニューヨーク・マンハッタンで自らが営んでいたバーの内装部材をすべて解体し、パリまで運んだのです。「ニューヨーク・バー」という名前の由来はこの徹底ぶりを象徴するものでした。

 スローンに採用されたハリーは「ニューヨーク・バー」で働き始め、バーの顧客に気に入られます。しかしハリーはより大きな世界を見たいと思い、パリを離れる決意をしました。そして翌1912年、米国へ渡り、マンハッタンのプラザホテルのバーで働き始めます。しかし運の悪いことに、国際政治は不安定さを増し、2年後の1914年、ハリー24歳の時、第一次大戦が勃発してしまいます。ハリーは英空軍に志願したため、バーテンダーとしてのキャリアは一時中断することになります。

 大戦は欧州に混乱を巻き起こし、数多くの悲劇や荒廃を生みましたが、一方で戦時需要に伴う好景気をもたらし、ハリーがいなくとも「ニューヨーク・バー」はパリっ子の人気に支えられて、順調に発展していきました。1918年11月、大戦は終結します。しかしハリーは(理由はよく分かりませんが)パリには戻らず、ロンドンの「シローズ・クラブ(Ciro’s Club)」 【注6】 という著名な社交クラブでバーテンダーの仕事を得て働き始めます。

☆最初のカクテルブックを出版☆
 ハリーは翌1919年、28歳の時、最初のカクテルブック(Harry’s ABC of Mixing Cocktails)= 写真右 =を出版。この本は、カクテルの普及、プロ・バーテンダーのレベル向上という点で大きな功績を残しました。また、この年歴史に残るカクテル「ホワイト・レディ」を、「シローズ・クラブ」で考案しています。cover.jpg

 このハリーのカクテルブックは現在まで追補・改訂を重ねるロング・セラーとなっており、洋書を扱う書店で手に入れることができます。そして、少し遅れて1930年に世に出た「サヴォイ・カクテルブック」(ハリー・クラドック著)とともに、今なお、世界中の数多くのバーテンダーにとってはバイブルのような存在となっています。

 「シローズ・クラブ」でもオーナーから高い評価を得たハリーは、同クラブがフランス・ノルマンディー地方の観光地ドゥーヴィル(Deauville)に出した支店の責任者を任されます。しかしハリーの夢はやはり、「自分自身のバーを持つこと」でした。そんな頃、ハリーは、スローンが「ニューヨーク・バー」を売りに出しているという話を耳にします。そしてすぐに決断して、自ら経営権を買い取ったのです。

☆念願かなって、バー・オーナーに☆
 1923年2月、32歳のハリーは念願叶って、「ニューヨーク・バー」のオーナーとなり、店名も「ハリーズ・ニューヨーク・バー」 【注7】 と変更します(今日では「世界で最も有名なバー」という評価を得ています)。そしてこの年、後に店を引き継ぐことになる次男アンドリュー(Andrew)が誕生し、「ハリーズ・ニューヨーク・バー」もさらに順調に発展し続けます。1925年には、後にスタンダードとして人気を集めるカクテル「フレンチ75」 【注8】 を考案・発表します。

 なお、ハリーは今日でもなお高い人気を保ち続けるカクテル「サイド・カー(Sidecar)」の考案者と紹介されることが多いのですが、「Harry's ABC Of Mixing Cocktails」の初版本の「サイドカー」の項で、「ロンドンのバックス・クラブ(The Buck's Club)の人気バーテンダー、マクギャリー(Pat MacGarry)が考案したもの」と記し、自分が考案者であることを否定しています。しかし、「サイドカー」の名を広めて発展させ、その人気を不動のものにしたのは、やはり、ハリー・マッケルホーンであることを疑う人は、現代では皆無でしょう。

【<下>へ続く】


【注1】 標準的なレシピは、サイド・カー: ブランデー30ml、コアントロー15ml、レモンまたはライム・ジュース15ml、 ホワイト・レディ: ジン30ml、ホワイト・キュラソー15ml、レモン・ジュース15ml
 ※ホワイト・レディは、当初マッケルホーンが1919年に考案した際はミント・リキュールがベースだったが、10年後、マッケルホーンはジン・ベースに変えている。一方、サヴォイ・ホテルの名バーテンダー、ハリー・クラドックが1920年に考案したという説もあるが、現在では両者とも考案者とみる見方が主流だ。

【注2】 世界初のカクテルブックは米国のジェリー・トーマスが1862年に著した「How To Mix Drinks」と言われているが、その内容は決して実用的・大衆向けとは言えなかった。バーテンダーの間で一番信頼を勝ち得たのは、やはりマッケルホーンの本や「サヴォイ・カクテルブック」だった。

【注3】 エジンバラの北北東約80kmに位置するスコットランド第4の都市。現在の人口は約15万人。

【注4】 “When I get older, I will be a barman”, so was Harry MacElhone’s dream.(From HP of Harry’s New York Bar)

【注5】 レシピ: ジン60ml、スイート・ベルモット30ml、アブサン2dash、ミント3本(2本はすり潰し、残りの1本は飾り用に)。ロング・スタイルで味わう。

【注6】 「シローズ・クラブ(Ciro's Club)」は、ハリーのカクテルブックの現在販売されている本(追補・改訂版)では一部、「Cairo’s Club」と表記されてところがあるが、誤植であろう。

< 【注7】 住所は、「5 Rue Daunou, 75002, Paris」。フランス語の発音が苦手なアメリカ人旅行客のために、ハリーは、「タクシー運転手には、『Sank Roo Doe Noo』と言いましょう』というキャッチコピーを考案し、パリの新聞広告で使った。 

【注8】 標準的なレシピ: ジン45ml、レモン・ジュース15~20ml、角砂糖(または粉砂糖、シュガー・シロップ)、シャンパン適量

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うらんかんろ

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kopn0822 @ 1929年当時のカポネの年収 (1929年当時) 1ドル=2.5円 10ドル=25円 10…
汪(ワン) @ Re:Bar UK写真日記(74)/3月16日(金)(03/16) お久しぶりです。 お身体は引き続き大切に…

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