Bar UK Official HP & Blog(酒とPianoとエトセトラ)since 2004.11.

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2010/11/30
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【2013年7月13日、内容を全面改訂し、更新しました】

◆バーテンダー三代、バー文化とカクテルの発展に尽くして【<上>から続く】

☆ナチスから逃れて、ロンドンへ☆
 1930年代に入ってドイツではナチスが政権をとり、欧州の政情は再び不安定さを増してきました。1938年、ハリー・マッケルホーンも仏陸軍に動員されたりします。そうした中で翌1939年、16歳となった息子のアンドリューは、49歳の父と一緒に「ハリーズ・ニューヨーク・バー」 【注9】 で働き始めます。Harry 's New York Bar3.gif

 そしてとうとう、戦争が現実のものとなってしまいました。1939年9月、ドイツ軍がポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発。「ニューヨーク・バー」はしばらく営業を続けますが、ナチス・ドイツによるパリ侵攻が迫るにつれて、身の危険を感じたハリー一家は店を閉じて1940年、ロンドンへ移ります(ハリーはこの時、店の酒のストックを場所は不明ですが、「洞窟に隠した」と話しています)。

☆パリ陥落、店はドイツ人が占拠☆
 1940年6月、パリは陥落し、ドイツ軍の手に落ちます。ハリーとアンドリューは、ロンドンの社交クラブ「カフェ・ド・パリ」で職を得て、バーテンダーの仕事を続けます。ハリーはこの頃、「ハリケーン(Hurricane)」 【注10】 という後にスタンダードとなるカクテルも生んでいます( 写真左 Harry's New York BarのHP に描かれている店の正面)。

 しかし、「カフェ・ド・パリ」はドイツ軍のロンドン空襲で破壊され、壊滅します。客や従業員ら約80人が犠牲となりますが、ハリーとアンドリューは奇跡的に無事でした。仕事場を失ったハリーは、リッツ・ホテルに雇われ、1階に「リヴォーリ・バー(Rivoli Bar)」というバーを開きます。

 一方、ハリーの長男ヘンリーは自由フランス軍に参加、アンドリューもバーテンダーの仕事を離れて軍役に就き、英陸軍情報士官としてアフリカやドイツ国内で諜報活動に従事することになります。末娘のパトリシアは米国赤十字社で働き始めました。s-Barflies and Cocktails.jpg

 ヘンリーは従軍中、運悪くドイツ軍の捕虜となりますが、後に捕虜収容所から脱出し、「ニューヨーク・バー」の店舗や、貴重な酒類が無事であることを父に知らせます。ハリーは安堵して、大戦終結後の再開を夢見て、ロンドンで仕事を続けるのです( 写真右 =ハリーが著したもう1冊のカクテルブック「Barflies and Cocktails 300 recipes」(1927年刊))。

☆昔の仲間とともに「ニューヨーク・バー」再開☆
 1945年、第二次大戦が終結。パリ占領中、ニューヨーク・バーを占拠していてドイツ人も去りました。パリ解放の直後、赤十字社から派遣されたパトリシアは、かつてハリーの店で一緒に働いていたフランス人バーテンダーら従業員全員と連絡をとることに成功します。2年後の1947年、ハリーはアンドリューとともにパリに戻り、「ハリーズ・ニューヨーク・バー」をかつての仲間とともに再開します。

 1954年にはアンドリュー(31歳)に長男、ダンカン(Duncan)が誕生。この頃からアンドリューは父に代わって実質、「ニューヨーク・バー」を仕切るようになります。そして、その4年後の1958年、ハリーは68年の激動の生涯を閉じます。店の経営権はアンドリューに受け継がれました。

 アンドリューはその後、「ニューヨーク・バー」のオーナーとして父が残した店をさらに発展させ、ミュンヘンに支店を出すなど経営者としての手腕を発揮しました 【注11】 。一方、50年代後半から70年代にかけて、「ブルー・ラグーン」 【注12】 など数多くのオリジナル・カクテルを生み出します。

☆ハリー&アンドリューの「志」、三代目ダンカンへ☆
 一方、アンドリューの息子・ダンカンは最初は投資関係の仕事に就き、バー経営やバーテンダーの仕事とは距離を保っていました。しかし、理由はよくわかりませんが1984年、30歳の時、それまでの投資の仕事を辞めて、「ニューヨーク・バー」で働き始めます(アンドリューら家族の説得もあったようです)。そして、その4年後の1988年、アンドリューが65歳で引退すると同時に、34歳のダンカンが経営権を引き継ぎます。Harry's New York Bar2.jpg

 アンドリューはその後、店にはタッチしながらも悠々自適の日々を送ったということですが、1996年9月20日、心不全のため亡くなりました。73歳でした。英米の新聞各紙は、アンドリューの死を悼む記事を相次いで掲載しました( 写真左 =Harry's New York Barの店内風景)。

 アンドリューや三代目のダンカンも、ハリーを見習い、数多くのオリジナル・カクテルを考案しました。今も刊行が続くハリーのカクテルブックの改訂版には、アンドリューやダンカンのオリジナルも数多く収録されています。しかし残念ながら、ハリーの残した有名なカクテルに比べると、残念ながら知名度はさほど高くありません。偉大すぎる創業者を持った息子や孫の苦労を思います。

 ダンカンのその後、1990年代半ばまでは、オリジナル・カクテルを発表するなど精力的に活動しましたが、残念なことに98年、肝臓病のために44歳の若さで急逝。妻のイサベル(Isabelle)が急きょオーナーとなり、「ハリーズ・ニューヨーク・バー」を現在まで守り続けています。

 そして、13年後の2011年、嬉しいニュースがありました。11月に「ハリーズ・バー100周年記念パーティー」が開催されたのを機に、亡きダンカンの長男フランツ・アーサー(Franz-Arthur、当時23歳)が、父の遺志を継ぎ、バーテンダーの道に進むことを決めたのです(→  このニュースを伝える英紙の報道 )。この歴史と伝統のある酒場が末永く続いてくれることを、BARファンの一人として願わずにはいられません。 

 <完>


【注9】 イタリア・ベネチアには1931年創業の「ハリーズ・バー」という有名な老舗レストランバーが存在する。こちらの創業者はジュゼッペ・チプリアーニ(Giuseppe Cipriani)で、店名は、バーを任されていた共同経営者のハリー・ピッカーリング(Harry Pikering)の名にちなんだという。こちらのバーもヘミングウェイら米国人に愛されたことで知られている。
 この店はハリー・マッケルホーンの「ハリーズ・ニューヨーク・バー」とは直接の関係もないが、マッケルホーンのカクテルブックの前書きによれば、「ハリーズ・バー」という名前を使うことは了承しているという。なお、本稿では紛らわしいため、マッケルホーンの店の略称は「ハリーズ・バー」とはせず、「ニューヨーク・バー」としている。

【注10】 標準的なレシピ(ステア): ジン3分の2、シェリー3分の1、レモン・ピール

【注11】 「ハリーズ・ニューヨーク・バー」の支店は、店のHPによれば現在、ドイツのベルリン、フランクフルト、ハノーバー、ケルンと、スイスのモントルーの計5カ所にある。かつてミュンヘンにあった支店はいまは存在していないようだ。
 なお、「ハリーズ・バー」を名乗るバーは、【注9】で紹介したベネチアの老舗バー以外にも、ローマ、フレンツェ、ロンドン(3店)、アムステルダム、サンフランシスコ、シンガポール(なんと7店も!)、パース(西オーストラリア)、日本にも存在するが、マッケルホーンのカクテルブックによれば、このうち名前の使用について「ハリーズ・ニューヨーク・バー」の了承をもらっているのはフィレンツェの店だけという。

【注12】 標準的なレシピ(シェイク): ウオッカ、ブルー・キュラソー、レモン・ジュース各3分の1ずつ(クラッシュド・アイスを入れたグラスへ)、レモン&オレンジ・スライス、マラスキーノ・チェリーを飾る。

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うらんかんろ

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kopn0822 @ 1929年当時のカポネの年収 (1929年当時) 1ドル=2.5円 10ドル=25円 10…
汪(ワン) @ Re:Bar UK写真日記(74)/3月16日(金)(03/16) お久しぶりです。 お身体は引き続き大切に…

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