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コロナの影響から番組制作に遅延があったりで、秋クールのテレビ番組はスタートも横並びにならずに話数も短縮だったりと、現場はさぞかし大変なこったろう、と外野は涼しい顔で眺めておるのだが、そーゆーことに起因してんのか判らんが、BSでやってる大好物の「名車再生!クラシックカー・ディーラーズ」が週いちの通常放送に加えて「名車再生(クラシック)」と銘打ったシリーズ初期のエピソードも放送を始めた。まさかの同一シリーズ二段重ね二時間ぶっ通しは、ファンには嬉しいサプライズ。
その通常放送のほうで「フォードエスコートRSコスワース」をやってた。
ランチアが抜けて日本車グループA全盛期に、唯一立ち向かった欧州勢としてもっと人気が出たっていいと思うのに、まったくもって(ミニカー的に)報われないエスコート。そりゃあ日本車最強時代の日本で、正規輸入もされなかったクルマだから人気もへったくれもないのかも知れんが、個人的にはとっても好きなのだよ。
当時、クルマ仲間がセリカGT-FOURやインプWRXを装備しだして、それならばと乗り換えを検討した唯一のラリーベース車。提携つか傘下にあったマツダで買えんじゃないかと期待したんだけど結局輸入は見送られたんでこのハナシは幻に終わり、結果33Rを装備することになったのだった。
イクソ1/43 フォード エスコート RS コスワース “1994年モンテカルロ 優勝”
#6 フランソワ・デルクール
元々、先代フォードシエラのリア羽根が好きで、だけどもレースカーとしちゃあちょっとボディが長いよなぁと思っていたところに、ラリーフィールドに忽然と姿を現した(当時は事前情報なんて仕入れたりしなかったからね)。このちょっと短い、けどシエラよりもよりアグレッシブなリア羽根を持つエスコートには、もう願ったり叶ったり(何が?)。しかもデルクールのドライブでめっちゃ速え。とゆーか、他のどのドライバーよりも唯一デルクールのためのマシンであったよーに思うておる。
デビューイヤーの93年は3勝してランクキング2位。翌年も開幕モンテを制し、今年もイケるぞと思った矢先に好事魔多し。余暇に遊びでドライブしたF40が事故り、あわや両足切断とゆー事態で長期離脱を余儀なくされ、結局94年モンテがWRCでのデルクール最後の勝利となった。
そんな来歴だから、そりゃあミニチュアモデル化もされないよねー。タミヤからはそれなりにプラモが出たけれど、最新のレジンミニカーが欲しいのよ(スパークとしちゃ「これからよ!」ってことなのかもしれないけれど)
そして話は戻るがクラシックカー・ディーラーズ、エスコートの回。
いつもどおり中古を適当な値段で仕入れて、あれこれ技を駆使してリフレッシュ&ブラッシュアップ。うまくいけば儲かるはずです!(決まり文句)とゆー流れのなかで、珍しくMC以外のゲストが登場。なんとこのクルマのデザイナーで、これを皮切りにBMWミニ、マセラティMC12、フェラーリF430、マクラーレンMP4-12Cなどを手掛けることになるフランク・ステファンソンその人。
「リアのデザインには理想があって、もっと良くなるはずだった。ヒコーキ好きなんでフォッカーDR1の三枚翼をリアセクションにブチ込もうと思ったんだけど、採算がとれなかったんで不採用になっちゃったんだ。つまりね、フォッカーDR1の三枚翼を・・・
↑赤い彗星シャア同様に赤い機体で有名な(逆だ)マンフレート・フォン・リヒトホーフェンの愛機
フォッカーDR1(これは緑色やから量産型やね)
その3枚翼を、こんな感じに・・・
↑チャチャっと絵を描くフランク・ステファンソン(さすが)
これがパーフェクト・エスコートだよ」(ここで羽根なんて飾りです、と思っちゃいけない)そんな内輪話を聞かされちゃあ、テレビ番組的には作らんわけにゃあイカンやろってことで・・・
ワンオフで中ウイングを製作。
これによってリアのダウンフォースは11キロ増!ってゆーんだけど、後方視界は最悪だよねえ。まぁ基本前しか見てないラリーなら問題ないだろうけど(笑)。もしもホモロゲ生産車だけでも実際に三枚翼だったら、もっとラリーで勝ててたかなぁ。
フォードのホエール・テール兄弟(笑)
奥のオートアート製エッゲンバーガー・シエラについては こちらをクリック
(9年も前かよ)。当時よく判らなかったこのクルマの出自。「スピードハンターズ」ってゆー外国ウェブサイトの2012年の記事によると・・・
これ(シャシー#99269)は、1989年まで欧州(ETCCとDTM)で走ったあとに、海を渡って青と黄色にリペイントされ全日本ツーリングカー選手権に参戦。
↑寺田陽次郎 / 赤池卓 組のアートネイチャー・シエラ#3号車。真夏の筑波、レース・ド・ニッポンで2位表彰台に上ったりした。(ネットにもっといい画像ねーかなぁと探したけど見つからなくて、結局自分の蔵書から引っ張った)
シーズン終了後にフジモーターミュージアム(原本ママ←バイク博物館だったんじゃ?)に売却されて2002年までモックアップ保存。その後イギリスのコレクターの手に渡って黒赤のテキサコ・リバリーに再々ペイントされた。
それを今度はニュージーランドのフォードディーラーのオーナーが買い取って、お店のショールームに3年間ほど飾ってたんだとさ。そのオーナー氏が飾ってるだけじゃ勿体ないと思い始めて、レーシングカー修復に実績のある地元の会社に頼んで、走れるようにそれこそボルトとナットからリストアした個体である、とゆーことが判明。
だから当時思ってたオフシーズンテスト車両とかってことじゃ全然なくて、なんちゃってレースカーでした、と。(市販車にデカール加工だけ施した所謂レーシングレプリカとは違った意味合いだけどね)。故にゼッケン1にルトヴォッヒ / ソパーって組み合わせもテキトーだった、と。
要はオートアートが細かく考証せずに実車があるからってことで、まんま商品化したってことだね。商品名もRSコスワースってなってるけど、転戦してるうちにRS500に進化してるからそこもまた間違いってわけだよ。
あぁ、9年経って判明したこの事実。ま、長いことやってるとそーゆーこともあるんだねえ(笑)ってか。
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