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今月中ごろにAmazonから案内があって、エドヴァルト・グリーグのペール・ギュントの抜粋版CD(新品)を購入した。価格はなんと425円だった。こんなに安くても送料は無料。エサ-ペッカ・サロネン指揮オスロ・フィルの演奏。派手さはないが、落ち着いた朴訥な演奏。この演奏を聴いていて想い出したのが、かって訪れたノルウエー ロストフスのフィヨルドに面したところに立つホテル「ウーレンスバング」。今でもここだけは名前がすっと出てくるから不思議だ。このホテルに滞在したグリーグはこの場所が大変気に入り、近くに作曲小屋まで建ててしまったほどだった。ここでペール・ギュントの「夜明け」や抒情小曲集の中の私の大好きな「春に寄す」など数曲の曲想を得たと言われている。そのようなことで、私が前に書いた「ウーレンスバング」のブログ記事を思いだし、見てみた。そして、このホテル「ウーレンスバング」の公式ホームページをたどって発見したのがこのトロール・トゥンガの写真。もう見ただけで、ゾッとする。なんと水面から多分1000m以上はある突出した岩の先端に人がまたがっているのだ。凄い写真である。(余談だが、トロール・トンガで検索すると、YouTubeからこの岩の上で側転している動画が出てくる)この岩が「トロール・トゥンガ」。意味はトロール=妖精 トゥンガ=舌。日本でも人気のあったフィンランドの「ムーミン」もこのトロールなのだそうだ。残念ながら、私が参加したツアーではこの岩の話は全然出て来なかったし、旅程にも組まれていなかった。でもノルウエーは良い。このホテル「ウーレンスバング」にはまた行って見たい。ここに数泊して辺りをゆっくり歩きまわり、疲れたらフィヨルドを眺めながらのんびりコーヒーやワインを楽しみたいものである。
2013.02.27
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今、先日銀座の山野楽器店で買ってきたグリーグのピアノ・コンチェルトのCDを聴いている。このCDはグリーグが生まれそして生涯を閉じた地ノールウエイ ベルゲンの、ベルゲン・フィルハーモニック・オーケストラと日本のピアニスト小川典子さんの演奏だ。なんと柔らかい音だろう。なんと伸びやかな音だろう。ピアノはそれ程自己主張することなく、淡々と弾いている感じだ。それがまた良い。この曲を聴くと、特に第1楽章はフィヨルドを船がゆったりと進んで行き、それとともに両岸から流れ落ちる滝を感じてしまう。時が悠然と過ぎていく様、そして雄大な自然に溶け込んでいる様を曲がよく現している気がする。グリーグが愛した奥地のロフトフス、この地で彼は叙情小曲集の中の有名な「春に寄す」や「ホルベルグ」組曲、ペールギュントの付随音楽の中の「朝(夜明け)」、弦楽四重奏曲ト短調などの楽想を得たといわれている。ここのフィヨルドの岸に立つと、春には、陽光が周りの雪に映えて、きらきらと輝きフィヨルドの上をあちこち動き回るのではないかなと感じてしまうのだった。ちょうど「春に寄す」はそんな情景を現しているのではないかなと思ったのだ。3年前の旅行では夕方到着し、明くる朝早く出発してしまったが、この次は2~3日ゆったり再びここホテル ウーレンスバングで過ごせたら良いなと思うのだが、果たして実現できるか。
2007.08.17
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先週の土曜日、横浜高島屋へ出かけた。外商からプレゼントを差し上げますというので、それに釣られて行ったわけだが帰りに家庭用品売り場のそばをぶらりと通った。なかなか素敵なものが置いてある。さすがデパート。ノルウエーのホテルで朝食の時に見た、ブラウンチーズなどを削るスライサーもちゃんと置いてある。しかも刃の出具合もダイアルで調整可能。感心しながら見ていると、ふと別の棚に家にあるのと同じような商品が置いてある。なんと昨年ヘルシンキの波止場のオールドマーケットホールで買ったウサギの胡椒挽き・岩塩挽きがあるではないか。一瞬家内と「あれ! 同じものじゃない?」と言い合う。そうなんです。全く同じものだったんです。いや~! ヘルシンキで買って来たって威張れないジャン! 日本でも買えるんだ!そしてもっと驚いたことにそのミニ・バージョンも置いてあった。これはヘルシンキにはなかったぞ!昨年岩塩挽きを娘におみやげにしたので、今回はそのミニの胡椒挽きを贈ってやることにした。可愛いミニ・ウサギさん。1,050円也。
2005.11.01
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ホテルよりバスで市内に向かう。残念ながらチボリ公園は9月一杯で閉園。バスから中を垣間見るだけ。車上から市庁舎や昔の連隊宿舎などを見て、人魚姫の像の広場で下車。ここの広場にはいろいろな彫刻像が置いてある。人魚姫は逆光で見にくかったが、なにか悲しい顔だった。ゲフィヨンの噴水へ行く。そのそばの教会聖アルバニ教会だろうか、石造りの建物が素晴らしい。再び車上の人となりアメリエンボー宮殿に向かう。途中、きれいなそして可愛い洋品店が見える。個性的な建物。その右側の家も可愛らしい。宮殿手前の駐車場から海岸ふちの道路を歩く。対岸に大きな建物が見える。ガイドの説明では新しいコペンハーゲンのオペラ座(The Opraen)とのこと。しかも、世界最大の海運会社マースクラインの会長の個人的な寄付で建設されているとの説明にびっくり。スケールが大きいねぇ!設計はたしかあのシドニーのコンサートホール(オレンジの皮をむいて、中の袋を立ち上げたような形の)を設計した人とか? これはうろ覚えの情報です。もっとも日本でもつい最近、自分の退職金で軽井沢にコンサートホールを建設し、同町に寄付した方もいる。 元ソニー会長(現名誉会長)の大賀 典雄氏だ。アメリエンボー宮殿ではイケメンの衛兵さんに向かってオバサン連中が突進。記念撮影に余念がない。割合質素な宮殿のように感じた。銅像は立派だ。王宮の向こうには荘厳なフレデリクス教会が見える。このあと、ニューハウン(Nyhavn canal)に向かう。自由行動。ここはよく絵画や写真のモチーフになる場所。船着場でもあるので、周辺はややいかがわしい看板がでている店も散見する。ニューハウンの片隅にレンタル自転車のコーナーがあった。しゃれたデザインのホイールが付いている。多分これは街中のどこへでも乗り捨てが出来るのではないかと思う。一目でレンタルと分かるので。そして、これを収集する専門の職業があるのではないかと思うがどうであろうか?昼食を「Backstage」レストランでとる。ここはすごく大きなデパートのような感じ。レストランへ行く途中の廊下の壁に演奏会のポスターがずらりと並んでいた。ウイーンフィルのものがあった。亡きバーンスタイン指揮の1971年3月16日の演奏会。出し物はハイドンの交響曲103番、ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調、シューマンの交響曲第4番となっている。ポスターの真ん中に大きくウインフィルハーモニカーと出ている。どこへ行ってもやはりビッグネームなのだ。その隣のポスターはト音記号をあしらったデザインで、なかなかおしゃれ。昼食後、真っ直ぐ空港へ。空港ロビーでは日本に演奏旅行する「フレデリクスベルグ教会青少年合唱団(Frederiksberg Kirkes Borne & Ungdomskor)」の「行って来ます」演奏が行われていた。演奏に思わず「ブラボー」を! ミーハーですね~。 皆、嬉しそうに笑っていた。演奏後は見送りに来た人とお別れのキスをして、搭乗ゲートへと消えた。(合唱団は札幌でホームステイし、10月8日札幌市共済ホールで演奏会が行われた模様)ヘルシンキ乗り継ぎで成田へ。ヘルシンキの搭乗待合場はみやげ品店が少ない。一旦イミグレーションを出ないとあのにぎやかな空港商店街には行けず、時間がなくてあてにしていたおみやげを買い損なってしまった。以上が昨2004年10月6日コペンハーゲン一寸見の記録でした。写真付きはこちらでどうぞ。
2005.10.25
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2004年10月5日、ノルウエー ベルゲンからデンマーク コペンハーゲン着。Radison SAS Scandinavia Hotel Copenhagen に宿泊。道路(Amager Boulvard)側の部屋だったので、ダウンタウン方面の夜景が綺麗に見えた。あくる朝、窓から外を見ると池を挟んだ向こう側に捻じれている尖塔が見える(池だと思ったが、実は海につながっているようだ)。丁度芝生に良く出るネジバナのような感じ。早めに食事を済ませ(大体いつも一番ぐらいにレストランに行く)、出発までの間の時間を有効活用して、その尖塔(教会)まで探検することにした。木の橋を渡った先の林には赤い実をつけた木が沢山ある。食べられそうだ。しかし、お腹でもこわしたらいけないと自重する。林(公園?)を突っ切ると町並みに出る。たしか日本人の名前が出ていた家があったと思う。一寸行くとアパートだろうか、その建物の壁に蔦が緑、黄、赤と紅葉までのプロセスがわかるような格好で取り付いていた。綺麗だ。見事だった(これについては2日前のブログで紹介)。捻じれの尖塔をめがけてなおも歩く。 結構な距離だ。やがてまん前に到着。しかし教会の名前はわからない。読めない。あとで案内書で調べると「救世主教会(Vor Frelsers kirke)」とあった。Prinsessegadeという通りに面しているようだ(これも後で調べた結果)。何かお姫様に関係があるのだろうか?捻じれているように見えたのは、尖塔の外側につけられた螺旋階段だった。時間が気になるので、教会探検はこれまでとし、行きと違う道を帰り道に選ぶ。Neden Vandetという道路なのか、運河なのか分からないが、ともかく運河沿いの道を通って帰りにつく。向こうから作業船がやってきた。キャビンの中には中高年の夫婦が乗って操舵している。カメラを向ける。なんとキャビンの中の旦那のほうが手を振ってくれた。気さくな人だ。 こちらもそれに応えて手を振る。朝早くから仕事に出て行く働き者だ。振り返ると運河沿いの建物がとても綺麗。よく写真や絵の題材となるニューハウンと似ている。このあと、大通りを横断するが、もう自転車をこいだ通勤者が続々と現れた。また、この時期、遠足が多いのか朝早くから小学生の一団が先生に付き添われてどこかへ行くようである。 また、イスラムの人も見かけられた。例の林の中の道路ではジョギングする人も見える。やはり歩いてみると印象が深く刻まれる。かれこれ2時間程度の面白い散歩だった。写真付きはこちら。
2005.10.18
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日本は今もみじの真っ盛り。外国は黄葉が多いのだが、きれいな紅葉を想い出してみた。最初に感銘を受けたのは、イギリス オックスフォード大学のクライストチャーチ校、石造りの校舎にからまった蔦が見事に紅葉していた。まだ、緑のところもありそれとの対比がまた素晴らしかった(2003年10月)。翌日、チャーチルが生まれたウッドストックのブレナム宮殿へ行った。まずその広大なしかも手入れの行き届いた敷地に眼を奪われる。宮殿を囲む外塀にからんだ蔦がきれいだった。数日後湖水地方からコッツウオルズに行く途中バイブリー村を少し過ぎたあたり、民家の入り口のこれはナナカマドであろうか、あまりのきれいさに思わずバスの中からシャッターを切った。昨年10月、北欧旅行での最後の国デンマーク。コペンハーゲンで朝散歩がてらホテルから螺旋状にねじれた教会を見に行ったかえり、見事な紅葉に出会った。アパートの壁に緑、黄、赤と紅葉のプロセスがみごとに演出されていた。この時期、学校では遠足が多いようである。ダウンタウンで中学生の一団が通っていた道路沿いの博物館の塀にも紅葉が見られた。2003年6月、ニュージーランド南島のクライストチャーチ。ここは上述のクライストチャーチ校の出身者が町を開発したことで、この名前になったとのことである。ここある私設の公園モナベールのレストラン(元はここの女主人の住居とか)の片隅の木が紅葉の真っ盛りだった。ちょっと褐色ぽいので紅葉というには苦しいかな。この公園の中はエイボン川が静かに流れ、木々の影が川面に写り、水鳥も憩う平和そのものの感じだった。写真付きはこちら。
2005.10.16
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ホテル ウーレンスバングでの朝食も豪華だった。やはりビュッフェスタイル。オスロのラディソン・スカンジナヴィアで食べた「ブラウンチーズ」が、ここでは綺麗にスライスされ、あいだには紙がきちんと入っていて1枚1枚が取りやすくなっていた。毎度のことながらたっぷり食べて一日の活動に備える。8時にホテル出発。昨日来た道を引き返し、ハルダンゲルフィヨルドの渡し場ブリムネスへ。船はまだ着いていない。空は曇っている。と一瞬、光が対岸の黒い山肌を走った。しばらくすると遠くの雪を頂いた山にも光が届き始めた。対岸のブルラヴィークよりハルダンゲンルフィヨルド沿いにノルウエー第2の都市ベルゲンに向かう。途中添乗員よりこの地域の木材で作られるヴァイオリンが有名である旨の説明があった。そういえば昨晩ホテルの展示場の1つに、変わった木材で作られている綺麗なヴァイオリンがあった。ただこれはなにかデモンストレーションで置いてあり、実用のものではないのではないかと思ったので余り気に留めていなかった。そうだったらもっと良く見ておいたのに。残念。空はどんより曇ってきた。そのなか松島のような感じのところが見えてきた。墨絵のようだ。また、明るくなって、きれいな町が対岸に見えてくる。だいぶベルゲンに近づいてきたあたりで、道路の右側に水量豊富な、見事な滝が現れた。「スティンダールの滝」だ。なかなか迫力がある。しかし、そばでは羊がのんびりと草を食んでいる。なかなか絵になる。滝の向かって右手には、落ち口への道が付いている。登ってみた。丁度滝の裏側に出る。日本でいう裏見の滝。ものすごい水量だ。下を見ると、二手に分かれてとうとうと流れる小川、その脇にはお伽の国のような可愛い家が望める。ベルゲンは雨だった。結構な降りだ。楽しみにしていた自由時間でのフロイエン登山もこれではだめ。すっかり諦め、昼食後世界遺産のブリッゲン地区を見学する。港に面している木造のかっての倉庫群だそうだ。世界遺産に登録されている。現在では、木造を遺したまま、デザインスタジオやレストランなど各種の店が入居している。ハンザ同盟時代の像も修復されている。折角ベルゲンに来たのだから、トロールハウゲンに行きたかった。ここはグリーグが住んでいたところで、その家が現在博物館になって一般に公開されている。彼は晩年ここからフィヨルドを見下ろしながら、作曲していたとのこと。添乗員にベルゲンへ行く途中、ちょっと寄ってもらえないかと頼んだが、時間がないとのことでこれも断念。そんなことでベルゲンに未練を残しながら、16時15分、今日の宿泊地コペンハーゲンへと飛び立った。写真付きは こちら。
2005.10.12
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2004年10月4日。今日の宿泊はロフトフスのホテル ウーレンスバング。このホテルはハンス・ウトネが1846年に建てたもの。その後幾度か改修・増築がなされ写真(ホームページより借用)のような大きな立派な施設になっている。45万本もの果樹園も併せ持っているとのこと。このホテルでの有名な宿泊人はエドバルド・グリーグ。あの作曲家グリーグだ。彼は1878年初めてこのホテルに宿泊。以後数年にわたり、このロフトフスで夏の時期と一冬を過ごしたとのこと。彼はいたくこの地が気に入り、このホテルのそばに作曲小屋を建て、作曲に専念したようだ。ただ作曲中に誰かがこの小屋に近づくとピアノを弾くのを止め、聴かせなかったそうだ。叙情小曲集の中の有名な「春に寄す」、「ホルベルグ」組曲、ペールギュントの付随音楽の中の「朝(夜明け)」や弦楽四重奏曲ト短調などの楽想はこの地で得たといわれている。清潔で品格の高いホテルだ。そしてコンシェルジェの席には、ここのオーナーと思われる品の良い老婆がきちんと正座していた。夕食後、このホテルに移設された例の作曲小屋を見ようと思って、その人に声をかけたところわざわざ席を立って途中まで案内してくれた。歩き方から見て90歳はとうに越えている年齢ではないかと感じた。作曲小屋は小さいもので、アプライトピアノが1台が置かれており、人が2,3人入ったら一杯になるような感じだった。作曲小屋の隣にはグリーグ一家の像が建っていた。ホテル内には、いろいろな展示がされており、そのなかにグリーグのコーナーも設けられている。自筆のサインと思われるものが入っている彼の写真もあった。ロビーにはノルウエーのトロール人形が愛嬌をふりまいていた。また調度品もノルウエーのクラシックな豪華なものが展示されていた。壁に掛けられた写真は創業者ハンス・ウトネと思われる。夕食はビュッフェスタイル。種類が多く豪華な食事。山海の珍味という感じ。初体験のトナカイの肉。さっぱりした味わいだった。今回は夕方遅く着いて、あくる朝早くの出発で短い滞在だったが、またいつの日か訪れたい。グリーグ ファン必見の場所だと思う。写真入りはこちら。
2005.10.10
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フロムの波止場の直ぐ横、まさに目と鼻の先がフロム鉄道の終点フロム駅だ昼食後、14:50分フロム鉄道の旅に出る。海抜2mのフロムから同860mのミュルダールまでの約1時間だ。フロム渓谷の景観。お伽の国を思わせるようなのどかな風景。はたまた錦秋の世界。そして滝、滝、滝。なかでも圧巻は落差93mのショス滝。木造のプラットホームの直ぐまん前が滝だ。列車はここで写真タイム停車。10分近く停車したであろうか、みな写真を撮り終えた頃を見計らって乗務員がホームに降り、ゆっくりと客を車内に誘導。粋な取り計らいだ。ミュルダールよりヴォスまでは1駅だが特急に乗る。今度は紅葉の世界だ。針葉樹の林が続く。ヴォスからは再びバスで移動。途中車窓からのシェルベの滝が圧巻だった。ハルダンゲルフィヨルドが見えてくると、ブルラヴィークの渡し場。対岸からやってきたカーフェリーにバスごと乗車し、対岸のブリムネスに到着。約30分で今日の宿泊地ロストフースの有名なウースヴァングホテルに到着した。すごーく 変化に富んだ一日だった。写真付きはこちらを見て下さい。
2005.10.08
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昨夜は夕食の後、ここのホテル(リンドストローム)の主人がキーボード(日本製)で伴奏する生カラオケ?で、コーヒーを飲みながらみな楽しんだ。私も荒城の月を歌ってしまった。ここの主人は音楽好きで、MIDI楽器・装置がキーボードの周りにずらりと並んでいた。従業員に日本人の若い女性が1人いた。ノルウエーが気に入り、こちらに来ているとのこと。朝、食事の前に散歩する。まだ薄暗い。近くには小規模のホテルが数軒あった。また、民家の庭に必ずといって良い位リンゴの木が植えられており、赤い実が沢山付いていた。 ただし、実は小型。しかし、リンゴのパイや料理を作るときは、すぐ新鮮なものが使えていいなとクイシンボの私は思ったものだ。フィヨルドから人工的に作られたと思われる入り江のそばに古びた漁師小屋が建っていた。実に古そうな渋い建物。よく洋画のモチーフに使われるような姿。端には新しい倉庫が作られており、その対比がまた面白い。入り江の水の上を数羽の鴨がのんびりと泳いでいる。フィヨルドを見たくて、一直線に向かう。海のそばはものすごい風だ。吹き飛ばされそう。時折小石まじりの砂が飛んでくる。空はどんより。今日は晴天は望めそうにない感じ。そうそうに退散。このホテルは150年余りの歴史のあるホテルとのことだが、我々が泊まったところは新しい建物のようだ。よく写真に出てくる歴史的な建物は横の道路を挟んだ向かいにあり、現在は使われていない感じだった。このホテルはWebで調べると一軒家で周りには何もないように思われたが、直ぐ横にコンビニ風の小型スーパーが、まん前にはGMSの大型スーパーがあり、便利だった。10時に出発。途中ノルウエーで一番長い全長24.5Kmのラルダールトンネルを通ってグドヴァンゲンへ。ここからいよいよソグネフィヨルドの支流となるネーロイフィヨルドとアウルランフィヨルドのクルーズに出発。両岸は切り立った岩壁。後ろを見ると雪を頂いた山が連なっている。時折勾配がゆるくなっている地形に民家が見える。滝はもういたるところにあり、その水は滔々とフィヨルドにそそがれている。民家のそばにも滝があり、さぞかし陰イオンが豊富で長生きできることだろう。途中で一箇所立ち寄り、乗客を拾う。船はやがてアウルランフィヨルドに入って行った。かなり大きな集落が見えてきた。13時半、終点のフロムに到着、下船。昼食はホテルでフォーリコール(羊肉とキャベツの煮込み)を食べる。この後、14時50分発の列車でミュルダールへ向かう。
2005.10.06
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オスロからホネフォスを経てクローデン湖畔のドライブインでトイレ休憩。このドライブインは屋根の上に草が生えている日本で言えば苔むす家。中はすごい混雑。今日は何か連休の終わりにあたり、混んでいるとのことだった。そう言えば、途中オスロに向かう車とひっきりなしにすれ違った。ここからさらに高度を上げて行く。周りの山々の黄葉が段々眼につくようになってきた。途中、高原のようなところで、川沿いの並木の黄葉が鏡のようなみなもに綺麗に映えて、それはそれは素晴らしい光景に出会った。さらに高度を上げ最高点の1137mの峠にさしかかる頃は、回りも道路も雪の中だった。驚くことに、この付近にも民家が沢山あること。それらは別荘のようだ。一旦高度を下げる。このあたりの山々にはいたるところに滝が懸かっている。滝は山のてっぺんから流れ落ちてくるように見える。すごい高度差だ。もったいない話だが、滝は見飽きるほど随所に現れる。やがて、ボルグンのスターブ教会へ到着。ここで写真休憩し、18時ラールダールのリンドストロームホテルに到着した。ホテルの窓からは夕日に映える山々が美しかった。
2005.10.05
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昨年の10月初旬ノルウエー訪問。宿泊したホテルの直ぐそばが王宮だった。朝食前に散歩がてら行ってみる。朝日に映える王宮だった。王宮といっても外観は割合質素な感じ。しかし衛兵所は表側には3ヶ所あって衛兵がしっかり守っていた。ホテルの朝食はビュッフェスタイルで豪華。特に野菜が新鮮で甘みがあり、厚みがあってとてもおいしい。ふとみるとチョコレート色した四角い塊がある。メードに聞くと「ブラウンチーズ」だとのこと。親切にもそばにあった専用のスクレーパーで均等の厚さに削ってくれた。うーん! 甘みがあってちょっと変わった味。今度は自分で削ってみる。が、なかなか彼女がやってくれたようにはうまく削れない。ともかく厚みの不揃いなチーズを食する。あとで聞いたところによると、これは動物の血で作ったチーズで、ノルウエーに来たら必食のものだそうだ。 トナカイの血かもしれないし、あまり食べると鼻血ブーになるので、薄く削るのかもしれない。どなたか教えて。このあと、バスで郊外のフログネル公園に向かう。ここは彫刻家グスタフ・ヴィーゲランの作品を公園内各所に配置した野外美術園。人間が生まれてから死ぬまでの一生におけるいろいろな局面・生態を、彼独自の表現で表わしている。作品に対する解説は一切ない(拒否したとのこと)。この中でもっとも人気のあるのが、癇癪をおこしている「おこりんぼう」だそうだ。次に、ヴァイキング船博物館へ行く。1904年に発掘された、800年代に使用された女王の船を中心に展示。この船は女王の遺体と共に埋葬されたもの。豪華な副葬品も別室に展示されていた。ヴァイキング船はこれを含めて3艘展示されている。昼食はオスロ中央駅の中にあるレストランで済ませる。中央駅の片隅に、面白いオブジェを発見。雨脚が少し強くなってきた。今日の目的地ラールダールに向けて、バスは出発。
2005.10.04
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丁度1年前の今日、ストックホルムに着いた。前日の夕方、ヘルシンキ港からシリヤラインの大型クルーザーで出発。ストックホルムには朝9時半に到着、16時間強の船旅。バスで市内に向かう。先ずはリッダーホルメン島へ行く。メーラレン湖を通して市庁舎を望む。さらに南のセーデルマルム島のフィエルガータン展望台よりガラムスタン(旧市街)を望む。その後、市庁舎へ。毎年ノーベル賞授賞式が行われる市庁舎では青の間(ノーベル賞晩餐会会場)→黄金の間(ノーベル賞舞踏会会場)→議会場(意外と狭い、しかし天井はヴァイキングルネサンス様式といわれる木組みのもの、素晴らしい)→結婚式の間(豪華なタペストリが見事)→広間(彫刻された壁やシャンデリヤがまた素晴らしいの一語)。黄金の間は壁面が1900万枚の金箔モザイクで飾られているそうで、豪華絢爛そのもの、圧倒される。この市庁舎は北欧中世風のデザインで、1911~23年にかけて建築されたもの。全体が赤レンガで覆われており、様式はナショナルロマンとのこと。壁の一部はすでにつたに覆われていた。裏庭はメーラレン湖に面していて眺めが良く、憩いを感ずる場所になっている。出口にあるゴミ箱とタバコの灰皿がきれいにデコレーションされていたのがとても印象的だった。この後、ガラムスタン(旧市街)へ行く。ぶらぶら歩いて、王宮の周りを見学。昼食後、自由時間にデパートのDKへ行ってみる。ものすごい人ごみ。デザインの良い商品は多いが、お値段も高い。そこそこにして、王立公園を通り王立オペラ座へ向かう。集合場所のDK前に向かうが途中「ROPPONGI」というハンバーガーショップ風のすし屋があった。結構人が入っている。スエーデンでも寿司が人気になっているのだろうか。DKデパートに出る手前の交差点にあるハンバーガーショップで若いおねえさんが、小旗やメニューを配っていた。お願いして写真を撮らせてもらう。とても素直に応じてくれ、にっこり笑ってポーズをとってくれた。いやー、素朴でいい感じ。そして、撮り終ると二人が同時にくるりときびすを返して、店内に向かってゆっくりと帰って行った。その姿はなんともゆったりとしていて優雅なものだった。まだ時間があったので、文化会館のあるセルゲル広場まで行ってみる。広場は道路から数メートル下がっており、見下ろすことができる。三角モザイク張りの広場の上で、若い連中がロックを演奏していた。これを見る人、演奏に背を向けてケイタイで写真を撮っている女の子のグループ、邪魔だ邪魔だといわんばかりに人混みをわけてつっきっていく人、いろいろな人間模様が面白かった。このあと、ノルウエイのオスロに向かって飛び立つ。きっと、オスロの方が宿泊費が安いのであろう。
2005.10.02
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ヘルシンキからスエーデンの首都ストックホルムへは シリア ライン(SILJA Line) のフェリーボートを使った。フェリーといっても実質はクルーザー。なかなかの豪華船。 シリア ライン http://www.interq.or.jp/white/ishiyama/column31.htm を参照あれ(日本語の解説)。その日の運行は「Symphony」号だった。全長:203m、最高速度:21.5ノット、 収容乗客数:2852名、 船室:986室、 収容車輌数:350台。65,000トンの船ということだが公式ページにその記述はないようだ。 詳しくは http://www.silja.fi/FLEET/ より Silja Symphony の写真をクリックしてください(英語版)。ヘルシンキを夕方17時に出航。今夜はこの船で一泊。部屋はツアーの広告どおり「海の見える部屋(Seaside)」だ。(上のSilja Symphonyのページの右側にある「Cabin」を選んでください)上部デッキに上がると、ヘルシンキの町が一望出来る。きれいだ。驚いたことに、ヘルシンキ港外には海抜2~3mの小さな島が一杯あり、そこに家が建っている。人が住んでいるのか、ビーチハウスとして使っているのか分からないが、生活臭は出ている。バルト海は波穏やか。静かな海だ。やがて日没。太陽が刻一刻とバルト海に沈んでいく。まさに黄金の時間。食事は スモーガーズボードSmorgasbord(ビュッフェスタイル)。飲み放題 かつ 食べ放題。飲み物(勿論ビール、ワイン、ウイスキー、ブランデーなどアルコールのほかソフトドリンクも用意)。ビール、ワインなどは専用のサーバーのところへ行き、グラスに注ぐ。食べ物も肉類、魚介類、チーズなどすごく種類が豊富だった。デザートも!このレストランの1つ上のメインデッキにはワインバーやレストランがあり、そこも結構な賑わいだった。大きな免税店が船内にある。またまた驚いたことに、多くの乗客がカートン単位でビールやワインを買い求めていたことだ。なるほど北欧のどこの国も15%程度の付加価値税が課せられている。免税はビッグチャンスなのだ。ジャグジもあったが、どこも多勢の人であふれており、とても割って入る勇気はなかった。夜中に途中の島に立ち寄ってまた出航。かくして朝もやの立ち込めるストックホルム湾に入り、船内でビュッフェスタイルの朝食を済ませ、予定通り9時半にスエーデンの土地を踏んだ。静かな そして 穏やかな航海だった。
2005.08.23
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宿泊したホテルはヘルシンキ中央駅のすぐそばの「ラディソンSASプラザ」だった。朝、植物園の前庭の公園を散歩、その後きびすを返して中央駅の方へ足を向ける。と銅像が眼に入った。 誰だろう? 何だろう? 通りを歩いている通勤者とおぼしき人を捕まえて尋ねるが「すみません。分かりません」との答え。ただ、その後ろの建物が素晴らしい。 均整の取れた姿、色彩も美しい。丁度我々のホテルの隣に当るようだ。これは「フィンランド国立劇場」だった。やはり国立にふさわしい格調高い建築だ。そして後で調べた結果分かったことだが、銅像は「アレクシス・キヴィ (Aleksis Kivi, 1834-1872) 」というフィンランド語文学の基礎を築いた作家だった。彼の代表作は『七人兄弟』で、これはフィンランド語で書かれた最初の戯曲とのこと(http://www.kmatsum.info/suomi/finnfoto/kivi.html (アレクシス・キヴィ) による)。ヘルシンキ中央駅は半円形のファサードで両側には地球儀と思われる丸いものを持った巨人が2体ずつ配置されており、ヘルシンキの玄関にふさわしい姿を見せている。駅前は人と車でごった返していた。午後駅の中を通って見た。西ヨーロッパでは中央駅周辺は治安が余りよくないというのが通説だが、ここはそのようなことは感じられなかった。その後、駅前のスーパーによる。たしかストックマンというデパートの地下だったと思う。商品はかなり豊富だった。ホテルに帰ってから、「木彫りの彫刻があったけど見ました?」とツアーの人に言われたのでまた植物園の公園に行ってみた。素朴な丸木に彫刻した作品で、作家の銘板が下に張られていた。一寸離れた噴水のそばにもう1体の彫刻が置かれたいた。
2005.08.13
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オリンピック・スタジアムから南西1Kmぐらいのところにフィンランドの英雄的作曲家ヤン・シベリウスの名を冠したシベリウス公園がある。正面中央の小高いところには1967年(シベリウスの死後10年目)にエイラ・ヒルトゥネンという女流彫刻家が制作したというステンレス・パイプのモニュメントがある。この彫刻家がシベリウスの何に想を得てこのようなパイプのオブジェを作ったのかは私は知らない。 オルガンの曲だったのかもしれないし、宗教曲だったのかもしれない。しかし、私がこれを見て浮かんできたのは、かの有名なシベリウスの交響曲第2番の第1楽章の冒頭だった。あの弦の刻む細かい音のリズム、それに続く木管そして金管の刻むリズムが何か人を招き寄せるように出ているようだった。事実、人々は一様にダーとあのモニュメントを目指して各方向から歩いて行くではないか。私が後で知ったことだが、パイプの1本1本に細かな彫刻が施されているとのこと。そうだったらもっとよく見ておいたのに。残念!このオブジェの右側の大きな岩の上には、シベリウスの巨大なマスクが置かれていた。 銀色に輝くそのマスクは日の光を反射しとてもまぶしかった。
2005.08.12
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現在世界陸上選手権がヘルシンキで開かれているが、その会場がオリンピックスタジアムだ。スタジアムは1952年のヘルシンキ・オリンピック大会のために建造されたもの。このオリンピックではチェコのザトペックが5000m、10000m、マラソンで優勝、3冠に輝いた。ここに昨年の秋訪れた。 このスタジアムは高さ72mのタワーを脇にもった競技場で、入り口にはパーヴォ・ヌルミのランニング中の銅像が建っている。この人は1920年のアントワープ大会、24年のパリ大会、28年のアムステルダム大会で合計9個の金メダルを獲得したフィンランドの英雄。ここでしばし記念撮影。ただこの場所は自動車や自転車が頻繁に通る道路に面している。注意が必要。特に自転車に注意。歩道寄りに自転車専用道路があり、かなりのスピードで飛ばしてくる。 この専用道路内で歩行者が自転車と接触した場合は、歩行者の一方的な過失と判断され責任を負わせられるとのことであった。要注意!!この銅像からスタジアムまで数100mゆるやかなのぼり坂を歩いて行く。建物内を見学。ただし競技場には下りられなかった。このスタジアムはダウンタウンの北方の郊外にあり、周りは木々のみどりに覆われ、さわやかな、とても気持ちの良いところであった。
2005.08.10
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ヘルシンキの青空市場-マーケット広場-の南、港をぐるりと回ったところにオールドマーケットホール(室内市場)がある。この建物の外観はお伽の国ではないかと思わせるようにきれい。中もこじんまりしたきれいなお店が一杯並んでいる。ここでコケモモ(リンゴンベリー)のジャムを買う。砂糖入りで甘いのと、全く砂糖の入っていない酸っぱいのと2種類ゲット。中をぐるりと回ってきたところで可愛いいものを見つけた。うさぎの形をしたプラスチックのコショー挽き。下の写真を見てください(下に敷いてあるのはユーロの貨幣)。ウサギの耳を握ぎるとパラパラと下から挽かれた黒コショウが出てくる仕掛け。使いやすいし、面白いデザイン。やはり北欧ならではのデザインだ。黒ウサギと白ウサギの2種類あった。白の中味は岩塩。いざ、買おうと思ったら店の人がいない。隣の店にたづねてもどこへ行ったかわからないという。さんざん探し回っていたら、市場の中にあるキャフェからのこのこ出てきた。2種類買って、白は北欧の家庭用品が欲しいと言っていた娘へのおみやげ。ちなみにお値段は黒コショウがフルに入って1個 14.9ユーロ プラス15%の付加価値税だった。 娘に大変喜ばれた。
2005.08.09
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ノルウエーの首都オスロから北西へ300Kmぐらいのところにボルグンという村がある。今日の宿泊地ラールダール(世界最長といわれるソグネフィヨルドの最奥の町)の少し手前だ。ここに1150年に建てられたというスターヴ教会がある。茶色の木造の教会で、そして興味をそそるのはヴァイキングの魔よけの竜が屋根に4体取り付けられていることだ。ヴァイキング達は西ヨーロッパへ遠征し、そこで逆にキリスト教に帰依して帰国し教会を建設したとの説明であった。一神教であるキリスト教の教会に魔よけの竜がついているということが面白かった。どこかのWebsiteに、日本でキリスト教が普及する過程で観音様とマリア様が合体したような感覚かもしれない と書いてあった。教会の周りには数多くのお墓があったが、村の人が亡くなるとここに埋葬されるのであろう。スターヴ教会は1100年から1300年ごろにわたって建設され、ノルウエーには1000程あったといわれているが、現存するのは30足らずとのことである。このボルグンのスターヴ教会はその一つ。非常に貴重な遺産である。なおスターヴ教会の詳細は下のsiteをどうぞ(日本語の解説です)。Norway - the official site in Japan -
2005.08.07
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フィンランド ヘルシンキ大聖堂のただずまいはモンマルトルのサクレ・クール寺院とよく似ている。 モンマルトル程ではないが、やはり階段を登った小高いところにある。この上から人々が遠くを見ている様はサクレ・クールとそっくりだ。ただ残念ながらこの大聖堂の中へは入らなかった(入るのを忘れていた)。なお、大聖堂の真向かい(市電をはさんで)には、日本人が経営しているムーミングッズを売っているおみやげ屋さんがあった。孫たち用にムーミンのマグカップ、ムーミンの可愛いバッジ、ムーミン柄のキシリトール・チュウインガムなどを仕入れる。ここから港のそばの海沿いにある青空市場に向かう。野菜や果物が豊富だ。 日本でいうコケモモも沢山出ている。こちらではリンゴンベリーという。 こちらの人は大きな升で計って買っていく。試食させてもらう。甘酸っぱいのは変わりないが、日本の物と比べて香りが少ない感じ。大味だ。お腹がすいたので、屋台でフライにした魚を挟んだホットドッグ風のパンを食べる。フライに独特のソースがかけてありおいしかった!ぶらぶら歩いていると木彫りの熊を作っているおじさんに出会った。可愛い熊たちだ。写真を撮らせて貰ったお礼に1個買う。熊の足の裏には国名(Finland)と年号、製作者のサインが彫られていた。
2005.07.30
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昨年(2004年)ストックホルムを訪れた。夕方フィンランドのヘルシンキから65000トンの客船に乗り、朝ストックホルムに着く。海に沈んでいく夕日を眺めながらのバルト海の航海もいいものだ。王宮のあるガムラ・スタンのほぼ向かい、ノール運河をはさんでオペラハウスの側面が見える。午後の自由時間に行くことにした。一旦海岸へ出て、オペラ座へと歩いていく。 今日は「カルメン」の公演があり、ぽつりぽつりと人が集まり、ファサードの中へと入っていく。私たち夫婦も中へ入ってみた。内部の中央より少し左寄りのところに丸い囲いのある切符売り場があり、当日売りを買っている人もいるようだった。 切符を売っている若い女性に「中の写真を写してよいか?」と訊く。「どこを」というので「ここの場所」とファサードの内側を指し示す。「どうぞ、どうぞ、この中ならどこを写してもいいです」との返事。そしてさっと劇場のパンフレット(英語版)を渡してくれた。大感激! 家内と「良かったね」とうなずきあう。日本と違って、このような役割の女性でも自分の責任と権限を良くわきまえていて、とっさに自分の判断で行動する点がすごく気持ちよかった。権限の委譲がきちんと出来ている結果だろうと感じた。このパンフレットの表紙の写真は多分劇場の天井画ではないかと思う。天井画といえばパリのオペラ座のが良かった。あれはシャガールの作で色彩が華やかで素晴らしかった。切符売り場の後ろには舞台衣装やそのパネルなどが展示してあったし、昔使ったと思われる大理石で囲まれた丸い金属製の座席表もそのままの状態で壁面に残されていた。劇場へは階段を登って中二階へ、さらにその上へと行く。入り口には大理石の女神の像が扉の両側に配置されていた。しかしそこはまだ縄が張ってあって立ち入ることは出来ないし、たとえ縄が外されても切符をもっていない身ではいかんともなしがたかった。ここでオペラが見れたらいいなという想いを抱きながら、オペラハウスを後にした。ところで、スエーデンには50クローネの紙幣がある。この紙幣の表側には女性の姿とオペラらしき舞台と楽譜が、裏側には弦楽器が描かれている。珍しいので使わずに持って帰ってきた。調べてみると、この女性はジェニー・リンド(Jenny Lind :1820-1887)というコロラトゥーラ・ソプラノで、スウェーデンで最も偉大な歌手の1人だったということである。この紙幣をスキャナーで取り込んで掲載しようと思ったが違法だと困るのでやめた。 次のサイトに詳細が出ているので参照してください。http://www.tradition-net.co.jp/door/door_money/swe.htm紙幣の画像と図柄の説明が出ています。
2005.07.21
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