〇ヒューマニスティック心理学は、アブラハム・マズローを中心として、心理学の「第三勢力」として出てきたものであって、マズローは1961年にアンソニー・スーティッチと『ヒューマニスティック心理学雑誌(Journal of Humanistic Psychology)』を創刊(編集委員にはジェームズ・ブーゲンタール、ロロ・メイ、マズロー、カール・ロジャーズといった心理学者たちに加え、オルダス・ハクスリー、アーサー・ケストラー、ルイス・マムフォード、マイケル・ポラニーなどのヒューマニストたちも含まれていた)、1963年には「アメリカ・ヒューマニスティック心理学会」が第一回大会をフィラデルフィアで開催したわけだが、一般大衆から見れば、ヒューマニスティック心理学と、エスリンの運動は完全に一致しているように見える・・・というか、エスリンがヒューマニスティック心理学会の牙城であるかのようなイメージを持たれてしまったのは致し方ないところ。しかし、学問的な学会と、活動中心のエスリンが同一視されることについて、学者の方では迷惑がるところもなくはなかった。(182頁)
〇1970年代、マーフィーの戦略の一つは彼自身の得意分野たるスポーツだった。彼はスポーツというアメリカの主流文化に、ヒューマン・ポテンシャル運動を接続したいと考えていた。マーフィーの協力者-ジ・レンナードは、エスリンのパンフレットにこう書いた: 「変革は始まっている。スポーツはどんな社会でも鍵となる接点である。この社会に平和で人間的な変革をもたらすのにスポーツの改革から始めることができる。知識人のなかには、スポーツは真剣に考える問題ではないと考えて、人生のこの局面を無視してきたものもいる。ボールが飛んで行くのもつまらないことではない。その軌跡は惑星の軌道を示すのだ。人間はからだを動かすことによって、哲学者ピタゴラスが「宇宙」と呼んだものを知ることができるーーこの言葉は完全なる秩序と極限の美という考えを含んでいる。スポーツは非常に美しく深遠なものだから、単純なスローガンにすることはできない。私たちがどのようにゲームを楽しむかは、想像する以上に大事なのだ。それは私たちの世界内存在(being in the world)のあり方を意味するからである」 マーフィーは「スポーツと精神的体験の結合」、すなわち「からだとこころの新しい結合」を夢見ていた。(253-4頁)
〇トム・ウルフはエスリンに対して嘲笑的であった(279頁、しかしエスリンはまったくウルフを問題にしなかったーー284頁)、その他、『ボブ&キャロル&テッド&アリス』という映画や、カリフォルニアの女性作家サイラ・マックファデンがセラピー中毒の主婦を描いた『ザ・シーリアル』という小説(後に映画化)、あるいはテレビ番組の『I Want It All Now』など、エスリンをモデルにしたと思しき、嘲笑的な作品が出た。(279頁)またゲイ・タリーズの『汝の隣人の妻』に出てくる南カリフォルニアのセックス温泉のモデルもエスリンである。しかし、言われているほどエスリンはセックスに固執していない。(293頁)