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July 9, 2023
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カテゴリ: 教授の読書日記
昨日からの続きで、『ヒューマニスティック心理学入門』の内容紹介を続けていきます。

 さて、昨日までのところでは、アブラハム・マズローが、行動主義心理学の徒としてキャリアをスタートさせたものの、途中でこの系統の心理学と決別したという話をしました。何で決別したかというと、マズローは行動主義心理学の還元主義に我慢がならなかったから。以下デカーヴァローの解説を引用しますと・・・

 マズローは、オルポートときわめて類似したかたちで次のように論ずる。――行動主義者たちが単一の行動の集積をいくら積み上げたとしても、その人間像はなお不完全なものである。人間有機体は、還元された、個々の部分の総和以上のものなのだ、と。部分と全体は、相互変性(mutual transformation)の連続的な過程の中で、相互に影響を与え合うのだ、と。彼は、人間は統一体であり、自己であり、ゲシュタルト(形態)であり、全体であり、過程(プロ―セス)なのだ、と主張する。行動と総称されるひとつひとつの行為は、たくさんの構成要素から成り立っており、自己完結的な有機体から切り離して研究することはできないのである。(61)

 とまあ、マズローは行動主義に対して不満を抱いていたわけですが、それと同時に彼は(フロイトに対してはリスペクトを抱いていたものの)フロイト流の精神分析が「病んだ人」をモデルに心理学を構築していることにも反発し、これからの心理学は「健康な人」をモデルにしなければならない、という風に考えて、ヒューマニスティック心理学を創設したと。以下、マズローの精神分析批判について、デカーヴァローからの引用をしておきます:

 一九四〇年代にマズローは、自分のフロイトに対する態度は、保留つきの尊敬であることを認めている。彼は、フロイトやその他の古典精神分析が、パーソナリティの半分だけを研究しており、そのために人間の本質を描写することにおいて「最悪の犯罪者」である、と告発した。マズローによれば、フロイトの、すべての行動が無意識の動機によって決定されているという考えは間違っているのである。そうではなくマズローは、神経症的動機づけと健康な動機づけとを区別し、健康な動機づけは無意識の力に支配されることははるかに少ない、と主張したのである。このように区別することは、後年におけるマズローの、健康な人の自己実現の研究を暗示するものである。
 一九五〇年代と一九六〇年代にマズローは、フロイトの、無意識と退行は不健康なプロ―セスであるから統制し、吟味しなければならない、という考えに批判を加えた。マズローによれば、無意識や退行もまた、創造性、芸術、愛、ユーモア、愉快さ、などの源泉となり得るものであり、パーソナリティの健康な局面であるから、受け入れて、育てるべきものなのである。一九六〇年代の末ごろにマズローは、フロイトは人間が動物と共有している基本的欲求だけを研究しており、人間にユニークな「より高度の人間の特質」を無視している、と非難した。(64‐5)

 さて、そんな具合で古典的精神分析とも決別したマズローは、人間というものを「生成の過程の中にある存在(being-in-the-process-of-becoming)(76)」と位置づけ、そういうものとして研究していく覚悟を決めるのですが、ここでマズローが用いる自己実現とか成長といった用語は、実はマズローの発案ではなく、クルト・ゴールドシュタインの「自己実現」という用語、及び「成長仮説」という概念を借用・発展させたものだ、という話は、昨日のまとめの中にも若干書き添えました。ことほど左様に、マズローはフロイド流精神分析には反発したものの、ネオ・フロイディアンたちの影響は受けているんですね。そこは要チェック。

 さて、そんなわけでマズローは健康な人間、成長する人間、すなわち彼のいう自己実現者(self-actualizers)を研究対象に据えるようになっていくのですが、そんな中、1943年に書かれた「人間の動機に関するひとつの理論」という論文(これは後に『動機づけとパーソナリティ』(1954)に収録される)の中で、かの有名な「欲求の5段階説」が出てくる。

 これは要するに、人間の動機の中にはより高い欲求とより低い欲求があって、低い方から生理的欲求、安全感、愛、尊重、自己実現という順番があると。で、人間は、低い次元の欲求の方から満たしていって、それが満たされると、その欲求に対する要求の度合いが下がり、その一つ上位に欲求が高まる、という形で、最終的な「自己実現」を図ろうとするものだ、という説を展開するわけ。



 とまれ、このようなマズローの説を見ていて感じるのは、マズローの人間観が、基本的にものすごくポジティヴな性善説だ、ということですかね。

 ちょうど、樫の木のドングリの中に悪がないように、人間という種子の中にも基本的には悪はない。で、それを適切な環境の中に置くと、発芽して成長していく。個々の種子の発育の仕方はユニークで、どれ一つとして同じものはないけれども、それぞれの環境の中で良い方へ良い方へと育っていく、そういうイメージで人間を捉えている感じがする。ただ、その自然な欲求が満たされないことがあると、そこで初めて人間の健康な成長がゆがめられ、そこに悪の生まれる契機もあるのだけれど、そういう成長阻害の要因がないのであれば、どの人間も健やかに育つはずだ、という性善説が、マズローにはある。そのことも含め、マズローにとっての「自己」についてのデカーヴァローの解説を引用しておきます:

 マズローにとって自己というものは、複合的な、内面的な、意味づけをする主体なのであり、その中で刺激を形作り、そして、有機体をとおして刺激にかかわっていく反応をうみだしていくところなのである。人間の動機というものは、目的的なものであり、選択に向かうものであり、受け身の反応をするというよりももっと漸進的なものであり、「予測された目標への反応」に制約されているというよりも、むしろ自己動機をもつものなのである。人間はだれでも、特定の主観的な価値観を持っているのであり、それがその人の生き方に指標と方向を与えるのである。このような内面の態度や動機を理解することが、人間の行動や人間性を理解するための絶対的な前提条件なのである。(61‐2)

 マズローは倫理にも非常に大きな関心を寄せていた。人間の価値は科学的に研究することができると述べている。価値観は人間性の構造の内部に深く根を下ろしているものであり、不正な価値を持つことは、ある種の精神疾患なのだと考えていた。誤った価値観というのは、内面の生物的核心を抑圧すること、成長を圧殺すること、「自分たちにとって善でないもの」をしようとすること、などである。それに反して精神的健康とは、「自己実現に向かう善き成長」ということと同じ意味であり、あるいは、生物的核心の内部に潜在しているさまざまな可能性を、十分な程度にまで開発し、現実化することなのである。自己実現へと導くような価値は、正当な価値なのだ、とマズローは考えた。人間の本製は基本的に信頼できるものであり、自律的なものであり、自己を擁護するものであるから、現実化はいつでも可能なのだ、とマズローは論じている。共生的な環境と自己実現の自由を十分に与えられるならば、人間の本性は、正当な方向へと展開し、成長するものなのである。(80)

 もう一つついでに、これはデカーヴァローではなく、マズロー自身の文章も引用しておきましょう:

 自己実現とは、すでに有機体の中にあるもの、もっと正確にいえば有機体それ自体が内発的に成長することである。ちょうど樹木が、環境から、食物、日光、水を求めるように、人間はその社会的環境から、安全、愛情、ステータスを求めるのである。しかし、樹木においても、また人間においても、まさにここあら現実の発展、つまり個性の発展が始まるのである。あらゆる樹木が日光を必要とし、あらゆる人間が愛情を必要とし、しかもひとたびこうした基本的な必要が満たされると、すべての樹木、すべての人間が、こうした普遍的な必要を自分自身の目的に合わせながら、ユニークに自分自身のスタイルを展開し始めるのである。(『人間性の心理学』183頁)

  いやあ、本当に気持ちがいいほどの性善説。

 こういうのを読むと、マズローが自己啓発思想と親和性があるというのもよく分かります。良いものは、人間の内側にある、というね。だから、それを自由に発展させればいいんだ、という。

 これって、要するにエマソンなんだよね。エマソンの思想と同じ。バラが何の屈託もなく自由に自己実現させるように、人間も屈託なく自己実現すればいいんだっていう。だから、エマソンが自己啓発思想に欠かせないピースであるがごとく、マズローもまた、自己啓発思想の中の重要なピースなんだなと。

 ちなみに、マズローは、このような徹底的な性善説者ですから、人間性の発露には期待しか持ってないんですな。だから、放っておけと、人間性の良きものであることを信じて、それが自由に発露するのを、受動的に見守っていればいいんだ、という。

 で、この物事が起こるのを妨害しないで、起るままにさせて置け、というマズローの考え方は、マズローがタオイズムから学んだ姿勢です。マズローは、「ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチ」でマックス・ウェルトハイマーのセミナーに参加していた頃、彼から老子・荘子の道教について聞き及んでいるのですが、以後、マズローは、自然や自己を理解する際に必要な受容性や諦念を学ぶのにタオイズムは恰好の教材であり、西洋の心理学者はタオイズムとかタオ流の無為といったことを学ぶべきだ、と繰り返し主張している。



 あとね、1960年代といえば、フランス由来の「実存主義」の華やかりし頃でもあるわけですが、マズローは実存主義者たちの言うところの「投企(project)」という概念にはある程度理解を示しております。それはそうなので、マズローの考える自己実現者は、常に成長過程にあるわけで、己の本性に従って自分の発展していく方向を定め、そこに向かって飛び込んでいくわけだから。しかし、サルトルが言うような意味で、投企する以前、人間存在の意味は無である、とか、そういう話には乗りません。樫のドングリに意味がたっぷりあるように、人間には常に発展の可能性があるのであって、それに意味がない、なんて発想は、マズローにはそれこそ意味がないものに映ったでありましょう。

 さて、ここまでマズローについてのデカーヴァローの解説を解説してきましたが、大分長くなってしまったので、この本のもう一つの主題であるカール・ロジャーズについては、また後日、ということにいたしましょう。





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Last updated  July 9, 2023 10:24:45 PM
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