
【ゆるしの40日--DAY 8--】
●肉体的な苦しみ パート2
あなたの「ゆるし」のために、主イエスが受けられた痛みは、 あなたが人生をこれまで生きてきた中で経験したすべての痛み・苦しみをも一つ残らずに含んでいます
。つまり、私たち人間が生涯で体験しうるあらゆる痛みと苦しみを、すべて、主イエスはたった33年という地上での短い公生涯にて体験し尽くしたのです。
その象徴が、十字架の苦しみでした。
● あなたの「ゆるし」のための十字架
(マタイ27:32-50)
主イエスが十字架を担がされて、「されこうべの場所」と呼ばれるゴルゴダへ向かって歩んだ道は、「 ヴィアドロローサ(悲しみの道)
」と呼ばれています。
イスラエル旧市街イスラム教地区にあるポンティオ・ピラトの官邸からキリスト教地区にあるゴルゴダの丘までの約一キロのヴィア・ドロローサには、巡礼のための14のステーションが聖書の受難の物語にしたがって設けられているそうです。
ここで、 目を閉じて祈りつつ、心を静めて、黙想してみましょう
。過越祭のためにリビアからエルサレムへ旅行に来ていたキレネ人のシモンは、十字架を背負って歩く主イエスに遭遇し、突然に無理やり十字架を担がされて、主イエスの後ろを歩かされました。彼のように、あなたも主イエスの血だらけの背中を見つめながら一緒に歩む姿を想像してみましょう。
「イエス、ローマの総督ピラトの官邸で死刑判決を受ける。あざけられ、ローマ兵に茨の冠をかぶせられる」
「イエス、十字架を背負わされる」
「主イエスは十字架の重みに耐えかねて倒れる」
「母マリアが十字架を背負ったイエスに出会う」
「キレネ人のシモン、十字架を背負ったイエスに出会い、十字架を無理やり担がされる」
「イエス、再び倒れる」
「イエスが振り向いて悲しむ女性を慰める」
「イエス、3度目に倒れる」
「イエス、衣を脱がされる」
「イエス、十字架に釘付けされる」
「イエス、十字架上で息を引き取る」
主イエスは、一人の人間を支えきるほどの、大きな十字架の木を、その重さで何度も倒れながらも、その道のりを歩かされました。
先日、小倉キリスト教会の玄関先に高さ約3メートルの木製の十字架が設置されました。この木は硬く重いために加工することが難しく、建築の材料としては敬遠される木だそうです。十字に組み合わされる前の一本の木の重さは約40-50キロあり、完成した重さ約100キロにもなる十字架を、あらかじめ掘っておいた穴に差し込んで設置するときは、作業員が10人がかりで抱えてやっとというほどの重さだったのです。深く掘られた大きな穴に、大量のコンクリートを流し込んで、頑丈な土台を作らなければならなかったほど、硬く思い十字架でした。
この様子を見ながら、2000年前にカルバリの丘を十字架を担いで歩かれた主イエスの姿に思いを馳せずにはおれませんでした。当時、主イエスが担がされた十字に組み合わされる前の一本の木も、約 40-50キロあったそうです。ローマ兵が十字架を組み合わせて主イエスを磔にし、それを兵士が10人がかりで抱えて立てた光景が重なって見えた思いでした。
もともと十字架の磔刑は、当時ローマ帝国が用いていた 処刑の中で最も残酷な公開処刑の道具
でしたが、この刑は通常、ローマ帝国に対する反逆者のみが受けていました。
主イエスが鞭打ちの痛みと十字架の重さに苦しみながらも、息も絶え絶えにゴルゴダに着くと、両手両足には 太く長い釘が、木槌で打ち付けられ
ました。
よく、主イエスの両手の手のひらに釘が刺されたというイメージがありますが、実際は、手のひらでは体の重さで簡単に肉が裂けてしまうために、重い体全体を支えるために釘が骨に引っかかるように、釘が 両手首、両足首の真ん中に刺し込まれ
否応なしに絶叫してしまうような激痛
が走ると言われています。私自身、歯医者での歯の治療で、麻酔はしていたものの虫歯の神経を抜いたときの脳天に突き刺さるようなあの激痛は、今も思い出すだけでゾッとします。主イエスは、両腕と両足から全身に駆け抜ける、 激痛を長時間耐え忍ばれ
ました。
また、足の痛みで踏ん張りきれずに、次第に両手で十字架にぶらさがった状態になると、両腕の感覚が麻痺し、筋肉が支えきれず、 肘や肩の関節が外れてしまう
そうです。そうなると、今度は 肺が圧迫されて呼吸が苦しくなる
ので、その激痛に耐えながらも足を踏ん張って膝を伸ばすことで、呼吸をなんとか保つのですが、この呼吸困難のゆえに二日ぐらい苦しんで息絶える囚人もいたそうです。
昔、わたしもストレスで体調を崩した時期がかつてありました。夜中に突然呼吸困難のようになって目が覚める、ということが数週間続いたことがあります。夜、救急病棟駆け込んだことも数回ありました。心臓が全力疾走したときのようにパンクしそうなぐらいドキドキし、加呼吸と不整脈で、このまま心臓が止まってしまうのではないか、という不安の中で真夜中に布団の上に座りながら、ただ一生懸命ゆっくりと呼吸をする日々を過ごしたことを思い出しますが、あの苦しみは二度と経験したくはないものです。
さらに、主イエスは日中の 日照りにさらされ
ながら、痛みとのどの 渇き
と、 飢え
と、 呼吸困難
に苦しみながらも、 主イエスは十字架上で、あなたの 「ゆるし」
のために、とりなして祈られました
。
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」
(ルカ23:34)
主イエスは、最期に 大声で叫んで、息を引き取られました
。あなたの「ゆるし」のために、主イエスは極限の肉体的な痛みを味わってくださったのです。
聖書は 「神は霊である」(ヨハネ4:24)
と証します。目に見えず、触れることもできい霊のままでは、十字架につけられたり、このような痛みを味わったりすることはできません。
ですから、あなたの身代わりとなって痛みを担うために、 「肉体」を必要とした神様は、あえて人の姿をとってこの地上に生まれてくださった
のです。
そして、あなたが肉体を持つがゆえに体験することができる限りのあらゆる痛みを、主イエスは味わい担ってくださったのです。
あなたが人生で受けた最大の痛みは何だったでしょうか。もしかしたら、今あなたは、その苦しみの真っ只中にあるかもしれません。同様に、 神の御子でありながら、人としてこの地上で歩まれた主イエスは、あなたの抱えている痛みをも一つ残らずにすべて体験された
のです。
この大祭司(イエス・キリスト)は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、 わたしたちと同様に試練に遭われた
のです。(ヘブル4:15)
DAY8「主イエスが担った精神的な痛み」へ続く
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※ゆるしの40日バックナンバー
DAY 1 ゆるせない苦しみ
DAY 2 クリスチャンでもゆるせない?
/ DAY 3 ゆるしは皆、必ず必要?
/ DAY 4 「ゆるし」が、どうしても必要な理由(わけ)
/ DAY 5 キリストの苦しみは誰のため?
/ DAY 6 どれほどの苦しみだったのか
/ DAY 7 十字架の苦しみ