
主の晩餐式(The Lord's Supper)のQ&A
Q. いつ、どれぐらいの頻度でしているの?
A.月に一回の主の晩餐式は、毎日へ向けてのきっかけです。
主の晩餐式は単なる形式・プログラムの一部ではありません。死んだ神ではなく、今もそしてとこしえに生きて共にいてくださる復活の主イエス・キリストを信じ従うあなたの 信仰を真実に告白する場
であり、あなた個人にもたらされた救いを 見える形で象徴するもの
です。英語ではThe Lord's Supper と呼ばれていますが(聖餐式とも呼ばれる)、直訳すると「主の夕食」です。これは、主イエスが十字架につけられる前の日の晩に行われたからです。私たちの教会では、毎月一回、第一日曜日に礼拝の中で執り行われています。
最後の晩餐の席で、主イエスは食卓を一緒に囲んでいた弟子たちにこのように問いかけました。
「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている。」(マルコ14:18)
それを聞いた弟子たちは心を痛めて、 「まさかわたしのことでは」
と代わる代わる言い始めました(マルコ14:19)
結果的に、ユダは裏切り、主が捕らえられた後にはペトロは主を三度「 そんな人など知らない
」と否み、他の弟子たちは恐ろしくなってクモの子を散らすように逃げたのです。「 もしかして、裏切り者とはわたしのことでは・・・
」という一人一人の不安が現実のものとなりました。しかし、主はそのこともすべて知った上で、その弟子たちの罪を担って十字架で死んでくださったのです。墓に葬られ、三日の後に復活された主イエスは再び弟子たちの前に現れ、彼らと共に食事をしました。 何度でもゆるし愛し続けてくださる主の憐れみと愛に、弟子たちは深く慰められた
のです。
日常生活において、「 わたしはイエス・キリストなど知らない
」というような振る舞いや生き方はしてはいないでしょうか。主の晩餐式をあずかることを通して、主イエスご自身がわたしたち一人一人にその問いを投げかけているのです。ペトロは呪いの言葉すら口にして「 そんな人など、見たことも聞いたこともない
」と、大勢の前で言ってしまいましたが、鶏の声を聞いて我に返りその場に泣き崩れました。しかし、復活した主はペトロを見捨てることなく、その姿を現しもう一度食卓へと招いてくださったのです。主の食卓へ招かれ、主の食卓からそれぞれの場所へと遣わされ、そしてまた、主の食卓へ戻ってくるのです。ですから、 主の晩餐式は毎日の生活の中心に主を覚え続ける一つのきっかけ
とされるのです。
次回、教会でのバプテスマ式は何月何日でしょうか。今すぐ、スケジュール帳に記入しましょう。ぜひ今から、今度教会で執り行われる主の晩餐式に備えてください。 主の晩餐式のために、今日から日々備えなくてはならない
のです。なぜなら、自己吟味をすることや罪を告白することには主の晩餐式の時だけ思い出したように慌ててするようなものではなく、本来じっくりと時間をかけてなされるべきものだからです。とりわけ、人間関係の和解においては、即席でできるようなものではありません。
教会で毎月一回執り行われる主の晩餐式は、キリストの死を記念として覚える、一つのきっかけに過ぎません。それを通して、 あなたは日々、キリストの死を覚え、自己吟味をし、罪を告白し、和解し、再献身をする歩みを成すためにそれぞれの家庭、学校、職場へと遣わされている
のです。初代教会のクリスチャンは、毎日のように集まり食事をしながら、主イエスの死を記念していました。
信者たちは皆一つになって、... 毎日ひたすら心を一つにして
神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂 き、 喜びと真心をもって一緒に食事をし
、神を賛美していた(使徒 2:44-47)
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DAY36へつづく