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このたびは義父の逝去に際して高知市に帰省した。
6年間も病院で過ごした義父なので、まだまだ命を繋ぐことができる
かと思っていたのだが、病状が急変し、ポルトガルから帰国した家内
もギリギリのタイミングであった。
壮年の頃の義父は当時毎年襲来していた台風災害の復旧工事で
多忙な地元土木会社の社長として活躍しており、いろいろの資格を
持つなど多才で、また、大変にきれい好きで、趣味も大正生まれ
としてはモダンであり、隠居後は夫婦揃っての国内ドライブ旅行を
楽しんだ。
元気な頃に精一杯の働きをしたあとは、余生を楽しみ、最後には病院で
模範的な養生をし、ある意味では幸せな人生であったとおもう。
久しぶりに関東に散らばっていた、子供達、孫達が集まり、地元の親戚も
大勢集まったのであるから、義父の逝去に際して団欒ができたことになる。
享年は91歳であった。
享年齢・法要日計算式は次が便利である。
http://www.sougi.com/tools/kyonen.html
しかし、小生の家系は神道であり、仏式の法要日計算は無用である。
弔いは神道の「先祖を敬い祭るという」習いであり、「無限の循環思想
にたつ仏式」でも日本の習俗にあわせて法要を編み出した。
キリシタン弾圧のために、キリシタンとは反対の宗教として、神道と仏式が
共存することになり、江戸時代には仏式が神道に急接近した経緯がある。
大陸でも、尊い僧でないと到達できない仏式の境地に一般人が達するに
は、「お経を書いた円筒形の経文」をぐるぐる廻すチベット族の例もある。
日本では、一般人は簡明なお経を唱えるだけで、十分であるという
偉いお坊さんが出て大衆は安堵できている。
仏式の輪廻転生の世界に、本来は神道風の「法要」概念は存在しないが、
日本では神道の習俗と一体になって法要の概念が生まれたのである。
輪廻転生「せずに」仏になったという概念で捉える方法であろう。
同じ仏式でも、伝播した国の習俗を受け入れて変化を辿っているのである。
日本の仏式は檀家により財政を賄う。
団結は強く、それも神道の習俗を取り入れているので、日本人の生活・人生
そのものと固く結びついている。
神道は氏子制度がいくらか残っているので、ほぼ同様である。
いずれにしても、離ればなれにある人々が、昔々身近にあった人の死に際し
て、共に集まり一族のつながりを確かめ合って、思い出や、将来を語り合う
機会ができるのはこの時を於いてしかないのが現実。
「死」が「生」をもたらす「大切な機会」なのである。
折角のこの機会を大切にしたいものである。
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