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昨年末(12/27)、46年前の合同インターゼミナールの
テキスト名を、仕事上の先輩から尋ねられたことをお話しした。
ゼミテンに問い合わせしたら、師走で忙しい中を ほぼ全員
から、なんらかの回答があった。
合同ゼミナールは4大学ではなく東京大、一橋大、早稲田大、
慶応大、中央大の5大学インターゼミナールであった。
中山伊知郎教授の教えを受けた教授達を中心に、その門下の
ゼミテン達が互いに切磋琢磨しようとの集まりだったようである。
テキストは、主に一橋大の荒憲治郎教授ゼミの3回生が使用する
テキストをテーマとすることが多かったらしい。
小生達のテキストは、Adelman教授の、Thories of Economic
Growth and Development であった。
ただ、これにも異論があり、そうではなかったかも知れない。
しかし、憶えている人物は真面目な男で、当時のゼミ幹事である。
この本を書いた女性経済学者は、数学が達者で、歴代の超有名な
経済学者達の理論を数式(特殊な生産関数)で表して、「偏微分して
解説する方法」に凝っていたような記憶がある。
小生はもともとは、田舎出身で自分が理工系とばかり思っていた。
彼女の本は、マルサス、マルクス、ケインズ、シュンペーターなどの
高邁な理論を、細かいことは省いて、単純化しており、判りやすい
本であった。
分かりやすいと言うことは、本来は複雑な経済行為の単純化だ。
あまりに経済を単純に理解することに慣れ親しんだことが、小生
の後の人生にとって本当は良かったのか判らないのである。
大学院にも行くような頭のない小生には、その後も単純化して
世間を理解するクセがついたのはこの本のお陰であった。
当時は、「 cetiris paribus 」 というラテン語に随分とお目に
かかったものであった。
「他の事情が一定である限り」という前提である。
そのような特殊な範囲で起こりうる経済現象が分析の対象で
あった。
つまりは、他の事情が目まぐるしく変化するような動態的経済
世界の分析は小生の手に負えないのである。
「偏微分」できるということは、「 cetiris paribus 」であると
言うことなのである。
先輩の質問は、小生達の次の学年の学んだテキスト名の質問
であり、結局は、小生には手に負えない問題であった。
とにかく、一応の決着を見たので、この話はこれで終わりとしたい。
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