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中東協力センターニュース(2010年)などをもとに
写経してみたい。
★
主な資源埋蔵量 2013年(Global Noteより)
-----サウジアラビアの位置づけ--------
・ 石油埋蔵量 (単位:億バレル)
1位 ベネズエラ 2,983.5 (17.7%)
2位 サウジアラビア 2,658.5 (15.8%)
3位 カナダ 1,743.2 (10.3%)
4位 イラン 1,570.0 ( 9.3%)
5位 イラク 1,500.0 ( 8.9%)
全世界 16,878.9 (100%)
・・・
・天然ガス埋蔵量 (単位:兆立方m)
1位 イラン 33.78 (18.2%)
2位 ロシア 31.25 (16.8%)
3位 カタール 24.68 (13.3%)
4位 トルクメニスタン 17.48 ( 9.4%)
5位 アメリカ 9.34 ( 5.0%)
6位 サウジアラビア 8.23 ( 4.4%)
世界 185.70 (100%)
★
サウジアラビヤは:
国土215万平方km(日本の約5.7倍)、
人口2,920万人(うち外国人936万人)、
イスラム教国(ワッハーブ派・・・最も厳正で復古主義的)。
2012年のGDPは7,110億ドル、
前年の一人当たりGDPは24,523ドル。
輸出3,960億ドル、輸入1,280億ドル、貿易収支2,680億ドル。
輸出は原油、石油製品、LPG。
輸出総額のほぼ9割、財政収入の8割を石油に依存している。
・・・・・
サウド王家が支配領有する国家であり、
絶対王制を保っている。
サウド王家のサウジアラビアと同じように
王家の名を冠する国家は、
ヨルダン・ハシェミット王国のみである。
砂漠の民には 砂漠の民主主義 があり、
部族社会の伝統である合議主義を
重視している。
西洋の個人主義、民主主義の導入には
消極的であると言われる。
★
アブドラ国王の死去を受けて、各国首脳が
首都リヤドを弔問している。
即位にあたり、国民の団結を訴えた。
・・・
「中東情勢分析・・・サウジアラビア・サウド家」
中東問題専門家・前田高行氏の論文が詳しいので
見て貰いたい。
国王の家系図があるので転載させていただくが、
新国王 は
その 家系図でサルマン・リヤド州知事(当時)
で 故 アブドゥルアズィーズ初代国王26男 で
父親に最も似ている。
初代国王が寵愛したハッサ妃の生んだ
「スデイリ7兄弟」の 一人。
・・・
20歳ころリヤド州知事就任。
2011年国防相、翌年6月に皇太子となる。
健康面では脳卒中で倒れたことで不安をもつ。
家族は、3人の妻と10人の息子、
次男・スルタン氏は アラブ圏初の宇宙飛行士。
来日歴は1998年、2014年。
<以上は読売新聞・APなどから>
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<Abdul Rahman bin Sulaiman Al Ruwaishid 著のサウド家系図より>
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サウド家補足: 略史<Webより> 年月 |
略史 |
---|---|
先代 |
遊牧民の牧畜、交易で生計、略奪なども。 オスマン帝国の支配は部分的であった。 |
18世紀 |
純粋イスラム信仰のワッハーブ(サラフィー)運動とともにサウド家が半島で勢力拡大したのを見て、オスマン帝国エジプト太守が半島に侵攻し、ワッハーブ軍を粉砕、壊滅状態となる。19世紀末には、オスマン帝国の支援のもとにあったラシード家に圧迫されたサウド家は生き残りがリヤドに押し込められた。 リヤドを父と共にクウエートまで逃れ、 クウエート 首長の保護にあった アブドゥルアズィーズ・イブン・サウード 「 砂漠の豹 」は1902年僅か40人でリヤドを奇襲占領。 |
1921年 |
英国から独立した勢力であることを認めて貰い、ラシード王国を破る。 さらに、ヒジャース王国が英国からの援助を失い、1924年カリフ位を称して周囲の反撥を招いたことで、これに開戦し破り、ヒジャース王位にも即位。 |
1935年 |
サウジアラビア王国と国名を改め統一国家とした。 遊牧民定着には、信仰面ではワッハーブ運動、部族社会の征服には新しい妃を迎えた。文明の利器のラジオ、電話などの導入を行った。 王国の東部で米国資本による石油発掘が行われて世界最大の石油国になった。 |
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参考:サウジアラビアの地図Geocities
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呆けの小生は資料しか集められないが、原本で確認して欲しい。
・・・この場を介して、
中東問題で日本人として深く取り組んだ小山茂樹氏のご冥福を祈りたい。
彼が、中東問題に首を突っ込む遙か前に、お世話になったことがある。
当時は若く積極的な方であり、呆け気味の小生には眩しかった。
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小山茂樹氏 略歴
(昭和10年8月生まれ、平成26年7月胆嚢癌で逝去)
東大(経)卒、経企庁、大蔵省主計局、レバノンAUB留学、
経企庁大臣秘書官・大臣官房参事官、中東経済研究所理事長、
帝京大(経)教授、東北文化学園大総合政策学部長、
千葉商大大学院客員教授
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