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エジプトの「ギザの三大ピラミッド」から
ナイル川を遡上する。
遺跡を大量に飲み込んだ
(高台に移転などを余儀なくされた)
二つのダム(アスワン・ロー&ハイダム)を越えて、
スーダンに入り、カルツーム(=Khartoum)までに至る当たりは、
古代に銀を産出したヌビア地区となる。
そこには、一時、カイロのエジプト王朝の
ファラオにもなったことがあるクシュ王国が栄えていた。
ナイル川はここハルツームで、
白ナイルとしてのウガンダからの流れと、
青ナイルとしてのエチオピアからの流れに分岐している。
BC2200年頃、南部から移住してきた黒人集団がクシュ王国を建設。
エジプト王朝のトトメス1世がクシュ王国を滅亡させたが、
BC900年頃にクシュ王国は再興し、
逆に衰えたエジプト王国に攻め入りエジプト第25王朝を建国した。
しかし、アッシリアに破れたためにヌビアに撤退、BC6世紀半ばには
首都をメロエに遷都し、メロエ王朝として知られた。
メロエ王朝にも大量のピラミッドが残されている。
メロエ王朝はエチオピア高原のアクスム王国
(BC5世紀~AD1世紀までに交易国となり、320年代にコプト派キリスト教を受容)
により4世紀に滅亡させられ、3国に分裂した。
ノバチア王国、マクリア王国、アルワ王国は、ともにキリスト教を1千年近く信仰した。
しかし、イスラム勢力に押されて、
・1505年に、フンジ・スルターン国が、
・1596年にはダルフィールにもダルフィール・スルターン国が建国されて、
イスラム化された。
・1821年、エジプトのムハンマド・アリー朝により、スーダン北部が征服され、
・1840年に英国の保護下になったエジプトが、1874年ダルフィール・スルターン国
を併呑する。
マフディー国家(1885~1898年)が一時的に成立するが、
・1899年から英国とエジプトの共同統治下に入る。
・1924年以降、北部中心に独立運動が始まり、南北分断統治が採用される。
・1954年、自治政府が発足。
・1955年 第一次内戦:
北部(=アラブ系イスラム教徒)
VS
南部(=黒人系アニミズム、一部キリスト教)
・1956年スーダン共和国として英国から独立(~1969年)
・1958~1964年軍事クーデター政権
・1965~1969ウンマ党・国民統一党の連立政権
・1969年軍事クーデター革命政権が国名をスーダン民主共和国と改称
・1971年ジャーファル・ヌメイリ大統領誕生
・1972年南部スーダンに部分的自治権の南部政府設置
・1983年第二次内戦:
北部=ヌメイリ政権
VS
南部「新スーダン」建設=黒人ディンカ人主体、SPLA:ソ連・エチオピア支援)
内戦の中で1984年以来旱魃とエチオピアからの難民流入があり経済困難
・1985年軍事クーデター成功、ヌメイリ政権失脚(エジプト亡命)
国名はスーダン共和国に戻す。文民政権
・1989年軍事無血クーデター(イスラム主義組織民族イスラム戦線NIFと連携)
オマル・バシール准将→政権・軍事権を一手に掌握しNIFのイスラム化推進
(他方で、エチオピアの政権交代でSPLAは後ろ盾を失い、分裂)
・1994年にバシール首相兼大統領がコルドファン州を北・南・西に3分割した。
SPLAは新たな後ろ盾をウガンダに求めていたが、ウガンダの反政府軍の
「神の抵抗軍」はウガンダ政府軍との戦いで、南スーダンへの越境を開始。
ウガンダとの関係は1997年第一次コンゴ戦争終結で軟化した。
バシール政権(国民会議NC;NIFを改編)は、第4次ウンマ連立政権
(2002年~2005年)で、野党(イスラム主義中道派ウンマ党UP,
中道リベラル政党「民主統一党DUP」からの分派)取り込みに加えて、
SPLAに対する柔軟姿勢を示した。
また、西部にあるダルフィール地方3州では、定住民フール人(アラブ系、非アラブ系)
VS遊牧民ザガワ人などとの対立で、政府支援の民兵組織による民族浄化が
国際問題化し、難民が隣国チャド(ザガワ人大統領)に大量に流入したため、
アフリカ連合が監視要員派遣を決定した。(→ UNAMID )
・2005年1月9日「スーダンにおける南北包括和平合意CPA 」を署名。
バシール大統領とSPLA最高司令官ガランを第1副大統領とする
暫定政府発足。条件:6年間の暫定統治後、南部で住民投票(連邦制or独立)
しかし、直後のガラン長官ヘリ墜落事故死が憶測を呼んだ。
紛争地帯は、西のダルフィール、東部地区のペジャ人優勢地区、
アビエの南北係争地、南コルドファンと青ナイル州の南北係争地にあった。
・2010年4月総選挙で、バシール大統領再選、 キール南部政府大統領当選 。
・ 2011年 1月南部自治政府による国民投票が、国連の投票監視団のもとに
行われて、南スーダンの有効投票総数の約99%が「分離」を支持。
・ 7月9日 南スーダン共和国として独立 。
独立前日に国連南スーダン派遣団 UNMISS が採決されて、
翌日から司令部を首都ジュバに、PKOを主任務とする約8000名の部隊の
駐留任務を実地している。
1.現在に於ける任務:文民保護、人権状況監視・調査、人道支援実施の環境作り、
衝突解決合意の履行支援
2.派遣規模:
・軍事・警察要員 計13,072名、
・文民要員 計2,002名
・国際ボランティア 計 435名
3.要員派遣国:
印、ルワンダ、ネパール、エチオピア、中国、モンゴル、ケニア、ガーナ、
バングラデシュ、 日本 など計63ヶ国
4.犠牲者数:
42名(事故12名、病気16名、敵対行為11名、その他3名)
5. 日本からの要員派遣
司令部要員 4名
施設部隊 353名
6. 活動期限 2016.7末(撤収10.31)
7.予算 10億8577万ドル
・2012年1月
スーダン政府との原油交渉停滞で南スーダンは生産停止
・2012年4月、
南北スーダン国境紛争で南スーダン軍がスーダンのコルドファンにある
ヘグリグ油田を占拠。
・2012年8月南北両政府会談が行われて北部原油パイプラインを
南部が使用する料金および財政分割補填などを合意。
・2013年4月
南スーダンは原油生産再開
・ 2015年8月キール大統領、マシャール元副大統領 など関係当事者が
「南スーダン衝突解決合意文書」に署名
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国連PKOにおける死亡被害は、
2012.12.22・・・露ヘリコプター誤爆撃 4名死亡
2013.4.9・・・武装集団襲撃 印度兵士5人(+民間人7人)死亡
2013.12.14 ・・・首都・地方でクーデター未遂事件 印度兵士3人死亡
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このほかにも国連アビエ暫定治安部隊 UNISFA (本部アビエ、展開アビエ地域)
・・・活動期限2016.5.15
予算 2億6826万ドル
任務 SAF(スーダン政府軍)およびSPLAの再配置の監視・検証
およびアビエ警察隊を除くアビエ地域の非軍事化
暫定取り決め合意に規定するアビエの地域機関参加
地雷除去支援および技術的助言
人道支援提供、人道要員自由移動のためのアクセス促進
要員訓練を含む支援提供によりアビエ警察隊能力強化
および法秩序に係る事項に於けるアビエ警察隊との調整
アビエ地域石油インフラ警備など
派遣規模:
軍事・警察要員 計4,562名
文民要員 計 202名
国連ボランティア 計 31名
要員派遣国:
エチオピア、ガーナ、ジンバブエ、タンザニア、イエメン、スリランカ、ナミビア、
ネパール、インド、カンボジア、ルワンダなど25ヶ国
犠牲者数 20名
このほかにも、スーダン西部にダルフィール国連・AU合同ミッション UNAMID
もあるが割愛する。
< 分離独立前 >
★
スーダン共和国VS南スーダン共和国との紛争に加えて、
南スーダン共和国内部でもキール大統領(カトリック・ キリスト教徒、
マシャール元副大統領(アニミズム、ヌエル族)の抗争が燻っている。
次号に記載予定。
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