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November 21, 2025
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カテゴリ: 特撮関連書籍
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​仮面ライダーの聖地、東映生田スタジオ。
東映生田スタジオは、1971年に『仮面ライダー』の制作のために立ち上げられ、以後、1978年まで特撮番組他の制作が行われました。
『「仮面」に魅せられた男たち』は、東映生田スタジオの設立当初から、その運営や特撮番組にかかわった方々の物語です。


「仮面」に魅せられた男たち [ 牧村 康正 ]

・著者:牧村康正
・​出版社 ‏ : ‎ 講談社
・発売日 ‏ : ‎ 2023/3/27


『仮面ライダー(1971~73年)』が始まったとき、これは東映の等身大ヒーローの歴史を引き継ぐものと期待しました。
それまでの東映等身大ヒーローに、深い思い入れがあったからです。
しかし、『仮面ライダー』は、東映等身大ヒーローを基礎にしながら、革命的に発展を遂げた特撮ヒーローでした。
今回、『「仮面」に魅せられた男たち』を読んで、あらためて確認しました。

まず、以前の「東映等身大ヒーロー」と『仮面ライダー』との違いは、何といっても前者が白黒映像で、後者がカラー映像だということことに気づきました。
そこで、両者の違いを考察するために、便宜上、「白黒時代の等身大ヒーロー」と「カラー時代の等身大ヒーロー(仮面ライダー)」という分け方をしてみました。

この分け方に準ずると、「白黒時代の等身大ヒーロー」は東映東京撮影所で、そして「カラー時代の等身大ヒーロー」が東映生田スタジオで、撮影されたということができました。

さて、幼少期に心躍らせた「白黒時代の等身大ヒーロー(東映)」とは、
・劇場版『月光仮面(1958~59年)』
・劇場版『遊星王子(1959年)』
・『七色仮面(1959年)』
・『新・七色仮面(1960年)』
・『アラーの使者(1960年)』
・劇場版『『宇宙快速船(1961年)』
・『ナショナル・キッド(1960~61年)』 他
ここに並べた等身大ヒーローは、みんな「仮面」をつけています。

なお、『新・七色仮面』、『アラーの使者』、劇場版『『宇宙快速船』で等身大ヒーローを演じたのは、のちの国際スター千葉真一氏です。
本書の中にも、「衝撃の千葉真一ビンタ事件」など、お名前が出ていました。

60年代前半、テレビアニメが放映され大人気となり、等身大ヒーローの出番はなくなります。
さらに、1966年ごろから怪獣ブームが起こります。
そこに参戦する形で、東映は特撮怪獣番組『仮面の忍者赤影(1967~68年)』を送り出しました。
カラー作品でした。
では、タイトルロールの赤影は、等身大ヒーローではないのか?
ここでは除外します。
その理由は、「変身」しないからです。
赤影はその題名の通り「仮面」をつけていますが、素顔でも呼び名は赤影です。
仮面ライダーのように、本体は本郷猛といった使い分けがありません。
同時期に、宇宙で怪獣や宇宙人と闘うカラー作品『キャプテンウルトラ(1967年)』がありました。
こちらも、「変身」しません。
そして、怪獣ブームの中心的存在となるマグマ大使、ウルトラマンといった怪獣と闘う巨大ヒーローが登場しました。
東映も、『ジャイアントロボ(1967~68年)』(カラー作品)をそこに参戦させました。
こうした巨大ヒーローの勢いが強大で、等身大ヒーローはその存在が忘れられていました。

ここまでが、東映東京撮影所でつくられました。

そうした経緯を経て、いよいよ東映生田スタジオから『仮面ライダー』が発進します。
本書の内容は、「カラー時代の等身大ヒーロー」の始祖、「仮面ライダー」が主となっています。

それでは、「白黒時代の等身大ヒーロー」と「仮面ライダー」は何が違ったのか?
ここでは、①スーツアクター、②ヒーローショー、③キャラクター・マーチャンダイジングの3点に注目してみました。
①スーツアクター
現・大野剣友会代表、岡田勝氏は語ります。
・初めて生田スタジオを見たときの印象は、まあ、掘っ立て小屋だよ。おれらは東映(大泉の撮影所)を見慣れていたから。(P139)
当時東映は労働争議の真っ盛り。
『仮面ライダー』の撮影を予定していた東京撮影所内の東映東京制作所では、撮影が危ぶまれていたそうです。(P61)
そんな状況の中で、番組づくりを行うために、ゲリラ的に設立されたのが東映生田スタジオだったわけです。
なので、施設設備が整わないにもかかわらず、『仮面ライダー』の撮影が始まったのです。

「大野剣友会」は、『仮面ライダー』のキャストクレジットにその名が登場します。
本書には、以下の記述がありました。
・『仮面ライダー』の見せ場が、ライダーと怪人、あるいはライダーとショッカー戦闘員の格闘シーンであったことはたしかであり、さらにその格闘シーンは危険であればあるほど子供たちを楽しませる。ときにはショッカーになり、ときにはマスクをかぶってライダーになり、アクロバテイックな格闘シーンを演じる大野剣友会メンバーは、いわば"危険を売る男たち”である。(P140)

つまり、元祖スーツアクターさんたちなのです。

さらに本書の記述を追います。
・殺陣や技斗(現代劇の殺陣)、あるいはスタントというジャンルは、そもそも映像作品における裏方の部門だった。しかし『仮面ライダー』によって、いちやくその重要性が見直されるようになった。(P142)

仮面ライダーは、その必殺技がライダーキックです。
だから、生身のアクションで、ライダーキックの破壊力に説得力をもたせなければなりません。
言い換えると、改造人間である仮面ライダーの超人的な肉体能力を表現することが必要です。
そのために、「大野剣友会」は、例えば、高く飛ぶ、高く飛んだら空中回転するなどのトランポリンを駆使した超絶アクションを繰り広げました。
それは、ハードな訓練を積んだプロでなければできません。

「白黒時代の等身大ヒーロー」には、そうした超絶アクションはまだありませんでした。
(アクションシーンは、格闘よりも銃の撃ち合いのほうに力が入っていた)
そんな中で、千葉真一は、七色仮面とその正体である蘭光太郎の両方を演じていました。
そして、七色仮面としては、二丁拳銃を構えた格好でテーブルの上に立ち、その姿勢で後方宙返りをして床に着地してみせました。
(映像では、その場面を逆回転で使われていました)
子供たちは七色仮面の超人性を受け止めましたが、これは限られた個人の技でした。
(千葉真一は、オリンピックをめざす器械体操の選手でした)
それに対して、仮面ライダーの時代は、専門家集団の「大野剣友会」や千葉真一率いる「JAC」が、ヒーローや怪人、戦闘員に扮し、プロとしてアクションを格段に底上げしたのです。

2.ヒーローショー
・特撮キャラクターが登場する催しは、ゴジラやウルトラマン関連で小規模に行われていたが、本格的なアクションを実演で披露するのは仮面ライダーショーが初めてである。(P192)

確かに、60年代の特撮関連の催しを見に行くと、怪獣の着ぐるみや小道具等の展示、ステージでは出演者のインタビューなどがあり、その横に怪獣たちが共演する、という展覧会形式でした。
「白黒時代の等身大ヒーロー」の時代は、アクションを見せてくれるヒーローショーなるものはなかったのです。
せいぜい映画や番組の宣伝用に、等身大ヒーローや着ぐるみ、出演者の顔見せのようなものがあったくらいでしょう。
けれど、80年代に、後楽園ゆうえんちの野外劇場でヒーローショーを見たときは、驚きました。
スーパー戦隊のメンバー数人が敵軍団と闘うが、多勢に無勢でピンチに陥る。
そこへリーダーのレッドが、ステージを見下ろすジェットコースターに乗って颯爽と登場!
ジェットコースター上から銃を乱射して、メンバーを救う。
このタイミングとカッコよさですよ。
さらにその後も、戦隊チームと敵軍団は、ステージ上で生の超絶バトルアクションを展開しました。

こうしたヒーローショーを「仮面ライダーショー」として始めたのが、「大野剣友会」でした。
「大野剣友会」は、まさにテレビの『仮面ライダー』に出演している人たちが、直に目の前で本物のライダーアクションを見せてくれたのです。

この「仮面ライダーショー」は、「東映生田スタジオ」のビジネスとして、「大野剣友会」と協同で展開されました。
しかし、その爆発的人気は東映本社の知るところとなり、やがて東映本社のビジネスとして一本化されていくに至ったようです。

本社には「東映アクションクラブ」が置かれ、そこに俳優寿明氏が所属していました。
本書は、唐沢氏がヒーローショーに出演していたころのエピソードにもふれています。
ちなみに、唐沢氏が主演した映画『イン・ザ・ヒーロー(2014年)』は、スーツアクターの経験を生かした作品です。

3.キャラクター・マーチャンダイジング
「白黒時代の等身大ヒーロー」時代にもヒーローグッズはありました。
その代表は、キャラクターお面でした。
セルロイドの七色仮面のお面をかぶり、風呂敷をマントにして、なりきりました。
そして、メンコ。
本来、メンコ遊びは、勝った負けたで、取った取られた、というやりとりをします。
けれども、お気に入りのデザインはコレクション用にとっておきました。
また、ブロマイドもありました。
古新聞でできた封筒状の袋にブロマイドが入っていて、くじのようにひいて取る。
だから、何が出るかはわかりませんでした。
経験上は、あんまりいいデザインのブロマイドにあたることがありませんでした。
そのほか、『ナショナルキッド』では、少年探偵グループのバッジ。
ナショナルキッドの肖像が描かれたメダルのようなものでした。
さらに、ナショナルキッドの武器であるエロルヤ光線銃型の懐中電灯。
これがほしかったけど、買ってもらえませんでした。
エロルヤ光線銃以外は、駄菓子屋商品でしたね。

そんなものでした。
「白黒時代の等身大ヒーロー」の時代は、モノもカネもありませんでしたから。
もうひとつ、マーチャンダイジング権についての意識も希薄でした。
番組側は「宣伝になる」ととらえて、野放し状態だったとも。
勢い、パチモンも出回っていました。
それはそれで楽しかったのですが。

しかし、所得倍増計画、高度成長期を経て、日本は〔経済的、物質的に〕豊かになったのです。

「仮面ライダー」のグッズでまず有名なのは、「変身ベルト」です。
「光る!回る!変身ベルト」は「テレビと同じ」というコンセプトが功を奏しヒット商品となった。パッケージに「このベルトはライダーに変身する時に使われている物と同じです」と記された。「光る!回る!変身ベルト」は1971年からの約2年で380万個を売り上げた。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
本書の中にもその話が出てきます。
この「変身ベルト」は、「当時の玩具としては相当な高額である1500円(Wikipedia)」だったそうですが、ベストセラーとなりました。
「変身ベルト」が売れた影響からでしょうか、以前、特撮系の書籍で以下のような記述を読みました。
・ジャンボマシンダー(2500円~)
「そんな高価なおもちゃが売れるのか?」
「モーレツ社員のお父さんは子供と遊ぶ時間がない。その罪滅ぼしに買ってくれるはずだ」
この読みはあたったのです。
(ジャンボマシンダーには「仮面ライダーV3」などが加わりました)
このころから、おもちゃ(ヒーローグッズ)の価格設定が変わった、とのこと。
これはどうなんでしょうねー?

本書の中には、以下の記述が見られました。
・後年になるとスポンサーを兼ねるおもちゃ会社の立場が強大になり、とくに平成以降の『仮面ライダー』は番組そのものがおもちゃの宣伝になってしまった、という批判を呼んでいる。(P280)

年末商戦に合わせて、スーパー戦隊や仮面ライダーなどには、新しいキャラクターやアイテムが加わる。
とは、よくいわれることです。

特撮グッズ、ちょっとインフレを起こしているように思いますが。
ともあれ、ともあれ、送り手ではなく、受け手の『「仮面」に魅せられた男たち』の一人としては、「仮面」という点では、以下のちがいをまとめました。

「白黒時代の等身大ヒーロー」は、仮面によって、二面性をもつというミステリアスな雰囲気がありました。
正体を隠すことにより、敵を欺くにはまず味方から、といった活動を期しているのです。
だから、人前で「変身」はしません。
「カラー時代のヒーロー(仮面ライダー)」は、仮面によって正体を隠すというより、パワーアップして怪人やロボットと闘います。
いわば強化服、戦闘服を装着するという印象です。
なので、敵前で「変身!」します。





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Last updated  November 21, 2025 09:01:29 AM
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