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完全解説 ウルトラマン不滅の10大決戦 (集英社新書) [ 古谷 敏 ]完全解説 ウルトラマン不滅の10大決戦古谷 敏/やく みつる/佐々木 徹【著】集英社新書発売日:2021年7月16日日本特撮界の2大スーツアクターは、ゴジラの中島春雄氏とウルトラマンの古谷敏氏だと思う。かたや大怪獣、かたや(巨大)ヒーローという、前例のない役づくりをされたわけです。本書は、その一方の雄、古谷敏氏がウルトラマンとして戦った全39話から、名勝負10選についての鼎談です。そうした、ウルトラマンと怪獣の対決についての深掘りとともに、語られているのは「役者 古谷敏」でした。のっけから恐縮ですが、本書の「おわりに」から以下の文章を抜粋しました。今まで古谷敏がウルトラマンのスーツアクターに抜擢された理由はスタイルのよさだったというのがガチガチの定説だった。(略)アクション初心者の古谷敏を起用することがいかに博打だったか。(略)それなのに、古谷敏がウルトラマンになった。言葉は悪くなるが、大部屋役者に務まるほどウルトラマンに求められる演技力、表現力は甘くはない。円谷英二にしても、そんなことは十分に承知のはずで、それでもなお、古谷敏が選ばれたのはなぜだったのか。ココが定説を覆す新説の扉の入口だ。結果的に、この対談を通し、なぜウルトラマンは古谷敏だったのかを明らかにすることができたと思っている。定説を覆し、新説までたどり着けたのである。その新説の扉の向こうには、新たな物語が始まっていた。それは演じることに夢を馳せた、ひとりの青年の真摯な成長物語―。(P234)スーツアクター、古谷敏氏の演技でとりわけ印象的なのは、最終回、ゼットンとの闘いです。ウルトラマンがゼットンと対峙すると、ゼットンは瞬間移動で目の前から消えます。そのときウルトラマンは、前傾姿勢からクッと少し体を起こし気味にします。さらに、必殺のスペシュウム光線がゼットンにはねかえされたとき、クロスしていた両腕を後ろに引き、ピンと伸ばしていた両手を握り気味にする。そうしたリアクションから、これまでにない強敵を迎え、ウルトラマンの驚きや恐れなどの感情が伝わってきました。ウルトラマンの顔面自体は動きません。それなのに、あたかも表情が浮き出ているような印象を受けました。この流れの中で、古谷敏氏の役者としての表現力により、ウルトラマンは闘うだけのヒーローではないことを感じさせられました。そうした役者、古谷敏氏は、演技についてつぎのように語っています。「例えば、通行人Aの役をもらったときに、いくら端役でもボーッと歩くだけではいけない。なぜ自分はその道を歩いているのか、どんな用事を済ませ、どこに向かおうとしているのか。そこまで自ら想像し、通行人Aに命を吹き込まないと演じたことにはならないと言われましてね」「観客は当然、主演の役者さんたちの動きやセリフに集中しているでしょうけども、彼らのそばを歩く通行人Aが ”その瞬間を生きている通行人A” であれば、よりフィルムにリアルさが漂うし、スクリーンや画面が引き締まると教えられていたんですよ。通行人Aのことなんか観ている者は気にしなくても、演じている者が架空の人生を背負い、作品の中で生きていることを実践してみせる―それがとても大事なことなんだよ、と躾けられていたのです」(P115~116)じつは、古谷敏氏は、「撮影が始まった当初は正直、ウルトラマンの中に入るのは乗り気ではなくて。冗談じゃない、スーツの中に入って怪獣と戦うなんて役者の仕事じゃないよって思っていました」(P26)と語っておられます。しかし、『ウルトラマン』の脚本を担当していた金城哲夫氏からこう言われます。「マスクを着けてスーツの中に入り、背中のチャックを閉めた瞬間、古谷敏はウルトラマンという宇宙人になる。だから、敏ちゃんの動きがウルトラマンの動きだし、ウルトラマンの動きは敏ちゃんそのものなんだ」(P58)この金城哲夫氏の言葉が、役者古谷敏、表現者古谷敏を奮起させ、それと同時に支えにもなったのです。「金城さんのアドパイスを受けて、自分なりのウルトラマンを作れるんだと、そういうふうに考えられるようにもなりましたね」(P59)当時は、前例のない巨大スーパーヒーロー役に取り組むだけなく、殺陣師、技斗という役割もついていませんでした。そのため、格闘においても古谷氏や怪獣役のスーツアクターの方といっしょにつくりあげていきました。「僕なりに顔が出なくても、ウルトラマンのスーツの中で役者魂らしきものをたぎらせていたのは本当です。(略)戦いひとつひとつに、なぜ怪獣は現れたのか、この怪獣は単に人類を苦しめるためだけに地上に現れたのか、他に目的があるのか、だとしたら、攻撃を受け止める自分(ウルトラマン)はどのように戦えばいいのか。(略)たった3分弱の戦いでしかありませんでしたけど、その3分弱に、僕は演じる者のプライドや心意気といったものを奮い立たせ、本編の脚本を踏まえた上で、もうひとつの自分だけのストーリーを作り上げてから、怪獣との戦いに臨んでいたんです」(P117~118)こうした古谷氏のクリエイターとしての活動を推進したのは、その背景に『ウルトラマン』の制作現場において醸し出される雰囲気もありました。そこには、『ウルトラマン』の監修者である特撮の神様、円谷英二の映像に対するかかわり方が色濃く反映しています。「御大(円谷英二)の作品に対する姿勢とでもいえばいいのかな、要するにロマンが感じられない映像に仕上がっていると、すぐにNG、撮り直しを指示していました」(P30)ここでもう1回、冒頭に紹介した「おわりに」にの文章からの引用を記します。結果的に、古谷敏とやくみつるの刺激的な語り合いは『ウルトラマン』の本質を違った角度から掘り起こすことに成功した。その違った角度とは、円谷英二を筆頭に奮闘した制作陣の熱きこだわりだ。やくの巧みな導きにより、古谷の口から語られた当時の制作陣の気骨は胸を熱くさせる。世間や映画関係者の「どうせジャリ番組だろ」という蔑みをはね返すべく、危険な爆発シーンなどに挑み、単なる正義と悪の二元論ではない、ストーリー作りを展開させた。(P236)『ウルトラマン』が放映されてから、60年が経とうとしています。怪獣ブーム直撃世代としては、初放映当時の熱狂が心に刻まれています。そして、今でもなお、『ウルトラマン』は見応えがあるのです。
November 29, 2025
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ゴジラタワーを中心とした“世界子供ランドの建設が進行していた。しかし、そこは、地球侵略を狙うM宇宙ハンター星雲人の前線基地だった。彼らは、宇宙怪獣ガイガンとキングギドラを呼び寄せ、攻撃を仕掛ける。怪獣島のゴジラとアンギラスは、宇宙怪獣を誘導する電波に気づき、破壊の現場に急行した。期せずして、地球怪獣組と宇宙怪獣組の最強タッグ決定戦が始まった。地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン【Blu-ray】 [ 石川博 ]ゴジラシアターで、『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン(1972年)』を見てきました。この映画は、公開時に見ています。ゴジラ・シリーズの第12作であり、東宝チャンピオンまつりの1本でした。同時上映は、・ミラーマン・帰ってきたウルトラマン 次郎くん怪獣にのる・みなしごハッチ ママにだかれて・かしの木モック・天才バカボン 夜まわりはこわいのだ庵野秀明氏が「中学生になると『特撮は子供向け』と、周りでも観る人間が少なくなっていて。たぶん、学校のクラスでタロウを観ていたのは僕だけだったと思います」と語っています。(円谷映画祭 2023 Part2 公開記念トークイベントレポート)当方も我が年齢を鑑み、小学生のいとこを連れていく、という体を装って、『ゴジラ対ガイガン』を見に行きました。後に同じ高校に、ふとしたきっかけから特撮好きの同級生を発見し、意気投合して、『ゴジラ電撃大作戦』のときの東宝チャンピオンに行こうという話になりましたが、果たされませんでした。『ゴジラ対ガイガン』では、なんといってもキングギドラがニコイチになってしまったことが印象的でした。ニコイチ(2個1)には、様々な意味があるそうです。電気屋を営んでいた友人の説明では、ニコイチは「(例えば)新製品の冷蔵庫と型落ちした洗濯機を抱き合わせにし、価格を調整して売る」というもの。ここでは、ガイガンとキングギドラがニコイチという形です。宇宙怪獣キングギドラは、それまでに出演した過去作すべてにおいて、単体で複数の地球怪獣を相手に闘いました。『三大怪獣地球最大の決戦(1964年)』では、キングギドラの襲来に対して小美人は言います。「もし、モスラが闘っても、キングギドラには勝てないでしょう。でも・・・・、ひとつだけ希望があります。ゴジラとラドンとモスラと、力を合わせることです。みんなで力を合わせればキングギドラに勝てるかもしれません」また『怪獣大戦争(1965年)』では、X星人が以下のように要請します。「キングギドラを撃退するために、ゴジラとラドンをお借りしたい」さらに『怪獣総進撃(1968年)』で。キラアク星人は地球人に警告します。「キングギドラは宇宙の怪獣です。地球の怪獣では歯が立ちません」このときは、キングギドラにゴジラ、ミニラ、ラドン、モスラ、アンギラス、バラン、バラゴン、ゴロザウルス、クモンガ、マンダが立ち向かいました。いずれの場合も、キングギドラは地球怪獣とのハンディキャップマッチを行ってきました。残念ながら、結果的にはすべてキングギドラが負けていますが。キラアク星人は、それ以前のキングギドラの戦績をどう評価していたのでしょう?とはいえ、宇宙怪獣キングギドラには、地球怪獣が1体では敵わない怪獣だったはず。それほど、強大でスペシャルな怪獣だったのに。『ゴジラ対ガイガン』では、新怪獣ガイガンと旧怪獣キングギドラというニコイチ扱いなのです。それでもって、ゴジラ、アンギラス組とガイガン、キングギドラ組という2対2のタッグマッチです。しかも、タイトル名は出ているのはガイガンのほうです。ちなみにに、キングギドラが映画の題名に名前を登場させるのは『『ゴジラvsキングギドラ(1991年)』が初めてです。思い出すのは、黒い魔神と恐れられたプロレスラー、ボボ・ブラジルです。全盛期には、必殺のココバットを武器に、WWA世界ヘビー級チャンピオンとなり、日本では連続防衛記録を更新中のジャイアント馬場を倒してインターナショナル選手権を獲得、さらに第11回ワールドリーグ戦では、その年の優勝者、アントニオ猪木から本割の対戦でピンホール勝ちを奪っています。誰が、どこをどうやって攻めればブラジルに勝てるのか、と思ったほどの強さでした。そうした本格派の最強のレスラーとしての華々しい活躍したブラジルも、後年は、「(当時トップレスラーだった)アブドーラ・ザ・ブッチャーのパートナーとなって、花束を食いちぎるパフォーマンスを行うなどヒールに徹した:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」となりました。ボボ・ブラジルとキングギドラ、重なるところがあります。ともあれ、キングギドラはガイガンとともに、地球(日本)に降り立ち、破壊の限りを尽くします。そこへ駆けつけたのが、ゴジラとアンギラス。いよいよ地球(日本)怪獣チームと宇宙怪獣チームの最強タッグ戦のゴングが鳴る。ゴジラとキングギドラの絡みでは、ゴジラがキングギドラを倒して、サンダー杉山ばりの雷電ドロップをおみまいする。雷電ドロップは、その後技の継承者もなく、サンダー杉山の一代芸のようなもの。まさかゴジラがその雷電ドロップを使ってキングギドラを苦しめていたとは。そうしたキングギドラのやられシーンに対して、ガイガンは、飛行しながら腹部の回転カッターでゴジラの肩を攻撃し、流血に追い込むなどの見せ場がありました。このころのゴジラ映画は、制作予算が削減されていたので、過去作の映像が流用されています。今回、映画館の大で見て気づいたのは、ゴジラとキングギドラの闘いのシーンに、一瞬モスラの幼虫が映り込んでいることです。『三大怪獣地球最大』の一場面ですが、そのほかにも過去作が映し出されていましたので、今にもガイラやラドンが出てきそうな雰囲気を感じました。だから、モスラが出てきても違和感があるようなないような、何の映画を見てるんだっけ、と混乱しました。勝敗を分けたのは、タッグワークです。宇宙怪獣組は、タッグといえども、個々別々の闘いに終始している。対する地球(日本)怪獣チームは、ゴジラとアンギラスは、連携プレーで立ち向かいました。ガイガンが蹴り込んできた岩石を、アンギラスはゴジラにパス、そしてゴジラはアタックしてガイガンにお返しする。ゴジラがキングギドラを動けないように抱え込み、そこへアンギラスは背中の鋭い棘を向けて背面フライング・ボディアタック(あるいは垂直セントーンか)、など。一方の宇宙怪獣チームは、ガイガンがキングギドラに指示を与えている様子が窺えるものの、ツープラトンの攻撃はなし。それどころか、キングギドラは、相棒のガイガンがゴジラに攻め込まれているのをボーっと見てる。プロレスなら、ここはタッグパートナーが助けに入るところ。(ゴジラは、アンギラスがやられていると、すかさず助けにいきます)その傍観しているキングギドラのもとへ、アンギラスが忍び寄り、咬みつき攻撃。あげくのはてに、ガイガンのトペ・スイシーダをゴジラがかわしてキングギドラを誤爆すると、仲間割れ状態になる始末。キングギドラも、ガイガンも、お互いにプライドが高すぎるのか?急造タッグチームの弱点をさらけだしたか?その点、ゴジラとアンギラスは、1955年にビクターからA面「ゴジラさん」B面「うちのアンギラス」のレコードが出されたときからの仲ですから。タッグの鉄則は、1+1=2ではなく、1+1が3にも4にもならなければいけなけません。それにしても、この映画でゴジラが一番苦戦するのが、ゴジラタワーなんですよね。侵略者であるM宇宙ハンター星雲人は以下のようなやりとりをします。「この塔(ゴジラタワー)までおびきだせば、こっちで始末をつけてやる」「レーザー光線の準備はいいな」「見ていろ、ゴジラを倒せば我々の作戦は終わったも同然だ」そして奸計に陥ったゴジラは、ゴジラタワーのレーザー攻撃にのたうちまわるのです。いやはやサイボーグ怪獣ガイガンよりも、はたまた金星を3日で滅ぼした最強怪獣(だった)キングギドラよりも、ゴジラタワーは強力なのか・・・。この映画が公開された当時、「子供たちが、怪獣の出ているシーンは見ているけれど、ドラマパートでは映画館を走り回っている」というようなことが言われていました。実際には『ゴジラ対ガイガン』を見た春休み中の映画館で、走り回る子供はいませんでした。しかし、確かにドラマパートはザワザワし、怪獣パートはスクリーンに集中していました。ちょっと前の子供たちは、こういうことはなかった。ドラマパートも、見ていた。その違いは何だろうと考えたとき、生まれたときにはまだテレビがなかった世代と、生まれたときからテレビがあった世代とのジェネレーションギャップではないかと考えました。つまり、映像にふれる機会が限られていたか、映像が身の回りにあるのが当たり前のようになっているか、です。ゴジラシアター『『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』終了後、けっこう拍手がありました。
November 25, 2025
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仮面ライダーの聖地、東映生田スタジオ。東映生田スタジオは、1971年に『仮面ライダー』の制作のために立ち上げられ、以後、1978年まで特撮番組他の制作が行われました。『「仮面」に魅せられた男たち』は、東映生田スタジオの設立当初から、その運営や特撮番組にかかわった方々の物語です。「仮面」に魅せられた男たち [ 牧村 康正 ]・著者:牧村康正・出版社 : 講談社・発売日 : 2023/3/27『仮面ライダー(1971~73年)』が始まったとき、これは東映の等身大ヒーローの歴史を引き継ぐものと期待しました。それまでの東映等身大ヒーローに、深い思い入れがあったからです。しかし、『仮面ライダー』は、東映等身大ヒーローを基礎にしながら、革命的に発展を遂げた特撮ヒーローでした。今回、『「仮面」に魅せられた男たち』を読んで、あらためて確認しました。まず、以前の「東映等身大ヒーロー」と『仮面ライダー』との違いは、何といっても前者が白黒映像で、後者がカラー映像だということことに気づきました。そこで、両者の違いを考察するために、便宜上、「白黒時代の等身大ヒーロー」と「カラー時代の等身大ヒーロー(仮面ライダー)」という分け方をしてみました。この分け方に準ずると、「白黒時代の等身大ヒーロー」は東映東京撮影所で、そして「カラー時代の等身大ヒーロー」が東映生田スタジオで、撮影されたということができました。さて、幼少期に心躍らせた「白黒時代の等身大ヒーロー(東映)」とは、・劇場版『月光仮面(1958~59年)』・劇場版『遊星王子(1959年)』・『七色仮面(1959年)』・『新・七色仮面(1960年)』・『アラーの使者(1960年)』・劇場版『『宇宙快速船(1961年)』・『ナショナル・キッド(1960~61年)』 他ここに並べた等身大ヒーローは、みんな「仮面」をつけています。なお、『新・七色仮面』、『アラーの使者』、劇場版『『宇宙快速船』で等身大ヒーローを演じたのは、のちの国際スター千葉真一氏です。本書の中にも、「衝撃の千葉真一ビンタ事件」など、お名前が出ていました。60年代前半、テレビアニメが放映され大人気となり、等身大ヒーローの出番はなくなります。さらに、1966年ごろから怪獣ブームが起こります。そこに参戦する形で、東映は特撮怪獣番組『仮面の忍者赤影(1967~68年)』を送り出しました。カラー作品でした。では、タイトルロールの赤影は、等身大ヒーローではないのか?ここでは除外します。その理由は、「変身」しないからです。赤影はその題名の通り「仮面」をつけていますが、素顔でも呼び名は赤影です。仮面ライダーのように、本体は本郷猛といった使い分けがありません。同時期に、宇宙で怪獣や宇宙人と闘うカラー作品『キャプテンウルトラ(1967年)』がありました。こちらも、「変身」しません。そして、怪獣ブームの中心的存在となるマグマ大使、ウルトラマンといった怪獣と闘う巨大ヒーローが登場しました。東映も、『ジャイアントロボ(1967~68年)』(カラー作品)をそこに参戦させました。こうした巨大ヒーローの勢いが強大で、等身大ヒーローはその存在が忘れられていました。ここまでが、東映東京撮影所でつくられました。そうした経緯を経て、いよいよ東映生田スタジオから『仮面ライダー』が発進します。本書の内容は、「カラー時代の等身大ヒーロー」の始祖、「仮面ライダー」が主となっています。それでは、「白黒時代の等身大ヒーロー」と「仮面ライダー」は何が違ったのか?ここでは、①スーツアクター、②ヒーローショー、③キャラクター・マーチャンダイジングの3点に注目してみました。①スーツアクター現・大野剣友会代表、岡田勝氏は語ります。・初めて生田スタジオを見たときの印象は、まあ、掘っ立て小屋だよ。おれらは東映(大泉の撮影所)を見慣れていたから。(P139)当時東映は労働争議の真っ盛り。『仮面ライダー』の撮影を予定していた東京撮影所内の東映東京制作所では、撮影が危ぶまれていたそうです。(P61)そんな状況の中で、番組づくりを行うために、ゲリラ的に設立されたのが東映生田スタジオだったわけです。なので、施設設備が整わないにもかかわらず、『仮面ライダー』の撮影が始まったのです。「大野剣友会」は、『仮面ライダー』のキャストクレジットにその名が登場します。本書には、以下の記述がありました。・『仮面ライダー』の見せ場が、ライダーと怪人、あるいはライダーとショッカー戦闘員の格闘シーンであったことはたしかであり、さらにその格闘シーンは危険であればあるほど子供たちを楽しませる。ときにはショッカーになり、ときにはマスクをかぶってライダーになり、アクロバテイックな格闘シーンを演じる大野剣友会メンバーは、いわば"危険を売る男たち”である。(P140)つまり、元祖スーツアクターさんたちなのです。さらに本書の記述を追います。・殺陣や技斗(現代劇の殺陣)、あるいはスタントというジャンルは、そもそも映像作品における裏方の部門だった。しかし『仮面ライダー』によって、いちやくその重要性が見直されるようになった。(P142)仮面ライダーは、その必殺技がライダーキックです。だから、生身のアクションで、ライダーキックの破壊力に説得力をもたせなければなりません。言い換えると、改造人間である仮面ライダーの超人的な肉体能力を表現することが必要です。そのために、「大野剣友会」は、例えば、高く飛ぶ、高く飛んだら空中回転するなどのトランポリンを駆使した超絶アクションを繰り広げました。それは、ハードな訓練を積んだプロでなければできません。「白黒時代の等身大ヒーロー」には、そうした超絶アクションはまだありませんでした。(アクションシーンは、格闘よりも銃の撃ち合いのほうに力が入っていた)そんな中で、千葉真一は、七色仮面とその正体である蘭光太郎の両方を演じていました。そして、七色仮面としては、二丁拳銃を構えた格好でテーブルの上に立ち、その姿勢で後方宙返りをして床に着地してみせました。(映像では、その場面を逆回転で使われていました)子供たちは七色仮面の超人性を受け止めましたが、これは限られた個人の技でした。(千葉真一は、オリンピックをめざす器械体操の選手でした)それに対して、仮面ライダーの時代は、専門家集団の「大野剣友会」や千葉真一率いる「JAC」が、ヒーローや怪人、戦闘員に扮し、プロとしてアクションを格段に底上げしたのです。2.ヒーローショー・特撮キャラクターが登場する催しは、ゴジラやウルトラマン関連で小規模に行われていたが、本格的なアクションを実演で披露するのは仮面ライダーショーが初めてである。(P192)確かに、60年代の特撮関連の催しを見に行くと、怪獣の着ぐるみや小道具等の展示、ステージでは出演者のインタビューなどがあり、その横に怪獣たちが共演する、という展覧会形式でした。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の「第一次怪獣ブーム」には、(「展示形態のイベントから)「アトラクション・ショー」に発展していったという。遊園地での「怪獣ショー」は、1965年4月17日に多摩テックで開催された『ウルトラQ大会』が初である。との記述があります)「白黒時代の等身大ヒーロー」の時代は、派手なアクションを見せてくれる形でのヒーローショーなるものはなかったのです。せいぜい映画や番組の宣伝用に、等身大ヒーローや着ぐるみ、出演者の顔見せのようなものがあったくらいでしょう。けれど、80年代に、後楽園ゆうえんちの野外劇場でヒーローショーを見たときは、驚きました。スーパー戦隊のメンバー数人が敵軍団と闘うが、多勢に無勢でピンチに陥る。そこへリーダーのレッドが、ステージを見下ろすジェットコースターに乗って颯爽と登場!ジェットコースター上から銃を乱射して、メンバーを救う。このタイミングとカッコよさですよ。さらにその後も、戦隊チームと敵軍団は、ステージ上で生の超絶バトルアクションを展開しました。こうしたヒーローショーを「仮面ライダーショー」として始めたのが、「大野剣友会」でした。「大野剣友会」は、まさにテレビの『仮面ライダー』に出演している人たちが、直に目の前で本物のライダーアクションを見せてくれたのです。この「仮面ライダーショー」は、「東映生田スタジオ」のビジネスとして、「大野剣友会」と協同で展開されました。しかし、その爆発的人気は東映本社の知るところとなり、やがて東映本社のビジネスとして一本化されていくに至ったようです。本社には「東映アクションクラブ」が置かれ、そこに俳優寿明氏が所属していました。本書は、唐沢氏がヒーローショーに出演していたころのエピソードにもふれています。ちなみに、唐沢氏が主演した映画『イン・ザ・ヒーロー(2014年)』は、スーツアクターの経験を生かした作品です。3.キャラクター・マーチャンダイジング「白黒時代の等身大ヒーロー」時代にもヒーローグッズはありました。その代表は、キャラクターお面でした。セルロイドの七色仮面のお面をかぶり、風呂敷をマントにして、なりきりました。そして、メンコ。本来、メンコ遊びは、勝った負けたで、取った取られた、というやりとりをします。けれども、お気に入りのデザインはコレクション用にとっておきました。また、ブロマイドもありました。古新聞でできた封筒状の袋にブロマイドが入っていて、くじのようにひいて取る。だから、何が出るかはわかりませんでした。経験上は、あんまりいいデザインのブロマイドにあたることがありませんでした。そのほか、『ナショナルキッド』では、少年探偵グループのバッジ。ナショナルキッドの肖像が描かれたメダルのようなものでした。さらに、ナショナルキッドの武器であるエロルヤ光線銃型の懐中電灯。これがほしかったけど、買ってもらえませんでした。エロルヤ光線銃以外は、駄菓子屋商品でしたね。そんなものでした。「白黒時代の等身大ヒーロー」の時代は、モノもカネもありませんでしたから。もうひとつ、マーチャンダイジング権についての意識も希薄でした。番組側は「宣伝になる」ととらえて、野放し状態だったとも。勢い、パチモンも出回っていました。それはそれで楽しかったのですが。しかし、所得倍増計画、高度成長期を経て、日本は〔経済的、物質的に〕豊かになったのです。「仮面ライダー」のグッズでまず有名なのは、「変身ベルト」です。「光る!回る!変身ベルト」は「テレビと同じ」というコンセプトが功を奏しヒット商品となった。パッケージに「このベルトはライダーに変身する時に使われている物と同じです」と記された。「光る!回る!変身ベルト」は1971年からの約2年で380万個を売り上げた。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)本書の中にもその話が出てきます。この「変身ベルト」は、「当時の玩具としては相当な高額である1500円(Wikipedia)」だったそうですが、ベストセラーとなりました。「変身ベルト」が売れた影響からでしょうか、以前、特撮系の書籍で以下のような記述を読みました。・ジャンボマシンダー(2500円~)「そんな高価なおもちゃが売れるのか?」「モーレツ社員のお父さんは子供と遊ぶ時間がない。その罪滅ぼしに買ってくれるはずだ」この読みはあたったのです。(ジャンボマシンダーには「仮面ライダーV3」などが加わりました)このころから、おもちゃ(ヒーローグッズ)の価格設定が変わった、とのこと。これはどうなんでしょうねー?本書の中には、以下の記述が見られました。・後年になるとスポンサーを兼ねるおもちゃ会社の立場が強大になり、とくに平成以降の『仮面ライダー』は番組そのものがおもちゃの宣伝になってしまった、という批判を呼んでいる。(P280)年末商戦に合わせて、スーパー戦隊や仮面ライダーなどには、新しいキャラクターやアイテムが加わる。とは、よくいわれることです。特撮グッズ、ちょっとインフレを起こしているように思いますが。ともあれ、ともあれ、送り手ではなく、受け手の『「仮面」に魅せられた男たち』の一人としては、「仮面」という点では、以下のちがいをまとめました。「白黒時代の等身大ヒーロー」は、仮面によって、二面性をもつというミステリアスな雰囲気がありました。正体を隠すことにより、敵を欺くにはまず味方から、といった活動を期しているのです。だから、人前で「変身」はしません。「カラー時代のヒーロー(仮面ライダー)」は、仮面によって正体を隠すというより、パワーアップして怪人やロボットと闘います。いわば強化服、戦闘服を装着するという印象です。なので、敵前で「変身!」します。
November 21, 2025
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古生物学者グラントと古植物学者サトラーは、大富豪ハモンドが建設したジュラシック・パーク(開園前)に招待される。そこは、最先端バイオテクノロジーによって再生された本物の恐竜たちが展示されたテーマパークだった。グラントたちは、数学者マルコムやハモンドの孫である姉弟らと一緒に、自動運転の電気自動車に乗り込んでパーク巡りのツアーを行う。しかし予期せぬトラブルの連発で、コンピュータ管理のセキュリティ等が無用の長物と化し、解き放たれた肉食恐竜たちの襲撃を受けるのだった。ジュラシック・パーク【Blu-ray】 [ サム・ニール ]映画館へ『ジュラシック・ワールド/復活の大地(2025年)』を見に行きそびれていたら、上映期間は終了し、配信が始まっていました。こうしたシリーズものの最新作にあたっては、旧作を全部見ないといけません。登場人物やエピソードなどがつながらないと、悔しい思いをしますから。今回は、ジュラシック・シリーズの過去作6本を通してみました。そして、原点を振り返る意味で『ジュラシック・パーク』の原作小説も読みました。けれども、最新作の劇場公開は見逃してしまいました。ジュラシック・パーク(上) (ハヤカワ文庫) [ マイケル・クライトン ]ジュラシック・パーク 下 (ハヤカワ文庫NV) [ マイクル・クライトン ]さて、原作小説を読んでみて、いくつか発見したことがありました。そのひとつは、インジェン社CEOハモンドの孫たちが、小説と映画では、兄と妹が逆になっている。小説版の妹はわがままで手を焼かせるのですが、映画の設定では姉も弟もそういった駄々っ子ではない。そのため、映画版はスムーズに、テンポよく話が進みます(上映時間の制限があるからね)。また、ハモンド老の性格もちがっていました。この点は、後追いで小説を読んだため、違和感がありました。そういった中で、小説版により、映画『ジュラシック・パーク』の印象があらたまったところがあるのです。映画版では、十分に受け止めていなかったのかもしれません。映画『ジュラシック・パーク(1993年)』は、とにかく恐竜がリアルだというのが売りでした。そのリアルさは、コンピュータグラフィックスとアニマトロニクス、そしてストップモーションの組み合わせで実現しました。とりわけ、CGが話題になり、この映画がCG革命の起点になったと記憶しています。『ジュラシック・パーク』以前、映画に恐竜を登場させる場合は、ストップモーション着ぐるみが主でした。『最後の海底巨獣(1960年)』とか『恐竜100万年(1966年)』とか『恐竜の島(1976年)』とか。そういった恐竜映画もローテクだけれどひいきにしていました。『キングコング(1933年)』なんて、実際に見たのは初公開から30年もたっていましたが、コングや恐竜などが生き生きと動き回り、驚異の映像と感じたものです。しかし、映像技術は着実に進歩していき、本作のCG、そしてアニマトロニクスによる恐竜は確かに生物感が違いました。古生物学者グラント、古植物学者サトラー、数学者(無秩序理論学者)マルコムは、外部協力者としてジュラシック・パークを訪れます。映画の中で、グラント博士たちの一行が、初めて生きた恐竜の姿を目の当たりするシーンがあります。そこでは、驚くグラント博士たちの表情をまず映し、恐竜を見せません。このあたりはスピルバーグ演出です。そして、間をとって、ようやく巨大なブラキオサウルス(CG)を見せてもらえます。観客は、CGによる、いかにもナチュラルな恐竜に出会うことになるのです。『ジュラシック・パーク』の売りは、バイオテクノロジーで本物の恐竜を蘇らせるところにあります。そして、映像においても、まさに本物の恐竜が動いているように見せました。そうしたビジュアル面と、襲い来る肉食恐竜との追いつ追われつのスリリングな展開などが見どころになっています。しかし、それだけではなく、重要な問いかけがなされておりました。科学技術の進歩や人間の驕り、自然や生命力の深さなどについての議論です。そこのところは、小説版のほうが掘り下げてありました。けれども、ここでは、映画版の重要ポイントを拾っていきますしょう。ジェフ・ゴールドブラム扮する数学者(本人曰く、無秩序理論学者)のマルコム博士は、折に触れて「カオス理論」を持ち出します。「カオス理論」とは、小さな事が結果的には大きなズレを生む。そのため、未来は予測不能だ。というものです。それに対して、ジュラシック・パークの主催者ハモンドや、スタッフの科学者たちは、自分たちの研究成果やパークのセキュリティなどを信じ切っています。巨額の費用をかけ、最新最高のテクノロジーを結集したとの自負があるからです。例えば、恐竜は、コントロールセンターで徹底的に管理されていて、産卵は研究室内でしか行わない設定を施した。つまり、(パーク内の)野外に棲息する恐竜が産卵することはない、完全に個体数を管理している、と遺伝子学者ウーは説明します。なぜならば、遺伝子操作により、恐竜は「雌だけ」だからだ、ということ。それに対して、マルコム博士は、・100%の確率を保つ事は不可能だ。・進化の歴史を振り返ればわかる。・生命を抑えつける事はできない。・生命は危険をおかしてでも垣根を壊し自由な成長を求める。・生命は繁殖する道を探す。と反論します。実際に、後になって、グラント博士は、野外(当然、研究室の外)で恐竜の卵の殻を発見します。これは、恐竜のDNAの欠損部分をカエルの遺伝子で補ったことから発生したできごとなのです。ある種のカエルは、その集団が雌だけになったとき、性転換が起こって雄が出現するとのこと。それだけ生物の種の保存については守られているのです。自然には侮れないパワーがあり、人間側は「雌だけ」しか発生しないように加工したつもりでも、クローン復元した恐竜はそれを超えて卵を産むことがありうるという指摘です。カエルの例をその根拠としたわけです。そうした恐竜の個体数管理とは別に、古植物学者のサトラーはつぎのような疑問を呈します。・太古の生態系が分からないのにどうやって環境の管理を行うの?恐竜の生息していた時代と現代では、何憶年、何千万年の気が遠くなるような時間差があるのです。同じ地球であっても、大気の状態や動植物の種類、数量などなど、環境には大きな違いがあります。科学技術の進歩により恐竜をクローン復元することができたとしても、今現在は太古の生物が棲息することができるかどうかわかりません。また、グラント博士も危惧を表明します。・6500万年の進化で隔てられた恐竜と人間が突然同じ世界で共存する。何が起こるか予測できる者はいません。さらに、もう一度マルコム博士の言葉です。・恐竜は森林破壊やダム建設で絶滅したのではない。・地球上での生息期間を全うして自然淘汰された生物だ。なお、『ジュラシック・ワールド/復活の大地(2025年)』では、以下のような設定になっています。世界中に放たれた恐竜たちは、気候や環境に耐えられず数を減らし、今は赤道直下の限られた地域にだけ生息していた。(映画『ジュラシック・ワールド/復活の大地』公式サイトより)こうしたの学者たちの意見を聞いて思うことがあります。携帯音楽プレイヤーができたころ、「これで、エベレストの頂上でもモーツァルトが聞ける」というような企業側の言葉があったという話を聞きました。いつでもどこでも音楽が聞ける。そして、携帯電話やスマホの時代となり、いつでもどこでも、電話、メール、ウエブ検索、ゲームなどができる。しかし、いつでもどこでも、やっていいわけではない。いつでもどこでもできる、というメリットや利便性が売りとなり、価値となり、そのために優先順位を誤解し、いつでもどこでもやっていいことになりがちです。マルコム博士が唱える「カオス理論」は、小さな事が結果的には大きなズレを生む。そのため、未来は予測不能だ、というものでした。パーソナルメディアの開発や販売会社は、音漏れ、歩きスマホ、スマホ依存症等は予測できなかったのでしょうか?それらはユーザー側の問題なのでしょうか?『ジュラシック・パーク』には、科学技術の進歩によって、「できるようになった」からといって、「やってもいい」のか?という問題定義がありました。
November 18, 2025
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「ゴジラを飛ばした男」=坂野義光氏が監督した『ゴジラ対ヘドラ』は、ゴジラ・シリーズの中でも異彩を放つ映画でした。ゴジラを飛ばした男 85歳の映像クリエイター坂野義光 [ 坂野義光 ]最初に、『ゴジラ対ヘドラ(1971年)』の監督について意識したのは、つぎのような文言でした。坂野義光監督は、『ゴジラ対ヘドラ』で公害を扱い、企業を悪者にした。そのため、企業側からのバッシングを受け、以降、映画監督としての仕事ができなくなった。これが何に書かれていたのか、今では明らかにできません。確かに、坂野義光氏が監督した劇映画は『ゴジラ対ヘドラ』の一本だけなのです。だから、この文章を読んだときは、「ひどい話」だと同時に「さもありなん」とも思いました。そして、本書『ゴジラを飛ばした男』の中に、そのくだりが出てくるのではないかと思って読み進めました。ところが、「企業からのバッシングで、映画監督ができなくなった」というような記述はありませんでした。それどころか、『ゴジラ対ヘドラ』が公開されたころから、公害に対する問題意識が高まり、各企業が積極的に公害対策を行った、とのこと。、そういったことから、坂野義光は「コジラ対へドラ」が環境問題克服のために一定の役割を果たしたのではないかと自負している(P161)。と監督の思いがつづられていました。なので、企業からのバッシング問題はなかったこととしました。ただ、田中友幸氏(ゴジラ映画22本他にかかわったプロデューサー)がインタビューで「あいつ(坂野義光氏)には二度と特撮映画を監督させない!」との発言したことが記されていました(P156)。さらに、本文中には、田中友幸は、なぜ「坂野には、二度と怪獣映画は撮らさない」といったのか。ゴジラを飛ばしたことに激怒したのか、サイケデリックな実験的演出のためか、文明批判が強すぎると判断したのか。そのはっきりした理由は、田中友幸が故人となっている今、知るよしもない(P156)。と書かれていました。ここにある3点、ゴジラを飛ばしたこと、実験的演出、文明批判などは、『ゴジラ対ヘドラ』が異彩を放つところです。その中でも、最も注目度が大きいのは、やはり「ゴジラを飛ばしたこと」です。だから、この本のタイトルにもなっています。『ゴジラ対ヘドラ』で、(今のところ)ゴジラはただの一回だけ、自力で飛行しました。ゴジラが飛んだことについて、特技監督の中野昭慶氏は「このシーンは内外でも賛否両論だった」と証言しています。ゴジラ対ヘドラ 4K リマスター 4K Ultra HD Blu-ray【4K ULTRA HD】 [ 坂野義光 ]当時、私は、ゴジラが飛行能力を発揮したのは、「ガメラの影響」だと思いました。もともとガメラは、ゴジラの後追い企画です。だからこそ、ガメラは、ゴジラにない能力や映画での表現を工夫し、差異を図る必要があったのだと思います。そういったいきさつから、ガメラは飛行能力をもたせたのでしょう。亀が飛ぶ、しかもジェット噴射で。それは、かなり無理のある設定だったと思います。けれども、映画の観客は受け入れました。当時小学3年生だった自分も、ガメラの驚異的な能力として評価してました。また、ガメラ・シリーズは、怪獣同士が闘う中で大怪我をしたり流血したりするシーンを盛り込みました。流血シーンは、もとはといえば「ゴジラの逆襲(1954年)」で、ゴジラがアンギラスに咬みついて、その傷口から血が流れ出ます。けれども、白黒映画で夜間のシーンだったため、あまり目立ちませんでした。それに対して、ガメラ・シリーズは、例えば『大怪獣空中決戦ガメラ対ギャオス(1967年)』において、ギャオスの超音波メスによって、ガメラの前脚などがザックリと切れておびただしい流血を見ます。ただし、血液は緑色。ゴジラの逆襲【Blu-ray】 [ 小泉博 ]大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス 大映特撮 THE BEST [ 本郷功次郎 ]そうこうするうちに、本家にあたるゴジラ・シリーズも、『ゴジラ対ヘドラ』でゴジラが大怪我をします。さらに、『『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン(1972年)』で、ガイガンのノコギリ攻撃で、ゴジラ、アンギラスが大流血をします。地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン【Blu-ray】 [ 石川博 ]そうしたところに、ゴジラ映画がガメラ映画の影響を受けていると感じたのでした。ガメラの飛行能力に話を戻します。『大怪獣ガメラ(1965年)』を見たとき、小学生だった私は、ガメラの飛行能力について考えました。きっと、ガメラは、甲羅の中に頭、脚、尻尾をひっこめて、口から吐く火炎を甲羅の中へ噴射し、脚の部分から排出して飛んでるんだ、と解釈しました。これはジェット噴射についての理解がなく、ただ勢いよく火を噴きだせば飛べると考えていた次第です。だったら、ゴジラだって、放射能熱線を活用すれば飛べるんじゃないかと妄想しました。ただ、ゴジラは、ガメラのように、放射能熱線を吹き出す穴をもっていません。ゴジラは、口から噴射するしかないんです。それなので、どういうフォームで飛ぶかは検討がつきかねました。まさか、本映画のように、タツノオトシゴスタイルで、背面方向に飛ぶ姿勢には思いが及びませんでした。大怪獣ガメラ 大映特撮 THE BEST [ 船越英二 ]とにかく、そのようにして、ゴジラは飛んだわけです。この最大の論点である「ゴジラを飛ばせたこと」について、本文にはつぎのように書かれていました。コジラの放射能と電極板の効果でヘドラを倒す。しかし、それでもヘドラは死なない。崩れた土くれの中から、小さくなったヘドラが蘇生して、地を這うように飛んで逃げる。最後のとどめを刺すには、それを捕まえてきて、もう一度、電極板の間に連れてこなければならない。「クライマックスとなる、このシーンに何か乾坤一郷のアイデアはないか」従来のゴジラのようにノッシノッシと歩いていては追いつけない。その時、坂野義光の脳裏にかねてから考えていたアイデアが浮かびあがった。「ゴジラが放射能の逆噴射で空中を飛行して追跡するというシーンはどうだ?」(P154)ゴジラがノッシノッシと歩くことについて、岡田斗司夫氏はつぎのようなないようをお話しています。(『ゴジラ対メガロ(1973年)』について)最後の決戦で闘うのが、富士山の麓なんですよ。そこまで、ゴジラどうやって来ると思いますか?なんとゴジラ歩いてくるんですよね。で、ゴジラ闘って、最後に勝つんですよ。映画のラストシーンで、まさかと思ったらゴジラ歩いて帰るんですよ、富士山の麓から。もうね、このシーン見るだけでも、これ見る価値ありますから。(youtube岡田斗司夫ゼミ 2018年12月9日 から抜粋) ゴジラ対メガロ【Blu-ray】 [ 佐々木勝彦 ]富士山の麓で、正義のロボット=ジェットジャガーが、悪の怪獣タッグ=メガロとガイガンに苦戦しているわけです。ジェットジャガーを助けるためには、スピード感が求められるところです。けれども、ゴジラは歩いてくるしかない。そして、一仕事終わったら、また歩いて帰るという流れです。その点、ガメラは、敵怪獣との闘いの場に飛来し、終わればまた飛び去っていくのです。月光仮面じゃないですが、疾風のように現れて、疾風のように去っていく、といったカッコよさがあります。つまり、ノッシノッシと歩くというゴジラの重量感もいいのだけれど、場面の展開によりけりということになります。そういった判断から、坂野義光監督は「ゴジラを飛ばした」のですね。『ゴジラ対ヘドラ』が公開された1971年といえば、テレビでは『仮面ライダー(1971~73年)が始まった年です。『仮面ライダー』は「等身大変身アクション」が受けました。時代は、スピーディー、ダイナミックなアクションに傾いていったのです。ちなみに、『ゴジラ対メガロ』は、『ゴジラ対ヘドラ』より後につくられています。つまり、ゴジラの飛行能力が発揮されたあとなんだけど、それを使っていないということです。考えるに、飛行能力は、ゴジラにとってよほど火急な場合でないと使わないのではないでしょうか?つぎに、ゴジラが緊急事態ととらえるのはどんなことなのか、とても興味があります。さて、坂野監督は、ゴジラ映画を監督したのは1本きりだったわけです。一番多く監督作品があるのは本多猪四郎氏で、8本です。また、本多監督は、ゴジラ映画以外にも特撮映画を多くつくっています。この本多監督は、「映画はドキュメンタリーのようにテーマを全面に出すのではなく、見る人が楽しむことを重視していた」と述べているそうです。一方の坂野監督は、本書の中に以下の記述があります。低予算に苦しめられた『ゴジラ対ヘドラ』だったが、坂野義光には譲れない一線があった。それは、「子供だけでなく、大人の観賞にも耐えるものにする」ということだった。大人の観賞に耐えるためには、明確なメッセージがいる。そのためには、現代の悪である公書を象徴的かつリアル描く必要がある。大ステージ内にプールを組み、海面を覆って次々と押し寄せるゴミの絨毯を再現した。針のない柱時計。手足のもげた人形。本物の魚。そのシーンを延々と撮影したため腐敗が進み、耐えられないほどの悪臭の中での作業となった。(P139)坂野義光監督と本多猪四郎監督は、それぞれ、あの黒澤明監督とのかかわりがあります。本多氏と黒澤氏は、ともに映画監督山本嘉次郎氏に助監督として付き、親友の間柄でした。そうした縁から、本多氏は、『影武者』以降の黒澤作品を演出補佐として支えました。本多監督と黒澤監督については、本多監督か職人タイプ、黒澤監督は芸術家タイプといわれました。一方の坂野監督は、助監督として黒澤監督に師事しました。そして、坂野氏は黒澤監督から薫陶を受けたことが、本書にも記されていました。私たちは、本多猪四郎監督のドキュメンタリータッチのゴジラ他の特撮映画を見慣れていました。そんな中で出現した『ゴジラ対ヘドラ』は、黒澤明監督の芸術性を引き継いだ坂野義光監督のアーティスティックなゴジラ映画だと思いました。
November 11, 2025
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思い返せば、幼稚園に入る前に、まずは映画で〔空想映像〕の直撃を受けました。記憶の原初にあるのは、東映映画『遊星王子(1959年)』、東映動画『少年猿飛佐助(1959年)』、東宝映画『宇宙大戦争(1959年)』など。そして、我が家にテレビが入り、ますます〔空想映像〕熱は高まっていきました。現在、「アニメ文化」と「特撮文化」はそれぞれのジャンルとしてとらえられているようです。そういった中で、本書の筆者、氷川竜介氏は、【両者を統合的に考える上位概念として「空想映像文化」を造語として設定した】とのこと。また、【「アニメと特撮」が同じ枠組みに入った時期を「テレビまんが時代」と規定します】とあります。空想映像文化論 怪獣ブームから『宇宙戦艦ヤマト』へ [ 氷川 竜介 ]そして、この「テレビまんが時代」は、【1960年代前半から1970年末ごろまで】とくくられています。同時に【1963年から本格化した「テレビまんが時代」】という記述も見られます。当方は、1963年に小学1年生でしたから、児童期に、幸福な「テレビまんが時代」をすごした世代と言えます。ですので、本書で述べられている内容はよく理解できました。さらに、「空想映像文化」が「アニメ文化」と「特撮文化」に二分されていく過程においては、「特撮文化」の流れに乗っていきました。そうして「アニメ文化」からは距離を置いたのですが、本書にあるような双方が影響し合っていたという状況を知り、あらためて「アニメ文化」への興味が高まった次第です。その上で、まず最初に、本書にある【65年以前からある「等身大実写ヒーロー作品」「単体のテレビ怪獣作品」も「テレビまんが」と考えられますが、本書ではウエイトを置きません】という部分について、触れてみたいと思います。これは、同じように本書にある【「テレビまんが文化」と「漫画文化」】の記述からインスパイアされたものです。 さてさて、65年以前からある「等身大実写ヒーロー作品」とは、・『月光仮面』(1958~59年)・『七色仮面』(1959~60年)・『少年ジェット』(1959~60年)・『まぼろし探偵』(1959~60年)・『ナショナルキッド』(1960~61年)などが挙げられます。これらは、後の「仮面ライダー」や「戦隊シリーズ」などの原型といってもいいと思います。「単体のテレビ怪獣作品」とは、・『怪獣マリンコング』(1960年)かな。以上の番組などは、子供向きという点で、筆者が言うように「テレビまんが」と考えられます。そして、それぞれの作品には、原作まんが、あるいはまんが化作品があります。・『月光仮面』(『少年クラブ』 川内康範、桑田次郎 他)・『七色仮面』(『ぼくら』 川内康範、一峰大二 他)・『少年ジェット』(『ぼくら』 武内つなよし)・『まぼろし探偵』(『少年画報』 桑田次郎)・『ナショナルキッド』(『ぼくら』 一峰大二)・『怪獣マリンコング』(『少年画報』 越田委寿美、桜井はじめ)というように。つまり、「等身大実写ヒーロー作品」「単体のテレビ怪獣作品」はコマ割り「まんが」ときわめて関係が深いのです。そして、いわゆる「テレビアニメ」を見るためには、1963年まで待たなくてはなりません。すなわち、そこが先に見た【1963年から本格化した「テレビまんが時代」】の始まりになるのです。だから、それ以前は、「コマ割りまんが」を映像化しようとすると、「等身大実写ヒーロー作品他」にするしかありませんでした。端的にいうと、「等身大実写ヒーロー作品他」≒「まんが」という見方ができるのではないでしょうか?いずれにしても、〔空想映像〕において、「アニメ」という選択肢はなかったのです。そういう事情から、これらの「コマ割りまんが」と「等身大実写ヒーロー作品」のメディアミックスの展開があり、そのおかげで「等身大実写ヒーロー作品」や「単体のテレビ怪獣作品」が、まんがつながりで「テレビまんが文化」と考えるところに違和感はありませんでした。それはともかく、「テレビアニメ」が存在しなかった時代は、「コマ割りまんが」と「等身大実写ヒーロー作品」他、その両方を夢中になって見ていました。しかし、「コマ割りまんが」の縦横無尽な設定、展開、アクションにくらべると、「等身大実写ヒーロー作品」他は、特撮その他に課題があったりして、〔空想映像〕としては制限がかかるところが多いように思いました。逆に「コマ割りまんが」は静止画ですから、動きの連続性や音などは制限がありますけど。それだから「コマ割りまんが」と「等身大実写ヒーロー作品」他、その両方とも、受け手として脳内で補填の作業を行っていました。それはそれで、想像力を働かせる楽しさがありました。言い換えると、脳内で〔空想映像〕を映し出して遊んでいました。同時に、より楽しく、興味深く見ることのできるように、進んだ〔空想映像〕を求める気持ちもありました。そういったところで、つぎに挙げたいのが、・『鉄腕アトム (実写版)』(1959~60年)・『鉄人28号 (実写版)』(1960年)のふたつです。鉄腕アトム 実写版 DVD-BOX HDリマスター版 BOX2 [ 瀬川雅人 ]鉄人28号 実写版 HDリマスター DVD-BOX ベストフィールド創立10周年記念企画第8弾甦るヒーローライブラリー 第13集これらは、原作まんがが大人気で、テレビドラマ化(『鉄人28号』はラジオドラマもあった)されました。繰り返しますが、アニメ化が困難だったので、「コマ割りまんが」を「等身大実写ヒーロー作品」にするしかなかったわけです。なお、鉄腕アトムはもとの「コマ割りまんが」からして等身大です。けれども、鉄人28号は「コマ割りまんが」では巨大ロボットです。それなのに、実写版では人間よりやや大きめのロボットとして登場しました。まだ、鉄人を巨大ロボットとして活躍させるための特撮技術が整っていなかったのです。(そのあたり、巨大ロボットではない事情については、子供心に察しがついていましたね)当時、『鉄腕アトム 』と『鉄人28号』は、月刊まんが雑誌『少年』に連載されていてました。そのふたつのロボットまんがは、『少年』の二大看板でした。そのため、ご多分に洩れず『少年』が大好きでした。そのように「コマ割りまんが」の『鉄腕アトム 』と『鉄人28号』に熱狂していましたので、実写版の『鉄腕アトム 』と『鉄人28号』も全身完全集中で見ていました。(なお、当時見ていたのは、再放送のほうだった可能性があります)しかし、我が母は、実写版2作品を「見せたくない番組」ととらえていました。それは、後世になってから、「しょぼい実写版」として、名作アニメ(まんが)の意外性や笑いを提供する形で2つの実写版が紹介されているところから、推して知るべしです。着ぐるみもしょぼい、特撮もしょぼい・・・。とりわけ、つぎのようなエピソードがありました。実写版『鉄人28号』で、あろうことか、金田正太郎少年が爆弾攻撃にあって右往左往、ピンチに陥っているシーンを最後に番組が最終回となってしまいました。あきらかにクリフハンガー状態で「この続きはどうなる?」と思わせておいて、つぎの回はなかったのです。幼稚園児にとっては「ここで最終回って、どういうこと?」と、ただ呆然とするしかありませんでした。そのときは、何かの都合で見られないだけで、きっと続きがあって、少し待てば放映されるはず、と思ってました。実際は、その回で番組が打ち切られたのだと、つまりその続きはつくられていなかったと知るのは大人になってからでした。そうした黒歴史といいますか、辛い実写映像状況を乗り越えて、ついに「空想映像文化」史に劇的な展開が訪れます。実写版『鉄人28号』の続き回を性懲りもなく待ち侘びていた子供が、1963年1月1日、新聞のテレビ番組欄に『鉄腕アトム』の表示を発見します。このときは、実写版『鉄腕アトム』(の最新回)が放送されると思って微塵も疑いがありませんでした。母も「お正月だから、(見せたくない実写版でも)見てもいい」という口ぶりでした。そして、午後6時15分、番組が始まって、とてもとても驚きました。教育ママも驚いていました。なんと、その晩、ブラウン管に映し出されたのは、アニメの『鉄腕アトム』じゃないですか。「テレビで、動くまんがのアトムが見られる!」と狂喜乱舞しました。それ以降、口うるさい母も、アニメ版を見ることは静観していました。ここから、本格化した「テレビまんが時代」のアニメの歴史が始まったのです。まもなく『鉄人28号(1963~66年)』もアニメ化されます。続いて、『エイトマン(1963~64年)』、『狼少年ケン(1963~65年)』と、テレビアニメが量産されていきます。子供向け空想映像番組は、「等身大実写ヒーロー作品他」から「SFロボットを主流としたアニメ作品」への大転換が行われたのです。鉄腕アトム Complete BOX 1 [ 清水マリ ]鉄人28号 HDリマスター DVD-BOX2 [ 高橋和枝 ]ここまでの印象として、「コマ割りまんが」→「等身大実写ヒーロー作品」→「テレビアニメ」という流れが概観できます。このころは、いわゆる「アニメ」という言葉はなく、「テレビまんが」といわれていました。静止画の「コマ割りまんが」に対して、「アニメ」は映像として絵が動く「テレビまんが」というわけですね。受け止めとしては、「テレビアニメ」は、「コマ割りまんが」の空想世界を、よりスムーズにイメージできるように映像化したものだということ。「等身大実写ヒーロー作品」の映像は、「コマ割り漫画」の空想世界を必ずしも表現できないところがありました。例えば、アトムや鉄人の飛行場面です。実写版のそれらでは、飛んでいるアトムや鉄人の姿は人形に入れ替わり、一定の固定的、直線的な動きしかできませんでした。けれども、アニメでは、多様なコースを様々なフォームで飛び回り、ホバリングなどもできました。(『ナショナルキッド』は、唯一実写の飛べる仮面ヒーローで、その飛行シーンの特撮は高評価されています。そういう特撮もできないことではなかった。参考までに)また、鉄人28号や敵ロボット、モンスターなどが、大きいものは大きいなりに描かれました。そんな感じで、テレビアニメは、「等身大実写ヒーロー作品他」にあったノイズやストレスが、とりあえず軽減されました。〔空想映像〕の世界が、テレビアニメにより充実度を増しました。そのようにしてアニメを楽しんでいた2年後、1965年1月2日に『ウルトラQ』が始まります。ここから怪獣ブームという形で、特撮実写の映像作品が盛り上がりを見せます。本家円谷特技プロがテレビ業界に登場したことにより、クオリティの高い実写映像が家庭で見られるようになったのです。では、ここで、怪獣ブーム年代に再登場した『黄金バット』について考えてみたいと思います。『黄金バット』は特撮とアニメの相互関係(「「空想映像文化」」)において、おもしろい立ち位置にあると思います。元祖『黄金バット』は、戦前の紙芝居というメディア出身のスーパーヒーローでした。その流れで、絵物語や映画にもなっていますが、とりあえずそこは置いておきます。「テレビまんが時代」の『黄金バット』について言及します。1966年、東映特撮映画『黄金バット』が公開されました。この映画、なんと特撮時代劇『怪竜大決戦』との二本立てでした。怪獣ブームのさ中で、当時の邦画五社がこぞって特撮怪獣映画をつくっていた、そのうちの1本が『怪竜大決戦』でした。週末にこの二本立てを見て、月曜日に学校で特撮映画好きの友達と話をしたときに彼が放った言葉を、今でも覚えています。「両方ともおもしろかったけれど、『黄金バット』が白黒映画だったのが残念だった」そうなんです。カラー映画の標準化が進行しているんだけど、『黄金バット』は白黒映画で上映されました。しかし、その翌年(1967年)、『黄金バット』は、映画版と設定などをほぼ共有する形で、カラーアニメとしてテレビ番組になります。カラーテレビの普及率が白黒テレビを上回ったのは1973年。だから、1967年は、まだまだ家庭に白黒テレビが多かった、にもかかわらず。黄金バット [ 千葉真一 ]黄金バット コレクターズDVD [ 小林修 ]このように、映画『黄金バット』は、制作予算的にカラーにすることができなかった。それに対して、テレビアニメ『黄金バット』は、積極的にカラー映像にしました。『黄金バット』の白黒映画とカラーアニメ番組のちがいは、映画の斜陽化と勢いを増すテレビ業界との状態を象徴しているように感じました。とりもなおさず、ここにも時代の移り変わりが見られます。そして、テレビ業界の隆盛とともに「テレビまんが時代」が進んでいったのです。(テレビアニメを「コマ割りまんが」化=コミカライズした『黄金バット』もあります。参考までに)そんなアニメ『黄金バット』を見ていて、気づいたことがありました。1967年ごろといえば、第1次怪獣ブームの真っ只中。『空想映像文化論』に述べられているように、『ちびっこ怪獣ヤダモン(1967~68年)』、『おらぁグズラだど(1967~1968年)』といった、怪獣ギャグアニメ番組が放映されました。(本来は実写であるところの)怪獣人気の影響がテレビアニメに及んだわけです。同じように映画でも、アニメ『サイボーグ009(1966年)』の続編は、『サイボーグ009 怪獣戦争(1967年)』でした。ここも、アニメで怪獣が取り扱われています。サイボーグ009 [ 石ノ森章太郎 ]サイボーグ009 怪獣戦争 [ 石ノ森章太郎 ]アニメ『黄金バット』に話を戻します。テレビ放映されたアニメ版『黄金バット』、全51話のうち、9話に「怪獣」という言葉が入ったサブタイトルがついています。そのほかのサブタイトルにも、「怪獣」という言葉はなくても、怪獣を思わせる文面が見られます。そのように、アニメ『黄金バット』には、黄金バットが怪獣と闘う話が多いのです。記憶に残っているのは、怪獣が複数、群れで出現した回があったことです。そのとき、気づいたのは、アニメだからいくらでも怪獣が出せるんだな、ということ。実写の特撮映像では、そうはいきません。怪獣を何体も登場させようとしたら、アニメでは絵で描けばそれができますが、特撮では怪獣の着ぐるみをいくつもつくるための手間や時間がかかります。そのとき、特撮の重みを感じました。同じく、自分は、ただ単に怪獣が見たいわけではないとわかりました。怪獣ブームといって、アニメの中に怪獣が登場しても、その存在感は弱い。特撮の、着ぐるみやミニチュアを使った映像が好きなんだと。そのことがあって、徐々に「アニメ文化」から離れ、その後は「特撮文化」一本に傾倒してずっとすごしてきました。ですが、それは「鹿を追う猟師は山を見ず」状態だったのかもしれません。本書の中にある【「絵で特撮をつくる」がアニメを発展させてきた】に関連する記述を読むにつけ、「アニメ文化」と「特撮文化」の融合により、「空想映像文化」が発展し、クオリティを高めているのだと納得することができました。その背景には、例えば、『GAMERA -Rebirth-(2023年~)』の観賞がありました。『GAMERA -Rebirth-』はアニメなんですが、その映像表現から、あたかも特撮怪獣映画を見ているような錯覚に陥るという経験をしました。アニメでも、特撮怪獣映画を見るのと同じような感覚を得ることができたのです。じつに、「アニメ文化」と「特撮文化」の融合なのでした。小説 GAMERA -Rebirth- (上) (角川文庫) [ 瀬下 寛之 ]小説 GAMERA -Rebirth- (下) (角川文庫) [ 瀬下 寛之 ]
October 31, 2025
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近未来。グレイ・トレイスと妻のアシャは、修理した車を顧客に届けた帰りに、謎の組織に襲われる。アシャは殺され、グレイ自身も全身麻痺の重症を負ってしまう。失意のグレイのもとを大企業の経営者エロンが訪れる。エロンは、運動機能再生のために、AIチップ〔STEM〕を体内に埋める実験を提案する。手術の結果、グレイは再び体を動かすことができるようになる。そればかりか、人間離れした動きができるようになり、人間を超越した身体能力を手に入れてしまうのだった。さらに、〔STEM〕はグレイと脳内で対話し、インテリジェンス面も強化する。グレイは手に入れたこの力を駆使して殺された妻の復讐を決行する。アップグレード【Blu-ray】 [ ローガン・マーシャル=グリーン ]この映画、ざっとあらすじを読んでみて、新手のスーパーヒーローものなのかと思いました。それは「全身麻痺の重傷を負った主人公が、AIチップを人体に埋め込むことで、再び体を動かせるようになるばかりか、人間離れした動きが可能になり、人間を超越した身体能力を手に入れる」という内容紹介から、推測したわけです。スーパーヒーロー贔屓として、つい自分が望む方向を見てしまいます。スーパーヒーローは、様々なきっかけで、「大いなる力」を手に入れます。この映画では、AIチップにより、スーパーヒーローになるのかと解釈したわけです。しかし、コスチュームをまとった正義の味方は登場しませんでした。『アップグレード』は、超人による勧善懲悪のストーリー展開ではなく、主人公の成り行きや行動を通して、あるメッセージを感じさせるのでした。1.アナログ対デジタルグレイは、アナログレコードの音色を愛し、古い高級マニュアル車の修理、調整を生業としています。一方、彼の愛する妻のアシャは、最新鋭の補装具を製造する会社に勤め、全自動運転カーに乗っています。グレイは、修理が終わった車を顧客に届けるため、アシャに伴走を頼みます。アシャの車を帰りの足としたいからです。顧客の家に着き、マニュアル車の持ち主が超一流企業、ヴィッセル社の経営者エロン・キーンだとわかり、アシャは驚きます。エロンは、アシャが同業であるとわかり、ふたりに最新のAIチップ〔STEM〕を見せるのでした。〔STEM〕とは、運転、会話、計算、何でも万能にできる新たな高い頭脳だとのこと。そうしたエロンの説明を聞き、グレイは言います。「そいつに任せたら、失業者が増えるだけだ」帰路、全自動運転カーの中でも、グレイがつぶやきます。「機械が世界を支配したら、俺は仕事がなくなる」ここまでのやりとりは、とても重要です。アナログとデジタル。人間とコンピュータ。この映画は、そういったところに着眼点を置こうとしています。2.謎解きミステリーグレイとアシャは全自動運転カーでくつろぎながらマイホームに向かっているはずが、車は予期せぬ道を走っていきます。途中で、グレイはそのことに気づくのですが、全自動運転カーは指示をまったくを無視し、あげくの果てに派手な転倒事故を起こしてしまいます。そして、追跡してきた何者かの襲撃を受け、アシャが殺されてしまうのです。さらに、グレイも、行きがけの駄賃のようなかたちで、後頭部を撃たれます。なんとか命は助かりましたが、全身麻痺で寝たきり状態のグレイのもとへ、企業経営者のエロンがやってきます。エロンは、「体内に、AIチップ〔STEM〕を埋め込むことで、体の自由を取り戻せる」と、非合法の手術をグレイに進めます。グレイは、自己の不甲斐なさを克服して妻の仇をとるために、極秘の手術を受けることにします。自宅に向かったはずの全自動運転カーは、なぜコースを変更し、制御が効かなくなってしまったのか?誰が、何の目的があって、妻は殺されたのか?エロンが、グレイにAIチップ〔STEM〕を提供したのは、気の毒に思ったからではないだろう。何か裏があるのでは?これらのミステリーでストーリーがリードされます。また、その謎解きに辿り着いたとき、そこにあった戦略の全貌を理解するに至ります。3.AIが自我をもつ。それについては、様々な映画がつくられています。『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング(2025年)』など。この映画も、そうした内容で語られた一本です。ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング ブルーレイ+DVD セット(ボーナスブルーレイ付)【Blu-ray】 [ トム・クルーズ ]主人公のグレイは、AIチップ〔STEM〕の性能により、体をコントロールする力を取り戻したばかりか、より高度な運動能力を発揮できるようになり、それらとともに〔ステム〕と対話することで、情報を得て、作戦を練り、殺された妻の復讐に挑みます。しかし、そう都合のいいことばかりではありません。高度に発達したAIは、自我をもつに至ります。そうすると、AIは自分中心で、自分の都合でものごとを考えるようになりかねません。また、人間にとっての幸福感とは、ドーパミンが出ているときで、そこにひたりすぎるとドーパミン中毒になりかねません。例えば、バーチャル・リアリティの世界で、何のストレスもなく、ぬるま湯につかっているような感覚を提供されれば、ドーパミン中毒から抜け出せなくなることも考えられます。今でも、四六時中スマホを手放せない現実があるのですから。〔STEM〕は、そういう甘美な仮想現実を人間に提供することもできるのです。『アップグレード』というタイトルは、主人公のグレイが、AIチップによって人としての能力を「アップグレード」するストーリーだからかと思っていました。しかし、実際は、人間がAIに依存することや、AIがますます「アップグレード」する怖さを描いていました。
October 28, 2025
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光線を描き続けてきた男 飯塚定雄飯塚 定雄/松本 肇【著】洋泉社(2016/01発売)巨大怪獣が現実世界に出現することはありません。しかし、あたかもそれが現実に起こったかの如く目の当たりにできるのが特撮映像です。特撮の魅力は、実写映像で超現実を見せてくれるところだと思います。この特撮は、日本のお家芸といえるのではないでしょうか。そうした特撮映像を制作した方々の中でも、光学合成、特に光線の分野で大きな実績を残したのが飯塚定男氏です。特撮で、例えば都市の実景に怪獣が出現した場面は、光学合成が行われます。こちら側には建物の下で逃げる人々がいて、向こう側に建物の背後に怪獣が暴れているとします。この場合は、マスクをつかって(それぞれの一方を隠して)二つの場面をひとつのフィルムに焼き付けて合成するわけです(固定マスク)。しかし、状況によっては、一つの場面の中で動いているものを合成する必要も出てきます(移動マスク)。例えば、『モスラ(1961年)』の小美人と他の登場人物が対話する場面など。そこでは、フィルムの1秒間のコマ数が24コマなので、24コマ✕時間(秒数)のマスクがつくられることになります。しかも、当時のテクノロジーでは、なかなかスムーズにはめこめない。ところが、そうした状況にもかかわらず、光学合成において飯塚氏は粘り強さや職人芸を発揮し、あの特撮の神様、円谷英二特技監督をして、「お前は移動マスクの名人だ」と言わしめるほどの高クオリティの映像をつくりだしたとのこと。(120P)さらに、怪獣が吐く光線などの合成では、アニメーションの技術も用いなければなりません。それも、簡単にできあがるものではありません。「モスラの繭を焼いた原子熱線砲の線画には、アニメーション素材を三つ作っているんだよね。一つ目は外側のボケ素材、二つ目はその中を走る光線、三つ目は真ん中の電球から出る一番強力な芯というつもりで分けたんだ。もちろん全部のカットでだよ」(105P)正直言って、光線を描くのに、そこまで手の込んだ作業をしているとは知りませんでした。モスラ【Blu-ray】 [ フランキー堺 ]その『モスラ』から3年後、 『三大怪獣地球最大の決戦(1964年)』のキングギドラの引力光線では、「とにかく量が多かった。ホントに俺の背のね、二倍の枚数(アニメ画)を描いてんだから(中略)本多さんがびっくりしたの。『えっ!こんなに描いたんですか?』って」と飯塚氏は語っておられます。(165P)説得力のある光線を描くためには、質と量の両面をこれでもかというほど充実させなければなりません。よりよい映像表現をめざした成果として、キングギドラの引力光線の表現については、「光線までもが演技をしている」(P164)と評される域にまで達したのです。なにせ、キングギドラの三本の首から、手当たり次第にジグザグ光線が放たれるのです。しかも、スクリーンの右から左、あるいは左から右という光線ばかりでなく、奥から手前に襲ってくるものもあるのです。三大怪獣 地球最大の決戦【Blu-ray】 [ 夏木陽介 ]我々は、ともすると特撮映画について、神様円谷英二特技監督の名前が大きすぎて、特撮のすべて取り仕切っていると思いがちです。しかし、この本を読んでいると、必ずしもそうではないと読み取れます。「『怪獣総進撃(1968年)』でゴジラが港に来て熱線をバァーッと吐くカットがあったんだけど、港がバァンって爆発した瞬間にゴジラが下向いちゃってるんだよ。口の向きと火薬の爆発の位置が全然合わないんだよ。「オヤジさん(円谷特技監督)、合わない」って言ったら、「そんなもんうまく合わせろ」って。しょうがないから、水面を這わすようにして曲げたんだ。そんなのもあった」(P162)怪獣総進撃 4Kリマスター【4K ULTRA HD】 [ 本多猪四郎 ]こうしたやりとりからは、円谷特技監督が、自分のイメージを映像化するにあたって、飯塚氏にまかせて大丈夫という心持があったことが分かります。円谷特技監督が無理難題を投げてきても、飯塚氏は、創意工夫と熱意でなんとかしてしまう。だから、円谷特技監督は、飯塚氏を厚く信頼していたのでしょう。また、飯塚氏も、円谷特技監督を深くリスペクトしていたと感じられます。飯塚氏の懐古に「(『モスラ』の原子熱線砲は)よく見ると、そのライトが点くタイミングと、線画が出るタイミングがずれているんだよな。ずれたんじゃなくて、(中略)点きました、出ましたじゃないんだよな。熱線砲のランプがファッと点いたら、エネルギーが集中するまでの間を持たせて、バッと出るっていうようなことを(円谷特技監督は)考えているんだよ。ほんのちょっとしたタイミングなんだけど、こういうことが大事なんだよな。(P106)」というものがあります。この経験が、飯塚氏のつぎの実践につながるわけです。飯塚氏は言います。「それまでのコジラの光線っていうのは、火薬の爆発に向かってバアーって噴くわけだけど、上がりを見ててね、「当たりました、はい、ドカン」ってのは、ただ繋いだみたいで迫力がないんだよ。(中略)俺は巨大なモノがそんな一発で爆発するわけがねぇなって思ってたわけよ。光線が通ったらすぐにドンって爆発したんじゃ面白くねぇって。大砲の弾だったら分かるけど、光線っていうのは違うんだと。(中略)俺はそこが熱せられて爆発するわけだから、光線が当たってからほんの数コマの間を取ったあとに、ドンっていった方が「強い」って思ったんだ。それで、ほんの3コマぐらいずらして爆発したカットが、ものすごく強く感じたんだな。オヤジも認めてくれたよ。だから、キングギドラのときは、よく見れば分かるように、光線は爆発する3コマぐらい前に、バババって先行していくんだよ。オヤジがキッカケの編集を「お前やっとけ」って言ったのは、そういうタイミングを覚えたから任してくれたんだと思ってるよ」(P163)これらの微妙な「間」が、特撮のリアリティにつながるわけです。そうした円谷特技監督の繊細な「間」を読み取った飯塚氏もすごいと思います。さらにそこから学んで、飯塚氏がご自身の表現につなげていったため、円谷特技監督は「お前やっとけ」と言ったのでしょう。最後に、以下の飯塚氏の言葉について、とりわけ大きな感銘を受けました。「確かに今までできなかったことがデジタルだったら簡単にできるわけだよ。その簡単にできすぎることが、かえって人間の知恵っていうのを閉じ込めているように思うんだな。今はコンピューターがあるために、逆にクリエイティブな面を出さなくったってできるっていう感覚があると思うんだよ。俺はそれが怖いわけ。やっぱり作るのは人間なんだと、使ってる道具がたまたまコンピューターなんだっていう感覚でやってほしいわけよ。フィルムのときは機械を仕切る人間の人智っていうのがあったと思うわけ、ところが今は先にデジタルありきで、機械がドンドン先行して人間がそのあとに付くようになっちゃったところがある。だけど、俺は口はばったいけど、そうじゃねぇだろってことを、とにかくデジタルやってるみんなに言いたいわけ。何でもできるからって、必ずしも良いものができるとは限んねぇ。」(P251)円谷特技監督も、飯塚氏も、まずイメージがあり、それを表現していきました。よりよい表現するために、機械設備も材料も乏しい中で、創意工夫を行いました。そういったところに、特撮の凄味を感じるわけです。加えて、目的と手段は別なものです。フィルムを加工する技術やデジタルであるコンピュータグラフィックスは、手段なわけです。目的は、イメージを映像化すること。飯塚氏は、「俺は最初からデジタルを否定してないわけ」とおっしゃっています。しかしながら、飯塚氏は、目的と手段を勘違いする状況があることを危惧しているのです。「デジタルだったら簡単にできるわけだよ。その簡単にできすぎることが、かえって人間の知恵っていうのを閉じ込めているように思うんだな」「コンピューターがあるために、逆にクリエイティブな面を出さなくったってできるっていう感覚がある」ここで述べられているのは、「思考停止」状態のことだと思います。例えば「思考停止」状態とは、いい学校に入るとか、いい企業に就職するとかについて考えてみます。いい学校やいい企業とは、世間的に「名」があるということでありますが、つまりは文中の「デジタル」に相当します。それらは生きるための手段なのに、目的化しているの実態があるのではないか?そして、そこを勘違いしているのは、「思考停止」状態なのではないか?そこに、飯塚氏の言う、「機械(世間的な名前)がドンドン先行して人間がそのあとに付くようになっちゃったところ」はないだろうか?自分のやりたいこと(「クリエイティブな面」)があるのか?昨今、「忙しいあなたに」と便利な(手を抜くための)商品、サービスなどを売りつけるビジネスが目に付きます。「忙しい」ことが常態化していますが、なぜ、「忙しい=時間がない」ほうを疑ってみないのか?誰に、何に、時間を奪われているのか?「作るのは人間なんだ」言い換えると、「生きるのは人間なんだ」
October 26, 2025
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一郎くんは両親が共働きの鍵っ子。内向的な性格のために、ガキ大将のガバラたちにいじめられても泣き寝入りしていた。そんな一郎くんの楽しみは、空想や夢の中などで、ゴジラとミニラの親子がいる怪獣島を冒険することだった。怪獣島で仲よくなったミニラは、暴れん坊怪獣のガバラにいたぶられたり、ゴジラに厳しく鍛えられたりしている。そして、ミニラから聞いた「(ゴジラは)なんでも一人で闘えってさ、一人で生きる練習をしろっていうんだ」という言葉に学び、勇気づけられるのだった。ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃【Blu-ray】 [ 佐原健二 ]ゴジラ・シアターで『ゴジラ ミニラ ガバラ オール怪獣大進撃』を見てきました。この映画、封切り公開時に見ています。1969年も押し迫ったころ、父親と小学生の弟、そして中学生の自分と、その3人で映画を見に行きました。何を見るか決めてから行ったのではなく、現地で決めようということでした。そうしたら、評判のいい映画のいくつかは上映時間が合わなくて、3人で映画街を行ったり来たりしました。当時は、今みたいなシネマコンプレックスではなく、繁華街に映画館が分散していたのです。また、ネットで上映時間を確認し、チケットを購入したりするような便利なシステムもありませんでした。そうこうしているうちに、父親が、「ゴジラを見るか」と言い出しました。「(弟が)見たいだろうから」とのことです。それまで、特撮怪獣映画を見るのは、子供たちがねだったときでした。さらに、中学生になっている自身からは「ゴジラが見たい」とはなかなか言いづらいものがありました。なので、父親のほうからの提案は予想外でしたが、特撮好きのこちらとしては願ってもないものでした。そのようにして、記念すべき「第1回東宝チャンピオンまつり」を見たわけです。そのラインナップは、・ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃・コント55号 宇宙大冒険・巨人の星 行け行け飛雄馬というもの。「東宝チャンピオンまつり」とは、先行する「東映まんがまつり」に対抗するイベントです。「東映まんがまつり」が、アニメを中心とした番組編成(新作劇場アニメ+テレビアニメ数本)だったのに対して(当時は「アニメ」ではなく、「テレビまんが」などといわれていた)、「東宝チャンピオンまつり」は特撮映画+テレビアニメ数本というようなフォーマットでした。この時期、映画は斜陽化の一途で、観客動員数が低下し、制作予算も厳しいものがあったとのこと。なので、なんとか低予算で子供とその家族を映画館に呼び込みたいという「東宝チャンピオンまつり」開始です。(中学生は、ここでターゲットとしている範囲からは、微妙に外れています)さて、『オール怪獣大進撃』ですが、まったくの予想外の特撮怪獣映画でした。主人公は、鍵っ子、いじめられっ子の一郎くん。(鍵っ子:放課後など、保護者が仕事で不在のため、自分で鍵をもっていて一人ですごす子供)一郎くんは、廃材のラジオのようなものをコンピュータに見立てて「コンピュータ、コンピュータ、ぼくを怪獣島に連れていけ」と音声入力します。そうすることで、空想が始まり、一郎くんの想像力は怪獣島に飛んでいきます。怪獣島では、ゴジラがカマキラスと激闘や、ゴロザウルスやマンダが棲息する様子などを間近で見ることができます。ところが、「起きろ、起きろ」と声がします。隣に住むおもちゃ職人(天本英世)です。一郎くんはコンピュータごっこで空想をしているうちに眠ってしまったのです。つまり、怪獣島での冒険は、夢の中でのできごとでした。この時点で、怪獣島の夢オチは前ぶりだろうと思っていました。それは、怪獣の登場する場面をふやすための算段だと理解していました。この後は、(映画の中の)現実の世界に怪獣が出てくるのだろうと期待していました。怪獣が日本を襲うとか、一郎くんが何かのきっかけで怪獣島に渡るとか。ところが、そのような兆候がないままに映画が進んでいきます。一郎くんは、夢で、怪獣島を巡ります。映画の中身としては、『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘(1966年)』や『怪獣島の決戦 ゴジラの息子(1967年)』のフィルムが再使用されていました。それらの映画でのゴジラのバトルシーンなどが、今回の怪獣島で流用されているのです。ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘【Blu-ray】 [ 宝田明 ]怪獣島の決戦 ゴジラの息子【Blu-ray】 [ 高島忠夫 ]当時、映画でもテレビでも、映像は一過性のものでした。メディアに記録したり、いつでも配信で見られたりするというのは、考えもつかない時代でした。なので、『大怪獣空中決戦 ガメラ対ギャオス(1967年)』で、エンディングに過去作のダイジェスト映像が流れたときは、とても貴重で嬉しかった。しかし、『ガメラ対宇宙怪獣バイラス(1968年)』では、本編中に旧作が流用されて、がっかりした。どういうことかというと、『ガメラ対ギャオス』のエンディングの過去映像は、おまけなわけです。きちんと、新作映画の中で、今まで目にしたことのなかった特撮映像を見ることができた。それだったら、過去作の映像はありがたいのです。対して、映画の斜陽化と予算削減によるものとはいえ、新作映画のストリートの中で、前に見た映像を見せられると不満が募りました。大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス 大映特撮 THE BEST [ 本郷功次郎 ]ガメラ対宇宙怪獣バイラス 大映特撮 THE BEST [ 本郷功次郎 ]そういったことで、『南海の大決闘』の過去映像を見せられたのは、つまらなかった。そして、『ゴジラの息子』については、封切り公開時にこの映画を見ていなかったので、こちらはなんとか受け止めました。しかし、本来的には、新作映像を求めて映画を見に行っているのだから、ちょっと納得できないものがありましたね。もちろん、映画の展開上、必然性があって過去の映像を使うのは許せます。それから、この映画には、新怪獣ガバラが出現します。さすがに、そのガバラが絡むシーンなど、新しく撮影した場面はあります。念のために。それと、ほかにも見どころがないわけではない。旧作がいくつか混じっているので、各種ゴジラを見ることができます。というのは、ゴジラの着ぐるみは、だいたい映画ごとに新しくつくり直します。一作、撮影が終了し、着ぐるみの損傷が少なければ、補修してつぎの映画に使うこともあります。なので、『オール怪獣大進撃』には、通称「大戦争ゴジラ」、「息子ゴジラ」、「総進撃ゴジラ」 (海用「三大怪獣ゴジラ」 )が登場します。一本の映画で、三体(四体)のゴジラが見られるという視点にたてば、これはオトクです。さて、怪獣の出現する場面ですが、結局、それはずうっと夢の中でした。ここで、『オール怪獣大進撃』のつぎのゴジラ映画である『ゴジラ対ヘドラ』について考えてみます。『ゴジラ対ヘドラ』では、矢野研くんがゴジラやキングギドラなどの怪獣フィギュア(おもちゃ)をたくさんもっています。そして、ゴジラのフィギュア(おもちゃ)と遊ぶ場面があります。そこへ叔父の行夫(柴俊夫)がやってきて、「ゴジラが一番好きかい?」と聞きます。研くんは、「スーパーマンだもん」と答えるのです。これは聞き捨てならない重大な発言です。なぜかというと、ゴジラ像をヒーロー視、及び人間化していると見られるからです。それはさておき、『ゴジラ対ヘドラ』の作品世界には、ゴジラやヘドラなどの怪獣は実在します。怪獣フィギュア(おもちゃ)は、本物の怪獣をモデルとしているわけです。言い換えると、大谷翔平のファンで、彼のボブルヘッド人形を大切にしているようなもの。ゴジラ対ヘドラ 4K リマスター Blu-ray【Blu-ray】 [ 坂野義光 ]それに対して、『オール怪獣大進撃』の世界は、どうでしょう。一郎くんの部屋にもゴジラのフィギュア(おもちゃ)がありました。けれども、ゴジラやほかの怪獣も、(映画の中の)現実世界には現れませんでした。怪獣は、一郎くんの夢の中の怪獣島にだけ姿を現しました。ですので、こちらは、怪獣が実在しない世界のお話なのかもしれません。そのあたりについて、映画の中で説明はありませんでした。その場合、一郎くんのもっているゴジラのフィギュア(おもちゃ)は、映画のゴジラをモデルとしているのだと推測できます。つまり、主人公の一郎くんは、我々と同じで、架空の世界である映像のゴジラを贔屓にしているのでしょう。というわけで、『オール怪獣大進撃』は、ゴジラ・シリーズ中で唯一、ゴジラが(映画の中の)現実世界に登場しないのです。さらに、多くのゴジラ映画は、ゴジラが敵怪獣を倒すなどして、ゴジラが映画の決着をつけます。そしてゴジラは去って行き、映画が終わります。しかし、『オール怪獣大進撃』は、一郎くんが決着をつけます。それ以前にゴジラの出番は終わっています。おしなべて、『オール怪獣大進撃』は、一郎くんが、ゴジラやミニラの姿から学んで成長する物語なのです。初めて見たときは、このお話をどう受け止めていいのか、戸惑いましたね。空想の中で超現実を見たかったのに、空想の中の空想を見せられたので。なお、ゴジラ・シアターでは、上映終了とともに拍手が起こりました。
October 21, 2025
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NY市警のケイン刑事は麻薬取引の現場に踏み込むが、潜入捜査していた仲間と麻薬マフィアたちの惨殺死体を発見する。ケインはFBIのスミス捜査官と共に捜査をすすめるうちに、彼らは麻薬組織とは別に、宇宙からやってきた麻薬売人と遭遇する。エイリアンの売人は人間を殺し、その体内からエンドルフィンを抜き取っているのであった。エンドルフィンは、宇宙人のドラッグになるのだ。そこに、エイリアンの密売人を追ってきた宇宙警察も参戦する・・・【輸入盤ブルーレイ】【新品】DARK ANGEL (ダーク・エンジェル)小説や映画などで、「あ、読んだこと(見たこと)あるような」という思いが湧いてくるものがあります。映画『ダーティーハリー5(1988)』の中で、こんなやりとりがあります。ジョニー・スクエアーズ( ロック歌手=ジム・キャリー)「才能ある監督なら独創的なことをやれよ。『エクソシスト』 の盗用ではなく」 ピーター・スワン( ホラー映画の監督=リーアム・ニーソン)「盗用じゃない。敬意を表しているんだ」まだ、大ブレイクする前の2人のスターさんが出演していたのですけどね。ダーティハリー5【Blu-ray】 [ クリント・イーストウッド ]今回の『ダークエンジェル』は、以前にも、シドニー・フランクリン監督の映画『ダーク(ダアク)・エンジェル(1935年)』 、ジェシカ・アルバ主演のドラマ『ダーク・エンジェル(2000~02年)』、そして人間核弾頭ドルフ・ラングレン(若い!)の『ダーク・エンジェル』といった具合に同じタイトルの映像作品があります。しかし、内容は、それぞれ別物です。「ロボコップ」のように、オリジナル版、リメイク版、ドラマ番組と、共通する設定や内容をもっているものではありません。タイトルが同じなだけ(再確認!)。むしろ、ドルフ・ラングレンの『ダーク・エンジェル』は、タイトルが異なるほかの映画と、設定やら内容やらが似ているものがあるなぁと思いました。その一つは、『ヒドゥン(1987)』です。ヒドゥン [ カイル・マクラクラン ]どこが似ているか。まず、地元警察の刑事とFBI捜査官の組み合わせです。『ダーク・エンジェル』は、麻薬組織を捜査している刑事ケイン(ドルフ・ラングレン)は、FBIの捜査官スミスと組むことになります。まさにデコボコ・コンビで、並んで歩くと、スミス捜査官はラングレン=ケイン(196㎝)の肩までくらいしかない。そして、ケインはアウトロー刑事系なのに対して、スミス捜査官は規則を諳んじていて、ことあるごとに規則を持ち出します。このスミス捜査官のこだわりは、ある種の劣等感の裏返しではないかと思えてしまいます。規則や規律等を熟知し、それに則って行動することで自己を正当化し、他者より優越するための後ろ盾としているのではないか。一方の『ヒドゥン』は、ロサンゼルスで凶悪殺人怪事件が多発していました。事件解決に頭を悩ますロス市警刑事トム・ベックのもとへ、FBI捜査官のロイド・ギャラガーが訪れます。ギャラガーは、高校生捜査官か?といわれるくらいすごく若い。叩き上げのベック刑事とヤングエリートのギャラガー捜査官という、相反する組み合わせです。そして、ギャラガーは、お坊ちゃまなのか、行動が浮世離れしているようなところがあります。というようなわけで、どちらの映画も、刑事とFBI捜査官というコンビがストーリーの軸となります。さらに、両方のコンビが闘う相手は、いずれもエイリアンなのです。これらのコンビは、最初はギクシャクしていますが、次第にお互いを理解するようになります。『ダーク・エンジェル』の小柄なスミス捜査官は、なにかとうるさいのですが、事件解決へのまっとうな意欲はもっています。必ずしも上昇志向だけで凝り固まったイヤなヤツというわけではない。なので、徐々にケインと協力体制や信頼関係が築かれていくのですが、ときにお堅い姿勢が強く出て解決の妨げになります。そのあたりがサスペンスでもあります。一方の『ヒドゥン』、若い捜査官ギャラガー、その正体は宇宙人なのです。ギャラガー捜査官=善玉エイリアンは、地球に逃げ込んだ悪玉エイリアンを捕まえにきたのです。宇宙怪獣ベムラーを追って地球に来たウルトラマンのように(こっちのほうが20年くらい早い)。最初は不可解なギャラガー捜査官の存在で、ベック刑事も不信感をあらわにしていました。すこしずつ歩み寄り、ついにギャラガー捜査官がエイリアンである真実、地球に来た背景、思いなどを打ち明けると、ベック刑事は共感、理解します。では、アメリカ人バディが軸となる『ダーク・エンジェル』にも、善玉エイリアンが参戦します。こちらの善玉エイリアンは、『ヒドゥン』のように地球人の姿を借りたりはしません。エイリアンのまま、悪玉エイリアンを追いかけます。(『ダーク・エンジェル』のエイリアンは、善玉も悪玉も人間タイプです。血液は白いのですが)つまり、アウトロー刑事+FBI捜査官と善玉エイリアン、そして悪玉エイリアンの三つ巴戦が展開します。けれども、アウトロー刑事+FBI捜査官と善玉エイリアンは、共通の敵に対峙しているとわかり、共闘戦線をはることになります。だから、『ダーク・エンジェル』と『ヒドゥン』には、悪玉エイリアンを追いかける善玉エイリアンという要素も似通っている点なのです。もっとも、『ヒドゥン』も、それ以前の映画に似てるところがあります。『ヒドゥン』のエイリアンは、人間への寄生同化を繰り返します。ひとりの人間が死んだり不用になったりすると、つぎの人間(犬)に乗り換えます。これは『遊星からの物体X(1982年)』に似ています。宇宙から飛来した物体Xは、接触した生物に寄生同化する能力をもっていて、次々と犬や人間に姿を変えていきます。両方とも、人間(犬)に化けるので、本体を特定することができないという展開です。さて、『ダーク・エンジェル』と似ている映画2つ目は、『プレデター2(1990)』です。プレデター2【Blu-ray】 [ ダニー・グローバー ]『ダーク・エンジェル』では、アウトロー刑事のケインが、悪辣麻薬組織の捜査に取り組んでいます。そこへ、宇宙からエイリアンが、人間のエンドルフィンを回収しに侵入してきます。人間のエンドルフィンは、宇宙人の麻薬になるとのこと。つまり、そのエイリアンは、宇宙の麻薬製造者及び売人なんですね。ケイン(とFBI捜査官スミス)は、不気味な麻薬業者エイリアンと遭遇し、地球の麻薬組織よりもむしろエイリアンとバトルも展開することになります。そして、『プレデター2』は、ロス市警と麻薬カルテルの激闘の中へ、プレデターが乱入します。ロス市警のハリガンは、麻薬カルテルの撃滅に取り組む中で、変死体が吊るされるという怪事件が起こり、未知の難敵=プレデターと闘うことになるのです。プレデターとは、「人間を狩り、その頭蓋骨でトロフィーを作る悪魔」(『プレデター(1987年)』より)なのです。このように、ふたつの映画は、麻薬組織がらみの捜査、の中に、エイリアンやプレデターが入り込んでくるのです。それともう一例、エイリアンとプレデターの武器です。『ダーク・エンジェル』のエイリアンは、縁が鋭い刃物になっている円盤を投げて、それがあっちこっちに跳ね返って、群がる人間の頸部を一瞬で切り裂いていきます。『プレデター2』でも、プレデターが円盤状の刃物を武器とし、高い殺傷能力を発揮します。ここで『ダークエンジェル』、『ヒドゥン』、『プレデター2』について、時系列で考えてみます。『ヒドゥン』1987年10日20日アメリカ公開『ダーク・エンジェル』1990年9月28日アメリカ公開『プレデター2』1990年11月23日アメリカ公開単純に公開時期から考えると、『ヒドゥン』は『ダーク・エンジェル』に影響をあたえていそうに思えます。しかし、『ダーク・エンジェル』と『プレデター2』はどうでしょうか?意外と公開の時期が接近していますが・・・あるいは、フォーマットという見方をしてみましょう。例えば、アクション映画の中には、「リーサル・ウェポン」のようなバディもののフォーマットが存在します。また、「ダーティーハリー」のようなアウトロー刑事というフォーマットもあります。そして、(ざっくり)SF映画には、「エイリアン」フォーマットもあって、「プレデター」シリーズはそこから生まれてきたと考えられます。そうしたフォーマットが、「バディもの+エイリアン」とか「アウトロー刑事+エイリアン」といった融合フォーマットに変化していくプロセスもあるわけです。以上、類似する部分について見てきました。けれども、『ダーク・エンジェル』がそれらの類似で終わるわけではありません。『ダーク・エンジェル』が、特に個性を発揮するのは爆発シーンです。麻薬組織が警察の証拠品や武器の保管庫を襲い、行き掛けの駄賃に建物を爆破します。まずは、その巨大に膨れ上がっ火炎爆発に度肝を抜かれます。さらに、エイリアンの銃器の威力が凄くて、ぶっ放せば着弾した場所は大爆発というシーンが続出。これらは、日本でいえば、中野昭慶特技監督の爆発シーンの同じような大迫力でした。例えば『ゴジラ対メカゴジラ』で、偽ゴジラ(じつはメカゴジラ)の石油コンビナート襲撃シーンなどは、大爆発でメカゴジラの圧倒的な破壊力を見て取ることができます。『ダーク・エンジェル』の爆発シーンも、その大迫力で記憶に残ることになるでしょう。ゴジラ対メカゴジラ【Blu-ray】 [ 大門正明 ]最後に、『ダーク・エンジェル』でケイン刑事を演じたドルフ・ラングレンは、のちに『キャッスル・フォール(2021年)』で、出演とともに監督にも取り組みます。この『キャッスル・フォール』、巨大な廃病院に隠された大金を巡って、プロ格闘家(スコット・アドキンス)と、刑務所看守長(ドルフ・ラングレン)、凶悪ギャング団の3者が、壮絶な争奪戦を繰り広げます!プロ格闘家と看守長は、やがて共闘に至ります。さらに、最後は巨大廃病院が大爆破!三つ巴戦と共闘と大爆破、監督ドルフ・ラングレンのイメージに『ダーク・エンジェル』があったのでしょうか?(廃病院の爆破シーンは、建物が崩れるという映像で、壮大な火炎大爆発というのとはちょっとちがう)キャッスル・フォール [ スコット・アドキンス ]
October 16, 2025
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テキサス警備隊のマクエイドは、腕は立つが規制、束縛を嫌う一匹狼。ある夜、マクエイドの一人娘のサリーは、偶然軍の兵器輸送団が謎の一団に襲撃される現場を目撃してしまう。一味に見つかったサリーは、一命をとりとめたものの負傷してしまう。怒りのマッケードは、謎の一団(武器密輸組織)のアジトを発見。黒幕は、ローリー・ウィルクスであることをつきとめる。【中古】 テキサスSWAT(Blu−ray Disc)/チャック・ノリス,デヴィッド・キャラダイン,バーバラ・カレラ,スティーヴ・カーヴァー(監督、撮影),フランチェスコ・デ・マージ(音楽)チャック・ノリスといえば、『ドラゴンへの道(1972年)』でのブルース・リーとの死闘により、世界中に勇名を轟かせました。ドラゴンへの道 エクストリーム・エディション【Blu-ray】 [ ノラ・ミャオ ]その後、映画を始めとした様々な分野でエネルギッシュに活動するとともに、チャック・ノリス・ファクトでもって揺るぎなき伝説を築きました。チャック・ノリス・ファクトで好きなのは、「チャック・ノリスはコードレス電話でも人を絞め殺すことができる」などなど。映画『エクスペンダブルズ2(2012)』でも、チャック・ノリス・ファクトが披露されました。スタローン一行は、敵の急襲にあい、大ピンチに陥る。しかし、どこからか銃弾が雨霰と降り注ぎ悪党軍団を殲滅、スタローン一行は九死に一生を得る。「誰がやった?」狐につままれたような一行。硝煙が漂う向こうから悠然と現れたのが、チャック・ノリス(ブッカー)。スタローン 「ブッカー、キングコブラに噛まれたとの噂も(聞いたが)?」チャック・ノリス 「本当だ、丸5日間のたうちまわって...コブラは死んだ」ことほどさように、チャック・ノリスは、マッチョなタフガイです。エクスペンダブルズ2 [ ジェイソン・ステイサム ]さてさて、『テキサスSWAT』です。この題名は日本公開用につけられたものです。主役である豪勇チャック・ノリス演じる荒肝マクエイド自身は、テキサス警備隊員(レンジャー部隊)。特殊部隊S.W.A.T.のメンバーではないのです。それどころか映画の中に、特殊部隊S.W.A.T.は少しも顔を見せません。では、なぜ題名を『テキサスSWAT』としたのでしょう。開巻、馬泥棒たちが、馬の群れを運んで谷底のアジトに引き返してきます。マカロニウエスタン風の音楽が流れる中、峰の上からマクエイドが狙撃銃のガンスコープを通して馬泥棒を監視しています。そこへテキサス州警察が一斉摘発に現れるが、馬泥棒たちの逆襲にあい捉えられてしまいます。あわや警官のひとり、ケイヨの首が刎ねられようかというときに、マクエイドは威嚇のために馬泥棒の車を狙い撃ちします。馬泥棒の車は、銃弾を撃ち込まれて炎上。その姿は、『特別狙撃隊S.W.A.T.(1975年~76年)』のイメージがないともいえない。そして、SWATは『ローンレンジャー(1949年~58年)』のように昔からあるタイトルよりも、当時は新しいワードでしたし。もしかしたら『秘密戦隊ゴレンジャー(1975年~77年)』と名前が被るのをきらったのか?そのような経緯があり、日本での題名を『テキサスSWAT』としたのだと推測する次第です。なお、テキサス・レンジャーとは、テキサス州全域を管轄する法執行官です。原題は『Lone Wolf McQuade』。翻訳すれば、「一匹狼マクエイド」でしょうか。マッチョなタフガイの線から行けば、こっちのほうがそれらしいのでは?この題名と重ねるように、マクエイドは、自宅で精悍な狼を飼っています。マッチョなタフガイには、誠にふさわしいペットです。エサも、ドッグフードではないでしょう。狼と一緒に暮らすマクエイドは、私生活では一匹狼とはいえなさそうです。けれども、仕事に赴けば他者と一線を画す一匹狼です。単独行動を好み、上司から「協調性がない」と疎まれています。ひとりで暴走するマクエイドを抑えるために、上司は、若い隊員ケイヨをパートナーにするよう命令します。もちろん、マクエイドはそれを拒否。それでもケイヨは着いていく。このあたりは、先輩ダーティー刑事、ハリー・キャラハンの面影がちらつきました。今はペットの狼がマクエイドの家族ですが、じつは別れた妻と一人娘がいます。一匹狼のマッチョなタフガイだから、家庭を顧みない人だったのかといえばそうではなさそう。折に触れて、娘を乗馬に誘うためなどで、元妻の家を訪れます。そういったとき、元ファミリーは和気あいあいとしている。その雰囲気からは、なぜ離婚したのか理解しづらい。このあたりの理由、事情については、映画のラストでわかります。やはりマクエイドがマッチョなタフガイであることから来ています。それは後に置き、マッチョには父性性という意味があるそうです。映画の中で、マーベル映画などでも、「家族が一番」と強調し、必須テーマとなるのは21世紀からでしょうか?そこに至る過程なのか、一匹狼のマッチョなタフガイだけどよき父親であるという一面は、ヒーローに欠かせないのかもしれません。『コマンドー(1985)』のアーノルド・シュワルツェネッガーも、娘を大切にしていました。今見たように、娘を溺愛するマクエイドですが、それゆえに、娘はマッチョな無敵タフガイの数少ない弱点ともなります。娘が事件に巻き込まれたり、敵から狙われたりしてしまうのです。それによって、マクエイドにとっては、単に法執行官の職務の立場を超えて、マッチョでタフに怒りを爆発させる理由ができるわけですが。また、マッチョなタフガイには、セクシー美女にモテモテであることも必要条件です。今回のセクシー美女は、ミス・フェロモン、バーバラ・カレラ(役名はローラ)。じつにワイルドな組み合わせではありませんか。その点で、元妻は、地味目の女性が配置されています。このあたり、マクエイドのマッチョなタフガイぶりを充実させるために、多面的な配慮がなされているといわざるをえません。さらに、マッチョでワイルドなタフガイ・ヒーローを引き立たせるには、それに見合った強敵が不可欠です。そこで登場するのが、凄玉デヴィッド・キャラダイン演じる悪玉ローリー・ウィルクス。ローリー・ウィルクスは、中南米のテロリストへ武器を密輸して悪銭を得ると同時に、マーシャルアーツの恐るべき使い手でもあるのです。ローリー・ウィルクス一味は、楽勝で陸軍の輸送部隊を襲って武器を強奪する。武器輸送って、そんなにガードがあまいの?というくらいに。偶然、マクエイドの娘がそれを目撃して、乗っていた車ごと崖を突き落とされて大怪我をします。怒りのマクエイドは、敵の一員をとらえて情報を得ようとしたところ、逆に旧友が殺される破目に。それが無謀な捜査だったとして、マクエイドは保護観察、無給休暇を命じられる。もうひとつ、真夜中、ウィルクスの一味がマクエイドの自宅に襲来。マクエイドが応戦すると、ウィルクスの一味は逃走。しかし、かわいがっていたペットの狼が犠牲になる始末。ウィルクスの一味は脅しに来たようだ。気落ちするマクエイドのもとへ、FBIのジャクソンが協力の依頼に来ます。「規則だとかうるさい事は言わん」とジャクソン。ジャクソンと組んで軽飛行機を飛ばせて敵の秘密飛行場を見つけ、ケイヨやFBIの捜査チームとともに潜入を試みる。マクエイドは愛車である強力SUVと比類なき土地勘で、道なき道を突き進み、秘密工場に到着。しかし、功名心にはやるFBI捜査官バーンサイド(マクエイドを捜査から外したヤツ)が、拡声器を使って「FBIだ。銃を捨てないと撃つ」という間抜けな警告を発する。それが敵の猛攻撃を招き、加えて悪玉ウィルクスの乗ったヘリコプターの急襲に合い、多勢に無勢、潜入部隊は死傷者と化してマクエイドは捉えられてしまった。あるまじきことに、ウィルクスは、気を失ったマクエイドを彼の愛車に閉じ込めると、地面に掘った大穴に車ごと押し込んで生き埋めにしてしまいます。マクエイド、絶体絶命のピンチ!この状況で助かる道はあるのか?テキサス・レンジャーやFBIの援軍来るのか?ところが、地下のマクエイドは、愛車の中でマッチョなタフガイの常備品である缶ビールをぐい飲みすると、車のエンジンをかけます。つぎに、ターボチャージャーだかスーパーチャージャーだかをブン回して、なんと埋められた土を跳ね除けてマクエイド号は地中から飛び出てきます。さすがにマッチョなタフガイにふさわしい超高馬力の愛車SUVです。確かに、ブルドーザーで押されて大穴に姿を消すとき、マクエイドの車はスロープを下っていくように見えました。絶壁の竪穴だったら登れなかったか?捲土重来を期して、マクエイドは、傷を癒しながらも、ガンや格闘の調整に努めます。そんなところへ、敵もさるもの、性懲りもなくもマクエイドの娘をさらっていきます。マクエイドをおびき出すために。(この展開、『荒野の用心棒(1964年)』に似てる)マカロニウエスタン調のBGMが鳴り響かせて、最終決戦に出撃するマクエイド。満身創痍でも、娘を助け出さなければならない。ジョンソン、ケイヨと3人で、メキシコの山奥のアジトに向かいます。ようやくアジトに辿り着き、いよいよ、『燃えよカンフー(1972年~75年)』のカンフー・マスター、クワイ・チャン・ケイン=デヴィッド・キャラダインvs.元プロ空手世界チャンピオン=チャック・ノリスの一騎討ちが・・・。しかし、一進一退、格闘では決着がつかず・・・。いかにスーパーマッチョでタフガイのチャック・ノリスでも、大物同士の闘いはシロクロつけるのが難しい。昭和のプロレスも、両者リングアウトとか反則勝ちとかがありがちでした。スターレスラーのどちらかが負けて、商品価値が落ちることのないように、というのが当時のプロレスだったのですが。そんなこんなで、映画はエンディングへ。事件が解決し、後始末も終わって、娘たちとゆっくりすごそうとしていたところへケイヨが駆け付ける。「事件です」いったんは断るマクエイドだが、マッチョなタフガイとして騒ぐ血を押さえきれず、ケイヨの車に乗り込み立ち去る。元妻は「いっつもこうなんだから。ほんとにもう」マッチョなタフガイにやすらぎはない。チャック・ノリスは試験のときに解答用紙を必要としなかった。彼は、すべての問題を腕力で解決することができるからだ。
October 5, 2025
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ある夜、流星群(?)が世界中に降り注ぎ、突如異星人が襲来。猛攻撃を受けて世界中の大都市が崩壊。ここロサンゼルスも壊滅寸前。その戦闘状態の真っ只中で、子供を含む逃げ遅れた民間人が警察署に取り残されていた。マルティネス少尉、ナンツ軍曹ら、海兵隊の2-5小隊が救出に向かう。未知の敵との激闘、崩れた建物やがれきに阻まれる行く手。仲間を失い、負傷者を抱えて、果たして彼らは、民間人を無事救出できるのか?そして、地球人類は生き残れるのか?世界侵略:ロサンゼルス決戦【Blu-ray】 [ アーロン・エッカート ]白黒テレビの時代に、ドラマ『コンバット!(1962~65)』をよく見ていました。その中で、刷り込まれたエピソードがあります。アメリカ軍のバンボディ・トラックがドイツ軍に乗っ取られ、アメリカ軍の基地に潜入されそうになる。検問所では、顔なじみの兵士が運転しているので(助手席から銃を突きつけられている状況)、ドイツ兵が荷台に詰め込まれているにもかかわらず、トラックを基地内に入れようとする。その間際に、運転手が「マルクハツイド」という謎の言葉を発する。検問所の兵士は「?」だったが、詰めていたほかの兵士が銃を構えて飛び出してくる。「車はドイツだ!」それを聞いて、つぎつぎにアメリカ兵が駆け付け、ドイツ兵を鎮圧し、事なきを得る。このエピソードを見て、「マルクハツイド」が脳内にこびりついてしまいました。さらに、子供ながらに、日本語で「マルクハツイド→車はドイツ」を、原語(英語)では何と言ったのだろうととても気になりました。それはさておき、このドラマは第二次大戦中のフランスで、一小隊の隊長ヘンリー少尉と、その一分隊を率いる隊長サンダース軍曹を中心としたのダブル主演で進行していきました。映画『世界侵略: ロサンゼルス決戦』も、海兵隊の2-5小隊を率いるマルティネス少尉とナンツ二等軍曹が登場します。ヘンリー少尉とマルティネス少尉は、ともにエリートです。そして、サンダース軍曹とナンツ軍曹は、両者叩き上げですね。【中古】 コンバット! DVD−BOX1/ヴィック・モロー,リック・ジェイソン,ピエール・ジャベールこの『世界侵略: ロサンゼルス』は、リアリティ(現実味)にこだわり、「もし本当に異星人が侵略してきたら、いったい何が起きるだろう?」と問いかける作品だとのこと。同じような映画としては、平成ガメラ・シリーズが、「もし現代社会に本当に巨大怪獣が出現したら、いったい何が起きるだろう?」という視点でつくられています。また、『シン・ゴジラ(2016年)』は「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)」とのキャッチコピーのもと、ポリティカル・フィクションといわれる内容で、やはりリアリティにこだわっています。『ガメラ 大怪獣空中決戦』 4Kデジタル修復 Ultra HD Blu-ray 【HDR版】(4K Ultra HD Blu-ray +Blu-ray 2枚組) 【4K ULTRA HD】 [ 伊原剛志 ]シン・ゴジラ Blu-ray2枚組【Blu-ray】 [ 長谷川博己 ]それらの逆のパターンを考えてみました。例えば『地球防衛軍(1957年)』。怪遊星人ミステリアンの地球侵略に対抗して、地球防衛軍は、空中戦艦や光線兵器などの「超兵器」で戦います。あるいは、「スターウォーズ・シリーズ(1977年~)」では、「フォース(理力)」を駆使するジェダイが活躍します。地球防衛軍【Blu-ray】 [ 佐原健二 ]スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 MovieNEX [ マーク・ハミル ]そうした超現実の要素が、『世界侵略: ロサンゼルス決戦』にはないのです。あくまでも現実にそって、現代のアメリカ(地球)に宇宙から侵略者が攻めてきた状況を想定していました。ストーリーは、2-5小隊の視点で進んでいきます。2-5小隊の作戦遂行を記録するような映像です。そのため、異星人は遠目に見ることが多く、実体はあまり明確に映されていません。ただ、異星人の攻撃は熾烈を極めます。それらをかいくぐって小隊は進んでいきますが、大怪我をしたり命を落としたりす兵士が続出します。隊長であるマルティネス少尉は、士官学校を首席で卒業。残念なことに、実戦経験はありません。ナンツ軍曹は歴戦の勇者なのですが、直前に退役を申し出ています。緊急事態が勃発したため、これまでの功績を買われて、初陣のマルティネス少尉を支援することとなったのです。戦場に出ると、予期せぬ危機が続き、そのときどきで対応、判断が求められます。経験不足から優柔不断になるマルティネス少尉に対して、ナンツ軍曹は隊長としての立場を尊重しながら責任を果たすように迫ります。自ら具申もするナンツ軍曹ですが、マルティネス少尉の決定には従います。じつはナンツ軍曹の退役の理由は、直近の作戦で4名の部下を戦死させてしまったからなのでした。加えて、今回の小隊の中には戦死した部下の弟、ロケット伍長がいます。彼は、ナンツ軍曹の無謀な作戦指揮のせいで兄が亡くなったと思い込み、不信感を抱いています。困ったことに、小隊のほかの兵士たちがロケット伍長に同調し、ナンツ軍曹の下では自分たちも戦死する危険性があるのではないかと疑心暗鬼になっています。2-5小隊は、難敵異星人とのバトルや子供を含む民間人の救出作戦の難航とともに、人間関係には不協和音が生じ、大きなストレスを抱えている状態です。そこへ追い打ちをかけるように、民間人を保護して脱出する途中でマルティネス少尉が戦死します。それを、兵士たちは、ナンツ軍曹が見殺しにしたのではないかと邪推します。こうした著しい内憂外患状態で、はたして民間人を無事安全地帯に送り届けることができるのか?しかし、あることがきっかけで、ナンツ軍曹は、決して部下を見捨てたわけではない。むしろ、部下を大切に思い、その死を深く深く悲しんでいたのだということがわかります。そして、命からがら民間人を迎えのヘリに乗せ、やっと避難にこぎつけたところで、ナンツ軍曹は中空から異星人の司令塔を発見します。そこを叩けば、敵の攻撃ネットワークが寸断され、勝機が見い出せる。ナンツ軍曹は、ただ一人ロープを下ろして地上に降り立ち、司令塔の破壊に向かおうとします。その刹那、ほかのロープが垂らされ、つぎつぎに部下たちが降下してきました。彼らは、司令塔破壊作戦を決行すべく、ナンツ軍曹に従って出撃しました・・・・。強大侵略者軍団のネットワークを潰すために、傷だらけの2-5小隊はチームワークで挑むのです。この映画は、リアリティを出そうと、ドキュメンタリーのようにハンディ・カメラで撮影したそうです。そのため、画面が揺れます。場合によっては、画面酔いすることもある撮影方法です。けれども、異星人との攻防、小隊のまさに決死の行動により、画面に悪酔いしているヒマはありませんでした。
September 30, 2025
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アメリカ、ニューメキシコの砂漠地帯。一人の少女がうつろなまなざしで歩いてくる。家族がなにものかの襲撃を受け、それを免れた少女は大きなショックを受けていたのだ。さらに、近辺では不可解な殺人事件や破壊等が発生していた。それらは核兵器実験の放射物による影響で突然変異し、巨大化したアリが引き起こしたのだった。保安官、FBIの捜査官、生物学者らが協力し、砂漠で掃討作戦を決行する。しかし、肝心の女王アリと雄はすでに巣から飛び立ったあと。なんと巨大アリ軍団はロサンゼルスに潜伏し、下水道網に巣を作っていた、大量の卵とともに・・・・。放射能X【Blu-ray】 [ ジェームズ・ホイットモア ]この映画を初めて見たのは、テレビの洋画劇場でした。放送されたのは、1972年だったそうです。母が、家事などの片手間にチラチラとテレビを見ていて、「これ、どうやって撮ったの?」と聞いてきました。それは、画面に登場した巨大アリの群れを見てのことでした。母は、巨大アリの造形や動きを見て、日本の怪獣映画のように、中に人が入っているわけでもなさそうだと思ったのでしょう。それに対して、「大きなアリの仕掛けをつくって、それを動かしているんだ」と説明しました。当時、詳しい裏付けの情報はもちあわせていませんでしたが、映像の巨大アリの場合はそれしかありません「はりぼてのアリなのね」とつぶやく母。はりぼて。もしかして母は、忍術映画の児雷也蝦蟇のイメージを描いてわかったつもりになったのかもしれません。それはともかく、『放射能X』は、第27回アカデミー賞の特殊効果賞にノミネートされた映画なのです。操演の巨大アリがいくつも出てきて、暴れ回ります。その物量と動きに驚いたものです。日本の特撮の場合は、経費節約のために着ぐるみやミニチュアを使い回したりしていました。例えば、バラゴン→パゴス→ネロンガ→マグラー→ガボラとか、ラドン→リトラ→大コンドルとか。それから、旧作の着ぐるみを、水中撮影用に使ったりもしているとのこと。なので、実物大モデルを一度にたくさん登場させるなんて、さすがにアメリカ映画はぜいたくだ。けれども、ずっと後になって、実際に体の各部が動く巨大アリのモデルは数体だけだったとも聞きました。いろいろ組み合わせるなどして、巨大アリを多く見せるような画面作りをしたようです。そういった事情はあったとしても、『放射能X』はモンスターパニック映画の名作として、未だとても大きな存在感を示しています。そして、後続の特撮怪獣映画やモンスターパニック映画に、様々な刺激を与えたのがわかります。例えば、東宝特撮映画の『空の大怪獣ラドン(1956)』。『放射能X』の冒頭、放心状態の少女が広大な砂漠を彷徨っていました。『空の大怪獣ラドン』においては、トンネルの崩落により行方不明となった炭鉱技師の河村が、阿蘇山の巨大な陥没現場を歩いていて救助されます。その時点での彼は、記憶を失っていました。また、『放射能X』の巨大アリは、『空の大怪獣ラドン』のメガヌロン(巨大なヤゴ)に相当すると思います。巨大アリは体長約3メートル。メガヌロンは体長8メートル。両方とも、実物大のモデルを使って撮影しています。さらに、『放射能X』においては、キャンピングカーや商店が何物かに破壊され、人が亡くなったことなどがわかってきます。だれが、どのようにしてこれほどの災害級の襲撃を行うことができるのか?一方の『『空の大怪獣ラドン』では、日本刀のような鋭い刃物で切りつけられる事件が続発する。だれが、どのようにしてこのような惨殺を行ったのか?そうしたシークエンスが、サスペンスフルに展開していきます。あるいは、『エイリアン2(1986年)』。『放射能X』において放心状態だった少女と同じように、『エイリアン2』も、エイリアンの襲撃から生き残った少女が登場します。ふたりとも、お人形を抱いていました。『放射能X』では、女王アリを中心に巨大アリが巣をつくり、おびただしい卵を守っています。『エイリアン2』でも、同じようにエイリアン・クイーンが君臨し、繁殖に努めています。『エイリアン(1979年)』は、謎の生命体が単体で人を襲いました。つぎの『エイリアン2』はその生命体がコロニーを形成し、大集団で人間を襲ってきました。つまり、「巨大アリ」が「エイリアン」に置き換わったと見て取れます。(『エイリアン2』でも、『放射能X』の巨大アリと同じように、限られた数のエイリアンのモデルを、大群に見えるように効果的に使用したとのこと)空の大怪獣ラドン [ 佐原健二 ]エイリアン2 【Blu-ray】 [ シガニー・ウィーヴァー ]とはいっても、ただ単に『放射能X』が『空の大怪獣ラドン』や『エイリアン2』に流用されたのではないです。『空の大怪獣ラドン』のメガヌロンは、映画の前半を盛り上げる役目を果たしています。謎の惨殺事件、そしてメガヌロンの出現と人々との対決。それだけではなく、その後、ラドンの登場により話のスケールはさらに大きくなっていきます。なんと、人々を混乱に陥れたメガヌロンは、幼体ラドンのエサにすぎなかった。『放射能X』と『エイリアン2』との相違点は、攻撃性にあります。巨大アリは砂糖を求めるなどの目的で人を襲います。けれども、巨大アリの本当の脅威は、爆発的な繁殖力なのです。1匹の女王アリが何千もの卵を産み、その中からまた女王が生まれ・・・。「まるでこの世の終わり」「人類滅亡の序曲」となることです。なので、人類は、巨大アリの巣を見つけて、そこを攻撃する。つまり、アリよりも人類のほうが攻撃を仕掛けているのです。それに対してエイリアン軍団は、確実に人間を襲ってくる。なにしろ、人間をとらえて、エイリアンの卵を寄生させる目的だから。この状況では、人間はエイリアンの攻撃を防ぐ立場に立たされます。だから、『放射能X』は、巨大アリの巣を破壊できるか?そして、『エイリアン2』では、エイリアンの攻撃を防ぎきれるか?といったところがポイントになっています。そうしたモンスター、怪獣、クリーチャーにより、人類は危機的状況に陥ります。ですが、もとはといえば、巨大アリは、核実験の影響によって突然変異体となりました。ラドンも、原水爆実験のエネルギーによる環境破壊により出現たと推定されています。加えて、エイリアンについては、人命より優先して、宇宙生物を捕獲し研究(生物兵器化?)することが大企業の目的でした。これらの映画は、今から何十年も前から作られ続けてきました。科学の発展と自然環境のバランスについて問いかけていたのです。しかしながら、地球の各地で、温暖化が招いた異常気象による大災害が起こっています。あるいは、野生鳥獣による被害も、深刻さが増してきています。人間のエゴが増大するのに合わせて、自然も手に負えなくなっていくのです。
September 23, 2025
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南太平洋のゾルゲル島では、食糧危機に備えて、気象コントロール実験「シャーベット計画」が進行していた。しかし、島の内部から放たれた妨害エネルギーにより実験は失敗。異常高温に包まれた島では大カマキリがさらに巨大化して、カマキラスへと変貌を遂げる。カマキラスの集団は、妨害エネルギーの発信地から謎の卵を掘り出しいたぶる。卵が割れたところへ、駆け付けたのはゴジラだ!卵から生まれたのは、ゴジラの子供。妨害エネルギーは、ゴジラの子供から親への脳波通信だったのだ。怪獣島の決戦 ゴジラの息子【Blu-ray】 [ 高島忠夫 ]ゴジラ・シアターで『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』を見てきました。この映画、封切り公開時は見ていません。その年の夏ごろだったか、スポーツ新聞でこの映画の記事を見ました。その記事は「(ゴジラ映画の)新作は『ゴジラの息子』!」 というようなタイトルでした。『ゴジラの息子』と目にしたときに連想したのは『フランケンシュタインの息子(1939年)』とか『吸血鬼ドラキュラの息子(1943)』でした。『ゴジラの息子』は、そうした怪奇映画のテイストなのか、と(勝手に)ワクワクしました。さらに怪獣少年としては、小さいキングコングの登場する映画があったことにも気づきました。ラスト、嵐の中で、島が沈んでいく。しかし、キコ(小さいコング)は地割れに足を挟まれて身動きとれない。それでも、カール・デンハムを助けようと、キコは彼をつかんで、自らは海中に没していくにもかかわらず、デンハムを海面上に掲げる姿が脳裏に刻まれました。(後に、その映画は『コングの復讐(1933)』で、原題が『Son of kong』であることを知ります)同じように、『ゴジラの息子』は、キコみたいな、小さいゴジラが登場するのかと思いを馳せたりしました。【中古】 コングの復讐/ロバートアームストロングにもかかわらず、封切り公開時は、見に行けなかった・・・。親が見に連れて行ってくれなかった。映画館で『ゴジラの息子』を見たのは、それから十数年後。オールナイトの特撮怪獣映画特集でした。その当時までは、映画館のオールナイト興行というものがありました。土曜の夜は、新作映画や、あるいは旧作の若大将とか任侠映画とかを5本くらい集めて、日曜の朝まで上映していました。その時期、ゴジラの映画は、『メカゴジラの逆襲(1975年)』を最後に、『ゴジラ(1984年版)』まで約10年の空白期間がありました。そこでのゴジラ飢餓状態を埋めるように、1979年に、過去の特撮映画を一挙に上映する「ゴジラ映画大全集」が開催されました。つまり、その晩のオールナイト特撮怪獣映画は、単なる特集映画の上映会ではなく、「ゴジラ映画大全集」からの熱い流れに乗っていたのです。当時は、まだヲタクという言葉はありませんでした。しかし、館内に入って、まず驚いたのは、客席で嬉しそうに怪獣のソフビを見せ合っている人たちでした。あのころは、特撮怪獣映画の空白期間ですから、おもちゃ屋さんに怪獣のソフビは売っていませんでした。彼らがかざしていたのは、怪獣ブームのころに販売されていたものでしょう。それらを大切に保管している人たちでした。(付け加えると、ホームビデオも一般的ではなかった)そのような盛り上がりの中で、いよいよ、初めて見る『ゴジラの息子』が始まりました。十数年間、この瞬間を待ちわびていましたのです。開巻、嵐の中を気象観測機が飛んできます。コックピットには、黒部進(ハヤタ隊員=ウルトラマン)の顔も見えます。「正体不明の妨害エネルギーです!」不穏な雰囲気の中で、さらに、「あ、ゴジラだ!」ここで、海面にゴジラが姿を現しました。そのとき、客席内に明るい笑い声が。笑い声の対象は、ゴジラの容貌なのです。ふつう、ゴジラは睨みつけるような目つきをしています。ところが、今回のゴジラは、目を見開いて、白目の部分が多く、そのために焦点の定まらい印象なのです。さらに、鼻の上、目から頭頂にかけて、異様に段差がある。つまり、縦長の顔つきなんです。いわゆるゴジラの精悍な顔立ちとはちょっとちがう容貌ではありませんか。この場を見た限りでは、「怪獣サマはもうれつだ それでもよく見りゃとぼけ顔」(怪獣マーチ)※という歌詞が浮かんできます。このゴジラの造形タイプは、通称「息子ゴジ」。ミニラとの体格差を出すために、頭部を縦長にし、その分高身長にしたとのこと。(着ぐるみ特撮は、人間が演じるので、怪獣はその体格に準じることになります。『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃(2001年)』では、ゴジラとバラゴンの体格差を出すために、バラゴンの中に小柄な女性が入りました。そうした様々な工夫をしているのですね)しかし、先日のゴジラ・シアターでは、縦長「息子ゴジ」を見ても、笑い声などありませんでした。つぎ行きます。ゴジラは、脳波のような妨害エネルギーに誘われて、ゾルゲル島に向かうことが示されます。ここで、タイトル『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』続いて、オープニングクレジット。「制作 田中友幸」 館内、拍手喝さい!(え⁉スクリーンに向かって、拍手・・・⁈)さらにキャストクレジット「高島忠夫、久保明、平田昭彦、佐原健二、土屋嘉男」 大拍手「中島春雄」 大々拍手(初代ゴジラのスーツアクター)そして、最後を飾り、「特技監修 円谷英二」 割れんばかりの拍手そこには、特撮怪獣映画への愛が渦巻いていました。「高島忠夫、久保明、平田昭彦、佐原健二、土屋嘉男」それぞれのお名前を見れば、おのずといくつもの特撮怪獣映画の名場面が浮かんできます。ちなみに、今回の上映では、そうした拍手は起こりませんでした。当時、オールナイト特撮怪獣映画特集に集まったのは、先述のように怪獣ブーム直撃世代だったと思います。そして、あのころはその世代もまだ20歳前後、若かったのです。はたまた、そうした特撮怪獣映画への思いは、『復活フェスティバル ゴジラ1983』の旧作上映から、ついに新作『ゴジラ(1984版)』へと邁進していくのでした。さて、映画の内容です。今回、あらためてスクリーンで『ゴジラの息子』を見たわけですが、特撮映画としては、操演怪獣映画の祭典といえるでしょう。カマキラス、そしてクモンガ、じつに生き生きと活動している。着ぐるみ、コマ送り、CGでは表現できない、操演独特のおもしろさ、楽しさがありました。また、それぞれの怪獣と登場人物との直接的にかかわる場面などから、その巨大さ、迫力をまざまざと感じました。円谷(東宝)特撮は、奥が深い。じつのところ、食玩のフィギュアや怪獣カードなどで、カマキラスやクモンガが出てくるとがっかりしたものです。怪獣のデザインとして見たときに、実在の静物が巨大化しただけだから。けれども、その生き生きした動きから、完璧に考えをあらためさせていただきました。つぎに、おまけなどで、カマキラスやクモンガが出てきたら嬉しいでしょう。怪獣特撮オールナイト上映の数年後に、この映画の助監督を務めた長野卓氏のご講演を聴いたことがありました。そのとき長野氏は、「(映画の斜陽化により、予算など厳しい点があったが)ゴジラとミニラの、親(父)子の絆を描いたという点では、いい映画だった」とおっしゃっていました。確かに、クライマックスで、ゴジラ父子が共闘してクモンガに立ち向かう場面など、熱い気持ちを抱きました。ゴジラシアターでは、映画が終了すると館内で拍手が起こることがありました。(特に拍手が大きかったのは『モスラ対ゴジラ(1964年)』。SCREENも広いところだった) 今回は、終了後も拍手はなく、観客の皆さんは静かに退席されていきました。ちなみに、その回はSOLD OUTの満席でしたよ。※「怪獣マーチ」『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』 主題歌作詞:関沢 新一作曲:叶 弦大編曲:小杉仁三歌:佐々木梨里、東京ちびっこ合唱団メカゴジラの逆襲【Blu-ray】 [ 平田昭彦 ]ゴジラ(1984年度作品)【Blu-ray】 [ 小林桂樹 ]ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃【Blu-ray】 [ 新山千春 ]モスラ対ゴジラ【Blu-ray】 [ 宝田明 ]
September 16, 2025
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イギリス、ハマーフィルムによるドラキュラシリーズ第2弾。女教師はマリアンヌは、トランシルバニア地方の女学院へ赴任する道中で、ある古城に立ち寄ることとなった。城には好男子マインスター男爵が鎖につながれており、マリアンヌは男爵を解放する。しかし、マインスター男爵は吸血鬼なのだった。直後に村の娘に犠牲者が出る事態となってしまった。城から逃げ出したマリアンヌと行き会ったヴァン・ヘルシング教授は、そのいきさつを知るとともにマインスター男爵闘いを挑むのであった。(リンクなし)この映画を初めて見たのは、1960年代、テレビの映画劇場でした。その日は、お正月かお盆だったか、母の実家に親戚が大勢集まって、宴会をしていました。だから、落ち着いて、じっくり見たわけではなく、タイトルを確認したわけでもなく、居間のつけっぱなしにされたテレビで流れていた吸血鬼ものの映画をチラッチラッと見ていました。しかし、ある場面で、テレビのブラウン管に釘付けになりました。なんと、吸血鬼ハンターのヴァン・ヘルシング教授が、マインスター男爵に喰いつかれてしまったのです。こんなことがあってよいのか、吸血鬼に血を吸われた者は、吸血鬼になってしまう。ゼットンに敗れたときのウルトラマンより始末が悪い。吸血鬼退治の急先鋒であるこのおじさんがやられてしまっては、この先ほかの人々はいったいどうなるんだ⁈そんな思いで見ていたら、さらに衝撃の場面が。おじさん(ヴァン・ヘルシング教授)は、吸血鬼化しないために、自らの身に、とんでもない荒療治を施したのです。およそ一般人にはマネのできない、激痛をともなう究極の対処方法です。もちろんヴァン・ヘルシング教授本人は、のたうち回りました。しかし、それによって、ヴァン・ヘルシング教授は吸血鬼化を免れて立ち直ります。(ネタバレ厳禁)このシークエンスは、脳裏に刻み込まれました。そこまでに至る経緯が知りたくて、映画の全編をきちんと見たいという思いにかられました。そして、その荒療治を何回も反芻しながら何十年も待ち続けて、やっとそれが叶いました。『吸血鬼ドラキュラの花嫁』は、奥深い山、ひっそりと佇む古城とその内装などゴシック・ホラーの雰囲気に満ち満ちた映画でした。しかし、ドラキュラ伯爵は登場しません。前作(ハマーフィルムのドラキュラシリーズ第一作)、『吸血鬼ドラキュラ(1958年)』で、ドラキュラはヴァン・ヘルシング教授に退治されてしまったからです。そのため、ドラキュラ伯爵ではない吸血鬼、マインスター男爵が登場します。ドラキュラは(一時的に)いなくなっても、邪悪な吸血鬼の血脈は潰えていないのです。吸血鬼ドラキュラ [ クリストファー・リー ]この映画、まず、マインスター男爵に負けず劣らず女性陣が恐い。まずマインスター夫人(マインスター男爵の母親)と使用人のグレタです。魔女顔というのだろうか、2人は異なるタイプだが、映像に出てきた瞬間に恐い。そこへもってきて、顔に陰影をつけたライティングの効果が、これまた十二分に恐さを引き出します。マインスター夫人は、吸血鬼化したあとで、異常にのびた犬歯をかくすために、布で顔を覆う仕草がいやらしく禍々しい。けど、グレタのほうはちょっとセリフが説明的でくどくて、しらけ気味になってしまったのが残念。さらに、マインスター男爵に血を吸われ、吸血鬼化するジナ(もとは女学校の先生)も恐い。吸血鬼化する前も独特な顔立ちですが、吸血鬼となって長すぎる不格好な犬歯を剝き出しにすると、ますます恐い。さてさて、この映画で主役というべきはヴァン・ヘルシング教授です。劇中で、教授は、医者であるとともに、哲学博士、神学博士として、さらに形而上学についても大学で教鞭をとっているとの紹介がありました。きわめて博学なのです。さらに、初対面のマリアンヌには、ご自身(ヴァン・ヘルシング教授)について「伝染する奇病である不死者の撲滅に取り組んでいる」と説明します。不死者(奇病)とは、つまり吸血鬼のことであります。もちろん、ヴァン・ヘルシング教授は、医者として、または学者として、知性だけで不死者の撲滅に取り組むのではありません。ハマーフィルムの、ピーター・カッシング演じるヴァン・ヘルシング教授は、吸血鬼との直接バトルも厭いません。今回は、対決時に不覚をとって、マインスター男爵に血を吸われてしまうヴァン・ヘルシング教授でした。しかし、先述のように自ら吸血鬼化を防ぐと、あらためて果敢にマインスター男爵に立ち向かっていきます。マインスター男爵に聖水を浴びせかけて大きなダメージを与え、とどめをさすために風車小屋の大きな羽根に飛びつきます。(どんなふうにとどめがさされるのか、それは見てのお楽しみ)そして、風車小屋の高さ3mほどのバルコニーからひらりと柵を飛び越えて地面に降り立ちます。(多分、撮影時には、地面にはマットか何か敷いてあったのでしょう)ヴァン・ヘルシング教授(ピーター・カッシング)、驚くべき身軽さです。事程左様に、宿敵ドラキュラが登場しない『吸血鬼ドラキュラの花嫁』は、ヴァン・ヘルシング教授が圧倒的な存在感を示すのでした。 後年、映画『ヴァン・ヘルシング(2004年)』やドラマ『ヴァン・ヘルシング(2016~21年)』、その他が制作されます。原作小説では後半から登場し、脇役的存在だったヴァン・ヘルシングが、映画やドラマなどの主役となっていったのです。おそらく、ヴァン・ヘルシングのイメージが、原作小説や映画『魔人ドラキュラ(1931)』の知恵袋的な彼ならば、そうはならなかったでしょう。ハマーフィルムの、ピーター・カッシングが演じたスーパーアクティブなヴァン・ヘルシングによって、超絶吸血鬼ハンターが目覚めたのです。ヴァン・ヘルシング【Blu-ray】 [ ヒュー・ジャックマン ]吸血鬼ドラキュラ (創元推理文庫) [ ブラム・ストーカー ]魔人ドラキュラ [ ベラ・ルゴシ ]
September 13, 2025
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第二次世界大戦中、“鷲の城”の名で恐れられるナチスドイツの要塞に、米国の将軍が捕虜となっていた。重要機密を守るために、スミス少佐ら6人のイギリス情報部の諜報員と、アメリカのレンジャー部隊シェイファー中尉による決死の救出作戦が始まった!だが、味方の諜報員が消されていき、計画が漏れている疑惑も生じて…。荒鷲の要塞【Blu-ray】 [ クリント・イーストウッド ]公開時、映画館で見たときは小学校の高学年でした。『荒鷲の要塞』を見たかったのは、クリント・イーストウッドが出演していたからです。イーストウッドが二丁機関銃の両手撃ちを披露したシーンの迫力に驚愕しました。機関銃=マシンガンって、一丁でも衝撃が強いのに、いとも簡単に二丁撃ちするとは!さすがマカロニ・ヒーローこの映画は、イギリス・アメリカの合作です。イーストウッドがマカロニ・ウエスタンでスターとなり、アメリカに凱旋してからつくられた映画なのです。しかし、この時点で、イーストウッドは二枚看板のひとり、といえども二番手。トップは、リチャード・バートンでした。映画自体は、エンターテインメントの釣る瓶打ちでした。捕虜となったアメリカ陸軍の将軍を救出するために、英米の精鋭部隊が難攻不落の要塞に向かいます。しかし、何か裏があるようで、リチャード・バートン演じる隊長のスミス少佐の言動に謎が含まれているのです。イーストウッド演じるシェイファー中尉が聞きます。「おれは米国人だ。なぜ英国の作戦に呼ばれた?」スミス少佐は答えます。「米国人だからだ」作戦の真の目的、計画はスミス少佐だけが握っている。「おれに隠しごとをするなら協力しないぞ」シェイファー中尉はと迫りますが・・・。さらに、部隊のメンバーも一人ずつ殺されていきます。誰が内通者なのか?じつは、スミス少佐自身が、ナチスドイツのスパイなのではないか?こうしたミステリー要素でストーリーが展開するとともに、アクションシーンが刺激的です。要塞に潜入し、目的を達して、脱出にこぎつけたい。しかし、要塞はナチスドイツの巨大巣窟なわけですから、いくらでも兵士がわいて出てくる。命がけの格闘、柱も壁も破壊する銃撃戦、爆破作戦。なんとかロープウェイに飛び乗るが、麓でもドイツ軍が待ち受けている。救出の飛行機が向かってきているが、はたしてそこまでたどり着けるのか。当時、この映画を見た最大の理由は、マカロニ・ウエスタンにはまっていたからです。イーストウッド、ジュリアーノ・ジェンマ、フランコ・ネロ当方は、このお三方がマカロニ御三家だと受け止めています。この方々は、一役者ではなく、スーパーヒーローでした。小学生でしたから、役者という立場と演じるキャラクターを分けてとらえることができません。もっと前には、宇津井健といえばスーパージャイアンツでした。ですから、『雷電(1959年)』でも、宇津井健演じる大関雷電は、スーパージャイアンツなのだから、絶対負けることはないと信じていました。そのように、マカロニ・ウエスタンにおいても、そこでのヒーローのかっこよさにシビレて(死語か?)、生身の俳優さん自身にもそのかっこよさを求めたのですね。というわけで、イーストウッドの出演する映画だからモーレツに見たかったんです。(ジェンマの現代劇『バスタード(1968年)』なども見に行きました)けれども、この映画のイーストウッドは主役ではありませんでした。映画をリードしていくのは、あくまでもリチャード・バートンだったのです。イーストウッドは、サブ的な立ち位置でした。とりわけそれを感じたのは、ロープウェイでの脱出シーンです。イーストウッドは、下りの始点駅で敵側のスパイの策略にはまり、ノックアウトされ気を失ってしまった。スパイたちは、ゴンドラに乗って逃げていく。それを追って、バートンはゴンドラの屋根に飛び乗る。宙ぶらりんのゴンドラの屋根で、バートンはスパイ2人と大格闘。バートンは、下りのゴンドラを爆破し、やってきた上りのゴンドラに飛び移る。(いいところにからの上りゴンドラがやってきた)てな具合で、バートンがスリリングな大立ち回りを演じて見せ場をつくっている間、イーストウッドは気を失っていました。そういったところが、イーストウッド・ファンとしては、ちょっとくやしい。もちろん、先の両手マシンガンのような、イーストウッドの見せ場はありました。(今回、見直してみて、二丁マシンガンの両手撃ち、ちょっとイメージがちがった)(自分の脳内では、もっと大きなマシンガンを乱れ撃ちする姿に増幅されていました)そして、キャラクター的にも、クールな切れ者感を出しています。しかし、この映画においてのイーストウッドは、日本プロレス時代のエース、ジャイアント馬場を補佐する若いアントニオ猪木的な立場だったと思います。その後、猪木が押しも押されもしないトップスターに昇り詰めるように、イーストウッドも絶対主演になっていきます。『荒鷲の要塞』以後、『真昼の死闘(1970)』で、エンドクレジットにおいてシャーリー・マクレーンがトップに出ることがありました。けれども、当たり役『ダーティハリー(1971)』を経て、誰にも負けない常勝主役に君臨します。一度だけ、『パーフェクト ワールド(1993)』で、イーストウッドより上位にケビン・コスナーがクレジットされたことがありましたね。真昼の死闘【Blu-ray】 [ クリント・イーストウッド ]ダーティハリー【Blu-ray】 [ クリント・イーストウッド ]パーフェクト ワールド【Blu-ray】 [ ケヴィン・コスナー ]今となっては、『荒鷲の要塞』も、「クリント・イーストウッド出演の戦争アクション」と紹介されるなどしています。「リチャード・バートン主演の・・・」ではなく。ということで、『荒鷲の要塞』は、見応えのあると同時に、クリント・イーストウッドが2番手を務めたという貴重な映画です。1970年前後は、イーストウッドをまねて、眩しそうな表情をよくしたものです。細かすぎて、だれにも伝わりませんでした。
September 9, 2025
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【中古】 犬神の悪霊/伊藤俊也(監督、脚本),大和田伸也,山内絵美子加納たちは、ウラン鉱探査のため久賀村を訪れ、はずみで道端の祠を壊し、垂水家の飼い犬をひき殺していまう。のちに加納は村長の娘、麗子と結婚した。その後不吉な事件が続き、村人たちは犬神筋である垂水家のたたりではないかと疑心暗鬼になる。さらにウラン採掘のための薬品の影響で水が汚染され死人が出るまでとなり、村人の怒りは垂水家に向かい、家にいた母子は村人たちに殺されてしまう。憤怒に煮えたぎった父親・隆作は、犬の首を刎ねて呪いをかける。その怨念は、麗子の妹・磨子へ憑依した。1973年、夏休みを間近に控えて、友人数人とある映画について語っていました。「『エクソシスト』は、無茶苦茶恐いらしいぞ」「恐すぎて最後まで見ていられないって」「どんだけ恐いか、思い切って見に行ってみるか」そうしたらそこのお母さんが、「なんでお金を払ってまで恐い思いをしにいくの⁈」と口をはさんできました。エクソシスト ディレクターズカット版&オリジナル劇場版【Blu-ray】 [ エレン・バースティン ]この時期、1970年代は、まだ「ホラー」という言葉さえ日本では知れ渡っていませんでした。日本の超自然的な恐い映画はざっくりと「怪談」であり、また海外までその枠を広げた場合は「怪奇・恐怖」映画でした。そうしたところへ「オカルト映画」との肩書きで 『エクソシスト』が入ってきたわけです。「オカルト映画」は、基本的に悪魔の恐怖を描いています。この点がけっこうポイントです。日本人が恐怖するのは幽霊。対する欧米人のそれは悪魔なのです。日本では、「霊を見た」「霊に祟られた」という話は聞きます。(犬神も、犬の「霊」が取り憑くものです)けれども、「悪魔を見た」「悪魔に取り憑かれた」という話はないように思います。そのあたり、端的にちがいがありますよね。ともあれ、1970年代には日本でも『エクソシスト』や『オーメン(1976年)』はたまた『キャリー(1976年)』などのオカルト映画、恐怖映画がヒットしました。そして、その流れに乗るべく日本の東映も『犬神の悪霊』がつくられたのでした。オーメン【Blu-ray】 [ グレゴリー・ペック ]【中古】 キャリー(Blu−ray Disc)/シシー・スペイセク,パイパー・ローリー,ジョン・トラヴォルタ,ブライアン・デ・パルマ(監督),スティーヴン・キング(原作)実際に『犬神の悪霊』を見たのは、封切り公開されてから半世紀ほど後のこととなりました。その間に、ホラー映画も、ゾンビとかスプラッターとかがあり、さらに日本のJホラーが世界を席巻する一大ムーブメントとなりました。そうしたホラー映画の蓄積を経験した後で、『犬神の悪霊』を見たわけです。(多分、目が肥えちゃいました)さて、『犬神の悪霊』です。ウラン鉱を探査に来た3人が、わざとではないとはいえ、祠を壊したり、垂水家の飼い犬を轢き殺したりします。その後、2人が不審な死に方をしていきます。しかし、主人公の加納は死なないですんでいた。かわりに、妻の麗子がおかしくなり死んでいく。たたりが、破壊された祠や飼い犬の死から始まったのならば、加納も死に追いやられるはずなのに。そう考えると、たたりは犬神の筋である垂水家の娘、かおりの仕業なのか?かおりは加納に気があるから、生き残らせたのか?だが、かおりに邪悪な様子もないし。そんなふうに、この映画はどこに向かうのか、戸惑っておりました。けれども、クライマックスを迎え、この映画のやりたいことがわかりました。一家を惨殺された垂水隆作は、村人たちを呪って犬の首を刎ねる。すると、その様子を覗いていた剣持家の妹磨子に犬神が憑依。磨子は悪鬼の形相となり、この世のものとも思えぬ身のこなしで加納に襲い掛かり壮絶バトルを展開。つまり、磨子/長谷川真砂美は、『エクソシスト』のリーガン/リンダ・ブレアなのです。また、加納/大和田伸也は、『エクソシスト』のカラス神父/ジェイソン・ミラーだったのです。「『犬神の悪霊』は、いたいけな少女が怪物に豹変して、『エクソシスト』みたいで恐かったー」そこですかい?『犬神の悪霊』では、『エクソシスト』の悪魔を犬神の悪霊に入れ替えて映画がつくられたわけです。日本では、悪魔がなじまないので。であるなら、『犬神の悪霊』も、和製『エクソシスト』にしなくても、日本に古くからある憑き物として描くことで、もっとジトっと恐くできたように思います。この時代、日本では、まだホラーはこなれていなかったのでしょう。
September 6, 2025
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キングコングの逆襲【Blu-ray】 [ 宝田明 ]国連調査団のネルソン、野村、スーザンは、搭乗していた原子力潜水艦の調整作業中にモンド島へ上陸する。そこは有史以前の恐竜やキングコングが棲息していた。一方、悪の科学者ドクター・フーは、某国のマダム・ピラニアの要請で、巨大ロボット、メカニコングを使って北極の高エネルギー鉱石、エレメントXを掘り出そうとしていたが失敗に終わる。ドクター・フーは、ネルソンらが去ったあとのモンド島に襲来し、催眠ガスでコングを眠らせて北極に運ぶ。コングに催眠術をかけてエレメントXを掘らせようとしたが、またもや失敗。コングは混乱に乗じて海へと逃走する。日本にたどり着いたコングは、スーザンらと再会するも束の間、ドクター・フーが放ったメカニコング2にスーザンを奪われてしまう。コングは、スーザンを救出するためにメカニコング2と対決する。〇キングコング・フィーバーこの年、キングコングは勢いがありました。まず、1967年4月5日からアニメの『キングコング』がテレビで放映されていました。ウッホ ウホウホ ウッホッホッ という出だしの主題歌は、今でも歌うことができます。このアニメは、アメリカのビデオクラフト社と東映動画との合作とのこと。次いで、7月22日封切りの映画『キングコングの逆襲』。こちらも、やはりアメリカのランキン・バス・プロとの合作。そのアメリカの2社にかかわる人物がアーサー・ランキン・Jr.でした。(『キングコングの逆襲』では、テクニカル・アドバイザーとしてアーサー・ランキンの名前がある)つまり、アニメ『キングコング』と特撮『キングコングの逆襲』は、おおもとが一つだというわけです。そういった事情から、アニメと『キングコングの逆襲』は設定の似ているところがありました。例えば、登場人物のスーザン、ドクター・フー。そして、アニメ版のロボット・コングと特撮映画晩のメカ二コング。といったように。(それにしても、ランキン氏、東映動画、東宝特撮という日本の2大クオリティに目をつけるとは!)そのような流れの中で、プラモデルもキングコングICHIRO、JIRO、SABUROという3種もの商品が発売されました。〇年中行事怪獣ブームといわれたあのころ、公開された映画を見ることができたのは祖母のおかげでした。祖母は、たびたび孫たちを楽しいところに連れて行ってくれました。その中でも、夏休みは特撮映画を見に行くのが年中行事になっていたのです。1966年『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』『ジャングル大帝』 (二本立ての併映)1967年『キングコングの逆襲』『長編怪獣映画ウルトラマン』 (二本立ての併映)1968年『怪獣総進撃』『海底軍艦』(短縮版) (二本立ての併映)といった具合に。『キングコングの逆襲』を見た帰りに、弟やいとこは、キングコングのプラモデルを買ってもらいました。(年長の自分は、弟たちに差をつけるつもりでサンダーバード4号にしました。)このように、あの時代は、夏休み、冬休みの東宝特撮映画は、大相撲の本場所のように当たり前にやってくるローテーション状態だったのです。そうした時流に乗って、リアルタイムに、大スクリーンで特撮映画を見続けることができたのは、成長期の得難い体験でした。おばあちゃん、ありがとう。フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ【Blu-rayDisc Video】 [ ラス・タンブリン ]【中古】 長篇怪獣映画ウルトラマン 最強のウルトラマン・ムービーシリーズVol.1/ウルトラマン怪獣総進撃 4Kリマスター【Blu-ray】 [ 本多猪四郎 ]海底軍艦【Blu-ray】 [ 高島忠夫 ]〇塔上の決戦『キングコングの逆襲』の見どころの一番は、キングコングと悪の科学者ドクター・フーが操るロボット、メカニコングの対決です。この前年、『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』では、東京の建物を破壊しながらの大バトルが繰り広げられました。その前年『フランケンシュタイン対地底怪獣(1965年)』から今回の『キングコングの逆襲』まで、夏休みの新作特撮映画は、怪獣などの身長が20m程度に設定されました。それまでスタンダードだったゴジラの身長を50mに設定した特撮とくらべたとき、巨大生物の20mはイメージしやすいと思いました。縮尺の関係で周りの建物などが大きくなりなって、重量感が増した印象でした。フランケンシュタイン(の怪物)が森林からぬっと姿を現すとき、サンダとガイラが都市破壊を伴って激闘を展開するとき、今までの怪獣映画とはひと味違うリアルさや迫力を感じました。そういったことから、『キングコングの逆襲』でも『サンダ対ガイラ』を再現するような、キングとメカニの街中でのバトルシーンを期待していました。しかし、円谷特撮は二番煎じを出さない。同じ手は使わない。なんと、キングとメカニは、東京タワーの上部で、中空での一騎討ちを行ったのです。メカニは、キングが親しむスーザンをつかんで、東京タワーを登っていきます。ドクター・フーは、キングが逆らえば、高所からスーザンを捨て去るぞと脅迫するのですスーザンを救出しようと、キングも東京タワーをよじ登っていく。オリジナルの『キングコング(1933年)』では、キングコングがアンを連れてエンパイアステートビルを登ります。このシチュエーションについては、建物は変わっても、以後のリメイク作で踏襲されています。そのように、キングコングと美女、そして高層建築はつきものなのです。【中古】DVD▼キングコング 字幕のみ レンタル落ちす。なので、日本では東京タワー。高さ333mの東京タワーは、ジャングルジムのようにつかまったりぶら下がったりしやすい鉄塔構造でそして、20m級のキングとメカニの組み合わせ。ゴジラ型の怪獣では、東京タワーをよじ登り、そこでアクションすることはできません。だからこそ、他の怪獣映画にはない、キングとメカニのスリリングな闘争を見ることができたわけです。〇ドクターフー 天本英世氏この映画では、天本英世氏が悪の科学者ドクター・フーを演じています。天本英世氏といえば、仮面ライダーの「死神博士」として知られていることかと思います。しかし、当方にとって天本英世氏、すなわちキングコングの逆襲の「ドクター・フー」なのです。天本氏は、・『海底軍艦(1963年)』の猊下「さぞかしマンダも喜ぶことでございましょう」・『宇宙大怪獣ドゴラ(1964年)』のジョー眞木(金庫破り)「私の腕は、ダイヤモンドGメンの折り紙つきね」・『 ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃(1969年)』の南信平「すき焼きくらいで破産するかよ」など、その折々のセリフや表情が子供心に刷り込まれてしまいました。東宝特撮といえば、宝田明氏でも佐原健二氏でもなく、天本英世氏で決まり。さて、ドクター・フーは、悪賢い、という言葉がぴったりの人物でした。彼は、才能がないというわけではないのだと思います。例えば、メカニコングを建造します。しかし、これはネルソンたちの設計図を盗んだ結果。それから、詰めがあまい。メカニやキングを使ってエレメントXを掘り出そうとしますが、いずれも最終的には失敗。さらに、マダムピラニアとの議論は劣勢に立たされがち。もしかしたら、一見忠実なドクター・フーの部下たちも、陰では謗っていたかもしれません。ですけど、ドクター・フーはめげません。不利な状況であっても奸計をめぐらし、自己の目的に向かって邁進します。天本英世氏がドクター・フーは、マニアックの極みと述べてもいい存在感がありました。そのドクター・フーからおよそ15年後、80年代の東宝特撮怪獣映画が休眠中に、友達に誘われてミュージカル『ザ・ファンタスティック』を見に行きました。なんと、そこに天本英世氏が出演されていたのです。天本氏演じるヘンリーが、ベビーカーに乗せられて舞台に登場されたシーンなど、脳裏に刻まれています。当方にとって、ミスター東宝特撮ともいえる天本英世氏の生のお姿を拝見できたことは、じつに貴重な体験でした。(『ザ・ファンタスティック』には、宝田明氏と天本英世氏が共演されている公演もあったとか‼)ロビーには、天本氏が書かれたスペインに関するご著書が並んでいたことも印象に残っています。後に出版されたご著書には、「私は、スペインで死にたい」と記されていました。Who is he?He is (Doctor) Who.
September 2, 2025
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ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘【Blu-ray】 [ 宝田明 ]良太は、南洋で行方不明になった兄の彌太を探しに葉山から船出する。しかし、嵐に合い同乗した仁田、市野、吉村ともども謎のレッチ島に漂着する。そこは巨大エビ怪獣エビラに守られた、国際的陰謀団の赤イ竹の秘密工場があった。秘密工場ではインファント島の人々が連れてこられて、強制労働をさせられていた。ヨットのメンバーは、インファント島の娘ダヨとともに人々を助け出そうと奮闘する。彼らは、武装する赤イ竹に対抗するために、洞窟で眠っていたゴジラを雷によって呼び覚まし大混乱を巻き起こすのだった。ゴジラシアターで『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』を見てきました。スクリーンで見るのは、公開時以来です。じつのところ、公開時、見に行く予定はなかったのです。というのは、同時期に『怪竜大決戦』『黄金バット』という夢の特撮2本立てが封切られ、早速、歓喜に打ち震えながら観賞しました。それらを見終わると、親は、(その年の)冬休みの映画は終了、という頑なな雰囲気を漂わせていたのです。怪竜大決戦 [ 松方弘樹 ]黄金バット [ 千葉真一 ]すでに『南海の大決闘』は、まんが雑誌の絵物語を通して、万全に予習が整った状態でした。海から巨大なハサミが出現。マチェテ(山刀)を避雷針にして、眠るゴジラに雷を落とし覚醒させる。といったイラストやあらすじから、これまでのゴジラ映画にない海洋冒険映画の趣を感じました。いやがうえにも、『南海の大決闘』への期待が高まっていました。しかし、親は年の瀬の多忙を装っているので、『南海の大決闘』を諦めざるを得ないか・・・という状態に追い込まれておりました。ところが、特撮好きの友達から、『南海の大決闘』の優待券をもらったのです・・・有効期限切れ寸前の優待券でしたが。急遽その日の夜、『南海の大決闘』を見に行くことができました。特撮の神様からの少々遅いクリスマスプレゼント、あるいはちょっと早いお年玉。特撮の神様は決して見捨てない。その封切り公開時の顛末から、いつしか4Kリマスター版のゴジラシアターへ。その間に、驚愕の事実を知るに至っていました。『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』は、『ロビンソン・クルーソー作戦 キングコング対エビラ』の企画が諸般の事情で変更になってできあがったものだった。本来はキングコング映画だったものが、ゴジラ映画に変わってしまったのです。ごく簡単にいうと、ゴジラは、キングコングのピンチヒッターを務めたというもの。(後年モンスターバースでゴジラとコングの最強タッグが実現したのは、ここが始まりだったのでしょうか?)それを知っていると、ゴジラがインファント等の娘、ダヨに興味を示すのもわかります。かつてゴジラが、人を見るってことはありませんでした。しかし、キングコングならば、美女にアプローチするのは毎度おなじみですから。このくだりについて、公開時(子供のころ)は、ゴジラが人類に寄り添ってきている現れと理解していました。ゴジラは、『三大怪獣地球最大の決戦(1964)』で、プロレスでいうベビーターン(フェイスターン)の様相を呈します。つまりそれまでのヴィラン(ヒール=悪側)からヒーロー(ベビーフェイス=善側)へと立場の変更が見られたのです。(ゴジラが完全にヒーロー化したのは『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン(1972年)』からといわれています)時間をかけて段階的にベビーターンしていく過程で、ゴジラはダヨには好意?を示すようなしぐさをしたのだと当時は考えていました。要は、かつて敵対していたゴジラだが、今では人類に好意を示すまでになったのだという解釈。しかし、そのじつ、ゴジラはキングコングの行動特性をトレースしていたわけです。確かに、その時点では、そうしたゴジラの行為が不自然ではなくなってきていました。三大怪獣 地球最大の決戦 4Kリマスター【4K ULTRA HD】 [ 本多猪四郎 ]地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン【Blu-ray】 [ 石川博 ]さらにこの映画では、人間の側がゴジラに歩み寄る様子も見られます。例えば「ゴジラは、(善良な人々と陰謀団赤イ竹の)中立だ!」(つまり悪ではない)とか。そして、レッチ島が大爆発する前に、善側の人々はゴジラに「逃げろー!」との声を送ったりする。さらに、大爆発後、善側の人々はゴジラが無事な姿を見て、「やったー!」 「よかったぁ!」と喜ぶのでした。こうした光景を見るにつけ、ゴジラのベビーターンは着実に進んでいると受け止められました。今回、あらためてスクリーンで見ると、モスラが着地し人々が駆け寄る場面など、モスラの巨大さが実感できます。大迫力です。しかし、公開時、この映画には子供心に不満もありました。怪獣映画といえば、防衛隊の出撃と戦闘、都市破壊、逃げ惑う人々がつきものです。それらが見せ場ともいえます。特にミニチュアワークは、特撮映画の大きな楽しみです。しかし、『南海の大決闘』は、孤島が舞台になっていますからそれらはあまりありません。かろうじて国際陰謀団赤イ竹の戦闘機がゴジラを攻撃し、それに怒ったゴジラが赤イ竹の基地・工場を破壊するシーンがありましたが。また、この映画、タイトルに、ゴジラ・エビラ・モスラとあります。だから、公開時(子供の頃)は、ゴジラ・エビラ・モスラの3WAYマッチを期待していました。空のモスラ、陸のゴジラ、海のエビラの大乱闘を脳内に描いていたのです。しかし、モスラはゴジラに負けずずっと眠っていました。そのために、モスラが目覚めてから、WWEのロイヤルランブルよろしく時間差で登場した際には、もうバトルシーンが少なくなっており、てとても心残りでした。でも、現在では、ゴジラ映画の個性ある1本として受け止めています。公開時、映画を見終わって父親が言いました。「今回の双子は、ピーナッツよりうまいな」いうまでもなく、ピーナッツとは落花生のことではなく、双子デュオのザ・ピーナッツのことです。同時に、この「うまいな」は、当然落花生の味ではなく、あるいは演技についてでもなく、ザ・ピーナッツの本職から考えて歌への評価だったのでしょう。今回の双子、ペア・バンビについては、「別冊映画秘宝 モスラ映画大全」のインタビューを読んで長年の謎がだいぶ解けました。【中古】(良い)別冊映画秘宝 モスラ映画大全 (洋泉社MOOK)
August 26, 2025
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サユリ [ 白石晃士 ]家族7人で念願の一戸建てに引っ越してきた神木家。しかし、そこは近所でもうわさのいわくつきの家だった。新しい生活を始めるやいなや、家族が一人ずつ死んでいく。長男、則雄は同級生の住田から警告を受ける。神木家を襲った怪異の正体は?残されたのは則雄と認知症を患う祖母、春枝。だがその春枝が突如覚醒し、往年のエネルギーと精進した太極拳のパワーとで則雄とともに怪異に立ち向かう。夢や希望をもって中古住宅に越してくると、たいていその家族は怪異に襲われてしまいます。例えば『死霊館(2013年)』でのペロン一家(やはり7人家族)は、田舎の屋敷を購入し移り住んだら、早々に様々な異変に苛まれました。まず、ペットの犬が家に入るのを拒み、引っ越した翌日に死にます。続いて家中の時計が3時7分で止まり、四女シンディが夢遊状態で歩き回ります。さらに、おかあさんの身体には痣が広がり・・・。この事態に、ペロン家は、心霊研究家として名高いウォーレン夫妻に助けを求めました。死霊館【Blu-ray】 [ ベラ・ファーミガ ]一般人においては、心霊現象に対抗する手立てなどありません。そんなときに頼りになるのがプロフェッショナル、専門家です。プロ、専門家は、ゴーストハンター、バンパイアスレイヤー、霊能者などと呼ばれたりします。最も有名なのが、ドラキュラに対抗するヴァン・ヘルシング教授でしょう。そして、実在の人物では先述のウォーレン夫妻です。はたまた日本では、阿佐ヶ谷姉妹「ミホさ~ん」ではなくて、比嘉姉妹、『来る(2018)』の霊能者。あるいは小説『営繕かるかや怪異譚』シリーズの営繕屋・尾端もそれに該当するでしょう。いずれも、とても頼りになる方々です。映画『サユリ』においても、専門家のように状況を理解し、見通しをもって対応策を立て、さらに怨霊に立ち向かう人がいました。まさかの春枝ばあちゃんです。映画の最初のほうでは、もしかしたら則雄の友達の住田さんが、ゴーストハンター的な役割をするのかと見ていました。住田さんには霊感があるので。そんな流れの中で、春枝ばあちゃんはまったくの予想外、まさに思わぬ伏兵現る、ですよ。だって春枝ばあちゃんは認知症なのですから。ところが、一家が全滅の危機に直面し、則雄は頼りにならない状況で、一番助けが必要だと思われた春枝ばあちゃんが、認知症から抜け出して力強い存在となったのです。ヒーローというのは、二面性が効果的に作用するとじつに痛快です。例えば、『アラン・ドロンのゾロ(1975年)』です。剣の達人ディエゴ(アラン・ドロン)は、ニュー・アラゴンの総督職にありながら、普段はまったくの無能で臆病、なよなよしている。しかし、ひとたび黒マスクに黒装束の快傑ゾロに変身すると、民衆を救うために無敵の強さで大活躍するのです。無能と無敵の意外性や落差は、解放感を味わわせ、溜飲が下がります。春枝ばあちゃんも、家族の手を煩わせる立場から奇跡の大逆転、酸いも甘いも嚙み分けた、力強く頼もしい女武芸者へ。【中古】 アラン・ドロンのゾロ/ドュッチオ・テッサリ【監督】/アラン・ドロン【主演】則雄に対して春枝ばあちゃんは、カラダを鍛え、しっかり食べることで生命を濃くするようさせ、軟弱なメンタルではとり殺されてしまうから勇敢に振る舞うようにさせて、怨霊に立ち向かえるよう導きます。かのヴァン・ヘルシング教授も、ドラキュラから愛妻を守ることができるよう、夫のアーサーに「ここで弱気になってはいけません」と𠮟咤激励していました(『吸血鬼ドラキュラ(1958年)』)。そうです。相手が怨霊、吸血鬼というはかり知れない魔物だからといって、恐れおののいていては、劣勢になるばかりです。雀鬼、桜井章一氏も「負けの99%は自滅である」とおっしゃっています。吸血鬼ドラキュラ [ クリストファー・リー ]さて、この映画で猛威をふるうサユリの亡霊です。怨霊というのは、古い怪談映画では、虐げられ、殺された女性がその恨みをはらしに出てきました。「四谷怪談」のお岩さんや「番町皿屋敷」のお菊さんをはじめとして。標的となったのは民谷伊右衛門であったり青山主膳だったり。今回のサユリは、父親から虐待を受け、ひきこもり、そして家族に殺されてしまいます。そして、住んでいた家に引っ越してきた他人の家族を取り殺したのです。時代は変わっても、立場の弱いものの怨念は強すぎると感じざるをえません。
August 23, 2025
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美人と評判の踊りの師匠、おせん。ある夜、スポンサーである越後屋がおせんに言い寄ってきたのだ。その場へ逃げ込んできた宗次郎は、おせんを救う形となった。宗次郎はそのままおせんの家に居着いてしまう。おせんは宗次郎に入れあげる。しかし、宗次郎はおせんの弟を刺していたのであった。あろうことか、宗次郎は、おせんのもとに稽古に通うお吉(越後屋の娘)を口説くのであった。一方越後屋は、悪党の仁蔵に指示して、自分になびかないおせんの顔に煮え湯を浴びせかける。おせんを捨ててお吉といっしょになりたい宗次郎は、顔にやけどをおったおせんを川へ突き落す。そののち、おせんは怨霊となって現れるのであった。若い男と師匠、そして弟子であるの商家の娘との三角関係、という設定は、「真景 累が淵」ですね。「真景 累が淵」は、もともとが明治の落語家三遊亭圓朝の創作落語(怪談噺)で、その全編を語ると毎日1時間かけて15日間かかるといわれる大作です。話しが込み入っているのです。しかし、『怪談三味線堀』は、その長編の一部分を借りてきたわけです。なので、「真景 累が淵」には親の因果が子に報い、のドロドロした背景がありますが、『怪談三味線堀』にそれはない。また、若い男、『真景 累が淵』は新吉、『怪談三味線堀』は宗次郎、の性格、人間性にも違う面があります。新吉と宗次郎は、二枚目という点が共通しています。しかし、新吉は受け身的で、優柔不断、女性からの働きかけに流される印象があります。それに対して、宗次郎のほうは、二枚目であることを武器にして女性に迫ります。いずれにしても、師匠の怨霊に祟られるのですが。それにしても「真景 累が淵」は、怪談として存在感が大きいのだとあらためて感じた次第です。当方、キング・オブ・怪談は、「四谷怪談」だと思ってきました。けれども、『真景 累が淵』もそれに匹敵するような実績があるのです。何回も映画化、テレビドラマ化されていました。一番最近は『怪談(2007年)』です。怪談 累が淵 [ 中村鴈治郎[二代目] ]【中古】 怪談/尾上菊之助[五代目],黒木瞳,井上真央,中田秀夫(監督)そして、『怪談三味線堀』のように「真景 累が淵」に影響された映画もあったのです。そのほかにも、『怪談一つ目地蔵(1969年)』は、親の因果が子に報いという部分などが『真景 累が淵』に似ています。この『怪談一つ目地蔵』は「四谷怪談」のストーリーを思わせるところもありました。若山富三郎演じる京之助は悪浪人にからまれた質商伊勢屋重五郎の一人娘お絹を助け、みにくい傷をおった旧知のお浪からお絹にのりかえるところなど。これは民谷伊右衛門が、立身出世のために、お岩を捨てて伊藤家のお梅との縁談を進めようとするくだりに似ています。なお、若山富三郎は、『怪談 お岩の亡霊(1961年)』で民谷伊右衛門を演じています。舞台、古い映画などの怪談は、情痴のもつれや因果応報が怪奇、恐怖を呼ぶ展開になので、「真景 累が淵」や「四谷怪談」は、元祖、本家としての中身を備えているのです。怪談 お岩の亡霊 [ 若山富三郎 ]さて、『怪談三味線堀』の宗次郎役を演じたのは品川隆二でした。その名前を聞いて思い出すのは、テレビドラマの『素浪人 月影兵庫(1965年~68年)』です。平均視聴率20%という人気番組で、好んで見ていました。このドラマの中で、品川隆二は月影兵庫の相棒、旅烏・焼津の半次を演じていました。焼津の半次はお調子者のコミカルな役どころで、月影兵庫とのかけあいがとても楽しかった。この『素浪人 月影兵庫』は品川隆二の代表作といわれています。その印象が強かったので、二枚目宗次郎は戸惑いがありました。しかし、『怪談三味線堀』は品川隆二は見る角度によって大川橋蔵に見えたり、山城新伍に見えたりしました。確かに、品川隆二は二枚目ではあったのでしょう。けれども二枚目ではスターになりきれず、三枚目を演ずることで華々しい存在感を示したわけです。まあ、『怪談三味線堀』も「真景 累が淵」に見えたりしましたから。素浪人月影兵庫 第1シリーズ コレクターズDVD [ 近衛十四郎 ]素浪人月影兵庫 第2シリーズ コレクターズDVD Vol.2 [ 近衛十四郎 ]
August 18, 2025
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妖怪百物語 [ 藤巻潤 ]「百物語」の集いでは、百本のろうそくを灯し、怪談をひとつ語り終わるごとにその火を一本ずつ消していって、最後は憑き物落としのまじないで締める。悪徳商人の但馬屋は、酒席の余興で百物語を催したが、その傲慢さから締めのまじないをバカにして、やらなかったのだ。そればかりか但馬屋は寺社奉行と結託して、甚兵衛長屋を強引に取り壊し、岡場所をつくろうとしていた。市井に生きる人々を苦しめやりたい放題の但馬屋や寺社奉行だっが・・・。『妖怪百物語』は、『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』との二本立てで公開されました。おりしも子供のムーブメントが、怪獣から妖怪へと移り変わる端境期でした。特撮ドラマ『ウルトラQ』 (1966年) 『ウルトラマン』 (1966~67年)から始まったとされる怪獣ブーム。ガメラ・シリーズは、この怪獣ブームの一翼を担っていました。しかし、『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』は、制作費が前作の3分の1となり、過去作の映像を使いまわすという期待外れな作品でした。また、公開時、ガメラ・シリーズは本作で打ち切りの予定だったそうです。一方で、アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』(1968~69年)の登場あたりから、妖怪ブームが巻き起こります。その流れに乗って、『妖怪百物語』を皮切りに、『妖怪大戦争』(1968年)、『東海道お化け道中』(1968年)と妖怪映画が続いて公開されました。もちろんガメラ・シリーズは、このあとも継続します。それは、この二本立てがヒットしたからであり、ガメラ・シリーズが命拾いしたのは妖怪のおかげといえるのではないでしょうか。ガメラ対宇宙怪獣バイラス 大映特撮 THE BEST [ 本郷功次郎 ]妖怪大戦争 [ 青山良彦 ]東海道お化け道中 [ 保積ぺぺ ]ちなみに、当方は、小学校の中学年で怪獣ブームを、そして高学年で妖怪ブームを経験しました。もっといえば、低学年のころは『鉄腕アトム』(1963~66年)『鉄人28号』 (1963~65年)などのアニメブームでした。ここで、「二本立て」についてなのですが、大映は1966年にも魅惑の二本立てを公開していました。それは『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』と『大魔神』です。その『大魔神』を見ている途中で、当方は隣席の弟に話しかけました。「大魔神はいいもん(正義サイド)だぞ」そうしたら、そのまた隣の男の子が「え⁉、大魔神って悪モノじゃないの?」と聞いてきました。全然知らない子ですが。事前に見た新聞広告には、手前を逃げ惑う人々が群がり、その背後から巨大な大魔神が迫る写真が掲載されていました。その構図は、大魔神が人々を襲撃しているように見てとれました。何しろ「魔神」ですからね。それに、ゴジラもガメラも、初登場時は人間と敵対する怪獣でしたからね。そんなことから、映画を見る前は、単純に「大魔神」=悪モノだと思っていたわけです。その大魔神と人々がどう闘い、撃退するかという話だと予想を立てていました。ところが映画は、謀反を起こした下剋上家老がいて、城主の子供たちや城下の人々をやりたい放題苦しめます。そして、巫女の信夫が、悪徳領主左馬之助に「このまま領民たちを苦しめ続けたら魔神による神罰がある」と訴えます。このような展開を追っていけば、「大魔神」の役割は人々を救いに現れることしかありません。(とはいうものの、いったん怒りとともに出現した大魔神は、敵味方の見境なく暴走する面もあったのですが。)さて、『妖怪百物語』についてです。基本的に、人は妖怪を恐れます。恐いんです。妖怪とは、「もののけ」とか「化け物」、「変化・魔性の物」です。それらのイメージから、妖怪とは、怪異を起こして人に災いをなす存在だと受け取られました。(「座敷童」など、幸運をもたらす妖怪もいますけど)たとえば、『ゲゲゲの鬼太郎』では、鬼太郎が善玉ヒーローで、妖怪は悪党ヴィランという設定です。鬼太郎は、悪い妖怪から人間たちを守ります。けれども、『妖怪百物語』の妖怪はニュートラルな立場だと思うんです。ニュートラルというのは、人間の味方でもなければ敵でもないという意味です。映画の中で、妖怪たちが襲いかるのは、悪徳商人とそれに結託する極悪奉行です。この人たちは、百物語をした後、憑き物落としのまじないをしません。まじないのかわりに、「この世に小判に勝るお守りはございません」などとうそぶき、賄賂を配る有様です。こんなのは、妖怪たちにとって、「神をも恐れぬ所業、暴挙」なわけです。実際に、お社を打ち壊すような大胆不敵すぎるふるまいもあります。妖怪というのは、やはり畏怖の対象なのですよ。憑き物落としのまじないをしないのは、妖怪たちにとってみれば、「自分たちのことを軽く見られた」のです。だから「ふざけるな!」と怒って、罰を与えるのです。映画のお話としては、長屋の人々や大家さんが悪徳商人と極悪奉行に苦しめられていて、それら人間の悪者たちを妖怪たちが懲らしめます。結果的に善人である長屋の人々たちが助かることになりますが、妖怪は必ずしも彼らを守ろうとしたのではないという印象があります。ニュートラルというのは、例えば平成ガメラ。平成ガメラにとって、最優先事項は地球を守ることであり、そのためには人類と敵対する可能性もあるとされます。あるいは、護国聖獣のバラゴン、モスラ、キングギドラ(『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃(2001年)』)は、土地としての日本の守護神であるが、必ずしも人間の味方ではないというようなことがいわれています。さらに、レジェンダリー・ゴジラも、上記の怪獣たちと同じような役割をもっている存在であることがほのめかされているのです。してみると、妖怪も怪獣も、人間の都合を正義として行動するわけではないのです。といったところで、怪獣ブームの真っただ中に公開された『大魔神』。大魔神って、怪獣なのかな?あるいは妖怪ブームの先取りだったのか?特撮キャラクターであることはまちがいない。
August 12, 2025
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【〜8/6まで!! 最大2000円OFFクーポン!!】怪談 本所七不思議 【DVD】たびたび怪奇現象が騒ぎとなる「おいてけ堀」。その界隈で人を化かしていた狸(長兵衛)がとっつかまった。しかし、通りかかった旗本小宮山左膳により、長兵衛狸は命を救われる。恩義を感じた長兵衛狸は左膳に尽くそうとするのだが、左膳は甥である権九郎に殺害されてしまう。色と欲にかられた権九郎は、小宮山家を食いものにしようと非道を重ねる。長兵衛狸は、武者修行のために不在であるはずの弓之助(左膳の息子)に化けて登場し、難を逃れようとするのだが・・・もう半世紀以上前のことになりますが、友だちの家で「本所七不思議」の図説を見せてもらったのです。今でいうムック本だったと記憶してます。児童書ではなかった。「七不思議」として並んだ「置行堀」 「送提灯」など、不思議、不可解な思いで眺めました。それらは「本所」という実在の場所が指定されているだけに、七不思議にはリアルな手触りを感じました。うそかマコトか、現実か非現実か、とても曖昧で目がくらみました。とりわけ、その中で目を引いたのが「足洗邸」でした。「足を洗え!」という声が轟き、屋敷の天井を突き破って巨大な汚れた足が出現するわけです。子供心に、まったく理解不能な「怪奇」であり、想像するだに恐ろしかった。 足洗邸(大横川親水公園 本所七不思議のレリーフ)「本所七不思議」について調べていくうちに、『怪談本所七不思議』という映画があることを知りました。雑誌などに掲載された映画のポスターやチラシには、三つ目入道や唐傘お化けの姿もありました。『怪談本所七不思議』を見たい。特に「足洗邸」を映像で見てみたい。そうした思いを抱いてから幾星霜、このたびやっと長年の念願がかないました。(YouTube 「新東宝 【公式】 チャンネル」 で期間限定公開)『怪談本所七不思議』の話に入る前に、『妖怪百物語(1966年)』についてふれます。ムック本を見た数年後のことですがに、『妖怪百物語』が公開されます。この『妖怪百物語』には、「本所七不思議」の中のお話がいくつか出てきました。いっしょに見に行ったいとこ(幼稚園児)は、「おいてけ堀」などをたいそう怖がっていました。この『妖怪百物語』の原型にあたるのが、『怪談本所七不思議』だということを後で知りました。妖怪百物語 [ 藤巻潤 ]さて、元祖『怪談本所七不思議』では、天知茂が悪者=権九郎を演じます。権九郎は、極悪非道、さんざん小宮山家を苦しめます。そして、その悪者権九郎を成敗する側に、亡霊や妖怪などがいるのです。ここで少々戸惑いが生じます。勧善懲悪。つまり、悪者を懲らしめる亡霊や妖怪は、正義の味方ということになるのです。単純に、「亡霊や妖怪=悪」という図式では、それらは当然怖い存在です。しかし、「亡霊、妖怪=正義の味方」となれば、怖くなくなり、頼もしい存在になってしまいます。このあたり、『妖怪百物語』の妖怪などはニュートラルな存在で、それについてはまた別に考察したいと思いますが。(『怪談本所七不思議』 の長兵衛狸も、もともとは人間に悪さをしていたのですが、小宮山左膳に助けられたので恩返しをしました)じゃあ、どこで恐がったらいいんだ?やっぱり怪談ですからね、恐くてナンボです。と考えるならば、それは「自分に起こるんじゃないか」という受け止め方でしょう。端的に言って、悪いことをすれば報いがある。人の道に外れたことをすれば祟られる、といったところです。だが、悪人権九郎は、バレなきゃ何をやってもいい、殺してしまえばかたがつくという傲慢で、現実的な人でした。自分の都合しか考えないわけです。それがゆえに、人知を超えたものなどには思いが至らない。自分自身の悪事が祟るとは考えないのです。今回の天知茂の権九郎は、名作『東海道四谷怪談(1959年)』の稀代の悪党民谷伊右衛門のプロトタイプと見ました。残念なことに、『怪談本所七不思議』にも『妖怪百物語』にも「足洗邸」のお話は出てきませんでした。ですが、言い伝えられる「置行堀」の話、狸が左膳に助けられるくだりは、後から「足洗邸」へとつながっていくのです。
August 5, 2025
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宇宙戦争 (偕成社文庫) [ ハーバート・ジョージ・ウェルズ ]この表紙を見てわかるように、火星人の戦闘マシーンは巨大怪獣である。そして、このSF小説は、怪獣パニック映画として味わうことができるのだ。件の戦闘マシーンについて、小説の中では「怪物のようにおおきな三脚とでもいおうか。たいていの家よりも高く、若い松の木ぐらいはかるがるとまたげて、ぶつかれば両側へなぎたおしていく」と描写されている。「背たけは30メートル」という表記もある。なおかつ、戦闘マシーンは熱射線を発射し、人々も森も街も焼き払う。最初はイングランドのウォーキングあたりに飛来した火星人は、戦闘マシーンを駆使してロンドンに進攻していくのだった。経路に住む人々は、日常生活を奪われていく。次々に飛来する火星人、続々と増えていく戦闘マシーン。火星人の攻撃がますます激化し、映画でいうモブシーン、人々の逃げ惑う姿が描かれる。イギリス軍も砲撃により戦闘マシーンを一機撃破する、が、それだけ。まったく打つ手がない。などなど。小説『宇宙戦争』は、読む怪獣映画である。この戦闘マシーンについて、映像作品から、その登場シーンを見てみよう。『宇宙戦争(2019)』では、全4話の第2話の冒頭で初登場する。火星人の襲撃が始まった。「逃げろー!」という怒号、人々の悲鳴。しかし、どこで何が起きているかはわからない。わけもわかず、地響きに苛まれる中で、尖塔の向こうに何か巨大なものが見える。そして、尖塔の背後から、徐々に姿が見える戦闘マシーン。ゆっくりと三脚(トライポット)を伸ばして、戦闘マシーンが立ち上がった。完全に尖塔を見下ろす戦闘マシーン。さらに、戦闘マシーンを見上げる主人公。『宇宙戦争ーロンドン壊滅ー(2023)』宇宙からの奇妙な飛来物を見に来た主人公たち。すると、飛来物の向こう側から、巨大な甲殻昆虫の脚のようなものが見えてくる。「なんだ?」と思っていると、そのものはゆっくり立ち上がり、見上げるような高さとなる。あっけにとられている野次馬たち。いきなり熱射線が放たれ、人々は一瞬で焼き尽くされる。それに比べると、元祖『宇宙戦争(1953)』はちょっと物足りない。原作には、火星人のメカとして、戦闘マシーン、作業マシーン、飛行マシーンが出てくる。ジョージ・パル版映画の『宇宙戦争』では、戦闘マシーンと飛行マシーンが合体した形のマシーンになっている。このマシーンは飛行形態で、原作にある「おおきな三脚(トライポット)」の部位はない。そうすると、宇宙船の攻撃という印象になり、残念ながら怪獣感は乏しくなる。あと、『宇宙戦争(2005)』の戦闘マシーンは、街中で、いきなり地中から建物や車両などをぶっとばしながら登場する。圧倒的なパワーが発揮された、派手なシーンではある。しかし、その分、情報量が多すぎる。破壊される街に目が行ってしまい、肝心の戦闘マシーンの印象が薄くなってしまった。ここは、戦闘マシーンの巨大感に焦点化してほしいところだ。また、この戦闘マシーンは、メカ感が強い。モンスターというよりも巨大ロボットのイメージだ。やはり、巨大怪獣は、初代『ゴジラ(1954)』のように、山陰からぬっと現れるようなのがいい。一瞬、山が動いたかと思えるかのように、ゴジラの背びれと頭部が目に入る。人々の驚愕の悲鳴。ゴジラが人々に目を向ける。巨大怪獣を見上げ、恐怖し、こけつまろびつして逃げ去る人々。人々の背後から、ゴジラが咆哮を上げる。タメ、が効いてるね。宇宙戦争 ロンドン壊滅 [ サム・ギティンス ]宇宙戦争(1953) スペシャル・コレクターズ・エディション [ ジーン・バリー ]宇宙戦争 スペシャル・コレクターズ・エディション【Blu-ray】 [ トム・クルーズ ]『ゴジラ』 4K リマスター 4K Ultra HD Blu-ray【4K ULTRA HD】 [ 本多猪四郎 ]
June 8, 2024
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女神の見えざる手【Blu-ray】 [ ジェシカ・チャステイン ]主人公エリザベスは、はなはだとっつきにくい人柄だが、有能なロビイストである。けど、ロビイストってなんだ?ロビー活動、は聞いたことがある。ロビーには「議院内の控室」という意味がある。つまり、人々が「議院内の控室」に行って、議員(政治家)に対して陳情や働きかけをすることなのだ。ロビー活動というものは。そうした陳情などを行う人のことをロビイストという。しかし、エリザベスの場合は、プロのロビイスト、なのである。大手ロビー会社(そんなものがあるんだ)のやり手ロビイストとして華々しく活躍するエリザベス。目的を達するためには、手段を選ばないところがある。そんな彼女を見込んで、有力な銃擁護派団体から仕事の依頼が来る。銃規制の強化を支持する多くの女性を、イメージ操作することで支持派に変えさせてほしいというのだ。しかし、銃規制強化派のエリザベスは自分の考えを曲げることをせず、会社を辞める。そして、銃規制強化を支持する側の小会社に移籍する。その後、銃規制強化に向かってあの手この手で驀進していたエリザベスであったが、やがて様々な障壁が立ち塞がってくる。エリザベスの同僚エズメは、かつて銃被害を体験したことがわかる。エリザベスは、気の進まぬエズメを前面に押し出し、活動を進める。しかし、そのエズメが、銃規制反対派の男から襲撃を受けてしまう。間一髪エズメを救ったのは、銃を所持する一般市民による発砲であった。なんたる皮肉。この事件は、アメリカ社会における銃の必要性を実証する事例になってしまう。こんな事態を、逆転させられるのか?さらに、銃規制強化を反故にするために、擁護派は、エリザベスの手口の違法性を問い、精神面やスキャンダラスな素行まで持ち出す・・・・。エリザベスは、信念を曲げない。銃規制強化はいいだろう。しかし、彼女は、頑なな性格なだけなのではないか?単なる自己有能感追求の鬼なのではないか?そんなエリザベスは、ワーカホリック状態であり、仕事面でもプライベートな面でも、事務的、機械的、合理的で、人間味や温かみが感じられない。「敵の不意を突くこと。突かれてはいけない」なんて言われると、引いてしまう。そのため、見ていてエリザベスに感情移入することが難しかった。「勝者は相手の一歩先を読んで、相手が切り札を出したあとから自分の切り札を切る」というエリザベスの決めゼリフも、最初は作為的で冷たく響いた。ところが、その印象が激変する・・・。やがて、悪の本性ならぬ、エリザベスの本質が見えてくるのだった。銃規制がらみの展開もさることながら、エリザベスが興味深い。 もうひとつ、人を信用しないエリザベスだったが、窮地に陥る寸前で思わぬ温情に救われる。それはエリザベスにとっても、まったく想定外の、信じられないできごとだったのではないか。おそらく、そこでエリザベスは、人間に対する見方が変わっただろう。仕事もプライベートも事務的、機械的、合理的。他者の目には、そんなふうに映るエリザベス。彼女の見え方に、大どんでん返しが起こる。エリザベスを演じたのは、ジェシカ・チャスティン。フィルモグラフィを調べてみると、『X-MEN:ダーク・フェニックス(2019)』『“それ”が見えたら、終わり。(2019)』など、見ているはずだが・・・。 名探偵ポワロ「オリエント急行の殺人」(2010)の“家庭教師”メアリー・デベナム役は、エリザベスとは全然印象が違った。 このあと、『ゼロ・ダーク・サーティ(2012)』を見てみよう。X-MEN:ダーク・フェニックス【Blu-ray】 [ ソフィー・ターナー ]IT/イット THE END “それ"が見えたら、終わり。【Blu-ray】 [ ジェームズ・マカヴォイ ] ゼロ・ダーク・サーティ【Blu-ray】 [ ジェシカ・チャステイン ]
June 1, 2024
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映画音楽がやって来た!「日本映画と音楽」特別演奏会伊福部昭先生の『古稀記念交響コンサート(1984)』にも行きました。『渡辺宙明特集ヒーローオーケストラ/昭和の子どもたちへ(2018)』にも行きました。その都度、特撮ファンでよかった、としみじみ感じ入りました。特撮シーンと音楽は、一体なのです。そして、今回は『映画音楽がやって来た!「日本映画と音楽」特別演奏会』に行ってきました。おめあては、〇眞鍋理一郎作曲・『ゴジラ対ヘドラ』(1971年、坂野義光監督)より「かえせ!太陽を」・『ゴジラ対メガロ』(1973年、福田純監督)より「メガロをやっつけろ」「ゴジラとジェットジャガーでパンチ・パンチ・パンチ」〇佐藤勝作曲・『ゴジラ対メカゴジラ』(1974年、福田純監督)より「ミヤラビの祈り」〇いずみたく作曲・『宇宙大怪獣ギララ』(1967年、二本松嘉瑞監督)より「ギララのロック」こうした楽曲が、生演奏で、生歌で聴くことができるなんて。じつに感涙体験でした。それに加えて、〇團伊玖磨作曲・『白夫人の妖恋』(1956年、豊田四郎監督)より「しらとり韶」、メインテーマ・『ゲンと不動明王』(1961年、稲垣浩監督)よりメインテーマこれらも、円谷英二が特技監督としてかかわった映画です。思い入れがありました。もちろん、特撮系以外の映画だって見ていますから。とりわけ、斎藤高順作曲の小津安二郎監督作品の楽曲には、しみじみ和やかな気持ちになりました。司会・解説の方がお話されていましたが、今回の選曲は、・伊福部昭じゃない特撮音楽・黒澤明じゃない佐藤勝といった側面があったとのこと。だから、じつに貴重な体験となりました。アンコールでは、「ソプラノ独唱の山本澄奈さんのおじいさんにあたる、山本直純さん作曲による・・・」というアナウンスがありました。そこまで聞いて、「え⁈、マグマ大使⁈」と思いましたが、『男はつらいよ』でした。マグマ大使は、映画じゃなくてテレビ番組だからね。『ゴジラ対ヘドラ』4K リマスター 4K Ultra HD Blu-ray【4K ULTRA HD】 [ 坂野義光 ]ゴジラ対メガロ【Blu-ray】 [ 佐々木勝彦 ]ゴジラ対メカゴジラ【Blu-ray】 [ 大門正明 ]宇宙大怪獣ギララ【Blu-ray】 [ 和崎俊也 ]
May 26, 2024
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9人の翻訳家 囚われたベストセラー【Blu-ray】 [ ランベール・ウィルソン ]スティーブン・キングの『ミザリー』では、小説『ミザリー』の熱狂的なファンが、作家を拉致して、自分のために新作続編を書かせた。その気持ちは、わかる。当方、何気なく『ザ・ファブル(2019)』を見たら、おもしろくって、何回も繰り返して見た。原作漫画も読んだし、公式ガイドブックも買った。サブスクで『ザ・ファブル 殺さない殺し屋(2021)』が配信されたときは、『ザ・ファブル』と交互に、繰り返し見続けたほどだ。じつのところは、すぐにも続編を見たい気持ちでいっぱいだったが、それはできない相談だから、代替行為としてその2本を見ていたのだ。『ザ・ファブル』のおもしろさとは、殺しの天才と、彼に課せられた平凡な日常生活とのギャップにあると思う。今は、アニメを毎週心待ちにして見ているし、もちろん映画の続編を熱望している。事程左様に、おもしろい作品は、ファンの過剰ともいえる期待、または渇望感を生むのだ。【あらすじ】世界的ベストセラーミステリー「デダリュス」三部作の完結編が書きあがった。出版社社長エリックは、独占出版権を獲得し、世界同時出版に向けて翻訳作業に取り掛かる。9人の翻訳家が集められるが、小説の事前流出を防ぐために、地下シェルターに幽閉される。そこでは、外出もSNSも電話も禁止だ。にもかかわらず、原稿の一部がネットに流出し、「500万ユーロを支払わないと、次々と原稿を公開する」という脅迫メールが届く。疑心暗鬼に囚われたエリックの締め付けは、ますますエスカレートし、拳銃の引き金が引かれる。しかし、原稿の流出は止まらず─。冷酷な隔離、厳しい行動管理のもと、なぜ原稿は流出したのか?これは、密室殺人に通じるミステリーである。そして、ベストセラーとなった小説は、読者のものか、作者のものか、それとも出版社のものなのか?後半部分で、オリジナル原稿の奪取作戦が回想される。これまでの犯罪ストーリーは、金塊や宝石や、国家的な重要機密、ヘロイン等が狙われる話が多かった。しかし、今回は、小説の原稿なのだ。要は、モノがなんであっても、それが大金を生みだせばいいのだ。原稿の奪取作戦が、計画通りにことが運ぶかどうか、サスペンスフルな展開が繰り広げられる。しかし、映画の流れの上では、その時点ですでに原稿の流出はわかってしまっているんだよね。「作戦が成功し、原稿が流出したっていう話なの?」と先読みすれば、物足りなさを感じた。スリリングではあっても、結果は見えているから、ちょっともどかしかったのだ。だが、しかし、この映画はそんな生易しい展開ではない。原稿の奪取のサスペンス、さらに流出にかかわる謎解きだけではない。隠された真実が顕わになる。「そうだったのか!」鮮烈な大どんでん返しが起こるのだよ!出版社の社長エリックは、冷酷非情なヴィランとして、わかりやすく描かれている。彼は、大ベストセラー小説という金脈を掘り当て、金銭的利益が最優先事項だという価値観で行動する。それに対して翻訳家たちからは、作品や文学に対する愛が語られる。さらに、熱狂的なファンの立場からすると、ネット流出がルール違反であることを知っていたとしても、ベストセラー小説への飢えを満たそうとするのだ。世界的なベストセラー小説『ダ・ヴィンチ・コード』などの「ロバート・ラングドン」シリーズでは、4作目となる小説『インフェルノ』の出版時には、内容の流出を防ぐために、翻訳家たちを地下室に隔離して各国語に翻訳させたそうだ。そのことが『9人の翻訳家 囚われたベストセラー』の元ネタになっている。無論、『インフェルノ』を翻訳しているときに、地下室で銃撃などの事件性があるできごとが起こったわけではないのだろうが。
May 4, 2024
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当方は、第一次怪獣ブーム直撃世代である。いや、それ以前から東宝特撮映画などにかぶりついていた。爾来、そうした映画を見続けてきわけだ。【あらすじ】前作『ゴジラVSコング』から3年、ゴジラは地上、コングは地下世界と棲み分けをしていた。そして地下世界のコングは、同族の巨大猿集団(グレイト・エイプ)と巡り合う。しかし、グレイト・エイプを支配するスカーキングはコングを排除しようとした。スカーキングの勢力がさらに増大すると、地上世界も危機に陥る。コングは地上のゴジラとともに、スカーキングと配下の冷凍怪獣シーモらと激突する。この映画は、いわゆるジェットコースター・ムービーで、おしまいまで飽きずに見ることができた。そんな中で、当方のノスタルジーを痛く刺激するシーンがいくつかあったのだ。まず、ゴジラが北極海での海蛇怪獣ティアマットとの激闘場面だ。北極海へ向かうゴジラを、モナークの潜水艦が追う。北極海、潜水艦、氷山、そしてゴジラとくれば、元祖『キングコング対ゴジラ』をどうしたって想起するよ。原潜シーホーク号が北極海で謎の発光氷山を発見し、そこでさらにゴジラ復活に遭遇し、あえなく撃沈されたのだった。キングコング対ゴジラ 4Kリマスター【Blu-ray】 [ 高島忠夫 ]つぎに、この映画には、モスラも参戦するのだよ。モスラといえば、小美人、コスモス、エリアスなどと称される妖精である。彼女たちは、モスラとコンタクトする。今回は、イーウィス族の少女ジアが、一人でモスラの覚醒をサポートした。だが、しかし、ここは願わくば二人組にしてほしかった、妖精ではなかったとしても。当方としては、前作までシリーズに登場していたマディソンと、このジアとの二人組がよかろうと思うのだ。映画を見ている最中は、マディソンが出てこないから、ジアとイーウィス族の女王がペアになるのか、なってほしいと願ったが、それはちょっと無理があったね。なお、イーウィス族はテレパシーでコミュニケーションをとるが、東宝特撮では小美人がテレパシーで交信することができたのさ。【中古】発光妖精とモスラ 筑摩書房 中村真一郎さらにモスラに関しては、目覚めてすぐに、対立するゴジラとコングの仲裁を行う。このシーンは、いわずと知れた『三大怪獣地球最大の決戦(1964)』である。最強の外敵キングギドラに立ち向かうため、マウント争いをするゴジラとラドンを諫めるのがモスラだった。つまり、この映画の立ち位置では、ラドンとコングとが入れ替わったことになる。三大怪獣 地球最大の決戦 4Kリマスター【4K ULTRA HD】 [ 本多猪四郎 ]観賞途中、ふと心配になったのが、怪獣バトルの場面設定が地下世界になるのか、というところだった。和解が成立したゴジラとコングは、モスラともども地下世界に向かう。地下世界は、山々に囲まれるなどしたほぼほぼ自然の状態である。かつて、昭和ゴジラ(やその他の特撮映画)は、徐々に南海の孤島や富士の裾野のような場所で怪獣バトルなどが行われがちになった。経費節減のために、ミニチュアセットが必要な都市破壊が避けられたのだ。これは、はなはだ残念なことだった。島や地下世界では、怪獣の巨大さが実感しにくい。例えば、この映画では、発掘作業中のピラミッドの陰から、ピラミッドに劣らぬ巨体のコングが、ぬっと姿を現すシーンがあった。こんなところに、怪獣の圧倒的な巨大感が漂うのだ。しかし、今回の映画は、地下世界で怪獣の顔合わせがあったのちに、舞台を地上のブラジル、リオデジャネイロに移したのだった。大都会リオデジャネイロでの巨大怪獣の大激闘、高層ビルを破壊しながら暴れまわる怪獣とその下を逃げ惑う人々、なっていうシーンは、現実と非現実が入り交じり、怪獣映画の醍醐味ここにあり、である。あと、おまけ。新怪獣シーモは、冷凍怪獣である。口から吐き出す冷凍エネルギーで、コングを凍傷に追い込む。かつて、東宝特撮では、『海底軍艦(1963)』の冷線砲が、ムー帝国の守護怪獣マンダを氷漬けにした。だが、過去、ゴジラが対戦した中に冷凍怪獣はいなかった。また、『ゴジラ FINAL WARS(2004)』において、ゴジラは海底軍艦轟天号と一戦を交えているが、このとき轟天号は冷線砲を使用していない。冷凍怪獣として記憶に残るのは、大映ガメラシリーズのバルゴンである。バルゴンは霧状の冷凍液を噴射して大阪城を凍らせ、ガメラをも凍結に追い込んだ。当然、所属団体がちがうから(プロレスか⁈)、ゴジラは、バルゴンとは対戦していない。ゴジラにとって、冷凍怪獣シーモはまだ見ぬ強豪だったわけだ。(それにしても、ゴジラが、あれほどエネルギーをチャージする必要があったかどうかは疑問が残る)海底軍艦【Blu-ray】 [ 高島忠夫 ]大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン[Blu-ray] Blu-ray [Blu-ray] / 特撮ゴジラ ファイナル ウォーズ【Blu-ray】 [ 松岡昌宏 ]そんなわけで、今回は、IMAXレーザーで大迫力を堪能できた。そのIMAXレーザーは、デジタル上映である。さらに、ゴジラなどの怪獣、建物のなどもCGである。当方としては、着ぐるみ、ミニチュア、フィルム上映が好みなのだが、それらはもう望むべくもない。
April 28, 2024
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ネイビーシールズ:オペレーションZ [ エド・クイン ] ヴィランが強く、ヒーローも強ければ、話は面白くなる。しかし、ヒーロー側がポンコツでも、場合によっては非常にスリリングな展開が生まれるのだ。 バージニア州バトンルージュにゾンビが大量発生、その渦中に副大統領が取り残された。 救出に向かうのは、アメリカ海軍の特殊部隊ネイビーシールズの精鋭たち。 特殊部隊とは、知力、体力に優れた集団である。 未曾有のゾンビ群に対抗するためには、強豪エリートチームが必須だ。 すでにバトンルージュにはFBIの救出部隊が向かい、全滅している。 「精鋭部隊を送り救出せよ」、大統領の指示を受け、ネイビーシールズ、カニンガム隊が出動。 しかし、このカニンガム隊、なんだか頼りない。 この人たちに、ミッションが達成できるのだろうか。じつにハラハラ、ドキドキの展開だ。 まず、カニンガム隊が気の毒だったのは、正確な情報や適切な指示が降りてこないことだ。 指令室ではシアー中佐が指揮をとっているのだが、そこへCIA捜査官のトーマスが小出しに情報を提供する。 そのたびにシアー中佐は指示が変わる。 最たるは、副大統領の救出で終わらず、突然研究者を助け出す任務も加わったことだ。 じつに、先行きの展開が読めない。 つぎに、バトンルージュではゾンビの襲撃にあうのだが、情報が不正確なために発砲許可がおりず、隊員が噛まれてしまう。 この隊員がゾンビ化し、葛藤や悶着があるのかと思ったが、その後のこの隊員の姿は確認できなかった。 さらに、シアー中佐から「噛まれた者は(救出用の)ヘリに乗せるな!」との連絡がある。 それに対してカニンガム隊長は、救出を待つ者たちに「噛まれた者はいるか?」と問いかける。 噛まれてない人も、噛まれた人も、皆同様に首を横に振る。 身体検査などはすることなく、副大統領と嚙まれた者を同じヘリに乗せる。 結果、ヘリは墜落する。 ヘリの中で、嚙まれた者が瞬時にゾンビ化したようだ。 そして、隊員のJA。 彼は、民間人2人を保護する役目となり、そうこうするうちに本隊とはぐれてしまうわ、無線機を落としてしまうわ。 JAは民間人に携帯電話を借りる。 「圏外よ」 「いいから」 さすがネイビーシールズの精鋭、圏外でも通信する方法を知っているのか? そのとき、JAが電話したのは、自分ちだった。 妻が電話に出ると 「冷蔵庫に本部の電話番号が貼ってあるからそこに転送してくれ」 (ひとしきり「早く帰りたい」「愛してる」と私用を兼ねることも忘れない) 緊急時に備えて、連絡先の記憶、記録はしないのか、ネイビーシールズ。 歯医者の予約をキャンセルするのとはちがうんだから。 このJA、ゾンビ化した少女を撃つことができず嚙まれてしまう。 そのため、合流地点では、ヘリに乗らないと言う。 いい判断だ。 それに対して隊長や隊員は「お前は助ける」「独りにはしない」とヘリに乗せてしまう。 生死を共にしたメンバーに対する熱き友情か⁈ 身重の妻が待つJAへの温かい配慮か⁈ 血も涙もある精鋭部隊だ。 しかし、「噛まれた者はヘリに乗せるな!」という命令はどうした⁈ 感染が広がってもいいのか⁈ たとえゾンビになっても妻の元へ連れて帰りたいか⁈ 研究者は「治療薬はない。ワクチンならつくれるはずだが」と発言していたはずだ。 どうなる?どうなる? 一気にゾンビが拡散するのか⁈ 結局、JAは噛まれたが感染しなかった。 治療を受けたからではない。 「つまりAJは免疫者だった」(CIAトーマス)、という顛末。 AJは無事妻の元に帰り着く。 「家はいいな」とのこと。 ゾンビは、非日常的な強敵だ。 それに対する鍛え抜かれたネイビーシールズ。 という設定であれば、どうやって勝利を得るかという視点で映画を見るはず。 しかし、ネイビーシールズ側がもたもたしてると、どこかでやられちゃうんじゃないかと心配しながら見守るしかない。 スリル満点だ。
May 28, 2023
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世紀の怪物/タランチュラの襲撃 [ ジョン・エイガー ]【中古】 夕陽のガンマン(Blu−ray Disc)/クリント・イーストウッド,クリント・イーストウッド,リー・ヴァン・クリーフ,セルジオ・レオーネ(監督),エンニオ・モリコーネ(音楽) 【中古】afb【中古】 続・夕陽のガンマン(Blu−ray Disc)/クリント・イーストウッド,リー・ヴァン・クリーフ,セルジオ・レオーネ(監督),エンニオ・モリコーネ(音楽) 【中古】afb原子怪獣現わる【Blu-ray】 [ ポール・クリスチャン ]【中古】 金星人地球を征服/ピーター・グレイヴス 【中古】afb(1956) 今回見たのは、以前CSのMovie Plusで放送されたものである。 本編が始まる前の画面には、出演者のトップに、かのクリント・イーストウッドの名前が掲げられていた。 しかし、映画の中では、オープニング・クレジットに彼の名前はない。 はたしてイーストウッドはこの映画に出ているのでしょうか? 主演はジョン・エイガ―、医師マット役の彼はB級モンスター映画によく出演している。 ほかに目を引く出演者は、レオ・G・キャロルだ。 ヒッチコック映画の常連的存在だが、なんといってもスパイ・シリーズ『0011ナポレオン・ソロ』のウェーバリー課長役が印象深い。一生懸命に『0011ナポレオン・ソロ』を見ていたから、ウェーバリー課長は近所のおじさんのように思える。 そのレオ・G・キャロルが演じるのは、生物学者ディーマー博士である。 人里離れた荒野に研究所を構えている。 博士は食料不足に備えて生物を巨大化させる栄養素の研究を行っていた。しかし、助手に研究開発中の放射性同位元素を結合剤とした栄養素を注射され、容貌がおそろしく変化していってしまう。 博士の助手たちも、栄養素によって姿かたちが変貌し、正常な判断力を失い死に至る。 この設定だけで、ホラー映画がつくれそうである。 ともあれ、ディーマー博士と助手のトラブルのどさくさで、栄養素を投与され犬くらいの大きさになったタランチュラが逃げ出す。 そして、タランチュラがつぎに姿を現したときには小山くらいに巨大化し、牧場の家畜を襲う。 知らせを受けて調べに行ったマットは、白骨化した家畜の近くにベトベトしたものが溜まっているのを発見する。それを手に取ると、なんとテイスティングするのであった。 何かわからない物質をいきなり口に入れるか? この人、お医者さんではなかったか? 小学校の理科の実験でも、してはいけないと厳重注意を受ける行為である。 検査の結果、そのベトベトはタランチュラの毒だとわかる。 言わんこっちゃない。 しかし、検査担当から「毒性は低い」とのコメントが加えられる。 確かに、タランチュラは毒蜘蛛というイメージの割には、死に至るような猛毒をもっているのではないとのこと。よかったねー。 巨大タランチュラは、家畜のみならず人を襲うまでになる。 そして、生まれ育った場所が懐かしかったのか、研究所を覗きにやってくる。 一人残っていた女子大学院生のスティーヴに巨大タランチュラが迫る。 そこへ救出にきた医師マット。 あわやのところで逃げ出し、研究所は巨大タランチュラによって壊滅する。 タランチュラは、車を走らせるマットとスティーヴを追ってくる。 街からは、警官隊が迎撃に向かう。 さらに、街では人々が避難するとともに、あるったけのダイナマイトを用意する。 警官隊のマシンガンをものともせずに進む巨大タランチュラ。 この時期、アメリカの巨大生物映画は、実物を使うことがよくあった。 今回も、生きているタランチュラを撮影し、それを拡大して画面に合成している。 実物のタランチュラだけに、見た目はリアルである。 けど、些細な点だが、ときどき脚の先っぽが切れる場面がある。 直線的にマスクを切って合成したためだろう。 このタランチュラ、薬物を注入されて動きがスローモーになっていたらしい。 確かに、巨大タランチュラがカサカサとせわしなく動いたら、迫力に欠けるからね。 それにしてもくだんのタランチュラは、役の上だけでなく、実体験として薬物の影響を受けてしまったわけだ。 さて、人々は巨大タランチュラの行く手に大量のダイナマイトを仕掛ける。 そして、巨大タランチュラがダイナマイトをまたごうとする瞬間に爆発させる。 この大爆発も合成である。 実際にその場で爆発を起こしているのではない。 荒野の実景に巨大タランチュラを重ね、さらに爆発シーンを重ねたのかな(三重合成)。 だから、道路が吹き飛ぶなどの周囲の環境への影響はない。 巨大タランチュラは爆発をものともせずに前進を続ける。 いよいよ街に迫るタランチュラ。 というところで空軍のジェット戦闘機編隊が到着する。 歓声をあげる人々。 巨大タランチュラにミロケット弾攻撃を仕掛けるが、効果はない。 ジェット機編隊は都合4機。 その中の1機だけが、コックピット内とパイロットの姿を映し出す。 指示命令を発しているところからして隊長機なんだろう。 しかし、この隊長、何やら見覚えがあるような・・・。 ジェットパイロットは酸素マスクを装着しているので、しっかり顔の確認ができないのだ。 ついにジェット戦闘機編隊は、隊長の「ナパーム弾投下」及び「続けて投下しろ」の命令とともにナパーム弾の波状攻撃を実施する― そして、エンドクレジット。 ここにもクリント・イーストウッドの名前はなし。 してみると、やはりジェット戦闘機編隊の隊長がクリント・イーストウッドだったんだなー。 このシチュエーション、どこかで見たような。 そう、『原子怪獣現る(1953)』では、若き日のリー・ヴァン・クリーフがクライマックスで登場する。 アメリカ陸軍の射撃の名手として、リドサウルスにアイソトープ弾を撃ち込むのだ。 リー・ヴァン・クリーフのほうは、クレジットにちゃんと名前があった。 クリント・イーストウッドとリー・ヴァン・クリーフ。 この2人は、マカロニウエスタンの『夕陽のガンマン(1965)』『続・夕陽のガンマン(1966)』で共演し、ブレイクする。 そこには感慨深いものがある。 なお、リー・ヴァン・クリーフは『金星人地球を征服か(1956)』に、金星人を呼び寄せる博士の役で出演している。
May 21, 2023
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ゴジラの逆襲【Blu-ray】 [ 小泉博 ]ゴジラ (ちくま文庫) [ 香山滋 ] 今ほど情報が得られなかった1960年代に、小学生の当方は『ゴジラ対アンギラス』という映画があると思い込んでいた。 当方は、『モスラ対ゴジラ』を見て、幼心に著しい衝撃を受けた。 この映画については、事前の情報があった。 親友が「こんど『マンモス対ゴジラ』がやるぞ!(公開されるぞ)」と勢いよく伝えてきたのだ。 これを聞いて、そうかゴジラがマンモスと闘うのか、ととても楽しみになり、図画工作の時間に粘土でゴジラとマンモスをつくったのだった。 その直後に、街でその映画の大看板を見た。 そこには『モスラ対ゴジラ』とタイトルの表記があった。 マンモスではなかったのかぁ⁉ モスラなのかぁ。 モスだけが同じだった。 けれど、思った。 モスラってなんだ? じつはこの時点ではゴジラについてだって、全貌がよくわかっていなかったと思う。 その後、親友に「『マンモス対ゴジラ』じゃなくて『モスラ対ゴジラ』だったぞ!」と告げた。 そうしたら親友は「『マンモス対ゴジラ』ってなんのこと?」と答えた。「だからマンモスとゴジラをつくってたのか⁉」とも言われた。 その親友は、材木会社の社長の息子だった。 例えば『海底軍艦』。 親友とは、この映画について、すっごく話が盛り上がった。 そして親友には高校生の兄がいた。(6年生の姉もいたが) この兄が、特撮映画(のちにはスパイ映画、マカロニウエスタンなど)の貴重な情報ソースだった。 『ゴジラ(1954)』のつぎが『ゴジラの逆襲』である。 ゴジラは、『キングコング対ゴジラ』の前にアンギラスと戦っている。 大怪獣バランは、後頭部の角がきれいだった、などの話を聞き、特撮怪獣映画に思いを巡らせ、深みにはまっていった。 その時点で、『ゴジラ(1954)』『ゴジラの逆襲』の2本は、ゴジラが一体のみ出てくる映画だと解釈した。 なぜならば『ゴジラ』及び『ゴジラの逆襲』は、それぞれ怪獣の名前が一つしかない。 『キングコング対ゴジラ』とか『モスラ対ゴジラ』は、そこに2体ずつ怪獣の名前がある。 だから、ゴジラとアンギラスが対決するなら、それは『ゴジラ対アンギラス』という映画だろう、と考えたわけだ。 それと同時期に、ほかの友達の家に遊びに行った。 そうしたら、そこにゴジラ映画のパンフレットが数冊あった。 当方は、それを借りていって隅から隅まで目を通した。 その中の一冊に、東宝特撮映画年表が掲載されていた。 しかし、そこに『ゴジラ対アンギラス』という映画はなかった。 なんども見直したが、『ゴジラ対アンギラス』はない。 これはどういうわけだ? さて、『ゴジラ(1954)』がテレビで初放映されたのは、1967年のNHK総合だった。 その前年1966年に、特撮怪獣映画として初めてテレビ放映されたのが『ゴジラの逆襲』である。 それを私は見ている。 ラスト近く、ゴジラが雪崩に埋まるあたりからなんだけど。 『ゴジラの逆襲』は、ゴジラ対防衛庁の飛行機(シナリオより)編隊で決着を迎える。 神子島に上陸したゴジラに対して、その背後にそそり立つ雪山を爆撃し、雪崩を起こしてゴジラを生き埋めにする作戦だ。 この対決は、早すぎた『トップガン マーベリック』とも言える。 防衛庁の飛行機は、崖にロケット弾を撃ち込み、山腹に沿って急上昇するのだ。 これを見て、『ゴジラの逆襲』はゴジラが単独で登場する映画だとの確信に及んだのだった。 しかしながら、『ゴジラ対アンギラス』は依然まぼろしのままだった。 とても気がかりだった。 その2年後くらいに、またまたある友達の家に遊びに行ったら、居間の本棚に『ゴジラ 東京・大阪編』を発見した。 これは、小説版のゴジラである。 こちらも借りていって、かつて経験がないほど熟読玩味した。 「東京編・大阪編」ってなんだ? 読み進むうちに、「東京編」が映画『ゴジラ(1954)』であることが見えてきた。 まだ見ぬ『ゴジラ(1954)』の内容を窺い知ることができた。 次いでわかったのが、「大阪編」は『ゴジラの逆襲』なのであった。 「大阪編」のラストは、神子島でのゴジラと防衛庁の飛行機編隊のバトル、生き埋め作戦だったから。 さらに、「大阪編」では、序盤、中盤にアンギラスとの対決があった‼ ここに来て、長年の謎が解けた。 『ゴジラ対アンギラス』=『ゴジラの逆襲』だったのだよぉ。 『ゴジラの逆襲』は『ゴジラ(1954)』の空前の大ヒットを受けてつくられた映画だ。 けれども、最近のゴジラ映画の人気投票では、いつも下位に甘んじている。 さらに、この映画についてはあまり語られることもない。 しかしだよ、『ゴジラの逆襲』のゴジラこそが、このあとキングコングと闘い、モスラとバトルをして、さらに地球を守っていくのだ。 いわゆる「初代ゴジラ」は、オキシジェン・デストロイヤーによって葬り去られている。 『ゴジラの逆襲』の「2代目ゴジラ」が、怪獣たちとの名勝負を繰り広げ、シリーズを盛り上げわけだ。 この映画は、ゴジラシリーズの中で見ると、常連である本田猪四郎(監督)のいない映画である。同時に、伊福部昭(音楽)もいない。 けれども、かの円谷英二は、この映画で初めて「特技監督」という役職名を得たのだった。 確かに『ゴジラ』は歴史的な映画である。 内容的にも、姿勢を正して見るべきものをもっている。 一転して、『ゴジラの逆襲』はエンターテインメントだ。 まず、ゴジラが早い段階で登場する。 『ゴジラ』では、映画開始後22分30秒ころまでゴジラは姿を現さない。 それに対して『ゴジラの逆襲』は、8分36秒ほどでゴジラが登場し、その10数秒後にアンギラスまで登場するのだ。 そして、前作では重厚な存在だったゴジラが、なにしろスピーディーに動き回ってアンギラスと格闘する。 この対決の決め技となるのは、ゴジラの嚙みつき攻撃だ。 アンギラスは首筋に喰いつかれ、流血淋漓で敗北する。 元祖『ジュラシック・ワールド』だよ。
May 14, 2023
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シン・ランペイジ 巨獣大決戦 [ ロー・ガーリョン ]シン・ゴジラ Blu-ray特別版4K Ultra HD Blu-ray同梱4枚組【4K ULTRA HD】 [ 長谷川博己 ]シン・ジョーズ [ レイチェル・ブルック・スミス ] TSUTAYAのリリース情報を見ていたら、『シン・ランペイジ 巨獣大決戦』(以下『シン・ランペイジ』)が目についた。 「なんで今ごろになってリリースされるんだ?リマスター版とか4K版とか、ディレクターズカット版とかなのかな?」 と思ってよく確認したら「シン」とついているではないか。当方はてっきり『ランペイジ 巨獣大乱闘 (2018)』(以下『ランペイジ』)だと思ってしまっていたわけだ。 よくあるヒット作のパチモンだろう。 であっても、見たいものは見たい。 あるいは、パチモンだからこそ見たいのだ。 ちょうどTSUTAYAの新作半額クーポンがあったので、レンタル開始日にすぐ借りた。 第二次世界大戦の末期に、アメリカ軍の兵士2名が核爆弾を空輸していた。 魔の海域ドラゴントライアングル上空にさしかかったとき、変事に巻き込まれて飛行不能となり、兵士たちはパラシュートでとある島に降り立つ。 ・・・どこかで見たようなシーンだ。 なんてことは思う手間暇もなく、『キングコング: 髑髏島の巨神』(以下『髑髏島』)を想起する。 『髑髏島』のほうも、先の大戦中、戦闘機同士の空中戦の末に、アメリカ兵と日本兵の2名がパラシュートで孤島に降下する。 こんな出だしなので、いやでも『髑髏島』との類似が気になる。 『髑髏島』では、降下したアメリカ兵マーロウが重要な役目を果たすが、『シン・ランペイジ』では島に降り立ったアメリカ兵は、その後登場しない。 なぜならば、『髑髏島』は戦後30年くらいの1970年代の話だが、『シン・ランペイジ』は21世紀の現代の話である。戦後70有余年たっているので、さすがに本人は生きてはいない。しかし、アメリカ兵の住家は残っていた。 そして、魔の海域ドラゴントライアングル上空で旅客機がまたもや変事に遭遇する。旅客機は海面に不時着水し、生き残った人々は島に上陸するのであった。 この旅客機墜落のくだりは某テレビドラマの設定に似ているらしいが、そこにはふれない。ここでは当方の知る範囲において、類似性、相違性に言及していく。 さて、当方の関心事は、巨獣(怪獣)にあるわけだ。 その点で見ていくと、この映画に登場するのは、まず巨大化した蜘蛛である。 ここでは「巨大な蜘蛛」といわず「巨大化した蜘蛛」といいたい。 人が見上げるような脚の高さをもつ蜘蛛である。 このような蜘蛛は、すでに『髑髏島』でバンブー・スパイダーが出現している。 つぎの巨獣(怪獣)は、巨大化したワニである。 この映画の巨獣(怪獣)は、この2種類のみだ。 ちなみに『髑髏島』には7種類、『ランペイジ』には3体の怪獣(巨獣)が姿を見せるけどね。 で、巨大化したワニについてだ。 なぜ、ワニなのかを考えてみたい。 本家(?)『髑髏島』の主人公はキングコング、巨大なサル(ゴリラ)である。 その向こうを張って巨大化したワニなのか。 当方、このワニは、『髑髏島』でキングコングと激闘を繰り広げるスカル・クローラーから来ているととらえた。 スカル・クローラーとは、二足で地を這うように突進するモンスターである。 このスカル・クローラーは、1933年版『キングコング』に登場する「後ろ足のないオオトカゲ」がモチーフになっているとのこと。 トカゲとワニのちがいはあるが、「這う」という動作がとりわけ印象的な共通点ではないか。 また、『ランペイジ』には、様々な遺伝子で変異するとともに巨大化したワニのリジーが暴れまわる。このリジ―もワニをもってきた要素としてあったのであろう。 スカル・クローラーは、「モンスターバース」の世界観に存在する、現実世界を凌駕した怪獣である。 また、リジ―は、ゲノム編集の事故から怪獣化する、科学の力でワニを超越したスーパーワニである。 これらはそれなりに手が込んだ設定になっている。 それに対して、『シン・ランペイジ』のワニは、巨大化しただけのワニである。 なぜ巨大化したかといえば、放射能の影響によるのである。 この設定は、お手軽といえばお手軽。 シンプル・イズ・ベストという点でいえば、現実からの飛躍が少なくて説得力がある、と製作者は考えたのだな、きっと。 最後にタイトルについてである。 『シン・ランペイジ 巨獣大決戦』の何が「シン」なのかについてだ。 いうまでもなく「シン」というのは『シン・ゴジラ』で世に広まった。 この場合の「シン」には、旧来の「ゴジラ」との差別化の意図、意味があったのだろう。 これら『シン・ゴジラ』と『シン・ランペイジ』の間に『シン・ジョーズ(2016)』を挟んでみる。 まず『シン・ゴジラ』については、「巨大生物の正体は太古から生き残っていた深海海洋生物が、不法に海洋投棄された大量の放射性廃棄物に適応進化した「ゴジラ」 (GODZILLA) と呼称される未発表の生物である」( Wikipediaからの引用)。 そして、『シン・ジョーズ』は「核実験の影響により進化したサメ」(「キネマ旬報社」データベースより)である。 このふたつの共通点は「放射能」である。 つまり「シン」は放射能の影響を表わす言葉として用いられているのだ。 ゆえに、核爆弾の放射能で巨大化したワニや蜘蛛が登場する映画だから『シン・ランペイジ』としたわけだね。 おそらく、2021年公開予定の「シン・ウルトラマン」以降は、この手(放射能つながり)は使えなくなるはずだ。 なお、この考察についての「証拠」を問われるところがあったとしても、当方はただ退場するのみである。
November 15, 2020
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【中古】期限)4.仮面ライダー THE MOVIE (完) 【DVD】/高杉俊价 劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー オリジナルサウンドトラック [ (キッズ) ] 南光太郎は、親友の秋月信彦とともに暗黒結社ゴルゴムによって拉致される。そして、ゴルゴムの次期創世王候補として生体改造されしまった。 だが、光太郎は過去の記憶を消される寸前に、ゴルゴム神殿を脱出。そして、仮面ライダーBLACKとしてゴルゴムと闘うこととなる。それは同時にシャドームーンと姿を変えた親友信彦と対立することにもなってしまった。 そして、物語も佳境に入り、第47話、第50話など、BLACKとシャードームーンは大バトルを繰り広げる。 さて、このシャードームーン、メタリックなボディがカッコよく、足首のあたりに羽が生えたようなレッグトリガーといわれるものを装着?している。 そして、シャドームーンが歩を進めるたびに、カシャ、カシャっと不気味な音をたて、レッグトリガーの先端が上下に跳ねるように動く。シャドームーンの個性を際立たせているのだが、人によっては「歩きにくそう」との感想をもらすこともある。 このレッグトリガーだが、BLACKとのバトルにおいては、出現したり消えたりする。 どういうことかというと、シャドームーンとBLACKが対峙するシーンでは、確かにシャドームーンの足首あたりにレッグトリガーが目視できる。しかしながらいったん格闘が始まると、レッグトリガーはなくなってしまう。同時に、シャドームーンの足部の形状も硬いロボットみたいなものからやわらかい材質に変わっているように見受けられる。 シャドームーン は、戦闘モードになるとレッグトリガーが消え失せる。 やはり、「歩きにくそう」と見えるように、レッグトリガーは動きづらく、格闘には不向きなのだろうか。 これは、戦う段になってレッグトリガーを取り外して傍に置いておくとかではなく、平成仮面ライダーのフォーム・チェンジの走りと見てよいだろう。 例えば、第47話「ライダー死す」にはこんなシーンがある。 シャードームーンとBLACKの踵蹴りが打ち合いになる。 シャドームーン がキックを打ち出す構えの時点では、レッグトリガーはない。 しかし、次のカットで踵蹴りが交差した瞬間はレッグトリガーが出現し、BLACKの踵を挟み込んで捻り倒す。そして次に倒れたBLACKをシャドームーンが攻撃するカットでは、レッグトリガーは消えていた。 カットが変わっているので、レッグトリガーが出現したり引っ込んだりする瞬間はわからない。だが、レッグトリガーが武器として必要に応じて出現することがよくわかった。 シャドームーン とBLACKは、映画版仮面ライダーBLACK『恐怖!悪魔峠の怪人館(1988)』でも熱い戦いを展開する。 この映画版では、レッグトリガーがないフォームでシャドームーンが歩行シーンするシーンがある。 このとき、あのカシャ、カシャという音が聞こえてくる。 ということは、カシャ、カシャは、レッグトリガーが動く音ではなかったのか? おまけ 『仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー(2009)』で、シャドームーンは初登場の仮面ライダーWと対戦している。このときは、レッグトリガーを着けたまま闘っていた。そして、Wのメタルシャフトではじき飛ばされてしまった。レッグトリガーを外していればそんなことはなかっただろうに、強豪シャドームーンはW売り出しの引き立て役となってしまった。 ヨーロッパから凱旋帰国した前田日明の初戦の相手を務め敗れたポール・オーンドーフを思い出したぞ。 きっとシャドームーンはデビュー戦だったWを甘く見たのだろう。ブログランキングクリックお願いします
December 2, 2018
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【中古】 仮面ライダー THE MOVIE VOL.4 /石ノ森章太郎(原作) 【中古】afb テレビ番組の仮面ライダーBLACKを見ていて、とても気になることがあった。 仮面ライダーBLACKは、番組の中でほぼ2回変身する。この2回の変身なんだけど、1回目の変身で敵を倒すことはまずない。ときに敵が複数の場合(怪人+幹部)には、1回目の変身で怪人を倒すことはある。だが、2回目の変身では幹部と闘いが控えている。そのような例外的な場合を除き、通常は1体の怪人を2回の変身でやっつけていた。 なぜ、1回の変身で怪人を倒すことができないのか。 この問題を解決するため〝簡易変身〟と〝本格変身〟という仮説を立てた。 そして、この仮説を検証するために「映画版仮面ライダーBLACK」を見てみた。 まず〝簡易変身〟と〝本格変身〟について説明しよう。 テレビ版は、コマーシャルを挟んで前半部分と後半部分に分かれている。 そして、南光太郎は、たいてい前半1回と後半1回、都合2回仮面ライダーBLACKに変身する。 テレビ版全51話のうち、2話ほどは前後半通して1回しか変身しないこともあったが。 〝簡易変身〟とは、前半部分での変身である。 この変身では、南光太郎は変身ポーズをとらない。怪人が襲ってくるなどして人々が危機に瀕している、急いで、あわてて変身しなければならない。だから、「変身!」と声を上げジャンプしている途中でBLACKに変わるなどする。〝ながら変身〟といってもいいだろう。 〝本格変身〟は、後半部分の変身である。こちらは顔の右側あたりで両のこぶしを上下に構え、「ギュギュギュ」と握りしめ、「ヘン〜シン!」という掛け声とともに変身ポーズをとり、そして光太郎の顔からBLACKへの顔へと変身する過程が見せられる。 前半での〝簡易変身〟では、数少ない例外はあるが、原則的に怪人などを撃退することには繋がらない。そして、〝本格変身〟は怪人(敵)を撃破できる。 これらを見る限り、仮面ライダーBLACKが1回目の変身で敵を倒せないのは、間に合わせの〝簡易変身(ながら変身)〟だからだといえるのではないか。〝簡易変身(ながら変身)〟では、ライダーパンチとライダーキックに威力はない。きちんと本来の手続きを踏み、〝本格変身〟することによって、仮面ライダーBLACKは、フルパワーを発揮して必殺技としてのライダーパンチとライダーキックを繰り出し、無敵の存在となるのである、と見た。 この〝本格変身〟を別名〝決着変身〟と呼称する。 では、この変身について、映画版ではどうなっているのだろうか。映画版は、テレビ版ようにのコマーシャルを挟まないから、前半と後半に分けることもないはずだ。 『映画版仮面ライダーBLACK』は2本つくられた。 『仮面ライダーBLACK 鬼ヶ島へ急行せよ(1988)』と『仮面ライダーBLACK 恐怖!悪魔峠の怪人館(1988)』である。 ちなみに、テレビ版は一話の長さが約23分だが、映画版は上映時間が約25分である。ランニンタイムはほぼ同じだ。 まず『鬼ヶ島へ急行せよ』だが、こちらは1回目の変身はなかった。 映画が始まり、冒頭から子供達が姿を消す怪事件が勃発する。実行犯のカメレオン怪人を阻止するために仮面ライダーBLACKがバトルホッパーに乗って急行するので、南光太郎が登場して変身するくだりはないのだ。 おっとり刀で駆けつけた仮面ライダーBLACKはカメレオン怪人と激突するが、剣聖ビルゲニアの乱入により取り逃がす。さらに、剣聖ビルゲニアも闘い半ばで姿をくらましてしまう。 仮面ライダーBLACKは素顔の南光太郎として姿を消した子供達を探す。そして、鬼ヶ島に暗黒結社ゴルゴムの秘密基地があることをつきとめ、そこへ乗り込んでいく。 しかし、待ち受けていた5体のカメレオン怪人(映画だから豪華に怪人増量!)に取り囲まれる。ここで「ヘン〜シン!」 そして、仮面ライダーBLACKは激闘の末に、ライダーパンチとライダーキックを繰り出し5体のカメレオン怪人軍団を倒す。さらに子供達を救出、ゴルゴムの秘密基地を破壊する。ここまで、ずっと仮面ライダーBLACKの姿だ。素顔に戻った南光太郎は、エンディングでヨットハーバーを背景に、ミュージック・ビデオさながらに歌を披露する。 ということで映画『鬼ヶ島へ急行せよ』では、簡易変身のシーンはなかった。しかし、本格変身すれば、5体の怪人をも叩き伏せてしまうのだった。 つぎに『恐怖!悪魔峠の怪人館』だ。こちらは劇中で2回変身する。 ゴルゴムのシャドームーンは、北海道夕張市に世界征服の一大拠点を築きあげようと企てていた。ゴルゴムに利用されていた牧野博士は隙を見て脱走を図る。逃げた牧野博士をツノザメ怪人が襲撃し、そこへ南光太郎が救出に現れる。 ここで1回目の変身。 「ギュギュギュ」とこぶしを握りしめ、「ヘン〜シン!」という掛け声とともに変身ポーズをとる。しかし、光太郎の顔からBLACKへの顔へと変わる変身過程はない。この変身は、テレビ版にはなかったパターンである。 そして、ツノザメ怪人を追い詰めるも、段ボール箱が崩れ落ちる間にツノザメ怪人を見失ってしまう。 これは、第三の変身シーンとして〝不完全変身〟を呼びたい。やはり、完全な本格変身でないと、怪人を倒すことはできないのか。 引き続き2回目の変身。 夕張に到着した南光太郎は、悪魔峠の怪人館にゴルゴムの巣窟があるのをつきとめ、ロードセクターに乗って激走する。 途中、待ち受けたゴルゴムの襲撃を受ける。南光太郎は、疾走するロードセクター上で変身ポーズをとる。だが、これも〝不完全変身〟である。顔が変わる過程がない。 この襲撃シーンは、大爆発が連続する中をロードセクターに乗った南光太郎ないしは仮面ライダーBLACKが駆け抜ける。東映特撮アクションならではの大迫力だ。 しかしながら、その後仮面ライダーBLACKは、映画が終わるまで南光太郎に戻ることはない。そして、ゴルゴム亡霊怪人軍団、シャドームーン、ツノザメ怪人と仮面ライダーBLACKは連続バトルを繰り広げる。悪魔峠の怪人館=ゴルゴム基地は爆破、壊滅し、仮面ライダーBLACKはツノザメ怪人を必殺ライダーキックで撃破する。 ここに至って、本格変身ではない形の不完全変身でも、仮面ライダーBLACKは強敵怪人を倒すことができるとわかった。変身過程を省略しても、変身ポーズがあれば、「フルチャージ」できるわけだ。いや、宿敵シャドームーンについては退却させただけで、完全勝利を得ることはできなかった。これが〝完全本格変身〟だったら、シャドームーンを打ち破ることができたのではないか。 さて、『鬼ヶ島へ急行せよ』では南光太郎のミュージック・ビデオがラストを飾った?が、『恐怖!悪魔峠の怪人館』は仮面ライダーBLACKが素顔の南光太郎に戻ることはなく、仮面ライダーBLACKのままでロードセクターを駆って北海道を走り抜けていく。このちがいはなんなのだ?ブログランキングクリックお願いします
November 25, 2018
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宇宙戦隊キュウレンジャーVSスペース・スクワッド [ 岐洲匠 ] 家族連れのちびっ子たちに混じって『宇宙戦隊キュウレンジャーVSスペース・ スクワッド』の劇場公開を見てきた。 ちびっ子たちのおめあては2月まで放送されていたキュウレンジャーだろうが、当方の興味は、スペース・スクワッドだった。 スペース・スクワッドのメンバーとなる懐かしのヒーローたちの活躍を見たかったのだ。 もちろん、ちびっ子たちに負けないで、戦隊や仮面ライダーの新作映画も必ず見る。 しかし、懐かしのヒーローたちへの思いは、時間をかけて熟成されているからね。 残念ながら、今回はちびっ子たち向けにキュウレンジャーが主体の話だった。 スペース・スクワッドの方はといえば、宇宙刑事ギャバンとシャイダーが事件に絡む。 なぜかシャリバンは登場しなかった。 (宇宙刑事たちはオリジナルメンバーではなくて、みんな2代目だ) もう一人、メタルヒーローの世界忍者戦ジライヤが出てきたものの、あまり見せ場がなくて気の毒だった。 そんな中で、久しぶりに一人の女優さんとの再会が感慨深かった。 その人は、広瀬仁美さん。 『有言実行三姉妹シュシュトリアン(1991)』の山吹花子や『忍者戦隊カクレンジャー(1994〜1995)』のニンジャホワイト=鶴姫を演じた方。 シュシュトリアンでは、ウルトラマンとの共演、共闘を果たしている。 最初にスクリーンに顔を見せたときには、「誰かな?」と思ったが、次第に鶴姫にちがいないと確信し、念のためにエンドクレジットで確認した。年齢を重ね、落ち着いた雰囲気を感じた。あのころは、小学生もしくは中学生だったからね。 さらに、この作品では、『獣拳戦隊ゲキレンジャー(2007〜2008)』のメレ、『特命戦隊ゴーバスターズ(2012〜2013)』のエスケイプなど、過去の特撮ヒーローものに登場した、ちょっとだけ懐かしい悪役が、復活、再登場していた。こちらも嬉しかった。 特撮ヒーローものに出演した役者さんたちの中には、それをきっかけにしてスターになっていった人たちもいる。しかし、今回の広瀬仁美さんは、なかなかそのお姿を見ることができなかった。それゆえに感激もひとしおだった。さらに、一般の映画やドラマではなく、特撮系の作品だったことが、これはもう感涙ものといえるのだ。 特撮ヒーロー贔屓としては、作品もキャラクターも、キャストもスタッフも,、すべてに思い入れをもっている。 そして、スターとして有名にならなくたって、特撮ヒーローに出演した役者さんのことは、いつまでも忘れない。ブログランキングクリックお願いします
July 1, 2018
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リバイアサンX 深海からの襲来 [ アンナ・ドーソン ] モンスターフェチではある。 とりわけ等身大のモンスター以上に、やっぱ巨大モンスター贔屓だ。 なにはともあれ巨大モンスターに満たされたい。 で、『リバイアサンX』だ。 リバイアサン自体は、旧約聖書に登場する、船を飲み込むような巨大さを誇る海の怪物だと認識する。 それをタイトルにもってきているんだから、この映画に巨大モンスターが出現するのを期待するのは何の不思議もないだろう。 さてさて、海洋生物学者のオリーブは潜水服をまとい、深海を探査する。そこで、タコなのかイカなのか、触手をもった生物(クリーチャー)に襲われてしまう。 そして、命からがら卵みたいなものを持ち帰る。 その卵から、何やら触手をもつ生き物が生まれるわけだ。 さしあたり、このクリーチャーがでかくなって、暴れまわると予想できる状況だ。それでもって、先行きを見守ってたんだよ。 ストーリーがグダグダであっても、クリーチャーが巨大化するだろう。 映像に難があっても、クリーチャーが巨大化するだろう。 女優や俳優がパッとしなくても、クリーチャーが巨大化・・・しないじゃないか! クリーチャーは、ほぼオリーブの家にひきこもっているから、でかくなっても暴れまわるような場所がない。はたまた登場人物が少なくて、襲われて逃げまどう、つまりあらかじめモンスターの犠牲を想定された人々の存在もないのだよ。 しかし、この映画、『ガメラ3邪神(イリス)覚醒(1999)』にインスパイアされたものだと思うぞ。 イリスもこの映画のリバイアサンも、女性が偏った愛情で飼育し、肉体にしろ精神にしろ、女性と生物が一体化を図る。そして、両者とも、触手を備えている。触手で人を襲う。 なんて見てると、こんどは、この映画のリバイアサンとは、じつのところ、あのクトゥルフではないのか、という展開を見せてきた。 クトゥルフとは、ハワード・フィリップス・ラブクラフトが創作したクトゥルフ神話に登場する宇宙生物、旧支配者、あるいは邪神ともいわれるものである。 邪神、ほらイリスだよ。 タイトルにリバイアサンと称されたものが、ホントのところはクトゥルフだった。まぎらわしい。 クトゥルフであれば、待ち望んだクリーチャーの巨大化が見られてもおかしくない! と、気を取り直す。 だがだが、巨大クトゥルフは気をもたせるばかり。 そして、ようやくー ああ、ときはすでに遅かりし。 もっと早く巨大化しろよー、クトゥルフ!ガメラ3 邪神<イリス>覚醒【Blu-rayDisc Video】 [ 中山忍 ]
May 19, 2018
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SECURITY/セキュリティ 【DVD】【中古】 スーパージャイアンツ コンプリート・ボックス(57〜59東宝) /宇津井健,池内淳子,中山昭二,三ツ矢歌子,ジャック・アルテンバイ,石井輝男(監督),宮川一郎 【中古】afbマスク・オブ・ゾロ【Blu-ray】 [ アントニオ・バンデラス ] たとえば宇津井健。 当方にとっては、この人はスーパージャイアンツである。 スーパージャイアンツは、日本初の特撮スーパーヒーロー映画(1957〜1959)の主人公だ。 DVD-BOX『スーパージャイアンツ コンプリートBOX』(4枚組)、所有しています。 その後、宇津井健が伝説の力士を演じた『雷電(1959)』を見たときも、親に「雷電は絶対に負けないよ。だってスーパージャイアンツなんだから」と力説していた。 このように、スーパーヒーローとそれを演じた役者さんはとかく分かち難い、のは当方だけか? そして、アントニオ・バンデラス。 バンデラスは、ヒット作『マスク・オブ・ゾロ(1998)』で主役のゾロを演じた。 ゾロといえば、テレビ番組の『怪傑ゾロ(1957〜1959、日本では1961〜1966放送)が当方にとってヒーロー原体験の一つである。そのほかにも『アラン・ドロンのゾロ(1975)』もすこぶる面白かったけどね。 とにかく、アントニオ・バンデラスは、仮面のヒーロー、ゾロを演じた俳優として、当方の身勝手な期待感を背負っているのだ。 しかし、最近はあまりメジャーな活躍はないように思っていた。 そんな中で『セキュリテイ』を見たわけだが、これは、アントニオ・バンデラス版『ダイ・ハード』だね。 本家『ダイ・ハード』は上映時間が133分だが、対する『セキュリティ』の上映時間は92分だ。 そして、『ダイ・ハード』にくらべて『セキュリティ』は、出演者の人数も少ない。 また、タイトルも『ダイ・ハード』=「最後まで抵抗する者」「なかなか死なない者(不死身)」に対して『セキュリティ』=「警備員」(?)だからね。 つまり、『セキュリティ』はB級感覚の映画なのである。 しかし、『ダイ・ハード』の後追い映画であっても、『セキュリティ』は楽しめる映画だったのですよ。 『ダイ・ハード』は爆発的な大ヒットを記録した。そのため、それに似た映画が続いた。内容的には、主人公マクレーン刑事は別名「世界一ツイてない男」といわれる。マクレーン刑事は、偶然大事件に巻き込まれてしまい、孤軍奮闘するのである。この骨子を、多くの映画が引き継いだのだ。 『セキュリテイ』のバンデラスは、職にあぶれた退役将校エディの役だ。なんとか最低賃金で、ショッピングモールの夜間警備の仕事を得る。 エディが初出勤した真夜中、一人の少女が助けを求めてショッピングモールに飛び込んでくる。 少女は、重要事件の目撃者だったのだ。翌日の裁判での証言を阻止しようと、殺人軍団がショッピングモールを襲撃してきた。 映画の舞台となるショッピングモールは、あまりはやっていないのかもしれない。 バンデラスの仕事は、閉店後に夜通しで警備にあたるのだが、最低賃金しか保証されていない。そして、他の警備員たちも、チンピラ風だったりひきこもり風だったり飲みすぎ女だったりして、どうでもいい状態が漂うダメダメ集団なのだ。 そんなところへ、強雨の中を少女が助けを求めてやってくる。直前まで、少女はFBIにがっちりガードされていたはずなのに、殺しのプロ軍団はそれを撃破してしまった。九死に一生を得て、少女は逃走してきたのだった。当然、殺しのプロ軍団は少女を追尾してくるわけだ。 この状況設定が、スリルとサスペンスを生む。 元軍人のバンデラス=エディは、多勢に無勢、しかも軟弱なダメダメ連中を率いて、重火器フル装備の殺戮集団と闘い、少女を守らなければならない。 しかも、エディは、吹き替えのセリフ上は元大佐と言っているが、字幕では元大尉と表示してある。大佐と大尉の差は大きいぞ。さしずめ大佐であれば、退役後に無職ということはないだろうと思うのだが、どうだろう。 それはさておき、軟弱連中も、エディの作戦指揮のもとに闘い、一定の成果を得ていくと、徐々に使命感に燃え、奮闘し始めるのだった。人間、負け犬になっていては心も荒む。自分もやればできるとわかると、命がけの勝負にも挑んでいけるのだ。エディ=バンデラスは、確かな資質を備えたリーダーだった。 もしかすると、この軟弱連中が無傷で少女を守り切るのか、とも思ってしまった。しかし、そこはリアリティを重要視したのだろう。そうは問屋が卸さない。 というわけで、バンデラスは、B級環境の中でもいい仕事をしていたのだ。 続けてバンデラス主演の『ザ☆ビッグバン!!(2011)』という映画を見た。探偵フィリップ・マーロウが登場する『さらば愛しき女よ(1975)』に似たところがあり、バンデラスも探偵役なのだが、SF的な設定もあるという一風変わった探偵映画だったけれど、こちらも見応えがあった。 アントニオ・バンデラス、がんばっている。 さすが怪傑ゾロ!人気ブログランキングクリックよろしくお願いします
May 5, 2018
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パシフィック・リム:アップライジング (角川文庫) [ アレックス・アーバイン ]パシフィック・リム【Blu-ray】 [ チャーリー・ハナム ] この映画を見ようと某シネコンのロビーで待っていたら、以下のアナウンスが流れたんだよ。「お客様に入場開始のご案内をいたします。11時20分より上映の『パシフィック・リム アップ』、『パシフィック・リム アップ』の入場を開始しております」 以後、アナウンスは『パシフィック・リム アップ』と連呼されていたが、『パシフィック・リム アップライジング』か、もしくは『パシフィック・リム 』のどちらかにしてほしかったぞ。 さてさて、前評判の低さの割には期待感をもって、アップならぬ『アップライジング』を見た。 前半、シドニーでのジプシー・アベンジャーとオブシディアン・フューリー、善と悪のイェーガー初対戦は、巨大感あふれ、都市破壊も迫力があった。 プラズマブレードが近代的ビルに食い込み、ビジネス真っ最中のオフィスを切り裂くシーンなど、日常生活上に突如として非現実が乱入する怪獣映画の醍醐味を味わった。 着ぐるみ、ミニチュア特撮を愛でてきた者にとっては、CGはやはり「絵」に見えてしまうところはあったが。 こういったシーンを見ると、ストーリーやドラマといったものよりも、怪獣と巨大ロボットのバトルのような非日常のスペクタクル・シーンを堪能できればいいや、と思うのだった。 しかし、その幸福感は持続しない。 今回、ジプシー・アベンジャーなどのイェーガーは、スマートなデザインになり、動きも軽快になっている。 そして、ロケット・ブースターを装着して飛行も可能となる。 このくだりは、「鉄人28号」を思い出した。鉄人も、最初は地上を闊歩するだけだったが、後付けでロケット推進器を背負って飛べるようになった。そこにありがたみがあったわけだよ。 しかし、前作のイェーガーは無骨で重厚なところにパシフィック・リムらしさが漂っていたと思う。 今回、動きが素早くなり、変形もしたりすると、「トランスフォーマー」に見えてしまった。 さらに、敵怪獣が合体巨大化して、チームを組むイェーガーとバトルすると、戦隊ヒーローもののクライマックスシーンにも見えたぞ。 もともと、『パシフィック・リム』の世界観は、怪獣軍団の攻撃によって、人類が絶滅の危機に瀕しているという、切羽詰まった状況設定があったわけだ。 人類は打つ手がなく、イェーガーも残り数体になって、崖っぷちに追い込まれていたのだ。 イェーガーを飛ばしたくても、そんな余裕はまったくなかったがゆえに、見るものはバトルにひきこまれていった。 無骨で重厚といえば、先の鉄人28号は、光線やミサイルなど飛び道具も、剣も、武器は何一つもっていなかったから。 パンチとキックを主体としたシンプルな技だけで闘ったのだった。 プロレスにおいても、昭和のプロレスラーは技が限られていたがその分重みがあったし、彼らは際立った存在感を示していた。 「ある」ことよりも「ない」ことの方が、感情移入を誘う。 そういう点では、「量」より「質」を考えることが必要なのではないか。 シドニーでのバトルも、一対一だったわけだよ。 『パシフィック・リム』は次回作は、どんな「アップ」を見せてくれるだろうか。人気ブログランキングクリックよろしくお願いします
April 15, 2018
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SFフランケンシュタインの逆襲 FRANKENSTEIN MEETS THE SPACE MONSTER[DVD]フランケンシュタイン [ ボリス・カーロフ ]フランケンシュタイン対地底怪獣【Blu-ray】 [ 高島忠夫 ] 洋の東西、体つきの大小を問わず、モンスターに魅入られてきた。 とりわけ、フランケンシュタインを偏愛してきた。 あのフランケンシュタイン博士は、そのマニアックぶりに甚だしい憧憬を感じる。 しかしながら、フランケンシュタインへの偏愛は、元祖マッド・ドクターのF博士より、Fのモンスターに対する心持ちのほうがまずもって深いところにある。 ドラキュラや狼男などの呪術的なモンスターより、死体をつなぎ合わせた人造人間というシュチュエーションが、おどろおどろしさ倍増の味わいである。 はたまた、ただ単にFの怪物を偏愛しているのではない。 ユニバーサル・ホラーの、本家ボリス・カーロフ・タイプの怪物は、じつに見飽きることがない。 一般的にFの怪物といえば、額がせり出したあの顔を思い出すだろう。ロン・チェイニー・ジュニア、ベラ・ルゴシ、グレン・ストレンジと演じる役者は変わっても、ボリス・カーロフ・タイプの怪物メーキャップはそれぞれに見どころがある。 しかし、クリストファー・リーやロバート・デ・ニーロらが演じた怪物のメーキャップは、恐ろしげな顔立ちだが額がせり出したあのモンスターの顔ではない。そうなると、残念ながらFの怪物とは感じられない。だから、それらがフランケンシュタインの映画といっても、餡の入っていないあんパンみたいなものである。 という具合に、Fの怪物についてなど、ゼータクを言うようになったのは大人になってからのこと。 小・中学生のときには、フランケンシュタインと聞けばとにかく見ようとしたものだ。 一度、新聞のテレビ欄をチェックしていて、深夜映画枠に『フランケンシュタイン』の文字を見つけ、夜中にこっそり見ていてことがある。そうしたら父親に見つかってしまった。前半部分でテレビを消されて、布団に入って泣いた。 あのときの映画は『怪人フランケンシュタイン/生きかえった死体(1957)』である。怪物は、格調高いボリス・カーロフ・タイプではなく、右目の眼球が飛び出し顔面ぐちゃぐちゃのグロテスクな面相をしている。 さてさて、今回の『SFフランケンシュタインの逆襲』も、Fの怪物はボリス・カーロフ・タイプではない。 だが、この映画のFの怪物は、宇宙怪獣と闘うという魅力的な展開で、ずっと見たかったものだ。 おりしも宇宙ロケットの打ち上げを前にして、飛行士であるサンダース大佐の記者会見が行われていた。 記者からの質問に答えるサンダース大佐だったが、突然、笑ったままの表情で何も話さなくなってしまう。すべての動きが止まってしまったのだ。 あわててスタッフがサンダース大佐を連れ出した。 手術室でサンダースの頭髪部分をベリっと剥がすと、なんと脳の中に真空管⁉︎やトランジスタ⁉︎のような部品が埋め込まれているのが見える。 じつは、フランク・サンダース大佐は、宇宙開発を任務とする人造人間だったのだ。 (サンダース大佐は、この映画の紹介文によって、ロボットともサイボーグとも書かれている。だからここでは「人造人間」ということにする) 「いやー、湿気がまだこんなに影響(してフリーズ)するとはな」などと製作者のスティール教授は宣うが、そんなことで動作停止状態になってしまう人造人間って、宇宙に行って大丈夫か? 何しろ真空管やトランジスタの時代だからね。教授は、真空管をいじって接触不良を改善していた。まあ、昔の真空管テレビは、映りが悪いときに叩くと直ったからな。 ともあれ、この記者会見で、サンダースが人間ではないと示されたのだった。 そんなこんながあっても、サンダース大佐はロケットに乗り込み宇宙に向かって打ち上げられる。 ところが、秘密裏に地球に攻め入ろうとしていた火星人が、自分達の存在を気づかれてはならないと、サンダース大佐のロケットを撃ち落としてしまう。 さらに、追撃してきた火星人の熱線銃を浴びて、あわれサンダースの顔面左半分が焼けただれてしまうのだった。 もともとが人造人間のサンダース大佐、そして、もともとは離れ目系の顔立ちだったのだが、激闘によって醜く変貌してしまった。つまり、ここにきてフランケンシュタインの怪物が出来上がったというわけだ。 サンダース大佐の名前が「フランク」であるところも、フランケンシュタインの怪物とつなげたかったのだ。 紆余曲折があって、フランケン=サンダースは、火星人の宇宙船に拉致されていた若い女性たちを救い出す。 なんで女性たちが拉致されていたか、興味があれば映画を見てほしいが、そんな人はいないだろう。 ついに火星人は、宇宙怪獣ムルをフランケン=サンダースに向けて放つ。 いよいよ、この映画のメインイベント、ムル対フランケンシュタインの怪物の対決が始まった、と思ったが、直接対決は正味1〜2分という短期決戦、さらに煙が立ち込めてよく見えないのだったぁ。 この映画は、1965年公開。 同じ年、我が東宝特撮は、名作『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』を公開している。こっちは、フランケンシュタインとバラゴンがたっぷり名勝負を展開する。カラーだし(『SFフランケンシュタインの逆襲』はモノクロ)、ボリス・カーロフ・タイプだし。人気ブログランキングクリックよろしくお願いします
February 11, 2018
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ロスト・ワールド 2in1 「ロスト・ワールド」(1925)/「失われた世界」(1950) [DVD] 今年に入ってここまで「ロスト・ワールド」ものに肩まで浸かってきた。 ことの始まりは、年末年始にバローズの小説『時間に忘れられた国』を読んだことだった。 そうすると、「ロスト・ワールド」ものをコンプリートするべく思考が偏向した。 だからつぎにヴェルヌの『地底旅行』を読んだ。 そして、コナン・ドイルの『失われた世界』を読み終わったところだ。 これらの小説は、どれも映画化されている。 『時間に忘れられた国』は、『恐竜の島(1975)』と『続・恐竜の島(1977)』になった。 『地底旅行』は、『地底探検(1959)』『センター・オブ・ジ・アース(2008)』などがある。 それでもって『失われた世界』は、『ロスト・ワールド(1925)』『失われた世界(1960)』などなど。 そもそも「ロスト・ワールド」系の小説に興味を駆り立てられたのは、とりもなおさず「恐竜」が登場するからである。 これまでそれぞれの映画は見てきた。それは「恐竜」が登場する「特撮」映画だからだ。 そして、今回小説を読むのと並行して、あらためて映画の方も見直している。 そんな中で、行き当たったのが『失われた世界(1950)』だった。 この映画は知らなかったなぁ。 小説『失われた世界』を原作とする映画としては、まずもってサイレント映画の『ロスト・ワールド(1925)』がある。特殊効果・技術監督は特撮映画の先駆者ウィリス・オブライエンである。 オブライエンは、ストップモーション・アニメという技法で恐竜を映像化した。そのあと不朽の名作『キングコング(1933)』でも特撮を担当する。オブライエンの功績は特撮映画の巨匠レイ・ハリーハウゼンが引き継ぎ、ダイナメーションとしてさらに発展させた。 我が日本の円谷英二も、『キングコング』の特撮には並並ならぬ衝撃を受けたのだった。円谷も、じつは『ゴジラ(1954)』をストップモーション・アニメ的な手法で撮影したかったのだ。しかし、手間暇の関係で断念したのだった。結果、日本では着ぐるみによる特撮怪獣映画が発展することとなった。 円谷英二が特撮監督を務めた東宝の『キングコングの逆襲(1966)』は、着ぐるみ特撮による「ロスト・ワールド」ものと言えないこともない。また、円谷プロが製作した日米合作の『極底探険船ポーラーボーラ(1977)』は、確実に着ぐるみ特撮による「ロスト・ワールド」ものである。円谷英二没後の映画ではあるのだが。 一方の『失われた世界(1960)』は、本物のトカゲやワニに背びれやトゲなどの装飾を施し、大映しにして恐竜に見せた(通称「トカゲ特撮」)。ちなみに、「トカゲ特撮」は、先の『地底探検(1959)』『失われた世界(1960)』にも登場する。 つまり「ロスト・ワールド」ものの映画は、ストップモーション・アニメ、着ぐるみ、さらにトカゲ特撮と、巨大生物を映像化する特撮の見本市の様相を呈しているのだ。 さてさて、くだんの『失われた世界(1950)』である。 この映画は今回初めて見るわけで、当然のこととしてコナン・ドイル原作の『失われた世界』を映画化したうちの1本だと思っていた。 ところが、メインタイトルが表示された瞬間に「え⁉︎」となってしまった。 まず、タイトルの頭に「TWO」の文字が見えたのだ。 このとき『THE LOST WORLD』の「THE」を「TWO」と見まちがえのかなと思った。けど、あわてて巻き戻して見たら、やっぱり「TWO」だった。 ということは、複数形になるわけだから「WORLDS」と「S」がつくのだろうかと確認したら、タイトルは確かに『TWO LOST WORLDS』だった。 さらに、クレジットタイトルには、原作者であるコナン・ドイルの名前がどこにもなかった。「なんじゃ、これは?」 結論からいえば、コナン・ドイルの『失われた世界』とはまったく別物だったのである。 ときは19世紀。東インド諸島と西洋社会を帆船が行き交う時代。 ストーリーをはしょると、ヒロインが海賊に連れ去られ、ヒーローは大海原を追撃し、帆船同士で大バトルとなる。帆船は大破し、ヒーロー一行は救命艇で脱出する。たどり着いた孤島では、なんと有史以前の巨大生物が跋扈していたのだった。 この映画の巨大生物は、「トカゲ特撮」である。 背びれをつけたワニとオオトカゲが闘う。 お互いに大きな口、鋭い歯で噛み付きあって、ぐるんぐるん回転しながら争う。 激闘を尽くす中で、よくワニの背びれが取れなかったものだ。 しかし、これらのワニとオオトカゲは、本来闘いたくて闘っているわけではない。 映画撮影のために、人間に闘いを仕向けられているわけだ。 また、島の火山が噴火するシーンでは、ワニとオオトカゲが地割れに落ちたり森林火災に巻き込まれたりする。 このような「トカゲ特撮」のシーンは「動物虐待」として、今の時代はもう撮影不可だ。 かつて当方は、巨大生物を映像化するための三技法(ストップモーション・アニメ、着ぐるみ、トカゲ特撮)の中では、「トカゲ特撮」を最下位にランク付けしていた。 生きているワニやトカゲだから、確かに生物感はある。だが、やっぱりトカゲやワニを恐竜と見るのは無理があるでしょう。 そこらへんのお手軽さが特撮映画を安っぽく見せていると思ったものだ。 でも、CG全盛の今となっては、「トカゲ特撮」を「失われた特撮」の一つの技法として興味深く鑑賞している、「動物虐待」を痛々しく受け止めながらも。 なお、この映画の「トカゲ特撮」は、『紀元前100万年(1940)』の「トカゲ特撮」のフィルムを流用したものだ。このように「トカゲ特撮」は、一回撮影して映画に使ったフィルムを使い回すことが多い。つまり一本の「トカゲ特撮」の映画を見ると、ほかの映画で見た場面がまた出てくるわけだ。そして、映画の数にくらべれば、ワニやトカゲを実際に使った撮影は回数が少ないのである。少しは救いになるかな。 ということで、『失われた世界(1950)』は、コナン・ドイルの小説の映画化ではなかったが、進化に取り残された島が登場する点で、コナン・ドイルの小説のタイトルにあやかったわけだ。 特撮という点では、トカゲ特撮以外のところで、帆船や港のミニチュア・セットが目に楽しかった。 それにしても、『TWO LOST WORLDS』の「二つの世界」って、なんだったんだろう?人気ブログランキングクリックよろしくお願いします
February 4, 2018
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サラマンダー [ マシュー・マコノヒー ] 映画『GODZILLA 怪獣惑星(2017)』の前日譚を綴った小説に『GODZILLA-怪獣黙示録』がある。『GODZILLA 怪獣惑星』に続く過程で、怪獣により人類の存続が危ぶまれているという状況設定が行われている。 また、小説『KAIJU黙示録(アポカリプス)』は、『GODZILLA-怪獣黙示録』とタイトルも似ているが、怪獣によって滅亡寸前までに追いつけられた人類が、巨大宇宙船で地球を脱出するという展開も似ている。 ともあれ、この「怪獣の襲撃によって地球規模で人類が危機に瀕している」というのは、『パシフィック・リム(2013)』以降の流行かな、と思っていた。 ところが、それ以前に『サラマンダー(2002)』があったのだ。 こちらは、怪獣は怪獣でもドラゴンである。 未知の巨大生物ではなく、伝説の竜が21世紀に出現したという設定だ。 映画の中では以下のような説明がされている A.クインによる説明 大昔 サラマンダーが恐竜を焼き払い その灰が氷河期を招いた やがて地球上の生物を残らず焼き尽くし 奴らは飢え 地下に潜り 地球に再び生命が満ちるのを待ったのだ 最新兵器で攻撃してもサラマンダーは倒せない 奴らは不死身だ 人類はついに 核兵器を使い 奴らを滅ぼそうとした だが恐ろしい荒廃をもたらしただけ 生き残った者は都市を捨て 荒野に逃れた 未来は闇の彼方だ 人類を救う武器はなく 竜の炎を消すものはない B.ヴァン・ザンによる説明 竜は魔物ではない 脳 心臓 肝臓を持つただの生物だ 臓器をつぶせば竜は死ぬ これら二つの説明には矛盾点が見られる。 それはクインが「不死身」といっているのに対して、ヴァン・ザンは「ただの生物だ」といっている点である。 最終的にはヴァン・ザンの案に従って、クインは最新兵器、核兵器でも倒せなかったサラマンダーを退治するために千載一遇のチャンスを狙うのだ。 さて、このサラマンダーだが、『ガメラ 大怪獣空中決戦(1995)』に登場した超遺伝子獣ギャオスに似ている。 ギャオスは、滅亡した超古代文明の遺伝子工学により、「増えすぎた人口を減らすため」という目的で?産み出された。 しかし、ギャオスは超古代文明人の手に負えなくなってしまうほど勢いを増し、慌てて天敵となる生体兵器ガメラを生み出したが、それも間に合わず、彼らは滅亡させられてしまう。 食料がなくなったギャオスは、自分に適した環境がやってくるまで、耐久卵(長期間休眠できる特別な卵)に潜み続け、ついに現代に蘇った。 また、サラマンダーもギャオスも、食糧不足になると同種間での共食いも辞さない。 ということで、怪獣映画は相互に影響しあっている様子が感じられるのであった。 主人公のクインを演じたのはクリスチャン・ベイル。 バットマンになる前は、サラマンダーと闘っていたのだ。 いや、時代的にはこの映画が2020年という設定なので、バットマンを引退してからサラマンダーに挑んだのか。人気ブログランキングクリックよろしくお願いします
December 24, 2017
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ポセイドン・レックス [ ブライアン・クラウズ ] 主人公は、トレジャーハンター(なのかな?)のジャックス。 このジャックス、じつに犠牲的精神に厚い男だ。 ジャックスは、仕事柄、沈没船から金貨を引き上げようとしていた。 海底に埋もれた沈没船を掘り出すために爆破作業をしたら、何と、太古の恐竜(ポセイドン・レックス)が出現してしまった。なんでかよくわからんが。 ジャックスは、恐竜に襲われ一命をとりとめたものの、気を失って漂っていた。島のガイドと、ガイドに案内されてシュノーケリングに来たカップルが、海に浮かぶジャックスを発見し救出する。 「病院はよせ」 完全失神状態のはずなのに、なぜかジャックはそこだけ口走る。 狸寝入りなんじゃないのか。 そして、ジャックスは海洋生物学者サラ博士の研究室で看病される。カップルと島のガイドが付き添っている。 ジャックス「(目覚めて)俺はどこにいるんだ」 サラ「病院はよせと言ったからここに運んだのよ」 ジャックス「(この俺がそんなこと言ったのか?)」みたいな、わけわかんない状態の表情。 そのリアクション、違うと思うけど、狸寝入りではなかったらしい。 このあと、謎解きとか緊迫感とか盛り上がりとか、この種の映画に必要なものがないままにポセイドン・レックスが暴れ回る。 ポセイドン・レックス、海面に浮上するときなど、海面が波立つようなことはまるでない。手抜きのCGだからな。 ゴジラなどは、海中から海面に出現するときは海水が盛り上がるとか大きな波紋が広がるとか、巨体なりの周囲への影響、被害がある。しかし、ポセイドン・レックスが海面に姿を現すときは、その形相、風体に比べてじつに静かなもんだ。 あたかも高飛び込みの選手が水しぶきを上げない(ノースプラッシュ)を競うかのようなポセイドン・レックス、物理の法則を超越している。 したがって、近くにいる船などもまるでゆれることはない。なのに乗っている人間は、うわぁ!とか言って足元がおぼつかなくなり、海に投げ出されたりする。これは、恐竜が出現したときの心理的パニックか? ともあれポセイドン・レックスは上陸して、街を襲う。 ここからがジャックスの犠牲的精神の真骨頂だ。 ジャックスとサラと、カップルの男の方ロッドは、ポセイドン・レックスの襲撃から逃げなければならない。 ジャックス「俺が奴の気をそらすから2人は車へ行け」 見ると車の外に男が血を流して倒れている。 これがわからない。 この男はこの車のドライバーであることは間違いない。男から車のキーが発見されるから。 でも、ポセイドン・レックスに襲われ車が激突したかなんかだったら、運転席にいるはずだろう。 さもなくば、車の外でポセイドン・レックスに食われたのなら、体が引きちぎられているかなんかしないとね。 そういう形跡もなく、車の外で血を流して倒れているってなんなんだ?車から降りたところを強盗にでも襲われたのか? 話を犠牲的精神に戻す。 ジャックスは、ポセイドン・レックスに向かっていく。 だがポセイドン・レックスの方といえば、群衆を追いかけている真っ最中。 つまり、ポセイドン・レックスはジャックス、サラ、ロッドについてはまるで眼中にない。 ああ、それなのに、 「へい、こっちだ。醜い怪物め、捕まえてみろ。爬虫類の老いぼれめ」 と大声で悪態をついて、ジャックスはポセイドン・レックスをわざわざ自分の方に振り向かせる。 ポセイドン・レックスが群衆を追いかけている時点で、気をそらせるという本来の目的は十分達成できているのだから、そのまま3人で車に乗って逃げればいいのではないか。 なのに、ジャックスよ、ポセイドン・レックスに声をかけて、自分の方に気を向けさせてどうする。 ポセイドン・レックスがジャックスを追尾してきたら「今のうちだ!」って、無駄な労力使ってますよ。 さらに、クライマックスらしきシーンでも。 ジャックス「俺が軽飛行機を操縦してポセイドン・レックスの気をそらす。その隙に港へ逃げろ」 それに対してサラは、「なんて犠牲的精神にあふれた男らしい人なの」という眼差しを向ける。 そして飛行機を飛ばし「俺についてこい」とポセイドン・レックスを挑発する。だが、当のポセイドン・レックスは一瞥しただけで、飛行機には何の興味も示さずサラ達のボートに向かっていく。 映画を見ているこちらとしては、ジャックスの飛行機がポセイドン・レックスの鼻先をかすめるなどしてポセイドン・レックスに絡み、サラたちのボートを救うのかと思いきや、ポセイドン・レックスにそっぽを向かれて、ただ飛んでいるだけ。「気をそらす」と言っただけで、その役目はまったくもって果たしていない。 だから、追いかけてくるポセイドン・レックスを撃退するために、ロッドはロケット・ランチャーを駆使して戦うがボートから転落して食われてしまう。ジャックス、少しは責任を感じなさい。 そして、空軍ジェット戦闘機のミサイルでも死ななかったポセイドン・レックスなのだが、なんとサラがロケット・ランチャー一発でその首を吹っ飛ばして仕止める。 海洋生物学者だから、サラはポセイドン・レックスの弱点がわかっていたのだろうか。そんな説明はなかったが。 主人公であるはずのジャックスは、悪い人ではないんだけどね。 おとりになるとかの危険を厭わぬ気持ちは満々だったのだが、状況判断力と行動の方向性に課題が残ったね。 人気ブログランキングクリックよろしくお願いします
December 17, 2017
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【12/8 20時から12/12 10時まで★ポイント10倍★☆期間限定】【VHSです】空の大怪獣Q|中古ビデオ【中古】「怪獣」とはいかなる存在であるか。この映画のタイトルは『空の大怪獣Q』。これは我が東宝特撮の『空の大怪獣ラドン』に倣ったものだろう。この映画、30年以上前に海賊版ビデオで見た。当時は、本邦未公開の映画を海賊版ビデオ(テープ)にして、平気でレンタルしている店があった。ざっとストーリーを示すと、高層ビルの窓拭き作業をしていた男が、突如首なし死体と化す。屋上プールで日光浴中の女性が、空から現れた何ものかに襲われ、忽然と姿を消す。さらに、ホテルの一室で全身の皮を剥がされた死体が発見される。シェパード刑事(デヴィッド・キャラダイン!『燃えよ!カンフー(1972〜1975)』『キル・ビル(2003)』)は、一連の猟奇事件を追っていた。そして、博物館で、古代アステカの翼のある蛇神ケツァルコアトルと、ケツァルコアトルへの人身御供の儀式について知る。シェパード刑事は、人の皮を剥ぐのが儀式によってケツァルコアトルが蘇り、人を襲っているのではないかと推測する。そして、高層ビルの尖塔内部に、巨大な生物の巣と卵が発見される。この映画の怪獣は、蛇神ケツァルコアトル(Quetzalcoatl)すなわち「Q」である。Qは翼のある蛇神なのだが、前足、後足がある。デザイン的には、いたってシンプルだ。ツルンとしたボディに翼がある感じ。その巨大な卵は、とりもなおさずQの卵だ。映画の中では、卵を破壊しようと警察が機関銃を乱射し、割れたところから雛が姿を見せるが殺される。蛇神であっても、卵から生まれるのだ。モスラやラドンも卵から生まれる。あるいはギャオスも卵から生まれた。モスラ、ラドン、ギャオスなどは、怪獣といえどもその基盤は生物である。だから卵から生まれてもあまり違和感はない。だが、蛇神も卵から生まれるのか。怪獣とは、通常の生物、常識内の生物ではない。生物を基盤としながらも、生物を超越したものである。とんでもない生物といってもいいだろう。その巨大さ、そして通常兵器が通用しないところなどがとんでもない生物=怪獣の特徴だ。蛇神も怪獣となり得るだろう。しかし、蛇神であるからには、生物を基盤とした怪獣とは趣が違うのではないか。怪獣には、通常兵器は通用しないが、科学技術によって退治することができる。例えば、ゴジラを倒したオキシジェン・デストロイヤーのように。それに対して蛇神というからには、呪文とか神剣とか、そういった科学ではないもので倒されるべきではないか。最終決戦では、巣と卵を破壊したのちに、高層ビルの尖塔で待ち受けた警察隊とQとのバトルが繰り広げられる。巣に戻ってきたQを、警察隊は機関銃の総攻撃で迎え撃つのだ。これは『キングコング(1933)』の逆パターンである。『キングコング』では、コングがエンパイヤステートビルの尖塔に登っていき、警察の複葉機が飛来して機関銃でコングを攻撃した。警官隊との激しいバトルの末、Qは銃弾を撃ち込まれて高層ビルから落下して倒れる。Qは、人の皮を剥ぐという無残な生贄を捧げて、呪術的に現世に復活した。にもかかわらず、雛とともに通常兵器の銃弾によってこの世を去った。ところが卵は1個じゃなかった。アメリカの怪獣映画は、通常兵器で片がついてきた。だが、『パシフィック・リム(2013)』『ゴジラ(2014)』と、通常兵器が効かなくなってきた。いつの日か、Qもパワーアップして再登場してほしい。あの卵が何十年を経て孵化するのを待とう。人気ブログランキングクリックよろしくお願いします
December 10, 2017
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オクトパス【動画配信】この映画、じつにハラハラ、ドキドキだったよぉ。1962年、キューバ危機に直面して、ソ連の原潜が放射性物質を運んでいる。この原潜の艦内がアップ画面多用なのだ。まず、この場面でハラハラドキドキ。どういうことかというと、原潜内部のセットをきちんと組んでないので、背景をなるべく見せたくない。そのために、アップを多用しているのではないか、との疑惑がわいてきたわけだ。予算、手間暇を出来うる限りかけないイージーな映画ではないか、と心配になったのだ。何せタイトルからして「オクトパス」だからね。日本語だったら、「蛸」でしょ。シンプルすぎる。モンスター映画のタイトルとしては、もうちょっと陰影があってもいいと思うが。こうしたB級モンスター映画では、モンスターさえろくに出てこないというものもある。じつにあたりはずれが激しい、という以上に、期待はずれが多い、という状況をこれまで幾度も経験してきている。そんなんだから、心配要素が目につき、警戒心が急上昇する。ともあれ、ソ連の原潜がアメリカの原潜から魚雷攻撃を受け、沈没する。そして、放射性物質が海底に流れ出してしまう。時は経ち、現代。ブルガリア。テロリストが建物内に爆弾を仕込んだバッグを置いていく。それを子供が見つけて抱え上げる。ああ、ハラハラドキドキ。そして、爆発!ヒッチコックの『サボタージュ(1936)』では、少年がそれとは知らずに時限爆弾を運ばされる。それを見て観客はハラハラ、ドキドキするのだが、ついに少年は爆発に巻き込まれてしまう。この展開は映画のタブーを犯したもので、公開後ヒッチコック監督も慚愧の念に堪えなかったそうだ。なのに、ここで同じ過ちを繰り返してしまうのか。ヒッチコック大先生が残した教訓をなんと心得るか!この憎っくき爆弾魔テロリストをば、速攻で2人組のCIAのエージェントが追う。しかし、そのうちの一人は、退職を目前にしたメタボおやじ。腹回りがビヤ樽だ。この人がテロリストを追いかけるが、息が切れて苦しそう。追撃中に、演技じゃなくて心臓麻痺を起こすんじゃなかと、ハラハラドキドキ。結局撃たれて死んでしまう。残った若いエージェントが激闘の末、テロリストを捕まえる。そして、若いエージェントは、なんと、アメリカ海軍の原子力潜水艦でテロリストを護送する。そんな政治的目的で破壊活動を行うテロリストに、原潜の内部を見せちゃっていいのか?そもそも原潜が、犯人?容疑者?の護送なんかするんかい。でもって、潜航中に原潜は謎の物体に襲われ海底に座礁する。この状態で、どうやって乗組員他は救助されるか?ハラハラ、ドキドキ。そうしたら、謎の物体(オクトパス以外の何物でもない!)が原潜を破壊する。太長い吸盤がついた触手が艦内に侵入してくる。ソ連原潜の放射物質により突然変異をとげたタコが、何世代かを経て巨大化し、その巨体を維持するためにタンパク質を求めて荒れ狂うんだとかの説明あり。主要メンバー数名を残して(含むエージェント、テロリスト)、乗組員は犠牲となる。「潜航艇で脱出しよう!」その手があったか。確かに原潜の後部甲板に小型潜航艇が装備されている。昔、小沢さとる作の『サブマリン707』というマンガがあった。707には、ジュニア1号、2号という単座の小型潜航艇が後甲板に搭載されていた。それを思い出したぞ。そして、この時点で、小型潜航艇の定員内きっちりの人数が残っているのも、天の定めか。その一方で、テロリストの仲間たちが、豪華客船に乗り込んで、捕まったテロリストの救出に向かう。そう、快速艇とかクルーザーでもなければ漁船でもない。悪人たちがよりによって豪華客船を乗っ取って仲間を救いにいく。騒ぎが大きくなるだけだと思うが、それもこれも大ダコに襲われるスペクタクル場面を派手にするためだ。漁船が大ダコに襲われてもね、映えないやね。そして、当方のハラハラ、ドキドキは、もしかして、触手だけが画面に登場して終わるのではないかという心配で頂点に達する。どれほどタコが、そして豪華客船までもがCG以外の何物でもないというチープな映像であってもいい。タコのモンスターをどこまで、どんなふうに見せてくれるのかが肝要なのである。豪華客船のキャビンを、船内を、タコの触手が這い回る。欧米人はタコのことをDvil Fishと呼んで忌み嫌うそうだから、もともとモンスター的なイメージがあるのかもしれない。しかしなぁ、日本人である当方などにしてみれば、大きいだけのタコは、モンスターとしての魅力があまりない。などと画面を見ながらも思考をとばせていたら、脱出した潜航艇が浮上した。そこには豪華客船が。潜航艇を追って、ついにタコが全貌を現した。豪華客船を抱きかかえるようにしてからみつくタコ。おお、触手だけの出し惜しみ、手抜きのタコではなかったぞ。そして、大ダコの出現に女テロリストがマシンガンをぶっぱなす。しかし、大ダコは弾丸連射などものともせず、触手が円を描いて生えているその真ん中にある口からトゲトゲの歯がむきだしの巨大な嘴を出してきた。日本のマンガのタコみたいなひょっとこ口ではない。嘴を開くと、なんとその中からもうなる鞭のような触手が伸びてきて、女テロリストをからめとると、自らの口に運んでしまった。触手が口の中から出てくるなんて、ただでかいだけのタコじゃなかった!とりあえず、モンスター化したタコだ。そこが着地点かぁぁ。<a href="//blog.with2.net/link/?313517"><img src="https://blog.with2.net/img/banner/m12/br_banner_nightsnow.gif" title="人気ブログランキング"></a><br><a href="//blog.with2.net/link/?313517" style="font-size: 0.8em;">人気ブログランキング</a>クリック、よろしくお願いします
December 3, 2017
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】ウエストワールド [ ユル・ブリンナー ] 巨大テーマパーク「デロス・ランド」。 西部劇の世界では、ロボットを相手にして、撃ち合いや乱闘などのリアルな体験ができる。 ロボットは、やられ役にプログラムされているはずだったのだが、突如として人間を襲撃してきた。 この映画は、公開時に見ている。 テーマパークのロボットが反乱する、というところが軸である。 登場するロボットは、主にアンドロイドだ。人間と同じ外見をもつ。 あるいは、ガラガラ蛇も馬もロボットだったりする。 当時は、この点がつまらないと思った。 アンドロイドまたは動物のロボットなど、ビジュアル的な非日常感がない。 幼児のロボットごっこじゃないんだから、ロボコップみたいな、映像でしか見られない(現実には存在しない)かっこいいメカか、または異形のロボットが見たかったわけだ。 しかし、今回見直してみて、印象が変わった。 西部世界で黒ずくめの悪役ロボットを演じているのが、かのユル・ブリンナーである。酒場のシーンに初登場し、客に因縁をつける場面がすばらしい。人間の0.9倍速くらいのゆっくりさで動く。なんとそこにロボット感が出ているのだ。演技力でロボットを表現しているのである。 そして、ロボットの反乱という展開が非常に興味深い。 デロス・ランドでは、客が悪役ロボット相手に腕力を振るったり、銃をぶっ放したりしてストレスを解消する。 そんなふうにして活況を呈するデロス・ランドだったのだが、ある時からロボットの故障が急増する。それらの故障は、周辺機器ではなく行動をコントロールする中央ユニット部分に集中しているのだ。 メンテナンス工場では、科学者、技術者が故障について協議していた。「(ロボットの故障が)一週間で2倍に増えた。修理しても故障率は上昇している。パターンに類似性があり、伝染病が広がっていく過程とそっくりだ」「ロボットに病気があるとは考えにくい」「我々が取り扱っているのは高度に進歩した特別な装置で、生物同様に複雑だ。コンピュータがデザインした部分も多く、我々は機能すら知らん」 人間側は、何の疑問もなくデロス・パークの最新システムをコントロールできていると思っていた。ところが、気がついたらロボットは人間の支配と予想を超えた活動を行い、手に負えなくなってしまったのだ。 西部劇の撃ち合いをすれば、ロボットは必ず撃たれるようにつくられていた。そして、ロボットの銃は、人間に向かっては弾丸が発射されないように設定されていたはずだった。 それなのに、ロボットが人に向かって発砲し、実弾が人体をえぐる。 例えば、スマホなど、本来は便利な機器であったはず。ところが、スマホ依存症や歩きスマホなど、人間の生活に害を及ぼす側面も少なからず見せている。これは、スマホが人間の役に立つ範囲内でのコントロールを逸脱して、負の存在にもなってしまっているわけだ。 スマホは、悪影響が積み重なることはあっても、直接的には人を襲ってくることはない。多分。 しかし、デロス・ランドのロボットは、どこまでも人を追撃し殺害する。 人を追い詰め殺害するといえば、『ハロウィン(1978〜)』シリーズのマイケル・マイヤースや『13日の金曜日(1980〜)』シリーズのジェイソン・ボーヒーズなどのスプラッター殺人鬼がいる。彼らは、血縁関係やキャンプ場の監視員に対する怨恨といった動機がある。 あるいは、同じロボットである『ターミネーター(1984)』のT~800は、もともと人を抹殺するようにプログラムされている。 ところが、デロス・ランドのロボットは、なんで人を襲ってくるのか、全く不明なのである。 機械であるロボット、あるいはコンピュータ・システムが、勝手に暴走したとしかいいようがない。 この映画の監督、脚本はマイケル・クライトンである。 マイケル・クライトンは、『ジュラシック・パーク』の原作小説を書いている。 テクノロジーでコントロールされたアミューズメント・パークが、あるとき地獄と化すという設定は、この『ウエストワールド』がプロトタイプといえるかもしれない。 確かに恐竜が襲ってくるのも恐いが、不気味さでは『ウエストワールド』に軍配が上がる。人気ブログランキング
November 19, 2017
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】ファイヤードラゴン [ ドミニカ・ジュリエット ]『ファイヤードラゴン』 ブランドン・リー(ブルース・リーの息子)の映画か? あれは『ファイアー・ドラゴン (1986)』。 「ヤ」ではなく「ア」ですね。 『怪獣総進撃(1968)』のラスト近くに「ファイヤードラゴン」が出てきたが、こちらはキラアク聖人の円盤が炎を発していただけ。怪獣ではなかった。 では、この映画の「ファイヤードラゴン」はいかに。 ワシントン州のベイカー山が突如噴火する。 噴火とともに飛んできたのは、なんとドラゴンの繭だった。 そして、夥しい数のドラゴンが人間社会を襲う。 さらに、最強のマザー・ドラゴンが出現か。 やっぱり欧米人にとっては、ドラゴンというのは身近な怪獣なのだろうか。 眠りについていたドラゴンが、現代に蘇るという映画がいろいろある。 クリスチャン・ベールが主演した『サラマンダー(2002)』とか『ドラゴン・オブ・ナチス(2014)』とか。 いずれにせよ、怪獣映画についてはチェックしないではいられない。 当方が怪獣映画に期待するのは、怪獣による都市破壊だったり、人間と怪獣との壮絶バトルだったりする。 設定がグダグダだろうが、ストーリー展開がゆるかろうが、怪獣が暴れまわってくれればいいわけだ。 もちろん、平成ガメラシリーズのように設定もストーリーも本気で作ってあれば、そんないいことはない。けれど、通常はそこまでは望まない。 で、『ファイヤードラゴン』だが、案の定設定はグダグダで、ストーリー展開はゆるゆる。シーンによってはユーモラスな演出しようとしたらしいのだが、もともとゆるいのだから、ふざけるな!と言いたくなった。 そんな思いをしながらも、ドラゴンさえ暴れまわってくれれば報われる。 しかしながら、ドラゴンは、モスクワ上空やロンドン上空を集団で飛び交うが、飛んでるだけ。攻撃はしない。 確かに、東京だかパリだか、タワーが破壊され倒壊するシーンもあるにはあったが一瞬で通り過ぎてしまった。 これは、とりあえずドラゴンの襲撃シーンのさわりだけ見せて、あとは観客が各自脳内スクリーンで想像してくれってことかな、と思ったぞ。 けど、見て損したとは思わない。 設定グダグダ、ストーリー展開ゆるゆる、怪獣あっさりさっぱりであっても、見ないままでいるより、見た方が断然いい。 モンスター映画を放置するより、見たときの脱力感を選択する。 人気ブログランキングクリックよろしくお願いします
November 12, 2017
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ムービー・スター 2017年11月号 【特集】 『マイティ・ソー バトルロイヤル』 【付録】 2018年『SHERLOCK/シャーロック』『ウォーキング・デッド』リバーシブル・カレンダー[本/雑誌] (雑誌) / イン・ロック これまでの『マイティ・ソー』とちがったところ。 まずは「笑い」ねらい、である。 「助けて」というギャグがあった。どんなギャグかは、は映画を見るときのお楽しみ。 そして、ソーとロキ、あるいはソーとブルース・バナー(ハルク)のかけあい漫才みたいなのがところどころ出てきた。 ソーとバナーのかけあいなど、ストーリーの流れが突然ゆるくなる感じで「もういいから早く話を進めろ!」と言いたくなった。ところが、つぎのアクション中心の展開に移ったときには、よりスピーディ(急)に感じたので、かけあい部分が緩急の「緩」の効果があったとわかったのだが。 ブルース・バナーが意を決してハルクに変身し、闘いに向かう勇ましい場面にもギャグが入る。この展開は、そうなることが読めた。 こうした笑いは、ロキじゃなくて予期しなかったことで、公開初日の観客席には笑っていいのかどうなのか、戸惑いがあったようだ。 最初は、客席の一部で笑い声が聞こえてきた。しかし、大部分には「ここは笑う場面ですよ」とのsuggestionが必要だったかのもしれない。「笑い」をねらった場面が度重なって登場すると、観客席もそこを理解したようで、「笑い」の空気が静かに拡大していった。 つぎ。過去2作からは、『マイティ・ソー』の映画では、メカは無縁だと思っていた。なぜならソーは「神」だからである。ソーの武器であるムジョルニアは魔法のハンマーだ。魔法というのは、端的に言って科学的ではない。ソーは、ムジョルニアを武器とするだけではなく、空を飛んだり、時空を超えたりするときにも用いる。 しかし、今回はムジョルニアを破壊されてしまうので、ソーは宇宙船を操縦するのだ。 『サンダーバード』の昔から、ライドメカなどの映像が好きだった。しかし、『マイティ・ソー』は、剣と魔法の世界観だと思っていたから、この映画を見る前は、ライドメカなどは全く期待していなかった。ところが、神様も移動に宇宙船を必要とする場合があるわけだ。 そして、今回の敵は、ソーの姉、つまり初の女性ボスキャラである。 「最強の敵」ということが強調されていて、さすがのソーも翻弄される。 しかしながら、『ダークナイト(2008)』のジョーカーのような狡猾さなどはあまり見られない。つまり、強いことは確かなのだが、ヴィラン(敵キャラ)としての深みがないといったところ。 やっぱり、ヴィランは、観客の憎悪や嫌悪感を煽ってこそ、スーパーヒーローは倒しがいがあるというもの。 その点、以前のロキは憎たらしさが濃かった、だが、ロキ自体の人気が高まってきたとか。ロキを演じるトム・ヒドルストンも『キングコング: 髑髏島の巨神(2017)』でヒーロー役(スーパーヒーローではない)をやったりして、悪役のイメージではなくなっているとか。 だから、ロキは、ヴィランからソーのパートナーに変貌しつつあるのかもしれない。人気ブログランキング
November 5, 2017
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】X-コンタクト [ ランス・ヘンリクセン ]この映画を見た人は、 『エイリアン(1979)』みたいだなー とか 『遊星からの物体X(1982)』に似てるなー などと感じるかもしれない。 それもそのはず 『エイリアン』、『プレデター』、『ターミネーター』シリーズのSFXスタッフが手がける、原点回帰の正統派SFスリラー(TCエンタテインメント・ホームページより)。 だからであり、また、そのスタッフが、 『遊星からの物体X ファーストコンタクト(2011)』でできなかったことをしよう(TCエンタテインメント・ホームページより)、 ということでつくられた映画だからである。 こんなお話です。 セイディは研究調査のため、大学の仲間達と祖父の漁船に乗り込む。そして、海中に不思議な発光体を発見して引き上げる。それは旧ソ連が打ち上げた衛星が帰還したもので、中には氷付けになった宇宙飛行士の死体があった。その死体には宇宙生命体が寄生しており、氷が溶けると生命体は活動を再開した。生命体は固体と液体とに自在に姿を変えながら、船の人間を襲い、寄生時我がものとする。はたして彼らは、この寄生体を撃退することができるか。 類似した映画のあるなしよりも、この映画の価値は、「一撃必殺」なところにある。 「一撃必殺」とは、武術(格闘技)に起因する言葉なわけだが、今年、新日本プロレスは、試合におけるレスラーの大怪我が相次いだ。 それは、最近の試合が、大技やアクロバティックな空中殺法など、危険な技の応酬になる傾向が強く、そのため立て続けに重傷者が出ているからなのだ。 かつて、昭和のプロレスは、一発の必殺技で試合が決まった。 例えば、「ネックブリーカー・ドロップ」。 今では、つなぎ技、見せ技として使われているこの技が、かつては一撃必殺の押しも押されもせぬフィニッシュ・ホールドだった。 思い起こせば1969年(昭和44年)、アントニオ猪木、吉村道明 対 バディ・オースチン、ミスター・アトミックのアジアタッグ選手権2連戦は、必殺技「ネックブリーカー・ドロップ」をめぐる攻防戦だった。 ミスター・アトミックの必殺ネックブリーカー・ドロップが決まれば、確実にフォールを取られてしまう。だから、ネックブリーカー・ドロップを喰らってはいけない、出させてはいけない。 10月10日の山形県体育館、猪木、吉村の防衛戦60分3本勝負では、決勝の3本目、ついにアトミックが吉村の首から頭部をロックし、反動をつけて今にもネックブリーカー・ドロップを決めようとした。 その瞬間、猪木はエプロンからロープ越しに吉村の体をつかんで投げられないように助けた。そのためアトミックはひとりマットに体を打ちつけて自爆し、そこをファールされて勝負が決まった。 猪木、吉村組は、アジアタッグのタイトルを防衛したが、オースチン、アトミック組は、「猪木のインターフェアによる反則だ」とのクレームをつけた。そのため、タイトルはコミッショナー預かりとなり、あらためて10月30日岐阜市民センターで、両チームによる王座決定戦が行われた。 岐阜での決定戦は「ネックブリーカー・ドロップ」による因縁含みの試合となった。ネックブリーカー・ドロップを決めようとするアトミックと決められまいとする日本側のスリリングな試合展開の末、日本側は、みごとインターフェアなどなしにアトミックのネックブリーカー・ドロップを防ぎ切り、タイトルを獲得した。 このように、たったひとつのプロレス技が、アジアタッグ選手権の行方を左右するとともに、試合をドラマチックに演出していたのだった。 あのころは、必殺技が、たった一発でまさに必殺技だったのだ。 ところが、今は、様々な必殺技を何発も繰り出さないと試合が決まらない。 そして最近は、プロレスばかりでなく、ジャンル映画においても、なかなか決着がつかないパターンがありがちだ。 モンスターなどが、やっつけた、と安心しても、何度も、パワーアップして、起き上がってくる。 あるいは、地球規模の大破壊に至るまで収拾がつかないで延々とバトルが続く。 などなど。 映画の場合は、プロレスと違って、決着がつくまでに、これでもかこれでもかと見せ場を作ったとしても、けが人が出るということはないだろう。 しかし、物量作戦、派手な光の点滅、大音量で見せればいいというものではないと思うのだ。 その点、『X-コンタクト』は、クリーチャー(宇宙生物)の襲撃に主人公側は防戦一方だったが、「必殺技一発」で完全決着がつき、清々しさを味わった。 このクリーチャーが、性懲りも無く復活して襲ってくるかどうかは、別問題だ。 とはいってま、第2作がつくられるほどの映画ではないように思うが。人気ブログランキング
June 18, 2017
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】【楽天ブックス限定先着特典】キングコング:髑髏島の巨神 ブルーレイ&DVDセット(2枚組/デジタルコピー付)(初回仕様)(オリジナルポストカード付き)【Blu-ray】 [ トム・ヒドルストン ] この映画に登場するキングコングや巨大モンスターは、髑髏島の外へ出ることはない。 このように、特定の島の中だけで、巨大生物や怪獣が跋扈する映画はいくつかある。 東宝特撮では『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘(1966)』や『怪獣島の決戦 ゴジラの息子(1967)』そして『ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦! 南海の大怪獣(1970)』がそうだ。 これら「島限定」の怪獣映画には、怪獣映画につきものの「都市破壊」がない。 いうまでもなく、これらの「島」には、都市そのものがないからだ。 そして、怪獣が都市を襲わないのだから、やはり怪獣映画につきものであるはずの防衛隊との攻防戦もないし、群衆が逃げ惑うシーンもない。 当方が特撮映画に求めているもののひとつは、非日常感である。 怪獣が近代的なビルの谷間に巨大なる異形の姿を見せたときなど、文明社会との対比において、怪獣は圧倒的な存在感を見せつける。 怪獣の巨大さによる迫力だけでも非日常的ではあるのだが、非日常的な存在であることをいっそう際立たせるのが、都市破壊、防衛隊、群衆なのだ。 なのに、なぜ東宝特撮怪獣映画において、都市破壊や防衛隊、群衆シーンがない「島限定」の特撮怪獣映画が作られたのかといえば、それは予算の節約のためだからだった。 この時期邦画は、斜陽産業としての傾向が著しく、かつては人気を誇った特撮怪獣映画も、観客動員数及び収益が激減していた。なので、島を舞台にすることで、建物のセットを組むなどなどの予算を削減したというわけだ。 「島限定」特撮怪獣映画の嚆矢となった『南海の大決闘』はゴジラ・シリーズでは第7作である。 『南海の大決闘』では、舞台となったレッチ島に軍事組織「赤イ竹」の秘密基地がある。 そして、小規模ながら、ゴジラが秘密基地を破壊するシーンや「赤イ竹」の戦闘機がゴジラを攻撃するシーンもある。 それまで特撮怪獣映画には破壊シーンや近代兵器での攻撃シーンが、当たり前のこととして存在したのだから、完全に削除することはできなかったのだろう。 『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』と『 決戦! 南海の大怪獣』には、破壊シーン、近代兵器のシーンはない。 『南海の大決闘』をスモール・ステップとして、それらのシーンをなくしていったのだろう。 この『南海の大決闘』は当初は『ロビンソン・クルーソー作戦 キングコング対エビラ』として企画されていた。キングコングがメインとなる映画になるはずだったのだ。それが、都合によりゴジラ映画に変更されてしまったのだった。 もしかしたら、「島限定」の東宝怪獣映画登場したかもしれなかったコングだが、アメリカ版のオリジナル・キングコングは、もともと島生まれ、島育ちであった。 『キング・コング(1933)』では、髑髏島でコングは恐竜を向こうに回して大暴れするが、人間に捕獲されてしまう。そして、大都市ニューヨークに連れてこられる。 ニューヨークでは、怒りに任せて鎖を引きちぎって市街地になだれ込んで大暴れし、最後はエンパイア・ステート・ビルに登ったところを複葉機に銃撃される。 つまり、オリジナル・キングコングは、自身の意思からではないが、島から出て、都市を襲う。人々はパニックになり、近代兵器から攻撃を受けるのだ。 これは1976年、2005年のリメイク版もこの展開は同じである。 ただ、『コングの復讐(1933)』は「島限定」だった。 こちらは、キングコングそのものは登場せず、コングの息子といわれるキコの映画である。 キングコングは、発音上では「キンコン」である。ピンポン (ping pong)、香港(Hong Kong)と同じだね。 そして、その息子は、まだ成獣ではないからなのか「キコ」と呼ばれた。 (映画の中では、「キコ」という名称はでてこない) ラスト・シーン、キコは自らの命を呈して人間を救う。そのシーンは、悲しくも強く印象に残った(もちろん、リアルタイムで見たわけではない)。 なお、この「島限定」『コングの復讐』も、低予算、短期間制作の映画だった。 さて、今回の『キングコング:髑髏島の巨神』だ。 この映画が「島限定」となったのは、もちろん予算面の問題からではない。 それから、この『髑髏島の巨神』のコングは、これまでのアメリカ版コングに比べて、かなりデカくなっている。 これまでのアメリカ版キングコングは、体長が5m〜7mくらいだった。 しかし、このたびの巨神コングは、なんと31.6mなのだ。 そして、映画の中では、巨神コングがまだ成獣になりきってない(キコ状態? キコは4m)ことが示唆されている。 つまり、まだまだ大きくなって再登場することがありうるのだ。 いずれにしても、これまでのコングよりも5倍、6倍の大きさだから、迫力も5倍増、6倍増している。同時に敵となる巨大生物もまたコングに見合った大きさで、そららとのバトルも、見応え十分だ。 だが、やはり「島限定」だ。 残念ながら現代文明から隔離された島は、もともとが秘境であり、つまりは異世界である。 そういった非現実的な場所ではなく、身近な文明社会に出現すれば、コングなどがいっそう非現実感を味わわせてくれたのではないだろうか。従来とはデカさが違うコングなのだから、さらなる非現実感を生み出したのではないかと残念に思う。 その一方で、ノベライズ版の『キングコング:髑髏島の巨神』はおもしろく読むことができた。 秘境冒険小説として、楽しかった。 これは、ビジュアルと文章表現の違いだろう。 巨大生物をビジュアルで感じるときには、密林や山などを背景とするより、ビル街を破壊して回った方が非現実感をより深く味わうことができるというわけだ。 さてさて、従来のアメリカ版コングより、今回の巨神コングはずいぶんデカくなってしまったわけだが、東宝版のコングの体長は、45m(『キングコング対ゴジラ(1962)』とか、20m(『キングコングの逆襲(1967)』)とかだった。 巨神コングの体長は、かつての東宝コングの体長に接近しているのがわかる。 当時の東宝特撮怪獣映画は、ゴジラの体長を50mと設定していた。そして、東宝コングは、そのゴジラの世界観の中に登場したのだから、アメリカ版コングよりもずっと大きかったのだ。 今回のアメリカ版コングの設定変更は、2020年に公開される予定の『Godzilla vs. Kong』に向けたものだろう。 巨神コングは、ゴジラと対決するために、これまでにない巨大さに設定されたのだ。 とすると、「島限定」コングは、オリジナル・キングコング・ストーリーでいえば前半部分(=髑髏島で捕獲されるまで)に相当し、つぎの『Godzilla vs. Kong』では、いよいよ都市に出現することになるのだろうか。 そう考えると、いやがうえにも期待が高まる。 くれぐれも、ゴジラが髑髏島を襲って、そこで両怪獣が対決するという「島限定」の『Godzilla vs. Kong』は避けたいぞ。人気ブログランキングご協力、よろしくお願いします。
June 11, 2017
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】シャークネード ザ・フォース・アウェイクンズ [ アイアン・ジーリング ]◎サメだけではシリーズが続きません おバカ映画『シャークネード』も4なんだと。 シャークネードとは、海から鮫の群れを巻き上げた強大竜巻だ。 夥しい数の鮫が竜巻とともに旋回しながら、都市を、人々を襲う。 こう文章で表現しても、常識あるフツーの感覚の人には何のことかわからないだろう。 だいたいなぜ自然現象の竜巻が、鮫だけを好んで巻き上げるのか? マッドサイエンティストが、人為的に「シャークネード」を発生させてアメリカを壊滅させようと企んだわけではない。 なのに、「シャークネード」は、これまでの3作でロサンゼルス、ニューヨーク、ワシントンと合衆国の大都市を選んで襲撃してきたから、さらに意味がわからない。 このまま「シャークネード」は、アメリカ各地をさまよい、寅さんみたいなご当地映画になるのだろうか。今回もラスベガスだの、カンザスだの、ナイアガラだのを巡ります。 さらにこの「4」では、変わり種トルネードがいくつも登場した。 シャークネードが油田を直撃しオイルネード。 オイルネードが引火してファイアネード。 シャークネードが発電所を直撃し、雷を伴うライトニングネード。 シャークネードが原子力発電所を巻き込んだら、放射能を撒き散らすニュークリアネード。 これを止めないければ、アメリカ全土が壊滅だ! このほかにも溶岩ネードとかカウ(牛)ネードとか、何でもありの竜巻総進撃。 鮫とご当地だけでは、アイデアも尽きて飽きられるからね。 ◎ゆる〜い映像が決め手の「シャークネード」 さてさて、「シャークネード」では毎度お馴染みのゆる〜い映像についてである。 シャークネードがその他の「なんとかネード」に変わっても、物凄い自然災害だという想定には変わりはないはず。 いうまでもなく、トルネードとは、竜巻である。 竜巻とは、ただでさえ強烈な風を伴うはず。 ましてやシャークネードや、その他の変わり種トルネードは、巨大竜巻なのだ。 なのに、シャークネードの周囲では、木の枝、葉っぱがまるで揺れていない。 確かに、場面によっては、シャークネードの襲来に合わせて、木々が、そよそよと揺れているときもある。 シャークネードの近くでそよそよもないだろうと思うのだが、まだ揺れているだけいい方だった。 主人公フィンの実家の家屋が竜巻に根こそぎ舞い上げられるシーンでは、その背後を取り囲む森林が、強大モンスター竜巻とはあたかも無関係であるかように静粛の佇まいを見せている。森は、頑として風にたなびくのさえ拒否しているかに見える。 このようなゆるい映像も、超強自然災害なのだが、周囲には影響を与えないで、ピンポイント、超局地的にのみ激しい被害を及ぼすのが、モンスター竜巻=シャークネードの特徴なのだと解釈しようではないか。 ◎「シェパード家、ファイヤー!」 そして、この映画は、スーパータフガイヒーロー、フィン・シェパードを主人公にして、彼のファミリーの人間ばなれした活躍を見せていく。 フィン・シェパードは、トレードマークであるチェーンソーを携えてシャークネードに向かっていく。 やっぱり常識ある人なら、なんで竜巻相手にチェーンソーなんだと思うだろう。 さらに、前作で死んだはずのフィンの妻エイプリルが、実は生き延びていて、なんと空飛ぶスーパーヒロインとなっていた。 それだけではない。フィンの父、軍人の長男、5歳の次男、姪、長男の婚約者など、シェパード一家が勢揃いし、Gメン75状態で、勇んでシャークネードに挑んでいく。 これって、何かに似てないか? そう「野原家、ファイヤー!」のクレヨンしんちゃん一家みたいだ。◎おバカ映画の結末はいかに? しかし、シャークネードは手強い。 いかに勇猛果敢なシェパード一家といえども、竜巻から襲い来る鮫の大軍につぎつぎと食われていく。チェーンソーで激闘を繰り広げるタフガイヒーロー、フィン・シェパードもあえなく鮫に飲み込まれてしまう。 万事休す、頼みの綱のシェパード一家が壊滅し、ついにアメリカはシャークネードに屈するのか、と思ったが・・・・。 あとは見てのお楽しみ。 なにせ人間ばなれした一家なのですから。 という言葉に煽られて、うっかり見てしまい、挙句の果てに「ふざけるなぁ」と苦情を言っても、当方は知りません。人気ブログランキング
May 5, 2017
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