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昨日のすったもんだ一日実況中継の揺り返しというやつで今日はやや私はお疲れモードです。(^.^)今日も19:00~講演会へ行って来ました。場所は今観光スポットとして人気の門司港レトロの街、門司港ホテルでした。門司港ホテルはイタリアの建築家の設計によるもの。昨日の我が経営研究会の仲間が、別途若手経営者達で運営している勉強会の主催によるものでした。講演者はこの門司港ホテルの社長で葛和伸隆氏。ジャスマック代表取締役。直営ホテルとともに門司港ホテルのように外部オーナーとしての物件も手がけられている会社である。15年前に大注目を浴びてオープンしたグループ内ホテルである福岡の「イル・パラッツオ」も同様イタリアデザイン。氏は若干38歳とのこと。「本日は共感経営」と題しての話でした。主催者の若き経営者グループはK/Y Beansといって、この会の一員である先の友人達も一様にスキルが高い。平均年齢32.3歳。私はこのような若き人の中にもできるだけ積極的に飛び込むようにしている。そのエネルギッシュな行動力と発想は、ときにとても刺激的でもあり、はたと自らを考えさせられることもしばしば。若き人に素直に教えを請う気持ちを持つことは大切だ。今夜は講演会終了後、友人である司会者からいきなりマイクで感想を突きつけられ戸惑ったが、また刺激をもらった。その後懇親会には出れなかったので、多くの人と話す機会はなかったが、心地よい気持ちで、門司港レトロの綺麗な夜景を眺めながら帰途についた。本日の出会い:地域情報誌「アヴァンティ」大和女史グループホームなごみ春ヶ丘 馬場夫妻市議会議員 森ひろあき氏etc森氏はまだ30代。松下政経塾出身。ご両親が私と同じマンションに住んでおられるのでちょっと会話。さあ明日はまた頑張ろう。皆さんにもきっといい日が待っていますよ。(^^)門司港ホテル
2004年09月30日
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またもや台風上陸。現在は穏やかなる雨模様。しかし今回は北九州地区はそれそうだ。午前中は隣の市まで行ってBKにおいて売買物件の決済。売主様は兵庫県芦屋からご夫婦でお見えになる。きれいなかわいい奥様だ。またコチコチになるかも(爆)おっと忘れていた。市川社長から教わった平常心・平常心!(^^)!17:00~経営研究会の理事会(私が一番の零細会社(^^♪)19:00~昨日話したその会の例会講演以後は懇親会になるが、どうしょうか迷っている・・ではまた。飲んでいなかったら日記書き込みましょう。やや!いかん雨脚強くなってきた。隣町までは40分。その前に買主様を迎えに行かなければ。こうして日記書いている場合ではない。(@_@;)-----------------------------------------------------13:30いや~っすごかったこの強い雨と風。やっと取引から帰ってきました。これから食事です。夕方までいろいろしなければ・・えっ?あのきれいな奥様?余韻に浸る間もなく食事⇒仕事続行。まだまだ今日は続きます・・諸々⇒理事会⇒例会講演会⇒飲み会?------------------------------------------------------14:10手作り弁当食べました。本日の理事会ですが、月1度開催されます。今日も式次第がFAXされてきました。開会宣言⇒理念・目的・誓い の唱和⇒会長挨拶⇒協議事項⇒審議事項と続くのですが、それぞれ担当者報告となります。このなかで私がいつも欠かさず役目をいただくのがあります。理念・目的・誓いの唱和。これが私の担当なのです。最近は毎回です。当然本日も。どうしてでしょう?私が偉いからです!と、いうようなこと決してはありません。ただ単に元気がいいからなのです。そこで私も期待に応えて、尚更に大きい声で唱和誘導しこの会のピリッと喝を入れるのです。その他のこの会における私の取柄はありません。(@_@;)本日は何故か実況に近い形になっております。講演会の写真でも撮れましたら報告しましょう。なんせ私は、この会の広報ですから。----------------------------------------------------22:45現在ビールから焼酎水割り飲んでいます。つまみはいろいろ。このお店は料理が美味しいのです。特に、揚げ鳥のねぎソースやピリ辛冷やし茄子が美味しいです。ママはちょっと歳くっていますがいい人です。さてここはどこでしょう?そうです、ここは我が家です(^o^)丿本日はいろいろありました。理事会では活性化の為に、ちょっと意見も言わせてもらいました。講演会は予定100人をはるかに上回る140人の来場で盛況でした。午前中は台風迫るなかでの取引もありました。最終決済ということで、何度か来北された売主様・・・の 兵庫へ帰られる、美人奥様との別れもありました。(-_-;)それから楽天仲間の仰天(?)写真も見ました。(^^)もうくらくらでした。(^^)講演会後の飲み会も、本来ならここぞとばかりひょいひょいついて行くのですが、「半分の法則」で思いとどまりました。今週末にも飲み会あるし、すこしばかり自重。以前の私からすると随分と成長?かもとにかくいい日でした。明日はまた頑張りましょう。楽日記の皆さんも明日という日が素晴らしい日となりますように(^^)下記は理事会・例会講演会です。ちなみに私は写っていません。なぜなら、広報担当でしっかりデジカメ持っているからです。
2004年09月29日
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タカさん555さんの今日の日記 ”継続は力なり”で思い出しました。明日は、私が所属しているある勉強会主催で無料講演会があります。19:00~パークサイドビル9Fにて。飛び入り歓迎。演題は、我社の理念と戦略「継続は力なり」です。講演者は鹿児島の小正醸造株式会社 代表取締役 小正芳史氏です。銘酒「蔵の師魂」 「薩摩小鶴」がヒット中。その会ではいくつかの委員会があります。戦略委員会・理念委員会・リーダーシップ委員会・広報委員会・・毎年担当例会として各委員会が前年に事業計画をし、いろいろ行事をするのです。北九州での会員は50名程度です。メンバーにはこの地ではびっくりシューで知られているケーキ屋さんもいます。今回の小正社長もこの全国的な勉強会の経営研究会のメンバーでもあり、経営相談員もされ、私も尊敬する方であります。私は広報委員会の委員長をしていまして、昨年末の会合で、次年度事業計画として案を出し、本年3月に栢野さんをお呼びして「小さな会社☆逆転バカ社長」と題しての 講演会を主催しました。これはめちゃ当たりましたね。だいたいこの会は経営の勉強会が主で真面目な会でありまして、経営計画策定勉強会や ディベート勉強会など盛り沢山で大変勉強になるのですがやや硬すぎるきらいもあります。 私は会の”クレ550”的な役割を果たすべく、楽しくをモットーにややはちゃめちゃな広報をしています。時々走りすぎることもしばしば。まあ私なりの喝!を入れている訳であります。で、この栢野さんの講演は大ヒット!うけにうけました。爆笑のうずで大変好評でありました。会場では栢野さん持参の著書もけっこうさばけました。ところで今回は別の委員会担当例会です。数々の苦労の末に現在優良企業となった社長のお話です。もの静かな方ですがとても会社と社員さんへの想いの強い素晴らしい方です。明日が楽しみです。 蔵の師魂 薩摩小鶴
2004年09月28日
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今朝は雨がしとしと降っています。一日中降っていそうな気配です。午前中は契約物件の決済(残金支払い・所有権移転)をBKにて行います。この取引も私にとっては印象深いものです。また後で日記書き込みましょう。-----------------------------------------------------本日の取引の、売主様(現在82歳?)との出会いはかれこれ15.6年になります。以前勤めてめていた会社に入社して未だ間もない頃でした。ご夫婦で若い時分からの長きに渡って住んでこられた福岡を離れ、娘さん夫婦の居住地である北九州の地へと居を移されたのです。理由は年老いたご両親を近くに見ておきたいという子供さんの意向によるものでした。賃貸での問い合わせをいただき、持ち家である娘さんご夫婦の住まいの近くに運良く戸建てが見つかり、お世話することができました。70歳半ばの老夫婦でしたが、お二人ともとてもお元気でした。長年ご商売をしてこられたご主人は矍鑠(かくしゃく)として、長身の背はぴっと伸びていたのが印象的でした。ふくよかな奥さんも気さくで、その後も二人して○○さん○○さんとよく声を掛けていただきました。その貸家には数年住まわれました。時々近くを通りかかった折りに寄っていました。その後、この業界にも慣れた私は、仕事も忙しくなり、しばらくの間は,そのご夫婦とも声を交わす機会も途絶えていました。ただ暑中見舞いと年賀状だけは欠かすことはありませんでした。その後、少し離れた場所の分譲地に新築戸建を購入し住まいを移したとの一報をいただきました。同時にそれまでの貸家のすぐ近くにあった娘さんご夫婦が仕事の都合で県外に転居されることとなり、そこを是非誰か借り手を見つけてもらい、不在管理もして欲しいとの依頼を受けました。そのときにその新居にもおじゃまさせていただき、懐かしく四方山話に花を咲かせました。そして依頼を受けたその娘さんのご自宅を数年賃貸した後、都合によって当方にて売却。そして娘さんの、ご商売の用地もお世話させていただきました。それからまた数年経ちました。今年初めのまだ肌寒い頃、突然にその娘さんから、「母の住まいを売却して欲しいと」の電話をいただきました。あのお父さんは昨年末に亡くなられていたそうなのです。「母も年老いているので自分が引き取ろうと思っている。」とのことでした。お母さんにお会いし、ご主人の御仏前に手を合わせ、懐かしき日々のことを少し語らいましたが、月日の経過は奥さんをも当然のごとく老いを感じさせました。お母さんの方は売却を急がなくてもよいとのふうでしたが、娘さんの方は元気な内にということでした。お母さんの言葉尻にも行く老いを感じた私は、意思能力のある内の、早めの売却を頑張ることにしました。そこそこ魅力ある戸建てで結構反響はあったのですが、今一歩が続きました。春を過ぎ、猛暑を迎えるその間に業者さんを含め随分と案内をしました。そしてその末での契約にこぎつけました。本日は最終決済・所有権移転。買主様もいい方で本当に良かった。相続未登記のこの物件は、複数人いらっしゃる子供さんとの遺産分割協議によりお母さんの名義にしての売買所有権移転。年老いたお母さんはこの場に出るのは困難なので、事前に司法書士を交え、売主事前署名・押印。この日は娘さんが委任を受けての取引でした。買主様署名・押印その他書類確認を終え、BKの融資実行を待つ間、娘さんが時々おっしゃっていた有難い言葉を思い浮かべていました。「父や母はいつも○○さんのことを言っていましたよ・・」そして御両親からも「娘はいつも・・・」と同様な言葉をいただいたことがあります。とても感謝で一杯です。先日、引渡し期日が迫ったこの、夫婦して十数年慣れ住んでこられたお家を、まだ離れたくなさそうにされていたこの住まいを、お母さんは出ていかれました。昨日、境界線の確認に現地に行って来ました。主の居なくなったこの家を眺めながら、初めてお邪魔した新築時の、あのご夫婦と私の光景を思い浮かべながら、少しばかり感傷的になりました。最初の出会いからすでに15年は経っていました。無事取引を終え、娘さんに挨拶しながら、別の地でもお母さんがいつまでも元気であってほしいと思いました。
2004年09月27日
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夜9時からKI見ていました。間に合うように帰宅して、試合開始前にビールと焼酎用意し準備万端。焼酎は、黒糖焼酎。この焼酎、奄美でしか造っていないもの。昨年、こちらでの自宅マンションを売却し、ご夫婦で終の住みかとして選択された、鹿児島県奄美諸島の名瀬市に移住されたお客様からいただいたものです。やや芋焼酎に似た香りの美味しい焼酎なのです。このご夫婦50代後半の方だったのですが、これまでのお二人の生活というものは、金銭云々より、人生そのものを楽しむことを優先してこられた様子でした。ご主人も仕事にこだわりはありません。身の回りの贅沢もなく、少しお金が貯まったら、外国など旅に出かけられるのです。旅先も決して行き先も内容も豪華な旅行ではなく、中南米などの、いわゆる観光ルートではないのです。幾度か転職されたようですが、一貫してご自分達のその様な生活価値基準が優先しての転職だったようです。おじゃましてお話する度に羨ましいなと思いました。話し振りも実に素朴で生きる上での気負いの微塵も感じません。長らく住まわれたこのマンションを売却し、「少しばかり残った代金で、そこそこの生活費でのんびり二人で歳いく日を大切に過ごしたい」そのご相談を受けたときから、時々時間を割いてあちこち次の落ち着き先を探しに行かれていました。2~3ヶ月過ぎた頃、候補地の市が、安く住まいを提供してくれること、そして就職先もなんとか見つかったのです。こちらも願いをなんとかかなえてさしあげるべく売却に向け頑張りました。そしてなんとか契約できることができたのです。買主様は60代後半のご夫婦。現在のエレベーターのないマンションを階段がきついので引っ越すとの理由でした。住み慣れた都心部のから離れたくないとのことでしたが、幸いに住環境を変えずにこの縁がありました。行く人、来る人、それぞれの人生があります。そんな取引の一こまを、このいただいた黒糖焼酎の水割りのグラスを傾けながらふと思い浮かべました。さあ、K1の熱き戦いのゴングは鳴りました。途中、私も熱くなって、腹筋・拳立て・屈伸をしながら汗たらたら。試合を見てまた汗たらたら。やっと試合終了したときにはくたくたでした。
2004年09月25日
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昨日のお客様の契約をし、BKにてローン申込みをしてきました。BKにて申込書類に署名されながら「10年位で計画立てて早めに返済しょうか・・」などと二人微笑ましく話し合っているのを傍らに見ながら、派手でなく実に堅実で睦まじいその光景に、いいないいなとつくづく心のなかで思いました。本日は気持ちのいい一日でした。で、いつか話した、帰り道を少しばかり迂回して、ビルのネオンの波間をちょっとドライブして帰ります。もちろん今日は「ノラ・ジョーンズ」のボーカルを訊きながら・・これ押し売りします。押し付けます!よかったら是非お聞き下さい。安らぎますよ。車のなかで聴くのも良し、グラス片手に聞くも良し。これからの季節にきっと合います。では帰ります。ノラ・ジョーンズcome away with me がお薦め。楽天でも売っています。
2004年09月24日
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現在も1人孤独に仕事しております。仕事しながら、時々襲う孤独感を吹き払うように日記を巡回(^^)お陰でよけいにはかどりません(爆)。しかしながら皆さんと一緒にいるようでとても楽しい。今は明日の契約の準備中。今回のお客様は、まだ30そこそこの若いご夫婦と小さな子供さんお1人のご家族です。とても実直そうで、堅実な生活を二人して育んでこられた感じです。今回もいろいろな打ち合わせのなかで、奥様がローンや経費の支払い状況をしっかりと把握され、生活設計をきちっと計画立てておられるのがよくわかります。安心して家計を任せられるタイプの方です。我が家もそうです。(^^)売り出したばかりのマンションを、最初のご案内で気に入っていただいての契約です。この物件、人気地区のマンションで、その他引き合いも多かったのですが、このご家族に縁があって本当に良かったと思います。これからもいろいろフォローをしていきます。縁をいただくととても幸せになります。この仕事していて良かったなと思います。日頃の疲れも一気にとれる至福のときでもあります。では明日のためにもう一頑張り。
2004年09月23日
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本日は定時に終わり、焼き鳥屋へ行ってきます。(^^♪だいたい1人では飲みに行きません。1人では間が持てません。なんか窮屈で飲めません。やはり酒は話す相手がいてワイワイ楽しく飲まなければ。ということで、一緒にいく友人を首尾よくゲット!定時に仕事終わるとなんだか、悪いことしているようで・・小さい会社なのに頑張りが足りないようで・・貧乏性だな・・最近は祭日や今日が何曜日さえもわからん状態。こんなこと考えるようでは、まだまだ効率いい仕事ができていないということ。本当にいかん、もっとメリハリつけた仕事しなければとつくづく思います。反省、反省ま 今日は飲もう焼き鳥屋報告はまた後で。(続き)で、結局焼き鳥屋ではなく自宅近くの居酒屋へ友人と二人で行ってきました。自宅から7~8分位距離はあるでしょうか、この距離は散歩やウォーキングではたいしたことないのですが、飲んで帰るとなると面倒くさい気もします。ましてや帰宅してそれから出るとなるとなおさらおっくうです。そういうことで、普段は会社近くの店に寄る事が多いのです。本日は友人が同じマンションに住んでいるものですから、双方早めに帰宅して久し振りに飲むことになったのです。このお店に行くのは4度目です。前回帰り際にキープした焼酎のラベルを見ると4月になっていました。「大将あまり来れなくてごめんね」と恐縮しながらカウンターの椅子に腰を落とします。まだこの時間は2組のお客さんだけ。このお店は数年前に脱サラした店主と奥さんとで切り盛りしています。一番の人気メニューは“鉄なべ餃子”。とても美味しく、よく地域のグルメ本などにも紹介されています。その他全品において身体のことを考えて自然素材を使用していることが、このお店のポリシー。頑固親父風の店主と愛想のいい気さくな奥さんで、繁盛しているお店なのであります。あの前川 清も来店。店主とも友人とか。まずはビールで乾杯しながら料理を注文。ゴマ鯖、帆立ひもポン酢、くじらベーコン、鉄なべ餃子、砂ずりの塩焼き、ぶりかまと美味しい北海道産の大根の煮付け、たまごやき。酒は鹿児島芋焼酎「島美人」。くじらベーコンは本日の特別品で仕入れ値に近いとはいいながらもちょっと高かかったのですが当然にうまかった。ベーコンなんか子供の頃はいくらでもあったのに、今は貴重品になってしまった。しかし、全般的にここは安くて美味しいメニューが豊富なのです。その内に店内はお客で一杯になり、楽しく友人と語り合いながら時間も過ぎていきました。ところでここの大将、年齢は52歳なのですが、E.YAZAWAの熱きファンなのです。このお店の座敷一室には、壁全面にYAZAWAのポスターが貼ってあるのです。久し振りに長居をしてしまい、残った我々と店主は酒を交わしながら、YAZAWA談義になりました。店主、この話になると顔は熱気を帯びて終わらないのです。ところで私も数年前からE.YAZAWAのファン。毎年福岡でのコンサートに行っているのです。昔のキャロル時代は全然しりませんでした。あるきっかけで、曲を聴きすでにしぶくなった永ちゃんの、特にバラードのファンになったのです。その後CDも全て集め、自宅にはライヴのDVDも揃えています。もちろん、車のなかでもE.YAZAWAは熱く歌っております。毎年12月には若者に混じって会場にてタオルを投げております。これほどスッキリするライヴはありません。55歳の永ちゃんの頑張っている姿を見ると、こちらも元気出てきます。また来年1年頑張ろう!という気になってくるのです。話しながら親父たちは燃えてきました。お陰でちょっと飲みすぎたかな。
2004年09月22日
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親愛なるマキさんへいつもコメント有難うございます。振り返ると懐かしい、一緒に仕事したあの頃。二人でよく電柱ビラしたり、管理物件の草取りしたり、真冬にマンションの給水管が凍結してしまい、ポリ缶で住人の生活水を二人して階段で何度も運んだことなど・・すべては楽しい思い出です。マキさんと一緒に仕事したこと心から誇りに思っています。またいろいろな経験のなかでの培ってきたマキさんの仕事能力は改めて日記を見ていて素晴らしいと感じます。本当です。是非これからもこの業界で頑張っていきましょう。最近全国のサイト見ていて感じるのですが、一歩も二歩も進んでいる業者が多々あるのを見受け、とても刺激受けています。同時にこれではいかんな、もっと勉強しなければとつくづく思う次第です。そんな参考にしているサイトをいくつか紹介します。ところで私の目指すところ。HPに関して言えば下記のような感じかな。そこで気付くんですが、分野の違いはあっても、共通しているのはその会社の姿勢というものがきちっと出ているということです。しかも、内容を見ていてもそこに人情味というか、トップと会社の温もりが伝わってくるというか、ちゃんと顔がみえているんですね。これからは特にそこの点が大事かなと思います。いずれもアクセスや問い合わせが多いのに合点がいきます。当社もどこまでいけるかわかりませんが、種々見習いながら精進したいと考えております。マキさん今後ともご指導宜しくお願いいたします。(^^♪表参道不動産デジタル不動産ハート財産パートナーズ当社も勉強させてもらっています。
2004年09月21日
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私の会社がHPを作ったのは1999年9月でした。いずれネットは広く世間に浸透し、やがては誰でもが日常において普通に使いこなす世界が目の前。同時に我々不動産業界こそ、物件を自由に閲覧検索できる一番の、ネットにピッタシあった分野だと確信して、友人と当時試行錯誤のHP開設への準備に入ったのです。当時はまだ業界でも開設しているところは少なかった。この地区でも大手全国チェーンの会社と地元大手不動産会社の2社位しかありませんでした。開設して最初のネットでの取引は、東京の大学を卒業して地元大手デパートに就職が決まった女性の賃貸物件だった。詳細写真をメールでやりとりしながら契約までいたった思い出の1号契約が1999年だった。その後アクセスあるわあるわ 自分ながらしてやったりの感でした。当社は自前で女性スタッフと私が更新したり、HPのレイアウトを変更したりしながらやっています。手作りHPなので洗練はされていないかもしれませんが、やはり基本は物件を理解しているものが随時更新するのが原則。当社の女性スタッフは間取図からその他いろいろパソコンに長けております。その点大助かりです。しかし、当社HPも最近はややマンネリ化。この業界も多くの会社が開設しています。この辺りでまた一歩先を考えなければ・・ということで、いろんな意味で真に充実したHPをと、友人の協力を得ながら、リニューアルを準備中でなのです。小さな会社戦略?思案中です。楽天では楽天外広告はいけないので、本日限りの当社のHP公開です。私の名前ばればれ(爆)まっいいか(^^♪現HP新HPサンプル
2004年09月20日
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昨日話した我が家へやって来たMac。その筐体はとってもお洒落で愛らしいものであった。このマッキントッシュ クラシックは、初めてのパーソナルコンピューターという謳い文句だったから、こっけいにも広告宣伝は持ち運びもできるというもので、あのマシーンをナップザック様な袋に収め背負って歩くCMがあった。実際街でもその光景を見かけたことがある。ノートがまだ出回っていない時代(といってもほんの少し前の話それでも時代の先端をいく実にかっこいい光景だった。それだけこの世界は進歩が早いということだ)の懐かしい彼の日の出来事である。しかし、このマシン、現在ではとても考えられない程に貧弱な記憶容量。最大内蔵記憶容量4MBで、ハードディスクなしで、データ保存はフロッピーで取るしかなかった。1ギガがフロッピー約700枚分で比較すれば、保存に関してはほとんどワープロと同様だったかもしれない。しかし、これ1台で文書作成・計算・データベースetcと、ソフト追加によって無限の可能性を秘めて、コンピューターは大いなる期待感を持たせてくれた。しかし、これまでにない使い勝手のいいコンピューターとの鳴り物入りでやって来たMacではあったが、なにせ初めて扱うものとしてはとても難しい厄介な道具であった。当時はキャノンがApple社の日本での独占的特約店であった。私はその系列販売店から購入した。その販売店は当時、TOTO本社にも一括大量納入していた。しかし、パソコン自体、起業にもまだ普及していなかった時代であったため、周囲に扱い方を尋ねる人も少なく、分厚いソフトの見づらく難しい専門用語のマニュアルをただただ根気強く読んでいくしかなかった。結果、途中ただの飾りになったりしながら月日は過ぎていった。せっかく買ったこのマシーン。自己投資したパソコンをなんとか仕事に役立てなければ、との一念でやっと少しデータベース等に自分なりの使い方が出来始めた時にはすでに半年が経過していた。その後、数年前にやむなくWindowsに乗り換えるまで、名機LC475やパワーマック、ネットに初めて繋いだパフォーマ、そしてノートであるパワーブックと、日本のメーカーには持ち合わせない卓越したデザインと機械らしくない、その親しみをもてる雰囲気を持ったマシンを愛用したのである。使用している途中で度々固まってしまうのも特徴だった。それがまた人との対話のような温もりさえ感じさせてくれたものだ。私自身パソコンとの付き合いは長いが、メカに詳しいと言うことではない。ただ仕事に必要不可欠ということで使ってきた。実際、会社のHP作成等でも大いに役立っている。人間、必要に迫られると結構できるようになるものである。本日はそのLC475とパワーブックの写真をと思ったのだが、それがどこを探してもないのである。誰かにやったのかもしれない。いずれにしても日に焼けて変色した手元の愛らしいマックだけは、使わなくなってしまった現在でも手放せないでいる。今後はオブジェとして、私の傍らで静かに余生を送ることになるだろう。
2004年09月19日
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私が初めてコンピューターを購入したのは1991年の事。未だ独立する前のサラーリーマンの身だった。当時はワープロの全盛期の時。パソコンは出始めたばかりで、まだ国産ではNECの98が主流。98には文書ソフトの一太郎が初期インストールしてあった時代だった。他方、そのころのパソコンは先進的なMacに注目が集まっていて、画像処理等、一歩先を行っていて、デザイン関係等の専門分野の人達に強く支持されていた。98とMacは、さながらベータとVHSといった戦いでもあった。しかし、まだまだ高価な代物だった。当時それなりの処理をするMacを購入するとなると50万も80万もするといったものであった。垢抜けたアメリカの匂いがするおしゃれなコンピューターがMacだった。宣伝もカッコよく、専門雑誌もタレントを多用し、実際に芸能人の愛用者が多いのもマックだった。たしか藤井フミヤもマックでプロはだしのグラフィック作品を作っていたようだ。そんなまだまだ高嶺の花であるMacの会社アップルコンピューター社が、今度初めて普及のために低価格のコンピューターを売り出すというニュースが流れたのである。いわゆるパーソナルコンピュータというやつだ。そうこうするうちにやがて、アップルはTVCM等で大々的に販売宣伝攻勢をかけてきた。この宣伝がまた購入意欲を注がれるカッコいいものだった。丁度その頃、私はいずれ仕事の上でも顧客管理など様々な業務をこなす上での絶対的な必要性を強く認識していた。本来このような時代の変革期において出現する機械に敏感で新し物好きな私は、大金叩いてこのマシンの購入を決断した。けれどいくら普及機といえども高かった。本体24万位+ファイルメーカというデータベースソフト7万+プリンタ8万位。計40万弱だったように思う。やがて愛しのマックは我が家へやって来た。白黒9インチ画面 ハードディスクなしという、今では考えられないパソコンだった・・・では続きは次回に。下はその、アップルのMacintosh Classic です。その上に鎮座いたしますのはお宝のゴジ~ラ様。
2004年09月18日
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久々にこの時間を落ち着いたなかで仕事しております。現在18:00.私は楽天日記を事務所や自宅で書いております。始めて早2ヶ月が経過しましたが、皆さんに出会えたことに、改めて感謝する次第です。本日はまた、あの、師匠(?)としてお慕い申し上げております、あかし屋さんの日記にリンクしていただきました。感激であります。(^^♪今後も精進いたします。下記は私の事務所のお宝です。いい方で、ファンであります。この方のように熱く生きたいと常々思っております。短足のところが似ていて、そのせいかよけいに親近感を覚えます。ちなみに私はこの方の様な、恐いのかこっけいなのかわからない顔ではありません。(角田さんすみません)(^・^) では楽天の皆さん、これからも末永く宜しくお願いいたします。
2004年09月17日
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お客様との打ち合わせが終わって、事務所に帰って明日の段取り済ませ今から帰ります。帰ってうまいビールでも飲みます。ところで皆さん、自分を愛していますか?自分に対して一番の理解者でいますか?つらいときも、自分で自分を見放しまったら、あまりにかわいそうですよ。頑張っている自分を是非応援してあげましょう。では明日も元気にいきましょう!
2004年09月16日
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なんだかとっても仕事が忙しくなってきた。忙しい=儲かる ということではないんだが、先月から問い合わせやお客様からの相談が増えて、なんか運が回ってきた感じです。よびりん学校のせい?確かに「半分の法則」は効いた。この楽天日記も始めてから何かしら見えてきたものもあるし。人との出会いによるいろんな気付きもあって、仕事においても売上げに一喜一憂する前に、少しばかり肩の力を抜いて生きることにした。まず自分が、他人にできることを最大限に考え、明るく与えることに徹していれば日常においても、なにかいい雰囲気に包まれてくるものだ。そしてこの方が自分でも楽である。本来結構楽天的だから、どん底を踏んでいるときも、まあなんとかなるといった気持ちでいる。とはいっても、無理やりそのように気持ちを仕向けることが多いのだけれど。要するに、処された状況を脱して好転させるには、自らの気持ちのコントロールしかないのである。まあ、根っからの性格と様々な体験から、身についてできるこの部分が生きる上で、少しばかり幸いしているかもしれない。営業の上でも、不動産の問い合わせのお客様の営業フォローをするなかで、結局取引に至らなくても、その方がとてもいい人であったなら、成約できずとも、その出会いになんか得した気分で満足するのである。ただこればっかりではいかん。しょせん経営も生き方も自己満足の世界で、その分だけ家族にも迷惑をかけてきたけれども・・しかし、どの様な状況下でもいつも明るく前向きだった自分には褒めてやりたい。人それぞれには、いろんな苦難があるだろうけれど、悲しい・つらい・苦しい・・と言えるうちはまだまだ大丈夫。本当の悲しみ、つらさというのは、時に涙さえでないこともあるのだ。ときに、声なくしてうずくまる肉体的なひどい痛みと同じで、ときには嗚咽にも似た、言いようのない地の底から吐き出すようのない精神の苦しみもあるというものだ。しかしながら、人それぞれが真正面に捉えて生きてきた、各々の自分の道程というものの事実は、どの様なときにも心の奥底で開き直りにも似た生きる上でのまぎれもない支柱となって、いついかなるときも元気付けてくれるのだ。運は確かにあると思う。ただし、少なくともそれを捉えるためには、やはり、弛みない前向きで真摯な生き方を忘れずにおかなければならないだろう。ある言葉を引用する。・己こそ己の寄るべ、己を措きて誰に寄るべぞ、良く整えし己こそ、まこと得がたき寄るべなり。・自ら悪をなさば自ら汚れ、自ら悪をなさざれば自らが浄し、浄きも浄からざるも自らのことなり、他者に依って浄むることを得ず。詰まるところ自己確立しかないのだ。さあこれからまだ事務所で仕事。帰宅は夜中になりそう。日曜日はきっちり休みます。メリハリつけて。
2004年09月15日
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先日のアメリカン航空119便の二人が新婚旅行から帰ってきた。お土産はやはり本場”泡盛”だった。しかも5年もの。(5年ってほとんど普通?・・)朝出社した彼女に「おっ久し振り!」「居ない間大変だったんだから」「先日の台風でエアコン壊れて・・送風にしかならないのよ」「何でも基板が壊れて、部品入るまで事務所のなかサウナ状態。汗だらだらで仕事しとったんよ・・」119便の人。「まあまあ、南国雰囲気でよかったじゃないですか。私も沖縄南国でスキューバーダイビング楽しんできましたよ・・楽しかった~」(@_@;)なんやかで休み明けの会社は始まった。今日は帰ったら泡盛で一杯やるか。とりあえずお土産、置物でなくてよかったよかった・・
2004年09月14日
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よびりん学校(市川式社長学校in福岡)2期3回目に参加してきました。勉強会はいつも一応午後1時30分~4時30位です。その後質疑応答や雑談会があったりするのです。一応というのは、熱気ある勉強会なものですから、思わず延長になるのです(^^♪これがこの学校の真骨頂であります。私は30分前にはこの教室に着きます。その頃にはまだよびりんさんとsfpさんだけなのですが、授業開始前の雑談からすでに接近戦勉強会は始まっているわけで、要するにここでの延長戦までのすべての時間を有効に使えるということになります。私にとっては誠にお得な(笑)勉強会なのです。さてこの日は下記の内容でのお話1.人の差は「器の差」にほかならない。反省、感謝、報恩の心を持ち、触れ合う人々の喜びを我が喜びとして生きる人の器は、宇宙大の器である!・・etc2.経営(人生)計画書の作成基礎知識、作成ポイントいかなるときにも利益を確保するために、売上目標とともに、経費の無駄をなくすために突出した勘定科目からカット目標の設定をする。種々目標設定を突破することにより、社員さんへも還元。社員も納得の市川式報奨規定の作成方法等々(経費削減による利益分も半分は社員へ還元するというもので、今や、社員さんも自主的にカット目標設定をされているらしい。正に半分の法則)いつもながら完結明瞭な内容は、個人の人生にも当てはめてみるのも容易い。3.市川流ランチェスター法則について経営者には馴染みのランチェスター(弱者の戦略)法則。中小零細企業にとっては一番ピッタリくる経営戦略。しかしこれ簡単そうで結構奥が深く難解。実際にやってみようとすると、どれもこれも長続きさせるには個人の特性により困難なことも多い。市川式にかかるとこれもシンプルに取り組みやすくなる。守る(徳川家康型)創る(豊臣秀吉型)走る(織田信長型)のせめて一つ、できれば二つの特性を持ってあるいは伸ばし、不足は周囲から借りる。バランスを持つことが肝心・・少し長くなったが、市川式社長学校は伝えきれないほどの中身の濃い勉強会なのです。終了後、全員で楽しく居酒屋座談会。明るく会話が酒場に飛び交いました。その後地下鉄で、毎年50万人が訪れるという箱崎宮の秋祭り、方生会(ほうじょうや)へ行ってきました。よびりんさんはじめ、遅くまで一緒の皆さんに感謝です。-売る側と買う側との心が通ってこそ商売が成り立つ-忘れがちなこの言葉を改めて認識した日でもありました。 よびりん人生大学
2004年09月12日
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明日から三日間、当社の女性スタッフが新婚旅行休暇をとっている。7月に式を挙げたので遅ればせながらの新婚旅行である。昨年のいつ頃だったのか、いい人と交際していますと初めて聞いたのは。その後、傍で見るからにも楽しそうな日々は流れ、今年初めには二人して我が家にも来てくれた。楽しく酒を酌み交わしながらウン、ウンとうなずく私。相手もいい奴で良かった 良かった。・・しかしこの二人底なしの酒好きだな・・と感心しながらも、いいカップルではないかと、こちらの気持ちも昂揚して気付くと周りは缶ビールの山。ほろ酔いながらも・・しかしこいつら、とどまるところをしらんな・・と改めて感心する。その後、順調に過ぎて、都合により式が後になったがめでたく7月に挙式。私も一応スピーチをしたが、私の友人もかけつけ祝いの獅子舞をしてくれるなど、二人の友人も大勢の、賑やかでとてもハッピーな結婚式だった。しかし、当人達が遠慮なく飲みっぱなしの挙式なんて見たこと無い。まあいいか、皆がハッピーであればと、ここでも妙に納得。明日は福岡空港から8時過ぎの便で沖縄に行くと言っていた。「俺は何時までに集合したらよい?」と冗談言ったら「8時30分発のアメリカン航空、119便です」と訳解らぬことをぬかしていた。私の見る限り、一般より1.5倍以上の業務遂行能力あるスタッフだから欠けると大変だが、その点はきちっと今日も遅くまで責任果たして、「じゃ行って来ます」と、私にもきっちり仕事の言い置きして帰っていった。帰り際にBOSSは少しばかりかっこよく、「ゆっくり楽しんでこいよ」と封筒に入れた寸志を渡してあげた。「土産、泡盛でいいですか?ちょっと重たいけど・・」と言いながら元気よく帰っていった。まあ、二人で楽しんでおいで、置物の土産だけはやめといてね。
2004年09月10日
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台風後、忙しくて書けておりません。台風の事後処理ってことはないのですが、動けなかった分、仕事溜まってしまいました。相談ごとも増えたりして。昨日は10時過ぎ。本日も帰りはその時間帯になりそうです。合間見て発信。皆さんの日記は見ていますよ。午後7時前。ほっと一息。しかし、今度の台風はすごかったですね。当社が管理している分譲マンションの一室でも、ベランダの溜まった雨水が排水溝の排水許容量を超え、どこからか共用部分を伝って室内に流れ込むトラブルがありました。もともと口径が小さいのと、マンション自体に隠れた亀裂箇所があるようで、これまでも何度か漏水トラブルがありました。どうもベランダの継ぎ目付近からのようです。これまでも窓側のクロスが時々湿気ていたことがありました。ひどいときは流れ込んだ水がじわっと各部屋まで到達し天井のクロスが水を含むほどになるのです。当社は転居された所有者から一室を預かっているわけですが、その都度マンション全体の管理会社と専門工事会社と調査し予測部分を補修をするのですが、結局決定的な原因特定はできませんでした。そのご時々同様の状態が発生していました。そのようななか、2年ほど前に全面的な外壁塗り替え工事の際に、この漏水の原因が外壁打継目シーリングの劣化及び当該部屋の上階のベランダ床からの水の侵入が考えられるということで、外壁目地シーリング打替とベランダ床塗膜防水工事も併せてすることにしました。ほぼそれで改善はされたようです。その後、別に問題は発生しませんでした。前回の台風でもそうでしたが、今回あまりに強い風雨だったゆえかもしれませんし別の原因があるのかもしれません。いずれにしても今回の発生原因は調査しなければなりません。このマンションの土地には、昭和48年に地上権設定がしてあります。地上権者は当時の日本国有鉄道。つまりこのマンションの地下には新幹線の坑道が走っていることになるのです。原因はひょっとしたらこのあたりにあるのかもしれませんね。マンションは、年数は経っていますが、閑静な人気地区にあり、100平米近くもある広いものですから、これまでも法人やそれなりの方に満足して借りていただいています。現在の借主様も、今回のトラブルは初めてで、ありがたいことに鷹揚に受け止めていただきました。所有物でなくて賃貸という気楽さもあるのでしょうが。しかし、結構高い賃料をいただいております。これからも快適に過ごしていただくために早めの対応をしなければなりませんが、共用部分からの被害ということで、管理組合を交えての対処ということになりましょう。
2004年09月09日
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昨日の台風ではいたるところで停電なりました。近郊の町では昼過ぎから停電で、復旧が夜中になったところも。その被害にあった地区に夕方からずっと電話(固定)するんですが当然通じません。しかも携帯電話も、状態が悪かったのか一時的に利用が集中し込み合っていたのかはさだかではないのですが、何度かけてもかからず、結局相手に11時近くまで連絡をとることができませんでした。その間、原因と状況を確認すべく、NTTの担当部署の電話番号を調べようとハローページを見ますが、的を得た番号はわからず、とらえずいくつかそれらしき三桁番号をダイヤルしました。しかしこれが時間外でコンピューターによる自動応答メッセージ。「只今は営業時間外となっております・・」パソコンで調べても緊急時や災害時における相談など全くどこにも書いていない。やむなく唯一人間と会話できる104へTELしました。「ええ、そのお尋ねだったら○○○番へ電話されたらどうでしょう・・」「今したところですが、時間外とのメッセージでしたよ」と私。「いえそのメッセージを最期までお聞きいただきますと、・・緊急の場合は・・と緊急案内先の電話番号を教えてくれます」?もっと親切な非常時のダイレクトな案内方法はないのかいな!と思いながら、じぶしぶ再度○○○へTELしました。このようなときには、よけいにのんびりとした口調に聞こえるメッセージを辛抱強く聞きおわり、指示どおり緊急時の番号をワンクリック。するとようやくその部署と思われるとこへの呼び出し音が。しかしここも込み合っているのか、担当者がどこかに行っているのかいくら待てど、一向に出る気配はありません。待ちきれず一旦電話を切、しばらくして再度かけ直し。また最初から同じメッセージと同じ時間を費やさなければなりません。しかしたどり着くとまた相手の出る気配はありません。携帯電話(これはNTT系ではありません)もどこに問い合わせたらいいものかもわかりません。九州電力も・・最近は、人件費削減の上かもしれませんが、応対ももコンピューター化が進みむあまり、本当の顧客に向いたサービスというものがないがしろにされつつあるように感じます。このような関連のHPサイトを見ても、意図的にか本社や営業所のTELが掲載されていないとこも多いようです。はなからクレームは一切会社では受け付けない節があります。この台風のような被災時においては、刻々と変わる状況をnetなりで知らしめるべきではないでしょうか。それが消費者へ向けた真の親切というものです。ロボットが会社の受付をする時代ですが、人の温もりのある対応は不可欠では?最近、決して削ってはいけない部分が削られていく傾向にあるように思えて残念です。
2004年09月08日
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11時現在、すごい突風と雨。東から西へと横殴りに暴れまくっております。車はまるで洗車機のなか状態。自宅待機していますが、マンションはドドンと打ちつける風に地響きのような音をたてております。夕方からは打ち合わせがあり、それまでに収束することを祈りながら・・皆さん大丈夫ですか?
2004年09月07日
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先日の台風が通過してホッとするまもなく、またしても接近。先日より大型らしいので、くれぐれも皆さん気をつけて。先ほど来た、知り合いからのメールのなかにあったものを転載します。あなたが空しく生きた今日は、 昨日死んでいった者が、 あれほど生きたいと願った明日。 趙昌仁著「カシコギ」より韓国の小説の一文らしいです。心に染み入る言葉ですね。
2004年09月06日
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福岡県糸島郡志摩町に行ってきました。ここは福岡県と佐賀県の県境に位置する糸島半島です。妻と二人で久し振りの休日ドライブということになりました。何故糸島へ、といいますと、「人生はアドベンチャーだ」の楽天日記でお馴染みの栢野克己さんの日記によく登場するのです。栢野さんが、休日に家族とよくいかれるドライブコースがこの糸島。そして、その道すがらにある人気の「牧のうどん」。車で1時間程の距離にあるし、近々是非行きたいと思っていました。そしてつい最近、この楽天により知った、この半島の小高い山にある「ギャラリィ陶翠苑」という、全国各地の作家の作品を展示販売しているお店に行って見たいと思ったのがきっかけでこの日となったのです。九州自動車道で福岡インターを降り、すぐに都市高速入り口に入る。そのまま最終ランプで降りれば早いのですが、先にチョッと途中で高速を降り、よびりんさんの会社「日本ガードサービス」の前を通り一般道を西へ向かう。昼前に目的の「ギャラリィ陶翠苑」に到着。山の中腹にそのお店はありました。木の香りの漂うまだ新しい建物の玄関を覗くと、二階から声が。その声に呼ばれ、これまた全てが木の造りでほどこされた階段を上がると、そこには素敵な空間がありました。窓からの景色も良く、一枚板のテーブルや竹をあしらった調度品、さりげなく置かれた陶器類。まだ若い店主とそのお母さんらしき人との素朴な会話のなかにこの空間がとても合い、心地よさに包まれました。メインはここの1階に展示してある、陶器、布、織物など、各地の作家の作品の販売。以前は福岡市内でされていたとか。わざわざ遠くからここまで来られたお客様の要望により、まず喫茶を始め、つい最近食事まで出すようにしたとのこと。我々は一番の眺望を確保した、分厚い一枚板のテーブル席に座り、早速、角煮めしと梅そばを注文。品はとても素敵な器にのって出されました。これもまた作品です。美味しい、そしてとってもリーズナブルな料理を食して、しばし満足。帰りには1階の展示場で、お茶碗を買ってそのお店を後にしました。帰りは海岸沿いを行くことに。二見海岸は渚の景勝地としても有名とか。この日も夏を過ぎたとはいえ、多くの人々達が憩いを求めてやって来ていました。有名な夫婦岩をのんびり眺めながら、私は9月の午後の海岸でゆっくりと穏やかな時を漂っていました。 ギャラリー陶翠苑さん
2004年09月05日
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本日は夕方から8月1日のこの日記「久し振りの休日」に出てくる、私行きつけのカリスマ床屋へ行くことに。一応念のため、4時半頃には行くからとTELはいれておいた。約30分かけて着くと、運悪くそこには今来たばかりと思われる先客が散髪中。「next2090さん。ちょっと時間かかるけど・・」「いいよ今日はもう自宅にかえるだけだから・・」せいぜい1時間~1時間半位だろうと、とりあえず持参の本でも読みながら待つことに。注意:今日は変わった事件は起こりません。持参の本は「図解で作るホームページ活用術」久恒啓一著読み始めたばかりですがちょっといい文の紹介。-自己認識ツール 自己表現ツール-「自己表現を上手にできるかどうかは人生に決定的な影響を与えます。この自己表現という言葉は、自己と表現の二つから成り立っています。自己を深く見つめる、自己を確立する、自己を知る、など自分を深く掘り下げていくという作業と、その自己を社会に向かってさまざまな形で表現していく作業です。・・自分のHPを作って感じたことがあります。毎日何回も自分の姿を見ることによって、自分を強く意識することになったり、自分を変化させようという意識が湧いてきたりすることに気がつきました。この感覚は、鏡に映る自分の姿を頻繁に眺めていることに通じます。また、自分の頭の中や、毎日の活動を客観的な形で見ることができることから、どのように表現すれば他の人に伝わるか、わかってもらえるかを強く意識するようになりました。他人の目がだんだん自分にも備わってくるということでしょうか。・・自分のHPを見ていると、まるで自分の脳の中を見ているような気がします。自分がやっていることや表現したいと思っていることの全体像が見えるからです。スランプに陥ったり、うまくことが運ばないときには、自分が過去にやってきたことを認めて自己肯定すると力が湧いてくるものですが、このHPはまさにそういう時に効果的です。・・」抜粋文ところで私の散髪はというと、先客の“こりにこったセット”によって待たされること2時間半。まあ、ここに来るときは織り込み済の、しかも私にとっては贅沢な時間なのですからいいんですが・・
2004年09月04日
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昨日の「とんだ勘違いpart1.2」は巷でとても受けたようです。いつかpart3があるかもしれません。私は硬軟両方の性格があるため、ときどきいたずらの虫が騒ぐと、ハチャメチャ日記を書くことがあります。その点ご了承ください。昨日も日記を見ている友人が、もっと弾けたほうがいいよ。と応援してくれたものですからつい。まあ、楽しいときも悲しいときも、皆、真実の人生の波間を精一杯、誠実に泳ぎきりましょう。さて本日もちょっと変なお話。かれこれ10年以上も前の事です。当時勤めていた会社の社内旅行で北海道に行った、その復路の飛行機の機内での出来事。出来事ってことでもないんですが、私には大いなる出来事でした。楽しい旅行の思い出を残し、機上の人となった私の席は、丁度真ん中辺りでした。福岡への数時間は、札幌、富良野と、北の大地での思い出とともにリラックスした束の間の時となるはずでした。やがて飛び立ったジャンボ機はその機体を水平飛行に安定させました。サインとアナウンスとともに私は腰のベルトを緩め、さあゆっくりこれから窓外の雲の間に見える地上下の景色でも眺めようか・・と思った矢先?いや今一度考えてみるといつだったのか。しばらく乗客に対して機内サービスをした後の休憩のときか。否そんなことはない。やはり離着陸の間なのか・・もう確実に思い出せもしないほど私はパニクっていたのだ。いつどのような時だったのか、それは今となってはどうでもいいこと。事実だったのは、あの非常に長いとても窮屈な時間が私に襲い掛かった。私の憧れの美しきスッチーは、そのとき広々とした機の真ん中のスペースの椅子に腰掛けたのだ。しかもこちら向きで向かい合わせ状態で私の真正面。そうだここはひょっとしたら乗務員の退避場所?しかも、しかもなんと二人だ。当然、にこやかにこちらを見て笑みを目一杯よこしている。仕事とはいえ、寸分の隙もない完璧なANAの微笑み。(^。^)(^。^)かくいう私は(*_*)(*_*)スチュワーデスといえばスッチー。スッチーといえばスチュワーデス。私としては憧れの憧れ。飛行機に乗るときは、必ず、いつもの平静を装い、何気ない顔して、その美しい方達をチラッと見やるのが楽しみ。あのカチッとした格好がたまらなく好きなのだ。しかし、今回はまいった!まさかのまさか 先ほどまで機内の真中に陣取って、そこだけ広いスペースがあるものだから、足投げ出して、いい気分だったのに。・・心臓もうバクバク。目線をどこに持っていったらよいやら。たまらず一旦目をつむる。しばらくしてそ~っと目を開けてみる。(^o^)丿(^o^)丿あ~っ!目の前の二人のスッチーは、やはりまだANAスマイルでいる!彼女たちは絶対よそ見をしないんだ。まっすぐ微笑返しが訓練されているのだ。このスマイルに終わりはない。もうたまらん。息が止まりそう。心拍停止寸前!頭のなかはダッチロール状態でふらふら。仕方なくまた硬く目をつむる。しかし、つむった私の瞼の奥で眼球がグルグル回っている。冷静に冷静にと思うのと裏腹に動作がぎごちなくなっていくのが自分でもわかる。もうここから飛び降りたい気分・・それはなが~い なが~い時間でした。飛行機を降りたときは汗びっしょり。脱力感でくたくた。皆さんはこんな経験ないですか?あるわけないですね。あったらもうけもの。即話し掛けますよね。もしこれが前に叶姉妹だったら・・おそらくその場で気絶していたかもしれない。その後、搭乗時における私は必ずまず一番に自分の席に注意するよう心がけています。しかし、相変わらずスッチーは好きです。平静を装い、チラッと見ながら満足しております。3日間くだらないお話をしましたので、明日からまた本来の自分に。いえいえどちらも同じ自分です。
2004年09月03日
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(part1の続きです。)あくる日のことです。朝一番にけたたましく会社の電話が鳴り、事務員さんから引き継いだ電話の向こうでいきなり「こりゃ~あっ!おんどりゃ、なにしとんじゃ!わしの家に!」「・・・(@_@;)×▲♯・・」「どうなるかわかろうの~!」※字を大きくしたり色をつけたりは面倒なので最初の文字をイメージしてください。あきらかにその筋のお方。いや~っもう参りました。あちゃ~っ。やってしまったかな。もう冷や汗。相手は今にも受話器が真っ二つに裂けてしまいそうな剣幕でまくし立てています。事務所の私が電話を取っているその近くには、例の部下達もいます。皆がいなければもう私は「すみませ~ん!!」と即、平身低頭で謝っていたことでしょう。しかし、そのような状態でも、一応平静を装い、「えっ?どういうことでしょうか?私は地主さんに何度も確認の上でしております。おかしいですね・・」内心は”えらいこっちゃ、どうしょうどうしょう(@_@;)。「うるさいごちゃごちゃいうな!はよ来んかい! わかっちょるんか!」もう収拾つかない状態です。私、相変わらず一応ドキドキしながらも平静振りで「しょうがない、一旦撤去するか」早速部下に命じ、先に看板は撤去することにしました。もう泣きたい気分。ど~んと落ち込みました。しかし、これからが大変。逃げることはできません。私は覚悟をきめ、一人で菓子箱持ってそのお宅に出向いたのです。玄関を入るとその筋のお方は、上がりかまちの所で仁王立ちで待っていました。そこでの状況はとても生きた心地がしませんでした。さっきの(@_@;)の何倍もの感じでした。とても長く感じました。運良く 本当によく許してくれたなって感じでした。無事生還いたしました。しかしあの時の地主さんの言葉を鵜呑みにした私の不覚。考えてみれば地主さんとの会話は酒の席でした。酒の席での会話に要注意。その事件の話をしたらその地主さん「あっそうだった?申し訳なかったね」その後、こんな勘違いはしておりません。何事も確認が大事というお話でした。
2004年09月02日
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随分前のお話です。私がこの業界に入り、売買実務経験を積み始めて間もない頃でした。ある地主さんから自社地を駐車場にするから、お宅で管理の看板をあげて募集をして欲しいとの依頼を受けたのです。数日中に私は、看板設置のため、入社したばかりの若手社員を引き連れ現地に行きました。現地のその土地は、スペース上、立て看板にすることはできず、土地を囲んだ境界線上のブロック塀に取り付けることになりました。新たな管理物件の取得ということで、意気揚々に現地に着いた私は、部下とともに早速取り付けに掛かりました。幅90センチ縦60センチの小振りの木枠のトタン看板を、ブロックにちょいと補助穴をドリルで開け、コンクリートブロック用の釘で四隅を打ちつけて固定するのです。ドリルで穴を開け、そして後輩に支えてもらった看板にハンマーの様な大き目の金槌でどんどこ音を立ててやっておりました。さすがにブロック塀は揺らいでおりました。その内、その壁隣のお家から奥さんらしき方が出てこられました。その方はものすごい形相で、「あんたら何ばしょっと!それうちの塀やろっ!はよやめ!」えっ?今の状況、何がなんだわかりません。私、「奥さん、これ地主さんの塀ですよ。先日きちっと私、確認しましたから」「誰がそんなこと言ったんね。たいがいにせんと!」看板は2箇所の釘の打ち込みが終わり、3箇所目の半ほどまで釘は食い込んでおりました。今更抜くのも大変です。ちらっと、あの時の地主さんとの会話を思い起こしてみました。・・いや間違いありません。「ブロックは全部うちのものだからどこでも構わんよ・・」再度、胸の内で確信した私は「いや奥さん間違いありません」そして作業続行。「あんたらどうなってもしらんけね!」・・現地にはぴかぴかの”月極駐車場”の文字が。無事作業完了した私達は、汗を拭き拭き帰路につきました。それから事件は起こりました。
2004年09月01日
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