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先日、注文しておいたオラクルカードが新たに数セット届きました。オラクルカードは、これまでも、自分の楽しみのために毎日使っていましたが、これから、キネシオロジーのセッションでも使用していこうと思い、そのためには、カードの種類が多くないと出来ないのでいろいろと取り揃えている最中です。オラクルカードには、エンジェルのカードやドルフィンカード、アトランティスカード、女神のカードマヤンオラクルなど、様々なものがあります。筋反射を使ってカードを選ぶと、信じられないほど、その人にとって必要なメッセージのカードが選ばれます。少し前に、ロスの本間先生とメールでやり取りをする中で本間先生が新しくアドバンスコースを作られたとそのコースの内容を送ってきてくださったのですがクラニアル頭蓋骨調整や神経学、アレルギーの調整法などの他に『エンジェルカードによる調整』という項目がえ?本間先生がエンジェルカード?私のところに来られるのは、ほとんどが女性ですしスピリチュアルなことを受け入れる方たちも多いのでエンジェルカードも全く問題ないでしょうが、本間先生のカイロプラクティックの医院なんて、ほとんどは身体的な問題で来られる方が多いでしょうしエンジェルカードを使われているなんてとメールを差し上げたら、先生は「さすがにカイロプラクティックなので、エンジェルカードは看板には出してないけどね~。でも使うとかなり効果があるんですよ」とのこと。さすが、本間先生、このフレキシブルな姿勢好きだな~IH キネシオロジーでは、調整方法としては、オーラ調整やチャクラ調整、丹田などへのハンズオンヒーリングやまたは、タッチフォーヘルスのリンパ点での調整やフラワーエッセンスなどを使うのでエンジェルカードによる調整はしないのですが調整後のサポートとして、エンジェルカードが必要だと身体が示した場合に使用します。そうすると、さらに明確に身体からのメッセージを聴くことができるのです。(この日記をアップした後で、IHプラクティショナーの方から頂いたコメントでオラクルカードは、サポートだけではなく、調整にもインフォメーションとしても使えることがわかり、さらに使い方の幅が広がりました)さて、最近は、おさむと2人で、その日の朝、それぞれにとって、必要なカードを筋反射で選ぶことを始めました。昨日、おさむが筋反射で選んだオラクルカードは女神カードの中から「トランスフォーメーション」ここ最近の彼は、まさに大きな変容の時期ですし、ぴったりのメッセージ。そして、今日選んだカードも、それと関連するようにこれまでのネガティブな感情や思考をリリースすることで豊かさがもたらされるというメッセージのカードでした。そして、私の潜在意識が選んだオラクルカードはアトランティスカードの中から「FUN』笑い、遊び、純粋に楽しみなさい、というメッセージです。ふむ。確かに、最近遊びが少なかったかも少し前にも書きましたが、遊びとは、何かの目的のためではなく純粋に喜びを感じること。そういう意味では、最近、ただ純粋に遊ぶ時間が少なかったかもしれません。おさむともどこかに遊びに出かけるのも、最近、なかったような。まずは、日々の生活の中で、少しの時間でも遊びの時間を持とうと思います~
2010年07月31日
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インテグレイテッド キネシオロジーの感想を頂きました。了承を頂いたので、シェアいたします~ありがとうございます。先日はどうもありがとうございました。キネシオロジー、すごいですね。インナーチャイルドからのメッセージを聞いた時に、一瞬のうちに、そのメッセージを誰に言って欲しかったか、忘れていた状況を思い出して、胸がいっぱいになって、泣くしかありませんでした。今の私にとっては、取るに足らない遠い過去の出来事でも潜在意識にはずっと残っていて、癒されるのを待っていたなんて信じられないけど、それが現実に起こったので、茫然としてしまいました。結局、自分を癒しながら先に進みなさいということだったのかなと思います。バーバラ アンブレナン曰く「インナーチャイルドとは、子供時代に形成された意識のこと」この方は進路がテーマに選ばれたのですがセッションを進めていく中で、インナーチャイルドが関わっていることがわかりインナーチャイルドの癒しを行いました。癒されていないインナーチャイルドと、自分がやりたいことへとスムーズに進んでいけないことと、深く関係していたのですね。「今の私にとっては、取るに足らない遠い過去の出来事でも潜在意識にはずっと残っていて、癒されるのを待っていた」本当にその通りですね。癒されないで残っているものは、いつまでも、癒される時を待っています。そして、「もういいかげんに、ここにいることに気づいてよ~」そんな時それは、様々な上手くいかない問題や心身の症状として現われてくるのです。人の身体や心のしくみって、本当にすごいなあと日々感じています。さて、これまで、IHキネシオロジーを受けてくださった方の中で何人かコースのご要望があったのでIH キネシオロジーセッション10回コースを作ることにしました。(さきほど、筋肉反射テストで、身体に聴いて、料金も若干、設定し直しました)おさむも、今ちょうどセッションを10回受けたところですが毎回、ディープな内容で、いろんな気づきが起こっています。もともと、おさむは表面的には、それほど多くの問題がある人ではないのですが、IHキネシのセッションを行うと、実に多くの問題が、潜在意識の中から出てきます。「こんなことが自分の中にあったんだね~」そう驚くことばかり。このインテグレイテッド キネシオロジーを10回ほど受けると、潜在意識にある、かなりディープなことが手放されてきて、クリアになってくるのでこれからの人生を、より自分らしくクリエイトしていくことができるようになると感じています。これから、できるだけ多くの方に受けてほしいな毎日が感動の日々。こんな毎日を送ることができるなんて、本当にたくさんの方々に感謝ですBlessings
2010年07月30日
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最近、進路に関するセッションが、たまたま3回ほど続きました。自分にとって、どの進路がいいのかよくわからない、という方や、やりたいことがわかっていても、なかなかそこに進めないという方などいろいろですが、セッションを進めていくと、やはりそれがいろんな深い問題と関わっているのが判明することがよくあります。例えば、子供の頃に、ありのままの自分を認めてもらえなかった、などの想いが残っていたとすると知らず知らずのうちに周りの人に認めてもらうために、仕事を選んでいたり、または、いろんな本や人からの言葉に影響を受けて、自分の進路を決めてしまっていたりするケースです。自分の魂が本当に望んでいる方向ではなく他の人の評価を得るために決めてしまっているのですね。さて、昨日、行ったおさむへのセッションもそういったことに関連するものでした。今回のセッションも、感情チャートから選んでゆきました。おさむの潜在意識が選んだ(反応した)言葉は「責任を感じている」???おさむが責任を感じているって?何に対して?それで調べていってわかったのがおさむは、ギタリストとして責任を感じている、ということ。「あ~~なんかわかる気がする」とおさむは言います。彼は、いつも、オーディエンスの前で演奏する時に完全に自由になれず、何かの意識が働いて素晴らしい演奏をしなければならない、という責任を感じるのだそう。ということで、目標設定は「私は人前で、自由にギターを弾きます」この目標でオッケーだと身体からのサインが出たので、これでセッションを進めてゆくことになりました。そうして、調整の段階で見つかったのが以前、私のセッションでも出てきた「不要な誓い」誰に対して、おさむは誓っていたのかを調べると彼の父親に対してでした。彼の父は、素晴らしいジャズピアニストなのですがおさむが子供の頃から「おまえは、超一流のギタリストにならなければならないよ」と、おさむに言っていたそう。そして、おさむも、超一流のギタリストになる誓いを立てていたのです。なので、彼の中には「超一流のギタリストでなければならない」という責任の気持ちがいつも潜在意識の中にあったのですね。もちろん、おさむはその誓いがあったからこそボストン時代も、それからも、ひたすらギターの練習に明け暮れ修行してきたわけで、それはある時期までは、彼にとって必要だったのかもしれませんが、今となっては、もう、その誓いは不要のもの。あらゆる束縛から逃れて、自由にギターを演奏していくことがこれからの彼には必要なのです。こうして、今回、彼が若い頃に誓った、父親との誓いを解除しました。最近、なぜ、おさむがギターよりもサウンドヒーリングをやりたいと感じていたのかもよくわかります。彼にとってサウンドヒーリングは、そういう重荷が全くなかったからです。でも、ギターは天が彼に与えられた素晴らしいギフト。それをやめることなんて、できないのですから。「あ~おれは今から、本当に自由なんだ~」そうおさむがしみじみとつぶやいていました。こんなに長い年月を得て、ようやく彼はこれから完全に自由に、ギターを弾いていくことができるのだ。そう思うと私も何か胸が熱くなりました。その責任のような意識が、彼をどこかで苦しませていたのは私もまたどこかで感じていたからです。私たちは、本当に様々な人の言葉や本などの影響を受けてしまっているのですね。本来の自分が望んでいないもの、それらをすべて手放していくことが、本当に自分の人生を生きることになります。自分の魂が望むことだけをやってゆく。もともと私たちは誰もがみんなそう生きることができるのですから。
2010年07月29日
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今日は、レイキのレベル2のクラスでした。このところ、レイキのクラスが立て続けに入っていましたがやはり、レイキのクラスは、私にとっても、毎回のように、いろんな気づきや感動があります。もし、私が、レイキに出会わなかったら、きっとここまで来れなかったでしょう。いろんな意味で、レイキに出会えたことを感謝しています。そして、これからも、より多くの方たちが、レイキを通じてその恩恵を受けることができたらいいなあと。そして、一方で、もし私がレイキだけしかヒーリングをしなかったとしたらここまで来れなかっただろうなあとも感じています。IHキネシオロジーを学んでからというもの、私の中のどこかにいつもあった「私はヒーラーとして不十分だ」という意識を、ようやく手放したように感じます。心のどこかでずっと求めていたヒーリングと出会って、私はヒーラー、セラピストとして生きてゆくという覚悟みたいなものができました。もちろん、これまでもレイキマスターとして、できることは全力でやってきて、それについて不十分だったとは思いません。だからこそ、IHヒーリングに出会えた時に、私の中ですべてが統合されたのだろうなあと。レイキもタッチフォーヘルスもシャーマニズムもこれまでやってきたことのどれが欠けたとしてもこのIHキネシオロジーをここまで深く理解することはできなかったでしょうから。チャクラヒーリングやフラワーエッセンスもこのIHキネシオロジーの中で、より生かされてくるのがわかって本当に人生のすべてに無駄はないなあと感じます。そして、これからも、ヒーラーとしてやっていくためには、様々な方法で自分自身を浄化していくことが必要であることには間違いなさそうです。私の今の状況は、あらゆることが、すべて満たされていて問題を(頭で)考えても、何も出てこないわけですが潜在意識には、まだ様々なものが残っていることでしょう。もし、私がヒーラーとして生きていくのでないならば、もしかしてこれ以上ヒーリングを受ける必要ないと感じるのかもしれませんが、ヒーリングで生きていく以上は、さらなるヒーリングや浄化が必要。みかさんが「ヒーラーのレベルまでしが、(ヒーリングを受ける人も)行けない」と言われていましたが、全くその通りで、例えば、私自身のヒーリングレベルが10のうち6だとしたら、私のヒーリングを受ける方たちも、そのレベルまでしかヒーリングされないのです。ですから、私自身のためだけではなくここにヒーリングを受けに来てくださる方たちのためにも私の潜在意識の中に残っているあらゆる不必要なものを手放していくことは、これからもずっとやっていくことになるのでしょう。最近は、昨日の日記に書いたように、代理キネシオロジーのテクニックを使いおさむの身体を使って、私自身に対してキネシオロジーのセラピーを行っていくことができるようになったので、かなり便利?になりそうです。昨日も、私自身へのセッションを行ったのですが私にもネガティブなエネルギーコードがつながっているのがわかりましたそれは、かなり昔の彼との間のコードで、普段の意識では、思い出すこともないのですが時々、その彼が夢に出てくることがあったので「ああ、まだ私の中で何かが残っているのかなあ」と、漠然とは感じていました。昨日は、別のテーマでセッションをスタートしたのですが、セッションの過程で、そのエネルギーコードとの関連がわかり、そのコードを切断しました。たぶん、これからもう、彼が夢に出てくることはないでしょう。おもしろいことに、スキャンリストから(私の潜在意識が)選んだ言葉は「夢に感謝する」というメッセージそれにしても、おさむのエネルギーコードの問題が出てきた直後ですごいタイミングで私の問題が出てくるものだなあと。私にとっては、実に都合のよいタイミングだったのかも(もし、おさむにもその問題があったことがわからなければえ~のりこって、昔の彼と、今もそんなエネルギーコードでつながっていたんだ~とあまりいい気持ちにならなかったかもしれないし、ね私の潜在意識って、そこまで計算しているのかしら)そして、もちろん、レイキやキネシオロジーなど、自分でできるヒーリング以外にやはり、他の人からのヒーリングセッションはできる限り必要だなあと。これからも、いろんな方のセッションを受けてゆきたいなあと思います。さて、今日の夕方には、おさむが1時間のサウンドヒーリングをやってくれました。とても素晴らしいヒーリングでしたこれまでのゴングや笛の音とは、ちょっと違って音に主張が一切なくて、すべてに溶けてゆく感じ。音をしっかりと聴いているのに、音に意識をとらわれないのです。全身に電気がビリビリと流れるような感覚になったりいろんなビジョンが観えて、光の世界にいたり。おさむのサウンドヒーリングは毎回進化しているようです。これから、おさむはシャーマニックなサウンドヒーリングだけでなく天使のサウンドヒーリングなども行っていく予定でいます。エンジェルワークは、彼がいろんな場面でやってきたことなのでそれとサウンドヒーリングを結びつけることによってまた、新たなものが生まれてくるでしょう。エンジェル サウンドヒーリングについては、また今度アップしますね。さて、今夜はこれからまた、IHキネシオロジーのセッションに入ります~。
2010年07月28日
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今日は代理キネシのご報告です。代理キネシとは、病気で動けない人や、小さな子供やペットなどの代わりに代理となる人の筋肉を使って、筋肉反射テストを行い、セラピーを行う方法。これまで代理キネシのご要望は、ほとんどなかったこともあってまだ本格的な代理キネシオロジーのセッションは行っていなかったですが今後、そういう要望があった時のために、実験的に始めてみることにしました。今回は、私の問題を解決するために、おさむの身体を使って、行います。まず、おさむの身体(潜在意識)が私の代理を行うことを許可するのを確認した上で、セッションがスタート。セッションはすべて、おさむの身体を使い、進めてゆきます。まずは、ネガティブ感情チャートを使って私の潜在意識の中の感情に、何かネガティブなものはないかどうかを探してゆきます。それで見つかったのが「拘束されている、縛られている」という意味のimprisoned え?私が何かに拘束されている?ピンと来ず、私の潜在意識は誰に拘束されていると感じているのか調べてゆきます。最初に聞いてみたのは「おさむに拘束されている」これはやっぱりノーでした(おさむは私を拘束なんてしたことはないと思うので、イエスだったら驚くけど)そして、人に拘束されている、でも調べてみたらノー。ますますわからなくなって、思いつくまま調べていってわかったのが『私はコンピューターに拘束されている」でした最初は、毎日のようにこのブログをアップしているのでブログに拘束されているのかしら?と思ったらこれはノー。私の潜在意識が拘束されていると感じていたのは、「メール」でした。ああ、そうか~と深く納得。実は、一昨日、昨日と頂いたメールがとても多くてお返事を出すのに、かなり時間がかかっていて、まだ全部には出しきれていなかったのでした。これは、毎回、遠隔レイキの会の度のことなのですが遠隔のご参加のお知らせとともに、近況を知らせてくださったり質問のメールが、みなさんから一気に届くので、そのお返事のために、ずっとコンピューターの前に座っておくことになってしまいます。それで私の潜在意識は「拘束されている」と感じていたのですね。つい数日前には、このネガティブ感情チャートに私の潜在意識は一切反応しなかったので、時に、この日だったから、反応したのでしょう。もちろん、みなさんからこういった近況を知らせてくださるメールを頂くのはとてもありがたく、うれしいものなので、だからこそ、できる限り早くお返事を送りたいなあと毎回、遠隔の会の時には、何十件もメールを送ることになってしまっていました。そして、スキャンリストから選ばれた言葉は「心配」「他の人を傷つけることへの恐れ」でした。なるほど~(スキャンリストからの言葉は、ページ数と番号で選んでゆくので私もおさむも何の言葉が選ばれるのかわからない状態です)今回、この問題が上がってくるまでは自分では、そこまで潜在意識がストレスを感じているとは思っていなかったのですがあらためて、そのことをに気づきました。メールのお返事を出さない、または遅れてしまうことに対して、相手を傷つけてしまうんじゃないか?という恐れをどこかに持ってしまっていたのですね。さて、問題がはっきりしたところで、次に、目標設定を行うのですが最初は『コンピューターの時間を減らす」とか『メールから自由になる」かな?と思ったのですが身体はどれもノー、それらは、このセッションの目標ではないと言います。それで、最終的におさむの身体(この場合、私の潜在意識)がオッケーを出した目標設定が『私は自分の時間を大切にします」でした。これも納得。そして、調整の段階で、問題として上がってきたのは、電磁波による影響。わかりやすいなあ。ということで、身体が選んだヒーリング方法で調整を行い、(今回は、経絡での調整でした。これもおさむの身体の経絡にヒーリングを行います)その後は、私の身体は「拘束されている」の言葉に反応しなくなりました。今回のことは、相手が傷つくのを恐れて、結局、自分で自分を拘束していただけであって実際は、誰からも、拘束されていないのですからあくまでも自分自身の問題です。もし、これまで、いろいろと送ってくださった方もこれを読んで『私の送ったメールが、のりこさんに負担をかけている」なんて、どうかくれぐれも思わないでくださいね。私は本当にそれが喜びであって、うれしいのですから。そして、これからも近況や様々なことに関して、ぜひ送ってください。(お返事は遅れますが)もう調整してしまったので、全く負担にはならないでしょうから大丈夫。もちろん、これからも予約のメールや、レイキやキネシオロジーに関する質問のメールには、出来る限り、早くお返事をしようと思いますが特にすぐにお返事が必要ではなさそうなものに関しては、時間の余裕がある時にお返事を出すようにしようと思います。(もしかすると、そのままお返事を出すのを忘れてしまうかもしれないけれど)←必要な人はリマインドして~これも無条件の自己愛のレッスンかなあ、なんて思っています。(レイジーなことへの言い訳に聞こえるかしらん)こうして、セッションが終了した後は、おさむの身体をあらゆる次元で完全におさむの身体に戻るように設定し直します。今回、ヒーリングを行うのもおさむの身体の上に行いましたし完全に私の代理としての機能は果たしていました。でも、これは、私がおさむの筋肉反射テストを行いながらですのでこれができることは、最初から明白でこれまでも、私の中の問題を調べるだけなら、いつも、おさむの筋肉を使って調べてきました。(必要な時には、いつも、おさむに『ちょっと身体貸して~』と調べています)なので、次回は,第3者を使ってのセッション特に遠隔での代理キネシオロジーのテストを行ってみたいと思っています。(第3者が、代理の人の身体に触れている状態だとテストができることは、本間先生のゼミでも確認していますので)つまり、おさむの身体を使って、第3者の問題を調べセラピーを行い、それが本当にその方の問題を解決したかどうか実際に、その後で、その方の身体を使ってテストして確認するというやり方です。この場合、問題となるのは、おさむの潜在意識が私以外の人に関しても、代理になることを許可するか?ということ。親子間や夫婦間や愛するペットなどだったら、比較的、簡単に許可は取れるものですが他人に対しても、許可してくれるかどうか。もちろん、IHキネシオロジーの代理テストでは、いくら、その人の潜在意識が、例えば子供やペットの代理になることを許可したとしても、その子供やペットが、その人の身体を使ってセラピーをしてもいいかどうか?の許可を与えなければ、進めることはできません。(ペットの許可も取れるのですよね~)遠隔でのキネシオロジーが確実となれば子供やペットを連れて来れなくてもセッションができますし、また、その方自身がセッションを受けるのも、おさむの筋肉を使えばいいので病気で動けない場合など、遠隔キネシオロジーのセッションが受けることができます。(たぶん、それでも最低一度はお会いする必要はありそうですが)これは、何度かやってみて、確実にできるとわかるようになってからですがそうなれば、もっと広がるなあと感じています。
2010年07月27日
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さて、今日もまたおさむのセッション記録です~これもブログに全部書いちゃっていいの?という私に、おさむはいいよ~とあっさり答えてくれるのでお言葉に甘えて、包み隠さず書いちゃいます~今回も、潜在意識に潜んでいる問題探しからスタートしました。おさむの身体が反応したのは、スピリチュアルのカテゴリーの中でエネルギーというワード。一体、何のエネルギー?といろいろ調べていったら21歳の時の女性関係、ということが浮上してきました。どうやらおさむも、その件に関して、しっかり思い当たる節があるようです調べてみると、ネガティブなエネルギーコードの問題でした。エネルギーコードは、昔の恋人やパートナーだけでなく親子でも、友人でも、知り合いからでもつながります。例えば、親が子供を心配するあまりに、子供が大人になってもそのエネルギーの影響を受けて、なかなか自分の思い通りに進んでゆけなかったり他に、マチルダが言っていたのは、ある素敵な女性が周りの男性たちからの強烈な憧れの気持ちによって、エネルギーコードから、ネガティブなエネルギーの影響を受けていたケースなど。エネルギーコードの切断は、その人との縁を断ち切るということではなくその人とつながっているエネルギーコードのネガティブな影響のみを除去するということです。おさむの場合は、21歳の時につきあっていた人との関係が適切な形で終わっていなかったそうで、その時のエネルギーが今でも、おさむにエネルギー的に影響を与えているということになります。それにしても、もう18年も前の関係であっても、いまだにこんな風に影響を及ぼしていることもあるのですね。本来ならば、こういう問題に関するセッションは、夫婦間でやらない方がベストなのかもしれませんでがでも、今回、おさむの身体がこの問題をテーマにあげてきたということは私がセッションをやってもオッケーだということでしょうから構わずセッションを進めてゆきました。こういう問題が出てくるのも、彼の潜在意識が私を信頼してくれているからだろうなあと。私はセッションをやっている間は、おさむに対してでも完全にセラピストという立場で行っているので例えば、おさむの潜在意識の中に私への不満みたいな感情があるのがわかったとしても平気ですしむしろ、それを調整することは2人にとって大切だと感じます。さて、ネガティブなエネルギーコードを切断する時に大切なことは切断することによって、相手にも何らかの影響を及ぼすことになることがあるので、その相手に赦しと愛と祝福を送るということ。実は、このエネルギーコードの切断は、私はキネシオロジーを学ぶずっと前に自分で行ったことがあります。ある人からのエネルギーを受けていると感じたので行ったのですが(たぶん、その相手は無意識にそういうエネルギーを送っていて、意識の上ではわかっていないと思うのですが)その時はこういうテクニックを知らなかったし切られた相手に対する赦しや祝福のエネルギーも送らなかったこともあって切断した後すぐに、ちょっとした出来事がありました。その時に、ただ単に切断してはいけなかったのだなあと感じていたので、このことの大切さがよくわかります。こうして、無事、おさむのエネルギーコードは切断され最初に目標として設定した「自分のエネルギーをクリーンな状態にする」ことができました。毎回、何が飛び出してくるやらIHキネシを学んでから、毎回のようにディープなセッションになっています。おさむに限らず、最近、キネシオロジーのセッションに来てくださっている方たちの中にも今、起こっている問題が、意外なところに問題があったり根が深いところに原因があることがわかるケースが多いです。さて、今夜は満月今日、ある方からお知らせを頂くまで、すっかり忘れてしまっていましたが、今日はマヤ暦の大晦日「時間をはずした日」でしたね~。そして、今夜11時からの遠隔レイキの会。ボストン、マサチューセッツと出かけていたので、2回続けて遠隔レイキの会をお休みしたので、随分久しぶりの感じがして楽しみです。みなさま、どうぞ素敵な満月の夜を☆
2010年07月25日
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話が前後しましたが、ボストン郊外で行われたインテグレイテッド キネシオロジーのクラスの報告です。クラスの3日目。この日、マチルダが自分に自信を持つこと、自分を愛することができていることは全ての基本だと言ってそれに対するワークをすることになりました。それで、最初に筋肉反射テストで、それらの問題が潜在意識にあるかどうか調べてゆくのですが私は自分に自信を持つことも、自分を愛することも問題なしと出ます。そこに、マチルダがやってきて「それじゃあ無条件の自己愛」で調べてみたら?と言うのでテストしてみたら、見事に身体の反応がありました。自分を愛することはできていたつもりだったのですが無条件に自分を愛することは、まだできていなかったのだなあと。つまり、今の自分を愛することができていたのはあくまでも、条件つきな愛であってもしも、様々な条件が変わってくれば、その愛は揺らいでくる可能性があったわけです。例え、自分がどんな失敗をしても、全くだめな自分であっても誰にも認められなかったとしても、自分自身を愛する。これが本当にできたなら、他人からの評価を全く気にすることもないし自分自身が知らず知らずのうちに作り上げている「理想の自分」にとらわれることなく、ありのままでいることができます。これまで私のところにキネシオロジーのセッションに来られ方の中で、「自分を愛する」というテーマで来られた方がいましたが「無条件に」愛する必要があったことにあらためて気づきました。今回、私の潜在意識を「無条件の自己愛」で調整した後いろんな場面で、意識が少し変わったのを感じています。もちろん、今、自分ができることに全力を尽くすという根本的な姿勢は変わらないけれど例え、そうできない自分がいたとしてもそれでいいそう感じるので、以前よりもさらに楽な感じ♪まだ私の中に残っていた完璧主義の傾向が、なくなったように感じます。(さらにいいかげんな人間になりました~)そして、クラスの4日目に行ったのが、インナーチャイルドの癒しでした。私達の多くは、癒されていないインナーチャイルドを抱えていてそれはいろんなところに影響を及ぼしています。IHキネシオロジーでは、何かのテーマにそってセッションを行っていく過程でインナーチャイルドを癒すことが必要、と出た時だけインナーチャイルドの癒しは行うので最初からインナーチャイルドの癒しを目的としたセッションは行わないのですがこの日のクラスでは、とりあえず練習のために、参加者みんながインナーチャイルドの癒しについてのセッションを行いました。私はカイロプラクティック医院を経営している男性の人と組んで行いました。セッションの過程でインナーチャイルドが聴きたかった言葉というのを筋肉反射によって、身体が選ぶのですが私のインナーチャイルドが聴きたかった言葉は「あなたはすごく特別な存在だよ」という言葉でした。なるほどな~と深く納得する言葉でした。私は小学校の頃から、音楽や絵が大好きで学校や市のコンクールで賞を取ったりすることも多かったのですがそのたびに私の両親は「これは、あなたが努力したからもらうことができた賞なのよ。あなたに絵や音楽の才能があるということではないの。こんな芸術的センスのない私たちから芸術の才能がある子ができるわけはないのだから」と言うのでした。これは、大人になってから、彼らは私の謙虚さを養う意味でそう言っていたのだろう、と思っていたのですがそうではなかったことに後から気づきました。「絵や音楽なんかでは生活はできない。自分は才能がある、なんて間違った考えを持って、そういう方向に行って、将来生活できなくなったら困る」という恐れと、自分たちが「この子はこういう才能がある」などと間違った期待をしてそれを後から裏切られることへの恐れからでした。(本当は才能を認めることに間違いも正しいもないのですが)20代前半になって「才能があろうがなかろうが、私は自分がやりたいと感じることをやってゆく」そう思い始めて、音楽も絵も感じるままにやっていたのですがこの「結局、私には才能はないのだ」という感覚、いわゆるコンプレックスを完全に取り除くまでには、それから10年以上の年月がかかりました。今では、私にしかできない絵や音楽やヒーリングがあることを知っていますしそういう意味でスペシャルだと思っていますがだからといって、私だけがスペシャルだということではなくすべての人が、みんなスペシャルな存在であることが本当によくわかります。だから、子供に「あなたは特別な存在だよ」と伝えることで謙虚さが失われることはけしてないしその子のスペシャルな部分をのばすことになってゆくのだなあと。私とパートナーを組んだ男性も、彼のインナーチャイルドが聴きたかった言葉として同じ文を選んだのは、シンクロでしたし、子供は、いえ例え大人であっても本当はみんな、自分は特別な存在なのだという言葉を聴きたいのだなあとあらためて感じました。そして、セッションの最後には私のインナーチャイルドから私へのメッセージをを聴くのですがそれは「人とのつきあい方に、自分で制限を課してもいいんだよ」でした。これも深く納得。最近では、自分の心地よくないと感じる人とのつきあいはほとんどなくなりましたが、昔っから、来るもの拒まず、去るもの追わずの人で自分自身で制限することは、あまりない人でしたから。もちろん制限する必要があるのは、ヒーリングやセラピーの場のことではなくプライベートの時間でのことです。例えば、古くからの友人で、その人が根本的には好きで、とても信頼していたとしても、人生の流れの中では、お互いが持っている感覚、エネルギーが合わなくなってきたりすることがよくあります。セッションに来られる方の中でも、こういう問題を持っている方は実に多くて「その私の友人は、とてもいい人であることはよくわかっているのだけれどその人のネガティブな考え方をそばで聞いていると、いつもだんだん苦しくなってくるのです」という話をよく聞きます。その友人が悪い人ではないことがよくわかるだけに心優しい人であればあるほど、その関係を制限できずにいてしまうのですね。もちろん、今の自分と合わないと感じる人たちに対しても慈愛の気持ちを持つことは、とても大切なことだと感じますがだからといって、その人たちとつきあいを続けていく必要はどこにもなく一緒にいて心地よい人、楽しい気分になる人、勇気が湧いてくる人お互いによい影響を与え合うことができる人と、つきあっていくことは何よりも大事。心地よくないとどこかで感じているのにそういう人たちとつきあうことは、自分自身を大切にしていることにはなりませんから。自分自身を大切にできなければ、結局、人に対しても大切にできなくなります。「自分を犠牲にしている」とその人が心のどこかで感じているならばそれは相手に対しても、けしてよいことになりません。慈愛を持って、そのつきあい方を制限することが大切だなあと。(念のため、誤解のないように書いておきますが、これは信頼する友人が今、辛い状況にあっても、その話を聴くことがよくないとかポジティブなことだけを言う人とつきあえということではありません。お互い本気で話ができなければ、それはけして友人とは言えませんから)自分の中の癒されていないインナーチャイルドを癒すことは自分自身を無条件に愛することにつながってくるなあということをあらためて感じたセッションでした。
2010年07月24日
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さて、ゴエンカ氏の講演を訳した日本語のオーディオテープの中で前の日記に書いたことの他にもいろいろと感じたことがありました。その中で、潜在意識の仕組みや、人の心のあり方などほんとうにそうだなあと深く納得するものもまた、私はそんな風には感じないなあというものもありました。ゴエンカ氏自身も「例え、賢者が何かを語っていてもそれを鵜呑みにしたり妄信してはいけない。自分自身の体験を通じて、それを理解することが大切だ」とその講演の中で語っていましたが私も、すべてのことは、自分の体験や感覚から、それを実感していくしかないと思います。例えば、私は江原さんが大好きで、彼の人柄もエネルギーも共感するのですが彼の言葉のすべてに納得しているということではなくて時々、私にとってはそれは違うな~と思うようなこともあります。でもそんなことは全体としては、どうでもいいこと。要は、自分にとってピンと来る内容は受け入れていけばいいしそうでない部分は、無理に信じる必要はないのですから。さて、このヴィパッサナー瞑想コースの講演の中でゴエンカ氏は、宗教のあり方を否定していますがリチュアルやセレモニー、祈りも意味がないことだと言っていたことなどに関しては、私は同感できませんでした。確かに、宗教が生まれたことによって、それぞれが一番正しいと主張し、争いが起こり、ブッタやキリストが伝えようとしていた真理が伝わっていないことや、祈りさえすれば何でも許される、とか願いが叶うというのは、他力本願でしかないという彼の話は、すべて納得しましたがだからといって、祈りが意味がないことだとは、私には到底思えませんでしたしリチュアルやセレモニーは、単に神様からのご利益を得るためのものではなく神や自然や大地への感謝を捧げるものとして意味があると私は感じているからです。そして、何よりも「想像は想像でしかない、現実を見ることが何よりも大切だ」という彼の言葉を、どう解釈したらいいかわかりませんでした。ここにも何度も書いてきたように想像力こそが、創造の力であり、現実を作っていくものだとこれまで、私はずっと感じていましたから。音楽にしても、絵にしても、想像力がなければ何も生まれないし、あらゆる発明や発見は、最初は想像から始まります。イメージトレーニングが、大きな効果があることはスポーツ選手や様々な治療においても明白であるしイメージの瞑想が、時には潜在意識の情報を書き換える力を持っていることも実感できます。引き寄せの法則なども、まさにイメージの力。イメージすることができる力こそが、現実を作っていく力なのですから。「彼の言っていることすべてに納得する必要はない」そう思いながら、瞑想コースの最終日を迎えました。でも、最終日に新たな瞑想法、メッタバーバラという瞑想法が伝えられた時私は初めて、ゴエンカ氏が言わんとしたことがわかった気がしました。このメッタバーバラ瞑想法は、言葉による瞑想であり、イメージの瞑想。まさに、私がこれまで行ってきたような赦しの瞑想であり、慈愛の瞑想でありすべての存在の幸せを願う、祈りそのものだったからです。ゴエンカ氏は、けして想像やイメージや祈りが無駄だと言っているのではなくそれだけでは不十分だということが伝えたかったのだなあということ。確かに、引き寄せの法則などでも、いくらイメージしても実現できないことがあります。それはイメージに感覚が伴っていないから。いくら頭だけでイメージをしても、身体(潜在意識)でそれを感じていないのなら、それは実現することはないからです。イメージをする時は、その感覚をすべて感じている必要があるのです。例えば、豊かさの瞑想を行ったとしても自分の潜在意識が今、全く豊かでないと感じていたとしたら豊かである感覚をイメージするのはとても難しいことになります。その潜在意識の情報を消去しない限り、本当の意味でのイメージはできないのです。なので、そういう潜在意識の不要なものを浄化していくならばイメージを使って瞑想することも、祈りを捧げることもまた有効なものになる、そういう意味なのだなあと。最終日に、ゴエンカ氏のメッタバーバラ瞑想を聞きながら自然と涙が出てきました。本当にここに来てよかった~♪心からそう感じることができた瞬間でした。
2010年07月22日
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まだヴィパッサナーコースの感想の途中ですが昨日行った、おさむのIHキネシオロジーのセッションを記しておきま~す。昨日のセッションでは、おさむは、今は、特に問題と感じていることはない、と言うので、それなら、スキャンチャートを使って、問題を探し出してゆこうということになりました。まず、感情チャートからおさむの身体が選んだ言葉は「不十分な」というワード。おさむの潜在意識は何かに対して、不十分だと感じているようです。それが何であるか調べていたら、彼の潜在意識は、スピリチュアルなワークや、ギタリストやサウンドヒーラーとしては、満足しているようで不十分だと感じているのは、レストランでの仕事と出ました。おさむ曰く「やっぱり」彼は、これまでレストランでの仕事では、いつも自分はちゃんと出来ていないという思いが常にあったのだそう。でも、それを言葉には上手く説明できなかったのでこれまでその問題を取り上げたことはなかったとのことですがやっぱりちゃんと出てくるものだなあと。それで目標設定は「仕事に満足する」ということで決まりそれからヒーリングを進めてゆきます。ちなみに、IHキネシオロジーでは、目標設定も、自分の頭で考えたことではなく身体が決めなければ進めません。と、そのプロセスの段階で出てきた問題が「自己破壊プログラム」でした。この自己破壊プログラムというのは、心理学の用語でわざわざ自分を辛い状況に追いやってしまうような心理的な作用のことを言います。これは完全に無意識状態での心理的作用であって本人の意図したものよりも、その作用が強い場合はいくら努力しても、上手くいかないようになってしまいます。実は、この破壊プログラム私がIHのクラスを受けて、NYに戻ってから、約2週間の間に行ったセッションの中ですでに数人に内在していたプログラムであって多くの人が持っているようです。例えば、ある病気になった方が、病気が治りたいと思っているにも関わらずもし、潜在意識で「病気になったらこの嫌な仕事をしなくてすむ」とか「病気になったら周りにやさしくしてもらえる」などと、いうことがあったとしたら、無意識的に病気になることを選んでいることがあります。また「苦しみがなければ、人生では喜びはない」などと潜在意識が感じているとすると、わざわざ苦しい状況を選ぶことにもなったりします。先日ここに書いたようにのおさむが20代初めに「意図的な苦労こそが、魂を進化させる」というグルジェフの教えに影響されて、そういう思考になっていたのも、ある種の自己破壊プログラムだと言えるかもしれませんね。でも、この「破壊プログラム」という形で問題が出てきたのは今回初めてで、そういう心理的プログラムが働いていたんだね~ということでどんなタイプの破壊プログラムなのか調べます。とおさむの身体が選んだのは「やりたくないことを義務感からやっている」この文におさむの身体が反応した時には、思わず2人で笑ってしまいました。(ちなみに、おさむは、この言葉を見ていないし、私は口で言ってもいないので彼の頭で考えたのではなく、純粋におさむの身体が選んだ言葉です)あまりにもわかりやすい内容。彼にとって、レストランでの仕事はけして魂が喜ぶ仕事ではなく、(生活のために)やらなければならないという義務感からやっていることであるのは私から見ていても、よくわかります。でも、やりたくないことを義務感からやっていることが破壊プログラムの一つになるのなら、多くの人は多かれ少なかれ、このプログラムを持っていると言えますよね。もちろん、このおさむの場合も、あくまでも「仕事の満足」ということにおいては自己破壊プログラムが働いているということであってすべてにその心理的プログラムが働いているということではありません。この自己破壊プログラムの削除に関するセラピーは最初からそれを目的として行うのではなく何かのテーマについてヒーリングを進めていった段階の中で破壊プログラムが見つかった場合のみ、ヒーリングを行うことができます。ということで、自己破壊プログラムの除去するセラピーを行いました。これから、彼が仕事に対してどのように感じるようになったかはまた、様子を見て、報告してもらうつもりです。それにしても、ほんと、おさむって幸せものだよなあ(私が言うのも何ですが)こうやって、今、特に問題がないと感じている状況であっても、日々、潜在意識に眠っている問題を探し出して、より人生をよくしていくことができるのですから。もちろん、彼の状態がよくなってゆくというのは私自身にとっても、ますますよくなっていくこと。そして、こうやって彼のセッション内容はこのブログですべて公開することを了承してくれているので、とてもありがたいです。(ここで、おさむのことをよく書いているので最近、レイキやキネシオロジーで来られる方でおさむと会ったことがなくても、彼のことをよく知っているという方が多くなりました)
2010年07月21日
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ヴィパッサナー瞑想には様々な種類があるようですが今回、私が参加したコースは、ゴエンカ氏が行っているコース。この10日間プログラムの間、参加者は、毎晩1時間半、このゴエンカ氏の講演のビデオを見ることになります。これはいろんな言語に訳されていてみんながホールでその映像を見ている間私と、もう一人いた日本人の方は別室で日本語に訳されたオーディオテープを聞いていました。この内容が、私にとって、様々な想いを抱かせるものとなりました。もちろん、先日も書いたように、ヴィパッサナー瞑想の意義やその理論また、潜在意識や心の仕組みなどについての説明に関してはすべてが納得できることだったのですがその根本的な世界の捉え方に素直に納得できないものがありました。まず、最初の日の講演で「人生は苦しみである。その苦しみから逃れるためには、修行していくしかない。修行こそが解脱への道なのである」という言葉を聞いて、何だか、どよ~んと重くなりました。もちろん人生には苦しみはあるけど、それは喜びを感じるためのものだしもう人生に修行なんて必要ないと私は決めたわけだし第一、私はこの人生、解脱を目的にしていないし、、と私は心の中で、ここで語られる言葉に対し抵抗(反応)しはじめました。でも、このためにこの瞑想法を行うのだとしたらその考え方に賛同できなかったら、この瞑想法を行う意味がないんじゃない?そう感じて、これは、どう自分の中で折り合いをつけたらいいのかしら?と考えていました。コースの中では、食事は2回、朝6時半と朝11時のみなのですがその後でそれぞれ1時間、また夕方5時にはティータイムが1時間あるのでけっこう瞑想以外の時間があるのです。コースの間は、電話や人と話すことも、本を読むことも、紙に書くこともすべて禁じられているので、その休み時間にやることといえば洗濯をするか、ベッドに横になるか、センターの裏にある短い散歩コースを歩くことぐらい。どちらにしても、誰とも話せないのでひたすら意識は自分のうちに向かってゆきます。「他の人たちは一体、これをどう捉えているのかしら?みんなゴエンカ氏の詠唱の後「Sadhu Sadhu Sadhu(私は同意します)」なんて一緒に繰り返しているけれど、すべてに反応せず、ひたすら修行をして、あらゆる自我を消滅させて解脱への道を歩きなさいなんてことを言っているのに、このすべてに同意しこれから実践してゆくっていうの?だとしたら、ここにいる人たちは、なんてピュアなのかしら」そう思い、この参加者の中で私はピュアではないんだな~という気持ちにさえなっていました。でも、5日、6日と経つにつれて実は、言葉なんてどうでもいいんだということに、ようやく気づき始めました。解脱って、英語では何と訳されているんだろう?と思った時に、たぶんEnlightenment?と思ったらそれは光とか悟りという感じであって、もっと違ったニュアンスに受け取れるだろうな~と思ったからです。(後でPeterに聞いてみたら、やはり、ゴエンカ氏はEnlightenmentと言葉を使っていたそう)そして修行がもしトレーニングだと訳されていたとしたら?また、ブッタが生きていた時代のインドなんてまさに苦しみしかないような時代だったでしょうから苦しみから逃れるためにはどうしたらいいか?とやってくる人々を諭すのに「苦しみから逃れるためには~」という言葉になるのは、自然なことだなあと。もしも、さきほどの「人生は苦しみである。その苦しみから逃れるためには、修行していくしかない。修行こそが解脱への道なのである」という言葉を「人生は喜びである。その喜びと幸福の実現のためには、自己浄化が必要である。自己浄化のトレーニングを行うことは、光への道である」となったとしたら、これは随分感じ方が違うな~と思い言葉そのものではなく、ただそこにある真理を受け取ればいいのだ、その事にようやく気づいて、抵抗感はなくなり、一気に楽になりました。そうして、10日目のゴエンカ氏の講演で「例え、この考え方のすべてに賛同できなかったとしても構いません。この瞑想法を実践してゆきさえすれば、誰でもその恩恵を受けることができるのです」という言葉を聞いて、「もっと早くそれを言ってよ~~そうしたら何日もあれこれ思わずにすんだのに~~」と思いましたが、実は、この私の中の抵抗ー反応を感じたことで私は今回、私にとって、この人生の意味とは?と自分の生き方をあらためて見つめ直すことにつながっていたのでした。それは,私の過去のいろんな想いや経験から来ていた反応であって、自分を犠牲にしてでも人に奉仕していくことが、最も大切なことだと感じていた10年ぐらい前のことやこの人生の目的は、アセンションのためだと感じていた数年前のことも含め、いろんなことがあるので、とてもすべては説明できないのですがとにもかくにも、この10日間は、いろんなことを感じた日々でした。でも、私にとって、先日のマチルダとの出会いが大きな救いとなっていました。彼女との出会いによって、私は今の自分が感じるままでいい、あらためてそう感じることができたからです。そういった意味でも、このコースを受けたタイミングは私にとってのベストだったのかもしれません。そうして、コースの8日目、9日目に日本語テープでの講演が早く終了したのでみんながいる瞑想ホールでの英語でのゴエンカ氏の講演ビデオを見る機会があったのですが、もう、あまりにもその違いに驚きました。慈愛に満ちた穏やかな表情のゴエンカ氏が語ると、どんな内容でも素直に受け取れるし、例え彼がどんな話をしていても、心に何の抵抗も反応も生まれないのです。日本語のテープでは、通訳者が訳された話をするだけなのでその言葉だけが、ただダイレクトに伝わってくるのですがゴエンカ氏の表情を見ることもないし、講演でのニュアンスは、全く伝わっていなかったことがわかりました。Miraが『私は彼のジョークが好き」と言っていたのですが、日本語のテープを聞いている限り、その話のどこにもジョークなんて見いだせませんでした。でも、講演ビデオを見て、彼が大きな愛を持って、そのジョークを言っているのがわかりました。例えば、マザーテレサやガンジーやダライラマなど偉大なる指導者たちが話をする時私たちは素直にそれを受け取ることができます。そして、彼らのように生きることは難しくても少しでもそれに近づくように努力しようと感じるものです。でも、だからと言って、今日からダライラマと同じく髪を剃って修行生活に入ろう、とは思わないですよね~コースの途中から言葉そのものにとらわれないようにした後は楽になったものの、それまで私は、まるで「この瞑想法を行うなら髪を剃ることが必要だ」と言われているように感じていたのでした(←考え過ぎて、自滅するタイプ?)「アセンション」や「悟り」なら、全くそうは感じなかったと思うのですが日本語の「解脱」や「修行」とという言葉から何かそういうイメージを抱いていたのです。みんなが「Sadhu Sadhu Sadhu(私は同意します)」と素直に頭を下げていた意味がやっとわかりました。そして、コースの最終日。この日、メッタバーバナ瞑想という新たな瞑想法を伝えられたことで私は本当にゴエンカ氏が伝えたかったことの本質がようやく理解できたのでした。このヴィパッサナー瞑想コースは、10日間のすべてに参加することが条件となっていて、何度も念を押されるのですが今は、その意味がよくわかります。10日間、参加してみないと、そのすべては見えてこないからです。帰りの車の中で、Peterに聞いたのですが、男性側では、3人の人がコースの終了を待たず、2、3日目に帰ったそうです。あれほど、事前に「このコースに参加するためには必ず10日間の全コースに参加しなければなりません」と言われていたにも関わらず、彼らが途中で帰ったのはたぶん、瞑想自体が苦しかったからではなくこの世界の捉え方、考え方に同意できなかったからでしょう。でも、もしも賛成できなかったとしても10日間だけはやってみようと、彼らがとどまっていたなら、きっと違った印象を持ったのではないかと思うのです。ということで、私の感じたことは、他の方の参考にはならないと思うのですが、、もう少しだけ書いてみたいと思います~読んでくださってありがとう~♪
2010年07月20日
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一言で瞑想法と言っても、実に様々なものがありますね。呼吸に意識を集中するものキャンドルの光や何かの物に意識を集中するものイメージによるものマントラや言葉を使ったものアクティブ瞑想と言われる、身体を動かし体感していくものヘミシンクのように音響システムを使ったものその方法も様々なら、その目的もさまざまです。精神統一や集中力のためのものリラックス効果を高めるためのもの創造力を高めるためのもの自己浄化のためのもの直感力を高めるためのものサイキック的能力や体外離脱体験のためのものハイヤーセルフや高次元の存在とのコネクションのためののもの自分自身のあり方を見つめ、内観するためのもの自己治癒力を高めるるためのものそれがどんな形の瞑想法であれ、その人がそれによって何かの恩恵を感じているのならそれはその人にとって、有益な瞑想法だと私は思っています。ヴィパッサナー瞑想は、この中で、呼吸に意識を向けてゆくものですがヨガのプラーナヤーマと違うのは、呼吸を一切コントロールしないというところです。呼吸が深かろうが浅かろうが、早かろうが遅かろうがただそれを観察してゆくそしてそれによって、身体の感覚を感じ取り、観察する、目的は自己浄化ということですが、もちろん精神統一や集中力、リラックスの効果もあります。これは、余談ですが、最近のおさむが、集中してやっているのがアモラの「プレアデス覚醒への道」「プレアデスタントラワーク」でとても効果を感じているというので、昨日、久々に本を開いてみたのですがあまりのニューエイジ度にちょっとショック「覚醒への道」は、私が何年か前に購入し、当時ワークしていたもので「タントラ」の方は去年買ったばかりで、その内容はよくわかってはいたものの今、この限りなくリアリティを求めるヴィパッサナー瞑想を学んだばかりの時期にはちょっとあり得ない感じがしてきます。最近のおさむは、超ニューエイジな世界へと入っていっている感があるし私もそれらの効果は実感しているだけにこのあたりの折り合いをどうつけていくのかこれからの私の課題になりそう。さて。朝4時に起床して、4時半から瞑想というヴィパッサナー瞑想コースがスタートしました。1日10時間も瞑想するというと、何かとても大変なように感じますが実際プログラムが始まってみると、それほど大変ではないことがわかりました。10時間の瞑想のうち、グループでの瞑想は3時間残りの7時間は各自で行う瞑想で、それは瞑想ホールで行ってもいいし自室で行ってもいいので、かなり気が楽なのです。例え、その間にうつらうつら眠ってしまったとしてもまた姿勢を何度も変えたり、休憩しても誰にとがめられることもありません。もちろん、さぼっていたのでは効果も半減ですし何のためにここに来たのかわからないので、ほとんどの方はまじめに瞑想していましたが、プログラムがスタートしてすぐに、この楽なプログラムに私はちょっと拍子抜けしたぐらいでした。考えてみれば、もしも、あまりにも辛いプログラムだったらこのアメリカでは、きっと誰もついて来れなくなるでしょう。私は毎朝4時に起きるのは、それほど辛くなかったのですがコースが終了した後、仲良くなった、ルームメイトではない別のネパール人であるMiraは「もう、朝4時起床は私は無理だったから、すぐにあきらめたわ~6時半の朝食の時に起き出すのがやっと。一度だけ4時に起きてやってみたのだけれど、その日は1日中瞑想中に眠くなって全く集中ができなかったから次の日からはあきらめて、6時半に起きるようにしたのだけれど、でもその方が1日、ちゃんと瞑想に取り組むことができたから、私には、それがよかったみたい」と言っていました。4日目からは、1日3時間のグループ瞑想中は、一切の身体の動きを禁じられるので、これはやっぱり辛かったのですが人によっては、身体が楽になるように山のようにクッションをつみあげていましたしもし本当に辛いなら、床に座らず、椅子に座っても大丈夫なのです。もちろん、1時間の間、指一本動かせないのは、ある程度の慣れが必要です。私は瞑想法でないのですが、痛みを客観的に見つめ痛みそのものに入り込まないというワークを以前に何度か行ったことがあったのですがこれは痛みそのものが辛いのではなく全く動くことができないということが辛いのだとわかりました。ちょうど4日目に尾てい骨のところが痛み出して長時間座っていると、痛みが出てきたのですが瞑想している間「ああ、あと10cm足を動かすことができたなら楽になるのに」と、身体を動かしたいという気持ちを抑えることが大変でした。でも慣れてくるに従って、それも大丈夫になりました。一方、瞑想の感じ方や効果は人それぞれ、全く違うと思うのですが私はすぐに実感でき、とても有効な方法だなあと感じました。最初の3日間は、アーナパーナと呼ばれる呼吸に集中する方法を行います。初日は、プラーナヤーマとの違いがよくわからずこんなものかな~と思っていたのですが2日目に、鼻のあたりの感覚を感じるという段階になって身体にいろんな感覚があるのを発見して、おお、こんなことが身体の表面に起こっていたなんて~♪とびっくり。4日目からは、ヴィパッサナー瞑想に入り身体全体の感覚を感じ取ってゆく練習をしますがますます身体全体に様々な感覚があるのを感じて瞑想に入りこんでゆきました。それは、時には、ちくちくと差すような感覚があったり電気の線がびよ~んと走っているような感覚だったり皮膚の上に虫がはっているような感覚だったりある時は、口の上が腫れ上がっているような感覚だったりそれは実にさまざまな感覚でした。もちろん、集中できず、思考があれこれ出てきてしまう時もありましたが、身体の感覚を感じるのはむしろ、他の瞑想法よりも集中しやすい方法のように感じました。このあたりは、人それぞれ全く感じ方が違うみたいでMiraは「私は先生が説明しているような感覚は全く感じられなかったわ~ただじっと座っていて足が痛くなったりはしたけれど」と言っていましたし、ルームメイトのアメリカ人、ガリーナは「瞑想していると、感情がわ~とわき上がってきて、涙が止まらなくなった」と言っていました。身体にどんな感覚を感じたにせよ、また何も感じなかったにせよ何かの感情が出てきたとしてもただそれを観察することが、この瞑想法では大切なのでどれが正しい感覚というのはなくて、それはそれでいいのです。実は、私を少なからず苦しめたのは、こういったプログラムの進行や瞑想自体ではなく、意外にも、瞑想の他に毎晩、1時間半の間、聞いていたゴエンカ氏の講演内容でした。とても長くなりそうなので、その話はまた~♪
2010年07月19日
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今日2つめの日記になりますが、ちょっと思いついたので。おとといに、ヴィパッサナー瞑想コースから戻ってきて昨日はレイキのセッションやクラスが入っていましたが今日は、久々のオフの1日だったので、のんびりと過ごしています。昼頃、私がランチの用意をしていると、おさむがギターを弾き始めました。その美しい音色を聴きながら、思わず、涙がボロボロこぼれてきました。ああ、これが私にとっての答えなんだなあと感じました。もしも、私が、あらゆることに反応しないとしたらもしも、私がこれまで悲しみや苦しみを感じたことが全くなかったとしたらこの音楽に感動することはけしてないでしょう。悲しみを知っているから、苦しみを知っているからこの音の一つ一つが、胸に響いてきてそれが、どんなに美しいものであるかがわかるのです。私にとって、苦しみも悲しみも、最終的な喜びや感動のためのものでしかないそのことをあらためて感じています。もちろん、ヴィパッサナーで言われていることは、ブッタが説いた真理であり、けして間違ってはいません。私とおさむの2人の関係だけを見てみても、以前は、不満や争いが絶えなかったのに、その後、様々なヒーリングや方法で、いろんな浄化をしてきたおかげで以前とは、全く違った、とても幸せなものになったことは間違いないからです。でも、以前の苦しみも悲しみも、私たちの人生の経験にとって、やはり必要なものでした。もし、それがなかったとしたら、今、これほど幸せを感じることもなかったかもしれません。だから、先日の私のサンカーラの日記を読んで「ああ、私には、まだまだ、たくさん浄化しなければならないサンカーラがある」などと思って、がっかりしないでくださいね。(そういう風にメールをくださった方が何人かいらしたので)もしも、人生にたくさん、反応の種、サンカーラがあるのならそれを手放す喜びもまた、たくさんあるということです。周りの出来事や人の言動にいちいち反応してしまうとけして幸せではないですから心の平安を保つために、自己浄化していくことは大切だと感じますが一方で、例え、怒りを感じて、怒ってしまったとしても悲しくて、わんわんと泣いてしまったとしても思いっきり反応してしまったとしてもそれはそれでいい、私はそんな風にも感じています。どんな苦しみであっても、悲しみであっても癒されるべき時に、それは癒されてゆくのですから。私たちそれぞれの人生にとって、必要なことしか起こっていません。それぞれが選択した道が、ベストの道だと私は思っています。どうか、あなたがあなたでいることに幸せを感じていますように。Love & Blessings
2010年07月18日
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さて、ヴィパッサナー瞑想コースの初日のこと。私は家の近くに住んでいるPeterという、同じくコースに参加される方がセンターまで車で送ってくれることになりここから車で約5時間のセンターへと向かいました。このヴィパッサナー瞑想コースでは、ウェブ上に車求むのリクエストをしておくとそれを見た参加者で車で行く方が連絡をしてくれます。私は、ボストンに行っていたりして手配が遅れていたにも関わらず急きょ、乗せていってくれる方が見つかったのはとてもラッキーなことでした。そしてPeter と出会ったことも、やはりとてもラッキーでした。Peterは、元プロのバレエダンサーで、背中を痛め引退したのだそう。今は、ヨガや瞑想を日々の生活の中で行っているそうで、彼を一目見た瞬間に、静かで強い精神性が感じられる人でした。話してみると、最初の印象通り、とてもニュートラルな人でそれでいて、ユーモアに溢れていて、楽しく過ごすことができました。今回、センターへの行き帰りの10時間の旅の中で、彼といろんな話ができたおかげで、このセンターでの経験が、私の中でよりクリアになったように感じています。旅はそこでどういう人と出会うか、によっても大きくその印象が変わってくるものですよね。センターに到着した後は、参加者の男女は分けられ、このコースの最終日までは男女が会うことはできません。最初の日は宿舎にチェックインした後、夕方からオリエンテーションがありました。オリエーテーションが始まるまでの時間には参加者の方々が、お互いに自己紹介したり、このコースについてのことで話しあっていました。その多くが初めて参加の方で、これまでほとんど瞑想経験がないという方も多くいました。「ここに参加することを決めるのに、10年かかったわ~」「私も何年も迷っていたけど、ようやく今回決心したの」「I am so scary 』(とっても恐いわ)などとみんな口々に話していて、それを聞きながら瞑想リトリートなどと言って、まるでバケーション気分で来ていた私は内心ちょっと驚いていました。(実際、バケーションとはほど遠いものでしたが)みんなが恐れていることの中で、1日10時間もの瞑想に肉体的、精神的に耐えれるかしら?ということが大きいようでしたが他にはプログラムがスタートすると1日中、全く誰とも口を聞けないことを恐れている方もいらっしゃいました。私にとっては、これは逆にとてもうれしいルールでした。人と気を使って話をする必要が全くないのですから。Peterとの帰りの車の中では、この体験をお互いにシェアできてよかった~と感じたのですが行きの車の中では「この沈黙のルールがこの車の中でも適用されたらいいのに」などと、ふと思ったぐらいです。もちろん、Peterはとても話しやすい人でしたがそれでも初対面で、いきなり5時間の間2人でドライブするのですから、やはり心のどこかで気を使っています。(というわりには、途中から助手席でグーすか眠ってしまいましたが)特に英語での会話というのは、私はぼーっと聞いていると聞き逃してしまうこともあるし私にとっては、常にある程度の集中力を必要とするということもあってコースの間、人と会話をしなくてすむのはとても楽だと感じました。後でわかったのですが、今回の参加者は女性65名、男性65名の計130名。その女性の65名のうち、初めての参加者は40名でした。そしてその日の夜8時からプログラムはスタートし厳正なる沈黙がスタート。この厳正なる沈黙は、口での会話はもちろん筆談も、ジェスチャーも、アイコンタクトも禁止されています。もし、何かがあれば、コースマネージャーと言われる全員のお世話係の方とは直接、話をすることができますが、その他の人との会話は一切禁止です。さっきまで、みんなわいわい話していたのにプログラムが始まった途端、目も合わせなくなるのは最初、ちょっと奇妙な感じでした。その日は2時間の瞑想の後、10時すぎにそれぞれの部屋に戻ります。私のルームメイトは2人。ニューヨークから来たというキャリアウーマン風のアメリカ人女性とネパール人の女性。さて、この初日の夜、11時すぎに眠りについた私は、夜中1時頃に何かの物音で目が覚めました。それは、このネパール人の女性のいびきでしたそのいびきの音は、私がこれまでに聞いたいびきの音の中で一番、大きな音でした。(ってそんなにたくさんのいびきを聞いてきたわけではないけど)私は普段は、一旦眠ると、あまり物音で目覚めるようなことはないのですがさすがにこの部屋中に響き渡る音では、目覚めてしまいいびきってここまで大きな音になるのね~などと妙に感心しました。これから10日間、このいびきの音に慣れていかなくちゃ~そう思って、再び眠りに入った私を今度は、彼女の寝言で起こされました。寝言というより、ひどくうなされていてほんとに泣いているんじゃないかしら?と思うぐらい寝ながらわ~わ~と言葉を出し、わめいていました彼女、かなり、重いものを背負っているのだなあ。そんな風に感じました。もう一人のルームメイトのアメリカ人も全く眠れないようで、時々、大きなため息をついているのが聞こえました。もし、ここで会話ができたなら、お互いに「困ったね~」などと話をしたところでしょうが、全くコンタクトをすることはできないのでただ、ベッドの中でそのいびきや寝言を聞いていました。ふ~きっとこのことも、それに反応しないでいるためのレッスンってことね。だいたいこのヴィパッサナーに限らず、瞑想のトレーニングなんて、そういう目的があるわけですから、こういうことが起こったのもきっと何かそういう意味があるのだろうなあと漠然と感じてまあ無理に眠らなくてもいいかと思い直しました。次の日の瞑想中に眠ってしまうかもしれないけど、それも仕方ないなあと。その夜は、彼女の叫び声に起こされ、うつらうつらしながら、朝の4時に起床。結局、その夜は3時間ぐらいしか眠らなかったのですが不思議と、次の日の朝4時半からスタートした1日10時間の瞑想の中で、ほとんど眠くなることはありませんでした。これまでは睡眠不足で、瞑想すれば、大抵は眠くなってしまう私にとってこれは新たな発見でした。例え、睡眠不足でも、やり方によっては瞑想中に眠くならないことがわかってよかった~♪やっぱりすべてのことに学びはあるなあ、とあらためて感じました。2日目の夜も同じく、彼女はいびきと寝言を繰り返していましたが前日、睡眠不足だったためか、それともその音に慣れてしまったのか1、2度目覚めながらも、ぐっすり眠ることができて一安心。そして、3日目、彼女は忽然と部屋からいなくなっていました。これはコースが終了した後で知ったのですが彼女は壁側のベッドだったために、最初の2日間、とても寝苦しく感じ、自分で一人部屋に代えてくれるようにコースマネージャーに頼んでいたのでした。最終日にそのことを知るまで、実は、私は、彼女が突然部屋を移った理由についてたぶん、もう一人のアメリカ人のルームメイトがそれを訴えたのだろうと思っていたので、彼女に対して、ちょっと申しわけなく感じました。こういう状況では、普通のアメリカ人なら間違いなく文句を言うところでしょうから。やはり、アメリカ人であっても、こういうところに来られる人はある程度の忍耐力を持っている人が多いのでしょうね。そして、この出来事は、一見、災難と思えるようなことであってもそこから本当に学ぶべきことを学んだなら、もうそのことは起こらないということを、あらためて感じさせました。ヴィパッサナー風?に言えば、すべてはアニッチャ(変化してゆくもの)なのですが。という感じで、瞑想リトリート、いえ瞑想道場がスタートしました
2010年07月17日
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今日、ヴィパッサナー瞑想の10日間コースから戻ってきました。とても貴重な体験でした。ヴィパッサナー瞑想は、仏陀の行った瞑想法だそうですがその基本的な捉え方は、これまで私が学んできたことや実践してきたことだったので、納得が行くものでした。ヴィパッサナー瞑想を一言で説明するなら「呼吸に意識を向け、身体に起こる感覚を感じ取り、観察することで潜在意識の中の不要なものを浄化する瞑想法」ということ。キネシオロジーのことで書いていますが、潜在意識と身体は密接に関連していて私たちは、例え頭では忘れていることであっても、身体はしっかりと覚えています。私たちが何らかの感情を抱くとき、それは身体に感覚として記憶されてゆくので、潜在意識は常に感覚とともにあるのです。なので、ヴィパッサナー瞑想は、その身体の感覚を呼び起こし、それに「気づく」ことで潜在意識にある不要なものを浄化していくという方法で、これはとてもシンプルな考え方であって、メイクセンス。何度かここにも書いてきましたが私たちが、何かに対して怒りや嫌悪や不満を感じるという時はその起こった物事そのものが問題なのではなく、単に自分の中の何かが呼び覚まされて、それらに対して反応しているということ。例えば、妻が「私は夫に大切に扱われていない」という意識が潜在意識にあったとすると例え、その夫が、会社帰りに頼んでいた買い物を忘れてしまったというような小さなことに対してさえ、「どうして、あれほど言ったのに忘れるの!」と怒りが湧いてくるかもしれません。反対に、私は彼にとても大事にされている、と感じていたとしたら同じことが起こっても、怒りは湧いてこないし、逆に彼に対して「疲れているのかな」といたわりの気持ちになるかもしれません。つまり、彼のとった行動そのものが問題なのではなく自分の潜在意識の中にある何か、に反応してしまっているだけです。これを仏陀はサンカーラ(種)と呼んだのだそうで、なるほど~という感じです。最初のサンカーラ(種)が植えられると、必ずそれは実(これもサンカーラ)を結びます。そして、その実から、またたくさんの種が増えていくのです。例えば、上の例の場合、彼女の中にサンカーラが蓄えられるだけでなく彼にも同じことが起こります。もし、その時に彼が「はは~ん、これはきっと彼女の中の何かに反応しているのだな。でもしばらくしたら、そのことに自分で気づくだろう」などと思って、彼女の怒りの反応に対して、彼自身は反応しなかったらいいのですが大抵は「どうして、そんな小さなことに一々怒らなくてはいけないんだ」と不満の感情が湧いてきて、今度は彼の中の潜在意識の中にサンカーラとして植え付けられ、それがまたいつかは実を結ぶのです。もちろん、これはけして、何かが起こった時に「がまんをする」のがよいということではありません。例え、がまんをしても、身体には感覚が起こり、それは必ず蓄えられてゆきます。もし、がまんをしてしまったら、余計にその思いや意識は潜在意識の奥深くに入っていってしまいます。サンカーラの別の意味は「反応」だそうで、とても納得。「がまんをする」のではなく「反応しない」ということが大切なのですね。つまり、そういったことに反応しなくなるためには、そのもともとの種、サンカーラを手放すしかないのです。ということで、新たなサンカーラを生み出さないだけでなくこれまで蓄えてきた、たくさんの潜在意識の中の古いサンカーラを手放してゆくことが幸せな人生を歩いていくためには必要ということになってきます。でも、逆に言えば、怒りや嫌悪や様々な感情を感じるということは何か浄化しなければならないものが自分の中にあることがわかった、ということですからこれは浄化するチャンス~~と、これまで私は捉えてきました。それほど深くないサンカーラなら、ちょっと内観してみれば自分の中の何に反応しているのかは、すぐにわかります。でも、それが自分の顕在意識では、到底、わからないようなことが原因になっている場合には、ちょっと内観したぐらいでは簡単には手放すことはできません。これは、私がいろんな浄化をやってきた中で感じてきたこと。この瞑想法だけでなく、様々なヒーリングやセラピー、シャーマニズムなど心の奥深い潜在意識の浄化法は数多く存在しています。例えば、身体の反応によって潜在意識の感じていることを知るキネシオロジーもそうだと言えますしリバーシングなどもそういった方法の有効な一つだなあと感じます。リバーシングの呼吸によって、これまで気づかなかった身体の痛みに気づいたり様々な感情を呼び起こされることはヴィパッサナー瞑想によって、身体の感覚に気づいていくことと同じようなものと言えるのでしょうね。怒りということで、ちょっと思い出したので、ついでにここで書いちゃいますが先日、セドナでおさむと2人でリバーシングワークをやった時に私に出てきたのが、この怒りのサンカーラでした。私はもともとレイキと出会うまでは「怒りの人」で常に怒りを持っていたような人だったのですが特に私が強く反応していたのは、権力的なものや女性軽視などに対すること。例えば、友人が(もちろん男性の)ちょっと軽い感じで「女は~~だよね~」なんて言おうものなら、湧き出てくる怒りを止めることはできず、猛犬のごとく噛み付いていくような人でしたし抑えつけられたり、女性に対する決めつけみたいなことが何よりも嫌いな人でした。その怒りがレイキと出会ってからは、自分でも驚くぐらいほとんど出なくなってそれはレイキによって、私の潜在意識にあった何かが癒されたのだろうな~と感じていたのですがそれが久々に、セドナでのリバーシングで出てきたのです。それはセドナの女性性エネルギーの岩の前でのこと。(その時の日記です)呼吸をスタートしてすぐに私は自分の中に怒りの感情があるのに気づきました。リバーシング呼吸を始める前までは、あんなに気持ちよく過ごしていたのに始めた途端、そんな感情が湧いてきて、これは一体何なんだろう?と感じながら呼吸を続けていました。そして、その怒りの感情は、おさむが「はい、それでは女性性を解放して~」と言った途端、ば~~んと爆発しました「わかったようなこと言わないで!!私はそうやって決めつけられるのが嫌なのよ。何もわかっていないくせに、決めつけないで!!」と叫びました。どか~~んもちろん、おさむは、そこが女性性エネルギーの岩の前だったのでそんなことを言っただけで、全く深い意味はないし私も普段なら「そうそう、女性性の解放よね、解放しましょ♪」なんていって受け流していたところなのでしょうがなんせリバーシングの時は、通常の意識ではありません。おさむのその言葉そのものに反応したのではなく彼が何を言ったとしても、怒りを出したかったのでしょう。おさむもその点は、充分理解していますので例え、私がリバーシングの最中にどんな風になったとしても大丈夫だと私も安心して感情を出すことができたのだと思います。で、その怒りの後は「私は自由に生きたいの!!私は自由でいたいのよ~~」と、おいおいと泣き続けたのでした。いやはや、まったくわけがわかりません今の私の生活の中で、私を束縛する人は誰一人いないしこれだけ自由に好きなことだけをやって暮らすことができているというのにそれでもなお「自由でいたいのよ~」て一体過去にどんな抑圧を感じていたっていうのでしょうねそのサンカーラが生まれたのは、私の子供の頃なのか、胎児の頃なのかはたまたもっと前のことなのかはわかりませんが。そのワークで、さんざん泣いた後は、ものすごくすっきりして、最後は至福感に満たされていました。この女性性エネルギーの岩の前で、私の中の怒りが出てきたのはとても興味深い体験です。ゴエンカ氏曰く「自己浄化が進んでくるにつれて、古い大きなサンカーラが表に出てきます」は~まだまだこれから古いサンカーラが出てきそう本当に自己浄化はやってもやっても、尽きることがないなあと感じます。でも、何かを手放す度に軽くなってゆくのは無常の喜びですね。ということで、ちょっと話が脱線しましたがこのサンカーラ撲滅大作戦ならぬ自己浄化法であるヴィパッサナー瞑想の10日コースの中で本当にいろんなことを感じました。実は、これは私にとっては、この瞑想そのものの結果というよりはこのコースに参加したことによるものが大きいです。もちろん、瞑想法自体も、とても素晴らしいものでしたからこれから続けていきたいなあと思っていますが一方で、ここで伝えられていることだけにとらわれず、私が感じるままに進んでゆけばいい、今はそんな風にも感じています。このヴィパッサナー瞑想の10日コースは100人参加したら、きっと100人とも違った印象を持つでしょうしそれが当たり前ですから、私が感じたことはたぶん、どなたの参考にもならないだろうなあと。でも、まあそういってしまえば、私のブログの内容はすべてがそうとも言えるのでぼちぼち書いてみたいなあと思います。読んでくださって、ありがとう~~
2010年07月16日
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ボストンから戻ってきて、今日で丁度1週間。この7日間に、レイキのクラスが5日間入ったのに加えてその合間に、レイキヒーリングのセッションを数回IHキネシオロジーのセッションを8人(そのうちおさむに対しては4回)に行ったので、ヒーリング以外のことは、ほとんど何もできず、あっという間に過ぎました。先日、ボストンに1週間行っていたことに加えて明日から10日間、マセチューセッツへヴィッパッサナー瞑想のリトリートに行くのでこういう詰めたスケジュールになってしまったのですが無事に終了してほっとしています。今日は、朝からIHキネシオロジーのセッション、午後からレイキのヒーリングとクラスがあって、終了したのが、夜の8時半。それから、夕食を食べてから、明日からの用意のための買い物にマンハッタンまで出かけ、家に戻ったのは夜11時すぎ。明日の朝9時には出発なのですが、これから、ようやく荷物をパッキング始めます。何ともぎりぎり考えてみれば、先月の中頃から、1日も休んでいなかったのですがそれでも元気でいることができるのは、とても有り難いことだなあと。もちろん、過信は禁物ですから8月からは、のんびりと過ごす時間を取ろうと思っています。余談ですが、昨日、今日とオラクルカードを引いたら、3回続けて『Priority』(優先順位)のカードが出たので、びっくり。確率で言えば、44X44X44=8万5000分の1の確率。実は、今日まで、このセンターに行くための車の手配ができていなかったので、一瞬、このヴィッパッサナー瞑想センターへ行くことは今、私が優先するべきことではないというメッセージなのかと思いましたが、今日、参加者の中で、一緒に車に乗せていってくださる方から連絡があったので何とか行くことができそうです。今この瞬間瞬間に、何を優先するべきかを意識していなさいということなのでしょうね。さて、この10日間のヴィッパッサナー瞑想ですがこれはもう何年も前から一度参加してみたいな~と思っていたにも関わらず冬は寒いから嫌だなあとか、夏は夏で旅行に出かけることが多くのびのびになっていたのですが、今年こそは~と、もう半年以上前から参加の予約をしていました。普段の生活の中では、瞑想しても、せいぜい1時間ぐらい。禅のところでは、3時間ぐらい瞑想しましたが1日10時間も瞑想するのは今回初めてです。こういう場所でも行かない限り、10日間の間、毎日10時間瞑想するなんてありえないなあと。たぶん、最初は長時間座っていることが辛いだろうなあと思うのですがこのヴィッパッサナー瞑想センターの体験は、ここにも何度か登場して頂いているI-healingのASAMIさんが、レポートを書いてくださっているので興味がある方は、こちらをご覧になってくださいね。ということで、もちろんセンターでは、ネットはできないので明日から10日間、ブログのアップはできません。その間に本を読んだり、日記を書いたりすることも禁止されています。IHキネシオロジーのことや、また最近のおもしろかった出来事のことも書こうと思っていたのですが,一旦休憩です~。いつも、読んでくださってありがとうございますそれでは行ってきま~す
2010年07月05日
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先日、マチルダから、お勧めの映像を教えてもらって見たのですがとても感動したので、ここでご紹介します。Jill Bolte Taylor の『stroke of insight』こちらは、日本語字幕つきの映像。2回に分かれています。その1その2ジル ボルト テイラー博士は、脳科学者で、37歳の時に脳梗塞を起こし、左側の脳にダメージを被ったのですがその機能が失われてゆく様子と、そして彼女が体験した新たな境地をこの講演の中で、とても感動的に語っています。映像自体は、20分ぐらいですが、3度見て、3度とも泣きましたぜひ、ぜひ見られてくださいね。まだ読んでいないのですが、「奇跡の脳」という日本語タイトルで本が出ていてベストセラーになったそうですのでご存知の方も多いかもしれません。こちらに本の序章が書かれてあります。もし、私たちの右脳だけだったとしたら、私たちは、他者や他のものとの境界線がなくなり過去や未来は存在しなくなる。自分がすべてのものと一体となり魂が膨張していくような感覚。以前、私が至福の体験をした時にのことを、ここに書きましたが、その時も過去とか未来とかない、ただ今この瞬間だけであってそれでいて、私はどこにでも存在している、どこにでも一瞬で行けるという感覚になりました。そして、周りの壁や風景は一切見えなくなりいろんなもののエネルギーが観えて、自分の身体と周りとの違いはわからなくなりました。それは、まさに左脳が休んでいる状態だったのでしょうね。(完全に言葉を失ったのは、短い期間でその後は、おさむといろんな会話をしましたがそれも言葉によってお互いが理解しているというより何も言わなくても、相手が理解しているのを知っているという感覚でした)彼女はそれをニルヴァーナ(涅槃)と呼んでいますが本来の私たちの魂の意識は、右脳の意識なのですね。もちろん、私たちが人として生活し、生きてゆくためには左脳の働きが必要なわけで、彼女もこの境地を多くの人に伝えたい、その思いがあったから、左脳の回復のためにがんばったのだそうですがこれからの私たちが、どちらの意識を選択していくのか問いかける姿勢が胸を打ちます。もし、私たちが完全に右脳の意識を持ったまま、左脳の機能を持つことができたならまたは、彼女の言うように自由に切り替えができるようになったならどんなに素晴らしいことでしょうこの彼女の本がベストセラーになったことで言語障害や脳障害を持つひつ人々への理解が深まったという話を聞きました。彼らが、言葉では理解できなくても、周りの人たちの想いや意識をエネルギーとして感じていて完全に理解しているということがわかったからだそうです。私の祖父も脳卒中で身体半分がマヒしていましたし父も昨年、脳梗塞を起こしましたが(幸い、今はほとんどマヒはなく、普通の生活が送れています)世の中には、脳梗塞や脳卒中によって、不自由な身体になってしまったり辛い思いをされている方はたくさんいます。そして、そういう状況から回復した彼女の体験は、そういう方たちにとって大きな希望となっているのでしょうね。以前、リサランドールの異次元への招待をご紹介したことがありますがこういう科学者たちが、いわゆるスピリチュアルなことを科学的に解明するような時代になってきたことがとてもうれしいです。
2010年07月04日
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このところキネシオロジーの話題が多かったので今日は、レイキのお話。丹田解毒法(丹田下毒法)という方法がレイキの伝統技法の中にあって私はレイキのレベル1で教えているのですがこのシンプルな方法は、時と場合にもよりますが、かなり効果があります。先日、ボストンでおさむと食事をした時のこと。私は前々日のリバーシングワークショップでの疲れがまだ身体に残っていて体調は万全ではありませんでした。この疲れは、リバーシングの際に、みんなから出てくる浄化のエネルギーを受けてしまったことによって、起こっていることはわかっていたのですがゆっくりデトックスする時間はなく、次の朝、ボストンに向けて出発しました。そして、その日、ボストンのレストランでランチをしたのですが、こういう時に、油を使ったものは食べてはいけないことはわかっていたのにも関わらず、つい甘くみてしまって、ベジバーガーを頼んでしまいましたすると半分も食べ終わらないうちに、胃がむかむかしてきて、吐き気をもよおし、歩けないぐらいになってきました。トイレで吐こうと思っても吐けず、胃のむかむかは、何かが胃のあたりでうごめいていて、まるでアヤワスカでもやっているかのような酷さ(わかりにくい例えですが)これはやばいな~と思いつつ、さて、どうしようかしら?と考え、車の中で、何となく丹田解毒法をやってみたら、15分ぐらいです~っと気分がよくなってきて、すぐにほぼ胃のむかむかもなくなり、回復。即効的に効果がありました。IHキネシオロジーでも丹田のエネルギー調整法を学びます。マチルダが「私たち西洋人の多くが丹田について知らないことはとても残念なことです」と言っていましたが、丹田は気の中心であり、とても大切なポイント。普通は丹田というと下丹田だけを意味することが多いのですがもともとは上丹田、中丹田、下丹田とあり、上丹田は、眉間にあり、いわゆる第6チャクラ、中丹田は、第4チャクラ下丹田は、第2チャクラに位置しそれぞれ、脳の松果体、胸腺、小腸などの身体の器官と対応しています。レイキの丹田解毒法は、上丹田と下丹田に手を当てる形になるのでさらに免疫力を高めることにつながるのですね。また発霊法というレイキの呼吸法も丹田を意識して行います。レイキはシンプルだけれど、力強いヒーリングだなあとつくづく感じます。ちなみに、英語では丹田のことは、Dantianと言います。(Tandenとそのまま表しているところもありますが)IHキネシオロジーの丹田調整法の場合はヒーリングの際に直接丹田に手を当てるのではなく、丹田の両側のポイントからアプローチするのが興味深いです。@Monument Valley
2010年07月03日
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ヒーリングや癒しの時期というのは、いつも絶妙なタイミングでやってきます。私は、自分の内側にある手放さなければならないものを手放すべき時には、必ず「今度はこういうお題だよ~」というお知らせがやってきます。そのお知らせは、何かの出来事からわかることもあるし静かに内観していて気づくこともあるしまた夢に出てきて知らせてくれることもあります。夢は潜在意識の思い込みや恐れなどをよく知らせてくれるので全く現実の生活では考えもしなかったようなことでも気づくことができますね。さて、ボストンでのIHキネシオロジーのクラスの5日目。私は前日の夜に、はっきりとした夢を見ました。それは、おさむが次々といろんな女性と浮気をする、という夢でしたその夢の中では、おさむは、私の想いなど無視して「他の女性とつきあって、何がいけないの?」と完全に開き直っていました(あくまでも夢です)私は夢の中で、落胆と怒りに「やっぱりこの男は信用できなかったんだ。もう二度とこの人とつきあわない。もう二度と信用しない」と堅く誓っていました。朝、目覚めた時に「ああ、これが今日のクラスで私がワークするべきテーマだ」とすぐにわかりました。もちろん、おさむは今の生活の中で、私がそんな心配をしなければならないようなことは何もしていないし私も意識の上では、彼を完全に信頼しているつもりでいます。でも、この夢は、私の中のある部分で彼を「完全に」信頼していないことを示していました。この夢の中で私が感じていた「結局、男は信用できない」というこの感情はどこかで、とても慣れ親しんだものであることに気づいたからです。さて、その日のクラスの中で、いくつかの課題ごとにセッションを行っていったのですがその中で「不要な誓いを解除する」というものがありました。例えば、結婚する時に結婚の誓いを誰でも行うわけですがもし、離婚することになったとしても、その誓いは潜在意識の中で働いていることがあるのです。その誓いがそのままだと、新たなパートナーとの関係が上手く行かなくなる可能性も出てきます。そこで、はっと思いつきました私たちは、以前、2年半の間、別れていた時期があったことは何度か書きましたが、その別れる前に私は「もう二度とこの人は信用しない、二度とこの人とつきあわない」と自分自身に誓ったことを思い出したからです。もちろん、2人がそれぞれ変容して、再びつきあい始めてからは関係は以前とは全く変わったので、そんな誓いを立てたことなど、この日、このセッションが始まるまですっかり忘れていました。それで、セッションの中で、その誓いがまだ潜在意識の中で働いているかどうか調べてみたら、ピンポンこれには「彼が他の人を好きになろうが、浮気をしようが、私の存在価値を否定されたわけではないしお互いが完全に自由であることが大切だ」という私の達観グセもあってそういう恐れを潜在意識の奥底に隠してしまっていたのですね。ということで、もう必要のない誓いを解除するワークを行いました。IHキネシオロジーは、無意識レベルでの問題も浮かび上がらせてヒーリングします。例えば「おさむを信用しない」というのが、単におさむとの関係からだけではなく、様々なレベルで(例えば、母と父との関係から感じていたことなど)起こっている可能性もあるので、そういう無意識下での情報も、同時にヒーリングしてゆきます。セッションが終わった後は、本当にすっきり♪今回は、自分の中に持っていた「おさむはいつか私を裏切るのではないかという恐れ」を潜在意識に持っていたことに気づくことができたこととまた『彼を信用しない』という過去の誓いを解除することができてよかったです。他の人への誓い、自分自身に対しての誓い、神への誓い、、この誓いというのは、男女間の誓いだけでなく子供の頃に「僕は、お母さんだけをずっと守る」などといった純粋な誓いであっても、それがずっと働いていて大人になってパートナーや夫婦間が、上手くいかない原因になっていたりするのです。人間というのは、何て多くの「不要なもの」を抱えていきている生き物なんでしょうね。それが、また今生での学びの教材なわけですが。まだまだ、教材はいろいろと与えられているようです楽しみながら、一つ一つ教材をこなしていきたいです~
2010年07月02日
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キネシオロジーは、筋肉反射テストで進めてゆくセラピーなので、いかにその筋肉の反射テストが正確にできるかどうか?が最も大事なことになってきます。筋反射を正確に取るためにはいくつかのテストを事前に行う必要があります。まず、大切なことの一つは、体内の水分量。これが足りないと、脳の働きが悪くなり、筋肉が正常な反応をしなくなります。特に今のこの時期は、水分量に注意していないと、すぐに身体は水分不足となります。セッションを始める前は大丈夫でも、セッションの途中で、あれ?何かおかしいな、と筋反射が上手く取れなくなってきたら大抵、水不足かスイッチングの問題が起こっています。スイッチングというのは脳内の電磁的な極性が逆転してしまうことで人によっては、このスイッチングが頻繁に起こるためその度に、それを正常に働かせるための修正が必要になります。このスイッチングは、先日のディープレベルスイッチングとは違ってちょっとした視覚的、聴覚的な外部の刺激によって誰でも簡単に起こります。おさむは、座った姿勢での筋反射テストだと大丈夫なのですが、なぜか寝た姿勢でのテストでは、かなり頻繁にスイッチングを起こす人なので、セッションの間中、つねにスイッチングに気を使っている必要があります。さて、IHキネシオロジーでは、こういったテストに加えてセッションの初めに、「身体にヒーリングを行ってもいいかどうかの許可」を取ることが必要だと言われて、とても納得しました。ヒーリングは、本人がヒーリングを受けたいという意志が尊重されなければならないので、これが相手にとっていいだろう、とヒーリングを押しつけたり、勝手にヒーリングしたりしないことが何よりも大切。でも、キネシオロジーのセッションに来られる方の中には、奥さんに言われたから、あまり乗り気でないけれど来た、とか、親が子供に無理にセッションを受けさせているようなケースも、考えられるのでその方が心からセッションを心地よく感じているかどうか、気をつけなければなりません。もし、その人の潜在意識が、セッションを受けたくないとか、受けることに不安に感じていた場合身体は本来の反応をしない可能性もありますし何よりも本人の潜在意識では望んでいないことをやるのは、逆効果。なので、最初にヒーリングの許可を身体に聞いてみるのは、必要なことだなあと。そして、もし、クライアントの身体が「ヒーリングを行うのはノー」と出た場合はクライアントとセラピストは、話し合いをする必要があります。でも、逆にこれをテストすることで、私が時々持っていたような「この子は、本当にこのセッションを受けるのを望んでいるかしら?お母さんに言われて仕方なくやっているのではないかしら?」となどという疑問を抱く必要がなくなるので、安心してセラピーを進めることができます。さて、IHキネシオロジーのクラスの初日。私は、Maryという女性と組んで、最初のセッションを行いました。Maryは、たぶん70歳ぐらいの方なのですが、14人の参加者中で、唯一、これまでヒーリングのクラスを受けたことがないという人。IH キネシオロジーは、筋肉反射テストはもちろんのこと経絡やオーラ、チャクラ、丹田のことなどベーシックなことを知らないと、けっこう混乱してしまうと思うのですがでも、彼女は素晴らしく感がよく、すぐにポイントをつかむのです。私は、何よりも彼女のソフトでピースフルなエネルギーがすぐに好きになりました。アメリカでは、こういうワークショップには必ずといっていいほど、年配の方が多く参加されていますが、いくつになっても新たなことを学ぶという姿勢は本当に素晴らしいです。まず、私がクライアント側となって、マッサージテーブルに横になりました。と、私の身体にヒーリングを行ってもいいかどうか?をMaryが尋ねたのですが、私の身体は許可しないということが起こりました。え?私の身体がヒーリングを行うことを許可しない?そこにマチルダがやってきたので、Maryが「のりこの身体は、私がヒーリングを行う許可を出さないのだけれど」と言うと、マチルダは私に対して「のりこ、どう感じている?Maryと一緒にワークしてゆくのに安心している?何か心地よくないことがある?』と尋ねます。一瞬焦りました私の頭では、Maryとワークすることを不安に思っていないのに、私の身体は拒否しているなんて、一体私の身体は何を心配しているのかしら?何だかMaryに対して失礼な気がしてきて、申し訳なくさえ感じました。「何でかしら?全く私は安心しているつもりなんだけど」そう私が言うとマチルダは「それじゃあ、Mary、あなた自身の水分量とスイッチングを調べてみて」と言って、私の腕の筋肉を使って、彼女の水分量をテストしました。そうしたら、彼女の体内の水分量が不足していることが判明。そして、Maryが水を飲んで、再び、私の身体にヒーリングの許可を取ると今度は、私の身体はヒーリングを進めてもいいというオッケーを出したのでした。なるほど~私の頭では、もちろんMaryの体内が水不足だなんて知らないわけですが私の身体は知っていて、彼女にヒーリングの許可を与えなかったわけなのです。ともかく、Mary自身に対する私の潜在意識の信頼度の問題ではないことがわかって、ほっとしました。このクライアントの身体にヒーリングしてもいいかどうかの許可を取ることは、セラピスト自身の今の状態も、チェックすることになるのでとても大切だなあと、あらためて感じています。本当に身体は何でも知っていますね
2010年07月01日
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