PR
サイド自由欄




http://www.pinterest.com/yamadakikaku/
http://www.pinterest.com/yamadakikaku/
http://www.pinterest.com/yamadakikaku/
http://www.pinterest.com/yamadakikaku/
http://www.pinterest.com/yamadakikaku/
http://www.pinterest.com/yamadakikaku/
http://www.pinterest.com/yamadakikaku/
http://www.pinterest.com/yamadakikaku/
http://www.pinterest.com/yamadakikaku/
http://www.pinterest.com/yamadakikaku/
http://www.pinterest.com/yamadakikaku/
http://www.pinterest.com/yamadakikaku/
フリーページ
カテゴリ
作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所
京都市上京区今出川通り飛鳥井に京都市上京区に白峯神宮はある。
祭神は
幼き帝の手を外祖父、中山忠能がかしづき、新しく出来た神社に詣でている。
「さあ。
これからの、御帝さまを中心とされる新しき政府に、崇徳様の怨霊がたたらぬ
よ うに、あたらしき政治をお守りくだるようにお願いつかまつれ。
代々、 外祖父、中山忠能
約束をお伝え下さいませ」
この日、1日驟雨である。中山忠能卿のさし出される傘の中。
御歳15歳の新帝は、手を合わせ、御願いを、なされた。
「崇徳上皇殿下、お許しくだされ。我が王朝が武士から世辞を取り戻すに700年
かかってしまいました。
今にいたり、源頼朝、大江広元の子孫たる二家、薩摩島津。長州毛利両家をもって、武士どもの町、江戸と政庁江戸幕府を倒し、武士どもを根こそぎ退治いたします。この長き屈折したりし日々をお許しくだされ。
そして、
代わ りに江戸を陰都といたします。平将門を祭る神田明神を持って、陰都の
守神といた します。
が、本来は、崇徳上皇様が祭神でございます。どうぞ、我が王朝が、江戸城をもっ て新しき王朝の皇居といたす事をおゆるしくださいまし」
御年十六歳の帝は、深く頭をさげた。白峰稜前にある白峰寺木像(白峰大権現)が 讃岐(さぬきー香川県)から運ばれて来ていた。先帝孝明帝が望み、できなかった事をなしとがている 。
「今、奥州東北の各藩が、列藩同盟とか申し、昔の蝦夷どものように反乱を
起こそうとしております。我が王朝の若い貴族を持って先頭に立ち、荒恵比寿
どもをたいらげます」
幼き帝は、再び深々と、頭を垂れた。
崇徳上皇は、保元の
敗れ、讃岐に流され、そのちでなくなり、
讃岐は京都の南西の方角、つまり
にあたる丑寅の方角である。
突然、 空から、驟雨の中雷光が、崇徳上皇の独白が落ちてきて響き渡る。
「西行法師よ、長くかかったのう。いつまで朕をまたせたことやら。
がしかし、その陰都もいつまでも、安穏とするかや。
所詮は、東の幕府、所詮は、荒夷どもが都ぞ。
朕が情念は、いつしかその都に吹くだすやもしれぬぞ。
見ておれ」
その時 雷光が風景すべてを白濁させ、消えた。
残光が響き渡る。
「不吉なり。。」
思わず誰かがつぶやく。
この日、元号が明治と改元された。
(続)20180731版改稿
作 飛鳥京香(C)飛鳥京香・山田企画事務所
源義経黄金伝説■第27回★西行は奥州、藤原… 2021年06月07日
源義経黄金伝説■第26回★平泉・秀衡屋敷で… 2021年06月07日
源義経黄金伝説■第25回 西行は、多賀城に… 2021年06月06日