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◆余命「半年から一年」の理由(根拠)はなんだろう?!病院(医者)は治療の限界を越えると「余命」を念頭にしながら、形式的な抗癌剤投与や緩和治療や抗癌剤の臨床試験などに移行します。患者に対しては「この抗癌剤で消滅できる保障はない」などと注釈しながらです。私は転移が生じたら病院では「治せない=私の寿命」と判断していました。そして、実際に転移を告知されたとき「余命はどのくらいですか?」と確認しました。主治医は「何もしなければ半年から一年、やがて臓器に重大な影響を及ぼします。」との答えでした。なぜ余命を聞いたのかと言えば、どうせ死が待っているのであれば嘆き悲しみながら死にたくなかったからです。自分の余命を知って気分良く余生を送りたいと考えたからです。九州、高知、関西などに点在する親兄弟、親戚、友人知人たちと最後のお別れもしなければならないと律儀に考えていた。そして、里帰りの計画(スケジュール調整)が必要性もあったからです。いずれにしても私の場合は残された延命の可能性に全力を尽しながらも「後何ヶ月生きれるのか?」といった余命期間が不明確な状態のほうが精神的には不安感を持ちました。よく告知や余命を本人に告げることは残酷で可愛そうであるとの理由で無告知扱いする場合が在ります。ましてや本人が真実を知りたいと懇願しても理不尽に無告知扱いで突き放す例も予想以上に多く在ります。患者の方は周囲の想像以上に残酷で悲劇的な日々の中で苦しめられている。先々がどうなるかも判らないままでは余計に不安感が増す。だから、ある程度の真実を知って気持ちを整理して少しでも落ち着きたくなります。誰もが経験するでしょうが、病気の原因が判らない時ほど不安感が高まるはずです。それと同じでがんが末期状態に至れば、そのような不安感を数百倍も高めたような生命の危機に日々苦しめられます。このような場合が全てとは申しませんが、患者が「真実を知りたい」と訴えた場合は殆どが「不安感で苦しめられるよりも少しでも気持ちを整理して落ちつきたい。」と願ってのことであると理解するべきです。それを「真実を告げたら悲劇的過ぎる」と勝手な解釈で突き放す行為は患者の人格軽視になるのではないでしょうか。私は口惜しく去り逝く人たちの真情を考えたら胸が痛くなります。確かに、癌が悪化して末期に至ると余命(残り少ない期限つきの命)が迫ってくるので患者も家族も激しく心を痛めます。当然ながら、告知するべきかどうかを巡って議論が繰り返されています。そこで得た私の結論は「患者よ、自分でがん告知して生還をめざそう。自分でがん告知することで家族の悩みを開放させてあげよう!。」です。冷静に考えれば、人間(動物)は生まれた時から「余命(死)」を背負って生きています。だから「癌」になったからと言ってわざわざ余命を告げる必要はない問題ではあります。それを残酷だ、悲劇だ・・・と必要以上に強調する姿勢は目の前の悲劇的な現象に影響されすぎて全体が見えていない感じがします。つまり、そんな時は「本人と率直に語り合う。本音で気持ちを通わせることができれば(本心)が伝わってきます。そのような努力を成すことで「残酷だ、悲劇だ!」の壁を突き破って、患者の立場に立った処置が選択できるはずです。但し、そうは申しても実際は患者と家族の関係は様々であり、複雑な家族関係であるほどに十分のことができないままに流されてしまいます。また、突然のがん告知でどうして良いか判らないままに医者任せになったりします。発見が遅すぎてどうすることもできないままに延命行為を諦めざるを得ない場合もあります。従って、当然ながら治療の施しようがない場合は真実を告げないで丁重に処理するなどの「無告知」扱いが必要になったりします。又、十分に話し合ったりして気持ちを通わせたりすることができない場合も多々あります。いずれにしても余命のことでは、必ず本人に知らせなければならないような義務はない問題です。従って、本人が望まない限り放置しておけばよい問題です。但し、本人が求めた場合は必ず真実を告げるべきです。(続く)
2005/07/30
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私がホームページ(闘病記)造りに費やした時間、特に原稿書きにどれほどのエネルギーを要したかは私のホームページを一読していただければお分かりです。理屈が多くて、文章が長くて・・・(恐縮です!)とにかく、無事に闘病記のHPが開設できて一安心していました。ところが今度はある関係者から「良い結果が出ているからもっと多くの人たちに知らせるべきである。インターネットを使えない患者や家族の人達が多いので本も出版するべきです。」との提案を頂きました。吃驚したのは私です。完治が確信できるほどに回復していない状態であったことと、街角の隅っこでひっそりと生きていた私が本を出版するなんて?!、との理由で悩まされました。しかし、せっかく与えられたチャンスです。ムダにするのは勿体ないと考えて、「とりあえず原稿を書いてみる。それを読んで出版に耐えられるかどうかで最終的な判断をする」との条件でOKしました。次の課題は本の構成です。闘病記ですから私の闘病体験(経過)を軸にしながら「何を訴えるか?」であれこれと悩みました。先輩たちの闘病記はどちらかと申せば、読む人たちに希望を持たせるために、前向きで明るく闘病意欲に満ちた編集(原稿)に心がけている。そこで私は自分の闘病体験と重ねて比較してみました。すると、患者が一番訴えなければならない大切な部分(読む人には深刻で気が重くなる患者の心情・心の叫びなど)が曖昧にされすぎていることに気がついたのです。そこで、私は『読む人に深刻で気が重くなるような患者の姿にもっと光を当てるべきである。その為にはできるだけ患者の立場で本音を語るしかない』と判断しました。又、もう一点大切な課題がありました。癌治療の在り方について、政府が保障している治療法を活用するだけではなく、患者や家族側の立場で、私たちにとって納得できる「がん治療とその在り方」を追い求めていく必要があること。このような患者の側からの努力(統合医療、代替医療など)と国(政府)が推し進める癌治療(西洋医学的な治療法)の改革、改善とが競合し共存することでより良いがん治療が保障されていくべきであると考えました。そこで、どうせ本を出すのであるからこのような私(患者)の考え方(本音)も積極的に訴えていくべきであると決意して執筆活動に入りました。幸いにして「本」の基本原稿は、インターネットのHP(闘病記)が在るので、この原稿を再編集することで進めたので大いに助かりました。肝心の本の出来栄えですが、読者の皆さんからは「読み易い!」とのお褒めの言葉を沢山頂きました。それを聞いて『本音で語ったことが大正解であった!』と安堵しています。しかし、一方では言い足りなかったことも沢山ありました。そのことが引き金となって、初版をもう一度編集し直しての「続編」発行へと発展していくことになります。 (続く)・・◆次回は「余命」について
2005/07/29
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◆化学療法の継続がダメになることを心配し続けた主治医!私が抗癌剤と漢方薬による相乗効果を一番先に体感できたのは、併用治療を開始してから一ヶ月前後の頃でした。最悪の場合は半年の命を覚悟させられたほどに病状が悪化していた上に副作用が重なって結構な体力の低下が生じていた一方で、治療効果が生じて血行がよくなったからでしょうか、体調の悪さの一方で身軽さ(体内の活性化)を感じる様になったことです。私の体の中で体調の悪さと良さ(プラス面とマイナス面)が共生し競合している様を体感できたことです。特に印象的であったことは、その後においても主治医が定期検査ごとに「副作用が酷くなって治療の継続がダメになることが一番心配!」と気遣ってくれたのですが、一番心配された白血球は3000台を維持し、肝機能も正常値を保ち続けたことです。医者の心配(壁)を次々と取っ払って回復傾向を見せたことです。医者の心配も当然でした。治療を始める前に「余命半年から一年」と告げていたので、そろそろ病状の悪化と副作用とが重なって末期状態となって治療ができなくなるとの(机上)の計算(予想)があったからです。但し、それでも私の精神状態は複雑でした。回復傾向にあったとは申せ「完治」の保障が自覚できていたわけでは在りません。それよりも「今の治療法がダメになったらどうしよう。別の治療法を準備しておかなければならない。もっと良い治療法はないか?」との不安感も強くありました。皆さんも経験があるでしょうが、このような時はものすごく神経と研ぎ澄ませて情報集めを行います。新聞、テレビ、雑誌等など、「癌」と言う文字や言葉が飛び込んできたら直ぐに飛びついて読み漁ったものです。その神経の集中力は通常では成せないほどの研ぎ澄まされた真剣さがあります。私もそんな状態が続きました。その意味では、患者にとってがんの治療とは、各自に於いて「納得性を求める取り組み(闘い)」でもあると私は考えています。話があちこちに飛びましたが、とにかく私の回復力は医者任せ、薬(抗癌剤)任せでは絶対に成しえなかったことは事実です。又、治療開始の時から私は私自身の納得性(治療の在り方)を大切にしました。つまり、自分の命は自分で責任を持つとの主体性でしょうか。だからこそ(縮小)(さらに縮小)(さらに、さらに縮小)という流れの中で、必然的に『病院治療+独自療法の補強+私自身の生命力の活性化=相乗効果』という具体的な図式が鮮明に浮かび上がり、その成果をより深く体感し認識できた感じです。そして、このような相乗効果(感)が実感できたからこそ、この体験が糧となって久禮流元気療法なるプラス志向が勢いを増し次なる相乗効果へ結びついていくことになります。しかし、とは申せ現実(癌)はそんなに甘くは在りませんでした。「がんの頑固さ、しつこさ」によって「これでもか!」とばかりの生命の危機に脅かされることになります(語述)。次回は「闘病記」出版の件です。(続く)
2005/07/28
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◆三回目の定期検査でも「さらに縮小!」闘病記のホームページ造りに悪戦苦闘を続けながら、それでも自分を語ることに嬉々としてプラス志向を高めようやく開設できたと思ったら今度は闘病記の出版のための原稿書きです。そして、この作業に取組み始めた直後の8月に三度目の定期検査がやってきた。転移の治療を開始してからちょうど一年が経過した。つまり、余命は「半年から一年」と宣告されていた「一年」がやってきたのです。それもこんなに元気な姿で突破できたのです。尚、私はこの検査に「消滅!」を期待していました。期待と言うよりも『早く消滅させないと新たな場所に再転移する危険性がある!』との危機感を強めていたのです。その焦りの気持ちが消滅を期待したのでした。検査結果は「さらに縮小している。肝機能、血液検査も異常がないので抗癌剤を続けます。」とのうれしい結果でした。しかし、嬉しさの一方で、消滅への期待は実らなかったことと、このような状態が何時まで続くのかと言う不安感と、この一年間の激戦の疲れなどが重なって精神的な疲れが生じていました。しかし、冷静に考えれば(余命・半年から一年)を元気に突破するほど順調に回復できているのです。だから精神的な疲れは生じるにしても順調な回復ぶりを信じることで気持ちの建て直しを計りました。そこで、今後も回復傾向の見通しができたことを記念して「一息宣言!」を行いました。尚、私の「消滅!」への期待感は当然ながらも、今から考えれば(ガンの頑固さしつこさを知らなかった)ために生じた高望みでもありました。いずれにしても「余命は半年から一年」と宣告されながらこれほど元気に突破できるとは信じられない状態でした。しかし、治療的には抗癌剤と漢方薬を併用したことで薬効が働いた成果であるとの実感は確実にあった。そこで問題です。私の場合の「縮小!」は何が効いたのでしょうか。この事で主治医と意見交換したことがありました。私は「漢方薬を併用しているので相乗効果である」と主張しました。主治医は「漢方薬は効いていない。抗癌剤(TS-1)が非常によく効いている」との見解でした。但し、私の「併用治療=相乗効果である」と認識していることに対しては「久禮さんはそうでしょう」と一定の理解も示しました。転移の治療を始める時、主治医から治療法の説明があって、抗癌剤も点滴と経口薬が提案され、私が自分の意思で経口薬(TS-1)を選んだ。現在で言うインフオームドコンセント(説明と同意)に加えて(患者が治療法を選択する)問題です。つまり、医者の協力を得ながら私自身が選んだ治療法で挑戦し、順調な回復を実現してきただけにその「相乗効果(含・患者の生命力)」性を全面的に評価する以外に「縮小」効果の要因は見当たらなかった。(続く)
2005/07/27
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『相乗効果』・・とは?!何となく判るようで明確さに欠ける表現です。それでも私は転移がんが完治できたことの最大の成果として、『病院での治療と独自に補った漢方薬や久禮流元気療法の相乗効果だ!』と評価し、意気盛んに叫び訴えています。つまり、私のこのような主張は統合医療とか代替療法などの理念に基づいており、その理念に基づいた治療法を選択しての成果ですからそれなりの根拠があります。ところが、西洋医学を基盤とする多くの医者の皆さんは「久禮の気持ちは良く判るが、相乗効果を成したとする化学的な根拠(データー)がないから信用できない」と冷たく否定する傾向にあります。ならば私は反論します。「相乗効果を否定するのであれば私の転移がんが消滅した要因は何で在るのか?、化学的な根拠を具体的に示して反論して頂きたい。単なる推測や感覚で否定するのは患者への人格軽視であり医の倫理に反する!」・・・と。つまり、私が一番憤慨するのは、西洋医学的な治療法を基盤としている医師の多くが統合医療とか代替医療(相乗効果)などに関する医学的な教育は受けていない(失礼があればお詫びします)。単に西洋医学的治療法に基づいた日本の薬事法や医師法などに規制された枠内でしか公式の発言を許されていない。そうであるが故に、意図的に統合医療や代替医療を否定する立場で患者の人格軽視を蔓延させている実態です。どう考えても釈然としません。悔しさと怒りさえ込み上げてきます。話がややこしくなりましたが、私たちにとって医者との関係は絶対的に服従するべき関係で「医者の言う事は何でも正しい」といった権威主義的な考え方を根強く持たされています。このような関係が全てとは申しませんが、私たちが「相乗効果」などを語る時、必ずといって良いほど医者との間で対立が生じます。私もこの事が頭から離れない、避けれ通ることができないので「ストレス解消!」的に少しだけ私の考え方を述べてみました。◆そんな訳で大変申し訳ありませんが、私が体験した相乗効果について具体的に報告するつもりが、とんでもない方向に話が進んでしまいました。次回は、間違いなく体験的な相乗効果の報告に入ります。(続く)
2005/07/26
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ところで、私にとって7月25日とは何の日かと申せば、毎月お楽しみの給料日で・・(ん?)、ではなくて、前日に『病院を紹介するから直ぐに手術を受けて下さい』と告知を受けて、紹介状や胃の内視鏡検査のフイルムなどを預かって、背中を押されるような急ぎ足(焦りの心境)で紹介された病院へ行った日でした。そして、紹介医からは「手術はできるでしょうが、どうして再検査を一年間も放置したのだ!、手遅れになって病院に駆け込んでくる患者が多すぎる。自分の命をもっと大切にしなければダメだ!」と空しそうな表情でしかし毅然と叱責されたことを思い出します。それも、この日の前日でした『自分が育てた癌の姿を一目拝見しておきたい!』との好奇心でクリニックから預かった内視鏡検査のフイルムを取り出して拡大鏡で覗いたのです。するとその姿が目に入るなり「ウッ!」と唸って後の言葉が出ないほどに立派に育っていたのでした。だから紹介医からお叱りうを受けても『ごもっともな意見!』と素直に受け入れるしかなかったのです。しかし、それから8年が経過した現在では転移の部分も完治するまでに回復させることができています。以上、夏が訪れる度に思い出す悲喜交々の一コマでした。そこで、話を少し前(転移の治療を開始してから一年後の夏の頃・日記(80)の続き)に戻します。パソコン教室に通いながら闘病記(ホームページ創り)に熱中する状態が4ヶ月ほど続いてようやくホームページが開設できた。ところが、今度は『治療に良い結果が出ているのでもっと多くに皆さんに語り継ぐべきです。インターネットを知らない人も多いので闘病記の本も出版するべきです。』との話が持ち込まれたのでした。治療的にも放射線治療が提案されるなど、新たな情況を迎えることになります。そこで、このような報告に入る前に、闘病の「在り方」についてもう少し補足しておきたいことがあります。それは、私たちが医者から指示されたとおりに義務的に治療を繰り返すだけではなく、患者の元気療法などを補うことで(薬と免疫・治癒力)が合体して病状を回復させ、このような相乗効果が次なる相乗効果へと発展していくことの素晴らしさです。次回この点について体験的に述べて見ます。(続く)
2005/07/25
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今から8年前の明日・7月24日は、医者から「直ぐに手術を受けて下さい」「何ですか?、癌?」「胃がんです。相当進行しています。成功率60%に賭けて下さい」と、告知を受けた日です。おまけに、潜血反応の再検査を一年間も逃げ回っていたので、胃の腫瘍部分からの出血が酷くなって重症の貧血(血液不足)でした。疲れがひどく仕事が終わって家に帰ると起きていられないので、直ぐに布団に寝転ぶ有様でした。それでも癌で侵されている胃の部分は痛みがなく(胃が重くもたれる感じは在った)、腰(中心部分)の痛さや貧血による疲労感、それと食事の量が落ちて消化不良(下痢)などの症状は体感できていました。又、この頃に感じていた体内の状態を推測すると、今まで経験したことがない様な異常さ(重症感)があった。だから潜血反応の原因が「痔」ではなく、また胃潰瘍、肝臓病、糖尿病などとあれこれ比較して考えて見たが、そんなレベルの異常さではなかったので「癌」としか考えられないことを悟らされました。一年間逃げ回って得た回答がこの有様です。何処にも逃場がなくなったことで観念し、この場に及んでは最悪の事態を覚悟するしかない。この世におさらばすることになるかも知れないなどと気持ちの整理も行いました。そして、このようなことに至った自分の姿を哀れに思いながら、これらを背負って検査結果を聞きに行こうとしていた告知前夜の姿を思い出します。◆付記又、このような体験は「無告知扱いの無意味さ」を理解するに十分な体験でもありました。但し、自分で「癌」と覚悟していたとは申せ改めて真実を告げられると精神的なショックは大きいことも事実でした。それでも覚悟していたことでもあるから周囲の温かい励ましなどがあれば気分転換(気持ちの切り替え・整理)も行い易く、毎日繰り返される「惨め」さに抗してもう一方の元気印が勢いを増してくれます。
2005/07/23
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◆三回目の定期検査で「さらに縮小!」との朗報!私がHP用の原稿を書き始めたのが、2000年3月の2回目の定期検査で「さらに縮小!」との朗報を得た頃からです。そして、それから凡その三ヶ月間は、朝と夜の食後に抗癌剤を飲んで、9時、15時、21時に漢方薬を義務的に飲むだけで、それ以外は原稿書きに熱中して居ました。朝起きてからでも、仕事中でも、夜フトンに入っても原稿のことが頭の中を駆けずり回っているので治療のことなを考えている余裕などなかったのです。これが仕事のことであれば確実に免疫を下げて体調を崩して病状を悪化させていたことでしょう。けれども自分の事を自慢げ(?)に語り、闘病の成果を語り、天下に向かって自己主張を掲げるのですから肩が凝ったり疲れたりしてのストレスは在っても精神的なストレスなどはない。反対に原稿書きに喜びを感じ、原稿が一つ一つ完成するごとに喜びが沸き免疫が高まるのですから、生命力の活性化となって薬効を高めるなどの相乗効果があったはずです。原稿を書いている頃は、これほどに免疫効果があるとは気がつかなかったのですが、その後、時間が経過するほどに元気療法の果たす役割の相乗効果性が確認でき教訓化できました。そして、ようやく原稿ができて友人のHPに間借り(家賃は無料!)してHPを開設しました。そして、その直後に三回目の定期検査です。転移の治療を開始してから一年目の2000年8月でした。この時は(腹部のCT、胃の内視鏡、血液)検査を行いました。ところが胃の内視鏡検査の時に変則的な体位をさせられたりして二人の技師が「ここにも・・・」などと会話しながら作業を進めたのです。私は急に不安感が高まって「再発か?」と危機感を高めて質問したら「多分胃潰瘍でしょう」との返答に一安心!◆さらに、さらに縮小!検査の結果は単なる胃潰瘍で、主治医から「さらに縮小している」との報告でした。但し、私はこの時に「消滅しているのではないか」と期待して居たので少し落胆しました。理由はがん細胞が体内に長期間居座るほどに悪さをするので一日も早く消えて欲しいとの願望が強く働いたからでした。いずれにしても「さらに縮小している」との結果に「生還」への道筋を強く意識できる様になった時期でもありました。そこで私は「一息宣言!」なる報告文を作成して皆さんに報告しました。ところが事態は全く予想もしなかった危機的状態を迎えることになります。一方では闘病記の本を出版する作業に取組みながらも治療的には、抗癌剤の耐性が生じてきたので放射線治療の提案がされるなど、一難さって又一難、こんなことが何処まで続くのか?!・・・と言った、がんの「頑固さしつこさ」を強烈に思い知らされる事態へと突入したのです。(続く)
2005/07/22
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◆快感を覚えるほどに大いなるストレス解消!前回も申しましたが、インターネットのホームページ作りは、最初からシナリオがあって原稿書きを始めたのではないのです。どのようなホームページができるかは全く白紙状態でした。そこで、とにかく頭の中に一杯たまっている考え事を全部掘り起こして文章化して見なければ何が出てくるか判らなかったので、その作業から始めました。すると出て来るわ!、出て来る!、こんなに沢山のことが頭の中にたまっていたのかとびっくりするほどに次々と文章作業が進みました。この点はここで説明しなくても、私のホームページ(闘病記)を一読すればその膨大な文書量でお分かり頂けます(恐縮!)。そうはいっても最初から立派な闘病記が書けたのではありません。気持ちの焦りが先行してまとまりのない文章も多くありました。そのために何度も手直しを繰り返しながら現在に至っています。但し、私がここで訴えたいことはそんなことよりも、このようなホームページ作り(文章作業)が与えた治療効果の大きさについてです。皆さんも何度となく体験されているはずですが、悩みや不満などを我慢するとストレスが貯まります。がん患者になったことで想像を超えたストレスが蓄積します。そこで、家族や親友などに悩みや不満を打ち明けると気分がすっきりします。衝動買いしたり、お酒に浸ってみたり、それぞれ流にストレスを発散させます。私にとって、原稿書き(後の本書きにも関連)はそれ以上に気力・精神力を活性化させてくれました。つまり、長年にわたって積み重ねられてきた欲求不満(怨念)みたいなものが一挙に噴出して体の全身がきれいさっぱりと身奇麗になったような快感を覚えたことです。自分の良い面も悪い面も有りのままを曝していく、闘病のことも「できるだけ」本音で語り訴えることを大切にしたこと。このような姿勢で闘病にも立ち向かったことで自然体のプラス志向が備わった感じです。そんな訳で、自分の闘病体験を語ること、周囲に(それも全国的に)宣伝し語ることは、そこから逃れられない厳しさはあるが、病気と闘いながら積極的に「生きる!」ことそのものであることに気づかされました。私にとっては素晴らしい体験でした。つまり、私たち患者自身にとって「がんと闘う」という意味は、自分の気持ちを外に押し出すことであり、それが「がんと闘って前向きに生きる!」ことの原点であることです。私は当時「患者が主体的にがんと闘う」と言う姿が頭の中で描けていなかったので凄く悩んでいたのですが、この理屈に出会えたことでその謎が解けました。つまり、癌と闘うためには信頼できる医者を探してとか、西洋医学がダメなら東洋医学を活用して・・・などと悩む以前に、気持ちを前向きにして日々を積極的に生きる行為そのものが「がんと闘う原点!」であることを悟ることができたからでした。(続く)
2005/07/21
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◆闘病記を開設するに当っての基本姿勢!私が闘病記のホームページを開設した時期は、がん告知から丁度一年が経過した2000年7月の頃でした。最初はどのような内容の闘病記にするべきかずい分悩みました。明るく元気な闘病記、代替医療賛辞の闘病記等など、様々にある中で、私はできるだけ本音で語り継ぐことを基本にしました。従って、気持ちが重くなるような暗い部分にも積極的に光を当てることを当然としました。なぜなら、明るく元気な闘病記も良いが、一番大切な患者の「本音・叫び」が闇に葬られたのでは去り逝く側の人格が軽視されるとの危惧が強く働いたからです。納得できる闘病記にならないと判断したからです。例えば治療のことで様々に試したくても後に残る家族のことを考えたら経済的な負担をかけない方が良いなどと我慢しがちです。又、告知の良し悪しのことでも、無告知扱いに不本意で在ってもじっと我慢し誰にも知れずに気持ちの整理をします。だから「本音」の部分には固く蓋をしたままあの世に持ち去ってしまいます。これが全てとは申しませんが、一般的にはこのような傾向が強くあります。そこでこれでは悲劇的過ぎる。がん治療の在り方も患者や家族の側から積極的に改善し改革していかなければならないので、その為にも本音を語っていかなければならないとの危機感を持ちました。そこで患者の一人として、闇に葬られがちな患者の叫びや訴えごとを積極的に訴えて、去り逝く側の人格にもっと光を当てるべきである。そのことを通じて、私たちにとって納得できる「癌治療の在り方」を追い求めてくべきであると判断して原稿書きに取組みました。それにしても大変な作業でした。文才があるわけでもないのでとにかく脳みそが飛び出すほどに頭の中に一杯詰め込まれている「癌に関する何でもかんでも・・)の全てを文章化する作業から始めました。そして、それを何度も何度も手直ししながら延々と繰り返される闘病記作成作業でした。(続く)
2005/07/20
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◆この記事は本宅(HP)のBBSに載せた原稿のコピーです。連休は伊豆の伊東温泉まで行って、仕事のことなどは全部(頭の中から放り出して)免疫(生命力)アップに熱中してきました。17日の前夜は友人宅(別荘)の庭でバーべキューを楽しみながら飲んでの賑わいです。翌日は伊豆高原ならではの景色(富士山は霞んで観えなかった!)に設定されたゴルフコースで、真夏の太陽を燦々と浴びながらのプレーを堪能しました。私は夏は大好きです。特に好きな遊びであれば汗まみれになっても苦ではなく、熱中する程に快感を覚えます。昨日はそんな一日でした。◆カラスの逆襲か!?ところがゴルフのプレー中(午前の9ホール中7ホール目)に私の打球が消えてなくなると言うハプニングがありました。私の打った球がナイスショットしてコースのど真ん中に落下した。同伴たちも「ナイスショット!」と言ってしっかりと視認してくれていたのです。ところが、カートに乗って落下地点に行くと他のメンバーの打球は在るのですが、ヘヤーウエーのど真ん中に落下した私の打球だけが消えて無くなっているのです。同伴者たちも「確かにここに飛んで落下したはずだ!」と一緒に探してくれたのですが何処にもない。近くでカラスが5~6羽、ギャーギャーとうるさく鳴きながらたむろしていた。そこでみんなの一致した意見が「カラスがくわえて持ち去ったのだ!」でした。それ以外に消えた原因が考えられないからです。そばに行って「玉を返してくれ!」と懇願したが全くの無視、知らん顔して私から逃れるだけです。そこでふと思い出したのが、我が家の屋上で繰り返したカラスたちとの争い事でした。私がカラスを恐れさせて住処を追い出したので「その仕返しか?」との疑念が湧き上がってきたのです。けれども「まさか!」とすぐに打ち消したのですが、このような被害妄想(疑念)は今でも晴れないのです(笑)。原因は次のような悲劇へと発展していったからです。同伴者と協議して「この辺に落下したのは確実だからここから罰なしで打てば良い」との確認の元でプレーを再開した。但し、30メートルくらい前方に大きな池がありました。そして、池の向こう側がグリーンです。だから80メートルくらい飛ばせばピンそばまでオンできたのです。ところがプレー再開の第一打がチョロして池の中へ、第二打も池の中へ、第三打も池の中へ、4打(通算して8打)めでやっとグリーンオン(パー4が10に)という悲劇的な結果になったから余計です。結果がこれだから「カラスめ!、奴らが玉を隠さなければこんなことにならなかったのだ!」と思うと、尚更に治まりようのない怒りが込み上げてきたのでした。今でも思い出すと怒りが込み上げてきます。そして、今度は私からどんな「仕返し!」をすべきかと思案中です。それ程に(生命力)を高めています(笑)。それにしてもたかが遊び(ゴルフ)ごととカラスの戯れに過ぎない問題です。大人気ない話で謝、謝です。でもこんな要領でプラス志向、免疫アップに結び付けているとの一コマの紹介でした。
2005/07/19
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◆食べず嫌いを食べる勇気?!若い世代の皆さんがパソコンを扱うことについては、社会の常識として一般化しているので抵抗がないでしょう。しかし、我ら庶民派の「おじさん」世代はちよっと様子が違うのだ!。先ず横文字(英語)が大の苦手、その次にパソコン独特の複雑で細かい操作が入り組んでいる機械いじりも大苦手なので、パソコンのそばに近づくことさえ嫌になる。その上「触ってみる?」と言いたげに視線を向けられると背筋がぞくっとして恐怖を覚えるのです。まさに「食べず嫌い」の心情そのものでもあります。 ん?、ちょっとオーバーかな・・笑!こんな私がパソコンに挑戦するのですから大変な労力を必要としました。幸いにワープロはベテランの域に達していた(?)ので、文章作成は問題ではありませんでした。それよりもパソコンの膨大な機能とその名称、複雑な操作手順等などを覚えるのが大変でした。友人が何度も足を運んでくれて、インターネットの基礎的なことから操作手順など丁寧に教えてくれるのですが、短期間で覚えられるのもではない。そこで、これ以上迷惑はかけられないと判断してパソコン教室に通うことにした。機種が富士通だったので数寄屋橋の近くに在った教室に通った。タイミングよく「シニヤ」対象の教室に入れた。生徒の全員が「おじさん、おばさん」たちです(笑)。そして、教室に通いながらメールの送受信や文書作成などの特訓を繰り返した。特に文書作成の練習では、ホームページ用の闘病記(原稿書き)作業があったので有効に活用できた。現金なもので、食べず嫌いを食してみると意外と味が良かったので「もっと早く覚えておけば良かった!」と後悔の念でした。原稿ができると、今度は実際のホームページ作成作業です。幸いに友人がホームページを開設していたので、友人のHPの一間を借りて居候することにしました。原稿ができたら友人に送って、友人が私のHPの欄に原稿を挿入する要領です。これを繰り返すことによって、何とかホームページも公開できる状態にまで作成することができました。パソコンと取っ組み合いを始めてから5ヶ月前後の激戦でした。友人のHPに間借りした状態の闘病記(ホームページ)とは言え、私の闘病体験を全国に公開できたことに喜びと緊張感を覚えました。ところが!、一息できたのもつかの間・・・今度は闘病記の(本)を出版するべきだとの提案が持ち込まれたのです。この間の取っ組み合いに治療のことなどは忘れるほどに全力投球してきた私です。その上にさらに難題が持ち込まれたのです。訳が判らないままに、自分の能力をはるかに超えた別の世界に迷い込んだような戸惑いを感じたほどです。(続く!)
2005/07/16
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パソコンの恐怖?、なぜ怖いかって??高齢者になるほどパソコンやインターネットに近づこうとしない人が多い現象(心情)と同じと申した方がご理解いただけるでしょう。私は今から30年以上も前からワープロを扱ってきたのですが、パソコンは扱い方が複雑すぎることと訳の判らない英文だらけなので「いやだ!、堪忍してくれ!」と逃げ回っていたのです。一種の「食べず嫌い!」と同じで先入観だけで敬遠していたのでした。ところが、前述したように、知人からは宅急便でパソコンを贈られ、それを知った友人がホームページを開設せよとの追い討ちです。しかし、私は何とかして逃げ向上を見つけようと「こんなことに時間を使ったら治療に手抜きが生じる?」、「治療以外のことに神経を使いすぎると病状が悪化するのではないか?」、「私はがん患者だから治療に専念しなければならない。パソコンなんかに神経を使っている暇などない!」と、あれこれ理由を並べてみたのですが、説得力が弱く通用しませんでした。こんなことで納得してくれる友人たちでもなかったからです。私たちが病気を患うと病魔から生命を防衛しようと防衛本能が働きます。例えば胃などが痛いときは(お腹)をかばうような仕草になります。それに、大声を出したり飛んだり跳ねたりすると余計に病状を悪化させるのではないかとの不安感(防衛意識)が広がります。私もこのような不安感(意識)に何度もおそわれました。これと同じで、パソコンを覚えてホームページを開設するためには相当の時間と労力を必要とするので、「何もしないで安静にしていた方が治療に有効」といった防衛意識の枠を取り外していく必要がありました。そこで、「パソコンなんか嫌や!」と言った「逃げ!」の意識から「挑戦!」へと発想の転換(闘争心アップのスイッチON)を行ったのでした。今から考えると、パソコンのことくらいで一大決心が必要であったとは、皆さんから「肝っ玉が小さいぞ」と笑われそうですが、それ程に「余命・死」の宣告に対する精神的な落ち込みがガンコに残っていたからであることを悟らされます。(続く!)
2005/07/15
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転移のことでは、主治医からCT写真のあちこちを指し示されて「これは何だ、これは何だ?、あってはならない物がある!」と告知された。そして、「このまま放置するとやがて臓器に重大な影響を及ぼす様になる」と警告され、病院治療の限界を越えていることを悟らされた。そこで、『我が人生の壮大な賭け!』を意識しながら抗癌剤と漢方薬を併用しての治療に励んできた。結果は3ヵ月後の検査で『縮小!』が確認された。さらに、回復が進むと自然と気力の「充実!」を感じるほどになり、激しかった副作用も量的な調整によって解消され、その分だけ気力・精神力も充実していった。そして、2回目の定期検査でも「さらに縮小!」となって確実に回復に向かっていることが実証された。しかし、それでも新聞や雑誌やテレビなどで『癌』という言葉や文字が飛び込んで来ると「何か良い情報はないか?!」と情報集めに神経を集中させました。毎日が異常なほどに神経を集中させてきただけに、その習性は簡単には解消しませんでした。現在でもこのような習性は続いています。我が身を痛ましく思う程です。◆闘病報告・・・私は闘病生活に入ってからは、必要に応じて闘病の経過をワープロで文書作成しながら皆さんにお配りしてきました。いろいろと語りたいことが多かったことや、闘病経過を文書で残して置きたかったからでも在りました。そんな私に知人が「PCを使った方が便利だ!」とパソコンの中古を贈ってくれました。するとこれを知った友人が「せっかくだからインターネットでホームページを開設するべきだ!」とのお勧めです。私が2回目の定期検査で「さらに縮小!」と診断される少し前の頃でした。けれども私は英語(文)が大の苦手なので、これまでは意識的にインターネットを敬遠していたのです。それに私は何時死ぬか判らない(?)闘病中の体です。だから「ちょっと待ってくれ!、私は治療中だからそれどころではないのだ!」と言い訳しようとしたが、そんな後ろ向きな私を認めてくれるような面々ではなかったのです。そうなると私もプライドがあるので引下るわけには行かなかった。内心、大変なことになったぞ!と不安感を高めながらの挑戦です。しかし、その一方では、こんなことに熱中したのでは「治療に手抜きが生じるのではないだろうか?」との不安感も強くありました。そして、この不安感は見事に的中(?)して行ったのです。ホームページ開設に続き闘病記の本出版へと、癌の治療など忘れるほどに、病状が悪化するのではないかと心配するほどに、原稿書きに悪戦苦闘をさせられることになったからです。しかし、ホームページ作成や本の原稿書き(自分を語る、自己の開放!)作業は病状を悪化させるのではなく気力、精神力を活性化させるので免疫力を大いにアップさせてくれたようでした。(続く!)
2005/07/14
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気力の充実を体感できるほどに回復が進む中で受けた2回目(2000年3月末)の定期検査。主治医が過去3回分のCT写真(転移を確認した時の腫瘍状態、縮小を確認した時の縮小状態、今回の定期検査)を見比べながら縮小の事実を証明してくれた。私も眼鏡をかけて写真を凝視したが、どれが悪性腫瘍なのかは判別は不能でした。主治医は「縮小しているので消滅の可能性は有望である。問題は抗癌剤を長期に続けると副作用が酷くなるので体力が持つか否である。又、薬に強い腫瘍が生じる(耐性が生じる)危険性もある。とにかく体力をつけて下さい。」との指示があった。そして、白血球は4100で肝機能も正常値でしたが、念のために抗癌剤を一ヶ月間休んで体力を十分につけてから再開することになった。その理由は、私の余命が「半年から一年」の丁度「半年」の時期にきていたこと。また過去の多くの症例が、副作用が酷くなって治療が困難になる時期と重なっていたからだと判断しています。そこで私が実感(確信)できたことは漢方薬を併用したことの相乗効果でした。つまり、前記したような心配ごとは私の体内では発生していなかったからです。それどころか。これまで何度も強調してきたように、下痢や胃痛などは生じていたが、その一方で気力の充実を体感できるほどに体調は回復していたからです。漢方薬は下痢が生じている期間だけ中止して、下痢が治まったら直ぐに再開して整腸作用、体力回復などに努めました。気力の充実感が抗癌剤と漢方薬による相乗効果であると実感できていたからこその励みでもありました。「桜の花が咲く頃には・・・」が予想通りに良い結果で通過できたので、今度は次の定期検査(6月・・7月で闘病3周年)を目標にしての挑戦です。ところが、事態は「治療のことなどは構っていられない!」ほどの多忙さに巻き込まれていくことになります。現在の私を形作る事件(始まり)でもありました。(続く!)
2005/07/13
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◆回復への兆し!治療開始から半年(縮小が確認されてから数ヵ月後)近くが経過した頃になると徐々に気力の「充実!」を実感できるようになりました。その様は、「こんなに肉体や精神を痛めつけてどうなるんだ!」と怒りが収まらないほどの副作用に苦しめられながらも、一方では「縮小」という検査の結果だけではなく、心身の解れ感や体調の良さによって実感させられてきたことです。余談ですが、私は以前映画制作の仕事に関わっていました。その中で、時代劇などのシーンで殿様が少しずつ毒を盛られて殺されていく筋書きがあります。私は抗癌剤の回数を重ねるごとに激しさを増す副作用を体験する中で、「なるほど、少しずつ毒を盛られて殺されていくとはまさにこの事だ!」と実感させられたほどです。そして、これほどの労苦を体験させられてきただけに、お腹の底から沸きあがるような快活感(体調の良さ)、気力の充実感は新鮮さを伴いながら徐々に高まっていきました。そうなれば「よし、今日も頑張るぞ!」とのプラス志向そのままに、次なる相乗効果(朗報)をめざして、私流元気療法にも勢いが増します。そして、「桜の花が咲く頃にはさらに良い結果を!」と期待していた定期検査を迎えました。5年が過ぎ去った現在でも当時を思い出すと心臓がドキドキします。緊張感が走ります。 (続く)
2005/07/12
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『がんとの共生』・・・その為には『長期治療の継続』が原則であるという考え方で開始された転移の治療。しかし、このような期待を裏切るかのごとく生じた激しい副作用・・・?!ところがその心配を他所に、漢方薬などを(補った)ことが実って、白血球や肝機能は減少傾向を続けながらもギリギリの線で正常値を維持することができた。それだけに、もし漢方薬などの補強がなければ、これらの症状はもっと危険な状態に至っていたことを考え合わせると、私たちが独自療法を補っていくことの大切さが再認識できます。何れにしても、副作用で治療の継続が心配されただけに主治医も早めの対策(抗がん剤中止・体力回復)を優先させてきました。そして、これに関連させて、抗がん剤(TS-1)の量も「縮小」が確認された直後からは一日120ミリグラムを100ミリグラムに減らした。しかし、それでも改善しなかったので、更に80ミリグラムに減らした。おかげ様で、ようやくにして酷い下痢などの強い副作用から開放されました。治療開始から約半年後の開放でした。その上、強い副作用からの開放は「縮小」という回復傾向と重なってきたので、私なりに取組んできた元気療法とが相乗効果的に実って、回復への道筋を確実にさせているとの実感を肌で感し始めた時期でもありました。そして、事態は2000年3月、2回目の定期検査で「さらにに縮小している!」との朗報へ発展して行きます。現在に至る生還への道筋が確実に切り開かれたのでした。とは申せ、その後も緊急手術や二回の放射線治療、再々発予防のために漢方薬の大量投与等など、大きな山場は何度も現れては乗り越え、現れては乗り越えの試練は続きます。但し、私の試練はそれだけではありませんでした。全く予想もしなかった闘病記出版という事態が勃発したからです。この取り組みは治療のことなど忘れるほどに多忙を強いられました(正しくは私の能力不足でしたが・・・)。けれどもこのような取り組みができたのも。二回目の検査で「さらに縮小している」との回復が実現できていたからでもありました。そこで、今後は先ずこれらに関する報告から進めることにします。(続く!)
2005/07/11
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◆主治医・・「縮小=安心するな!」との警告!99年12月末に縮小が確認され、翌1月早々に抗癌剤を受け取りに通院したとき、今後の見通しなどについて主治医に質問しました。私・・・「どのくらい縮小しているのか、消える見通しはどうか?」主治医・「約半分(一センチ)くらいに縮小している。といっても細胞は10億個くらいは残っている。消える見通しはあるが副作用に身体が耐えられるかどうかが心配。例え消えても(検査で確認されなくても)細胞は一億や二億個は残っている。それが再発となって生命を奪う」などの解説つきで答えてくれました。この説明はその後の治療(私自身の姿勢)に大いに役立ちました。つまり、抗癌剤や放射治療などで「消滅!」した状態であっても検査では確認できないような小さな腫瘍が残っている場合が多く、それが一年後、二年後になって再発してくるので、それに対する備えができたからです。それよりも問題は、副作用が酷くなって治療の継続が困難になる危険性の方が心配でした。しかし、以前も報告したように、主治医の心配は他所にどんどんと回復して行ったのでした。抗癌剤(TS-1)は、体力温存を前提に今回から一日100ミリグラムに減らしての服用となりました。そして、「桜の花が咲く頃は更に良い結果を実現させよう」と心に誓ったのでした。なぜ桜の花が咲く頃かといえば、定期検査が三ヶ月ごとで、次回が3月となっていたからです。私はこの頃から、次回の定期検査までの三ヶ月間を強化月間などと定めて気持ちを集中させてきました。そして、次の三ヶ月間・・・と言う要領です。このような闘病スタイルは、治療が長期化するほどにマンネリ化して闘病意欲が低下しやすいのですが、三ヵ月ごとの目標を設定することで、適度に刺激が保てたので闘病意欲も下がることなく非常に有効活用できました。◆漢方薬のニセモノ?!ところでこの日、病院からの帰りに漢方薬(天仙液)の相談事務所を訪問しました。漢方薬を併用して縮小効果が在ったことの報告と、まだ訪問していなかったので挨拶も兼ねての訪問でした。そして、お互いに情報交換し合う中で「天仙液の偽物が出回っている」ことを知らされ、正規の購入ルートがあることも始めて知らされました。尚、これらの点についてはすでに報告済なのでここでは省略します。次回は「激しい副作用からの開放!・・・」です。
2005/07/08
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副作用に対しては誰もが神経過敏になります。副作用は投薬を重ねるごとに少しずつ酷くなっていきますが、始めの頃は慣れないので日々がビクビクものです。それに私は医者との関係で理不尽さを体験しました。つまり、副作用は白血球や肝機能の心配よりも先に(胃腸の悪化や腰痛や肩凝りなど)、(頭髪、全身の皮膚障害など)、(苦痛、嫌気、免疫低下など)の様々な症状が先行して現れます。しかし、医者からは、副作用の特徴とか、それに対する対応策などについて詳しい説明や指示がなかったことです。だから、私は十分な予備知識がないままに必要以上の不安感と苦痛を強いられました。例えば、最初は喉や歯茎の痛みなど軽い症状があって、三週間目くらいから胃痛や下痢が始まった。特に胃痛や下痢は酷かったので「さあ!、大変だ!」と危機感を高めて主治医やナースに(善処!)を訴えた。ところが医者もナースも「薬を止めれば治るから大丈夫です!」と平気に聞き流す態度でした。私は主治医から「副作用が酷くなると緊急入院が必要になる」と警告も受けていたので余計に不安感を高めていたのです。しかし、残念ながら?、私の不安感に答えて具体的な胃痛や下痢対策をしてくれませんでした。だから「・・・???」の心境でした。そして、次のクールも同じ対応しでした。私は「不親切な態度だ!」と気分を悪くしながらも「何で?」と真剣に考えました。そして、やっとその謎が解けたのでした。つまり、抗癌剤の副作用で一番危険なのは白血球と肝機能の低下であること。基準値以下に下がれば緊急対策が必要である。しかし、それに比べ胃痛や下痢は抗癌剤の毒性が原因だから服用を中止する以外に対処療法がない。だから「薬を止めれば治る!」としか対応できなかったのであることが理解できました。そこで、このことが理解できてからは、激しい胃痛や下痢に時には涙しながらも(休薬期間がくれば体力の回復ができる?!)と我が身を説得しながら、例え胃の痛さや下痢で苦しんでいる期間であっても、一日10分でも20分でも我慢しながら散歩を続けるなど、体力アップに努めました。このようなプラス志向に方向転換させる事ができました。(続く!)
2005/07/07
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さて、転移の治療開始から縮小効果が確認される過程で、体調がどのように変化してきたのか。抗癌剤の副作用と漢方薬効果、相乗効果性などに関して少し整理しておきます。抗癌剤を始めてしばらくすると「喉の痛み」「歯茎の痛み」「首筋の痛みや肩凝り」「体のだるさ・脱力感」などが日替わり、週変わりで発生しました。そして、副作用が進むと手足の指先が黒く変色したり、胃痛や下痢が始まったり、肌が黒っぽくなって慢性化した。更に、酷い時は「立ちくらみ」が生じた。坐った状態で立ち上がると平衡感覚を失うので立てない。体のバランスが崩れて歩けない。なども生じます。また、抗癌剤が2年、3年と続く中では肌が荒れて、びっくりする位の「ぬるま湯」のお風呂しか入れなかった。しかし、抗癌剤の毒が肉体を蝕む一方で、病状の回復と共に体調の良さも体感するという両面が共存し同時進行する感じでした。例えば、体調が改善していった部分は、転移を告知された頃はすでに腰痛(腰の中心部分)や背中の痛み(背中をイスやソフアーに預けると激痛が走る)。体力減退が進行していたが徐々に改善されていった。又、夏になると背中に発生していた軽いアトピー性皮膚炎が、病状の悪化でお腹や全身に広がっていたが治療を開始したら薬効で全治した。又、副作用で激しい胃痛(胃壁がただれる症状)や下痢が生じた割には吐き気や食欲減退などの悪心はごく軽症を維持できたこと。このようにして、副作用の毒の影響(体調悪化)と、薬効が働いて体調が改善されていく有様を同時並行的に体感できました。従って、これを総称して「漢方薬効果だ!」と評価している次第です。但し、この評価は厳密ではありません。なぜなら抗癌剤も程度の差はあれ何らかのはたらきをしていると判断するからです。しかし、私たちは抗癌剤は肉体を蝕む「悪者」であるとの先入観が強い。だから体調が改善されても抗癌剤以外の影響であると評価しがちです。事実、私の場合も「体調の良さは漢方薬効果だ!」と叫んでいます。確かに漢方薬が体調改善に果たした役割は大きいはずです。しかし、厳密に言えば「抗癌剤と漢方薬の相乗効果」であると評価する方が正しいでしょう。そして、その中で漢方薬が果たした役割は非常に高いと評価するべきです。いずれにしても、抗癌剤だけでは実現できなかったであろうとの実感(体調の改善)は強く体感できています。何よりも主治医が定期検査のたびに「副作用が酷くなって治療の継続が出来なくなる事が一番心配です」と繰り返してきた心配を他所に体調がどんどんと改善していったこと。そして、このような回復ぶりを肌で、感覚で、体調的に体感するなかで漢方薬効果を高く評価するようになった所以でもあります。(続く)
2005/07/06
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腹部リンパ筋への転移に対する治療は「手術や放射線治療は不可」であっただけに抗癌剤と漢方薬併用で縮小効果が実現できたことは「九死に一生」を得たに等しい成果でした。しかし、一方では単なる一時的な現象に過ぎないとの不安感も強く、主治医からは「治療の継続ができなくなる事が非常に心配である」と強調していました。つまり、副作用で白血球や肝機能が低下して抗癌剤治療の継続ができなくなるという危機感です。事実、再発や転移を余儀なくされた患者の殆どが、このようにして治療が続けられなくなって生命を落としていたからです。そこで、私の場合は主治医が「長期間の治療ができるように体調管理優先で進めていく」方針でした。だから「下痢が始まったら直ぐに薬を止めて体調の回復を優先さて下さい」との指示が出ていました。私も同じ意見だったので下痢が始まったら抗癌剤や漢方薬は中止します。そして、下痢が止まったら漢方薬だけを再開させて体力の回復を早める努力を重ねました。それでも副作用で白血球数が徐々に減っていたので抗癌剤の量を少し減らしながらの取り組みです。医者の立場からすれば、薬の量を減らせば(頑固者の私には)それだけ薬効が低下するとの危惧はあったはずです。けれども抗癌剤治療を長期間続けることのほうを優先させました。抗癌剤(TS-1)の量は治療開始の時が一日120ミリグラム、縮小が確認された直後に100ミリグラムに減らす。しかし、それでも下痢が続き、白血球数なども低下傾向を続けていた。仕方なく一日80ミリグラムにまで減らした。その結果、何がしかの副作用は残りながらも、抗癌剤を途中で中止しなければならないような副作用は消えました。すでに治療を開始してから半年近くが経過して居ました。次回はこれに関連して漢方薬効果についての報告です。(続く!)
2005/07/05
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転移の治療で、治療的には「抗癌剤と漢方薬の相乗効果」に期待して、その薬効に私の命を預けることになりました。しかし、これで「転移が消滅できる」との全面的な信頼は持てなかった。むしろ「寿命が尽きた」との諦めの心境で居たほどでした。けれども「一筋の光」さえも見えない心境にありながらも、目には見えない「可能性」に向かって最善を尽くす以外に出口は見えてこない状態であったので、そのことに私自身の全人格を賭けるがごとく、私流の元気療法を展開させることになったのでした。それがメニュー豊富な朝の散歩であり、「今を元気で楽しく過ごす」など、生命力アップのスイッチがONされてきたのでした。特に朝起きてから夜フトンに入るまで常に気持ちをプラス志向で維持し続ける努力を重ねました。先ず、朝目覚めたら大きく背伸びをします。例えば猫が目覚めた時に大きなあくびをしながら気持ち良さそうに背伸びする要領です。外に出たら空を見上げます。曇りや雨でも空を見るだけで気持ちが晴れます。これは子供の頃から身についた習性です。朝起きたら空を見上げて「今日の天気」を予想していたからです。又、癌になる前は何をするにも義務感で息をしているような生き様でした。それだけ生甲斐がなく迫力もなかった。気分が乗らない日は挨拶も適当であったり、タバコや酒でストレスをごまかしたりして居たからです。しかし、闘病生活に入ってからはこれでは免疫や生命力は活性化しないことを悟らされたので全面的な軌道修正が必要となったのです。そこで、できるだけ「何事にも心を開く、気持ちを外に押し出す」事を心がけることでプラス志向を身につける訓練をつづけました。具体的には朝起きた時の背伸びに始まり、家族、隣近所、職場の皆さんには今まで以上に元気な声で挨拶します。例え普段はまともに挨拶しない相手でも意識的に「お早う!」と元気に挨拶をします。しかし、あくまでも私自身の「心を開く」ことが目的ですから相手の反応は二の次です。仕事の関係でも気持ち的には元気で明るい態度で受け答えするように心がけます。ゴルフに行っても素晴らしい景色が広がっているのですから、足元の小さな白球しか目に入らないのではなく景色を眺めながらのプレーです。食事も美味しい時は意識的に「美味い!」と叫びます。叫ばなくても美味いと言う感情を大切にしました。そうはいっても副作用で苦しめられ、先行きの見通しの不確かさによって押し寄せる寂しさ辛さが解消するわけではありません。夜、フトンに入ると自然と悔し涙がこぼれるのも度々です。とにかく、最初に述べたように「我が人生最大の賭け!」と意識するほどに抗癌剤と漢方薬の相乗効果(薬効)に期待しました。が、期待するだけでは薬効が高まらないとの不安感がこのような悟りに導いてくれた感じでした。病院での治療を補っていく必要性に追われるなかで、もっと有効ながん克服への道筋を探し求める中で、「私にできる最善策は何か?」と模索するなかで、「元気に脈打っている生命力(心臓)を活性化させることなくして治療効果は高まらないであろう」との答えでした。そこでプラス志向の注入(生産)に日々努力を重ねたのでした。(続く)
2005/07/04
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◆日記(日記帳・ブログ)、HP、井戸端会議、友人や家族との語り合い?!私はHPの闘病記や本の原稿書きをしていて「自分を語ることは積極的なプラス志向である」ことを発見しました。特に「明るく希望の持てるような闘病記・・・」ではなく、辛いも悲しいも患者の本音の部分が見えるような語りにする事を大切にしました。それだけ有りのままの自分の感情を外に放り出す事ができたので気分的にも開放感(プラス志向)になれたのだと感じます。皆さんも私のHP「がん闘病記 胃がん、転移がん」を訪問して頂いたと思いますが、私の闘病報告は非常に長文となっています。最後まで読むのが嫌になって途中で止めた方も多いのではないかと不安がっているほどです。それ程に理屈っぽくダラダラと語っています。とにかく私は、頭に思い浮かぶままに感じていること、思っていること、語りたいこと、訴えたいことなど、有りのままを文章(文字)にしてそれを整理してまとまることで「原稿」を仕上げていく作業の繰り返しでした。まさにお腹の中や頭の隅っこに埋もれている「怨念」みたいな感情まで掘り起こして原稿にする作業の繰り返しでしたから「ストレスの解消」のごとく気持ちを外に向かって開くことで体内の風通しがよくなり活性化が備わっていきました。いずれにしても、手段を問わず自分を外に向かっ語る(心を開く)と言うことはそれだけプラス志向になれることを改めて実感させられた次第です。又、その証拠に、非常に多くの患者仲間が日記をつけたり、HP(闘病記)を開設したり、ブログを活用したり、闘病記の本を出版したり、患者会や勉強会などに参加したりと、自分の(気持ちや心)を外に向かって開く、積極的に語りかけることによって闘病意欲を高め、生命力や自然治癒力を高め、病院治療との相乗効果を実現させることにも役立てています。私たちの重要な療法の手段として積極的に活用していくべきだと訴えます。(続く!)
2005/07/02
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◆ばっちりと入った治癒力(元気療法)のスイッチ!治療的には自分なりに納得した治療法(統合医療)に我が人生最大の賭けを成すほどに心を開き、早朝散歩ではストレスを吐き出して英気を養う(吸い込む)。そして「がんめ消えろ!」などとイメージトレーニングにも励む日々・・!。そして、このような自助努力は、縮小効果が確認されたとは申せ、病院治療の限界性(抗癌剤で完全に消滅させることは不可能ではないかとの不安感など)が常に付きまとう中で、或いは今回の縮小効果を更に相乗効果させていかなければならないとの使命感が強く働くなかで、何としてでも回復力(生命力・治癒力)を高めていかなければ成らないとの強い気持ちの反映として、全人格を注ぎ込むほどにのめり込んでいった感じです。まさに、生還へのスイッチがばっちりと入ったのでした。これが適当な所で諦めていたら、また医者任せ、薬任せにしていたら治癒力が足りなくて「がん進行の後追い」的な情況に追い込まれて気がしてなりません。そうであるが故に、私が「久禮流」元気療法などと強調する意図がご理解して参考にしていただけるのでないかと期待しております。さて、話があちこちと飛んでしまいましたが99年の末に縮小との診断が出て、次なる目標は3ヶ月後(3月の定期検査)に定め絞りました。「桜の花が咲く頃には更なる縮小を実現させよう」と次なる相乗効果を目指しました。しかし、事態は予期しなかった方向に進みます。というよりも嬉しい悲鳴と申した方が良いでしょうか。知人からパソコンの中古をプレゼントされ、友人からは折角だから闘病記のHPを開設するべきだとのアドバイス。これに対して、私は癌で治療中だから・・・と避けんでも声が届かなかった。そこでパソコンの扱い方が判らなかったのでパソコン教室に通いながらの闘病記の原稿書きに悪戦苦闘の毎日・・・!。マジで、癌の治療に神経を使っている暇がないほどでした。抗癌剤は義務的に飲んで後は原稿書きに没頭です。更にですよ、その次には闘病記出版の話(原稿書き)へとエスカレートして行ったのです。 (続く)
2005/07/01
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