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百貨店の大丸は、もともと夏の京都の風物詩、”大文字焼き”からとったものだ。古くは、あの新撰組のギザギザ模様の羽織を作った店でもある。創業者の彦右衛門は、頭が大きくて背の低い、特徴的な男だった。彦右衛門のつくる店は、どの店も、たいそう繁盛した。すると、人々は、彼にあやかろうと、彼にとてもよく似た人形を作ったそうです。その人形が、商売繁盛のお守り、福助人形だった。彦右衛門のことば。”お客のためにならないものは絶対に売ってはいけない。 世間では、目先のことばかりを考えて商売する者がいるが、 そういうやり方は、わたしはきらいだ。 いかに急ぎのものであっても、そのために相手の足元を見て、 高値をつけるようなまねをしてはいけない。 また、大名の御用でも、わらべのお客でも 上下をつけるようなことはしてはいけない。””義を先にして利を後にするものは栄え、利を先にして義を後にするものは辱められる。””先義後利(せんぎこうり)”。。。大丸の是訓である。
2008.11.30
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先ほど、セコム創業者の飯田さんのブログへのコメントに対して。。。”じゃあどういう形で貢献すればいいのだろう????”お答えいたします。ドラッカーの話を一つ紹介いたします。ドラッカーは、あたらしい産業が生まれるプロセスについて話しています。”伝統的な業種、業界にたいして、別の業種と思われていた業種が入り込み 突然変異を引き起こすことにより、あらたなマーケットが創造される。”もっと分かりやすい事例を紹介いたします。介護タクシーという業種があります。最初に考え出したのは、福岡県のメディスというタクシー会社です。メディスの経営者は。。。体の弱い高齢者や障害者を対象にホームヘルパーの資格を持ったタクシー運転手が対応しサービスする介護タクシーを考えました。ふつうタクシーというものは、”車に人を乗せて目的地まで運び、お金を頂く”だけのものでした。メディスの経営者は、あるとき病院の前でタクシーから降りた老人が、よろよろと病院へ行く姿を見て、”不安”に思った。ドラッカーはいう。ヒトは”不安”を解決するためなら”お金”を出すことをいとわない。そう、福岡のひとりの男が”タクシーから降りた後も、外でお客様を手助けできないものだろうか。。。”ということを思った。その瞬間、あたらしいマーケットが生まれました。メディスの経営者は、介護プラス乗車時間(30分)のパック運賃を考えた。2100円に設定した。パック料金の90%を介護保険でカバーする方法で利用者に安く提供できる仕組みを考え付きました。当然、霞ヶ関が怒り出しました。霞ヶ関は変化は許しません!”料金メーター通り、正規の運賃を徴収しなさい。””パック運賃など認められない!”と、運輸省が怒りました。さらに、こんどは厚生労働省からも。。。”介護タクシー業者は、介護保険で定める”指定訪問介護事業者”には当てはまらない!と怒った。で、2008年の現在は、どうなったか。介護タクシーは立派な産業として認知されております。それは、2003年、4月に介護報酬改定によって、介護タクシーは訪問介護の一つとして国からお墨付きをもらうことが出来たからです。訪問介護の中に、”乗降介護”という介護タクシー向けの区分が出来たのでした。いつの時代も、時間はかかるかもしれませんが、正道は必ず勝ちます。既存のタクシー会社が、道路交通法の改正により、タクシー業者の登録が増え、値段競争の渦の中に飲み込まれて疲弊してゆく中で。。。あたらしいマーケットが生まれたのでした。”高齢化社会へ向かう日本””弱者救済” このキーワードと”昔からあるタクシー”をくっつけることにより生まれたビジネス。これが”社会への貢献”と”商売の利益”の両立した一つの形だと考えます。どうでしょうか?
2008.11.29
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セコム創業者飯田亮のことば。。。”企業の利益。商売の利益。というものは、 社会に対する貢献度によって決まる。 その貢献の度合いによって、社会から企業は、利益を頂くことが出来る。 だから、社会に貢献していない企業は、利益は得られない。 いっとき 利益を得たとしても。。。 それは何日も続くものではない。 やがて、そういった企業は社会から消え去って行くことになるだろう。”飯田亮の作り上げた、セコム株式会社は、警備サービス分野で業界第一位。業界2位の総合警備保障の6倍の巨大企業だ。セコムのステッカーは、人気が高く、オークションなどでニセモノが販売されるほどの知名度があり、防犯上の”お守り”となっている。結果を残した男の言葉には。。。ずしりとおもいものがある。
2008.11.29
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近江商人の仕事へのストイックな姿勢を表現する言葉がある。 ”しまつしてきばる ”五個荘商人の中井源左衛門(近江商人)がこの言葉の意味を解説している。”金持ちになるのは運ではない。(きっぱり)酒宴、遊興、贅沢をせず、ひたすら ”始末する”ことを心がけて商売に励むことが、5万両、10万両というお金を産む唯一の方法であり、貪欲な投機的商いは、いづれは自然の道理に見放され、結果的に成功に結びつくことはない。”始末する”ことと”ケチ”とはまったく違う。”ケチ”では金持ちになれない。(きっぱり)社会のために大枚をはたくときははたくが、無駄な金は使わず、世のため人のために生きる金を使い、飲むときには飲む、遊ぶときには遊ぶ、節度を持つことが必要で、金持ちになるためには、常に ” 始末の心 ” を忘れず、驕り(おごり)の心を戒めなければならない。”幕末期の英雄、勝海舟の書いた本、氷川清話の中に、一人の近江商人が登場してくる。塚本定次という男。勝海舟は その男を絶賛している。塚本という男は、滋賀県の山林のために2万円(現在の貨幣価値では7億円)を寄付したのだった。塚本の言葉。。。 ”この金がなくなる頃には、 山林も繁殖するだろう。自分はそれを見届けることは出来ないが、 天下のためなら仕方がない。 50年先の仕事をしておくことにしよう!”これが、近江商人の品格と言うものだ。
2008.11.28
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道路拡張工事のため引越しすることになりました。まだまだ十分に使用することの出来るマンションなのにもったいない話です。私の住む、東根市は、山形県内では、めずらしく人口が増えている町です。県庁所在地の山形市や、全国区の知名度を誇る米沢市ですら人口が減少しているなかうちの町は、たいしたもんだと思います。なんといっても ”さくらんぼ生産量日本一”ですから!家を探すのに、二つの不動産屋さんに行きました。わたしは、ある程度の希望条件(日当たりがいい)を話した後、”おすすめの物件はありますか?”と伺いました。一つ目の不動産屋さんは、”お客様に当方でお勧めした物件が、不評となる場合もございます。 ですので、お客様ご自身で、当方で取り扱っている物件の中から、 候補を絞っていただき、お選びいただいたほうが間違いないかと思います。”わたしは、パラパラと物件を見てゆき、いくつかの気になる建物を拝見いたしましたが、どうもフィーリングが合わず。。。そして、二つ目の不動産屋さんへ行き、同じ質問をしました。”おすすめの物件はありますか?”すると、”これはどうでしょうか!”候補は、たった一つしか提示してきませんでした。写真と平面図だけでは、よく分からないので現物を見に行きました。恐れ入りました。電気をつけなくても、どの部屋も十分明るい!さらにトイレがすごい。とっても明るい!西向きで、大きな出窓がついたトイレ。こんなに明るいトイレははじめてみました。ここに決めました。お勧めを、きちんと責任感を持って提示することが出来る不動産屋さんは、さすがだと思いました。追伸以前、わたしは、解体業者のプロフェッショナルから面白い話を聞きました。事業がうまくいかなかくて倒産した会社を解体しに行くとある共通点があったそうです。10個の共通点があったそうです。そのうちの二つをご紹介いたします。1つは、書類が多かったそうです。そして、もうひとつはトイレが暗くて汚れていたそうです。
2008.11.25
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”何どもすりむいて、 それでも幸せをあきらめないあなたへ贈る感動作””イン・ハー・シューズ”自分にピッタリの靴(人生)を見つけれず、”素足”でさまよいつづけている主人公の役をキャメロン・ディアスが演じる。”なかなか いい靴がたくさん登場する映画でした。”
2008.11.24
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人間の脳は、案外 だまされやすいそうです。その だまされやすい体質を逆手に取ったものが。。。顔面フィードバック効果というものです。つまりなにか不愉快なことがあって腹が立ったら。。。とりあえず我慢して、つくり笑いでもよいので、笑うそうです。すると。。。笑うと目と頬の周りの筋肉が動くので脳が勝手に”これは笑ってる!”と勘違いし、脳から全身へ笑ったときと同じような作用を引き起こしていくそうです。そして免疫力も向上されるようです。これが、いま、世間で静かなブームを呼んでいる”顔面フィードバック効果”といいます。日本では、じつは、ふるくから使われているワザでもあります。”笑うかどには福きたる。”つまり、アニマル浜口を見習いなさい。ということである。彼の過去はあまり語られておりませんが。。。あの大声と、あの笑顔からは想像も出来ないほどの苦労を、彼は、子どもの頃に味わっています。浜口は、小さい頃、父親の事業が失敗したため、小学5年生の時、母親と妹と一緒に逃げるように故郷をあとにし親戚の住む大阪府堺市へ引っ越してきました。中学を卒業すると家計を助ける為、彼は高校進学を断念します。そして、工事現場を転々とする毎日だったのです。その苦労があるからこそ、あれだけ本気で笑えるのです。もう一度いいます。 ”笑うかどには福きたる。”
2008.11.24
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野球のピッチャーの投げる変化球の一つに”ナックルボール”と言う名前の球種がある。先日、吉田えりさんという現役女子高生が、プロの野球選手になったというニュースが流れていた。彼女の最大の武器が、ナックルボール。このボールは、ゆらゆらとゆれながら落ちてゆく球で、投げた本人すらボールが どこへ飛んで行くのか分からないと言う、変化球です。この変化球を彼女が持っていることで、男女の体力差という大きな壁を彼女は乗り越えてしまった。ピータードラッカーは、イノベーションと企業家精神と言う書物の中で、”予期せぬ成功にはとても腹が立つ”といっている。たとえば、自分が一生懸命、考えた商品をマーケットにリリースしたが。。。まったくヒットせずに、その後、自分の想像もしていなかったマーケットでその商品が認められ売れてしまう現象がよくある。。。自分の経営力、分析力が疑われるから、素直に認めたくない。だから、無性に腹が立つのである。という論理だ。ドラッカーは、”予期せぬ成功を認めることは勇気がいる。しかし、事実を素直に受け入れる 謙虚さが大事。””マネジメントに対して、会社から報酬が支払われるのは。。。 経営者が間違いを犯さないからではない。経営者の判断力を会社が買ったからだ。 だから、マネジメントとは、自らの過誤を素直に認め、受け入れる能力に対しての 報酬としての要素が高い。”身近な例としては。。。電子レンジの発明がある。電子レンジは。。。じつは、家電メーカーが発明したものではない。第二次世界大戦の時、アメリカのレーダーを開発する、バリバリの軍需産業のレーセオン社が、ナチスドイツと戦うための強力なレーダーを開発する過程で生まれたものだった。ある時、一人の研究者が、新型レーダーのマグネトロンの近くに立っていたとき。。。ポケットに入れていたキャンディーが少し溶けているのに気づいた!そこで、こんどは、マグネトロンの前にポップコーンの材料を置いてみたところ。。。みごとにポップコーンが弾け飛んだのだった。そして、マイクロ波がどうやら熱を発生させることを発見した。この軍事工場の研究者が、お菓子好きでなかったなら。。。電子レンジは発明されなかった。まさに、むかし ちょっと流行った言葉。”想定の範囲外のことだった。”そのほかにもエスエス製薬から発売された、ハイチオールCも、当初は二日酔いの薬として発売されたが売れなかった。その後、パッケージを変えて、女性のシミ、ソバカス対策の薬として販売したところ大ヒット商品となった。また、あのバイアグラも、もともとはファイザー製薬が心臓の狭心症の薬として開発したものだったのだ。まさに大ヒットする商品とは、ナックルボールなのだ。なんくるないさ~
2008.11.23
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庄内柿が七個で150円、当然、税込みですよ!一個、20円ちょっとです。チロルチョコより安いです。今日の山形は、雪がやんで すこし晴れました。
2008.11.22
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以前、村上ファンドの村上さんが。。。”プロ中のプロの、この私が。。。ミスを。。。”と記者会見で話していました。実は、ドラッカーは、”その道のプロ”と呼ばれる人たちを評価していなかった。ドラッカーは生前、過去、150年の歴史の中で最も成功した発明品は、”ミシン”だと断言している。たった18ヶ月というスピードで世界中に普及してしまった商品は他にはないそうです。ミシンを発明した人は、当初、工業用としてミシンを開発しました。それは、少ない労力で大量生産が可能になるからです。しかし、仕立て屋のプロたちは。。。プロと言うものは、”手縫いでなければいけない!”との固い信念がありました。そのため、ミシンはまったく売れませんでした。やがて、10年の歳月が流れて。。。。舞台はアメリカへ移ります。プロ用に開発されたミシンが変身します!それは、ミシンを家庭の婦人用として目先を変えて売ったのです。瞬く間に爆発的なヒット商品になりました。そして、その時、高価なミシンを、気軽に買えるようにと、金融販売上のイノベーション(革新)がおこった。それは、”月々の分割払い販売方法”だった。少ない頭金で、高価なミシンを買うことが出来たのだった。これまで、夫や子どものために1日8時間も掛けて服やズボンを縫っていた主婦たちからは大変感謝されたそうです。この話からも、いかに”その道のプロ”と言う人たちが、未来を作るうえでなんの役にも立たないと言うことが、お分かりになるだろう。革新というものは、つねに”下”から発生するものなのです。
2008.11.22
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ドラッカーはいう。”認識(思い込みの常識)を変化させることでイノベーション(革新)は生まれる。””人間は固定概念にとらわれやすい。 特にレベルの高い大学を出て、テストでよい点を取るような 優秀な人ほど、そのクセがあります。 常識にとらわれた発想方法を開放してこそ、新しい着想やアイデアが生まれる。 まず、認識を変えて”バカの壁”を取り払うべきです。”ドラッカーはいいます。”よく、インターネットの普及スピードは人類が体験したことのないほどの速さだという 人がいます。 しかし、わたし(ドラッカー)が、12歳~13歳の少年だった20世紀始めの 映画は、今の情報技術よりもっと速いスピードで普及しましたが、 そのブームは、わずか10年しか続かなかった。短命だったのです。 わたしたちは、 わたしたちの時代がなんでも すごい時代だとか、大変な時代だとか 大袈裟に思いがちです。 しかし、冷静に過去の歴史を振り返れば、 じつは、もっと大変な時代はたくさんあったということを知ることが出来ます。 ”サッカク”なんですよ。 たしかに、今より、幕末の頃のほうが大変だったかも。。。 ペリーが来たり。。。政府が変わったり。。。 金色の髪の毛と青い目の人間をはじめてみたときは、 当時の日本人は それはびっくりしたことだろう。 別な例を出せば、 トヨタ自動車は40%のマーケットシェアを持っている製品があるとします。 圧倒的な市場占有率です。 しかし、 この数字は、60%のお客様が、 トップの会社の製品を買っていないということなんです。 トヨタ自動車はシェアナンバーワンの会社だから国内の自動車市場のことは なんでもわかっていると思いがちですが、そんなことはないのです。 獲得できていないシェアから換算すれば、 ”知らないことのほうがはるかに多い。” その謙虚さを持っているから、トヨタは強いのです。 イギリスの有名な科学者が、 ”空気より重いものは空を飛ぶことは不可能である。”といった8年後に。。。 人類は初飛行しているのですから。”
2008.11.21
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ただいまの気温、氷点下。車を掘りおこし。。。道を作って出勤!パイオニアです。ゆきキノコ飛行場は問題なしのオンタイムちびっこは雪で大喜びです!!!こんな日は、どらやきと熱いコーヒーです。
2008.11.20
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ワコール社長、塚本幸一のもとに一通の手紙が届けられた。その手紙の中身とは。。。米国ワコールに届けられた、お客様からのサンクスレターだった。”ワコール様 サラ・リチャードさんに対して、私の感謝の気持ちをお伝えいたします。 昨日、ディラーズ(アメリカの百貨店)でのことでした。 そこで彼女は、いろいろなことを教えてくださったのです! いま、わたしは25歳です。自分のサイズさえもよく知りませんでした。 それを彼女は馬鹿にするとか、おしつけるとかではなく親切に、丁寧に、 そして楽しく、ブラの選び方を教えてくれました。 ワコールにはサラ・リチャードさんのような素晴らしいセールスの知識を持った 社員さんがいるのですね。けっして彼女を手離さないで!”この時、米国ワコールの累積赤字は、120億円を超えていた。しかし、天下のノードストローム百貨店からの信頼を得てからは、風の向きが、すこし変わってきた。お客様からの感謝の手紙と比例するかのように売り上げは伸びていった。そして、1995年、とうとう単年度ではあるが黒字に転換した。米国ワコールは、全米300もの百貨店に売り場を持つ高級下着メーカーの一つとしてアメリカ人に認められたのだった。若い頃、挫折の連続だった、ワコール社長、塚本幸一の脳裏には、このとき、どのような想いが去来していたのだろうか。塚本少年は、中学を出ると働くことになった。家が貧しくて進学できる状況になかったからだ。さっそく大阪にある綿布問屋の就職試験を受けた。みごとに不採用となる。就職試験に絶対の自信があった塚本は。。。頭に”カーッ”と血がのぼり。。。自分を落とした大阪の問屋へ向かった!そして入り口玄関の前に立っていた。塚本は。。。つぶやいた。”よくも、 俺ほどの人物を採用しないとは、後できっと後悔するぞ! 今に見ておれ、 かならず、お前の店より大きくしてやるぞ!”すると、塚本は。。。店の前で小便を振りまいたのだった。結局、就職できなかった塚本は、自分の家の手伝いをする他なかった。塚本の社会人スタートはとても暗いものだった。まさか、この時、小さな会社から不採用になるような人物が、将来、世界のワコールを作るとは、だれひとり思わなかった。 (つづく)
2008.11.19
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アメリカの投資家、バフェットは、シックというひげ剃りメーカーに大きな投資をした。その理由は、全世界の男のひげは、景気が悪くても、確実に一日、数ミリは伸びる。だからこの会社の株を買った。といっていた。昨日、旅行会社の友人と話をして。日本からの年末年始のハワイへ行く飛行機は、”全便満席”だといっておりました。でも、テレビのニュースでは、100年に一度の危機的状況らしい。たしかに、日本の政治家の顔を見ていると危機的状況のような顔をしている。昨日、床屋さんに行った。苦戦していると話をしておりました。理由は、町に1000円床屋さんが、どんどん増えた為だと話しておりました。そういえば、わたしの住む小さな町でも、ぱっと思いつくだけで4軒くらいはある。マクドナルドが一軒しかない町なのに。なんでも、1000円床屋さんは、一人のお客さまに対して、10分で終了させるそうだ。考え方としては、1分100円という概念らしい。不景気を追い風にしている会社は強い。なぜなら、これからもっと追い風になるから。つまり、より工夫が大切な時代になったということだろう。ハワイ行きの飛行機は、満席なのだから!
2008.11.19
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以前。ブログで、トリンプ元社長の吉越浩一郎さんの話を書いた。日本で三流ブランドだったトリンプを、一流ブランドに育てた男。そして、いま、ワコールを創業した立石泰則の本を読んでいる。読むきっかけとなったのは。。。私は、アメリカの百貨店、ノードストローム百貨店が大好きなんです。むかし、どうしてもノードストロームの接客を”生”でみたくて、それだけの理由でアメリカへ行ったことがあります。ノードストローム百貨店には数々の伝説があります。カリフォルニアの住民に、町がアンケートを取ったそうです。”今、町に必要なものを教えてください? ”というものです。町としては、道路の整備、図書館の充実、などの公共施設への回答を期待していたですが。。。住民達が、一番、町にほしいものの第一位にあげたのは。。。”ノードストローム百貨店”その理由が、またすごい。”買い物がしたいから”という意見は少なく、実際に多かったものは、”人間性が豊かになる。””治安がよくなる””町の格が向上する。”という理由が多かったそうです。前置きが長くなりました。じつは、日本のワコールは、アメリカでも頑張っている会社です。トヨタやソニーだけではないんです。ノードストローム百貨店では、表彰式があります。”パートナー・イン・エクセレンス賞”というものです。この賞は、ノードストローム社の取引先、3万3千社ある仕入先の中から、”もっとも優秀なメーカー”として評価された企業に与えられるもので、ワコールを含めて、受賞したのはわずか4社だったんです。ワコールが選ばれた理由は、品質、価格、販売員への教育、情報提供、コンサルティング販売力、クレーム処理力などの様々な分野で評価されたからだった。アメリカの人々から、接客がずば抜けてすばらしい百貨店といわれているノードストロームから、接客がすばらしいといわれた、米国ワコールがそこにはあった。ワコールがアメリカに進出した当初。。。ワコールの製品は売れなかった。和服の国の会社が洋装下着を持って、洋装下着の本家へ売りに行くのだから当たり前だった。カリフォルニアの寿司屋が、日本で寿司屋をやるようなものだ。うまくいくはずがない。ワコールはアメリカで巨額の赤字を垂れ流し続けたのだった。さすがに、アメリカワコールをいつまでも放置してゆくわけには行かなかった。ワコール社内では、社長の塚本への不満が山積していた。日本で血のにじむ思いで稼いだ利益を、社長の道楽でアメリカで浪費していると社員達は、影でうわしていた。とうとうワコールの財務担当責任者の中村が塚本に詰め寄った。”もう止めましょう。”すると、塚本は。。。”日本のワコールの全利益をつぎ込んでも、これはわしの夢なんだから、やるんや。”後に、ワコールの財務責任者の中村は振り返って、”普通の経営者なら、自分がもう止めようと言い出しても、ちっとも不思議じゃないような 状態やったんやわ。全社員の批判の中で、一人でそれに耐えきったわけだから、立派だよ。 現地の人だって、会長がフラフラしていたら、彼らだってフラフラつきよるからね。 会長もがんばってはるから、現地の人間も付いてきたんだ。”実に胆力のある経営者である。その塚本、実はインパールの生き残りだった。強いわけである。 つづく
2008.11.18
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ドイチュという名前の全米トップ10に入る広告代理店がある。現在、その会社のトップは創業者の息子のドニー・ドイチュ。彼は、若い頃、父のつくった会社、ドイチュに就職した。顧客担当の仕事をしていたのだが。。。当時24歳の彼は、失敗続きだった。失敗の原因は。。。”やる気がない仕事を、我慢して続けていたから”遊びたいさかりで大人になりきれていなかったのだった。父親は、ドニー・ドイチュを容赦なく解雇した。その時の父親の言葉を、いまもドニーは忘れることが出来ないという。”おまえはここでの仕事に情熱を持っていない。だから出て行ってもらおう。 この仕事を愛していない人間には、いてほしくないんだ。 わたしはこの仕事を愛しているからだ。 ””人生で何をするにしても、本当に好きなことをしなさい。 ゴミの収集人になったって、わたしはかまわない。 仕事が好きなら、うまくできる。 仕事がうまくできれば、お金も入っている。””仕事を心から愛していれば、あとは自然とうまくいくものだ。”ドニーは、自分のデスクを片付けると西海岸に向かった。とにかく遊びに遊んだ。そして、半年後。。。父親は、そろそろ引退を考えて、会社を売却しようとしていた。順調に商売している会社だったので、すぐに買い手も現れた。その時だった。ドニーは父親に連絡を取り、”売ってはいけない。”と言った。そして。。。”僕は戻るよ。でも以前の顧客担当の仕事ではなくて、自由にやらせてもらいたい。 あたらしいビジネスを開拓するつもりだ。僕自身の何かを作らせてほしい。”そして、一度、クビになった父親のつくった会社に息子は戻ってきた。そして、息子は父親に宣言したとおり、新規のマーケットを次々に開拓してゆき7年後、会社のトップに立つ。そして、現在、全米トップ10に入る広告代理店に成長させたのだった。中国の古いことわざに、”迂(う)を以って直となす。”という言葉がある。意味は。。。 回り道がかえって近道となる。効率のみでは真に迫れぬものがあるという意味。
2008.11.17
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ドラッカーは、なんと教会の牧師さんにも影響を与えてる。カリフォルニアのオレンジ郡に、全米で知らないものがいないほど有名なメガチャーチがある。1980年に立てられた、まだ新しい教会。サドルバック教会。この教会の創設者が、リック・ウォレス牧師。ウォレス牧師は言います。”じつに多くの人々が、まるで手作りロケットのような人生を送ります。 出だしは、なかなか勢いがあるのだけれど、後半にさしかかると迷走を始める。”ウォレス牧師には3人の尊敬する人物がいる。父ビリー・グラハム牧師そして、ピーター・ドラッカーウォレス牧師が25歳のとき、CEOの集まるセミナーに招待され、そこで、はじめてドラッカーに会ったそうだ。ウォレス牧師は、その後もドラッカーと交流を深め、100個くらいの言葉を頂いたそうだ。そのうち、ウォレス牧師の心に突き刺さった言葉があるという。若い、ウォレス牧師にドラッカーは言います。”効率的と効果的とは違う””効率的とは。。。。。” 物事を正しく行うこと。””効果的とは。。。。。” 正しいことを行うこと。””多くの教会は、効率的なだけで、効果的ではない。””だから教会の数だけは増えていくが、不幸はまったく減ることはないんだ。”そして、ドラッカーにはもう一つ大切なことを教わったそうだ。”成果はいつも自分の組織の外にある。”という言葉だ。組織が、教会でも、会社でも、ほとんどの人たちはこう考える。”どうもうまくいっていない。組織再編だ!”そうやって内側を変える。しかし、大抵うまくはいかない。もう一度言います。”すべての成長は、外側からやってくる。”あなたの教会や会社を成長させてくれる人は、あなたの会社の製品を買わないに人々であり、サービスを利用しない人々、あなたの教会のメッセージを聞かない人々、そういう人々が、あなたを成長させてくれるのです。
2008.11.16
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わたしは、今までさまざまな本に出会ってきた。その中でもピーター・ドラッカーの本に出会ったときの感動は今もよく覚えている。以前、日本でもベストセラーになったアメリカの経営学の本がある。名前は、ビジョナリー・カンパニー。執筆した人は、ジム・コリンズ。さっきアマゾンドットコムで見たら、ジムの書いた本、”ビジョナリー・カンパニー”になんと、78件ものお客様レビューが書かれていて、ほとんどが、★★★★★の評価だった。ずいぶん昔の本だが、いまでも売れているらしい。名作だ。話を戻すと、ジムが、この本を出版したとき、当時は、まだ無名だった。あるとき、ジムのボイスメールにメッセージが届いた。ボイスメールの内容は。。。”ピーター・ドラッカーだ。クレアモントに来てもらえれば、ぜひお会いしたい。”さっそくジムは、折り返しドラッカーに電話を入れた。かなり、緊張していた。。。電話口からは。。。”もっと大きな声で言ってくれ!””わたしはもう若くはないんだ!”とジムは、ドラッカーに叱られてしまったそうだ。そして、ドラッカーとの対談が実現する。ジムの話によると。。。この日を境にして、私(ジム)の人生は一変したそうだ。たった一日の出会いで。ドラッカーは、ジムに会うと、いきなり質問したそうだ。”きみは時代を超えるアイデアを作りたいのか、それとも時代を超える組織を作りたいのか”ジムは、”時代を超えるアイデアを作りたいです。”といった。すると、ドラッカーは、”では、組織を作ってはいけない。”ジムは当時を振り返って。。。”おそらくドラッカーが言いたかったことは、 組織を作ると、獣にえさを与えなければならなくなる。獣とは大勢の人々のこと。 また、獣から餌をもらってアイデアを作らなければならなくなってしまう。 獣に餌をやるためにアイデアを作るようになると。。。 たとえ商業的に成功しても、”自分力”は、まちがいなく低下してしまう。 アイデアを教えることと、アイデアを売ることの間には、大きな違いがあるからだ。 ほかにも、様々な教訓をドラッカーからは教えてもらった。”たとえば、”真の規律とは、間違ったチャンスを拒絶することなんだよ””あんがい成長することは簡単で、拒絶することは難しいんだ。”ジムは、結局、ドラッカーとまる1日話したそうだ。そして、帰り際、ジムはドラッカーに言います。”どうやってお礼をしたらいいでしょうか”ドラッカーは言う。”もうお礼はしてもらったよ。君との会話でたくさんのことを学んだから”ジムはこのとき、ドラッカーの本当の偉大さを理解したそうだ。そして、ジムは、いまでもドラッカーから言われた最後の言葉を覚えているそうです。 ”世の中の役に立つ存在になりなさい。”
2008.11.15
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”子どもの野菜嫌い” と ”食べ物の自給率を上げる”この二つの難題を同時に解決した学校。それが、高畠小学校です。先生の話によると、”子ども達の野菜嫌いをなくし、食べ物の自給率を50%まで高めるという目標。”ある法則がある。”子どもは自分で一生懸命に育てたものは好きになる。”という法則だ。この学校では、さっそく子ども達に嫌いな野菜のアンケートをとり、とくに嫌われている野菜の順番に、ピーマンやにんじんなどを栽培してゆく。そして、自分たちで栽培し収穫した野菜を、給食で出す。そして、ここで、食べる前にもう一つ”工夫”をする。給食前。。。その野菜を育てた子ども達が、壇上に上り、収穫までの苦労話をほかの生徒達の前で話す。先生がすらすら話をするのではなくて、おなじお友達が緊張しながら、たどたどしく話をするのだ。すると。。。野菜を自分達で栽培した子ども達はもちろんのこと、その、話を聞いていた子ども達も、魔法にかかったように、あれほど嫌いだった野菜を、普通に食べているのだ。まさに”北風と太陽”の話、そのものです。そして、自分達が食べる野菜を自分達でつくることで、自給率はずいぶんと向上したそうだ。この方法により、子ども達の野菜嫌いをなくし、自給率を高め、給食費を下げるという。一石三鳥の効果があった。わたしは、社会へ出て、ずいぶんになるが、学校で勉強した、微分積分などの知識を活用する機会はあまりなかったように思う。どうせなら、おいしいジャガイモを作れる知識の方が。。。ほしかったかな泥だらけで、野菜を作る子ども達の笑顔が、とても輝いて見えた。
2008.11.15
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山形の庄内地方へ行くと”柿しぐれ”というブランド柿がある。いよいよ先日から出荷が始まった。通常、庄内柿は渋柿のため、柿をもいでから、脱渋作業をしなければならない。しかし、柿しぐれは。。。柿がまだ木に青々となっている頃に、一つ一つの柿に袋をかけてゆく。そう、柿の成長途中、木の上で渋抜きをしてしまうのだ。すると、果肉は、黒ごま状になり糖度も上昇し、柿であるにもかかわらず、皮ごと、まるごと食べられます。価格も通常の庄内柿と比べると、だいたい1個あたり100円近くのプレミアがつく。しかし、柿の木は、さくらんぼの木と違って、大きな木です。作業がとても困難。柿の木のてっぺんまで、柿がなったまま袋をかける作業はとてもつらい作業となります。なんども、なんども、はしごを登ったり、降りたりしなければならない。はしごから降りるのが面倒で、むりに遠くの柿に袋を掛けようとすると。。。落下します。横着することなく、地道な作業、そう、人生と同じです。おそらく世界中で、そんな細かな作業を行なうことができるのは、日本人だけだと思います。手際のいい人でも、だいたい1時間に50個程度の柿に袋をかけるのが精一杯だそうです。昨日、農産物直売所に行ったら、お隣、天童市で作られた、柿しぐれが販売されておりました。商標権の関係で、同じ山形で、同じ種類で、同じ方法で育てられた柿ではありますが、”柿しぐれ”の名前は使えないようです。でも、とてもおいしかったです。”樹上渋ぬき柿”。。。あまり美味しそうな名前では。。。
2008.11.14
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今から、2500年くらい前に老子のいった言葉。あの孔子が。。。”竜”とたとえた男の言葉。”他者を知ることは知恵であり、 自分自身を知ることは悟りである。 ”
2008.11.13
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うちの町は、本日マイナス2.1度でした。あたり一面、霜で真っ白でした。
2008.11.12
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補足前回の日記で、上杉謙信がものすごく強く、また織田信長と武田勝頼が、ものすごく弱いようなイメージとなってしまいましたので、補足させていただきます。織田信長ファンの方にはお詫び申し上げます。長篠の戦で、武田に完勝し、勢いにのる織田軍に上杉謙信は完勝したと書きましたが。。。上杉謙信とこの時、戦った織田軍は、たしかに上杉軍の2倍以上の兵力を持っていたが。。。織田信長が指揮を執っていたわけではありませんでした。また、豊臣秀吉も、柴田勝家と意見の衝突をきたし、戦線を離脱しておりました。信長の盟友、徳川家康もこの戦いには参加しておりませんでした。つまり、織田信長の真の実力とはいえない面がありました。それに引き換え、武田勝頼の破れた長篠の戦では、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三人が揃っておりました。テレビなどでは、武田勝頼が、無茶な指示を出して、信長の鉄砲隊の餌食となり、あっけなく滅んだようになっておりますが。。。織田、徳川連合軍と武田の死闘は8時間以上も続き、織田方の戦死者は6000名も出しております。けして楽な戦いではなかった。そして、武田勝頼は、父、信玄が落とすことの出来なかった、徳川との境界線上にある難攻不落の高天神城を落城させたりもしており、非凡な才能の持ち主でした。しかし、彼は若かった。。。”用心深さ”と”したたかさ”が 決定的にたりませんでした。”したたかさ”とは、漢字で書くと ”強かさ” となります。
2008.11.12
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戦国最強といわれる二人。12年間、戦い続けたふたり。そんななか、”敵に塩を送る”という有名な言葉が生まれた。武田家が今川家と不仲となり、塩の供給を止められてしまったとき、義を重んじる上杉謙信は敵対する、武田に、武士の情けとして塩を送ったことからこの言葉は生まれた。じつは、この話には前段部分がある。上杉謙信と武田信玄の最大の軍事衝突、第4次川中島合戦この戦いで、両軍、合わせて5000名以上が亡くなった死闘。(参考)*ちなみに、天下の関が原の戦い(20万の軍勢の衝突)による死者数が 5000~8000名と言われております。この戦いの後。。。武田方の武将、高坂弾正は、敵、味方を区別することなく数千人もの多くの戦死者を、手厚く葬り、塚を作って弔った。そのことを聞いた、越後の上杉謙信は、大変感激した。そして、塩不足に悩む武田方に対し、上杉謙信は。。。”われ信玄と戦うも、それは弓矢であり、魚塩にあらず”といい、直ちに塩を送り、恩に報いたのだった。そして、武田信玄は、死ぬ間際、息子に言い残した言葉がある。”わしが死んだ後は、上杉謙信を頼るがよい。”信玄にとって12年間戦い続け、1万人以上殺された最大の敵が、上杉謙信。しかし、一番尊敬していたのも、また上杉謙信だったのかもしれない。(参考)武田信玄の言葉。100人中、99人に、善い人と言われている人は、善いものにあらず。(きっぱり)その後、武田家は、長篠の戦で、織田信長、家康連合軍に大敗し、歴史から消えてゆく。そして、絶頂期の織田信長軍が越後に迫る。そして両軍激突上杉軍 20000織田軍 48000織田軍は、武田軍を破った時と同じように、おびただしい数の鉄砲を装備していた。上杉謙信は、鉄砲の使いづらい雨が降るのを待った。さらに鉄砲の照準の取りづらい夜間に攻撃を仕掛けたのだった。上杉謙信の前に、信長自慢の鉄砲隊は、完全に封じ込められてしまった。結果、織田軍大敗。戦いの後、上杉謙信はつぶやく。”あんがい、たいしたことはなかった。”合戦が行なわれた戦場には誰かが書いた、落首が残されていたそうだ。”上杉に逢うては織田も手取川 ” 来年のNHK大河ドラマが楽しみです。山形の米沢は盛り上がってきました!
2008.11.11
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アメリカの経済学者ヘンリー・ハースキンズの言葉。様々な人々に会って、話を聞いたハーキンズは。。。 ひとつの法則を発見した!それは、”学ぶには年を取りすぎているという人は、 おそらく、子どもの頃から、常にそうだったのだろう。””雨のしずくは、とても力のないものだが、知らないうちに石に穴を開けてしまう。”
2008.11.10
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1616年の創業、関東では一番歴史のある醤油醸造会社がヒゲタ醤油です。ヒゲタ醤油の高付加価値醤油として有名なのが、”本膳”と言う名前の醤油です。これ”超”特選です!もともと、本膳が作られるきっかけとなったのは。。。ある懐石割烹の老舗のご主人から。。。”ヒゲタさん、しょうゆは、もっと旨くないとあかん。””わしら お造りのつけじょうゆは、しょうゆに鰹節のだし汁を入れて加工し、 土佐醤油みたいにしてだしているんです。””今の醤油は、旨みが少なく、塩からくて。。。””しかし店で、加工して作った土佐醤油は、魚が赤身でも、白身でも、貝類でも、”みんな鰹節のだし味になってしまうんだ。””素材それぞれの味を引き出す旨いしょうゆをかんがえてみなはれ。”この言葉がきっかけとなり、ヒゲタ醤油の高級醤油の開発がスタートした。商品設計1、現行の濃い口醤油より塩分を抑える。(16%台⇒15%台へ)2、旨み成分(総窒素分)を現行の特選醤油(1.7%)より多くする。(2%)3、色は現行のお醤油より、淡く仕上げる。この3つを基本とした。まず、原料になる大豆は、高タンパク醸造用加工大豆を使用して旨み成分を増強。新たに、低温緒味発酵法を開発した。昔ながらの、寒仕込みを現代の最新技術で再現。仕込みの初期段階は、寒仕込みの状態を保ち、その後、徐々に緒味が目を覚ましてゆき、”初春の発酵”へやがて”夏の発酵”を経て”秋の熟成”に達する。それを、布に入れて、積み重ねて絞り、雑味のない部分だけを製品化したものが本膳醤油となります。通常の醤油より、マイルドでソフトな口当たりが特徴のお醤油です。そして、最初に課題を頂いた懐石割烹のご主人の所へ持ってゆきました。その間、2年5ヶ月の歳月が流れておりました。味を見ていただいた結果。。。”ヒゲタさん、ようでけた。”今では、普通に山形でも買うことが出来る大ブランドに成長いたしました。
2008.11.09
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アメリカのゼロックスという会社には、一つの合言葉が存在する。その言葉によって、大企業病を克服し復活することが出来た。と、CEOのマカルヒーは言う。何もかもこんがらがって、訳が分からなくなった時は。。。することは3つまず、牛を溝から出す。次に、なぜ牛が溝にはまったのか考える。最後に、牛が二度と溝にはまらないように、必要なことはすべて行なう。あんがい単純な常識だが、物事の本質を鋭くついている。日本人向けに直訳すると。。。まず、とにかく生きること。次に、何が原因でこうなったのかを考える。その教訓から学び、2度と同じことが起きないように必要な対策をすべてとる。今日も一日がんばりましょう!
2008.11.08
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冬支度。。。神社の鳥居を雪から守ります。補強をしないと、雪の重みで鳥居がつぶれてしまうからです。公園のベンチも鉄で出来ておりますが。。。春になり雪が解けてベンチが顔をだすと。。。ベンチは、ぐにゃりと曲がっているそうです。山形の鳥居は、冬になると足が、2本から4本に増えます。植木も守ります。神様も、春まで暖かいところへ引っ越します?美味しい干し柿が出来ます。
2008.11.07
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今から、100年以上前アメリカの大リーグに一人の”普通の選手”がいた。名前を、シド・ファーラーと言った。当時の大リーガーは、あまり裕福ではなかった。ましてや、普通の選手のシド・ファーラーは。。。生涯打率、2割五分ホームランは、引退するまでに。。。わずか18本。しかし、今でも、アメリカ人のあいだで語り継がれるている伝説の大リーガー。。。それが”シド・ファーラー”だった。時計の針を、1880年まで戻します。ある試合の後、選手たちは帰り支度をしていた。その、大きな男たちの着替てえるロッカールームの奥のベンチに一人の小さな女の子が、ぽつんと座っていた。ある選手が気づき。。。”パパはどうしたの?”と尋ねる。。。その女の子は、黙って出入り口を指差します。不思議に思った選手たちは、女の子の指さす方向へ行って見る。選手たちが、ドアの外へ出てみると。。。シド・ファーラー(女の子のお父さん)が、観客席で、空き缶や空きビンを黙々と拾っている最中だった。試合が終わり、疲れ果てているはずなのに。。。なにか理由があると思った選手の一人が、シドに聞いてみた。シドは。。。”じつは、みんなが俺の娘は歌の才能がある。というんだよ。 だから、音楽学校に行かせてやろうと思ってるんだ。でも金がなくてね。 それで、学費の足しにと思って空き缶集めをはじめたんだよ。”汗をぬぐいながら、一生懸命、試合後、空き缶を拾う、シドの姿。。。チームメートたちは、彼の手伝いをすることにした。そして、試合後の空き缶集めは、チームの日課となり、シドの娘は、無事、音楽学校に入学することが出来た。シドの歌のうまい娘は、その後。。。じつは。。。オペラを聴く人で、彼女を知らない人はいない。メトロポリタン歌劇場の伝説のプリマドンナと呼ばれた奇跡の歌姫、ジェラルディン・ファーラーのことだった。暑い夏の日、汗をぬぐいながら、空き缶をひろい集め娘の夢を切り開いた父親としてシド・ファーラーは、今もアメリカで語り継がれている。
2008.11.07
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2008.11.06
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新スタッフの石山さんは、じつにおもろい人です。今日、彼女から質問を受けた。”炊飯の時、研いだお米に水を入れるのに、水の量は、 表面張力の上のところで計るのか、それとも、下のところで計るのか、 どちたが適切なのでしょうか?”わたし”?????””とりあえず、どちらでもいいんじゃなんですか。”と答える。石山さん”表面張力の部分の水の量は、20mlはあります。 どちらでもいいということはないと思います。”わたし”今、新米の時期だから、多いよりは、少し、少ないほうがいいんじゃないですか。”。。。どうやら、納得してもらえたようだ。よかった。ずいぶん、わたしも人間をやっているが、”表面張力”という単語を聞いたのは、学校の理科の授業以来かもしれない。おもしろい、石山さんは帰りに、わたしの読みかけの本を気に入ってくれ、持って帰りました。なんの本かといえば。。。藩基文(パンギムン)さんの自伝です。そう、アジア人(韓国人)としては初の国連事務総長になった方の本です。じつは、本棚には、たくさんの料理本や写真集があります。にもかかわらず、彼女は藩基文(パンギムン)さんの自伝を選んだ。。。。さすが米百票の逸話の舞台となった町で生まれた女。ちなみに藩基文(パンギムン)さんが国連事務総長に就任した際に、韓国メディアに、彼が語った言葉を一つ紹介したい。”私は韓国人の国連事務総長だが、 韓国の事務総長ではありません。 ”
2008.11.05
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成功する人は、サーフィンタイプの人間ではなく、潜水艦タイプの人間だ。という話をよく聞く。アマデウス・モーツアルトと小室哲哉。。。実に良く似ている。晩年はお金の支払いに奔走する。ふと、タイムワーナーのCEOの話を思い出した。タイム・ワーナー会長兼CEOディック・パーソンズ”ビジネスでは、相手との”交渉の場”が”戦いの場”だと思っている人たちが大勢いる。 わたしは、投資銀行の人間、弁護士などにつねにうるさく言われている。 彼らは、取引で少しでも損をしたら負けだと考えている。 しかし、それは違うと思う。 交渉する時は、何かちょっとしたものをテーブルに残すんだよ! みんなが幸せになれるように! 仕事の世界は狭い。しかし人生は長い。 人生の中で、同じ人間に何度も会うことになるだろう。 それぞれの出会いの中で相手に接する時、長い目で見たきみの印象が決まるんだ。”日本でいう、”武士のなさけ”とどこか似ている。小室哲哉さんは、全盛期、預金残高が100億を超え、預金通帳の桁が足りなくなってしまった。宝くじで1億以上当たった人の10年後をリサーチしたデータでは、残念ながら、70%近くの方が、元に戻ってしまっていたそうだ。大きな波が来た時の対応の仕方は難しい。徳川家康が、天下を取った後の話、あるとき、家康は部下に朝鮮人参をプレゼントします。部下が、半紙を出して、家康から受け取ろうとしたところ。。。家康は、叱ります。”紙がもったいないだろう。”これが戦国時代を終わらせた、潜水艦な男のせりふです。古人曰く、 ”勝って兜の緒を しめよ”、と
2008.11.04
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富山県にある幼稚園で。。。クリスマス前に、サンタクロース宛に園児がみんなで手紙を書くことになった。子どもたちは、思い、思いにお願い事を書き、幼稚園が用意したトナカイのポストに手紙を入れてゆきます。そんななか、一人の女の子が どうしてもお願い事を決められず、手紙を家に持ち帰ることになってしまいました。家で、一生懸命悩んだ結果、女の子は手紙に”ペンダントをください。”と書き、それを、郵便ポストに投函します。そう、女の子は、幼稚園が用意したトナカイのポストではなく、本物の郵便ポストにサンタへのお願いの手紙を入れてしまったのでした。女の子は、その後もかなり心配性だったので、本当にサンタさんに手紙が届いたか、気になって仕方ありません。そして女の子は、毎日のようにサンタさんに宛てた手紙を、本物の郵便ポストに入れ続けました。切手を貼っていないその手紙は、サンタに届くはずがなかった。はずが。。。ところが、クリスマスイブの日。なんと、女の子の家にサンタクロースはやってきました!そして、サンタクロースは、女の子に、今まで、たくさんの手紙をくれたお礼を言います。そして、ペンダントをプレゼントしてくれました。やったー!実は、女の子のだし続けた手紙。。。この地域を担当する郵便局に集配され、大事に保管されていたのだった。毎日届く、サンタ宛の手紙を見て、この郵便局の人たちは差出人として書かれていた女の子の名前から、身元を探しまわって、ようやく女の子の住所と名前が判明したのだった。そして、郵便局長が女の子のお母さんに連絡します。電話を終えた郵便局長が、電話の会話を見守っている周囲の局員たちに、ほほえんで、ウインクしたかどうかは分かりません。そして、12月24日。郵便局の人々の粋な計らいで、少女の夢は実現されました!やったー!
2008.11.01
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