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”三月のつめたい風と、四月のにわか雨とが。。。五月の花を咲かせる。””急いで行こうと思ったら、古い道を行きなさい。”
2008.12.31
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”初日の出”ではありません。ものすごい湿度。ジャングルような気温。ここは。。。真冬の山形県、東根市。そう、ここは、小山田さんちのきのこ畑です。まるで西安にある秦の始皇帝の兵馬俑のような雰囲気。とても静かです。厳か(おごそか)です。悠久の時の流れを体感できます。エノキも作っております。エノキは、紙を巻いて、直立させます。ジャンボな月山ブナしめじ。となりのマジックと比較してください。きのこをつくる小山田さん。エノキのようにまっすぐな、とってもいい方です。
2008.12.31
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今日の山形、わさわさの大雪。氷点下。カチン コチン。朝から長靴。ザック。ザック。ズック。ご存知ですか?”雪”には、たっぷりの栄養素が含まれていることを。”水”にはない栄養素を雪はたくさん持っております。つまり、こんな具合。雪 ⇒ 栄養たっぷり!水 ⇒ ぼちぼちお湯 ⇒ だめ 沸騰したお湯 ⇒ 死んだ水何が言いたいか人間も同じだということです。つねにクールでいないといけません。沸騰したら、ダメなんです。山形の野菜やくだものがおいしいのは、農家の方の努力もありますが、この、大自然がもたらしてくれる、たくさんの雪があるからです。だから、暖冬の年は、野菜のうまみが弱い。ヒトも同じで、暖冬が続くと、うまみのないものになってしまう。そう考えると、来年は、景気は厳冬。ヒトの熟成される千載一遇(せんざいいちぐう)のよい季節。Run before the wind.”動かざること山の如し””あまぴしょ”
2008.12.31
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将来、ワコールを作ることになる、塚本幸一は、会社は人材で決まると考えていた。このとき、ワコールの前身、和江商事は、塚本幸一が飛び込みセールス先でバッタリ再開した戦友の立花という男と塚本本人のわずか二人きりの小さな会社だった。この塚本の戦友、立花という男がなかなかの曲者(くせもの)だった。その後も、塚本は、戦争中、苦労を分かち合った人物を何人か採用するが。。。ことごとく、期待を裏切られている。戦場では、お互い助け合ってきた仲間であっても、それがビジネスの世界という異質なものになると、どうやら雰囲気が違うものになるらしい。塚本は、この時、人材に飢えていた。時は流れて昭和22年8月、塚本の卒業した、八幡商業で戦後第一回目の同窓会が行われた。戦争の傷跡の残る時期でもあり、出席者は十数名と少なかった。塚本は、ここで運命の男と出会う。川口郁雄だった。後に、川口はワコールの営業全体を支え、そして育てあげることになる男だった。関西の一企業だったワコールを、川口が東京支店長に就任し、じわじわと他社が持っているマーケットを切りくずし、全国区の大企業へと会社をアシストしてゆくのだった。しかし、彼、川口郁雄は、この時、三菱重工業の社員であり、とても塚本の小さな会社に入るような男ではなかった。塚本に対する印象も、それほどのものではなかったらしい。しかし、塚本は違った。同窓会が終わった後、たびたび川口郁雄の自宅を訪れるようになった。塚本は、自転車で頻繁に川口の家を訪問する。そして”川口君、失礼だけど、八幡商業しか出ていないのに、三菱重工業みたいな大会社にいても 仕方が無いぞ。先も見えているし、せいぜい課長どまりで定年までいるのが、関の山だよ。 出世の見込みはまずないよ。そんなとこおらんと、ウチへ来い。和江商事に来い。 その点、ウチの会社はまだ小さいが、やり方次第でどんなにもなる。””鶏口(けいこう)となるとも牛後(ぎゅうご)となるなかれ”や。*うしのお尻でいるくらいなら、ニワトリの口のほうがまだ良い!川口は、塚本に質問した。”おまえ、いま何しとるんや。会社には、何人おるんや。”塚本幸一”全部で、4人おる。”平然と応える塚本に、川口は唖然(あぜん)となる。そして、川口は、塚本に”そんなとこ、いけるか”誘いを断ったのだった。たしかに、三菱重工業にいても川口の出世には限界があった。しかし、そこは、天下の三菱重工業である。会社が潰れる心配もない。定年まで何の心配もなく過ごすことが出来る。しかも、当時は、まだ戦後復興の途上、多くの日本人は、その日の食事にも困っていた時代。なのに、いつ倒産するかもわからない和江商事に自分の将来を託せるはずが無かった。川口の婚約者も当然大反対だった。(後に奥さんとなる敏子夫人)”三菱にいたら、定年までおれるやないですか。そんなところ、行かないでください。”現在のワコールも、当時は、”そんなところ”と呼ばれる会社だった。しかし、それでも、塚本は、川口の獲得をあきらめなかった。昨日のブログに書いたコトバ。 成功者から学ぶこと。”それは、うまくいったことではなく、 なぜ、うまくいかなかった時に、あきらめなかったのかということ。” つづく
2008.12.30
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私の住む、山形県東根市は、さくらんぼの生産量が日本一の町です。6月になると、360度。まわりはみんな、さくらんぼ畑! 圧巻です。そして、じつは、桜の出荷もすごいんです。受験シーズンになると、全国へ出荷されます。上手に水をあげて育てると、ちゃんと満開になります。” サ ク ラ サ ク ”桜を買っても、花瓶がないことまでは、気づきませんでした。とりあえず、ポットに。。。
2008.12.29
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成功者から学ぶこと。”それは、うまくいったことではなく、 なぜ、うまくいかなかった時に、あきらめなかったのかということ。”ユニクロのトップはいう”一勝九敗の人生”ホンダの創業者”私を成功者というのなら、それには大きな失敗が土台となっているから”松下幸之助”成功するまであきらめなければ、失敗にはならない。”あさのニュースで、国立天文台の方がおもしろいことを話ておりました。”今、景気は悪いですが、下を向かずに、上を向いてほしい。 そして、空を見てほしい。 冬の星空はとてもきれいです。” ”しかも、なんと、プライスレス”なんだか、科学者らしからぬことばだった。なんだか、日記に書いておきたくなる言葉だった。これも、いま、はやりの”ステイケーション”ですね。今日も一日がんばりましょう。
2008.12.29
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松下電器で。。。ある社員が、辞表を提出した。理由は。。。その社員の上司のうち、信頼し慕っていたほうの上司に転勤命令が出たことへの抗議の辞表だった。しかも、その上司を慕っていた仲間たちを募っての、大勢の辞表提出。しかし、彼らにとって、大決心ではあったが、本心ではやめたくはなく、結局、幸之助に詫びを入れて、なんとか納まった。辞表を出した社員たちは。。。幸之助のもとへ。。。”たいへんご心配をおかけいたしました。”といって頭を下げた。。。すると、松下幸之助は、間髪(かんぱつ)入れずこう応じた。”何を言うか。きみたちは、これからも心配をかけるだろう”といって、にっこりと微笑んだ。この一言で、一瞬にして、その場の空気が和んだという。そして、幸之助は、”きみ、光秀になるなよ。””上のものの欠点にこだわって反抗したのでは正しくても大成しない。””残したほうの責任者は、確かに欠点も多いが自分は得がたい人物だと思っている。””秀吉のように良いところをみて対処しなさい。”松下幸之助の言葉”松下電気は、人をつくる会社です。あわせて家電も作っております。”
2008.12.28
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午後14時の気温。マイナス4.2度。寒いのは苦手です。でも、冬の風景は好きです。難しいところです。今日は、車のワイパーを冬用に変えていなかったので朝、大変でした。前が見えない。。。昼頃、雪がやみました。ジャスコの駐車場もガラガラでした。雪にはかないません。天気が回復してきました。お昼ごはん用のぶなしめじ。
2008.12.26
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仕事がうまくゆかず、悩んでいる部長がいた。その部長の愚痴が、偶然、通りかかった、松下幸之助の耳に。。。部長”もうすこし優秀な部下がいたらなぁ。。。”その、言葉をきいた幸之助は、とたんに顔色が変わった。いきなり、その部長に、”キミ、その考え方は間違っている。”といった。”きみは大学も出て、しっかりした男や。””仕事も熱心にやってくれるし、一つ言えば、十も悟る。””非常に私はあてにしている。””しかし、キミみたいな人間ばかりやったら、私は夜ゆっくり寝られんわ。”突然現れた、松下幸之助の言葉に部長は、言葉の意味が理解できなかった。。。。。。幸之助は続けていう。”君は優秀だよ。優秀やから、”私が寝ている間にきみは勝手に違うところに会社をもっていくかもわからん。””目を覚まして会社がどこか違うところへいっていたらたいへんやないか。””そう考えたら夜も心配で寝られへんで。””きみはいま、優秀な人間がいたらといったけれども、事業は優秀な人間ばかりで できるものやないんや。””優秀な人間を集めたからといって、優秀な会社になるとは限らん。””だれしもが少しでもいい仕事をして、世間の役に立ちたい、 会社に喜んでもらい、自分も喜びたいと思って会社に来ているはずや。””大事なのは、その人たちが、きちんと深いところで理解してやってくれるか どうかであって、優秀かどうかではない。””肝心なのはきみだよ”
2008.12.26
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じつに痛い出費。。。水道と洗濯機を直結するホースがあります。2階に住んでいるので、水漏れをおこすと迷惑がかかるので頑丈なものを買いました。問題、なのは。。。長さ。なんとホースの長さは、4メートル!山形県民で一番長いホースを使っているのは、私ではないでしょうか!芝生の水まき用のホースではないですからね~価格が高いのも当たり前です。じつは、わたし、洗濯があまり好きではありません。洗い物が溜まってから、仕方なく洗濯をする。というレベルの低い人間です。また、洗濯機の置いてある脱衣所という場所も。。。あまり好きな場所ではない。太陽の光も。。。とどかず、暗いイメージ。。。先日、引っ越したとき、洗濯機を運び出してみると。。。、ずいぶんとよごれていた。洗濯機をどかして掃除していなかったのだから当然です。今回考えました。洗濯を、楽しくする為にはどうしたらいいか?”あ~はやく、洗濯したいなぁ~”見たいになる為にはどうしたらいいか?じつは、私、以前、料理が苦手、というよりは嫌いだった。3年位前に、はじめて、りんごの皮をむいた。ゆで卵の作り方も分からなくて、スタッフに質問したところ。。。絶句された。当時、三食とも外食。しかも飲食業とは無縁の仕事だった。それが。。。今では、カンナで鰹節(かつおぶし)を削り、ダシをとっています。うまい、ビーフストロガノフや、クロワッサン、ティラミスなども作れるようになりました。人は変われるものです。ということで洗濯に挑戦することにしました。まず、尊敬する松下幸之助の会社で作られた洗濯機を購入。つぎに、ダイニングに洗濯機様を設置することにしました。そのために長い延長ホースが必要だったのです。いつも目に付く所に洗濯機を設置したので、いやでも、清掃をこまめにしなければならない。わたしは、なにか突破するときは逆の事をします。たとえば、ものすごく寒い日があります。足がとても冷たい。。。そのとき、靴下を二枚履いたりはしません。なぜなら、それでも、寒いから。そういう時は、思い切って素足になります。10分ぐらい我慢して。その後で、靴下を履くと、寒さは和らぎます。昔の武士のことば。”凍って寒からず ”寒いという単語を、使えば使うほど、温かくなることはない。
2008.12.24
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宮城県の余目地区(あまるめちく)というところで作られているネギがある。通称、”余目ねぎ(曲がりネギ)”日本で、このネギの名前を知っている人はどれだけいるのだろうか。でも、世界では有名なネギなんです。遠くイタリアのスローフード協会から”味の箱舟”の品目の一つとされるほど、すばらしく美味しいネギなんです。現在、このネギを生産している余目の農家は、わずか20数名。さらに畑の周囲は宅地化が進み。。。絶滅危惧種の一つとなっている伝説のネギです。なぜ、美味しいネギなのに作る人が少ないのか?とても栽培が、大変なんです。費用対効果の点で、ビジネスとして成り立たない為といわれております。昨日、スーパーに行ったら、なんと、曲がりネギが売っていました!お。ど。ろ。き。で。す。あまりのうれしさに、近くにいた店員さんに、お前さんとこのバイヤーはやるねー!と話と。。。店員さん”そんなにすごいネギなんですか?”わたし。。。。。ちょっと冷静に野菜の売り場を見ると。。。。曲がりネギは、ずいぶん多く陳列されているにもかかわらず、隣に並んでいる、見慣れた直立不動のネギは、ほとんど陳列されていなかった。つまり、曲がりネギは大量に売れ残っており、価格が手ごろな直立不動ネギは、どんどん売れてゆく為に、そういう風景になってしまっているのだ。どうりで、売れていないネギに、感動している私に店員さんが唖然としている理由が分かった。商品知識がないと。。。買い手は。。。”曲がっているだけの規格外のネギなのに、 なんで値段が通常のネギの3倍もするんだ。高い!買うわけないだろ””となるのだろう。昨日のかぼちゃの煮つけの売れない理由とは、また異なるものだった。”美味しいものなのに、知られていない為に、見栄えもよくないために、売れない。”スーパーに行くと毎日勉強になります。ちなみに、余目ネギの生まれたきっかけは。余目地区は、豊富な地下水があるために、地下の水位が高く、普通にネギを育てると地中深く根をおろすネギは、腐ってしまう。そのため、成長途中のネギを一度引き抜いて、”約30度の角度”(この角度が大事なんです!大気圏突入と同じ、角度が浅すぎても、深すぎてもダメなんです。)で横倒しにして、さらに上から土をかぶせる。そうすると、ネギは、ストレスを感じて、”やわらかくなり””甘みが増します。”つまり逆境を経験した人間と同じなんです。やわらかくなるんです、ひとにやさしくできるんです。ちなみにわたしが昨日買ったネギは、おとなり天童市で作られた曲がりネギでした。一度、本家の余目ネギが食べたいものです。生でも美味しく食べられるネギです。私は、焼いて生醤油で食べました。
2008.12.23
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昨日、仕事を終えて買い物に行ったら。。。大量のかぼちゃの煮つけが売れ残っていた。たぶん、昨年、冬至(とうじ)の時の、かぼちゃの煮つけの販売数と今年の消費トレンドを参考にして、今年の、かぼちゃの煮つけの製造数が決まるのだと思う。私事だが、今年は、バタバタしていて、自分で、かぼちゃを作ることが出来なかった。惣菜コーナーを通りかかると。。。冬至シールが添付された、売れ残った大量のかぼちゃの煮つけが、20%オフのシールと共に並んでいた。わたしは。。。”今は、風習などというものは希薄になりつつあるから、 横文字のイベント(ハロウィン・クリスマス・バレンタイン)と異なる 冬至かぼちゃというイベントは難しいのかな?”と単純に思いました。わたし的には、今年、かぼちゃの煮付けを作れなかったので、ラッキーと思い、一個買って帰りました。さっそく家に帰り、食べました。すぐに”かぼちゃの煮つけが大量に売れ残った理由が分かりました。”かぼちゃは外国産、味は化学調味料、昆布などでダシはとらずに、アルコールを使って安価に醸造された、醤油とみりんが使われていた。砂糖もただの上白糖だと思う。また食感も良くない。クレームを恐れて、極端にやわらかく煮付けられていた。かぼちゃは、ちょっとでも硬いとクレームになるが、やわらかい分には、クレームになることはないからだ。そのため、”守りの煮かた”になりやすい。安い外国産のかぼちゃを、安いお化粧品を使い、なんとか技術でカバーしようとしている味だった。おそらく去年、そしていままで、買ったお客様は。。。今年は。。。東京ほど流動性のない田舎の町にとって、一度でもマイナスの評価をされるときついと思う。冬至のシールや調味料にお金をかけ、売れ残って大量のロスを出すのであるならば。。。どうして、かぼちゃ本体にお金をかけないのだろうか、と、ふと思いました。北海道産のくり味かぼちゃなら、調味料はいらない。ただ、圧力鍋で20分蒸かしてあげるだけで十分おいしい。味の奥ゆき、自然な甘みと豊かなコク、付け足すものは何もない。当たり前のことなんですね。”家庭で作れない味でなければ。。。、お客様は買わない。” ”ましてや家庭より味が。。。”という、シンプルな話。お店の方は、売れなかったかぼちゃの煮つけに対して、どう評価するのだろう。。。”不景気だから売れなかった!”と結論づけるのだろうか。。。だとしたら、来年はもっと売れなくなるだろう。あらためて、お客様から、購入許可を頂くための難しさを感じた夜でした。
2008.12.22
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日本の洗濯機のマーケットシェア 第一位 東芝第二位 パナソニック(松下電器産業)第三位 日立じつは東芝が日本で一番、洗濯機を販売しております。東芝にとって洗濯機は、どのメーカーにも絶対に負けられない意地があるのです。それは、日本ではじめて洗濯機を製造販売したというメーカーとしての誇りがあるからです。洗濯機のビジネスは難しいといわれております。理由は、”壊れないと買い換えない。”からです。だいたい購入した洗濯機は、平均して、10年間は使い続けるそうです。また、子どもの数も減ってきており、親元を離れる際に洗濯機を買うというニーズが激減しているそうです。最近、いたるところで三菱電機の洗濯機が激安で販売されている。先日も、巨大戦艦ジャスコで、目玉商品として販売されていた。なぜかホームセンターのコメリでも、激安で三菱電機の洗濯機が販売されていた。理由があった。”三菱電機は2008年10月限りで、売り上げ不振で赤字が続いている 洗濯機の生産より撤退する旨を同年9月16日に公式発表した。”コメリに行くと、ハイアールという洗濯機があった。目の不自由な方のためにボタンのところに点字が打ってあり、コンパクトで場所もとらず、なかなかカッコよく、そしてリーズナブルな洗濯機だった。店員さんに、このハイアールというメーカーは、あまり聞いたことがないメーカーですがどこで作っているものなんですか?と聞いてみた。すると店員さん。”中国です。”わたし。”そうですか、じゃあやっぱりパナソニックの洗濯機を買う事にします。”というと。。。店員さん。”日本では、ハイアールはあまり有名メーカーでありませんが、世界シェアでは、 ナンバーワンのブランドなんです。はるかに日本の洗濯機より何倍も 販売実績があるんですよ。と、教えてくださいました。”わたし”世界一ですか。すごいですね。 日本では、どれくらいの実績があるんですか?”店員さん”日本では、あまり売れません。 正直、お客様のように、これは、どこのメーカーと質問された後は。。。 ほとんどのお客様は国産の洗濯機を購入されます。”わたし”食品だけでなく、家電も、国産が根強い人気なんですね。”私の場合は、日本人なので、世界シェアをすこしでも伸ばす為に、日本製にしました。そして、買った後のフォロー、つまりアフターサービスがずば抜けて優れている、パナソニックに致しました。長い付き合いになる家電なので。。。でも、あらためて、追いかけてくる側は、強いなあと感じた洗濯機の旅でした。わたしは、以前、ジャック・ウェルチを尊敬していたので、GEの洗濯機をずっと使い続けてきました。今は、松下幸之助のファンなので、パナソニックになりました。じつに、程度の低い購入動機でございます。
2008.12.21
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伊藤雅俊(いとうまさとし)昭和の大商人。イトーヨーカ堂をつくりあげ、セブンイレブンを育てた男その出発点は。。。昭和20年。わずかに二坪(6.6平方メートル)の店からスタートしたということをご存知だろうか?それが。。。伊藤が引退する頃には、グループ売上高、約6兆円。働く従業員数は、およそ64万人の巨大企業へと成長を遂げていた。伊藤はいう。”お客様のほうを向いた商売をコツコツと続けてきただけです。”このみじかい言葉に伊藤の人生が集約されている。 つづく
2008.12.21
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果物も人間も、主役は だいたい最後に登場してくる。例えば、りんご。9月に津軽りんごの収穫からスタートし、11月下旬、りんごの王様、フジりんごの収穫で終わる。大豆も、秘伝豆や丹波黒豆の収穫は、ずいぶんと遅い。夏の枝豆の時期には間に合わない。また、人間も、歴史に名前を刻む戦国武将や経営者は、子どもの頃、あんがい平凡。”大器は晩成す。”ケンタッキーフライドチキンのカーネルサンダースや戦国時代をスタートさせた北条早雲。60歳からのスタートだった。じわじわ来るんですね。本物は。。。紅柿も同じです。庄内柿が終わり、最後に登場する柿です。300年ほど前、洪水あとに芽を出した柿の木を育てたともいわれてる伝説の柿。とにかくそのままでは食べられません。ウルトラ渋柿なんです。それが、何十日にもわたり寒風に吹かれ鍛えられてゆくと、奥ゆきのある上品な甘さと、なんとも心地よい食感の干し柿になります。わたしの住む山形県東根市は、産地ですので野菜も果物も安く手に入ります。しかし、さくらんぼと紅柿だけは、別格です。キズモノを安く分けてもらうほかありません。白い粉ふく、威厳ある紅柿
2008.12.20
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先日、銀行印が。。。カ・ケ・テ・シ・マ・イ。。。きっと世の中の不景気の影響だと。さっそく作り直しました。私は動物の骨格から作られる印鑑があまり好きではありません。黒水牛の角とか。。。やっぱり、はんこは柘植(つげ)が一番です。柘植は植物であるにも関わらず節目や年輪が薄く、均一な組織でできているので、昔から緻密な工芸品 に多く使用されてきました。使いやすさと耐久性は抜群です。 ただ柘植は、生育が遅いので、過去において三文判用に大量に伐採されたため、国内産の柘植が絶滅寸前まで追い込まれた時期がありました。現在では三文判はラクトと呼ばれる樹脂を材料としているため、こういった現象はなくなりました。じつは、今度印鑑を作るときは、ここにしよう!と 決めていたはんこ屋さんがありました。そして、先日、届きました!引っ越したばかりなので、銀行印として変更手続きをしてしまうと、公共料金の引き落としが出来なくなってしまう恐れがあり、もう少ししたら変更しに行きたいと思います。わたしの経験では、宝くじにお金をかけるよりも、印鑑にお金をかけたほうが、お金は増えると思います。
2008.12.20
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セブンイレブンが2001年2月の前期決算において売上高が4%増の2兆576億円に。小売業売上高でダイエーを抜き首位に立った。その時新聞記者の一人が、伊藤雅俊にたずねる。”小売業、日本一になられた心境をお聞かせください?”伊藤は答える。”売り上げで日本一になったり、世界一になったりすることは、 お客様に信頼され続けることに比べれば、所詮、小さなことではないでしょうか。”
2008.12.19
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そもそも吉兆は、神戸の料理屋の跡取り息子だった湯木貞一が独立し大阪に来て小料理屋、”御鯛茶処・吉兆”をはじめたところからスタートする。茶懐石の精神を盛り込み、独創的な料理をリリースし、日本を代表する高級料亭へと、かけのぼっていった。そして、料理人として、湯木は、日本ではじめて文化功労賞を受賞しこの時をきっかけとして、世の中の料理人の地位が向上したと言われている。湯木の果たした役割は大きい。そして、一男四女の子宝にも恵まれ、それぞれ子供達には店を継がせたのだった。一人息子だった長男には、大阪・高麗橋の”本吉兆”四人の娘たちは、それぞれ料理人を養子に迎えたうえで、長女夫婦の、東京吉兆次女夫婦の、京都吉兆三女夫婦の、船場吉兆四女夫婦の、神戸吉兆この五つの吉兆のうち、もっとも事業欲が盛んだったのが船場吉兆だった。当時、若者が集まる心斎橋のファッションビル”OPA”に新店をオープンさせ、カレーライスを出し、独自の明太子商品を開発し、大ヒットさせてからはプリンやタルトなどの洋菓子などの商品販売にも力をいれて事業を拡大させていった。法事などの席で、吉兆の親族が集まると、事業の多角化でどんどん売り上げを伸ばしている船場吉兆のことがよく話題になったという。吉兆の創業者、湯木貞一のことば”料理の道に携わるものが踏み外してはならぬ掟(おきて)がある。 まず、季節を守ること。 旬を大事にすること。 調子に乗らぬこと。 屏風と店は広げすぎたら倒れるものだ。
2008.12.18
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昨日無事引越しを終えました。引越しは、ブログにも連載中のクロネコヤマトさん。引越しの最中、昨今のお引越し事情を伺いました。最近、伸びて来ているのが、引越しおまかせ丸ごとパックだそうです。荷造りの必要がなく、新しい引越し先に着くと、たとえば食器棚なら、前と同じ場所に、同じ食器を並べてくれる。残ったダンボールやゴミ類も回収してくれるそうだ。お金さえ払えば、なにもしないで引越しを完了することが出来るというサービスです。これだけ、世の中が景気後退局面にあっても金額の高い引越サービスなのに伸びているそうです。それは、お金持ちが増えた分けではなく、荷造りが出来ない人が増えたためだという。また、お客様の指定の時間に伺ったにもかかわらず、荷造りが出来ていない方も増えてきているそうです。ヤマト運輸は、そういう現象を批判するのではなくて、すばやく、引越し商品として販売してしまうところが、さすがです。まさに、ヤマト運輸創業者、小倉さんの、”デメリットのあるところにビジネスチャンスあり”という言葉を具現化している会社です。昨日は、テレビもPCもないのでラジオを聴きながら、荷造りしていると。。。ラジオからは。。。面白い?ことを話しておりました。最近の小学校の先生は大変だという。雑巾(ぞうきん)を絞れない児童が増えてきているのだそうです。怠けているわけではなくて、本当に握力が無くて、雑巾を絞ることが出来ないそうです。ふと、我に返った!私の握っている手には。。。使い捨てのウエットタイプのペーパータオルが。。。。。。。。今、大手家電メーカーで研究開発されている商品がある。タンスと洗濯機のコラボレーションしたものだそうです。服を洋服ダンスにしまって、ボタンを押すと、タンスの中で、洗濯が行われ、乾燥され、次に服を着るときには、クリーニングされているそうだ。人類にとって便利なことはいいことなのだろうか。。。間寛平がすこしうらやましく思えてきた。
2008.12.17
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トヨタ自動車の下期の数字は1000億円規模の連結営業赤字になるそうだ。個人的に大好きな会社なのでがんばってもらいたいです。ふと、本田宗一郎の言葉を思い出した。本田宗一郎”ある銀行のお偉方が、うちの専務にこういうことを言ったらしい。””二輪よりも三輪、三輪よりも四輪のほうが高級車だ。””つまり車輪が増えるほど高級自動車になるという論法だが、これには驚いた。””自動車は陽の当たる産業だと騒がれているが、肝心の銀行マンがこの程度の考え方しか ”もっていないというのはいかにも情けない。””この論法でいくと、六輪駆動車はもっと高級車で、キャタピラを持っている戦車などは”最高級車と言うことになる。””さらに動物にたとえると、二本足の人間なんか最低で、犬の方が高級で”ムカデになると超高級動物ということにもなる。””僕は四輪会社の決算書を見るたびに、銀行から安い金利で金を借りてきて 高い金利で車を月賦販売で売って、そのサヤが利潤として大きく計上されているんだなあと いつも思う。70万も80万もする自動車だから、100%キャッシュで売るのは 無理かもしれないが、金利のサヤが儲けの主要な部分になるような企業のあり方そのものが 僕の神経には耐えられない。自動車工場を経営していても、技術とアイデアで 儲けないで、金融操作で儲けているのでは、どうみても自動車会社とはいえない。 そういう会社が、日本の一流の企業としてチヤホヤされ、自分でうぬぼれているところに 日本の企業の弱さがある。土地を売って儲けても、同じ儲けには違いないが、 何でもいいから儲けさえすればいいというのでは、折角の看板が泣こうというものである。 会社が大きいと言うことは、自分が大きいということではないし、 ましてや人間の良さとはまったく関係がない。 大きさからいえば、観音様は1寸8分で、仁王さんは雲をつくような大男だが 仁王さんはやっぱり門番にしかなれない。 仁王さんになって威張っているのも人生かもしれないが、 僕はそういう人生を送ろうとは思わない。” さわやかな人。。。本田宗一郎さん。
2008.12.16
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わたしは会社を選ぶ際、その会社のリーダーの、”人となり”がなによりの動機となります。社会人スタートのときは、学生時代からの憧れの経営者、小林一三(こばやしいちぞう)の作り上げた会社にお世話になった。その後、様々なリーダーに接することが出来た。なかでも、伊藤雅敏(たしか当時は名誉会長)さんのお話を聞いたときには、とても感銘を受けました。伊藤雅敏さんは、イトーヨーカ堂グループを作り上げた方です。当時、伊藤さんの部屋には、一枚の額が掛かっていた。その額の文章をご紹介させていただきます。商人の道農民は連帯感に生きる商人は孤独を生きがいにしなければならぬ総ては競争者である農民は安定を求める商人は不安定こそ利潤の源泉として喜ばねばならぬ農民は安全を欲する商人は冒険を望まねばならぬ絶えず危険な世界を求めそこに飛び込まぬ商人は利子生活者であり隠居であるにすぎぬ農民は土着を喜ぶ大地に根を深くおろそうとする商人は何処からでも養分を吸い上げられる浮き草でなければならぬ其の故郷は住むところすべてである自分の墓はこの全世界である先祖伝来の土地などと云う商人は一刻も早く算盤(そろばん)を捨てて鍬(くわ)を取るべきである石橋をたたいて歩いてはならぬ人の作った道を用心して通るのは、女 子供 と老人の仕事である我が歩む処そのものが道である他人の道は自分の道ではないと云う事が商人の道である。世の中では、鈴木会長(現セブン&アイ・ホールディングス会長)がクローズアップされる場合が多い。しかしおそらく伊藤さんがいなかったなら、鈴木会長の登場は無かったのではないだろうか。その理由は、昭和の時代ライバル関係にあったダイエーの中内さんが後継者を育てられなかったことでも分かる。松下幸之助さんの言葉で締めくくらせていただきます。”松下電器(パナソニック)は、人をつくる会社です。 あわせて家電も作っております。”
2008.12.15
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昭和30年ごろ。松下電器(現パナソニック)は、新型のコタツを販売した。しかし、それは不具合のある商品だった。市場から全数回収が決まった。責任者の電熱課長が、松下幸之助に呼ばれた。松下幸之助”きみが電熱担当の課長か”課長”はい、そうです。”松下”会社に入って何年になるかね”課長”18年になります。”松下”きみ、あしたから会社をやめてくれ”課長”。。。。。”松下”今、会社をやめたら困るか”課長”困ります。小さい子どもが二人おりますし。。。”松下”それは、金がないからだろう。きみが困らないように金は貸してやろう。 そのかわり、わしの言うとおりにやれよ”課長”は。い。。。”松下”会社をやめて、おしるこ屋になれ。”課長”。。。。。”松下”まあ、立ってないで、その椅子に座って。”松下”きみは、まず、あしたから何をやる?”課長”新橋、銀座、有楽町と歩いて、有名なおしるこ屋を3軒、調査いたします。松下”何を調査するのや”課長”そのしるこ屋がなぜはやっているのか、理由を具体的につかみます。”松下”つぎは”課長”その繁盛店のおしるこに負けない、おしるこをどうやってつくるか研究いたします。””あずきはどこの産地のものが良いか、砂糖はどうか。 そして、炊く時間、火力、味付けなどを研究いたします。”松下”おいしい おしるこの味が決まったとしよう。ではそのつぎは?”課長”。。。。。”松下”きみ、そっからが大事なんや””その決めた味について、奥さんに聞いてみないかん。””しかし、奥さんは身内やから”うまい”と言うやろ。 だから、さらに近所の人たちにも理由を説明して、味見をお願いしてまわることや。”課長”はい、必ずそれをやります。”松下”自分の決めた味に自身をもつこと。、それから大事なのは、 毎日毎日、つくるごとに決めたとおりに出来ているかどうか ”みずから” チェックすることや。”課長”必ず実行します。”松下”それだけでは、まだあかんよ。”松下幸之助は、課長の目をじっと見つめながら。。。”毎日、一番はじめにいらっしゃったお客様に、 ”しるこの味はいかがですか”と聞くことが必要やな。”課長”はい、わかりました。”松下”きみは、そのしるこをいくらで売るか?”課長”最初に調べた3店舗のお店の値段を参考に、相手が5円なら、うちも5円で売ります。”松下”それでいいやろ。今、きみが5円で売るしるこ屋の店主としても、 毎日これだけの努力をしなければならない。 きみは、電熱課長として、何千円もする電化製品を売っている。 だからしるこ屋の百倍、二百倍、努力をしなければいけないな。 そのことがわかるか”課長”はい、よくわかりました。”松下”よし、きみ、いまわしが言ったことが分かったのであれば、 会社をやめてくれは、取り消すから、あしたからは課長としての仕事を しっかりやってくれ。”
2008.12.14
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昨日の夜、23時ごろの山形の空。仕事を終えて、外に出ると、夜なのに やけに明るい。田舎ですので、人工のあかりはジャスコの看板ぐらいのはずなのに。。。ふと、見上げると、雲もはっきりみえる。明るくなりすぎていて、逆に、冬のきれいな星々が見えない。不思議な夜でした。テレビをつけると。。。国会で麻生さんが頑張っていた。。。。景気。。。低迷(ていまい)し。。。すかさず野党から野次が飛ぶ。それは、”ていめい”と読むんだ~国会に来る前に、小学校へ行け~麻生さん怒る!もうすこしレベルの高い野次を飛ばしたらどうなんだ!近いうちに、お母さん方の子どもに見せたくない番組ランキングに、クレヨンしんちゃんやダウンタウンの番組を抜いて、国会中継が上位に入ってくると予想いたします。
2008.12.12
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今日のお昼はシンプルにお餅と干し柿でした。ちかごろシンプルなものがいいですね!でも、けっこう高い醤油を使っているんですよ!醤油がいいと、お餅もよりおいしくなります。
2008.12.11
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お金を失うことは少し失うこと。名誉を失うことは多くを失うこと。勇気を失うことはすべてを失うこと。灼熱の大地にも、武士道があった。
2008.12.09
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めしを食うために仕事を選んでいる場合ではなかった。。。塚本は、復員した日、偶然出会った、女性用の模造ネックレスの販売をすることにきめた。とりあえず、商売をしながら、本来すべき商売を探しつつ、人材を探しつつ、資金を集めることにしたのだった。そして、塚本は、新しい商売のための会社の名前に父親が戦後、再起を図り、興そうとして準備していた会社名の”和江商事”をそのまま使うことにした。塚本の個人商店、”和江商事”の誕生だった。ちなみに”和江商事”の名前の由来は、塚本の父親の粂次郎(くめじろう)が生まれた近江地方(現在の滋賀県)のことを通称”江州”といった。”『江』州に『和』す”という意味で「和江」と付けられたものだった。そして、会社のロゴマークには、当時「クローバー」という商標が使われていた。が、しかし、名古屋の雑貨商から商標権侵害で訴えられてしまい。。。使う事が出来なくなってしまった。そこで、塚本は、新しい商標を考えることにした。しかし”和江”という名は残したいと思った。塚本にとって、近江商人とは誇りであり、また”和江”とは、”平和へ”とも読むことが出来る素晴らしい文字との確信があった。和江。。。残す。。。和江。。。留める。。。”和江留”。。。という言葉を思いついた!その ”和江留(かずえる)をカタカナ読みにしたものが現在、ひろく人々に知られている ”和江留(ワコール)”という名前になる。いよいよ塚本の壮大な挑戦が始まるのだった。 つづく
2008.12.07
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あさカーテンを開けると。。。どうりで、刺すように寒いはずです。雪国になっておりました。ヤッホー~静かな朝に、声が こだまします。”ペールギュントの朝が、ぴったりな朝。。。
2008.12.07
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昭和21年6月15日、早朝、朝もやのなか一人のやせこけた、粗末な身なりの男が京都駅に降り立った。その男にとって、じつに5年7ヶ月ぶりの、故郷。ワコールを創業することになる塚本幸一だった。さっそく自宅へ帰ると。。。彼はじっとしてはいなかった。初夏の日差しを受けながら、自宅から4キロほど離れた護国神社へ歩いていった。到着するとしばらく 深々と 頭をたれ亡くなった戦友の顔を思い出しては、霊を弔った。そして自宅に戻ると こんどは おじさんの家へ出かけた。塚本のおじさんは、裏の離れで電気屋を営んでいた。塚本が、ひょいと顔を出すと、先客がいた。なにやら商談中だった。”これ、どこか、売れ口はないやろか?”客が、おじさんに差し出した商品のサンプルは、塚本がそれまで見たこともないものだった。塚本は、不思議に思い、覗き込むようにして 尋ねた。”それは数珠(じゅず)でっか?”客は、一瞬、唖然とした後、すぐに大笑いしながら、塚本に答えた。”アホかいな。これは、”ネックレス”や”塚本”ねっ。。く。。れ。す”って、何ですか”今度は、塚本のおじさんまで笑い出した。おじさんは、客に、塚本が今日、復員してきたばかりの世間知らずであることを説明した。すると客が、”ネックレスいうたら、女の首飾りのことや。ただし、この真珠は模造品やけど”塚本は、ネックレスを手にとって”ほう、これがねぇ~””こんなもんが、売れますか?”客”ぼちぼちやけどな。そやけど、これは統制品やないさかい。売りやすい品や”塚本は。。。思い出した。塚本の友人で、市役所の前で、一風変わった雑貨を扱っているものがいた。土をこねて作ったようなブローチや、竹で作ったボタン、しゃれた壁掛けなどを販売している店だった。さっそく塚本は、友人の店に行き、模造真珠の話を持ちかけた。友人は思ったとおり、興味を示した!さっそく、塚本はおじさんの家に戻り、模造ネックレスを1ダースほど借りた。そして、友人の店に持ち込んだ。友人は大喜びで、塚本の持ち込んだ、模造真珠をすべて買い取った。さらに、塚本は、帰りに、友人の店の雑貨店で、面白そうなものを預かって帰ってきた。そして、こんどは叔父の客に、友人のところの預かってきた商品を見せ、その品物を客に売ってしまったのだった。塚本は、二度の往復で、ふたつの商談を成立させ、お金を得たのだった。戦争から戻ってきた、その日 塚本が、はじめて目にしたネックレス。まさに、この時、塚本の運命が、扉をたたいた瞬間だった。将来、ワコールを創業するきっかけとなった日だった。”日本の女性を美しくしたい!” つづく
2008.12.06
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ドラッカーは、組織について面白い話をしている。”世の中にふつうに存在している”組織”というものがある。 会社、国、官僚機構、などなど。。。 普通にあるから、何の違和感もない。 しかし、”会社”と言う組織形態が 初めて、人間の歴史に登場してきたのは、じつは最近のこと。 1870年より以前は、”会社”という組織はなかった。 会社という会計制度を中心とした組織形態は、 やがて、政府、病院、大学などにも広がっていった。 組織と言うものは、”金太郎あめ(画一的)”となってゆくのが自然な流れである。 鎌倉幕府も、江戸幕府も、日本政府も、 時間の経過と共に。。。”止まってしまう”のが、むしろ自然。” たしかに、 幕末に徳川家康がいたら、明治時代にはならなかったような気がする。 ”現在のような、業界が激変する新しい時代には、 今までの常識が通用しなくなってきている。 ケースバイケースによって、考え方を柔軟に変えてゆかなければならない時代だ。” 以前、わたしは一冊の本を読んだ。 本のタイトルは、 ”ヒトデはクモよりなぜ強い。”という本です。クモも、ヒトデも、同じように足をたくさん持っている生き物です。しかし、大きな違いが一つある。クモは頭を切り落とされると死んでしまう。しかし、ヒトデは違う。たとえ、真っ二つに切り裂かれても,再生して”ふたつのヒトデ”になる.あの中央から外側に伸びている三角の部分が、それぞれ独自に考えを持って機能しているからだ。歴史を振り返っても。。。インカ帝国,アステカ帝国をわずか2年で破った強力なスペイン軍が。。。インディアンのアパッチ族に敗れてしまっている。原因は。。。アパッチ族がヒトデ型組織であった為、まったく計画性のない攻撃により、予測が困難となり、また、リーダーをやっつけても、すぐにまた別なリーダーが現れてしまい泥沼にはまってしまった為だと言われている。さながら、地球上の盟主、人類が、自分よりも、ずいぶんと小さい新種のインフルエンザにおびえるように。。。あんがい、組織という概念が脆弱だった弥生時代あたりがエコで環境にも優しく すごしやすかったのかもしれないと思った。もっとも、それでは、アメリカのディズニーリゾートには行けなくなるが。。。
2008.12.05
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町が凍りました。カチカチです。まるで核戦争後の地球のようです。そろそろ冬眠したい。。。はやく夏にならないかな。。。夏の思い出
2008.12.04
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ドラッカーの予言は、占い師より当たる!ドラッカーは生前、インターネット業界に対して厳しい指摘をしていた。それは、ドラッカーが老人で、保守的で、ITに無知だったからではない。なぜなら、彼は、IBMのコンピュータ開発に参加していたほどの知識人だったからだ。ドラッカーは生前。。。こう話していた。”インターネット株の高騰に酔いしれている人たちにいおう。 宴は長くは続かない。多くのインターネット企業は消えることになる。”きっぱりと言い切っていた。そのドラッカーの予言の自信の裏打ちは。。。自動車産業の歴史から来ている。インターネット産業は、1900年代前半の自動車産業に酷似しているという。1919年、当時のアメリカにおいて。。。自動車会社はいくつ存在したかご存知だろうか?答えは。。。1500社。そして。。。現在。。。3社。その、3社も。。。あ。ぶ。な。い。自動車を発明し世の中に送り出した最初の会社。フォード社のCEOの年俸は、1ドルになるそうだ。今の為替レートだと93円。。。。わずか100年程度のみじかい時間の中で、これだけ、ちょっと前まで花形産業だったものが。。。。ドラッカーは言う”インターネット産業も例外ではない。”余談だが。。。ドラッカーがインターネット企業のなかで、唯一評価している企業は。。。。アマゾン・ドット・コムだったと聞いたことがある。昨日、パートの石山さんとアマゾンの梱包の仕方を真似してみた!うまくいった。アマゾンさんありがとう!
2008.12.04
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西村松兵衛という人物がいる。NHK大河ドラマ、篤姫には登場してこないが。。。幕末の同時代を生きた人物である。坂本龍馬を知らない人はいないと思う。その龍馬の妻、お龍さんもけっこう知られている。龍馬が暗殺された後。。。お龍は、龍馬の実家へ行くが。。。折り合いが悪く、飛び出してしまう。その後、紆余曲折を経て。。。再婚する。その再婚相手が。。。”西村松兵衛さん”だ。お龍は、晩年、アルコール依存症で。。。酔っては。。。ご主人の松兵衛さんの前で。。。”私は龍馬の妻だ!”と悪態をついたそうだ。しかし、西村松兵衛さんはお龍を怒ることはなかった。穏やかな笑顔で、お龍の話を受けとめ続けた。お龍は、明治39年、横須賀にて 66歳でこの世を去る。西村松兵衛さんは、お龍のお墓をつくる。お龍の墓を よくみると文字が刻まれてある。その文字には、”阪本龍馬の妻 龍子ここに眠る”と刻まれてある。お龍の墓には。。。ご主人の西村松兵衛さんの”西”の字も”松”の字も、ただの一文字も刻まれてはいない。。。また、西村松兵衛さんは、坂本龍馬の眠る京都、護国神社にも分骨した。わたしは、坂本龍馬の行なった仕事(薩長同盟や船中八策)よりもこの、西村松兵衛さんの、ひろいこころの方に共感を持つ。なかなか出来ることではない。
2008.12.03
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今朝、久しぶりにうちの大家さんに会いました。高級車でカッコよく登場!今回、道路拡張工事でマンション取り壊しが決まり、私も引越しすることになり御礼をしました。わたし”大家さん、また新しく賃貸マンションを建てるんですが?”大家さん”いや、もうしないよ””今度は、一人暮らしの高齢者向けの集合住宅をやるんだ。”わたし”どんな感じなんですか?”大家さん”むかしの下宿アパートみたいな感じかな。””みんなで楽しくわいわい出来るようにして、一人でも寂しくないようにするんだ””だからホームヘルパーの資格も取ってあるんだ。”もう、マンション経営はやらないそうだ。どうやらトレンディードラマに出てくるような、かっこいいマンションを作っても入居してくる、元気な人は日本には。。。うちの大家さんはムコ殿に、ポンとスカイラインをプレゼントしてしまう太っ腹な人です。時代の風にとても敏感な方です。トヨタのレクサスは、大ブレーキにより減産。ユニクロの発熱するシャツは大増産で、ユニクロの売り上げは過去最大。エコなのか景気後退なのか、とにかく部屋の室温を低く設定するため保温力のあるシャツはよく売れる。時代の流れをきちんと把握している人は強い。
2008.12.03
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ワコールを創業することになる塚本幸一は、八幡商業を卒業すると。。。*八幡商業は、前回の日記で紹介した近江商人を育てる学校として ヴォーリズが、塚本の入学する少し前まで教鞭をとっていた学校です。塚本は就職試験に落ちてしまったので。。。やむなく家の手伝いを始めた。仕事は繊維製品の卸をしていた。仕事を手伝い始めて2年目からは、ようやく一人で得意先まわりを任されるようになっていた。当時、日本は、徴兵制だった。成人になった男子は、全員、軍人となった。日本の男子に。。。かるいノリの男は存在できなかったのである。塚本の母は心配した。”なにもあんたのような一人息子が戦争に行かなくても。。。 病気にでもなって、なんとか兵役免除にならないものだろうか。。。”徴兵検査が近づくにつれて、母親はとても不機嫌だった。昭和15年の9月、塚本は二十歳になっていた。このとき世の中は。。。戦争へ向け、まっすぐに進んでいた。そして、日本から発信された一通の暗号電文が、ハワイへ向かう。。。日本の機動部隊へ飛んだ。 ”ニイタカヤマノボレ ヒト フタ マル ハチ ”*新高山(ニイタカヤマ)とは台湾の山です。 日本の富士山より高い山でした。当時、台湾は日本の領土となっており つまり”12月8日に、一番高い山(アメリカ)を登れ!”という意味。暗号電文をうけっとた、日本の機動部隊は。。。日曜の早朝、まったりくつろいでいた、アメリカ合衆国のハワイへ200機ちかい戦闘機で奇襲攻撃をかける。この瞬間、日本はアメリカと戦争に突入。そして、ワコールをつくることになる、若き塚本青年は戦局の拡大する、泥沼の中国へ。。。そして、導かれるようにして。。。運命のインパール作戦へ従軍する。インパール作戦とは、中国を屈服させるためには、その補給路となっているインドのインパールを攻略する必要があった。戦争の長期化を避けるためにも大事な作戦だった。しかし、この作戦は無謀だった。10万人の兵力で、3ヶ月掛かると試算されたインパール作戦だったが。。。兵隊の腹を満たす食料は、わずか1週間分しかなかった。足りない分は、現地調達せよ!とのことだった。しかもこのとき、制空権はすでになくなっていた。昼間になると、日本軍は戦闘機の標的となった。戦う前から、 ”勝敗が決していた” 戦いだった。現場の南方総軍の総参謀副長の稲田などが無謀なインパール作戦に強硬に反対したが。。。時の首相、東條英機らによって作戦に反対するものは、更迭され作戦は実施される。後世。。。インパールへの道は、白骨街道と呼ばれた。約10万の兵士のうち。。。4万もの兵士が亡くなった。塚本の所属する55人の部隊の生き残りは。。。塚本を含めてわずか3名だった。そして、昭和20年8月15日となる。。。終戦。塚本は、タイで武装解除となり、オランダの捕虜収容所で半年を過ごし、日本へ帰る船に乗ることが出来た。船の中で。。。塚本の頭の中には、いつも戦友の死に顔でいっぱいだった。”もし、あのときの任務が、戦友ではなくて、自分の担当だったら。。。 自分は間違いなく死んでいる。今の自分はいない。”生きていることを素直に喜ぶことはできなかった。”なぜ、俺は生きているんだ。””どうして、俺だけ助かったんだ。”いよいよ船が、日本へ到着する日が近づいてきた。悩みに悩んだ塚本の頭の中に。。。閃光がはしる。”そうだ! 自分は生きているのではない。生かされているんだ。””自分は一度死んでいる。””これからの自分の人生は生かされた人生であって、自分個人だけのものではない。””敗戦後の日本が再建のために、自分を必要として生かしてくれたんだ。””なんとしても期待に応えなければならない。”ワコールを創業することになる塚本幸一、日本に帰る復員船の中で感じたことだった。 つづく
2008.12.02
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日ごろは、朝焼けのほうが好きですね。今日の夕焼けは。。。。。車を走らせていると、 冬の澄んだ空気と、最後の力を振り絞った太陽の光が。。。 ラジオからは、 MISIAのEverything。。。 いい時間。。。。
2008.12.01
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