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二年以上かかったウチの彼のインドの仕事。いよいよ終わって帰国しました。帰る前にどこか見物にでもというわけで、通訳さん、運転手さんの三人で、ゴアという街に小旅行をしたそうです。10月のレポートですが、ウチの彼のインド便り(終章)です。来年はベトナムの仕事の依頼がきています。来年の話はさておいてとにかくお疲れさまでした。写真は、カルナカタ州とゴア州の境にある検問所です。白Noは個人車で並ぶ必要がなく250ルピー。並んでいるのは営業車で、1台2500ルピーで10倍です。10月2日は混んでおり、通過するだけで1時間30分かかりました。運転手さんも大変です。目的地に到着してから、クルーズ客船に乗ろうかと思いましたが、ウチのかみさんに『最近、韓国で起こった事件思い出して‥ホントに大丈夫?』と言われたので、‥止めました‥どこにいっても混んでいるし、暑くてウンザリでした。何しに来たんだか。バスコダガマ駅です。列車の行き先は、ハジュラトニジャムッディン駅行き(デリー駅)インド北部 約1400Kmパトナ駅行き・・・ビハール州・・・インド北東部 約1400Kmチェンナイ駅行き・・・タミルナドウ州・・・南東部 約750Kmハイデラバード駅行き・・・アンドラプラディッシュ州 約600Km列車での移動は最低でも2日間は掛かります。ゴアは元ポルトガル領だったためキリスト教・カソリックの教会があります。1510年、ゴアはポルトガル艦隊によって占領され、ポルトガル人はゴアをリスボンとそっくりな都として建設したのです。以後、ゴアは、東西貿易の基地として栄えることになりますが、それとともにキリスト教東方布教の拠点になって行くのです。1549年、日本にキリスト教を伝えた聖人フランシスコ・ザビエル。日本にきたあと一度帰国し、再度、中国に渡り中国で布教したのですが今の広東省で死去しました。ザビエルの遺体は、ここゴアにあるボム・ジェズ教会に安置されています。ボム・ジェズ教会は1594年築で世界遺産です。今回の旅の目的は、この教会とザビエルが眠る棺を見ることでした。※ちなみに、インドの宗教は多い順に、ヒンドゥー教(約80%で圧倒的に多い)イスラム教(13.5%)、キリスト教(2.3%)シーク教(1.9%)、仏教、(0.8%)、ジャイナ教(0.4%)といったところですが、意外に仏教は少ないんですね。
2014年11月29日
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皆さま、ご無沙汰しております。私は二月のソチ・オリンピックからすっかりフィギュアスケートに嵌まっています。ちょうどパソコンを買い換えたのもあって大型画面でユーチューブ三昧の日々…といったところです。会場まで足を運んで高橋大輔選手を観るのが、今のところ私の夢かな。ウチの彼はといえば相変わらず日本とインドを行ったり来たりしています。もう1年8ヶ月も経つので、すっかりインド人?なのか帰国すると日本は寒い寒いと言って必ず風邪を?ひいてます。先月、インドは選挙によって政権交代したそうで、彼からミニレポートが届いていますので、アップしておきますね。●インドの総選挙、開票は5月16日でした。その間4月から5月にかけて約1ヵ月間各州で投票が行われ、今回は10年振りに人民党が勝利した。(インドの2大政党は国民会議派・インド人民党)新首相は前グジャラート州首相のナレンドラ・モディ氏。モディ氏はこの10年グジャラート州において経済を2ケタ成長させた実績があり、日本との関係も深く若者の期待も大きい。現場の通訳さんの多くが期待しているようだ。モディ氏は排外的思想を持つ「民族義勇団(RSS)」出身でチャイ売りから身を起こしたそうだ。また、グジャラート州においてインフラ整備と企業誘致を進めインドの州のなかで初めて無停電州を作ったとされる。私のいるマハラシュトラ州ではしょっちゅう停電があり炊飯器で米を炊くのに苦労している。また日本からの投資や経済協力を期待していることもあって、日本財界からの視線も熱い。投票日が近づくと、酒を売るのは禁止されているため酒屋はもちろんのこと、ホテルのレストラン、食堂、屋台までどこに行っても酒は飲めない。どうやら買収に使われるから…らしい。。 稔の雑感‥どちらの政党になっても、この広くて複雑なインドという国をまとめて行くのは大変そうです。たとえばインドの州は29だと思いますが、話されている言語は30以上。私が今いる所はカルナタカ州でカンナラ語。通訳さんの多くはマハラシュトラ州でマラティ語。隣のタミルナドウ州はタミル語。お互いの言葉は全く分からないそうです。標準言語はヒンディ語と英語ですが、学校で習わないのか、話せない人も多いため自国内で通訳がいることもあり得るのです。また、州も不変ではなく変わることがよくあります。今年になって隣のアンドラプラディッシュ州が二つにわかれました。名前の変更もよくあるようで、昨年暮れにバンガロール空港がケンペゴーラ空港に代わりました。ついでに都市名で(〜バード)はイスラム系の名で、(〜プール)はヒンディ系だそうですよ。ではまた。★写真撮影はウチの彼こと稔。大きな工場と言うより、銀行も何でも揃っている一つの町です。八百屋さん&食料品店にて。
2014年06月18日
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「夫が滞在しているゲストハウス。レストランも三つある。大きな工場の敷地の中にあります」ウチの彼(夫)がインドから一時帰国をしています。インドの様子をレポートしてくれたので、宜しければリミンブログでご覧下さいませ。●ウチの彼のインド雑感インドでの生活は初めてでもあり、多少の興味もあったので、長期であったが仕事を請けた。場所はデカン高原の真只中にある製鉄所。「工場で働くインド人のワーカーたち」インドにはモノはあるもののアンバランスを感じる。カースト制度は残っているようだし、国、会社は官僚臭がプンプン臭う。「敷地の中には銀行や小さなスーパーも。」「日本をはじめ、ドイツ、イギリスなど大勢の技術者たちが集まっています」製鉄所からでる煤煙。黒煙をだしながら道を走るトレーラー、ダンプ、トラックに近い将来、公害発生が懸念される。製鉄所から一歩外に出ると別世界が広がる‥鈴なりのバス、定員オーバーのオートリキシャに最初は驚いた。街の中にノラのお牛さま、猪(猪豚)がいて、裸足の人間、道で寝ている人もいる。雑踏、悪路、埃、裸電球の夜店、漆黒の闇、要は何でもありの国みたいだ。だがなんとなく懐かしさを感じる。何故だろう。僕が育った小、中学校時代の日本と似てはいないか。埃をたててバスが走る。道際の家の垣根が真っ白だったあの道、あの風景だ。とすれば、この道はいつか来た道、そう思う。新興国が通らなければならない途なのだろうか。発展するとは何なのだろうか。と、フと考えてしまう。朝、近くの学校に通うリュックを背負った子供たちがいる。ホっとする情景だ‥。 (文:ウチの彼こと稔 写真:同じく稔 編集:璃々)
2013年06月22日
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ハッピーホーリーはインドの祝日で仕事はお休み。もともとは豊作祈願だったホーリー(Holi)はインドやネパールのヒンドゥー教の春祭りなのね。春の訪れを祝うと同時に、悪魔祓いの意味が加わり‥現在のイースター+ハロウィン?を兼ねたお祭りみたいになったそうです。この日は、友人知人はもとより、たまたま通りがかった人にまで顔や身体に色粉を塗りつけたり、色水を掛け合ったりするそう。今日は「外に出たら大変ですよ!」と周りの人に驚かされていたのに、彼はリミンブログのインド特派員?(笑)として、写真を撮るために出掛けて行った。で、ホントにもう大変なことなったそうです。この色粉、シャワーを浴びても、衣類の洗濯をしてもなかなか落ちないそうです。ウチの彼の顔をご覧になったら一目同然!インド暦では11月の満月の日ですが、太陽暦では3月に当たり、この日だけは、カーストの上下も一切関係なく、色粉をお互いに塗りたくり、とてもカラフルなお祭りです。このホーリーが過ぎると、いよいよ本格的な真夏日の到来です。ちなみに、現在の日中の気温は43度くらいで五月がピークとのこと。
2013年04月22日
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インドの世界遺産【HAMPI】「ウチの彼」からのインド便り3です。実は、彼の二回目の一時帰国中だったのでここのところ私も落ち着かない日々を過ごしてました。インドは、ほとんどカレー味(しかも嫌いな皮なしのチキン)だから、彼にとっては、食べ飽きない和食が大ご馳走!酢のもの、焼き魚、家のとんかつ、納豆、きんぴら、今の季節なら山菜のてんぷら等、ようするに普通のおかずとご飯を食べたいのです。3週間、日本の家庭の味を堪能し尽くして、本日、早朝またインドへと出発しました。満開の桜とはいかなかったけれど、二人で川辺に咲く桜通りをドライブ出来たことがなによりのお見送りでした。休日、ビジャナガルのゲストハウスから車で小一時間ほどのところにある世界遺産「HAMPI」行ってみたそうなのでその写真とお土産話をほんの少しおすそ分けいたします。ハンピは南インドのデカン高原にヒンドゥー教勢力が結束してできたヴィジャヤナガル朝の王都。数多くの宮殿やヒンドゥー教寺院が造営されたが、16世紀半ばイスラム勢力によって象の鼻など偶像を破壊され、廃墟と化した。稔 記『ヴィジャヤナガル王国(1336-1649)の首都であったが、現在のハンピは広大な範囲に遺跡が点在する。あまり観光地化されていないようだ。街中で見かけるノラ牛?もとい「お牛さま」がここにもいた。』奇妙な岩だらけの荒野に造られた、まさに幻の都ハンピ。古名はヴィジャヤナガル(Vijayanagara、「勝利の都」)「ヴィッタラ寺院(Vittala Temple)」寺院の正面には石の車輪がついた山車(ラタ)がある。このラタの中にはヴィシュヌの乗り物である想像上の鳥、ガルーダの像が置かれている。このストーンチャリオット(石の山車)は「HAMPI」のシンボルです。
2013年03月21日
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寒い日が続いております。皆さま、お変わりありませんか。私は寒がりで、暖かいおウチでごろごろしています。春はまだまだ遠いけれど、抜けるような青い空とキーンと冷たい風も心地よい。窓辺の富士山もくっきり見えるし、冬ごもりもなかなか良いものね。●「ウチの彼」からインド便り2滞在している所から約30Kmのところにあるホスペットという街で。(車で45分) ガンジー像と周辺で商いをしている人々です。ガンジーさんは現代インドの国父と呼ばれており、紙幣は皆ガンジーさんの肖像です。イスラム教徒の女性二人と三輪車。 (多くはタクシーとして使われている)当初は、朝、出勤するとき、このタクシーに十数人が群がって乗るのを見た時は驚きでしたが、最近はフツーの風景として何も感じなくなるから不思議です。因みにインド国内のイスラム教徒は11.5%でヒンドゥー教徒に次いで2番目です。私が居る場所を少し説明しておきます。インドのIT産業の中心と言われるバンガロール(空港)から約350Km北北西の町ベラリー市(郡?)ビジャナガルという所。(地図にも載ってない‥)空港から高速道路で3時間半、そこからまた3時間。計6時間半も掛ります。高速といっても、日本と違い平坦な路でも無く、ガードレールも無く‥工事中の場所も多い。そうそう、IT産業のメッカといっても、日本のテレビで紹介されるのは工場のごくごく一部。工場の外は やっぱりインドだな‥都市が郊外に延びていて、鉄道や駅予定地の回りには今、高層マンションがドンドン建っています。高速を降りると、山賊が出そうな巨大な岩石がゴロゴロしている寂しい場所を通るため、会社からは暗くなってからは一般道は走らないようにいわれています。アルジェリアの事件は、日本人の間では話しますが、インド人の話題にはなっていないようです。ではまた。 稔より
2013年01月26日
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ウチの彼が一時帰国で帰ってきました。インドの大きなプロジェクトの仕事です。彼は工業炉のスーパーバイザー(設置&指導員)なのね。当初は来年の三月位までという話でしたが、ご覧の通り工場すらまだ出来ていません‥それもそのはず、インドのワーカーさんは(30%位の人は何もしないで)ブラブラしているだけ。で、工場が完成しないと、炉の設置もできないし、試運転が遅れる。ということは帰ってくるのが遅れる‥そういえば‥働き蟻の中に、30%位は何もしない蟻が必要だと聞いたことがありますが、まさにその状態に近い。悠久の大河のように、仕事もゆったり急がずでいくみたい。写真のワーカーさんが、持っているのはインドの弁当箱。朝、出勤するとき、ほとんどの人が手にぶらさげて来るそうです。三段重ねで、それぞれ(ご飯、カレー、スープ)が入っている。この弁当箱を見た瞬間、『あ、璃々が喜びそうなモノだ!』と閃いたそう。これが噂の弁当箱。インドを旅して我が家にやって来た!みんなに『なんで、そんなものを土産に買って行くんですか?』と不思議がられたそうですが、『ウチのかみさんは、こういうモノが好きなんですよ』‥変わっている奥さんと思われているみたい。外国人が利用するレストラン棟・このほかにゲストハウス棟や銀行まで敷地内に。日本人の他、ドイツ人、イギリス人を多く見かけるそうです。やっぱりカレー中心のメニューですが、ご飯があるから『なんとか喰える』とのことです。というわけで、リミン・ブログは、ウチの彼からたまに送られてくる「デカン高原・ビジャナガルの便り」をときどき、お届けする予定です。彼はリミン・ブログのインド特派員?も兼ねて‥(そんな訳ないか)
2012年12月02日
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