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浅田真央 NHK杯スペシャルEX「ジュピター~未来への光~」より六年前の大晦日、私は、突然、脳出血で倒れた。その年は正月どころではなかった。気が付くとベッドの上。大手術だったそうだ。 そして‥救急の大学病院からリハビリセンターに移ったばかりの2011年3月11日、太平洋三陸沖を震源とするマグニチュードMw9の地震が起こった。ちょうど病院に夫が来ていて、私は車イスで地下の食堂にいたのだが、あまりの揺れにお茶を飲んでいることも出来ず、食堂にいた数人と共に外に避難した。東北から関東にかけての大地震はその後、大津波を引き起し同時に福島第一原子力発電所事故という人災をも引き起こすことになった。揺れも治まって部屋に戻りテレビを付けると目を覆うような光景が映し出されていた。リハビリセンターでの食事は食堂でみんな一緒に食べるのだがここにも大きなテレビがある。入院中の人達は東北の悲惨なニュースを見るのを心なしか嫌がった。みんな自分が生きるか死ぬかの瀬戸際で、将来を考えると不安でいっぱいだったからだろう。正直いって私も、ところどころ記憶がぼんやりとして悪夢でも見ているような気がした。 しかし、私にとって仙台は第二の故郷のようなものだ。嫌でもニュースから目が離せない。私は十代の頃、仙台の国立西多賀療養所(現・仙台西多賀病院)で大きな手術を受けて命拾いをした。当時、ここは不治の病と言われた結核や筋ジストロフィ、脊椎カリエスといった難病を受け入れる療養所だった。多くの友人がまだまだ生きたいと願いながら旅立っていった。私のように奇跡的に社会復帰できた人間はそんなに多くはないだろう。だから、命の恩人のドクターとは今でもお付き合い頂いている。 仲が良かった同級生の実家は宮城県七ヶ浜町で、かつて泊りに行ったら家族総出で歓待してくれたこともある。あの家族はみんな無事だろうか。また日本とスペインと往復した「慶長遣欧使節団」を乗せた「サン・ファン・バウティスタ号」を見るために石巻市まで足を伸ばしたこともあった。雄勝湾は古くから「月の浦」と呼ばれており、夕暮れ時の入り江を見つめながら、月に照らされ夜の海に浮かぶ帆船のシルエットを想像したことを昨日のことのように思い出す。 牡鹿半島の北に位置する険しい谷間と深い入り江。あの海が‥ あの町が‥ 屈託のない笑顔で迎えてくれたあの人達は‥ベッドの上で、繰り返し襲う余震に怯えながら、病室でなんにも出来ない自分が歯痒かった。 テレビが映し出す地元の人達は、なぜか「あっはは、何にも無くなっちゃって、あっはは」と笑っている場面が多かった。どうしてこんなとき笑えるのだろうと不思議に思っていたが、先日、よしだみどりさんのエッセイで『人は、どうしようもない程の悲しみや、極度の恐怖を感じると、笑う?らしい』とあるのを読みハタと腑に落ちた。と同時に、これからの「社会の豊かさ」はみんなが幸福になるための条件を持っているかどうかという、新しいモノサシが必要になるだろうとも思った。 法政大学総長で江戸文化研究者の田中優子さんは著書の中で『江戸文化の本質は「循環」と「因果」の価値観であった。今のように勝ち負けを基準にすると常にそれを壊し続けるしかない。日本の各地を歩いてみると、そこには、地に足のついた知恵者や知性がいて、彼らは山を知り川を知り自然を知っているからこそ、祭りや芸能の存在理由も理解し、実践できている。だから江戸学を未来学としてとらえ、人々のかかわりかたを見つめ直せば、私たちは、まだ、間に合う』(未来のための江戸学・この国のカタチをどう作るのか) と提言している。 もちろん、たとえ望んだとしても私たちは後戻りするのは不可能だ。それでも、いい空気と水、豊かな生態系が周りにあれば、家族そろってご飯を食べるという人間らしい幸せを手にすることは出来ると思う。 命は自分のものだけではなくて、過去と未来をつなぐもの。「ああ、生まれて来てよかった」という希望の光を、未来を繋ぐ子供たちに残してあげたい。この子たちがこれからを背負って行くのだから‥。そして、未来は、人間も含めた自然との調和の中にしかありえないとも思うから。 被災された方の中には、苦しい避難生活の中ででもヒマワリを育てたり、地元の祭りや音楽祭を開催したり、手作りの小物を作ってバザーをしたりなど、楽しい企画を考える頼もしい人たちがたくさんいて、病気でなかったら私も参加したかったくらい逆に励まされている。いつか、自分の目で見て、記憶にとどめて、忘れないようにするくらいしか出来ないだろうけれども、ささやかな感謝の気持ちを届けたい。そして、日常が突然断ち切られた「あの日」は、いま、東日本大震災と呼ばれている‥。
2017年03月12日
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(団地の梅も満開で、春よ来い来いと待っている)【いっそ、マイ・ケアプラン】介護保険★手づくりの幸せレシピ パート2 昨年、ひょんなことから始まった私の挑戦(ケアプランの自己作成)は、ちょうど十月で奇しくも私の誕生月だった。挑戦というには少々大げさだが、如何せん、私の住んでいる市では初めてのケースだというし、ためしに県庁に聞いてみたところ、ケアプランの自己作成者は県でも数人しかいないそうだ。昔から「新しモノ好き」なのは父親譲りのせいかもしれない。 「新しモノ好き」といえば最近、テレビのCMで見たロボット掃除機を買ってみた。半信半疑で使ってみたところその威力に驚いた。さすが無人で戦争をするため武器や戦略を考えるアメリカが作った商品だと、ある種の感動を覚えるほどだ。サイズさえ合えばどこにでも入ってゴミを見つけ出し、仕事が終わればとっとと自分で寝床(充電器)に帰って行く。今では我が家の一員になりつつある。 現実の掃除やお風呂介助は専門のヘルパーさんに来てもらう。そのためには毎月ケアプランを作らなくてはならない。通常その業務はケアマネージャー(有資格者)が行なっているが、本人や家族がケアプランを作成しても良い事を知った私は、自己作成を始めようと挑戦したのが昨年の出来事だ。(あしかびジャーナルナル126を参照) その自己作成ケアプランのため、我が家で第一回目の担当者会議を開くことになった。いよいよケアマネージャーを通さないで、自分の人生のデザインは自分でするのだと気負っていなかったといえば噓になる。関係者の皆さんに私の気持ちを説明し、協力してもらわなくてはならない。 当日、集まったのは、看護士さん、介護事業所の皆さん、理学療法士、介護ショップの社長、私と夫、それに市・高齢福祉課の担当者にもオブザーバー参加して頂いて、総勢十一名が団地の一室に集まった。案の定、そもそも『なぜ自己作成をしようと思ったのか?』というのが開口一番のテーマであった。やはり、みんなの疑問はそこにあったらしい。 私は管理される側だけでなく、『自分の人生の設計は自分で組み立てたい』と、ずーっとそう思ってきた。介護される側とする側が相互につながり合うことによって、これまでとは違う価値観や美意識も生まれるかもしれないと思う。 何かあったらケアマネージャーの代わりに自己作成者(私)が連絡を受ける。ときどき担当者会議を開いて問題があればそこで解決する。今の世の中はインターネット社会になっていることだし事務処理はできるだけ簡素化したい旨もお願いした。市役所の担当者からは、我が街・独自の「介護保険・自己作成マニュアル」を検討中だとの話があった。私は大賛成だ!自分で出来る人はやってみた方が絶対良い。生活に張りが出てくるし、何より頭の体操になって楽しい。 ついでに、私の今年の抱負は、東京から市に講師を招き、「みんなで考える幸せレシピ♪」というイベントの開催を考えている。新しい人との出会いや企画を考えるのは楽しいものだ。これも私の「幸せレシピ」の一つである。 ところで、私のFacebook仲間である森田洋之さんが昨年、藤沢市で小規模多機能型居宅介護を実践する加藤忠相さんと共著で本を出版した。「あおいけあ流介護の世界」これがなんと、目からウロコの「次世代介護スタイル」だ!といっていい。なにしろ、爺ちゃん婆ちゃんが輝いている!職員がほとんど辞めない。施設で職員同士の結婚式もやってしまう。最期は家族のようにお看取りまで…というから私も藤沢市に引越したくなってしまう。 辛い・暗いの介護のイメージをくつがえす「あおいけあ流介護の世界」は、私から見れば夢のような介護の世界だ。この取組みは、2012年「第一回かながわ福祉サービス大賞」で大賞を受賞。NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」でも紹介された。 私も毎日一番身近にいるヘルパーさんと、血が通った人間どうしの付き合いをしたいと望んでいるが、規則に縛られてこれがまたなかなか難しい。ヘルパーさんと一緒に温泉にまで行ってしまう「あおいけあ流介護」が正直うらやましい。 最後に、「地域を巻き込め!」と著者は提案する。しかし、お正月の餅つきはノロウィルスのため中止になり、除夜の鐘がうるさいという声や「火の用心」の拍子木の音までもクレームが付くというご時世だ。「地域」を巻き込むことが日本中の介護の現場で出来るのだろうか‥。
2017年03月07日
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首都圏で行ったことのある地域のうち「住みたい街」はどこか?を評論家の三浦展さんが、1都3県の1500人を対象に調べ、新著にまとめたそうだ。107地域のなかで、女性は年齢にかかわらず「横浜みなとみらい」が首位。男性は20代は「渋谷」30代「秋葉原」40代「鎌倉」と世代で異なった。 「年収や学歴、雇用形態、交際相手の有無なども聞いているところが従来の調査と違う」と三浦さん。う~ん、分かってないな~皆さん!と私はついつい独り言。そりゃあ、横浜みなとみらいも鎌倉も遊びに行ったらイイとこ沢山あるよ。でも、生活となったら、私が住んでる「秦野」だって負けてないよと思います。まず、東京から電車で一時間、神奈川県で車のプレートだって「湘南ナンバー」街の中にはきれいな川が流れ、丹沢の山が近いから伏流水が豊富(名水百選30周年記念の第一位は秦野のおいしい水。なんたって環境庁の「全国名水百選」にも選ばれているんだもん)鶴巻温泉はある、富士山だって窓から見える、物価は安い(ウチは秦野値段と言ってます)気候は温暖‥東京や横浜に台風が来ても、大雪が降っても、秦野に降ることは稀と言っていいくらい。それに私が住んでいる団地は地震でもほとんど揺れないの‥これは団地が岩盤の高台に建っていて、一番端っこには秦野で唯一の前方後円墳があるんです(高台そのものが七世紀ごろ造られた横穴式古墳群)昔の人は安全な場所をよく知っていたのね。だから地震には強いです。いざとなったら近くの井戸から貰い水しようかな~。そして介護が必要となったら、訪問ドクター、ナースさん、ヘルパーさん、リハビリの専門家、マッサージスタッフさん、みんな自宅に来てくれるし、毎日、秦野のお母ちゃんたちが美味しいご飯を作ってくれるし、これでウチの彼がずっと元気でいてくれたらもういうことない人生です。写真は、毎日、スーパーの買い物に出掛けるときに見る景色。こんなきれいな里山の風景を日常的に眺めるだけでも、秦野に引っ越して良かったなと思います。それに、湘南の海は近いし、車で40分も走れば箱根です。 だから芦ノ湖周辺は一番身近なドライブコース。 日帰り温泉もたくさんあるし、我が家の奥座敷といったところでしょうか。ねっ、秦野には欲しいものはみんなある!ってホントでしょ。 ちなみに、ベスト20は次の通りです。1 横浜みなとみらい(神奈川)2 鎌倉(神奈川)3 吉祥寺4 恵比寿、代官山、中目黒5 表参道、青山、原宿6 池袋7 新宿、千葉、幕張、稲毛(千葉)9 秋葉原、水道橋、飯田橋、春日、白山10 二子玉川11 渋谷12 浅草13 品川14 大宮(埼玉)15 下北沢、武蔵小杉、川崎(神奈川)18 御茶ノ水、神保町19 上野、御徒町20 自由が丘、大船、藤沢、辻堂、江ノ島、茅ケ崎、平塚(神奈川)
2016年12月27日
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介護保険★手作りの幸せレシピそれは、ひょんなことから始まった。 何気なく私が暮らしている市役所のホームページを眺めていたら、介護保険のことについて自分が今まで考えてもみなかった「あるコト」を発見した。 介護保険が使えるようになったのは今から十五年前、私のように突然、介護が必要になった場合には有り難い制度だ。利用するためには、まず国に介護度を認定して貰わなければならないが、認定後、受けられるサービス(在宅・通所など)は、ケアマネジャーに頼んでケアプランを作ってもらうことになる。‥と、私も家族もずっーとそう思っていた。 ところが、市役所のホームページには、『ケアプランは自分で作ることもできますが、作成の手間や事業者との連絡・調整などを考えると、やはりケアマネジャーに作ってもらう方が良いでしょう。(自分でケアプランを作成する場合は市の窓口にご相談ください)』とあった。なんと、自分のケアプランを自分で作る?そんなことが出来るのか!目から鱗だった。もちろん、行政のチェックが入るから何でも好き勝手に出来る訳ではない。それでも自分の人生の設計を自分で組み立てられるというのと、他人であるケアマネジャーを必ず通さなければ何も出来ないというのでは明らかに違う。セルフケアプランで自分の人生をデザインする。介護される側とする側が相互につながり合うことによって、これまでとは違う価値観や美意識からなる新しい生き方になりえるかもしれない。そうだ、私もケアプランなるものを自分で作ってみよう!新たな生きるモチベーションが生まれた瞬間だ。手始めに市役所に電話をかけてみる。「ちょっと教えてください。介護保険を使うにあたって必要なケアプランのことですが。これはケアマネジャーに一任するのじゃなくて、自分で作成したものでも良いとホームページで見たんですけど‥そのことについて分かる方はいらっしゃいますか?」長い間待たされて、何人かの人が変わって、その度に同じこと言わなければならなかったが、やっと「はい、ケアプランの自己作成の件ですね」と分かっているらしい男の人が出てくれた。私「その自己作成ですが、前もって市役所に届けを出すのでしょうか?ぜひ自分でやってみたいと思います。その場合の必要書類や申込書はそちらにいけばありますか?」 担当者「それが‥当市では今まで自己作成の方は一人もいらっしゃらないのです。従って申込書やマニュアルのようなものは用意されていないのが現状でして‥僕も少し調べてみたいので、少しお時間を頂けますか?こちらからお電話差し上げます」二、三日後、電話を貰い、その後、メールが届いた。 『先日、お電話でお問い合わせをいただきました件について、ご対応が遅くなってしまい申し訳ございません。現在、必要書類の準備および自己作成手順を示させて頂く為の資料を作成しております。お急ぎの中、大変申し訳ございませんが、お待ちいただきますようお願いいたします。介護保険担当 T・Y』 こうして、私は「マイ・ケアプラン」作成の第一歩を踏み出すことになった。それにしても、インターネットが一般に普及していなかったら、私のケアプラン構想もここまで急には前進しなかっただろう。あちこち、ネットで情報を集めるうちに、「介護保険のケアプランを自分で作ろう」というネットワークも見つけた。これは利用する人が快適な生活を送るために、生活の根幹に関わる大切なことは当事者が自分で考えよう!という利用者と家族、および賛同者のネットワークだ。 早速、私も仲間に入れてもらって会員になった。『全国マイケアプラン・ネットワーク』代表である島村八重子さんとも電話でお話しさせて頂いた。「2000年3月までは、高齢者福祉のすべてのサービスが税金で賄われていて、受けるサービスの内容も量も行政に決めてもらっていました。今は保険料も利用料も一部利用者が負担するという契約制度という仕組みで回っています。自己負担がある代わりに、自分でサービスを選ぶ自由と責任も私たちのものになったのです。ですから、多少の知識と気力さえあればケアプランは自分で作っていいのです」 島村さんのホームページからプランを作るためのアプリをダウンロードさせて貰い、いよいよ新しい挑戦が始まるのかとワクワクする。このアプリはエクセルの表計算機能を使うものだが、最近は何でもワードを使って作っていたので、エクセルやマクロを忘れてしまっている。しょうがなくマッサージや福祉用具の若い人にも教えを乞うて、なんとか出来そうなところまで辿り着いたところだ。年内にはスタートしたい。 あしかびジャーナルの読者の中にも、介護保険を自分や家族のために利用したり、今後、利用したいと思われている方がいるかもしれない。私の挑戦は、ときどき独占密着?ドキュメントとしてお届けいたしますのでどうぞ宜しく。
2016年10月28日
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1番目の星にいた自分の体面を保つことに汲々とする王様2番目の星にいた賞賛の言葉しか耳に入らない自惚れ屋3番目の星にいた酒を飲む事を恥じ、それを忘れるために酒を飲む呑み助4番目の星にいた夜空の星の所有権を主張し、その数の勘定に日々を費やす実業家5番目の星にいた1分に1回自転するため、1分ごとにガス灯の点火や消火を行なっている点燈夫6番目の星にいた自分の机を離れたこともないという地理学者そして6番目の星にいた地理学者の勧めを受けて、王子さまは7番目の星、地球へと向かう。 地球の砂漠に降り立った王子は、まずヘビに出会う。王子「ぼく、何という星に落ちてきたのかな」ヘビ「地球だよ。アフリカだよ」 王子「人間たち、どこにいるの? 砂漠って少しさびしいね」 ヘビ「人間たちのところにいったって、やっぱりさびしいさ」 子供の頃に読み、学生時代にも読み、社会人になってからも読み、何回も読んでるはずなのに‥砂漠が美しいのはどこかに井戸を隠しているからだいう言葉に絶句する。この場合、井戸とは言っても現実の井戸でもなければ水でもない。疑いもなく精神的な水だった。「目では何にも見えないよ。心で探さないとね」と、作者は王子に言わせている。隠れた井戸を探そうとする人間たちを想いながら、私は夜中に号泣する‥。作者のサン・テグジュペリは、フランス軍のパイロットだった。空から見た地球・砂漠や人間の暮らしはどんな風に見えたのだろう。彼は1944年、サルデーニャ島のアルゲーロからコルシカ島に移動し、グルノーブル地方偵察の目的で離陸したまま行方不明になっている。そして、2003年、マルセイユ湾にて搭乗機の製造番号を確認された。詳細はいまだに分かっていない。※余談ですが、この本は日本の美智子妃殿下の愛読書としても広く知られています。かつて、美智子妃殿下に、この物語の中で一番お好きな人は誰ですか?と伺ってみたところ、『それは5番目の星にいた点燈夫です。彼だけがみんなのために働いています』とお答えになられたそうです。ちなみに、伺ったのは、「星の王子さま」でおなじみの翻訳者・内藤濯さんです。※60年代末のパリやプラハの学生たちは、キューバ革命のチェ・ゲバラの肖像を旗印として闘った。ゲバラとカストロが掲げた「富と資源の分配」「貧困や人種差別の根絶」勇気凛々とした二人のリーダーの言葉は世界中に反響して「ドン・キ・ホーテ」と「星の王子さま」が住む世界に思い焦がれる私たち若者を夢中にさせた。(NHK新・映像の世紀より)
2016年10月12日
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スパゲティ・アマトリチャーナはイタリアのマンマの味 (撮影:璃々 ウンブリアのアグリにて)今日の夕刊を見ていたら、さすがイタリアと思う記事を見つけた。誰かの役に立って、しかも粋でおいしい話。 パスタを食べて被災地支援 イタリアから世界に広がるイタリア中部で起きた大地震からの復興に向けて、「スパゲティ・アマトリチャーナを食べて被災地を支援しよう」という運動がイタリア内外で広がっている。これは、被災した町の一つ「アマトリーチェ」がパスタの名前の由来とされているからだ。支援の輪は日本にも広がる。アマトリチャーナはトマト味のソースで、正式にはグアンチャーレ(豚ほお肉の塩漬け)とペコリーノ・ロマーノ(羊のチーズ)を使う。牧畜が盛んなイタリア中部の町アマトリーチェが発祥とされる。今では約100キロ離れた首都ローマでも名物料理だ。今回の支援はローマ在住のグラフィックデザイナーがフェイスブックで呼びかけたことから始まった。一皿注文があるごとに、店と客が1ユーロ(約113円)ずつを赤十字などを通して被災地支援に寄付するというものだ。共鳴したイタリアのスローフード運動の創始者カルロ・ペトリーニ氏が、世界中のレストランに賛同を求めた。会長のペトリーニ氏は「アマトリーチェの食の歴史を象徴する一皿によって、連帯を広げ、農業文化の価値を共有したい」と訴えた。各レストランに少なくとも1年は「スパゲティ・アマトリチャーナ」を提供し続けるよう求めている。スローフード協会にはイタリア国内のレストラン約150店舗、国外の10店舗から趣旨に賛同する連絡があった。 スローフード協会のイベント「サローネ・デル・グスト」手打ちパスタの講習会(トリノにて)
2016年08月27日
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「写真は神田・藪でお配りした手拭い。粋ですね〜」ちょっと面白い話を新聞で見つけたので、軽くご紹介。『とがった言葉でなくても』今回の参議院選挙前、ツイッター画面には護憲派の熱い言葉が並んだ。安倍政権にこれ以上、議席を与えると大変なことになる、だから投票にいこう、と。微力でも声をあげなければというせっぱ詰まった気配がどの言葉にも宿っていた。しかし結果はご存じの通り。今回の選挙を戦う中、ツイッターで多くの人が引用した歌詞がある。モーニング娘の2001年のヒット曲「ザ☆ピ~ス!」の中で「選挙の日ってウチじゃなぜか投票行って外食するんだ」という一節。サビでもないのに、今も生きている言葉だといえる。十年以上前の歌なのに、この一節が大勢の口をついて出たのは、そういう口調で選挙というものを取り扱いたいという気持ちが誰しもあったということだ。投票日を「選挙の日」と呼ぶ感覚や「外食」と結びつけてカジュアルな営みに真面目さのスパイスを利かせているところがまずは印象的だ。重く考えず『レジャーのついでくらいの気楽さで投票しようよ!』がすごくカッコいい。ウチの家族が仲が良い(外食する)ことと、社会にコミットしている(投票する)ことの両立が描かれ、主人公はそれに対し「いい」「悪い」ではなくて「不思議」と感じている。棒の先をとがらせるのではない、吸盤で吸い付く矢のような楽しさで我々の心に何かを残した。そうだ、とがった言葉でなくても、まだできる言葉の工夫はある☆「朝日新聞・夕刊(末端時評)より抜粋&編集しました」で、ここからが本題。そういえば、私が若いころから、ずっーと、選挙の日は一族郎党?打ち揃い、投票が済んだら近所のお蕎麦屋さんで「ざるそば」なの。ざるそばだけじゃ、ご馳走感がないせいか、なぜか、みんなで「天ざる」を頼んで、もちろん、お酒が飲める人は お銚子付きで。飲めない人は蕎麦湯を楽しみにして。だし巻玉子や板わさがある店もあったりして。だから投票は、ちょっと早めの夕方にして、大人たちは出口調査の話やらで盛り上がる。池波正太郎が愛した蕎麦屋の風情‥ 『初冬の、鴨なんばんが出始めるころの、平日の午後の浅草に行き、ちょっと客足が途絶えた時間の並木の「藪」の入れ込みにすわって、ゆっくりと酒を飲む気分はたまらなくよい』とあって、憧れの蕎麦屋の風情とは、ちょっと違うが、母が生きていた頃の「選挙の日」は、あれはあれで楽しかった。そして、池波正太郎をまねして、蕎麦屋の帰りは必ずお饅頭を買って家に戻った。神田「竹むらの揚げまんじゅう」とはいかなかったが、私が引っ越し先でまずやることは、旨い蕎麦屋とお土産にしたいと思う和菓子を探すことになっていた‥。今月ラストの日曜日、東京都の知事選があるようだ。私は神奈川県民だから、投票&お蕎麦屋さんの愉しみはないけれど、都民の皆さんは、投票&何か美味しいモノの企画が楽しめるんだ~、いいな~
2016年07月18日
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秦野は、駅の近くの住宅街を歩くだけでも「水汲み場」に出会えます .。.:*名水百選30周年記念「名水百選」選抜総選挙 結果発表 *:.。. 環境省では、昭和60年3月の「名水百選」の選定から30周年を記念して、先月、国民参加型の人気投票を行ったそうです。そうしたら、「おいしさがすばらしい名水」部門で、なんと、我が町・秦野市が選ばれました!●第1位「おいしい秦野の水~丹沢の雫~ /秦野盆地湧水群」神奈川県秦野市以下、第2位 「わかさ瓜割の水/瓜割の滝」福井県若狭町 第3位 「大雪旭岳源水/大雪旭岳源水」北海道東川町 第4位 「月山自然水/月山山麓湧水群」山形県西川町 第5位 「清流 長良川の雫/長良川(中流域)」岐阜県岐阜市 ちなみに、「おいしさがすばらしい名水」の他には「観光地としてすばらしい名水」、「景観がすばらしい名水」、「秘境地としてすばらしい名水」と四つの部門で選んだそうです。でも、口に入る水だからね〜やっぱり普段使いが出来る、安全で旨いが一番だと思います。おまけに秦野は水道代が安い、ウチの場合、ひと月千円もかからないのよ。ね、秦野には「欲しいものはみんなある」ってホントでしょ?
2016年04月03日
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奇跡の一本松‥‥リベラが歌うジュピター〜未来への光〜 浅田真央と子供たち ♪命のかぎり 希望を胸に 未来への光を 輝かせよう 輝かせよう♪ また、日常が突然断ち切られた「あの日」がやって来る。 五年前、突然、脳出血で倒れた私は病院で手術をしたばかりだった。ベットの中で余震におびえながらも、これからの「社会の豊かさ」は人々が幸福になるための条件を持っているかどうかという、新しいモノサシが必要になるだろうとも思った。みんなで全力疾走するうちに、効率性を最優先して、限りある資源やエネルギーを消費し続けてきたツケを支払わなくてはならない‥ 回りをみても罪悪感のようなものがあちこちで生まれ始めていた。もちろん、たとえ望んだとしても私たちは、後戻りは出来ない。それでも、いい空気と水、豊かな生態系が周りにあれば、家族そろってご飯を食べるという本当の人間らしい暮らしは出来ると思う。私たちの未来は、人間も含めた自然との調和の中にしかありえないと思うから。命は自分のものだけではなくて、過去と未来をつなぐもの。「ああ、生まれて来てよかった」という想いを未来を繋ぐ子供たちに残してあげたい。というものの、いまの私には、ささやかな募金と記憶にとどめて、せめて忘れないようにしようとすることぐらいしか出来ないのだけれども‥浅田真央選手は、私に「諦めない」という希望の光を与えてくれる。
2016年03月10日
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ウンブリア州・アメリアのバール (撮影:勝山稔)新聞を読んでいたら、ちょっと心温まる記事を見つけた。●イタリア発祥、見知らぬ人に善意の一杯‥カフェで客が1杯のコーヒーを買う時、お金のない誰かのためにもう1杯分の料金を払うささやかな善意のリレー制度。店は、お金に余裕のない人から申し出があった場合、この資金を使ってコーヒーを無料で提供する。申し出に証明は不要で、客との信頼関係で成り立つ。イタリアのカフェで数年前に始まり、ほかの国々にも広がったというもの。(ピノッキオと遊ぶ村コッローディのバールです。撮影:中川璃々)イタリアはカフェじゃなくバールっていうんだけど、もちろんコーヒーも飲めるし軽食もあってお酒も飲める。アイス、お菓子や子供の玩具まで売っている。場所によってはバスの切符もここで買える。要するに昔のよろずやさんみたいなものね。そういえばイタリアのバールにはこんな制度があるって聞いたことあるよな〜と、新聞を見て思いだした。私は参加したことがないけど、どんな辺鄙な村に行っても必ず小さなバールがあって、時として村の人達が当番制で営業していたっけ。車イスのおじさんも楽しそうな笑顔でカードゲームを店先でやっていたし、助け合い精神が根付いていると感じたものだった。ウンブリア州・アメリアのバール (撮影:勝山稔)この「恩送りコーヒー」が世界で静かなブームとなっている。気軽に参加できる善意のリレーは少しずつ形を変えながら、日本でも広がっているようだ。たとえば、世田谷区・珈琲店の「恩送りカード」に書き込むのは、コーヒーを12杯飲んでスタンプをためた客だ。1杯のコーヒーを贈りたい人の特徴をカードに書いて壁に張る。条件に合う人が代金を払わずに1杯ごちそうになり、同じカードにひと言、感想をつづる。同じ1杯でも、そばやうどんを贈る店も現れた。北海道の飲食店、600円の天うどんを食べれば残りの400円は見知らぬ人の掛けうどん代になる。「だれかにゴチする飯」から「ゴチメシ」と名付けた。恩を受け取るのは主に地元の中高生だ。「これは誰かの善意なんだよ」店主はそう伝えている。 (朝日新聞)ふーむ、日本でやると、なぜかこうなっちゃうのよね〜コーヒーを12杯も飲まないとダメだし、店主の説教?らしきものを聞かないとダメだし‥善意のリレーと謳うからには、もう少しサラっと粋にやって欲しいのよね〜気軽に参加できて誰かの役に立つ、何か良い方法がないかしら?
2016年02月28日
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我が家の窓から見た朝焼け富士山 本年もどうぞ宜しくお願い致します2016年 元旦美味しいお雑煮と花びら餅を食べて、お正月が平和に過ぎていく。感謝皆様にとっても実りある一年でありますように‥。
2016年01月01日
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今年の夏は『葦牙』という雑誌に「砂漠のブルース」というエッセイを書いたのですが、、“同時多発テロ以来、他国に対するアメリカの強引な軍事攻撃と内政介入は反米意識とテロを世界中に撒き散らすことになってしまった。憎しみの連鎖が止まらない。世界中が混迷を極めている今、本当に音楽で革命が起こすことが出来るのか?◎ドキュメンタリー映画『トゥーマスト〜ギターとカラシニコフの狭間で〜』(2010年、スイス、監督:ドミニク・マルゴー) 『反米色の強いカダフィの構想と理論に共鳴して、傭兵として訓練を受けに行った一人のトゥアレグ族の若者がいた。彼がこのキャンプで手にしたものはカラシニコフ (自動小銃)と西洋文化や音楽であり、革命理論や戦術を学ぶと同時に一本のギターを手にすることになる』これを書きながらふと思った。同時多発テロが起こるとすれば‥アメリカ(ニューヨーク)の次はフランス(パリ)かもしれない。※『葦牙』第41号(2015.7) 特集◆戦後七〇年をふり返る(同時代社)¥1,944小粋で生き生きしている街・パリ私たちが滞在したのはルーヴル美術館の真裏にある小さなホテルでした。部屋の掃除や洗濯、タクシー運転手さん、ゴミの清掃車、街の掃除など下働きの人はほとんど黒人で、パリの白人社会を支えているのはアフリカ、中東、一部アジアから来ている人(あるいはその二世)の人達でした。それでもエトランゼにとってパリは素敵な街。永遠の憧れの都。ゴミ箱や公衆電話ひとつとっても何故か絵になる。行って見てフランス映画が素敵な訳が分かるような気がしたものです。(写真はアランドロンではなくウチの彼で失礼)クリスマスが近い時期だったのでシャンゼリゼ通りのイルミネーションがシックでしたのに‥テレビの映像を見るたびに言葉もありません。一日も早くパリの皆さんの心の灯が燈りますように‥‥‥黙祷‥‥‥『ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し せめては新しき背廣をきて きままなる旅にいでてみん。』萩原朔太郎今ではジェット機でひとっ飛びのパリですが、朔太郎が詠ったようにパリに対する慕情は変わりません‥。
2015年11月16日
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浅田真央さん、グランプリ中国杯優勝おめでとうございますイタリアの解説で『浅田真央はジャンプだけではない、いってみればホールパッケージ』だ、と言っていました。そして『エッジエラーを取られる人、見逃される人も決まっている。厳しくやるなら公正にやらないと。もし、この基準を使うなら、他の選手にも使わないと。当然、フリップとルッツ両方のケースをね。』とも。そして、そのイタリア動画は翻訳があったのに、公正うんぬん部分の翻訳は削除されていました。なぜかしら?見逃される人の筆頭に日本のH.Rの名前があったせいかなぁ?と思いながら‥本当に不気味です。それにしても、日本のテレビもこれぐらい本当の事をきちんと言える解説者を呼んで欲しいとつくづく思う。真央さんは、自分が納得する演技で「フィギュアの総合芸術」を魅せて下さい ※ホール・パッケージ=表現力・ジャンプ・ステップ・スピンなど全てのスケーティング・スキルにおいて素晴らしいという賞賛の言葉だそうです。
2015年11月10日
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かれこれ一カ月くらい前の話なのですが、バンドネオン奏者・小松亮太さんのコンサートでしみじみタンゴはいいな~と思いました。連日、暑くて、ご無沙汰しています。小田原市民会館で開催された【ラスカ小田原開業10周年ガラ・コンサート】の話です。小松亮太さんが『今日は、これぞタンゴだ!と盛り沢山の内容でお届けします』と言ったほど、アルゼンチンタンゴありコンチネンタルタンゴあり、そしてオリジナル曲の紹介もありでサービス満点。『タンゴを好きな人は、なぜかフィギュアスケートも好きなんですよね』by小松亮太、と言っていましたよ。『ラスト・タンゴ・イン・パリ』で幕を開けて、『アディオス・ノニーノ』『黒い瞳』『ポル・ウナ・カベーサ』などなど‥コンチネンタル・ タンゴの『碧空』『ジェラシー』もありましたが、途中、小松亮太さんからこんなクイズ?が。『皆さんご存知のジェラシーという曲を作曲した人は何処の国の人でしょう?』という質問です。会場から正解は出なかったのですが‥『宿題にしておきますから家に帰って調べて下さい』とのことでした。私は宿題を片付けましたが、興味がある人は調べて下さいませ。ヒントは北欧の人でした。シニアのお客さまが多かったので、日本人が作ったタンゴ、服部良一作曲『夜のプラットホーム』懐かしく聴いた人も。そして、クライマックスはやはりアストル・ピアソラで大盛り上がり、ラストは『ラ・クンパルシータ』で締めて、タンゴ三昧の幸せなひとときでした。そうそう、今はタンゴの主役楽器として定着しているバンドネオンは、実はドイツの楽器だったのですね〜おまけの話映画『セント・オブ・ウーマン』アルパチーノとガブリエル・アンウォーが踊るタンゴのシーンは名場面だった。アルパチーノ扮する(盲目の元軍人)老人と、たまたま相席になった優しい美女が踊ったアルゼンチンタンゴ「ポル・ウナ・カベーサ」かっこよくてタンゴ好きなら必見です。で、フィギュアスケートでタンゴを踊るといえば、もちろんこの人、日本が誇る高橋大輔! 今年の二月、スイスで開催されたアイスショーの動画をお借りしました。動画を見ると、さすがヨーロッパ、アイスショーはオペラやバレエと同じように大人が愉しむものなんですね。(高橋大輔『ブエノスアイレスの春』Art on Ice , チューリッヒ、スイス 2015年2月)※もともとアルゼンチンで生まれたタンゴは踊るための伴奏であり分かりやすい楽曲。パリに音楽留学していたピアソラは、そこにバロックやジャズのエッセンスを取りいれて独自の音楽を生み出した。しかし、それまでのタンゴから逸脱していたため「踊れないタンゴ」として評判が良くなかった。そのため、ピアソラの音楽は、当初、ニューヨークなどあまりタンゴと関係ない街で評価されたという。誰でもパイオニアになるというのは大変なコトなんですね。今、日本のフィギュアスケートのパイオニア・高橋大輔さんが留学しているのもニューヨークというから、楽しみですね〜。そして、先週、開催された浅田真央アイスショー『THE ICE 2015』で、最近ぐっと女っぷりが上がった浅田真央が踊った「ポル・ウナ・カベーサ」も、フィギュアスケートにおけるタンゴの絶品だったらしいですよ! 真央さん、今度は大輔さんとタンゴ・コラボはいかがでしょうか。観たいな〜 例えばこんな風に‥日本人ではちょっとハードル高いかしら?(笑)
2015年08月05日
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先日、朝日新聞で、ちょっと気になる記事を見つけました。『アルゼンチンで67年の歴史を持つ日本語新聞が存続の危機に直面している』というものです。アルゼンチンと言えば、このリミンブログで何度もご紹介したことがある「タンゴな夫婦」‥タンゴつながりで結婚して、今はブエノスアイレスで暮らしているご夫婦ですが、何と、ご主人は日本の大手新聞社にいらした方なんですよ。で、タンゴ、ブエノスアイレス、新聞社、三つのワードが私の中で重なって思わず切り抜いてしまった記事をご紹介します。【南米アルゼンチンで67年の歴史を持つ日本語新聞が、存続の危機に直面している。日本語が読める日系人口の減少に加え、記事を執筆してきた日系1世の記者が相次いで他界し、窮状に拍車が掛かった。首都ブエノスアイレス、町の路地の一角に、同国唯一の日本語新聞「らぷらた報知」の社屋がひっそりと立つ。命名は首都横を流れるラプラタ川に由来する。日本語人口が減るにつれ、経営は悪化。60年から事務で働く1世の花城勝さん(77)は「1世が1人亡くなると購読が1部減る」と嘆く。掲載するのは、日系社会の出来事や訃報、イベント案内など。70年代には週3回、3千部を発行していたが、今は週2回で約800部。20人ほどいた社員は数人に減り、毎日出社するのは花城さんだけになった。地元日系団体によると、同国の日系人は約5万4千人。1世は1割未満だ。昨年11月、日本語で記事を書いてきた80代のベテラン記者2人が、相次いで他界。いま同紙を支えるのは、約2年前から仕事を手伝ってきた郷田まみさん(35)だ。「長い歴史の新聞をなくしたくない。できる限り力になりたい」 日系2世の比嘉アントニオ社長(80)は「部数減は時代の流れ。廃刊してもおかしくない状況だ」。それでも、スペイン語のページを設けるなど存続の道を探る。「新聞がないと困ると言う人が今もいる。小さな新聞でも、果たす役割は大きいんです」(ブエノスアイレス=田村剛)朝日新聞】 「タンゴな夫婦」のご自宅に飾ってあった3センチ位のタンゴ靴のミニチュア一応、ステップ風に置いたつもりです幸せそうに踊る高橋大輔さんと浅田真央さん‥ずっーと観ていたい今は、大輔さんはアメリカに留学、真央さんは選手に復帰、ですが離れている時間が愛を育てる?そんな作品がまた観たいな〜☆そんなこんなで、バンドネオンが聴きたくなり久しぶりに、バンドネオン奏者・小松 亮太のコンサートに行くことにしました。そういえば、病気で倒れて以来、コンサートなどに行くのは4年ぶりです!楽しみ〜 ↓ ラスカチャリティコンサートNo.126 【ラスカ小田原開業10周年ガラ・コンサート】 ラスカ小田原は、開業10周年を記念してチャリティコンサートを開催します。小松亮太「キングオブタンゴ」 第1部 宝塚歌劇団で男役スターとして活躍していた彩吹 真央第2部 バンドネオン奏者・小松 亮太のスペシャルプログラムでお贈りいたします。10週年を華やかに彩る、記念コンサートをお楽しみください。・7月11日(土)開場15:30 /開演16:00・会場:小田原市民会館大ホール・入場料:1,000円(全席指定)※チケットぴあでの発売はございません。※1回のご購入は、お一人様4枚までとさせていただきます。※未就学児の入場はご遠慮ください。※お電話でのチケット予約・発売は、承っておりません。※このコンサートの入場料は、すべて小田原市に寄付させていただきます。 (コンサートの入場料1,000円(全席指定)は全て小田原市に寄付なんですって‥粋だね〜)
2015年06月04日
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今の時代、大きな贅沢は難しい、ですが‥従来のお菓子+α程度の価格であれば、日常の中のちょっとした贅沢、今日一日頑張った自分へのご褒美として、美味しいお菓子でゆっくりお茶でもしようかという気になりますね。そういう世相を反映してか、ポッキーや贅沢パイなど、定番よりもワンランク上の素材(抹茶、カカオ、発酵バターなど)を使う、甘味控えめ、高級・上質イメージを謳う商品が、今、大人気みたいです。売り場でも、お菓子は子供のモノというイメージを払拭して、いまや大人のお菓子が陳列台にズラリと並ぶ時代なんですね。そこに物語性があればもっといいという訳なのでしょうか、キリン午後の紅茶+グリコポッキーがコラボしました。企業の壁を越えて、王子様とお姫様が手を繋いでいます。パッケージの色もいいし、紅茶とポッキー両方口に入れるとアップルパイの味になるアイデアがセンスある!残念なのは、せっかくのコラボ商品なのに、私の街では、並べて売っているところが無かったことです。だから友達に教えてあげても、どこにもないか、あっちの店には○○、こっちの店には○○と両方買えなかった人が続出でした。メーカーさん、コーナーを作って並べたらもっと話題になって売れたのに‥。女はいくつになってもお姫様、いつか王子様が迎えに来る物語が好きなもんなのよね〜上の写真の中に高橋大輔さんのシャルウィ?エクセレントが見えるでしょ?ウチでは『大ちゃんクッキー』と呼んでいて、コラボ商品の王子様は大輔さん、お姫様は浅田真央さんと思いながら飾っています。
2015年04月14日
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9年前、このリミンブログでご紹介した【自由の行商人、青い民族、トゥアレグの人々】を覚えていらっしゃいますか。 ↓東西5600km、南北1700kmにもおよぶ巨大な砂漠。砂丘が果てしなく続く死の大地とも呼ばれるサハラです。この広大な砂漠には山や谷もあり、オアシスの街ではミネラルウォーターを入手することさえ可能なのだそうです。しかし、一歩、道を誤れば、確実に死と背中合わせの世界であることには変わりありません。この砂漠を、今でも駱駝に乗り、マリ北部の山岳地帯から岩塩を運ぶために、この土地に暮らす遊牧民と共に旅をする行商人「塩キャラバン」の人たちがいます。青いマントのような衣装を身にまとっているため『青い民族、自由な人々』とも呼ばれるトゥアレグ族の人々です。サハラ砂漠は、昔は海だったので、今でも塩がとれるところがあるのです。半年以上におよぶ全旅程のうち、最低1~2ヶ月はラクダの休養に費やさなければならないほど過酷な旅のようです。マリ、ニジェール、アルジェリア…数カ国を行商し続ける彼らにとって、入国審査やパスポート手続きもお構いナシ。国境を越えて旅を続けている「青い民族、トゥアレグ族の人々」です。 ↓以下はその続きの話です。20世紀初めにフランスによる植民地政策が始まり、サハラ砂漠は、アルジェリア、ニジェール、リビア、マリ、プルキナファソの5つの国に分断されました。トゥアレグの人々は“国家なき民族”になって‥その歴史は苦しみと流浪、反乱に満ちていたのです。このトゥアレグ族を再集結し、民族としてのアイデンティティを取り戻させようとしたのが、2011年に死亡したリビアの独裁者カダフィ大佐です。カダフィ大佐は「サハラ共和国」構想を打ち出して、リビアのキャンプにトゥアレグ族の若者を集めて、革命指導を行ないました。このキャンプで、カラシニコフ自動小銃とギターを手にした一人の若者がおりました。彼は、革命理論や戦術を学ぶと同時に、ジョン・レノンやボブ・マーリーなどメッセージ性の強い音楽に大きな影響を受けて、砂漠に戻りました。そこで、仲間と一緒にバンドを作り、反逆の精神&新しい音楽で世界を変える闘いを始めたのです。トゥアレグの本当の自由を勝ち獲るために‥まずは、トゥアレグの言葉でアイデンティティを意味する"トゥーマスト"の音楽をお聴き下さい。アコースティックではなく、エレキギターだということに少し驚きました。ロックでこんなに心ときめいたのはジミ・ヘンドリックス以来かもしれません‥私はCDを買いました。今、一番ハマッているサウンドです※武器をギターに持ち替えて、闘う元レジスタンス兵士たちによるバンドの姿を、生々しく描き出したドキュメンタリー映画『トゥーマスト〜ギターとカラシニコフの狭間で〜』も観たい!
2015年04月03日
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シリア政府軍と反体制派が激突しシリア内戦の最激戦地と呼ばれている北部アレッポ。でも少し前までは、私にとってアレッポといえば石鹸だった。1千年以上の伝統を持つというアレッポの名産品だ。この石鹸は12月〜翌年2月末まで作るそうだ。大釜でオリーブと月桂樹のオイルを煮立て、土間に流し込む。固まるのを待って1年ほどかけて熟成、乾燥させる。出来上がりはレンガのように固くなっているものを切ってグラム単位で売っている。香料は使わず、型にも流さない素朴な石鹸だ。真ん中から切ってみると表面は薄茶色なのに中は綺麗な緑色をしている。オリーブと月桂樹のオイルだけで作られた爽やかな大地の恵みの香りがする。大地の恵みを与えてくれる土地が内戦の激戦地とはなんと皮肉なことだろう。絶えぬ争いごとの影で破壊され消えていく命と自然と文化‥なんとか人間だけが持っている知恵と行動力で守る方法はないものだろうか。オリーブや月桂樹、樹も葉っぱも木の実も幸せの匂いがするものなのに‥
2015年03月24日
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北イタリアのヴェローナは、世界に冠たる"LOVEの街"と云われています。その訳はシェークスピアが書いた「ロミオとジュリエット」の舞台となった街だから。ヴェローナにある「ジュリエットの家」と呼ばれる建物。バルコニーが小さいのにびっくりした。訪れた人達が残していくメッセージ。家の門には恋愛成就を願ってたくさんの鍵&錠前も。 ヴェローナのジュリエット宛に恋愛相談の手紙を書くと返信が返ってくるそうです。このジュリエットからの返信を書いているのは、「ジュリエットクラブ(Club di Giulietta)」という団体の、「ジュリエットの秘書(Le segretarie di Giulietta)」と呼ばれるボランティアの皆さん。ボランティアで全ての手紙に返信を書いています。世界各国から年間40000通も届く手紙に、イタリア語だけでなく英語、フランス語、日本語、点字の手紙にまでちゃんと返信してくれるそうです。こんなことを思い出したのは、昨日、ラジオでヨーロッパの郵便配達人が失業しそうだという話を聞いたから。フランスの話だったけれど、今はメールで何でも済む時代だから、みんな手紙を書かなくなって、郵便局も閉鎖するしかない‥と大問題になっているんですって。で、ここからが、さすがヨーロッパと思ったことがある。郵便配達の人は郵便だけではなく、ついでに一人暮らしのお年寄りの薬を届けてあげたり、クリーニングをとってきてあげたり、困ったときには医者や役所に連絡してあげたりするんですって。ずっーと、地域でそうしてきた人間関係が出来ていて、だから一日に一回、郵便屋さんが来るのを楽しみに待っている人達が大勢いるそうです。しかも、郵便屋さんはみんな無償でやってきた‥というところが凄い!街が持っているホスピタリティというのはこういうことかもしれません。一人暮らしで人と会話をするのは郵便屋さんだけという人達のために、最近は国も、フランス中に張り巡らされた郵便網を利用しない手はないと思い始めたんでしょう。安否確認を含めて有料の便利屋さんサービスを始めるとか?議論百出、という話でした。 私達が腰掛けているのは広場にある断頭台の跡でした。今は賑やかな市場になっていました。紀元前1世紀始めに作られたアレーナ・ディ・ヴェローナは、ローマのコロッセオやナポリの円形劇場についでイタリア国内3番目の闘技場でした。今は6月下旬~9月の野外オペラシーズンには世界中から2万人もの人が訪れて夏の夜の贅沢なひとときを過ごす世界的な野外オペラ劇場になっています。ヨーロッパの人達は「大人の愉しむ時間」を大切にするので、オペラ、バレエ、舞踏会、ご夫婦で観に行ったり、踊りに行ったりして楽しんでいました。その辺は日本の「コドモ文化のカワイイ〜が一番」とは、ちょっと違うかなと‥あと、音楽が日常生活の中にあって、夕食の後など家族中で楽器を弾いたり、吹いたり、みんなの会話もいつのまにかオペラのように掛け合いで唄っていて、とても驚いたことがあります。そういえば、スイスで開催している「Art On Ice」に日本の高橋大輔さんが出演されているそうですね。大輔さんの芸術表現に、観客もさぞや拍手喝采と拝察します。日本の誇りですね。いずれ、浅田真央さんもご一緒に、ぜひ、アレーナ・ディ・ヴェローナで、また二人しか出来ないコラボ、今度は「ロミオとジュリエット」など如何でしょうか?
2015年02月11日
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今年のお正月は、どこにも行かなかったけれど、それでも年越しそば(にしんそば)からお雑煮まで食べて、紅白歌合戦をチラッと見たり、録画しておいたXOIだいまおコラボをリピしたり、年賀状をポストに取りに行ったり、年末ジャンボ宝くじが当たったらどうしようかと二人で使い道を考えたり(かすりもしなかったけど‥)我が家にしたら正しい日本のお正月でした。お年始回りで、わさびや茶園の山口さんがウチを訪問して下さって緑茶を頂きましたので、七草がゆで胃を休める日は美味しい緑茶をゆっくり淹れようと思います。そろそろ胃も心も通常運転に戻さなくちゃ‥そんなこんなで【どんなもんだい秦野シティ 】2015年もよろしくね〜☆わさびや茶園さんのほっこりするお茶はこちらです・秦野特産 丹沢銘茶「霧がかり」・秦野特産 丹沢銘茶「こもかけ」・秦野特産 和紅茶・「丹沢ゴッド・オブ・マウンテン」・秦野のお菓子『丹沢おろし』・みんなの笑顔をつないで『はだのドーナツ』(らっかせい・さくら・いちご・小麦)すべて秦野産
2015年01月06日
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リミンからの年賀状【迎春】団地にある小学校から望む富士山(ウチの号棟が見えます) 皆さま あけましておめでとうございます春はまだかな綱引き大会!長野と静岡の県境は、近くの兵越峠(ヒョウコシトウゲ)の頂上が丁度、ど真ん中に当たるんですって。そこで、毎年春に、長野県と静岡県が領地を賭けて、兵越峠で「綱引き」をやるそうなんです。綱引きに勝った県は領地が三尺(約1m)増えるという訳。だから、毎年「杭」を打ち直し、領地を取ったり取られたり!三尺の攻防戦が続いているそうです。で、海の無い長野県、いつか静岡を追い詰めて、海のある県になるのが悲願だそうです。2015年、平和な年になることを祈願して、皆さま、今年もよろしくお願いします。
2015年01月01日
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今夜はクリスマス・イヴ。久しぶりに日本でクリスマスを過ごすウチの彼と一緒に買い物に行く予定ですが‥私はシャンパンとスモークサーモン&ドライフルーツたっぷりのシュトーレン、で、彼は日本酒と青森からのウニ(友達からのプレゼント)&焼き魚(きんき)と‥どうも食卓の上がちぐはぐのような気がするのですが‥ま、一緒に‥というところに感謝かな。世知辛い世の中ですが、せめてクリスマスくらいは、美しいもの、ほっこりして温かい笑顔に包まれたい。世界中の皆さんと一緒に、それぞれの神様に感謝の祈りを捧げたいと思います。皆さま、素敵なクリスマスを〜☆高橋大輔さんと浅田真央さん、白い恋人たちにピッタリ!
2014年12月24日
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あのソチ・オリンピックから10ケ月、浅田真央と高橋大輔の演技に涙したばかりなのにまたフィギュアスケートの冬が来る。そういえば、今期の「グランプリシリーズ世界一決定戦2014」ファイナルはスペイン・バルセロナだった。で、さすがヨーロッパのデザインと思ったことがひとつある。大会に使われているバナーは雪の結晶イラストを一面に散らしたもので、その中に選手達の写真を結晶に模したものが紛れ込ませてある。今大会には出場していないが、日本の浅田真央、高橋大輔の二人が選ばれていた。長い間、世界のフィギュアスケートの顔であり、多くの人達が彼らに魅了された。二人のレジェンドに対するリスペクトだろう。この雪の結晶デザイン、マグカップ等のグッズとして売っていたそうだからオシャレなお土産としても喜ばれるに違いない。何と粋な計らいだろう。日本のデザイン、全国の町興しのアイデアがゆるキャラ一辺倒で‥何とかして欲しいものだ。
2014年12月16日
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二年以上かかったウチの彼のインドの仕事。いよいよ終わって帰国しました。帰る前にどこか見物にでもというわけで、通訳さん、運転手さんの三人で、ゴアという街に小旅行をしたそうです。10月のレポートですが、ウチの彼のインド便り(終章)です。来年はベトナムの仕事の依頼がきています。来年の話はさておいてとにかくお疲れさまでした。写真は、カルナカタ州とゴア州の境にある検問所です。白Noは個人車で並ぶ必要がなく250ルピー。並んでいるのは営業車で、1台2500ルピーで10倍です。10月2日は混んでおり、通過するだけで1時間30分かかりました。運転手さんも大変です。目的地に到着してから、クルーズ客船に乗ろうかと思いましたが、ウチのかみさんに『最近、韓国で起こった事件思い出して‥ホントに大丈夫?』と言われたので、‥止めました‥どこにいっても混んでいるし、暑くてウンザリでした。何しに来たんだか。バスコダガマ駅です。列車の行き先は、ハジュラトニジャムッディン駅行き(デリー駅)インド北部 約1400Kmパトナ駅行き・・・ビハール州・・・インド北東部 約1400Kmチェンナイ駅行き・・・タミルナドウ州・・・南東部 約750Kmハイデラバード駅行き・・・アンドラプラディッシュ州 約600Km列車での移動は最低でも2日間は掛かります。ゴアは元ポルトガル領だったためキリスト教・カソリックの教会があります。1510年、ゴアはポルトガル艦隊によって占領され、ポルトガル人はゴアをリスボンとそっくりな都として建設したのです。以後、ゴアは、東西貿易の基地として栄えることになりますが、それとともにキリスト教東方布教の拠点になって行くのです。1549年、日本にキリスト教を伝えた聖人フランシスコ・ザビエル。日本にきたあと一度帰国し、再度、中国に渡り中国で布教したのですが今の広東省で死去しました。ザビエルの遺体は、ここゴアにあるボム・ジェズ教会に安置されています。ボム・ジェズ教会は1594年築で世界遺産です。今回の旅の目的は、この教会とザビエルが眠る棺を見ることでした。※ちなみに、インドの宗教は多い順に、ヒンドゥー教(約80%で圧倒的に多い)イスラム教(13.5%)、キリスト教(2.3%)シーク教(1.9%)、仏教、(0.8%)、ジャイナ教(0.4%)といったところですが、意外に仏教は少ないんですね。
2014年11月29日
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2009年 日本×イタリア文化交流会の展示 伝統の「折形」制作:中川璃々今夜の朝日新聞夕刊にちょっと嬉しいニュースがありました。【世界の伝統文化などを保護するユネスコの無形文化遺産に、日本が推薦した伝統的な手すき和紙の技術が登録される見通しになりました。ユネスコの無形文化遺産に登録される見通しになったのは、「和紙 日本の手漉(てすき)和紙技術」で、手すき和紙では、2009年に「石州半紙(せきしゅうばんし)」(島根県浜田市)が無形文化遺産になっていますが、それに「本美濃紙(ほんみのし)」(岐阜県美濃市)と「細川紙(ほそかわし)」(埼玉県小川町、東秩父村)も加えることを目指していたものです。日本の和紙作りの技術を世界により強くアピールしようと、去年、3件をまとめて新たに推薦していました。その結果、事前審査を行うユネスコの補助機関は日本時間の28日未明、「『こうぞ』の栽培を促進したり手すきの体験活動を行ったりするなど、世代を超えて技術が継承されている」として登録がふさわしいと勧告しました。文化庁によりますと、登録がふさわしいという勧告が覆された例はないということで、来月パリで開かれる政府間委員会で正式に登録が決まる見込みです。地元では、日本文化の海外への発信強化や地域の活性化、伝統技術の継承に弾みがつくと期待している。】とのことです。和紙に限らず、紙なら何でも好きというリミンにとっては、手漉の技術を継承してくれる若い人が紙に目を向けてくれたらいいな〜と願っています。2009年 日本×イタリア文化交流会の展示 伝統の「折形」制作:中川璃々という訳で、紙に因んだりり・エッセイをひとつお届けします。2010年の作品です。「紙が好き。」 昔から「紙」が好きでたまらない。紙そのものも無論だが手帳、栞といった小物や、便箋、封筒、切手など手紙に関連する紙類も好きだ。何の変哲もない大きな白い紙もいい。紙を眺めたり触ったりしているだけで幸せな気持ちになる。集めたこれら紙製品を取り出してみては、誰に贈ろうかと、あの人、この人の顔を思い浮かべつつ、あれこれ思案する時間がまたいい。今は、お礼状でもメールですませるのが普通になって、スピードアップはしたものの、紙を選んだり、季節や色を考えたりする余裕が無くなった。しかし、この思案の時間は始まりを待つ間合いのようなもので、実は大切な間だったと思う。手間を省いて紙の出番が少なくなった分、相手を思いやる心情も少しばかり薄れてしまったような気がする。出番は減ったものの、旅に出るとそこの土地の「紙」が目について、それが手漉きであるとか、熟練した職人の手刷りであったりするとどうにも欲しくて買わずにはいられない。本物はそれなりに金額も張り、悩んだあげく買ったはいいが大判紙はスーツケースに入らない。巻いても持ち歩きに難儀して、入れるための筒まで買うことなり、あげく荷物をひとつ増やすことになる。和紙をはじめ、韓紙、イタリアのマーブル紙、江戸千代紙とこれまで集めた紙も種々様々だが、この頃はとくに楮や雁皮など天然繊維100%の日本の和紙に魅かれる。植物なので呼吸する空気の気配を感じるし、最後は土に帰るとおもうと心が和む。日本で和紙が使われ始めた頃、西欧では羊皮紙やパピルスと呼ぶ草の茎で作ったものを使い、中国では木の皮や竹などを利用していたそうだ。今はパルプで作る紙がほとんどだが、「流し漉き」の手法で作る日本の紙は世界でも最高の素材だ。人の手の温もりを感じる紙であるが一度折ったらやり直しがきかない真剣勝負。それだけに本物の紙にはこちらの心が試される。かつて、夫と二人スペイン移住を本気で考えていた頃、私は会社勤めをしながら移住の準備を着々と進めていた。そのうち「暮らし」ならば、ただヨーロッパ文化に驚嘆しているだけではダメだ。何でもいいから日本独自のものを自分なりに語ったり、紹介したりするのでなければ、その場所にも やがては飽きてしまうだろうと切実に思い始めた。しかし「日本独自のもの」とひと口にいってもその範囲は広く、私でも出来ること、習得の費用があまりかからず、道具類も持ち運びやすいものと考えていくと、本来、紙が好きなのでやはり「折り紙」にしようと決めた。 まずは通信教育による「折り紙」の勉強からスタートしたのだが、これが意外にも遊びと簡単に片付けられない奥が深い世界であったのに驚いた。その後、千代紙とは違う日本の色を求めて専門店や美術館を見て回るうち、和紙にはもともと「格」や「位」があり、目的応じて使い分ける「決まり」があることを知り、それら歴史への興味が、私を「折形」(オリガタ)の世界に誘ったといえる。以来、和紙を折りあげることによって生まれる静謐な空間と白い短形の紙が内包する無限の可能性に魅せられている。 日本には古来より、自然を敬い、人との調和や関係を大事にする精神を重じ、四季の行事など折りにふれては、大切な人にお金や物を贈る伝統があったという。贈る品物は公家社会では白い絹の布に、武家は白い紙に包んだ。今でいうラッピングの始まりだが、階級社会のコミュニケーション手法であったため、贈る相手の位に応じて和紙の「格」の使い分けや「形」は明確に定められ、「折形」の手本は武家社会において家から家へと口頭伝承で伝えられた門外不出の「礼法」であったそうだ。 そのため「折形礼法」というのが正式名称だが、贈る心を和紙という形に託して折り包む‥「心には姿がある」として、手を洗い、真っ白な紙にむかって姿勢を正し、相手のことを想いながら「折る」「包む」この過程こそが「美」だとする考え方は、日本ならではの紙の文化だと思う。 そして‥月日は流れ、結局、私と夫はスペインに移住することなく現在に至っており、私の「紙の世界」もそのままになっていたが、2009年、スローフード秦野使節団としてイタリアのウンブリア州に出向いた際、日本とイタリア文化交流の催しで、これまで作りためた作品を展示する機会に恵まれた。ヨーロッパの人に日本の紙を紹介する良い機会でもあったので、白や生成りの和紙を用いた伝統的な「折形」の他にも、和名で表わす色紙で作るモダンな「折り紙」も紹介した。新たに作った作品も現代の暮らしの中で使用できるものを心がけた。 そんなわけで紙に対する長年の想いが思いがけず陽の目を見ることになり、紙を愛する私にとっては面映ゆくもあり嬉しくもあった出来事である。尚、現在、世界中で「ORIGAMI」と呼ばれる折り紙は、この「折形礼法」から遊戯として枝分かれして発展したものである。 ※2009年秋、東京・世田谷「ギャラリースペースS」で開催された 写真展「中川璃々のフォトエッセイ」で同時展示した伝統の「折形」
2014年10月28日
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写真はウチの団地の下を流れる金目川です。ここに引っ越して約10年、周りの景色がドンドン変わって行きます。こんなにも美しい日本の風景をこれ以上、壊さないで下さい。いまだに故郷に帰れない人も大勢います。何も出来ないけれど、せめて原発災害を忘れないようにしよう。少しづつ我慢する覚悟を持つことしか無いような気がする‥★お願い福島県白河市にある原発災害情報センターは、原発災害について多くの方に知っていただく為に作られた施設です。図書サロン棟も同じ敷地内に建てられて完成まじかです。原発や公害に関する書籍がどなたでも自由に閲覧できるように市民からの寄付金や市民ボランティアの熱意によってようやくここまできました。小学生から、どなたでもご利用いただける参加型の施設です。みなさんに原発の知識を深めていただけるような展示、学習会、上映会、不安や心配を共有する(お茶を飲みながらのおしゃべり場)などを企画しています。いよいよ9月6日(土)に図書サロン棟がオープンします。そこで皆様にお願いがあります。いま、その図書サロン棟で閲覧する本がとても不足しています。原発災害情報センターの運営は全て寄付で賄われていますが、なかなかその寄付も集まらない状態です。原発、公害、環境問題、新エネルギー等、関連する書籍ならどのようなジャンルでも問いませんので本を以下のご住所に「寄付します」と明記して送付いただけると大変助かります。このお願いがお心に引っかかりましたら、どうぞよろしくお願いいたします。【本の送付先です】961-0835福島県白河市白坂三輪台247原発情報災害センター 図書サロン棟受付係 行0248-28-1111「原発災害情報センター」
2014年08月30日
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皆さま、一昨年「ベルリンからのお客様」でご紹介しましたが、ベルリンのお友達・章子さんが秦野を訪問して下さったのを覚えていらっしゃいますか。あれからもう二年も経つのか‥と懐かしく写真を眺めているうちに、彼女はすでにドイツの方を集めて日本の旅・第二弾を企画したようです。今年も「秦野の風」を楽しみに我が町・秦野に立ち寄られます。ドイツの皆さんお久しぶりです。いらっしゃいませ〜というわけで、秦野流おもてなし、今回のテーマは【木】です。「新歌舞伎座」の舞台や花道に使われているのが、樹齢100年を超える秦野産の檜です。初代歌舞伎座の開場が明治22年、その頃に植えられた秦野の檜。昨年、伐採許可が下りたばかりの木が、木材となって東京の新名所・新歌舞伎座へ‥これはもう「どんなもんだい秦野シティ」でしょ。ヒノキばかりじゃなくて、丹沢の樹木、丹沢に育まれた秦野の水の話を聞くために丹沢ビジターセンター・インストラクターの方にお願いしました。木を使った日本古来の楽器‥箏、尺八のミニ・コンサートも準備しました。●【わさびや茶園】のスローな茶話会 ミニ・コンサート+午後の緑茶とお菓子でティータイム 筝曲 さくらさくら 尺八 滝落ちの曲 尺八 神保三谷 筝曲 六段の調 筝曲 花筏 フィナーレ 荒城の月【木のある里山暮らし】photo by勝山 ●協力:秦野市役所(観光課) 秦野戸川公園 丹沢ビジターセンター わさびや茶園 じばさんず 川西歯科 じょんがら 秦野市の皆さん●コンサート出演協力 ・箏 白井里美 川口恵理 (琴の連弾) ・尺八 佐藤春治 (虚無僧スタイル)・箏の説明‥弥生時代からすでにある日本古来の楽器。現在は13本の弦を持つ。 中国から伝わり、龍の象徴とされる形。奈良時代から雅楽の中で用いられている。 平安時代の貴族社会の文学(源氏物語) などにも描写されている、木で作る楽器。・虚無僧(こむそう)とは、仏教の普化宗(ふけしゅう)一宗派の人達で、 お経を唱えるかわりに尺八を吹くことを修行とした。 これを吹禅(すいぜん)と呼び「座禅」に対する用語。 今年もたくさんの皆様のおかげで7/23.24 秦野流お・も・て・な・しをすることが出来ました。あらためて御礼を申し上げます。当日のレポートは章子さんからお礼状が届いておりますのでそちらをご覧下さいませ。(多少、編集してありますのでご了承ください)尚、写真撮影は勝山稔 (一部章子さんのレポートよりお借りしました)河野章子レポート 2014私は2年前にスローフード秦野・会長の璃々さんの妹さんと知り合いました。彼女は居酒屋(じょんがら)を経営していて、そこでは青森の料理が食べれます。私は関西出身なのでいくつかの料理は初めてでした。どれもおいしかったです。photo by勝山 日本で黒パンを買えないドイツ人を気遣って黒パンまで用意してありました。photo by章子 また、ある料理が私たちを口論の場と導きました。刺身のお皿の上にクジラの肉があったのです。私は子供の時にクジラ肉をたくさん食べました。しかし、おいしいとは思わなかったので今までも食べていませんでした。今回は少し味見してみようかと思い食べてみましたがやはりクジラの肉なしでもいいやと思いました。 秦野では観光バスを借り、新鮮な野菜が売っている「じばさんず」に行きました。ドイツからの友達は、たくさんの野菜や果物をはじめて見たようで、私は質問の嵐を受けました。photo by勝山 カブトムシを売っているのを見て、日本人はカブトムシを食べるものだと勘違いもしていました。photo by章子 秦野戸川公園にて自然を学びました。 photo by勝山 丹沢山塊には熊、サル、ヘビなどたくさんの動物が住んでいます。たくさんの樹木や珍しい木などもたくさんあります。photo by勝山 お昼はスローフード秦野のメンバーがお弁当を作って来て下さいました。おにぎりと手作りの野菜料理。とてもおいしかったです。photo by章子 戸川公園の茶室で抹茶を飲みました。一杯目を飲んだ後、二杯目は自分たちで立てることが出来たのです。素晴らしい体験でした。photo by章子 その後、わさびや茶園さんに向いました。お茶畑とワサビ畑を見ることが私たちのせつの願いでした。そして、スローフード秦野は、私たちに「お琴と尺八の特別野外コンサート」を準備してくれていたのです。photo by勝山 photo by勝山 コンサートのあと涼むためにワサビ畑に入りました。ワサビは浅くてきれいでいつも流れている水の中で育ちます。山口さんはお茶とワサビを無農薬で育てています。きれいな自然を農薬で汚したくないからです。採りたてのワサビをすって食べましたが、辛いだけではなく新鮮な味がしました。photo by章子 暑い日でしたので、わさびや茶園さんは「流しそうめん」を用意してくれました。私たちの友達にはお箸でそうめんを取るのはそう簡単ではありませんでした。日本人の方々はそれを見て楽しんでいました。photo by勝山 最後に‥私は関東地方を良く知りません。なのでスローフード秦野の会長・璃々さん、同じくメンバーの勝山さん、スローフードすぎなみ東京の掛川さんが秦野と東京の旅行のプランを練って下さいました。日本の自然、日本の文化と親切な皆さまがとてもうれしかったです。このような旅行は人とのつながりがないと外国人だけでは無理でしょうね。皆様のおかげで普通の観光者には出来ない体験ばかりさせて頂けました。一生の思い出に残る旅行が出来たと思います。本当にありがとうございました。また、今後ともよろしくお願いします。 ベルリン在住・河野章子
2014年08月11日
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「ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番」9分ほどありますが良かったらお聞き下さいませ。浅田真央選手のあの神が降りた時間が蘇ってきます。あなたは間違いなくソチ・オリンピックの女王でした。ところで、映画「逢びき」は1945年公開のイギリス映画(監督:デヴィッド・リーン)です。この映画は「ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番」が最初から最後まで使用されていて、しかも、第1楽章の第2主題や第3楽章の第2主題といったよく耳にする旋律だけでなく、全曲のあらゆる部分から映画の各シーンに合った音楽がチョイスされたそうです。ラフマニノフの音楽がなかったら、この映画は成り立たなかったと言われています。映画「逢びき」優しい夫と2人の子どもに恵まれた平凡な主婦ローラが、妻子ある医師アレックと出会い、やがて恋に落ちる物語です。お互い家庭をもつ立場ゆえ、罪悪感に苦しみつつ、毎週木曜日に逢びきを重ねます。映画を見たり、湖でボートに乗ったり、植物園に行ったりしますが、結局、男女の関係になることはありませんでした。今の時代からみると、これを不倫というかどうかは意見が分かれるところだと思いますが‥二人は最後にもう一度だけ会うものの、会話はほとんどなく‥そして残り数分間‥運命は残酷です‥。映画は全編を通して、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」が心臓の鼓動のように鳴り響きます。私たちがソチの浅田真央選手を息を詰め祈るように見守ったあの時間‥あの時の「非日常」の世界と似ているかもしれません。どちらも、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」が誘ってくれた「音楽な幸せ」だと思っています。
2014年07月09日
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「スペインといえばフラメンコ」という人は多いと思うが、フラメンコはアンダルシア地方独自の文化で、スペインの何処ででも観たり聞いたり出来るものではない。フラメンコを語るときジプシーを抜きにしては語れない。ジプシーは差別語だから「ロマの人々」に置き換える話で済む問題ではないと思う。今でも差別はヨーロッパ中に厳然として存在しているのを何度も目撃した。ジプシーgypsyという英語は、エジプト人を意味するegyptianが語源である。スペイン語ではヒターノgitanoで、これもエヒプターノegiptano(エジプト人)が訛ったものだ。しかし、ここでいうエジプトは、アフリカのエジプトではなく、その昔、ギリシアのペロポネソス半島を指して「小エジプト」といった、そのエジプトだそうだ。(ロルカ、スペインの魂より)というわけで、以下フラメンコに敬意を表して、ヒターノで書くことにする。 起源的にはインド西北部にいたいくつかの種族が、「小エジプト」や「中央アジア」を長い歳月にわたって流浪し、その果てにヨーロッパに流れ着いたのが、現在のヒターノであろうといわれている。 フラメンコは、スペイン南部に流れ着いたヒターノ独自の音楽と、アンダルシア地方にもともとあった民謡(セビジャーナス)が結びついて出来たものだ。だから、フラメンコはヒターノと同義語といってもいい。 フラメンコの真髄はカンテ(歌)にある。 迫害、差別され続けてきたヒターノたちの魂の叫び‥生活に根ざした土の匂いのする深い歌である。アンダルシアの土臭いおっさんたちがしゃがれ声でひねり出すカンテを聴くと、スペイン語の詩がよく分からなくとも、鳥肌がたつほど感動してしまう。このカンテは、女が歌うよりも男が歌ったほうが断然いい。作家の堀越千秋は『フラメンコは粋で貧乏で、いなせな生活そのものだ』といっている。 彼等は、旅の合い間に、鍛冶屋や馬具作りや畑仕事の日雇い農夫として喰っている。こういった人びとがフラメンコの伝統を守り、育ててきたのだ。 もともとスペインは詩が盛んな国で、日本の詩吟のように普通の人たちが何かにつけて「詩の朗読会」を開くという。深夜の朗読会では年老いたヒターノを雇うこともあるそうだ。詩の朗読が、感極まっていつしか唄になり、哀愁を帯びたギターと手拍子でリズムを刻み、居合わせた人達は、誰からともなく立ち上がり、踊りだす‥魂が夜の闇に吸い込まれていく‥やがて、スペイン人が言うところのドゥエンデが降りてくる‥これがフラメンコの原点だ。ところで、このドゥエンデduendeという言葉ほど説明に難しいものはないらしい。辞書を引けば「ばけもの、妖気、抗し難い妖しい魔力」とあって、フラメンコにのめりこんではじめて体感できるものだという。 それは、人の心のうちに巣くう暗い寂寥の影のようなものだろうか‥確かに、スペインの荒廃し、さびれた光景の中に身をおくと、背中合わせの生(太陽)と死(影)を予感させる何かがあって思わず身震いしてしまう。 塔の上で 風見がまわる くるくるまわる いつまでも。 ああ ほろびかけた村よ、 嘆きのアンダルシィーアの! (ガルシア・ロルカ「カンテ・ホンドの詩」より抜粋 ) フラメンコが「歌」だとすれば、タンゴは「踊り」だ。1492年、コロンブスが新大陸を発見してから、スペインをはじめヨーロッパのたくさんの人が新天地に夢と希望を求めて大西洋を渡った。当時、アルゼンチンの港町ブエノス・アイレスの繁栄は大変なものだったという。言葉が違う男と女がなんとか会話をしようと、最初は身振り、手振りで愛を語り、恋の駆け引きを楽しみ、悩みを語り、慰めあうために踊った。そこで生まれたのがアルゼンチンタンゴだ。タンゴは踊ることによって、「私が世界で一番イイ女」「俺が世界で一番イイ男」と自分を顕示し、限りなくエロティックな会話をすることだという。音楽に溢れた港町、喧騒に包まれたブエノス・アイレスの街‥きっと、愛も別れも、絶望も、すべて夜の闇の中に飲み込まれていったことだろう。 そうして‥ 時間は流れゆき、やがて別れも絶望も、ある日、突然やってくる。日頃、アルゼンチンタンゴは、他の音楽にあるような余韻を残さず、唐突と言ってもいいほど突然、終わるのはなぜだろう?と疑問に思っていたが、祭りは必ず終わるものだし、恋の炎もまた突然、消え去るものだと思えば、あながち不思議でもない。いずれにしろ、「フラメンコな人生」も「タンゴな人生」も、私にとって、永遠の見果てぬ夢であることは間違いない‥。●動画は高橋大輔の「ブエノスアイレスの春」(ピアソラ) フィギュアスケートで「タンゴな人生」を表現‥世界最高峰のステップ‥‥この人しかいない。
2014年06月30日
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見た人の価値観を変えるほど 心に深い感動を刻みつけるアスリート。これからも、ずっーと観ていたいスケーターであり、アーティストであり、アクターであり、今も世界でトップクラスの選手&芸術家。上の動画はソチ以来、初めて披露したアイスショー用プログラム。いいな〜やっぱり!オリンピックの時は何よりも高橋選手がソチにいることが嬉しかった。一人のアスリートがあれほど切なく見えたことは、かつて無かった。それに表現力を示す演技構成点が金メダリストより0.02を上回っていた。怪我が重なり心身ともに満身創痍の彼が、オリンピックで6位入賞というのはある意味メダルをとることより凄いことかもしれない。人々の感動はお金では買えない。 *:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:**:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:**:.。. .。.:*・゜゜・●長光歌子コーチから高橋大輔に宛てた手紙「大輔様 こんな風に改まってキミに手紙を書くのは初めてなので とっても戸惑っています。 キミに初めて出会ったのは キミが中学2年生の夏休み 仙台泉のリンクでしたね。 私がリンクで滑っていると英子さんに連れられてリンクに入って来て リンクサイドに佇んでいました。 いつも良い結果の時よりも悪い結果の時の方がその直後は苦く辛いのですが 後にはいつもキミに驚くほどの大きな成長をもたらせてくれ 私は 人生何事も必然 無駄な経験など一つもない 「一見 無駄だと思える時間が実は大変貴重なモノなのだ」と教えてもらいました。 ソチの事前合宿地モスクワ ノヴォゴルスクのリンク 決死の覚悟で日本を出発したにも関わらず 膝は我々が予想していたようには良くならず 全く大輔の思い描いていたような練習が出来ない日々が続きました。 ソチ入りが数日後に迫った夜の練習で ついにキミの心が折れてしまい 血を吐くような叫び声を上げた時 私は何もしてあげられないまま ただ大輔の背中をさするばかりでした。 それでも大輔はソチの本番で必ず奇跡を起こすと信じて疑わなかった。 あれから早3か月 大輔のスケートはまだ完結してはいけなかった。 大輔の内側であの結果をゆっくり熟成させ また立ち向かう強い力が宿った時 新たな奇跡を起こすのではないか・・・ それがどんな場面なのかはまだわからないけれど 満場の喝采を浴びている そんな場面を見られる日まで 静かに・・・ と言いたい所ですが 今まで通りの口やかましい キミにとっていつもイライラさせられる 遠い親戚のおばちゃんのような存在のまま 世界中の大輔を愛する大勢のファンの皆様と共に待っています。 長光歌子」 *:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:**:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*心がこもった素敵な手紙です。そのとおりだ!やっぱり高橋大輔には満場の喝采こそが似合うと思う。この手紙、日曜日にお昼ご飯を食べていた時にテレビで放映されたものなのに、数時間もしないうちに、もう英訳されて世界中に発信されている。恐るべしインターネットの世界。Dear Daisuke,I feel embarrassed as I write a formal letter to you for the first time. You were an 8th grader when I first met you that summer at a rink in Izumi, Sendai. As I was skating there, you walked into the rink accompanied by Hideko, and you just stood there.It is always true that when you have a bad result, although it is bitter and painful at the time, later it brings you growth which is amazingly bigger than when you have good results. That experience has taught me that there is absolutely no such thing as a wasteful experience. When you feel you are wasting time meaninglessly, you are actually spending a very precious time of your life.Although we left Japan for the training camp in Novogorsk, Moscow before going into Sochi with a desperate determination, you knee did not heal as we had expected. Many days have passed as you struggled to do the kind of practice you hoped you would have.During the night practice a few days before leaving for Sochi, your strong will finally broke down. When you let out a cry of your bleeding heart, all I could do for you was to keep rubbing your back. Still, you never doubted yourself that you will accomplish a miracle in Sochi.It has been already 3 months since then. Daisuke’s skate should not have ended there. After that result slowly sinks in within you, and when you nurture new strength to face the challenge again, that may be the moment you will have a real miracle… though I do not know yet what sort of a situation that will be.I wish I could say I will quietly wait for the day I witness a scene where you are receiving a whole house standing ovation…but actually, I will be someone who keeps nagging you as usual, like a distant relative who irritates you all the time. I will be waiting for you, together with many fans who love you from all over the world. Utako Nagamitsu●家庭画報編集長 秋山和輝さんのTwitterより「歌子先生からの手紙を読んだ後に見直してみました。 言葉にならない……。本当に"氷上の奇跡"だったんだ。」 2014 高橋大輔 ソチFS
2014年06月24日
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皆さま、ご無沙汰しております。私は二月のソチ・オリンピックからすっかりフィギュアスケートに嵌まっています。ちょうどパソコンを買い換えたのもあって大型画面でユーチューブ三昧の日々…といったところです。会場まで足を運んで高橋大輔選手を観るのが、今のところ私の夢かな。ウチの彼はといえば相変わらず日本とインドを行ったり来たりしています。もう1年8ヶ月も経つので、すっかりインド人?なのか帰国すると日本は寒い寒いと言って必ず風邪を?ひいてます。先月、インドは選挙によって政権交代したそうで、彼からミニレポートが届いていますので、アップしておきますね。●インドの総選挙、開票は5月16日でした。その間4月から5月にかけて約1ヵ月間各州で投票が行われ、今回は10年振りに人民党が勝利した。(インドの2大政党は国民会議派・インド人民党)新首相は前グジャラート州首相のナレンドラ・モディ氏。モディ氏はこの10年グジャラート州において経済を2ケタ成長させた実績があり、日本との関係も深く若者の期待も大きい。現場の通訳さんの多くが期待しているようだ。モディ氏は排外的思想を持つ「民族義勇団(RSS)」出身でチャイ売りから身を起こしたそうだ。また、グジャラート州においてインフラ整備と企業誘致を進めインドの州のなかで初めて無停電州を作ったとされる。私のいるマハラシュトラ州ではしょっちゅう停電があり炊飯器で米を炊くのに苦労している。また日本からの投資や経済協力を期待していることもあって、日本財界からの視線も熱い。投票日が近づくと、酒を売るのは禁止されているため酒屋はもちろんのこと、ホテルのレストラン、食堂、屋台までどこに行っても酒は飲めない。どうやら買収に使われるから…らしい。。 稔の雑感‥どちらの政党になっても、この広くて複雑なインドという国をまとめて行くのは大変そうです。たとえばインドの州は29だと思いますが、話されている言語は30以上。私が今いる所はカルナタカ州でカンナラ語。通訳さんの多くはマハラシュトラ州でマラティ語。隣のタミルナドウ州はタミル語。お互いの言葉は全く分からないそうです。標準言語はヒンディ語と英語ですが、学校で習わないのか、話せない人も多いため自国内で通訳がいることもあり得るのです。また、州も不変ではなく変わることがよくあります。今年になって隣のアンドラプラディッシュ州が二つにわかれました。名前の変更もよくあるようで、昨年暮れにバンガロール空港がケンペゴーラ空港に代わりました。ついでに都市名で(〜バード)はイスラム系の名で、(〜プール)はヒンディ系だそうですよ。ではまた。★写真撮影はウチの彼こと稔。大きな工場と言うより、銀行も何でも揃っている一つの町です。八百屋さん&食料品店にて。
2014年06月18日
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ウチの団地にある小学校の放課後桜ひらひら、里山の春です。と、思ったら、桜の開花が始まってすぐ雨模様。この時期の雨は「花起こしの雨」(はなおこしのあめ)と云われるそうです。日本語には季節を表す綺麗な言葉がたくさんありますね‥。「桜」ひとつとっても、「花曇」(はなぐもり)や満開になってつらなった雲のような「花の雲」(はなのくも)といった、目に浮かぶような風情の言葉が沢山あり、思わず心ときめきます。「花明かり」を楽しんでいると、あらあら、生憎の雨。花見の頃に降る雨は特別に「桜雨」(さくらあめ)と云われます。それにしても、花の雪(はなのゆき)や零れ桜(こぼれざくら)の散る桜を愛でたり、桜流し(さくらながし) のように雨に散った花びらが流れていく様子まで愛惜しんだり最後の最後まで愛される「さくら」は、やはり日本の心なのでしょう。団地の小学校 桜の木 撮影:漆原和美
2014年04月05日
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我が家の窓から見た富士山。心が晴ればれします。やっぱり日本一だ~! 2014/01/19住んでいる部屋の窓から少しだけ富士山が見える。毎年、繰り返される植物の生と死を目の当たりにしていると、人生のすべてが一瞬の出来事のような気がしてくる。どんなに冬が厳しくても、春が近づく音がする。私は、小さな風の音に聞き耳を立て、季節のかすかな気配を感じようとする。●お知らせ2014年の味噌作り教室は大雪の被害や諸般の事情により中止になりました。今年はごめんなさい。次回の機会をどうぞお楽しみに!尚、昨年作った落花生味噌は近日中に予定通り配布致します。
2014年03月02日
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★ソチ五輪「アサダはサムライ」ロシア地元紙も感銘スポーツが、こんなに感動するものだとは思っていませんでした。浅田真央のラストダンスに日本中が息を詰め、祈るように見守りました。息を止めさせるほどの素晴らしい演技。鳥肌が立ち、体が震えました。奇跡の4分間‥今、観返しても涙が溢れてきます。自分自身に打ち勝って、努力で目の前に立ちはだかる壁を乗り越えた人の涙は、誰をも感動させる本物の力を持っているんですね。金か銀かなどとメダルにこだわっていた自分を反省しました。私もリハビリがんばらなくては‥。
2014年02月22日
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我が家の鰹節削り器。 その昔、私がアパート暮らしを始めた20歳代の時に買ったものです。昨年12月、ユネスコの無形文化遺産に登録された「和食」ですが、その味を決めるのが「みそ」「しょうゆ」「みりん」、そして「昆布」「鰹節」といった出汁(だし)です。どれも発酵食品で、こうした「うまみ」がつまった調味料は、実は知られざる、ある<カビ>によって、もたらされています。アスペルギルス・オリゼ(日本麹カビ/A・オリゼ)です。今から千年ほど前、日本人は、自然界に漂う何億種類のカビの中から、A・オリゼを抽出する方法を世界で初めて編み出しました。鎌倉時代には、蒸し米の上でカビを育て、どこにでも運べる「カビの種」を作る種麹屋(たねこうじや)が現れたと云います。種麹屋はいわば「世界最古のバイオビジネス」でしょう。日本麹カビは、いまでは和食になくてはならない存在。スローフード秦野でも「落花生味噌」を作るときに使用する米麹を手作りしています。(余ったら塩麹も作れるし)本日ご紹介する鰹節も、A・オリゼがもたらしてくれる幸せです。鰹を茹でて干したなまりぶし、それを燻製にした荒節(あらぶし)荒節にカビを付けることにより水分を抜いて熟成を繰り返した枯節。枯節(かれぶし)には「うま味」成分が凝縮されています。秋の松茸の土瓶蒸しから始まって、お正月のお雑煮、鍋料理、七草粥まで我が家の鰹節削り器の出番は多いです。と、いっても、鰹節削るのは、たいていウチの彼なんですが‥日本の「和食」は「季節感」の幸せ。寒い毎日ですが冬の季節を楽しみたいものです。
2014年01月11日
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フィレンツェにて撮影迎春本年もゆっくり確かに歩いていきますどうぞ宜しくお願い致します皆さまにとって良いお年でありますように 2014年 元旦 スローフード秦野 中川 璃々
2014年01月01日
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1960年作品「来年までさようなら」グランマ・モーゼス普段は重い赤ワイン党ですが、クリスマスが近づくとなぜかシャンパンが気になります。で、このシャンパンですが、フランスのシャンパーニュ地方のブドウを使い、シャンパーニュで生産され、瓶内二次発酵製法で造られたものでなければシャンパンとは呼べないそうです。同じような発泡ワインにスペインの「カヴァ」イタリアの「スプマンテ」ドイツの「ゼクト」等がありますが、やはりシャンパンは女王様の風格、一年に一回くらいは自分へのご褒美として味わいたいものです。ところで以前にもお話したと思いますが、リチャード・ギアとジュリア・ロバーツが主演した「プリティ・ウーマン」男性がホテルのルームサービスで女性のために、シャンパンとイチゴを頼んだのを観て、さすがと感心したことあるんです。確かにシャンパンには果物(葡萄、イチゴ、イチジク)がよく合うと思う。でもリチャード・ギアに先を越されちゃったし?‥私、今年のシャンパンはマカロンでね。私の好きな「モエ・エ・シャンドン」今年のクリスマス&お正月は、ウチの彼もインド出張から帰って来るし、二人で久しぶりにシャンパンを飲むつもりで楽しみにしています。そうそう、クリスマスイルミネーションと言えば‥秦野の隣町にある「松田山ハーブガーデン」がお薦め!●松田きらきらフェスタ(イルミネーション)松田山ハーブガーデンは、クリスマスイルミネーションと、広大な夜景を一緒に楽しめる関東随一のスポットです。楽しいイベント・クリスマスメニューもたくさんあります。★開催期間 11月22日(金)~12月25日(水)期間中休園日無し★開園時間11月22日(金)~12月19日(金)9:00~21:0012月20日(土)~12月25日(水)9:00~22:00
2013年12月14日
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お久しぶりでしょ?夕闇迫る富士山。ウチの団地の前を流れる「金目川」から。あっと言う間に今年も終わる。十月は私の誕生月であったが、数度の大型台風に見舞われ、そのどさくさのうちに、私が勝手に師匠と呼ばせて頂いている天野祐吉さんが逝去された。天野さんが朝日新聞に連載していた「CM天気図」はテレビCMを通して世の中が分かる、秀逸のコラムだった。天野さんのコラムを読んでから、逆にテレビを見て新しいCMを知ったことも多い。いずれにしろ、時代を切り取ってくれる「面白い読み物」であると同時に貴重な「資料」のひとつでもあった。天野さんは原稿を書き上げると、まず奥サマに読んでもらうそうだ。「専門家でない人が読んで、どう感じるかが大事。」やさしい表現と話しかけるようなリズムで、音や声が聞こえてくるような文章を心がけた。「こぶしを振り上げたような表現は届かない。あ、面白いことを言っているな、と振り返らせないと。」偉ぶらず、教訓的にならないように、鋭い批評をユーモアでくるんだ。 (朝日新聞・「CM天気図」)水曜日の朝日新聞、天野さんの選ぶテーマに「そうだ、そうだ!」と相槌を打ったり、ときには「ヤラレタ!」と悔しい思いをしたり、あのワクワク感はもう戻ってこない。でも地球じゃないどこかの星の、天野さんが言っていた「カネカネカネのアクセク町から、カネよりヒマを大切にするノドカ町に」引っ越したんだと思いたい。天野さんのことだから、何処かの星の地産地消の食卓を囲みながら、「地球に鋭い野次を飛ばし続けて」くれるでしょう‥。ご冥福をお祈り致します。
2013年11月26日
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イタリア・ウンブリア、薪を準備して冬支度。(撮影/ウチの彼ことMINORU)>今でも世界中の人々に愛されている「大草原の小さな家」シリーズ著者ローラ・インガルス・ワイルダー(1867~1957)に宛てて、62年前に福岡の女性が書いた手紙が米国の博物館で見つかった。シリーズ第6作「長い冬」の初版本に挟まれていたという。 戦後まもなく訳されたローラの本に感動して送ったということで関係者が送り主を捜している。(朝日新聞 2013.5.7)その後、関係者が送り主を捜していることを朝日新聞が報じ、情報が寄せられた。手紙には福岡市の住所と「カヤノ・ミチコ」さんの名前があったため親族からの情報で 日本から手紙を送った女性が見つかった。今日の新聞で鹿児島市内 でローラ展があり、シリーズの新訳を手がけた谷口さんが講演した際に「ローラのペンフレンドが見つかったんです」と萱野さんを紹介。谷口さんは「ローラの本の力を感じた。傑作でなければ、縁は広がらなかった」と話した。(朝日新聞 2013.11.3)●「大草原の小さな家」シリーズ家族が力を合わせて開拓時代の様々な困難に立ち向かい、自分たちで住まいを作り、食事を作り、畑を耕し、狩りをし、家族の誕生日や、クリスマスを祝い、神への感謝を忘れず、満足して日々を生きていく…この家族の生活の記録は、私の「幸福感」の礎になったような本なのだ。私は、かつて、このシリーズを全巻揃え、ローラ家と一緒のつもりで、ギンガムチェックのカーテンを縫い、アップルパイを焼き、クリスマスの準備をし、小さな織機で肩かけやマフラーを織った。いつしか、毎日の仕事に追われる暮らしの中で、「ローラ家の幸せ」への渇望は、私の心の隅に、オリのように溜まっていったが‥ローラ・インガルス・ワイルダーのメッセージは、具体的で、易しくて、とても分かりやすい!百年経った今も、その共感は感動的で新鮮に思える。『家族への愛、自然への愛、隣人への愛、 感謝すること、満足すること‥。』ローラ自身が「それは全部本当の話だ」と言っているように、両親と、姉の"メアリィ"、赤ちゃんの"キャリイ"と一緒に過ごした子ども時代と、アメリカ北西部の『小さな家』での出来事をローラの目で綴ったものだ。男の人は男らしく、女の人は優しく女らしかったあの時代。ジェンダーハラスメントと怒られそうだが、お互いの持ち場を分担し、協力しなければ生きていけない時代だったのだろう。そして、この父親と母親の知性と愛情に包まれて、育っていく子どもたちの何と幸せそうなこと!この物語を愛している人が、とても多いというのも、誰もが共感できる普遍的な「幸せの形」だからだと私は思う。今日は文化の日、本の力を伝える嬉しいニュースでした。ウンブリア・アメリアは10月ともなれば暖炉が恋しい季節でした。
2013年11月03日
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最近、イチジクもマイブームです。イチジクは旧約聖書にも登場するほど、古くから親しまれてきた果実です。原産地はアラビア南部といわれ、そこから中東、地中海沿岸に広がったもののようです。最古の歴史をもつ果実を、古代ギリシャの豊穣の女神デメテールへの想いを馳せて、味わう秋のひとときも幸せな時間です。・というわけで‥私がハマっている焼きイチジクのご紹介1.イチジクの皮をむき半分に、大きなものは4分の1に切り そこにEXオリーブオイルを絡めます。2、そこにラム酒か(白ワイン)少々を注ぎ入れ、グラタン皿に並べる。 さらにチーズ(パルミジャーノ・レッジャーノなど)を すりおろしたものを上にのせる。あとはオーブンで焼くだけ。スイーツのような、オードブルのようなものですがイチジクの甘さ&チーズの塩っ気が不思議なくらいマッチして、ロゼワインやシャンパンにぴったりです。で、ここのところ、チーズを選ぶ楽しみも増えて、東京の「チーズブティック・フェルミエ」の会員にまでなってしまいました。先月は、一年に一回の「チーズ20種食べ比べセット2013」を買い、ティスティングを兼ねて、友人と美味しい時間を楽しみました。BGMはやっぱりマテオ・ストーンマンでしょ!
2013年10月13日
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国産の紅茶「和紅茶」が静かなるブームらしい!?ときどき自然食品のお店などでよく見かける国産の紅茶‥『和紅茶』が、東京ミッドタウンの『虎屋菓寮』で人気を呼んでいる。ここの店は和紅茶専門のカリスマブレンダー・岡本啓さんのブレンドで味わえるという。和紅茶とは「日本で育った茶の樹を使い、日本で紅茶に加工された紅茶」を指すそうです。土地の気候や風土で育まれた『和紅茶』は和菓子や和食にも合うのが特徴です。全般的に日本で作られた紅茶は、日本の気候風土の影響を受け育つため、独自の味わいがあります。「渋みが少ない」「うま味を感じる」の特徴があるみたい。●さて、この『和紅茶』ですが、なんと秦野でも作っているんですよ。私のブログでもお馴染みの山口さん(わさびや茶園)は、神奈川県内の茶農家でただ1人、紅茶を作っています。秦野の水や、和菓子に良く合い、そのままでほのかに甘みがあり、ミルクや砂糖なしでも美味しい。私はストレートで愛飲しています。と言う訳で、今、和紅茶が秘かなマイブームなっています。秦野・わさびや茶園の和紅茶『ゴット・オブ・ マウンテン』は、秦野ブランドに指定されています。和紅茶と和菓子で、しみじみ秋のティータイムはいかがですか。
2013年09月30日
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小川三知(オガワサンチ)‥大正から昭和初めに活躍したステンドグラスの工芸家。硝子というのは不思議なものだ。そこに在るのに、そこに無い。見えそで見えない気配を感じさせる。硝子は固まっていても分子が色々な方向に動いている液体のようなもの、動いているものだそうだ。だから硝子に映る「風に揺れる木」や「雨粒」は刻々と変化するときの移ろいを投影して、硝子と一緒に動いているものだとハッと気が付く‥。 小川三知‥日本のステンドグラス。日本画の素養とアメリカ修行よる複雑なガラス技法を駆使するもの。硝子は人が神仏に捧げた祈りの象徴であり、ましてや板ガラスにするまでの手間は、悠久のときを経て人間の叡智が作り上げたものだった。そんなことを考えるのも、灼熱の夏が過ぎ、ときたま降る雨のしずくや風の音に敏感になるせいだろうか‥。
2013年09月22日
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今日は秦野の火祭り、我が家から徒歩5分の氏神サマ「健速神社」(タテハヤジンジャ)の「火渡りみこし」でございます。というわけで、本日の記事は2006年に取材したものを多少編集を加えてあります。ご了承下さいませ。●祭り太鼓が、地響きのように轟きわたる。期待は、いやがおうにも高まって‥静まりかえっていた神社の境内も今夜は、燃え盛る火が、天空を突き上げて‥道の両側に、神輿を迎える「迎え火」が燃える!男たちは、火を蹴散らして神輿を担ぎ、熱気と激しい太鼓の音に場内は昂奮に包まれた! 祭りの太鼓打ちは加速して、怒涛のような歓声と白煙の中、火の粉が舞い、祭りはクライマックスを迎えます!「火」というのは不思議です。見つめていると、身体の芯から何かが突き上げて、叫びだしそうな衝動に駆られます‥はるか太古の昔から、人類は、燃え盛る炎の中に、見えざる者への畏敬の念を感じ取り、跪き、そして祈ります。吹き出す汗と共に、悲しみ、苦しみ、憎しみ、怒り、慟哭、全ての負の感情を吐き出したのかも‥。そのせいなのでしょうか、火祭りの終わった後というのは、なぜか、スッキリ身体が軽くなる気がします。滝のように流れ落ちる汗と共に、百八つの煩悩が自分の中から抜け落ちてしまうのかもしれません。心地よい疲労と、祭りの後の脱力感。汗をぬぐいながら歩く私たちの頭上から、月が、夜道を照らし‥火祭りの夜は更けて行くのです。
2013年09月08日
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スローフード秦野は8月24日(土)【まちの宝】の飲食ブースに参加しました。「秦野アイス工房のジェラート」に協力をお願いしたものです。私の本にも登場する「私の贈りたい・ベスト3」第一位に輝いたあのジェラート、今季食べ納めかな?!よく聞くけど「スローフード」って何んだろう?おいしい(地域の味)+きれい(環境にいい)+ただしい(公正な)=スローフード秦野 写真提供:スローフード秦野会員/横田寿史さん●突然ですが、ウチの彼のインド便り《番外編》8月28日は「ウチの彼」の誕生日でした。あいにく彼はインドに出張中なので、私は朝一番にスカイプで「おめでとう」を言いました。が、彼はここのところ夕飯は、部屋でご飯を炊いて一人で食べると聞いていましたので、誕生日なのに異国の地で侘びしくないかしら‥と実は少し心配してました。ところが、大きな大きなサプライズがあったそうです。夕ご飯のとき、インドの会社の人達や日本の同僚、それに通訳さんも交えた総勢15人位の人達が、ドアをノックしたそうです。大きなケーキを抱えてきた仲間たちのおめでとうコール。今日、嬉しそうに朝のスカイプ定期便で話してと、思う間もなく早速、写真が送られてきました。35cm×40cm位もある大きなケーキです。デコレーション・デザインはインドのアマン君。ちゃんとインドの地図と秦野の名前も入っています。「誕生日」と「ファーネス(工業炉)の仕事をして50年」おめでとう!のメッセージも。こんなにも皆さんに祝って貰えるなんて‥いまだに現役の彼に、私からもおめでとう!後ろに見えるのが、苦労して担いで行った噂の電気釜です。
2013年08月29日
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食べたいものを‥と言われても、私が愛する秦野のビューポイントがあればこそ‥嫌なニュースが飛び込んでくる毎日ですが、今朝の新聞の記事を読んでちょっと嬉しかった。〈最後のとき、食べたいものを〉・・大阪のホスピスのリクエスト食・・病院の食事は味気ないという常識を覆すものだと思うのですが。[淀川キリスト教病院ホスピス・こどもホスピス病院(大阪市)は、最後の時を過ごす患者の心のケアとして「リクエスト食」を打ち出した。毎週土曜日の夕飯は患者の希望をかなえたものを出す。ちらしずし、お好み焼き、パフェ、卵焼き。なんだっていい。「最後の食事」には、一品が映しだす人生のさまざま思いがこめられている。][普段の食事も6種類から選べる選択式だが、週1回のリクエスト食は患者が食べたいものを出す。「命の見通しが短い患者さんがこれを食べたいという気持ちを大切にしたい」と栄養士の大谷さんが提案した。食べるのが好きだった夫を肝臓がんで亡くした苦い思いが、背中を押した。これまで92人のリクエストに応えた。厚生労働省の食事療養費の制度内でおこなうが、食材費がオーバーした場合は病院が負担している](朝日新聞 2013.8.21) さすが大阪、食の考え方が進んでいると思うのは私だけ?ましてや人それぞれの想い出が詰まっている食卓のある風景。食べることは生きること‥見守る家族もきっと嬉しいはずです。私達の好きな「プロシュート・デ・メローネ」サルデーニャ島で食べたものです。ところで、最後のとき、私は何にしようかな?その時はきっと、食欲もあまりないと思うから‥イタリアに行ったとき毎日のように食べていた生ハムとメロンあたりかな。(イタリアではスーパーで驚くほど安く買えました)それに美味しいワインと焼き立てのパンがあれば大満足です。私が愛するウチの裏山「弘法山」を眺めながら‥お知らせです。 今年もまた、恒例の「葦牙」を発刊しました! ●葦牙 第39号(2013.7) 特集◆総選挙後の日本を考える [単行本]よかったら、リミンの今年の作品、読んで下さいね。(アマゾンでも扱っております)
2013年08月21日
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赤紫蘇の葉‥梅干しを漬けるときに使います。(撮影協力:秦野/川口商店)梅を、梅干しや梅酒に加工するのが「梅仕事」です。季語にもなっている季節感あふれる、昔ながらの素敵な言葉です。この梅仕事の副産物ともいえる梅酢に、蜂蜜などで甘味をつけたものを毎日一杯ごくごく飲むと、夏バテに劇的に効くそうですよ。梅干作りまでいかなくても、手軽にトライしやすいのが、ホワイトリカーと氷砂糖と一緒に漬ける梅酒や梅シロップでもいいですね。・簡単シロップを作るコツは、1、1日冷凍してから漬ける2、大粒のロック氷砂糖を使う‥浸透圧が上がって梅エキスが出やすくなります。ポイントを押さえれば1週間くらいで、失敗なく出来るらしいです。赤紫蘇の葉を梅酢に漬けたもの。(撮影協力:秦野/川口商店)梅仕事の副産物には, 梅酢の他に,赤紫蘇(ゆかり)が出来ます。ゆかりは干した赤紫蘇を粉にしたものです。御飯にふりかけたり、和え物に入れたり、料理の仕上げ等 色々に使えます。そうそう、昨年、秦野にいらしたスローフードベルリンのマルティーナさんが焼いた「ゆかりのパン」を覚えていらっしゃいますか?「リミンの里山セット」がこんなにお洒落に変身するなんて!と感激したものでした。忙しい毎日の中で、ひと手間かけるだけでも、創造の楽しさがありますね。 梅雨の合い間に、晴れの日が3日間続く時を選んで干します。(撮影協力:秦野/川口商店)●面白い本を見つけました。【百年の梅仕事】筑摩書房 料亭「辻留」の店主・辻嘉一の下で働き、百年前の梅干しを譲り受けて「梅仕事」に魅入られた。やがて梅干し作りの名人となった乗松祥子が語る、梅の効用、梅干し作りの極意。そして「辻留流」人の育て方。現在は梅を扱う会社「延楽梅花堂」を経営している。どんなことでも極めれば力になるんですね!
2013年08月09日
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石垣山一夜城から小田原市内を望む‥天気の良い日は海が見えます天下の豊臣軍にケンカを売ったでくのぼうがいた。『のぼうの城』大ベストセラー奇跡の映画化で大ヒット! 天下統一目前の豊臣秀吉は、関東最大の勢力北条氏の小田原城を落城させんとしていた。三成率いる2万超の軍勢に、農民らを含めても3千強の成田勢、北条氏政は関東各地の支城の城主に籠城に参加するよう通達した。支城の一つであった武蔵国(埼玉県)「忍城」は湖と田に囲まれた田舎城だが、難攻不落の“浮城”としても知られていた。わずか500人の兵隊で2万人もの敵に戦いを挑んだ“のぼう様”総大将たる成田長親は、将に求められる武勇も智謀も持たない、その名の通り「でくのぼうのような男」だ。しかし、この男には、ただ一つ、他人に好かれる才能、特に農民に好かれる異常なほどの「人気」があった。これは、その「忍城」の武将・成田長親の物語である。石垣山一夜城‥豊臣秀吉が北条氏の小田原城を攻略した際、築いた本陣『のぼうの城』の映画はまだ観ていないけれどちょうど本を読んだばかりだったので、一時帰国中のウチの彼に小田原の一夜城に連れて行ってもらいました。小田原城・北条家の夢の跡一夜城伝説‥小田原城からは見えないように木の陰で密かに築城をし、夜のうちに木を切り倒して、あたかも一夜で城が出来たように北条氏に見せつけたと言われます。一夜で、突如、現れた城を見た北条氏は、秀吉の神業に驚き、降伏を決断したという話です。左奥の後方に見えるのが、森に囲まれた小田原城の天守閣現在の一夜城は「一夜城ヨロイヅカ・ファーム」もあり、我が家から一時間ほど。ちょうどいいドライヴコースで、ハイキングコースやピクニックする広場もあって、パティシエ・鎧塚俊彦さんのパンやケーキも売っていました。天気の良い日は、一日中、楽しめそうなところでした。天下の秀吉も、現在のお土産まで売っている様子を聞いたら、さぞや驚くでしょうね‥。というわけで、「日本の歴史」と「ウチのご飯」を堪能しくつして、彼は、再びインドへ出発いたしました。あ、もちろん二人で選挙の期日前投票には行って参りました!
2013年07月17日
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〈まちのたからアドベンチャーパーク〉のお知らせ!主催:公益社団法人・秦野青年会議所後援:秦野市 秦野市教員委員会協力:秦野観光協会 秦野市森林組合 その他●今年の春に開催したベルマーレ・親子サッカー教室+食育クイズに続いて、またまたスローフード秦野に面白そうな夏の企画の協力依頼がありました。スローフード秦野は、まちのたからの飲食ブースに参加します。「秦野アイス工房のジェラート」(スローフード秦野会員)に協力をお願いして、私の本にも登場する「私の贈りたい・ベスト3」第一位に輝いたあのジェラートが登場します!●スローフード秦野会員の「Onda cucin italiana」で食事会をやりました。春に開催したイベント「お親子サッカー+食育クイズ」の打上げを兼ねた反省会のランチです。オーナーシェフ・バトリさんの料理は、思わず歓声を上げるような繊細な仕事がしてあって一皿一皿、感動ものでした。反省会のはずなのに、みんな、あまりものもいわずに夢中で食べていたような気がしないでも‥(笑)美味しいものを食べるときって、なぜか無口になるものじゃありませんか?地元の野菜・肉、小田原港で朝一でとれた魚貝類、さすがスローフードを謳っているだけあってシェフの心意気が感じられます。今度は個人的にディナーで行ってみたいお店でした。「Onda cucin italiana」R東海道線 平塚駅 南口より徒歩3分0463-79-6311[営業時間]ランチ/11:30〜14:00 ラストオーダーディナー/18:00〜22:00 ラストオーダー[定休日] 月曜日
2013年07月06日
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「夫が滞在しているゲストハウス。レストランも三つある。大きな工場の敷地の中にあります」ウチの彼(夫)がインドから一時帰国をしています。インドの様子をレポートしてくれたので、宜しければリミンブログでご覧下さいませ。●ウチの彼のインド雑感インドでの生活は初めてでもあり、多少の興味もあったので、長期であったが仕事を請けた。場所はデカン高原の真只中にある製鉄所。「工場で働くインド人のワーカーたち」インドにはモノはあるもののアンバランスを感じる。カースト制度は残っているようだし、国、会社は官僚臭がプンプン臭う。「敷地の中には銀行や小さなスーパーも。」「日本をはじめ、ドイツ、イギリスなど大勢の技術者たちが集まっています」製鉄所からでる煤煙。黒煙をだしながら道を走るトレーラー、ダンプ、トラックに近い将来、公害発生が懸念される。製鉄所から一歩外に出ると別世界が広がる‥鈴なりのバス、定員オーバーのオートリキシャに最初は驚いた。街の中にノラのお牛さま、猪(猪豚)がいて、裸足の人間、道で寝ている人もいる。雑踏、悪路、埃、裸電球の夜店、漆黒の闇、要は何でもありの国みたいだ。だがなんとなく懐かしさを感じる。何故だろう。僕が育った小、中学校時代の日本と似てはいないか。埃をたててバスが走る。道際の家の垣根が真っ白だったあの道、あの風景だ。とすれば、この道はいつか来た道、そう思う。新興国が通らなければならない途なのだろうか。発展するとは何なのだろうか。と、フと考えてしまう。朝、近くの学校に通うリュックを背負った子供たちがいる。ホっとする情景だ‥。 (文:ウチの彼こと稔 写真:同じく稔 編集:璃々)
2013年06月22日
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私の暮らす団地下の水田風景田植えが終わった田圃の水面は、里山の情景と一緒に、人が紡ぐ暮らしも映しているようだ。遠くから聞こえるような気がするヘリコプターの音に耳を澄ましてみるけれど、風の音しか聞こえない‥。子供がいる町内の風景はなんとなく和みます。団地の広場は、放課後に寄り道して遊ぶ場所なんだけど、ここに暮らす人たちの近道にもなっている。挨拶し合って立ち話し、ベランダから洗濯ものを取り込む気配がして‥そろそろおウチに帰る時間だね。お母さんの作るご飯が待っているよ。
2013年06月11日
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