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今日は母のお迎えです。母がお留守の間、母の部屋や机を占領して私の物が大広がり。朝から猛ダッシュで片付けを済ませ大掃除。午後から雨の中母の施設にお迎えに行ってきました。「どんな顔して迎えてくれるだろう・・・」とワクワクさせて車を走らせました。家を出たのはいいが・・・大渋滞。「何これ!」状態。我が家の近所に大型ショッピングセンターがあってその周辺は車で溢れる。ここはご近所の知恵。早速Uターンをして裏道に。回り道をして正解。 ショッピングセンターへの列は四方八方車が長蛇の列。........時間を取り戻すまでもなく私は空いた道を急いだ。 施設に着いて職員の方に挨拶を済ませ母を待つ。職員の方に手を引かれて母はうつむきながらやって来た。 「お母さん、お久しぶり」と声をかけても軽く笑顔みせて顔をそらせる。「???? どうしたん???」 肩すかしをくらった私は心の中に淋しさが通り過ぎるのを隠せなかった。母は職員の方に椅子に座るよう勧められ椅子にちょこんと腰かけた。母の横で、職員の方から施設での母の様子が申し送られた。「今回は少しトラブルがありましたが、今までと比べるとトラブルも少なくなりました」「食事もしっかり食べられ、夜も落ち着いて眠られていました」「不穏時のお薬も使用しませんでした」と。 今回のショートステイの始まる日に職員の方から「認知症が進んでいますね」と言われていただけに私は母が過ごした様子が頭の中でうずまいた。 心なしか勢いがなくなった感じがする母の顔を見ていると不覚にも涙が。下を向いて大人しくじっとしている母の椅子に手をかけて「お母さん」と声をかけたが母はびっくりして私から身をさける。そのあり様(よう)にひるんだ私は思いっきり笑顔をみせて「お母さん、一緒に帰ろうね」と母の顔を覗き込む。母は声をかける私に笑いを返してくれるがまだ心を開いてくれていない。そっと母を立たせ、職員の方にご挨拶をして、見送られて施設を出ました。 ずっと、ずっと母は判らないままに1週間を過ごしたんだ・・・されるがまま、なすがまま そんな中で母は過ごしていたのか・・・ 私は一体このお留守の間何をしていたの?母がどんな気持ちで過ごしていたのか判っているの?何だか急に心がしぼんで行く自分が情けなかった。頭の中でそんな事を考えながら母の手を引き外へ出ると「あら、雨ですか? 大変ですね。 濡れませんか?」と母の声。 えぇぇぇ・・・・ やっと話してくれた! その母の口調に私の心が払しょくされた。「大丈夫よ。 濡れないように今日はすぐそばに車を止めてあるからね」 車に乗って走りだすと母は機嫌よく外を眺めている。信号待ちをしていると向こう側に自転車に乗った人をみつけて「りよえりがいる」とぽつり。「どこ? あの人りよえり? じゃあ この人だあれ?」と私を指すと「さぁあ・・・?」首をかしげながら笑ってる。 持ってきた飴玉を母の口に入れると「わぁ~おいしい!!」母はそれはそれは嬉しそうに食べていました。 家に帰って来ても今までの生活の違いは全然判りません。判らなくてもいい。 そこに母がいるだけで私には落ち着いた生活の中の一部。 母と一緒に食事を済ませ、久しぶりに食後のコーヒーを飲み母が寛いでいる間に急いでキッチンの片付けをしていました。 「もう、眠くなった。寝ようよ・・・」母が眠そうに私を呼んだ。「そうね、今日はゆっくり休もうかな」母のそばに行くと 「何だか足元が冷たいわ」と言う。さっき、トイレも済ませたのにな?と思いつつ母を見ると ズボンを脱いでタイツまで脱いでいた。 おぁぉぉ・・・ 母は先ほど排便をしたに関わらず紙パンツから漏れていた。母の足元にも、椅子の上にも、果てはストーブにも・・・。「お母さん、じっとしてて・・・今きれいにしてあげるからね」「どうかしたの? だれがしたの?」母は何がどうなっているのか判らない様子。 母の体を拭き、さっぱりした後、パジャマに着替えてベッドに。母はすぐに目を閉じてしまいました。 お母さん大丈夫だよ。ちゃ~んと私付いてるから・・・判らないなりの生活があっていい。どれだけ手が掛かっても私はお母さんのそばに居るから安心していてくださいね。 さて、明日からしっかり母を見ていないと・・・・パワー全開です!!
January 31, 2010
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今日は「朗読」のサークルの見学に行ってきました。その場に行ってびっくりしました。(どう表現したらいいのか???)おばさま方が沢山居られます。(私はもっとおばさんですが・・・そんな意味ではありません)「わぁ~ こんな雰囲気の中で私一緒に出来るのかしらん?」 不安げにする私を尻目に皆さん色々と声をかけてくださるのだが私は言われるままに動くだけ。「お茶をいれましょう。 あの方はコーヒーなの。 あの方はお茶なの・・・」「えぇぇ~??? なんで? 飲みたい人は自分で入れたら?」私は合理性のない事をする事にちょっとムッと来た。でもかいがいしくお世話する人は黙ってされている。私も仕方なくお茶を入れたり、コーヒーを入れたり、お菓子を配ったり・・・「あらあら、来たばかりの人、こき使ってごめんなさい」だって!ま、郷に入っては郷に従え・・・・と。 発声練習から始まり、手話で「ふるさと」の歌を歌ったり。その後、「源氏物語」と山本周五郎の「さぶ」を朗読練習。一人ずつ順番に読んで行く。文章の区切り位置、イントネーション、そしてアクセントのチェックが入る。大阪で生まれ育った人はなかなか言葉のアクセントの付け方が微妙に違うかして何度もチェックが入ってお直し。「源氏物語」など文語体で書かれた文章。 始める前に一度プロの方のテープを聞きそれから一人ひとり読むのだがなかなか難しい。しかし、皆さんすごくお上手でうっとりしてしまう方も居られた。 会が終わってお開きに。「朗読」って考えてみたら「音読」。脳の活性化に一番と言われている。まさに、「アンチエイジング」。 これって私にとっては一石二鳥?家でしっかり練習するように手渡された資料を母と一緒に練習しよう。母は標準語で話すので私の練習相手に丁度いい。母にとっても、いい刺激になりそうです。そんな事を考えると色んな事から副産物を授けられた気がする。本当に感謝の一言です。 お母さん、元気に過ごしていますか?私の風邪ももう少しです。お迎え行くまで穏やかな日々を守られることお祈りしています。
January 26, 2010
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先日、5ヶ月通った市の「手話講座 入門編」の講座が終わりました。ついて行くのにやっとの私でしたが周りの方々の刺激や支えがあって何とか無事終了証書まで貰う事が出来ました。次は5月から始まる「基礎編」が待っています。これは「手話通訳者」や「手話通訳士」を目指す人の為の講座でいきなりレベルが上がるので5月までの空白期間をサークル等に入って手話を忘れないように心がけてくださいと説明を受けた。 仕事を辞めたらずっと暖めていた「やりたい事」をすべてチャレンジするんだと意気込んでやり始めた事が沢山あります。 ☆バイク 「リタイア」を首を長くして待ちました。 ツーリング倶楽部に入ってお友達も増えました。 まだまだ初心者マークの私ですがバイクライフを楽しみたいです。 ☆手話、朗読、点字 これもいつかきっと自分のものにしたいと願っていました。 一度に足を突っ込むと頭が混乱すると思い最初に門を叩いたのが 「手話」でした。 そこで予期せぬ「点」と「点」が線で結ばれました。 手話に来られている中で「朗読」や「点字」のサークルに入って居られる方がいて 仲間に入れて貰う事にしました。 ☆パソコン技術の向上 パソコンと出会って私の相棒は「これだ!」と直感。 仕事に活かしたいとの思いでのめり込みました。 仕事を辞めたら今度は「楽しむ為のパソコン」をと願っていました。 HPや趣味としての写真のアルバムなどを公開出来るよう そちらも勉強したい。 で、とうとう「一眼レフカメラ」始めました。 これはお友達から格安で購入出来ると情報をもらって迷わず購入。 バイクのお伴が増え、写真をいっぱい撮ろうと楽しみにしています。 ☆ 心と体のエクササイズ タップダンスも習い始めて1年ほどですが ついて行くのに時間がかかりますが楽しい時間です。 大好きな「OLDIES」の曲に魅了されてずっと続けたいです。 ☆ 彫金アクセサリー(シルバー) 「静」の趣味として一人黙々と作品を作っていると心がとても落ち着きます。 これだけがずっとずっと在職中に暖めていたものです。母と同居するにあたって私はすべての「自分」を「母優先」の生活に切り替えました。それまで続けていたすべての事に「封印」した私。お友達と年に数回旅行する事もたまに逢って食事に行ったりすることもすべて「自分」の世界に「封印」して母との生活にどっぷりつかりました。「仕事と家」の往復だけで後は母との生活でしたが私は「今私に与えられた道」としてゆったりと母と過ごす事が出来ました。中途半端に「あれもこれも」を一緒にしていたらきっと母との生活も「不完全燃焼」が発生して「母が居るから出来ない」と愚痴っていたかも知れません。元来、一つの事にのめり込むタイプの私にとってはまさしく「母との生活」にのめり込んだのかも知れません。 ただ、仕事を辞めて「自分の世界」を広げて感じた事は色んな所で周りはみんな若い方なので年齢を感じ「もっと早くに色んな事をしとけば良かった」との戸惑い。何にもしてこなかった10年の歳月のブランクをひしと感じたのでした。「これからの10年、はてさて自分にどう積み上げていけるのだろうか」「70代の自分が成し遂げているのだろうか」とても不安になりました。でも、私の姉達はすでに70代です。姉達はとても元気で色んな事をまだまだ楽しんでいる姿を見ると私なんかまだまだ若いのにじっとして居れないと勇気づけられます。 全ての事がこれからですがこれからの私の「ライフワーク」として楽しみながら続けていければと思います。お伽噺の中で「うさぎとカメ」のお話のようにカメが勝つ事だってある。ノロノロとゆっくりかも知れないけど積み重ねて行きたいと心に秘めています。 日野原重明さんが「生涯現役」と98歳のご高齢でありながらDrを続けられている。私も「生涯現役」として自分の生活の一部を何かのお役に立てればと「やりたかった事」を続け、励みたいと思います。 これが私の新しい「相棒」です! 腕をあげていつか写真ご披露出来たらいいな・・・
January 25, 2010
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今日から1週間、母はショートステイです。6時過ぎに母の部屋の暖房を入れようと母の部屋にそっと忍びこむ。母はすでに目覚めていてベッドのそばには紙パンツが脱ぎ棄ててありパジャマの上も半分脱ぎかけていてその姿を見てギョッとした。「遅かった・・・」内心つぶやきながら母の紙パンツを拾いベッドを確認。たっぷり膨らんだ紙パンツ。これなら出てしまった後か・・・母のパジャマをもう一度着せ替えてトイレへ。新しい紙パンツに着替えパジャマを着せようかと思ったがどうも母はしっかり目覚めている様子なのでそのまま起こすことにした。 母は何にも言わない。 されるがままにしている。「お母さん、もう起きる? 洋服に着替えようか?」「はい」 言葉少なげに母は頷いた。 今日はショートステイに行くので時間はいつもより遅い出発。時間はたっぷりある。 時間調整をして母の気持ちを整えなければ。着替えや部屋の片づけをした後、母を待たせ急いで食事の用意をする。 食事の支度をし母をやっとテーブルに座らせた。「わぁ~ おいしそう! 食べてもいいの?」母のこれが出たらしめたもの。「お待たせしたね。 ゆっくり食べてね」母は嬉しそうに食べ始めた。少しずつだが母は自分で食べてくれている。様子を見ながら食後のデザート、食後のコーヒーを用意してそばについた。「お母さん、今日からショートステイよ。私の風邪うつらないうちに ショートがあって良かった。暫くお別れだけど元気で過ごしてね」母が理解する訳はないけど私は母にそう言葉をかけずには居れなかった。ずっと落ち着かなくてずっと家の中を動き回り、かみ合わない会話が続いていた母。 風邪をひいてしまって体は普通に戻ったが、咳と鼻声がまだ続いている私。タイミング良くショートがあって良かったと思った。咳が出だすと止まらない位にせき込んでいたので母は「避難」の意味でも暖かい施設で過ごした方が母には良い。 そんな事を思いながら母の食事を済ませた。食後のデザート、コーヒーもゆったり流したがまだまだたっぷり時間がある。「お母さん、ちょっと洗濯物を干してくるから待っててね」外へ出て行かないようにしっかり戸を開けられないように止めて上に上がる。「お母さん、ちょっとJOYの散歩に行ってくるから待っててね」今度は母がずっと座って待って居れるように母のそばに袋入りのおせんべいを。(これなら開けるまでに時間がかかるだろう・・・)計算通り、戻ると母はまだおせんべいを食べている所だった。 なんだかんだと時間を延してやっとそろそろ出かけてもいい時間。「お母さん、そろそろ出掛けようか? その前にトイレに行こうか?」そう言って母をトイレに誘導する。「トイレですか? あの方は行ってしまわれたのですか?」「???? そうね先に行ってもらいましたよ」「いいんですか? ※□▼#×**△@@・・・・」 (判りません・・・)便座に座らせたが母はどうも尿意は無い様子。「お母さん、出ないみたいね。これで拭いてくれる?」トイレットペーパーを母に渡すといきなり顔を拭き、体中を拭き出した。思わず噴き出してしまった私につられて母も大きな声で笑い出す。暫く母の笑いを繰り返さそうともう一度オーバーに笑って見せる。「いや~ねぇ。何がそんなに可笑しいの?」と言いながら母も大声で笑ってる。 よしよし、これで母の気持ちを上げられた・・・。 母を車に乗せて一路施設へ。 小1時間程のドライブ。車の中の音楽に合わせて母もリズムに合わせて手拍子してる。「今日は調子よくスタート切りそうだ」そう思うと私も心が軽くなった。 施設に着き、職員の方に迎えられバイタルチェック。検温、OK。 血圧計を腕に取り付けられたが手を握られているのに母が動き回すので何回図っても170を超えてしまう。「お母さん、一度深呼吸してみましょう」職員の方が母に声をかけられた。(そんな事母が理解出来ますか?)母はにこやかな顔で職員の方に頷く。「お母さん、一度大きく息を吸って」職員の方は母に色々声を掛けられるが母は判っていないし職員の方に「あらいいお洋服の色ですね、とってもお似合いよ」「おにいさん、この前の時と全然顔が違って今日はとってもいい顔してる」もうチンプンカンプンなのか人をからかっているのか判らない会話。やっとの事で血圧測定を終わらせその後の様子を聞いて来られた。私は母が落ち着かない事や会話が成り立っていない事等を告げると「そうですね。回を重ねる毎に症状が進まれているのを感じます」と言われショートでの母の様子を話された。 バイタルチェックが終わり着替え室へ。着て来たものを全部脱ぎ施設の衣服と着替えるのだが母はここでも着替えに一苦労。職員の方と私とで何とか母の着替えを済ませ職員の方が 「それじゃ、娘さんにさよならそましょうか」と声を掛けられたが急いで職員の方の声を小声で制した。「母にはNGです。そっと母が気がつかないように母を連れて行ってください 私はここで失礼しますので」そう言って母と私は背中を向け合って別れました。 「認知症が進んでいますね」その言葉が私の心に重くのしかかる。「そうなんだ。 先生も仰っていた。 もう重度の中ほどまで来てるって言われたのは去年の夏前。 どんどん判らなくなりますよ。 施設の申し込みは済まれていますか?」 すっかり忘れていた母の進行度。仕事に行っていた時は「まだ大丈夫、まだ頑張れる」と自分の事を考えて母を見ていた。それが、仕事を辞めてからは母の事「こんなもの・・・」としか捉えてなかった。 落ち着かない、動き回る、不可解な言動 全てが進行度を物語っているのに。「おかしいなぁ~」と思いつつも様子をみようとしか考えていなかった。母の進行と共に自分が母に追い付いていなかった事を認識させられた一言だった。 お母さん、ごめんね。お母さんの心に寄り添えてなかったのかもしれないね。もう一度しっかり頭に入れ直して帰りを待っていますね。そして、風邪をすっかり治して元気に迎えに行くからね。それまで お母さん、元気でいてくださいね。
January 23, 2010
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今日は朝から調子が悪い私。二男と母を送り出して昨日泊ってくれた姉も帰ってしまった後、「今日は一日充電しよう」と決め込んで横になった。外はとってもいいお天気。 暖かそう。走りたい(バイク)気持ちをぐっと胸に押し込んで本を読みながらウトウト。「こんなお天気に勿体ない。起きなければ・・・」と自分に勢いつけるも睡魔がそれを打ち消すように襲ってくる。どうした事かどうも風邪気味で咳は出る、鼻水は出るで頭がボーッとする。「ダメだこりゃ! 早く直さなければ・・・」私が横になると我が家の老犬JOYちゃんは待ってましたとばかりにへばりつく。とうとう一日JOYちゃんと一緒にこん睡状態のまま眠り姫と化した私でした。 タイムリミット。 母のお帰りのチャイムが鳴って急いで表へ出た。今日はすんなり車から降りた母。 降りるや否や「私、トイレに行きたいの」慌てて母の手を引いて家に入ろうとすると「私はこんな気持ちの悪い所にはよう入りません」と玄関先で足踏み状態。「トイレに行きたかったんじゃないの? 早くしないと・・・」それでも母は突っ立ったまま動こうとしない。「ほら、早くしないと・・・」母の手を強引に引っ張った。母のスリッパを出して 「これを履いて上がってね」と声をかけたら靴のまま上がってしまった。母の靴を脱がせ、スリッパに履き替えトイレへ。 間に合った。 母はいつものようにテーブルに着くなり大忙し。いつもはこちらが追い付かない位に食事を始めるのにどうした事かテーブルに並べられた食事をあっちにやったりこっちへやったり。「お母さん、ほら、お箸をもって食べないと・・」やっと母は食べる事に夢中になった。頭がボーッとして母の事と食事の用意の手順が合わない私。母のする様子を見る事がみんな後手後手にまわっている。注意力も何もない中、母は落ち着かない様子で食べながらテーブルの物を相変わらずあっちへやたっりこっちへやったり。挙句の果てにとうとうお皿の物をぐちゃぐちゃにやってくれました。 頭が回転しない私はそれを見ながら「あぁ~ でもあの勢いならそれもみんな食べてしまうだろう・・・」と静観していた。完食しました。 テーブルの上の物を次から次へと手を延し口に入れるので母の部屋へ移動。母の部屋に入ると今度は部屋中のものを片っ端から触ってる。「これはちょっと多動症かなぁ?」 何が母をこうさせる? 散々動き回った後、母は「あ~しんど!」とため息。(ちょっとは落ち着いたら?)「あ~しんど」 母の口からこの所ちょくちょく聞く言葉だ。いつ心不全が怒ってもおかしくない心臓である。かかりつけの内科の先生が「しんどい」と口にしませんか?といつも聞かれるのに母は余程の事がない限り口にしなかったのに。 気になるなぁ。しかし、母の御歳は96歳。私が風邪をひいている場合じゃありません。しっかり母の健康管理しなければ2月を控えて構える私です。「お母さん、2月が来るけど行ったらダメよ!」「元気に2月をやり過ごそうね、私ちゃ~んと守るから」 (※)2月は父や姉、兄が亡くなった命日月です。 なので母はいつも「私も2月に死ぬの」と言い続けていました。 その言葉がどうしても気になって2月になると構えてしまう私です。
January 20, 2010
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昨夜早く寝入った母は案の定、朝方4時半頃目覚めた。ベッドの上でゴソゴソしている。母のする事を伺っていると・・・やはりトイレだ。体を起して母に近づくとパジャマを脱ぎ紙パンツを下ろしかけていた。「セーフ」「お母さん、トイレ? じゃトイレに行こう」と母の手を取ってトイレ誘導。危うくベッドでされる所だった。トイレを済ませ母をベッドに寝かせもうひと眠り・・・と私も横になる。 しかし、母はしっかり目が覚めてしまったようで何回も起きだす。その度に、「お母さん、まだ早いからね。もう少し休んでて・・・」と繰り返す。その後私の起床時間になって母を残してキッチンへ。母を騙しだまし7時半頃まで延し、ようやく起床。 洋服を着替える前に先ずトイレへ。どうした事か母はトイレに入るなりへっぴり腰。「ちょっと待って、まだよ」そう言いながら母の態勢を後ろ向きにして座らせようと母に「ここに座って」と便座をさしても「座って」が判らない。何度言っても判らないので無理やり腰を下ろさせようとするとガンとして力を入れて拒否。「そんな事言ったって判らない。どうしたらいいの!」と母もすごい剣幕で怒ってる。 すみませんが・・・出ているのですが・・・母のシャワーを手に受けながらやっとの思いで座らせた。 昨日の今日の私、手は母のシャワーを浴びるし、朝から手を取られるしで怒らせたらどうなる???をやってみようと意地になってしまった。 怒らせない、興奮させない、どんな時も母の気持ちを優先し決して逆らわないと母に接して来たが今朝は何だか母に無性に逆らってみたくなった。 「お母さん、何にも出来ないんだからもう少し私の言うこと素直に聞いてくれる?」「素直に聞いてるじゃない!」「そうじゃなくて・・・こうして頂戴って言われたら自分の思う通りにしなくて 言われるままに私に体をまかせて頂戴」「そんなに力を入れて私に全体重をかけて寄りかかられると身動きできないし」「本当にちっとも言うこと聞いてくれないんだから・・・」少々乱暴に母を叱り付けた私。 こんなことを言って判って貰えたら「認知症」ではありませんが・・・ 母はすっかり「自尊心」を砕かれて「そんなに怒る人のそばには居れません、私、出てく!!!」下半身丸出しのままの母。「そんな恰好で出て行ったらどうするの?風邪引くし、笑われるからね」「ほっといて!」 きびすを返し母は後ろを向いてに2歩3歩・・・「こんな恰好で出られない。パンツはどこ?」ほらごらん!!! 母の着替えを済ます頃にはもうすっかり機嫌が直り今さっきまでの事なんて全然記憶にない。ここが「認知症」のありがたい所です。 救われます。 どんなに判らなくなっても、どんなに頓珍漢して困らせても「自尊心」は残る事の意味。 介護者がどれだけ腹が立っても、どれだけ言い返したくても決して逆らわず「そうね、そうね」と接しなければならない。「自尊心」が最後まで残っているのは介護者への扱いのサインだと思う。「人をぞんざいに扱ってはならない」と言うメッセージであること。「何にも出来ないくせに、何を偉そうに」 ではなく「何も出来ない事が恥ずかしいの」と言っている事を忘れてはいけない。 お母さん今日はお母さんの「自尊心」がどれだけのものか試してみたくなりました。ごめんなさい。でも、立派に「自尊心」を出されました。最後までお母さんはお母さんらしく自分のプライド捨てないで、頑固でいていいからね。何処へ行っても負けないでいいです。介護者が律するためにも。「認知症」が決して「甘やかし」や「我がまま」では無い事私はちゃんと判ってる。 <りよえりの独り言>「プライド」が高い人ほど「認知症」になった時介護者を困らせるんじゃないかな?と言うことは・・・邪魔な「プライド」かなぐり捨てて「はい、はい、あなたのおっしゃる通りです」と柔和に歳を重ねないとえらい事になるのでは??? 私も気をつけなければ・・・お母さん、まさしくあなたは「私の道しるべ」です。
January 18, 2010
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ずっと母が穏やかに過ごし落ち着いた日々を過ごしている。今日は、母が「行かなければ・・・」 「遅刻する・・」を連発して朝から混乱する問題の「日曜日」です。 7時前母が起きだしてベッドに座り込んでさっさとパジャマを脱ぎだしている。横で寝ていた姉がそれに気付き「お母さん、トイレ? そんなん脱いだら寒いから脱がないよ」と声をかけている。母はそれでも無言で一生懸命パジャマを脱ぐのを止めない。トイレに連れて行かなければ・・・と母の手を取って脱ぎかけのパジャマを着せようとすると上から下までグッショリ。えらい濡れようだ・・・とおもむろに母の下着を覗きこんだ。大も小も完全にお済だった。母は気持ち悪くて目が覚め、脱ぎだしたのだろう。母をトイレに連れて行き体を拭く。 目覚めのスタートは大変だったがすんなり着替えを済ませ朝食に。朝食後、片付けを済ませた後、町内会で今日は「どんど焼き」があるので母と姉3人でしめ縄を持って参加する。母を散歩に連れ出すのは久しぶり。母はとっても喜んで杖をついて機嫌よく歩く。そこでお善哉をよばれました。大きなお餅が2つも入っていたのに、朝食もしっかり食べたのに姉が小さくしてくれたお餅を2つともペロリと平らげた。「わぁ~ すごい。どうなっているの。大丈夫?」と姉がびっくりするが母は涼しい顔で 「おいしかった!」と満足な笑顔。 朝の外出が効いたのか母はずっと日中ご機嫌でした。しかし、夕方からそわそわしだしゴソゴソしている。鼻歌を歌いながらキッチンへ向かった。私はまた流しのものをお水遊びみたくやりだすのだろうと母の行動に目を追わなかった。「じっとしているのも退屈だろうし、好きなように洗い物してくれたらいいか・・」と。自分の手を休めず本に没頭していたらそこへ二男が仕事から帰ってきた。部屋に入るなり「わぁぁぁぁ おばあちゃんがぁぁぁ そこトイレと違うよ」と騒いでる。慌てて見に行くとキッチンに大きな水たまりが出来た上で母はチョロチョロしている。それでも私はお水でも溢したのでは・・・と半信半疑。母の恰好を見るとズボンが半分降りている。「やっぱりおしっこしたんだ・・・」「お母さん、トイレに行きたかったの? ここはトイレじゃないよ」用を済ませた母のズボンを上げようとするが上がらない。紙パンツが上がりきっていないのかとズボンを下ろして紙パンツに手を入れるとそこにはどうした事でしょう。 お鍋の蓋がしっかり入っている。これではズボンも上がりません。お鍋の蓋もちゃんと流しの下にしまってあった筈なのにどうしてそんな物をわざわざ出してご丁寧に中にいれたのか???? 母の鼻歌にすっかり気を許してしまっていた私。着替えを済ませた母。どうもスイッチが入ってしまっていました。何やら興奮状態になっている。 三角お目目が光ってる。「危ない、危ない」 そっとしておきましょう。母のそばを離れ夕食の準備に取りかかりました。 「お母さん、晩ご飯食べようよ」 声をかけても「今、これをしなければなりません。 お先にどうぞ!」 だって。 こんな時は母の気が済むまでさせておくのが一番。「母は認知症」頭の中にちゃんとインプットして母を見ているのに今日はすっかり気を許し、自分の時間を優先させた私の大失敗の巻きでした。 週末からのショートステイを控えている。風邪を引かせないように、体調崩さないように注意して穏やかな状態で迎えなければ・・・・ お母さ~ん そろそろ夕食食べようよ 待っているんだけど・・・
January 17, 2010
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母はずっと落ち着いた日々を過ごしています。お薬「ヒルナミン」を飲んでいますが少しずつ効き目の時間が遅くなってきています。眠りにつく時間と起床時間を計算して飲ませているのですが眠たくなる時間がこの所、9時、10時と遅くなっています。 今日も夕食後母は自分の机に向かって店開きをしています。色んな物を机いっぱいに広げて破ったり、たたんだり何やら切れ端の紙に書いたりと夢中です。 そばに行ってゴソゴソすると「ごめんね。まだ片付かなくて・・・」と申し訳なさそうに言う。「大丈夫よ。まだ時間は早いから。 ゆっくりしてて」 十分に自分の時間を堪能した頃愛を見計らって「そろそろ休もうか・・・」と声をかけるのですがまだまだ心残りのようです。 朝もお陰で時間ギリギリまで起きません。お迎えの車の時間が遅くなっているのが幸いしています。 以前は早くから起きてお迎えの時間までを過ごすのに大変だったのですが、それも今は食事が済んでコーヒーを飲んで準備をしている所にチャイムが鳴る。 何もかもがスムーズに流れます。母の寝る時間が遅くなった分、私は何も出来ませんがお薬を飲んでいるお陰で一旦眠ると朝までぐっすりなので母がぐっすり休んだのを見届けた後、ゆっくり片付けが出来ています。 お母さん穏やかな日々が続きます。体調も崩さず、元気に過ごしてくれているのが何よりの贈りもの お母さん、ありがとう 明日も素敵な一日を過ごそうね
January 14, 2010
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母がショートステイから戻ってから早や1週間が経ちました。お正月明けから友人の癌の手術に始まり、新年会、義兄の一周忌の記念会があったりと一週間があっと言う間に過ぎてしまいました。 友人の癌手術も成功に終わり、他に転移が見られることなく術後の経過も順調に回復に向かっているようでホッとしました。術後早々に彼女のお見舞いに尋ねましたが気丈に振る舞う健気な彼女の中に芯の強さを感じました。「病気に負けないで」 「強く生きて」と彼女を励ました私以上の「強さ」を感じずにはおれませんでした。(言葉ばかり強がり言って励ます自分の方が 実は弱かったりして・・・と恥ずかしくなりました)ブログ上で沢山の方々に彼女への励ましのメッセージを頂き彼女と共にお礼を申し上げると同時に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。 昨日は昨年の1月早々にこの世を去った義兄の記念会が姉の家でありました。午前中の礼拝に出席し、その後姉の家に親族一同が集まり牧師の司式の元に記念会を致しました。一年前の義兄の告別式が蘇り又新たな涙がこぼれてしまいましたがここでも、「強く生きなければ」と心した次第です。 その後、食事会があり歓談の時を過ごしました。すっかり昼食がずれてしまっていたので母は席に着くなりスタートです。「お母さん、まだですよ」 兄が声をかけますが「いいの、いいの。お母さんは特別よ、おいしく食べてもらって」と進めて貰いました。母に食べれるかしら・・・と私達のお料理とは別にしようかと姉は思案しましたが結局私達と一緒の物を。母はしっかり遊びだす事もなく最後まできれいに食べてくれました。普段、母の食事やする事に見慣れない者は母のする事(食べ方)に色々 「あぁぁ・・・」 「それそんな所に入れないで」 と必死になって見ていましたが私は平気。「いいの、黙って見ていてあげて。食べられない物を口にしない限り 大丈夫だから。母の好きなように機嫌よく食べて貰うのが一番よ」 そんな母の一日を見ていた親戚の人達は異口同音に「大変ねぇ」 とため息をつかれていました。でも、もう本当に大変だった時期はとっくに過ぎたんですよ。 今はずっとそばに居て目が離せず、何もかもに手がかかりますが混乱、介護拒否、暴言暴力、徘徊、幻聴、幻覚等々すべての事が一通り終わり緩やかな終焉への下り坂を下りている感じです。母と私にとっては毎日の一日一日が本当に大切な一日である事を感じるのです。 2年前にやっと「認知症」の診断を受け治療に入り色んなお薬を処方してもらう中で母に合ったお薬を見つけ出し母は穏やかに落ち着いてきています。それまでの長い母との試行錯誤の日々を思い返すと今まさに母との「完結編」を過ごしている思いがします。不安や迷いもありません。まだまだずっと母の観察?は重要なポイントになりますが、どんなに横道にそれても「全ての道はここに繋がる」を感じずにはおれません。 この度の年末年始のロングステイは母の異様な変化が見られ少々混乱気味でありましたが母への接し方もゆとりを持って母を包み込む事が出来ました。 1月に入りやっと色々あった所要が全て終わりホッとしている所です。そして、今日は母が元気にデイサービスへ行った後、義兄の記念会に出席するために来阪していた兄達家族を続いて見送った後、心新たにブログを更新する事ができました。 1年振りのレイアウト変更に頭が混乱して何をどうすればいいのかとたっぷり時間がかかりましたが中途半端ながらも一応UPです。そろそろ、本格的に今年の自分の目標に向かって進みたいと思います。自分をしっかり持たないとすぐに「甘い道」に流れそうな気がしますが・・・。 「死んで終わるものではない」しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救世主イエス・キリストのこられるのをわたしたちは待ちのぞんでいる。かれらは、万物をご自身に従わせるうる力の働きによってわたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えさせてくださるであろう。ピリピ人への手紙 第3章20~21節<義兄 記念会での聖句より>
January 11, 2010
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今日から母はデイサービスへ。昨夜早くにベッドに入ったのですが、なかなか寝付けず今日は7時になっても起きません。 朝を告げるべく母の部屋の障子を開けて様子を見る事にしました。7時半近くになってそろそろ起こさなければと母の部屋を覗くと丁度タイミング良く、母がベッドから起き上がった所でした。「おはよう! 目が覚めた?」 母に声をかけながら近寄ると母はキョトンとして怪訝な顔で私を見ています。ショートで過ごしたいつもの朝と違う事に戸惑った様子です。母の顔を見るとちょっとヤバい状態です。下手をするとスイッチが入ってしまう顔つきです。すかさず 「お母さん、着替える前にちょっと寒いけどトイレに行きましょう」何だかんだとチンプンカンプンな事を言っていますがこちらの誘導にのせてしまうのが一番。スムーズにトイレを済ませ部屋に戻って着替えを済ます。 母の着替えをしながら「やっぱり母はちゃんと判っている」 そう感じるのでした。 認知症になってすでに色んな事が判らなくなっているが昨日のショートからの帰りの車中の喜び方等を感じるにつけこうして何かが「違う」を母が感じている事に私は大事にしたいと思いました。少しの、僅かなことであろうともそこから母の「生」に対しての息吹と捉えたい。そう思うと何だか嬉しくなって母にもっともっと、話しかければ何かが芽生えそうとそんな気がしました。 今日は姉が誘ってくれる「夕食会」。母の帰りを待って娘達家族と一緒に出かけました。いつもなら母が帰って来ると即食事なので外食となるとどうなるかと心配しましたが席に着くなり先ず母の物をオーダー。ワイワイガヤガヤしている間に母のが先にテーブルへ。これまた正解!!! 母は待ちきれんばかりの勢いで食べ始めました。後に続いて私達の物が来る度に母の手は伸びます。姉と二人は目を見張ってその食欲に驚きながらも 「すごいねぇ~」「これだけしっかり食べてくれるお陰よ。元気なのは・・・」と頷き合いました。今日も楽しく「夕食会」がお開きとなりました。 お姉さんありがと! ご馳走さまでした!母は今夜は少し遅めのお休みでしたが「早く休んでね おやすみなさい」そう言って眠りにつきましたお母さん明日も穏やかな目覚めでありますように おやすみなさい
January 5, 2010
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あけましておめでとうございます今年もよろしくお願いします。 今日は母がショートステイから帰って来る日です。母のお迎えに行く前にお昼に友人達との「新年会」に参加する予定をしていましたが母のお迎えの時間までに帰宅出来ない事となり断念しました。早い時間に迎えに行って母の喜ぶ顔を見たい。母は何も判らないだろうけど楽しみにしていたこの日でした。 母の施設に着き職員の方々に新年の挨拶をしていると母が職員の方に手を引かれ入ってきました。「あの人は誰?」「なんだか私に似ているわ」母は嬉しそうな顔で私を見ています。「元気に過ごせて良かった。今日はお家に帰ろうね」私は母の手を取り職員の方にお礼を言って施設をでました。 私に手を引かれて、車に乗ってもずっと、ずっと母はご機嫌です。今日は母の為に大好きなカフェオレを持参してきました。「わぁ~おいしい! 甘くてとってもおいしい」と喜ぶ母。 正解でした。車の中から外を眺め行きかう人を見つけては「あれ? やっちゃん?」 「あっ! りゅうちゃんが居る」次から次へと自分の子供達の名前を呼びます。そして次は自分の姉妹の名前まで・・・母の言葉に一つひとつ過剰表現で相槌を打つと母は喜んでいます。音楽が流れる車の中、それにもちゃんと手拍子で楽しんでいます。 「お父さんにお酒飲ませて連れて来れば良かった・・・」突然に言い出し「あかん? そんな事したら?」何の脈略もない母の言葉に「お正月だもの いいんじゃない? お酒飲んで酔っ払ったらどうする?」「うふふふ・・・」 母は嬉しそうに笑っている。 母がご機嫌で車に乗っている。随分久しぶりですが母はお家に帰る事が判っているのだと感じました。帰ってからも落ち着いて夕食を待ちました。 母に少し「お節料理」を用意し、お雑煮もお餅を小さく切って出しました。改めて二男と3人でお正月のご挨拶をして食卓を囲みました。「おばあちゃん お帰りなさい。 おめでとう」「おばあちゃん、おめでとう。みんなが今年も元気で過ごそうね」二男と私が母に言葉を添えましたが母はもう食べる事に夢中です。お節料理も、お雑煮もみんなペロリと平らげました。最後に上に羽織った上着の紐に付いたぼんぼりをお茶に浸して遊んでいます。「あっ、これこれ これはお茶に入れるものではありませんよ」慌ててデザートの梨を出したらそれも洋服に差し込もうとしている。「洋服に食べさせても食べれないから、こうして食べて」一口母の口に入れると、判ったのかみんな平らげた。食べ終えると今度は爪楊枝を洋服に差して悪戦苦闘している。「どうしたのかしら? これここに入りません」 今までにない事を沢山してくれます。母のしたい事を全部一通り見て過ごす。母は混乱する様子もなく落ち着いて穏やかです。ショートステイでずっと元気に穏やかに過ごした証しでしょう。母も私もゆったりと過ごせた年末年始のショートステイを深く感謝しました。 明日から又デイサービスに通いますが穏やかに新年のスタートです。そして、すっかり年末年始気緩めた私ですが明日から又気を引き締めて母と一緒の生活を始めたいと思います。 神様 あなたのお守りの中無事にショートステイを終えて戻りました。感謝です。 今日は一人の姉妹が病に伏せ、手術を受けましたどうかあなたの深い慰めと平安をお与えください。その姉妹と家族の上にあなたのご加護とお導きがありますように。
January 4, 2010
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