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昨日の日曜日。孫が通う小学校の運動会がありました。運動会は秋なのですが、学校の工事が始まって運動場が使えなくなるとの事で今年に限り5月となったようです。孫の小学6年生のりおちゃんは最後の運動会になります。「最後だから見にきてね」 娘と孫に言われて出かけました。 運動会が始まって何分もしないうちに「去年は車いすに乗せて母と一緒に来たっけ・・・」「あの木のそばで落ち葉をいっぱい拾って気がついたら とんでもない所にまで行ってしまって保護されたっけ・・・」次から次へとそんな事を思い出してしまって競技もそぞろに。「だめだなぁ~ 私の気持ちは限界だ。 母の所へ行ってこよう」 午前中、そんな思いで見ていたのでとうとう私の気持ちが膨らみ過ぎた。娘達と一緒にお昼を食べた後、「ごめん、やっぱりお母さん、おばあさんの顔見に行って来るわ」 娘達に断って午後から母の施設に向かいました。施設に着くと姉二人が来てくれていました。母は姉二人に手を引かれやって来ました。とってもいい顔をしていました。車いすを借りて外に散歩に出ました。施設内は緑がいっぱいです。木陰に入り、それぞれが持参したおやつを広げて一緒に食べました。 母は誰だか判りませんが家族と一緒に居ることはちゃんと判っています。そして、会話も成立しませんがいいです。母に合わせて相槌を打ったり、感嘆符を入れたり、母の言葉にうまく調子をいれるだけで十分です。 ウソであろうが、作り話であろうが、辻褄が合わなくても 母がそれで会話を続けてくれたら・・・・笑ってくれたらそれだけでも何だか心が通じた感じになって母の心もきっと満たされるよね。 おやつを食べたり、母が落ち葉を拾ったりした後、又施設に戻って過ごしました。 姉達が私に先に帰れと言います。「みんなが一斉に帰ると淋しくなるからりよえりから先に帰って。 どうせ、あなたが残ると又悲しくなってしまうだろうし、見送ってあげるから・・・」「私はいいよ。 夕食もつきあってもいい位に思って出て来たし」姉達と「先に帰って」と譲り合いになりましたが、結局私が先に帰る事になりました。 施設内は日曜日の事もあってか沢山の家族の方が来られていました。ショートステイの間の面会は初めてだったのですが、姉達が先に来てくれていたお陰で母がぽつんと椅子に座って居る所ではなくいい顔をしてくれている状態で逢えたのも良かったと思いました。 もう後、一週間お母さん元気に過ごしてくださいね。何かが抜けた感じで落ち着かない日々を過ごしていますがお家に帰って来る日を楽しみにしていますね
May 31, 2010
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特養の電話から沢山の方々の心を痛め、悩ませてしまいました。私の為にこんなにも沢山の方が暖かいお気持ちを向けて下さることに心を熱くした私です。 やっと、自分なりの考えがまとまり答を見出しました。ずっと涙がこぼれ涙は枯れません。何度も何度も施設の方、ケアマネさんと話しをさせて貰いました。泣いてばかりいる私を支え続けてくださいました。私の答が母にとって心地よい選択なのかはまだ判りません。しかし、言える事は私が納得し、より一層母に愛を込めて母を丸ごと守り、支える事が出来ると言う事に確信を持ってこれからを歩む事が出来ると信じています。 過日の日記の中にセメント太郎さんがコメントを下さっています。 特養の順番が来るなんてラッキーよ。 待機してる人が山ほどいて、きっとりよえりさんと同じように、 順番が来るわけない・・・と思ってる家族がほとんど。 確かにその通りだと思いました。特養の待機者は100人とも200人待ちとも言われています。現に私も申し込みをした時点ではそうでした。すぐにでも入所させたくて困って居られる方を思うと私の戸惑いはきっとお叱りを受ける立場であったろうと思います。「何甘えてんだ」 「しっかりしろ!」と。 こうして涙を流し、悩み苦しんでいる間にも母は一人で前に進んでいます。判らない道を一人で・・・「母を一人にさせてはいけない。母の手を取って一緒に歩まなければ・・・」早く、早くと自分に言い聞かせながらやっと道が開かれた所です。 ★ 特養の入所を暫く待ってもらう この事は施設側から快諾を頂く事が出来ました。 今回の特養は他府県の者は入所できません。「住所を移す」が条件です。 しかし、今回色々あって入所申し込み者が大阪市であれば良いとまで 言ってくださり、大阪市在住の姉が申し込みを再度提出と言う事になりました。 ★ 第一希望である特養の順番を把握し、入所に向けてアクションを起こす 当初、特養への申し込みはここだけに絞っていました。 この4月にケアマネさんが変わられました。 その引き継ぎの中でずっと改善が見られない点を 再度当たってみようと言うことを仰ってくださり次の点を進めて下さっていました。 ◆ 日曜日の母のデイサービスを探す。 先日、何か所が連れて行ってくださって、お試しをすることが決まっています。 ◆ 第一希望の施設のショートステイを組み込む 施設側に母を知って貰う為、そして母に施設に馴染んで貰う為。 この事は今回の特養の順番が回って来た事に大きく左右する点でした。 「お母さまもこちらの施設に慣れてこられてずっと落ち着いて居られます。 これだったら特養の入所に切り替えても大丈夫なのでは・・・・」 そう言われて私はハッと気が付きました。 そうだったんだ。 第一希望の施設を申し込んだ時点でショートを組み入れるべきだった。 利便性を考えた時、第一希望のこの施設は自転車で通える施設でした。 ここなら、母に何かあっても、私に時間の余裕があればちょっとの時間でも すぐに飛んで来れる。 そして、施設的にも問題はありませんでした。 そこに気が付かなかった私の落ち度です。 母の事を思うと今現在ショートステイを利用させてもらっている 施設で特養に切り替えてもらうのが一番なのは判っているのですが 私自身の利便性や環境を考えると遠く離れた施設よりもとなってしまいます。 母には又新しい環境を強いる事になりますが、 母の様子を見ながら、不穏が続くようであれば取り止めも 仕方ないと考えています。 ★ 現在のショートステイの期間の面会を増やす 今まで母がショートステイに行っても面会はしませんでした。 母の気持ちを動揺させてはいけない、母の顔を見るのが辛い そんなこんなで中途半端に母に逢いに行くのはよそうと 私も姉達も行きませんでした。 でも、特養の入所と捉え、時間が許す限り母に逢いに行く。 その事は私自身にも「特養の入所」の位置づけを認識するためでもあります。 これだけの事しか当面は答が出ません。それをすべて理解し、判断したうえで施設の方もケアマネさんも「苦しまれましたね。 りよえりさんの答が一番なのです。 私達はそのお気持ちにそった事をサポートするのが仕事です」そう言ってくださり何とお礼を言っていいのか判りません。 母の介護を一生懸命して自分の考えは揺るがないものと思っていました。しかし、色んな事が起こると動揺し、自分を見失ってしまう。いかに漠然と、漫然に母に依存していただけの生活だったのかを思い知らされました。これからどんどん母は私達の事が判らなくなり違う世界へ入っていきますが母に寄り添って、母がどこへ行っても一緒にいるよと感じて貰えるよう変わらない愛を持って母と過ごしたいと思います。 「僕(しもべ)聞く語りたまえ」「どうか、私を試さないでください」「道を開いてくさい」「祈りは必ず聞かれる」を信じてずっと、ずっとお祈りしていました。 本当に、ブログを通し支えて下さった多くのみなさまに感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。
May 26, 2010
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母が居なくなる。特養へ入ってしまう。 答を出さなければ・・・ そんな色んな事を考えているとどんどん気持ちが塞がり鬱気味に。何もする気力も起こらなくなってしまう自分を感じて「このままだと本当にうつ病になってしまう。一度母を連れて帰ろう」 母のショートが今回は6月の頭のショートと続きになってロングステイとなったので日曜日、母の外泊の許可が出たので迎えに行きました。母はすっかり蝋人形のように生気のない疲れた顔をして椅子に座っていた。「やっぱり、ここへ来るとすぐにこんな状態になるのだ」私は内心のショックを隠しながら元気に満面の笑顔を作り母に声をかけた。「お母さん、今日は一緒にお家に帰りましょう」母は私の顔を見ずにほほ笑むだけ。声を掛けられても何をどうすればいいのか判らないのでしょう。 母を連れ帰り、私は自分が元気を取り戻し生活に張りがある事に喜びを感じた。 私には母が必要だ。そして、母もきっと私を必要としてくれている筈。 母はすっかり借りて来た猫のように黙って座っている。声をかけ、話しかけても全然他人に話している様子です。家に帰ってきたことが判りませんでした。食事をしても黙って食べますがエプロンでテーブルにのっているごはんやおかずを包んでしまったり。履いていたスリッパを抱きかかえて食事中も離しません。トイレも意思表示しなくなっています。 何もかも後退してしまっています。 「もう遅くなりました、帰らなくてはなりません。おいとま致します」母が他人行儀に私に声をかけます。 中途半端に母を連れ帰ったお返しです。 もう家も私も判りません。 「お母さん、今日はもう遅いので久しぶりに一緒にお風呂に入って泊ってください。 明日の朝、送ります」 ずっと家のお風呂に入れなかった母と久しぶりにお風呂に入りました。「とっても暖かくて気持ちいいです」そう言いながら母は長湯を楽しみました。 母はショートステイの後はぐったりするのか疲れたようにベッドに入るとすぐに寝入ってしまいます。 昨夜も朝までしっかり休みました。 夜中に目を覚ました私は余りの静けさの中、ベッドの母をじっと見つめました。全然息遣いが見えません。顔を触りました、おでこを触ってみました。 氷のように冷たくなっています。「ちょっとまって、お母さん どうしたの?」 慌てました。ベッドの中に手を入れてやっと安心。 手を握ると暖かい。ホッとしました。 今日は、施設で散髪がある日だったので早い目に戻らなくてはなりません。朝食を済ませ大雨の中母を施設に送りました。 施設に着くと職員の方がそれぞれ母の顔を見ると「おかえりなさい」と声をかけてくださいます。母は又施設の洋服に着替えて職員の方に手を引かれて私の前から去って行きました。今までだったら、私が何処かに行ってしまわないかと私から離れなかったのに。 母の中にはもう昨日の外泊も私のことも頭の中にはありません。施設での生活になってしまう。この現実を私はどう受け止め、抱えていけばいいのでしょうか。それはあまりにも辛い現実を飲み込まなければならない。例え、私自身の生活を全て母の施設の生活に合わせてももう私の手の届かない所に居る母を母として受け止められるのか。 デイサービスやショートステイをしながら今まで通り母を家で介護を続けることは無理なのか。 堂々巡りの毎日です。 先日、ケアマネさんと色々相談した中で見落とした部分があった。今まで何故、それに気がつかずそうしてこなかったのか?が浮上してきている。どんな答にしろ、主たる介護者である私自身が答を出さなければならない。母にとって最良の答が出る事を祈りながら今日も無い知恵振り絞ってます。 見落とした部分、それが解決の糸口になれば・・・・ お母さん今回のショートは特養の練習です姉妹がこれから施設に通います どうかお母さん、忘れないでください。私達姉妹をあなたの子供達を・・・・
May 24, 2010
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昨日の夕方、母がお世話になっているショートステイの担当の方からお電話がありました。わっ!! 母の具合が悪いとの連絡か?と一瞬戸惑った。 「今、お時間いいですかぁ~?」 のんびりした様子の声に安堵を感じながら「はい 母に何かありましたか?」と返事をすると「まだ、はっきりした事はお伝え出来ないのですが、 特養の方の空きが出ましたのでつきましてはご相談をと・・・・」 全身から血の気が引いていきます。頭の中から色んな事が消えていき、喋って居られる言葉が頭に残りません。それはまるで「うそでしょ?」 「うそでしょ?」と打ち消そうとしているかのように。どんな受け答えをしたのかさえも記憶にありません。 「とうとう順番が来てしまった・・・」 順番は母が生きている間には到底回ってこないだろうとタカをくくっていました。どうしていいのか判りません。母を最後まで看て行くのが私の役目と思っていたのに。周りの兄姉妹の心配を思うと自分だけの思いで母を施設に入れないで在宅介護を続けることは無理かもしれないと特養の申し込みをしたのは1年前。 「もし、仮に特養の順番が回ってきたら私が施設に通えばいい」と自分に言い聞かせていたが・・・・。 答が出せぬまま、今日もお電話を頂きながら取り乱してしまいました。 結局、私自身がまだまだ母に依存して生活していたこと。母が居てくれているお陰で元気を保って居れたこと。今、母が居なくなってしまうと思うと自分を見失ってしまっています。 「りよえりさん、突然の事なので仕方ない事です。 皆さん、入所が決まると戸惑われます。 そして答が出せなくなられます。 まだ時間はあります。時間をかけて考えてください。 そして、時間をかけて自然な形でりよえりさんがお母さまと 離れ離れになれるよう整えましょう」施設の方にそう言って貰って電話を切ったのですが涙がこぼれ放心状態です。一人になると何も手につきません。 在宅介護の中でも母にとっては不都合な面も多々ある。それは十分判っている。兄姉妹にも色々迷惑や心配をかけている。どんどん大変になり、自分自身の事も判っている。 けど、最後まで母を看てあげたい。 それは、無理なのか???判らないです。 出来たら、どこかに逃げたい です。何も知らないで母はショートステイを頑張ってくれてます。 お母さんどうしたらいいか判りません。辛いです。お母さんが私のそばを離れるのはこんなじゃないよ・・・
May 20, 2010
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母は17日から10日間の予定でショートステイへ行きました。やっと混乱の中にも活気が戻った感じで今月も機嫌よくショートに行くことができました。 母が居なくなって緊張が取れたのか? タガが緩んだのか・・・昨日より筋肉痛が。 先月のショートステイから帰ってから母はすっかり落ち着きを無くし排泄の意思表示もしなくなっり、介護拒否がひどい。「大変な事になってきている」と感じながら様子を見ていた。 夜の睡眠も浅くなり突然に起きて何やら騒ぎ出したり、パジャマをぬいでしまったり安定しない睡眠状態となっていた。 家に居るとじっと座っている事が出来なくてそれはまさしく「多動症」のような感じで動き回り、そこらへんの物を手当たり次第に開けたり破ってしまったり。 挙句の果てには何でも口にしてしまう。 目が離せない。「お母さん、それは食べるものではありませんよ」「お母さん、これはここへ置いておいてね」「お母さん、そろそろトイレに行ってみましょう」「お母さん、ちょっとここへ座っててね」まるで、小さい子供が何をしてくれるか判らない状態です。「お母さん・・・・」 「お母さん・・・・」 「あぁぁぁぁ・・・・」と、「お母さん」の連呼でした。そして、母も 「もぉ~ うるさいねぇ~」って返って来た言葉に思わず噴き出してしまいました。<そら、そう思うわ> こんな時は噴き出すのが一番。母もつられて笑います。 母といたちごっこになってもいい。それでも私は全ての物を母の為に隠したり、片付けたりしたくない。 子供達が叱られながら成長するように母にも叱られながらでも生活の中で過ごして貰いたい。<ちょっと疲れるけれど・・・> <ちょっと大変だけど・・・・> 色んなことをしてくれて叱られて、色んなことをして取り上げられて・・・・それでも母は同じ事を繰り返し繰り返しやってくれていました。「何でも取り上げる」と母に言われたけれど・・・トイレも何度も何度も失敗の連続でしたがようやく「あ~ トイレに行きたい!」と大騒ぎで飛んで来てくれるようになり紙パンツの中での粗相が無くなった。 兎に角大変だなぁと痛感する毎日でしたが母が何も判らなくても元気でいてくれ「生きている」を感じられるのが一番いい。私の「専任ヘルパー」の仕事もお役に立っている?。 今回は肉体疲労が溜まっているようです。身体を分解して組み立て直してボルトを締め直したい感じ。10連休、しっかり体休めます。 お母さんのお留守の間お母さんの机を借りて仕事しています。聖書や賛美歌辞書や趣味の本、算数ドリル、国語ドリル色んな物が小さい本箱に立ててあったのにすっかり無くなっています。みんな母が破いてしまってありません。 さて、今度は何を入れておこうかな?お母さん、元気でショート頑張ってね。
May 19, 2010
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5月の認知症「家族の会」が昨日あって参加してきました。今月は「介護サービスや制度の利用について」がテーマでした。その中で 「在宅介護を続けるコツは?」介護を楽にするコツがあるとすれば、それは・・・「一人でがんばりすぎないこと」これは決して介護を放棄することではなく、出来る事、やろうとしていることまで手を出さないこと。 介護者自身の生活にゆとりを持つヒント ※ 時間がかかっても、出来る事には手も口もださない。 ※ 出来ないことには手を貸す。 ※ 危険な事以外には、見て見ぬふり。 ※ 説得や訓練は時間の無駄。 ※ 他の家族も介護に巻き込む。 ※ 遠くの親戚より隣の他人。 ※ これまでの介護者の生活パターンは出来るだけ守る。 ※ 自由な時間を多く持つ。 ※ 出来るだけ多くの介護サービスや制度を利用する。 ※ 介護は生活のすべてではなく、その一部。 こんな滑り出しで病院の保健師さんから介護保険制度や介護保険施設の種類、利用の仕方、施設の説明等を話された。そのヒントの中で頷けるものが何点かあった。話の後、参加者の意見交換となりそれぞれが今の状態を話し合った。 その中でまだご主人が50代の方で「若年性痴ほう症」となり仕事を辞めて家にいるが施設を申し込むのに躊躇しているとの話。それは、歳がまだ若いし、認知症もまだ「要介護2」と言うこともありこんなに早くに施設に入れる自分が介護を放棄するようで迷っている。そして、何より施設利用料を計算して貰うと月20万円程になった。こんなでは夫を施設に入れると残った家族の生活が出来なくなる等々。やはり、どのの詰まり金銭的な問題が浮上してくる。介護度によってそのサービスを受ける基準が高くなる。だからと言ってその全てを使おうとするとやはり金銭的な問題が生じて行かせたくてもデイを受けられないとかサービスを我慢すると言う問題はちょくちょく耳にするし、我が家もこれから先少なからずひっかかって来るだろう。老老介護となると介護者が年金生活となって現役時代の収入は望めない。そう考えると、施設の利用を気兼ねなく使える身は甚だ幸せなのだとしみじみ思うことである。そんな中で経験した者やそれぞれの立場で支え合う意見が出た。減免申請をしようと言う話になって各市町村で対応が違うので調べてみる必要がある。何事も手ぐすね引いて思案するのではなく「物事はやってみないと判らない。色々やりながらダメなら止める。 行けそうなら続けて次なる手段を考える。 まだまだこれから先ではなく、これから先どうにもならなくなる前に 色んな事を進めて行きましょう」 色んな事を経験し、施設を利用されて居られる方はすっかり腰がすわり話の中身に力強い説得力があって聞いていて安心感を覚えました。同じ立場、同じ介護をする中での連帯感を感じる中でこんなにも家庭の内情をぶち明けた話が出来る事もここならではだろうなと思いながら今月も元気を貰って帰ってきました。 この4月から母の担当のケアマネージャーさんが変わりました。前任のケアマネさんも本当に良くしてくださり、いつも自転車でまめに走りまわってことあるごとに訪問下さった。出来ることなら、最後まで母の担当を・・・と願っていましたが人事異動では仕方がありません。新しい担当の方が来られ引き継ぎをと我が家に訪問された。その時にこれからの事を前任者の方の申し送りと合わせて相談しました。 ◆ 特養の入所の件 黙って待機していていいのかどうか。再度、度々プッシュする意味で 特養の方へ尋ねるべきでは?◆ 日曜日のデイサービスの受け入れ 母が日曜日デイがないと落ち着かず生活のパターンを変えない意味で 日曜日もデイを探してみる◆ 老健施設の見学 等々 今度のケアマネさんも実に手際良く物事を前に進めてくださっています。その提案の中で今日、ケアマネさんが日曜日のデイの受け入れ先が何箇所かあると言う事で早速見学に行ってきました。その1件目。とってもきれいな施設で掃除も行き届いていました。デイルームにはいると一変して何だか不穏?不快な?気持になりました。照明は間接照明にされているのか薄暗いのです。それにはめ殺しの大きなガラス張りの部屋で広々しているのにカーテンが降りているのです。午前中のまだ陽射しがやわらかいうちから。湿った空気が感じられました。それぞれが好きな所でTVを見たり、会話したりされています。が、そんな雰囲気なので全体がどうしても暗い感じに写りました。施設の中を見学させて貰い、説明を受けました。何か質問ありませんか?との問いに私は勇気を振り絞って聞いてみました。「なぜ、あんなに開放的なガラス張りなのに みんなカーテンを下ろされているのですか?暗い感じがしますが」しかし、返事が曖昧に返ってきましたので、それ以上の事は黙っていました。 「外へ出られないお年寄りには外のお天気を感じて貰う事って 情操的に大事な事と思うのですが・・・・ 今日はとってもいいお天気で気持ち良さそう。 今日は雨が降っていますね。 今日は外が寒そう・・・・。 きれいなお花が咲いてますよ・・・」いっぱい、いっぱいあります! 言ってる内に私は母の事が頭に浮かび胸が張り裂けそうになりました。 せめて、室内にいても四季折々の天候を体で自然をいっぱい感じてもらいたい。どなたも、家に居る時にカーテン下ろしたまま一日過ごしますか?障子をしめたまま一日過ごしますか?目覚めと共にカーテンなり、障子を開けて「わぁ~今日もいいお天気よ。何かいいことありそうね」等とその時、その時のお天気を見て感じた事口にして朝を迎えませんか? あぁぁぁ 私ならきっと鬱になる!私は2件目を訪問する車の中でケアマネさんに言ってしまいました。 ケアマネさんも確かに私もあの部屋に入って感じましたと。 2件目。先ほどとはうって変ってとても開放的で明るく職員の方も元気です。皆さんが大きな声でご挨拶されます。お昼時の忙しい時間帯にも関わらずにこやかに対応され、とても雰囲気の良い所でした。 窓もしっかり開けてあります。 心地よい風が入り込んでいました。そして照明の明るさが半端ではありませんでした。先ほどの所からだったので余計感じたのかも知れませんが。「ここだったらお試しで母を連れて来てみよう」と思いました。 自分が納得をする施設を選ばないといけないなと思いました。大切な人の為に
May 12, 2010
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母がへっぴり腰で 「トイレに行きたい」とやって来た。「あぁ~ もう出てるぅ・・・」 母の手を取ってトイレに誘導。いつもなら便座に座らせようとしてもなかなか「座って」が判らなくて大騒動するのに、ズボンを下ろすが早いか座るがはやいかで大慌て・・・セーフ!! 間に合いました。 朝から出かける意欲満々の母。いつものように 「遅刻する、早く出かけなければ・・・」が始まって居る。朝食の片付けや洗濯物の準備をしながら母にブレーキをかける。今日はいいタイミングで町内の美化運動で家の周りの大掃除。母を連れ出し母と一緒に掃除を始めた。母に箒をもたせたが、「こんなことしてる場合じゃない早く行こう」とせかす。「ここをちょっと掃除してからね。お迎えもまだなことだし・・・」母を巻き込んでの掃除をしていた。「あらぁ~ お母さんお元気ね。 お掃除のお手伝い頑張って」とご近所さんが声をかけてくださるが母には届かない。いつもならもうもう満面な笑顔を作ってお愛想をするのだが頭の中は「遅刻するぅ~」が一杯なのだろう。知らんふりを決め込んでいる。 私に心無い掃除を手伝わされクタクタになった母。「腰が痛くなったもうこれ位にしてお家に入ろ!」と声をかけると「あぁ~しんど」と言いながら母は黙ってお家に入りました。やっと出かける事を忘れたようです。 この所、お薬も止めて母の様子を見ているが夜の眠りも浅く、朝の目覚めもとんでもない時間に起きてしまうが母の認知症が前面に出ながらもトイレの意思表示が出るようになったし意味不明ながらも色んな訳のわからない言動も活発になっていますが意思表示をしてくれることが「これでいいんだ」と思えてとてもうれしいです。 さて、今日はデイサービスがお休みで母にとって落ち着かない「日曜日」なのだがどうなります事やら・・・ お母さん今日も一緒に頑張ろうね朝からちょっと母につられて食べ通しお腹が太いですお昼まで散歩に出かけましょうとってもいいお天気です
May 9, 2010
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不可解な言動が続き、何をしてくれるか判らない状態の中母は比較的落ち着いた日を過ごしてくれている。デイサービスへも「やっと」っと言った感がなくはない。でも、朝起きて、朝食を取り準備が整うとお出かけモードになってくれる。それだけでもありがたいと思う反面、少々胸が痛む。精一杯、デイへ通ってくれている母を思うと。 母を観察していると「排尿、排便」の意を言わなくなった。排尿ならいいのだが、排便が済んでしまっている。昨日もデイサービスで入浴中に排便があったと連絡帳に書いてあった。我が家でも湯船の中で何度かあったが「体が温まるとゆるむのかな?」と思っていたのでデイサービスでは失敗ないんだなと思っていた。 コーヒーを一緒に呑もうと母に出したら何を思ったか一生懸命エプロンのポケットに流し込んでいる。ポケットにしまっておこうと考えたのだろう。 食事中に口を拭くのにティッシュを使った。目を離した隙に母はそのティッシュをしっかり食べていた。 食事に飽きたのかテーブルの上に置いてあるあらゆるものをご飯の中に突っ込んでいる。 頂きもののおかきの缶をあけました。母に一つ、私がひとつと一緒に食べていました。そこへ、電話がなってちょっとおしゃべりに夢中になってしまった。電話を切って母のそばに行くとしっかり缶を抱えておかきを食べている。何でも黙っていると一人でみんな食べてしまいます。しっかり、「要介護5」をご披露してくれている母。でも、危険じゃない限り、目の届く範囲で母にはそのままで居てもらいたい。 母は「生きている」家庭生活の中で色んな刺激をもらって。 ショートでの所在なくうつろな顔をして焦点が定まらない目で人形のように座っていた母を見てから私は思った。元気でさえいてくれたらそれでいい。ショートと家の違い家は家なりの生活であっていい。何もかもそのままで母を見守りたい。「あぁぁぁ お母さん、あかんやんか。そんなことしたら」って言いながら・・・・
May 5, 2010
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日曜日の今日。母はたっぷりおねむでした。早い目の朝を迎え母はお目覚め。 とってもいいお天気です。窓の外の陽射しを見ながら、母を車いすに乗せてちょっとお散歩に出よう。そんは事を思いながら朝食を用意。 母と一緒にテーブルにつく。母は静かに一人でボソボソと食べ始めた。今日はデイサービスはお休みなので母のペースで好きなように食べてもらう。とっても大人しいです。あまりの静かさに私はついつい多弁に語りかけます。「お母さん、ゆっくり食べてくださいね」「はい」「お母さん、今日はとってもいいお天気です。お散歩に出ましょう」「はい」いくら話かけても返事は「はい」。食事が終わってデザートやコーヒーの用意をしている間に母はコックリ、コックリ。 まだ眠たそうです。昼間に寝て貰っては困ります。 夜又眼が冴えて寝てくれない。 「お母さん、お散歩に出ましょう」「うふふ、わたくし、出たくありませんの。ここに居ます」「とってもいいお天気よ。 ちょっとJOYの散歩につき合って」「うふふ、どうぞ行って来てくださいな。わたくし出かけられませんから」 本気で動きたくない様子。それに久々の母の敬語が出てきました。これは母の心が落ち着いてきている証拠である。「じゃ、行ってくるからね。待っててね」「はい、行ってらっしゃいませ。お願いしますね。」 散歩から帰ると母はテーブルに頭をくっつけんばかりに眠ってしまっていた。お薬が効いているのだろうか母は眠たそうにしている。ベッドに横にならせると母は目を閉じて又眠ってしまいました。 昼食に起き、その後も又スヤスヤおねむでした。寝顔を見ながら母の顔に疲労がみられ、目の周りにクマが出来ている。「疲れているんだな。 96歳だものね。 一生懸命頑張ってくれている」小さくなった体を丸めて休む母を見ながら様々な思いが・・・。 夕方、母はすっきりしたのか自分からさっさとベッドから降り、部屋を片付けようとしている。母の顔を見ると先ほどの疲れた顔がうそのように消えている。 疲れが溜まっていたのだろう。 暫くお薬を止めていたお陰か、お薬が効いて良く眠れたようです。夕食もしっかり食べました。とっても気持ちがゆったりして穏やかです。母の敬語は続いています。夕食後のひと時、母は一生懸命新聞紙を破ったり、丸めたり時には何やら意味不明な事を言っては話しかけてくれます。それに相槌を打ちながら日記書いてます。 お母さんやっと落ち着いたみたい。とっても穏やかな表情でそれが判ります。神さまがくれた「安息日」感謝です
May 2, 2010
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