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2月23日(金)主治医から連絡があり、2月19日に行なった採血の精密検査の結果、wt1の値の上昇がわずかながら認められた由。説明を受けることもかねて、予定のなかった26日に通院することになる。退院して一ヶ月ほどは元気に溢れていたが、気がつくと両足にしびれを感じるようになっていた。また、ひどく寝汗をかくようにもなった。寝汗についてネットで調べると、原因の一つに白血病が挙げられており、諸事考え合わせて、厭な予感に包まれる。3月5日(月)脚のしびれの原因を探るべく、脳脊髄穿刺を翌週12日に行うことを告げられる。3月12日(月)3月5日に行なった採血の精密検査の結果、wt1の値が1800以上に上昇していることを告げられる。標準値は50未満で、移植後1月まではそれが保たれていたが、2月で上昇傾向を示し、今回で一気に高い数値となる。ちなみに転院(2017年10月)の段階では1300。移植の意味がなくなってしまったことを、この数値は示している。再発の兆候が他にないかどうか、当日、脳脊髄穿刺に加え、急遽骨髄穿刺を行うことになる。また翌日にはPET-CT。同時に、徐々に免疫抑制剤の減少、さらには中止を進めることになる。ドナー由来の血液の免疫力に期待するのである。薬を減らした結果、GVHDであろう、皮疹に悩まされることになる。この痒みが同時にGVL効果をもたらしてくれるといいのだが。3月13日(火)諸検査の結果。血液中に芽球は認められず。また脳脊髄液にも認められず。しかし、骨髄には4.6%の存在が認められ、さらにPET-CTの結果、左骨盤や椎骨に集積が認められた。以前のwt1の値と併せ、ほぼ再発確定。移植治療を受けた者に再発が認められた場合、それなりに効果の認められているビダーザ治療を翌日から受けることになる。この間、両足のしびれは相変わらず。食欲も若干減退気味だが、これは心的要因もあるか。体調そのものは、むしろ寝汗が一時期より減ったぐらいで、決して悪くない。3月14日(水)~16(金)、19日(月)、20日(火)ビダーザ治療。皮下注射というから腕あたりにするのかと思ったら、へそ周りで少しビビる。19日から微熱傾向。20日、ビダーザを終えた後、職場での卒業式に顔を出す。ひっそりと顔を出し、ひっそりと帰宅。自分なりの一つのけじめではある。21日には、夜間だが、38度を超える。にほんブログ村
2018年04月29日
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昨日記した「退院」をもって、「当病記」は一区切りとなります。おつきあいいただいた方には感謝申し上げます。お読みいただいた方には十分おわかりだと思いますが、私の場合、移植の経過はきわめて順調でした。もちろんGVHDの症状は出ましたが、適切な処置を得て、深刻化するには至りませんでした。その結果、朝から筋トレに近い形で身体を動かしたり、午前・午後30分ずつエアロバイクを漕いだりする日々を送るようになったのですが、そんなことをする患者さんはほとんどいません。移植後の「リハビリ」の目的は、自分の脚で歩けることであり、身の回りのことを他の人の手を借りずにできるようになることなのですから。その意味で、私の「記録」は、あまり参考にはならないのではないかという思いもありました。でも、こんな風にやった人もいるんだということで、お読みいただいた方に少しでも益するところがあればいいなぁとも考え、昨日まで記してきた次第です。順調さは退院してからも変わらず、深刻なGVHDの症状が出たり、高熱を発したりすることなく、日々体力や筋力を取り戻すべく、身体を動かしていました。そうやって、マラソンに再チャレンジすることを目標として掲げていたくらいです。しかし、既に三月下旬に記したとおり、事態は一気に暗転してしまいました。今直面している状況を、どう受け止めたらいいのかよくわからないというのが正直なところです。「当病記」を記したものとして、その間の事情を、「当病記Ⅱ」としてここに記していきたいという思いはあるのですが、事態が事態なだけに、なかなかその気力が湧きません。でも、そう遠くない時期に、「当病記Ⅱ」を掲げることができたらと思っています。そのときにはまたぜひおつきあいください。にほんブログ村
2018年04月20日
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Day50輸注から50日経過。あまり実感がないなぁ。今日はスポーツ観戦三昧。T医師から、退院を視野に入れた将来の話があった。連休明けあたりが一つの目処になるかもしれない。あと一週間ということ? だとしたら、すごく嬉しいが、ぬか喜びにならないよう、体調管理にしっかり努めねばならない。Day51体調その他変わりなし。採血の結果、肝臓の数値がだいぶ好転していた。あとはサイトメガロウィルス問題。これの結果が明日出る。それ次第で、退院が見えてくる。ちょっとドキドキ。午後3時前に妻来院。Day52高校ラグビー準決勝、東福岡まさかの敗退(大阪仰星に)、桐蔭も大阪桐蔭に敗れる。後者はエアロバイクを漕ぎながら観戦したが、ラストの桐蔭の67フェーズを重ねた攻撃、それを耐え抜いた大阪桐蔭のディフェンスは、とにかく見応えがあった。凄いものを見せてもらいました。体調は悪くないが、食事後に睡魔に襲われる。夜間の睡眠が十分でないからと思うが、昨日からステロイド剤が朝1錠だけになったことも影響しているのかもしれない。こちらは順調に減っているが、マグネシウムの数値が上がらず、点滴量が倍になった。また、サイトメガロウイルス問題については、今日結果が出たはずだが、S医師と話している途中にERコールがかかってしまい、聞けずじまい。でもウイルス用の点滴が継続されているので、根治には至っていないのだろう。気長に構えていくしかない。Day53特に変化なし。いつものように過ごす。ただ、ステロイド剤減少の影響か、睡眠の質の低下が続いているからか、朝食、昼食後の眠気がどうしようもない。これを何とかクリアしたいのだが。あとは、昨日も記したように、サイトメガロウィルス問題。これがネック。しかも明後日は祝日だから、検査結果が出るのも一日ずれ込むことになる。まぁ一日二日の問題だし、明後日8日は下の娘の成人式の日だから文句を言うべきではないのだが、なまじ退院が具体的に見えてきている(と思っている)だけに、足踏み状態にちょっとなぁという思いを持ってしまう。これも慢心か。Day54特記事項なし。筋肉量測定があり、今日が最後。入院時より4kgほど筋肉量が落ちている。体重は9kg減だから、その差の5kgが謎。脂肪分だとちょっと嬉しい。先が読めない不満を言うくらいなら、今を充実させることを心がけるべき。今日から新たな睡眠導入剤を試すことにする(昨日まではアタラックスpというやつ。一旦寝ると少し効果あり)Day55ふと思い立って一時外出を申請、たやすく認められた。下の娘の成人式だが、こちらはラフな格好で会場に赴くわけにも行かないので、自宅近くで行われたラグビー部新人戦に向かう。試合は逆転負け。力としては上回るものがありそうだが、ミスが多く、まだ甘い。鍛え甲斐があるともいう。その後、家に立ち寄り、ワンコの熱烈歓迎を受け(結構恐怖)、いくつかの品を鞄に詰めて退出。帰りにスーパーに寄り買い物したのはいいのだが、手袋をなくすというボーンヘッド。久しぶりの外出、久しぶりの娑婆の空気にぼんやりしたというほかない。病院外で過ごした時間は3時間ちょっと。まぁ慣らし運転としてはいい経験だった。これからも少しずつ機会を増やすことを考えていいかもしれない。Day56いつもと同様。ただ、点滴を入れ替える必要が生じたのだけれど、いつ、誰がやってくれるかわからず、ちょっといらいら。結局、日課にしているエアロバイクを中断する羽目になり、もっといらいら。さらに夕方一時的にネット障害発生。直に修復されたが、まぁこんな日もあるさ。胸部に皮疹発生。これはGVHDだが、こうして皮膚に出るのはむしろ理想的とS医師。GVLも期待できる訳で、それが皮膚という一番処理しやすいところに出ているから。Mgの値も正常値になっていた。少しずつ、前進しているはずである。焦りは、禁物。明日から、ステロイド剤さらに半減、免疫抑制剤も減ることになった。Day57サイトメガロウイルスの数値、前々回30、前回5、今回3。なので来週には0を目指しましょうとS医師。そのS医師がまたやってきて、ウイルス対策は点滴ではなく服薬でもできるので、今週中に退院する方向で、といきなりの提案。青天の霹靂に近い。ベッド事情もあるか?上記が今日一番のニュース。これがなければ、二度目の一時外出をしたことが一番のニュースになるはずだった。築地界隈散歩と、昼飯が目的。評判の高いエビそばのお店をチョイス。有名店だが、今の自分にはちょと合わない感じ。残念。その前に波除稲荷神社に初詣。おみくじは久々の「大吉」。今年のキイワードは「勇」と神のお告げ。蛮勇をふるいますか。その後、慶應義塾発祥の地や芥川生誕の地、さらに築地本願寺に詣でて、病院に。外出時間は約80分ほど。あとは特に変化なし。お掃除の人に渡すべく、千代紙で犬だるまと百合を折る。早ければ明後日退院である。遅くとも日曜日。そして、来週月曜日には外来。だったらずっといた方が…とも思うが、ここはまぁ病院の指示に従うのみ。Day58ここに入院してから二ヶ月と二週間。遂に明日退院と決まった。輸注からまだ二ヶ月経っていない。かなり早い展開だったというべきだろう。問題はこれから。退院=100%健康、というわけではなく、入院治療が在宅治療に変わっただけ。しばらくは様子を見ながら、慎重に過ごすことにしよう。この四人部屋も、一人退院したと思ったら、すぐまた埋まってしまった。ベッド事情もあったのでは? まぁそれでも自宅に戻れるのは嬉しい。やるべきことが山積みで少々気が重いが。お掃除の人にはタイミングが合わず折り紙を渡せず。まぁ仕方がない。Day59退院当日。お世話になったお掃除の人にも、なんとか折り紙を渡すことができた。手続きを済ませ、妻も来て、簡単なオリエンテーションを受けて、午前中に退院。お世話になりました。おかげさまで殆ど不安を感じることなくこの「人体改造」ともいうべき「非血縁者間同種移植」を無事に終えることができました。不安があるとしたら、もちろん今後の生活それ自体だけれど、それ以上に、余りに順調に推移したこと。好事魔多しという言葉がある。自分の身体に声を傾けながら、慎重に暮らしていきたいと思います。前の病院、そしてこちらの病院。主治医をはじめとする諸先生方、看護師の皆さん、お掃除の人たち、皆さん、本当にお世話になりました。心から感謝申し上げます。ありがとうございました。これからは、この健康状態を長く維持することが恩返し。がんばります。にほんブログ村
2018年04月19日
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Day40「当病記」も遂に「8」に突入。10までは覚悟しておこう。体調良好、ストレスもなし。食欲旺盛。それだけに、これらがすべて「薬漬け」によって支えられていることを忘れそうである。あくまでも薬の力によってのものであって、自力によるものではない。ただ、この状態を維持し、よりよい状態に持って行くことで、自力への移行もスムースに進むものと信じている。なので、無理のない形で、できることは倦むことなく継続していこうと思う。今日から本格的にスイーツ解禁。クッキー二枚、夕食に出たケーキ。あと、チョコ数片。一気に食べると脂肪太りになるので、あくまでも慎重に。夕食、鶏モモ、チキンライス、サラダ、ケーキ、オニオンスープの「クリスマスディナー」風。満腹感あり。Day41体調その他昨日と変わらず。久々に行われた(週末にはナシ)採血の結果も概ね良好。また、白血球細胞の精密検査においても悪者は検出されなかったとS医師より。第一関門クリア、といったところか。単純に嬉しい。あとは睡眠だな。これだけ貧弱な睡眠でなおかつ元気というのは不思議であり、どこかで無理をしているのではという思いがある。この際だから、眠剤も適宜使いながら、通常の睡眠へ、さらには質のよい睡眠へと少しずつ変えていけたらと思うが、さて。Day42夜は眠くて何もできず。そのくせ、消灯時間が過ぎると、ちょっと寝て、その後眠れなくなる。一時退院の話がちらりと出る。が、今はとにかく安心して過ごせる身体作りを最優先すべき時期。来週の今日あたりに一旦帰れたら嬉しいが。Day43肝臓の数値がまた少し悪化。これまで順調に減ってきていただけに、大事を取って明日はエコー検査。また朝食抜きである。食事に関しては、今日から昼飯のみ主食を大盛りにしてもらう。糖質の摂取は肝臓に悪いのだが、体重も増やさねばならない。ちなみに体重は58キロ台に復帰。そろそろ下げ止まったものと思いたい。エアロバイクを漕ぎながら見たシルヴァン・ショメ監督のアニメ「イリュージョニスト」が素敵。色遣いがとにかく優しく、美しい。ストーリーはともかく、この色使いだけで十分に癒やされた。疲れたときに見たい作品。こういう意外な拾いものと出会わせてくれるアマゾンプライムに感謝。Day44エコー検査は結局11時過ぎ。何事もないことを祈る。採血もないので、現状把握は不可。いつもと変わらない一日。あ、そうだ、自家移植中のお隣が個室に移ったので(というか、最初から個室に入れてやれよという話)、窓側に移動。外が見えるのはいい。朝日を浴びるのが楽しみ。あとは特記すべき事なし。規律ある生活を心がけよう。Day45特記事項なし。採血があり、肝臓の数値はわずかながら好転。CRPが若干上昇傾向にあるのはなぜか。知らないうちにどこかで炎症反応が生まれているのでなければよいが。綾辻行人『十角館の殺人』読了。これが実質的なデビュー作なら、やはり見事なものである。瑕瑾はいろいろあろうが、確かな才能を感じさせる。後の成功も宜なるかな。映画は、今日から「年忘れ名作鑑賞」に入る。第一作はもちろん「ゴッドファーザー」。再見だが、だいぶ忘れている。それだけに、楽しみ。今日観たのはまだ冒頭の30分だけだが、やはり名作である。眠剤のおかげで睡眠がある程度安定してきており、それが日中の過ごし方にもいい影響を与えている。午前、午後と眠くなる時間はあり、午後は約1時間眠ってしまったが、これは体調管理の面からやむを得ないものとする。あとは、眠剤の力を借りずに睡眠をとれるかどうかだな。明日もまた規律ある生活を心がけよう。Day46朝、不注意からマグカップ(陶器製)を割ってしまった。ついていない一日。まぁこれまで順調すぎるほどに順調に来ているので、このくらいのアクセントがあった方がいいかもしれない。慢心の戒めにもなる。昨晩はあまり寝られず、朝食後と昼食後に睡眠。やはり夜の睡眠の質を上げなくてはならない。あとは特記すべき事なし。採血もないし。治療というより、リハビリ、いやトレーニングの日々。これはこれで悪くない。Day4714時頃、お向かいさんが一時帰宅。これで大部屋なのに個室状態。「ゴッドファーザー」観終える。やはり傑作。娘来る。夜は消灯時間を無視してTVを観、その傍ら、千代紙を使って「犬だるま」を大小8点ほど折り、勝手にカウンターに置かせてもらう。縁起物でもあるので、誰か持って行ってくれるかな。Day48早めに品切れになると思われた犬だるまは、一つのディスプレイとして認識されているようで、誰も持って行ってくれない。まぁ少しでもほかの患者さんたちの癒やしになってくれればそれでいい。その他はいつもと変わらず。ただ、昨晩変わった眠剤の影響か、眠くってしかたがなかった。少し身体を休めてもいいのかもしれない(半日くらい)。Day49いつものメニューを、日中に限って襲ってくる眠気を振り払いながらこなす。夜は横たわってしまったのが失敗で、何もせぬまま消灯時間を迎えた。にほんブログ村
2018年04月19日
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Day30輸注一ヶ月前からちょうど60日が経過。輸注から一ヶ月。ここまで順調な経過は予想していなかった。本当にありがたいことである。朝はいつものメニュー。スクワットを丁寧に行う。午前11時頃、エアロバイク。今日は「退院オリエンテーション」が15時過ぎからあり、妻も来訪。よって午後のエアロバイクはなし。移動図書館も利用できず。残念。オリエンテーションは、要するに退院後の注意事項の説明。2時間弱。慎重に過ごさねばならないことを改めて実感。「このくらいは大丈夫だろう」が命取りになりかねない。そうした思いをつい持ちがちなだけに、これは自戒すべきだろう。採血結果は、肝臓の値がまた少し悪化。想定の範囲内とS医師。GVHDは間違いなさそうである。深刻化しないことを。Day31いつものメニュー、いつもの展開。特に変わったことはなし。午前、午後エアロバイク。ただ午後は想定したのより看護師が早めに来てしまって、25分で終了。あと5分できっちり収まったのに。まぁたいした問題ではない。シャワーがいつもよりも一つ前の枠だったので、その分、夕方に時間をとれた。その時間で、昨日妻が持ってきてくれた再校ゲラのチェック。若干の手直しを行う。久しぶりの本格的な知的作業。やはり疲れる。採血結果は良好。ステロイドが減り、免疫抑制剤が内服に変われば、一気に展望が開けそうな気がする。もちろんリスクも大きくなるわけだが、ハイリスク・ハイリターンである。栗本に連絡。来週月曜日に会うことになる(何年ぶりだ?)食後、Y看護師を捕まえて、昨日の退院オリエンテーションの感想を伝える。こちらの感じた問題(マニュアルにすぎず、理念がない)については既に深刻な問題意識を持っていることがわかる。さすがである。こうしたかたちでコミュニケーションがとれるというのは、それなりにおもしろい経験であった。Day32朝、いつものメニュー。体重は58.0kgと最軽量記録を更新中。午前、午後、いつも通りだったが、15時過ぎに娘が来てくれた。そろそろ執筆に向けての活動を再開すべきだとは思うのだが、なかなか集中できない。週明けの課題としたい。採血結果は良好。週明けに、免疫抑制剤を内服に変えるかどうかの検討に入る由。焦るつもりはないので、これはもう医師の判断に従うのみ。夜、担当のT看護師来訪。退院後の生活について。とにかく家内のほこりやカビを撤去するが肝要、って無理だよなぁ。Day33体重57.8kg。中学生に戻った気分(うそ)。今日は意図的に「廃人の日」。明日から大部屋へと言われたこともあり、今日は個室で自堕落に過ごすと決めた。その分、明日からは節度ある時間の過ごし方を心がけるつもり(ちゃんとした睡眠がとれるかどうかにもよるが)。今度は四人部屋なので、ストレスもそれなりにありそうだが、まぁ仕方がない。数値良好。免疫抑制剤を内服に変える可能性について、T医師から話があった。午前・午後のエアロバイクはきちんと行う。改めて気づいたが、体重減少の原因は「リハビリ」のやり過ぎか? 止めるつもりはないけれど。Day34大部屋に移動。順調さの証。本日21時をもって、免疫抑制剤が内服に切り替わる。この切り替えによって、またGVHDっぽい症状が出るケースが少なくないそうな。体調管理には気をつけているつもりだが、こればかりはどうしようもないかもしれない。注意深く見守り、その都度その都度対応していくしかない。14時過ぎ、久しぶりに大学時代の友人Kと会う。来年定年の由。そうか、そういう年齢なのだ。久しぶりの大部屋ということもあり、それなりに緊張感をもって節度ある過ごし方ができたのではないかと思う。明日もこの調子で。気持ちを切らさなければ、きっと切り替えもうまくいくはず。12月19日(火)Day35なかなか眠れない。同室者も結構頻繁に起きるのでなおさらである。ただ、眠られぬまま考えるうち、「闘病」に代わる「当病」の語を得た。まさに当事者として病に向き合うことを言う。広まらないかな。採血の結果は良好で、シャワー前には一旦点滴が外れた。その後、ステロイド剤(これはいつものメニュー)に加え、サイトメガロウィルスの感染が疑われるので、それを叩く薬を投入することになり、また点滴をつながれてしまった。解放感は一瞬。こうやって一進一退を繰り返し、退院に至るのだろう。あれよあれよ、という方が怖い。映画は「黄金のアデーレ 名画の帰還」を観終える。とてもいい映画。過去ときちんと向き合う、こうした作品がなぜ日本ではできないのか。また、日本軍は中国の至宝を略奪することはなかったのか。まぁ軍隊に具眼の士がいたとは思えないが。彼我の文化の違いは、とてつもなく深い。なかば衝動的に、一眼レフカメラ購入。「当病」者へのご褒美である。Day36ちょっと「うまくいかない」ことの多かった一日。朝の、iPadの充電ケーブルの断線発覚から始まり、昼にはまさかの点滴再開。これらのうち、点滴再開は、免疫抑制剤を内服に切り替えたことにより、点滴時に確認できなかった腎臓の問題がありそうなので、念のため行うというものだった。20時には再び点滴が外れる。明日からステロイドも内服になる由。年内退院もあり? 妻に話すと、喜びよりも困惑の反応。受け入れ態勢が整っていないので、無理とのこと。物理的にはそうかもしれないが、もう少しこちらの心情を思いやってくれてもいいのではないかとちょっと不満。まぁなるようにしかならないのだが。Day37鎖骨下にずっと入れたままだったカテーテルがいきなり外された。感染予防ということがあるので、点滴から完全解放されたわけではない。なので、カテーテルを外してもらう=解放感という見込みが外れ、中途半端感あり。左腕に点滴口を入れられたが、少々痛い。昼過ぎ、教え子二人来訪。うれしいことである。それ以外はいつもの通り。12月22日(金)Day38時間の過ぎていくのが速い気がする。夜、寝付きはよかったが、0時過ぎからまた眠れなくなったので、眠剤を要請。これからしばらくは必要に応じて続けるつもり。生活のリズムの立て直しである。Mgが不足傾向にありそう、ということで、抗生剤に加えて点滴。ステロイド剤は内服に切り替わったが、なかなか点滴から解放されない。まぁ外れている時間の方が圧倒的に長い生活に入れただけでも感謝すべきだろう。明日は検査なしとか。ということは、今日と同じ点滴メニューか。朝、レッグランジと簡易腕立て伏せをメニューに追加。ハムストリングスの筋力低下は、今までノーチェックだっただけに、衝撃的。少しずつ、少しずつ。Day39いろいろあって結局眠剤も余り効果が感じられぬ一夜とはなったが、以前に比べればよほど寝ている。これを継続したい。日中は10時から3時間ほどかけて点滴(抗生剤、サイトメガロウィルス対策)があるのみ。採血すらなし。この二つが必要なし、あるいは服薬で大丈夫となれば、退院である(ホントか?)。そういえば左胸の1cmの影は大きくも小さくもなっていないとのこと。安心すべきか、嘆くべきか、迷う。何なんだ、一体。午後3時頃、友人A来訪。1時間近く話す。それ以外はいつものメニューで、やはり朝食・昼食後は強い睡魔に襲われる。夜の睡眠の質が上がれば解決しそうである。にほんブログ村
2018年04月19日
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Day20今日は下部内視鏡検査というイベントのためにだけあったような一日であった。朝は服薬。常用薬と、昨日に続いての下剤。出すたびに黄色い透明な液体に近づいている。良好。特にすることもないので、ゲーム、読書など。もちろん昼飯も抜き。呼ばれたのは15時頃。既に前処置は終わっているので、あとはまな板の上の鯉となるのみ。麻酔系は一切使わず、検査を見守る。細いカメラを使ってもらったので、負担はすくない。便意を我慢するような感じがあるだけ。素人目にも綺麗に見える。生体採取を5カ所から。S医師が付き添ってくれ、検査後、おおむね良好であると告げられる。車いすにも乗らずに助士さんに付き添ってだけもらって帰室。麻酔系を使わず、普通にしていることに、前例がないと看護師さんに驚かれる。そうなの?バランスパワーとココア、OS1ゼリーで小腹を満たす。その後さらにT医師が来て、明日、急遽マルクの実施を告げられる。明後日予定されている小腸カプセル検査と、これで重要な検査が三日続くことになる。それでも気が緩んだか、夕食(もちろん完食)にいい気になってミニカップ麺担々麺を追加。検査で傷ついているにもかかわらず、刺激の強い担々麺を食べるとは、慢心というべきであろう。反省。効果が長めに続くという眠剤(内服)を処方してもらう。久しぶりにましな睡眠が得られると良いのだが。Day21眠剤のおかげか、1時以降は割と質の良い睡眠が得られた気がする。朝は軽運動(全)。朝食も完食。10時過ぎにマルク。何度も受けているので、後半はうとうとしてしまった。その状態はその後も続き、午前中はほぼ爆睡。昨日からその兆候が見られるようになった皮膚のGVHDが、太もも前面(こちらはほぼ沈静化)に始まり、背中(肩)から腹部、今はどうやら足に出てきて、これはちょっときつい。日中は特に大きな動きなし。昼食、晩飯共に完食。Day22皮膚のGVHDなのであろう、消灯後、足先から徐々に上に上がってきて、腹部あたりで止まる。痒み甚だしく、寝るどころではなかったが、1時近くからは眠剤の力で何とか小刻みに寝ることができた。小腸カプセル検査のため、6:30には服薬。7:00内服薬とカプセル飲み込み。コードとバッテリーが鬱陶しい。朝食は抜き。全身運動は難しいので、自転車こぎ20分ほど。だいたい使い方がわかった。午前中は睡眠。小腸カプセル検査は特に違和感はないが、バッテリー(約1kg)が鬱陶しい。14:30病棟内コンサート。かつてここの「住民」だった方が、後輩のピアニストを連れて、ミニクリスマスコンサート。音は今ひとつだったが、サバイバーであることが何よりも力づけてくれる。午後はのんびり。夕方、暇つぶしに折り紙で星を折り、看護師さんからテープを分けてもらって窓に貼る。暇だね。晩飯完食。そろそろ食事を元に戻してもらうか。Day23皮膚のGVHD、落ち着く。眠剤は二種類出してもらい、1時過ぎに飲んだ方が少しは効いたかな。小腸カプセル検査も無事終了。一連の検査の結果(詳細はまだだが)、本院での治験扱いの薬、消化器に特化したステロイド錠を明日から服用することになる。全身へのステロイド投与が減る分、回復も早くなる道理だが、さて、どうなることか。睡眠の質が悪いせいか、日中、気がつくと寝ている。それでも朝はいつものメニュー、掃除時間にはエアロバイク20分。こうやって血行をよくすることが早期回復につながることを期待。食事は今日の夕食から常食に。ただし、消化器への負担を考え、1/2の分量。徐々に馴らしていかないとね。そういえば大部屋への移送を打診されてしまった。窓際は無理そう。また穴蔵暮らしか…。Day24昨晩はまたステロイド剤と眠剤の格闘が一時期あり、頭がぐちゃぐちゃになりかけた。そのことを看護師に伝えたところ、ウイルス感染の疑いがないとは言えないとのことになり、急遽腰椎穿刺。結果は来週にならないとわからないが、見たところ感染の可能性は低いだろうとS医師。念のため抗ウイルス剤の点滴も始まる。さらに、先日話の出ていたピンポイントステロイド剤(ベクロメタゾン)の投与も開始。眠剤については、精神科の医師が来てくれて、最適と思われるものを処方してくれる由。いっそ眠剤を使わないというのも手だろうから(その方が頭はクリア)、いろいろ試してみよう。午前、シーツ交換及び掃除の時間を使ってエアロバイク20分。その後は爆睡。午後3時半頃、妻来訪。いろいろ届けてくれる。昼食と夕食は完食。夕食後、T医師来訪、一次所見だが、骨髄検査の結果、白血病細胞やリンパ腫は一掃されているようだとのこと。うれしい。ありがとう、ドナーさん。あとは、なるべく胃腸に負担をかけないように食事をしっかり取り、適度に運動し、無理はしないこと。これでピンポイントステロイド剤が所定の効果を上げ、さらに睡眠の質が上がれば言うことなしだな。そうなるように、がんばろう。ちなみに、大部屋への移動は延期になった。よかった、よかった。とはいえ、一日延びただけかもしれないが。Day25さしたる変化なし。夜、新たな眠剤を出してもらったが、あえて用いず。結果、トイレに12回ほど行くことになってしまった。これはこれで結構大変。心は平和だったけれど。久しぶりに腰折れをいくつも詠む。朝、いつものメニュー。一眠りして、掃除の時間にエアロバイク20分。その後売店に買い出し。午後もすっきりせず、一眠り。その後読書。ガリガリ君付き。食事はすべて完食。刺激や変化に乏しく、だれ気味である。要反省。Day26相変わらず浅い睡眠のまま(2時過ぎに眠剤を服用、3時以降少し眠れた気がする)5時過ぎに眠るのを諦め、代わりにふと思いついてPink FloydのAtom Heart Motherを聴く。ランニングにいそしんでいた頃、まさにこの時期、冷たい空気の中、ゆっくりと夜が明けていくのを眺めながら好んで聴いていた曲だ。聴いているうちに、いろんな思いが溢れてきた。そして、涙も。涙は文字通りとめどなく流れた。まさに滂沱の涙。こんな反応が出てくるとは。でも、涙を流したことで、すっきりできた。一つの転機になるかもしれない。朝以降はいつものメニュー。10時前から1時間ほど睡眠。その後エアロバイク。売店でヤクルトと唐揚げ2個。唐揚げについてはまだ時期尚早との指導を後で看護師さんから受ける。反省。午後は読書。朝井まかて『恋歌』。その力量にただただ感服。午後は結局寝なかったな。これが今晩の睡眠に反映してくれると良いのだが。肝臓の数値が悪い。そのため明日はエコー検査。自覚症状の出にくい臓器だけに、大事ないといいなぁ。明日の朝食は検査後になるので、エネルギーを多めにと、夕食にどん兵衛ミニを食すが、全然おいしくなかった。まぁ点滴で常に空腹から遠ざかっている状態だから、何を食べてもおいしくないのだが。Day27昨日は日中ほとんど寝なかったせいか、まず最初に熟睡が訪れた。約90分。その後しばらく寝られず、眠剤服用、効果が出るのにさらに1時間近くを要したが、トイレに起きる時以外は結構深い睡眠を得られたように思う。朝は軽運動。ただこれまではどうしても無酸素運動に近づきがちだったので、今朝からやり方を変えた。肝臓数値の悪化を踏まえ、エコー検査。呼ばれたのは11時過ぎ。朝食抜きで、読書やエアロバイクで過ごす。エアロバイクは、負荷を低くし、30分。今日は映画「SING」を観ながら。午前は採血のため途中で終えざるを得なかったが、午後はきっちり。ひさしぶりに少し汗をかく。エコー検査の結果をS医師から。血流などに異状なしとのこと。数値の悪化は、投与している薬との関連が考えられると。併せて、ウイルス対策の点滴も今日で終了。徐々に減っていくのはうれしい。さらに便測も終了。あまたの拘束具が一つ一つ取り外されていく感覚。よいものである。早く全部はずれると良いというのは、気が早すぎ。食欲もちょっとずつ生まれてきているようで(朝食を抜いていたこともあるが)、昼食、夕食共に勢いを持って食べることができた。特に夕食では久しぶりに納豆をおいしく感じた。こうやって、おいしさを感じることが少しずつ増えていくといい。胃が小さくなったのか、分量的にはハーフで満たされてしまっているのだが。Day28相変わらず睡眠障害だが、眠れないことが苦痛ではなくなってきている。身体の調子も良く、夜中に不安になったのは、こんなに順調でいいのか、ということ。すぐに慢心しそうである。自戒。朝、昨日から始めた軽メニュー。太ももの衰えが著しい。午前と午後に30分のエアロバイク。軽く汗をかく。良い感じ。「SING」の続き鑑賞。採血結果の数値はすべていい方向に向かっているとS医師。食事は今日の昼食から常食に(ただし夕食は主食のみハーフ)。主菜にもよるが、何とかなりそう。少しずつ「食欲」が復活している気がする。14時前Eさん来訪、19階ラウンジで落ち合う。免疫抑制剤の交換のタイミングがうまく会わず、話せたのは30分ほどだったが、大いにリフレッシュできた。少しずつだが、「身体」を意識せずに済むようになってきている。いい兆候。それだけに、繰り返しておこう、慢心は禁物。Day29太ももが細くなるばかり。フルスクワット10×3に切り替えているが、無酸素運動になろうと、20×3くらいに戻した方がいいかもしえない。それ以外、気になるところはなし。昼食、久しぶりに米200gが出たが、難なく食することができた。午前、午後にエアロバイク30分ずつ。今日は「カンフージャングル」という映画。はた迷惑な武闘家と、無能な香港警察の話。見所はカンフーシーンのみ。まぁ暇つぶしだから良いのだが。11月分の、入院費などをインターネットバンキングで振り込み。採血の数値は良好。今日から水分補給(日に2回)と、免疫抑制剤がメインとなる(間にステロイドや、肝臓の薬が入るが)。その結果点滴交換の回数が減り、夜間の看護師の来訪を受けることがなくなった。よい変化。さらにS医師から、来週にシリンジによる免疫抑制剤を外す可能性を示唆される。もっとよい変化。それだけに、慢心は禁物。ストレス源が一つ減ったので、安らかな睡眠を期待。にほんブログ村
2018年04月18日
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Day10夜間の点滴量を減らしてもらった効果か、トイレに行く回数が1回だけ減った。眠りの浅さは相変わらずだが、少しずつまともな眠りに近づいているような気もする。朝、ちょっとだけストレッチを試みる。なんとか出来るが、後でぐったりするのが怖い。ちなみに今日は病棟を30周はしたのではないか。シーツ交換の間には踏み台昇降50回。これらも、後でそのつけが来てしまう。検査・処置関係では、朝の腕からの採血と、ヘモグロビン、血小板の輸血。いずれも若干のアレルギー反応が出たが、微少なものにとどまる。採血の結果、数値には表れないが、白血球が増えそうな兆候があるとS先生。だとしたらうれしいことである。反面、口腔内の腫れと喉の痛み(飲み込みにくさ)はほとんど変わらず。昨日の「予感」はあくまでも予感に過ぎなかったようだ。食事は三食ともなんとか完食。妻が来るはずだったが、体調不良とのこと。大事ないことを祈るしかない。Day11だる重の一日。もうちょっとシャキッとした感じで過ごせるかと思っていたのだが。午前中はほぼ横臥。午後は、メソキレセートの最後の注入もあってか、相変わらず横臥。発熱(37.6度)のおまけ付き。発熱はシャワー後解消したが、食欲は全く出ないまま、夕食は久しぶりに途中でリタイア。生着が近いのかどうか、全く実感できない。焦っても仕方がないが。にもかかわらず、退院オリエンテーションの案内あり。むなしく終わらないことを切に期待。明日は少しはまともになっているかな?Day12朝の採決の結果、17日以来0.1を続けてきた白血球数が、0.2に上昇したのが確認された。このまま生着に至るだろうとS医師。そうあってもらいたいものである。が、白血球数が上がればそれでめでたしとなるかといえば、そうは問屋が卸さない。その点で、外泊から腸のGVHDが確認されたかつての同室者さんの事例はいい教訓になる。どうすれば避けられるのかはわからないが、何事にも慎重に、無理なく過ごすことを心がけたいと思う。今日の段階では、上がってもたかだか0.1なので、それにより諸々の事態が改善に向かっているわけではない。口の中は相変わらず痛いし、ものは相変わらず飲み込みづらい。身体のだるさもそうは変わらないようである。こうやって、一進一退を繰り返していくのだろう。朝はTVでラグビー、ジャパンvsフランスを観戦。最後のコンバートをはずして23-23のドローに終わったが、大いに見応えがあり、またジャパンの手応えを感じることのできる試合であった。今期不調のフランスのショックいかばかりか。後は特に変わったことはなし。例の筋力測定があったことと、血小板の輸血があったことぐらいか。明日はもう少し楽になっているかな。過剰な期待はせずに迎えたいと思う。Day13朝の採決の結果、昨日は190止まりだった好中球数が、基準の500を超えて750にまで上昇していた。この状態があさってまでキープされれば、晴れて生着完了(今日が生着日)となる。そうなるようにしっかりと過ごしたいと思う。白血球数も昨日の0.2から0.8に上昇、そのせいだろう、口の中がだいぶ楽になった。特に飲み込みにくさは劇的と言っていいほどの変わりようで、まだ残ってはいるものの、昨日とは比べものにならない。食事はもちろん三食とも完食。が、思ったほど食欲は出ていない。むしろ胃の重さは昨日より増悪しているような気さえする。熱はほとんどないが、それでも37度台を一度は記録している。これらはたぶん「生着症候群」と呼ばれるものであり、この程度なら楽なものの部類に属するのだろう。せっかくここまで来たのだから、薬の力も借りて、とりあえずはあと二日間、がんばりたいと思う。15時過ぎにレントゲン、17時過ぎに娘来訪。買い物を依頼。あとは特に大きな出来事はなし。Day14採決結果。白血球数1.9、好中球数1740。ほぼ生着と考えられるとS医師。口内炎対応の「麻薬」の投与も止めてもらった。が、ぼんやりとした吐き気があり、食欲もあまりない。朝は久しぶりにストレッチなどの軽運動を、軽めのバージョン(スクワット30×1)でやったりしたが、その後がどうもすっきりしない。考えてみれば、ドナー由来の造血幹細胞が定着し、免疫力を上げてきているということは、その分、こちらの身体への攻撃力も増してきているということだ。GVHDか? いたずらに不安に陥っても仕方がない。とにかく、体力を少しでも回復させつつ、栄養をしっかり取り、自分の身体を「応援」することが肝要であろう。ちなみに、今日から、腸の調子を整えるのに少しは役立つかもと朝、チーズ、昼、R-1ヨーグルト、夜、ジョアかヤクルトを摂取することにした。Day15昨晩から気分が悪く、夜中には下痢も始まった。相変わらず眠りが浅い。気分の悪さは朝も続き、吐き気止めを飲んだものの軽運動をする気力は出ず。何とか気力を振り絞って朝食は完食したが、1時間ほど後に全部嘔吐。下痢も治まらず、かなりハードな体調。原因は白血球の急激な上昇にあったらしい。昨日の1.9から、今日は6.6へ。三倍以上の増加。まるでパンデミックである。好中球も、三倍以上の6230に上昇。あまりの急激な変化に、身体の方がついて行けなかったようである。なので日中は殆ど横臥。昼飯は完食、夕食は主菜を3割程度残して完食。怖いので、夜のヤクルトは自粛。20時を過ぎて、少し身体が楽になってきたように感じる。このまま順調にいってくれればいいのだが。なお今後のチェックポイントは「リンパ」の数値だとS医師。現在の所0.05あたりで推移しているが、これの数値が上昇すると、GVHDの疑いが濃くなるとのこと。注意しようがないが、無理せず過ごすことを心がけようと思う。Day16胃腸が弱っている感が強い。朝は一応ストレッチに病棟内10周の軽運動。朝は抜くか、ゼリーにするつもりだったが、ロースハムにフレッシュレタスサラダを見て思わず完食。午前中はまずまずではあったが、部屋の照明が点かなくなり、単に蛍光灯切れだと思っていたら修理が必要なレベルということで、部屋の移動を余儀なくされる。今度の部屋は窓が小さく、景色も悪い。が、レイアウトは悪くない。一長一短。まぁ眠りと食事の場所を完全に分離できるのはうれしい。CT検査の後、久しぶりに一階に降り、飲み物と唐揚げをゲット。昼はその唐揚げを含めて完食。唐揚げが悪かったわけではなかろうが、午後、体調がぐんぐん悪化し、15時過ぎには37.5度を記録。去らなる発熱を危惧して、ここに来て始めてシャワーをパス。熱は上昇を続け、20時には38度台に到達。その間、夕食は主食と茶碗蒸しとお吸い物、あとは水分だけだったのだが、食後1時間ほどで全部嘔吐。何もする気がおきない(これ記述しているのは翌日の昼間)。下痢に関してはGVHDの疑い濃厚とのことで、便量測定も始まる。とにかく、身体を休めねばならない。吐き気止めの点滴を受けながら、就寝。Day17同じようなパターン(どこぞの村落共同体の歴史を辿る的な)の夢を見て、5回ほどトイレにも行き、朝を迎える。体温は自力で(解熱剤の力を借りることなく)平熱に戻したが、だる重感は増している。5時から三度お通じ。量・内容からGVHDの疑いがさらに濃厚となり、週明けの内視鏡検査が決定。体調の悪さを見かねて、治療の方向には逆行するが、ステロイド剤の投与が始まる。朝食は意図的に牛乳・バナナ以外は食べず、カロリーメイトゼリーを食す。もちろん胃を休めるため。午前中はぐったりして何もする気が起きなかったが、病室でエコー検査を受ける。あまり状況はよくない模様。昼前からステロイドが効いてきて、久しぶりに身軽さを感じる。レントゲン撮影。ただまだ売店に行く元気はなし。昼飯は完食。午後は昨日殆どできなかったメールチェックなどして過ごす。15時半近くに妻来訪。シャワーの時間が迫っているので、慌ただしく必要書類にサインして渡しただけ。その後も軽快感は変わらず、夕食も無事完食。ただし今回から血糖値測定が始まり(ステロイド剤の影響)、まずアウト。インシュリンを打たれる。ステロイド剤の投与は、先にも触れたように治療の流れからいえば本来避けたいもののはずだが、それによって得られる軽快感はやはり貴重である。今日はたいしたことはできなかったが、せっかく得られたこの機会を少しでも有効に活用できたらと思う。Day18ステロイド剤の影響か、1時間ほど寝入った後は全く寝られなくなり、0時過ぎに眠剤(内服)を所望。当初は頭がぐちゃぐちゃになったが、直に寝入り、その後3度ほどトイレに起きたものの、わりと質の良い睡眠が得られた気がする。朝から気分も悪くなく、かつてと同じ軽運動メニューを、途中検温、採血、血圧測定などを挟んで行う。その成果もあってか、朝の血糖値は許容範囲内。朝食(チーズを加えて完食)後ほどなくしてエコー検査。「一日でこんなに変わるんだ」というつぶやきが聞こえる。もちろん好転であろうから、一人でニヤニヤする。執筆資料となる本をを椅子に座って少し読む。これは明日も続けたい。さらに腸の炎症に良いとされるココアを買いに一階へ。ついでに納豆、ガリガリ君、炭酸水、水。納豆は早速昼飯に。煮込みうどんを煮込み納豆うどんにしたが、納豆単独の方がいいかもしれない。R-1ヨーグルトも含めて完食。午後は読書。堂場瞬一「傷」読了。前半はキャラクター設定に不愉快な要素が多く、今ひとつだったが、後半になって話が動いた。午前・午後に一回ずつお通じあり。午後に行くほど「形」とまでは行かないが、「輪郭」を持ったものに変わっていた。よい兆候。シャワーを浴び、洗濯。その間、ココアを飲みながらゲームを少々。このココアが実は盲点で、夕食前の血糖値測定でアウト。夕食後にした方がよさそうだ。今日は久しぶりに日中一睡もしなかった。ステロイドの影響だが、それだけ体調は楽になっている。ただこれはあくまでも仮初めのものなので、油断は禁物。Day19昨晩は眠剤を飲んだにもかかわらずほとんど寝られず。せいぜい3時間ぐらい? 6時過ぎに排便、かわいらしいのが、ちょっとだけ。10時過ぎに再び排便、今度はどっさり。形あり。このぐらい調子が良ければ、消化器の内視鏡はナシで行ける? そんな甘い話はありません。確認のためにも重要な作業らしい。朝飯は完食。ヤクルト、チーズ付き。腸の健全化にできることはやっておきたい。昼食も完食(R-1ヨーグルト付き)した後は福岡国際マラソン観戦。大迫傑が結果を出した。薄底シューズブームに対抗する厚底の勝利(日本人1位、全体3位)は今後ランシュービジネスにどう影響するのだろう。「陸王」には直接関係ないだろうが。その後、いよいよ内視鏡検査に向けての下剤投与。経口で、スポドリ味の下剤を1時間で1リットル。そこそこ辛い。16時半ころから下剤の効果が現れ、トイレに4回。まだ残っている感があるが、夕食は完食。色が若干緑がかって見えるのは気のせいか。ステロイドがきれたのか、少々ぐったりしていたら、また夜のステロイド投与開始。今日も眠られないか? にほんブログ村
2018年04月17日
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Day0いよいよ移植当日。といっても、輸注開始は20時頃の予定なので、いつもと変わりなく過ごす。朝はいつもの軽運動メニュー。三食完食。有川浩「ヒア・カム・ザ・サン」及び藤沢周平「玄鳥」相次いで読了。昼過ぎに、妻と娘が来訪、面会室でしばし歓談。輸注時に家族揃って記念撮影というパターンもあるようだが、開始時間も遅いので、妻子は夕方には帰宅。シャワー時を浴び、一応頭髪と髭をあたる。新たな生をスタートする日なのだから、身ぎれいにできることはしておきたい。19時過ぎ、無事ドナーからの「生命の種子」が届いたとの連絡あり。アレルギー止めの点滴開始。心電図測定器装着。まもなくである。19:50輸注開始。T医師、S医師、O看護師が付きそってくれる。なぜか私の結婚記念日をめぐる話で盛り上がり、談笑の後は横臥のまま深呼吸をして過ごす。20:50輸注完了。20代のドナーさんから提供された造血幹細胞83mlが、しっかり体内に取り込まれた。いかなる働きをするか、勝負はこれからである。Day1吐き気と共に目覚めるかと思っていたが、そんなことはなく。眠りは相変わらず浅いが、それでも今朝起きたのは久しぶりに6時を過ぎていた。朝、いつもの軽運動を部屋で行い、スクワットが終わった段階で看護師登場。不整脈の疑いがあるので、今日は安静にせよとのお達し。今日一日はこの「不整脈」に振り回されることになる。朝食後まもなくレントゲン(移動時に点滴チューブが断線するおまけつき)。昼前には病室内でS医師によるエコー検査。心房細動による頻脈であり、心臓部に余計な水分がたまっているせいではないかとの診断が下り、急遽昼過ぎに利尿剤を投与される。これが奏効して、脈が落ち着いたらしい。体力のない患者だったら、今日の症状だけでも十分つらいはず、と、基礎体力を褒められる。念には念の、が基本方針の病院故、明日も関連検査が続くらしい。目立つ身体の変化はなし。食事もすべて完食。強いていえば、肛門の洗浄時の痛み、唇のぼんやりした違和感、舌両脇奥の腫れ?、両手指先の若干の違和感ぐらいか。今は下降線の時期。今日より明日が悪くなることをしっかり覚悟して過ごしていきたいと思う。Day2昨晩入れられた利尿剤のため、ほぼ1時間おきにトイレ。ぐっすり寝るとは程遠い状況。で、6時頃に一旦目が覚めたがまた寝入り、起床は7時。心拍モニターを付けていることもあって、朝の軽運動はベッド上のみ。体調、なんとなく優れない感じ。朝食は何とか完食したがもういっぱいいっぱい。時間の経過とともにシンドさが増して来、下痢も始まる。午後、優先されるべき心臓鼓動の健全化に向け、投薬及びまた利尿剤。ひと段落したところで移動図書館が来たので5冊ほど借りる(来週はお休みなので)。読めるかな。吐き気強まるが、頑張ってシャワー。その後の処置中にちょっと寒気。夕食悲惨。ビビンバだったが、食べられたのは1割ぐらいか。前処置の副作用でもあるのだろう、結構辛い。夜、37.5度を記録。新たな抗生剤投与。耐え時、頑張り時である。Day3朝から気分優れず。吐くほどではないが。胃の辺りに大きな何が居座っている感じ。点滴の水分量が上がっているせいか、利尿剤を入れられた前日と夜間のトイレ頻度はほぼ同じ。身体を動かす気力なく、起床後も結局睡眠の延長。熱は出ず、体重も減っていたのは嬉しい。朝飯はカロリーメイトゼリーの力を借りて流し込んだ感じ。三度の食事が苦痛・苦行になっている。食事について栄養士さんと相談、昼、夜を全粥に変更してもらう。あまり噛まずに食べられる由。なお一応高カロリー点滴も始まる。午前、CT撮影、午後レントゲン。3時過ぎに妻来訪。4:30シャワー。食事、シャワーなど、ルーティンを行なう前後に、気合入れタイムとぐったりタイムが生まれているのが現状。これを少しずつ何とかしていくことを、当面の課題としたい。Day4昨晩もトイレに6回。そのうち4回は下痢付き。眠りも浅く、却って体力を消耗しているような気がする。肺に微弱な違和感があるが、これは大したことはないだろう。ベッドの上で、ごく軽く身体を動かす。5分ほど。すぐにまたマグロ化。なんとなく喉の渇きを感じ、スポドリを探すも見当たらず、ドデカミンなるパワードリンクを試す。意外と美味。今日は朝の採血以外検査なし。音楽を聴きながら読書。「策謀」読了。朝食、昼食は頑張って完食。夕食は主菜を1/4残す。食事に憂鬱さを覚えるのは変わらず。食後、しばらく横たわってしまうこともまた。採血の結果、CRP数値に減少が見られた。これが傾向として確認されるようになれば、その分身体は楽になるはず。明日に期待。Day5食道から胃上部にかけての閉塞感以外は割といい感じ。ただし口内炎がいよいよ発現しそうな予感。ちなみに夜間のトイレは6回、下痢はなし。朝から気分は良かったはずなのだが、ずっとマグロ状態のまま朝飯を迎える。がんばって完食。午前は上体を起こしてネットサーフィン。昼も何とか完食。そのあと下痢。2時頃、娘二人来訪。3時過ぎから血小板輸血。アレルギー止めー睡眠ー輸血終了ーシャワーーアレルギー反応ありー再びアレルギー止めー睡眠で7時頃に寝起きの状態で夕食。さすがに完食は無理。その後また睡眠、9時を過ぎてから歯磨きなど。眠剤を入れてもらったので、またまた程なくして睡眠。Day6口内炎発生。口を大きく開けられない。両脇(ほほの内側)と左右の歯茎、それに舌先。あれだけケアしているのに、やっぱり出ちゃうのね、というのが正直なところ。食べるのに支障を来すほどではないので、薬は使わず、様子見。何となく身体が軽くなったような気が朝はしていたが、結局動けず。その状態が夕方まで続く。夜、久しぶりにブログとFBを更新。Day7今日で輸注から一週間。先週のまさに今頃(20時前)に輸注が開始されたのでした。昨晩は眠剤なしで眠りについたが、変な夢を見た。自分のプライバシーを暴露せんとする取材者相手に大立ち回り。目が覚めたときは疲労感以外に一種の爽快感もあったが、よく考えてみたらこちらの狭量さと、暴力性が露呈しただけの夢。まぁこれだけの暴力性を潜在させていることが実感できたことで、今後の治療にプラスに働くかもしれない(?) 口内炎がひどくなる一方なので、薬を入れてもらい、さらにうがい薬も処方してもらう。奏効しつつある。昼、一時的に37.5度を記録。解熱剤投与で36.6度まで降下。CRP値はまた上昇に転じてしまったが、一進一退で進むべきものだろうと勝手に納得。ヘモグロビンの輸血の後、シャワー。身体が軽く感じる。「特効野郎Aチーム THE MOVIE」鑑賞。その勢いをかって、血小板の輸血を受けながら、夕食を久々に完食(朝も完食、昼は副菜が口に合わず3割ほど残す)。夜、久しぶりにずっとパソコンに向かう。この調子なら、明日から少しずつ身体を動かし始めてもいいかもしれない。もちろん、一番慎重になるべき時機なので、無理は禁物。Day8口と喉以外はまずまず。口内炎もまぁ少しずつ慣れてきた感じ。喉の奥の腫れにより、嚥下に抵抗があるのにはなかなか慣れないが。また、夜間、唾の粘度がやたら高くなるのと、何度もトイレに起きるのにもなかなか慣れない。後者については、高カロリー点滴の量を夜間少なめにしてもらうことにした。食事に関しては久しぶりに三食完食。あまり食欲は感じないが。日中は読書に時間を割き、伊坂幸太郎『アイネクライネナハトムジーク』読了。回収しきれていないエピソードがいくつかあったのは残念。今日は下の娘の成人式前撮り@椿山荘。薄日がどう出るかわからないが、ロケーション良し、腕良し(プロのカメラマンに撮ってもらう)で、それなりに出来は期待できそうな模様。Day9昨晩から夜間の点滴量を減らしてもらったが、さしたる効果なく、トイレに起きたのは5回。6時に一旦目は覚めたが、そのまま寝てしまい、起床は7時。周回5周。朝飯完食。また周回5周。その後はマグロ化。体調は悪くないと思うのだが、今ひとつすっきりしない。口内炎、喉奥の詰まり感は相変わらず。昼飯も完食。歯磨き中に、ふと口内炎は今がピークでこれから収まっていく予感あり。ただし予感のみで、実際はどうなるかわからない。昼寝の後、TVでラグビー早慶戦観戦。前半風上にもかかわらず劣勢だったが、終了間際に大きく攻め込み、その勢いが後半で発揮された。23-21のスコアで早稲田勝利。結構しびれる試合だった。観戦後、シャワーを浴び、再びマグロ化。観戦で疲れた? あるいは体調は思っているほどには良くないのかもしれない。無理は禁物。夕食も完食。が、その後またマグロ化。気力をふるってパソコンに向かうが、まだブログを更新する元気はない。喉奥の痛みがもう少し軽減するといいのだが。こればかりは焦ってみても仕方がない。にほんブログ村
2018年04月15日
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Day-10夜は余り寝ていないような気がする。いちいち覚えていないけれど。まぁ覚えていない分、それなりに寝ているのかもしれない。朝食、昼食それぞれの後に1時間ほどの睡眠。これはもう我慢できず、といった感じだったから、やっぱり睡眠時間は不足しているんだろう。午前、ベッド周りをそれなりに丁寧に拭き掃除。午後、ラグビー、ジャパン対ワラビーズ(オーストラリア)をTV観戦。ここに来て初めてのテレビである。結果は30-65。「大敗」と書く記事が多く、確かにダブルスコアではあるけれど、後半に限れば27-28の一点差。課題がはっきりと見えた試合でもあったと思われるので、これはこれで意義のある経験になったはず。これまでいい気になって短歌を作ってきたが、そういえば江国滋の『おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒』があったことを思い出した。未読だが、もともと書き手の土台が違う。癌患者の手記はどこまでいっても個別的で、だからこそ短歌のような韻文の方が少しは普遍性を持てるのではなどと考えていた自分の思慮の浅さを改めて痛感。でもこれが今のところ一番の気分転換、精神安定剤になっているので、一時はやる気をなくしかけたが、継続するつもり。他から与えられるエンターテインメントではなかなか気が紛れず、どんなにくだらないものでも自分で書いたりしている方が気が紛れるというのは、どういう性格によるものか。その歌が、どんどん昏い方向に向かっているような気がするのは、やはり本格治療が近づいているからだろう。読書にもあまり身が入らず、読むのは専らネット上で読める漫画。執筆の仕事も見直しを怠ったままである。明日からは点滴(といっても生理食塩水だが)が始まる予定。抗がん剤の副作用予防の薬も新たに処方され、いよいよ秒読み段階である。日本シリーズもいよいよ大詰め。一生に一度見られるかどうかのカード、今日はこれからラジオ観戦するつもり。Day-9昨晩は途中意識が飛んでいるけれど、日本シリーズ中継を最後まで聴いていた。ソフトバンクの劇的な勝利で幕。よかった、よかった。結果、きちんとした就寝は23時近く。その後、うとうとー目覚めー短歌作りーうとうとはいつもと一緒。やはり睡眠時間不足は覆いがたく、日中、朝食後と昼食後にしっかり寝てしまった。下のATMに行ったが日曜でしまっていたので、水とプリンを購入。10:30過ぎに点滴をつながれる。まずカテーテル、それに慣れたら生食の点滴、それらを経て抗がん剤投与、と、段階的に進めるのがここの方針らしい。再び管付き人間に。でもまぁ、コードレスじゃないヘッドフォンを付けて動いていることと大差ないという考え方もできるのではないか? 点滴棒を引きずるのは鬱陶しいけれど。午前中、改めて「先輩」のブログを読み返す。放射線照射の有無、投与する抗がん剤の種類の多さに違いはあるが、基本的には同じ療法。大いに参考になると共に、副作用を含めた今後のありようについて、ちょっと安心する。もちろん副作用の出方はひとそれぞれだし、「先輩」はフルマッチ(非血族である点は共通)だから、あんなにうまくはいかないだろうが。目標にしたい、と思うものの、こちらの意欲や努力だけではいかんともしがたいのがもどかしいところ。詠んだ短歌をエクセルに入力。改めて読み返すと安直な歌ばかりで、自分でも厭になるが、これも一つの記録と開き直る。午後、妻と娘が面会に来てくれる。娘は約束したとおり、手作りのおかず持参。鶏チリと卵焼き。夕食時においしくいただく。何もできないと心配していた娘が、これだけちゃんと成長しているのを実感できるのはうれしい。EとLINEでやりとり。「スギマロ君」にさらに手を入れたのがきっかけ。ああいう女性と一緒になっていたら、また違う人生を歩んでいたかもしれない、とこれは単なる妄想。Day-8前処置について、メモ。昨日から新たに「イーケプラ」という薬を服用。ブスルフェクスが引き起こすかもしれないけいれんの予防のため。明日(Day-7)からDay-4まで、フルダラビン(Flu)とブスルフェクス(Bu)。手元の冊子だとブスルフェクスの投与は丸二日となっているが、それが四日。一番の副作用は吐き気らしい。これは覚悟しておかねば。フルダラビンは比較的副作用が少ないと記されているが、これもやってみなければわからない。長期にわたるしね。ちなみにFluは14時からの30分間に対して、Buは四時間おきに二時間ずつ。じわじわと効きそうである。Day-3とDay-2は、フルダラビンを継続しつつ、ブスルフェクスに替わってアルケラン(Mel)が投与される。投与時間は11時からの15分ほど。氷を用意しておくとよいらしい。ガリガリ君だな(→15時過ぎから簡単な前処置についての説明があり、自前で用意せよとのことだったので、売店でカップの氷3つとガリガリ君2個購入)。またDay-2にはGVHD予防のためサイモグロブリン(ATG)も投与される。一生に一度しか使えない薬。悪寒をはじめ、いろんな症状が出るかもしれない。10時から12時間だから、じわじわと来そうである。以上でほぼ前処置は終わり、移植前日はプログラフ(TAC)の投与のみ。移植の翌日からはメソトレキレート(MTX)が一日、二日、三日と間隔を広げながら投与され、6日後からは白血球を増やすG-CSFの投与も始まる。何はともあれ、自分の身体がよく耐えるかどうかがすべて。信じてるよ。Day-7今日から前処置開始。朝9時にシャワーを済ませ、9:45に吐き気止めを入れた後、10:00過ぎからブスルフェクスを2時間かけて注入。身体にさしたる変化なし。14時からはフルダラビンを30分かけて。こちらも変化なし。16時からBuの二回目。今のところこれらによる副作用は出ていない。この後20時、午前2時にまたブスルフェクスがあり、それがこれから先四日間続くので、蓄積されていくとどうなるかわからない。油断は禁物であるが、今日は15時過ぎにクッキー2枚とコーヒーのおやつタイムを楽しむ余裕があった。このまま行ってほしいもの。また、活動量計も前処置の開始と共に装着することになり、体内の耐性菌も消えたらしいので、病棟内の散歩も開始。今日は2000歩ちょっと。朝の軽運動を含めると数字はもう少し上がるはずなので、明日の数値を標準としていきたい。なお、明日から個室に入ることになった。ユーティリティスペースの奥というちょっと微妙な場所だが、窓付きで、人に煩わされない環境に移れるのはうれしい。もちろん感染予防が一番の目的だが、どうやら明日は歯科検診に赴かねばならないらしい。前処置が始まったら病棟から出るなと言われていたのに、どうなっているのか。そうだ、これからの目標を忘れずに記しておこう。四つある。一、前処置をあまり苦しむことなくやり遂げる。二、よい身体の状態で移植を受け、無事に生着する三、一時退院して年末年始を自宅で迎える四、早めに退院するさて、どうなるか。目標を実現すべく、できることは一つ一つきちんとやっていこう。Day-6前処置二日目。午前中(11時前)に個室に移動。広さは順天よりも狭いが、圧迫感はない。トイレがむき出しなのには驚いたが、下痢や吐き気など急な症状が出る可能性があることを思えば、これは当然なのかもしれない。ドアがなく、S字クランクのようにして出入りしなければならないこと、テレビが有料であること、室内に冷蔵庫がないことなど、不満は少なからずあるが、窓からの景色はよい。そして、何より、同室者に煩わされない環境がうれしい。音も出せるし、読書、映画鑑賞も気ままにできるしね。身体に関して、若干胃のあたりに重さを感じるような気がする。まだ「気がする」レベルなので、今後これが強まるかどうかは様子見である。担当の先生方が順繰りに声をかけてくれる。今のところ順調、と答えられるのがありがたい。これを継続していけたらと思う。Day-5昼食を完食するのに苦労する。予感はあったが、案の定、吐き気が発生。夕食は全体的に五割ほど。フルダラビンは副作用が少ないというので、ブスルフェクスの影響か。とりあえず明日までだが、その後には様々な副作用を伴うらしいアルケランが控えているので、気を緩めるわけに行かない。というか、この程度の吐き気でげんなりしてしまっていては、先が思いやられる。吐き気になれるというのも変だが、とにかくそういう方向を目指さねば。まだ元気が残っているうちに、一日の過ごし方を記しておく。6:00 起床。といっても、五時台に起きるのがほとんど。起床後はトイレ、体温測定、コップ一杯の水を飲んだ後、体重測定を経て軽運動。今日まで続けているのは、下半身のアクティブストレッチ、スクワット30×3、上半身のストレッチ、踏み台昇降50×2、立位腹筋20といったところ。その後には様々な副作用を伴うらしいアルケランが控えているので、気を緩めるわけに行かない。というまだ元気が残っているうちに、一日の過ごし方を記しておく。6:00 起床。といっても、五時台に起きるのがほとんど。起床後はトイレ、体温測定、コップ一杯の水を飲んだ後、体重測定を経て軽運動。今日まで続けているのは、下半身のアクティブストレッチ、スクワット30×3、上半身のストレッチ、踏み台昇降50×2、立位腹筋20といったところ。8:00 朝食だが、配膳は20分を過ぎることが多い。フルダラビン投与中は朝一にシャワーを浴びねばならないので、下膳、前処理で歯磨きは後回し。シャワー後にゆっくり歯磨きなど。9:45 吐き気止め投与。10:00 フルダラビン投与。約2時間。検温。12:00 昼食。14:00 ブスルフェクス投与。約30分。検温。15:00 血中の「りん」の数値が低いとのことで、それを増やすための投与。約30分。15:30 体重測定。16:00 ブスルフェクス投与。18:00 夕食、検温。21:00 消灯22:00 ブスルフェクス投与。28:00 ブスルフェクス投与。今日は移動図書室で本を5冊借りた。読めるかどうかわからないが、短編が主なので、少しは気分転換になればと思う。Day-4昨晩は吐き気に悩まされ、就寝以降トイレに起きたのは6回。朝、がんばっていつもの運動をしようとするが、気持ちが悪くなり、スクワットは20回×3に減らし、踏み台昇降はパス。こうやって筋力が衰えていくのか。今日の看護師は細かな点に気がつくいい人。口腔ケアについて褒められた。吐き気止めについてもいろいろ心配してくれ、処方はしてもらっているのだが、いかんせん、効果が薄い。朝、昼はがんばって完食したが、夜はまるでだめ。主食の量を半分に減らしてもらったのだが、それでも全体の3割ほどしか食べられなかった。病棟内を何周かしたり、ベッドに横たわるのではなく座る時間を意図的に作ったりもしていたが、たかがしれている。やがてこれらも億劫になってやらなくなっちゃうのかもしれない。原因と思われるブスルフェクスの投与は明日朝で終わるので、少しは良くなるかな。でも、よくわからないアルケランの投与が始めるので、何とも言えない。夕食後、コーディネーターのY医師が来訪。11月14日、ドナーさんのところに赴き、立ち会い、採取した造血幹細胞を運んできて、そうして輸注とのこと。これに伴う移動費及びドナーさんの前泊代(朝早いため)はこっち持ち。お金がまたかかるなぁ。でも今心配すべきはそのことではない。当日の天気はどうなるのだろう。さすがに台風はもう来ないだろうが、冬型の気圧配置で大荒れになって…なんてことにならず、また一度で(量が不足している場合、もう一度同じ事が繰り返される由)済むことを心から祈るしかない。Day-3 昨晩は不思議な夢を見た。内容ははっきり覚えていない(夢だからね)。ただ、亡き両親が元気な姿で出てきたことは覚えている。なにやら、名付けるなら「東京大駅伝」とでもなりそうな、荒唐無稽なレースに出場することになり、それを祝福するために親戚なども駆けつけてくれたような記憶が。いや、内容などは実はどうでもいい。わざわざ記したのは、目が覚めとき、やけに心が軽くなっていたからだ。「もう大丈夫」と思ったようにも思う。さらに、「俺は死なない」と。気持ちのギアが切り替わった、心を覆っていた瘡蓋が取れた、明るい方向へとシフトした、言い方はいろいろあるが、だいぶ気が楽になっていた。もちろん、だからといって身体が楽になるわけではない。朝の軽運動は、スクワット30×3と上半身ストレッチ、踏み台昇降50回のみをこなしたが、毎日やっていた下半身のストレッチを忘れていた。朝飯をやっとのことで完食し、一休みするとアルケランの注入があった。これには独自の副作用予防策があって、口腔内を冷やすこと。注入時間は15分間だが、前15分、後30分の間、口腔内に氷を含むよう指示される。予め買い置きしておいた氷と、ガリガリ君で1時間耐える。途中で妻来訪。Tシャツと下着数枚、あと、いつ飲もうという気になるかわからないスープの素(元気なときに注文)を持ってきてくれる。12時過ぎに妻が去り、昼食に取りかかる。主菜は厚揚げの味噌煮。おとなしい味だが、全く進まぬまま、全体の3割程度でギブアップ。その後、下膳、歯磨き、最後に舌磨きをやったらこれがトリガーとなり、食べたものを全部吐く羽目に。吐くこと自体にさほどエネルギーを要せず、いっそすっきりしたといえば言える。ただでさえ活動が鈍りがちの胃を、1時間にわたって冷やし続けたのだから、当然の結果ではある(口に含んで口腔内を冷やせばいいので、いちいち飲み込む必要はなかったのでした)。明日はサイモグリブリン(ATG)を12時間。その間に、今日と同じアルケランの投与。ATGの副作用の一つに悪寒が挙げられている。寒気に身を震わせながらアイスを口にするのは、想像するだに地獄である。夕食はキノコご飯6割、主菜の鶏肉団子は4割、春雨サラダと味噌汁は完食。朝食後、T先生が回診に来たとき、昨晩の夢による高揚感が続いていたこともあって「昨日よりは楽」と答え、驚かれた。今日一日の身体的苦痛で高揚感がそのまま保たれているとは必ずしも言えないが、「向き」「シフト」は維持し続けていきたいと思う。Day-2抗がん剤の投与は今日で終わり。さらにGVHD対策の「抗体」を作る点滴もあり、午前中はややてんやわんや状態。6時前に起床し、一呼吸入れた後、いつもの軽運動メニュー。が、踏み台を使用する女性がいた関係で、同運動の代わりに、病棟内を歩行5周、ももあげで1周。結構きつい。心肺機能の衰えを感じる。朝飯(食パン1枚、ハム1.5切、カリフラワーサラダ、ゼリー)に、昨日妻が持ってきてくれたカップスープを完食。食欲はそこそこある。その後、トイレを済ませ、シャワー。9:45頃から、アルケラン前の吐き気止め、アルケラン、生食。この間、口腔内を冷やし続けたのは昨日に同じ(但し飲み込まなかったので、胃を不必要に冷やすこともなし。これで終了。11:00頃から、フルダラビン。これもこれで終了。その後、ATGの投与始まる。さまざまな副作用が考えられるので、最初は希釈液を1時間投与し、様子を見て「本番」開始、12時間連続。こまめな体温・血圧測定とに加え、酸素摂取量と心肺機能を測定する計器を装着される。結構鬱陶しい。昼食はその慌ただしさの中で、買い置きしてあったプリンに、カップスープ、カロリーメイトジェル、さらにカントリーマーム2枚というめちゃくちゃな組み合わせ。午後は時折入る計測以外特になし。ごたごたの中で見始めた「マグニフィセント・セブン」はなかなかおもしろかった。昼食を完食するのに苦労する。予感はあったが、案の定、吐き気が発生。夕食は全体的に五割ほど。フルダラビンは副作用が少ないというので、ブスルフェクスの影響か。とりあえず明日までだが、夕食はよくわからない魚の切り身の唐揚げとけんちん汁、紫蘇の実の漬け物。味はともかく、油っぽいものを食したい気分だったので、久しぶりに夕食を完食。食欲は戻ってきている。それに胃が応えてくれるかという微妙な状態ではあるが。でもこれも移植後は大いにだめになってしまうのだろうな。とにかく、そのときそのときの自分の状態を受け入れ、よりよき次につなげられるよう努めるだけ。Day-1今のこの身体でいられるのも24時間弱となった。見た目はさして変わらないだろうが、中身が変わる。全くの他人の造血能力を自分のそれと入れ替えてしまおうというのだから、考えてみればとんでもない治療である。不具合が生じないはずがない。などと考えると不安だらけになるから、止そう。基本は出たとこ勝負である。朝、6時前に起床。軽運動。良い感じ。8時過ぎに筋肉量測定。戻るとまだ朝食が届いていない。T先生が来て、採血結果を踏まえ、経過が順調であることを告げられる。まだいい感じ。でも朝食が来ない。手違いで配膳を忘れられていた模様。ようやく届いたのが9時前。それと前後して、妻とLINEのやりとりで、彼女が送るべき書類を間違っていたことが判明。善後策を指示。ただし謝罪の言葉はなし。朝食の件と併せて、ちょっといらいらする。さらにこれと相前後してステロイド剤投与。ちなみに朝食は完食。昼食も、夕食も同様。14時頃から免疫抑制剤開始。いろいろ影響が出るといわれていたが、今のところ何もなし。これからじわじわ来るのだろう。ともあれ、割といい形で移植を受けられるのことになったのはとても喜ばしい。もっと、へろへろの状態も想定していたのだ。これが吉と出るかどうかはわからないが、体力に余力を残したまま、「山」に臨むことができるのはありがたいことだと思う。にほんブログ村
2018年04月14日
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Day-20ようやく転院が決まった。当初は明後日説も出ていたが、Y先生のお骨折りもあってか、明日、オリエンテーションを受けてそのまま入院できることになった。ありがたい。でも、もしかしたら一般病棟かもしれないし、どのみち個室ということはあり得ない。この気楽さとはしばらくおさらばかと思うと、ちょっと寂しい。7月上旬から四ヶ月余り。その大半を、この病室で過ごしてきた。医師や看護師にもよくしてもらったと思う。感謝。もっと社交的な人間だったら、より濃密な人間関係を構築できたのかもしれないが、病人と病院関係者は基本的に「仕事上のつきあい」でいいだろう。明日からの日々を思うと、また眠られるかどうか不安になるが、これはもう行ってからの問題である。夕食後、緩和ケアのS先生来訪。20分ほど話す。不安を取り除くのが商売だが、その人が訪ねてくること自体が事態の深刻さの証だったりする、ちょっと因果な仕事だと思うが、さすがに聞き上手、こちらもあれこれと話していた。それによって気持ちが軽くなったかといわれると微妙だが、話さないよりはもちろんよかった。そういえば、明日の予定を告げにきてくれたY先生と、握手を交わしたりもした。いろんな人が気遣ってくれている。ありがたいことである。がんばるしかない。Day-19昨日とは打って変わっての快晴の下、転院。電車での移動。この電車がが結構混み合い、それだけでぐったり。体力の低下を痛感。その他の手続きは問題なし。11時頃から看護師によるオリエンテーション。これだけ聞いていると、実にあっさりと乗り越えられそうな気になる。そんなことはないだろうが。ここでは二人部屋。自分以外の人間の立てる音に悩まされることのない日々を過ごしてきただけに、慣れるのに少し時間がかかるかもしれない。ナースステーションの近くで、それなりにうるさいし(順天ほどではないが)。ここは患者の自立心を促す姿勢が明確。自分のことはきちんと自分でやりなさい、と。患者は往々にして甘えがちになるから、こうした姿勢は好ましい。食事もおいしいし。今日は採血、心電図、レントゲン撮影(歯・胸・腹)のみ。明日にはマルクが予定されている。少しずつ、本格始動である。Day-185時半過ぎに起床。同室者のいびきがうるさかったりしたけれど、2時半から3時間は継続して眠れたので、まぁよしとしよう。6時半頃に軽運動。ダイナミックストレッチ、スクワット30×3、踏み台昇降50×2、立位腹筋20×2。これらは抗がん剤投与が始まるまでは続けるつもり。7時頃に採血。朝に検便。これが思わぬ事態を告げることに。マルクが予定されていたので、8:50からシャワー。されど、なかなかマルクに呼ばれず。シーツ交換のため病室を出て面会室に赴き、同じく移植を待つ人と話をする。腎臓の異状から始まり、もう都合7ヶ月も入院生活を続けている由。また病巣が腕や右目に出ていて、特に右目のそれはストレスになっているとのこと。そりゃそうだろうな。同じ病気でも、いろいろあるのだということを実感。同じ病気の人と話したのは初めてなので、新鮮な経験ではあった。11時頃、マルクに呼ばれない代わりに、代わりに別室に呼ばれ、告げられたのが、検便の結果耐性菌が見つかったということ。伝染性があるので、病室外に出るときには、手袋、マスクを着用するよう言われてしまった。歩く病原菌扱いである。順天で行った検便では何も言われなかったので、いったいいつそんなものが巣くうことになったのか、全くわからない。とりあえず服薬によって退治できるとのことなので、これはもう素直に従うしかない。おかげで薬が二種類増えた。昼食後、マルク。少し休んで、CT撮影。左肺のカビは若干縮小が認められた程度らしい。マルクからはどうやら染色体異常が改めて確認されたらしい。まぁこれはリンパ腫の時にわかっていたことではある。これらの「事実」が今後の治療にどう影響するのか、不安と言えば不安だが、とにかく医師の判断に委ねるしかない。CTの後売店に行き、水とシュークリームを購入。少しずつ、ここでの過ごし方がわかってきた。マスク・手袋縛りがなければもっと快適なのだが。ただ、そのために個室入りが少し早まるかもしれない。夕方、同室者が外泊のため出室。外泊にも相当気を遣うようだ。が、既に乗り越えた人である。うらやましい。Day-176時ちょっと前に起床。昨晩目が覚めたは0時半、3時半の二回くらいだったか。同室者がいないだけでも気が楽である。朝は体重測定にいつもの軽運動。特に検査もないので、漫然として過ごす。朝食後、お掃除のおばさんと少し話す。前にいなかった? いません。見たことあるような気がするんだよね。……おばさんの発案で、隣とのカーテンを開けたままにしておく。外光が入ってくるのはうれしい。とはいえ外は曇天なのか雨なのか。台風が近づいているらしい。少し寝て、しばらくしたら昼前に妻が着替えを持って来た。保菌者なので注意するようにと言われた由。やはり歩く病原菌扱いである。そのせいか、看護師の態度もよそよそしいような。これはひがみか。見つかった耐性菌は、調べたところ、院内感染の代表格の一つらしい。だとしたら、順天で感染? これは断定できない。ここで自らが発生源にならないよう、面倒でも注意を怠らないようにしなくては。妻が頻繁に来るのは難しいので、衣類については主に洗濯機を利用することにしたいが、使うべき器械を指定されているので、なかなかタイミングが難しい。頻繁に病室外に出ることを控えている身には、それなりの難題である。午後も漫然と過ごす。読書少々、漫画少々。ある程度タイムテーブルを考えないとだめだな。それには、目的なり目標なりをはっきりさせないと。3時過ぎにコーヒー、クッキー、チョコのおやつタイム。それから執筆少々。あ、その前にY女史からまたメールが来、それに刺激されてしばし短歌をひねる。腰折れ一首。カーテンは動かざれどもそれを見る己が心は絶えず揺れおり今日から日本シリーズ。中継はもちろんあるが、テレビが有料なのでラジオで我慢(けちですね)。死ぬまでに一度は見たかった「ホークスvs.ホエールズ(現ベイスターズ)」なのだが。Day-164時頃、眠れぬまま短歌をひねる。いつの間にか寝ていて、5時半頃起床。スマホをいじった後、いつものメニュー。台風が近づいているようで、空は暗めの白といった感じ。今日は血小板輸血が予定されている。今日の10時から明日の10時まで、蓄尿。少しはまともなことを、と執筆のための本を繙くが、あっという間に眠くなってしまう。昼前、Sさんからライン。顧問を務めているラグビー部の、いわば天王山。その経過を知らせてくれる。強豪相手に前半5-0で折り返しの報。行けるか? 昼食を摂りながら連絡を待つと、5-5、5-12、5-15となってノーサイド。無念。でも、いい試合だったようだ。成長したものだなぁ。日曜日なので、こっそり売店に買い物に行く。水とスイーツとヨーグルトを購入。15時ころに輸血開始。やはりアレルギーが出たので、一旦中止して抑制剤を入れて再開。その後シャワー。で、少ししたら夕食。結構慌ただしい。夕食後はなぜか睡魔に襲われ、消灯時間近くまで爆睡。Day-154時ぐらいに目が覚め、昨晩は早くから寝ていたこともあり、このまま起きていてもいいんじゃ? と思いつつまた入眠。起床は6時ちょっと前。いつもの軽運動、そして採血。腰椎穿刺が控えているので、朝食の後、早めに(8:50~)シャワー。配膳が8:10頃だったので、かなり慌ただしい。10時半頃、腰椎穿刺。脳に繋がる髄液を採取すると共に、脳に抗がん剤を注入するという、それだけ聞くと恐ろしげな処置。それ自体は少しの痛みだけで終わる。車いすでベッドに戻り、枕なしで約1時間安静状態。処置中に若干左足に痛みが出たほかは何事もナシ。でも今現在(19:40)ちょっと針を刺した背中が痛いかな。採決結果は問題なし。白血球は横ばいだが、血小板は増えている。昼食後、ほどなくして心臓エコー検査。それが終わって戻ると、今度は歯科検診。おおむね良好の判断をもらう。先細ブラシと歯間ブラシはあった方がいいようだ。歯並びの悪さを今更嘆いても仕方が無いが。部屋に戻ると、今度は病室のワックスがけ。月一回、ベッドごと外に出してワックスがけを行うとのこと。衛生面への気遣いが感じられる。そういえば、昨日初めて渡してもらった除菌布巾を使ってベッド周りの掃除も行ったし、どうせ部屋を移るからと私物をバッグに入れたままにしていたが、それを改め、バッグも収納した。かくして結構盛りだくさんのメニューで、寝ている時間はほとんどなし。約15分ほどでワックスがけが終わり、その後は昨日買ってきたスイーツとコーヒーでおやつタイム。その後、少々執筆。少しまともな記述になりつつあるかな?Day-14移植まであと二週間。相変わらず検査の日々。午前中に腹部エコー。なので朝食抜き。9:30くらいかなというので、「検査食」というのを頼んでおいたのだが、実際の検査は10時半過ぎからとなり、売店でサラダを買って食べたのが11時過ぎ。結局「検査食」は出ず、代わりに、軽めの朝食を食べ終えた後ほとんど間を置かずに昼食を摂る羽目に。患者の自立を促す体制は理解できるが、患者一人一人にきちんと目を届かせることを怠ってはいけないだろう。服薬についても指示を求めたが、それが出されたのは1時間以上後。まだここの空気になじめずにいるような気がする。こちらが心を閉ざしているせいか? そんなつもりはないのだが。昼食後、今度は骨密度検査。さらに、緩和ケアの人が来て20分ほど聞き取り調査。なじむのに時間がかかるタイプであることは伝えておいた。食事を変な風に摂ってしまったので、ずっとおなかが膨れた感じがしており、おやつタイムもパス。4時前にシャワー、ひげ剃り。その後選択。5時過ぎ、筋力調査の依頼あり。これは協力することにする。昨日は日中ほとんど寝ていなかったのだが、期待した安眠とは程遠かった。3時前に目が覚め、下手な短歌を作りまくる。これが今一番のストレス解消になっているような。いつまで続くかわからないが。Day-13今日は割と順調に推移した。午前中も午後も読書に時間を割き、執筆も少し進めることができた。おやつも食べたし。朝の採血の結果、白血球・好中球いずれも減少傾向。まぁ転院前は、移動中の感染を防ぐべく白血球を増やす薬を注射していたから、副作用として当然の流れではある。午後。呼吸器検査。看護師から今後の予定を少し示される。明日は午前中にPET(よって朝食なし、昼飯も自分で用意)、午後にはいよいよカテーテル挿入。そして夕方に治療方針説明。オリエンテーションでは放射線はないかな~と言われていたが、どうやらそれも行われるらしい。がんばれ身体。自家移植の時のブログを読み返す。やはり辛かったんだよなぁ。今回は、前処置の内容それ自体がもっとハードだし、年も重ねている。苦痛を和らげてくれる薬の進化に期待したいが、まずは気持ちだろう。夜、いわば主担当となる看護師からの挨拶もあった。Tさん。脚のきれいな人である。関係ないが。退院後を過ごす自宅の現状についての聴取。気が早いのでは。まぁその日を夢見てがんばってくださいという、一種のモチベーションアップなのだろう。Day-12今日は久しぶりのPET。悪性リンパ腫が再燃していないかどうかの確認。なので朝食はなく、その分、午前中に飲むべき薬を空腹のまま一気に飲むことに。ちなみに今日まで飲まされていたのはネキシウムカプセル(1、朝昼晩)除菌剤ウルソデオキシコール酸錠(3、朝昼晩)肝臓保護アシクロビル錠(1、朝昼晩)ヘルペス予防フラジール錠(2、朝昼晩)除菌剤ビオフェルミンR錠(1、朝昼晩)腸保護レボフロキサシンOD錠(2、朝昼晩)(旧クラビット錠1)抗菌剤サムチレール内用懸濁液(2、朝)肺炎予防ブイフェンド錠(1.5、午前と寝る前)カビ退治いやぁ、こんなに薬を飲んでいるのだな。薬嫌いなのに。11時からPET、帰り際に文書作成を依頼。昼飯は自前(売店で湯麺とマカロニサラダ。湯麺は食べ応えがあり、結構うまかった)。15時頃から右鎖骨下にカテーテル挿入。これも一応手術なのだが、かかったのは5分くらい? あっけなく終わる。違和感と痛みがちょっと残る。16:45頃妻来訪。医師による説明を受けるため。17:00過ぎと言われていた説明が始まったのは17:45頃から。主治医のT医師のみ。放射線治療は行なわないミニ移植(これは年齢的な制限を考慮してのこと)だが、フル移植に近いハードな治療を行い、ハイリスク(成功率2~3割?)・ハイリターン(完治)を目指すとのこと。望むところであるが、2~3割というのはやはり精神的に辛いものがある。さらに10月に見つかった左肺の「影」の正体が不明なままで、カビ、腫瘍、いろいろ考えられるとのことだが、いずれにせよ、前処理以降の本格治療において不安材料であることは確実なようである。ああ、また眠れなくなりそう。ちなみにドナーさんは20代の女性とのこと。30~40歳代の男性かな、などと漠然と考えていただけに、ちょっと意外。若い女性と一体化し、彼女によって生かされるなんてオジサンの夢? その生命力に期待。夕食はカツの卵とじ。この気分で食べるには少々キツかったが、なんとか完食。食べるのも治療のうちである。もっとも、身体に関しては、一般の58歳よりは体力があると自負している。これが良い結果に繋がることを期待。前処置(抗がん剤の投与)は来週火曜日から。心静かに迎えられたらと願う。Day-11昨晩Eから社で「ゆるキャラ」を作ることにしたので、とその下書き画像が送られてきた。なので午前中はその「ゆるキャラ」の修整にいそしむ。こうやって一つの作業に集中するのは気が紛れてよろしい。昼はパンだったので、インスタントコーヒーを飲み、食後に昨日妻が持ってきてくれた焼き菓子を食べる。さらに15時過ぎにはコーヒーと、買っておいたロールケーキ。ほとんどやけ食いに近い。夕食は豚肉生姜焼き。味は良いのだが、やはり食欲が湧かない。でもがんばって完食したのは昨日に同じ。あと、朝食前と昼食前に、以前協力を承諾していた筋力測定あり。筋肉量は標準を若干下回る由。7月からこのかた、まともに身体を動かしていないもんなぁ。筋力も落ちている。自称40代の身体という自信が揺らぐ。まぁこんなことをいちいち気にしていても仕方がない。にほんブログ村
2018年04月13日
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前回緊急入院したことをお知らせしたのを最後に、3週間ほど更新を怠っていました。相変わらずの入院暮らしですが、今は少し体調が良いので、これから何回かに分けて、昨年から今年にかけて経験した、「非血縁間同種移植」の経緯を記していきたいと思います。なお、骨髄バンクからの要請で、病院名や移植日が特定できるような記述は避けるよう言われていますので、日付はすべて移植日をDay0とした、プラス、マイナスの表記のみとします。ただ、日付が特定できるような記述も時折出てくることになると思いますが、そこは適当にお読み流しください。また、がん患者としての実感を主としてリアルタイムで記した「がん短歌」も適宜お読み合わせいただけると幸いです。移植一ヶ月前からの記録です。Day-30移植までちょうど一ヶ月。カウントダウンに入ったと言っていいのだろうが、まだ実感はない。ここ順天堂練馬にいる限り、これまでの延長でしかイメージできない。あるいは逆に、不安を伴うイメージばかりが浮かんでは消えるといった方が正確だろうか。前処理の放射線照射がどのような副作用をもたらすのか、移植は無事に終わるのか、生着できるのか、その後の身体の反応はどうか、GVHDはどのようなかたちで出るのか。不安は尽きない。が、こればかりは、やってみなければわからないことである。自分の身体を信じ、また医療スタッフを信じ、臨むしかない。不安を抱くのは、うまくいくかどうかわからないからである。しかし考えてみれば、それはうまくいく可能性があればこそである。その可能性がなければ、絶望しかなく、不安を抱くことすらできない。可能性は希望であり、希望は光である。周りが闇に包まれていればいるほど、わずかな光でも力強く見える。光を、見続けよう。Day-29睡眠の質が下がっている。昨晩は10時過ぎに就寝し、11時過ぎに目が覚めてトイレ。それから読書。少し寝たと思うが、12時半頃にトイレ。横臥と読書で少し寝て、1時半頃にまたトイレ。また横臥と読書で少し寝て、2時半頃にまたトイレ。また横臥と読書で少し寝て、4時前にトイレ。また同じ事の繰り返しで、5時過ぎには起床。いつものj-waveと数独。でも6時過ぎ、採血の後に少し寝て、7時に運動。朝食後はまたぐっすり。強い眠気は午後2時ぐらいまで続いた。睡眠の質、というより、生活のリズムが崩れているのだろう。移植に向けての緊張と、その緊張状態がずっと続いているが故の弛緩。とりあえず就寝時間を遅らせて、夜の睡眠の質を高めるようにしなければ。今日はまた点滴の差し替えがあった。シタラビンに対する血管の耐性が、下がっているのか?Day-28昨晩は映画を見て就寝時間を遅らせた(23時近く、個室特権ですね)こともあってか、幾分よく寝られた。起きたのは、12時、2時、4時。トイレに起きた後も、なるべくスマホ・本を手に取らないようにしたのもよかったのかもしれない。シタラビンはあと一日。それが終われば、点滴自体が外される由。また、25日の転院は正式決定の模様。あと1週間。点滴なしで、のんびり過ごさせてもらうことにする。Day-27今日はうれしいことが二つ。一つは点滴が外れたこと。合わせて蓄尿も終わり。転院するまでの、つかの間の解放感。もう一つはEがわざわざ見舞いに来てくれたこと。久しぶりに気の置けない会話を交わすことができた。これでだいぶストレス減。貴重な、今にあっては古くからの友人のようなかけがえのない存在。そうだ、もう一つうれしいことを加えなくてはいけない。一時帰宅がかないそう。まだ正式にではないけれど。家で家族水入らずの時を過ごす、というより、執筆をある程度進められそうなことと、途中で終えざるをえなかった衣替えができそうなことがうれしい。Day-26点滴がはずれ、セレスタミンの服用もなくなった。にもかかわらず、朝食後も昼食後も強い眠気に襲われ、そのまま入眠。昨夜もあまり眠れなかったせいか。それにしても、緊張感がなさすぎる。10時半頃に喘息予防(?)の吸引。たぶん3回目だと思うが、回を重ねるごとにつらさが増している。体調が悪くなるとはどういうことかを体感するシミュレーションとしては悪くなかったが、この程度のつらさでうんざり感を持ってしまうとは、どれだけヤワになっているのかと思う。こんなことで移植の過酷さを乗り切れようはずがない。やはり緊張感か。21日の胃カメラの後、一時帰宅と勝手に考えていたが、23日のMRIの後になる公算大。今回の入院の課題となった「カビ」の原因がペットにあるかも、ということで、主治医の本音は帰したくないというところだろう。明日、一応話すだけは話してみるが、優先すべきは何かをきちんと考えねば。部屋の寒さを訴えたら、空調設備に手を入れてもらえた。主張すべき事は主張すべきなのだな。Day-25昨晩は、結局寝入ったのは1時過ぎだと思うけれど、そこから5時近くまで一度も目を覚ますことなく眠ることができた。最近無かったことなので、それだけでもうれしい。午後、血小板の輸血で少々のアレルギー反応(蕁麻疹)。こんなことは初めて。自分の身体を過信するな、自分の身体はわからないことだらけなのだというお告げともいうべき体験。かつて、血圧、体温、血液検査の値等々、自分の存在が数値化されることに抵抗感があったけれど、実は自分の身体というきわめて個別的なものを、数字という客観的言語に置き換えて、医師に理解してもらうことなのだと思うようになった。これも一つの成長?明日、外泊許可が出た。戻ってくるのは月曜日。台風直撃の日になりそうで、ちょっと鬱だが、何もすることがないまま週末をここで過ごすよりはよほどいい。月曜以降のことは、月曜の段階で決定する予定。Day-24採血、腹部レントゲン、胃カメラ。採血の結果、外泊問題なしということで、胃カメラ(その後の安静時間も含む)を終えて午後から自宅へ。ちなみに胃カメラでは神経性胃炎が認められたものの、それ以上の異状はなし。久しぶりの自宅。病院の外出許可証の注意書きに、「発熱の場合はすぐに帰宅すること」とあったのには笑った。もはや病室の方が自宅扱いである。まぁ7月以降に限れば、自宅で過ごしたのは1ヶ月に満たないのだから、しかも同じ病室で過ごしているのだから、もはやその方が自宅に近いかもしれない。その住み慣れた(?)「自宅」を、来週中に離れることになる。待ち受けているのは、決戦の舞台。強い気持ちを持って、臨まねばと思う。Day-23自宅で過ごす一日。久々の帰宅だからといって特に家族のスケジュールに変更は無く、妻と娘はまず投票に行き、妻はその後昼前に雨を厭わずフィットネスクラブへ。昼飯はこちらの担当。毎度おなじみのラーメン。今回はスープもオリジナル。長ネギがなかったので、ちょっと寝ぼけた味になってしまった。衣替え簡略版(外出用のセーターをたくさん出しても意味が無い)、仕事はぼちぼち。ドナーさんへの手紙の下書き。淡々と時間が過ぎていく。病に立ち向かうというより、それがもたらす過酷さに負けない強さを持ちたいと思う。衆院選、大方の予想通り、自公が圧勝の様相。今の選挙制度である限り仕方が無いのか。たぶん獲得投票数では拮抗あるいは野党の方が多いかもしれないが、議席数では与党が圧倒的。自らを利する制度の見直しに与党が着手するはずもなく、このままでいいのかと強く思う。Day-22台風一過で昼前には見違えるような青空が広がった。風はとても強く吹いていたけれども。今日は思いがけないことが続いた。良いことならばいいのだが、逆である。まず、朝一番で執筆しようとしたら、ワープロソフトが起動しない。昨晩までは問題なく動いていたのに、全く理由がわからない。ドナーさんへの手紙を書いた。字の大きさを間違えて、最後の方はちょっと窮屈な感じになってしまった。ごめんなさい。うまく気持ちが伝わるといいのだけれど。二時半頃に家を出て、病院へ。早速採血。あまり間をおかずに、MRI。MRIが終わってほどなくしてY先生が来て曰く、白血球数が下がっていて、好中球も低い。大事を取って、ここに入院したまま転院の日を待つべきだろう、と。思いがけない、というのは実は正確ではなく、その可能性ももちろん考えていた。着替え類を多めに持ってきたのはそのためだ。でも、帰れるんじゃないかという期待もあった。それがあっさりと砕かれた。そして夜。19時過ぎに、インターネットが突然繋がらなくなった。理由は、いつも通り、不明。これじゃあ映画も観られない。いや、何よりも辛いのは自宅に戻れないことだ。歓迎すべからざる事に思いがけず見舞われる。打つ手はない。これは予兆だろうか? いや、こういう発想は止めよう。自宅に戻れないことで、何かこう、思いを残した感がある。もちろん、具体的に何をしたかったというわけではない。ただ、よし、これで移植に向かうぞという気持ちをうまく作るためのきっかけをつかみ損ねたような感じなのである。でもそれは、その残した思いを、一日でも早く帰宅できるようにするぞという思いに転化させることで、エネルギーたりうるのではないか。そういえば、思いがけないことで、うれしいことがあった。中学の同級生Yさんから画集とお手紙が送られてきたのだ。出席できなかった東京での同期会で、俺の事を聞き、気遣ってくれたのだろう。早速お礼のメールを送っておいた。そう、こういううれしいサプライズもある。細かなこと一つ一つに、いちいち反応していてもしょうがないのだ。移植を経て元気になれば、今度は家以外に居る場所はないのだ。それをより快適なものにしていけばいい。そんなことを思っていたら、いつの間にかインターネットが復活していた。ほらね。今やるべき事は何か。移植に向けて、身体をより良好な状態にしておくこと。それだけを見つめていこう。Day-21相変わらず夜よく眠れない。昨晩はTVで映画を見て11時半頃に就寝、12時半、2時半で目が覚め、それぞれスマホor読書。5時過ぎに目が覚めたところで起床。その後、6時半から7時までうとうと。そして朝は10時から11時過ぎまで爆睡。夜の睡眠が生活のリズムの基本であることを改めて実感。転院の日取り決まらず。明日になって、じゃあこれから、とはならないだろうから、26日の公算大。オリテンは9時からの予定だけれど、これはちょっとキツい。A先生は、開始時間を遅らせてもらえるのではと言っていたが、どうかなぁ?昨日の記述からわかるように、気持ちがかなり落ち込んでいたのを、抜け出すことができた。気持ちの持ちようが大事。でも、気持ちそれ自体をコントロールすることがなかなか難しい。気持ちをコントロールするのは意志なのだろうか?にほんブログ村
2018年04月13日
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かねてから疑われていた再発が確定となり、白血球などの血球数が危険水域に近づいているため、通院だけのつもりで赴いた昨日、急遽再入院することになりました。血球数の減少は、先日まで行っていたビダーザ治療の影響とも見なせるが、いくつかの検査の結果を考え合わせると、もう一つの可能性、つまり病勢が強まっていると考える方が、現実的かもしれない、という説明を夜に受け、これはかなり衝撃的でした。そのせいもあって、昨日のことを今日記しているのですが(それだけ少しは心が落ち着いたということです)、最終的には明日の検査結果を見て判断されるようです。取り急ぎ速報風に。花開く桜の便りを聞きながら心が沿わぬことぞ哀しき
2018年03月24日
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一昨日の骨髄穿刺と腰椎穿刺、そして昨日のPET-CTの結果、再発がほぼ確定しました。早速今日から新たな治療(ビダーザによる治療)に入っています。今度は5日ほど通って皮下注射を受け、その後3週間は薬を休んで様子を見る、それを数クール繰り返すというものなので、生活それ自体に大きな変化はありません。が、やはり精神的には大きなダメージがありますね。さすがに昨晩は久しぶりに寝苦しい夜を過ごしました。やはり前2回のがん退治によって身体に被ったダメージが、思っていた以上に大きかったのでしょう。今回の治療でも、もし放射線治療を受けていたら、悪い要素を徹底的に叩けたのでは…などと一瞬考えましたが、身体がより大きなダメージを受けるわけで、もっと悲惨なことになっていたかもしれません。このようなたらればのことを考えても詮無きこと。ここに来て暖かさを一気に増した陽光に力を得つつ、前向きに取り組んでいきたいと思います。嘆けとて月が憂いを運ぶまじ涙の元は我が内にあり
2018年03月14日
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退院してから二ヶ月が経ちました。経過はおおむね良好で、といいたいところなのですが、残念ながら逆の展開を迎えようとしつつあります。前回、分子レベルでの白血病マーカーであるWT1の数値が上昇していると述べました。正常値が50未満であるのに対して、計測されたのは確か88。これが2月半ばの結果だったのですが、先週(3月5日)の計測結果は、何と1800。移植前の数値は1300だったとのことなので、移植前よりも悪くなっています。まだ顕微鏡などで確認できる血液レベルでは異状は見つかっていませんが、身体は再発に向けて動き始めているようです。なんということ。より詳しく調べるために、今日は骨髄穿刺と腰椎穿刺を行いました。他の人が言うほど、これらの穿刺検査に強い痛みを感じることはないのですが、後者は、結構辛いものがありました。入院中にやったときは割とさくっとやってもらえたので、そのイメージでいたのですが、最初に主治医がやって2回でリタイア、助っ人を依頼し、その医師が4回目でやっとクリア。その後の安静時間も含めると、二時間はかかったんじゃないかな。明日は同じ病院でPET検査。今日明日の検査の結果を踏まえて、今後の方針を決めていくとのこと。移植から数ヶ月しか経っていないのに、こんなことになるなんて。原因はよくわかりません。私の身体に、白血病細胞を生み出すシステムが根を下ろしてしまっているのかもしれません。それを叩くうえで頼るべきはドナーさん由来の血液。その攻撃力=免疫力に期待すべく、免疫抑制剤の服用量を減らしています。その副作用(GVHD)として、皮膚全体に痒みを伴った発疹が出てきていますが、消化器などにはそれっぽい症状が出ていないのがせめてもの救い。ドナーさん由来の血液が、悪いものを生み出すシステムを破壊してくれることを祈るばかりです。待ちわびた 春の訪れ 心から 喜べるように なりたいものを
2018年03月12日
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三月になりました。といってももう三日ですが。おかげさまで大過なく過ごしていますが、ちょっとだけ気がかりなことも。先日の採血で、精密検査の結果、WT1の値が正常値を超えていました。WT1というのは、要するに白血病の可能性を見分ける指標となるもので、その数値の上昇は、発病(私の場合は再発)の可能性を示唆します。実際に悪者が検出されているわけではないので、身体に、再発を促す動きが起ころうとしている、といったところだと理解しています。もちろん、そんな動きはないに越したことはありませんが、一度は発病したという事実があるわけですから、私の身体にそうした傾向があることは受け入れねばならないのでしょう。でも、幸い、血液は新しくなっています。血液検査によればドナーさんのそれに入れ替わっているそうですから(ちなみにドナーさんは女性だったので、今の私はある意味雌雄同体?)、その血液の力に期待したいところです。そうはいっても、その血液の力が強すぎると、今度は私のおんぼろ身体とのバランスが崩れ、それによっていろいろな障害が出てしまいます(GVHD)。ではその力をどの程度抑制し、どの程度解き放つか。この「さじ加減」が難しいところですが、ここは主治医を信頼するしかありません。とりあえずは、免疫抑制剤を少しだけ減らして、様子を見ることになりました。これによって、深刻なGVHDが発生することなく、WT1の値も下がってくれるのが理想ですが、さて、どうなりますか。免疫抑制剤を減らしてもうじき一週間になりますが、今のところ、発熱や下痢といった症状は出ていません。ただ、皮膚にあちこち痒みを伴う発疹が出ています。見たところこれはGVHDではなさそうなので、もしかしたら抗がん剤の副作用かもしれません。それ以外は、足のしびれは相変わらずですが、例えば昨日は陽気に誘われて上野で展覧会のはしご、さらに浅草に赴くなど、おおむね元気に過ごしています。三月の声を聞くと共に、東京では気温が上がりました。「三寒四温」ですから、まだ寒い日もあるのでしょうが、陽射しに力を感じられるようになり、春本番が遠くないことを実感しています。寒気団が追いやられて、温い日々が来るように、私自身の不安材料も消え去って、ほっこりできるといいなぁ。肩に宿る 陽のぬくもりに 力得て 一歩ずつ先に 行こうと思う
2018年03月03日
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昨日のことですが、最初の入院(昨年7月~10月)でお世話になった病院に、お礼を兼ねて近況報告に行ってきました。転院から約四ヶ月を経て、とりあえずは元気に過ごしていることを報告できたのはやはりうれしいことでした。私の現状についてもある程度情報が入っているはずの主治医とまず会うことができたのですが、今の私の様子を見て大いに喜んでくれました。「元気そう! でも、痩せたね~。」さすがに医者の目は鋭い。他に、師長さんや、お世話になった看護師さんたち。四ヶ月もそこで過ごしていましたので、懐かしい顔もたくさん。皆笑顔で迎えてくれ、改めて、今こうしてあることのありがたさをかみしめた次第です。冷暖房完備、三食昼寝付きの入院生活に比べれば、厳しい寒さも加わって、今の方が身体への負担は大きく、前にも記したように、たぶん入院中の方が元気だったでしょう。でも、入院とはいわば温室暮らしであり、人はそこにいつまでもぬくぬくとしているわけにはいきません。またその「外」の厳しさを受け止めるからこそ、その代わりに、自由を手にすることもできるわけです。その自由を有効に使って、この新しい身体になれ、より良好な状態を維持していくこと。でも、それが課題だとわかりつつ、寒さを理由に、ついつい怠惰に流れがちな今日このごろ。アスリートたちの活躍ぶり、またそれを生み出した鍛錬の日々を思い、気持ちを引き締めていかなくてはいけませんね。三人の 一糸乱れぬ その動き 滑りではなく 舞いとこそ言えひたむきに 先頭をゆく 赤い鳥 三羽の鴉に ついに呑まれり脚光を 浴びる頂点 支えるは 夥しくある 敗者らの群れ僅かでも 天と地とに 分かちたり 三位四位の 間にある差
2018年02月22日
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昨日は二週間ぶりの通院でした。おかげさまで検査の結果は特に異状なく、次回からは隔週の通院となりました。よかった、よかった。でも。売店に赴いた際、偶然、入院中にお世話になった看護師さんと言葉を交わすことができましたのですが、その時、口をついて出てきたのが、「入院中の方が元気だったかも」。実はこれが実感だったりします。入院中には見られなかったいくつかの症状が現れています。両足先のしびれ。血行が悪いのだろうと、暖めたり、着圧ソックスをはいたりしていますが、あまり効果は感じられません。歩いていても、ただ足を置きに行っている感じで、なかなかペースが上がらりませんし、悲しいことに走ることができません。いや、もちろんその動きはできますが、足裏の感覚が鈍くなっているため、ドタドタと不格好に走るばかりで、なかなか前に進まないし、長続きしません。次に味覚。通院のたびにラーメン屋へ行っているくらいですから、おおむね問題ないのですが、普段の食事を振り返ってみると、どうも味付けのしっかりしたものに対して、それを濃いと感じ、量を食べられなくなってしまうようです。特に甘みが舌に響く感じで、スイーツならそれはそれで食べられるのですが、隠し味的に砂糖などが使われているものを食べると、一口だけでもういいやという感じになってしまうのです。そして眉毛。入院中はそれなりの濃さを保っていたのに、気が付けばすっかり薄くなっています(その代わり、というべきなのか、頭皮には、よく見ると産毛のようなものがちらほらと見えるようになりました)。症状として、GVHDというより、抗がん剤の副作用と考えた方がよさそうです。抗がん剤投与から既に二ヶ月は経過しているのですが、まだまだ安心はできません。それでも、おかげさまで体力の方はホントに少しずつですが回復に向かっているようで、今日はちょっとした用事を済ませに、それが元気な時のランニングコース上にあったので、そこまで自転車を使って行ってきました。行き帰りで1時間とちょっと。自転車を漕ぐ力じたいがだいぶ衰えていますが、これは仕方がありませんね。徒にかつての姿を追い求めても仕方がありません。その記憶が鮮明なだけ、ついつい嘆きたくなりがちですが、この新しい身体とうまくつきあっていきたいと思います。つらつらと 諸症状を 顧みる 年相応の 老化かこれは
2018年02月20日
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先月の今日、退院して以降、御陰様で大過なく過ごしています。少しずつ、娑婆での生活にも馴れてきたようです。最近改めて実感するようになったのは、今あるのはやはり「新しい身体」なのだということ。もちろんピカピカの新品というわけではありません。2013年に自家移植を受けましたが、これは自前のものを用いているので、いわば純度100%が維持されていました。でも今回受けたのは非血縁間造血幹細胞移植ですから、全くの赤の他人(ドナーさん)のものを利用させていただいたわけです。検査の結果、私の血液は、ドナーさんのそれにほぼ入れ替わっていることが確認されています。つまり、見た目は(痩せたことと、髪の毛がないことを除いて)変わらずとも、生命を維持する根幹ともいうべき血液が完全に変わっているわけです。「新しい身体」とはそういうことなので、今の自分の身体を支えているものを起点に据えて考えねばなりません。外見があまり変わっていないし、またものの考え方や感じ方ももちろん大きな変化はありませんから、ついつい「連続」したものとして捉えてしまいがちですが、身体の根幹は「非連続」なものとしてあるわけです。発病前までは当たり前にできていたことというのは、文字通り昔の話であり、そのイメージを徒に追い求めるのではなく、今ある自分(の身体状態)ときちんと向き合うことが必要なようです。退院から一ヶ月を経て、どうしてもかつての自分のイメージに囚われがちでしたが、ようやく上記の認識に至ることができました。以前にも、「がん」を経験することは、「新しい自分」を生きることだと記しましたが、その時点ではその本当に意味するところがまだよくわかっていなかったようです。かつてこれこれのことができていたのだから、きちんと身体を馴らしていけばまたできるようになるはず、ではなく、今の自分に無理なくできることは何かを確かめながら、それを少しずつ伸ばしていくこと。こうした時、ランニングに親しんできたことが役に立ちそうです。かつてはフルマラソンを何度も走っていましたが、今はスロージョギングすらできません(今日、試みに少しやってみましたが、200mほどで止めざるを得ませんでした)。かつての自分を一方に据えたなら、今の自分はマイナスの塊です。が、そうではなく、今の自分をゼロ(スタート地点)として、少しずつ、どれくらい積み上げていくことができるか。少しでも無理をすれば、GVHDが発症するでしょう。そうなってしまったら元も子もありません。焦らず、ゆっくりと、このチャレンジを続けていきたいと思っています。できないと ため息吐くは 無用なり 新たな身体と 日々親しまむ
2018年02月12日
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5日、4度目の通院で、当日及びそれ以前に受けた検査の結果が異状なしであることが確認できました。点滴もなく、これまでで最短の病院滞在時間で済みましたから、念願のラーメン屋さんにも行けて、満足。ほぼ順調な経緯をたどっていると感じたせいか、少し気の緩みがあったようです。7日、近所まで買い物に出た帰り道のこと。道のちょっとした段差に気づかず、バランスを崩し、そのまま転倒。なぜか握り拳をつくっていた左手の指(細かくいうと、第三指から五指にかけての第二関節)で体重の大部分を受けてしまい、当然出血。ちょっと買い物にという感じだったため、ティッシュの類いも持ち合わせず、血を垂らしながら帰宅。感染が怖いので、しばらく流水で傷口を洗った後、処置を施しましたが、今度は傷よりも打撲による痛みが強まってきました。眠りを妨げるほどの痛みでしたが、翌日以降徐々に緩和。どうやら骨に異状はないようで、少しずつ枉げられるようになってきています。ただ、傷が思った以上に深かったようで、これには時間がかかりそう。元気な時も、ランニング中に転倒したことが何回かあり、そのたびに流血騒ぎを起こしていたのですが、今回は歩行中。入院中に筋肉量が減り、当然筋力や体力が落ちていることも自覚していましたが、運動能力や反射神経までもこんなに落ちているとは。もしかしたら、慢心するなという天の声だったのかもしれません。そういえば、寒さにかまけて、入院中は毎日やっていた軽運動(ストレッチや自重トレーニング)もさぼりがちだし、生活自体も怠惰なものになりつつあります。明後日には退院一ヶ月を迎えます。そろそろ生活にメリハリをつけなくてはいけませんね。寒い寒いといっても、豪雪に襲われた北陸のことを思えば、東京は、春のような環境です。そして、たぶん平昌で活躍するアスリートたちが、いい刺激を与えてくれることでしょう。がんばらなくっちゃ。根拠なき自信を天が打ち砕く 「こんなはずでは」そこから反省 泰西の詩人の言葉をかみしめる 「冬来たりなば 春遠からじ」
2018年02月10日
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いやぁ、寒い一週間でした。先週月曜日の積雪から始まったと考えれば、二週間ほど続いていることになりますね。予報によれば、明日は少し暖かくなるものの、また大寒波が襲ってくるとか。勘弁してくれ~というのが正直なところ。雪国出身なので、多少の寒さや降雪、悪天候には動じない自信があったのですが、今は駄目ですね。足先は常にじんじんとしびれたようになっているし、何よりも厄介なのは頭。どんなに着込んでも、蓄えた熱が全て頭から抜けていく感じ。早く生えてこないかな。退院当初、割と元気だったのは、何よりも気温が平年並みだったからなのだと今にして思います。寒さに耐えつつ、ぎりぎりのところで体調を維持しているといったところですが、それでも、一時よりは少し楽になったかな。身体がようやく馴れてきたのかもしれません。今日は節分。そして、明日は立春。「春は名のみの~」といったところかもしれませんが、ようやく雪が消えつつある道を歩けば梅がちらほらと咲き、また気が付けば日がずいぶんと長くなってきました。この寒さを楽しめるような体力があればいいのですが、焦りは禁物。寒さ続きの日々が、やがて三寒四温の日々になることを楽しみに、過ごしていきたいと思います。縮みがちな 心抱えて 行く道に 咲ける梅告ぐ 春遠からじ
2018年02月03日
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退院してから二週間が経ちました。ちなみに転院したのが昨年の10月26日でしたから、それからちょうど三ヶ月。そして、ついでに述べると私の59回目の誕生日だったりします。入院中は、浄化された、25度以上の環境で過ごしていましたが、退院したらそうはいきません。先週までは、入院中の「蓄え」で何とかやってきた感がありますが、二週目ともなるとそうもいかず、というより、娑婆仕様に少しずつ身体が変わっているのだろうと思います。それはそれで結構なことなのですが、月曜日の降雪以降の寒さはさすがに堪えます。寒さに耐えるだけで体力の大半を使っている感じ。なので、体調は必ずしも万全とは言えない状態ですが、少しずつ馴らしていくしかないのでしょうね。幸い、深刻な事態は生じていないので、このまま無理せず、そうやって大過なくすごせたらと願っています。振り返れば五十代は三度の闘病経験がその大半を占めているような感じがします。来たるべき六十代を息災に過ごせるよう、その土台固めをしっかりとしていきたいですね。目先のことばかりに振り回され、たいした人生を送ってきたわけではないと自覚していますが、何はともあれこの年齢まで生き延びることができたことを素直に喜びたいと思います。重ね来し 年月に見合わぬ 我が生の 薄さを嘆きつ 一人言祝ぐ
2018年01月26日
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退院してから一週間が経ちました。なんだかあっという間でしたね。退院したその日は、入院中に購入しておいたハンガーラックや椅子やベッドを組み立て、既存のものを解体するなど、我ながら大丈夫か? という活動。さすがにぐったり。翌日は義母の誕生日を祝う会が横浜であったのですが、当然のことながら参加は見合わさざるを得ず、一人で留守番。自分で昼飯、晩飯を作っていました。一日おいて月曜日は退院後初の通院。採血、診察、点滴、昼飯、そして薬を薬局で出してもらって帰宅しましたが、家を出たのが8時過ぎで、帰宅したのが18時近く。とにかく待ち時間が長く、ぐったり。改めて体力の低下を実感させられました。こんな感じで、あまり退院直後っぽい生活は送っていません。毎日、朝夕と犬の散歩に行き、午前中には歩いて25分くらいのところにある公園に赴いて軽運動。午後は、いろいろ雑用に追われています。先日の通院時の検査で、サイトメガロウィルスについて陰性との結果が出ました。これで一安心。もっとも、もともと体内に巣食うウィルスですから、またいつ自己主張をはじめるかわかりません。そのことも含め、自分の身体を過信することなく慎重に過ごさねばならないのですが、ついつい、といった局面もあり、同時に、入院生活が(身体のつらさは別として)いかにお気楽なものだったかを改めて感じています。ちょっとがんばりすぎかな? という思いと、できるんだからまぁいいか、という思いの間で揺れていますが、徐々に落ち着いてくるでしょう。
2018年01月19日
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「三度患者になって少しわかった「がん」のこと」について、勝手にシリーズ化して愚にも付かないことを書き連ねてき、しばらく間が空きましたが、今日が最終回となります。明日、退院することになりました。皮疹(GVHD)も出ているし、まだサイトメガロウイルスも巣くっているようだし、数値的にも正常値に達していない項目がいくつかあるのですが、点滴ではなく内服薬で対応できるだろうという主治医の判断です。このところ新たな入院患者さんが立て続けに入ってきているので、そうしたベッド事情もあるのではと、これは下衆の勘繰り。ここに入院してから2ヶ月と2週間。この病気で、非血縁間造血幹細胞移植を受けた入院期間としては、たぶん短い方に属するのだろうと思います。これも主治医、看護師、励ましてくださった皆さんのおかげと感謝しています。あ、それからもちろんドナーさんにも感謝です。でも実はこれからが本番。入院治療から在宅治療に変わっただけです。何かあったらすぐに対応してもらえる環境を離れ、「自立」した生活を送ることができるか。禁止事項だらけの生活になりますが、心して過ごしたいと思います。さて、最後にあたり、記しておきたいことは一つ。「物語」の力についてです。世の中には「物語」が溢れています。「物語」とは、いろいろ定義はありますが、ここでは一連の出来事を因果関係において捉え、受け入れ可能にしたものとしておきましょう。ある出来事が起きた、なぜだ、原因は○○だ、で我々はその出来事を物語として受け止め、納得します。犯罪や事故が起きたとき、その概要と共に動機や原因の解明が急がれるのは、それがはっきりしないと物語にならないからです。そして、物語にならないと、受け入れづらく、不安だからです。でも、実は世の中には物語にできないこともまたたくさんあります。事故の原因が運転者の不注意だったとして、被害者が、なぜそんな目に遭わなければならなかったかの説明はできません。物語化できないまま、事実を事実として受け止めることを、我々の認識装置は苦手にしています。なので、いつまでもそのことに悩み、苦しむことになります。「がん」という病気も同様です。なぜこんな病に冒されなければならないのか、納得のいく説明は得られません。でも事実は事実として厳然として存在し、それに否応なしに向き合わねばならない。だとしたら、と考えます。「がん」になったことそれ自体は物語化できないけれど、その「がん」と向き合い、それを克服していくことは物語にできるのではないか。その結末が「寛解」「完治」となるよう、自ら物語を生きることはできるのではないか。物語は、過去の出来事を整理し、受け入れやすくするだけではありません。それは、将来に向けて投影することもできます。望ましい「目標」=「結果」を掲げ、それを実現するためにあれこれ考え、実践すること。もちろん、物語を生きるとは、その一瞬一瞬(プロセス)を丁寧に実践していくことにほかなりません。そうすれば、結果は自ずから付いてくるはずです。これはいわゆる闘病期間に限ったことではないでしょう。もしかしたら、我々の人生そのものも、そうやってデザインできるのではないでしょうか。人生という大きな物語は、さまざまな小さな物語の集積にほかならないのですから。今、入院・闘病という物語がようやく幕を下ろそうとしています。そしてそれは、病と向き合いながら自立した生活を送るという、「当病」の物語の始まりです。これから先、どのような物語を紡いでいけるのか、ちょっとわくわくしています。もちろん、再び「闘病」の物語を生きることだけは真っ平御免ですが。これからの人生いかになるならむ 初マラソンに挑戦する如ひとまずこれで「三度患者になって少しわかった「がん」のこと」は終わります。おつきあいいただいた方には感謝申し上げます。明日からはまたその後の経過をぐだぐだと不定期に記すことになると思います。よろしければ引き続きおつきあいください。いつかきちんとした「闘病日記」もアップしたいと思っていますが、これは今後の経過次第ですね。
2018年01月11日
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ふと思い立って、一時外出を申請したところ、あっけなく認められました。なんだ、もっと早くに試せばよかった。今日は下の娘の成人式だったのですが、早くから家を後にしており、こちらも合流できるような出で立ちではないので、そちらは諦め、自宅近くで行われたラグビー部の試合に赴きました。久しぶり(約2.5ヶ月ぶり)の娑婆の第一印象は、「重力が違う?」というもの。日頃、病棟内をぐるぐる歩き回っているのですが、冬装束を身にまとい、荷物を背負って歩く地面は、全然違う感じでした。まぁ直にその違和感はなくなりましたが。試合は残念ながら逆転負け。新人戦だから仕方がありませんが、若さ(つたなさ)が出てしまいましたね。でも、大きな可能性も感じられたので、これからの成長が楽しみです。その後、家に少し立ち寄り、ペットの犬の熱烈歓迎(これが一番危険だったりします)を何とかやり過ごして、必要ないくつかの品をバッグに詰めて退出しました。さらにスーパーにも寄ったのですが、ここで手袋をなくすというボーンヘッド。「入院ぼけ」ですね。3時間ちょっとの外出でしたが、貴重な経験でした。けっこう効く睡眠導入剤も見つかり、夜の睡眠も少しずつ安定してきましたから、明日からは「入院ぼけ」を一掃できるような、節度ある生活を心がけたいと思います。あれこれと守られてあり そのことをいつしか忘れる入院生活【メモ】観た映画「ゴッド・ファーザー partⅡ」重い。ロバート・デ・ニーロ演ずる若き日のビトのエピソードが救い。もちろん当時まだ「若手俳優」だったはずのアル・パチーノの重厚な演技にも感嘆すべきだけれど。前に見ていたのに、覚えているのはデ・ニーロばかりでした。「ファミリー」を守るために「ファミリー」を壊していくしかないという運命の皮肉。だとしたら続くのはそうまでして守ろうとした「ファミリー」に裏切られる話になるはずで、番外編として創作されながら商業上の理由で「partⅢ」となった作品を、さていつ見るか。「ワイルド・スピード」頭を空っぽにして見られる作品をということでチョイス。このシリーズ、いくつかは見ていますが、第一作は未見でした。続編前提で作っていますが、「2」はこれに直結するわけではなさそう。暇つぶしにはもってこいの映画でした。
2018年01月08日
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星野仙一さんがお亡くなりになりました。膵臓癌だったそうですね。一昨年の6月に病が見つかったのだとか。身近にも、同じ病気で亡くなった方がお二人いらっしゃいました。それぞれ、病名をうかがってから、1年も経たないうちに逝去されてしまいました。膵臓癌は、あらゆる癌の中で最も発見率が低く、発見された時には重篤な状態になっていることが多いため、「最も危険な癌」と見なされています。実際そうなのでしょうし、星野氏関連記事でも「膵臓癌は怖い」というものを目にしました。でも、しかるべき治療を受けて、寛解に至った例ももちろんあります。今回の星野氏のご逝去により、膵臓癌ひいては癌に対する恐怖心ばかりが煽られるような事態になることを危惧します。癌は病の一つであり、あらゆる病がそうであるように、それと冷静に向き合うことが大切でしょう。もしかしたら、冷静さが一番求められる病かもしれません。私が今向き合っている病気、急性骨髄性白血病は、かつて、死に至る病の代表のように扱われていた面があります。小説やドラマで、主人公の肉親との死別が設定されている場合、多くは交通事故か白血病が使われていたような気がします(綿密に調べたわけではありませんが)。その白血病は、また、夏目雅子さんや本田美奈子といった著名人の命を奪った病でした。そこから、「きれいな死」をもたらす病というイメージが加わったのかもしれません。が、現段階では、必ずしも死に直結する病ではなくなっています(そう信じてここまでやってきました)。膵臓癌についても、同様の展開が期待できるはずです。いたずらに恐怖心を煽るような、半可通の如き言説は寧ろ害悪ではないだろうか。そういう、深刻そうな表情を浮かべうつつ、実は浮薄な内容が、テレビやネットを通じて垂れ流されることがないといいのですが。したり顔で垂れ流される浅慮たち リテラシーもてそを見極めむ 星野仙一さんとはもちろん何の接点も持ちませんが、その活動の一端にリアルタイムで接してきた者として、きちんと筋の通った言動を貫いた方という印象をもっています。また一人、惜しい人を送ることになってしまいました。ご冥福をお祈りいたします。 合掌。
2018年01月06日
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現在、一日に4時間だけ点滴を受けています。マグネシウムの注入に3時間。サイトメガロウイルス対策に1時間。肝臓の数値は正常に近づいているようです。前二者の問題がクリアできれば、晴れて退院ということになるのですが、今は足踏み状態。まぁ焦っても仕方がありません。むしろそれを奇貨として、安心できる身体作りができる環境にいると考え、今の良好な状態を維持するだけでなく、退院後の生活をスムースに送れるよう、少しずつ身体を鍛えています。さらに、脂肪分の少ない病院食を基本としていますから、これにより、体脂肪を減らし、筋肉質の身体になることをも期待しているのですが、さてどうなりますか。まだ体重は50kg台だし(でも下げ止まったみたいです)、見た目は貧相なままだし、時間がかかることではありますが。そうした身体作りの期間と考えれば、入院生活もまた楽し、といったところです。一石で 二鳥どころか 欲深に 三鳥を狙い トレーニングす
2018年01月05日
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朝から箱根駅伝。10時半からは高校ラグビー準々決勝。どちらもほぼ終えたタイミングでライスボウル。前の二つは、現在、ネットで無料配信されていたので、時折切り替えながら、どちらも楽しむことができました。これらに共通していることがあります。それは、「順当勝ち」。密かに期待していたジャイアント・キリングは見られずじまいでした。それだけ、安定した力を有していたのでしょう。でも、高校ラグビーを見ていてちょっと考えました。現在、高校生の間でラグビーがいわゆる「イケてるスポーツ」に入るのかわかりませんが、一昨年のWCが見せたような盛り上がりは残念ながらないように思います。そうした中で、高校ラグビーの強豪校の大半は、多くの部員を擁しています。100名超と紹介されている学校もありました。その内訳までは明らかにされませんでしたが、ラグビーで名を挙げたいと思っている中学生が、そうした強豪校に、越境してでも入ろうすることは大いに考えられます。結果、強いチームはよき人材を得てより強くなるという、一種の「富の集中」状態に陥っているように思います。同様の事態は野球をはじめあらゆるスポーツにおいて生じているのでしょうが、準々決勝を勝ち抜いたチームの一人一人を見ていると、その卓越ぶりがうかがえます。そして、そうした選手たちが厚い層をなしている。大阪桐蔭高が終盤にフロントロー3人を替えましたが、新たに入ってきた3名が、ピッチを後にした3人と、体格において全く遜色ないのを見て絶句しました。とりわけラグビーは番狂わせの起きにくいスポーツとして知られていますし、実際にそうだと思います。だとすると、優秀な人材が集まってくる強豪校と、素人を一から育てていかなければならない他の高校との差は開くばかりでしょう。チーム内でしのぎを削り、より高いレベルに向かえるチームがある一方で、部員確保に奔走しなければならないチームがある。もちろん前者はエリートとしてこれからの日本ラグビーを引っ張っていく存在になってもらわねばなりませんが、そのエリートたちの輝きは、それを支える裾野の広がりがあればこそでしょう。でも「富の集中」が結果的にその裾野の広がりをジリ貧状態に導いているとしたらどうなのだろう。富の集中と、富の遍在と。どちらがいいのかは、しかし、一概には言えません。そして、明後日の準決勝はもちろん楽しみにしているのですが、これから先、毎年同じような学校同士の対戦になるのはちょっとつまらないなぁと(実際、既になっているわけですが)、オジサンの勝手な思いを述べさせてもらいました。
2018年01月03日
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おかげさまで無事に2018年を迎えることができました。ここまで大過なくやってこられたのは、多くの方々の支えがあればこそ。年頭に当たり、改めて感謝申し上げたいと思います。昨晩から大部屋ながら実質的には個室状態になったので、久しぶりにテレビを解禁し、消灯時間も関係なしに眺めていました。今日は初日の出を拝み、後はいつもと同じ。なぜか一日を通して眠くってしかたがありませんでした。これで消灯時間を過ぎるとまた眠れないのでしょうから困ったものです。一年の計は元旦にありといいますが、入院中という中途半端な状態では、とにかく息災であることを祈るしかありません。でも、と一つ気がついたことがあります。いつかは訪れるであろう退院の日。その日をもう一つの「年明け」とすれば、二度も「めでたいこと」を経験できることになります。これはこれで幸せなことなのでは。そうしたポジティブな気持ちを持ち続けていけたらと考えています。末筆ながら、皆さまのご多幸をお祈り申し上げます。元旦や もう一つの年明けの 遠からぬことを 朝日に祈るこの光 あまねく世界を照らしつつ あまねく世界を 平らかにせよno pain, no gain. なのでしょうが、なくてしかるべき pain が今の世界には多すぎるような気がします。私如きが祈ったところで何の力にもならないのですが。病をはじめ、さまざまなpainに悩まされている方々が、少しでもそれから解放されますように。【メモ】観た映画:「ゴッドファーザー」年末年始名作鑑賞週間第一作はやはりこれ。時に息を詰め、時に感嘆を漏らし、ただただ見入るのみ。やはり、名作。
2018年01月01日
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今は治療というよりリハビリの日々。まだ退院の日程などは見えてきませんし、年末年始態勢で採血すらない状態ですから、とにかくできることをきちんとこなすだけです。なので、日々の過ごし方それ自体に変わりはありませんが、なんとなく年の瀬を迎えていることは感じられます。まず、病棟内の患者さんの数が減りました。看護師さんの数はあまり変わらないような気がしますが、医師は減りましたね。皆、ご自分たちの日常があるわけですから。逆に言うと、この時期にもかかわらず出勤されている医師や看護師さんには感謝の言葉しかありません。年の瀬、ということで、ふとある疑問にぶつかりました。我々は、年を送っているのだろうか、年に送られているのだろうか。新年との関係で言えば、前者には「新しい年に乗り移る」というイメージ、後者には「新しい年に放り出される」というイメージがありますね。前者は安定、後者は冒険。これまでと同じような日常を大切にしたいと思えば「安定」、何が待ち受けているかわからない、その点にわくわくできれば「冒険」。この両者をバランスよく配しながら過ごしていけたら一番いいのでしょうね。私にとっては、退院こそが年明けの日と思っていますが、そこから、「安定」した日常を取り戻しつつ、不可避的な「冒険」に立ち向かう日々を送ることになりそうです。それでは皆さま、よいお年をお迎えください。
2017年12月30日
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今日はちょっとだけ嬉しいことがありました。窓側に移ることができました!窓から見えるのは冬枯れの空中庭園と、その向こうに並ぶ無機質なビル群にすぎませんが、枯れ草の中に時折雀が遊びに来たりします。小禽の可憐な動きは心を癒やしてくれます。あとどれくらいここでの生活が続くかわからないだけに、少しでも快適な環境に移れたことはほんとうに嬉しく感じます。年末と言っても、入院生活ではあまり実感が湧きません。いや、実感が湧かない現実を何とかやむを得ないものとして受け入れようとしている、という方が適切でしょうか。そもそも、年末らしいことをやろうにも、何もできません。でも何かできることはないだろうか? そこで、「心の大掃除」というのはどうだろう、と考えました。断捨離の教祖的存在である「こんまり」さんによれば、残すか、捨てるかの基準は「心がときめくかどうか」だそうです。だったら、心の大掃除、心の断捨離がきちんとできれば、心の中は「ときめく」ことで満たされることになります。これはやってみる価値がありそうだ。………。無理でした。心は「モノ」ではありません。物理的に廃棄できるようなものではない。廃棄するとしたら、それこそ前に批判的に述べた「なかったことにする」しかありません。心の中でそれができれば、苦労はないでしょう。でもそれはそもそも苦労なのでしょうか。今の我々の心は、我々が経験したことの積み重ねによって形成されています。なかったことにすることは、ともすれば自分の「今」を否定することになりかねません。過去は動かしようがない。そしてそれを受け入れることが、今を生きることです。将来に夢を託すことはできる。しかしそれは問題の先送りであり、問題に向き合うことにはならない。今(プレゼント)こそが大切であり、だからこそそれは贈り物(プレゼント)なのだ、といった台詞が、今日見た映画(「カンフー・パンダ」)にあったように記憶します。心を整える必要はある。整理しておくことは大切でしょう。しかし、大掃除はやる必要がない。というか、できない。今ある心と向き合うだけです。一年の半年以上を病室で過ごしました。それだけに経験した「出来事」はわずかですが、心の振幅は、いつもの年とは比べものにならないほど大きかった気がします。まだ現在進行形なので、なかなか「振り返る」きっかけがつかめませんが、心静かに、過ぎ来し方を見つめる時間を持てたらと思っています。過ぎ去りし時を重ねて今があり その今をこそ しかと見つめめ(「見つめめ」は変だけれど、「こそ」を使っちゃったから文語文法的にはこれが正しいはず。)【メモ】観た映画:「カンフー・パンダ」上にもちょっと触れましたが、今日観終えたのがこれ。周囲の冷たい目にさらされていた主人公が、努力を重ね、信頼を勝ち取り、真の敵を倒すという、いつものパターン(最近の作品だと「ズートピア」がこのぱたーんですね)。ただこの作品にはオリエンタリズムの味付けが色濃く施され、それは東洋哲学(っぽいもの)を含みます。自分の力に頼ろうとするな、特別なことはせず、自然体で受け流せ、とでもなるでしょうか。どう考えても勝てそうにない相手に勝ったのは、相手の力を受け流すことによって、相手が、自分のもつ過剰な力によって自滅するに至ったからでしょう。まぁそんな小難しいことを考えず、シンプルに楽しめる作品でした。最後のクレジットを見て、声優陣の豪華さにはびっくりしましたが。
2017年12月28日
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今は移行期。点滴で注入していた薬剤を、経口薬に少しずつ切り替え、また減らせるものは減らしていく、という時期です。そのため、今まで以上にチェックが細かくなっているように感じます。今は、肝臓の数値が不安材料になっています。昨日までは順調に下がり続けていたのですが、今日はちょっとだけ上昇していました。そうなると、疑われるのはGVHD。なので、明日はエコー検査が入りました。こうした細かなチェックは、患者にしてみれば心強い限りです。逆に言えば、退院してからの不安が募ります。少しでもその不安を減らせるよう、より安心して過ごせる身体作りに集中したいと思っています。運動の強度や負荷を少しだけ増やしました。ホントに少しだけなので、例えばエアロバイクを漕ぐ時間を、たった5分だけ延長してみた、といった程度です。そうやって、まだいつになるか全くわかりませんが、退院後の生活をスムースに始められたらと願っています。そうそう、今日はとてもすてきな映画に出会いました。シルヴァン・ショメ「イリュージョニスト」というアニメ作品です。もともとフランスの名喜劇役者ジャック・タチが娘のために書き残した脚本がベースになっているようで、老手品師と、彼を手品師ではなく魔術師だと思い込んでいる娘との交流を描いていますが、正直言ってストーリーは私にとっていわば二の次。引きつけられたのは、画面そのものです。あの、水彩画を思わせる、淡く、それでいてしっかりした色遣い。いやぁ、癒やされました。溜め息が出るほど美しい。もちろんこれは今の私が「色彩」に飢えていることのあらわれかもしれませんが。しみじみ、よい作品。なおこの監督には最新作があり、また、大人気を博した「ベルヴィル・ランデブー」も未見ですから、退院後の楽しみがまた増えました。こういう素敵な出会いは、入院していなかったらまず期待できなかったこと。これも一つのセレンデピティですね。だからといって、それを期待してずっと入院していたいとは思いませんが。偶然か 必然なのかは 知らないが 出会って嬉しい セレンデピティ
2017年12月27日
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この病院にお世話になって今日で丸二ヶ月が経過しました。検査、前処置、輸注、生着…。結構大変な時期もありましたが、概ね良好な状態を保ち続けているようで、これはもう感謝の言葉しかありません。あとどれくらいお世話になるのかな、とも考えてしまいがちですが、これはこちらで判断できることではないと割り切っています。昨日はなにやら要領を得ないことを記してしまいました。街並みの不変性と、ミュージカルなどの文法とを結びつけようとしたのはやはり強引でした。あるいは、もう少し考察を深める必要がありそうです。昨日より強く言いたかったのは、街並みの不変性の方でした。変わらずにあるからこそ、かつてそこで起きたこと、しでかしたことと向き合わざるを得ないのではないか。翻って日本はどうか。保護下にある「古都」や一部の街並みを除いて、変わらずにあるところを探す方が困難でしょう。ほとんど無理といってもいいかもしれない。建て替えはいうなれば「リセット」です。そしてリセットは、それをせざるを得なくなった状況・状態をそれこそ「なかったこと」にすることでしょう。そういう観点で考えると、日本の文化というのは、意外とこの「なかったことにする」傾きがあるのではないだろうか。「三尺流れて水清し」汚れはどこかに消えています。汚れということで言えば、汚れ=穢れに対する「禊ぎ」という発想があります。これは何も責任を取ることを意味しない。何らかの試練をくぐり抜けることで、汚れそれ自体をなかったことにしている。伊勢神宮を始め、日本の神社のいくつかには「遷宮」という制度があります。60年に一回の出雲大社はさすがに耐用年数の問題からでしょうが、伊勢神宮などのそれは、20年の間に蓄積した汚れをなかったことにするという発想にも基づいているのではないか。その蓄積した汚れは、古い建物と共に消えてしまうわけです。規模は小さくなりますが、天神様で行われる「鷽替え」などもそう。あったことなのに、それを「鷽」=嘘、つまりなかったことにしようという祈りです。そこに人々の切実な願望があることはわかります。でも、願望がいつしか妄想になり、本当に「なかったこと」にできているような気になっていたら、これはこれで問題なのではないだろうか。さらに言えば、こうした、日本人の多くにとってごく自然なものかもしれない発想、そしてそれに基づく文化が、しかし異なった文化の人々に受け入れられるとは到底思えません。前に記した「当病」という考え方は、「なかったことにしない」ことを前提としています。潜在的に「なかったこと」にしたい願望があり、それを育む土壌の中に我々がいるのならば、これはなかなか受け入れづらい考え方かもしれません。でも、とやはり思います。ことこの病気に関する限り、「なかったこと」には絶対にできない、というより、それときちんと向き合うことこそが、その後の生活の質を(見た目などとは関係なく)高める手立てなのではないかと、自分自身の経験を振り返って強く思っています。なぜなら、我々が生きるべきは願望ではなく現実なのですから(偉そうな言い方ですみません)。あったこと なかったことにできるなら 世に苦労の 種はあるまじ【メモ】観た映画:「ラブ・アゲイン」原題は"STUPID, CRAZY, LOVE". 内容はまさにそのもの。ラブロマンスに分類されるのでしょうが、笑うに笑えない、でもなぜか見終わった後はハッピーな感じに包まれる、ちょっと不思議な作品でした。最後の最後の方で「え~っ」という事実が明らかになるのですが、これは黙っておくべきでしょう。いくつかのカップルが出てきますが、中でもライアン・ゴズリングとエマ・ストーンのカップルがいい。そう、後に「ラ・ラ・ランド」で再び共演を果たすことになる二人です。ライアン・ゴズリングが、男の目から見てもなんかかわいいんですよね(その気はないつもりですが)。悪趣味な部分も少なからずあったけれど、意外な拾いものでした。
2017年12月25日
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リハビリのため、午前と午後、30分ずつエアロバイクを漕いでいます。その間の供は、アマゾンプライムの映画。先日は「黄金のアデーレ 名画の帰還」についてメモを記しました。今日観終えたのは「プロデューサーズ」。これはひと言でいうなら、テンションが異様に高い人たちによって演じられるドタバタミュージカル。個人的にはユマ・サーマンのはじけっぷりが素敵でした。この2本について、ちょっと思ったことを記しておきたいと思います。前者は、歴史と真摯に向き合った、静謐な中にエネルギーを秘めた映画。後者は、ほとんど病的なまでに躁状態が続くお祭り映画。対照的です。後者は、はじめ、出演者たちの無駄に高いテンションに圧倒され、観るのを止めようと思ったほどでした。でも、最後まで気持ちよく観ることができた。なぜか。ミュージカルは、その淵源をたぶんオペラというよりオペレッタに探ることができそうですが、ショービジネスとして確立したのはブロードウェイであり、さらに映画というジャンルにおいても成り立たせたのはおそらくハリウッドではないかと思っています。そうした中で、自ずと、「ミュージカルの文法」が育まれていった。そして、それをいわば「型」として踏襲しつつ、様々な形で展開していった。「プロデューサーズ」は、一歩間違えば俗悪な作品にすぎませんが、それを免れているのは、そうした「文法」をしっかりと押さえているから。「変わらない」ものやことをとても大切にしていると言いかえてもよさそうです。その点で、「黄金のアデーレ」が重なってきます。主人公が、本当は戻りたくなかった故郷ウィーンに戻る。そこには、所有者も目的も変わったものの、建物それ自体は、戦中と変わりなく残っていました。いや、それはもっと昔にまでさかのぼることができるはずです。あの建物からそれこそフェルメールやクリムトが出てきても不思議には感じません。まさに変わらない建物、変わらない街並み。そしてそれ自体が、過去に真摯に向き合う姿勢を促すことに繋がっているのではと思われます。翻ってこの国はどうか。もちろん、「変わらない」ものが大切にされていることは確かでしょう。百年単位で続く「老舗」が一番多く存在するのは日本にほかなりません。それでは、文化においてはどうか。古典芸能(人気再燃の漫才も含め)などは「型」を受け継ぎつつ現代を生き生きと体現しています。そうしたものは他にもたくさんあるでしょう。でも、今「伝統」と呼ばれているものの中には、近代以降に、主に商業的な目的で作り出されたものが少なくありません。「七五三」などはその典型ですよね。それを古くからの伝統だと思いなしてしまうとしたら、それだけ「伝統」というもの、「変わらない」ことに対する意識が低いということになりはしないだろうか。SNSの発達・浸透により、ますます刹那的、脊髄反射的な言説が増えていっているように感じます。「文化」は何も凍結すべきではない、常に活性化する必要がある。しかし、その中で「変わらない」もの、「守るべきもの」があるし、そうしたものへの意識を高く持つべきではないかと思うのです。そうしたものにしっかりと目を凝らさず、目先の享楽的な面ばかりを求めていていいのだろうか。せっかく楽しめる映画に出会いながら、こんな、無粋なことを考えてしまいました。
2017年12月24日
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昨日記した内容に関して、思い出したことがありますので、記しますね。病気が初めて見つかったのは2011年の秋。そう、3.11のあった年です。化学療法が順調に効果を上げていたこともあり、年内には職場に復帰。そして翌年四月、ちょっとしたスピーチの機会がありました。そこで話したのは「昨日と同じように今日があり、今日と同じように明日が来ると信じられることのありがたさ」でした。「日常」のかけがえのなさと言っても同じです。四月を迎え、新たな年度が始まるわけだけれど、それぞれの「道」を模索しながら、さまざまな出会いを通じて、自分なりの「日常」を構築してほしい、云々。そこに、3.11の報道を通じて得た思いと自分の病の経験を込めたことは言うまでもありません。実感にも裏打ちされていたと思っていましたが、今振り返るに、やはり考えが足らなかったと言わざるを得ません。そもそも、3.11で被害に遭われた方達と、病に襲われたもののさしたる後遺症もなく過ごしている自分とを重ね合わせること自体、傲慢以外の何者でもありませんでした。3.11で被害に遭われた方々の「かけがえのない日常」はさまざまな形で破壊され尽くされていました。一方私は、病を得たにせよ、ちゃっかりかつての日常に戻っていました。偶々運良くそうなっただけであるるのに、その点は全く自覚せず、自分で自分を祝福していたようなものです。その、日常が破壊されたことと、一見日常に復帰できたこと、このとてつもないギャップに目を凝らすことなく、単純に重ね合わせるなど、思慮の浅さ極まれりと言ったところです。そしてその浅慮は、そのとき、何があっても乗り越えられる、元に戻れるという思い込みに囚われていたことを端的に物語っています。もちろん、「元の生活を取り戻す」ことは、一つの希望たり得ます。破壊を被った人たちにとって、やはり理想は、元に戻ることでしょう。また、大きな天災の後に目にする「がんばろう、◯◯!」という掛け声には、また元の生活を取り戻そうという響きが含まれているように思います。そもそも「復旧」という言い方自体がそうです。でも、「元に戻れる」ということは、起きてしまったことを「なかったことにできる」ということですよね。身もふたもない言い方になってしまいますが、そんなこと、できるはずがありません。だって、起きてしまったのですから。やはり、そのことはしっかり認識しておくべきだと思うのです。もちろん、こうした割り切りがすっきりできるものではないだろうとも思います。とりわけ、かつての日常が深い歴史を背負ったものであればあるほど、「復旧」への思いは捨てがたくなるでしょう。それから先は、たぶんそれぞれの価値観や人生観の問題になりそうなので、これ以上は踏み込みません。結局、最初の病の後、私は二つの失敗をしていたことになります。一度失われたものは「元に戻れない」、そのことに思い至らず、「なかったことにできる」と思い込んだまま考えの足りないスピーチをしてしまったこと。そして、程度という点では比較になりませんが、私の身体の中にも「なかったことにできない」変化が生じていたことを自覚しようとしなかったこと。後者の勘違いが、巡り巡って私の現在を招来することになったのではということは、昨日述べたとおりです。覆水は 盆に返らず 返るのは 覆水に似た新たな水のみ 喪われたものは ついには戻らない 新たな日常を 模索してみる「復旧」の幻想による今の病 不運にあらず 自業自得なり
2017年12月23日
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病と向き合いながら生きる、「当病」ということについて昨日は記しました。もちろんこれは、「がん」の再発を前提として生きよということでは全くありません。それなりに苦労したわけですから、二度とおつきあいはごめんです。そこらへんの思いを三十一文字に託したら、こんなのが生まれてきました。お前には 是非とも聞きたいことがある どうして生まれた なぜここにいるお前をば 消し去ることは 己が身を 傷つけることに ほかならないのだお前をば 消し去ることで 得た現在 お前は何を 持ち去ったのだお前はね 俺の身体だけでなく 生活までも 傷つけたんだぞ お前は俺 俺はお前を切り捨てる 生きてくためだ ではさようならいつかまた お前が顔を覗かせる? 覚悟はあるが 絶対に来るなもう恨みつらみばかり。私の場合、幸いなことに、「ではさようなら」と言える段階にたどり着くことができたようですが、そこになかなかたどり着けない方たちのご心労は察するに余りあります。そして、一たび「ではさようなら」と別れを告げることができたなら、「絶対に来るな」と思うのは当然でしょう。でも、私たちの身体は、最低一度は「がん」を生んでしまった身体です。その事実だけは、なかったことにできない。それをきちんと見据えておく必要があるのではないか。「当病」に込めたのは、そんな思いです。これには私自身の苦い経験があります。最初にがん(悪性リンパ腫)が見つかったとき、一番思っていたのは、「なかったことにしたい」ということでした。すなわち、それが見つかる前とほぼ同じ生活を送ること。「えっ、がんですか? いやぁ、全然関係ありませんよ、だってほら、前と全然変わっていないでしょ。」化学療法中、職場復帰して通常勤務に就いていたどころか、病が見つかる前とほぼ同じだけの負担を身体に強いて、ランニングにも取り組み、ハーフやフルのレースにも出場。フルマラソンに出場したのは、化学療法最終日の前日でした。なまじそれができてしまったことが不幸でしたね。そんな生活を送っていたにもかかわらず、寛解の診断を得、「ほら、大丈夫。俺は平気。」ますますランニングにのめり込んでいきました。で、化学療法が終わったその年の暮れに再発。これはもう、こうした勘違いに基づく無理がたたったとしか言いようがありません。その後、自家移植。おかげさまでこれも無事に乗り越えて、「日常」に復帰。無茶をしたという反省はもちろんありますから、だいぶおとなしく過ごしたつもりですが、そこでもしかし、「なかったことにしたい」という思いが働いていたように思います。そして今回。さすがに考えました。そして、ようやく実感しました。「なかったことにはできないのだ」と。私の病は血液疾患ですから、物理的な変化(目に見える変化)はありません。切除などの外科治療を受けられた方には余りに自明のことが、なかなか見えなかった、というか、見ようとしなかったわけです。また、前回の自己移植までは、QOLという点であまり悩まされることはありませんでしたが、今回は違います。感染症の恐怖、GVHDの恐れがずっと続きます。そしてもちろん再発の可能性も。これらをうまく「飼い慣らす」必要がある。ちなみに、この「飼い慣らす」というのは『星の王子様』において狐が王子に求めた関係性ですが、「当病」の「当」とはこの「飼い慣らす」が一番ぴったり来そうです。できればこんな目には遭いたくなかった。しかも一瞬の我慢で済むことではなく、生涯続くことなのですから。生活の質の低下を嘆きつつ 「新しい自分」と呟いてみる「新しい自分」というのは、現実に即して考えたとき、美化しすぎた言い方かもしれません。でも、今の自分をまるごとポジティブに受け入れるために、必要な捉え方ではという思いもあります。その場所に立たなければ見えない景色というものがあります。できれば立ちたくなかった立場は、しかし、そこからしか見えない景色を見せてくれるでしょう。今まで当たり前に見えていた景色とそれらを重ね合わせることで、景色に限らない、物事全般がよりクリアに、立体的に見えるようになるかもしれない。それはもちろん快適な経験ばかりではない。むしろ逆のことが多そうな気もします。でも、それらは間違いなく自分という人間を成長させてくれるに違いない。結果的に自ら「落ちた偶像」になってしまったランス・アームストロングは、その苛烈ながん闘病記『ただマイヨ・ジョーンのためでなく』の中で、がんを「ギフト」と呼んでいました。その境地に到達することはできそうもありませんが、自分の身体に生まれてしまったものを受け入れるしかない以上、それに、少しでも積極的な意味を見いだしたい、そんな思いです。まだ退院も見えてこない段階であり、これから先どんなことが待ち受けているのか不安だらけですが、こんな、前向きの姿勢を持ち続けられたらいいな、と思っています。「三度患者になってちょっとわかった「がん」のこと」について、浅慮を露呈させながら記してきましたが、ひとまずこれで一区切りとします。ここまでおつきあいいただいた方には、感謝の言葉しかありません。ありがとうございました。最終回は、退院が決まったら記すことにして、明日からは、さて何を書こうかな?明日もまたいい一日でありますように。
2017年12月22日
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三度患者となってちょっとだけわかった「がん」のことを、ある程度順序立てて記してみようか。そんな思いでこれまで書き綴ってきましたが、たぶんあと2回で一区切りとなります。その前にちょっとだけ近況報告を。カテーテルが抜かれました。どうも挿入口から感染症のおそれありとの診断が下されたようで、なので点滴そのものから解放されたわけではありません。今は、左腕にしっかり「点滴口」が装着されています。カテーテルを抜いてもらうことを一つの指標にしていたので、ちょっと中途半端感は否めませんが、それでも一歩前進ではないかと思っています。本題に入ります。問:人の身体は何でできているか?答:自分が食べたもの。もちろん、今回の治療のように、外側から注入されるモノもありますが、基本的には自分が摂取したものによって身体は成り立っています。それ以外のものはありません。つまり、徹頭徹尾自己完結しています。そして「がん」はその中で生まれたものです。だから、改めて言うまでもありませんが、これは、自分の身体の一部です。それにしても不可思議な存在ですね。肝心の、自分の宿主を襲うわけだから。自滅的破壊願望の塊とでもいいましょうか。だからこそ、やっつけなくてはならない。闘わなければならない。やらなきゃ、やられるという関係を「がん」は一方的に押しつけてくるから。その関係を断ち切るべく、治療に専念する。これが今の段階ですね。そして、自分の身体の一部だから、それをやっつけることは、同時に、自分の身体の一部を損傷することになります。しかもそれにとどまらない。自分の身体の一部なのだから、一連の治療でそれをやっつけたとしても、また生まれる可能性がある。ともすれば終わりの見えない闘いです。だとしたら、それは「闘い」という名の「つきあい」をつづけることなのではないだろうか。かくして、「当病」という言葉を得ました。既に護摩を焚いての祈祷の一つに「当病平癒」があるようなので、目新しさには乏しいかもしれませんが、これは、今後も「がん」とのつきあいにおいて、いや、もしかしたら人間関係全般においても必要なものなのではないかと考えています。この「当」は「当事者」のそれと同じ意味です。事にしっかり向き合い、それと関わっていくこと。あるいは、それと共に生きていくこと。一方的にねじ伏せたり、一方的にやっつけたりすることなく、そういうものとして受け入れていくこと。そのために必要なのが、やはり、二日前に記した、身体に対する考え方のように思います。つまり、欲望を実現するための道具ではなく、一生つきあい続けるパートナーと考えること。そのパートナーが、既にがんを発症させてしまう存在になっているのなら、そういうものとして丸ごと受け止め、その声に耳を傾け、対話し、できれば再びがんが発症しないよう、気を配り続けること。「当病」にはそんな思いがこもっています。【メモ】観た映画:「最高の人生の見つけ方」マイケル・ダグラスとダイアン・キートンによる、還暦者の恋。若者のハラハラドキドキラブロマンスもいいけれど、こういうのも捨てがたい。すべてがうまくいきすぎるきらいはありますが、一つの夢物語でしょう。孫娘役の子が天使。マイケル・ダグラスの着こなしも見事。
2017年12月21日
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今日までうだうだと書き綴ってきましたが、たぶん今日か明日で一区切りをつけたいと思っています。今日は「ドラえもん」。唐突ですね。でも、こんな病気に悩まされていたら、子供じみた発想ながら、「ドラえもんの道具があったら…」などと考えてしまうのも事実です。それっぽいネーミングで、三つほど考えてみました。・キャンサーいらんサー懐中電灯型機器。患部に当てると、「キャンサー細胞なんて要らない」と、サーっと消し去ってくれる。究極のがん治療具ですね。・メンえっきー飲むだけで身体の免疫機能を強化してくれるドリンク。NK細胞がとんでもなく活性化して、悪者をやっつけてくれる。・ふくさノー放射線治療や抗がん剤の副作用を消してくれる布。この布で一拭きすると、口内炎、吐き気、下痢、皮疹などの副作用が綺麗に消えてしまう。ちょっとむなしい作業でしたが。でも、考えてみれば、即効性はなくても免疫力を高めて恒常性を維持する治療を受けているわけですし、副作用についても、それを軽減する手立てをあれこれ講じてもらいました。「メンえっきー」「ふくさノー」は、実質的には実現していると言ってもいいのかもしれません。つまり、ドラえもんの道具というのは、もちろんあり得ないし、願望ですが、よくよく考えるなら、時間さえかければ実現できるようになっているものが結構あるような気がします。にもかかわらずドラえもんの道具に憧れるのは、その即効性、すぐ、その場で役に立つからかもしれないですね。でも、その場で役に立つことを考える余り、その道具の持ついわば「副作用」に思い至らず、その副作用があの漫画の「笑い」の多くを支えているようにも思います。今日一番お伝えしたかったこともこの即効性に関わります。即効性が求められるのは、事態が急迫しているから。その事態に、適切に対応しようとするから。ドラえもんのすごさって、実はそこにあると思うのです。一般にドラえもんのすごさって、その道具の豊富さにあるように思われているのではないでしょうか。でも、道具は道具にすぎません。適切な使い方がなされて、はじめて生きたものになります。つまり、たくさんあってもそれだけではしかたがない。ドラえもんのすごさは、直面した事態に対して、どの道具を用いるのかを瞬時に判断し、選択していることです。状況分析と問題把握と、問題解決策を、瞬時に行っているのです。これって、ホントにすごくないですか?一般的に、会議とか、ワーキンググループとかって、上の課題(状況分析・問題把握・解決策)にかなり時間をかけて取り組むためにあるのではないですか。もちろん問題の質も何も違うけど、ドラえもんは、一人で、それを瞬時にやってのけている。しかも、(先に触れた、副作用に思い至らない、という点を除けば)失敗も少ない。ドラえもんの出した道具は、概ね事態を解決に導きます。もちろん漫画作成の過程を想像すると、まず道具が発想され、それを生かす展開が考えられた可能性が大だと思いますが、これは全く別の問題でしょう。翻って我々のことを考えます。我々にはドラえもんの道具はない。でも、実質的にそれに近いものたちを、実現している。それは、問題を的確に捉えて分析し、解決に導く努力を積み重ねてきたからにほかなりません。それは、ドラえもんのすごさを、時間はかかるけれど、我々も持っていることの証ではないでしょうか。もちろん、治療そのものは専門家の領域です。でも、それとは違ったレベル、つまり患者というレベルで、その時々の症状に向き合い、自分なりにそれを把握し、自分にできることを探る、ということは絶対にできるはずです。「ひみつ道具」を出すことはできませんが、自分なりの工夫を実践することそれ自体が「道具」に当たるはずです。方向性として間違うかもしれません。でも入院中であることを考えてみてください。的確なアドバイスをくれる人たちに囲まれて生活しているのです。そうやって、単に指示に従って治療を受けるだけでなく、自分なりの工夫や心構えを考えること。患者としての日々の中で、これって結構大事なんじゃないかなと実感しています。そしてこのことは、たぶん、患者を卒業した後も、変わらないだろうと思っています。今自分にできることって何だろう 考え行けば 僕ドラえもん
2017年12月20日
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先日、「退院オリエンテーション」というものがありました。退院が秒読み段階に入ったというわけでは必ずしもなく、退院後の生活はかなり大変だから、早めに準備するなりしてね、という意図のようです。退院後 あれダメこれダメ 注意せよ さもなきゃ 苦労が 水泡に帰す病院が作成した小冊子に基づいて、約二時間。細かな点にまで注意が及びますが、とりわけ食べ物に関してはグレーゾーンが広く、苦労することになりそうです。そうした問題意識を得られただけでも十二分に意義のある時間だったと思いますが、実はちょっとした不満も感じていました。提示されたのは、早い話、移植を受けた身体の「取説」であり、小冊子はまさにそれです。マニュアルとして役に立ちそうですが、しかし、それだけでいいのか。禁止事項 よくよく読めば 見えてくる 丁寧な暮らしを 心がけよと例えばこの「丁寧な暮らしを心がける」こと。これはいわば「心得」であり「理念」みたいなものですよね。そうしたものの提示が欠けていたのではないか、と。なぜか。あの小冊子に横たわっているのが、「身体」=取り扱い可能なモノという発想だからではないでしょうか。改めて「身体」とは何か。かつて「身体論」が広く議論されていた季節がありましたが、ここでは極く単純に。人間が「心」と「身体」で構成されているとするなら、「身体」は「心」を体現化し、その思いを実現するための道具のような存在と言えるでしょう。「心」を目標、欲望、いろいろ言いかえてみればわかりやすいと思います。100mを9秒台で走るために必要なのは、それを実現する道具としての身体の、徹底したトレーニングです(もちろんメンタル面も大事ですが、今その問題は省略します)。あそこにあるものを取りたいと思ったとき、動かすのは身体です。また身体のありようそのものが自己目的化した例(身体を、自分の欲望に合わせて加工可能なものとして捉えた例)として「ダイエット」「アンチエイジング」などが挙げられるでしょう。道具だからこそ、刺激を与え、鍛えることができる。酷使することができる。無理強いをすることができる。「がん」は、もしかしたらそうした事の積み重ねの中で、こんな生活、もう耐えられないと言い出した細胞が、どんどん前後の見境を失い、破壊能力だけを研ぎ澄ませ、増殖を始めるようになったものなのかもしれません(あくまでも文系人間の粗末なイメージです)。だとしたら、その「身体」とのつきあい方を本質的に変えることを促す出来事として、「がん」はあるべきではないか、と考えました。身体をば 使って生きるわけじゃなく 身体とともに 生きていくのだ身体とは 生きるための 道具じゃない 唯一無二の 最良のパートナー「身体」とは自分の欲望を実現するための道具ではなく、「自分」を構成する物理的条件であり、かつ、一生涯つきあい続けるパートナーであると捉え直すこと。そうした意識を持てれば、自ずと身体との対話が始まります。身体があげる声に耳を傾け、欲望をコントロールできるようにもなるはずです。もちろんこれは理想にすぎませんが、とりわけ移植後の身体については、そうしたイメージをもって接することが重要なのではないかと思います。いや、これは移植後とか、そういう特殊なケースに限られるのではなく、もう少し広い範囲でも当てはまるのではないかしら。もちろん、目標実現のための道具として身体を捉えることを止めろというつもりはありません。それは欲望を捨てよという主張につながり、その先はたぶん宗教になりそうです。そうではなく、パートナーとしての身体という捉え方を、ごくたまにでいいから、やってみたらどうだろう、ということです。退院がいつになるかはわかりませんが、少なくとも私は、そうしたことを心がけていきたいと思っています(うまくいくかどうかはわかりませんが)。なお、上に述べたような感想を看護師さんの一人に伝えたところ、看護師サイドでも問題意識として持っているという答えが返ってきました。この病院を選んでよかったと思ったことはいうまでもありません。と共に、その流れで、びっくりするような現状を教えてもらいました。こうした、移植を受けた患者にとってはとても大切なレクチャーの機会を設けていない病院もあるとのこと。禁止事項や注意事項を列挙した紙一枚でもいいから、絶対に必要だと思うのですが、そうしたものも、ない。数日前に記した「病院間格差」は、例えばこのような形でも存在しているようです。【メモ】観た映画:「黄金のアデーレ 名画の帰還」実話に基づく映像化ですが、最初のシーンから名品の予感が漂います。そして、その予感は最後まで裏切られませんでした。テーマは重いですが、映画そのものに重苦しさはありません。いい映画を見せてもらいました。明日もまたいい一日でありますように。
2017年12月19日
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今回受けたのは、骨髄バンクを通して見つかったドナーからの、非血縁間同種移植という治療です。ドナーさん、受け手の特定を避けるべく、そのヒント(いつ、どこで、どういう人から輸注を受けた等)は、SNSで一切明らかにしないよう、骨髄バンクから要請があり、そのために、なるべくリアルタイムの報告は避けるようにしてきました(こんなささやかなブログの記述が何かの手がかりになるとは思えませんが)。でもまぁ、一定期間を経て、経過もさまざまでしょうから、この段階での近況報告が個人の特定につながるとは思えません。なので、ちょっとだけ報告を。今日はささやかだけど重要な動きがありました。一つは、大部屋に移ったこと。それだけ、順調に推移している証と受け止めています。もう一つは、これからなのですが、輸注以来ずっと点滴で注入されてきた免疫抑制剤が、21時から内服に切り替わります。点滴をつながれている限り退院はできませんから、これは退院に向けてうれしい動き。でも、看護師さんによると、この切り替えで、かつての生着時前後に生じた皮疹や下痢といった症状が出ることも少なくないそうです。これに対して自分に何ができるのかわかりませんが、慎重に行きたいと思っています。現在、入院当初から比べると、体重が約10kg減りました。主治医によると、これは想定内だそうですが、まるで中学生に戻ったようで、ちょっと落ち着きません。脚がやたらに組みやすくなったのはいいのですが、おしりの肉も落ちて、いすに座っていると痛みを感じます。筋肉を少しずつ戻し、併せて体力も、ということで、「リハビリ」には割と熱心に取り組んでいます。12月13日にも取り上げた話題ですが、改めてざっと紹介すると――。朝:上半身、下半身のアクティブストレッチ。フルスクワット10×3。立位での腹筋運動少々。病棟内歩行5~10周。午前:エアロバイク30分。午後:エアロバイク30分。あと、毎食後、病棟内歩行5周。ちょっとやりすぎかもしれません。運動強度は低めに抑えているので、うっすらと汗をかく程度で、消費カロリーはたいしたことがないはずですが、体重が増えない原因は実はここにもあるのかもしれません。若干の筋肉痛も感じていますが、「無理を強いている」感はありません。なので、止めるつもりはなく、「身体の声を聞きながら」、続けていきたいと思っています。もともと身体を日常的に動かす生活を送ってきましたから、こうした過ごし方が、私にとって、明るい明日につながると信じています。明日への期待を胸に抱けること それこそまさに健康の証しなんせ、治療の辛い時期は今日並みか いや今日よりも悪そうだ 夜明けは何も待ち遠しくなしといった状態でしたからね。もちろん今はまだ薬によって支えられている、仮初めの(あるいは、薬漬けの)「健康」にすぎません。が、それによって得られている心の安定(健康)を、なんとか自分なりに維持し続けていきたいと思います。さきほど、「無理を強いている」・「身体の声を聞きながら」と記しました。次回はそのことについて触れてみたいと思います。【メモ】読了した本:藤沢周平『闇の梯子』初期短篇集。市井人情モノ3作に、武家物1作。久々の再読です。いやぁ昏い。しかしその中に魅力があります。とりわけ、巻頭作の「父(ちゃん)と呼べ」。これ、凄い傑作です。初読の時に強い印象を受けた記憶だけが残っていたのですが、そうか、こういう世界だったか。この作家の短編の中で一番好きな作品と言いたい気持ち。
2017年12月18日
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昨日記した中に、自分の病なのだから、きちんと情報を得る「勇気」を持つべきだ、さもなければ医師にすべてを委ねるべきだとありました。じゃあお前はどうなのか、と言われたら、恥ずかしながら後者でした。ちょっと調べたら、「長期生存率2,3割」に出会ってしまって、その衝撃をうまく受け止めきれなかったというのが理由です(基本的にチキンなもので…)。また、細かなオプションはあるにせよ、基本的な治療方法が確立している病だったので、何も素人が中途半端なことをやらなくても、という開き直りに近い思いもありました。でも、昨今は、医師が病気についてきちんと説明した上で、患者に選択させるという流れがあるようですね。医師の責任逃れ、というわけでは絶対にないでしょう。患者に、受け身ではなく、自分で選んだ道なのだから、自分で前向きに取り組みなさいと促す意図があるのだろうと考えています。これはこれでいい流れなんじゃないかなぁ。さて、本題です。ただ、「不安」についてはあまりに千差万別で、その逐一に目を向けることなどできようはずがありません。ここではごくごく一般的なことだけを。「酋長の祈り」という話があります。簡略化していうと、ある部族で、若者の通過儀礼として「狩りに出ること」があったとします。猟場まで一日の行程、これには危険がない。翌日、危険を冒して猟場で狩りに出る。そして、成果はどうあれ、その翌日には初日と同じ行程で戻ってくる、という三日間。さて、若者たちの無事を願って、酋長はいつからいつまで祈り続けるか。合理的に言えば、若者たちが危機にさらされるのは、猟場に出ている二日目だけですから、その日一日だけ、祈り続ければいいことになります。でも、実際は三日間、つまり若者たちが帰ってくるまで祈り続けるでしょう。例えば入試の発表もそうですよね。発表の前日あたり(もっと突き放して言えば、試験が終わった時点)には、もう結果は確定しています。でも、実際に自分でそれを目にする直前まで、祈り続けますよね。要するにどういうことか。不安は、結果を知るまで解消することはない、ということだろうと思います。じゃあ、その消すことのできない不安とどう向き合うか。何事も整理のしようはある訳で それの工夫を考えてみる不安そのものに目を向けるのではなく、それを整理し、把握するにはどうすればいいかを考える。その間、不安からは目を逸らすことができそうです。ではどんな工夫があるか。一つだけ紹介します。ある程度字が書ける大きさの付箋と、大きめの紙(B4くらい)を用意します。そして、今抱えている不安を、付箋一枚に付き一個ずつ書いていきます。すべてはき出したかなと思ったら、今度は大きめの紙をいくつかに分けて(折れ線をつければ十分)八つくらいの領域を用意します。領域をカテゴリー化します。例として、「生き死に」「治療」「副作用」「仕事」「費用」「家族」「生存率」を挙げておきましょう。そして、不安を記した付箋を、それぞれの該当する領域に貼っていく。これは、自分の抱えている不安をはき出すと共に「見える化」し、客観的に把握する上で有効だと思います。そうやって整理したものを、次に、時系列に並べていきます。今やらねばならないこと、次にやらねばならないこと、さらにその次…。不安に駆られてどうしようもなくなってしまうのは、それらが一気に押し寄せてくるからだろうと思います。それらを全部受け止めることなどできるはずはないし、そもそも無駄でしょう。自分のことを例に出してみます。「治療」の領域です。まず、不完全寛解で治療に臨まざるを得なかったということがありました。でもこれは今更考えても仕方がないものです。次に、「前処置」への不安があり、「副作用」「輸注」「生着」「GVHD」と続きます。つまりどういうことかというと、向き合うべき不安はその都度その都度、きわめて具体的にあり、その時どきで、それをどうすればいいのかに集中すればいいでしょうということです。「前処置」が始まる前から、無事「生着」するかどうかを不安視しても仕方がありません。それは、無事「輸注」にこぎ着けた後に向き合えばいいことです。また、「生着」もしていないのに、「GVHD」の不安に駆られるのはそれこそ無意味です(それを視野に入れておくことは、患者の過ごし方としてもちろん大切ですが)。ただでさえ心身共に不安定な時期ですから、無駄なことはなるべく排除して、目の前の課題に取り組むのがベストでしょう。そういう姿勢があれば、実はその時どきで向き合うべき不安は、そう多くも大きくもないことに気づくはずです。これは何? 一つひとつを不安がり 前例ありと聞いて安堵す「前例」を調べることは、多少なりとも不安を鎮める効果はあるでしょう。でも、自分以外の人のことですから、そのまま自分に当てはまる保証はどこにもありません。今自分が置かれている状況を把握し、そこで向かうべき不安についてだけ心を砕く。どんなに辛かろうと、時間はちゃんと流れ、結果が出ます。そうやって、不安を一つ一つ解消しながら、次の段階へと一歩一歩進んでいくのが一番いいのではないでしょうか。明日もいい一日でありますように。【メモ】観た映画:「モンスター・トラック」これも意外な拾いものでした。油田から出てきたモンスターを亡き者にしようとする会社側と、そのモンスターと心を通わせ、それを守ろうとする高校生の話。モンスター物ではなく、さわやか青春物語ですね。モンスターの能力が高すぎですが。
2017年12月17日
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「不安」について記そうと思っていましたが、もう一つの「選択」があったことを忘れていました。セカンドオピニオンです。一つの病院では大概一つの方針しか示されませんから、それと比較対照するために、他の病院での意見を仰ぐことを一般に言うようです。私の場合は、最初にお世話になった病院では移植は不可能だったので、それが受けられる病院としていくつか紹介してもらい、話を聞きに行くという形でした(だったら単に紹介だけでいいのではないかと思いますが、どうやらそうはいかないようです)。で、実際は一つの病院(今いるところ)に行くことをかなり早い段階で決意していましたし、最初の病院でもそのつもりで、情報交換をしてくれていたようです。前に記したように、病院側は基本的に「標準治療」を行いますから、実際の治療方針にどれほど違いが発生しうるかはわかりませんが、その病気の状態をどう捉えるかは、一種の「解釈」であり、その解釈の幅は、意外に広いようです。セカンドオピニオンとして、別の選択肢が示された場合どうするか。判断するのは患者本人です。そのためには、自分の病気について、しっかり情報を得ておく必要がありそうです。そうでなければ、医師の説明を聞いても結局判断できないでしょう。大切なのは、自分が納得して治療を受けること。それしかありません。自分の身体のことです。素人でできることにはもちろん限りがありますが、今、自分の身体がどのようにあるのか、できる限りきちんと把握しておくこと。もちろん、書籍ならまだしも、ネット上には様々な考えが浮遊しています。自分の知りたかったことだけでなく、知りたくなかったことに不意打ち的に出会ってしまうことも少なくありません。何よりも 敵を知るのが 肝要と ネットで検索 一喜一憂でも、自分にとって都合のいい情報だけを集めても仕方がありません。現状をしっかり見据える「勇気」を持つことが大切なのでしょう。それなしに「セカンドオピニオン」を聞きに行っても、混迷が深まるばかりでしょう。でも、人は弱い存在です。誰しもが「勇気」を持てるわけではありません。そうした場合は――最初に診断を受けた病院を信頼し、すべてを委ねるだけなのかなと思います。なお、この「セカンドオピニオン」を聞きに行くのは、基本的に患者の自由意志に基づく行動と見なされます。つまり、医療行為ではありません。相談された医師の負担を考えれば当然とも思いますが、それなりの額を要求されます。私の場合、先にも記したように、他の考えを聞くと言うより、次にバトンタッチのイメージだったのですが、それでも「セカンドオピニオン」としてしっかり請求されました。確か4万円ぐらいだったかな?ついでに。最も重要なのは、どういう治療方針で行くかの検討であることは言うまでもありませんが、同時に、もし事前に確認できそうなら、病院の「空気」「雰囲気」にも注意を払っておいた方がいいのかなとも思います。昨日看護師さんから聞いた話ですが、単純に言うと、「がんばって早くよくなって」という病院と、「やることはちゃんとやったから後は自己責任で」という病院とがやはり存在するようです。この点については、後日また取り上げたいと思います。【観た映画】「ミラクル・ニール」リハビリのエアロバイクを漕ぎながら3回くらいに分けてみた映画。意外な拾いものでした。B級SFですが、イギリス映画らしいユーモアとウイットに溢れ、いやみのない作品になっています。地球の命運が、全治の能力を与えられた、うだつの上がらない男性に委ねられるという設定。それにしても、イギリスの人はやはりアメリカ人が嫌いなのかな。あと、全くの偶然ですが、破壊神的存在の形態が、どことなく今の米国大統領と重なってしまいました。
2017年12月16日
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昨日は「標準治療」に言及して終わりました。その続きです。「標準治療」には「外科治療」「放射線治療」「化学療法」の三つがありますが、別のレベルで言うと、「標準治療」を要素の一つとする三つがあります。すなわち、「先進医療」と「民間療法」です。ただ、「標準治療」の三つは同列に置けますが、これらの三つは絶対に同列に置けないものだと考えています。「標準治療」はいわば既製服のようなもの。この体型(症例)にはこれ、といった形で既に型(パターン)がある程度決まっています(だから「標準」なのでしょう)。がんにはおびただしい種類がありますから、その数に応じて型があります。そして、いざ治療となったら、それをそのまま患者の身体に着せようとするわけではない。体格や、検査の結果得られた特性や、進行度に合わせて、微妙な調節が行われます。デザインは変わりませんが、体型に合わせて調節してもらえるわけです。そして、それが可能なのは、しっかりしたエビデンスに裏打ちされているから。対して、「先進医療」は、そのエビデンスの裏打ちを持ちません。名前でだいぶ得しているだけなのではないでしょうか。しかも保険が利きませんから(がん保険では対応しているものもあるようですが)、膨大な費用がかかります。たまたまうまくいくこともあるでしょう。が、それは、そういう例があった、ということだけではないかと思います。イメージとしては、斬新な限定版といったところでしょうか。たとえるなら奇抜なデザインで、たまたまサイズも含めてぴったり合うこともある、でも多くは…。でも、将来的に「標準治療」化する可能性は皆無ではないのかもしれません。そして「民間療法」。これはもういわば手作り品みたいなイメージがあります。一見、素朴で丁寧。受けることの易しさと、副作用などの影響の少なさを謳っているものが多いような印象があります。そして、一つでも二つでも成功例があると、それがすべてであるかのように語られているのではないでしょうか。それができるのは、逆に、裏付けとして示すべきものが何もないからでしょう。でも人は時に「民間療法」にすがろうとします(「先進医療」は純然たる医療行為なので、勝手に受けるわけにはいかない)。この道だけ? いいや俺は納得しない 他にいい道 絶対あるはずあの人はこのやり方で治ったと 見聞きするたび揺れ行く心納得し この道選ぶと 言う人を 止められるのは その人だけだこの俺の身体の問題なんだから 俺の自由にさせといてくれ進行度、治療の辛さ、治療後のダメージに対する危惧、その他諸々の不安。「民間療法」にすがりたくなる心理は、わからなくもありません(実際私も、今回の病については、少し調べたりしてみました)。でも、裏付けを欠いた治療法を信頼するのは、ほとんど信仰(神頼み)に近いように思えます。そしてそれに徒らに時間を費やした結果、それをしていなければ助かったかもしれないのに、といった痛ましい事例を我々は知っているはずです。それなのに、なぜ…? そこには、「不安」とどう向き合うか、という問題が横たわっているような気がします。なので、次回は「不安」について少し考えてみたいと思っています。
2017年12月15日
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以前、それなりに「続き物」風に記していました。その最後が、11月15日。「宣告を受けたとき(続き)」という見出しでした。その戸惑いや不安について、ざっくり記しています。今日からは、その続きを再開したいと思います(すぐに力尽きるかもしれませんが)。宣告を受け、心理的に大きな衝撃を受け、何も手に付かず、しかし、何もしないわけにはいきません。まず求められるのは「選択」です。では「選択」にはどんなものがあるか。おそらくこの二つでしょう。・医師の診断を信じる(受け入れる)かどうか。・医師の指示に従うかどうか。あるいは、どのような治療法を選ぶべきか。最初の「選択」はそう難しくないでしょう。医師はさまざまなデータに基づきながら、「がん」であることを告げているのですから、信じて、受け入れるしかない。二つ目の選択はそれと地続きの関係にあります。でも、この段階で別の病院に駆け込むということもありえますね。誤診の可能性を探るわけです。しかしそれは大概うまくいかないのではないでしょうか。駆け込んだ先の病院でもまた検査を受け、その結果が出るのを待ち…などとしていたら、病状は進行するばかりです。病院によって診断が異なる可能性が全くないとは言えません。が、ひとたび「がん」とされた診断が覆ることは、あってもきわめて低い確率だろうと思います。なぜなら、微に入り細を穿つような検査を経て、診断が下されるからであり、その診断の根拠というか分析が、病院間で共有されている(はず)からです。だから、どこに行っても下される診断は変わらない。その診断に基づいて行われるのが、「標準治療」というヤツです。でもこれ、ネーミングでだいぶ損をしているような気がします。「標準」は 松竹梅の 竹ならず 重い裏付け その裏にありそう、「標準記録」「標準月収」なんてのもそうですが、中間、あるいは最低限これだけはというイメージが「標準」にはつきまとってしまいます。でもこの「標準治療」の「標準」の意味は違います。強いて言えば、こうするのが当然という意味というのが一番近いのではないでしょうか。それだけ強い意味を認めることができるのは、既にちょっと触れましたが、それには、膨大なデータに基づく科学的根拠(エビデンス)があるからです。そして、この「標準治療」以外にあるのが、「先進医療」と「民間療法」です。(この項、続く)1
2017年12月14日
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昨日はこれまでの流れから言うとかなり唐突な内容を記してしまいました。自分なりにインパクトのある「発見」だったからというのもありますが、もう一つは、「一つのこと」についてちょっと長めの文章を書けるかどうかやってみたい、というのもありました。精神面のリハビリみたいなものです。私が居る病棟には、身体のリハビリのための機器が据えられています。踏み台。そしてエアロバイク2台。時々、使用されている姿を目にします。もちろん、私も使っています。医師から聞いた話ですが、宇宙空間(無重力空間)にいると、人間の筋肉は日々約1%ずつ減っていくそうです。そして、ステロイド剤を用い、かつ、それを用いねばならないような状態(要するに不具合が重なってなかなか身体を動かすことができない状態)では、その約半分、0.5%ずつ減っていくとか。それっぽっちならたいしたことないと思われるかもしませんが、不具合の期間は長く、また入院期間も、回復状況次第で、いくらでも長期に及びますから、まさに目に見える形で減っていきます。特に顕著なのが太もも。私の場合、大胸筋もそうですが、とにかく日に日に減っているのが目で確認できるほどです(ちなみに、調査に協力しているので、昨日筋肉量を測定してもらいましたが、約2キロ減っていました。筋肉全体が約1割減ったことになります)。それがさらに積み重なっていけば、歩行はおろか、自分の足で立つことさえ困難ということになってしまいますし、そういう方は実際に少なくないそうです。そうした事態を避けるために必要なのが、リハビリ。述べたように、筋肉が減っていくのは避けられませんから、その減少を最小限度に食い止めるというのが目的になります。もともと身体を動かすことは苦ではないので、結構熱心にやっています。今のメインは、1周を私の足で500歩ほどで回る、病棟内散歩。そして、エアロバイク。バイクは、午前と午後、30分ずつ、うっすらと汗をかく程度に負荷を低めに設定し、さらに映画を観ながらて漕いでいます。これだと、30分などあっという間に過ぎていきます。まぁ負荷が低いので、ホントに気休め程度ですが。それでも30分続けることで、有酸素運動としての効果が少しはあればいいな、と。気休めに過ぎないことであろうとも 効果があればこりゃ丸儲けだいぶ品に欠けるな、これは。今のところ、おかげさまで経過は良好の模様で、白血球数は安定し、好中球も一定の水準を保っています。でも、そうすると、ついつい「このくらい大丈夫だろう」になってしまうんですよね。先日は下の売店で売っている「唐揚げ」を買ってきて、看護師さんから「まだ早い」と指導を受けてしまいました。外見は六十近くのオヤジでも 免疫力は新生児並みそう、ドナーさん経由の造血幹細胞は、根付いてからまだどれほどの時間も経っていません。病気に罹りやすい赤ちゃんのそれと同じ、弱々しいものに過ぎません。その「力」を少しでも高め、頼りにできる存在へと、育てていくことが当面の課題です。【メモ】昨日観た映画:「SING」今年公開されたばかりの映画が、既にamazonビデオで鑑賞できることにびっくり。いやぁ、早い。話は、単純な「スクラップ&ビルド」を骨組みとしています。この映画の魅力は言うまでもなくステージ上で繰り広げられる「ショー」そのものにあり、物語性は弱い。が、その弱い物語を構成するエピソードのいくつかに敏感に反応し、時に涙を溢れさせてしまった自分って一体…。今日観た映画:「カンフージャングル」はた迷惑なカンフー使いと、それに振り回される、やたらトロい香港警察の話でした。見所はカンフーシーン。逆に言うと、それだけの映画。
2017年12月13日
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相変わらず夜間の睡眠が十分にとれませんが、昨晩は、それが決して苦痛ではなく、静かにいろいろなことを考えられていいやと思えるようになりました。点滴の種類が減ったこともあり、体調が、いい方向に向かっているのだろうと思います。以下に記すのは、そうやってとりとめもなく考えているうちに思い至ったことです。女性にしてみれば、何を今更といった内容だと思いますが、男である自分が、何もわかっていなかったということを記録として残しておきたいので。この病気で入院したのが7月始めですから、足かけ六ヶ月。まだまだ続きます。終わり(退院)は見えません。その間、もちろん仕事はお休みさせてもらっています。幸い休職が認められていますから、その点の不安はないのですが、私の場合、「社会」との接点は「仕事」しかないので、これだけの長期にわたって「離脱」していると、やはりそれなりに不安を感じたりします。たぶん、仕事に就いている男性であれば、誰しもが同じように感じられるのではないでしょうか。では女性はどうか。女性には「産む」という役割が賦与されています。これはどうしようもない、というか当たり前のことです。ではそれを支える「制度」はどうか。「産休」「育休」がありますね。そして男たちは、女性が妊娠したら、産休をとり、育休を取ることもまた当たり前のことと思っています。でもこの「産休」「育休」というのは、まさに妊娠・出産・育児に専念せよということで、社会的離脱を前提とした制度にほかなりません。男たちは病気などになって初めて長期の戦線離脱に怯えますが、女性たちにとってそれは産むという役割を果たそうとする限り、避けては通れないものです。にもかかわらず、男たちは、自分たちが感じる怯えについて、女性にも生じうるものとして捉えることを殆どしていないのではないでしょうか。なぜなら、男の目からしてそれは「当然」のことだから。でも、それを当然とすることを前提とした制度が、制度として女性にとって納得のいくものなのかどうか。制度を決めるのは今なお多く男たちでしょうが、その男たちには、そうしたことに対する想像力がまるで欠落しているのではないか。さらに、苦痛や不安という要素を絡めて考えてみます。男の戦線離脱は主に病気による入院、とするなら、闘病生活ですからそれは苦しい。しかし、男たちはその苦しみに耐えてさえいればいいわけです。痛い、苦しい,吐き気がする、そう言って、ベッドに横たわってさえいればいいのです。しかるに女性はどうか。前に今回の治療の一番辛いときの状態が、女性の悪阻のそれに近いのではということを述べました。悪阻の時期、女性たちはただ横たわっていればいいなどということはまずないでしょう。仕事に就いているならそれを続け、家庭にあれば家事全般をやらねばならない。そして産休。社会的離脱。やがて、男性にはとうてい耐えられないほどの痛みを伴い、出産。しかもそれは終わりではなく、始まりです。主体は赤ちゃんであり、その都合にすべて合わせなくてはならない。「自分」は消えます。それが「母」になることだというのは、男の勝手な言いぐさではないのか。そうやって自分を消して赤ちゃんを最優先にしなければならないことの大変さ。さらに今は、その大変さにどうやって一区切りをつけられるのか、全く不安定な状態にあります。職場復帰の可否。いや、そもそもそれを問う前提としての、育児・保育施設の有無という問題。もちろんそれは「家族」の問題ですが、多く「女性」の肩に担わせているのが実情ではないでしょうか。だとしたら、苦痛や不安を、一方的に押しつけられるばかりということになります。我々は一人の例外もなく、「母」から生まれてきました。その「母」は、述べてきたような過酷さを受け入れてくれた存在にほかなりません。もちろん、述べてきたのは私の乏しい想像力の産物に過ぎませんから、実際にはもっと過酷なものでしょう。そのことをきちんと男たちが理解していないとしたら、それは「母」に甘えるようにして、「女性」という性に甘えてきただけではないのか。そんなことを、これまでしっかり考えてこなかったことに気づいて、愕然としました。女性なんだから、産んで当然、そんな思いのまま、きちんと認識すべき事を認識してこなかった自分の不明が情けなく、反省の思いに導かれて、長々と記してしまいました。これは、女性の問題ではありません。言うなれば「人間」の問題でしょう。せめて、こうして自分の思いを記し、ほんの少しでも問題意識の共有に寄与できたらと思います。拙文に最後までおつきあいいただいた方に感謝申し上げます。なお誤解を避けるために最後にひと言。産む役割を賦与された性としての「女性」について語ってきたつもりなので、実際に出産を経験され(てい)るかどうかは、ここでは全く関係ありません。
2017年12月12日
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気がついたら何冊も読み終えていました。そろそろ記録しておかないと忘れそうなので、今日は読書メモ。・藤沢周平『花のあと』武家物と市井人情ものがバランス良く配された短篇集。手練れの一冊、といったところですが、これって偶然にしてはできすぎではないか、普通ここまでやるか、といった「作意」の感じられる作品がいくつかあったのが残念。・堂場瞬一『傷』お得意の警察小説と、スポーツ小説のハイブリッド。プロ野球のスター選手を襲った(あるいは、彼が自ら招いた)悲劇を描きます。展開はおもしろいのですが、登場人物のキャラクター設定がどれも好みではなく、その点が残念。・同『アナザーフェイス』後にシリーズ化されていく第一作。葛藤したり、強面だったり、いろんな警察関係者をこの作者は生み出していますが、その中で最も柔軟で軽やかな刑事。確か仲村トオル主演でドラマ化されたと記憶しますが、まるであて書きのよう。謎解きの要素は弱いですが、エンターティメントとしては大いに楽しめました。・長岡弘樹『教場』こちらは警察学校が舞台。既読のつもりでしたが、実は初読でした。警察学校ってこんなに大変なの? というのが第一印象。「大変」というのは、厳しさという意味と、変な人間が少なくないという意味。後者の点で、悪趣味というか、ここまで変なやつはいないだろうという印象があり、興味索漠。・柚木麻子『ランチのアッコちゃん』軽めの作品を読みたくてチョイス。その点での期待は裏切られなかったけれど、それ以上の何かがあるかと言われると、ううん? という感じ。でも、これで元気づけられる読者も少なくないと思います。「ビタミン小説」とあったけど、むしろ「サプリメント小説」の方が適切では。効く人には効きます。・宿野かほる『ルビンの壺が割れた』ちょっと話題になったっけ? というおぼろげな記憶でチョイス。メールのやりとりで話が展開します。徐々に文体が粘着度を増していくのがちょっと気色悪かったけれど、伏線も何もなく、わけのわからない急展開となり、最後はもっとわけのわからない一文で終わり。余り言いたくないけど、読書に費やした時間(1時間ほど)を返せ。・朝井まかて『恋歌(れんか)』直木賞受賞作。樋口一葉の師として知られる中島歌子の凄絶な生涯を描きます。舞台となるのは幕末の水戸藩。内部抗争の結果実質的に自滅したとも見なされるその内情を描ききった力量にただただ感服。幕末ー明治の混乱期を生き抜き、男たちとは全く違った形で、つまり彼女ならではの形で大きな時代の変化に決着を付けた、その生き方をきっちり描いているんですよね。この作者、前に読んだ『眩(くらら)』も傑作でした。読むのに体力が要る感じがしますが、今後もフォローしていきたいと思います。
2017年12月11日
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相変わらず浅い睡眠のまま、朝を迎えました。5時半ころ。眠るのを諦め、ふと思いついて Pink Floyd の Atom Heart Mother を久しぶりに聴きました。病気とは無縁だった頃、まさにこの時季、冷たい空気の中、ジョギングをしながら夜明けを迎えるのにうってつけと、好んで聴いていた曲です。そんな懐かしさで聴き始めたのですが、意外な反応が。いろんな思いが溢れてきて、ついでに涙も溢れてきました。いやぁ、自分でもびっくり。でも、なんかちょっとすっきりした気がします。よい体験でした。眠れぬ夜(よ) 明け方に聴く 原子心母 涙溢れて 生きんとぞ誓う
2017年12月10日
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眠れません。目下の一番の悩みはこれ。まぁ贅沢な悩みと言うべきでしょうが。 静かなり 暗さも暗く 人もいず 眠りを妨ぐ ものはないのに個室という恵まれた環境にいますから、これ以上の贅沢は言えません。熟睡するに十分すぎるほどの環境が整っています。でも…。点滴の 量多くして 自然呼ぶ これで熟睡せよとは酷なりちなみに昨晩は12回トイレに起きました。もちろん眠剤を使えばいいのですが、馴れないせいか、うまく効いてくれません。それどころか、眠剤と ステロイド剤との 闘いで 頭の中は 爆発寸前などという状態に時に陥ってしまい、却って苦しい思いをすることも。仕方がないので、何とか安らかに眠りに就けるよう、イメージトレーニングをしてみました。全力で 駆け抜けた如き 心地もて 大という字に 横たわってみるこれは極端すぎて無理。そもそも、入院生活が長いため、「全力疾走」の感覚すら薄れつつあるという情けなさ。だったらさわやかなイメージはどうだ? ということで、 背には芝 額に木漏れ日 全身を 包むそよ風 思い描きつ我は海 寄せては返すを 繰り返し そのさざめきの中に溶けゆく綺麗すぎて自分で嗤っちゃいました。どうしようもない。結局一番効果的だったかなというのがこれ。 まず両脚 次に両腕 そして胴 力を抜いて ベッドに沈むああ、寝たなと実感できたのは午前3時半頃からの90分ほど。まぁそれでも少しは身体を休めることになっているのでしょう。そう信じたい。さて、今日の睡眠はどうかな? 点滴量が変わらないので、あまり期待はできそうもありませんが。明日もまたいい一日でありますように。
2017年12月09日
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先日、予定を早める形で行われた骨髄穿刺の結果を告げられました。一次所見ですが、白血病細胞やリンパ腫は認められなかったそうです。うれしい~。ドナーさんに、感謝、感謝です。ありがとう 感謝しますにかたじけない お礼の言葉は 意外と少ないもちろん昨日記したGVHDの危険(ちなみに昨日記したのは「急性GVHD」というもので、移植後100日以内をめどとして発症するもの。それとは別に、退院して日常生活に復帰した中で発症する「慢性GVHD」というのもあります。こちらは一生抱え込む病気の素になりかねません)や、ウイルス感染の危険はずっと高いままです。実際、このところ睡眠が浅く、というかステロイド剤と眠剤が決闘しているのか、一時的に頭の中がぐちゃぐちゃになるような状態に陥ってしまうので、もしかしてウイルス感染かも? ということで今日は新たに腰椎穿刺を受けました(結果が判明するのは週明けですが、たぶん問題ないだろうということでした)。その一方で、今日は大部屋への移動を打診されたりもして(実際は移りませんでしたが)、おかげさまで経過は順調のようです。良い感じ? いやいやまだまだ 山続き 安心慢心 もってのほかなり初心忘るべからず。どうなるかわからないと不安に駆られていた、あの時の思いを忘れずに過ごそうと思います。明日もまたいい一日でありますように。
2017年12月08日
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知る人にはおなじみの、知らない人には全く何が何だかわからないモノですね。一般にそのまま「ジーブイエッチディー」と読みます。「G」はGraft(移植片)、「V」はversus(対、vs)、「H」はHost(宿主)、「D」はDisease(病気)。直訳すると「移植片対宿主病」、要するに、移植されたもの(骨髄や造血幹細胞)は元気いっぱいですが、かつてとは違う肉体に「移植」されてしまったわけですから、気がつけば周りは「敵」だらけ。そこで宿主(移植を受けた本人)の器官などを、攻撃することを言います。生着前後は、生着シンドロームというのが発生しやすく、症状も似ているので判断が難しいようですが、生着から一定時間経って発生するものはGVHDと診断されるようです。今日から 新たな主人に なりました 臓器の皆んな 従うように(移植片)こちらには 抵抗する術ありません ただ果たすべき役をこなすだけ(宿主)もともとこちら(宿主)の方は前処置でいやというほど抗がん剤を投与されていますから、ほとんど抵抗力がありません。そこに元気いっぱいの移植片たちが攻撃を仕掛けてきたら、これはもうひとたまりもありません。下手をすれば、もちろん命に関わります。これからは 私の言うこと 聞きなさい 従わなければ 覚悟はいいわねなので、一方で免疫抑制剤を投与して攻撃力を弱め、ステロイド剤を投与して宿主の諸器官を元気づけるという治療法になりますが、この移植片の攻撃力は、抗がん剤では退治仕切れなかった「悪者」を徹底的にやっつけてくれる効果も期待できます(GVL効果といいます)。ステロイド剤を使いすぎると、その効果はなくなってしまいますから,そこら辺のさじ加減が医師の腕の見せ所ということになります。移植した血よ 生着し 身に宿る 悪の病巣一掃してくれ現在の所、消化器にGVHDが認められるそうです。ただ、食事もほぼ普通にいただいているくらいなので、そう深刻なものではなさそうです(昨日まで三日連続で受けた検査の結果からもおおよそそのような判断が下されているようです)。その前には皮膚にどかっと出ましたが、こちらは塗り薬で何とか一晩で治まりました。当面の問題は消化器なので、この病院で調合した、消化器に特化したステロイド剤を明日から試すことになりました。これの効果があり、全身へのステロイド投与が減らされていけば、これほどうれしいことはないのですが、さて、どうなりますか。明日もまたいい一日でありますように。
2017年12月07日
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