落款のことについてさらに付け加えると、応挙の作品には 「応挙冩」
(冩=写)の款記を記したものが多くあります。一般的には 「――筆」
「――画
」 「――之図」
が使われますが、応挙の作品では圧倒的にこの「写」が書かれたものが多くなっています。「写」には「えがく」という意味もあるので、応挙は「筆」という意味で「写」を使ったとも考えられますが、いわゆる「うつす」という意味で「写」を使ったと考えたいところです。ただ、応挙の「写」は、実物をそのまま写すという意味の「写」ではなく、対象を対象らしく描くという意味の「写」であることは、今まで述べてきたことで推し量ることができます。 図1
に 「雪松図屏風」
(以前の回で紹介)の落款を示します。 「応挙之印」
、 「仲選」
の落款印と 「応挙冩」
の款記を見ることができます。
さて、若冲の肖像画については、生前時に描かれたものは存在しないことを書きました。応挙はどうでしょう。実存します。応挙の弟子の一人である 山跡鶴嶺
(やまあとかくれい)が晩年の応挙を描いたものです。 図2
に示します。生前の肖像画なので、こんな風貌だったのでしょう。まじめな人柄のように見えます。

その中に若冲の生家や親族の菩提寺 「宝蔵寺」
もプロットしました。若冲生家は錦小路高倉、応挙の自邸はその目と鼻の先にありました(1782年以降は四条堺町。 図4
の碑が建つ)。応挙のアトリエは浄土宗寺院 大雲院
にありました。大雲院は現在東山の高台寺に近い「ねねの道」沿いにありますが、当時は今の京都高島屋の場所にありました( 図5
の碑が残る)。昭和48年、高島屋の拡張で現在地に移転したのです。




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