ワルディーの京都案内

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2026/06/11
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テーマ: 鉄道(27812)
カテゴリ: 京都市の鉄道史
京都市の鉄道史
~その6~


8.電車の時代(続き)
8)京都市電の誕生

 京都の街路は、明治時代になっても、江戸時代そのままの狭い道路であったが、経済活動の伸長で、都市計画の必要性が叫ばれ始め、第二代京都市長の西郷菊次郎は、道路拡築とその道路への市営電気鉄道敷設事業、上水道整備事業、第二疏水事業を京都市の三大事業とし、明治39年に市会に提出し、同年11月、市会で第二疏水と上水道建設の予算が可決された。そして、明治40年3月、市会は、「道路拡築並電気軌道建設費」を可決した。西郷はそれら活動の陣頭指揮に当たった。なお西郷菊次郎は、西郷隆盛の奄美大島潜居時代の妻・愛加那(あやな・あいかな)との間にできた長男である。
 狭い京都の街を京電・市電両方が走れば、当然ながら重なる箇所が出てくる。市当局は軌道の共用を京電に申し入れたが、京電は即日拒否した。困り果てた市当局は、当時の西園寺公望首相と原敬内相に軌道共用許可申請書を提出し、苦難の末、明治45年4月に許可を得ることができた。そして、明治45年6月11日、市電が共用区間外でまず開業した。

9)市電の斜め路線
 右図が市電開業当初の市電路線図である。碁盤の目の京都の街なので、市電路線も南北、東西に真っすぐ路線が敷設されて当然のように思うが、斜めに走る部分が3ヶ所ある。道路拡幅の際、それぞれ事情があってこうなったのである。
 まず①は、東本願寺前である。京都市は烏丸通りを拡幅したうえ、真っすぐ市電を走らせる予定であった。ところが東本願寺から待ったがかかった。東本願寺の主張は、「翌年親鸞聖人大遠忌がある。多くの門信徒が集まる。歩道脇を電車が往来するのは危険である。」ということであった。東本願寺は、迂回用土地と建設費を寄付してまで迂回させたので、このような台形型の路線となった。


 次に上図②であるが、丸太町通の松屋町通から智恵光院通の少し東にかけての路線が斜めになっている。ここが斜めの道になった理由は、丸太町通の松屋町通の少し西から千本通にかけて、京都監獄(京都刑務所の前身)があり(下左図)、そこを避けざるを得なかったためである。大正11年11月に「京都監獄」から「京都刑務所」に改称され、昭和2年1月に現在の山科区東野に移転した。跡地は、昭和3年に昭和天皇大礼記念京都博覧会の際、その西会場として活用された。下右図は、昭和3年の地形図であるが、博覧会が終わった後の測量であろうか、京都刑務所跡地のほとんどが空き地となっている。拡幅された丸太町通に市電が走り、当時あった京都刑務所を避けるために屈曲しているのがよく分かる。


 次に最上図③であるが、まさしく45度の斜めの路線である。この京都での完全斜めの道路の経緯については話題になることも多い。全く新しく造られた道路であり、通りの名は「後院(こういん)通」という。
 何故このような45度斜めの道路が新たに造られたかについては諸説あるが、最も有力のは「西高瀬川沿いの材木商反対説」である。千本三条の南には、西高瀬川(自然の川ではなく運河)の水運を利用する材木商が多く集まっており(右図参照)(今も多くの材木商がある)、町が分断されると反発したためだという説である。別の説は、「人口過疎地域回避説」である。右図を見ると分かるように、千本通の南の方は家屋が少ない。それよりも、人口の密な大宮通を走らせた方が集客が望めるということを市側が考え、斜めの道で結んだという説である。さらに、もう一つの説は京都鉄道(後の山陰本線)との競合を避けるためという説である。

 交差点上で、南北の道路が微妙にずれているところがある。烏丸丸太町である(右図)。交差点北側の道路は、京都御苑の西側石垣があるので、西側に拡幅し、交差点南側では、ずっと南に東本願寺があるので東本願寺東側の延長線を道路の西端として、東側に拡幅したために発生したズレである。






10)京電の市電による買収

 市民は、京電と市電両線にわたって往来する場合、二重に通行税を徴収され、さらに京電・市電共用の区間が多くあり乗り間違いが多発するなど、極めて不便であった。折しも、大正4年に大正天皇御即位御大典が京都で開かれることになり、大勢の人々が入洛する見込みであったので、交通機関の統一は緊急を要する課題となった。疲弊した京電線の車両、軌道の修復や料金制度の均一化を図るには、市営とするのが最良であるとして、市電が京電を買収をする機運が高まった。双方の意見が対立することもあって、結果的には御大典後になってしまったが、ついに大正7年7月、京電は市電に吸収されることになり、京電は25年の歴史に幕を閉じることになった。

11)市電の成長と戦時下対応
 京電を買収した市電は旧京電部分の路線の整理、広軌化を進めた。最終的に狭軌で残ったのは、北野堀川線のみであった。大正中期から昭和初期が、市電黄金時代であった。
 昭和時代に入ると、外郭線の延伸が図られた。戦時中の昭和18年10月、西大路線の延伸工事で外郭線の工事がほぼ完了した。昭和7年4月には四条大宮/四条西大路間にトロリーバスが導入され、昭和11年には女性車掌も誕生した。第二次世界大戦末期には、洛西工業地帯への産業戦士(工員)の通勤のため、昭和20年3月に、梅津線(西大路四条~梅津間)を開通させた。不要不急の蹴上線を廃線とし、その機材でやり繰りしたといわれる。また、同時期、兵士動員による人手不足を補うため、女性運転手が採用された。




【N電】
 京電の買収時、市電は狭軌の電車を京電から引き継いだが、市電が運行していた広軌の電車との車体番号重複を避けるため、車体番号の前に「N」をつけて区別した。この「N」は狭軌=Narrow gauge に由来している。旧京電路線は「N電」の愛称で呼ばれた。



【京都駅前のループ線】
 昭和2年4月22日、京都駅前にループ線が設置された(下の写真)。何故ループ線にしたのか。当時の市電は集電装置(架線に接触させ、架線から電気を得る装置)が、トロリーポール式であった。トロリーポール式の欠点の一つは折り返し運転するとき、「ポール回し」という人手による作業(右下の写真)が必要なことであった。その作業をなくすため、大正末期には両進行方向にトロリーポールを付けた車両が登場したが(ループ線の写真の下の左の写真)、折り返し運転時に、片方のポールを下げ、もう一方のポールを上げる必要があるので、ポール回しはないものの、架線に嵌める人手作業が必要なことに変わりはなかった。その作業を不要にするために設置されたのがループ線であった。

 その後、折り返し運転時に手動作業が不要なビューゲル型集電装置を搭載した車体が主流となっていくなか、昭和27年9月20日にループ線は廃止され、以降は3線折り返し式になった。 このビューゲル型集電装置は、下図のように折り返して走り出すと、架線との摩擦力で、自力で倒れる方向が変わる。


【昭和11年、女性車掌誕生。 今なら、あり得ない採用条件】
 昭和11年には女性車掌が誕生した旨、記したが、その採用条件は、下記のようなものであった。
・容姿端麗
・独身
・身長五尺一寸(155cm)以上


【トロリーバス採用の真相】
 道路を拡幅して市電路線を拡張してきた京都市だが、何故か四条大宮/四条西大路間だけには、トロリーバスを採用した(昭和7年4月)。日本初のトロリーバス営業運行となった。何故、四条大宮/四条西大路だけそうしたのであろうか。
 よく言われるのは次のような理由である。
・トロリーバスは、架線は必要だがレールが要らないので建設費が安い
・輸送能力も約50人と、当時の通常のバスを3、4倍上回る
・財政の膨張に頭を痛めていた京都市が「交通量が少ない地域での建設費節約」を理由にトロリーバスを採用

 新京阪鉄道(京阪電鉄の子会社。以下、新京阪)は、昭和3年11月、十三/ 西院(仮駅)間を全通させた(現・阪急電鉄京都線の一部)。新京阪はさらに京都市中心部を目指し、四条大宮への進出を企てる。四条大宮付近は当時からすでに人口密集地で、線路を敷設するには、高架化が必要で、新京阪はその立ち退き補償など約600万円の費用捻出に苦慮していた。そこで新京阪が財政の膨張に頭を痛める京都市に300万円を支払い、市に地下鉄化を認めさせ、かつ、地下鉄に対し地盤強度の問題をもたらす市電敷設を将来しない約束をとりつけたというものである。そして、京阪電鉄(昭和5年3月、新京阪を合併)が昭和6年3月、地下線により、西院 /京阪京都(大宮)間を開業した。日本初の地下鉄である。そして、昭和7年4月、京都市が四条大宮/西院間にトロリーバスを走らせた。このような経緯から、四条大宮/西大路四条間(昭和37年5月、松尾橋まで延伸)だけ、トロリーバスが走ることになったというのである。

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最終更新日  2026/06/23 11:11:03 AM
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