ワルディーの京都案内

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2026/07/30
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テーマ: 京都。(6435)
伏見稲荷大社とその周辺の「お滝」について その5
ワルディー・ヨーリョ

10.何とか場所が特定できた3つの「お滝」
 古地図などのリストを再掲する。


②松岡貞次郎「伏見稲荷神社御山獨案内」(1913)
③吉田初三郎「伏見稲荷大社境内名所図会」(1925)
④中村風祥堂「伏見稲荷参拝図」(推定昭和初期)
⑤伏見稲荷大社編「続・お山のお塚 参拝経路図」(1966)
⑥深草稲荷保勝会「伏見稲荷大社付近名所案内図」(2001)
⑦北尾鐐之助「近畿景観 第三編 京都散歩」(1934)


③ では「 末広滝」 の上流に 「岩滝」 「不動滝」 の順で2つの「お滝」の記載がある。 ④ では、 「末広滝」 の上流には、 「岩龍滝」「岩滝」 の順で記載されている (図1)



実際に現場を探索すると、 「末広滝」 のすぐ上流にあり廃滝になっている「お滝」の鳥居には 「岩滝大神」 と書かれており (図2) 、この「お滝」は 「岩滝」 と特定できる。そうすると、 ④ の地図は、 「岩龍滝」 と 「岩滝」 の位置が逆とということになる。



また、 「岩滝」 の上流の「お滝」は 「不動滝」 とも 「岩龍滝」 (図3) 。



なかなかその「お滝」を発見することができなかったが、さらに上流に足を踏み入れることで、ようやく「お滝」跡を発見することができた (図4) 。



幸い連絡先の電話番号が看板に書かれており (図5) 、管理者の方に電話取材をすることができた。現在の管理者のお爺様が昭和8年に建設し、昭和25年に逝去後、お父様が継がれたが、やがて廃滝にしたとのこと。「お滝」の名前はご存じなかった。 ③ 「不動滝」 となっているので、推定の域を出ないが、管理者のお爺様が 「不動滝」 を譲り受けるか購入して、 「岩龍滝」 と名を替えられたか、建て替えて 「岩龍滝」 と命名したものと思われる。




③ の地図だけであるが「お山巡り」の裏参道沿いに 「熊鷹滝」 が記載されている (図6) 。



裏参道を上り、 毎日稲荷 から右手谷底を注意深く観察すると「お塚」が見える (図7) 。毎日稲荷上の茶店 「梶亭」 のご主人に取材したところ、この谷底の「お塚」の場所に「お滝」があり、少年時代には「お滝」が実用されていたとのこと。教えていただいた年齢から、「熊鷹滝」は昭和25年から30年頃にかけて廃滝になったと推定できる。




② の地図だけであるが、 「権太夫滝」 と 「荒木滝」 の間に 「ねざめ滝」 が記載されている (図8) 。



現地踏査したところ、この2つの「お滝」の間には、「お滝」の痕跡らしきものは存在しなかったが、ある民家の庭先に「お塚」が垣間見えたので、「権太夫滝」の教祖様に伺ったところ、やはり、その宅地内に「お滝」があったとの証言が得られた。もの心ついたときには、すでに「お滝」は稼働していなかったとのことなので、教祖様の年齢と ② の地図への記載から、廃滝時期は昭和初期と考えられ、他の地図への記載がないことから、建設は大正年間と推定できる。非常に存続期間の短い「お滝」だったということになる。後日、その住宅を訪問して、庭の一画にある「お滝」跡を見せていただくことができた (図9) 。現在の管理者のお爺様が明心教(教派神道の一つか)を始め、「お滝」も建設したようだとのこと。



中学生のときお爺様が亡くなられたが、お父様は教祖を継承しなかった。「お滝」の水源であった溜池が農地になり (図10) 、湧水を引いたが、パイプが破損してしまったことも、廃滝の引き金になったとのこと。




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最終更新日  2026/09/18 10:48:47 AM
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