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「山間の学校の思い出」 ブログ記事より「走れ コウタロー」きょうの朝日新聞のB面に「走れコウタロー」の歌が載っていました1970年にヒットしたそうで40年あまり昔のことですまだ生まれていなかった人にはつまらないかもね「走れ走れ コウタロー 本命穴馬かきわけて ♪」威勢のいいメロデーが運動場から溢れて周りの山々にこだまする1970年 流行のトップになった歌ここ、山の小学校の小さな運動場で運動会のテーマ曲となって集まった人々を興奮にるつぼに巻き込んでいた中学校の分校の生徒を合わせても百人あまりでも、父母や地域の老若男女が集まって一年に一度の運動会を楽しんだこの曲をテーマに選んだO先生新任教師の若かりし日はスリムな脛を「カモシカの脚」と自慢していたのに XX年後のこの時彼はみちがえるほどメタボになっていました剣山をとりかこむ渓渓の中の一つの部落・明谷校の思い出です 今日の絵は春を待つ気持ちで描きました 「はーるよこい はーるよこい」「おもいで」今朝の徳島新聞に懐かしい写真を見つけました。美馬郡の端山中学校の校舎です。終戦後2年目ごろ新制中学校ができました。その時は英語の先生が少なくて、幸い私も採用されて憧れの教師になれて幸せでした。あのころの純真な教え子たちのことなど懐かしく思い出しています。元気なうちに会ってみたいねえ。70年昔の思い出を懐かしんでおります60年程前の端山中学校時代の写真と思われます
2017年01月24日
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標高約700メートルの川井峠は、国道438号線で繋がる神山町上分と美馬市木屋平の境界地点にあり、川井トンネルから木屋平側に少し下った斜面に約20本の枝垂れ桜が咲きます。やわらかな淡紅色の桜の花は、周辺の山の緑に映えて本当に美しく、この季節、峠からは剣山など雪を被った山並みを綺麗に望むことが出来ます。「藍の風」短歌集より 「川井峠」の春 峠路に立ちて山脈見はるかす枝垂れ桜の花匂う下 足元の定まらぬまま仰ぎ見る枝垂れ桜の宙の華やぎ 「あれが剣山、一の森」と指す指先に白き残雪「藍の風」ミニエッセイより 「俳句の命」榎本其角またの姓を宝井というから昔ラジオで聴いた赤穂浪士の講談などに出てくる人物であろう。「鐘ひとつ売れぬ日はなし江戸の春」の句は落語で聞きおぼえたようだ。芭蕉の弟子で師の死後才におぼれて洒落が過ぎ脱線したというが、そこに江戸庶民にうける魅力があったのだろう。「切られたる夢は誠か蚤の跡」はふざけた句だが、芭蕉の評が面白い。曰く「彼は定家の郷なり。さしてもなきことをことごとしく言い連ね侍る」と。耳が痛い。句の生命というものは不思議なものである。我々の句が後世に残る見込みは殆どない。まして、咄し家のネタになるほどのスターにはなれまい。CMに顔を出す俳人はいるけれど。 昭和五六年 「俳句とエッセイ」 五月号に掲載
2017年01月16日
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穏やかな新年の幕開けになりました。この一年が素晴らしい年になることを心から願っています。 「藍の風」 ミニエッセイより「橋の色」戦後、私が疎開した町には、まだ吊り橋があった。手摺りも歩く所も木で、板がすいていて、足の下に渓川の流れが見えた。洗濯する人、牛を洗う人、対岸では米を洗う人も一緒だった。その川を遡ると、同じような吊橋が十本以上もかかっていた。その村の小学校に勤めていた昭和三十年の頃には、みんな吊橋だったのに、田の町村を巡って転勤し再びその村に戻ってみると、渡るのが怖かった吊橋はなくなって、全部コンクリート製になっていた。そして、なんとすべて同じ色の朱色に塗られて、区別がつかなくなった。それは、緑の山河にマッチして美しかったけど、他の土地から尋ねてくる人のことを考えれば、紫とかピンクとか、黄色などに色分けしておいた方が分かり易いのではないかと思った。金色や銀色はいやらしいが、縞もようとか水玉もようなどはどうでしょう。お伽の国みたいで、人々の心もなごみ、一層平和になるかもしれない。それとも悪趣味だと反対する人もいるでしょうか。さてあれから数十年、今は何色になっているでしょう。 昭和五十六年六月 さっちゃんが良く眺めた住まい近くの貞光川に架かる長橋からの風景です昭和30年頃の貞光川に架かる木の吊り橋(長橋)です昭和34年頃、長橋は木の吊り橋から沈下橋に架け替えられました
2017年01月08日
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