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映画を撮るとき、現場を指揮する監督、原作者や脚本家、主役、端役、裏方をこなす人、それらの人がお互いの違いを持ち味として生かしきることで、初めて素晴らしい映画が出来上がると言った人がいます。
各人が違っているからこそ、逆に存在価値があるわけです。
全く同じ人間が二人いるとすれば、どちらか一人で十分なわけです。
豊かな進んだ社会とは、さまざまなパーソナリティーの人が、それぞれの持ち味を生かして明々と命の火を輝かせることのできる社会だと思います。
ところが、日本には他人が自分と違っていることを許さず、「変わっている」ことを理由にいじめたり爪弾きにしたりする風潮さえあります。学校で黒髪を強制するのも同じです。
それは、封建主義の時代とか、その後の工業化社会において、画一的な方が管理する側に都合がよかっただけのことです。
つまり、少数の者が多数を管理するには、ロボットのように操縦者の言う通りに動いてもらわないと困るからです。
だが、一人ひとりが違うからこそ人間なのです。
だから、人間らしい社会とは、人との
違いや個性を大切にする社会でなければならないはずです。
ゾウリムシは、無数の繊毛を整然と歩調を合わせて同じ方向に動かして進みます。
ところがよく観察してみると、何百本の繊毛のうち数本だけが何時も勝手な動きをしているそうです。方向転換をするときには、そのメチャクチャな動きをしている繊毛に他の繊毛が一斉に動きを合わせてスッと曲がっていきます。つまり、それまでは異分子だった繊毛が、イニシアチブをとって全体の方向を決めているわけです。
社会や組織も同じで、常に異分子が存在していないと絶滅する危険性が高まります。
平時は決まったパターンで進んでいても、何か異変が生じた的には異分子がいないと新しい展開がなかなかできません。そんな異分子を生かす余裕が大切だと思います。
人間が奏でるピアノは、自動ピアノとはどこか音色が違います。
窓から入ってくる風の爽やかさには、扇風機からは得られない何かがあります。
このわずかな、どこか、何かが違うというのが「ゆらぎ」です。
人間社会の「ゆらぎ」は、異質を認めることから起きます。
ゆらぎこそは、人間が人間たる所以であり、快適さや活性化の源泉でもあります。
情報化の時代は、同じ情報に基づいて同じ行動を起こす同質化の危険性が高まります。個性と個性が共存する社会を目指して、一人ひとりの違いを大切にしたいものです。
終わりに 2018.04.21
番外編 終わり良ければ総て良し 2018.04.20
番外編 終わり良ければ総て良し 2018.04.19