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人付き合いを重ねていると、良い時ばかりではない。ときには腹が立ったり、ムカッとすることもあります。
そんなときに、相手を許す心の余裕を持つことが大切です。
「許すというのは忘れることだと思っています。
何かイヤなことをされたり、自分にマイナスになるようなことをされたとき、それをできるだけ早く忘れてしまうことが許すことなのです」と元侍従長の浜尾実さんは仰います。
でも、心にグサッと刺さったものは、そんなに簡単に忘れられないものです。
結局は、自分自身との闘いです。
自分の中にある憤り、怒り、憎しみ、復讐心、そんなものと闘うことです。人を許せないというのは、結局、その自分との闘いに負けたことであると思います。
自分に勝てる人が一番強い。それが、自己統制とかセルフコントロールです。古い言葉で言えば、修行ということになります。
この世の中には憤りたくなることも多いが、いつまでも憤りや怒り、憎しみ、復讐心な
どを心中に抱えていては、精神衛生上よくありません。済んでしまったことは、最早どうしようもありません。スパッと忘れるが勝ちです。
そして、また何もなかったように付き合っていけばいいのです。
その場の怒りにまかせて、ガツンとお返しをしようものならろくなことはありません。
お釈迦様は、「悟りを開いた聖者も、悟りを開いていない凡夫も、ともに第一の矢を受ける。
しかし、凡夫はその第一矢に続いて第二の矢を受けるが、聖者は第二の矢を受けない」と言っています。
例えば、満員電車の中で足を踏まれたとき、だれでも「痛いな」と思う。
その点では、聖者も凡夫も変わりはありません。
しかし、凡夫は「なぜ、俺の足を踏んだ。この野郎・・・」と腹を立てて怒鳴り、時には手が出たりします。
すると相手も、「なに、この野郎、足を踏まれて文句があるなら、踏まれるようなところに足を置いておくな」などと喧嘩になり、下手をすれば時には命まで落とすことにさえなりかねません。
これが第二の矢です。
ところが聖者は、「誰もすき好んでひとの足を踏んだわけではない。満員電車なのだからしょうがない」と心の中で折り合いをつける。
逆に、自分が相手の足を踏んでしまったときは、素早く「す
みません」と謝る。そうすれば、二の矢を受けることもありません。
終わりに 2018.04.21
番外編 終わり良ければ総て良し 2018.04.20
番外編 終わり良ければ総て良し 2018.04.19