PR
キーワードサーチ
カレンダー
コメント新着
フリーページ
病気は、私たちにとって一つの試練です。
世の中には病気がちのために自暴自棄になったり、病気との付き合い方を知らなくて病苦に呻吟する人もいます。
そういう人にとっては、精神的な作用もあいまって、病気の苦しみは余計に大きなものに感じられ、治療への転換もつかみにくくなります。
病気は何回しようが、死に至る病気というものは一回きりであり、それ以外の病気の時は、これを一つの試練ということもできる。
そう思って病気に立ち向かえば、心も開け、苦痛も緩和されるし、薬の効果も一層生かされ、回復への道を早めることにもなるはずである。
病を味わうゆとりさえ生じてくる。
それが病を大事に養うことに通じる。
これは、若いときから病弱だった松下幸之助さんの病気哲学です。
私たちは、健康が幸せで、病気は不幸だと考えがちです。
そんなことはありません。
不幸な健康人もいれば、幸せな病人もいます。
病気になれば、幸せな病人になるように努力すればよいのです。
そうすれば、病も一つの試練として行かすことができます。
また、身体に障害があっても、心の障害者になってはいけません。
身体の不自由な方々の面倒を見られていた京都山科仏光院庵主だった大石順教尼も、ご自身も両手がなかったが、よく次のように言われたそうです。
「障害というのは、身体の自由、不自由とは別である。
身体は不自由であっても、心は皆同じである。
身体の不自由はしかたがないが、心の障害者になってはいけない。
例え健全な肢体に恵まれていたとしても、それを人のために生かす心も持たず、五欲の欲しいままにお互いが傷つけ合うことしか知らないとしたら、大変な心の障害者ではなかろうか」
例え病気になったり障害を背負ったりしたとしても、心の障害者にならず、なくした物を勘定するのではなく、残っている機能を数えることから幸せな人生は始まります。
24歳で筋ジストロフィーを発症し、首から下の機能を全く失いながらも、障害者や高齢者のヘルスケア事業を手助けする春山満氏も言う。
「指を亡くした人は、指がないだけで夜も眠れない日々を送る。
腕を亡くした人は、腕一本がないだけで生き残るつらさを味わう。
すべて、自分の受けた障害が一番つらい。
だが、もう一つの真実は、自分が受けた傷害が一番軽いということである。左手をなくしてもまだ右手があり、右手を使って左手の役割を果たすことができる。手足の機能もなくし寝返りすらできなくなった私も、まだ話すことができ聞くことができる・・・」
終わりに 2018.04.21
番外編 終わり良ければ総て良し 2018.04.20
番外編 終わり良ければ総て良し 2018.04.19