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アメリカの医学解説書に甲状腺の項を執筆したこともある菅谷昭さんは、25年勤めた信州大学医学部助教授を辞めて、ベルラーシで放射線被曝患者の治療を自費で続ける。
23歳のとき、母の通夜の席で、「昔、母さんが易者に昭は43歳で死ぬといわれてずっと気にしていた」と聞かされたが、その時は笑い飛ばした。
だが、米国の学会から帰る飛行機の中で今年43歳であることに気づき、「今、飛行機が落ちたら自分は死ぬが、『面白かった、十分に生きた』と満足して死ねるだろうか」と思った。
仕事は多忙を極め、自分が何をしようとしているのかさえ分からなかった。
そんな時(91年1月)、テレビでチェルノブイリ5年目の報道があり、多くの小児甲状腺ガンが発生し、現場の医療機関が対応しきれないことが報じられていた。自分の専門は甲状腺外科だから、何かやれることがあるかもしれないと思った。
その春、民間の調査団に加わってゴメリ市を訪れた。国立ガンセンターの施設を視察す ると、旧式の手術で幼い子供の首に大きな傷痕が残っている。「こんなむごいことをしては いけない。自分なら違う方法でやれる」と大学を辞めてベルラーシに渡った。
大抵の人は、「いつ死ぬかもわからない」という事実を、「明日も生きている」という惰性に置き換えて、昨日のままに生きています。
だが、私たちの命は、今日よりも明日、明日よりも明後日と確実に減っていきます。問題は、そのことをいかに自覚しているかです。
今の仕事に打ち込めないというのも、そんな自らの命の尊さに気づいていないからです。
ガンで余命数カ月と告げられた50歳のベンチャー経営者は、延命治療を拒否し、明晰な意思で死ぬ準備を始めました。
後継者には経験と知識から会社経営のノウハウを詳細に書き遺し、家族にも今後の生活のことをメモにして遺した。友人たちにも、自分の心に去来する思いを偽ることなく書き遺し、膨大なメモのそこかしこに「○○さんに感謝する」というメッセージを記した。
ガンは死の準備をできる時間があるから良いと言った人がいるが、誰にも生に限りあることを忘れて、私たちは命が永遠にあるかのように生きています。
だが、生き甲斐のある充実した人生は、成り行き任せ、人任せでは決して開けません。
就職、結婚、出産、異動、法事など人生の節目節目で、「いかに生き、いかに死すべきか」を真剣に問いつめて生きていくことが大切だと思います。
極端に言えば、絶えず余命3年とか5年の命と思って真剣に生きれば、今とはまた違った生き方が見えてくるはずです。
終わりに 2018.04.21
番外編 終わり良ければ総て良し 2018.04.20
番外編 終わり良ければ総て良し 2018.04.19