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恋いをすることは、春になると花が咲くように、年頃になれば誰にでも起きる自然の成り行きです。
そんな時に好意を示してくれる人が現れると、相手のなすこと全てが素晴らしく見えてくるものです。
恋は相手を美化します。
アバタもエクボで、ただ粗野なだけの男を「男らしい」、神経質な人を「本当にデリケートな人」などと美化する。相手の本当の姿を見る目がなくなり、勝手に美化しただけの相手に多かれ少なかれ恋いしているのです。
それとあわせて、美化した相手に合わせて自分をも飾ろうとする。
そうやって、恋の深みに落ちていきます。
恋いは、相手への盲目的な執着でもあり、障害は恋いの炎を燃え盛らせる油で、不安や苦悩が多ければ多いほど燃え上がります。
だから、不倫は普通の恋よりも激しくなります。
ところが結婚してしまうと、『女房に もってみれば みな夢』(一茶)ではないが、不安もなくなって情熱は消えうせ、相手を美化することもなくなって実態が見えてきます。
どんなに素敵な異性でも、いざ結婚してみると段々とアラの方が見えてくるものです。
そうなっても相手を見捨てずに、苦しくて醜い人生を共に生きようという夫婦が、別の形で相手と新しく結びつこうと努力する中で本当の愛が始まります。
人と人との出会いはある意味では偶然であり、出生そのものもまた偶然の賜物でしかありません。
そんな偶然が積み重ねて出会った二人が、掛け替えのないパートナーとなるには、それを持続しようとする意志の力が必要で、それが愛というものかもしれません。
チェーホフは、「幸せなど存在しない。あるのは、そうなりたいという願いだけだ」と言ったが、結婚もまた同じであろう。
幸せな結婚生活は、「幸せで充実した日々を共に過ごそう」とするお互いの意志の力により、そのための日常的な努力が必要です。
男が「幸せにしてやる」などというのは傲慢以外の何物でもなく、また「幸せにしてくれる?」と女の方から言うのも人任せで、後から出るのは不満でしかないはずです。
「二人で幸せを創っていこう」というのがお互いに対するプロポーズの言葉であれば、それは双方にとって自分との約束にもなり望ましい。
お互いによく見せようとして肩肘張ることなく、「二人でいると、とても気持ちのいい風に吹かれているような気分になる」、そう言える仲の二人になって欲しいものです。
恋は誰でもできるが、愛は創るもので日々の努力の賜物であり、お互いの長所も欠点も併せ呑んで認めあうことから始まります。
今にしてそう思うが、最早私には手遅れです。
終わりに 2018.04.21
番外編 終わり良ければ総て良し 2018.04.20
番外編 終わり良ければ総て良し 2018.04.19