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この頃は、子供の欲しがる物は何でも買い与える、したがることは何でも即座にさせる、嫌がることは物分かりがよい親を装って何もさせないなどという親が多くなっています。
そして、「何不自由なく育てた」と言います。
本当にそうでしょうか?
そのように育てられた子供は、自分の欲望を抑えること、我慢すること、待つこと、自分で始末すること、耐えること、人を思いやることなどができません。
そんな子供は、社会に出てから実に「不自由極まりない」目にあうことになります。
例えば、夏野菜を育てるときに、暑いからと水をやりすぎるとダメになります。
渇いた土地から、自ら水分を吸い上げる能力を失い、枯れてしまうからです。
また、促成栽培された野菜や果物も、弱くて直ぐに傷んできます。
人も同じで、何時も答えを与えたり、一方的に指示ばかりしていると、自ら何も考えなくなります。
今の学校では、「そんなときはこうする」「こんなときはこうやった方がいい」などと、 手とり足とり事細かにハウツーを教えます。
会社でも同じです。
考えようとすると、 「何しとるんや、愚図やな。そんなときは、こうしたらええのや」 と先生や、親、上司が考える芽を摘み取ってしまいます。
丸暗記した方が早くできて世話は掛からないが、それでは新しいものには応用できません。
木は根がないと育たないが、丸暗記は、根がない木と同じです。
人を育てるとは、単に知識を与えることではありません。
意識や精神構造の質的な変革を手助けすることです。
それには、手間と時間がかかります。
何事も、「ローマは一日にしてならず」で、ジッと育つのを我慢して見守る忍耐が大切です。
徳川頼宣の家老だった安藤直次は、意に沿わないときは何回でも首を横に振るだけで何も教えないので有名でした。
「私は、老いていつかは死ぬ身です。
主君の紀州公のために、今のうちに人を創っておいて差し上げたい。
部下が伺いをたてに来た時に、『ああしろ、こうしろ』と指図をすることはたやすいが、そうすると部下たちは伺いさえたてれば済むと思って勉強しなくなる。
そうすれば、自ら進んで努力する者がいなくなり、良い役人は育たなくなります」と答えたという。
それ以来、土井利勝も見習うようになったそうです。
終わりに 2018.04.21
番外編 終わり良ければ総て良し 2018.04.20
番外編 終わり良ければ総て良し 2018.04.19