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今週は、病院通いが続きます。今日は、口腔外科での歯のお掃除でした。昨日は、雨がなかなか上がらずにやっと上がったのが午後の4時ごろ‥寒い一日でした。当然ながら、寒い日にはいつもの日帰り温泉であったまって来ました。今日は、お天気も回復してお洗濯も出来ましたよ。口腔外科から帰って来る途中で〇〇モールで和菓子コーナーにお立ち寄り‥うろうろしました愛媛県のお菓子屋さん「天土」の春のお菓子がズラリと並んでいました。「あら美味しそうな苺大福」春の日差しの中でお抹茶と一緒にいただきましょう抹茶の苺大福です。大層な菓子器に入れると立派な苺大福に見えますね〜お抹茶のお茶碗はまだ雪輪の文様で良いかもしれない‥何故って明日は雪の天気予報だもの。こうやって、お菓子とお抹茶を並べると一般的な家庭にはあまり馴染みない風景でしょ‥苺大福は別の小さなお盆に取り分けてまた、違う景色を楽しみます。半分にキレイに切ってみるとあ〜らステキそれでは、一服頂戴しましょう実は私ってね‥苺大福一つは食べ切れないのです。だから、半分だけ食べて残りはまた、後で頂くことにしています。愛媛の苺も美味しい愛媛の餡も甘さ控えめで美味しい春の光は優しいです。子滝桜の蕾が赤くなってきました。にほんブログ村
2024.03.07
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“I never think of the future. It comes soon enough.”「私は未来については考えません。未来はすぐにやって来ますから」<アルバート.アインシュタイン>そうですね。一年先も十年先も未来ですが明日も1時間先も1秒先も未来ですから考えている暇はありませんね。下のイラストはSDGs未来都市モデルだそうです。そしてこれは「東京湾に浮かぶバーチャル未来都市」です。(上、2枚のイラストはネットからお借りしました)横穴式住居、竪穴式住居寝殿造り、城郭建築神社仏閣等々時代によって建造物が変化して私たちもそれに合わせて生活を営んでいる。正直、未来の都市の景観を「わぁ〜美しい」とは思わない過去に生きている自分がいる。にほんブログ村
2024.03.06
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害虫から松の木を守るために、冬の間は藁で作った菰を巻きつけますが、暖かくなって菰を外す「菰はずし」は、「啓蟄」に合わせて行う地域が多いですね。今日は、二十四節気の啓蟄。霧雨が降っていて朝から寒いです。その朝から病院でした。検体検査と診察ですが、これが時間がかかる‥まぁ、毎度のことですが8時に病院に行って帰宅したのが2時です。本当に「一日仕事」ですよ〜コレステロール値が右肩上がりだったので薬を処方して頂きました。正直、この値が高いのは私の場合は遺伝的なのでどうしようもないけれどあまり、数値が高くなってしまうのは困るので「薬」に頼りましょう。雨が降ると病院も薬局も混んでしまいますねータクシーを呼んでもらったり家の人の迎えを待っていたりと診察や処方が終わっても院内から出ていく人が少ないからでしょうね。内科を診てくれている病院に行くとなんだか、とても疲れます。「待ち疲れ」です。あ〜もう何もやる気がおきませんよ。寒いし、雨だし‥にほんブログ村
2024.03.05
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昨日の「桃の節句」は友達と日帰り温泉に行きその帰りに友達の家で「お節句一杯」で楽しみました手作りの料理をご馳走になりつつ遅い時間までやワイン日本酒などなどかなり御酒を頂いてしまいました。ちょうど、旦那様がお留守で女同士、ず〜〜っとお喋りに花が咲いてしまいました雛寿司の卵焼きですがこれが、すっごく美味しかったです〜なんとか〇〇卵と言って卵自体が美味しいのですよ珍しいものを作ってくれました。「猪肉」の煮込みが美味絶品でしたこれって、猪肉よりも生姜が美味しい‥その生姜も〇〇なんとかと言う特別な生姜でした。「男がいないと話が弾むのよねー」「そうねー女同士の話ってあるものねー」なんやかんや、話が尽きなくて気がついたら午前2時を回っていましたタクシーを呼んでもらって家に辿りついたら午前3時近くでした食べすぎて飲みすぎてしまいましたでも、二日酔いもなく今日も取り敢えず、午前中には起き出して家事全般をこなしましたがやっぱり、飲み過ぎだねー楽しい「ひな祭り」でしたにほんブログ村
2024.03.04
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令和6年は、広間の隣の部屋にお雛様を飾りました。壁の色がブルーなので赤やピンクの色がとても映えます今年は、私の御殿飾りのお雛様いろいろ飾って「女の子」のお節句らしくですね〜この「びら簪」は私のか娘のか、もう分かりません筥迫(はこせこ)も二つあるのでこれも飾りましょう。他にも髪飾りや懐剣も飾りましょう。私の3歳の時の着物や被布も飾りましょう。この家に住むようになってから初めて場所を移した雛飾り‥これからは、この部屋に飾ることにします。広間は広間で早春の室礼を致します。やっぱり広間の室礼はこうしておいた方が落ち着くわぁ〜今日は、これから友達と一緒に日帰り温泉に行って何か、美味しそうなものを食べてきます〜お雛様は旧暦の桃の節句まで飾っておきま〜〜すにほんブログ村にほんブログ村
2024.03.03
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江戸幕府10代将軍家治(在位1760~86)。幼名竹千代。9代将軍家重 の長子で、母は梅渓氏お幸の方。元文2年(1737年)5月22日生まれで1760年(宝暦10)9月に将軍就任。徳川家治の父である9代将軍「徳川家重」は、生まれつき虚弱で不肖だったことから、八代将軍吉宗は孫の徳川家治にかなり期待し、徳川家治が名君となるよう帝王学を徹底的にたたき込んだことが伝えられている。徳川吉宗は、徳川家重に将軍職を譲ったあとも大御所として実権を握り、徳川家治を膝元に置いて寵愛した。徳川家治は、1741年(寛保元年)の4歳で元服し、権大納言(正三位?)に叙任。幼い頃から聡明で文武の才が高く、吉宗が教えることをきちんと理解したと言われるほど出来の良い子だった。(江戸幕府の将軍様はいつの時代のお方でも「絵」がお上手です。家治も幼い時から上手だったようでこの絵は家治が描いたものです。)ちょうど、今、フジテレビで「大奥」を放送しているが十代将軍の治世である。嫡男は産まれるには産まれるが長子の徳川家基は、側室の子供であり男子のいなかった家治の御台所倫子が養育し成長する。ただ、残念なことに数え18歳の時、鷹狩りの帰りに急に体調を崩し3日後に死んでしまう。早逝してしまったことから「幻の十一代将軍」とも言われている。何故、亡くなってしまったのか田沼意次や一橋家による毒殺説などが今でも囁かれている。本当はどうだったのか調べてみるのもよろしいかと‥十代将軍家治は1786年に没するまで27年間の治世であり、側用人田沼意次が実権をにぎり,新時代への進取・積極的気風もあったが、天災や飢饉が相次ぎ、政治の腐敗、社会の退廃、疲弊など体制の危機が進行する時代であった。それと、TV放送でもそれとなく演じているがこの頃から、日本はオランダをはじめとしていろいろな外国と関わり合いを良くも悪くも持つようになってくる。災害、疫病、飢饉で子供が少ない‥国費の懐具合はあまり芳しくない‥裏金作りが正当化されて忖度、賄賂、私服を肥やす輩が増える‥なかなかに取り締まれない‥あれこれは、十代将軍家治の時代の話ですが‥世の中ってそんなに変わらないのね‥昨日1日ゆっくり休んだので今日は、少し元気が戻ってきました。良かったにほんブログ村
2024.03.02
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閏年の29日から弥生の暦になりお天気も回復したのに体調不良で臥せってます熱もないし特段、食欲不振ってわけでもないし花粉症にも襲われていないしなんとなく具合が悪くてとにかく、だるいのです。梅の花も終盤で柳が芽を出しそうね‥明日には元気になりますように‥ですにほんブログ村
2024.03.01
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車のリアウインドーのワイパーが昨日の大風で壊れてしまいました。直してもらうために昨夜、予約を入れて朝一でディラーにやってきました。ついでに前後の窓に撥水加工もお願いしました。車屋さんに来ると新しい車が展示されていてちょっと覗き込むだけでもドライブしようかなぁ〜という気持ちが湧いてきます。待つこと45分‥「道の駅」の地図や花の綺麗な場所の地図を見て時間潰しです。やっと出来上がって車も綺麗に洗車してもらいました。3月、4月は雨が結構降るので撥水加工は必要ですね。家に帰って今日中に「雛飾り」を完成させてそれから、また、日帰り温泉に行きま〜〜すにほんブログ村
2024.02.28
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お雛様を納戸から出してくるには飾る場所の設定が先ず必要です。毎年、広間を全部片付けて空っぽにするのですが‥まっこんな風に‥でも、今年は隣の部屋を去年新しくしたのでそちらに飾ることにしました。その考えは良かったのですがどう飾りましょうか‥飾る場所が決まったのでお雛様の箱を出しました。あれ去年は、私のお雛様は飾らなかったのか‥こんな時、Blogは便利ですね〜あ〜そうだった‥去年はこうだったのね〜お雛様は娘のお雛様で私のは飾らなかったねー私のお雛様は御殿作りなので組み立てが面倒なのです。その前に飾る台や飾るものも一年ぶりの再会です私の3歳の時の着物‥年に一度、取り出してみてあ〜もう長い長い年数が経っているのに相も変わらずに可愛い着物ですいろいろな花も飾って「雛飾り」は一年でもっとも愛らしい色合いばかりで「春」を感じます。御殿まりも可愛いし赤い毛氈も可愛い試行錯誤で途中まで飾って疲れてしまいました。腰が痛くなってきました。今日は、ものすごい強風で晴れてはいるけれど、寒いのです。足と手が氷みたいになってしまいました。雛飾りは明日に持ち越していつもの日帰り温泉に行きました。あ〜〜〜温泉はあったまる〜〜(温泉の写真はネットからお借りました)にほんブログ村
2024.02.27
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風土記の丘の帰り道。金龍橋の両脇は枝垂れ桜ですが今は、こんな状態です。橋の下はこ〜〜んな風‥ここは、古代蓮やガマの穂などが咲く場所なのですけれどねーすっかり枯れちゃっている風景ですねーこれが、春爛漫の時を迎えると桜が満開になる「常陸風土記の丘」です。(写真は以前に撮ったものでーす)金龍橋も桜で埋まります待ち遠しいですね‥桜金龍橋から階段を上って駐車場に向かう時、見事に紅葉している柊南天がありました。絵の具で塗ったみたいでしょうミモザの花も咲き始めておりました。黄色が春色ですね。帰り道に、仏の座が一面に咲いている場所を見つけました。驚いたのはホトケノザなんて雑草なのにメルカリで売っていることでしたなんでも売れる時代なのかしらねーさてさて、遅くなったけれどお雛様を出さなくちゃ‥なんて思ってますにほんブログ村にほんブログ村
2024.02.26
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古い民家の中に入るとほぼ何も無い筈の部屋にアートスケープたるものが展示されています。そもそも「アートスケープ」とは芸術空間都市のこと。または都市空間を芸術の素材と考え,芸術分野の手法を取り入れた空間づくりを行うこと。だそうでして‥空間ねぇ‥芸術ねぇ‥都市ねぇ‥部屋の中に‥大きな風船みたい囲炉裏に‥廊下に‥いっぱい古い民家がありますがその一軒、一軒にこうしたちょっと訳の分からない芸術的なものが展示してあるのです布を引き裂いて糸状にして‥ねぇ‥ご苦労なことです。次の民家に行けば‥何でしょう格子状の中にまあるいボールが入ってる‥よく分かりません。どの作品も民家の中、いっぱいに飾られています。これは「蜘蛛の巣」蜘蛛の巣に色付けして箱に飾ってあります‥少し、素敵かもって思ったのものは‥これかな‥光が当たると蝶々に見えるのです。古民家の仕切りにこの衝立がありました。光を追いかけて手で触れると蝶々が動くのです。アートスケープ芸術空間都市でも、古い民家の方がずっと心に感じるものがある‥それは‥私たち祖先の歴史かな‥おしまいにほんブログ村
2024.02.25
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「常陸風土記の丘」枝垂れ桜では茨城県内でも有名な常陸風土記の丘です。今は、梅の花が満開を過ぎて散り初めています。風土記の丘には古代の家屋を復元した広場があります。縄文時代から江戸時代後期まで古民家がずらりと並んでいます。復元広場に入園料を支払って入ってゆきます遥かなる歴史の時空を超えて‥って感じかな現代の家とは全然違う土と茅、竹や木材などいろいろな自然のもので手に入れやすいもので作られていたのがよく分かります。復元して、それを保ってゆくのも大変な作業だと思いました。今日は、お日様が顔を出してくれたので日中でも気温は8度しか上がりませんがやっぱり、お日様は暖かかったです。「連房式」初めて聞く竪穴式住居でしたこ〜〜んなに細長いのですよぉ〜〜入り口は右の方からでした。中には、なんにもありませんけれどねーこの住居を裏側から見ると‥こんなでした。早くも「まんさく」の花が咲いていました。今年も「豊年満作」になるかしらね〜白梅の香りがイイですね〜今夜は「満月」2024年のなかでも今宵の月は「地球から最も遠い位置で起こる満月」となるそうで‥「スノームーン」とも云うそうです。青い色だとネットに書いてありましたがどちらかと言えばオレンジ色でした。風土記の丘は明日に続きますにほんブログ村
2024.02.24
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新 年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家餘其騰新(あらた)しき年の始めの初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)<大伴家持>意味は‥(新しい年の初めの初春の今日降る雪のように、積もって欲しい良いことが)今日は今上天皇のお誕生日本日は、皇居の宮殿東庭にて一般参賀が予定通りに行われます。令和になってからコロナウィルスのパンデミックや大きな災害が相次ぎなかなか一般参賀が開催されませんでしたが今日こそはお誕生日ですから大勢の国民からの祝福を受けて頂きたいと私は心からそう思っています。昨夜の夜中から雪が降っています。先日の暖かさはなんであったのだろうと不思議で大胆な気温の上昇でしたねーそれが、また、一気に冬に逆戻りです。やはり、お天気は人智の及ぶところではないのでしょうね。昨日は、34年ぶりに、株が史上最高の3万9098円の最高値でした。私が生きているうちにはこんな数値にはならないと思っていましたがどんなマジックが使われているのでしょう‥好景気とは全然感じない株価の上昇です。令和も6年になって初っ端から能登半島の地震、羽田での飛行機炎上、裏金問題と良いことが少ない年明けでした。今日降る雪が「幸」や「福」になり、一人一人の心の中に静かに降り積もってゆくことを祈らずにいられません。そうして、穏やかに降り積もった雪が春の光や風を受けてゆっくりと溶けて誰しもの心に優しい花が咲いてゆくのを願わずにいられません。さぁ、私は雪ですからどこにも出かけません。薄らの雪ですから交通に支障が出るとも思いませんが、今日は、1日、あったかい部屋の中でのびのび寝ている猫と共に過ごします。今日は「天皇誕生日」です。<ウキペディアではこう書いてあります>天皇誕生日は、1948年制定の国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)第2条によれば、「天皇の誕生日を祝う。」ことを趣旨としている。昭和23年(1948年)までは、天長節(てんちょうせつ)と呼ばれ、「休日ニ関スル件」(昭和2年勅令第25号)に基づく祝日だった。昭和23年は昭和天皇の誕生日である4月29日の天長節の後、7月20日に祝日法が施行された。天皇誕生日の日付は、昭和63年(1988年)までは昭和天皇(第124代天皇)の誕生日である4月29日、平成元年(1989年)から平成30年(2018年)までは明仁(第125代天皇・現上皇)の誕生日である12月23日であった。令和元年(2019年)は、天皇誕生日が存在しなかったが、5月1日が天皇の即位の日として祝日とされ、その前後の日も祝日に挟まれて国民の休日となった。天皇誕生日に際しては以下の行事を行う。宮中では、祝賀の儀、宴会の儀、茶会の儀、一般参賀が行われる。伊勢神宮を始め、各地の神道神社では天長祭が行なわれる。海上自衛隊では、基地・一般港湾等に停泊している自衛艦において満艦飾が行われる。外務省や在外公館では慣行的に日本の国家の日とされ祝賀行事などを行っているが、いつ頃から開始されたかは不明である。一方で、皇后誕生日(こうごうたんじょうび)は地久節(ちきゅうせつ)と呼ばれるが、第二次世界大戦前から祝祭日ではなく、現在も国民の祝日にはなっていない。ヨーロッパなどでは在位中の君主の実際の誕生日とは別の日を祝日とすることがある。しかし、天皇誕生日の祝日は大正天皇の例を除いて実際の誕生日と同じであり、天皇の即位に合わせて祝日が移動する。にほんブログ村
2024.02.23
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昨日からずっと雨です。寒いですねー今日、2.22は「猫の日」我が家のニャンズも雨なので外に出られず仕方なく二匹で寝ています私は、昨日、美容院に行って長かった髪を短く切りました。雨のせいもあってお店は空いていました。今までの私の髪の長さはこれくらいでした。ちょっとヘンテコな写真をUPしていますこの髪をバッサリとショートにしました。この日、美容院でエイジングメイクもしてもらいました。これは、お得意様だけの特別サービスでした。(雨でお店が暇だったからかも知れませんけれど)シワが全然見えなくなりました有り難かったのは化粧品を売り込んでこないところ。「お化粧はサービスなので‥」とお店のスタッフがにっこり一言添えてくれました。ちょっと気を良くしてサッパリと軽くなった髪で春の陽射しを心待ちにしましょうにほんブログ村
2024.02.22
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昨夜、寝る時の外気温は16度もあったのに今朝は6度です。こんなに気温の乱高下があると誰も彼も体調を崩しやすいですね〜表の庭の春椿(荒獅子)が、たった一輪だけ満開になりました。朝から今日は冷たい雨ですが雨に打たれればすぐに落ちてしまう椿なので高枝切り鋏でやっとゲットしました。大きな椿です。獅子咲きの椿はあまり見かけることがないのでご近所さんもいつも気にかけてくれている我が家の花の中ではちょっと珍しい椿です。しかし、二月に咲くなんて‥今までに一度もそんなことはありませんでした。裏庭の玉霞は昨日、気温が上がったのでどんどんと咲き始めてゆきあまりの暖かさに咲き落ちるのが早いです。さて、昨夜も強風だったのでちょっと心配して荒獅子に絡まっている冬咲きクレマチスを見ると折れている枝がありました。このままでは可哀想なので手折って一輪挿しに入れました。花に触るとすぐに花びらが散ってしまいました。しかし、この小さな白い花びらは思いの外、厚くて硬いのです。その辺りが「鉄線」のDNAなのでしょうかまだ、荒獅子に絡まって咲いているのもあります。今日は、午後から美容院の予約しています。髪をショートにする予定です。それまで、暇なので節分に残った福豆をリメイクしました。鍋にヒタヒタぐらいのお湯でグツグツ柔らかくなるまで煮ます。柔らかくなったら京味噌と砂糖、蜂蜜、塩、白胡麻、黒胡麻を入れて水気が無くなるまで空炒りしてゆきます。出来上がったのがこちらちょっとした「箸休め」です。ゴマをたっぷりと入れてあるのでなかなかに美味しい昼食の時にちょっと付け合わせでいただきましょうかね〜にほんブログ村にほんブログ村
2024.02.21
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2月20日なのに最高気温は当市は23度ですよ〜〜曇り空なのにこの気温にはびっくり驚きです梅の花は紅梅も白梅も満開今日は、植物の梅じゃなくて陶芸の梅に会いに行ってきました。陶芸ギャラリーの中に入りました。松井康成 作品「梅」の作品って多いのです。やはり、「梅」や「桜」「紅葉」などは絵付の王道ですね。夢を入れるハコ「飾筥」藤田喬平 作「紅白梅」花の梅も美しいけれどこうした工芸作品の梅を見ると日本人の美意識が奈良時代ぐらいまでに遡りますね〜他にもたくさんの「梅」の作品を見たましたが、写真は撮れないものが多かったです。陶芸ギャラリーにも立ち寄りました。何も買いはしないけれど見るだけでも気持ちがウキウキしてきます。ギャラリーの奥に可愛らしいものを見つけました。あらまぁ〜女の子らしいですね。陶器のスタンドやランプです。ブラブラ歩ってお昼を少し回ったのでランチの時間になりました。ギャラリー内の小さなキッチンレストランで「中華風あんかけそば」を注文しました。野菜もたっぷりでイイですね〜早くて安くてとっても美味でしたお店の外に出て振り返ると大きな紅梅が満開でした。今日は夕方から夜にかけて気温は急降下するらしいです。体調管理がまたまた難しい1日になる様子です。にほんブログ村にほんブログ村
2024.02.20
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立春から数えて15日目ごろ「雨水」を迎えます。空から降るものが雪から雨に変わり、氷が溶けて水になると言うような意味です。草木が芽生える頃で、昔から、農耕の準備を始める目安とされています。今年は暖冬で急激な気温の上昇で昨日も今日も全国的に平年よりもかなり気温が高くなっています。我が家も枝垂れ梅や椿、沈丁花に加えて木瓜の花が一輪開花しました。お天気は曇りでも気温は、午前中なのに16度もあります。一雨くるかしらね‥水辺の鳥が美しい波紋を作っていました。三寒四温と言うけれどどうも今年はそれが上手く当てはまらないようです。体調を崩さないように御身が一番大事ですにほんブログ村にほんブログ村
2024.02.19
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八代将軍吉宗は大御所様へ九代将軍は家重にそして、吉宗の頃から家重の小姓として仕えていた田沼意次が九代将軍、十代将軍へと続いてゆく。吉宗の没後、世の中は「側用人」の政治の時代へとなってゆく。家重の頃から腐敗政治は続き、天明2年から7年間にわたるいわゆる「天明の大飢饉」「浅間山の大噴火」「農民一揆」の大型化。1745年(延享2年)、徳川家重は9代将軍に就任すると田沼意次の有能さを見抜き、将軍の住まいである本丸を守る本丸仕えに大抜擢。政治の表舞台への第一歩を歩み出す。田沼意次が如何に優秀だったか?その出世街道を見れば一目瞭然。1748年(寛延元年)には1,400石を、4年後には3,000石を加増され、1758年(宝暦8年)には、将軍と老中を取り次ぐ御側御用取次から10,000石の大名に取り立てらる。田沼意次も享保の改革を踏まえて倹約を奨励しますがなかなかうまくはいかない政治の世界。田沼は、幕府の財政赤字を食い止めるために重商主義政策を採る。株仲間の結成、銅座などの専売制の実施、鉱山の開発、蝦夷地の開発計画、俵物などの専売による外国との貿易の拡大、下総国印旛沼の干拓に着手すなどの政策を実施した。 その結果、幕府の財政は改善に向かい、景気もよくなった。 しかし、社会の初期資本主義化によって、町人も役人の生活が金銭中心のものとなり、そのために贈収賄が横行したのである。浅間山の大噴火と飢饉により疫病は蔓延し、景気が悪化し、田沼の打ち出す政策は失敗し、それによる都市部の治安は益々悪くなり、一揆や打ち壊しの激化が起こり江戸商人への権益を図りすぎたことを理由に贈収賄疑惑が高まり田沼意次への批判が集中する。田沼意次は蘭学を保護し、平賀源内などとも親交を持ち、士農工商の別なく実力主義に基づく人材登用もおこなった。この田沼意次と犬猿の仲と言われるのがあの「松平定信」である。その頃に流行った「狂歌」<田や沼や 濁れる御世をあらためて清く澄ませ 白河の水><白河の 清きに魚も 住みかねてもとの濁りの 田沼恋しき>松平定信もまた、吉宗と同様に「質素倹約」を旨としたことは田沼意次と変わりはないが生まれの差でしょうか‥田沼意次は、紀州藩の足軽の子供で松平定信は、吉宗の孫だから‥仲良くは成れないかもですね。それと結果論から言えば意次も定信も政治改革には失敗したことになるのです。田沼意次は賄賂政治の「ドン」みたいに言われているけれどそんなに悪い人ではないように私は思うのである。:追記:今、フジテレビで「大奥」が放送されています。このドラマの田沼意次はあまりに悪者に描かれていますねー気の毒なくらいな悪役ですにほんブログ村
2024.02.17
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暖冬ですね。沈丁花が咲きそうです。と、昨日、庭を見てそう思いました。昨日、2月15日関東地方では「春一番」が吹きました。各都道府県の気象台も「春一番」を発表しますが「関東地方」とか「東北地方」とか「東海地方」など大きく分けて発表する時には「春一番」の「定義」に則って発表しています。「定義」その1、立春から春分の日までの期間その2、風速8メートル以上その3、昨日よりも気温が高いその4、日本海側に低気圧がある以上の項目を満たすと「春一番」と云うのだそうですが‥そこにもう一つ条件が付きます。関東地方では気象庁のアメダスが設置してある北の丸公園で観測が認められないと「関東地方では‥」とは発表しないとのことです。そして下の天気図が昨日2/15の天気図です。確かに昨日は風がものすごく強く気温は20度越えで日本海側に低気圧もありますねーでも、「春一番」は聞こえは「春」らしくて良いですがお天気は大荒れで特に海は大変なうねりになり災害を起こすこともある「春の嵐」なのです。とは言え、昨日の異常な暖かさで今朝、沈丁花の花は開花しました。クリスマスローズも咲き出しました。枝垂れ梅も咲き始めました。裏庭の冬椿も春本番の絞りが付いて大きな蕾がいくつも今にも開花しそうです。春になるにつれて紅い絞りが濃くなってゆくのですよ〜表の庭の椿の木に絡んで上の方に冬咲きのクレマチスが白い小さな花を咲かせていました。そして、な、なんと驚いたことに表の庭の椿「荒獅子」が今にも咲きそうではありませんかこれは、毎年、子滝桜が咲く頃に一緒に咲く春の椿なのに‥八重桜と一緒にも咲いてくれているのに1ヶ月以上も早い開花になるかも〜これが毎年の八重桜と荒獅子の椿の様子ですよぉ(大体、4月上旬から中旬です)花が咲いてくれるのは嬉しいけれど‥なんだかねーいくら「寒の戻り」があるにせよもう2月中旬です。そうそう、最低気温も下がらないし陽脚が長いので日中は気温が上がってしまいます。農業、漁業、観光地などいろいろ大変なことになりそうです。「春」は大好きだけどこんな異常な気温の上昇も困ると思うわぁ〜〜今日も暖かでしたが午後3時ごろから17度あった気温が急降下、今、夕方の5時を回ったところで気温は7度まで下がってしまいました。体調管理に気をつけなくちゃ‥にほんブログ村にほんブログ村
2024.02.16
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壁というのは、できる人にしかやってこない。超えられる可能性がある人にしかやってこない。だから、壁がある時はチャンスだと思っている。<イチロー>乗り越えられる壁見て圧倒される壁そこあるだけで安心する壁壁もいろいろある。にほんブログ村
2024.02.15
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お墓参り‥両親に感謝の気持ちで毎月、お墓参りとお掃除を続けています。お墓に自然に生えてきている日本水仙の花。今年も人知れずに咲きました。一本、切り取って家に持って帰って生けることにします。今日は、春本番の暖かさですねー明日は、もっと暖かくなるらしい‥ちょっと怖い気もする気候です。さて、我が家の庭の同じ日本水仙が二番手が咲きそうです。玉霞の椿もようやく、ぼちぼち咲き始めました。春ですね〜今年の「桜紀行」の場所が大体決まりました。そんなに遠くには行かず日帰りで帰ってくることが可能なところにしました。春が大好きですにほんブログ村にほんブログ村
2024.02.14
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世界らん展に満足して外に出るともうすっかり夜でした。東京ドームを横目に水道橋駅に向かって歩きますこうしてみると東京ドームホテルは大きいですね駅に続く通路は天井にもドームの文字が流れてゆきます。歩道橋を渡って駅へと急ぐ人も多い時間帯でした。この橋の下は神田川です。後楽園から少し離れただけでなんだか暗く感じました。電車に乗ってすぐ、東京駅です。やっぱり東京駅は、落ち着きますね〜高速バスの時刻表を見たら今、出発したばかり少し時間があるので大丸でお弁当を買って帰りましょう。デパ地下は相変わらずに混んでます。もうじきに、お弁当やお惣菜も完売時間なのでササっと選んでバス乗り場に向かいます。大丸の一階に出ればすぐにバス乗り場があるのでと〜〜っても便利です。さぁ、バスに乗りま〜〜す宝町から首都高速に乗って隅田川沿いを行きます。あと、1ヶ月半ぐらいで隅田川の桜も満開になるんだろうなぁ〜〜と思いながら向島を過ぎたらちょっと渋滞でした1時間10分ほどで最寄りのバス停に到着しました。車で家まで15分‥お腹すいた〜〜では、早速、お弁当とお惣菜を頂きますお惣菜は春野菜と牡蠣としめじの甘酢あんかけ。ちゃんと、盛り付け直しましたお弁当は但馬牛の牛めし。あ〜〜どちらも美味でございましたにほんブログ村
2024.02.13
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今年の「世界らん展」で「大賞」に輝いたデンドロビュームの花をご覧いただきたいですね〜まるで、舞妓さんの花簪のようでした。それと、光る胡蝶蘭も写真を農業新聞のページからお借りして載せておきます。こちらもとても不思議な色をしておりました。さぁ、これからは先はランを使ったフラワーアレンジメントを一緒に見て下さいね。ウエディングドレスとブーケ。いろいろなフラワーアレンジメントの数々。それほど、感動を得るような作品はありませんが、皆さんいろいろ工夫して花を美しくデコレーションしていました。これを見た時は「アレこれはー‥」と思いました。水瓶から水が注がれるように花々を飾り付けているではありませんか‥これって「水戸植物園」の熱帯の花のコーナーによく似ていましたこれも卵の中にいろんな花があるようなのですが以前にやはり、同じようなものを見たことがありました。中を覗き込んでみるとわぁ〜〜小さなランがいっぱい詰め込んでありました。これなどは、すぐにも真似て作ることが出来るかな〜なんて思いました。花は別の花々ですけれど‥そのうち、挑戦してみようかしらねーそして、これもう「花」の域を脱していますね。胡蝶蘭に色を塗ってしまっていましたなんと云うか‥です。会場の出口の方には即売場があります。そこで目を引いたのがこれです。赤い春蘭です。かなり、お高いお値段でお土産ってなわけにはいきませんでした世界らん展をじっくり見ました。もう来年は来なくても良いかな〜って感想です。じゃあ、そろそろ帰りましょう。外はもう、すっかり夜です。にほんブログ村にほんブログ村
2024.02.12
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「らん」「ラン」「蘭」が目一杯です。蘭は洋蘭と東洋蘭に分かれています。大体、蘭の種類は世界で15000〜3000種類ぐらいあると言われています。大きく分けると洋蘭は胡蝶蘭、カトレア、デンドロビウム、デンファレ、シンビジウム、オンシジウム、バンダ、パフィオペディラム。東洋蘭は寒蘭(カンラン)、春蘭(シュンラン)、風蘭(フウラン)、中国春蘭、蕙蘭(ケイラン)。まっ、これくらいは覚えておいてから世界のらん展を観るのが良いと思いました。家から近くにある「花木センター」にも「蘭」のコーナーがあるのでいっぱい観ているので「世界らん展」も「これ何」って事もなくすんなり鑑賞することが出来ました。入り口の豪華な胡蝶蘭が天井から降り注ぐように飾られていました。右手に誘導されてらん展の中へと侵入します大勢の人たちが蘭を見ているのですが一瞬、人波が途絶える箇所もあります。そんな場所を逃さずにシャッターを切りました蘭の園の中程に何か、まぁるいモノが見えてきました。宙に浮いているかのような蘭の大きな球です。本当は、こんなに人が多いのですよーまぁ〜大きなバンダランです。世界らん展は、蘭の壁がずっと続きます。でも、どれもこれも鉢植えですが‥近頃、人気急上昇のパフィオペディラムです。いっぱい色々なパフィオペディラムがありました。それは、胡蝶蘭よりも目立つほどで‥つまり、やっぱり人気度が高いのでしょうね。私の記憶が正しければ確か‥ランの花は植物界で最後に生まれた花とか‥何故なら、土が無くとも樹木に着生して子孫を残すことが出来るし、樹木に着生しなくても苔の上にも生命を宿すことが出来るのです。さて、勿論、蘭界の女王であるカトレアもたくさんありました。デンドロビュームも美しいですね。立派な蘭の花達。鉢植えの蘭の花で写真に撮ったのは皆、「賞」を取っているラン達です。ものすごく大掛かりな蘭の花もあり目を見張るものばかりでした。この白い胡蝶蘭には誰も彼も釘付けになっておりました。私もですまん丸球体ですよー記念写真を誰かと撮るのは順番待ちでしたよーそして、この大きなウエディングケーキのようなランも素敵でした。私がどうしても気になってしまった「蘭」がこちら‥このパフィオペディラムです。拡大して花の容姿を見ると‥こんな風になっています。不思議な形です。繁殖のためにこうなったのでしょうけれどそれにしても、なんとも言えぬ芸術性を感じてしまいます艶やかな「世界らん展」は明日もBlogUPします。余談本日は「建国記念の日」大正生まれや昭和の戦前生まれの人たちは「紀元節」と呼んでいましたね。ちなみに、今年は「皇紀 2684年」です。西暦よりも古い日本の神武天皇即位の日です。にほんブログ村にほんブログ村
2024.02.11
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「世界らん展2024 公式HP」TV、ネット、新聞で毎年話題になる「世界らん展2024」に行ってきました場所は、東京水道橋「東京ドーム」です。最後に東京ドームに行ったのは何時だったかしらね〜35〜6年前かな日本経済が絶頂の時だったように記憶している。寒い時期だったわぁ〜〜先ずは、毎度混雑している東京駅から電車で水道橋まで行きます。2月も中旬頃になると本当に夕暮れ時間が長くなりますね。夕方の5時半頃なのにまだ、こんなに明るいわ〜目の前の背の高いビルは「東京ドームホテル」水道橋の交差点、白山通り‥懐かしいわね〜さぁ、東京ドームと云うか後楽園遊園地の方へ横断歩道を渡ります。今は、後楽園遊園地とは言わないで「東京ドームアトラクションズ」と云うそうです。東京ドームホテルはこの辺では抜きん出て背が高いのねー43階建てのホテルです。いろいろなイベント広場があります。奥の方に遊園地も見えてくるでしょう。昔、娘が小さい時に後楽園に連れてくるとご機嫌斜めになったことを思い出します。あれから、35〜6年も経っているのに相も変わらず後楽園はごちゃごちゃしていて令和になっても賑やかと云うか、雑多な感じは変わりませんねーおやおや都心の真ん中でまだ雪が残っていました。びっくりようやく、「世界らん展」のプリズムホールの前に到着しました。平日の金曜日なのに混んでますこんなに並んでいます。2〜30分待ちだそうですがチケットは購入しているので寒いけれど待つしかないですねやっと会場に入ることが出来ました。美しい蘭の花で「目の保養」をしましょう。毎年、多くの人に絶賛される「世界らん展」これから、どんな蘭を私は目にするのでしょう‥明日につづくにほんブログ村にほんブログ村
2024.02.10
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水戸徳川家は禄高こそ低い35万石だけれど「天下の副将軍家」藩主が住んでいた頃の水戸城はかなり広い面積を持っています。水戸城は水戸徳川家の居城で、土塁と堀によって東から「下の丸」「本丸」「二の丸」「三の丸」の4つの曲輪から出来ています。水戸城には、かつて四ヶ所に角櫓がありました。最近、復元された「二の丸角櫓」まで行ってみることにしました。まずは、大手門から入り右手の方に行くと広くて素晴らしい道がまっすぐに伸びていました。改めて振り返ると大手門が左奥に見えています。進行方向に向きを変えるとまぁ、キレイな道が続いています。二の丸角櫓まではこの道をまっすぐに行って右側に入り口があるという案内を聞いて、気持ちの良い道を歩きました。途中、こんなふうな塗塀がずっ〜と続きます。(垣間見れるだけですが‥)ちょっと金沢城を思い出しました。「この先、まっすぐで良いのですか」と観光案内の人に尋ねると「500メートルぐらい行くと右手に櫓に行く戸がありますからその戸を開けて道なりに歩いて下さい。」結構、遠いのね〜まぁ、お城だものね。広くて当たり前か‥なんて思いながら歩きました。ようやく、その「戸」を見つけて中に入りました。ん竹垣が奥の方まで続いています。誰もいませんね〜狭いですね〜竹垣、背が高いですね〜奥の方にやっと歩いている人たちを見つけました。あれカーブです。この竹垣があるせいで周囲が見えないのです。自分が歩いてきた道を振り返ってみました。え〜〜もうどこが入り口だったか見えないので分かりません。この道はまだ先へと続いています。正面に見える建物がどんどん近づいてきますがこれは、普通のビルでだんだん近づいて来ているのは分かるのですが大手門から、どの辺を今歩いているのかが分かりません。あらここで右折するのね。やっと大曲りの場所まで歩いて来ました。え""〜〜〜また、道が続くのあやっと見えてきました。あれが、「二の丸角櫓」なのねーな〜〜んだお城側から見ると思っているよりも小規模なのね。中に入れそうです。ちょうど、中からご年配のご夫妻が出てきて私を見ると笑いながら‥「中にはなんにもないのよ。まっ、休憩所みたい(笑)」と言われました。中に入ってみると外が見えないようになっていて休憩しても良いスペースがあってほんとに何もありませんでした。大きな昔の地図がありましたけれど‥この「二の丸角櫓」はお城の外から見るとこんなに素晴らしいのです。このパンフレットってドローンで撮影しているのね。こちら側は見えないもの。お堀はあるし、道路は通っているしビルや住宅も建っているし‥そもそもお城は高いところに建っているし‥です。でもまあ、水戸城を見学できて幕末の歴史の一部や水戸黄門、助さん角さんのことも今までよりも深く知ることが出来て良かったと思いました。さあ、元来た道を帰りましょう。帰りに案内所でもう一度尋ねるとあの竹垣の道は800メートルもあるそうです。竹垣に囲まれているのでずいぶん長く感じました。整然と整備された道を再び通って大手門を抜けて弘道館の駐車場まで歩きます。「水戸の探梅」の終了ですいつも行っている場所だけど思いがけずに良いひと時を過ごせました。「光の春」を求める季節到来ですね。花を求めて私も小さな「春旅」をしましょうか心ときめく「春」です。にほんブログ村にほんブログ村
2024.02.09
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いつもよく通る道。ここは「三の丸歴史ロード」と言います。この白い塗塀は「三の丸小学校」です。これが小学校の正門です。手前にも奥にも梅の花が咲いていました。この小学校の裏が昨日のBlogに書いた弘道館の正庁になります。三の丸小学校、弘道館、弘道館公園水戸城、図書館、警察署、裁判所、気象台、郵便局などが三の丸歴史ロードの中にあります。今の図書館の敷地には以前は、茨城県庁がありました。この辺りは、よく映画やTVの撮影に利用されています。左手が小学校の塗塀で奥まったところが弘道館。左手が弘道館ですが、とにかく整然としている道でしょう。右奥に看板が見えますが右手が水戸城になります。これが弘道館の入り口付近です。弘道館の向かい側に水戸城の大手門が見えます。さて、大手門をくぐる前にお城と言えば「本丸」「二の丸」「三の丸」などと言いますが、「〇〇丸」ってなんでしょう「丸」は「曲輪」です。城の中心となる曲輪は「本丸」と呼ばれます。政治の場でもある本丸は、天守や城主の住居が置かれており、戦いの最後の砦として、基本的に城の最も高い場所や最も奥に作られます。本丸近くの「二の丸」は、本丸を補助する役割を持つ曲輪。城によっては城主の住居が置かれていたとか‥二の丸近くに設けられる「三の丸」は家臣たちの住居が置かれている場合が多いですが水戸城での三の丸にある弘道館は、単に教育施設ではなく藩政運営の一環として捉えられていました。さぁ、水戸城の中に入っていきましょう大手橋の前にはあの有名な「徳川斉昭」の像が建っています。幕末を描いた作品には必ず登場してくる人ですね。大手門を通り、振り返ると弘道館がよく見えます。あっ、宿木を見つけました。復元された「二の丸角櫓」まで散策しましょう‥車は、弘道館の駐車場に置いたままで良いとの事、助かりま〜〜す。広いので移動しなくちゃいけないかなと思ったけれど良かった明日に続くにほんブログ村にほんブログ村
2024.02.08
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雪騒動が落ち着いて、今日は朝からお天気に恵まれました。「梅」の季節ですね‥茨城県の県木は「梅」です。今週末には、偕楽園の「梅まつり」も始まります。早咲きの梅が咲いているので用事のついでに水戸の弘道館に立ち寄りました。「弘道館」偕楽園の梅も良いのですが私は、弘道館の梅の方が好きなのです至善堂‥藩主の休息所の部屋の広縁‥日当たりが良いですね。何回来ても、懐かしい場所。ここで、お弁当を広げてワンカップで乾杯して楽しかったなぁ〜〜今は、飲食は禁止ですけれど‥グルッとまわって、三の丸小学校を右手に正庁の前に向かいます。観光写真と同じです手前の広い場所は対試場で武芸が披露されたのでしょうね。白梅が満開に咲いていました。満開を過ぎた紅梅。気温は8度で高くはないけれど春は光の季節だなぁ〜とつくづく感じ入りました。ちょっとセクシーな梅の木を見つけましたビーナスの下半身みたいに見えませんか今回は入館料を支払ったけれど弘道館の中に入るのは止めました。お屋敷の中はそんなに変わることもないので‥ね。(もう何度も見てるし‥)弘道館を出て振り返るとさっき見た梅の花が塗塀から見えました。白い塀に梅の花‥梅を探して三の丸歴史ロードを歩きましょうつづく余談:県木が「ウメ」なのは47都道府県の中では茨城県と大分県だけで大分県は「豊後梅」で県花も「豊後梅」なのです。にほんブログ村にほんブログ村
2024.02.07
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昨夜のお天気はもしかしたら、生まれて初めての経験だったかも雪は予報通りにお昼過ぎ頃からパラパラと‥夕方になって風も出てきて大きな牡丹雪が降ってきましたそして、夜になって‥え"〜と思うような轟音がして家が少し揺れました。雷です雪は強くなって風も強くなって加えて物凄い音の雷でした冬季雷 冬雷 雪起こし鰤起こし雪雷 逆放電もう季節は暦上は「春」なのです‥が、冬の日本海側では冬の雷が鳴ります。太平洋側で雷とは‥本当に珍しい気象現象が昨夜、起こりました。ゲリラ豪雨の冬バージョンと言った感じの大荒れのお天気でした。流石に、ニャンズも窓からさえも避難してストーブの前で大人しく寝ていました午後の11時を回った頃には雪から霙みたいな雨に変わって雷も遠くへ去って行ったようでした。いや〜寒いかったですよ。一夜明けて雪は全く積もっておりません。東京は大変なことになってしまいましたね。東京にいた頃を思い出しました。昨日の雪よりももっともっと雪が降ったこともありましたねー東京や横浜はこの時期、南岸低気圧のせいで割と大雪になることがあって而も、雪深くなってしまうのですしっかし、寒い雨です氷雨ですねーそれでも、有難いのは気温が氷点下になっていないので路面は凍らずです。さぁ、今日も1日、家でのんびり‥不要不急の外出は控えましょう‥ですね。にほんブログ村
2024.02.06
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「立春」は名ばかりの「春」今朝は、寒いです。空は雪雲に覆われて降ってくれば雨にはならず「雪」かしらね〜気温が4度しかありません。啓翁桜は、まだ咲いています。黄緑色の新芽がずいぶん伸びてきました。脇床に椿を飾りました。雪でも雨でも濡れてしまえば哀しい色になるからです。『紅炉一点雪』は碧巌録に記された禅語です。上杉軍と武田軍の川中島の戦いの中で出てきたりする禅語です。上杉謙信自ら武田軍の本陣に攻め入り、武田信玄に太刀で斬りつける名場面があります。その斬りつけるとき、上杉謙信は、如何なるか是れ剣刃上の事。(刀で斬りつけられ、死が迫る心境はどうだ?)すると信玄は、刀を鉄扇で振り払い、紅炉上一点雪(こうろじょういってんのゆき)と返したと云われています。この禅語の意味は真っ赤に燃えている炉の炭火の上に真っ白な雪がひとひら落ちてくる。それが、瞬時に跡形もなく消え去ってしまう。人生とはそんな儚いものだからあらゆる事象にとらわれることもなければ、こだわり引きずることはない。と、言うような意味ではありますが、「赤い炎、白い雪、黒い炭」と言葉通りにその情景をイメージすれば実に美しい一瞬であると思います。伊藤若冲の「雪中遊鶏図」も飾りました。「雪」はサラサラとシンシンと降っているのを見ているのは美しいけれど実際はその影響は多大で今日は各地で交通アクセスに支障が出そうな予報が出されています。私は、雪や雨の降る前に食べ物も買い込んで家でのんびりモードで今日、明日を過ごします。甘い和菓子も又々頂きましたので熱いお茶と一緒に一服タイムです。にほんブログ村にほんブログ村
2024.02.05
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「節分」です。年明け早々に大変な災害があったり大きな事故があったり政治と金の派閥大問題があったりしましたがそうした「鬼」を払い除けたい節分ですね。節分の豆の大豆は、五穀のなかでも粒が大きく精霊が多く宿ると言われているため、邪気を払うのに最適とされています。豆は語呂合わせで「魔目」と読めるので魔の目に豆を当てて、魔を滅ぼすとも言われています。今日は、「幸福茶」と名前がある「豆」のお茶を頂きます。お茶と言っても茶葉は入っていませんが急須にお豆さんを入れて沸騰させ豆の良い香りがしたら茶碗の中に仕組んでおいた昆布と梅干しの上から豆茶を茶碗に注ぎます。良い香りです。さて、お菓子は縁起良く「大判最中」節分の翌日は「立春」‥お天気は下り坂になるそうですが「暦」の上では「春」を迎えます。にほんブログ村にほんブログ村
2024.02.03
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如月を迎えました。ご近所の紅梅も毎日、少しずつその花数を増やしていっています。茶道のお稽古にいらしていた生徒さんが来月、出産するそうです。「腰が痛くてお腹が張ってもう当分、茶道のお稽古は出来ませ〜〜ん。」と電話がありました。予定日は「3月3日」でお腹の子は「女の子」と分かっています。「ひな祭り」に生まれてくる女の子。良いですね〜「あと1ヶ月ね。身体の調子が良い時にお抹茶を一服はどうかしら」と私。「あー嬉しい子供が出来たら茶道もお抹茶もきっと接することも無くなってしまうから‥誘ってくれて有難うございます。」彼女はとても嬉しそうだった。日取りが決まったらLINEするとのこと。身一つの時なら自分の都合でどこかへ行くことも出来るけど子供が生まれたらそうはいかなくなるものね。折り合いをつけて遊びにいらっしゃいな‥お待ちしてますよ。(妊婦の写真はネットからお借りいたしました)にほんブログ村
2024.02.01
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甲斐の銘菓「くろ玉」を茶道の先輩が送って下さいました。「澤田屋 くろ玉 HP 」真っ黒ですね。まん丸で‥上手く開けられなくて形が少々歪になってしまいました。まん丸に直そうと思ったけれどあまり指で触ると指紋がついてしまうのでそのままで‥半分に切ってみました。あ〜〜中身は「青えんどう」なのですね。美味にございます今日で1月も終わりです。近くのお宅の紅梅も咲き始めました。では、私も紅梅のお茶碗で一服点てて「くろ玉」と一緒に‥少し濃い目のお抹茶を点てて頂くとくろ玉の甘さ美味しさがより一層、口の中に広がります。しばらくしてお隣さんから朝摘みの苺を頂きました。そのお返しに私は「くろ玉」をお裾分けをしました。和菓子も良いですが果物も良いですね。口の中がさっぱりしました。なんと、長閑で暖かな睦月の最終日でしょう。にほんブログ村
2024.01.31
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昨日の玉椿の「玉霞」に続いて「日本水仙」が咲きました。八重咲でとても香りが良い水仙ですがこれもまた、だいぶ遅い開花です。さてと‥2024年の桜の開花予想はだいぶ早まっているらしい‥1月も、もう終わりを迎えるので我が家の「子滝桜」に寒肥をしました。腐葉土と籾殻と糠を混ぜた手作りの寒肥です。寒肥は、本来は木々の根っこの周囲を掘って肥料を与えるのですがそんなスペースは我が家の狭庭にはありませんので毎年、上から土と一緒に寒肥します。よ〜〜く混ぜて土を均します。「今年も綺麗に可愛く咲いてね」と愛情たっぷりにお世話をしました。枝垂れ桜の周りを囲んでいた貝殻も並べ替えです。「初夏になったらまた、貝殻を拾いに行ってくるね」と桜に向かって言いながら一つ、一つ、並べてゆきます。どうせ、ニャンズにぐちゃぐちゃにされてしまうのだけど全部が全部、ごちゃごちゃにされてしまうわけでもありません。その証拠に貝殻の下は一年経っても、ほとんど雑草は生えません。素晴らしいグランドカバーの貝殻なんですよ。この暖かさで行けばあと1ヶ月ちょっとぐらいで花が咲くだろうと思っています。え〜〜〜っと去年の開花は‥あ〜〜やっぱり、「3.11」の頃でした。じゃあ、今年は暖冬だからも少し早く咲くかも知れない「3.11記念の子滝桜」です。にほんブログ村にほんブログ村
2024.01.30
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暖冬のせいでしょうか‥今冬は、なかなか咲かなかった裏庭の冬椿。2ヶ月ぐらい、咲き遅れの冬椿の「玉霞」です。例年なら11月の下旬ぐらいから咲き始め、春の椿が咲き揃うころまで咲いてくれている筈なのに‥我が家では一番咲いている期間が長い花なのです。今年は、なんと遅咲きで今日、やっと一輪咲きました。2023年は返り咲きや狂い咲きの花が多かったけれどこの冬椿は記録的に遅咲きですこれは、明日は咲きそうです。玉椿が咲いてくれると広間の室礼にすごく役立つのです。どうしちゃったのかって思っていましたが咲いてくれて「嬉しい」「玉椿」ですにほんブログ村にほんブログ村
2024.01.29
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高層ビルの窓から見る夜景はまるで宝石箱をひっくり返したように眩いばかりに美しいですね。そんな高いビルの窓をお掃除してくれるお仕事。たまたま、間近で見るチャンスがありました。実に「カッコイイ」お仕事ですね。あっという間にキレイにしてしまうのです。危険なお仕事ですが慣れてしまえば、そんなに辛い仕事ではないと言います。何故普通のお仕事って就労時間が7〜8時間ぐらいアルバイトでも4〜5時間は働きますがビルの窓拭きは、1日、1〜2時間なのだそうですあまり慣れてしまうとかえって危険なので短時間作業だとか‥カッコイイなぁ〜って思ったお仕事でした。さて、私はこれから今日も日帰り温泉ですにほんブログ村
2024.01.28
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1974~1975年5月までに企業爆破事件は起こった。>1974年8月30日 - 「狼」班による三菱重工ビル(現:丸の内二丁目ビル)爆破(三菱重工爆破事件)。 8名が死亡、376人が重軽傷。10月14日 - 「大地の牙」班による物産館(三井物産本社屋)爆破(三井物産爆破事件)。16人が重軽傷。11月25日 - 「狼」班による帝人中央研究所爆発(帝人中央研究所爆破事件)。12月10日 - 「大地の牙」班による大成建設本社爆破(大成建設爆破事件)。9人が重軽傷。12月23日 - 「さそり」班による鹿島建設資材置場爆破(鹿島建設爆破事件)。>1975年2月28日 - 三班合同による間組本社ビルと同社大宮工場爆破(間組爆破事件)。5人が負傷。4月19日 - 「大地の牙」班によるオリエンタルメタル社・ 韓国産業経済研究所爆破(オリエンタルメタル社・韓産研爆破事件)。4月28日 - 「さそり」班による間組京成江戸川作業所爆破(間組爆破事件)。1人が重傷。5月4日 - 「さそり」班による間組京成江戸川橋鉄橋工事現場爆破(間組爆破事件)。その頃、私はまだ大学生だったが就職の決まった会社での研修期間の頃だった。衝撃的に覚えているのは先輩の社員と一緒に取引先の人たちと夜になっても打ち合わせをしている時のことだった。物凄い音がした。「間組爆破事件」であった。爆破事件があちこちで起きていることは承知していたけれどまさか、自分が居るすぐそばで爆破事件が起きるなんて想像も出来なかった。それから、その後商談はどうなったのか?そこにいた人たちはどういう行動をとったのかも覚えていない‥正直に言えば爆破事件に本当に遭遇したのにこの爆破事件の時の自分の行動はあまり思い出せない。昨日、半世紀も逃亡を続けていた連続企業爆破事件の容疑者が見つかった。メディアに報道されている犯人の手配書は、この50年の間どこに行っても掲げられていた。50年‥氏名を偽りながらどうやって暮らしていたのだろう‥あの頃、あちらこちらを爆破して何をどう変えたかったのだろう‥さて、話を当時に戻そう‥この頃、偽の爆破予告が相次いだ。私は、飯倉にある会社に勤めていた。ランチタイムが始まる頃だったと思う。突然、館内放送が大声で流された。何が起きたのか全然判らなかった‥今までそんな放送は一度もなく大体、なんのことか理解が出来なかった。どう言ったのかは全部は覚えていないけれど「貴重品やバッグやカバン類は持たずに身一つでただちにビルから避難して下さい。」こんな内容だったと記憶している。何が起きたのかは全く知らされずにビルの外の交差点の向こう側に大勢が避難した。その後、警察だか機動隊だかなんだか分からないけれど大勢の人がやってきた。ビルから出てきた人たちで交差点近くは騒めきたっていた。よく見るとその群衆の中には会社の偉い人たちも他社の会社の人たちもたくさん混じっていてカバンを持っている人は警察の人に何か聞かれたり手荷物チェックをされ厳しい表情に双方がなっていた。交差点付近はすぐに通行止めになり物々しい状態に刻々と変化していった。2〜4時間くらい外で待っていて何がどうしたのかを知ったのは随分あとの事だった。「〇〇ビルに爆弾を仕掛けた」という電話があって私たちはこのビルから誰も彼も全員外へと出たことが分かり爆弾事件なので何かを持って外に出ることは禁止なのでありビルの中にいた人は全員、身元の調査が行われた。この偽爆弾騒ぎの事は何故か、よく覚えている。たぶん、「間組爆破事件」の後だったし社会人としても少しは大人になっていたのかも知れない。その後も、都内ではあちこちで「爆弾予告」の偽の電話や手紙が届き、落ち着かない日々が続いたのである。考え方の違いは誰にでもどの国でもある。それを何も関係のない市井の人たちに害を及ぼしたり命を奪うことはたとえ、その人たちが言っていることに一理あったにしても決して許されることでない。ただのフェイクでは済まないのである。そのあと、取引先ともギクシャクして悩んでいる人がいたことも事実である。「悲しい余談」財布を持って外に出ることが出来なかったので外にいる間にお腹が空いてしまったが近くのレストランや喫茶店にも入れなかった。会社の中高年のオジ様たちは交差点から少し奥に入ったところのツケの効く麻雀店で時間潰しをしていた。何しろ、この現場から立ち去ってもダメなのです「あ〜小銭だけでも持ってくれば良かった‥」「いったい、いつまで此処で待機してればいいの?」で、このBlogを書いていて気がついた‥今だったらスマホも持って出てはいけないのかも知れない‥混迷の時代は今も続いている。にほんブログ村
2024.01.27
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「徳川家重」(とくがわいえしげ)は、1711年(正徳元年)に八代将軍吉宗の長子として紀州藩赤坂中屋敷にて生まれ、幼名は「長福丸」と言う。1716年(享保元年)、父の徳川吉宗が八代将軍に就任することとなり、長福丸も父に付き従って「江戸城二の丸」へ入る。1725年(享保10年)に14歳で元服。そして20歳になった1731年(享保16年)には、皇族である「伏見宮邦永親王」の第4王女「増子女王」と結婚。徳川家重は生まれながらの虚弱体質で、障がいのために発する言葉が不明瞭でありそのせいか多くの人との交流を好まず、大奥に籠りがちで、青年となってからは酒色にふけり猿楽能楽を好み益々健康を損なっていくことになる。どこの家でも現代もそうであるかも知れないが長男があまりに頼りなく酒と女と道楽に溺れていたら「後を継がせる」のを躊躇うかも知れない。それは、八代将軍吉宗も同じであった。家重の弟の徳川宗武は幼い頃より勉学に励み、聡明であったと伝えられている。ここに「継嗣問題」が頭をもたげてくるのである。徳川家の基本は「直系の長男による相続」これを破ることで兄弟間や親族、さらには派閥に与する家臣らによる後継者争いにより徳川家内部の秩序が乱れるのは避けたい。いろいろあって残念ながら徳川宗武の擁立にはならず1745年(延享2年)、徳川吉宗は隠居して「大御所」となり、徳川家重は36歳で九代将軍に就任。さて、徳川家の話の中でよく出てくる言葉に「御三家」がある。「尾張徳川家」「紀伊徳川家」「水戸徳川家」そして吉宗が定めた「御三卿」がある。田安徳川家(田安家) - 始祖は徳川宗武(第8代将軍徳川吉宗の次男)一橋徳川家(一橋家) - 始祖は徳川宗尹(第8代将軍徳川吉宗の四男)清水徳川家(清水家) - 始祖は徳川重好(第9代将軍徳川家重の次男)これは、九代将軍を決める時に生まれ出た結果とも言える。さて、この頃の「大奥」であるが‥家重は父 吉宗が大御所として後見役をしていた間は勿論ものことであるが宝暦元年吉宗が亡くなってからも将軍としての政治は行なっていない。と言うことは「大奥」で過ごすことが多く特に側室お幸の方を寵愛した。元文2年、まだ家重が世子時代に徳川本家の第一子として嫡子誕生。幼名は家康ゆかりの「竹千代」と名付けられてのちに「家治」と名乗る。吉宗はこの孫の家治を寵愛し期待をを寄せる。この間、家重のもっぱらの近習は大岡忠光である。忠光は16歳で家重の小姓となり家重に気に入られ宝暦元年には一万石の大名に取り立てられ、同6年には武州岩槻二万石の城主となる。忠光は家重の不明瞭で聞き取りにくい言葉をよくよく聞き分けることができたことから巧みに家重の気分を察することが出来たと言う。当然ながら家重のとのコンタクトとは忠光無しではうまく行かないので忠光は表使いも大奥でも権勢を持ったと言える。この忠光に認められたのがあの「田沼意次」であった。大奥でもこの時代はかなり乱れていたことは想像するに難く無いが大御所吉宗や大岡忠光などの支えがあり享保の改革期よりも幕府財政は少しは安定し幕府の貯金銀も増加している。九代将軍家重は徳川将軍の中で最も暗愚な将軍と言われているが暗君を擁して専権をふるうような人物も出てこない。酒と女色に溺れてはいたが元来、病弱のためそんなに多くの子も成していないのが平穏を保てた一つの理由であったやも知れぬ。1745年、八代将軍吉宗が逝き1760年、大岡忠光が逝きいよいよ側用人「田沼意次」の時代がやってくる。にほんブログ村
2024.01.25
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暮れからお正月にかけて着ていた着物や小物類を片付けました。特に、帯揚げ、帯締めは仕舞い置く引き出しを変えたので一枚ずつ、一本ずつ取り敢えず、整頓しました。数えてみると帯締めは60本ほどありました引き出しは帯締めだけでいっぱいです帯揚げも色順はバラバラですがアイロンをかけて皺をとって並べ数えてみると54枚ありましたこれだけあるから着物を着る時にどれとどれを組み合わせるかで悩んでしまうのです。着物は、ここ4〜5年の間にずいぶん処分しました。数えてはないけれど50枚ぐらいは生徒さんや又従姉妹にあげてしまいました。それでも、なかなか片付かない和箪笥です帯もよく締めるものだけにしてあまり締めない帯は畳紙に包んで箪笥の盆に仕舞いました。整頓は簡単ですが整理は、そう簡単には出来ませんね〜とは言え、片付けは終了しました余談昨夜の不思議なこと‥夜9時ごろから雨になりました。真夜中には雪になると予報が出ていました。10時半ごろ、門を閉めたかの確認に外に出ると冷たい霧雨でした‥が‥ほんの束の間、なんとお月様が見えたのでした。「え”〜〜雨が雪に代わりそうなのに‥」昨夜は、十二夜ぼ〜っとしている月が私を見ている様でした。「月待人」です今日1・24は、当市は朝から上天気です。にほんブログ村
2024.01.24
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天から雨が降ってくる。その形は、雨だったり霙だったり雪だったりと‥その恵みで地球上の生物は生かされている。雨は空から降り注いで流れとなって低いところへと休まずに進んでゆく。雨の雫が流れとなって川になる。川から流れてしまうだけではない。(上の3枚の写真はネットからお借りしました)それを堰き止めるのが森林である。森の役目は水を溜めておく「水瓶」。そこから少しずつ窪地に水が溜まり湖沼になってゆく。湖沼の水も海へと続いている。水が無ければ生きてはゆけない‥地球は今現在「水の惑星」でありほとんどの生物は水無しでは生存は不可能に近い。天から降った雨はやがて大海に流れ込み、それはまた水蒸気となって天空に戻り、雨となる。素晴らしい地球の循環システムである。この「水」をどうにか引いてきて生活に利用しているのが私たちである。元日の能登大地震で今もなお、被災者が困っているのは「水」である。「断水」‥大きな災害が起きるたびにこの「断水」が付いて回る。例え、台風で雨がものすごく降っても「断水」なのである。去年の6月に我が家周辺は台風のために老朽化した水道管や下水道管が壊れてしまった。その工事はいまも続いている。家の周りの道路は日替わりの様に場所を移って工事を続けている。工事完了は「3月末」と言われている。<あっ、水道水はちゃんと出ていますよ>能登地方の水道管の復旧工事は2月末、3月末、4月末とそれぞれの地域で異なるが、それでも出来るだけ早くのどこよりも優先的に工事がなされているのだろう。復旧工事をしている方々には頭が下がります。本当にご苦労なことだとお察し致します。蛇口を撚ればすぐに「水」が出る。日々、当たり前の様に思っていることだが一旦、「水」が出ないとどうしようもないのである。「断水」は東日本大地震の際には私自身も経験している。毎日、給水場に行くのは大変なことだった。自然の災害はその途轍も無い「力」で襲ってくる。防ぐことは出来ない。どう頑張っても「防災意識」を高めるくらいが関の山であることも知っている。ともあれ、1日でも早くに水道の水が出る様に祈るばかりである。(水道管と蛇口の写真はネットからお借りしました)小さなことかもしれないけれど私も車で家を出る時帰る時迂回しないでいつも通りの道を通りたいと思っている。おや当市にも天気予報で❄️マークが付きました冬将軍がやってきました。雪は今夜なのでしょう‥あまり居座らないで過ぎ去っていただきたいと心から願うところです。にほんブログ村
2024.01.23
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昨夜、「大河ドラマ」を見ていました。よく皆が云うところの「王朝時代」って何時の辺りのことを言うのか‥日本史に詳しくない方のためにちょっと「王朝時代」のさわりだけ書いてみることにしました。平安京は桓武天皇の延暦13年(794年)の遷都によって始まりましたが「万代宮(よろずよのみや)」と宣せられたのは平城天皇を経て嵯峨天皇の御代になってからのことでした。嵯峨天皇は、すべて「唐風」によって儀式を行うことを本旨とされました。嵯峨天皇の弘仁時代はまさしく唐風文化の最盛期でもありました。しかし、日本を取り巻く東洋の政治は動乱機に向かいやがて、中国の「唐」も衰退してゆきます。宇多天皇の寛平6年(894年)に菅原道真の献言により遣唐使の廃止され朝鮮半島の新羅が滅び渤海も滅亡してしまいました。日本も唐にならった律令の制度が崩壊に向かい新しい令外(りょうげ.令に規定されていないこと)の官や組織が生じてきます。朝廷の人たちの生活も唐風な瓦葺の建物から木造で板の間に畳を敷いて座る形式となってゆきます。これに伴い服装の形態も変化し「今様」と呼ばれる女性の唐衣、裳、五つ衣、十二単、男性の、束帯、衣冠などへと変化してゆきます。「王朝時代」と呼ばれるのは平安時代の内、前期を除いて藤原氏による摂政、関白としての行政体制が中心であった10世紀から11世紀後半までの時代でありこれに続く「白河法皇」の院政時代へと続いてゆくのです。さて、大河ドラマ「光る君へ」に登場してくる女性の中で主役の「紫式部」と同様に大変に教養溢れる女性があと、二人います。紫式部さんよりも先輩格になる女性です。今週の大河に初登場した女性。「赤染衛門」です。詳しくは上記をクリックしてください。百人一首59番 「やすらはで 寝なましものを さ夜ふけてかたぶくまでの 月を見しかな」現代語訳をするとあなたが来ないと分かっていたらためらわずにさっさと寝ていただろうに。あなたを待ってるうちに夜が更けてしまい、とうとう明け方に西に傾こうとする月を眺めてしまいました。これは、代作と言われています。赤染衛門の姉妹さんのどちらかのために代わりに詠んだと伝えられています。そして紫式部と言ったらこの女性は外せませんねー「清少納言」です。上の図は「香炉峰の雪」の場面ですね。清少納言の「枕草子」は「源氏物語」と並び称されますが「枕草子」は随筆の最高峰ですし「源氏物語」は物語の最高峰で比べようもありません。王朝時代には多くの女流歌人がその魅力を一気に爆発させました。今、現代においてもこれだけ素晴らしい文章、和歌、物語を書けるうら若き女性はそうそう居ないと思います。紫式部の書き残した「源氏物語」は世界各国の40以上の言語に翻訳されているそうです。平安時代、鎌倉時代、室町時代安土桃山時代、江戸時代、明治、大正、昭和、平成、そして令和へと連綿と続いている「王朝の雅」への憧れ。それは、宮中で行われたきた儀式が私たち庶民の間にも定着していったからかも知れませんね。大寒を過ぎれば春を告げる「立春」がやってきます。その立春の前日が「節分」ですから今でも、やはり宮中行事は少しづつ姿を変えながら繋いで続いているのですね。にほんブログ村
2024.01.22
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七十二候(大寒・末候)「鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)」大寒(1月20日から2月3日)は二十四節気の第24番目にあたり、一年で最も寒い季節です。1月30日から2月3日までは、七十二候の第72番目にあたり、鶏が卵を産み始める時期でもあるので「大寒」の食べ物はと言うと「卵」になります。今日は、朝から寒いです。空はほとんど曇っていて気温も低くニャンズは珍しく外には出かけずに朝からずっと暖かい部屋で寝ています。甘酒を作りました。酒粕をたっぷりとお砂糖もたっぷりと作りました。出来上がりに黒豆と生姜を入れてゆっくり飲むと身体が温まりますね〜やけに外が静かなので窓から見てみると‥雪です‥雪がハラハラと舞っています。積もりはしないと思うけれど夕方から雨になり明日は本降りの雨の天気予報が出ています。雨も降ってくれないとカラカラ天気は解消されません。水は「天からの贈り物」ですから一雨欲しいところです。昨日のワクチン接種した左腕が重く少し痛いです。今日もダラダラと家でビデオを見て猫と戯れて過ごしましょう‥あっ寒いから日帰り温泉に行こうかな〜にほんブログ村
2024.01.20
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ここ3〜4年、世界中でいろんなことがありました。世界の危機はいつから始まっていつ終結するのでしょう‥新型コロナウィルスのパンデミックから各国での紛争、戦争、政治の腐敗混迷する経済、飢餓、殺戮‥年が明けたら明けたで能登における大地震や羽田炎上、政治の裏金など嫌なことばかり続いています。今日は7回目のコロナワクチンを接種してきました。この新型コロナウィルスは年が移り変わろうが新しい年になろうが全然、どこ吹く風で相も変わらずに変化をし続けて巨大な勢力を保っています。2024年になってコロナウィルスは、またバージョンアップして私たちの身体を棲みついてその子孫を残そうと懸命な努力をしているかのようです。人間は、戦争なんかやってる場合じゃないことは分かってくるくせにどうしても己の利益を考えてしまうのですね。悪いことにお金を使っている暇があるなら、次の世代が明るく笑って暮らせるような世界にしたいとは思わないのでしょうか‥そう言い続けている人間社会ですが有史以来、一向に強欲な心を改められない人間です。私たちが、世界の諸事情に振り回される間にウィルスはどんどん進化し人間なんかに負けない「力」を得てゆくのでしょうね。今現在、インフルエンザとコロナウィルスそして、日本人の国民病とも言える花粉症が流行ってきました。あ〜〜、どれもこれも鼻や喉や熱が出たりしてなんの病いなのか即座に判断できないようですどうしましょうね‥どうしようもないのかも知れませんね今日は、大人しくして撮り溜めしてあるビデオを見て過ごしま〜〜すにほんブログ村
2024.01.19
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朝から、花木センターに行って春の花を探しました。今回は切り花では無く寄せ植えの花を探してセンター内をぐるぐる巡りました。クリスマスもお正月も終わって花も今はバーゲンセール中なのです5株の花をやっと選びました。小さな白いデンドロビューム。赤いミニシクラメン。プリムラ.ジュリアン。かなりお得な単価で買い求めることが出来て満足な私ですさぁ、物置に重ね仕舞ってあるそれなりの植木鉢を選んで寄せ植えしましょう1時間ほどで出来上がりです。この下向きのデンドロビュームがなんとも可愛いシクラメンが下向きなのでそれに連動しているかのようでしょう赤いシクラメンと紫色と黄色のプリムラジュリアンが目立ってイイかもです。白、赤、黄色、紫色、緑、茶色ここに薄い色合いの花は入る隙間がない程の原色最強の色の組み合わせだと思うのですが‥出来上がりの春待つ寄せ植えです。松ぼっくりは冬の名残ですよぉ〜そして、これから花の色はだんだんパステルカラーの春へと向かって行くのです。余談:ちなみにこの花の値段は全部でいくらだったと思います当たったらすごい目利きですよ〜にほんブログ村にほんブログ村
2024.01.18
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小正月から大寒そして立春ですが明日から「冬の土用」の入りになります。広間の室礼を変えました。大正月が終わって女正月で年神様をお見送りして新しい季節を迎える準備の期間ですね。2024年のNHKの大河ドラマは紫式部と藤原道長の物語「光る君へ」が始まりました。平安時代の歴史上の登場人物をご存知の方は問題はありませんが、なかなか相関図が難しいのではと感じています。せめて、「百人一首」ぐらい知っていると登場してくる人がどんな人かは分かるかもしれませんが‥天皇家のことも歴代天皇がどのように政治に関与してきたかを少しぐらい知っている方がドラマを理できると思います。「源氏物語」を描いた大河ドラマではないので、源氏物語を読んでいてもよくわからない大河ドラマなのです。「花の生け変え」暮れに買った啓翁桜がまだまだ綺麗に咲いています。千両も赤い実がぷっくらとしています。香合は干支の「龍」の紋様です。脇床には羽子板をまだ飾っています。女らしい羽子板は魔除け厄除けでもあるので今月いっぱいは飾っておこうかと思っています。今日は「阪神淡路大震災」から29年です。あの時の高速道路の横倒しの映像は衝撃的でした。それから、幾度となく大地震に襲われている日本ですがいくら防災しても地球の揺らぎには勝てる筈もありません。巨大な「力」を秘めている地球に抗うことは神域に触れることでもあります。とにかく、それぞれの人の穏やかな暮らしを願っての睦月半ばすぎです。さてさて、着物も片付けましょう。帯は母の帯を締めました。これは、道行ではなく被布です。着物と長襦袢は新品を身につけました。新しい長襦袢の色が個性的でしょこんな色の襦袢は売ってはいないので染めて頂きました。着物は娘の七歳のお祝いの時の着物を染め直して私が死ぬまで着られそうな色と模様に染め上げました。もう着物も作りません。そんなに先が長いわけではありませんものねにほんブログ村にほんブログ村
2024.01.17
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小正月は、1月15日ごろの行事です。主に14~16日までを小正月と呼びます。(地域によって違いはあります)大正月に対して小正月は「女正月」とも言われていますね。さて、お茶仲間のお知り合いの方の〇〇宮さんから「小正月の茶会」に招待されました。つまり、今回は私は「お客様」です。まずは、立派なお家に驚きました。ご挨拶やら茶会の準備のお話やらでなかなか席入りにはなりませんでした。左程、親しくはないので写真を撮ることは軽々しく出来ない感じでほんの数枚撮っただけでした。お菓子担当の友人はお菓子を一つ一つ丁寧に盛り付けていてちょっと緊張した面持ちでしたね〜可愛いお菓子でしょう‥友人と、その〇〇宮さんと二人でお作りなったそうです。お抹茶との相性の良い甘さのお菓子でしたがお菓子の名前を尋ねるのを忘れてしまいました内うちの初釜だそうで〇〇宮さんもご自分の家でお稽古ができるので私よりも年上ですが茶道を頑張って上のクラスを目指しているそうです。いくつになっても挑戦するのは良いことですね1月15日から明けて16日今日は、とても寒いのですが我が家のお床の室礼も変えましょうか‥小正月が過ぎれば今週末には「大寒」を迎えます。二十四節気の最後の季節分けです。暦の上ですが春は足音も立てずにそぉ〜っと近づいてきてくれるのですね。梅の蕾が膨らみ始めるのももうすぐ‥かな‥にほんブログ村にほんブログ村
2024.01.16
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「サザエさんが体験王国いばらきにやってくる!!」あの有名な「サザエさん」のオープニングに茨城県が紹介されるのはなんとも嬉しいですね。私もこの県に住んで25年余り‥「ふるさと」ではありませんがこのオープニングを見ていると行ったところばかりです。「水戸の偕楽園」「ひたち海浜公園のネモフィラ」「あんこうの吊るし切り」「筑波山と帆引船」「袋田の滝」「鹿島神宮」「笠間の菊」「竜神峡」「茨城県フラワーパーク」「筑波山」他にもサザエさんで紹介されているいろんな場所に出かけて行っています。その辺りが根っからの県民ではない証拠です。去年の秋から年が明けても「茨城県」を紹介してくれています。干し芋は日本一の美味しさです。オープニングの最後に「猫のたま」がメロンの上に乗っていますが茨城県はメロンの一大産地でもあります。なんだか心が弾みます皆様もお住まいの県のいろいろな場所に行かれてみるのも良いと思いますよ。さぁ、私はこれから「小正月の茶会」に出かけます。にほんブログ村
2024.01.15
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どっちにしろ東京駅は利用するわけなのでちょっと銀座に行きましょう「ミキモト」のディスプレイは相変わらずに綺麗です。「和光」のディスプレイはどうなっているでしょうおっと‥「辰年」ですね〜〜正面から見るとこうなります「力」入っていますね〜「辰」は「龍」と書けば十二支の中で一番カッコイイものね三越の入り口の龍はずいぶん、可愛らしく控えめでした。夜の帳が降りて銀座はクリスマスの時とはまったく違った顔を見せています。銀ぶらは、やっぱりホッとします。「松屋」もスッキリしていました。ウインドショップは楽しい着物を着ている人は銀座でも少ないのねー7〜8丁目、新橋辺りなら着物の人も多いのだけど4丁目から有楽町、東京駅周辺では私以外で着物の人は見かけませんでした。(デパートでもです)デパ地下でお弁当を買って帰ります。おかずいっぱいのお弁当をGET美味しく頂きましたにほんブログ村
2024.01.14
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首都高速を通って行くとなんと有難いことに「富士山」が見えて来ました。遠くに霞んではいますが「初富士」ですよ〜あ〜〜もうこれだけで嬉しいですね以前、住んでいた世田谷の家からは毎日、富士山が見えましたが今の住まいからは富士山はなかなか見ることが出来ません。本当に嬉しい一時でした。昨日は煎茶道の初茶会。茶会を始める前に親先生のリクエストにお応えして千葉県市川市にある法華経寺に皆でお参りいたしました。こちらの法華経寺の支院だったお寺がある事件で江戸時代に世間をアッと言わせるのですがそれはまた、「大奥」考察の時にお話するとしましょうお参りも済んでタクシーで親先生宅へと急ぎます。先発隊は、もう「大福茶」の準備を済ませている筈です。五果のお祝い。前もっての写真は撮れませんでしたが五果とは李・杏・棗・桃・栗でどれもドライフルーツで一つずつ5種類をそれぞれの懐紙に取り分けます。その後でお屠蘇を頂きます。(今回は酒蔵から樽酒を分けていただきました)茶道はこの頃は煎茶でも抹茶でもお正月のお菓子は「花びら餅」が専らです。「大福茶」は焙じ茶を更に焙じて熱々の焙じ茶の中に小粒の梅干しと昆布と塩を入れたものです。一煎だけですがお茶碗が大きいのでお菓子と一緒にゆるりとお茶を頂きます。もう一つ、普通のお煎茶も点てました。お菓子もまた別のものを用意いたしました。私もそうですが誰かが用意して誰かがお点前をして誰かが片付けて次の準備をするので写真はそうそう撮ることは難しいのです。少し、遅い時間になりましたがお昼の時間です。何か手作りと思ってはいたのですが時間も予算も限りがあるのでお寿司を注文することにしました。皆で、集まって思い出話やらこれからのことを話してあっと言う間に午後4時過ぎになってしまいました。慌てて、全部片付けて親先生のお宅を辞去したのは5時を回っていました。あ〜疲れた朝から着物で、たくさん動いたので皆と別れてドッと疲れが出て来ました。これから、電車に乗って高速バスに乗って2時間半ぐらい掛かります。もう暗くなってしまったし‥思っていたよりも寒くないし‥少し気分転換して帰ることにしました。にほんブログ村
2024.01.13
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今年初めてのお墓参りです。杉の枯れ葉枯れ枝がたくさん落ちていました。お墓を綺麗に掃除して供花してお線香を焚いて「今年もまた毎月通いますよ〜」と手を合わせました。お線香はいつも杉の葉を燃やして火を付けますが昨日、近所で火事があったので火の用心に特に気を遣いました。朝のうちは曇っていましたが墓参の間は、晴れ間が出たので少しは暖かく感じました。それに掃除をすることで身体も動かすからもありますね。クロガネモチの赤い実も葉もいよいよ、春を迎える準備が始まっているように感じました。我が家のサザンカがようやく咲き始めました。暖冬なのでしょうね。咲くのが遅すぎですよ〜サザンカの葉っぱはもう色が冬色に変わってしまっています。まあまあ、元気なのはシャコバサボテンです。今年も綺麗に咲き続けています。さてと、今日は「鏡開き」お供えの餅の中にパックされた切り餅が入っているので今日は、どうやって食べようかしら三宝も片付けましょう。お正月飾りもぼちぼち片付けていきましょう。午後からは今日もまた病院に行ってお薬を頂いてきます。今日は車で出掛けています水道工事、ご苦労様です。にほんブログ村にほんブログ村
2024.01.11
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