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こちらの人物は五代将軍綱吉。前回の四代将軍家綱の弟さんです。犬公方と呼ばれあの「生類憐れみの令」を制定した物語がたくさん出てくる元禄時代の将軍様です。あまりに有名な将軍ですので今更、言うべきにあらずと思い、本日は、その綱吉に寵愛された「柳沢吉保」を取り上げてみました。綱吉が最初に御側用人として重用したのは牧野成貞ですがその後、吉保が綱吉の恩寵の第一人者となります。吉保は綱吉が将軍になると御小納戸役になり670石の加増を受けてとんとん拍子に出世してゆく。元禄時代に入ると御側用人として一万石の大名となりました。同年三年には三万三千石。七年には川越城主となり七万二千石、十年には更に二万石を加増されます。そして、十四年には「松平」の称号を許され宝永元年には甲府に封ぜられて十五万二千石を領しました。ものすごい、出世のスピードに驚愕です。柳沢吉保は特別な政治的見識とか他より秀でた行政手腕があった訳ではありません。偏に最も忠実に綱吉の意向を迎え進んでそれを推察し誠に持って誠実に代弁した人でありそれで成功してこんな出世をしたのだと思うのです。東京の文京区に「六義園」と言う庭園があります。門をくぐるとすぐに大きな枝垂れ桜があります。当然ながら「桜人」の私はこの桜を何度か観ております。吉保が綱吉から賜った場所に下屋敷を造り、御殿を六義館、庭園を六義園と称したそうです。『詩経』の六義(りくぎ)から園名が名付けられています。江戸初期に完成した桂離宮の庭園の様式を採用した回遊式築山泉水庭園であり元禄時代の明るいおおらかな気風を反映した江戸大名庭園の最も代表的なお庭です。夏景色も涼やかです。秋の紅葉の頃にはライトアップが人気ではとバスも訪れるほどの美しさですよ。五代将軍綱吉はあまり良くは言われませんがとても「理想家」だったとも言われています。吉保は綱吉の心の奥底にある美しく華やかで平和な日本国の在り方を実現しようとした人でもあります。生類憐みの令はちょっとやり過ぎかしらと思うけれど今、現代には「動物の愛護及び管理に関する法律」があります。その法律の第一章「総則」にはこう書かれています。第一章 総則(目的)第一条 この法律は、動物の虐待及び遺棄の防止、動物の適正な取扱いその他動物の健康及び安全の保持等の動物の愛護に関する事項を定めて国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵かん養に資するとともに、動物の管理に関する事項を定めて動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害並びに生活環境の保全上の支障を防止し、もつて人と動物の共生する社会の実現を図ることを目的とする。(基本原則)第二条 動物が命あるものであることにかんがみ、何人も、動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめることのないようにするのみでなく、人と動物の共生に配慮しつつ、その習性を考慮して適正に取り扱うようにしなければならない。 何人も、動物を取り扱う場合には、その飼養又は保管の目的の達成に支障を及ぼさない範囲で、適切な給餌及び給水、必要な健康の管理並びにその動物の種類、習性等を考慮した飼養又は保管を行うための環境の確保を行わなければならない。あっそうそう‥この法律の44条にはこうも書いてあります。第四十四条 愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、五年以下の懲役又は五百万円以下の罰金に処する。戦国時代には考えられなかった動物愛護。五代将軍綱吉さんの考え方も間違っていた訳ではないと言うことになります。「争いの無い世の中」をつくる。時は元禄、戦国の殺伐とした気風を排除して徳を重んずる文治政治が花開くのですね〜(六義園の写真はネットからお借りました)にほんブログ村
2023.09.24
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記録的な暑さと残暑の2023年もお彼岸の中日ともなれば決まりよく彼岸花が咲いて気温もだいぶ涼しくなってきました。彼岸花が咲き乱れる場所に「巾着田」と言うところが埼玉県日高市にあります。500万本の彼岸花の群生地です。今年は、暑さのせいで開花が遅れているようですが実に見事な真っ赤な絨毯が広がる所です。昨夜からの大雨で巾着田の彼岸花はどうなっているのでしょう去年はコロナのせいで「彼岸花祭り」は開催していませんでした。せっかく美しく咲いても人知れずに咲き終わって残念なことでした。今年は、開催期間も延長されてこれから、まだまだ多くの人が訪れることでしょう。彼岸花は放っておいても少しずつ増えてゆく花です。我が家にも何本か彼岸花があります。昨夜、雨が上がったいる時に夜の彼岸花を写真に撮りました。妖しく何やら「女」を感じてしまう花です。今日は彼岸のお中日。雨はまだ降っているのでお墓参りには出かけません。おはぎと抹茶を仏壇に供えました。歳を取ってくると不思議とおはぎが美味しく感じられます。何故なのかしらね〜そもそも私は甘いものがダメなのに‥涼しいのでお抹茶も美味ですよ。秋分の日、太陽は地球の真西に沈みます。仏教では、西方に「浄土」があるという考えがあり、故人と一番近くなる日と考えられていることから、この時期に仏事を行なう習慣が生まれました。秋分の日の前後3日間を合わせた7日間を秋の「彼岸」と呼び、真ん中の秋分の日は「彼岸の中日」と呼びます。同じく、春分の日を含む7日間は春の「彼岸」です。と、ネットで検索すると書いてありますがこの日を境にどんどん昼の時間が短くなってゆきます。今年は、地球規模の異常気象ですから彼岸明けからまた、暑さが戻ってきそうです。何故、お彼岸の時だけ涼しくなったのかきっと、「御仏委員会」が「せめてこの7日間ぐらいは‥」と夏の神様に掛け合ってくれたのかも知れませんね〜彼岸花の咲く頃‥九月も、もう終盤です。雨に濡れている彼岸花‥こんなに雨が降ったら花はすぐに萎れてしまいますがその儚い命は冬場になっても青々とした葉を残すため。家に彼岸花があるとどんな具合に芽が出て蕾が付き花が咲き、萎れて枯れて細い茎が無くなり緑の葉が出てくるのかよ〜〜く観察することが出来るのが花が好きな私にとってはとても嬉しいことです。にほんブログ村にほんブログ村
2023.09.23
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昨夜大雨が降ったせいなのか秋バラが一輪開いた‥先日、「舟を編む」という映画を見た。辞書を作る人たちの物語である。私が「書誌学」を学んだ時「辞書」を作るのに参加していた教授がいたのを思い出した。「辞書」を作ると言うことはものすごく大変な作業であるのをその時に知ったのでとても興味ある映画であった。その映画の中で「恋」の意味についてこう書かれている。誠に言い得て妙であり私個人としてまさに「恋」とはそう言うものだと思う。恋と愛とは似ているようで全く違うものであるがあまり、思いが強いとどちらも自分のどこかに歪みが出てきてしまうこともある。秋になると夏の燃え上がるような「恋」が終わり秋に心和む「愛が実る」時期でもある。そうは言っても「もうアキてしまった‥」「もうアキらめたわ‥」という季節の秋でもある。お彼岸に入り秋雨前線のおかげで少しは過ごしやすくなった今朝。このまま、本格的な「秋」に向かって欲しいと思い、秋バラの香りを胸いっぱいに吸い込んでみた。「恋」の一節は映画の場面よりお借りました。にほんブログ村にほんブログ村
2023.09.21
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お彼岸の起源は、諸説あります。はじまりは、奈良時代ころだと言われています。平安時代に編纂された『日本後紀』には、延暦二十五年(806年)に<毎年、春分と秋分を中心とした前後7日間『金剛般若波羅蜜多経』を崇道天皇のために転読させた>という記録が残っています。これが、日本の歴史上最初のお彼岸法要の記録と言われています。(記事はネットより拝借致しました)崇道天皇つまりあの「早良親王」のことですね。悲劇的な最後を迎えた人です。まっ、それはさておき、秋のお彼岸の入りの朝に新聞を取りに庭に出るとなんと、昨日までは咲いていなかった「彼岸花」の花が真っ赤に咲いていました。何十万種の花がありますが彼岸花ほど美しくも優美な姿をしている花はそうそうにありませんね。私は彼岸花の学名がとても好きです。「 Lycoris radiata リコリス.ラディアータ」耳に優しい「音」です。ヒガンバナ科ヒガンバナ属ですが地方名と言うか別名がこれほど多い花も他に類を見ません。数百〜1000以上も別の名前がある花なんて本当に珍しい今朝、咲いたのはたった一本。彼岸の入の相応しく咲くのですね〜我が家の彼岸花は「賢い」それ以外の彼岸花はまだこんな状態です。百日紅もまだまだ元気ですが少し切って屋根の工事の足場に差し障りがないように配慮しました。いよいよ、足場の設置が始まりました。おやまぁ、随分、立派な足場です。建築現場では昨日も都内で大きな事故がありました。屋根の漆喰を直すだけなのに厳重に工事の準備をするのですね〜だから工費がお高くなってしまう‥と言うことか‥足場を組んで下からポイっと鉄の棒を投げると上にいる人がすかさず取り上げる。息の合った作業風景でした。表の庭を除いて三方向からの足場が完了しました。明日から漆喰の作業が始まる予定です。工事には「お彼岸」は関係ないのですね。両親が逝ってから私は家の補修をあちこちやっています。持ち家とはお金が掛かるものなのですね〜でも、もうこれで最後にしたいと願う彼岸の入です。にほんブログ村
2023.09.20
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背中を捻って昨日、一日自分でやれるだけの手当をして今朝は、だいぶ良くなってきているので病院に行くまでもないと判断しました。まぁ、行ったところで家での治療と違うのはレントゲンを撮るぐらいかな〜あとは、湿布したり痛み止めを処方してもらうぐらい‥家に常時、湿布薬、広幅の包帯、鎮痛剤と安定剤があって良かったまだ、ちょっとしたことで痛いけれど今日も大人しくしていようと思って、これといって家事もあまりしていません。本当は、庭にある多くの植木鉢や蔦を伐採しなくてはならないのですが‥実は明日から屋根の漆喰の工事が始まるので足場が組まれるのですお邪魔になる植木鉢は移動させないといけないのですが‥どうしましょう‥でも、やっぱり御身が大切。無理にして腕や腰、背中に力を入れれば元の木阿弥になってしまう。明日、植木鉢の移動は業者には申し訳ないけれど頼んでやってもらいましょう‥うんそうする方が私のためには良いもの。にほんブログ村
2023.09.19
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朝、ベッドから起き上がる時にタオルケットが足に絡みついていた。無理やり、足で払い除けるとうまく出来ず、どうしたことか背中を捻ってしまった「痛」それ以後、激痛が続く‥あ〜〜〜〜今日は祝日で病院はお休み湿布薬が上手く貼れない左側が痛いはずなのに右手を動かすと滅茶苦茶痛い鎮痛剤を飲んで今日は静かにしているしかないねー困った‥ぎっくり腰よりも始末が悪いわよ〜いや、マジで痛いベッドで寝ていると起き上がれない。立っているともっと痛い。椅子にも座っていられない‥(イラストはネットからお借りました)にほんブログ村
2023.09.18
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あ〜〜今日も朝から真夏のお天気ですよ〜今夏はどなた様も夏バテ秋バテではないのでしょうか暑いから運動するのも出かけるのも嫌汗をかく事自体がストレスなのです。食欲は減退していない私ですが体力は落ちているような気がしてなりません。そんな話をしていたら友達が体力測定に行こうと誘ってくれました。「体力測定」「そうよ、カラオケ行こうよ」「カラオケがなんで体力測定なのよ」「思い切って大きな声で何曲歌えるかで体力が有るか無いかが分かるじゃない」「そうだわねー」午前中からカラオケ屋さんに行きました。シルバーウィークはこんな場所でも優遇されるのです。室料が20%OFFです。カラオケは久しぶりですさぁ、張り切って歌いましょう歌はフルコーラス歌わなくても良い。途中で途端に止めても良い。お喋りは控えてなるべく、交互にしっかり歌う。上手い下手は関係がない。相手の歌を聞き入ることはしない。こんな決め事をしてのカラオケですとは言え、曲を選ぶのが一苦労です。あれこれ、誰の歌だっけあっ、曲名が分からない嫌〜メロディー忘れちゃったみたいキャー声が出ないし続かないキィーが全然合わないこれはこれは‥ものすごくよく分かる体力.知力.記憶力.音感覚等々測定出来るカラオケです。歌も歌っていないと忘れちゃうのですね‥しかし、私は不思議なことに気が付きました。若い頃に覚えた英語の曲は全部、最後まで歌えた事でした。歌った曲は「イパネマの娘」この曲はボサ・ノヴァのナンバーとしては世界的にかなりの著名曲。私は、カラオケの歌詞に出てくる男性バージョンではなくちゃんと女性シンガーが歌った歌詞で全部覚えていました。きっと若い頃に何度も何度も歌って丸暗記したのでしょう。我ながら、これはちょっとエライじゃないと思いました。カラオケは午前中で切り上げてそのあとは日帰り温泉ににGO楽しい一日でしたで‥カラオケ‥ちょっと続けてみようかな‥「カラオケ効果」っていうのがありますものね。ストレス発散誤嚥防止音程、リズム、歌詞を見るで脳の活性化口腔環境が整う腹筋を養える「良い事尽くめ」ですね〜〜にほんブログ村
2023.09.17
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秋のお彼岸の入にはちょっと、間があるけれど毎月のお墓のお掃除に行って来ました。この暑さ続きと雨降らずの日々で「龍の髭」が、かなり枯れてしまいました。その隙間にカタバミがいっぱいに生えています。カタバミは、カタバミ科カタバミ属の多年草。酢漿草、片喰、傍喰‥漢字で表記すると難しい植物です。家紋にもカタバミは、いろいろな形にデザインされてよく使われています。武士には、大変に好まれたようです。カタバミの家紋は「桐」「藤」「鷹の羽」「木瓜」と並んで「片喰」は「五大紋」と言います。カタバミはどんな環境でも暑くても寒くても生き残り地べたを這うように拡大してゆく性質があります。除草剤もほとんど効き目がありません。花だけ見れば可愛い黄色の花で夜になると葉を閉じたりそこだけ聞けば「あら、イイじゃない〜」なんて思うけれど、草取りをする際には誠に持って厄介極まりない草なのです。我が家の狭庭もカタバミが一番厄介な草ですともあれ、お墓のお掃除が終わって帰り際にお寺の境内を見ると工事をしていました。台風で地滑りしたようで大きな被害は無かったけれど池と観音堂に土砂が入ってしまったとか‥結構大掛かりな工事なのでもしかしたら、檀家はいくらか寄付するのかなって思ってしまいました。(今夏は出費が多すぎるのよ〜)そんな罰当たりな事が頭の中に浮かびました。秋のお彼岸が近づいて来ています。にほんブログ村にほんブログ村
2023.09.16
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2001年(平成13年)の祝日法改正(いわゆるハッピーマンデー制度の実施)によって、2003年(平成15年)からは「敬老の日」は9月第3月曜日となった。だが、初年度の2003年の9月第3月曜日が偶然9月15日であったため、敬老の日が9月第3月曜日へ変更されて9月15日以外の日付になったのは、2004年(平成16年)の9月20日が最初である。と、ウキペディアには書いてあった。まっそうだけど今日は、たまたま近くの喫茶店で「シルバーウィーク特別サービス」の看板が出されていた。買い物の帰りにちょっっと顔を出すと「ティータイムで珈琲ゼリーを食べていってよー」と言われたのでそれじゃあ、遠慮なくでお邪魔した。喫茶店のオーナーママさんと私は同い年。サッサと珈琲ゼリーを作ってテーブルに座ってお喋りタイムお客さんが誰もいないのでお店の写真は撮りにくく珈琲ゼリーだけUPたっぷりのバニラソフトクリームが乗ってこれで250円でハーブティ付き。本当は550円になるそうです。「お店をそろそろ閉めようかと思っているのよ。」「なんで」「誰も続けてくれる人もいないしこの頃は疲れて仕込みも大変と言うか面倒になってきたし諸物価値上がりだから借金が増えちゃうじゃない」シルバーウィーク‥若い人には若い人の悩みがあるけれど高齢者には高齢者のやり直しのきかない悩みが山積みなのよねー1時間ほどお喋りは続いたけれど、その間、誰もお客さんは入ってこなかった‥窓から外を見ると‥「ヤバっ一雨来るね〜」「私も家に帰るわ〜」天候もこのところ、毎日不安定な天気予報です。こ〜んな雲が湧いて来たのにそんな雲の向こうには入道雲がモクモクなのに結局、雨は降らなかった‥やりたい事やっておかないとねーもう時間が十分に残っていないお年頃なのですよにほんブログ村
2023.09.15
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朝晩、少しだけではありますが秋めいてきました。それは、蚊の繁殖期になったという事です。蚊だって、あんまり暑いと行動することが出来ず、日中は葉っぱの裏などに隠れて息を潜めながら暮らしています。「蚊」は25度〜30度ぐらいの気温だと活発に子孫繁栄のために行動を開始します。庭仕事をしないといけないのですが昼間から夕方では気温が高く、私も蚊と同じように家の中の涼しい場所で過ごしています。このところ、早朝は25度ぐらいか24度程度に気温の高さも収まったので今日は、朝早くに起きて朝の内は陽の当たらない西側の裏庭に行く場所の草刈りをしました。これじゃあ、裏庭に行くのもうんざりしてしまうほどに草茫茫です今まで、やりたくなかった場所ですが今日は6時前から草抜きを始めました。虫除けの対策はしていますがどうしても足の周辺は気をつけないと蚊やその他の虫にも刺されてしまう可能性がめちゃくちゃ高いのは覚悟です素早く頑張りましょうグズグズしているとすぐ太陽が物凄い勢いで熱く迫って来ます。あ〜〜〜〜裏庭には、もうお日様がギンギンらに輝き始めました裏庭の草抜きは今日は出来ないなぁ〜〜気温もすぐに25度26度27度28度と上がってゆきます。南天も切っちゃいます急げ急げん〜〜〜蚊も飛び始めました1時間半をかけて一生懸命に草抜きをしました。ゴミ袋に詰め込む詰め込むゴミ袋に3袋になりました。ようやく、そこそこに終わると表の庭にも裏庭にも洗濯場にもパァ〜〜と真夏の太陽の光汗びっしょり「蚊」に刺された箇所は腕と首の2箇所でした。完全防備でも「蚊」も必死だからやっぱり刺されちゃいますねシャワーを浴びて朝ごはんを食べてニャンズにも朝ごはんをあげて洗濯物を干してそれでもまだ午前9時過ぎ‥早起きすると時間がたっぷりありますね〜ただ、疲れましたよ〜〜(蚊のイラストはネットからお借りしました)にほんブログ村にほんブログ村
2023.09.14
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江戸時代の将軍の中で四代将軍家綱ってあまり取り上げられませんね。映画化、ドラマ化もされません。ただ、この四代将軍の時代には江戸に起きた有名な事件があります。それは‥「由井正雪の乱」「慶安の変」「振袖火事」「明暦の大火」「佐倉惣五郎の一揆」などがあります。一つぐらいは耳にしたことがあるかと思います。四代将軍 家綱の時代は幕府の在り方、将軍家の在り方を深く考える時代でもありました。家綱は三代将軍 家光の長男で生母は側室のお楽の方であり寛永四年(1641年)8月3日に江戸城本丸で生まれました。幼名は「竹千代」4歳で「家綱」と名のり同年4月に元服し、正二位権大納言になりました。 17歳を迎えた明暦3年に伏見宮貞清親王の娘・顕子(高巌院)を正室に迎えました。宮家との縁組は、摂家の鷹司家と緑組した家光の時よりも高い家柄を望んでのことであったようです。10歳で征夷大将軍、内大臣に任命されるのですが幼少のため家光の異母兄弟で奥州会津藩主の保科正之が家光の遺言により家綱の後見人となるのです。これを保科家はずっと「恩義」に感じていてこれがあの幕末の会津戦争への悲劇と繋がるわけです。この時、大奥はすでに厳格に整えられており大奥総取締役は「お万の方」でした。家綱は、子に恵まれずに後継者として末弟である松平綱吉を養子に迎えることになります。家綱は生まれつき病弱で三代将軍家光の子であったためより一層、影が薄くみえてしまうのは致し方の無いこととも思えます。1680年に40歳の若さでこの世を去ることになりました。されど、天性が慈悲深く、罪人をも憐れむ善政を布きまた、武芸を奨励し、軍学の普及にも尽力したと言われています。しかし、病弱のせいか家綱は「さようせい様」と呼ばれ政治の表舞台にはあまり関わりを深く持たなかったとも言われています。明暦の大火で江戸城も燃えてしまい大奥もてんやわんやの騒ぎであったことは間違いなく、お城の再建も話し合われましたが天守閣だけは再建されませんでした。それは戦いの無い世の中になり、徳川家の軍事力を出す必要はないと考えた保科正之は、天守閣を治すよりも、城下町の復興を選択したのです。天守閣が無いということは、平和な世の中を象徴するものになったと後世に伝わっています。そうして、時代は「元禄」へ五代将軍 綱吉 犬公方へと移ってゆき、ドラマや映画などで描かれ、皆さんの知るところになるのです。余談昨夜9/12遅くの某TV局のニュースの内容ですが‥先ず、一番最初に報じられたのは1、北朝鮮とロシアの会談はどこで行われるのか2、今年のハロウィンには<渋谷に来ないで>の渋谷区長の発言3、内閣人事のことそうなのねー岸田さんは人気がないのかもねーハロウィーンはまだ先なのに内閣人事よりも重要だということなのか〜〜にほんブログ村
2023.09.13
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一面のコキアその数、3万3000本見渡す限りのコキアの緑。GW週間には青の世界になるひたち海浜公園の「見晴らしの丘」は今、ふわふわコキアが赤く色付こうとしています。ネモフィラの「ネ」の字も無い程にコキアに植え替えて育てているところが海浜公園の努力の賜物なのです。この数のネモフィラをコキアに植え替えるってどれだけの作業なのでしょう見晴らしの丘には全く樹木が植えられていません。この夏、とても日中には歩き通せませんね。なんにも遮るものが無いところなのですから‥木々が無い場所だからこそネモフィラやコキアを一面に丘上に植えると一斉に花が咲き、一斉に紅葉するのです。これは、ただなんとなく丘陵地帯に植えたのではなく科学的に調査しネモフィラやコキアの成長の研究をした結果このような「丘」に仕立て上げたのです。その辺の公園で植えているネモフィラやコキアとはそこが全然違うところなのです。ネモフィラもコキアも一年草なので毎年、手植えでこの膨大な数を植えているのです完全脱帽ですねー見せていただきながら植えている一人一人のスタッフの皆さんに感謝です〜さぁ、それでは夢のようなコキアのライトアップをご覧くださいね。音楽に合わせてどんどん色が流れてゆきます。このスケールの大きなライトアップはたぶん、海浜公園のHPで見てもTVで見ても実際を見ないとその大きさが全く把握出来ないと思いました。なんども言っていますがとにかく、広いのですこの丘を全部歩くのです歩く時はスニーカーが良いです。間違ってもヒールが高い靴などはやめた方が得策です。必ずしも全てのエリアが足元が明るいとは限らないのです友達が私に話しかけて来ました。「この先の奥にもコキアは植えられているの」「うん、多分ねネモフィラよりは植えてある面積は狭いけれどこの先にも行ってみる」「あっ、もういいわ〜お腹いっぱいにコキアを見たわ〜」この写真の奥にもコキアは広がっています。見えてはおりませんが‥私たちはそろそろ帰ることにしました。友達の家まではここから2時間近く掛かるので‥駐車場に歩いてゆくのもかなり遠いのですよしかし楽しく美味しく美しい夜を友達と過ごせて良かった帰りの海辺のドライブもちょっと良い感じでしたよー「ひたち海浜公園HP」HPだともっともっと綺麗綺麗なライトアップ風景をドローンで撮っているのでそれを見る事が出来ますよにほんブログ村にほんブログ村
2023.09.12
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ひたち海浜公園の「翼のゲート」夜の開演は4年ぶりのことです。ひたち海浜公園と言えばネモフィラが全国的に有名ですがネモフィラの他にも四季折々、花のたくさん見られます。早春から晩春には、梅、水仙、菜の花チューリップ、そしてネモフィラ。夏には、ジニア、ひまわり、パンパスグラスラベンダー、バラ、スカシユリなど。そして、秋にはネモフィラが植えてある「見晴らしの丘」はネモフィラから真っ赤なコキアに変わります。コキア(アカザ科 ヒユ科)一年草で別名をホウオキギ、箒草で実(み)は「とんぶり」とも呼ばれ食用になります。今の、コキアはまだ紅葉していなくて緑色でふわふわです。ひたち海浜公園はこの時期夜の開演、コキアのライトアップを開催しています。入園料とは別にコキア鑑賞券が必要です。少し、霧掛かって不安定なお天気ですが友達Mさんの運転でライトアップのコキアを観覧に来ました。何度も何度も訪れている海浜公園ですから道案内の地図も要らないし多少暗くても足元の心配も私は無いのですが、暗い箇所もあります。何しろ、とても広いので公園全部が明るいわけではありません。見晴らしの丘に行く手前でジャクリング見ました。暗い中ですから芸人の方も大変だなぁ〜と思いつつ隣のMさんを見るとその芸にとっても興奮していていっぱい拍手と声援を送っていました。海風が少しまとわりついて肌がベタベタしますが「あ〜〜秋風かもね〜」って感じでした。途中に綺麗にライトアップされている大きな木がありました。音楽に合わせて色が変わり、とても綺麗ですさぁ、それではコキアの会場に入りましょう鑑賞券を係の人に見せてから見晴らしの丘に入ります。遠くに見えているのが見晴らしの丘です。8日金曜日に4年ぶりの開催を予定していたのに台風13号で最初の日は中止となって出鼻を挫かれたようでしたがなんとか開催中に全国からお客様に来て欲しいところです。今のコキアはこんな感じで緑色ですが色とりどりのライトが当たるととても美しい風景でした。広い広い公園ですので軽く10000歩は歩いてお腹も空きました。休憩しながらキッチンカーがいっぱい出店しているので私たちも買い求めました。常陸牛の肉巻きおにぎり休憩場所は暗いのですよこんな具合にしか写真は撮れませんでしたがと〜〜っても美味しかったそれと細長〜〜〜いフライドポテトも揚げたてで美味どちらも注文を受けてから作ってくれるので熱々でした。生レモンスカッシュと一緒に海風も気持ちよく虫にも刺されずに満足タイムでしたさぁ、金、土、日、祝日の10/1までのひたち海浜公園のコキアのライトアップショーの始まりです。明日へつづく‥にほんブログ村にほんブログ村
2023.09.11
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昨日は台風だったけれどこの身が生き返るように涼しかったでも、何度も警報が出てちょっと怖かったけどね朝、起きてみるとなんとか台風は通り過ぎたよう‥最近の台風はいわゆる「台風一過」ってな具合にはなってくれない。今日も一日中不安定なお天気です庭が酷い状態なのでやりたくはないけれど雨が上がっている内に少しは片付けなくちゃ‥ん〜もう気温がどんどん上がってゆくのが恨めしい「野分の後」なんてカッコイイ言葉は「詩」の中だけで濡れ落ち版を片付けるのは手間の要る仕事なのですよ〜気温はすでに30度を超えてしまいましたものすごく蒸し暑いこの際、槿とか百日紅とか切っちゃいましょう9時から始めて11時半ごろに友達からTEL‥「家、大丈夫だった避難指示が出てたじゃない大丈夫」「うん、大丈夫よ。」「お昼ご飯食べていないよね」「まだ食べてないし今、庭掃除をやってるとこ‥」「あ〜良かった12時半ごろにお弁当持って行ってもいいかな」「お弁当」「そう‥お弁当。近くの弁当屋で買ってゆくね。」「あら嬉しい来てくれるの」と、言うことで私はそそくさと庭掃除を中断庭先だけ片付いた‥手前にまだ落ち葉や枝が残っているけれど玄関周りだけは掃き出して取り敢えず終了シャワーを浴びて服を着替えて茶の間も片付けていると友達がやってきました。「あー庭、大変だねーお弁当、買って来たから一緒に食べよう」出来立てのお弁当です。「いくら」「私のおごりよ〜」「サラダだけ作っておいたわ。」「流石だね〜嬉しいこの頃、野菜不足だったから‥」台風の話、ジャニーズの話、新しく始めた趣味の話‥旅行の話‥ビールも飲んじゃいました結局、夕方までお喋りが止まらない気づけば今日は「重陽の節句」雨が降って「雨月物語」の「菊花の約」がふと、よぎった‥菊花の契りの内容とは全然、違うけれど友達って愉快で本当に良いものだと‥誰かが私を心配してくれている‥嬉しいねーご馳走様でしたにほんブログ村
2023.09.09
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台風13号の影響。朝起きたら肌寒い‥気温を見ると20度昨日までは30度以上もあったのに昨夜もものすごく蒸し暑かったのにまぁまあ、なんと気温の下がったこと‥今は、千葉県がとても危険な状態だけど茨城県も次々に警報が出ています。茨城県って、天気予報でもいつもあんまり心配されない県なのが少し淋しいなぁ〜っていつも思います。関東一都六県の中で取り上げらるのは東京、千葉、神奈川、埼玉が抜けて多くて残りの栃木、群馬、茨城は天気予報でもスルーされがちなのがなんともはやです雨も本降りで風も強くなっています。我が家周辺も今夜は大変な大雨になるらしい。私は別にこれと言って改めて何か準備はしていないけれどいつでも「危機」に対しての「管理」はまずまず万全ですかなりの雨になってきているのに我が家のニャンズは夜の間、私が寝ている間に外へ出たのです‥朝から雨が降っていたようで家に戻って来ていません。家の周りはあちこちが大きな水たまりが出来ています。あ〜これじゃあ帰って来れないわねー猫は水に濡れるのが嫌いだからきっと何処かで雨宿りをしてこの状況を凌いでいるのでしょうしかし、お天気はなかなかに難しくちょっと先もAIにも見通せない地球の営みですね。どちら様も我が家もなんの被害も無いことを祈っています。さぁ今日はまたアルバム整理でもしましょうか‥にほんブログ村
2023.09.08
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1985年の秋ごろだったと思う。東山紀之を含めて少年隊の3人が背広姿の人たちとラフな格好の人と一緒にご飯を食べていた。場所は六本木で芋洗坂を降ったちょっと高級なレストランだった。私もちょうどその店で仕事の打ち合わせをしていた。あまりに可愛い男の子たち3人に私と仕事仲間はジッと見つめてしまったほどだった。それから、まもなく彼らは衝撃的なデビューを果たした。「少年隊」である。あの時、あんなに可愛かった男の子が56歳になっていた。私が歳を取るのも無理はない。しかし、「火中の栗を拾う」ようなジャニーズ事務所の新社長になりこのどうしようもない大問題に立ち向かうと言う。当時、六本木界隈ではいろんな芸能人がウロウロ歩いていたし別に珍しいことでもなかった。アイドルになれるのは事務所の「力」だけではなく本人の努力と才能を外しては成りたくてもなれるものでもない。芸能界、スポーツ界、政界どんな世界でも「表」と「裏」の世界が存在している。「漢字」から考えてみれば「表」と「裏」は対義語である。「表」の世界を見ている人は「裏」の世界を知らない。あの時の東山紀之に「裏」はなく前に前にと進んでゆく「少年隊」を見たと私は思っている。そのレストランにはそれから2度ほど「少年隊」のメンバーと出会った‥勿論、関係各社と一緒で個人で来店している筈もなかった‥(若い子が来るお店では無いのでね)誰でも経験が浅い頃は何もよく分からないのである。東山君もあの頃は何も分からなかったのだろう。変わっていったのは「森光子」との噂が立ちはじめてからだろうか‥ジャニーズ関連の問題は根っこが深い‥でも今に始まったことでなく特に、「芸能界」ではこれからも「裏」とか「闇」とかは続いてゆくだろう。メディアもおんなじ。ぜ〜〜んぶ詳らかにすることだけが正しいとは限らない。人は知ってしまうと聞いてしまうと心の中が複雑になるものである。1985〜1990年の頃はアイドルがいっぱい出て来た時代で日本の景気は鰻登りの頃だった‥そして、それからまもなく日本は、1992年にバブル経済が破綻するのである。(写真はネットからお借りしました)にほんブログ村
2023.09.07
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自分で言うのもなんですが‥毎週こうして写経して25〜6年。よく続けていると思います。何故、写経を続けているのでしょう供養のため精神統一のため集中力を養うため脳の活性化のため趣味のため姿勢を正すため字が上手くなるためと‥いろいろありますが私はこの頃こんな事を思い浮かべています。この無防備で安心し切って体を広げて寝ている猫のマオ。世界の誰もがお腹いっぱいで食べることに苦労が無く快適な空間で何にも恐れずに眠ることが出来る。こんな風にね。のびのびと自分を隠すことなくありのままで暮らしていけること。写経を終えて香を焚き、手を合わせて猫の寝姿を見ると羨ましいほどに安心しているのがよく解ります。写経している少しの間だけ私も何も考えず無心で筆を動かしています。写経が無事に済むと身体か脳か自分でも判断出来ないのですが何かが安堵します。そして、この寝顔を見て心の奥底からホッとします。台風が次から次へとやってきています。どこであってもこの台風が恵の雨だけで通り過ぎる事を祈りつつ本日の書写の筆を置きます。合掌にほんブログ村
2023.09.06
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我が家はとにかく、アルバムが多い。もうすでに20冊ぐらいは整理して古くてボロボロのアルバムは処分しています。今、残っているアルバムは30冊ぐらいある。両親に関する写真を全部、残しておいてもその写真に写っている人たちが誰か全然私は知らないので整理しながら、一枚ずつ確認作業中です私の子供の頃のアルバムはすでに整理しましたが高校生から大学を卒業するまでの写真の整理も今回はしました。写真を改めて見てみると私は着物を着ている写真が多いです。やっぱり、呉服屋の娘ですね。こんなに着物姿の写真がある事がなんだか、親の愛を感じてしまいます笑ってしまうのが何枚もある花嫁衣装を着ている写真です。父は呉服屋でしたが花嫁さんの貸衣装もサービスでやっていた時期がありました。母は着付師ですから結婚式の着付けもしていました。貸衣装の花嫁衣装が家に届くと取り敢えず、私に着せてくれるのです。これは、一度袖を通しておいた方が帯も一度結んでおいた方が当日、ササっと着付けが出来るのだそうです。結婚式は花嫁さんはお色直しがあるので着付師は時間との戦いなのですよアルバムの整理はいわゆる、終活の一部ですねー残して置いてもそれを懐かしがっているのは私ですからなるべく、整理をしておくことがベターだと思います。しかし、写真が多すぎアルバムの整理を広間でやっていて良かったわぁ〜〜〜これを茶の間でやっていたら収拾が付かなくなります。7〜8冊はなんとかしたいと思っている猛暑日の9月5日ですにほんブログ村
2023.09.05
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朝早い時間に雨がたっぷりと降ってくれましたよ待望の雨でした。仏壇に向かって朝のお勤めをして「雨降ったよ〜」と言ってあっそうだと思い出しました。今日は母の誕生日です。生きていれば今日で94歳になっていた母です。「お母さん、ありがとうね雨が降りましたよ。そして、もう上がりました。」茨城県の北の方は大雨災害情報が夕方でも出ているし小貝川が氾濫水域に達しそうなのに我が家の近辺は朝の内にたっぷり降ってその後は曇り空で暑さも幾分和らぎました。午後に隣の皮膚科に行きました。肩と首筋が痛くて赤くなっているので診察して頂きました。リンパ節の腫れと云うことで抗生物質を処方してもらってそのあとは、たわいも無い世間話を先生とお喋りして帰ってきました。何しろ、ご近所さんで皮膚科、アレルギー科の私の主治医なのです。雨も病院も私が困ることのないように母が操作してくれたのかも知れません毎日、手を合わせることは大事なことね〜感謝の母の誕生日でした。明日は洗濯物がちゃんと乾く天気予報で有り難くない猛暑がまた戻ってくるのですけれど‥まっ、朝だけでも嬉しい雨でございましたにほんブログ村
2023.09.04
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我が家の周辺も実りの秋を迎えています。稲穂は黄金色ですねー6月の頃には麦の収穫がありますね。麦もまた金色ですねーミレーやゴッホの絵画は大凡、19世紀の頃。1814年-1875年 ハルビゾン派ジャン=フランソワ・ミレー1814年フランス生まれのハルビソン派であるジャン=フランソワ・ミレー。フランスのノルマンディー地方の農村に生まれ、「農民画家」として農民の日常生活や農作業風景を描き続けました。どれもこれも有名な絵画です。150年〜200年ほど前には農耕民族は世界中、貧しかったようです。日本も同じようなものです。ゴッホの絵画も展示されていました。ゴッホ(フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ)は、1853年3月30日、オランダ南部の街ズンデルトで牧師の家に生まれました。このゴッホが生まれた時に日本では、天正院篤姫が十三代家定将軍に嫁ぎました。王家や貴族、大名は華やかな暮らしをしていた時代に農耕する人たちは苦しい税に喘いで日々を慎ましく送っていました。たまに名画を観るのも良いものです。ただ、悲しく辛い不条理を感じてしまう絵ばかりでした。時代が変わって21世紀になってもあまり変わりません。いつの時代でも土に生きている人たちに苦労は付きものでそして、海に生きる人たちも今、困難に直面していますね。明日は、ようやく雨が降るらしいのです。山にも海にも雨は恵の雨です。夕暮れに空を見ました。西の空に陽が沈んでゆきます。でも、奇しい雲たちもいっぱいでした。にほんブログ村
2023.09.03
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日干しになってしまいそうなくらい‥今日は、殊の外暑い午前中は、口腔外科で歯のメンテナンス。病院はいつでも混んでいますね。いつも通りに予定通りに歯のお掃除と診察は済んだので「涼」を求めて車を走らせて美術館へGO水戸市内に入ると雲が出てきました。美術館の駐車場に車を停めて目の前の美術館へと歩きます。「茨城県近代美術館 HP」何度となく来ている県の美術館です。正面玄関に行くまでの距離でもハァーハァー言うくらいに暑いです美術館の中はひんやりしていてそんなに人も多くないし静かで「涼」を取るには絶好の場所ですね。明日までの展覧会は「土とともに 美術にみる〈農〉の世界ミレー、ゴッホ、浅井忠から現代のアーティストまで」を開催しています。ミレーは、あまり好きではありませんが、今年は「農耕」を深く考えてしまう厳しい夏の暑さが続いているので「農」に少しだけ興味を抱きました。展覧会の作品群は写真は撮れませんが農作業をする人々の姿が悲しいほどに描かれていました。展覧会の作品を鑑賞してちょっとロビーで休憩タイム。近代美術館の隣の「千波湖」がロビーから眺めることが出来ます。此処から外庭に出ることが出来るので様子見に大きなドアを開けて外に出てみました。うっ外は暑い‥通り一本を隔てているだけの千波湖まで散歩がてらと思ったけれど止めにしました。折角の「涼感」が吹っ飛んでしまう強烈な暑さですよ〜振り返って美術館を見るとなんとも涼やかな外庭の森が映っていました。さて、今一度館内に戻って涼んでから、名画をじっくり観ましょうか‥明日へ続く‥余談*誰でも行きそうで暑くて耐え難いところ海湖畑田んぼ大きな駐車場大通り人混みお墓どれもみ〜〜んな日陰が極端に少ないのよねーにほんブログ村
2023.09.02
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長月になりました。カレンダーでは今日から「秋」なのですが猛烈に暑いです。友達から長茄子を頂きました。ねっ長い茄子でしょう‥長さを測ってみると‥33センチもありますなが〜〜いこんな細長い茄子が3本、袋に入っていました。一本を翡翠煮にしてみました。残り2本は、切って干しています(カラカラになるまで2日ぐらいは掛かるかな)野薊の器に盛って冷たくして頂きます一本で十分な量なので残りは常備菜で冷蔵庫で1〜2日は保つでしょう鳥レバーを焼酎と生姜で臭みをとって甘辛く煮ました。これも常備菜の一つになりますね〜どっちもスゴく時間の掛かるのですがその分、美味しいの日本酒も冷たく冷たく辛口でまずは、一献と行きましょう今宵は十六夜で昨日とほぼ同じ大きさの月が昇りました。私のショボいカメラでも三脚も立てずに綺麗に月の写真が撮れました。望遠レンズの距離が違うとお月様の色が変わるのが何故なのか分かりませんがまずまず良しとしましょう虫の音をバックミュージックに庭先で月と手作りの肴に一杯クイっと冷酒を飲み干すあ〜佳きかな‥ですでも、いつまでも外にはいられません。やっぱり、暑いのです今夜も熱帯夜ですよ〜〜〜それでも月を見上げると心が遠い遠い昔話の世界に染まってゆく様です。連続の佳きかな‥さぁてお風呂に入って改めて白いご飯のある夕食です今度は、湯上がりのビールかなにほんブログ村
2023.09.01
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今宵の満月は「ブルームーン」と呼ばれる。その名前から「青い色の月」を想像してしまうかも‥ですが、青に見えるわけではなく、1か月の中で満月が2度現れることを指すといわれています。月は平均すると約29.5日のサイクルで満ち欠けを繰り返すので、平均30.4日である1か月の中で満月を2回も見られるのは、珍しい現象なのです。約2年半に一度の割合で目にすることができるブルームーンです。そして2023年の8月のブルームーンはスーパームーンと重なっています。つまり、いつもよりも大きな月に見えるのです。上記の月は青く加工しています月の満ち欠けは毎日見ても飽きの来ない誠に美しい表情を見せてくれますね。月へ行ける時代になっても月はいつでも神秘的な存在です。今夜も蒸し暑くて寝苦しい夜になりますがせめて、この美しい大きな月を見て少し秋を感じて下さいなあ〜〜この記録的に暑い8月も今日で最後ですね。9月もこの暑さは続くらしい‥(写真はネットからお借りました)にほんブログ村
2023.08.31
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それは、1970年代から始まっていたというジャニーズJr.の性加害問題‥それが、そんなに特異な問題でありそんな以前から続いていてマスメディアも重視してこなかったと昨日のニュースで大体的に報じていた。ふ〜〜ん‥私は大学生の時から知っていたし芸能界には、この手の事は当たり前みたいにも思っていたしあのメリーさんとジャニーさんの事だもの、幼い男子があの事務所に入ればみんな、同じようなことを強いられて、それでも「アイドル」になりたいって思っている男子が多かったんだと知っていた。私にしてみれば今更何を言っているのかと思ってしまう。別に珍しくもない芸能界の話であり、こんな一般人の私でさえ六本木や赤坂辺りを仕事にせよ遊びにせよちょくちょく行っていればこの話題やその場面に出くわすことも多々あったのだから‥マスメディアも同じ事で商売でやっていることだから会社の売り上げ、視聴率などを考えれば、あまり声を上げることは損益になると思っていたのだろう。有名になった男子だって大勢いるだろう。知っているアイドルもいっぱい居る。トップアイドルになった人たちはそれはそれでその地位を獲得したのだからこの痛ましい出来事に対して大声は上げないだろうと思う。人気者になりたい若い女の子から「キャーキャー」言われたいその願望の前に立ちはだかる触りたくもない登りたくもないジャニーさんと云う巨大な壁であった。大袈裟に昨日の会見と今朝からのワイドショー何やかや騒がしいが芸能の歴史を辿ればどこの国も似たり寄ったりでそれが男子であれ女子であれそういうことは行われながら現在に至っているのも事実である。そもそも、人類の歴史の中でいろいろな商売があるが「体を売る」と「泥棒」は同じくらいに歴史が古く有史以来、ずっと行われてきていて今だにそれが止むことは無いのである。私たち人類はそんな動物でありそれよりももっと悪い事は同族同士で殺し合うことであり人類以外の動物は同族では殺し合ったりしない。余程、出来が悪いのであろうか‥もしかしたら、神様は、片手間にヒトを創ったのではあるまいか‥そんなことを思ってしまう「欲」の塊だらけの人類であるねーにほんブログ村
2023.08.30
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朝早くから元気に鳴いている蝉たち今日も、またまた35度越えの炎暑ですこんなに暑いので7〜8月はお茶のお稽古は休業中お茶のお稽古は無くても広間や新しくなった部屋の室礼は取り敢えず、それなりに整えています。来月のお稽古はどうしようかしらね〜悩ましい‥ときに‥今月は満月が2回あります。久しぶりの事です。今宵の月は「待宵月」満月は8・31です。それじゃあ、兎さんとお月様を飾りましょう壁紙が青いと月と兎の手拭いが結構、映えるのが気に入りました。ガラス障子の引き手のところにはちょっと凝っている菊の刺繍のプレートを貼り付けました。遠目には全然分かりませんがちょっとした弾き手の印です綺麗になった部屋にはあまりモノを置きたくありません。外にも出ません。家で静かに読書とDVD鑑賞にとっぷりと浸かっております。今夏は蝉にとって良い夏なのだろうか‥と思ってしまうほど蝉たちは元気ですね〜この厳しい厳しい残暑は来週いっぱいは続くとか‥異常気象と気象庁もお認めになったと言う事です。にほんブログ村にほんブログ村
2023.08.29
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江戸時代、城内では政治をとる「表」に対し、将軍の正室や側室、子女が居住したところを「奥」と呼んでいた。江戸城では、幕府の政庁である「表」につづいて、官邸ともいうべき「中奥」があり、その奥に将軍の私邸とも言う「大奥」があった。この大奥に、家を出て働きにくる女性たちのことを奥女中という。大奥は、中奥と御錠口の御杉戸を境として、男子禁制の場所となっていた。この表、中奥、大奥の3つの区域は厳重に区別されていて奥女中は身分の高低に関わらず、表を見ることはできなかった表と中奥は一続きの御殿であったが大奥は表・中奥御殿とは切り離されており、銅塀で仕切られていた。中奥と大奥を繋ぐ唯一の廊下が、所謂、御鈴廊下である。将軍が大奥へ出入りする際に鈴のついた紐を引いて鈴を鳴らして合図を送り、出入り口でありドラマでもお馴染みの場所でもある。さて、奥女中の職制には段々の階級があり、「御目見え以上」「御目見え以下」に分かれている。―御目見え以上―上臈(上臈年寄)(じょうろう):公家の娘。大奥の最高位であるが、実権はない。御年寄(おとしより):表の老中に匹敵するほどの要職。大奥の一切を仕切る第一権力者。中年寄(ちゅうどしより):御台所につく役。御年寄の指示を受けて働く。御客会釈(おきゃくあしらい):将軍が大奥にお成りの時のおとりなし、ご家門等の女使の接待を行う。御中老(おちゅうろう):将軍、御台所の近くで身辺のお世話をする。高級旗本の娘が御小姓を経てなる。御坊主(おぼうず):将軍に従い中奥、表に行けた唯一の役職。女でありながら頭を坊主にし、男の着物を着ていた。御小姓(おこしょう):御台所、御簾中及び姫君のお側に仕え、煙草やお手水の世話をする。表使(おもてづかい):お年寄りの指示により、表の御用人などと応接するいわば大奥の外交官。御次(おつぐ):仏間、台所、御膳部、御道具の係で、大奥で催しがある時は、演じる役を担う。御右筆(おゆうしつ):日記、諸記録、書状などの製作にあたる役。御錠口衆(おじょうぐちしゅう):御錠口(中奥と大奥を連絡する御鈴廊下の端の杉戸)を監視する。「上の御鈴」と「下の御鈴」の2つがあるが、下は非常口、上は将軍が大奥に出入りするもの。御切手(おきって):七つ口から出入りする者を取り締る。呉服之間(ごふくのま):服飾を司る専門職。―御目見え以下―御三之間(おさんのま):親許が、お目見え以上の旗本の場合に始めに就く役職。他には、御台所の居間の掃除。御仲居(おなかい):御膳所の係。献立の一切、煮炊を司る。御火之番(おひのばん)大奥の部屋の巡回をし、火の元の注意。御使番(おつかいばん):御広敷御錠口の開閉、外部のお使い。御末(おすえ):御端下(おはした)ともいい、風呂や台所の水汲み、掃除などの雑用。上記より下の位に「部屋方」というのがあり、合の間、タモン、小僧などがいた。この時代、女子が「大奥」に勤める事はものすごいエリート集団の中で働くことで、もし、万が一、何かのきっかけ、機会があって将軍の目に止まれば一大「玉の輿」に乗れることになる。ちなみに徳川綱吉の生母 桂昌院は京の八百屋に生まれたが、家光の側室となり豪華な輿に乗って大奥に入ったことから、「玉の輿」は桂昌院の名「お玉」に由来するという説もあるくらいである。大奥出世双六が流行ったと云うほどに当時の女性にとっては大奥は憧れの就職先であったと言える。奥奉公出世双六(おくぼうこうしゅっせすごろく)歌川豊国(うたがわとよくに)(三代)画 弘化元年(1844)刊 「大奥」を春日局が作ったことにより私たち日本人は他国の王様のハーレムのような場所やそこに働く多くの女性のことを自然と受け入れることが出来ていて特段、変わった風習とも思わないあたりが江戸時代の歴史が長く続いた証でもある。昨晩は、NHKドラマの大奥が放送されたが衣装が盛りに盛り過ぎていてちっとも豪華に見えず何やら、ごってり感の強くて毎回、残念に思う。「大奥」から見えてくる日本の近世の時代を今少し追ってみようと思う猛暑続きの夏である。(浮世絵や写真はネットからお借りました)にほんブログ村
2023.08.28
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先月、部屋をリノベーションしたのは良いけれど、ガラス障子はそのままなのでどうしようかと思案していました。ガラスは割れてしまうと怪我をするかもで危ないのでアクリルにするか、それとも全く違う引き戸にするかでだいぶ悩みました。全面的に直して壊れにくいものに変えてしまうと見積もり金額は6〜7万円ぐらい‥(あくまでも見積もり‥下回る事はないものね)建具はお高いのですよ〜冷蔵庫を急に買い替えたことだしそんな予算は組めませんそして私は‥ひらめいた昨日の映画が良かったのかそこからヒントを得ました。要するにガラスだと割れたら後始末が大変だと云う事が一番です。それなら、割れにくくすれば良い大正から昭和へのモダン化。昭和の戦時中。今も毎年やってくる台風。この3項目から考えると‥ガラスは、色ガラスやステンドグラス。割れると危ないので綺麗に和紙をデザイン的に貼る。台風などの風で割れて破片が飛び散らないようにカーテンや養生テープで補強する。あらら‥何も全部、新しくすることはないじゃないで、100均でいろいろな紙を買ってきました。先ずはガラスをキレイに掃除をしていろんな色の紙をガラス障子に貼り付けました。糊付けが面倒で少々、大きさが揃わなかったけれど不器用な私にしてはこれで大満足両面に紙を貼るとガラス障子が重くなってしまうので片面だけ貼りました。一番下の段は明かり取りのためにそのままの状態に‥これで、玄関側に西陽が差し込む事も格段に少なくなりました。なかなかモダンに出来たでしょう自画自賛です朝から夕方までず〜っとこれに掛かり切りでした。大汗をかいてクタクタで〜〜す少し休憩してから日帰り温泉に行ってきます〜疲れましたにほんブログ村
2023.08.27
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いつまでこの猛烈な暑さは続くのだろう暑い時は身体の芯まで冷えてしまう映画館がある意味イイですね〜今日の映画は「リボルバー.リリー」です。「綾瀬はるか」がカッコいい出演者が皆んなカッコ良かった。時代背景は1924年、関東大震災から復興する東京が舞台である。「関東大震災 ウィキペディア」関東大震災と云う未曾有の危機にあった東京。この大震災を機にいろいろな出来事が起こり人々の心の有り様も変化していった時代であった。ハードボイルドな小説が特段、好きと云うわけではないがこの映画は観てみたいと思った。理由は簡単である。主役の衣装が素敵であったからである。私の好む映像は美しいとか綺麗な衣装が好きで惨め、貧困、高齢者ばかりとか介護や病んでる心とか汚れていたり泥だらけだったり、ボロボロばかりの映像は観たくないのである。銃撃戦も多い映画で多くの血が流れるシーンがあっても綾瀬はるかや長谷川博己の衣装が全体から浮いているほどにカッコ良かった格差は激しく暴動やデモが頻繁に起き、世界は、どんどん悪い方へ向いてゆく時代。スパイもいっぱいいた事だろう‥映画を見終わってふと、思い出したことがあった。関東大震災から9年後に起きた5.15事件の事である。昔、昔、私が幼稚園にも行っていない頃そんな時代を生きた風変わりなオジサンが近所にいたことを‥「◯崎のオジサンは今は骨董屋だけれど昔は、5.15事件にも関係していたんだよ。」そんな時代から戦争の無い日本にはなったけれど、紛争、侵略、そして戦争も今だに世界中で現在進行形である。人間は、つくづく学習能力が欠けている生き物であることには間違いがない。さて今度の映画は何を観ようかな当分、この暑さは続くのだから‥涼を求めての映画鑑賞です。(写真はネットからお借りしました)にほんブログ村
2023.08.26
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何度も生け替えた百日紅が散ってまた、百日紅の花を切って生け直そうかと思っていると突然の雨音‥床の間から窓の方へ行ってカーテンを開けて外を見ました。雨音は聞こえていましたが外は、こうでした‥空は青空雨は大粒です。天気雨です。「雨〜」と喜んだのも束の間、1〜2分で雨はは降り止んでしました。もう少し、降って欲しかったけれど空が青空ではすぐに止んでしまっても致し方ない‥そうこうしているうちに新しい冷蔵庫が届きました。古い冷蔵庫はリサイル料金を支払って処分していただき新しい冷蔵庫を台所に設置完了白い色ではなくシックな色合いの新しい冷蔵庫。3時間ほど、冷蔵庫を冷やしてから、食材やら調味料を入れることになります。冷蔵庫の中の仕切り版の位置も考えつつ、その間にいつもの温泉に行ってきました。雨が降りそうでも本格的には降らない‥雲の流れは速くて白い雲、黒い雲、遠くに入道雲そして、青空です。山々からは少し降った雨が蒸発して空の方へ昇ってゆきます。見た目は涼しくても路面は濡れていても水たまりが出来るほどの雨が降ったわけでもないけれどなんとなく涼しさを感じる景色ですね〜日帰り温泉から帰ってくると新しい冷蔵庫もしっかり冷えていました。さて、いよいよこれから、冷蔵庫に食材を入れます。使い勝手が良いようにキチンと整理整頓しましょうあ〜もう雨は望めないわね〜〜にほんブログ村
2023.08.25
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昨日の夏空‥いつまでも夏の空が広がっていつまでも酷暑が続いています。関東のあちらこちらでゲリラ豪雨のニュースはTVでよく見ますけれど当市は、此のところ、全く雨が降っていません。先日の台風7号の時でさえ雨は、ほとんど降りませんでした。遠くに筑波山が見えています。雲が湧いてきました。「一雨欲しいですねー」黒い雨雲が見えてきました。あー雨柱かな〜これは、一雨望めそう‥かな〜だんだん辺りが暗くなってきました。向かう行き先は真っ暗になってきました。ちょっとワクワクしそうな空模様です。雨が降らないと農作物も酪農も漁業も困ることだらけになります。作物が暑さと水不足で収穫をまともには得られない。それは、私たちの日々の生活にダイレクトに跳ね返ってきます。野菜も果物も肉も魚も値上げの連続です。光熱費も上がりそれに伴う給料が上がっているとは全然、思わないですねー運転を進めて目的地周辺にたどり着くと‥黒い雨雲だけどこれは、雨は期待出来ませんねー黒い雲よりも青い空の方が広がっていきます。結局、雨は降りませんでした。道路沿いを見ても雨が降った形跡もなくまた、今日も夕立などは無いのかもしれない。あ〜〜あ、また陽が沈んだら庭へ水撒きしなくちゃいけませんね〜電気代も高くなったけれど水道代もお高い8月ですねーにほんブログ村
2023.08.23
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壊れてしまったような我が家の冷蔵庫。冷凍庫は作動し始めたけれど冷蔵の方は、冷気がとぉ〜っても弱くて電気も付かない。だけど、なんとか動いている‥取り敢えず、もう一台、飲み物専用の小さな冷蔵庫に中身を移して家電量販店にGO家の近くにはヤマダ電機、ケーズデンキ、ニトリカインズホームがあるけれど一番近いケーズデンキに行きました。店内が広く、白物家電はお店の奥の方にあります。大きな冷蔵庫は必要ないし今、流行りの冷蔵庫は問題外です。2ドアの冷蔵庫を買うことにしました。大きさ、値段、使い勝手の良さ、色、早く届けてくれる‥など少しは考えて選びました。明後日の午前中には設置してくれるし、古い冷蔵庫も処分してくれます。コンパクトな冷蔵庫にしました。2〜3日、コンビニやスーパーのお弁当などのお世話になります。でもまぁ、すっかり壊れちゃっていなくて良かったけれど新しい冷蔵庫が来るまで今ある冷蔵庫は作動しているだろうか‥予備ではないけれど古〜〜〜い冷蔵庫があって良かったこの冷蔵庫は夏の間だけビールや冷酒などのアルコールと冷たい飲み物ぐらいしか入れないのでものすごく長持ちしています。ちゃんとキンキンに冷やしてくれます。多分、今現代の冷蔵庫と比べたら25〜6年前に買ったものなので効率が悪くて電気代も掛かるのだろうけれど毎年、3〜4ヶ月しか使わないのでなんだか新しくさえ見えるのが不思議夏のニャンズのご飯の冷蔵庫でもあります捨てなくて良かったわぁ〜〜と‥冷蔵庫騒動であたふたしてしまいました‥にほんブログ村
2023.08.22
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どうしましょう朝起きて冷蔵庫を開けたら全く冷えていません。コンセントやいろいろ見てみたけれど冷蔵庫は、うんでもなければすんでもない。冷凍庫はあ〜〜〜溶けてる‥嫌〜〜〜〜こんな猛暑の時に‥どうしましょう‥もう古いしゴチャゴチャ考えるよりも仕方ない‥思い切って新しいのを買いましょうでも、すぐに見つかるかどうか‥すぐに設置してもらえるかどうか‥とにかく、近くの家電量販店に行って早急に対処しなくちゃ‥あ〜〜〜この暑いのに‥行ってきますにほんブログ村
2023.08.21
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「夏の甲子園」正式名称は「全国高等学校野球選手権大会」詳しくはこちら。病院の帰りに何気なくラジオのスイッチを入れると高校野球の実況放送をしていました。おや「土浦日大」あらまぁお隣の町の高校です。家に帰ってTVで続きを見ました。一番、点数を入れたところを見ました「甲子園」って高校球児にとっては夢の晴れ舞台ですものね。準々決勝を見ているとその応援席の姿にものすごい熱意を感じてしまいます。選手たちは勿論のことですがこの灼熱地獄のようなアルプススタンドでの応援合戦は涙ぐましい両校の思いの深さが伝わってきてグッと胸につまるものがありますね。試合が終了した瞬間の歓声といったらあの「大谷翔平」への歓声よりもずっとずっと凄かったプロ野球の選手もほとんど、甲子園を経験している。人生が決まってしまうような「甲子園の夏」高校野球も準決勝と決勝戦を残すのみ。暑くて熱くて青春が燃え上がる熱戦が終われば多少は秋の気配も感じる頃となる筈なのですが今夏は、その期待は裏切られそうな酷暑の日々が続く予報で〜〜すみんな頑張ってねにほんブログ村
2023.08.19
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「辻が花」という名称は、15世紀後半に初めて文献上に現れる。1596年には豊臣秀吉が明国の使者へ、帰国時の餞別として辻が花を贈ったという記述もある。辻が花は誕生からおよそ一世紀余りの間に、素朴な絞り染めから刺繍や摺箔を施した豪華なものまで各階層の人に広がった。上の写真の「葵の御紋」も辻が花染めである。江戸幕府初代将軍となった「徳川家康」には、11人の息子と5人の娘がいたと言われている。家康は、征夷大将軍になるとわずか在位2年で慶長10年4月に、その職を秀忠に譲ってしまい自分は「大御所」として駿府に移り住む。「武家諸法度」簡単に言ってしまえばこの13箇条である。1、文武両道に励むこと。2、酒におぼれ遊びに呆けてはならない。3、法令に背いた者を匿ってはならない。4、国に反逆人や殺害者がいたら,追い出さなくてはいけない。5、領地に他国の者を住まわせてはならない。6、居城の補修時は、必ず届け出をすること。新築することはかたく禁止する。7、隣国で変化があれば江戸幕府に報告する義務がある。8、幕府に許可のない婚姻は禁止する。9、参勤交代時に、既定人数以上の随身は禁止する。10、身分を弁えた服飾をすること。11、身分の低い者の駕籠の使用を禁止する。12、質素倹約に努めること。13、善き政を敷くこと。武家諸法度の草案は、「金地院崇伝」という僧が徳川家康の命令で作成。そして、大坂夏の陣終息後の1ヵ月後である1615年(慶長20年)6月に「一国一城令」を定め、大名の居城以外の城は取り壊すことを決定した。13条からなる武家諸法度を発布。このお披露目には「伏見城」に諸大名を集め、2代将軍徳川秀忠の前で、金地院崇伝が朗読したと言われている。武家諸法度に従わなければ所領を没収され、改易・減封・転封と処分されるようになった。この法度があったために三代将軍、四大将軍を経て五代将軍綱吉の時も取り潰しが多く行われた。その一つにあの有名な「赤穂藩」がある。二代将軍秀忠はとにかく真面目な人で側室も一人しかいない。秀忠は家康の三男でありまだ、この時は「大奥」は誕生していなかった。家康は、信長や秀吉とはだいぶ異なる性格であり戦いはあまり上手ではなく兎に角、ケチであったとも言われている。「大奥」は三代将軍の時代に「春日局」と「お万の方」が作ったと言っても過言ではないだろう。「大奥」から学ぶ江戸時代は興味を覚えることがたくさんある。それは、現代にもず〜っと受け継がれている。にほんブログ村
2023.08.18
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「槿花一日自為榮」この猛暑続きの中でもたった一日の命でも槿(むくげ)の花は、次から次へと咲いています。<槿花は一日なるも自ずから榮と為す>「槿花一日の栄」の意味を調べると(1)栄華の儚い喩え。(2)権力や財力を握り栄えるのは一瞬であっという間という事。(3)ムクゲの花は朝開いても夕方には萎むので、転じて、人の華やかな時も短くて儚いもの。(4)「一炊の夢」「槿花一朝の夢」「槿花一朝」も同義。”槿花”は「ムクゲの花」「アサガオの花」、”一日の栄”は「一日だけの栄華」「一日で終わる栄華」で、「人生は儚い」という喩えが「槿花一日の栄」です。”槿花”は中国ではムクゲですが日本ではアサガオの事で、夏から秋にかけて朝になると花を開かせるが夕方には萎んでしまいます。そこから、どんなに栄華を極めても所詮は人の一生は短く永遠には続かないのです。人生とは失敗や挫折をする人の方が圧倒的に多く仮に成功をしても継続するのはとても難しいです。そんな事から「槿花一日の栄」は人々の心に訴える諺となっていて、現在は様々な場面でのややネガティブな表現として使われています。と、辞書には細かく書いてありますが私は、槿も朝顔もこんなふうには思っていません。この花の一輪は一日花ですが咲いている期間が夏から秋までと長く特に、夏の茶会には欠かせない花の一つです。花期が長いのでいつ、背高く伸びた枝をいつ切ろうかと悩むくらいに花をずっと咲き続けさせる槿です。人生はいろいろですが花は、いずれの花も美しくそれぞれの花が人の心にいくつもの想い出を残してくれるかけがえのない存在です。にほんブログ村にほんブログ村
2023.08.17
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送り火の今日。台風の影響もゲリラ豪雨もなく送り火の十六日を迎えました。広間の室礼を変えました。雨もあまり降らなかったので百日紅も元気なままなので何本か切ってお床に飾りました。百日紅は大きな枝なので切るのも生けるのも少々、手こずります。「送り火」と云えば京都の「五山の送り火」が有名ですね。「大文字」(京都市左京区浄土寺・如意ヶ嶽(大文字山)。20時00分点火)「松ケ崎妙法」(京都市左京区松ヶ崎・西山及び東山。20時05分点火)「船形万灯籠」(京都市北区西賀茂・船山。20時10分点火)「左大文字」(京都市北区大北山・大文字山。20時15分点火)「鳥居形松明」(京都市右京区嵯峨鳥居本・曼荼羅山。20時20分点火)以上の五山で炎が上がり、お精霊さんと呼ばれる死者の霊をあの世へ送り届けるとされています。細かく時間が決められていてそれぞれの場所で点火のためのいろいろな儀式などが行われます。この送り火が今日はなんとか無事に行われる予定だそうです。台風7号の障りが無くて良かったと思います。いくら暑くてもこの送り火を境に「京都」は少しずつ「秋」の気配が足元からやってきますね。それは、どこも同じで「お盆」が終わるとどんなに猛暑、酷暑が続いても周りの風景などもなんだか秋めいて来るものです。私の住んでいるところは稲穂も黄金色に向かって色づき栗や柿、梨の実がだんだん大きくなっていきます。今日までが「寒蝉鳴」で蜩は日の出前や日没後によく鳴き、夏を惜しむかのようにその鳴き声に寂しさも感じるものです。盆飾りは、明日、片付けます。今日からまた、一週間から10日ぐらいは猛暑が続くと思いますが体力を奪われないように自分を労わりつつ頑張りましょうお盆で祭壇に上がっていた「お盆饅頭」を下げて頂きます冷たい麦茶と一緒に‥甘い和菓子もイイものです。にほんブログ村にほんブログ村
2023.08.16
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1945年の今日、日本国は敗戦を宣言した。お盆の頃になると決まった事のように「戦争」の語り部とか、戦争映画、ドラマなどがTVの各局で放送される。焼夷弾が落ちて来て皆で逃げて街が焼け野原になった‥お国のために「華」と散った兵士の話。学徒出陣の隠れて泣いていたあの映像。「神風旋風」の特攻隊の話。「広島」「長崎」の原爆投下の話。学童疎開や買い出しの話。今、語っている人たちのほとんどが「又聞き」の話であると思う。そもそも、「太平洋戦争」は何故、開戦に至ったのか「日中戦争」が泥沼化したからであろうか私の両親は共に戦争を体験していた。母は昭和4年生まれで戦争の詳しい内容など、あまりよく知らなかったようだった。父は大正生まれで戦地に赴いたが、戦争の話は、ほとんどしなかった。私に太平洋戦争の話をしてくれた人は茶道の大先輩のMおばあちゃまだった。Mおばあちゃまの口癖は「昭和一桁の人たちは話はまるで自分がものすごい戦争体験をしたように言ってるけれど、あの人たちが生まれる前から満州事変、支那事変があってそれで大東亜戦争になってゆくのよ。戦争の時は大変だったなんて自分がその大変さを全部背負ってるみたいに聞こえるでしょう昭和一桁生まれなんてその頃は、まだ子供だよ。それほど暮らしには役にも立っていないのよ。」「Mおばあちゃまは、何してたの」「私は、旦那も息子も兵隊に取られてね‥東京から埼玉に疎開してそりゃあ、大変な思いをしたわよ。」私は、Mおばあちゃまの話をもっと聞いておけば良かったとつくづく思った。<毎年、思い出すMおばあちゃまの話>よくよく考えればあの戦争の時に大人だったか子供だったか結婚していたか家業を継いでいたか家族を養っていたか子供の記憶は存外、当てにならないと思う。10年ぐらい前に私の母と伯母がB29の話をしていたのを今でもよく覚えている。「B29が飛んできた時、わぁ〜カッコいい強そう‥って思ったけど、そんなことを言ったら非国民だものね〜」「そうよ‥竹槍では勝てないって思ったわ〜」伯母も母も女学生の頃の思い出話‥人類の歴史、特に有史以降は世界中、戦いの歴史である。昭和天皇の玉音放送の原稿の写しが手元にある。母に聞いてみた時があった。「あの放送を聞いて内容が解った」「解らなかったけどあ〜戦争に負けて、日本は一等国から六等国になったんだーって‥周りの大人が言っていたのよ。」終戦から78年。あの時のことをハッキリと大人の目で見て感じた人たちは、もうこの世には何人もいない。少なとも当時、30歳ぐらいから上の大人の人‥というと‥今、110歳以上の人。そんな人、何人もいない筈。と言うことは「又聞き」の「又聞き」になる。終戦なのか敗戦なのかやはり、日本国は「敗戦」したのだと思う。今日、令和5年(2023年)8月15日。今年の「終戦記念日」は戦争よりも台風7号のことが気になる長い一日となっているが当市は、通雨程度の雨が降っただけで只々、蒸し暑い。そういえば、去年のお盆は台風8号に振り回されていた。さて、我が家には幾つかの決まり事がある。物心ついた時から私は、父から盆の入りから盆の明けまで出かけてはいけないと言われて育って来た。それだけではない。現金も使ってはならない。使って良いのは、「お盆」に関する事柄だけで、食費にさえも使ってはならないと‥何故だか、詳細は判らないけれど私は、今もそれを忠実に守っている。台風は‥台風って物凄い「力」だ。そして「風」も物凄い「力」だ。山を駆け降りて来た熱風がハワイのマウイ島の山火事をおこしている。台風は自分自身では動けないくせに膨大な力でノロノロとやってきている。風に煽られた小さな火の粉が島を焼き尽くすのもスゴイことだ。自然の脅威をきちんと学び、自然を畏れて慎ましく生きて行かなければ人類はそういつまでも繁栄出来ないだろう。そう、戦争などやってる場合じゃないのだ。(写真はネットからお借りました)にほんブログ村
2023.08.15
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毎年、卒塔婆を頂きにお寺に行くのは14日の夕方と決められているのですが今日は、台風の雨が降りそうなので予定時間を午前中にして頂きました。お寺さんに挨拶して墓所管理費をお支払いして卒塔婆はお墓に上げず家に持って帰りました。お墓に備えてしまうと折角、書いてくださったのに雨に濡れてしまうからです。お盆が明けて台風の心配が無くなったらまた、改めてお墓に行きましょ家に帰って来て庭に置いてある植木鉢を片付けていると二度咲きの萩の花がまた咲き始めておりました。(6月下旬に一度満開になったのですよ)返り咲きの山吹の花も咲いていました。昼下がりになって警報が出ました。ようやく、雨が降って来ました。だんだん雨足が強くなって来ましたよ〜でも、ずっと降るわけではないようです。庭に水を撒かなくても良いのは誠に有り難いけれどあまり、たくさんの雨はご遠慮願いたいですねーお盆休みを利用して旅行や遊びに出かけてる人たちは、落ち着かないお盆休みでお気の毒さまね〜お気をつけてにほんブログ村にほんブログ村
2023.08.14
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お盆の入り‥です。台風7号が迫って来ているのになんとお天気の良いこと‥雨、降りませんね〜〜午前中は新盆見舞いに行き午後からは一軒だけお見舞いしてきました。我が家の庭には白い百日紅と白い鉄砲百合がこの暑い中、元気に元気に咲いています。令和5年は「盆飾り」をいつもの広間に設えなかったので広間は、なんかちょっと違和感を感じています。広間の隣は青い壁に盆飾りが際立って見えます。日帰り温泉から帰って来て我が家の迎え火花火で皆々様をお迎えしました。ものすごく、蒸し暑い盆の入りですねー無事に両親も帰って来たようです。盆飾りのスイッチを入れるとなんとなくですが「お盆」ですね〜両親、伯父、伯母、ニャンコたちみ〜〜んな「おかえりなさい」お線香も今日は特別に好い香りの「沈香」のお線香で部屋いっぱいに気品高い香りが漂います。さぁて、私は冷酒で皆々様とこのお盆をゆっくりと過ごします。どうせ、台風の影響でどこへも行かないし誰も来ません。そして、天気もさすがに悪くなりそうですから大人しくじっとしていま〜〜す部屋を暗くするとやっぱり「お盆」ですね〜。にほんブログ村にほんブログ村
2023.08.13
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お盆がやって来ますね。両親の位牌やら伯父、伯母の位牌やらセピア色した写真やら仏壇から出してきて棚を作って皆さんをお迎えする準備です。新盆でもないのに綺麗に飾ろうかなと思ったのは6月の台風で一部屋リメイクしたからです。この部屋に盆飾りをしていつも仏壇の中から見ていたであろうご位牌の皆々様に新しい部屋をご披露する機会だと思いました。年に一度、納戸から出してくる盆飾りの品々を全部は飾りきれません。盆提灯などは、まだ何セットかあるのですが仕舞うことを考えるとまぁ、これくらいで勘弁して頂こうと思いました。何しろ、暑いのでこうした作業はかなりしんどいのですまだ、全部は飾り終えていませんがまぁ、大体こんな感じに出来上がりました。明日は、新盆見舞いが何軒かあるのでなるべく、今日の内に飾っておかないと時間的余裕がありません。まぁ、とりあえずこれで90%ぐらいは完了です。夕方になっていくらか気温が下がってきたようにも思えますがあちゃ〜30度はあるのね〜空を見上げると美しい雲がゆっくり動いていました。台風7号も、6号と同じようにノロノロ台風ですね。大きな被害が出ない事を祈る2023年のお盆がやってきます。皆様、どうぞお気をつけて静かにお盆をお迎えくださいね。にほんブログ村
2023.08.12
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「はとバス」のナイトドライブは東京の煌めく夜景を見ることが出来ます。東京タワーを後にして芝公園から首都高速に乗ります。浜崎橋ジャンクションからレインボーブリッジに入ります。お台場や提灯を付けた屋形船を見ながらバスは豊洲市場の方へと向かいました。あっ、そうそう皆さん、知っているかしらレインボーブリッジを境に隅田川と東京湾、つまり海になるのです。レインボーブリッジも建設している時から知っています。友達がこの橋を作るのに関係していてよくこんな事を言っていました。「俺たちは地図に残るものを建てているんだよ。」って‥それから、まもなく、同じようなセリフのCMを見たことが思い出されます。さぁ、バスは晴海から銀座へとどんどん東京駅へと近づいてきています。は〜い歌舞伎座です。銀座4丁目の和光です。数寄屋橋交差点の東急プラザです。以前は「阪急デパート」でした。あっという間にナイトドライブに終わり、東京駅に戻ってきました。東京駅の夜の風景はやはり、どこの駅にも無い格調の高さを感じますね〜正面玄関を見て振り返ると‥行幸通りの景色も良いですね〜東京駅舎保存復原が出来上がったのは2012年の10月でした。(東京駅舎は復元ではなく復原なのです)この正面玄関は、今は通行は出来なくなってしまいましたが、古い映画などを見るとここに駆け込んでゆく映像が懐かしさを呼び起こしてくれます。さてと、丸の内北口の自由通路を歩いて八重洲口方面へと歩いてゆきます。大丸のところに出ます。あれこれなんでしょう大丸の「夏祭り」のディスプレイです。東京ツアーズにお付き合いを下さってありがとうございました。東京の夜と比べて田舎の田園風景はなんと長閑なのでしょう‥稲穂もだいぶ「頭を垂れて」きています。しかし、東京も暑いけれど遮るモノのない田んぼや畑は倒れてしまいそうになるくらいに暑い今から、お墓の掃除を行ってきますお墓も暑い〜〜帰りは、いつもの日帰り温泉で〜〜〜すにほんブログ村
2023.08.11
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平日の夜なのにかなり混雑しておりました。展望台にゆくエレベーター前です。外国からの観光客も大勢おりました。東京タワーは、今も昔と変わらずの人気スポットなのですね真夏のタワーのイベントは「天の川イルミネーション」でした。エレベーターを降りると夢のような世界が私を迎えてくれました。窓に映るイルミネーションが東京の街並みに滝のように落ちてゆく感じに見えました。足元も光っているので宙に浮いているような感覚を覚えます。展望台は天の川の星空窓から見える摩天楼の輝きあ〜〜良きかな〜です。右下眼下に水色の明るいところがあります‥確認できますかここは、東京プリンスホテルのプールです。説明されなくても夜でも判るということは私は、自分が思っているよりも大東京の夜景すら記憶していると言うことに驚き綺麗ですね当たり前のことですがやっぱり東京は「大都会」です。あっ花火が館内に上がりましたわぁ〜驚いたこれは、これは‥ものすごい「お得感」ですね〜あっ東京タワーにもアレがありましたよ私の足の下‥ガラス張りの東京タワーの「スカイウォークウィンドウ」昼間だったら怖いと思う筈ですが夜でイルミネーションがキラキラで明るい光の海にちょこっと立った感じでした。思いがけずに素敵な東京タワーに再会出来ました。私ってとっても幸せ人ですね〜また、来るね〜こんなオバサンになっても東京タワーは心踊る楽しいところでした。にほんブログ村
2023.08.10
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東京駅は大きく二つの入り口に分かれています。丸の内と八重洲。丸の内側はあの大正時代の遺構の東京駅の表玄関がありその駅の前の通りを行幸通りと言って皇居が正面に見えます。八重洲側は新幹線乗り場と高速バス乗り場で丸の内口とは全く、その様子が違います。この日、時間的な余裕が出来たのではとバス乗り場に行ってみました。当日でも席が空いていれば、OKです。東京生まれでも東京育ちでもはとバスに乗車するチャンスはあるようでないようで‥今回、初めて二階建てのオープンバスに乗り込みました。(この写真は、はとバスからお借りしました)天井が無いバスで観光客は全員、2階席に座ります。雨が降っても小雨なら毎日、出発しているそうです。開放感があるしかなり高い位置から東京の街を見ることができます。夕暮れ時でしたが、まだまだ蒸し暑い東京駅周辺です。しかし、バスが出発すると意外や意外、涼しい風が入って抜けてゆきます。皇居の周りを通って永田町の国会議事堂を見つつバスは乃木坂から六本木へと進んでゆきます。はとバスにはちゃんとガイドさんがいていろいろと説明をしてくれますが大手門も桜田門も警視庁も衆参両院議員会館ももうすでに知っていることなので「ふむふむ」と聞いているだけ‥この日の同じコースを辿る、はとバスは合計4台でスゴイ人気のコースなのだと思いました。さあ、六本木の交差点です。もうここは、私にはなんの説明も必要ありません。田舎に引っ越す前には六本木に勤め先があったのですから細かいことは私の方がよく知っているのです。交差点を過ぎると目の前に東京タワーが見えてきます。バスガイドさんが東京タワーの説明をしていると乗客が一斉にスマホを上に向けました。六本木‥私にはと〜っても懐かしい場所です。20年も通っていた六本木‥ずいぶん、街も変わりましたねーバスは、六本木から飯倉片町へそこを過ぎると「ロシア大使館」がありますがバスガイドさんは何んにも言いませんでした。飯倉2丁目を過ぎていよいよ東京タワーに到着します。「東京タワー」わぁ〜〜〜何十年ぶりでしょう‥最後に来たのは何時だったかしらもう全く思い出せないほど昔のことですよ〜やっぱり、東京タワーは東京のシンボルですね〜スカイツリーよりも私はずっとずっと東京タワーの方が好き建てている時から知っている東京タワーです。さてさて、東京タワーを楽しみましょうワクワクしていま〜〜す明日に続く‥にほんブログ村
2023.08.09
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1週間遅れの東京での打ち合わせのために急遽お出かけの昨日。このまま、打ち合わせを放っておくとまた、来週の台風に襲われてしまうかも知れないので決断速攻で出かけました。東京駅の日本橋口に到着するとなんだか、ホッとします。打ち合わせの内容は大大先輩の茶道の老先生のための追善供養茶会について。老先生の三回忌の法要を兼ねて茶会を催すことになりました。その大まかは私が担当で当日は横浜の諸先生方に仕切って頂くことになっています。コロナウィルスの影響はいつまでも長引き、結局、WIthコロナになってしまいました。台風接近中ですがお天気はなんとか保てそうでした。東京駅からぶらぶら歩いて日比谷まで蒸し暑い中を歩きます。なんでもない日なのに東京駅周辺はいつも通りに混雑していました。さて、今日は気取って帝国ホテルで待ち合わせです。さすが、「ホテル御三家」と言われるだけあって正面ロビーの花の美しいこと「帝国ホテル」写真を撮るのが憚られますね〜ここで、一杯2500円の珈琲を飲んで茶道のお仲間と打ち合わせ。追善供養の茶会の場所はもうすでに私が予約を取ってあります。浜離宮のなかにある「芳梅亭」です。「浜離宮」私は、この茶会には当日は参加はしません。横浜や東京の皆さんが主体となって開いてくれるので毎回、いろいろ、抹茶も煎茶も頼まれ仕事はもう一人では手が回りませんしそれに、東京まで行くこと自体が大変疲れるからです。(高速は混んでるし、駐車場から茶室まで遠いし、荷物は多いし、着物だし‥)1時間半の打ち合わせ終了。あとは、ネットやLINEで秋まで少しずつ準備を始めていってくれるそうです。まぁ、私は「相談役」ということで‥打ち合わせが終わるとお仲間たちは、そそくさと帰ってしまいました。あ〜みんな家庭があるし夕飯の支度もするのでしょうからね〜東京駅まで戻って来て‥中途半端な時間です。このまま、帰ろうか少し銀ブラでもする美味しい夕食でも食べましょうか折角だものね‥どうしましょう‥明日に続く‥にほんブログ村
2023.08.08
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まぁ、なんとのんびりで迷惑な台風なのでしょう‥沖縄や奄美、九州からず〜〜っと離れている関東でもいろいろな雲が上空を流れて行っています。白いのやら黒いのやら道一本離れたところでは一雨ザァーっと来て1分ぐらいで止んでしまう。昨日は、いつもと違う日帰り温泉に行って来ました。日曜日と言うこともあって山の中なのにけっこう、混んでいました。でも、さすがに遠いところから来ている車はあまり見かけませんでした。近隣の方が多いのだなぁ〜って思いました。車から降りて振り返ると筑波山の頂上が見えました。ありゃあ、山の上は間違いなく雨ですね。真っ暗でした。結局、雨は降りませんでしたがなんともこれは‥台風に影響されている雲ですね。今日も雨は降りそうにもありませんが雲の流れは早いです。にほんブログ村
2023.08.07
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どうやっても暑いのは暑いですねーなんとか、見た目だけでも涼しくと思い、冷たいお菓子と冷たいお抹茶で気分を変えてみました。夏は平茶碗でお抹茶を点てますが冷たい氷水ではなかなか上手に抹茶は点てられません。少し、練るようにして薄い濃茶感覚で一服点てました。抹茶は他の緑茶と違い、抽出液ではなく粉末にした茶葉をそのまま身体に取り入れるため、栄養素を水不溶成分も摂取できます。抹茶は「スーパーフード」なのですよ。あ〜こうして頂くとなんだか爽やかに元気が立ち上がってくるようです。平茶碗に庭の八重桜の葉が映り込み益々、グリーンが濃く見えました。冷たい栗かのこゼリーも美味でした。さて、今日は薄暗くなったら日帰り温泉に行こうかしらにほんブログ村
2023.08.06
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朝から元気に鳴いている蝉たち。八重桜の木にいっぱい止まっています。八重桜の根元あたりが蝉たちのゆりかご。そこから、這い出て来て蝉になるのでゆりかごの木の八重桜で精一杯に毎日鳴いています。朝よりも昼間、昼間よりも午後の3時ごろあたりがより大きな声で鳴いています。おや羽が破けている蝉がおりました。蝉の一生は、幼虫7年+成虫7日=7年7日程度と言われています。地上で過ごす時間が短いので蝉の亡骸も毎日、たくさん落ちています。昨日、午後に大雨警報が出て1時間に50ミリ程度の雨が降ると予報では言っていました。雨雲の動きをネットで見るとまさに当市を通過するようになっていました。庭に出ると空が暗くなって冷たい北からの風が吹いていました。これは、本当に一雨来ると思いましたし、遠雷の音も聞こえていました。小鳥たちは低く飛んでどこかへ避難をしているかのようでした。それなのにそんなこと、一向に気にせずに蝉は鳴いていました。ところが今にも雨が降りそうなのに雨はひつ粒も降って来ません。蝉はずっと鳴き続けています。雨が降れば蝉の鳴き声は止まります。雨が降らないと分かれば蝉は鳴き続けるのですね〜いやはや、天気予報よりもずっと正確にピンポイントを教えてくれているのです。賢い結局、曇って北風が吹いただけで雨の恵みは受けられませんでした。なかなか日が暮れない夏の夕方。まだまだ、蝉は元気よく鳴いています。日が差し込んできてまた、気温が高くなりました。すると八重桜の木にアオスジアゲハがひらひらと飛んできました。6回目のコロナワクチンの副反応も出ておりません。良かったでも、今日1日は家でのんびりしていましょう。用心に用心を重ねることはとても大事な事ですものね。にほんブログ村
2023.08.05
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新型コロナウィルスが5類になったのが今年の5月8日からでした。マスクの着用、人々の移動などが今まと比べて緩和されてまるで、従来と同じ日常を取り返したかのようです。みんな、4年ぶりの夏のイベントを楽しんでいる頃に‥知り合いのお孫さん17歳の高校生のS君が先日、コロナに感染しました。若いと云うこともあって症状は軽かったようですが一気に家族間に緊張が走ったそうです。そんなこともあったので私は、今日、6回目のワクチンを接種してきました。予約は、これまでと比べて簡単でスムーズに決まりいつもの病院の新館でワクチン接種をしました。一般の外来患者さんとは違う棟ですがこんなに豪華な場所で時間が来るのを待ちました。接種する人は私、一人だけでしたよ顔見知りのお医者様がいらしてワクチンの説明をしてあっという間に注射が終了新型コロナウィルスが消滅したわけでは無いしこれから、本格的な夏休みにお盆がやってきます。いろいろな人とすれ違うことも会って食事をしたり一緒に泊まったり、遠出をすることも多くなります。やはり、念の為、用心に越したことはないと思いました。久しぶりのワクチン接種でしたが前回よりも痛くもなくすんなり終わりました。今日も変わらずに36度越えの猛暑です。一雨欲しいわぁ〜〜にほんブログ村
2023.08.04
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先月の茶会のお礼と言うのかお疲れ様と言うのかはたまた、暑中見舞いなのか煎茶道のお仲間から「桃」が送られ来ました。丁度、食べごろになったので冷たくして頂くことにしました。皮ごと食べられる長野県の桃農家さんからの直通便で届いた「桃」です。とても一人では食べきれませんので知り合いにお裾分けしました。それでは私も遠慮なく頂戴致します。「美味でございます〜〜」お気遣いを有難うございました。涼しくなったらまた、じっくりとお稽古しましょうね。にほんブログ村
2023.08.03
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京都、江戸、大坂は歴史的都市を担ってきました。京都は「貴族文化」大阪は「町人文化」江戸は「武士文化」「大奥」を読んでいると自然にその役割が分かってきます。何しろ、260年もある江戸時代ですから将軍様がいるというだけで江戸が成り立っていたわけではありません。ドラマ仕立てで見ればその内容は権力闘争や愛憎劇ですが私が特に興味を持つのはその周囲にある文化です。貴族、武士、町人はそれぞれの役割と機能を持ち歴史的に形成された歴史を持っています。その性格は長所もあれば短所もあります。貴族は、高貴であり洗練されており武力を否定して平和な生活様式を作り上げて来ました。それだけに力がなく無責任で依存心が強い。武士は、身命を賭して戦い共同体のために忠誠を尽くし実力で統治する経験があるので責任感が強いがそれがゆえに建前に生きて見栄っ張りである。町人は、モノを作ることや商取引を通して生活の実態を知っており、この世の中の利害損得を身をもって学んでいる。しかし、ともすれば利害損得以上のものが世にあることを忘れがちである。三者三様、良いところも悪いところもあるがこの三者の良いところを全部持ち合わせることはそう簡単には出来ないのである。これは、令和の御代になってもあまり変わっていないと思います。東京は政治都市大阪は商業都市京都は今もお公家さんお寺さん都市です。「大奥」ではこうした三者の関係が面白く描かれています。私は物語の内容よりもその時に後ろに描かれている調度品や衣装、言葉遣い、街の様子などに目が行ってしまいます。その「大奥」があった江戸城も昨日は突然の「ゲリラ豪雨」に襲われていました。これから、毎年、こんなような気候になってゆくのかと思うとエアコンも電気も無かった時のほうが良かったのではと思うこの頃です昨日の涼しさはどこへやら、今朝も早よから30度を超え予想最高気温は35度ですにほんブログ村
2023.08.02
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