全2件 (2件中 1-2件目)
1
![]()
ずっとBlog更新が停滞しており、I’m sorry !!実は腹膜炎で13日(木)より、入院していたのです。 11日(火)夕方 ~ 腹痛が始まり、夜になると嘔吐までし始めたので「今日は夜勤は無理だな。」と言う事で、職場に して offをもらいました。翌朝一番で徳洲会病院に向かい、まだ開院前だったのでBedで寝かせてもらいました。「腸に炎症が起きているから、薬を飲んでしばらく様子を見よう。」と言う事になりましたがその日は何だかんだ言って、夜まで病院で寝ておりました。一旦帰宅して服薬したのですが、明け方3時頃 ~ 再発しました。それでもう「入院したほうが良い。」と判断し、翌日夕方再院し検査すると「腸に膿が溜まっていて手術しなくては。」と言われ、徳洲会病院は夜間手術を実施していないため、救急車で八重山病院に搬送されました。手術だと本来なら保証人がいないとできないのですが、急患だったため全身麻酔の許可承諾書にだけ、signしました。麻酔を打つとお医者様の言う通り、すぐに寝てしまい術中のことまでは何も覚えておりません。気が付くと朝になっており、手術も無事完了しておりました。 最初はhigh care 室に移動させられ、点滴が始まりました。自分でW.C.に行けるようになってからは普通病棟に移動し、給食が出されました。御粥食で全部は食べれませんでしたが。すると手術して1日後再び気分が悪くなり、大量の吐血をしました。またもや絶食となり点滴が続く、入浴もできない。最初の入院計画書では1週間を予定していたのが「今週中退院できるかな?」と、不安になりました。出産の経験のない私にとって、手術だけでなく吐血も初体験だったもので。 と同時に腹筋・背筋の大切さも、思い知らされました。どんな動作もそれらの筋肉を遣わずにはできないのですから。例えBed脇に落としたTowelさえも、拾えないくらいの激痛で自分のひとつひとつの行動を省みる絶好のchanceにもなりました。病名は「急性虫垂炎」だったので、事実上では盲腸でした。子供時代に「盲腸は炎症起こす前に、時間とお金があるとき手術しておいたほうが良いのでは?」と、母親に言うと「いいえ、背番号のないエースは罹らないよ。余計なことをしなくていい。」と言われました。今回は例え盲腸がなくたって、手術しなくてはならなかった。もしあのとき盲腸手術をしていたならば、2度手間になっていた。現在ではCoop共済にも加入しているので、入院中だけでなく退院後の通院費用までも負担してくれる、ありがたい時代になった。 水曜日あたり ~ 全食食べれるようになると「今週中に退院、大丈夫そうです。」と、言われました。食べれるようになるとお腹がすき始め、給食時間が待ち遠しくなりました。抜糸も遅く退院する前日でしたが、異状ありませんでした。とにかく食べれるようになってからは自他ともに驚くほど回復が早かったです。退院は22日(土)PM過ぎで、初めて今年から運行した 「まちなかじゅんかんBus」に、乗車しました。 入院前は「退院する頃にはすっかり寒くなり毛布も必要になってくるだろうなあ。」と思っていたのが 今日も最高気温が28℃なので、半袖・短パンです。 今回の入院は今までの中で、一番大病だったわけですがいろんな面で自分自身を見つめ直す絶好のchanceとなりました。交友関係に関しましても。それは人間だけでなく、猫に関しても同じことが言えました。約2週間餌をあげなかったため、もう来ないかと思っていたらちゃんと元のMemberが、そろいつつあるではありませんか?そして何と言ってもびっくりしたのが、彼と仲直りするまでの恋人代行だった雄猫が、約半月ぶりに姿を現しました。手術前も「緊急連絡先を教えてください。」と言われ彼の携帯番号を教えていたのですが、かけても夜中だったため留守電になっておりました。術後も自分で公衆電話からかけたのですが不在だった。何度お見舞いに来てもらおうか迷ったけど島も違うし、とうとう最後まで連絡を付けられませんでした。こういう強情張りなところも、今回の手術の原因のひとつだつたのでしょう。それだけに雄猫の再現は感動ものでした。「私が留守中もずっと毎日来訪し、帰りを待っててくれていたんだ。入院していることが、伝わったのだな。」ご存知沖縄の冬は寒暖差が激しいです。「これからの寒さ対策を考えなくては。」と、猫に対しても感謝の気持ちで、一杯になりました。筆まめで読書好きの小学校時代恩師が、2/8(土)新刊を発売しました。そしてついに琉球新報4/13(日)書籍Cornerにも掲載されました。http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-223488-storytopic-6.html 琴寄政人 1948年11月1日生まれ。栃木県足利市出身。宇都宮大学卒。 震災/学校/子ども [ 琴寄政人] 嬉しい。みなさんもぜひ読んで感想をお聞かせください。再び(4回目?)アドレス書いておきます。よろしくです。
2014.11.23
コメント(11)
![]()
8月に「玉音放送」をtitleにしましたね。commentさせていただいた通り、沖縄の戦争反対者については那覇在住していた頃から関心がありました。と言うのも国内唯一の地上戦であるだけに、体験者の証言ならしょっちゅうTV放送されているのに、戦争反対者については何ひとつ聞かされたことがなかったからです。また疎開先も沖縄本島は本土であるのに対し、ここ八重山諸島は台湾でした。本土で田舎へ疎開するのは「住民をより安全な場所へ」と言う心掛けでしたが沖縄は軍人の食糧不足をなくすためにと、邪魔者はみんな追い出されたそうです。さて、表題に入ります。どうして今回のtitleを「バカにできるだろうか?」にしたかと言うと高校時代短大受験科目に小論文があり、国語の教科担任 及び家庭教師にも検索してもらっていたのです。何という課題を基にして書いたかまではおぼえていないのですが「第2次世界大戦中、戦争反対者は皆入獄させられた。それが敗戦すると、事態は180℃転回した。戦争中のことは現在になったからこそ、バカにできるのであってあの当時にしてみれば、国民ひとりひとりが自覚するのは無理だったに違いない。」と言う内容で、教科担任に提出したところ「バカにできるだろうか?」と添削されたのであった。それをそのまま家庭教師にも見せたところ「バカにしているのは背番号のないエースだけで人間そう簡単には進歩しませんよ。」と、言われてしまったのだった。沖縄移住して19年になる今日、いまだ戦争反対者に関しては一度も聞かされたことがない。だからこそこうしてThemaに取り上げようとしている最中にふと高校時代に言われたふたりの恩師のphraseを思い出したのであった。と言うのも同じ戦争反対者でありながら、本土と沖縄では全然立場も言う台詞も、違っているような気がしたから。また自分と同じように、バカにする人がいたとしてもこれまたその内容が、全然違っているような気がしてならなくなってきた。「沖縄の戦争反対者の記事、楽しみにしていますね。」commentくださった方に、心からお礼を言いたい。それだけに当ThemaをBlog公開する前に、是非皆さんにもこの「バカにできるだろうか?」について、討論したいのだ。筆まめで読書好きの小学校時代恩師が、2/8(土)新刊を発売しました。そしてついに琉球新報4/13(日)書籍Cornerにも掲載されました。http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-223488-storytopic-6.html 琴寄政人 1948年11月1日生まれ。栃木県足利市出身。宇都宮大学卒。 震災/学校/子ども [ 琴寄政人] 嬉しい。みなさんもぜひ読んで感想をお聞かせください。再び(4回目?)アドレス書いておきます。よろしくです。kotoyori.masato@lilac.plala.or.jp
2014.11.07
コメント(5)
全2件 (2件中 1-2件目)
1